縮刷版2006年8月中旬号


【8月20日】 鈴木清剛さんの「夏と夜と」(角川書店、1500円)を読んだらSFだった。いやそこまでコテコテではないけれど純文学系にあって”すこしふしぎ”な要素が入って何ともいえない雰囲気を醸し出す、村上春樹さんの「ダンスダンスダンス」とか梨木香歩さん「沼地のある森を抜けて」みたいな感じのストーリーって言えば言えそう。前者後者でいうなら前者かな。

 勤めを辞めて自宅でフリーのパタンナーをやってる僕は、専門学校に入学したばかりの時、同じクラスになった和泉みゆきとスウちゃんという2人の子たちと仲良くなって、いつもいっしょに連んでた。出かけたりお泊まりしたりしたりはしても、特定の2人が恋仲になることはなく性的な関係にもならず、トライアングルのような固い関係にあったけど、2年になってクラスが分かれると疎遠になってしまい卒業してからはそれっきり。しばらくして僕はスウちゃんが死んだという話を聞いてお葬式にも行ったけれど、だからといって和泉みゆきと関係を取り戻すこともなく、知り合ったゆきという女性と結婚して4年が経った。

 ゆきとは仲良くやっていたけど欲しかった子供がなかなかできず、2人で同じ家でフリーの仕事をし続けている状況にどこか行き詰まりを覚えていたその頃、僕はずっと会っていなかった和泉みゆきの勤め先を探し出しそうとする。そして再会を果たした彼女から、彼女の叔父が管理している鬱蒼と繁った森に自分の逃げ場所として建てたプレハブ小屋に、スウちゃんが幽霊となって現れると聞く。妻との行き詰まった関係から逃げ出すように、僕はみゆきのプレハブ小屋に暇を見つけて通っては、スウちゃんが現れるのを待っていた。そして……。

 結婚もして手に職もあって収入もそれなりにあって幸せな今だけど、どこかぎこちなさを感じていた時に振り返って思い出したのが学生の頃の完璧だったトライアングルを形ち作っていた時代。お互いがお互いを思って結びついていた関係だけに崩れることなんてないと思っていたのに、あっさりと砕けては記憶の片隅へと押しやられていたそのトライアングルを取り戻したい。そんな30代の、ここではないどこかへと逃げ出したい気持ちを描いたストーリー。恋愛とか性差といったものを越えてつながっていたはずのトライアングルに、秘められていた心と体の乖離という問題も浮かび上がって、30代になった僕をハッとさせる。

 だからといって変わるかというと大きく変わらなかった想いが、打算とかいったものを越えて繋がり逢える学生の頃の関係を改めて浮かび上がらせる。そしてそんな時代を経て大人になった大勢の人たちに、ちょっぴりの気恥ずかしさも含んだ嬉しさを感じさせる。幽霊のよく現れる、以前は沼地で今は森となっている場所の正体は不明だけれど、世界の中にそんな場所って結構あるあるもの。欠けた心を持った人たちを集め、時には沼地へと引っ張り込んでは逃避に手を貸し、時には沼地から欠けたピースを出してポッカリと開いていた穴を埋めて現世へと戻してくれる。逃げるか戻るか前へ進むのか。どうすべきなのかを迷っている人たちに明日を考えさせるファンタジーって言えるかも。

 調子づいているのかそれとも調子づいているように見せかけられているのか。「AERA」の2006年8月28日号で「オシムの言葉」の木村元彦さんがサッカーマガジン元編集用の伊東武彦さんとサッカー代表のイビチャ・オシム監督について対談しているんだけど、日本サッカー協会に異議を申し立てオシムが率いる代表を持ち上げたいって意欲が余ってか、ところどころに嫌味を通り越して気分に触れる言葉が混じっててちょっと気になる。

 例えば「中田英寿が引退したのはオシム就任が決まったからでしょ。ビッグクラブからオファーがあったら辞めなかったと思うけど、唯一アイデンティティーを示せた日本代表での危機感は大きな理由だったと思う」って言われてしまうと根拠は? って聞いてみたくなる。だって中田英寿が引退を口にし始めたのってずいぶんと前でしょ? 確率が数パーセント下がることはあっても9割5分以上はワールドカップ独大会が終わったら引退するのを決めていた訳で、仮にオシム就任がジーコの再任であっても他の誰であったとしても、最高のパフォーマンスを見せられない段階に来たって思えばすぱっと辞めたに違いない。

 他の誰より”代表引退”ってセリフが似合う選手であったことも確か。だからオシム監督が呼ぶ呼ばないってことはあんまり気にせず、ビッグクラブだろうとプロビンチャであろうとそこで自分が最高のパフォーマンスを見せられるんなら現役を続けたんじゃなかろーか。そんな中田英寿選手の、ことサッカーにだけは純粋に取り組む気概だけは中田嫌い、ジーコ嫌いなオシムのファンであっても、というかサッカーをこよなく愛するオシムの気概を知るファンなら理解しているはず。オシムに呼ばれないから代表も選手も辞めたんだろう? って言われるとちょっとそれはって言い返してみたくなる。

 あまつさえ伊東さんまでもが「確かにそこは見通していたでしょうね」ってお追従。気持ち悪い。もしかするとほとんどすべてが真っ当な意見であるにも関わらず、木村さんが冗談交じりに吐いた言葉から木村さんの印象悪化につながる部分をわざわざ拾ってクローズアップして掲載して、オシムを持ち上げつつ協会を誹る木村さんがコケるのを狙っていたりするんだろーか。でなきゃこんな1人のサッカー選手の決断ってゆー思い事態に対しての、部外者でしかない人間による軽口をたしなめもしないで載せたりしないよ。さすがは日本サッカー協会御用達新聞。やることが巧みだなあ。

 今日もきょうとて「キャラホビ2006」へと行って1・5メートルガンダムなんかを撮りまくって記事にする。見ているとラクス・クラインとキラ・ヤマトのカップルがやって来てはラクスがローブデコルテの長い手袋をはめた腕ででっかくて黒いデジタル一眼レフをつかみ「ガンダム」にレンズを向けていた姿に不思議なものを感じる。ラクスが一眼使っちゃいかんのか、って訳じゃないけどでもなあ。美麗なフリヒラ系コスプレーヤーが集まるイベントなんかでもニコンの「D70」かキャノンの「EOSKiss」とかを向け合う女の子たちって結構いるんでしょーか。

 そのまま待っていると今度はエウレカとアネモネがやって来てはやっぱり「ガンダム」を写真で撮影したり一緒に並んで撮ったりするシーンが。頭部からビーム音とか起動音なんかを発するギミックがお気に入りだったみたいでボタンに触れて音を出してはすっげえすっげえと喜んでいた。今の新しい「SEED」なんかとは違う効果音なんだろーけれど、アトムの歩くとピコピコってゆー音といっしょでガンダムの動く音だったら、ビームライフルを撃った音だったらって感じに一種遺伝子レベルで染みついているものがあって、それが実際の音を聞いて浮かび上がって心震わせるんだろー。歴史のこれが偉大さって奴だ。

 昨日もどっかのイベントに出ていたよーな気がする古谷徹さんは今日も貝印のひげ剃りが開いていたイベントにご登場していたみたい。結構なお歳であるにも関わらず代わらぬ若々しい声とパワフルさ。ここん所悲しい知らせも相次いだけれど、こと健康って面に限って見るなら古谷さんならまだまだ大丈夫だろー。でも塩沢兼人さんみたいなこともあるし……って駄目だ頭がネガティブに行きがちだ。23日だかから始まる「ガンプラEXPO」にも登場するみたいなんでそっちで夏バテもしない元気な姿を見れば安心できるだろー。

 「キャラホビ2006」会場内にあるステージでは他にいろいろな人が出ていたみたいだけれど誰が誰やら。帰りがけにチラリと寄った「ワンダーフェスティバル」にもいろいろ出ていたみたいだけどやっぱり誰が誰やら。もしかするとあれが平野綾さんだったのかな? 会場を後にした直後に井上喜久子さんのメイド姿ってのが出たって噂を風の便りに聞いたけれど本当だとしたらちょっと惜しいことをした。一生を悔やみそう。永遠の自称17歳とはいえ肉体的にはなかなかな所まで来ている井上さんだけど、そんな風雪にも負けず「奥さまは魔法少女」のアニエスのコスプレ姿をした人だからメイドくらい何でもないよなあ。いずれどっかに上がるリポートを待とう。

 ジェフユナイテッド市原・千葉は今やリハビリチームと化しているのではなかろーか。7月末に対戦してジェフ千葉に勝利した名古屋グランパスエイトは、その勝利をきっかけに攻撃的なセンスを取り戻し、その後の試合のことごとくを破壊力満点の試合運びで勝ち進んでいる。でもって今日のFC東京戦でも、前節まで攻撃に迷いがあったチームが監督を解任して臨んだ最初の試合で、手探りだった相手の攻撃をほどよい守備で活性化させてしまった。調子づいたFC東京はこれから一気に爆発させては上位をいじめにかかるだろう。おかげでリーグは面白くなるけどその一方でジェフ千葉の順位だけが沈んでいくというこの二律背反に、どう折り合いを付けていけば良いのだろう? 名古屋に今更鞍替えは出来ないし。とりあえず東京と名古屋のリハビリだけで止めておけ。次節の磐田までも調子づかせたら他が迷惑するから、さ。


【8月19日】 サウナ風呂で目が覚めるとこんな感じかという蒸し暑さの中で意識を取り戻して時計を見ると7時過ぎ。そのまま出かければ埼玉県の幸手にある「シネプレックス幸手」で初回の「時をかける少女」を見られた時間だったけど、明日が出勤で行けないってこともあって「幕張メッセ」で開催される「キャラホビ2006」へと出向くことにして、そのままプールサイドのビーチマットみたいに湿った布団に仰向けとなってしばしの仮眠。9時前にまた起きて自動的に録画の始まった「おとぎ銃士赤ずきん」を見たらオープニングの「童話迷宮」が名曲だった。何だよいきなり唐突に。

 いや別に唐突でもなくって既にCDも買ってあって、「iTunes」へと叩き込んでは時折聞いているんだけど、テレビのCMで田村ゆかりさんが歌にシンクロしながら口を動かし唄う映像の朝から見るにしてはゴージャスな衣装にクールな表情がもたらす戦慄が、低く始まりジワジワとせり上がっていく楽曲の昂揚感ともマッチして、暑さにうだる身を涼やかにしてくれることに遅まきながら気づいたって訳。オープニングでアニメの映像が重なったバージョンも悪くはないけど、ここは全編を田村さんの唄うプロモーションビデオバージョンで「童話迷宮」が見たいもの。あるいは生で唄うところか。行くかコンサート。

 おとぎロードが開かれてファンダベーレへと到着した草太にりんごとそして三銃士の面々は、別に領主に迎え入れられおとぎバトラーに載せられ闘わされることもなく、そのまま城へと向かったら王様はサンドリヨン様の所に連れて行かれてすでにおらず、王の部下でも最強のハーメルンは捕らえられて牢屋の中に。エルデの鍵こと草太をおびきよせるエサってことだけど、草太には三銃士が付いているって分かっているのに残していたのが音楽学校を受験し落ちたロバに犬にニワトリのブレーメンな奴らって所がサンドリヨン様、どこかちょっぴり抜けてます。

 おまけにさらに加わったのがランダージョではなあ。つかランダージョって東映アニメが今もトレードマークにする長靴を履いたびっくりしたニャの猫じゃなく、今は懐かしの24時間アニメで手塚治虫のプロダクションが残した「ブレーメン4」の1匹だったとは。どちらかといえば手塚の虫プロダクションの血を引くマッドハウスなだけにその辺りしっかり抑えてます。違うだろうけど。まあ当然と言えば当然な役立たずぶりで逃げ出すブレーメンたちは、砂漠を4輪車で走っているところをサンドリヨン様からおしおきだべー、ってな具合に雷を落とされはしないで何処へ。現役ライバルにして同じグループに属するタツノコオマージュを入れる余裕はなかったか。だから違うって。

 かくして爽やかにも迎えた朝の空腹を105円のジャンボどら焼きで満たしてから、出て「メッセ」へと向かい「キャラホビ2006」を見物。開場時には7000人くらいが行列を作っていたそーで、明日も今度は「東京ビッグサイト」で作るだろー行列を思うと何とも体力のある奴らだと感心するけど、そーやって買った品物を果たして永遠の宝物として30年後も誇れるのか、って辺りに悩みを最近抱いている身なだけに、昔みたく飛び込んでいっしょに並んで開場を待つ、って気になかなかなれない。体力もないし買っても置いておく場所ないし。

 森永製菓が発売した9000円するファイル付きのウェファーチョコも、開場から30分で売り切れちょっぴり残念とは思ったもののしょせんはグッズ。そのグッズに魂が宿るのも素晴らしい本編があってのことで、ならば今もしグッズを揃える時間とお金があったとしたら本編を買いそろえては見て見まくることに使いたい、でもって本編に関わった人たちの話を聞いたり読んだりする方に使いたい、ってのが気分として強くある。グッズを買いに早起きして並ぶんだったら遠方、といってもたかだか幸手か新座あたりで上映されてる「時かけ」を見に行っては、1日スクリーンの前に座って見続ける方が体験としても有意義だし、記憶としてもかけがえのない物になるんじゃなかろーか。今年の夏に「時かけ」を見て、出た劇場の外で青空に湧き立つ入道雲を見た記憶と、イベントに3時間行列して限定品を買った記憶。素晴らしいのはどっちだろう? どっちもか? うーん悩ましい。

 場内では12分の1「ガンダム」がやっぱりな迫力。何体も並べられてて作った人はきっとしばらくガンダムなんて見たくないかもしれないなあ。頭部に仕込まれたスピーカーから起動音とか攻撃の時の音なんかが流れ出すギミックを体験できるコーナーがあって、手前でスイッチを押すとスピーカーから迫力のサウンドが流れて来るんだけどそこに角川グループでとてつもなく偉い人がやって来てはスイッチを押している姿に遭遇。忙しいのにちゃんとやって来ては今の流行と賑わいを体感してくフットワークには感心させられます。その側にあったガンダムの運転手になれる「戦場の絆」はジオン軍、連邦軍とも3時間待ち。なるほど計算が見込める商材だってバンダイナムコグループの偉い人が言ったのもよく分かる。早くもっと市中に出回らないかな。前に体験した時は動きの激しさにクラっと来たんで、今度は酔い止め飲んでチャレンジだ。

 そんな「ガンダム」に群がる男子と、「ガンダムSEED」シリーズのキャラに集まる女子といった想像の範囲に留まる来場者層が、果たして興味を示すのかが心配された、バンダイのアパレル事業部あたりが作りこれから出しているファッションドールの桜奈だったけど、全勢力を趣味に傾け脇目も振らない男子とは違うのか、たとえ「SEED」にうつつを抜かしてはいてもそれが生活の全てはなく、可愛い物綺麗な物にはちゃんと目を向ける女子の評判をとっていたよーで、ブースはいつの時間もそれなりな人気。三菱自動車の軽自動車「ai」とコラボレーションをしてミニチュアの自動車の周囲に椅子やテーブルなんかのミニチュアともども並べて飾って、車のある優雅な生活って奴を演出していたジオラマを眺め、綺麗だかわいいと褒めそやし憧れを見せていた。そーゆーものかとひとつ勉強。

 最初に見た時にはそのちょっぴり下ぶくれ気味に口のまわりがぷっくりと膨らんだ顔立ちを、あんまり綺麗に思わなかったんだけど、展示してあった等身大のマネキンみたいなストレートのロングヘアーは似合わなくっても、アップにしたりショートにした髪形だと何故かキュートでコケティッシュな感じが出たりしたのが不思議とゆーか面白いとゆーか。お姫様でもお嬢様でもなく生きた女の子って雰囲気が出ていて、それが見に訪れた女の子たちの関心を引いたよーな印象を持った。本当かは知らないけれど。でもなかなかいじり甲斐のありそーな人形かも。

 アパレル事業部なんでファッションとのコラボもやるみたいで、25日から27日までは原宿にある「LANPET SHIP」って店でアーティストによる「桜奈」とのコラボレーションイベントを開催する予定。「Erotic Dragon」とか大久保淳二とかオリエンタルテクノロジー指田稔とか聞いても分からない人が多いけど、ゴッホ今泉さんだけは分かったよ、バンダイでガールズブリーフの「mikera」を手がけたアメコミな人だ、やっぱりブリーフとか出して来るのかな。あとお洒落っぽい名の人に混じって内藤泰弘さんの名前が見えてビックリ。でっかいイアニッシャーとか背負わせているんだろーか。あるいはマントの下にデリンジャー沢山とか。見に行こう。

 でもってサッカー成分を補充に「味の素スタジアム」で開催されたサッカーJ2の「東京ヴェルディ1969vsザスパ草津」を見物に行く。草津を見るのはこれが初めて。知ってる選手はあんまりいないけれど攻撃に大勢が走ってくるなかなかの機動力を持ったチーム。守備も固くてヴェルディの振り回しにも動じずしっかりと守りきる。一方のヴェルディもゴール前ではヤバげな攻撃を見せるんだけれどそこまで至るのが大変。左右でボールを持った選手がいてもフォローに回り追い越していく選手とかがあんまりおらず、動いてパスをもらって動いてきた選手にパスを出す連動性があんまり見られない。

 左のサイドライン付近で海本幸二郎選手がボールをもらった時なんか、さらに内側でサイドラインに並行して並んだ3人がいっせいに腕を前へと差し出し送れっていうんだけど、その誰1人として走り込まず仕方なく海本選手はまっすぐドリブルしていった。遮断機じゃないんだから腕出したって草津の選手は止まってくれませんって。自分でもらいに動かなきゃ。結果はヴェルディが先制しながらも1人足りない草津の波状攻撃をしのげずよく分からないまま押し込まれて同点に追いつかれてそのままエンド。勝ち点1は手にしたけれどホームで下位のチーム相手に”あの”ヴェルディが見せる試合じゃない。

 もはや1年での昇格は無理ほぼ確定だけど、仮に来年にどうにかこーにか上がっても、すぐ落ちてくるエスカレーターチームになってしまいそー。去年までの知名度の貯金はあるしテレビ局が付いてるってメリットもあるからスポンサーもそれなりにまだいるけれど、夏休み最中の土曜日で夜7時からの試合に4000人しか集まらないんじゃ知名度に頼れなくなる日もそう遠くない。小さい子供が親に連れられ見物に来ている姿は未来に希望となっているけど内容が伴わず、かといって地元に(地元ってそもそもどこなんだ?)幸をもたらす存在にもなりきれていないチームが辿る道は果たして。女子チームの日テレ・ベレーザにだって影響のある話なんでここは頑張ってせめて早期のJ1復帰だけは何としでも成し遂げて欲しいなあ。必要なのは何だ?


【8月18日】 あるいは単なる詰め物であって、平たくもがっしとしたデオン・ド・ボーモンの胸板の上に被せられたブラの中に、海綿だかタオルだかを詰め込んで膨らませたのがスフィンクスのあの砲弾状に張り出したバストであるということはつまり、ふわりとしたスカートからのぞく細くて強靱そうな脚も実はよくよく見ると毛をそり落としたあとが脛に黒い点々として残ってて、そんな脚を太股から上へと見上げていけばそこに何かしらのシンボルが存在するのかもって、恐怖心を抱きながら読んで冲方丁さん原作で夢路キリコさん絵による漫画版「シュバリエ」。だったけど発売になった第3巻で疑心が氷解して明るい展望が開けてきた。

 ガーゴイル化した詩人との対決の最中に放たれた攻撃を受けたスフィンクスの全身に走る傷。その中には押し上げられた胸の膨らみを襲ったものもあって白いドレスを切り裂いた攻撃は、その下にある素肌も裂いては血をほとばしらせる。そう血。詰め物の海綿とかタオルからは絶対に出ないものが流れたってことはすなわちそれがその瞬間においては血肉をもった存在なのだということを示す。霊的な存在となったデオンの姉リアの魂がスフィンクスとなってデオンの肉体に降臨した時、リアの霊的な力によってそこにリアの肉体が顕現しては白くて細くて強靱な脚で地を踏むのであった。

 だから傷つけられれば霊的であっても血は流れる。ぎゅっとつかめばそこにはすかっとした空間ではなく後ろから布地を押す弾力を持った肉がある。第3巻の冒頭で謎めいた影への思慕をにわかに募らせたスフィンクスが苦悩に痛む胸をつかんだ場面で「ギュッ」と擬音が添えられているけどそれも決して間違いではなかったってこと。更には攻撃の場面で白いスカートから幾度となくのぞく脚もそこにすね毛を心配する必要はないし、当然ながら付け根に得たいのしれない棒状のものが取り憑いている恐怖に怯えなくたって良いのだ。ああ良かった。

 あとはその肉体が長く世に存在し続けるよーにスフィンクスのやられはしないけど殲滅もしない適度な闘いっぷりを期待しつつ巻が重なっていくのを楽しみにしたいけど、果たしていつまで続くのかなあ。小説版も出たしアニメーション版も間もなく始まっては遠からず終わってしまってそして後に旬が過ぎた後のくすんだ感じが生まれてくる。そーなった時にまだ冲方丁さんや講談社が漫画版の「シュヴァリエ」を続ける気力があるかが鍵。出来ればどこまでも続けながらスリムなのに出るとこ出っ張ったスフィンクスの肢体を堪能させて戴きたい。ところでアニメ版「シュヴァリエ」ってどんなもの? 良いもの? それとも……。WOWOWだから見られないけど評判を伝え聞いてそれから考えよう、DVD買うべきかどーか。まさかそっちは詰め物だったりしないよな。

 スーツカンパニーだかスーツダイレクトだかて緊急用にネクタイは買ってもスーツを作ったことはない。つか最近はスーツなんて着ずジャケットをトゥモローランドあたりで仕入れるか、セットアップをエディバウアーで買って1、2シーズン着倒す程度でスーツとは縁がないし、昔も学生時代の名残でDCブランドとかトラッドブランドのものを買って着ていた。いずれにしてもAOKIだ青山だコナカだっていった紳士服チェーンの世話になったことなんてないし、見回しても同じ世代でそーゆー店に出入りしてスーツをあつらえているって人はいなさそう。下にいけばいくほどさらに紳士服チェーンで買う層は薄くなっていく。

 だからこその業態転換も含めた経営統合を、九州で紳士服チェーンを展開しているフタタに対して提案したって表向きにはとってとれるAOKIホールディングスだったけど、カラオケ店の店員なんかやるのはどうもって思われたのか紳士服チェーンが未来もちゃんと立派に成り立つと判断したのかフタタは、AOKIではなくコナカによる完全子会社化案を受け入れた様子。これを受けて会見したAOKIホールディングスの青木拡憲社長が「ベストな提案だった」と変わらず強い姿勢を見せていたのは、かかる紳士服チェーン受難の時代を勘案すれば根拠のあった言葉だったのかも。結果としてその道を選ばなかったフタタとコナカの連合軍が、リストラって禁じ手も半ば封じたレタ中でどんな改革を見せてくれるのかにとりあえず注目。できるかな。

 それにしても奇妙なTOB騒動だった感が今もくっきり。「二田義松相談役との40年来の友情から」って青木社長が最後まで主張し続けたのはつまりは2人の間に何からの話し合いがあったってことなんじゃなかろーか。それは先行き不透明なフタタをAOKIにうっぱらってしまうって密約であるかもしれないし、子息で現在の社長の二田孝文氏がコナカの資本参加を仰ぎながらもそれを活かせず業績を停滞させていたのをみかねてより強力な形での支援をコナカが出さざるを得なくなるよう、青木社長と二田相談役が画策したってストーリーも描いて描ける。

 そこでAOKIがフタタを取れれば文句はないけど取れなくたってフタタは良い合併比率を引き出し創業者一族は満足な資金を得ることができる。結果はまさしくそーなった訳で、裏に前記のよーな2重3重の画策があったとしたあの2人、なかなかの策士ってことになるけど果たして真相やいかに。まあその辺は全国にネットワークを持って日々を情報収集に邁進している日経あたりがちゃんと書いてくれるだろーから記事化を待とう。僕らには無理だ、だって九州どころか水戸三島あたりだって出張できるか怪しいし。海外取材? そんなの滅相もございませんだ。

 オシムのあれは着ぐるみで幾つか用意してあって、中に小さな日本人が入って操っているに違いないと確信。新潟での試合を終えた翌日にとっとと宿を出たジェフユナイテッド市原・千葉のメンバーがホテルで休んでいるオシム監督を後ろに見ながら千葉へと帰ってさあ練習しようとしたらそこに現れたのが寝ていたはずおオシム監督。練習場の横に陣取り走り回る選手をながめていたとか。どーやったらそんな場所に現れることができるのか。おそらくは本郷にあるJAFハウスの監督質に据え付けられたロッカーには、精巧な着ぐるみがいくつもつり下げてあって必要とあらば待機しているアクターなり、いなければ反町コーチでも大熊コーチでも誰でもいいから中に入ってオシムの振りをしているに違いない。恐るべき。

 まあオシムだった西でサッカーが行われていれば行って走れといい、東でフットボールが闘われていたら行って考えろという人だから目ざめて今日のサッカーはどこだろうと電波を飛ばし、ひっかかって着たジェフ千葉の練習場にそれこそ誘導されるよーに赴いては目の前で繰り広げられるサッカーを、ただ空気を吸うように当たり前のこととして眺めていただけなのかもしれない。少年サッカーが行われていれば行ってサインとかしまくっていたトルシェ前々代表監督にも通じるアグレッシブさ。何か任せて安心って気にもなって来る。それだけ見たんだから選んだメンバーも納得できるってゆーか、まるで見ないで選んでいた前監督に抱いた不信の裏返しとなる信頼がぐんぐんと沸いてくる。次は果たしてどこに現れるのか。J2の会場とかにも来ないかな。明日は味の素スタジアムでヴェルディと草津の試合なんか開かれるし。行こうかな。留め刺されるヴェルディを見に。


【8月17日】 華を持たせたかったのかなあアレックス選手は田中マルクス闘莉王選手に。サイドで羽生猶剛選手がひっきりなしに走り込んではフリーになっているのにアレックス選手は中へと切り込みクロス、クロス、クロスでオーバーラップして来ている闘莉王選手に合わせようとしかしない。コーナーキックでもオシム監督が前日の練習からすべてゴールマウスへと向かうように蹴り込めって言っているのに走り込んでくる闘莉王選手とかに合わせるボールを蹴っては引いているディフェンダーのプレッシャーに勝てずゴールを奪えない。

 流石に見ていて気づいたんだろーオシム監督もハーフタイムに雷を落としてセットプレーではゴールを狙うよーに言ってそれを守って阿部勇樹のニアヘッドを招き佐藤寿人選手のシュートを呼び出した。しつこくゴールをひたすらに狙うことによってゴールキーパーの方がミスする可能性は高くなるし、ゴール前へと入れればそこなら混戦になっても決められる確率はファーに蹴って流れラインを割るよりなるほど高い。とにかくプレッシャーをかけ続けろって考えからの指令だったんだろーけどそれをどう解釈したのかアレックス選手は外して蹴っては外されまくって自ら墓穴を掘ってしまった。

 それでも後半には修正して来て結果を出した訳で(羽生無視は続いたけれど)その辺を買って次の中東遠征にもきっと連れて行くんだろー。国際マッチデーなんで呼べる松井大輔選手と競らせれば否が応でも言いつけをまもり殿様プレーはできなくなる。やらせてミスらせて直させて高め競らせて結論を先に持ち越しモチベーションも失わせない操縦術。出来ればそれをジェフユナイテッド市原・千葉の水野晃樹選手とか楽山孝志とか、さらに若い選手に対しても発揮して欲しかったなあ。レギュラー確保しかかてんのにどこか軽いプレーが出てしまうんだよなあ。まああれでアマル監督もなかなかシビアらしいんで、きっと鍛え直してくれると信じよう。五輪代表に呼ばれて増長しなけりゃ良いけど。

入り口で芳山和子さんがいるかを聞く人続出、な訳ない  南からの湿った空気が太平洋岸へとドバドバ流れ込んで来ているのか暑い上にひどく湿気が高く生きているだけでサウナにいるよう。書けども書けども世にまるで届かない一方で適当な記事でも出ている部数の多さで広まる格差社会(ついでに格差待遇)に積もった嫌気が溢れかけて世の中が鬱陶しくなってしまったんで、内心の予定どおりに強制夏休みと決め込んでは扇風機だけがガラガラと回る部屋で目をつぶり、心臓以外は動かさず体力の消耗を防ぎながら午前の時間を潰そうとしたけれど、ますます高まる気温にさすがにどうしようもなくなって起き出し、京成電車に乗って上野まで行き魔女おばさん家を見物に行ったら魔女おばさんがいた。

 東京国立博物館の正面は映画「時をかける少女」に出てきたように暑さの中で静かな佇まいを見せていて、正面玄関を入ったところにある階段もやっぱり映画に出てきた光景そのもの。そこに身長が190センチくらいはありそーなおそらくはドイツ人の女性が、階段脇に黒いぞろりとしたワンピース姿で立っていて、まるで魔女のような雰囲気に近寄ってタイムリープって知ってます? って聞きたくなったけどドイツ語が分からないから諦める。魔女おばさんは仲間たちと観光に来ていたみたいで2階へと上がり鎧兜や掛け軸なんかを見物してた。今晩あたり箒にまたがりやって来ては根こそぎかっさらっていくんだ。

 メインはそっちではなく平成館で開催中の「若冲と江戸絵画展」って催し物でプライスコレクションって海外の収集家が所蔵する伊藤若冲の作品とそれから同じ時代を生きた画家たちの作品を並べてた内容で、日本画なんて地味なものをいったいどれだけの人が見に来るんだろうって心配もしていたけれどお盆休みだからなのか得体の知れないところがファンを読んだのか、作品の前を何十にも囲む人垣が出来るくらいの混雑ぶりに昨今の若冲ブームって奴を思い知る。作品点数はそんなに多くはなかったけれど像やら何やら得体のしれない動物たちがいっぱいに描かれた屏風(作者不詳で推定若冲)とか、シンプルに簡略で描かれているんだけどそれだけにフォルムをとらえる観察力とそれを絵に示す技術力の高さが分かる屏風とか、見れば凄いって感じられる作品も多かったし。

 うーんちょっとまだ早かったか。電撃文庫でおなじみ「メディアワークス」が数年前から画策しているライトノベル系作家のハードカバー進出の動きはエンターテインメントで有川浩さんの「図書館戦争」が「本の雑誌」あたりで褒め称えられて一般にも広まる気配を見せる一方で、「猫泥棒と木曜日のキッチン」であたりさわりのない日常に潜むさまざまな心の動きを広い描いた橋本紡さんが「流れ星が消えないうちに」や「ひかりをすくう」といった文芸の出版社から単行本を出しては増刷を重ねる人気になっいる。成功事例も生まれたってことでますます後続にも期待がかかるんだろうけれど、そんな中で出てきた「キーリ」の壁井ユカコさんによる「NO CALL NO LIFE」(メディアワークス、1400円)。うーんちょぴり早いかなあ。

 主人公は高校生の少女で両親はおらずおじさんおばさんの家に住んで従兄弟と暮らしている。脳天気でNASAに就職したいって言っているくらいに何も考えないで日々を生きている今時の女の子って所なんだけど、そんな有海の日々が携帯に飛び込んできた留守電のメッセージによって変化を見せる。日付が過去になっているメールの発信元にかけ直しても誰も出ないどころか今は使われていないとの言。ならばと訪ねていったそこは空き家で想像するにどうやら過去から飛んできた留守電らしいと分かるけど、ではいった誰なのかが分からなかった。ところが。

 従兄弟の友人で高校を留年して有海と同じ学年になっていた春川という男と知り合い過去からの伝言の主が彼らしいと分かってくる。過去に家族といろいろあったらしい春川のことを知り、同時に自らの幼い頃の苦い記憶も蘇ってきては2人を同病のように結びつけていく。そして起こる騒乱。逃亡。迎える悲劇。劇的過ぎる。バイオレンスが主題のストーリーなら劇的でも悪くはないんだけど、冒頭から繰り広げられたファンタジックな出会いが想像させた、甘くてちょっぴりひり付くことがあっても最後にはハッピーエンドを迎えるだろう展開との違いに戸惑わされる。

 文芸の世界だと金原ひとみさんやら本谷有希子さんっていったあたりが爆裂する青春の様を描いて共感を呼んでいたりもするから、そーした作品ど同列にあって、ドメスティックバイオレンスの記憶を引きずる少年と少女の、火傷しそうにヒリヒリとした青春の様を描いたものだって言えないこともない。だったら少年が子供の頃に抱いていた肉親への純粋な感情、少女の幼少期に起こった痛ましい出来事を、ティーンになった2人が過去へと繋がる携帯電話を通して思い出し、記憶として引っ張り出していくのは手として余りに突飛過ぎる。

 会話の中や過去を知る人たちの言葉(例えば春川を鬱陶しく思い邪険に扱い続ける彼の母親の吐露)といったものから置かれた境遇を描き、一方でおじやおばや従兄弟が隠す過去に直面することで戸惑う有海を描くことで、2人が同質だと分からせることだって出来たのに、どうしてあり得ない過去へとつながる電話なんて方法を持ってきたんだろう。あるいはそれは出口を求める2人の心が見せた幻で、聞こえて来た声も幻聴なんだと想像させる道を残しておいた方がまだ、納得性も高かったように思われる。

 劇的に過ぎるクライマックスも読んでどうしてそこまで行くのか分からない。ぶち切れるにも程がある。等身大から一気に飛躍していき放り出された気分になる。欲しかったハッピーエンドなり、アンハッピーでも未来に希望の持てるエンディングとの違いに戸惑わされる。有海の1人称にしていろいろと発見しつつ自らを知ってそして成長していくような青春小説か、2人の過去を背負った少女と少年が出会いそして破滅していくバイオレンス小説のどちらかにしてあった方がまだ、読んですんなりと受け入れられたような気もするんだけど。まあ古い人間だからこその枠組みに縛られた完成かもしれないんで、同世代あたりの人が読んで何を思い何を感じるかを聞いてみたいところ。ちなみに買ったのはサイン本。端整なサインに人柄の良さを見る。それだけになおのことピュアさを全面に出して欲しかったかなあ、やっぱり。


【8月16日】 スポーツ紙各紙に記事。本当だったら新潟スタジアムで行う予定だったサッカー日本代表の15日の練習をオシム監督はこれまでどおりの練習場だった新潟市営陸上競技場に突如変更。そのために練習しているピッチ脇に並べるための、1枚数10キログラムもあるスポンサーの看板21枚を、スタッフが新潟スタジアムから運んで飾ったという。ご苦労な話。

 ではあるけれどもどうして練習くらいで看板が登場するのかが気になった。練習場になんて見物に来る人はメディア関係者とあと余程のファンが数百人から多くて数千人といったところで、看板を飾ってわざわざ見てもらう効果なんてほとんどない。つまりはすべてはテレビ映りのためのもの。練習風景を撮影するテレビの端に(あるいはテレビの配慮で選手を脇にやって真ん中に)映してもらうために日本サッカー協会はスポンサーの看板を練習であっても用意し飾り、練習場が移動となれば運び直す。

 でも練習って必ず中継されるものじゃないし公開すらされない場合だってある。フレンドリーマッチだったらまだしも公式のタイトルがかかった試合で勝つために行う練習を公開して手の内をさらすなんて考える方が普通は変。頭5分だけ取らせてあとは1時間2時間を完全非公開にすることだってあり得るにもかかわらず、21枚もの看板が用意されては練習場に運ばれているってことはつまり、日本サッカー協会は練習そのものも最初っから広告を見せる”媒体”として売ってしまっているってことになる。あるいは協会が任せている広告会社が。

 だから秘密練習なんかされては困るのだ。前々代表監督のフィリップ・トルシェはよく練習を秘密にしてワールドカップ前の練習試合なんかも「六月の勝利の歌を忘れない」なんかを見るとフェンスで囲われ目張りもされた場所で行っては外部の視線を完全シャットアウトしている。そこに広告を持ち込む余地なんてまるでない。なるほどだから嫌われたんだろう。練習風景の記事を書けないメディア以上に練習場を広告媒体にして広告収入を稼ぎたい協会に。

 逆に前監督のジーコは練習をほぼ完全に公開した。ワールドカップ前の大切な時期であっても日本でもって数万人がやって来ては見物できるような場所を使って練習風景を自由に見て回らせた。その会場に看板が立ててあったかは今となっては確認のしようがないけれど、もしあったのだたとしたら日本代表がわざわざ日本で、衆人環視による緊張感の減退といったリスクを省みないで練習風景を公開し、メディアにも自由に撮らせた理由の一端もうかがえる。遠方で時差もあるような場所で練習されては困るのだ。ましてや非公開練習などされては意味がないのだ。

 立て看板がなかったとしても練習用のジャージにはしっかりとスポンサーの名前が入っているし、選手がインタビューに応じる場所には必ず背後にスポンサーのロゴが並んだ立て看板が置いてある。秘密練習の後に練習内容をペラペラ喋る馬鹿はいないし喋らせる監督もいないけど、公開練習の後なら選手も喋る。結果看板も頻繁に映される。それが日本で行われているなら紹介される機会も多くなる。だからジーコ監督時代の日本代表は、日本での練習のそれも完全公開練習にこだわったのだと、想像してみることも出来ないことではない。

 その名残が、というよりきっと練習風景も広告媒体として既に売ってしまっているんだろう。だから練習場が変われば運んで並べなくちゃいけない。そのためにいったいどれだけの協会職員が動員されていたんだろう。結果どれだけの広告効果があがったのだろう。ご苦労な話としか言いようがない。もちろんチャンスが少しでもあるならそこを利用して広告収入を稼ぎたい協会の意向は充分に理解できる。それが代表のパフォーマンスや試合の結果に影響がないんだとしたらどんどんやってくれて構わない。

 練習着に入っているロゴマークが小さすぎるんだったらもっと大きくしたら良い。選手の1人ひとりにスポンサーを付けて「オートウェーブ巻」とか「カブドットコム坪井」と試合の前くらい呼んだって個人的には構わない。人気選手には沢山スポンサーがついてさらに名前が長くなる。「オートウェーブ君津住宅ポポシャポー巻」。選手は嫌かもしれないけれど。「ニッサン隼磨」ってのはちょとかっこわるいし。かといって横浜F・マリノスの松田選手を「ニッサン松田」と呼ぶのも妙だしなあ。いっそサンフレッチェ広島に移籍すれば。そしたら「マツダ松田」でゾロ目で呼べる。効果は薄いけど。

 けど試合や選手のパフォーマンスに影響があってはいくら収入があったって本末転倒。非公開にしたくってもスポンサーの看板を戴いている以上は公開にする”義務”があるんだともしもサッカー協会が言い出したとしたら、果たしてオシムは何って言うんだろう。あるいは何をやらかすんだろう。スタジアムを出て河川敷をランニングしてこいとか、ピッチを使わっても看板が映らないようなミーティングに終始とか、やったらそれはそれで痛快なんだけど非公開にしたいくらい大切な練習を協会の当てつけのために潰すような愚策は選ばないのがオシム監督。別のスタジアムへと練習場を移してはスタッフに21枚の看板を運ばせ汗をかかせるだけだろう。ホントご苦労な話だなあ。

 体調も暑さに崩れかけているんで夏休みに決定。時間も出来たんで折角だからと「時をかける少女」でも見たいと思い上映館を探ると埼玉県の幸手にある「シネプレックス幸手」で普通に公開中なのを発見した。東京でもやっているけど混雑している上に設備的にも最高って感じじゃないオールドタイプの劇場なんで、行くのもしんどいなあって思っていただけにこれは僥倖。船橋からだと案外に近いことも判明し、総武線から武蔵野線に乗り替え南越谷から東武伊勢佐木線日光線を乗り継いで幸手駅前には1時間半ほどて到着する。降りると駅前に何もない。

 ファストフードもコンビニもない幸手駅前だったけど、おおよその場所は来る途中の電車の中から確認しておいたんでとことこと歩いて10分ほどで到着。9時45分からの回を買い入ると待っている人が10分前で2人しかおらず、地方じゃあやっぱりあんまり人気がないのかなあと心配していたら上映間際になって5人10人と増えていって最終的には30人くらいが入った様子。お盆の期間で夏休み中のアニメがこれでは寂しいといえば寂しいのかな。けどまあ入ったほうかと。

 何しろ圧倒的に投下された宣伝量の少ない作品。それにしてはな入りと言えば言えなくもない。ならばもっと宣伝していたらって思いも同時に募るけどなあにこれからどんどんと口伝えでもって人が増え、それを見たメディアに載ってさらに情報も行き渡るはずだから配給元にも興行先にも今が我慢のそどころで、ここで上映を途切れさせることなく1カ月2カ月腰を据えて上映を続ければ連日連回が超満員の観衆を集めて盛り上がる可能性がない訳じゃないと行っておこう。可能性でしかないけれど。どうかなあ。

やっぱり最終日には頭吹き飛ばして腕上に伸ばさせたいなあガンダム  2度目なんで落ち着いて先を読みながら見られた「時かけ」はやっぱりいっぱい矛盾はあるけど、そんな矛盾を考えさせる間もなしに、見ている人たちが見たいと思っているだろう展開、すなわち時を戻せたらいいな、やり直せたら素晴らしいなって所を見せつけ楽しませるから見ている間に誰も疑問なんて抱かない。見終わった後でもまあ良いかって思ってしまう。整合性よりその場の勢い、合理性より情緒性がエンターテインメントには重要だってことで。なるほどだから理を前面に出した「ゲド戦記」がエンターテインメントとしては受け入れられないんだなあ。あれはあれで良い物なんだけど。

 折角だからと松戸にも寄ってこの8月31日で閉館となる「バンダイミュージアム」の最後の賑わいを見物。とかいってきっと後で記事にするんだ仕事熱心だなあ。そんなことはない。しかしやっぱりなかなかの賑わいは夏休み期間中だからなのかお盆休み中だからなのか最後だからなのかは分からなかったけど、時折平日の記者会見なんかに使われる時に訪れた「バンダイミュージアム」にはこんなに入っていなかったから、やっぱり休みと最後ってのが重なっての来場者増でしかないんだろー。

 エンターテインメント施設は休日だけじゃない平日にどれだけ来場者を集められるのかが大切で、だから平日でも人がいっぱい来る「東京ディズニーリゾート」は強く郊外の遊園地は駄目になったし都心部の「後楽園ゆうえんち」も帰りがけに人がよれるよう入場を無料化した。「ナムコナンジャタウン」もフードテーマパークを入れてアフター5を強化した。豊洲に10月にオープンする「キッザニア」は果たして平日に学校に行ってる子供たちをどーやって集めるんだろー。既に教育委員会あたりと話は出来たのかな。いずれそのうち取材に行こう。

 んでもって「バンダイミュージアム」にある「ガンダムミュージアム」もやっぱり相当な賑わいで、ザクマシンガンを撃てコックピットにも座れて記念撮影をしてもらえ、なおかつ等身大ガンダムの顔付近までリフトアップしてもらえるチケットがセットになった特別券は早々と売り切れになっていた。こちらは子供ってよりは若い人たちが中心だったけど、平日にはやっぱりあんまり見たことのない光景だからやっぱり最後こそって駆けつけた人が多いのかも。あるいは婦女子に人気だった「SEED」「SEED DESTINY」のキャラとか展示してあったなら、いっぱいの婦女子で連日ぎっしりになったかなあ、声優さんが来ないと無理かなあ。

 そして見たアジアカップ最終予選の「日本対イエメン戦」は気が向いたら新潟まで見に行こうかなんて思っていたけど踏みとどまって良かったかもってジリジリする展開。なるほど攻めてはいるんだけれど完璧に引いた相手にぶつかっていっては跳ね返される繰り返し。左右に散らす訳でもサイドを深くえぐる訳でもなくただ放り込んでは潰される感じにこれでは駄目だとオシム監督も思ったんだろうか、サイドの沈滞ムードを一新すべく羽生猶剛選手を入れて縦に左右に縦横無尽に走り回らせ相手を混乱させるとそこから隙も生まれてシュートの数のみならず効果的なシュートの場面が増えてくる。

 そして生まれたコーナーキックからニアへと飛び込んだ阿部勇樹選手のドンピシャなヘディングによってまず先取点。直前に羽生選手のえぐりもあってのコーナーキックだった訳でジェフユナイテッド市原・千葉の選手の動きと働きが結果となって現れたって言えそう。そして佐藤勇人選手も代表初キャップを得て出場しては縦に走って相手へとプレッシャーをかける動きを見せ、最後に投入された弟の佐藤寿人選手がゴール前へのフリーキックがこぼれたとおろを押し込み追加点を奪いどうにか2点をものにして、ホームにしては苦しかった闘いを制する。ああ良かった。

 とにかく点の取れなかった時間帯は中盤での足下パスが多くって前の代表でポゼッションというアリバイ作りに終始していた時代とにたイラつく光景が今再び。後ろから押し越して来る選手にわたしそして自分も走る動きがないから崩せないし突破できないんだけど、最小限の動きで最大限の効果を狙いたいタイプの選手ではそういった動きは期待できなかったんだろうなあ。だから替えられちゃったんだよね遠藤保仁選手。フリーキックは持っているし飛び込みも時には見せても全体に絡む動きが少なかったなあ。

 それと前の試合では良かったアレックス選手の動きが今ひとつに。前にいる羽生選手を使わず切れ込んでは奪われ放り込んでは跳ね返される場面の続出にはさしものオシム監督も切れるかと思ったけれどそこはそれ、コーナーキックやフリーキックの担当として残しておいたことが結果として得点に繋がった訳だから気持ちは複雑といったところだろうか。あそこだったら駒野友一選手を残してアレックス選手を替えて山瀬功治選手を入れるなり羽生選手に佐藤勇人選手の方が機動力も出たかもなあ。そう機動力。だけど大事な初戦ってことで経験もあるアレックス選手と遠藤選手を使ってみせたのかもしれない。そして結果を見つつ切り替えていくんだろー。ますます次戦のアウェーでのイエメン戦サウジアラビア戦のメンバー選考が楽しみになって来た。残るのは誰? そして落ちるのは? 


【8月15日】 2月の時点で田中達也選手がとてもじゃないけど試合に出られる状況ではなかったことは分かっていたのにアジアカップの1次予選メンバーに入れておいたってことはジーコ前監督、もしかしてワールドカップの後も引き続き日本代表の指揮をとって40人だかのメンバーで臨むつもりだったのかなあ。だってそーででなきゃ2月の時点で入れておく意味ないもんね、とりあえず回復を見越して登録しておけば、8月の2戦目に新たに追加登録したくなっても他の選手を落とせず悩むなんて事態は避けられる訳だし。

 そんな手前で抱え込みたい選手を40余人も登録してしまったせいで、後を引き継いだオシム監督が新たに選んだ選手の背番号がまるでベースボールかアメリカンフットボールのようなデカさに。松井秀喜選手の55番にイチロー選手の51番をまさかサッカーでお目にかかることになるとは思わなかった。坂田大輔選手は67番だって? そりゃどこの野球の2軍だよ。サンキュー坂田選手はやっぱり39番が良かったなあ。でもジーコ監督には選んで40人枠に放り込んでおく考えはなかったんだよなあ。

 まあ坂田選手の場合は2月では目立っていなかったけど、45番の田中マルクス闘莉王選手と55番の鈴木啓太選手は当時でも既にJリーグでそれなりな存在感は見せていたはずで、なのに怪我の田中達也選手は眼に入ってもこの2人は眼に入らなかったとはジーコ監督、なかなかに素晴らしい眼をしているもんだと改めて感心。もちろん嫌味です。51番の羽生直剛選手も57番の佐藤勇人選手も去年から活躍していたにも関わらずやっぱり眼中の外だった訳か。だったらいったい40人までに誰が入っているんだろー。

 2月のインド戦前後の試合から、34番は松井大輔選手で32番は高原直泰選手。31番は今回も入っている駒野友一選手だし35番は長谷部誠選手で30番は阿部勇樹選手、36番は巻誠一郎選手で37番は佐藤寿人選手で今回38番が田中達也選手だったことが判明した。ほかでは41番が下田崇選手で42番は都築龍太選手だったみたいなんだけど33番、39番、40番が誰なのか分からない。いった誰なんだろー39番。もしかしたら鈴木隆行師匠か。やっぱり復活を期待していたのか。ありえるなあ、ジーコだし。

世界も知る日本のピカチュウと二重橋  日本を象徴するものとして東京にある皇居が上位に挙げられることは間違いないんだけどそれに並ぶか或いは上をいくくらいに、日本を象徴するものが存在した。それはピカチュウ。そして浦和レッズ。終戦記念日となった15日、ちょうど目の前が二重橋だったんで折角だからととことこ歩いて広場の方へと向かう途中、前を白人系の外国から来たツーリストたちの集団が歩いていた。先導しているのは日本の人だったみたいだけどバスガイドだったら旗を手に持っているところを何と彼女が持っていたのはピカチュウの縫いぐるみ。それを棒の先につけては外国人を引っ張り二重橋手前の広場へと歩いていった。一目で分かって目印になるくらいに、ピカチュウは外国人の間で高い認知度を誇っているんだろー。

 そんな集団の後をついて二重橋前広場へとたどり着いたら別の集団がやって来て、その集団を先導していた日本人の人が手に持っていたのが何故か浦和レッズの旗だった。赤いから目立たない訳じゃないけど他にもいっぱいある旗の中で選ばれたってことはつまりやっぱり外国人にも強く知れ渡っている現れか。単に旗を持ってたガイドがレッズのファンだっただけって可能性の方が高いけど。

 そんな二重橋前は欧米人だけじゃなく中国語を話す観光客や韓国語らしき言葉を話す観光客もわんさか。小泉総理が靖国神社に参拝したってソウルや北京じゃ大騒ぎってゆー報道も成されているけどそーゆー場面で”活動”する先鋭的な人たちばかりじゃ世の中はなくって、こんな日であんな事が起こっても騒がず皇居の前にやって来てはニコニコと記念写真を撮っている。フレームアップされる報道は決して市井の感情を代弁している訳じゃない。

 こっ、こっ、これはまさしく山下閣下。しばらく活動の途絶えていたりした時代劇フィギュアのアルフレックスが、トレジャーワークスって会社の傘下にはいって一方で「エロポン」とかを作りながらもしっかりとアクションフィギュアの方で新作作りに励んでいた様子。その成果として間もなくあの「シベリア超特急」で空前絶後の活躍ぶりを見せてくれている山下奉文閣下のフィギュアが軍服姿も眼に凛々しく発売されるとゆーから驚かずにはいられない。モデルはもちろん水野晴郎大先生。その役柄に成りきった厳しい顔が実にリアルに再現されてて写真を見るだけでも圧倒的な迫力が伝わってくる。

 フィギュアは別に監督としての水野晴夫さんに変じたバージョンにもなるそーで、いかにも水野さんといった笑顔の頭部とそれから軍服から着替えさせられる「シベリア超特急」と書かれたTシャツに、シベ超の文字入りカチンコといった小道具もついて発売されるとゆーからファンには嬉しい限り。ファンでない人でもこのレア度にはきっと心を動かされることだろー。いやあ素晴らしい。いつまた何どきアルフレックスがどうなってしまうかも知れない状況を鑑みるに、ここは1つ購入しては手にフィギュアを持ちながら、驚天動地の展開が繰り広げられる「シベ超」シリーズを夜を徹して見るってのも大人の嗜みとして良いかもなー。心動く。どうしよー。


【8月14日】 地味っ。ではあるけれども面白くない訳じゃない有川浩さん「図書館内乱」は本の自由をめぐるメディア良化委員会と図書館とのバトルがメーンになっていた「図書館戦争」から一転、図書館という組織の内部で起こる思想闘争権力闘争がメーンとなって描かれていて、あれやこれやと考えさせられては果たして自由を守る戦いに王道はあるんだろーか何がいったい正道なんだろーかと迷い悩んではあっちの意見、こっちの意見へと引っ張り回される。

 なるほどメディア良化委員会と同じ権限を得るためにいったんはかかげた図書館法を降ろして検閲も認めさせつつ何十年後かにそれを撤廃させては永続的な自由を勝ち取るって道もあるんだろー。急がば回れ。けどその何十年かの暗黒を生きなくてはならない人たちはいるわけで、1人の赤ん坊が成人になるそれだけの期間、自由を奪われ過ごす哀しさを後の世代のためだからって果たして認めて良いものなのかは判断が難しい。

 かといって方やメディア良化法をたてに権限を強める勢力と一色触発の状況を維持しながら守る自由もまた残酷。いつ何どき起こるかもしれない騒乱に身をさらす危険を鑑みるにいったんは自由を預けてみるのも得策って考えてみたくなる人もいるだろー。そんな2つの考え方が表だっては純粋な想いをぶつけあい、裏側では権力を巡る争いを繰り広げながら主導権を争っている状況がクローズアップされて来る展開にあっては、いかに元気が売り物の笠原郁だって身動きがとれない。彼女の猪突猛進が売りだった前作に比べて、これでは地味になるのも仕方がない。

 とはいえそこは笠原郁。挟まれても圧迫されても揺るぎない直感でもって正論を吐いてはどっちが良いかとゆらぐ読者の気持ちに活をいれてくれる。そんな彼女の真っ直ぐぶりを支えにして読んでいけば、勢力争いの中で繰り広げられる理論闘争の陰でおいていかれがちな、本を求める人たちにとって何が1番大切なのかを理解し進む勇気もきっと失わないで済むことだろー。その意味では情報戦の渦中に飛び込んでは冴えた頭脳を美貌でもって戦い抜く柴崎よりも、やっぱり笠原郁こそが主人公なんだって言えるのかも。

 何も表現の自由とかいった部分に限らず、正論を吐けば現実論が引っ込められ現実論が幅を利かせれば理想が後退するとゆー、世につきものの状況の中で繰り広げられる政治的な駆け引きの気持ち悪さと重要さ、そんな駆け引きに勤しむ人たちの純粋さと汚さってゆーものに、気づかせてくれる社会的で政治的なストーリーかも。だったらいったいどっちなんだと答えが出せない難しさを浮かび上がらせてしまった「図書館」と、そんな図書館にあって己が信念に準じる覚悟を決めながらも新たな悩みに戸惑うことになった笠原郁のこれからが楽しみになって来た。どっちも難しい課題。どう描く?

 ある意味中田英寿よりもよっぽどスター要素が強いかもしれない佐藤勇人選手。弟の寿人選手がひと足先に代表に選ばれながらもJリーグの活躍をまるで無視する前代表監督の眼鏡にかなわずリーグでの凄まじい活躍ぶりにも関わらず、常に埒外におかれていた佐藤勇人選手がジェフユナイテッド市原・千葉時代に仕えたイビチャ・オシムの代表監督就任によって遂に代表へと選出。試合にはまだ出ていないけれどその実力を高く評価するオシム監督が使うのはほぼ確定で、晴れて双子の日本代表選手がピッチ上でも誕生するって公算が高まっている。

 スター性ってのはそんなツインズってゆー面だけではなく佐藤勇人選手の破天荒ぶりにある。とにかく型破り。高校生の時に2度ばかりユースを辞めファッションとかに現を抜かしていたにも関わらず、持てる実力を惜しんだのかチームは2度とも復帰を認めたとゆー逸材。なおかつその才能に奢ることなく幾人かの監督の下で精進し、そしてオシム監督の下でほぼ完全なレギュラーを掴んではそのまま誰にも譲ることなくこの数年を走って来たとゆー醒めた炎の持ち主ってだけで1編のドラマが描けそー。でもって持ち上げられた挙げ句に落とされ潰れるって寸法?

 とんでもない。今さらそーした持ち上げとかに動じるタマで勇人選手があるものか。ワールドカップのドイツ大会メンバーに最後に選ばれ世間を驚かせた巻誠一郎選手だって、あれだけ発動したスターシステムに動じることなくクラブで代表で精力的に走り続けてはひたすらにチームに貢献しよーとしている。勇人選手も阿部勇樹選手も同様で、オシム監督が率いている以上はたとえ世間が持ち上げよーとも、本当の実力がなければ生き残っていけないって重々承知しているだろーから奢らずひたすらに走り回ってくれるだろー。

 むしろ慣れていない寿人の方が兄に当たるスポットに眼を眩ませないか心配。そんな時は兄貴の臨海ヤンキー魂が発動してスピリッツを注入するから大丈夫? それよりないより小さくって可愛らしい羽生直剛選手がお姉さま方のコロポックルとして奉られないかの方が心配だあ。くりっとした眼に細身の体。ピッチの上を縦横無尽にかけまわってはスピードとテクニックでゴールも奪う羽生選手の活躍ぶりを観れば誰だってファンになっちゃうだろーから。でもってそんなファンをニコニコとして受け入れてしまいそーな所もあるんだよ。「スーパーさぶっ! 劇場」の単行本の巻末に掲載されてる作者のフクアリ訪問記でも羽生選手、良い人っぽく描かれていたからなー。

 誰よりも原作のファンであり原作の意図を知り尽くしている原作者なんだから、原作との違いに対して違和感を抱くの当然なんだろーなー。宮崎吾朗監督によるアニメ版「ゲド戦記」に対する原作者のアーシュラ・K・ル=グインによるご意見が登場。宮崎駿雄監督が面倒みるっていっていたのに関わってないのはイケズとか、個人的な感想を言っただけなのにそれを公式見解の如くブログに上げるなんて吾朗監督のエチケット知らずとかいった部分への憤りもまあ当然なんだけど、吾朗さんがル=グインの感想を上げてから1週間ってところでそーゆーことがあったんだと、知って反応する素早さにはちょっと驚き。まあきっと「吾朗監督が『自分の本とは違うけど良い映画でしたね』って認めてくれたって吹聴しているけどどうなんですか」とメールを書いて出す原作のファンもいたんだろー。正義だねえ。

 まあそれだけ熱愛されている原作の扱いに気を払わなかった映画化スタッフもスタッフってことなんだけど、ル=グイン本人だって改変はあるだろーことは承知しての映画化許諾なんだからちょっとくらいは責任があるのかな。駿監督の”降板”に対する怒りほどには原作と違っていることへの怒りはみせず、むしろ自分の作品に意図はこれこれこーゆーことで、対するに映画は断片のつぎはぎでそれもご都合主義的なつぎはぎで意味不明なところもあって説教が前面に立ち過ぎですって差違を指摘するに留まっている感じ。それも充分過ぎる怒りか。まあ仕方がない、誰よりも原作を愛する原作者なんだから。

 ただ躍動感には乏しくても絵とかは褒めてるし、農場での描写なんかは動物が可愛かったみたいなことを書いているのはそーゆー部分を打ち出したかった吾朗監督にしてみればやったりってことになるのかな。原作にはまるで疎い僕が映画の「ゲド戦記」を観て面白いと感じた部分を褒めてくれているのは、それだけあのシーンに訴えかける力があったってことなんだろー。あとテルーが唄った歌を褒めていたのも微笑ましい。公開される時もあの歌だけは吹き替えるなって言っている? だとしたら手嶋葵さん、世界で認められる歌手になれる可能性を持っているってことになる。

 菅原文太のゲドの声も良かったってあるなあ。確かに落ち着きのある良い声だったし。気になるのは最後の部分でイケズな連中がいるんで映画「ゲド戦記」が全米で観られるのはちょっと先になりそうって書いてる部分。1つには前のテレビ版との契約がひっかかっているってことなのかもしれず、その場合は次に全米で公開して収益をあげたいスタジオジブリやディズニーにとっては厳しいことになるのかも。あと映画が見られないことを残念がっているよーに見受けられるのは、その程度には映画にも認められる部分があったってことなのかな。気になった。テルーと馬と牛と羊だけは観て欲しかったとか。その部分だけ生かしつつ、アクションを宮崎駿監督が作り直した「新・ゲド戦記」を作って持っていくんだスタジオジブリ。テルーの歌を5分に1回入れることも忘れるな。


【8月13日】 お洒落なキャフェーの陽光差し込む窓辺に座り淡い光線を受けたアンニュイな表情で外を見つめる桜庭一樹さんに心奪われました。眉を整え顔にうすく白粉をまぶしてアクセサリーを首に下げ軽やかな薄色のドレスでキャフェーの階段に佇み目をうるませて下を見る桜庭一樹さんに心魅せられました。

 写真のお姿を拝見するからにとてもとてもスキマスイッチの音楽が似合っていそうな方だと思った「野生時代」2006年9月号のロングインタビューでした。胴着に黒帯で上段蹴りを放ちつつサンボマスターを大声で腹から唄うなんてことは絶対に出来そうもない可憐さでした。いつかどこかでサイン会など行われるようならダロワイヨのマカロンをリボンで飾ってプレゼントにお持ち差し上げたくなる麗しさでした。にっこりと微笑まれて細くすらりとした指で受け取って頂けることでしょう。ああこれぞ乙女の喜びを是非に叶えさせて下さいませ。裏切ったら怖いよ。

 だめだ思い出せないけれどもいつかどこかで出会ったようなストーリーなのに、心をジンと打つのは何かを犠牲にして勤めを果たそうとする者の強さと儚さが涙をさそい、そんな者への想いを貫くことへの憧れを抱いてしまうからなのか。ギャラクシー・エンジェル文庫ではないGA文庫から登場の新人、越後屋鉄舟さんの「花守」は地方の古い家に引き取られた姉と弟のうちの弟がまずは古い家で生まれた少女へと引き継がれようとした力の暴走を抑える場面からスタート。そして町に溜まる荒れた魂のような世界の淀みのようなものを払い清める力を受け継ぐ花主の少女は、自らの命を削ってその勤めを果たそうとし、少年は力を出すごとに死へと近づく少女を救いたくて救えない己が立場に歯がみしながら、少女の守人として共に戦いへと身を投じる。

 少女の命と引き替えに安泰を得る町の人たちは、おそらくは後ろめたさを覚えながらも少女に頼ることを当たり前としてしまっているんだろうし、花主の家自体も花主であることによって暮らしを保っているから易々とは役目を投げ出せず、それを町を守る務めなんだと心を偽りで塗り固めて、花主となった少女に無理を強いているんだと想うんだけれど、そこまで人間たちが裏側に抱くさまざまな打算や感情は描いてなくって、皆が悩みながらも流れを受け継ぎ粛々と勤めに励んでいく様をつづって、どこか理不尽な感情を静かに引き起こる。そしてそんな虚飾にまみれた状況が動き、短くも輝いた少女の想いと見守り労りたいと願った少年の想いが重なる瞬間を喜び、社会もそれを認め因習を絶って明日へと向かい始める様に感動を得る。

 おいおいだったら町の淀みはどうなるんだ? って突っ込みは野暮。3代にわたって命を削り果たしてきた勤めにいるんだとしたら神様が赦しを与えたんだと理解。しかし振り返ればやっぱりいつかどこかで眺めたこともありそーな筋立てなんだけどまあ、あるといえばありがちな、そしてありがちであるが故に感動を招く筋立てな訳で読み終えて得た心地よさに従って、これはこれで良いものだと考えよー。別離の場面の張り裂けんばかりの感情の本流にはほんと、胸が痛みにじんと来ます。捻らないで真っ直ぐに心を振るわせるよーな物語がきっと編集の人たちにも届いたんだろー。まずは新鋭の登場をを喜ぼう。口絵は1枚目がなかなかに美麗。

 「断章のグリム」とか「おとぎ銃士赤ずきん」とか並んで何か世の中におとぎ話を題材にする流行でも出始めた雰囲気。物を言うのも動きを起こすのも難しい息苦しい空気が蔓延すると、具体的な言動ではなく共同幻想としてのおとぎ話に仮託し世の理不尽を訴えたくなるんだろーか。違うだろーな「おとぎ銃士赤ずきん」とかとことん脳天気で何かをアピールしようって感じもないし。いやだが12日放映の回では赤ずきんが人質を取ったグレーテルに向かって「そんなことそするのは自分に自信がないからだ」って突っ込んでたっけ。これはあれだね、イスラエル兵をさらって収監者の解放を求めたヒズボラがイスラエル軍の攻撃を引っ張り出して半ば紛争状態を作り出してしまったことへの警告だね。赤ずきんに言われちゃあ大人も形無し。とっとと人質は解放してイスラエルも市民を人質にとったかのよーな空爆を止めて話し合いをしなくっちゃ。自信を持とうぜ人類。

 でもって沖田雅さん「オオカミさんと七人の仲間たち」(電撃文庫、570円)はタイトルが示しているよーにおとぎ話のネタがあちらこちらに埋め込まれている学園コメディ。なにしろ主人公的存在で腕力体力がアピールポイントの大神涼子ちゃんからして名前がオオカミで、そんな彼女とパートナーを組んではいっしょに持ち込まれる相談事を解決に向かう少女が赤井林檎こと赤頭巾ちゃん。2人は「御伽銀行」なる組織に属してアリスちゃんやら魔女といった異名をもった仲間たちといっしょに起こる事件に知力体力超能力を駆使して挑んでた。

 そんな面々に新たなメンバーが。山奥でマタギの家族と育って人見知りの激しくなった森野亮士さんがなぜか大神さんに一目惚れ。つけまわしては声もかけられず悶々としつつもある能力を発揮し彼女と近づきになる機会を得て、そのまま御伽銀行の面子に加えられては相談事の解決に挑む。骨折してテニス部を止めようとしている少年を何とか引き留めたいと願う恋する灰かぶりちゃんの想いを遂げさせ、逃げ込んできた浦島太郎という男と彼を追う竜宮乙姫との仲を取り持つ活躍ぶり。つか良いのか愛するが故に婿に迎えた男の精を文字通りに搾り取ってしまう竜宮家の女性を妻とするべく全国を行脚し修行(どんな修行)に励む男なんて設定を入れてしまってお子さまたちの読む本に。

 まあ良いのかお子さまはそーやって男の甲斐性って奴を学び己が技術を鍛えようと奮い立つのだから。かくして幕を開けた学園に集うおかしくも不思議でそして強い面子が面白くてちょっぴりエッチなこともある事件に挑む学園ドタバタコメディは、あんまり活躍しなかった大神さんと赤ずきんちゃんと頭取さん以外の能力を披露しつつ大神さんと亮士くんとのつかず離れない関係を描きつつ進んでいくことになるんだろー。題材としてはありがちながらもキャラの描き訳と展開の楽しさがあるんで最後まで飽きずに読めるのも利点。イラストもなかなかなんで人気を得そー。とりあえずは魔女さんの眼鏡を外した顔がどんなかに注目かな。

 うんこっちのシリーズはやっぱり個人的には1番好きかも。榊一郎さんが立ち上げた精霊を使役する神曲楽士たちの物語「神曲奏界ポリフォニカ」の関連シリーズで、精霊課の刑事たちが主役となって起こる難事件に挑む大迫純一さん描く「黒のポリフォニカ」の第2弾「サイレント・ブラック」(GA文庫、600円)が登場。2メートル半もあろーかという巨体に鋭い観察眼を秘めたマラガに幼さの残る少女のマティアという精霊課の刑事コンビが出向いたのはバラバラ死体の発見現場。人間ならぬものに引き裂かれたかのよーな死体の側には美しい妻がいて2人にあらましを説明する。

 実はすでに冒頭でこの妻こそが犯人だと明かされていて、物語では彼女がいったい何者で、どーやって夫を殺したのか、そして何で他の事件も含めた連続殺人を行っていたのかを精霊課の刑事たちが探る展開がつづられる。当然ながら精霊の力がそこに絡んでいて、音楽だけが精霊を動かせるという事実を踏まえつつ、人間の想像を絶する力を呼び起こせる精霊の力を自由に操りたいと企む精力の策謀といった要素が浮かび上がっては、19年前に行われた、1人の少女に悲劇をもたらした実験へとたどり着く。

 コロンボばりに泳がせては引っかけるマナガの捜査手法や断片をつなぎあわせて真相へと迫る展開など、ミステリー好きにも受けそーなストーリー。謎めいていて圧倒的なマナガという存在への興味も含めて読み応えたっぷりの作品って言えそー。とはいえ我が儘少女の精霊と冴えない神曲楽士の2人が主人公の「ポリ赤」に、ずっと昔の神曲楽士誕生秘話を描いた高殿円さん「ポリ白」と合わせて読んで分かる部分も結構あるだけに、「ポリ黒」ばかりを読んでいないで他のシリーズにも手を出してみることをお勧めしたい。売れ行き競争ではやっぱりコーティカルの可愛さで「ポリ赤」かなあ、でもやっぱり個人的には「ポリ黒」が好きだなあ。

 コミケへと出向きロトさん東浩紀さん吉田尚記アナに岡田斗司夫さん直言兄弟といったところを回ってとっとと引き上げ秋津でサッカーJFLの「ジェフクラブ対佐川印刷」を見たけど駄目じゃんジェフクラまるで声が出ていなくって破棄がない。動きも緩慢で佐川印刷に走り負けててて走りが勝負の黄色いクラブの名が廃る。パスをしたくても動いてないから連動がきかず囲まれては無理目のパスを出して奪われる繰り返し。サイドに開いてボールがわたってもフォローがないからえぐれず放り込めず、奪われ反撃をくらった先で寄せの甘いディフェンスをかわされ得点を次々に決められる。

真夏の午後1時が暑いって? 女子なんてずっとそんな時間で試合して来たんだぜ、頑張れよジェフクラ!  188センチの長身を期待されて入りクラブへと修行に出されたディフェンスの田中淳也選手なのに、それほど長身でもない相手選手に競り負ける場面が結構あってちょっとがっかり。足下もおぼつかず1対1をかわされシュートを決められたりする様を見るにつけ、このままでは絶対にトップに戻れないどころかそのままお払い箱になってしまう心配すら生まれて来た。何でいつも猫背気味にのしのしと走るんだろー? 闘莉王選手や坪井選手みたくしゃんと顔をあげ背筋をのばして顎をひき、向かって来る敵に挑むくらいの気迫を見せて欲しいのに。コーチがまずいのかなあ。それとも自覚の問題?

 自覚って点では選手たちからまるで声が出ていないのが1番気になったところ。誰がクリアに向かうか声を出さないもんだから重なりぶつかる場面もあったし、ボールをもって出し手を探しているところを後ろから詰められ奪われそーになった場面でも誰も危ないって声をかけなかった。女子チームのほうがこれだったらもっと頻繁に声を出してるし、動きにだってひたむきさがある。1試合に5点6点とられることもあって、決して強くはない女子だったけど、トップの活躍に引っ張られてか今んとこディビジョン2で3位につける頑張りを見せているってゆーのに、難関を通り抜けてトップに入ったエリート候補生たちが大勢いるジェフクラブがこの体たらくってのは、不思議を通り越して絶望感すら覚える。

 もしかするとトップから来た選手ともとからジェフクラブにいるアマチュアの選手とで気持ちに差があるのかもしれないけれど、見せているパフォーマンスからはどっちがトップからの修行組で、どっちがアマ上がりの雑草組かなんて分からなかった。つかトップからの修行組って知ってる選手たちの方がどちらかといえば走れていなかったし覇気もなかった。これじゃあ1人としてトップには戻れないぜ。あるいはそーやってトップに下の地獄を見せて気分を引き締める作戦だとしても、だったらなおのことジェフクラブに来た選手、そしてジェフクラブから始めた選手には奮起して欲しいところなんだけど。トップからは遂に4人も代表入り。こんな目出度い日に頑張ってこその臨海魂って奴なのに。3年後が暗いなあ。


【8月12日】 ローマ彫刻のよーなトッティ選手でもなく今なお生きるファンタジスタのデル=ピエロ選手でもなければ端整な躍動を見せるインザーギ選手でも大人の魅力を発散するルカ・トーニ選手でも野生と知性の溶け合ったカンナバーロ選手ですらなく、リンギオことジェンナーロ・ガットゥーゾ選手が表紙とはやりやがったぜ「CALCiO2002」2006年9月号。その髭面その胸板からほとばしる汗と血が40度に迫る夏の日中を歩きヘロヘロになった身を、熱さでもって奮い立たせてくれそーだ。近くには寄りたくないけど、香りなかなかキツそーで。

 ドイツで開かれたワールドカップ2006。表のMVPはカンナバーロ選手として陰のスーパーMVP、すなわち真のMVPは中盤で敵の攻撃の芽をことごとく摘んだ上で、攻撃の際ににもテンポ良く絡んではイタリアの快進撃を支えたガットゥーゾ選手が相応しいと誰もが見ていて思っただろー。派手なゴールや見栄えの良いセービングやパワーほとばしる空中戦の間をつないで守備に攻撃に八面六臂の大活躍。それをちゃんと評価しているメディアがあったことを心より喜びたい。

 日本でいったら2002年の大会直後のサッカー雑誌で、宮本恒靖選手や稲本潤一選手や中田英寿選手を差し置いて戸田和幸選手が表紙になるよーなもの。知名度や見栄えで売れる売れないよりも、大会での貢献度をのみピックアップし表紙に相応しいかどうかを決める公平さ。これが今なお引き継がれている創刊者のジャンルカ・トト・富樫魂って奴なおかか。でもインテリスタだったから富樫さん、存命だったらマテラッツィ選手を表紙に推したかったのかもなあ。

 掲載されているインタビューでは1人称が相変わらず「おれ」なガットゥーゾ選手。続いて掲載のグロッソ選手は「僕」で「○○なんだ」と紳士的なのにこのガットゥーゾ選手とそれから同じ号に掲載のマテラッツィ選手は「おれ」で「○○なのさ」って野性味が加えられているのはやっぱり見た目の印象か、それとも喋るイタリア語自体がそーゆー風になっているのか。見た目で人称と語尾が決まるんだったらトッティ選手は「我が輩」は「○○であるぞよ」だしデル・ピエロ選手は「おいら」は「○○じゃん」って感じになるよーな気もしないでもない。

 難しいのはジダン選手か。見た目は木訥で愚直なんだけどキレた時の凄まじさはもはや全世界的に知れ渡っているからなあ。クラウチ選手? 「ガーガーピーピーボクハクラウチデス」で始まり「デアリマスピーピーガーガー」で締めときゃ良いんじゃない? そうそうガットゥーゾ選手のインタビュー。「フランコ・バレージのような真のカンピオーネでもセリエB落ちを受け入れたんだ。カンピオーネでもない仕事人のリーノ・ガットゥーゾがセリエBオチを受け入れなくてどうするよ!」ってセリフが何とも格好良い。これぞ男気。J2落ちしたチームからわらわらと抜け出た選手たちに聞かせてやりたいセリフだなあ、って戸田選手もその1人か。まあ幸いにしてB落ちは免れチャンピオンズリーグも戦えるよーになった今だから言える台詞だったのかも。記事には奥さんと娘さんの写真も載っててどちらもなかなか。頬ずりして娘にパパ髭がいたいのって言われて顔をくしゃくしゃにするガットゥーゾ選手が見てみたい。

 ゲゲゲだかレレレだか何だかわからない文庫の創刊に絡んで書き方だとか読み方だとかいった本だかムックが何冊か並び始めているけどすいません買ってる余裕がありません関連書籍を読むより先に本編の小説の方が続々と山々に刊行されてそっちを買うのに財布が精いっぱいで時間もとられまくって大変です。しばらく前にホビージャパンから出ているHJ文庫の2回目の配本から何冊かをまとめて買いあと角川スニーカー文庫のうちで新人賞絡みの新刊を何冊か購入したと思ったら今日はソフバンク・クリエイティブから刊行されてるギャラクシー・エンジェル文庫ならぬGA文庫の新刊5冊をまとめ買いして鞄の重さに肩と腰が死にそうです。

 ここへと至る合間に刊行されてたファミ通文庫はノベライズが多かったんで見て見ぬふりをしやっぱり最近並んだばかりの富士見ミステリー文庫も明日に回したんだけどこっちはいずれ遠からず買う予定。難所の電撃文庫は昔とった何とやらがまだ残っているんでどうにかなっているけどこれと集英社のスーパーダッシュ文庫に朝日ソノラマ系を別としたらいったいどれだけの叢書をどれだけの冊数買い込んでは読まないといけないのか。SFとファンタジー系に絞っても1日1冊じゃあ効かなくなりつつある状況ではとてもじゃないがグググでロロロのガイドには手が回らない。そんなライトノベル読者って結構いたりするんだろーかどーなんだろーか。ランキング本とかなら役に立つから1年の整理の意味もこめて手元においておくだろーけど。

 んでもって何冊かを早速読み。あーこれは面白いかも蕪木統文さんの「はうはう」(GA文庫、590円)は事故って目ざめたら右手がケルベロスになっていたってゆー犬治って少年が主人公。何でも事故った際に包まれたトラックの積み荷羊皮紙だか絨毯に流した血で文字を書きそれが悪魔との契約に至ってしまったよーで、いずこともなく現れたケルベロスがほとんど死んでいた(とゆーより完璧に死んでいた)犬治の手にとりついては彼の命を救ったらしー。

 とはいえケルベロスだけあって3つの頭からは凍らせたり燃やしたりいろいろしたりするパワーが出ては周囲を巻き込みもう大変。おまけに1つの頭はくらくてあたたかくてじめじめっとした所が好きらしくって犬治の学校での同級生でなぜか昭和が大好きとゆー美帆って少女のスカートの下にある布切れのさらに中側へと頭を突っ込んでははうはうさせるとゆー始末。まさかケルベロスとは気づかない美帆は犬治が手を突っ込んではうはうしているんだと勘違いして身もだえするし、何処ともなく現れたケルベロスの飼い主らしー悪魔の少女は少年の家に居候しては犬治を尻尾扱いするしとゆードタバタ展開は、それだけでも異世界押し掛けラブコメ物として成り立ちそーだけど蕪木さんはそこにもう1枚のアイディアを載せる。

 どうやら契約は2つ成立しかかっていて犬治を狙って別の悪魔が来訪しては犬治たちに襲い掛かる。美帆が昭和らしさの象徴として話したカマキリの卵を放っておいたらどうなったかって恐怖体験(それのどこが昭和っぽいのか昭和な僕には分からない)とも重なる怪物の襲来に、立ち向かうケルベロスとその尻尾にされてしまった犬治。契約をうち切られればそのまま死体袋へと逆戻りだけど契約したままではずっとケルベロスの尻尾のまま。そんな数奇な運命を背負わされた犬治の未来や如何に?

 って感じにシリアスな展開があり、その上でケルベロスやら飼い主の少女やら昭和萌えな美帆の存在があり、さらには犬治の双子の姉だか妹で性格はやや凶暴な少女や悪魔に妙に詳しい犬治の同級生の登場ありと豊富なキャラクター群にも支えられて、設定から受ける印象よりも奥深いドラマを楽しめる。シリーズ化された場合には別の新たな契約者って奴が現れたりするんだろーか、それともドタバタラブコメのパターンへとハマっていってしまうんだろーか。その辺りでも工夫があれば人気も出そうなシリーズ。期待して続編を待とう、出ればだけど。ところで表紙のケルベロス。1番上がメータイでオッケー?

 さらにGA文庫では初登場の「ぶたぶた」矢崎在美さんによる「神様が用意してくれた場所」(GA文庫、580円)を一読。ちょっぴり不思議なものが見えてその能力を期待する人たちの気持ちが重荷になったのか、故郷にどうにも居たたまれなくなった香絵って少女が街に出て就職した探偵事務所で、ある時舞い込んできた不思議な依頼を解決してしまってからそうした奇妙な依頼を専門に聞いては事件を解決していくってストーリー。霊感探偵ってゆーと三田誠さん「レンタルマギカ」にちょっぴり重なるけれどあっちは魔法を使った魔法による事件専門の探偵で、こっちは普通の探偵事務所に舞い込む不思議な事件がメーンだから雰囲気は全然違ってる。

 もともとは事務だけが担当だったのに、帰宅途中のT字路で突然消えてしまった夫を1年近く探している奥さんの話を聞いてしまった所から始まった香絵の探偵仕事。ちょうど1年目となる日にT字路に行けば何かが見えるかもしれないと、過去の霊感体験から思いついた香絵が探偵事務所の所員に連れられる形で行くとそこはなぜか十字路になってあるはずがない道が続いていた。あり得ない場所を開き見えない存在に触れる力で舞い込む不思議な事件を解決し、事件に絡んだ人たちの沈んだ心を温め導くハートウォーミングなファンタジー。ライトノベルってよりはジュブナイルに近い雰囲気を味わえる。GA文庫ってこーゆーのも出すんだ。これからもそんな不思議な事件を元キャリア警察官とゆー青年の所員なんかと一緒に解決していくことになるんだろー。これまた先が楽しみな新シリーズ。


【8月11日】 バカのひとつ覚えみたいに何万回となく選手にシュート練習をさせたものの、ワールドカップの本番でまでるで生かされなかった前代表監督の所業に見て見ぬふりをして(本当に見えていない可能性もあるけれど)、前々監督がまずはラインディフェンスの要件を身に染みこませよーと行った結果が、ワールドカップ本番でも失点の少なさとなって現れたと言えなくもない練習方法をことさらに論って小馬鹿にする千野圭一・サッカーマガジン元編集長の相も変わらぬ真っ直ぐさにもほとほと恐れ入る。

 「もうトルシエやジーコの時代のように、体制におもねた報道では世間を欺くだけだと危惧するからだ」って何の冗談? ジーコはまだしもトルシェに対して吹き荒れたバッシングを大展開して来たのはどこの誰? もちろん一方的なオシム監督への翼賛が危険なことは承知だけど、批判するなら批判のスタンスに一貫性を持たせなければ説得力も何もあったもんじゃないってこと。世間だって間抜けじゃないんだから過去にどう言っていまどう言っているかの矛盾を感じ取ってはその論旨に不安を抱き、その論旨を掲げるメディアに不満を抱く。

 結果は……いわずもがな。最近そーいや「サッカーダイジェスト」しか買ってないなあ、世間がジーコ万歳だった時代から1誌、漫画の「スーパーさぶっ! 劇場」でキャプテンの突出ぶりに茶々を入れ、ジーコ監督の謎起用に絶妙の突っ込みをいれていたっけ。この漫画が掲載され続けていたことだけでも「サカダイ」の功績は極めて大きい。掲載を見て見ぬふりをし続けたキャプテンも偉いけど。最新号でだって大仏の手のひらの中で踊らされていたりするくらいだし。

 純粋真っ直ぐな怒髪天コラム(髪!)が踊る一方で、オレンジ色の的はずれな奴の方もこれまた相変わらずの的はずれっぷりで楽しませてくれている。スタア不在の日本代表報道がとかく中年諸氏の興味を失わせがちな中にあって、自らがトリックスターとなって世間の耳目を日本代表へと引きつけてくれている編集委員氏には、よくぞ体を張ってやってくれているんだと感謝すべきなんだろー。いつかどこかの10階の廊下で会ったら、是非に足下に跪かせてくださいな。会うことなんてないけどたぶん。

 8月9日のトリニダード・トバゴ戦でロスタイムの途中に席を立ってベンチへと引き上げた公式な見解はトイレタイムだったってことだけど、試合の途中で立たずに試合終了のホイッスル間際だったってことの方をむしろ取り上げ、その行動や言葉のすべてにメッセージが込められているんだと考え、理解しよーと努めるならば、例えばホイッスルが鳴った瞬間にベンチで満面の笑みをたたえていよーと、逆に内容への不満を滾らせていよーと、テレビカメラで抜かれその表情に全国の注目を集めてしまうことを潔しとせず、監督ではなく戦った選手たちと応援したサポーターたちに最大の関心が向くべきだって信念を、そこに込めたのではって解釈も成り立つだろー。ってかネット方面じゃそーした解釈が主流だし。

 なのにスポーツ新聞は選手への不満がどうとかってのが大変で、さらにとどめをさすかのように「重病人説」を持ち出して来るオレンジ色の謎な奴。なるほど歳も嵩んでトイレが近くなっているんだとしても、それに何か問題があるんだろーか。激務の職責を万病を得ながらも引き受けて戴いたってことを讃え、体を引きずりながら命を削りながら監督の仕事に取り組んだ、って美談仕立てにしたって悪くはないのに高齢者にありがちな病気がもたらす弊害ばかりをあげつらって危機感を煽る。高齢化社会にこれから向かう日本で社会の仕組みの中で活用していかなくちゃいけない高齢者たちなのに、そのネガティブな面だけをあげつらい、嘲笑し愚弄した記事だって言えなくもない。世の高齢者たちはどーしてこの記事に反発しないんだろー。弱者は誹り叩くもの、ってのが趣旨のメディアだから言っても詮無いって諦められているならまだしもさ。

 分からないのが「オシム監督が試合途中でトイレに立つことはジェフ時代もあった。しかし、この時はあくまでもクラブ間同士のリーグ戦。これが『公式戦』となると話は違ってくる」って部分。えっとJリーグだって立派に公式戦なんですけど、その優勝者がアジアチャンピオンズリーグに出られ、その優勝者が世界クラブワールドカップに出場できる権利を得られるくらいにガチガチの。そんな先立つ疑問に加えて「『公式戦で対戦相手からクレームがきたら、こちらとしては何も言えないです』と話すのは協会関係者」って文章も。うーんやっぱりあんまり分からない。

 監督の中座に何か問題でもあるんだろーか。それで訴えられた監督って過去にいるんだろーか。「対戦相手からみれば監督がベンチ裏で何かを企てているとみられても何ら不思議はない行動なのだ」って言うけどいったい何を企てるんだろう? その企てをどうやってピッチで具現化させるんだろう? 事例があるなら、具体的な方法があるなら教えてくださいオレンジ色の凄い奴。落とし穴でも掘るのかな。それも「何も言えない」ってのは「何も言う必要がないくらいに他愛もないこと」って意味なのか。駄目だ分からない。ここは何が問題でルールにどう抵触するのか、零細子会社の末端で無駄飯を食うチンピラにも分かるよー、大新聞にて高禄を得ている編集委員氏にご講義願いたく候。

 うーん。面白くない訳じゃない。けどでもやっぱりズレている感じ。日日日さんを送り出した「新風舎文庫大賞」でもって第7回目の大賞を受賞した相川直樹さん「魔王の憂鬱」(新風舎文庫、753円)はエンディングに近づくに従ってSF的な世界の構造が見えて来て、そんな世界で差別される存在の悲しみと怒りめいたものも浮かび上がっていろいろと考えさせられるんだけど、そこへと至る導入部の雰囲気と乖離が激しくなって冒頭へと戻って読み返した時にうーんこれで果たして良いんだろーかと悩ましさにとらわれる。面白いから良いんじゃない、って意見も妥当。だけどなあ。まあいっか面白いんだから。

 場所はどっかの大陸か何かで魔王が現れ世界を支配すると宣言し、四天王を召喚して支配に乗り出すものの人間が弱っちくて話にならない。だったらと異世界から勇者を召喚して人間側につけて煽らせ自分と戦わせようとしたものの、やって来たのは見るからに女子高生って雰囲気の少女でこれまた大丈夫かと訝ったら意外や強敵。傍若無人な性格と茶道で鍛えた足腰に剣道部を見て得た剣術でもって向かう魔族を蹴散らし魔王の住む世界へと進軍する。よくある人間界からの勇者召喚者のパロディって思えばなるほど思える内容はあっけらかんとした文体に展開とほど良くマッチしてしばしのお気楽な時間を過ごさせてくれる。

 魔族の四天王を「物語の中盤を盛り上げるにはもってこいの人材」と、メタ的な言葉を交ぜつつさらに魔族なのに「人」材と書いてみたりと、ページを開いた早々からこいつは徹底してギャグとパロディで行く小説だって思わせてくれる。けど途中からだんだんと明らかになるこの世界の真実と、そして魔王なる存在が何故に魔王と呼ばれるかとゆー理由がお気楽な展開とどっかズレてくる。どーして世界を支配しよーとなんかしたんだろう。でもって滅ぼしてしまって良いとまで考えてしまったんだろう。物語の登場人物たちの行動原理に関わる部分が途端に謎めいてしまってバランスが悪くなる。

 けどまあ導入部ってのは得てしてそーゆーものだし、主人公に「開始早々に物語りが終わってしまう」だなんて、やっぱり物語世界を斜め上から見たよーなメタ的なセリフを吐かせるのも読者の興味を誘いたいがためのお約束だと納得。その上で繰り広げられる世界が歪んでしまった真相と、そこで繰り広げられている弱者がより弱者を虐げるみっともなさ、二分された世界が向かう可能性なんかに想いを馳せつつシェリーちゃんとやらのナイスバディを想像しつつ、あっけらかんと楽しくそして深いドラマを楽しむことにしよー。


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