縮刷版2006年8月上旬号


【8月10日】 もはや以前ほどの幅広い共感を呼び覚まし得ないことはここ暫くの文章を見ていれば明かだったけど、監督が替わりメンバーも一新されて立ち上がったイビチャ・オシム監督率いるサッカー日本代表の初陣となったトリニダード・トバゴとの戦いぶりに関した「スポーツニッポン」2006年8月10日付に掲載のコラムでもやっぱり、金子達仁さんは1人孤高を行くとゆーか独善を貫くとゆーか、つまるところは「?」が億と並ぶよーな意見を開陳してはオシムの目指すサッカーに共鳴し、その片鱗を昨日のトリニダード・トバゴ戦から掴もうと目をこらして見ていた人たちを悩ませる。

 トリニダード・トバゴが『「負けるのが難しい」レベルの相手』ってのはまあ、半分くらいは当たっているのかもしれないけれどだからといって楽に勝てる相手でもなくオシム監督も発売されたばかりの「文藝春秋」2006年10月号で「本当に日本のほうが力が上のあのか、と客観的に見るべきです。悲観的になる必要はありませんが、現実的に考えるべきです」と釘を差している。金子さんの意見が主観なのか客観なのか、根拠が示されていないから分からないけどよしんば客観だったとしても、オシムは続けて「恐いのはそうしたマスコミの予想が、ファンだけでなく選手にも影響を与えることです」といたずらな楽観がもたらす影響を心配している。

 たとえ試合を見た後での「負けるのが難しい」という結論だったとしても書くなら根拠を見せないと、ランキングで下位の相手はやっぱり御しやすいんだって空気がひろまり楽観を蔓延させないとも限らない。それを恐れるオシム監督の考えを理解しよーと努めるならば、冒頭からいきなり『「負けるのが難しい」レベルの相手』ってこれまでと同様のカマしは出来ないだろー。まあそれは主観客観の違いだったとしても失望の理由を「1対1の状況で突破をはかろうとする意志、チャレンジしようとする意欲が希薄だった」ところに求めているのには恐れ入る。

 だってオシムってそーゆーサッカー、求めてないじゃん。1対1で突破できるならしても良いけどそれが成功する可能性が低いからこそ周囲がフォローし駆け上がってはもらい繋いで迫るサッカーをしようとしているじゃん。だからディフェンスもミッドフィルダーもフォワードも関係なし。誰かが上がれば下がり走り込めば出して攻めていくサッカーにFWなんて絶対的なポジションは存在していない。FWが1対1で吶喊しては潰されるより走っている周囲を使い自信も走ってチャンスを作り出すことを求めているチームを「FWのシュートが4人合わせて4本しかなかった」って言うのはサブローを4番において繋ぐ野球をしている千葉ロッテマリーンズに4番が本塁打を狙おうとしないのはけしからんって怒るよーなものだろー。

 そもそも誰がFWだったのか。FWと登録されていた選手がFWなのか。だったらアレックスはDFじゃん。でもMFと見なされた。最初のポジションが真ん中辺だったからMFか? でも試合中のアレックスは時に最前線で絡んでは抜けだし散らそうとするFW的な動きを見せていた。我那覇和樹選手を1トップ気味に置いて田中達也選手とアレックス選手がやや後方から狙う3人フォワード気味な所もあった。だとするならばFWアレックスは得点を奪う仕事をしたってことになる。

 それもまたポジションに縛られた見方でしかなく、もっぱら中盤にいる選手であろーと最後列に配された選手であろーと、攻撃の時は関係無しに攻めて上がり打てるならシュートを打つ。それで空いた穴は他の誰かがカバーする。「チャレンジしようとする意欲」がそこにはあふれているのに金子さんはFWとゆーポジションにこだわり神聖化しては至っていないと誹る。何だかたとっても悩ましい。挙げ句にラグビーの北島忠治さんの言葉「前へ!」を持ち出し「突破しようとしない選手、チャレンジしようとしない選手の集合体がフットボールの世界で勝てるはずがないのだから」とまで書く。

 トニリダード・トバゴ戦の日本代表チームにみなぎっていた、チームとして突破しチャレンジしようとする意欲、「前へ!」の意識を感じようとしない人に、北島さんの「前へ!」を持ち出されてラグビーファンは何を思うか。行われている変化に何かを感じ、それでもなおFWにこだわる姿勢を貫くならまだしもFWのシュートが少なかったことだけをあげつらい、周囲の選手の動きや働きを無視するスタンスを補強するためだけに「前へ!」という哲学を持ち出されてはラグビーファンもたまらないんじゃなかろうか。起ころうとしている変化を肯定的であろうと否定的であろうと見ようとせず、安閑と高みに座して旧態依然とした持論を繰り広げ、「前へ!」とチャレンジし突破しようとする意識を持たないでいたら果たしてどうなるか。共感を及ぼす範囲の縮小が答えだろー。

 ところで「文藝春秋」でのオシム監督と日本サッカー協会の川淵三郎キャプテンとの対談はいろいろな面ででオシム監督の気配りが見えて面白い。「ジーコ監督はずいぶんと批判されましたが、チームとしての準備はしっかりできていたと思います」って言葉は残った代表スタッフに対して発した「お前たちはちゃんとやった」ってメッセージ? 続く「できればキーパーを代えるべきだったかもしれませんが」という言葉も、前日のトリニダード・トバゴ戦で川口能活選手を起用したことでチャラになっている。

 「代表チームでの練習は、所属チームにも生きるものです。もちろんメニューは違うでしょうが、選手は代表チームの練習で無駄な時間を過ごすわけではない」とは呼ばれてもサブの紅白戦要員に過ぎなかった前代表監督下でリーグのチームが抱いた不信感に、大丈夫だってゆーメッセージになっている。「この対談は無駄話ではありません。選手やファンに間接的にメッセージを送っているんです。だから選手たちもこの『文藝春秋』を買って、われわれの考えを理解してほしい」とはなかなかにストレート。一言一句を聞き落とすな、そして真意を理解しろって求めてる。「もし値段が高くて買えないなら、代わりに買って渡してもいいです」とまで言ってくれちゃっているからもはや買うしかないなあ選手たち。12日のリーグ戦ではロッカーで対談を読みふける選手とか出てくるかも。「スポニチ」の評論家は読むかなあ。読んでもやっぱり「前へ!」が足りないって言いそうだなあ。

 さらに「文藝春秋」2006年9月号には「第135回芥川賞」の選評も掲載。注目は誰が中原昌也さんの作品についてどんな言及をしているか、って所だったけど高樹のぶ子さんは伊藤たかみさん本谷有希子さん島本理生についてのみ言及し、宮本輝さんは「どの候補作も推せない」といいつつ受賞作の伊藤に言及。黒井千次さんは伊藤本谷島本について触れ、それから鹿島田真紀中原昌也の最初に選外となった2人について「ともに意図を表現するだけの言語表現がまだ充分に獲得されていないのではないか」と評している。何を言うかが最も注目された石原慎太郎さんは全体を評して「期待はずれ」と言いつつ島本と伊藤に触れ、あとは本谷を「一番面白く読めた」と言及しているだけだった。

 山田詠美さんは伊藤と鹿島田に触れ伊藤は「完成度において」、鹿島田は「映像かを断固拒否する活字でしか成り立たない小説作品」であると評価しつつも「今回の候補作品、内容を無視してシャッフルしてみると、登場するのは、心を病んだ人、物書き志望、あるいは売れない物書き、出版社勤務、がほとんどです。私は、やだなー、こんな人々だけで構成されている世界なんてさー、とうんざりしました」とも。同様に池澤夏樹さんも「なんでこんなにビョーキの話ばかりなのか」と言い、村上龍さんも伊藤についてもみ言及しつつ「『現代における生きにくさ』を描く小説はもううんざりだ」と締めているのは何だかとっても示唆的。かといって平凡だと平凡過ぎるとでも言うんだろーか。その辺の案配をどう掴むかで受賞できるかどーかを計れそー。

 ちなみに池澤さんがもっとも中原さんについて語ってて、選評でもまず最初に言及して「映画の影響の典型である。問題はこれが映画そのものであることだ。まず映画を一本作り、しかる後にその映像をできるかぎり言葉に移す。あたかもそういう手順に従ったかのように思われる。構成の原理が映画であって文学ではない」と評する。言われて当然だけどそれが評価の是非につながるなら映像を言葉に移したものが文学ではないと断ずる是非も聞きたいところ。単なる文体の変化だけではなく精神の問題なのか。最後に河野多恵子さんは伊藤に触れ島本に三角をつけてほかは無視。受賞しないより言及されないことのほうが辛いけど言及され得ないってところもまた光明。突き詰めればそれこそ1人で文壇を突破していく「チャレンジ精神」となって周囲を感動させるだろー。頑張ってくださいな。オシム監督も金子達仁さんもきっと見てます。


【8月9日】 しつこく繰り返して誰も今まで聴いたこともなければ言ったこともない「ボスニアの妖怪」なんて異名を、サッカー日本代表のイビチャ・オシム監督に対し与えているオレンジ色のイエローペーパーはともかくとして、スポーツ新聞の方はそれなりに真っ当な報道を目指そうと日々苦闘している様子。8日の記者会見で発せられた言葉の中から、1番分かりやすく万人受けするって、おそらくは整理のデスクが判断した「負けてもいい」ってコメントだけを抜き出して、半ば敗北主義者的レッテルをオシム監督い対し貼ってやろうって下心も透けて見える見出しが、ずらりと並んでいたのは流石に辟易とさせられたけれど、中身の方ではまずは勝つことが前提ながらも負けて何かを教わり、次の進歩へとつなげる「勝負けるが勝ち」的なニュアンスもちゃんと紹介していたから、読めばそれなりに各紙とも”オシムの言葉”を理解しよーと努めていることは伺える。

 これが5年とか6年前だったら中身も含めて敗北主義者と誹り、評論家たちも試合に臨む以上は勝つのが相手への礼儀だなんて、言って非難したかもしれない。前監督の時でもそう言おうものならやっぱり勝たない試合なんて試合じゃないと、ジーコ嫌いな勢力から声が挙がった可能性があるし僕自身だってそう言ったかもしれない。たとえばワールドカップの予選で勝ち上がりが決まった試合に、三浦和良選手のようなレジェンドを呼ぼうと画策した時なんか、相手への礼儀を考えるならトップのメンバーを呼ぶのが筋って思った記憶がある。あらかじめ負けを想定した言葉を吐こうものなら、言い訳するなと囂々の非難が沸き起こったことだろー。

 もっともオシム監督の場合は、まず勝つことの必要性をしっかり強調している。だから論功行賞的な選抜なんて一切しておらず、未来を見据えて戦えるメンバーを集めて練習でもって鍛え上げている。なるほど海外の選手も他の大会に出ている選手もおらず、現時点での最高プレーヤーばかりではないため負ける可能性は試合前の段階では皆無とはいえなかった。相手だってワールドカップに出た強豪。勝てると安易に考える方がおかしいんだけど、これまではそーした考えそのものが敗北主義だと誹られた。オシム監督はちゃんと論理立てて勝てないかもしれない理由を話し、ちゃんと周囲に理解させよーと努めている。2年先4年先の未来を目指して戦術を練っている最中なんだってことを、言葉によって伝えよーとている。

 だから聞いている方もそれならばと納得して、いらぬ反感を抱くことなくオシムの言葉を深い部分まで噛みしめられる。オシム監督の望んでいるのが挑発ではなく対話であり、聞く側もそれが対話なんだと理解できる雰囲気が代表の周囲に戻って来たか、或いは初めて生まれたってことなのか。トルシェからジーコと来てオシムになって成長するの、は選手だけでなくメディアの意識も含めた日本全体なんだなー。あらためてその凄さに感嘆。でもメディアの最前線がいくら改心したって、奥の院で旧態依然とした見出し立てに編集が行われれば元の木阿弥なんだけど。そのレベルにまで果たして”オシムの言葉”は染みこむか。分かれ目は染みこまなけりゃ未来はないって認識があるかないかだろーなー。今ん所は半々か、オレンジ色の憎々しげな野郎を除いて。

 店頭で見かけた「ユリイカ8月臨時増刊号」の「総特集 アーシュラ・K・ル=グウィン」を買って開いて読む。冒頭のカラー構成と文をやってる市山七さんて人の読み方が分からない。何かのアナグラム? 掲載の評論はどれも難しくって頭になかなか入らない。論文を認知し理解する脳が弱っているなあ。ましては自分で書くなんて無理むり。だからあらすじ紹介に1言コメントみたいな仕事は来ても解説だの評論だのって仕事は回ってこないんだなあ。来られても困っちゃうけど。西島大介さんみたく絵でスッパリ、ってのは理想だなあ。そーいやこの臨時増刊号に西島さん混じってないなあ。他のムックでは確か何かやってたっけ。日記を読むと映画「ゲド戦記」は面白かったみたいで何より。これで周囲の3%くらいが肯定派になったかな。

 肯定否定ってことでは遂に御大、といっても駿監督ではなくル=グゥイン本人が映画「ゲド戦記」を観たよーで、宮崎吾朗監督が果敢にも感想を求めたところ答えは短く「It is not my book.」「It is your film」「It is good film」だったとか。そこに込められたニュアンスまでは理解できずあるいは「自分の本と違うじゃねーか」「こりゃあんたの映画だろ」「まあ良かったんじゃねーの」って突き放したものなのか、それとも「わたしの本ではなくってあなたの映画なのよね。良かったわ」ってクリエーターとしての吾郎監督を立てて敬意を示したものなのか、まるで伺い知れなかったけど笑顔だったってことだから、まあとりあえずはオッケーなのか。映画を見た周辺の知人にも怒っている人はおらず、監督のクレジットで拍手が起こったらしーから、当人を側にしたって作品には厳しい面々にとっても、許容できる作品だったってことになるんだろー。まずはひと山越えたってことで次は興行成績って山に挑む吾郎監督。二週目も「パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト」を抑えて1位。50億円くらいは行くかな。

 ちなみに「ユリイカ」の方ではタカノ綾さんが登場して斎藤環さんがインタビューしているんだけど、「パルコ」で開かれていた西島大介さんとの対談でもまるで喋らなかったタカノさんが割に喋っていて意外。いったいどれだけの時間をかけて撮ったんだろー。それとも斎藤さんだからこそできる芸当か。必殺の酒類を放り込んで舌を滑らかにさせたのか。それはともかく1ページ目に登場している斎藤さん、横顔なんだけど長くサラサラっとした髪形に未来に向けて不穏な傾向が出ていることにここでは注目。頭頂部から左右に流れた前髪をバックになでつけた時、果たしてどれだけの面積で額が広がるのか。それとも広がらないのか。昨年末の紀伊國屋ホールからこっち、当人を見ていないだけにちょっと気になる。しかし本当、よく喋らせたたなあタカノさんに。目分量で9対1でも、立派。

 そしていよいよ始まったオシム・ジャパンの旅はトリニダード・トバゴを相手に選手たちが縦横無尽に動き回って2得点の完封勝利。昨日の「A3」でジェフユナイテッド市原・千葉が繰り広げたほどには、前列中列後列もなく出ては引っ込み攻めては守る動きにはまだ遠く、とりわけサイドチェンジの長いボールがまるで無かったのが気になったたけれど、ちょっと前まで続いては見るたびに頭を悩ませていた、サイドに張り付きボールをもらっては動き始める一方で、出した選手はそこで止まってお役ご免とゆーエポック社的サッカーゲームとはまるで違う、真のサッカーって奴に迫る内容の試合を見せてくれた。わずか3日でここまで鍛え上げられるのかオシム監督。だったら今年に入った段階で監督も選手も切り替えワールドカップ独大会に臨んだ方が一体どれだけ……といっても詮無い話。あれはあれで1つの時代のクライマックスと捉え、今はこれから始まる2010年14年18年へと続く旅路を楽しみつつ見極めることにしよー。

 しかし最後まで分からなかったのが2得点を決めたアレックス選手のポジション。練習の時は攻撃組のビブスを着ておらず守備側に入っていたから、スタメンで名前が呼ばれた時は4バックの左に入るのかなって思ったら、キックオフのために並んだ布陣ではトップ下あたりにいて、キックオフ後は我那覇選手をポストにして下に田中達也選手と並ぶよーにシャドーストライカー的な位置にいて、そこからディフェンスラインには戻らないまま左右上下と走り回っては攻撃に参加しシュートも打ち、開いてクロスも入れるとゆー活躍ぶりを見せていた。

 フリーキックに続いて決めた1点は、左サイドから放り込まれたクロスに1人抜けだしシュートを放つとゆーフォワードの動き。この軽快さを見るにつけ、そして試合の間中とっても楽しそうにプレーしている姿を見るにつけ、左サイドの下で窮屈そーに仕事をしていたアレックス選手は一体何だったんだって気にさせられる。左の中盤に配されたって中には入れず走ってはクロスを入れる仕事くらい。それがオシム監督の下で中央の前線に入れられただけで6月までのアレックスとはまるで違うアレックスになってしまった。もしかすると4年前のトルコ戦で、当時のトルシェ監督が期待したのがこんなアレックスだったのかなあ。けどその後の4年間はまるで違った場所で使われては、無能のそしりを受け続けたアレックス選手。まあみんな知っていたけど使いどころを間違っていたってことだね前代表監督。それをオシム監督がトルシェ前々監督のリベンジよろしく前目で使って成功したと。はるかトルコでこの試合を見たら前監督、いったい何とゆーんだろー? やっぱり「アシュケー」?  ところでどーゆー意味なな「アシュケー」って。


【8月8日】 何かの日。フジテレビの日ともかつては言ったけど最近はあんまり騒がない。飽きたか。関西テレビの日へと変わったか。メディアじゃサッカーに本題評のオシム監督に関する記事が出始めてどこも扱いを持てあまし気味の様子。6色のビブスを用意して攻守の切り替えを瞬時に判断できるよーにするジェフユナイテッド市原・千葉時代からお馴染みの練習方法を知的だとかいって褒める所が今は多いけれど、問題はそんな練習の記事ばかりで紙面を作り続けられかって部分。

 誰がどーして何を言ったか、そいついはいったいどんな奴なんだ、って”人”に的を絞った記事ばかりを作って来た従来の方法だったら、取材は漫然と練習を見つつどんな動きを見せていたかをとりあえず抑え、あるいは練習試合でのポイントを1つ2つ抑えるなりしたあとで直接あたってコメントを取れば何とか形にできた。けど今はオシム監督の練習方法にはどんな意味があって、その中で選手達は何を思い行動したのかってことをじっくりと観察していなければ記事が作れない。途中で切り上げ出口で待って出てくるオシム監督にぶら下がったところで、練習を見ていなければ質問は出ず質問が出来なければオシムは答えないから字にならない。

 選手たちは以前に比べて練習後に口を開く場合が多いみたいなんでそっちでコメントを取ることは可能だけど、彼等にしたって練習内容に対するリアクションを語るのみであってメディアが見出しに取りたがるよーな「決意」だの「リーダーシップ」だのといった言葉はまず取れない。だいたいが誰がスタメンになるか決まっていないんだから決意表明なんで選手もできっこないけど、前が早々とスタメンを決めてキャプテンも置いてしまっていたから、何人かの”主力”をピックアップして決意表明をさせていけば2日3日は紙面が保った。その傾向は今も残っていてスコットランドで試合に出た中村俊輔選手やフランスでがアシストを1本決めた松井大輔選手を取り上げ「アピール」だって感じに持ち上げる。

 けど果たしてオシム監督が両名を代表に呼ぶかなんてまるで未知数。海外組の得点に絡むアピールなんてJリーグでの堅固な守備と同程度にしか見ていない節のあるオシム監督のスタンスが鮮明化して海外組に一向に声がかからなくなってしまた時に、海外選手が得点に絡んだどうだって話は何のバリュー持たなくなる。ってゆーか福田健二選手のよーに大黒将志選手のいるフランス2部よりは上のスペイン2部にいたってメディアはまるで扱わなかった。そんな偏ったバリュー判断でもって選手を持ち上げる記事作りの手法が、すべてがフラットな所から始まり名前ではなく力でのみ選ばれる今の代表を紹介する時にまるで通用しないってことを遠くないうちにメディアは知るだろー。

 そーなった時にどう出るか。仮構のスターを作りあげては持ち上げ引っ張り抜こうと足掻くか。でもってことごとく既存のメディアの方法論を否定して来るオシム監督に牙を剥いて襲い掛かるか。すでに一部のメディアでそんな動きも出始めているだけにちょっぴり不安だけど、サッカーを長く取材している専門記者はこれこそが練習だって褒めているし、現場の人たちだって目の当たりにする練習や耳で味わう言葉に本物さを感じているに違いない。

 問題は身に叩き込まれてきた人にスポットを当てたスターシステムによる記事作りの方法論のみを信奉し、スポーツそのものを軸に選手や練習を語ることを是としない中堅なり古手のエディターたちの存在。紙面のすべてを決めて取材の方法も支持するそーしたエディターが変わらない以上は出てくる紙面は変わらず読者の気持ちから外れていき、現場の記者の心身も摩耗しかくして衰退への道をひた走る、と。30代のエディターに40代の編集長が仕切って今をダイナミックに切り取り50代は突っ走る現場が熱意故のミスを犯さないよー見守るだけって新聞が、出てきたら面白いかな。まあ年次がどうだってことをことある毎に披瀝し合う人の多々いる、年功序列でガチガチな新聞社のシステムでは無理だろーけど。

 「骨王」の新人離れっぷりにも驚いたけれどこっちはさらに驚きの出来。中央公論新社が始めた「C・NOVELS大賞」の第2回目を受賞した多崎礼さん「煌夜祭」(中央公論新社)は世界設定も巧なら物語も重厚。その上で動くキャラクターたちはどれも深い背景を持っていてめくるめく展開の中に精一杯の生を見せては感動をもたらす。海らしきものの上に浮かぶ島々。といっても群島ではなく中央に1島があってその周囲を3重の輪となって内周に2島、2周目に8島があって1番外側に8島(うち1島は消滅)が位置する太陽系のよーな構造になっている。外側に行くほど文化の水準が低く人々は日々の糧を得るために身を粉にして働いている。

 そんな世界に伝わる物語を集めては覚え語り継いでいくのが語り部たち。島々を渡り歩いては物語を語って聞かせているが、年に1度の煌夜祭の夜だけは、18ある島々のどこかの島の島主の所へと集まっては、夜を通じて話をする。その夜にある島の島主の館に来た語り部は2人。継ぐ島主がおらず廃墟となった屋敷にやって来た2人は交互に物語を紡ぎ始める。まずはじねはニセカワセミの話。語り部を騙って流浪していたカワセミは島主の屋敷へとたどり着きそこで魔物と出会う。食べられたくないカワセミは知っている話を次々と繰り出しては魔物の興味をそちらに引くが夜明けを待たずに話は尽き、自身がニセカワセミとなった話を最後に魔物に食われて息絶える。

 本当だったら出会えば人を食う魔物が物語を聞いている間は正気を保っていた。その発見が後に語り部という存在を世界にとって大切なものとしやがて煌夜祭という風習を生み出す。そんな導入部から物語は島を守り戦ったリィナという女性の話が騙られ、王子でありながらも魔物になってしまった男を抑え導こうとしたクォルンという人物の英雄譚が騙られやがてそんな話が1つに重なって、魔物と人間とが共生こそ難しいものの対立はせず背中合わせで生きていく世界へと続いていくエンディングへと終息する

 。島が環状に連なる世界で起こる覇権争いをダイナミックに描きつつ、魔物に人の心を持たせ続ける物語の力を示し、魔物であっても心を持った存在と認め慕う優しい気持ちの尊さを示す。キャラクターの意外性も楽しみどころ。隠されていたカードの裏側がめくられそこに描かれた絵の断片が組み合わさり、1枚のタペストリーとなって眼前に迫る快楽を味わえる。環状になった世界そのものの謎については触れられず、そうした世界である必然もいささか不明だけど繰り出される物語はどれも素晴らしく、魔物ならずとも引き込まれる。これがデビュー作なら次はいったいどんな物語を紡ぐのか。文字の変わりに映像が飛び出し情報を伝達する世界が舞台とはちょっぴりSF的? これまた楽しみ。

 つまるところはフィニッシュの精度の至らなさ、それが敗因か。「A3」の優勝を狙ってガンバ大阪と戦ったジェフユナイテッド市原・千葉だったけどパスをギュンギュンとまわしてガンバゴールに迫りはするもののフィニッシュが遅くディフェンスに止められる場面が多発。それでもチャンスだけは多く幾度となくトライはするものの、浮かしたり外したりして得点を奪えない。そうこうしているうちに遠藤保仁選手に得意のフリーキックを決められさらにPKまで献上する始末。そこはスーパーゴールキーパーの立石選手が去年のナビスコカップに続いてピタリと止め、そして今度はジェフがPKを奪取し同点に追いつく絶好の機会を得ながらそこでも今日の試合で何度が外していた阿部勇樹選手が真正面からバッジョよろしくふかしてしまって得点ならず。さらにガンバに追加点をくらってほぼ万事休すとなってしまった。

 なるほど激しい走りとパス交換によってゴール前まではボールを運べるんだけどそこから回したり開いたりしてゴール前へと迫れず迫っても外してしまう。チャンスが多いといとまたいずれって気持ちが出てしまうんだろーか。対してガンバは一撃必殺。油断して詰めなかったところから上げられたクロスに1発で合わせて得点を奪ってしまうんだから大したもの。終了間際になってマリオ・ハース選手がはいって若干シンプルさは出来たけれど時すでに遅く2点をリードされたまま終了し、勝てば得られた優勝の栄冠を逃してしまった。残念だけどまあ当然の負けって感じ。緩み奢った気分がフィニッシュに出てしまったって言えるかも。ここを引き締められるとしたら御大しかないってことで阿部&巻選手にはそのまま明日のトリニダード・トバゴ戦とか16日のイエメン戦へと呼ばれ叱咤されて来て欲しいけど、どーかなー。


【8月7日】 ホーネオー、ホネホネオー、ホッホネオー。って歌なのかって一瞬思った角川学園小説対象優秀賞受賞の野村佳さん「骨王 1・アンダーテイカーズ」(角川スニーカー文庫)の中で主人公の少年・海翔の喉を切り裂くんだって声の混じる音楽だけど、それだとシンフォニーじゃなくってポップスのどちらかといえばコミックソングになってしまうから違うか。何しろお話は学園異能バトルって実に何ともやたらめったら多かったりする新人賞への応募ジャンル。なのに設定を大きくして世界背景をどっぷりと描き込んだ上に展開もスリリングでスタイリッシュで既視感を覚えさせずに先へとページを繰るてを進めてくれる。

 骨を溶かしてしまう謎のウィルスが世界を襲って人々を死に至らしめていたけれど、そこを人類の叡智がワクチンを開発することによって救い人類絶滅の危機は回避された、かに見えた。ところが裏では恐怖は終わっていなかった。そんな大きな設定をひとまずおいて語られるのは主人公の少年が、同級生の姉が目の前で惨殺される場にでくわし、そして自らも怪人によって襲われ意識を失う所から幕をあける。目ざめると惨殺されたはずの女性は連絡船から落ちて死んだことになっていて、海翔自身も何事もなかったかのよーに学校へと戻っていった。そこに現れた女の子。少年を知っているといい個室へと引っ張り込んでは彼に迫りそして襲いかかる。BONEKINGに命じられたといって。アキラカイトの喉を切り裂けという声が聞こえたといって。

 浮かび上がったウィルスの終わっていなかった脅威。その鍵になると目された海翔は人とも怪物とも付かない曖昧な場所に立たされ揺れ動く。踏みとどまるべきか。それとも向こう側に行くべきか。もたらされた異能の力といつ失われるかもしれない意識の狭間にあって、迷いながらも自らの意思を選び戦いへと身を投じる少年の格好良さにしびれる。世界は、人類は果たして滅びるのか。それとも敵を殲滅して人類だけの世界を取り戻すのか。あるいはもう1つの、共生といった未来へと進む可能性があるのか。自らの運命という身に迫る葛藤と世界の命運という大きなドラマが融合し、バランスよく描かれたサスペンス。THORES柴本さんのスタイリッシュなイラストを得て今発信。こいつは売れるな。

 いつの間に撮影が行われていたのか知らないけれど、ボイルドエッグズが取り扱った作家の中からたぶん初めての実写映像化作品が登場。予想だと三浦しをんさんの何かが真っ先に取り上げられると思っていたから小倉銀時さんの「マイ・ハウス」(産業編集センター)に白羽の矢があたったのはちょっと意外。発売時期だって01年と古いんだけどそれでもマイホームを巡る争いってのは時代にキャッチィだと判断されたんだろー。この11日にフジテレビによってドラマ化されて「マイ・ハウス〜夢の一戸建て獲得バトル!!〜」として放映される。

 家をどうにか手に入れた主婦が岸本加世子さんで競売された家に居座る女性が室井滋さんとはまた芸達者な2人。真面目なんだけど切羽つまって来る主婦って感じを岸本さんが演じれば、人がよさそうに見えて実は狂気をはらんで奇妙な言動を始める女性を室井さんが演じるって具合に、ベテラン女優2人の持ち味が存分に生かされたドラマになっていそー。パパイヤ鈴木さんに渡辺いっけいさんに国生さゆりさんと脇も豪華で芸達者。テーマ自体は割に重苦しいところがあるし、哀しさを覚える部分もあるけれどそーした人生の機微も折り込みつつコミカルな展開も織り交ぜつつ、家をめぐる執着と崩壊気味の家族の様を描いてくれることだろー。家族に迷い住処に悩む人必見。次はいよいよ三浦しをんさんの実写化かなあ。「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」の映画化はどうなってしまったのだろー?

   何だたまにはちゃんとしたことも書くんだなあ「夕刊フジ」。イビチャ・オシム監督が就任して招集した代表チームの練習が始まったことについての記事だけど、なになに「長谷部も寿人も達也もいる。まさに、次世代スター候補生に溢れたオシムジャパンのスタート。初日とあって通常の2倍にあたる200人近い報道陣が殺到したものの、不勉強なカメラマンたちからは、『この選手の名前を教えてほしい』という情けない声があちこちから聞かれた」とはまた、もらうばかりで勉強しないメディアのだらしなさにズバッと切り込んだものだよ我が身も省みつつ。

 返す刀で協会批判。「カメラマンだけではない。協会幹部からも『今回初代表のあの選手はどこのチームだっけ?』と名前と顔が一致しないほど、日頃のJリーグ軽視ぶりが伺える声が。それほどまでにフレッシュな日本代表選手が見事に出そろった。『古い井戸にはまだ水が残っている…』との言葉どおりに、ジーコジャパンからの招集は川口、三都主、坪井、駒野と4人も。『配慮してるね。一気に外さないとは…』と、日本協会の中からもオシム監督のやり方に『!』を投げかける声が出ている」。大絶賛じゃないかオシム監督。ちょっと前までその協会を試し手玉に取るよーなやり方を批判していた記者とは思えないよ久保武司さん、改心したのかなあ?

 してねえって。本当はこっち。「ヒデも、俊輔も伸二もいない。まさに、スター不在のオシムジャパンのスタート。初日とあって通常の2倍にあたる200人近い報道陣が殺到したものの、カメラマンたちからは、『この選手の名前を教えてほしい』という声があちこちから聞かれた。カメラマンだけではない。協会幹部からも『今回初代表のあの選手はどこのチームだっけ?』と名前と顔が一致しないほど、ネームバリューゼロの日本代表選手が見事に出そろった。『古い井戸にはまだ水が残っている…』と言いながら、結局、ジーコジャパンからの招集は川口、三都主、坪井、駒野の4人だけ。『遠慮はないね。一気に外すとは…』と、日本協会の中からもオシム監督のやり方に『?』を投げかける声が早くも出ている 」。

 さらにアマル・オシムやゼムノビッチと話している様をことさらにあげつらって何やら密談をしていると非難しファミリー化への懸念をぶち上げるんだけどそんなことをする人間だと思っているのか「夕刊フジ」。思っているんだとしたらそれこそ本当に「オシムの言葉」を読めと言いたい。読んで読書感想文を中学校に出せと。でもまあ今になってこんな状況じゃあ出してもきっと「理解が足りません」と罰点マーク付きで突っ返されるのが精いっぱいかもしれないか。「代表監督就任時に『日本人指導者の育成』を掲げたオシム監督だが、初日の練習を見る限り、日本人コーチは完全にカヤの外だ」ってあるけどこの日の合宿は本人ですら指揮せず選手に任せた感じ。すなわちジーコ前監督が大好きだった「自由」とやらを試して見せた訳で諸手を挙げて感動するのが筋なのに、いったい何が気にいらないんだろー。

 それにその場では何も手出しをさせなかったけれど宿屋に帰ってから深くミーティングを行って選手の適正を話し合ったかもしれないじゃないか。練習意図について「ホテルに来たら教えてやる」って言ったのはまあ冗談かもしれないけれど、行けば日本人コーチも交えた話し合いを持っていた場に出くわしたかもしれない。そーでなくてもカヤの外ならぬマジックミラーの外側にスタッフ全員を置いて選手の適正なりコンディションを見極めさせる”トレーニング”を行っているんだって解釈だって可能なのに。だとしたら”育成”は立派に行われているってことになる。

 けどそーゆー思考をめぐらせることをまるでしない。オシム批判とゆー結論がありきで、そこから発生した状況を拾っては結論に当てはめて理屈づけていく思考方法でもって奇妙なベクトルの記事を作り上げていく。その本道と外れた奇妙さに記事の読者はきっとに感づいているだろー。書いている方だってあまりに奇妙なロジックだって実は分かっているかもしれない。だけどそこで転進できないのは記事があるいはオシムに対峙する何者かにメリットとなるために書かれていたりするからなの? 支持を失うよりも寵愛を得られる方が大事って訳? 分からないけどそんな想像すら浮かんでしまう記事。書く方も載せる新聞も大変だなあ。


【8月6日】 続くジェフユナイテッド市原・千葉と大連実徳との試合は前半ことメンバーを落とした上に相手の高さと巧さも光って押され気味。後半に巻誠一郎選手を投入したことで前線に起点が出来て攻め手が広がり、サイドの崩しも見られるよーになったけれどそこで鍵になるべきクルプニコビッチ選手がどうにも光らない。巧いんだけど何か迫力がなくってタイミングも遅くって、シュートを打って良さげな場面で持ち替え詰められ奪われたり、絶好のタイミングでパスが出ても走り込めなかったりして攻撃のテンポを崩していた。ハマれば前の蔚山現代戦のよーにアシストを決められる選手なんだけど、後ろで汗をかく羽生直剛選手や佐藤勇人選手がおらず責任が1人にかかると潰れてしまうタイプなのかも。

 左サイドに入った楽山孝志選手もちょっと似たところがあるよーでもらえば走り切り込み攻撃に絡むんだけど、それが終わると待ちにはいって守備にそれほど熱を見せない。やっぱり右に入ることの多い水野晃樹選手にも雰囲気似たところがあって、それぞれにアタッカーとして素晴らしいのにリーグだとあんまり安心して使われないのも、そんな抜けを監督が気にしてのことなのか。山岸智選手がぐんぐんと伸びてきているだけに楽山&水野の両若手にも、だんだんと使われ始めているここで結果を見せて一気に伸びていって欲しいもの。ってかそうなってもらわないと困るんだけど。青木孝太選手をはじめとしたさらに下の世代の成長を待つか。ジェフクラブの入団テストを受ける大黒弟はどんなタイプなんだろー。入ったらジェフクラに見に行こう。巻弟もジェフクラ回しになって2人で組んだら客もすっげえ集まりそう。

 そんな「A3」の観戦で気になった事柄。ダブルヘッダーの最初に行われた蔚山現代とガンバ大阪の試合の最中に、何だかビラが回ってきてチラっと見ると「9日」」「川淵」って時が書いてあった。もしかしてこれはこれは9日に行われるらしー川淵三郎キャプテンの是非に関するデモへの参加を呼びかけるビラ? そう思い何で今配るんだって訝しげに思ったんで手にとらずすぐに流してしまったけど、本当にそれだとしたら実に何とも気恥ずかしい。だって試合中だよ。でもってそこはその時間帯は蔚山現代のサポーターもまだ大勢いて応援の真っ最中だよ。いくら次の試合を見に来ているジェフのサポーターが大勢座っていたからって、その時間帯のその場所は蔚山現代を応援したいサポーターのためのもの。だからこそジェフの弾幕を貼った人たちも丸めて中を見せないよーに配慮していたのに、国内事情に過ぎず他言するのも恥ずかしい事柄で、なおかつ国内のサッカーファンの総意でもないデモへの参加を呼びかけるビラを回すなんて。

 もしもだよ。同じ大会が韓国で行われて遠征して応援している最中に、大韓サッカー協会の会長として韓国サッカー界を仕切る鄭夢準(チョン・モンジュン)FIFA副会長の解任デモ参加をよびかけるビラなんか回され来たら、Jリーグのサポーターはいったいこれは何て思うよ。その熱意に共感するより自分たちには関係のないビラを回して応援の邪魔をするなって訝るんじゃないのかな。ビラを回して来た相手を自分たちのことしか考えていないエチケットもマナーも知らない奴らだと蔑むんじゃないのかな。たとえジェフとガンバが闘う8日だって、日本サッカー協会がメーンで仕切っている試合とはいえ中国スーパーリーグに韓国サッカーリーグも共催にお迎えした国際試合の会場内で、試合の最中に蒔いて適当とはあんまり思えないんだけど。それでもやっぱり配るのかなあ。大連と現代が戦っている最中に配ったりしそーだなあ。

 ディズニーの2Dがかつての栄光を取り戻せない一方で、3Dアニメーションって領域を今まさに切り開いているピクサーの展覧会がまるで「ディズニー・アート展」とタイミングを計ったかのよーに同時に開催されているんで六本木の「森アーツセンター」へ。今となっては同じグループなだけにどーして同じ場所でやらないんだろうって思わないでもなかったけれど、企画されてた時はまだそれぞれが別の事業体として作品作りを行っていたんだから仕方がない。それに見れば分かるよーに「ディズニー・アート展」は2Dアニメを生み出し発展させて来たディズニーの過去の遺産を振り返る内容で、「ピクサー展」は今まさに作られよーとしている3Dアニメの技法を見せる展覧会。方向性も内容もまるで違う展覧会が同じ会場にあったらかえって混乱しただろー。そんな2社が同じグループになってしまったことの方が驚きだけど。

 かたや2Dの絵を積み重ねて動かし生命感をそこに現そうと苦闘し成功を成し遂げて来たディズニー。こなた3Dのモデルを変形させることで動きや表情を持たせようと頑張ってきたピクサー。だけど同じ「アニメ」を生業とする会社だけあって、どっちも「アニメ作り」って根っこの部分に共通する部分を2つの展覧会から見られたのが収穫。鉛筆で描かれた絵であってもポリゴンの固まりであっても、そのままでは絵であり固まりに過ぎない。それをどう動かせばそれらしく見えるのかを考え、実際の動きや表情を観察した上でディズニーは絵を動かし感情や表情をそこに持たせようとして来たし、ピクサーはポリゴンの固まりを相手に今も奮闘を続けている。

 とりわけ「ピクサー展」はポリゴンの固まりにする以前の2Dの絵コンテやストーリーボードの段階から、キャラクターの表情や仕草や動きを考え、様々な表情の3Dモデルも作った上でそれをコンピューターの中に作られたポリゴンのデータに反映させていく様が、展示されたイメージボードや模型の数々から伺える。CGだからってコンピューターの上でデータをこねくり回すんじゃなく、2Dのアニメと同様に絵コンテを切って見え方を考え、キャラクターのスケッチを描いて表情を考え、イメージボードを描いて世界観を練り上げているんだなあ。

 そーいや去年「こどもの城」で見たピクサーのワークショップでも、繰り広げられたのはキャラクターを手で描き動きを付けるアニメにおいて基本中の基本ともいえる作業だった。3Dだろーと2Dだろーとアニメはアニメってことをちゃんと自覚し、必要な段取りをちゃんと踏むからこそ他にぬきんでた3Dアニメをピクサーは作り出せるんだろー。本当だったらそうやって練り上げられた2Dのアイディアを3D化する上での苦労とか、テクスチャの質感とか光源の位置に量といった、それらしさを見る人に感じさせ、生きていたり動いていたりする雰囲気につながる様々な要素が、どう作品づくりの上で勘案されているのかでも見せて欲しかったけれど、それだとコンピューター技術の展示になって大げさになってしまうから難しいか。いずれずらりとコンピュータを並べたワークショップを日本でやって欲しいなあ。受講しているのは日本のアニメ関係者かりだったりして。

 ついでに「アフリカリミックス」も見物。入り口にスレンダーとブライキングボスがいた。違うけど鉄で作られた軍人と犬の像。きっと抑圧か何かへの反抗が込められているんだろー。軍政なり圧政なりの行われていた東南アジアのアートなんかによく、政治からの抑圧への反抗めいた表現が感じられるんだけど、アフリカの場合だとそれが自国の政治に留まらず植民地時代の宗主国であったりアパルトヘイトであったりといったものへの反抗へとスケールアップしていたり、世界のアフリカって地域に対する偏見への異論とかが込められていたりして身につまされるものもデカい。日本人だからまだ遠い国の話にできるんだけど、宗主国だった欧州の人とかが見たらもっと気持ちに来るものがあるんだろー。

 面白かったのは赤白青とトリコロールに塗られた壁面の中央にはめ込まれたモニターで映像が流れる作品。くびれた腰を持つ腰巻きだけをつけた下腹部が映し出されてなかなかなグラマラスぶりに目をひかれて眺めていると、手が金貨がいっぱいぶら下げられた白と赤と青の布地を順に取り出して腰に巻いていく。そして高らかに奏でられる「ラ・マルセイユーズ」の音楽とともに、腰が振られて金貨がチャラチャラと音を立てる。これは何だろー。かつてフランスを宗主国としていた国に育った人が抱くフランスへの愛しさと、対するに相手が自分たちの国へと抱く好奇と簒奪の眼差しを描いたものなんだろーか。分からないけど最初に出てくる下腹部が何ともエロティックで暫く立ち止まって繰り返し見てしまった自分は好奇の視線を暴かれてる?

 周辺でもアフリカ絡みのイベントがわんさと行われていてなかなかに楽しげ。暑さも極まった感があるけど、そんな暑さをものともしないパワーをもらえる展覧会だって言えそう。アフリカのアイデンティティーここにありってものを見せつけてくれる。それがバブルの権化のよーな塔屋の下、集まる海外ブランドに身を包んでオシャレに着飾った、およそプリミティブな意味での日本らしさを感じさせない人たちの見守る中で行われているとゆーこの不思議さ。名誉白人として持ち上げられながらも足下を失い宙づりにされたまま彷徨う人たちは、大地に深く根ざしたアイデンティティーを放つ「アフリカリミックス」を見て何を感じる? 別に何も感じないか。原始っぽくって格好良いとかそんなくらいしか。まあ背景とか気にせずフラットにあらゆる文化を浴びて取り入れ、発信していくのも実に日本人らしーと言えば言えるか。


【8月5日】 じゅーうすぃー。ずっきゅーん。駄目だ朝っぱらからいっしょになって叫んでいる自分がいる。流石に口には出さないけれど心の中で赤ずきんに白雪姫にいばら姫が3人揃った場面で「ずっきゅーん」と叫び「じゅーうすぃー」と叫んではテレビに向かって手を振っている自分がいる。午前9時。休日のそんな時間帯はいいおとなにとってまだまだ微睡みの最中であるべきなのにしっかと目ざめてテレビの前に座って番組が始まるのを待っている自分がいる。おそるべし「おとぎ銃士赤ずきん」。わずか1カ月で世界に同類をおよそ100万人は生み出したんじゃなかろーか。それが証拠にその時間帯、頭に届く世界からの叫びが届いて響き渡る。じゅーうすぃー。ずっきゅーん。

 ってな訳でこの1カ月ほど続いた現世での騒乱にも区切りがつきそーで、本当だったらそんな場所にいるはずのないいばら姫がやって来たことにあっちの世界の平穏が脅かされているのではと不安を抱いた赤ずきんと白雪姫が草太を連れてもといた世界に戻らなくっちゃと言いだし、それを聞いた草太も夏休みだから家を抜けだしても大丈夫って何とも世知辛い理由をつけて冒険を了承。ところがそれだと密かに(あからさまだけど)草太に想いを抱くりんごが納得できないと怒り引き留めようとするものの、草太はりんごにメッセージを残して黙って家を出ようとする。

 そこに現れた敵たちに囲まれ何とか退けた間にりんごがグレーテルに捉えられ、かくして来週はいよいよ現世での最後の決戦が繰り広げられるとゆー寸法。予告編で見たバトルシーンがいつになく迫力たっぷりだったのはここまでに労力のすべてを注ぎ込んだからなのか。ちょっと期待できそーだけどそーした正面切ってのシーンより、ビデオにメッセージを残している後ろで寝ぼけたいばら姫の出した茨にとらえられてヴァルがあっちへこっちへ振り回されたりする動きとか、兄に役立たずと罵倒されて見せるグレーテルの苦渋に満ちた表情なんかの方がよっぽど気持ちを捉えるんだよなー。あっちの世界に行ってもそんな脳天気だったり感情の機微に踏み込んだりするシーンってちゃんと描いてもらえるんだろーか。捉えられたりんごが毒りんごを食べて悪のりんごとなってレオタードな衣装で草太にバトルを挑んでくるとかあるんならそれはそれで良いんだけど。期待しつつ付いて行こうこれからも。じゅーうすぃー。ずっきゅーん。

 折角なのでそのまま眠らず「東京都現代美術館」へと行って「ディズニー・アート展」を見る。うわあすげえ。「眠れる森の美女」だの「不思議の国のアリス」だの「白雪姫」だの「シンデレラ」だの「バンビ」だのといった伝説に残るディズニーアニメの本物のセル画が背景ともども飾られているよ。時々オークションなんかに出てきたり、今もアートショップなんかで売られているセル画はたいていが販売するために描かれたもので実際にアニメ映画に使われたものじゃなく、仮にオークションなんかに出れば1枚いったい幾らになるんだろー? 100万円? 1000万円? ともあれ数十万は絶対に下らないてお宝がずらりと並んで迎えてくれる。

 美術館なんだからピカソにゴッホといったアーティストの展覧会で1枚何億円って作品がずらりと並ぶこともあるんで、1枚数十万が数百万円のセル画ごときはお宝の範疇に入らないのかもしれないけれど、一方でアニメーションってゆー文化的な資産を構成するパーツって意味もあって価格だけアート作品と比べるのは筋が違うってものなんだろー。セル画と背景美術の組合せからだったら、見ればどれだけ緻密に背景が描かれていたのか、どんな感じに人物が塗られていたのかが分かるし原画ならどんんたタッチで描いていたのかどんな動かしかたをしていたのかが分かる。人の表情ってこうやって変化をつけてるんだ。こんな線でこんな表情を出せるんだってとっても勉強になる。なってもそれを発揮する場なんてないんだけど。

 だから今もしもアニメーターなんて仕事を目指している人がいたとしたら行ってつぶさに見てきて欲しい気分。とりわけ「ナイン・オールド・メン」と呼ばれたディズニースタジオの草創期を支え引っ張った9人のアニメーターたちの仕事ぶりは、誰をとっても素晴らしくって強い刺激を受けるはず。とにかく巧い。美しい。大き目の用紙に描かれた原画が何枚か並べてあるんだけど、それを見るとフック船長の表情が変わる様とかかがよく分かる。

 個人的には9人のうちのマーク・デイヴィスが描いたティンカー・ベルの原画に頭がくらくら。それと「眠れる森の美女」のオーロラ姫を描きまくったボードの豊かな表情や仕草にくらくら。何度もその前を行き来しては動きの巧みさ表情の豊かさにじっと見入ってしまった。ティンカー・ベルの場合は、箱の上で嗤っていると箱が傾きおっこちそうになる場面の原画が展示してあるんだけど、笑い顔がビックリ顔になるところで手足をばたつかせる仕草が実に良い。これほどまでにエロティックでコケティッシュな美少女を描けるアニメーター、日本にも沢山いるのかなあ。いたら全員が宮崎駿さんになって日本には何十億円も稼ぐアニメ映画がバンバン出てきたって不思議じゃない。出てこないってことはつまりいないってことなのか。

 もちろん原画だから中割なんてされてないけど、ざっと左右に目線を動かせば間もつながりそこでキャラクターが動き出すよう。類い希なる観察力で得られた動きが手に持った鉛筆によって揺るぎない線で描かれているからこそ、そこに生命感が現れ見る人に命の煌めきを感じさせるんだろー。実際、会場で上映されてたビデオの中で「ナイン・オールド・メン」の何人かが話していたけど、デッサン力が大事だよそれがなけりゃあ絵に命なんて吹き込めないって言ってたし、人間の笑顔は口とか目とかだけじゃなく顔全体が動いて表現されているんだって言っていた。

 どちらも聞けば当たり前の話なんだけど、それがだったら今のアニメでどこまで出来ているのか。記号的であっても見る側の経験の積み重ねからそれを表情ととらえ動きと認めているだけなんじゃないのか。それがそれで悪い訳じゃないけれど、そればかりになってしまった挙げ句に失われていく生命感じがあるんだとしたら、いったん原点へと立ち返った上で欠けているのは何で、それが果たして現代に必要なのか否かを認識した上でまた、今の仕事へと帰っていけば記号的な線や動きであってもそこに惰性ではく反射でもない必然を埋め込めるんじゃないんだろーか。そうして現れる絵が一見同じに見えて実は違うのかそれともやっぱり同じなのか。ちょっと興味がある。

 まあもっとのそれほどまでの資産の蓄積を持っていたディズニーですら「白雪姫」に「シンデレラ」に「ファンタジア」といったクラシックに互して優れた動きを持った作品なんて70年代以降、果たしてどれだけ作っていたのやら。マーク・デイヴィスも含めた「ナイン・オールド・メン」を筆頭に美術でもキャラクター作りでも圧巻の才能が揃っていたはずなのに、かつてのよーに永遠に語り継がれる作品を出せないまま2Dのアニメ制作から手を引きいてしまった。かといって3Dは傘下に入れたピクサーの独壇場な訳で、過去に培ったノウハウとかテクニックの継承をあのディズニーですら出来なかったことを思えば、スタジオジブリが後継者云々を言っても実に詮無いことって気もしてくる。

恒であっても止められないのか恒だから止められなかったのか  ってゆーかそれで良いんだろーかディズニー。そして世界のアニメ界。上映されてた「眠れる森の美女」のオーロラ姫の美しさは、実写の俳優では得られない官能と清冽さを放ってた。同じ絵を今果たして誰か描けるのか。絵でもって描かれた表情と仕草と動きで人を驚かせつつ感動させることが出来るのか。たぶん出来ないんだろー。時代があれだけの緻密さを求めていないって理由も一方には立つけれど、かつて出来ていたことが今は出来ないのは実に残念。衰退の果てに殿堂でもって保護され養育される伝統工芸なり伝統芸能の類にいよいよ2D系アニメも入ってしまったってことなのか。違うんだろーけどでも「ディズニー・アート展」の会場にあふれる動画によって現される生命感を今一度、復活させたいって想いも強い。やってやれないことでもないのかやっぱりやれないことのなのか。やれていたら2Dは止めなかったと思うとやっぱり事態はなかなかに厳しい所まで来ているのかも。どうなってしまうのかなあ、アニメ。

 すごいよ李天秀素晴らしいよ李天秀。スペインでは残念にも成功できなかったけど韓国代表として2002年と06年の2度にわたってワールドカップに出場しては得点しているだけの技量の持ち主だってことを「A3」のガンバ大阪戦でもって存分に見せてくれた。出場は後半からなのにあっという間に3得点。1点目は出したガンバディフェンスの足ににあたってループ気味になったラッキーさはあるんだけどゴールぎりぎりの所まで攻め込めるだけのテクニックがあってのものだし3点目は囲む3人ものディフェンスを切り裂き抜けだしてのシュート。ディフェンスの最後は日本代表としてワールドカップにも出たキャプテンの宮本恒靖選手だった訳で彼をして止められない凄さはそれだけ李天秀の技量の高さを示してる、って言って良いのかそれとも宮本の方がワールドクラスではなかっただけなのか。うーんそうは思わないためにもここは素直に李天秀の超絶さを讃えておこー。


【8月4日】 えーーーーっ。と聞きながら内心で叫んだ日本コカ・コーラの「ジョージア」ブランドに関する戦略発表会。例の渡哲也さん木村拓哉さんのおっさん若造コンビが見せる演技が大人の場を読めないみっともなさ、身勝手さを現しているよーで見るのが苦痛になってそれが商品の売り上げなんかにも影響を与えているんじゃないかと類推しているんだけど、日本コカ・コーラではまるでそんなことは思っていない模様。会見では「等身大の中での機微を描くキャンペーン」だって持論を述べた上で、例のCMについても「サラリーマンや外に出る営業の人たちの身近にある出来事を描いて”共感”を得る」ことが目的だって説明したから驚いた。

 たぶん社長が話している朝礼の席で携帯電話が鳴り出し恐縮する。うんそれはある。あるけれどもそんな場面で電話に出るのは失礼だからと、中年はいつまでの鳴りっぱなしにしておきそれを、若造が横でただ見ているだけなんてシチュエーションのどこに”共感”すれば良いんだ? このシチュエーションから覚えるのは携帯電話をマナーモードにしておかない中年のみっともなさ、出るのが迷惑なら鳴りっぱなしも迷惑なんだと思いつかない愚鈍さへの反発心でしかない。自分もそんな立場におかれるかもしれないと思う人もいるだろー。でもだからといってそれを反面教師のように見せられて共感する人なんているものか。

 横の若造も同様。嗜めもせずかといってアドバイスを贈るわけでもなくただ携帯が鳴るに任せる策のなさ。先輩だからとたしなめられずかといって逃げられもしない状況を受け手、「参ったなあ」と笑いながら後でグビっと缶コーヒーを飲むなら、まだ共感できない訳でもないけれど、それをやったら矢沢永吉さんを起用した「BOSS」のシリーズと同じになってしまう。「BOSS」があれだけ大ヒットしたのはそんなシチュエーションの捉え方とリアクションの描き方が抜群に巧かったからであって、それが出来ない「ジョージア」が、愚鈍な奴らの愚劣な振る舞いしだと見られ反感を抱かれるのも当然だろー。

 けど日本コカ・コーラにそれが分かっている節がない。ってゆーか世間では会議中に突然缶コーヒーを飲みに行ったりバスで自分たちを見ている子供達に悪態を付くCMをそれなりに受け入れている感じさえある。そうかそれほどまでに自分本位の奴らばかりで、中年から若造まであらゆる世代があふれかえってしまったのか、それを敏感に感じてそーゆーCMを作ったんだとしたらこれはなかなか先見の明があるって言えそう。だけどいくら世間がそう流れよーとも嫌なものは嫌。鬱陶しいものは鬱陶しい。だからしばらくは「ジョージア」を飲まない。「BOSS」も某亀田選手を後援していたからパスして暫くは「ワンダ」の100年ブラックとかUCCの「BLACK」あたりを愛飲させて戴くことにしよー。

 しかしいきなり「全員揃った段階で決めます。あまり大事なことだとは思っていません」とはま、た各方面(電波系)の異論反論悪口雑言を呼びそーだよなーオシム監督。スターシステムを避けて選手の能力と自らの戦術をマッチさせる努力をするべく、チームに王様的な選手を置こうとしなかったことを功労者軽視を誹られ、ならばと「俺がキャプテンだ」なんて言ってしまって更なる罵詈雑言を浴びたトルシェ監督に、おそらくは近いスタンスなんだろーけどそこはそれ、年の功ってのもあってやんわりと、けれども明確にスター選手とやらのいないチームに対するマスコミの懐疑を嗜めてみせるあたりにこれからの、メディアとの対立激化が想像できる。

 日本サッカー協会の川淵三郎キャプテンなんかも代表ってもののブランディング強化を意識して、中田英寿の後に世間の耳目を集められるよーなキャプテンあるいはスターを”養成”してくれってオシム監督に囁いたそーだけど、意味が不明だったのかそれとも意図してか返事を留保。その結果がこのたった13人とゆー招集の、それも5人が初めてとゆー代表選びになったんだとしたらこれはなかなに痛快事ではなかろーか。川淵キャプテンの意見とか、代表をマーケティングしまくっている人たちのぼやきとかが聞きたいところ。メディア的にはとりあえず佐藤寿人選手と田中達也選手あたりにスポット浴びせて来るかなー。

ちょび髭の怪しげなおっさんもちょい悪になれるつるっぱげ  しかし追加招集もありって言われるとサボっていられないねえ12日まで中断しているチームの選手たちも。怪我したり体調を崩せば誰かを呼ぶことは確実で、そんな時にコンディションが上がってませんじゃ続く代表の試合で呼ばれなくなる可能性は大。メディアにも「この数日間で、ジャーナリストやファンは誰が追加召集されるかを考えて、代表監督になった気分を味わってもらえます」って緊張感を強いる一方で、選手たちにも常に常に自らを高めておけってメッセージを送っているのかな。しかし選手もクラブもこれはなかなかに厳しい事態。追加のたびにリリース作りとかクラブへの連絡に追われる協会スタッフも超大変。サッカーにかかわるすべてがギュッと緊縛された中でさて、どんなチームが出来上がって来るのか。まずは9日。国立。注目。

 時代はつるっぱげなのだ。それはバンダイナムコゲームスの社長さん副社長さん取材でも強く感じていたけれど、いすゞ自動車から鳴り物入りでゴーン日産へと引き抜かれてデザイン面で今の日産のイメージを作ろうと奮闘して来た中村史郎さんまでもが、移籍当時のどこか怪しげな広告会社のクリエイティブディレクター然とした髪形髭面から一変して、頭をツルツルにして登場したのには意表をつかれた。一瞬誰だと思ったほど。CMでのイメージが頭に残っていたからこれには正直驚いた。

 けどなかなかに爽やか。日産自動車のコンセプトカー「スポーツコンセプト」がアニメ「攻殻機動隊 STAND ALON COMPLEX」シリーズの最新作に登場することが決まったって会見に、プロダクションIGの石川光久社長と並んで登壇したけどやっぱりどこかヒッピー風味の残った石川さんに比べると、バブルっぽい広告屋の雰囲気も抜けつつどこかアグレッシブさも残した中村さんの坊主頭が文字通りに輝いて見えた。近くにデジタルコンテンツの行政から産業から研究までさまざまな場所に顔を出す、いくら浴衣を着ても溢れる熱さは隠せない濱野保樹さんもいたから余計に中村さんの禿頭がシンプルに見えた。うーん素晴らしい。真似したい。けどまだそこまで枯れられない。今日も今日とてプロペシアをご注文。未練だなあ。来夏こそ。


【8月3日】 ジェフユナイテッド市原・千葉の巻誠一郎選手が「A3」で放ったゴールもあれでけっこう”疑惑”のゴールだったりするけれど、あのクロスに対してあの場所にいて足を出すことによって背負ったディフェンスは守備が出来ず守るゴールキーパーだって惑わされる。本当に当たっていたのならなおのことで角度も変わって取りづらさは何倍にも増す訳で、だからこそ誰もがあれを巻選手のゴールであると認め公式に記録したんだろー。それはドイツのワールドカップに滑り込んだ試合でのゴールでも同様。チームの中で果たすべき役割をすれば認められるのだ、誰からも。少なくともゴールだけは奪えた訳だし。

 んじゃあボクシングの亀田興毅選手だってチャンピオンになって「チーム亀田」の中で立派に役割を果たしたんじゃないかって言われそうだけどこの場合、メンチだの大言壮語だのをやり尽くして注目を集めスポンサーを集め視聴率を集めたまでは立派に責務を足していたのに最後の詰めで誤った。ボクシングにとってリング外の何をおいても求められるのはリング内でのパフォーマンスであり結果としての勝利。なのに亀田選手は相手のランダエタ選手を圧倒しきれず、むしろ全体に押され気味のまま最後のゴングを迎えてしまった。

 パフォーマンスとゆースポーツの中心がすっぽりと抜けてしまった状況では、いくら周りを説得しよーにも誰も納得してくれないし、無理矢理にも納得のしよーがない。サッカーで言うならディフェンスラインがセンターサークル付近まで押し上げ残るはゴールキーパー1人のフィールドに1人入り込んでは後ろからのパスを受けキーパーをかわしシュートを決めてもオフサイドを取られずゴールが認められるよーなものっていうか。ゴール前でちょんと蹴ったボールがゴロゴロと転がっているのをキーパーが飛びつかずゴールネットを揺らしてしまよーなものっていうか。護持されるべきパフォーマンスの部分で抜けが本筋の部分で世間を納得させられなければ、メディアも含めて周囲がいくら拙劣さを隠蔽しよーとしてもすぐバレる。

 なのにテレビ局は勝利を勝利だと浮かれ喜ぶ。明らかに相手ゴールの多かったサッカーの試合で自分たちの方がシュート数も多くパスもいっぱい成功してたって行っては勝利だと絶叫する。巻選手であろーとクルプニコビッチ選手であろーと、誰であってもゴールを奪ってスコアボードに得点を刻んだジェフ千葉とは立場も次元もまるで違う。と、おそらくは状況を見ていた人のおよそ9割が理解しているんだろーけれど、テレビ局に未だ反省の色は見られず、そんな後押しを受け手亀田選手本人も引くに引けないのか相変わらず大言壮語を吐いている。それをまたそのまま受け止め煽り膨らませていくメディアたち。

 かくして世間の認識との乖離は広がりメディアは破滅への道を……とっくに歩み始めているか、だったら別に良いのかこのままで。最後を飾る外連味でいっぱいの田舎芝居でも千秋楽と思えば感動もできるってことで、ここは歓喜を共にするふりをしながら斜陽の様を見ていこー。赤坂の丘の上の巨大な帽子が風に吹き飛ぶ日はいつだ。

 おお「ガンダム」。でかいぞ「ガンダム」。身長57メートルもなければ体重550トンもないけれど、現存する模型の世界では身長1・5メートルで体重35キログラムは超ヘビー級。そんなサイズで重量のプラスチック模型をバンダイが12月にいよいよ投入するそーで、近場でお披露目もあったんで行ったらやっぱりデカかった。そりゃボリューム感ならデザイン上のこともあって前に発売になった「量産型ザク」に「シャア専用ザク」の方がどっしりしていて目にも重そう。対して12月発売となる「機動戦士ガンダム」は足もすらりと細くてザクと並ぶとヒョロい感じが否めない。これで自立させて大丈夫なの? って心配も浮かぶ。

 けど大丈夫。細身に見えても足はがっしりしていて地面に常にすっくと立つ。それでいてフォルムは細身で遠目に見ても初代のガンプラほどの寸胴感はまるでない。なおかつ「ガンダム」は手が動く。肩が回って持ち上がり肘も曲がり指だって曲がってビームライフルを手に持てるしビームサーベルだって手に付けられる。こーした可動部分のパーツ分に加えてテレビでお馴染みのガンダムが機動する音やビームライフルを撃った時の音なんかが、額から流れるよーになっていたりとギミックも豊富。立派な盾にライフルにビームサーベルが付いて値段は35万円。「ザク」の19万8000円より高いけど確か「ザク」にはマシンガンは付いていなかったから、パーツや小道具の豊富さと可動部分の多さを勘案すれば、15万円近い価格のアップも当然と受け入れられるだろー。

 つか買うかどうかを考える人って既に付属品だの値段だのって気にしないマニアさんたちだから、これぞ「ガンダム」って感じに全体のォルムがなってさえ良ければ買ってしまいそー。なおかつ製品はフォルムが素晴らしいからもう買わずにはいられない。当家については置き場所が皆無なのと値段も超絶だから流石に手が出ないけど、見てくれの良さと使い勝手の良さから看板代わりに買い求めるって人も割にいそう。行った先の飲みやでカウンターの中に「ガンダム」とかいたら親しみも湧くよなあ。ともあれなかなかの逸品。「C3」で展示はあるそーだけど予約は受け付けないんで欲しい人はちょい先の予約開始受付を待とう。それまでにこっちの「買わないぞ」って気分も変わるかな。変わらないことを祈ろう。

 まあ金子達仁だし。言葉に意味も重みもすってんてんなのは今に始まったことじゃなくって問題はそんな言葉を未だありがたがって載せるメディアのあるって事実の方なんだけど、それにしてもここまで虚ろだとそろそろって気にもなって……気やしないか、それがメディアのクオリティ。「スポーツニッポン」の2006年8月3日号に掲載の「春夏シュート」の末尾。日本の選手が外国人枠の撤廃されたドイツからもお呼びのかからなかったことをあげつらってこう書いている。「だから、いまわたしが期待しているのはフェネルバフチェの躍進である」。

 「ここでジーコが結果を残すようであれば、敗北の責任が彼だけにあったのではないということが証明されるのだから」。ちょっと待て、「フェネルバフチェの躍進」って何だ? ここん家強豪。去年は2位だったけどその前は優勝でその前も優勝でその前の前も優勝していたりするチームがどんな結果を残したら「躍進」なんだ。リーグの優勝では足りない。優勝したって監督の力があったなんてトルコじゃ誰も認めない。カップ戦も勝って当然。チャンピオンズリーグですらグループリーグ入りは当然でそこを突破してトーナメントまで駒を進めてようやく「躍進」の尻尾に手が届く。

 逆に言うなら仮に優勝を果たしたところで、チャンピオンズリーグのグループリーグ入りが果たせなかったらそれこそ監督の責任ってことになるんだけれど金子さん、ただ「躍進」としか書かずそれがどこまでを現すのかを示さず一方で躍進でなかった場合に誰に責任があったのかを指摘していない。何とも逃げ道のたくさんあること。これを読んで「スポニチ」の編集の人は質問したんだろーか。言質を取ったんだろーか。今からでも遅くはないから金子さんはジーコの何をもって「結果を出した」と呼び「躍進」があったと見るのかを満天下に示して頂けないか。その上で期待が外れた場合には「ジーコは悪いが選手も悪いむしろ選手の方が悪すぎた」的ロジックでジーコから目をそらせるよーなロジックは捨てて藤島大さん宜しく「ジーコがダメだ」と公言して欲しいものだけど、今さらそれを言われたところで世の中はちっとも良くないからなあ。とっても切ない。


【8月2日】 アニメーション版のDVD(初回限定版)も全部買ってはあるもののまだ見ていない橋本紡さん原作の「半分の月がのぼる空」が、何と今度は実写ドラマになるそーで主役の難病なんだけど我が儘な里香を、これが初主演とゆー石田未来さんが演じることも決まってて、1メートル54センチで上から80センチ58センチ84センチのキュートなバディでもって、シャナ以上の傲岸女子をどう演じてくれるのかが今からとっても楽しみ。他の役柄では元ヤンキーで煙草プカプカな看護士さんの亜希子を誰が、どう演じるかだなあ。誰が良いだろ? 観月ありささんとかだったら嬉しいなあ。でもテレビ東京系の深夜1時のドラマになんか出てくれないよなー。

笑むと可愛く引き締めるとキリリな中国美少女いいっす  尾張名古屋はコスプレどころ。にいったい何時からなったんだ? それは2003年かららしくテレビ愛知が何を思ったか「世界コスプレサミット」なるイベントを立ち上げては、名古屋の秋葉原と呼ばれているとかいないとかゆー大須でもって、コスプレパレードを開催したのが始まりで、世間のコスプレに対する偏見が理解へと変わるにつれて規模も大きくなり、去年は何と文字通りのインターナショナルなイベント「愛知万博」の会場で、それも開会式なんかが開かれた巨大なドームでもって3000人もの観客を集めて開催されて大成功を治めたとか。もはや名古屋の夏の風物詩、いずれは元祖コスプレパレードこと織田信長に豊臣秀吉に徳川家康が練り歩く「名古屋まつり」の三英傑行列にも並ぶイベントへと、発展を遂げる可能性すら見えてきた。

 そんな「世界コスプレサミット」に今年はさらに強力なバックアップが。あの麻生”ローゼンメイデン”太郎さんが率いる外務省が、世界に冠たる日本のコスプレを世界に広めることは文化外交に通じると理解を示して後援につき、また世界から日本のアニメに漫画にコスプレを観たいと訪れる観光客を増やしたいって目論む国土交通省までもが後援として参画。日本の役所の本省が、それも2つもバックについたイベントなんてそうそうなく、これまた「世界コスプレサミット」を名古屋のみならず日本を代表する国際会議へと発展させたいって国の意思なんてのもそこに見え隠れする、ってのは流石に大げさか。でもそれなりな関心は抱いているってことだろー。でなきゃホームページに麻生外相のコメントなんて載せさせないってば。

 とはいえ流石に名古屋での開催では関東圏に未だ知らない人もいるって懸念もあってか、週末のイベントを前に国内でも有数の漫画とアニメの集積地、東京の大須とも呼ばれる(呼ばれてないって)秋葉原にある「東京アニメセンター」で発表会が開かれて、はるばるフランスドイツに中国ブラジルからやって来たコスプレイヤーがめいめいにお気に入りの衣装でもって現れて、ポーズを取ったり秋葉原の街を練り歩いてはイベントの存在をアピールしていた。いやしていたんだと想うけど今時秋葉原でコスプレ姿で歩かれたって誰も関心なんきゃ示さない。駅前にいけばメイドさんが何人も並んでビラ配ってる街だし。

サンクスサンクスサンクスサンクスモーニカッ  とはいえそこは外国人のコスプレイヤーってことで周囲が観る目もちょっとは違う。ドイツから参加していた何のコスプレかよく分からなかった女の子人は、1人がとっても小さいこともあってなかなかにキュート。金髪で碧眼でコスプレってのは遠目にも珍しくってそれなりな注目を集めてた。あとやっぱり目立ったのはブラジルからやって来た18歳のモニカ嬢。何と「トリニティ・ブラッド」のあれはいったい誰なんだろー、ヒロインで実は王女様だっが女の子? 分からないけど巨大な帽子もちゃんと緻密に再現してはすっぽりと被り、胸元も大きく開いた衣装で練り歩く姿は遠からん者は音にも聞け、近くばよって目にも観よって迫力で、おつきのアベルではないと想うけどやっぱり「トリブラ」から来たキャラに扮した兄ちゃんともども強烈な印象を周囲に振りまいていた。眼福。

 本番ではこの4組に加えて日本から3組とあとどこだっけ、イタリアスペインイングランドあたりだったっけ、9カ国の11組22人が8月6日のチャンピオンシップに出場しては世界ナンバーワンのコスプレイヤーをかけてバトルするってことなんで、名古屋近辺にいる人は行って観るとやっぱり眼福を得られるかも。そりゃ夏の有明「東京ビッグサイト」の方が数もクオリティも遙かに高いコスプレイヤーたちが集まるけれど、そこはそれ、外務省の麻生太郎大臣も認める世界一の称号を得られる大会は「世界コスプレサミット」だけってことで、太郎ちゃんの想いに免じて世界一の称号を、はるばる外国から参加のモニカ嬢に差し上げようではないか、って優勝はモニカで決まりなのか? 凄かったからなあ、正面やや上から見下ろした時のビジュアルが。丸くて。深くて。柔らかそうで。

 そして世界への扉につながるまずはアジアの関門をこじ開けるべくジェフユナイテッド市原・千葉が韓国から来た蔚山現代に挑んだサッカー「A3」の初戦は前半に右サイドを抉った李天秀選手のクロスを受けた韓国の選手が打ちかわして押し込み選手。直後にジェフの中島浩司選手の素晴らしすぎるヘディングで追いついたものの今度も右サイドを破られゴール前に入れられたボールを今度は李天秀選手が素早く蹴り込んで再びリードへ。こいつはヤバいかって不安も浮かんだけど前の名古屋グランパスエイト戦では前にあんまり走り込めなかった水野晃樹選手が幾度とない突破から入れたボールをニアで巻誠一郎選手が足を伸ばして合わせて入れて同点に。さらにゴール前で潰れた千葉の選手の足下からボールを取った羽生直剛選手が正面から蹴り込み逆転に成功して前半を終える。

 後半になっても攻撃の手は緩めず幾度とないチャンスを作るものの巻選手のヘッドははずれほぼフリーのシュートはゴールの上。途中出場の山岸智選手のシュートもやっぱり上へと抜けて引き離せない。かといって現代側には前半はあんなに突破されてた右サイドをジェフ側の左サイドがケアするよーになって決定的な仕事をさせず、どちらかといえば現代寄りだった笛(チョン・モンジュが来てたから?)から奪われたペナルティキックも立石選手が止めて追加点を与えない。そして終了のホイッスル。崩れ落ちる現代の選手に比べて未だ余裕の歩きっぷりを見せてるジェフ千葉の姿から完全にスタミナ勝ちしていたことが伺えた。韓国のチームにスタミナ勝ち。嬉しいねえ凄いねえ。

 とはいえ決めるシュートを決めていればもっと楽に突き放せた試合なだけに反省も必要。あと李天秀選手はさすがにワールドカップで2002年、2006年と続けて代表に選ばれゴールも奪っている選手なだけあって、トラップも巧ければドリブルもはやくシュートも性格でスピーディー。1人抜けた所を見せていた。もう対戦しなくて良いって想うとホッとする。次に対戦するガンバ大阪は相当に手こずるかも。そのガンバも大連実徳を相手に同じ3対2のスコアで勝利。3点をリードしながら2点を返されたのは気になるところで、ジェフに比べてゆったり気分な試合運びではジェフ以上に走り且つパワフルだった現代にけちょんけちょんにされるかも。日曜日が楽しみ。行くぞ国立。暑いかなあ。


【8月1日】 始まったぞオシムの揺さぶりが。1日に発表とかっていつの間にやら決まってリリースまで出ていた8日のトリニダード・トバゴ戦を闘う日本代表のセレクトが、オシム監督のもっと選手をみたいって希望から4日に延期になったとか。もっと見るってその間にある試合は浦和レッドダイヤモンズのバイエルン・ミュンヘン戦と横浜F・マリノスのグラスゴー・セルティック戦くらい。「A3」に出場するガンバ大阪とジェフユナイテッド市原・千葉からは選ばないって決まりになっているからそこでの活躍は無関係。となればレッズとマリノスから誰かを選ぶために先延ばししたってことになる。

 けれどもその1つのレッズはバイエルン戦に闘莉王が出てないし田中達也も出ていない。調子も見られないってこともないけれど怪我して出られなくなるってこともない安全牌な訳でそれを知っていたら先延ばしにせずともとりあえず選んでおけば事は済んだよーな気がしないでもない。とはいえそこはオシム監督、突然の視察を知っていったんは出場しないと決めたチームに異を唱えて出場を直訴するよーなモチベーションの充実度を見たかったのかもしれないし、1日で決めてしまえば中断期間に選ばれなかった選手がモチベーションを落とし、挙げ句に仮に誰かの故障で選ばれてもチームに乗れないって心配を消すために、ギリギリまで迷わせ選手の意識をそっちに向けさせておきたかったのかも。

 いつオフになるか分からない中で常にコンディションを保っておく必要のあった千葉方式。それを全てのJリーグに所属するすべての選手にギリギリの選考で要求しているんだとしたらこれは選手にとってもチームにとっても相当に厳しい監督になりそー。もちろん予定を立ててメディアに記事の勘所を教えて流れをつくっておきたい日本サッカー協会にとっても、そんな流れに沿ってコメントを取る相手なりを選び事前に取材を済ませて予定稿を組んでおきたいメディアにとっても大変な相手が登場したってことになる。感情ではなく理詰めでくるから反論もできない分、トルシェより厄介さはメガトンアップ。4年後にすべての代表担当記者の胃に穴が開いて髪も抜けているだろーと予測しよー。オシムだけはふさふさ。

 それにしても本当に誰がどーなるか分からない代表選考。千葉にガンバの選手だって選ばれちゃうかもしれないくらいの暗中模索な状況下で、何が起こっても対応できるだけの知識を備えておかなくっちゃいけないメディアの方々、ご愁傷様。1面を飾らせ易いスターへの決め打ち取材もできない中でどんな紙面を作ってくるのか。あるいはどんな番組を作って来るのか。4日の発表とその夜のニュースとそして5日の紙面が楽しみ。んで5日にオシムはやっぱり国立にA3を見に来るのかなあ。月中のアジアカップ予選に向けて調子を見るなら来て当然だけど、それすらやらなかったからなあ前監督は。トルコでどんなコーチをしてるんだろ。みどりちゃんリポートよろしくね。

 痛んでいるのは日本サッカー協会だけではなかったらしー。長い毎日新聞との縁をすっぱりこんと斬り捨てて日本将棋連盟は毎日新聞が主催していた「名人戦」の移管を決定。朝日新聞と話すことになるんだけどそこでおそらく決着を見て、来年からは久々の朝日新聞主催による名人戦が行われることになるんだろー。なるほど提示さ金額だけ単純に見れば朝日に分があるよーだけど、ここで臍を曲げた毎日新聞が系列のスポーツニッポンが主催を肩代わりしているっぽい「王将戦」を捨て、毎日コミュニケーションで刷ってる「週刊将棋」の刊行からも手を引いて将棋界は果たして徳をするのか。一方の朝日だってこれまで主催していた全日本プロトーナメントを休止する訳でトータルで見れば収入は決して大きくは増えず、被ったダメージを勘案すればマイナスにだってなりかねない。

 発端が賞金額の値上げだったってことは次は他の棋戦へと矛先が向きかねない。実で名人戦を上回り並んで棋界ナンバーワンの序列を維持して来た「竜王戦」の読売新聞社あたりが次の標的か。ナンバーワンを欲しければ賞金を上げなさいとか言われてそれでも飲むかねえ。辞めたら被害は甚大。そこまで勘案すればそうそう安易に金が高い易いで投票なんかできやしない。けど投票は行われ、毎日新聞の案を受け入れるとゆー棋士の数が受け入れないとゆー棋士の数を下回った。毎日案が否決され移管が決定的になってしまった。

 計算ができないのか信義という見えないけれども確かなものがまるで感じられなかったのか、それとも別の何か見えない力が働いたのか、考えてもまるで分からない理由がどこかにあって多くの棋士たちが毎日案を退けた。退けた理由を記名でリポートにして提出できるんだろーか否決の棋士たちは。逆に支持派では現役でもっとも偉大にして信望も熱い羽生善治3冠王も森内俊之名人も毎日支持を表明していてこの結果、ってとおろにも得体の知れない薄暗さを覚えてしまう。

 そこまでして移管したかた日本将棋連盟執行部の意図って何だろー? 将棋界の為? これだけ混乱させダメージも被ってまだそれを言える? 分からないまるで分からないけど決まってしまったことは覆らない。あとは半数近い反対した棋士たちの行動と、全国に広がる将棋ファンの行動が事態を変える。9日に国立霞ヶ丘競技場へと集まる5万の観客のうちで川淵キャプテン解任に興味はなくても将棋界の激震に心曇らせる人はご近所なんだから将棋会館へと歩いて行ってみては如何。「これから突撃しまーす」とか言えば相手だって見知った言葉だ、無碍にはできんさ。

 昨日は昨日で細腰スリムな癖に出っ張りは素晴らしい長澤奈央さんを1メートルの間近に拝して心浮き立たせたと想ったら、今日は今日とて距離こそ数メートルはあったものの先に上戸彩様を拝するとゆー幸運。なるほど足は細過ぎでおまけに揃えて立つとかしないから夏休み中にサンダルであぜ道を闊歩する小学生の女子のよー。胸板までもが胸板と例えるに相応しい胸板っぷりで目にゴージャスって感じはまるでなく、かといって可憐さとゆー言葉も似合わない言葉遣いに仕草の彼女に見えて果たして嬉しいかって聞かれれば、実は案外にそーした貧で弱な存在も嫌いじゃなくって遠目に見ながら触れて骨とか感じたくなってしまった。

 あるいは現実に紺野真琴ってのがいたとしたらこんな感じだろうかってゆー天真爛漫さ。ここで「天真爛漫」とは馬に鹿と同義語なんだけど、どこまでもつきぬけてあっけらかんとした雰囲気は夏の晴天に似合って心地良く、いっしょにキャッチボールとかしたら楽しいかもって気もしてきた。なるほど奴らが真琴をあいてにキャッチボールに勤しんでいた理由も分かるなあ。歳も歳だし実写で上戸彩さんで「時をかける少女」は難しいかもしれないけれど、少々のキャスティンミスなどネームバリューの前には毛ほどの意味もないんであるいは、どっかが作ってくれるかも。あるいはすでに動いてる? 期待。


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