縮刷版2006年6月中旬号


【6月20日】 引き分けに終わったクロアチア戦の様子が掲載されたスポーツ誌が発売されてて、見ると中村俊輔選手がクロアチアの選手と交換したユニフォームを着ている写真が載っているんだけど何か違う。あの赤と白の市松模様が妙に薄い。目を凝らして納得。裏返しに着ていただけだった。けどこれってどうなんだろー。脱いだ時に裏返ったのをそのまま着ただけなのかもしれない。けどこれはユニフォーム。正式な衣服。裏返しに着てあんまり良いってものじゃない。対戦相手に敬意を持って交換したユニフォームを着るんだったら、やっぱり相手に敬意を持って普通に表に返して着るのが礼儀ってものだろー。

 それとも裏返しに着ないといけない理由でもあったのか。クロアチアのユニフォームのメーカーはナイキ。日本代表のアディダスジャパンとはライバル会社だ。日本代表のメンバーとして活動している間は、いかなる時でもスポーツ関連はアディダスのウェアを着用しなくちゃいけないって縛りでもあったんだろーか。あるいは個人でアディダスと契約している中村選手に、所属しているセルチックではともかく日本代表でいる時はアディダス以外は着ちゃいけないって言い含めてあったんだろーか。だから胸にナイキのスウォッシュが描かれたクロアチアのユニフォームを、着ない訳にはいかないんだったらせめて裏返しに着たんだろーか。ちょっと想像がつかないけど、そんな非スポーツマンシップ的なことが起こりかねないのがこの業界だからなあ。悩ましい。

 そーいえば騒がれ始めた頃の「なでしこジャパン」、つまりはサッカー女子日本代表の親善試合が西が丘であるってんで見物に行って、気になったことがあった。酒井與惠選手がアディダスのシューズを履いていた。沢穂希選手もアディダスを履いていた。っていうより出場している選手の全員がアディダスのシューズで試合に臨んでいた。どうした訳だ? 普段からL・リーグに通っている人なら分かるよーに酒井選手は日テレ・ベレーザの試合でいつもプーマのシューズを履いている。沢選手はアメリカ帰りらしくナイキのシューズ。それが揃いも揃ってアディダスに代えている。

 もしかして切り替えた? って思ってその後のリーグの試合に行ったら酒井選手はプーマだったし沢選手はナイキで前と一緒だった。つまりは代表チームの時だけ、2人に限らず全員がアディダスのシューズを履いていたってことになる。日本サッカー協会のオフィシャルスポンサーとしてユニフォームなんかを提供しているアディダスが、最新のシューズを用意しましたから履いてくださいって行ってモデルを並べて提供したんだろー。けどでもサッカー選手の靴といったら野球選手のバットとか、自転車選手の自転車くらいに繊細にして不可侵な道具。はき慣れているからこそ出せるパスとかシュートもある訳で、それをきのう今日出して来られたシューズで出せるはずもない。並べられたからってアディダスを履く理由はない。

 けど代表の試合ではアディダスを履いていた。これって履かされていたんだろーか? スポンサーだから選手はアディダスのシューズを履くことを義務づけられたんだろーか? はき慣れていない感覚も分からないシューズを履いて試合をするよう求められたんだろーか? ちょっと分からないけど、ひとつ言えるのは、サッカー選手にとって何より大事なことは試合で最高のパフォーマンスを見せること。そしてスポンサーにとって大切なことは、選手たちが最高のパフォーマンスを発揮できる環境を作ること。ファンは最高のパフォーマンスを見せてくれた選手達を讃え、そんな選手達を支えたスポンサーに親しみを持つ。だから商品も売れる。

 もしも普段ははき慣れていないシューズを履かせてしまったんだとしたら、それで最高のパフォーマンスが発揮できると考えたんだろーか。そりゃ選手たちだって頑張った。「なでしこジャパン」はそれなりな成績を残しているけれど、決して世界最強じゃない。アジア最強ですらない。台頭する韓国やチャンピオンの中国を相手に更に高いパフォーマンスを見せなくてはいけなくなっている。アメリカには最近2連敗。これに追いつき追い越すためには更なる後押しが、それも選手のパフォーマンスを高める方向での後押しが必要だ。

 それなのにスポンサーが選手たちの馴染んでいない靴を履かせよおとしたんだとしたら、まるで最高のパフォーマンスなんか期待していって言ってるよーなもの。製品に自信があるのかもしれないけれど、それでも普段からアスリートと付き合っているなら、彼等の道具へのこだわりも分かるものなのに、それでも敢えて履かせたんだとしたら、狙ったのは目先の広告効果ってことになる。強さやパフォーマンスよりもどれだけ露出するかを選んだってことになる。

 だからなんだろーか。最高のパフォーマンスを発揮して世界にファンを作り出すチームを編成するんじゃなく、どれだけ契約している選手が出場できるか、どれだけ露出できるかを優先して、働けていないけれどファンだけは多い選手がメンバーに入り、選手を働かせられないけれど知名度だけは世界的な監督がチームを率い続けることを認め、支援し続けているよーに見えてしまうのも。

 それが自分たちのためになると考えているのかもしれない。会社の売上に貢献すると考えている可能性もある。けどそーなんだろうか。ファンは間抜けじゃない。最低のパフォーマンスしか見せられないチームや、その中で活躍できなかった選手を支援しているのはどこなのか。活躍させなかった監督を支援している会社はどこなのかを感づいている。そして反感を抱く。買わなくなる。

 もしかしたら今、店頭ではもしもドイツのワールドカップで日本代表が決勝トーナメントへと駒を進めた時に起こっただろう、爆発的なユニフォームの販売が、3試合目を待たずしてほぼ確実にグループリーグの敗退が決まって鈍っているかもしれない。敗退が決定した暁には、失望が国中を包み込み、怒りが国中にわき上がっては次の新しい代表のユニフォームを買う手を鈍らせることになりかねない。だとしたら、短期間には突出できたかもしれないkれど、向こう10年のビジネスをふいにしたってことになる。企業として果たして正しいことなんだろーか。判断に迷う。

 もっともこれはひとえに企業の責任なんだろーか、そこまでのことを企業が望んでいたんだろーかって疑問もある。最高のプレーヤーに最高のプレーをしてもえるよー、最高のグッズを贈りたいって考え、そのためには選手の為になる範囲で支援を行いたいって企業に対して、その支援を受け取る側が余計な条件を自ら持ち出し乗せては、より多くの支援を引き出そうって考えてしまったのかもしれない。そして必要のない譲歩を行い慣れないシューズを選手たちに履かせたのかもしれない。礼儀に反してもライバル企業のユニフォームを裏返しに着させたのかもしれない。

 そーやって醸成された、フェアネスさよりもコマーシャルを重んじるスタンスが伝播し浸透して起こる選手の純粋さの劣化、そしてプレーの劣化がやがてチームの成績低下を招き、観客の支持を失った挙げ句に、スポンサー企業から支援に値する競技団体だと見なされなくなって手を引かれ、スッカラカンになってしまうデフレスパイラルの発生がちょっと怖い。その時は代わりのメーカーが出てくるから良い? でもいったん信用を失墜し、関心を失ったらとことん落ちていくのがこの世界、ラグビーだってプロ野球だって一時の飛ぶ鳥を落とす勢いが消え、スポーツマーケティングの対象から外れてしまっている。日本サッカーがそうならないためには、必要な支援は受けてもそれをスポーツとして強くなっていくことに集中して振り向けることなんだろーけれど、もう時既に遅し、かなあ、やっぱり。

 すんげえエロいバニーコス着て、すんげえ面構えをしながら涼宮ハルヒが唄っていた「God knows…」が入ったマキシシングルを買って聴く。すっげえギターテク。さすがは精密機械な長門有希だけのことはあるなあ、って違うか、本当に弾いているのは西川進さんってギタリスト。プロフィルを見ると谷口宗一さんと一緒にやっていた時期があってそれからセッションギタリストとなって中村あゆみさんやら椎名林檎さん矢井田瞳さん五島良子さん東野純直さん(このあたりちょっと懐かしい)井上陽水さん高橋”グッピー”由美子さん中島美嘉さん一青窈さんって蒼々たる面子の作品に参加している。巧い訳だ。いや違う、あるいは西川さんは単なるサブの端末で、外から長門有希が操っているのかもしれない。それくら凄い迫力の演奏。ちなみにやっぱりものすごいドラムは小田原豊さんだった、ってレベッカじゃん!


【6月19日】 だいたいがドイツの6月なんて高くても摂氏23度とか25度とかそんなもんで、むしろ夜の冷え込みの方を心配して、防寒対策をとってドイツ入りした人も結構いたくらい。だから午後3時からの試合だって日本の6月の午後3時とかからやるよりはるかに条件は良く、少々上がったところで湿気も少ない中でのプレーに、影響なんて出ても軽微と思って敢えて大枚はたいて”好条件”の試合になるよーに、働きかけたのかもしれない。

 まあそれはなくってやっぱりテレビの放映時間を気にしての移動だったんだろーけれど、それでも例年だったら真夏の午後1時から試合をやるよーな女子サッカーには遠く及ばず、日本の5月とかそんな時期の昼間の試合に並ぶ快適な気候で試合が出来るんじゃないかと考えていたとしても仕方がない。それが例年にない異常気象で6月だとゆーのに30度を超える気温の日が相次いで、午後の3時ともなれば日本の8月に匹敵する気温まで急上昇してしまった。

 結果として賭けに負けたと言えば言えるけど、怒るんだったらまずはこんな異常気象を招いた地球の不思議に怒りを向けるのが先だろー。それとも異常気象の予兆を読めなかった去年辺りからの日本サッカー協会お抱えの気象予報士に責任を向けるべきかな。誰だろう。石原良純さん? どっちにしたって最初の試合は日本もオーストラリアも同じ気象条件だった訳で、そこで吸水には失敗するは交替も後手後手だわで選手を疲弊させてしまい、敗北を招いた責任はひとえに監督にあったはず。放送局にぶつけるのは筋違いも甚だしい。

コロンビアとかイングランドだったら銃弾かフーリガンが飛び交っていただろうなあ  続くクロアチア戦だって、何度も作っていた決定期に決められないフォワードとか、珍しく精度の高かったクロスに飛び込むやる気を発揮できない寿司爆弾を敢えて選んで最前線に再び配置し、何の仕事もさせなかったセレクトにまずは原因の多くがある。1試合目でろくにシュートも打てず得点を奪えなかったフォワードを、どーしてそのまま使うのかが分からない。これで3試合目のブラジル戦も同じ柳沢敦選手に高原直泰選手をツートップで使うよーなら、それこそ時間帯の変更以上に得体の知れない陰謀が、仕組まれているとしか思えないんだけど。あと発熱してまるで働けなかった背番号10番とか。どんな布陣で来るかなあ。楽しみ。期待してないけど。

 しかし謎だな渋谷で暴れた連中の行動は。単に暴れたいから後付でサッカーを理由にしただけってことなんだろーけど、もしも日本がサッカーの勝ち負けにとてつもないシビアな国だったら、それこそ賭けで何百万円、何千万円が動いているよーな国だったら、渋谷なんかで暴れてないで道路を歩いて途中の「中田カフェ」はまあ活躍したから良しとして、表参道を抜け青山を抜け赤坂を超えて霞ヶ関を突っ切り日比谷から丸の内へと回って「丸の内ビルディング」までたどり着いては、そこにある「宮本カフェ」をとんでもない目に遭わせただろー。

 クロアチア戦で日本が負けずに済んだのは、川口能活選手がクロアチアのPKを止めたから。そのPKを与えた選手が誰あろー宮本恒靖選手で、もしもそのまま日本が負けていたら、戦犯中の戦犯としてやり玉にあげられていただろー。上から巨大な垂れ幕が下がって巨大な恒様の顔が微笑み、入り口付近にも笑顔の恒様の写真が掲げられたこのカフェなんて絶好の標的。わんさと押し掛ける人混みによってどんがらがっちゃんとされていたに違いない。けどここは日本。平和な国だけあって昨日の今日でもカフェには入りきれない人が集まり行列が出来ていた。もちろん誰もトマトとか卵なんて投げてません。

 最終戦となるだろーブラジル戦にはイエローカードの累積で出場停止となった宮本選手。つまりはディフェンスラインをずたずたに切り裂かれ、何得点も決められ地に沈む無様な姿をさらさなくても済んだ訳で、敗戦の責任を直接負わない身となったこともこれ幸いと、7月9日までの期間中は”悲劇のヒーロー”然としてその憂いを帯びた表情を、丸の内に掲げ続けることだろー。これでブラジル戦で中田英寿選手がひとり悪者にされて表参道の「中田カフェ」がしっちゃかめっちゃかにされてしまった日にゃあ、やりきれないだろーなー、ヒデ。柳沢カフェとか高原カフェがあったらそれ以上にタダではすまなかっただろーけど。ドイツの寿司屋爆撃? スシ・ボンバーにちなんで? ありえるかも。

 サイドストーリーって奴の、それも本編を書いている人ではない作家の手になる作品が楽しめるかどうかって点で、本編が面白くってそれに思い入れがあればあるほど、サイドストーリーを見る目に厳しさが入るけど、榊一郎さんの「神曲奏界ポリフォニカ」シリーズのサイドストーリーにあたる大迫純一さんの「神曲奏界ポリフォニカ インスペクター・ブラック」(GA文庫、590円)は、もしかしたら物語的には本編よりも面白かったりするかもしれない傑作で、これを読んで次に本編を読んだ時にこれってどうよ、ってな感想を抱かないか心配になる。って言うと榊一郎さんに失礼かな。

 けど「インスペクター・ブラック」は、音楽を奏でて精霊を使役していろいろな技を見せる神曲楽士たちの物語を本編とした時に、精霊たちが時として起こす事件を捜査して解決する精霊課の刑事たちを主人公にして、発生した謎めいた事件の真相へと迫るストーリーが、刑事コロンボなんかと同じ倒叙法でもって描かれていて、どんなトリックが使われているのかって所を推理していく楽しさがあり、そこに人間がいなければ存在していられない精霊ってゆー存在の特殊性が絡んでなかなかに複雑なパズルを描き出してくれる。収斂していくドラマがあるから筋がしっかりしていて読んで不安を覚えない。何より主役を務める巨大な警部補と小さい少女の警部の関係が謎というか驚きというか。榊一郎さんの本編を読んでいれば十分だけど読んでいなくてもまずこちらで神曲楽士という存在を知り、それから榊さんの描いたエンターテイメントの迫力を堪能するのも良いかも。


【6月18日】 いやあ驚いた。ラグビー元日本代表監督の宿沢広朗さん死去したってニュースに愕然呆然。1991年にイングランドで開催されたラグビーの第2回ワールドカップに出場した日本代表が、初めてにして今のところ最後の勝利を上げた時の監督で、世界に通用する戦い方を世界の檜舞台で見せてくれて当時はまだ世界にとてつもなく遠かったサッカーの、遙か先をラグビーが行ってるんだって思わせてくれたっけ。

 戦術的だったり人間的だったりする部分での凄さを、門外漢として実はそれほど認識している訳ではないけれど、例えるならば情に流されずただひたすらに前向きにラグビー界の改革に取り組んで、世界の最前線から大きく遠のいてしまった今の日本のラグビーを、構造的な部分から変えられる人材の最先端に位置する人だったことは確か。その急逝が日本ラグビーの強化・再生においてとてつもない損失であることは分かる。

 銀行というビジネス面でも最先端を行く人たちが集う場所で、最高峰に立っていたその才能は社会的、経済的な部分からも日本のラグビー界を変えて導く大きな力となっていただろう。否、日本スケート連盟での理事たちによる不明朗な金のやりとりが発覚し、また日本プロゴルフ協会で会長選任をめぐって不正があって前会長が逮捕されるという事件が発生。スポーツ界のトップに立つ人たちの腐敗ぶりが次々に明るみに出ている中で、ビジネスにも通じスポーツの世界でも尊敬される宿沢さんの急逝は、ひとつラグビー界に限らず日本のスポーツ界全体にとって大きな損失だっていえるだろー。

 それにしても取締役であり且つ執行役員専務の地位いんまで上がっていたとは。僕が銀行業界を担当していた時代に確か部長になってすっげえ出世と驚かれたものだけど、それからわずかに15年ほどで頭取に迫る地位にまで、三井銀行との大合併とか平成の金融危機とかを経ながらもどこにも出向させられることなく上り詰めた。これはつまり相当に仕事が優秀だったってことなんだろー。もしももうちょっと仕事が不出来で、関連会社とか回されたんならとっとと銀行を辞めてラグビー協会に専念して、心臓に負担をかけない仕事でもっと長生きできたかも。なおかつ素晴らしい仕事を成し遂げたかも。

 丸の内の大企業に勤務しながら出向を命じられたことから自分はもはやサラリーマン社会では必要とされていないと感じ、出世を諦め会社を辞めて日本サッカー協会の仕事に専念して、誰もが無理だと思っていたサッカーのプロ化からJリーグの創設を仲間たちと成し遂げ、そして地域との密着ってゆー日本にはそれまでなかったスポーツを育む環境を強引ながらも作り上げて10年の間に定着させた日本サッカー協会の川淵三郎キャプテンに並び超える仕事を宿沢さん、もしも日本ラグビー協会の仕事に専念していたらやっていただろー。ワールドカップでの2勝目は彼が会長のラグビー協会が刻んだはずだ。

 こう言うとジーコ監督を選んだ川淵キャプテンをどうしてそんなに評価しているのかって突っ込まれそうだけど、代表監督選び以外の部分で川淵キャプテンが成し遂げようとしている仕事を僕は実はとっても評価していたりする。例えばプリンスリーグを創設して、部活のノックアウトしか経験できない高校生世代のサッカー選手にリーグ戦で揉まれながら実力を高め経験を積む道を開いたり、女子サッカーの日本代表を「なでしこジャパン」と名付けて盛り上げ、女子サッカーの選手権決勝を「天皇杯」と同日に行い注目を向かせ、今年は遂にリーグ戦にスポンサーを付けて大きくステップアップさせたりと、やって来た仕事は実に多彩で且つ意義深いものばかり。

 地域のチームに対する結構行っていて、そんな中から次の時代を担う選手が生まれて来れば日本代表は将来強くなる。女子サッカーに親しんだ親が子にサッカーをやらせることで、20年先には今を上回る分厚い選手層を日本は得ることになる。今の才能を潰してしまったかもしれないけれど、未来に繋がる才能を育む種は蒔いた。だからたとえ今回のワールドカップで日本代表がグループリーグを全敗しても、川淵三郎キャプテンが辞める必要はないと僕は考えている。南アフリカの大会の出場を逃すような醜態をさらすまでは、退任しなくても良いと思っている。南アフリカの予選を突破できるチームを作れる監督を招き任じればそれで良い。

 だから宿沢さんにも川淵キャプテンを先達に、ラグビー界の改革に取り組んで欲しかったし出来る人材あと思ってた。早稲田だ慶応だって学閥ばかりが妙に持てはやされ、代表を取り上げずリーグ戦にもそっぽを向いて大学生の闘いばかりを1面だの終面を使いカラーでスポーツ新聞が取り上げる薄気味悪い状況を打破できる合理性と開明性を持ち合わせているんじゃないかと想像してた。そこまでのアグレッシブさはなく、企業スポーツとしてのラグビーに未だこだわる部分があったとしても、少なくとも現状の問題を解決して後退しっぱなしの足を再び前に向けられる人物だったと確信してた。それだに残念。無念。どれくらいの影響がラグビー界に出るのだろうかと考えると、やっぱり結構厳しいことになるのかも。ともあれ合掌。

 ごくごく普通の学園生活。漫然と過ぎていく日常の中でのんびりと生きていた少女の生活がある時を境に一変する。ネットのサイト。連載されているのは物語。宇宙から迫る危機。対抗できるのははるか昔に地球へとやって来た宇宙人の遺伝子を受け継ぐ少女たち。そして少女たちは防空隊を作って過酷な闘いへと身を投じる。パイロットには戦死者も相次ぐ。けれども逃げられない。逃げたら自分の大切にしている人たちが傷つく。だから闘う。闘い続ける。

 ふーん。と思ってながめていた主人公の少女に飛び込んできたのは「防空隊、隊員急募」の文字。これっていわゆるオフ会って奴? とりあえず出かけてみた少女が、おんぼろバスに乗せられトンネルをくぐって連れて行かれたしょの場所は、ネットの物語に書かれていたように熱核兵器によって焼き払われた荒野。そして地下には格納庫がありネットに登場する宇宙戦闘機が並び、そしてクラスメートの少女が整備班長として睡眠時間も惜しんで仕事に没頭していた。敵はいた。人類は闘っていた。物語は本当だった。そして少女は迷う。闘いに身を投じるべきか、それとも平凡な日常に逃げるかを。

 えっと「ゼーガペイン」? いえいえこれは「ウォージェネレーション 放課後防衛隊」(GA文庫)。書いた柿沼秀樹さんによるともともとはOVAムーブメントの創世記に作られ大勢のファンがついた「ガルフォース」のために考え出したのがこんな設定。遙か昔に地球が進歩するまで守ってやるとオーバーロードが定めた安全保障条約が1999年に失効して、宇宙から大敵がやって来るよーになった21世紀を舞台に、火星に取り残された少女たちがオンボロ宇宙機を整備して孤軍奮闘するって話だったらしー。

 それが分かりやすさってことでスペースファンタジーになったのが「ガルフォース」だったけど、当時の想いを忘れていなかった柿沼さんがおおよそ20年を経てアイディアを復活させて原点回帰を図ったのがこの「放課後防衛隊」ってことになる。きのう今日出てきた「ゼーガペイン」とは年期が違うってことで。でもまあ自分たちの知らないところで大変な闘いが起こっている、って設定自体は魅力的らしく、ほかにもいっぱい書かれているからひとつのジャンルってことで、あとはどれだけこの怠惰な日常がぐるりと反転して、心のどこかで望んでいた非日常へと足を踏み入れた時に、あなただったらそうするのかってドラマを描けるのかって部分に、作者の力量と作品の違いがかかって来る。

 「放課後防衛隊」の場合は割にストレートで、非日常の世界に言って誰かから頼りにされることで目ざめる正義の心って奴が描かれるけど、言うほど潔く闘いに身を投じないのが独特とゆーか、熱気婆娑羅に俺がやらなきゃ誰がやる、って感じのドラマばかりを読んで育ってきた身には、主人公の女の子の優柔不断ぶりがちょっと信じられない。世界のどこかが宇宙からの侵略によって削られ、何億人も死んでいて、闘う仲間たちからも続々と戦死者が出ているってゆー”現実”を突きつけられても、わたし別に良いですからって最後の方まで思っていたりする所が、現代っ子って言うか個人主義って言うか。

 普通だったらすぐさま立ち上がるよねえ、ここには自分の居場所がある、自分はここにいても良いんだって。けそそーやって熱血前向きに飛び込んで、てんぱった挙げ句に自爆する輩もいたりするから、何とかんく必要とされてるんだなあって気付いて、何となく闘いに身を投じてだんだんと強くなっていくって形の方が逆に良いのかも。「ゼーガペイン」もそーいえば割に脳天気。やっぱりこれが今風って奴か。それとも単にシャイなだけ? ともあれ開幕した物語。闘いはとてつもなく過酷だけど、その過酷さを超えた未来をどう描くのか、そんな未来に向かって少女たちはどんな闘いを繰り広げるのかに、注目して続きを読んでいこう。出るのかな。出るんだろーな。

 迫る血戦を前にこの期に及んで「六月の勝利の歌を忘れない」を見て感動にむせぶ僕の心の弱さを神様叱って下さい。アシュケー。アシュケーってどういう意味なんだ。おしえてとうこくりえさん。それはそれとして凄い盛り上げ方だよなあ、フィリップ・トルシェの試合前のミーティング。相手がどう攻めてくるのか、それにはどう当たったら良いのかって作戦の部分も具体的だけど、何より選手たちの気持ちをどう高めていって試合の臨ませるのかって部分でのトルシェが見せる演技が凄い。常にポジティブ。トルコなんかにゃ負けないって訴え、どんな強そうに見える相手でも隙があるって訴えて初の舞台に臨む選手たちに不安を微塵も抱かせない。これがプロの監督の仕事って奴だろう。

 今よくトルコ戦敗退の理由としてあげられていることに、トルコ戦へと臨むトルシェ監督が決勝トーナメントはボーナスだから、なんて言て選手の気持ちを萎えさせたってエピソードがある。DVDを見るとロッカーでトルシェは確かにボーナスって言葉は使っているけれど、その直後にだからといって遊んでいい、楽しんでいいなんて言ってない。むしろ逆。もっと上が狙える。上に行こうって鼓舞してる。今日の戦いは”死”だなんって言って刺激してる。

 ロッカーの雰囲気に遅緩なんて微塵もない。戦って勝つんだって気持ちに溢れている。けど敗れた。敗れてしまったのはひとつの結果で、それでもチームはチームとして崩壊することなく最後までまとまっていた。暗くなったら中山雅史選手が場をばごませ、宮本恒靖選手が迷っていたら試合には出られなくなっていた森岡隆三選手がどうすれば良いかをアドバイスしていた。今のチームにそんな選手がいるだろうか。宮本選手がてんぱってしまったら誰が諭す? 暗くなっていたら誰が盛り上げる? そんな所まで見通して選手を選び、チームを組んで臨んだことがあの成績につながったんだろー。中に06年にはもっと強くなってるぜってトルシェ監督が選手たちに向かい言ってるシーンがあって、4年後の今見ると何とも居たたまれない気持ちになる。でも良い。まだ2010年があるじゃないか。借りは返せる。問題は誰が返すか、なんだけどなあ。誰だろう?

 そして始まったワールドカップの「日本代表vsクロアチア代表」はお互いにシュートはずしまくりで結果的には引き分けに。とりあえずホームではないワールドカップで初の勝ち点をゲットしたのは歴史に残る偉業を成し遂げたって言えるだろー。けどあの怒濤のクロアチアによるカウンターの1つでも真っ当に決まっていたら、というよりクロアチアが最初に獲得したPKを川口能活選手が止めていなかったらいったいどんな展開になったのか。きっとそのまま崩れ去ってはオーストラリア戦と同じ恥辱を味わっていたことだろー。その意味で川口選手は神。これでもしも日本がブラジルが豪州に敗れ去った上で日本がブラジルを蹂躙しクロアチアが豪州に敗れて日本がそのまま決勝トーナメントへと駒を進めたら英雄として未来永劫、讃えられることだろー。

 それにしてもジーコ監督の采配は相変わらず謎ばかり。福西崇史選手に替えて稲本潤一選手。同じボランチで代えて何の意味があるんだろう? ガンガン出ていく稲本選手の代わりに中田選手が下がって守備に忙殺されるだけ。前線に放り込めなくなるだけじゃん。なおかつ放り込めなくなった時に走り込むタイプの玉田選手を同じフォワードの柳沢敦選手と代え、さらにポストタイプで起点になってた高原直泰選手をやっぱり同じフォワードの大黒選手と代えてしまう。放り込めず、起点も作れない中でサイドからアレックス選手や加持選手が上がった裏を何度も攻撃されるピンチに。ここは代えるなったら高原選手の代わりに巻誠一郎選手、だったんじゃなかろーか。あのクロスにもきっと飛び込んだだろー、彼だったら。

 ともあれブラジル戦まではグループリーグの敗退が決まらずに済んだ訳であと1週間を無為に過ごさなくても良くなった。せっかく買ったユニフォームもこれで今週いっぱい来て会社へと通えるな。メディア的にも敗退が決まらず1週間、ネタをつなげて良かったかも。その意味で川口選手のあのPKを止めたプレーの価値は、金額的にもとてつもないものになったんじゃなかろーか。その辺りを計算できるんだったら広告代理店は川口選手に金一封を、テレビ局は特別ボーナスを出してやって下さいな。さあブラジル対豪州戦だ。どうなることやら。


【6月17日】 いやあアルゼンチン。強いよアルゼンチン。欧州予選でほぼ完封に近い成績を上げたディフェンス陣の半分が入れ替わってしまったとは言え、いちおうはプロのリーグで頑張っている選手たちだからそれなりの実力は持っているはず。なのにそんなセルビア・モンテネグロのディフェンス陣をザクザクと切り裂いては次々と得点を決めていくアルゼンチン。いつかの長居でやっぱり次々と得点を決められ崩壊した日本代表も、これを見てしまうと責められないよなあ。けど責めたのはほら、ジーコ監督ブラジル人だから、アルゼンチンが嫌いだから。手前の負けず嫌いとチームの実力を一緒にするなって。言っても今更詮無いだけか。

 とくに素晴らしかったのがカンビアッソのゴール。ゴール前でちょこちょこと回されたボールがペナルティエリアのやや外にいるカンビアッソの前に来てそれをカンビアッソは前を横切ったクレスポにパス。そのまま取ったクレスポが切り返すなりしてシュートを放つかと思いきやすぐさまヒールパス。それにさっきクレスポへとパスを出したカンビアッソが走り込んでいて、ダイレクトでシュートを打って見事に決めた。パス&ゴー。基本中の基本。それが出来ているからこそ奪えた得点。見事だった。素晴らしかった。凄いミドルよりもこーゆーゴールの方が美しい。

 よく日本代表がペナルティエリアでちゃかちゃかパスを回しては奪われるけど、あんなものは誰かに繋ごうってパスなんかじゃなく、ボールといっしょに責任も離そうって逃げのパス。だからパスしたらそこで終わりで動かず、同じようにパスした相手がまたパスしても受け取れない。それより以前に受け取り手がいなくて奪われる。アルゼンチンのは違った。出したら走ってボールをもらう。もらった出すしてまた走る。その繰り返しの途中で変化が生まれて相手が崩れてゴールが開く。だからシュートが決まる。

 1人でだって強引に切り込みゴールをこじ開けられるのがアルゼンチン。後半から出来たカルロス・テベスのゴールがまさにそんな感じだったけど、それだと固めた世界レベルのディフェンスはこじ開けられない。だから当たり前のことを当たり前にやる。労を惜しまずにやる。やって得点をさらに重ねるアルゼンチン。こいつは強いよ真剣に。やっぱり優勝の最右翼はアルゼンチンかなあ。応援席には神様だって座っているし。

 その神様ことディエゴ・マラドーナ。チェレステのストライプが入ったユニフォームを着てスタンドに立ち娘だかを従え大暴れしているんだけど、よくよく見るとそのユニフォーム、ブランドが今のアルゼンチン代表と違う。しばらく前のユニフォームとも違う。前回も今回もアルゼンチン代表のユニフォームはアディダス製。3本のストライプが入ってる。けどマラドーナの着ていたユニフォームの胸にあったマークは三角に鳥。たぶんルコック・スポルティフ。

 そうなのだ。それはまさしく1986年のメキシコ大会で、奇蹟の5人抜きを披露し世界の頂点に立った時のアルゼンチン代表ユニフォームなのだ。もらおうとすれば何百枚だって今のアディダスのアルゼンチン代表ユニフォームをもらえる身なのにそうはせず、自分にとってもファンにも嬉しい1着を身に着けて観戦に訪れるマラドーナのその振る舞い、そしてその喜び様を見ると彼は本気でアルゼンチン代表を応援してるし、本気でアルゼンチン代表を愛しているってことが伺える。

 これほどまでに愛深きサッカーの偉人を日本はワールドカップの時になかなか入国させようとしなかったんだよなあ。そして世界に彼を通して彼すら熱中するワールドカップって大会の面白さをアピールするチャンスを失った。この辺の振る舞いといい、パスしても走らずチャンスがあってもシュートしないプレーといい、日本が世界に追いつくのってやっぱりまだまだ先になりそー。それ以前に今回の大会で我らが日本代表、世界が向かう方向と逆送してしまっているんだけど。

 コートジボワールが見せた強敵を相手に譲らず終了間際まで押し込み続けるあのひたむきさ。トリニダード・トバゴが見せた一瞬のチャンスにかけて最後まで諦めない前向きさ。アフリカにも、メキシコ以外の北中米にも置いていかれて今またオセアニア代表として参加したオーストラリアにすら陵辱を喰らった我らが日本代表。これってつまり世界の最後尾ってことなのか。4年前は少なくとも真ん中辺りにはいたのになあ。どうしてこんなことになってしまったんだろうなあ。理由は分かっているんだけど。今はまだ言わない。言わなくたって明日、クロアチアとの結果で理由は明白になるんだけどね。そしたら声高に叫ぼう。敵の名を。

 オランダの試合を半ば微睡みつつ見てから眠り起きて「幕張メッセ」で開催中の「次世代ワールドホビーフェア」を見物。そうか今年のトレンドは折り紙か。タカラトミーがこの7月から折り紙で作った恐竜をトレーディングカードに見立てて闘わせる遊びを繰り出そうとしていて、デモンストレーションを行っていたけれど、そこから離れた場所ではコナミが折り紙の飛行機を作って飛ばす遊びを提案。折り線のついた紙を配って折ってもらって飛ばしてもらおーとしていて、珍しいのかそれとも本質的に折り紙って奴は楽しいのか、ひっきりなしに子供がやって来ては折って飛ばしてた。

 会場の外でもマクドナルドの外で飛ばしている人とかいてなかなかの気に入られぶり。デジタルな遊びに世の中は席巻されたって思われがちだけど、どっこい子供の世界じゃ安くて楽しく遊べるアナログの玩具がまだまだ人気。その究極とも言える紙があれば楽しめる折り紙って奴がここで再び注目を集めるのかも。北野勇作さんの折り紙付き文庫シリーズも今ならベストセラーになったかな。SF特撮折り紙の人も子供のアイドルになって「おはスタ」とかに引っ張りだこになれるかな。でも子供にはちょっと難しすぎるかキングギドラは。

 その足で亀戸の「サンストリート」へと駆けつけ時東ぁみさんのキャンペーンを最前列で見物。生足がいっぱい見られて嬉しい。生わきも見られたよ。挟まれたい。歌ったのは「せんちめんたるじぇねれーしょん」と「21世紀まで愛して」と「制服」とそして持ち歌の「発明美人とパインナッポー!」。やっぱり盛り上がるなあ「パインナッポー」。買い物客の家族がわんさと取り囲む中でもファンの追っかけの人はちゃんと眼鏡に指を当て、パインアップルの形を描いて両手を掲げそしてイェイイェイイェイとピースサインをしてみせる。

 あの曲あのリズムあの歌声を聴くとやっぱりやりたくなってしまうんだよなあ、僕はまだそこまでの境地にはたどり着けないけれど。偉いのは席に着いた人は座ったままで踊ること。踊りたい人は後ろで立っていたこと。周囲の迷惑にならない範囲で自分の”愛”をぶつける謙虚さと切実さが同居したファンの大勢いるぁみにぃは幸せだ。でもってその幸せは遠からずスターの頂点へとぁみにぃを押し上げるはずだ。紅白に出るぞ。そしたらやるぞ。NHKホールで。最前列で。みんなで一緒に。イェイイェイイェイ。


【6月16日】 この世を別の世とをつなぐ隙間に囚われた青年を取り戻そうとした少女の姿が痛々しくも健気だった早見裕司さんの「夏の悲歌」(ジグザグノベルズ)でも重要なモチーフとして登場したのが4つ辻だったけど、こっちが現実に存在する田舎の4つ辻にぱっくりと窓が開いたのに対して田代裕彦さんの「セカイのスキマ」(富士見ミステリー文庫)は観念としての4つ辻が現れてはそこからこの世ならざるものが現世へとやって来てもたらす怪異を、少女と少年が鎮めるってゆーストーリー。よりライトノベル的な退魔の物語に仕上がっていて「夏の悲歌」の決してハッピーエンドとは言えない終わり方に戸惑った人には歓迎されそー。

 野球部に所属しながら体をこわし投手から捕手へと回り結局辞めて中高一貫の学校に高等部から入った少年は、校則に従って入る部活を探して校舎中を歩き回って敷地の外れにある図書館へと入り込む。そこは今はもう使われていない古い図書館で、帰ろうとした少年を1人の少女が追いかけ引き留め何やら得体の知れないことを研究している部活なんだけど入ってくださいと少年に頼む。それでも逃げようとしてた所に現れたのが少年が幼少の頃に近所に住んでた姉御肌の少女で今は大人となり教師となって少女が営む部活の顧問をしていて、過去の少年の惨状をバラされたくなければ入れと脅してかくしてどこか頼りなさげな少女と過去に痛みを抱える少年とのペアが誕生。そして舞い込んだザシキワラシが成す恐怖に2人で挑む。

 何やら少女には秘密があるよーで普段はドジっ娘ながらも時折颯爽として怪異に敢然と挑む所を見せる。そんな二面性に気付いた時には少年は、合理的に解決できたと想ったザシキワラシ事件から生まれた新たな事件に巻き込まれてはその解決に一役買う。無知なるが故の蛮勇と過去に痛みを持っているが故の戸惑いが、少女の生真面目一辺倒な態度に時にはブレーキをかけ時には背中を後押ししては、デコボコを埋め合ってなかなかの名コンビぶりを見せてくれる。これからもそんな2人に得体の知れない存在も加わり乱暴者の顧問も含めた集団によるドタバタありシリアスありなホラーのセカイを繰り広げてくれそーで、どんな「4つ辻」的なこの世とあの世を結ぶ物語が紡がれるのか、恐がりつつ面白がりつつ追っていこー。

 期待したのにロボットダンスは踊ってくれなかったピーター・クラウチ選手だけど、でもその実は絶対に2メートル以上はある長身がさらに中空へと舞い上がって放ったヘディングの、決して山鳴りではなくまっすぎにトリニダード・トバゴのゴールへと突き刺さった様を観れば、彼が単なるデカさを売りにした選手でないことは明々白々。惜しかったけれどクロスに足を振り抜き低めの弾道でゴール方面へとボールを向かわせた場面は、何かにつけて不安定になりがちな長身でありながらもバランスって奴を保てる体幹と技術を、クラウチ選手が保持しているんだってことを示してる。

 そんな選手に精密さでは世界屈指のクロスを放り込めるデビッド・ベッカム選手が加われば鬼に金棒、というか金棒がクラウチ選手でベッカム選手が鬼というか、ともあれ最高の組合せがそこに出現するって訳で、まずは1つ、そのホットラインから得点を奪ったイングランドが更に高さを持った攻撃を、復活したウェイン・ルーニー選手のスピードも絡めて仕掛けていければ、こいつはベスト8まで行った前回大会を上回る好成績を残すことも不可能じゃない。あとは決勝トーナメントでどこと当たるかってことが重要なんだけど、こいつがなかなか悩ましい。

 A組で今は2位のドイツが20日午後4時からの試合でエクアドル相手に引き分けたり、負けて2位となって決勝トーナメントの初戦でB組1位と当たるなら、イングランドは同日午後9時からのスウェーデン戦で、勝つか引き分けてB組1位を確保するより負けてスウェーデンを上に行かせて、好調さを見せてきたドイツに当たらせる方が得策って考えたくもなるんだろーけど、それはスウェーデンだって立場は同じ。開催国をここで屠って反発を招くよりは、決勝の場で当たりたいって力を抜いてイングランドに勝たせようとする策に出るかも。

 かくして譲り合いの駄試合が繰り広げられるという、サッカー的に恥ずかしい事態が起こる可能性なんかも憂慮してしまうけど、そこは昔年の因縁を持つイングランドとドイツだけあって、潰せるんなら早い方が気持ち良いとドイツのA組2位抜けを観てその夜の試合でスウェーデンを軽く撃破し、1位で抜けてドイツを相手にV2の怨みを晴らしに臨んだりしそー。それがジョンブル魂って奴だ。ほら日本だってベスト16入りで敗退したけど日本でのワールドカップはちゃんと盛り上がったしね。でもドイツじゃドイツ抜きのワールドカップって盛り上がるのかなあ。それも含めて今後の展開に興味津々。そんな組合せを楽しむ中に日本は果たして入れるのか。もう2日後だよ対クロアチア戦は。

 始まって1週間経ってその間に地上波で放映された試合はだいたいHDDに録画していたんだけど放っておくとすぐに数十時間に達してしまうんで、試合が終わってからすぐにDVD−RAMへと移してケースに入れて保管体制へ。たぶん2度と見返すことはないだろーけどそれでも取っておきたいってのが人間の不思議な心情って奴。絶対に見切れないくらいに大量のDVDのアニメを毎月買っては積み上げていくよーなタイプの人間にとって、録画したビデオは後で見返すことではなく絶対に来ないいつかに見られるよーにしておくためのものだから仕方がない。巨大なカセットが薄いディスクに変わったのは有り難いなあ、こーゆー時。数枚を積み上げたってビデオカセット1個訳より軽いし小さいんだから部屋が狭すぎる人間にはディスク様々ってことで。とりあえず今日のアルゼンチン対セルビア・モンテネグロの鮮やかすぎるアルゼンチンによるゴールシーンは見返しどうしてあんなに大差になったのかを考えよー。真似しろったって日本代表には真似できなんだろーけどね。


【6月15日】 2メートル3センチだかはチェコのフォワード、ヤン・コレルとほぼ同じ。見上げると顔がはるか上にあるそんな巨体で迫られたら、180センチもない宮本恒靖選手なんて反抗する間もなく押しつぶされてしまうよなあ。なんてことを間近に琴欧州関を観て感じた本日午後3時。「新宿タカシマヤ」にオープンしたお中元センターのキャンペーンで、琴欧州関がやって来て何かお中元を注文するデモンストレーションってのをやったんで見物に行く。

 飾られていた化粧回しは遠目にも見たとおりに明治乳業の贈ったブルガリアヨーグルトの柄。それに薔薇の花が添えてあったのは薔薇がブルガリアの名産だからだそーで薔薇をトレードマークいしている高島屋にとっては実にグッドなマッチング。且つ琴欧州関の所属する佐渡ヶ嶽部屋と付き合いから化粧回しの製造で高島屋が絡んでいるそーで、そんな幾重にも連なる関係がお中元のキャンペーンに今をときめく琴欧州関を招けた背景にあったらしー。なるほどなあ、繋がりって重要だなあ、引きこもっていては駄目だなあ、もっといろいろ出かけるか、でも出かけた先で黙して会話もしないで帰る僕ではやっぱり無理か。今日もひとりでワールドカップを観ているし。

 さて琴欧州関は先代親方の奥さんには魚の煮付けだかを贈り、娘婿で元琴乃若の現佐渡ヶ嶽親方の奥さんにはソーセージの詰め合わせを贈ったとか。本国ブルガリアの母親にもカステラか何かを贈りたかったみたいだけど、お中元の配送システムが海外には対応していなかったみたいで儀式では抜きに。でもここでおかみさんだけに贈って地元の本当の母親に贈らないのも不思議過ぎる勘ぐりを招くんで、その辺はちゃんとそつなく店の中から何かを選んで贈ることになるんだろー。ってか何か選んで差し上げたらどう、高島屋。ブルガリアヨーグルトだけは抜きね。

   世間じゃエレベーターで事故が相次いでいるだの危険だのと大騒ぎをしているけれど、その一方で去年の今頃、世間がさも重大事のよーに大騒ぎしていた列車のオーバーランに関する報道を昨今、新聞やテレビの上でまるで見かけない。たぶん今だって当時散々っぱら報道されまくったよーに、毎日どこかの路線のどこかの駅で数メートルなり数10メートルといった列車のオーバーランは起きているだろう。それなのに報道されないのはそれが報道するまでもない事柄だから。なのに去年の今頃は、わずか数メートルのオーバーランが極悪非道な所業の如くに報じられ、責任を求める指弾がメディアを飾っていた。

 それはJR西日本の尼崎で起こった悲しむべき事故の遠因に、少々のオーバーランをとがめ立てして運転士にプレッシャーをかけ続けたことがあったからで、だからこそ当時報道メディアは、オーバーランというトピックを血眼になって追いかけ、全国津々浦々から情報を集めて紹介し続けた。その紹介の仕方が、オーバーランを悪学非道の所業と取られかねないネガティブさに溢れていて、更なるプレッシャーを運転士にかけてしまったという気持ち悪さはあって、今のようにあんまり報道されない事態は、むしろ歓迎すべきなのかも知れないけれど、ここでひとつ考えてみたいのは、メディアにとってニュースの価値とはいったい何なのかってことだ。

 あの時のオーバーランと、今のオーバーランとで何かが違っているのか? まるで違っていない。列車がホームの停車位置をオーバーして止まる。それだけだ。なのにあの時はあんなに報じられた。報じたメディアはそれなりに報じる価値があると判断したのだろう。報じるべき重大事だと判断したのだろう。なのにどうして1年後の今、重大事だと判断しないのか。今そう判断しないのなら1年前だって報じる価値があると判断するべきではなかったのではないか。報じるべき価値があるなら今だって連日逐一報じるべきではないのか。1年で大きく揺れるメディアのニュースの価値判断。その実に曖昧で恣意的な価値判断によって左右に上下に引っ張られる世論。何と薄気味悪い。

 しばらく前に大流行した食品への異物混入も、今じゃあ何日かに1度、ちょろっと紹介されるくらい。減った、って訳ではないだろう。それは問題化する以前も以後も変わらずあっただろう。けれども紹介されたのは問題化した一時だけ。事実は変わらないのに価値判断だけが変わる。報じるべき一大事だと判断したなら、2度と同じ事件が起こらないように常に監視し報じるべき。なのにそうはしない。流行っていないからだ。流行っていないことでは視聴率が取れないからだ。他愛のないことでも流行っていれば報じるし、重大事でも流行っていなければ報じない。それだけだ。

 今は流行っていることがエレベーターの故障になっている。1人が亡くなるという重大事故が起こったことは紛れもない事実。その原因にエレベーターの管理ミスがあったのだろうと想像もできる。だからといって例えば数分間閉じこめられたとか、数センチ動いたといった故障をさも重大事のように報じる意味がどれほどあるのだろうか。全国津々浦々でたぶん以前も今もこれからも、同じくらいの頻度で発生するだろう故障をさも重大事のように取り上げ、メーカーを糾弾する意義がどれほどあるのだろうか。

 大量のエレベーター故障の報道に紛れ、報道すべきだった事柄が流れ埋もれていく。電波や紙面を持って世間にあらゆる事象を届ける責務を負うべきメディアが、その時だけの価値判断に流され横睨みの中で似たような糾弾報道に収支した結果、起こる情報の空洞化、隠蔽化。行き着く先はいったいどんな世界なのだろう。誰もがワイドショー的にスクラムを組んで1つの他愛もない事象を、それがトピックだからと追いかけフレームアップして報道する。そんなトピックがある程度の時間を経て次々に移り変わっていった挙げ句、監視され続けていれば防げたかもしれない重大事故を再び招いた時に、メディアは自らを省みることなく、ひたすらに原因を取り上げ叩くのだろう。社会正義などそこにはない。それを見誤るととんでもない所へと連れて行かれる。もう連れていかれている? だからこそ連日のエレベーター報道に視聴者もスポンサーも付いて来てなおいっそうのフレームアップが起こる? かもなあ。もうだめかもなあ。

 平安時代ですら敵だとその場で打ち首にしたって誰からも異論の出ないだろー鬼を朝廷の家臣として働いているからといって咎めず捕らえず精勤を求めて見過ごすのに、法律で国民の権利が守られている現代で、たとえ血筋が鬼だからといって戸籍もあるただの女の子を捕らえて命を脅かそうと暴走する若い陰陽師がいるってゆー、このギャップはつまり平安時代の方がおおらかで現代の方が世知辛いってことなのか。青目京子さんの「鬼ごっこ」(講談社X文庫ホワイトハート、630円)はかつて陰陽師たちによって壊滅させられた鬼たちの怨みが77年後にかろうじて生きのびた子孫の中に蘇って、陰陽師たちに怨みを晴らそうと暴れるって預言が残っていたって所から物語が広がっていく。

 和歌山の街でそんな預言が今に伝わっているとはまるで知らず、1人の少女がのどの妙な乾きを感じながらも普通に生活していた所に現れた旧家の坊ちゃんとその友人らしー美形の青年。彼等は少女とその友達の女の子を祭に誘い、そして翌日主人公の少女の友人だった女の子が行方不明になる事件が起こる。何があったのか。訝る少女に旧家の坊ちゃんは理由を話そうと少女を誘いだしては暗い場所へと閉じこめ陽を放つ。どうしてなのか。そこで浮かび上がった77年前に鬼たちから出た預言。怨みを晴らしに現れる「血の鬼」を倒して名を挙げようと企む旧家の坊ちゃんで陰陽師の卵の暴走が、1人の少女を怯えさせそして目ざめさせる。

 戸籍もあって普通に暮らしている少女を自分たち陰陽師の命を狙う敵だから、って積極的な理由よりもむしろ人間じゃなくって鬼だから、ってだけで殺して平気って考える旧家の坊ちゃんの思考回路が、気持ち悪くて居心地悪くて納得し難いんだけどでも、今のこの世界って宗教が違うから、民族が違うからって理由になり得ない理由でもって殺し殺されたりしているから悩ましい。物語ではそれでも鬼という人間ではない”異質”な存在に向かっていた悪意が、いずれ戸籍国籍性別学閥といった”差違”を理由に発動するかもしれない恐怖。感ぜずにはいられない。とりあえず続いた物語はやがて鬼を狩る勢力との闘いになるんだろー。そんな時に追いつめられた少女は人間に絶望するのかそれとも人間に希望を見出すのか。人間として読んで辛くない道を是非に、作者には差し示して戴きたいけどでもなあ、人間だからなあ。駄目かもなあ。


【6月14日】 今もしも桐生悠々存命ならば書いたかもしれない檄文。「だから、言ったではないか。自由放任よりも組織規律が先であると。だから、言ったではないか。アジアカップ優勝のジーコ監督に対して一部メディアが余りに盲目的、雷同的の賛辞を呈すれば、これが増長を防ぎ能わないと」

 「だから、言ったではないか。疾くに川淵三郎・日本サッカー協会キャプテンの盲信を諫めなければ、その害の及ぶところ実に計り知るべからざるものがあると。だから、私たちは平生日本サッカー協会とジーコ監督とに苦言を呈して、幾たびとなくJFAハウス出入り禁止の厄に遭ったではないか」

 「国民はここに至って、漸く目ざめた。目ざめたけれどもう遅い。日本サッカー協会は−たとえその一部であっても彼等は−彼等自身が最大罪悪、最も憎むべき独善的行動として憤怒しつつあった代表監督の俺様采配を敢えてして憚らなくなった。サッカー日本代表チームの不名誉というよりも恥辱これより大なるはない」

 「彼等はその武器、しかも国民の希望なる選手を濫用してワールドカップでベスト4に残れるチームを作ることををなさず、却って代表チームの著しい後退を招いた。しかもこの代表チームは本来ワールドカップでベスト16入りを成し遂げた力を持ち、内外にその力を顕示していたものの、これらの力を失わせらるることにより、畏れ多くも如何に国民の落胆を招き絶望に至らしめたことよ。罪万死に値すべきである」

 「国民の目ざめ、それはもう遅いけれども、目ざめないのにまさること万々である。日本サッカー協会よ、今目ざめた国民の声を聞け。今度こそ、国民は断じて彼等の罪を看過しないであろう。唯有形的にその罪を問い得ないのはこれを通して問うべき代表監督の任免権を持っていないからである。だが、無形的には既にこれを問いつつあるではないか」

 「と同時に、記者は、今次の如く言って満足し、今後は日本サッカー協会に対して何等の追求をも試みないだろう。曰く、今や記者の憂は彼一人の憂のみではなくなった。そしてそれは全国民の憂となった。全国民がこれを憂うるに至れば、彼の目的は貫徹されたのだ。次には国民みずからがこの憂を除くべく努力するであろうと」

 「だが、またこれと同時に、記者は今我日本代表チームが内外共に、如何に重大なる危機に臨んでいるかを示唆するために、イビチャ・オシム氏の言葉「レーニンは、『勉強して、勉強して、勉強しろ』と言った。私は、選手に『走って、走って、走れ』と言っている」を彼等に、更に進んでは一般国民に紹介し、これをもし他山の石として我玉を磨かなければ、それこそ噬臍(ぜいぜい)の一大後悔あるべきを警告せずにはいられないものである」

 原典は桐生悠々が自費刊行していた「他山の石」に書いた2・26事件に関する一文「皇軍を私兵化して国民の同情を失った軍部」で「畜生道の地球」に所収。桐生悠々はあの名筆「関東防空大演習を嗤う」を信濃毎日新聞に発表して追放を喰らった新聞記者。昔はこーゆー反骨の、そしてどこにもおもねらない論陣を張る人がそこかしこにいたもんだ。翻って今、日本のメディアに日本サッカー協会の判断とジーコ監督の采配を上げて妄動盲信の類と切る人がいるのかなあ。いや今切るのでは遅い。桐生悠々は「だから、言ったではないか」と言うように常々言って来た。日本のメディアにそれがあったか? あったけどメジャーな所ではなかったよなあ。とくに六本木の某テレビ局。果たしてクロアチア戦後に何を言って”健闘”を讃えるか。毀誉褒貶あれどその意味で実況が楽しみだ。

 寺田克也さんのど迫力な表紙イラストにこいつぁバイオレントな伝奇だろーと期待もいっぱいに読んだ野火迅さん「鬼喰う鬼」(角川書店)だったけどなるほど生まれた時から黒々とした髪を生やし口に牙を持ってなおかつ生まれた瞬間にしっかりと大人びた口調で達観したことを話す鬼の赤ん坊が誕生した所から始まって、何十年後かに隻腕隻眼ながらも剣術弓術の腕前は大人の武士すら上回る少年が現れ平安の都を脅かす鬼と闘う展開は人間ならざるものが持つ凄みって奴をまざまざと見せつけてくれる。

 なおかついくらそんな力を持とうとも、または武士として武力体力で都の貴人を上回っていいよーとも、権力を握り金子を握った貴人の下で武士はただひたすらに頭を垂れ、従うより他にない階級社会の厳しさって奴も描かれていて世知辛い。そんな状態に隻腕隻眼の少年も逆らおうとして初めは果たせず、貴人の言われるがままに大江山の朱天童子を倒しに行くんだけど、その決闘からやがて生まれた武士たちの中から天下を取り、滅ぼされても血筋だけは絶えず武家の頭領としての立場を永劫に持ち続けるようになる様に、力を持ちながらも力が地位とはつながらなかった無念の払底される痛快さを人によっては感じるかも。

 ただトーンとして圧倒的なヒーローが圧倒的なダークヒーローを相手に大暴れするスペクタクルとはちょい外れているのが、寺田さんの表紙絵にそんな期待を抱いた身にはやや肩すかし。キャラクター的には主人公の父親で、鬼としての矜持は持ちつつ武士として朝廷への敬意も失わないで臣下として従い続ける渡辺綱の振る舞いが、いかにも武士らしくて潔くって好ましい感じ。老いて歩んだその道も含めてそれこそ侍魂って奴を感じさせてくれる。名前だけサムライブルーとか言いつつもまるでサムライらしくない、言い訳の連発されるチームとは違うなあ。サムライなら恥に今頃1人2に腹切ってるよなあ。もしかしてブラジル戦で陰腹を切り臨むつもりか。ゴールを決めてコーナーポストへと歩む途中で倒れめくるとさらしに滲む血。駆け寄り抱きかかえて兄じゃと叫ぶ球三郎。誰だ球三郎って?


【6月13日】 ディフェンス陣の血反吐を吐くよーな奮闘に涙しつつ彼らに守らせ切らせてあげられなかった采配の至らなさに歯がみしつつヤン・コレルの巨体が躍動する様を観つつもしもコレルの髪形がネドベドみたいだったらどんあ風貌になったんだろーと想像しつつ眠り起きて気分はスッキリ。したかとゆーとそーでもないけど沈鬱かとゆーとそーでもない。

 あるいはと毛ほどに起こるかもと期待していた確変が起こらず想像どおりの無様な試合を見せて納得行った一方で、それでも勝ち上がる日本代表の姿を見たかったって気持ちもあって、それがあと4年は適わないんだと分かるとここはどうしても気持ちが惑う。いや来年に開催の女子のワールドカップがまだあるぞ、夏の予選に勝ち抜けば北京だったかで開かれるワールドカップに出られるぞって、想えば期待も湧いて来るけどこっちもオーストラリアに韓国が立ちふさがりそーだからなあ。豪州での予選、観に行こうかなあ。

 それにしても早い試合で終了が午前0時ちょい前になる今回のワールドカップは新聞にとってなかなかに厳しい大会かも。一応は一般紙で最終降版時間とされてる午前1時半まで間がない中で作らなくっちゃいけないから、決まりもののコラムなんかはあらかじめ想像を入れて書いたものをもらっておき、一言二言差し替えるしかないみたいで夕べの「日本代表vsオーストラリア代表」の試合についても、本記はそれなりに充実していても著名人の寄せるコラムはどこか隔靴掻痒の感が漂う。

 筆頭が「スポーツニッポン」の2006年6月13日付に掲載sれた金子達仁さんのコラム。オーストラリア戦でどんなに無様な試合が行われたかはまるで触れないで、後から加えた可のように「オーストラリアには敗れたが」とかアリバイ的に添えつつも、次のクロアチアを相手にした時に日本は暑さに強いから30度を超える暑さが続くドイツの気候は吉と働く、だから「暑くなれ、暑くなれ」ってこれからの戦い方を指南している。あのー、その暑さに強い日本がオーストラリア戦で明らかにオーストラリアよりもスタミナ切れを起こしていたんですけどぉ。

 「(クロアチアに対し)一方の日本は、フィールドプレーヤー全員が20代。そうでなくても機動性で優位に立つ日本のサッカーは、開いてのガス欠によってさらに威力を発揮する可能性がある」。機動性でいくら優位だったってエネルギーが入ってい泣けりゃ車も人も動かない。「暑くなれ。暑くなれ。高温多湿の気候になれた日本人にとって、ドイツの暑さは少しもハンデではない」。今が季節的には冬のオーストラリアを相手に余裕で走り負けてたじゃん。

 なるほどクロアチアは暑さに弱いかもしれないけれど、かといって日本の主力メンバーが暑さに強いとは限らない。スタメンを張るフォワードの1人は夏に試合のない欧州リーグですら冬の間にベンチを温め続けた高原直泰選手。それで真夏の1試合を走りきるスタミナなんて付けられるの? 帰朝したけど日本の夏を経験していない小野慎二選手だって同様。以前よりもふっくらとした体躯でこの厳しい夏の試合に万全のパワーを発揮できるって誰がいったい想ったんだろー。

 日本の暑いJリーグで90分間を走り回ってエネルギーの途切れない選手だったら幾らでもいる。そんな選手ばかりで構成されたチームだったらなるほど「暑くなれ、暑くなれ」って呪文も有効だっただろー。けどそんな選手はいやしない。走りなら誰にも負けないジェフユナイテッド市原・千葉やヴァンフォーレ甲府の選手は巻誠一郎選手のみ。そして試合には出ていない。そんなメンバー構成を百も承知で「暑くなれ」って予想記事を書いて、暑さに負ける選手が続出試合の行われた翌日に掲載されてしまうこのみっともなさたるや。笑うことすら惜しい。

 夏に試合のしない欧州で、フル出場して来なかったことでスタミナが不足しているかもって事前のインタビューで中田英寿選手が答えてた。あの中田選手なら普段よりスタミナ作りに励んでいただろー。それでもやっぱり実践を経験していないからと不安がる自覚ぶり。その自覚が他の選手たちにもっと走れを訴え危機感を煽っていたにも関わらず、「暑くなれ」とだけ書いて書き飛ばす金子さんの現場感覚の無さっぷり。笑えるなあ。けどそんな金子さんを看板ライターとして抱えて掲げる日本のスポーツメディアが未だ健在ってことの方が問題か。「今日よりも暑い1日にならんことを!」。かくしてクロアチア戦でもブラジル戦でも全員がバテバテになって虐殺されると。グラウンド10周、走って暑さの大変さを思い出して来なさいな。

 石丸8階のイベントホールでぁみにぃが、ワールドカップで日本代表がオー州トライら代表に負けた悔しさもこれを観れば晴れるとおっしゃられたので、早速に「時東ぁみ初ライブ’06春 ザ・中野サンプラザ」を勝って帰って観る。癒されました心から癒されました。笑顔最高ダンス最高眼鏡最高。伊達? 関係ねえ。それをかけてて笑ってるあの顔の造作が良いのだビジュアルが素晴らしいのだそれで十分なのだおまけに歌も可愛いのだ。ぷくっとした鼻も愛らしいのだ。

 石丸じゃ「21世紀まで愛して」と「発明美人とパインナッポー!!」と「メロンのためいき」の持ち歌人気度トップ3を披露してくれたけど、DVDにも勿論入っててこれまた素晴らしい衣装で唄い踊ってくれている。目の前で観た日比谷公園でのイベントに原宿アストロホールでのギグも良かったけどステージで大勢を相手に唄い走り踊る姿も格好良い。回りに従えるハロプロエッグもそれなりだけどセンターでやっぱり輝いているぁみにぃの、これがスタアなオーラって奴か、奴なんだ、それが見えた今、時東ぁみは年末の紅白にも出場可能なビッグな地位へと駆け上ることが約束された。あとは押し上げるだけ。ライブのバックステージにはちゃんとつんくさんも来てリハーサルで実演までして見せていて、単に名義貸しじゃなく本気で気にかけていることも分かった。ならばあとはたどり着くだけ。その日まで応援するぞし続けるぞ。渋谷のライブも行くぞ。チケット勝ったし。


【6月12日】 実は35歳と言われている老け顔のアリエン・ロッベン選手が左サイドを疾走しまくり堅守を誇るセルビア・モンテネグロも押されっぱなし。そんな中から1点をロッベン選手に献上してしまってそのまま大量失点の可能性もあったけれどセルビア・モンテネグロから見て右サイドのディフェンスを代えるとこれが走行。一時ほどにはロッベン選手の蹂躙を許さず危ない場面も堅守が復活してどうにか1点の最小失点で終えることができた。

 とは言え攻撃の要ともいえるケジュマン選手にミロシェビッチ選手とベテランが今ひとつ機能せず、代わりにに入った2メートル超えのジギッチ選手にボールが入らず攻めあぐねた様を見ると、アルゼンチンにはリケルメ先生の必殺スルーから得点を重ねられ、コートジボアール相手ではドログバ選手の1人超人オリンピックが炸裂して点を奪われそのまま敗退って可能性が今のところ大。次回からはセルビアとモンテネグロが分かれるため連合国家の名残を残した”ユーゴスラヴィア”の姿もグループリーグの3試合で見納めとなりそー。

 1抜けした今回に比べてギリギリで抜けた2000年のユーロの時は、それでも大会に入ると膠着した局面を華麗な技で打開していったストイコビッチのよーな天才プレーヤーがいて割に上へと上がって行けた。そーしたタイプのプレーヤーの不在は、戦力に拮抗した相手が居並ぶこのグループではやっぱり辛いものがあるなあ。せめてもうちょっとパスの精度が戻り、長身フォワードに直でぶつけられるくらいにコンビネーションを上げないと。ってそれは長身フォワードを活かせるプレーがまるで出来ない(やってないから)我らが日本代表にも言えるんだけど。巻使えちゃんと使え。

 合間に「涼宮ハルヒの憂鬱」。あの高速でキーボード上を動いた指の描写はモーションキャプチャーではないよね? 1枚1枚作画してあったんだとしたらちょっと偉いかも。いや細かく分解してみてないんで打つ指がちゃんと特定の文字を意識して打っているかどーかは分からないんだけど、傍目にはちゃんとそれっぽくキーボードを高速でタイピングしているよーに見えた。らしく見える。これ重要。

 SOS団の部屋の戸口に立つコンピュータ研の部長にハルヒがドロップキックをかます場面は分解してみたら頭に当たった瞬間にハルヒの膝がいったん曲がり、それから相手の頭が吹き飛ぶ場面でまた伸びていた。だからこその弾みがついた吹き飛び具合。けどそんなビジュアル的な努力も平野綾さんの実に楽しげな「とりゃーっ!」って声の前には記憶から吹き飛んでしまうんだ。いやあノってる声だよまるでハルヒそのままだよ。いい役を得たなあ。でもっていい役作りをしたなあ。色が着き過ぎなきゃ良いけど。

 忌み嫌われる存在がなぜそうなってしまったかを突き詰めれば実に他愛もなく非科学的であり文学的ですらないのだけれど、それを振り返り冷静になって考えられないのが人間の弱さというか至らなさというか。一人ひとりが忌み嫌う理由なんてないんだと理解はしても人はひとりでは生きていけないこともあって、総体となった時にはどうしても忌み嫌いパージしてしまう。情けない。そんな人間の情けなさに気付かせ嘆かせる物語が本宮ことはの「聞け、我が呼ばいし声 幻獣降臨譚」(講談社X文庫ホワイトハート、580円)ってことになる。

 女性がなかなか生まれなくなった世界。初潮を前の女性は妖精たちを目にすることができるし初潮が訪れた女性は契約して幻獣を使役できるようになる。が、中に儀式を経ても幻冬と契約できない女性がいて、妖精から物を教えてもらえず幻獣の力も借りられないそんな女性は”忌み女”と呼ばれて嫌われる。たとえ個々では慕っていてもそんな”忌み女”と仲がいいというだけで仕事に師匠が出るため誰も”忌み女”に近づかない。アリアも契約の儀で幻獣と出会えず”忌み女”と呼ばれ村に居づらくなり、大巫女となるために都会へと向かうがその途中、事件が起こり己が残酷な立場に歯がみする。

 どうしてそこまで忌み嫌われるのか。解釈すれば生きるに厳しい世界で糧を得て生きぬくために男性は力なり商才が必要で女性は幻獣が不可欠。そのいずれをも持たない”忌み女”の生きる価値を認める訳にはいかないってことなんだろーけれど、一方に女性の数が極めて少ないって設定があって、子孫を残す上で不可欠な存在である女性の不足がどうして女性の立場を押し上げないのか、幻獣なくしては価値が認められないのかが今ひとつ分からない。何か宗教的なり社会的な遠因があるんだろー。その辺りの理由がどーなっているのか、また”忌み女”と目された主人公のアリアに訪れた機会がどう転ぶかを続く物語に期待して待とう。

 そして「日本vsオーストラリア」は下がり気味のディフェンスラインを巨大なビドゥガによって押し込まれて危ない場面が続くけど、アレックスの裏を狙われ中澤が釣り出された所に入ったクロスをビドゥガが宮本を踏みつぶしながら落としてそこにキューウェル選手が入りズドン! とはならずしっかりとディフェンスが頑張って得点を許さず。そんな所に中村俊輔選手がゴール前へと放り込むボールに高原直泰選手と柳沢敦選手がゴールキーパーの視線を邪魔するスクリーンプレー気味に飛び込み動けないゴールキーパーの頭上を越えてインゴール。1点を先取する。

 後半に入って相手がパワープレーで来るけれどディフェンスラインは守って相手に得点を許さず。そこで1発でもカウンターが決まっていればすべてが終わったにも関わらず、柳沢選手はシュートが打てず高原選手もシュートにならず駒野選手のクロスは全部オーバーで得点の気配がまるでなし。でもって上がりっぱなしになったフォワードとディフェンスラインの間ががっぽりと開いてしまってそこをほぼ果然にオーストラリアに制圧されて、何度となくディフェンスラインに紛れ込む長身フォワードに当てられる。これじゃあディフェンスだって幾ら守っても守りきれない。

 そこで真っ当な監督だっらフレッシュな先取をトップにいれて前線から中盤からチェックを入れて敵を前に出させない。中盤でキープレーヤーを潰して前線へとボールを入れさせないで更に前掛かりにさせた所をカウンターから点を重ねる所なんだけど、疲れ果てたフォワードは前線から戻って守備に入ることをせず、かといって前線で仕事をする訳でもなく絶好のボールが来ても得点を決めらない。そうこうしているうちに同点にされ逆転され、突き放されてしまって哀れ2点差でもって1次リーグでの敗退が、これでほぼ確定してしまった。残念。

 前線を厚くしてパワープレーを徹底したオーストラリアのヒディンク監督の作戦もばっちりだったけど、それを余裕にやらせてしまったジーコ監督の無策ぶりもまた輝く試合だったって印象。あるいは敵の作戦に完璧なまでのアシストをしたって言えそう。前のワールドカップは采配の複雑さが選手に入れられず負けたけど、今回は采配のなさが選手たちの失望を買って敗退することになるのかな。4年間頑張ってきて肝心な場面でチームとして機能できない辛さたりや、選手もやりきれない気分でいっぱいだろー。

 次の試合、何か采配をしたって監督側のメッセージが選手に伝わるよーなメンバーで臨んで欲しいもの。そーでないと選手も、とくに守備陣の選手のやる気は出ないだろー。でもってクロアチアの高さにやられて大量失点。それだけは避けたいなあ。ジーコ監督を解任して、ドイツ入りしている岡田武史さんに臨時監督をやってもらっても、いいかなあ。あるいは山本昌邦さんでもいいや。ほとんどの選手は熟知しているだろーから。キャプテン、決断の時間です。


【6月11日】 そして「イングランドvsパラグアイ」はいきなりベッカム選手が黄金のフリーキックを放つとそれがパラグアイ選手の頭をかすめてゴールイン。名目上はオウンゴールになるけれど、ゴールへとすーっと低い弾道でスピードもそれなりに持ったまま向かうボールは正面から跳ね返しづらく、横ズレしながら守るとああいったあらぬ方向い飛んでしまうことも起こるんだろー。クロスも含めて正確なだけじゃなく得点につながるキックを蹴れるからこその世界的名選手。阿部勇樹選手にもこんなプレーヤーになって欲しいよなあ、顔はともかく置いた時のキックの凄さだけは並ぶくらいのものがあるんだから。

 とはいえイングランドもこの1発のあとはなりを顰めて得点を重ねられず、かといってパラグアイもワンチャンスを得るものの物にできず膠着状態。クラウチ選手が落としてもそれを奪い放り込めず遠目にジェラード選手が放つミドルもなぜかことごとく宇宙開発気味。ボールが悪いのか本人が入れ込み過ぎなのかは分からないけど、らしくないプレーが続いて存在感を示せない。ここでルーニー選手がいれば中央から強引に切り込みプレッシャーをかけてディフェンスを押し込み、中盤に穴をあけてそこから余裕をもってジェラード選手にミドルを叩き込んでもらえるんだけど。いるいないとでここまで試合が変わる選手になったんだなあ、ルーニー選手。そんなの日本にいやしねえ。出さないだけ? でも誰がいる? 4年後どうよ。

 しかしそんなルーニー選手の認知度も、しょせんはサッカーファンの間だけでイングランドといえばベッカム選手がやっと知られているだけかと思いきや、出かけた地下鉄で前に発った女子高生らしき2人組がいきなり「イングランドだめじゃん」「ルーニーでてなかったっしょ」「オーウェンいまいち」とかしゃべり出したのに仰天吃驚。「ジェラード格好良かったじゃん」「えーそんなにかっこよくないよ」って感じで、ベッカム選手そっちのけで他のイングランド代表選手の評価をしていてそれがなかなかに的を射てる。自分たちの国だけじゃなく他の国の選手について一般の人があれこれ語る日本って国のサッカー事情って、実はとてつもなく異色のものなんじゃなかろーか。

 それが正しいサッカーの受容のされ方かどーかは分からない。メーンは我が町のチームで時々我が国のチームを応援するのがせいぜいで、他国どうしの試合になんかまるで興味を示さないってゆーのがフットボール伝統国の態度だと考えている人たちにとって、日本のそんな状況は考えられないしあり得ない嘆かわしいものに見えるかもしれないけれど、それを言うなら世界で蔓延しはじめているサポーターによる差別的な態度とか、普遍化してしまっている暴力的な環境のほとんど存在していない、誰もが割と安心してスタジアムへと行けるシチュエーションを作り出したのがこの日本。我が町我が国だけじゃなく面白ければどこの国なんて関係なしに情報を取り入れ楽しむ気持ちを育てて来ていることを、むしろ喜ぶべきなんだろー。

 思えば8年前のフランス大会では民放でワールドカップの試合が放映されることなんでまるでなかったけど、02年の日韓大会でサッカーに関する話題が世間を埋め尽くす現象を経た現在、普通に電車の中で世界のサッカーが大勢の口にのぼる環境が作り出された。30年前ならそこで語られるのはせいぜいが野球でそれも巨人戦の話題だけだっただろー。関西だったら阪神か。それが今では女子高生が「ジェラード」だの「ルーニー」だのと話してる。熱い時代になったものだよ。そんな時代にスポーツ新聞を仕切るおっさんたちは未だに清原だ巨人だとやっている。それで売れないと嘆く。始末に負えない。

 02年の盛り上がりを受け今回のドイツ大会では民放NHKを問わず1日に2試合は大会がライブで放映されては、さらに大勢の人たちにサッカーの面白さを啓蒙する。そして来る20年後、いったいどんな世界が到来しているんだろー。そこで日本代表はどんな活躍をしているんだろー。楽しみだけどたた1つ、気になることは電車の会話にJリーグの話題が出てこないことか。足下をおろそかにして作り上げられた楼閣はいつか崩れる。そーならないためにもこの機会にリーグは更なる認知度アップを、そしてメディアはもっとJの情報を送りだしては足場固めをして欲しいんだけど、来年はさらに放映が減りそうだって話もあるしなあ。メディアが頼れないならせめて皆さん、7月からは1試合でもJへと足を運んで盛り上げてやって下さいな。せめてフクアリくらいは満員になって欲しいもんです。

 イブラヒモビッチ選手にラーション選手にリュングベリ選手とワールドフェイマスな選手を抱えるスウェーデンが川口能活選手をポーツマスで控えに追いやったシャカ・ヒスロップ選手にシドニーFCでキング・カズと組んだドワイド・ヨーク選手くらいしかそれなりに知られている選手のいないトリニダード・トバゴを相手に苦戦している様を横目に「ブラック・ラグーン」で世界でも頂点に立つ強力無比な女たちの邂逅を堪能する。ロシアにコロンビアに中国かあ。ワールドカップいんはどこも出ていない国だなあ。だらしない男たちに変わってのワールドカップinロワナプラ。見たいけど命の保証はありません。

 サバイバルナイフで車に取り付きダッチのパイソンから放たれるマグナム弾もかわして天井へと飛び上がる瞬間に少し見えたなあ、けど黒かったなあって情けない感慨に浸りつつ、目覚めたレヴィとの一騎打ちへと移りそれが膠着状態に陥った瞬間に、現れ美味しいところをもっていったバラライカの姉御の剽軽なようで肝心なところではしっかりドスを聞かせて頭に血を上らせたレヴィも、ゲリラとしてバラ姐に負けないくらいの戦歴を誇るロベルタも黙らせる。そんなバラ姐を演じる小山茉美さんがまたピッタリ。「機動戦士ガンダムSEED DESTINY」ではちょい枯れた感じもあったけど、これで完全復活といったかな。勢いで新作の噂もあるミンキーモモを演じてくれると……どんなモモになるんだろう? 大人にならずにすべて解決、銃で。ラジカルレヴィも真っ青だ。

 世界最凶の少女たちならこっちも負けちゃいないかな。高遠るいさん「シンシア・ザ・ミッション3」(一迅社)は香港から来たけど殺し屋としての仕事から抜けて学園生活にいそしむチビでこ少女がロシアの格闘家を相手に素手で闘えば、多重人格で普段は眼鏡っ子のおとなしい少女の内に眠る凶悪な魂がチビでこ少女の姉でやっぱり殺し屋に仕えるこれまた殺し屋の少女を相手に股間をつま先からナイフの飛び出る靴で蹴り上げる凄まじさ。刺さったのが下腹部なのか尻なのかは分からないけどダラダラと血を流しながらも殺し屋に仕える殺し屋の少女も引かず立ち向かおうとするからまた凄まじい。チビでこ少女の回りにはほかに邪眼持ちの教師がいてチャンピオンのボクサー相手に立ち会い勝利できる格闘センスを持ったお嬢様もいるから、やがて彼女たちが一同に会して闘う場面が来ればその時は、ロワナプラでのグラウンドゼロに負けない規模での爆発が起こって世界を震撼させることだろ。追いかけようその時まで。


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