縮刷版2006年2月上旬号


【2月10日】 サスペンダーで吊られたルーズなズボンのやや下がり目となった腰回りからのぞくあのグレーな布きれが、果たしてそのままアンダーウェアなのかそれとも周囲に見せて恥じないスパッツの類なのかを、見ながら激しく迷った「舞−乙HiME」に登場のジュリエット・ナオ・チャン。ピンクのシマシマなシャツに鳥打ち帽としして大きな眼鏡とゆー、怪しげな風体で街から逃げようーとしていたところをナツキ・クルーガーに見つかりアリカとニナの激突場面に居合わせたのが運の尽き。爆風に巻き込まれ気絶したナツキを放ってもおけず助け引っ張り荒野へと連れていったってことは、見かけのワルっぷりとは違う人間としての筋みたいなものを持ったキャラクターなんだろー。徹底してヤサぐれてた「舞−HiME」の奈緒とはそこが大きな違いか。

 しかしあの爆発で気絶するほどの衝撃を食らったナツキに対して怪我もなくピンシャンとしてはナツキを引っ張り逃げたナオの潜在能力たるやいかばかりか。そこは瞬間にナツキを前に出して盾ににして自分を守ったのかもしれないけれど、それくらいで防げる爆発でもなかっただけにちょっと不思議。同じ五柱でも差はあるってことなのか。シズルとか誰にも増して強そーだし。

 しかし何よりあの爆発の中心にいて何事もないニナの強さたるや。それこそが「漆黒の金剛石」が創り出したローブの力って奴か。またアリカの変わらない元気っぷりったるや。あんなシチュエーションになっても落ち込まず屈託なしに日々をたくましく生きる彼女が王女だって? そいつぁ何かの間違いだ。疎まれていたことを知りまた親しい人の悲しい事態を目の当たりにしたマシロちゃんに備わるだろー統治者としての見識に期待だ。そーなるのかなー。マシロがローブ着て戦うなんて事態が起こるのかなあ。ところでやっぱりあれはアンダーウェア? それとも股引の端?

 最新号が「インテル特集」とは編集顧問を務める「カルチョ」、それだけ今年のスクデットド獲得に期するところも大きかったんだろーなー。この刊行と期を同じにして遠くエジプトの地で逝ったジャンルカ・トト・富樫さんの心根が憚られて忍びない。「月刊ジャンルカ」じゃあそのアフリカから手記を寄せててすべてが終わった後に衛星で撮影した映像を紹介するってコメントまでしているんだけど、それももはや叶わず。試合に期待し紹介する意欲に満ちたコラムを書き送った後に起こった事を思うと涙が出てくる。

 「エル・ゴラッソ」の最新号ではその富樫さんを痛む特集がどのネット媒体、どの紙媒体よりも大きく掲載。追悼を寄せている4人の人ではやっぱり倉敷保雄さんの同志といっても良い間柄から生まれる言葉がその無念さを思わせる。「報知新聞」紙上でトルシェの采配を巡り論争を戦わせた田村修一さんもコメント。当時の経緯を引きずらず客死の地となったアフリカで出会って田村さんに「ナンバー」が誌面を用意していないならトルシェを誘いその観戦記にしたらどうだとアドバイスを贈ってる。

 嫌みではなく書き手の立場を慮ってのアドバイス。過去に因縁がろうとなかろうと、それをすんなりと出してしまう富樫さんって人のサッカーにかける熱意ってものがしみ出て来る。個人的にはその解説に触れる機械はほとんど無かったけれど、「インテル」が気になる身としてはやっぱり「インテル」のスクデッドを見せて上げたかった。謹んで悼む。

 色がついて動きがついただけ、って言えば確かにそーかOVA版「ヘルシング」。ほぼ原作のトーンとセリフでもって描かれる本作は、単行本のあの展開をどー編集するかって部分において興味を抱かせてくれていた作品で、あとはあのセリフを声優さんたちがどう演じるかってことにかかっていたんだけど、そのいずれも12月に下北沢であった試写会で確認済み。コンテ撮原画撮だったとしても展開は分かってなるほどこうつまむのかって認知はあり、セリフはほぼ録音済みのを聞かされていて完成した暁の出来についてもほぼ想像が出来ていたから、改めて色がついて動きがついても試写会の時以上の衝撃はなかった。

 裏返せばあの時に試写を見ていない人にとっては、漫画で貪るよーに読んだ「ヘルシング」がセリフもそのままに動き出した作品ってことで驚きを得られそー。アクションの部分の派手さに中田譲治さん演じるアーカードのセリフ回しの格好良さ、若本規夫さん演じるアンデルセンの若本さんっぽさも耳にじんじんと響いて来る。野沢那智さんのキレっぷりとはまた違った悠然として弾けそうなアンデルセン。この後の活躍に期待も膨らむ。あとは飛田展夫さん演じる少佐のほくそ笑むよーなセリフ回しか。これであの「私は戦争が好きだ」を蕩々と語ってくれる巻がちゃんと発売されることを願って止まないけど、出るかなあ。続くかなあ。

 っつー訳で1996年の2月10日分からスタートしていた当ページもこれで10周年を超えて11年目へと突入。世間の何ら役に立たないことを日々ただダラダラと書き連ねてきただけで、この間にインターネットを商売にして億万長者になる人が山と出たり、ネット上に書き散らした文章をまとめて日記本とかを出して何万部も売り、大金を稼いだ人が出たりしたんだけど、当方に関しては依然として潰れかけたってゆーか1度は潰れて今も傾きかけてる会社で冴えない仕事をしつつ年齢にそぐわない年収に甘んじつつ、ネットでも一切の金にならない文章を書きつづっている。

 その分量たるやおそらくは国内でもそれなりなランクに入るんじゃないかって自負はあるけど、同時に中身の中でも国内有数で、そんな無駄なことをよくやるなあと我ながら呆れる日々だったりするけれど、元より半ば備忘録として始めた当ページ、年々薄くなる記憶力もあって振り返りなるほどこんなことがあったんだと知るための、外部化された記憶として活用しているんで金にならなかろーが無関係、これからもただひたすらに書き続ける所存なのでよろしゅうに。


【2月9日】 恵比寿へと赴く用事があったんでついでに「東京都写真美術館」で「発掘された不滅の記録1954−1975 VIET NAM そこは戦場だった」を見学。北ベトナム側から撮られて南ベトナムの解放のために訓練にはげむ北の女性兵士の写真もあれば、南ベトナムを舞台にした激戦を米軍に従軍したフォトグラファーが撮影したお馴染みの戦場写真もあったりといった具合に、南北双方からの写真でもってあの戦争を浮かび上がらせる。

 前半部分はホー・チ・ミンによる独立宣言から始まった北ベトナム建国とそして迫る南との対決に備えた訓練等の風景。さいしょは建国に湧いていた風景が、だんだんと迫り来る北爆に銃を持ち高射砲を構える人が増えていったりして、時代があの激戦へと向かっていった様がよくわかる。そして北から南へと物資を運んだホー・チ・ミン・ルートの写真。山野を縫い密林をかきわけて開かれた細く険しい道を、延べ500万人が通ったとゆーから凄まじい。そこまでして”戦う”意味、ってのが今のこの国に暮らしていると分からないんだけど、分かる時が来るのもかなわないから想像の凄さとして頭に留め置こう。

 やがて南側から撮られた写真が混じり始めて沢田教さん石川文洋さんといった従軍フォトグラファーによる有名な写真が飾られ迫力。沢田さんのピューリッツァー賞を獲得した、子供を抱えて渡河する母親の必死な写真もあればナパーム弾によって火傷を負った子供が素っ裸で道路をこちらに歩み寄る有名すぎるくらいに有名な写真もあって、報道写真戦場写真好き(好きってゆーと語弊がありそー)にはなかなかの展示になっている。歴史を目の当たりにしてるって感じ? いや凄い。な写真を見た後に入り口付近で今のベトナムが撮られた写真を見るとその明るさに心もホッとする。すらりと伸びた足をアオザイで包んだ女性の写真。透けてます。何が? 三角が。

 全体を通して見れば半ばプロパガンダも混じっているかもしれないけれど、北ベトナムの人によって撮られた写真がやっぱり貴重か。聞くと戦争中に240人も北ベトナムの写真家が死んだとか。そこまでして撮り記録して披露する意味ってものから考えられる、写真ってメディアの伝播力影響力の凄まじさが改めて浮き彫りになる。南側からは得体の知れない存在めいて語られ描かれることもあったけど、見れば実に普通の人たちでそんな人たちが何故に銃を撮り戦場へを赴かざるを得なくなったのか、って感じに歴史の残酷さを考えさせてくれる。西島大介さんの「ディエンビエンフー」を読んでそこに描かれているベトナムに興味を持った人なら、じゃあ現実にはどんなんだったんだろうと行って見るのも良いかも。

 その大麦は誰が作ったものなのか。そのホップはどこで栽培されたものなのか、なんてまるで気づかず飲んでいるビールだけど、そーゆーところにまで気を配ることで買う人が何だか安心感を得て、ついでに味への信頼感まで沸き立たせてしまうよーな戦略を取り始めたのがサッポロビール。昨今は代用ビールならぬ発泡酒だの第三のビールだのといったビール風味飲料がやたらと蔓延りビール会社の姿勢にややもすれば肝心要のビールを蔑ろにする風潮も見えていたけど、大麦からホップからすべてに管理の眼を行き届かせているんだってことをアピールすることで、ビール好きなり最近のビールに不満を覚えている層なり、リッチなプレミアム性に価値を見出している層からの関心を集めそー。

 そんなビールとして3月に登場するのがサッポロビールの「サッポロ畑が見えるビール」とやら。何でもドイツのラインモーゼル地方とかその辺で農家を営む人たちと直接契約して大麦とホップを調達し、ドイツのミュンヘン地方でたしなまれているとゆー「ヘレスタイプ」とかゆーピルスナーよりもホップの香りが柔らかく麦の香りがするらしー、淡い色で味わいすっきりなビールを作り上げたとか。はるばるドイツから農家の人まで招いての会見は、俺たちが作った作物がこんなビールになったんだぜって感じで作り手の見える心地よさをアピールしてなかなかの好感度。実際には100軒以上の農家が関わってはいるんだけど、それでもしっかり末端まで管理が行き届いているから品質に対して安心できる。

 これと同じことを例えば米国産牛肉でもやって、しっかりと全頭検査している農家と直接契約してそこの牛を運んでるんだぜってことをアピールできれば、別に米国産牛肉だからといって敬遠もされずむしろ歓迎だってされるんだろーけれど、そーした抜け駆け的な方法は日本側か米国側かは分からないものの取ることが出来ないみたいで実現せず。良いものを作っていても売れない状況に悩んでいる米国の牛肉生産農家も結構いるんじゃなかろーか。世の中なかなかかままらならない。

 肝心の「畑が見えるビール」の味は確かにすっきり。ってゆーか癖なさ過ぎ。麦芽100%なのにそーした味がまるでなく、濃い強烈な味を求めたい人にはちょっと物足りなさを与えるかもしれないけれど、でも口にしっかりと香りは残るし何より爽快感が良い。価格もエビスビールよりは若干低くなるそーなんで、エビスのパワーに負けそうな時にはそっちを選んでみては如何。ただし35万函しか生産されないみたいなんで購入するならお早めに、3月15日発売予定。ちなみに発表会後の試飲会ではドイツから来た農家の2人がドイツ語で”乾杯”を叫んでくれました。あっぱりドイツ式でかけ声は「プロースト!」。んでもってその後でジョッキを床に叩き付け……たりはしないか、それじゃあ「ハチクロ」的ドイツ式だ。

 バンシーがお留守番していて「お留守バンシー」ならバンバンジーがお留守番してたら「お留守バンバンジー」なのかって思ったもののバンバンジーはお留守番とかしないから それはない。だったらバンシーはお留守番をするのかってことになるけれど、小河正岳さんによる電撃小説大賞受賞作の「お留守バンシー」(電撃文庫、536円)ではしっかりお留守番してくれていてなかなかに健気。東欧の片田舎にあるお城でご主人様を守り暮らしていた泣き精霊のバンシー、アリアちゃんだったけど、ご主人様をつけ狙うクルセイダーがやって来るって話が舞い込みご主人様が長の出奔。後をアリアたちが守ることになった。

 んでもって他には新米デュラハンとちょっぴり観念に問題のあるサキュバスと見かけが可愛らしいガーゴイルに庭師が得意なゾンビといった面々ばかりでクルセイダーを迎え撃つには雰囲気役者が不足。けれどもそこはそれ、「お留守バンシー」としてお留守番を良い使ったアリアの頑張りが現れたクルセイダーを相手に物を言う。読んでほんわかとしてほのぼのとした雰囲気が心地よく、展開にまとまりもあって読み終えて浮かぶ感慨も味わい深げ。なるほど大賞として推された理由もよく分かる。続きがあるかってゆーとうーん、必殺技も出た後なんで難しいけどそこはシリーズ化の得意な電撃が、新たな”敵”をアリアちゃんたちにぶつけて来てはそのほのぼのとしたお留守番ぶりによって懐柔する、楽しくも笑えるストーリーを仕立て上げて来てくれるでしょー。期待大。


【2月8日】 「マコ」さまに「カコ」さまだから続いて内親王なら「アコ」さまになってゼルダに再び人気が集まるか、あるいは「ハコ」さまとなって山崎ハコさんへの話題が再燃するかと音楽業界も期待をふくらませるご懐妊。まかり間違っても「タ」を選んで築地の魚市場とか明石の漁港とかを喜ばせることにはならないだろーけど、築地魚市場の横にある新聞社あたりは三笠宮寛仁殿下におかれましてはお口に覆いをといった論を張って何かと物々しい だけに、生まれ現れる御子の皇女が皇子なら挙げた拳をどこへと持っていくかに迷いそう。まあしばらくはネグって次の世継ぎの代にスクラップブックから引っ張り出して同じ論陣を張るんだろーけど。懲りないねえ、まったくもって。

 70冊とかそんなもんか。「スタジオボイス」が2006年3月号で大特集している最近の小説150冊リストをざっと眺めて海外関係がまるで読めていないことが判明。一方でライトノベルは紹介されている分をほぼコンプリートしているから、これが冊数の上積みへと繋がった模様。書いてるライターが前島賢さん前田久さん山田和正さんといった面子で紹介されているライトノベルのタイトルがとりあえず当方の趣味の範囲に収まっていてくれたことも、コンプリートに近づけた理由か。あれだけ出ているライトノベル、趣味が違うとまるで重ならないってこともあるからなあ、講談社X文庫ホワイトハートとか角川ビーンズ文庫とか紹介された日にゃあ、まったく。

 あれがないこれがいないなんて野暮なことは言いっこなし。それ言い出したらキリがなくなるのがこのジャンルって奴で、ダブル桜が「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」と「ALL YOU NEED IS KILL」で入っているのも「スタジオボイス」の読者層を考えれば当然といったところ。あと「銀盤カレイドスコープ」が入っているのが嬉しい限り。トリノ五輪の関連本としてこれ以上のものはないからね、あんまり評判になってないけど。評判にする自爆種皆メディアなんてないだろうけど。「神様ゲーム」とは趣味が良い。本田透はどうでもいい。つか何故「キラ☆キラ」じゃない?

 とりあえず直球ストレートな「ブギーポップ」は講談社ノベルズの「殺竜事件」に任せ「フルメタル・パニック」は00年代じゃないってことでパスってところか。「ロクメンダイス」ではなく「黒白キューピット」ってところは選者の趣味か単純に出来の差か。「戦う司書と恋する爆弾」は続編があと3冊くらい出てからの評価ってところか。「灼眼のシャナ」と「バイトでウィザード」はシリーズを6、7冊読んでからでないと真価が発揮されてこないからつき合う方も大変か。いや本当に両作品とも最初に感じたあざとさが消えて自分の存在についての悩みとか、戦う意味とかってものを考えさせる深い話になってるんで。帯状の対談で冲方丁さんがシリーズ物の功罪に触れているけど功は積み重なることで生まれる深さがあるってことで。深く始まり過ぎて挙がってこれなくなってる感じの作品もあるけれど。どうなっているんだ中村恵理加さん「ダブルブリッド」。

 そんなことより「スタジオボイス」、草間彌生さんの連載が凄すぎて唖然。その昔にパンを拾って食いながら作った作品、が今になって1億2600万円で売れたって話が自分の言葉でつづられていて、世界のクサマと誰もが讃える彼女にそんな苦労していた時代があったのかって驚きつつも、ここに来てよーやくそれなりな値段が付き始めた草間さんのホンモノぶりに、今後ますます磨きがかかって世界の美術館で数億10数億で作品が買われていく時代の訪れがそう遠くないことを確信する。

 ちょっと前にそーいえばクリスティーズで数千万円の値段がついた現代美術があったけど、以後にどんな作品が出てきてもそれが世間に何かショックを与えるってことはなくなってしまった。むしろ作品でもって勝負するよりも、新人新鋭を見つけだしては売り込むプロデュース的な活動でもって存在感を保ってる。それはそれで素晴らしいことではあるんだけど、一方でやっぱり「スタジオボイス」に掲載されてる松井みどりさんのコラムの中で、「現代美術の評価のシステムや、マーケットが存在しない日本において、アーティスト、キュレイター、評論家が、表現し、『食べていく』ための一つのモデルを、彼は海外のアートフェアに見出している」って感じに、その活動の功利的な部分を喝破されている。

 「その、より混沌としたワンマン・バージョンとして、GEISAIが行われていることは、疑いのないことと思われた」とも。たぶん揶揄ではなくって「食べていく」手段として認めてるってニュアンスだろーけれど、でもやっぱりアーティストが活動ではなく作品で勝負し切っていたにことへの疑念は、どこまでも付きまとって晴れない。まだ隠居する年じゃないだろ、村上隆さん。だって草間彌生さんはこう言っているんだぜ。「私はこれからも一生懸命に死ぬほど戦いたいと毎日を生きている。いまにみていろ。私は100才までも生きて、次々と命を盛り上げて革命を歴史の中に立ち上げるだろう」。聞いて何を思うよ、後輩たちよ。


【2月7日】 デジタル一眼レフを使い始めて溜まる一方の巨大なデータ容量を持つ写真の保存先として、使っていた外付けのハードディスクがいっぱいいっぱいになって来たんで新しいのを「ビッグカメラ」で購入する。バッファローの250GBで1万6800円が高いのか安いのかは知らないけれど、今使っている80GBを買った時もそんな値段だったよーな記憶があるって(もーちょっと高かったかも)日進月歩なテクノロジーの凄さに改めて感じ入る。

 最初に買ったアップルの「マッキントッシュLC575」なんて確かハードディスクが320MBで、ネットにアクセスし始めたらすぐに埋まってしまったんで程なく1GBのハードディスクを繋げてそこに溜めたアダルトな画像を移していったっけ。それがだいたい1990年代も後半あたりのことだから、当時から今を思えばテクノロジーの発展ぶりはそれこそコペルニクス的大転回に匹敵するくらいの驚きを与えそー。果たして今から7年後に250GBのハードディスクと同じ値段で10テラバイトくらいのHDDが変えるよーになるんだろーか。それとも更に凄いストレージが発明されているんだろーか。想像も付きません。日記は多分書いているけど。書きたがる病気のハイパーグラフィア(アリス・W・フラハティ著「書きたがる脳 言語と創造性の科学」より)なんで。

 子供の頃といったら家のどこかに必ずといって良いほど「サントリーオールド」のだるま型な瓶が鎮座ましましていて、正月とかになると飲んでる親の姿を見かけたものだけどそんなどことなく”ハレ”のお酒っぽいイメージのあった「オールド」も、趣味嗜好の変化もあってウィスキー需要が伸び悩む一方で、海外から超高級と思われていた「カティサーク」だの「バランタイン」だの「シーバスリーガル」だの「ジョニーウォーカー」だのといったウィスキーが「オールド」に並ぶ価格で輸入されては酒店の軒先でたたき売られる時代となって、その存在感を薄れさせていた。

 値段が同じなら物をいうのはブランドネームで、味とかあんまり関係なしに洋酒の部連デッドウィスキーを嗜みさらにはシングルモルトだ何だと走って「オールド」なんか見向きもしない。結果ピーク時には1280万ケースとかを売った「オールド」も去年あたりは51万ケースと激減。このまま埋もれていってしまうのかって心配していたとこにサントリーがプライドをかけて立ち上がった。団塊世代オールド化計画。って言うと年寄りをさらに老けさせるよーな印象も浮かぶけど、これは団塊世代が生まれた1950年に発売された「オールド」を、団塊世代がたしなむお酒と位置づけアピールしていこうってゆーマーケティング戦略のこと。味も団塊が好みそうなリッチでまろやかなものにして、この3月から大展開していくことになったとゆー。

 何しろ「The」がついた。「ザ・オールド」。定冠詞が付くと「ウルトラマン」が「ザ・ウルトラマン」になって何だか格好良く……なったっけ? 分からないけどインパクトだけは増したよーに「オールド」も「ザ・オールド」となって何やら印象がぐっと高まる。瓶は相変わらずの達磨型(サントリー曰く「漆器」がモデル)だけどラベルのデザインも枠線がとっぱらわれて広がりのあるものになっていたりと、団塊世代のプライドをそれなりにくすぐりつつも価格面では1510円で、退職金と年金暮らしになった懐にはあんまり響かないよー配慮されている。

 CMに起用されるのは団塊のアイドル、井上陽水さん。その語りとささやきで「ザ・オールド」の良さを訴えられたお父さんたちが、果たして一斉に「オールド」に走るかは分からないけど、過去を懐かしみ昔はどーとか小うるさい世代なだけにあるいは「オールド」をこそ”俺たちの酒”を認めガブのみするよーになってくれるかも。しかし安くなったよなあ「オールド」も。初任給が3000円の1950年に1800円と今なら10万20万って価値があり、2万3000円の65年でも1900円と高嶺の花だったんだよねえ。それが1510円。ハードディスクも吃驚だ。

 日本ってテーマに過去を振り返り郷愁に浸って江戸時代を描き故郷の海辺の町で繰り広げられる幼なじみとの別離を描き山々を描き道祖神を描く日本人に対して、フランス人は町中に蔓延るキャラクターを取り上げ新しい神々と捉えて描き都会的なスタイリッシュさと昭和の雰囲気残る家並みがごちゃごちゃになった雑然とした雰囲気を描き電線が張り巡らされたアーケードの様子を描くものらしー。逆にフランスについて描けとなったらフランス人はやっぱりパリの革命を描き田舎の風景を描き、日本人はファッションとアートに埋め尽くされたパリの華やかさを描くんだろーかと、フレデリック・ボワレさんが天野昌直さんと企画・編集した漫画のアンソロジー「JAPON」(飛鳥新社)を読みながら考える。

 「東京は僕の庭」で現在の東京を外国人の眼ながらストーレートに脚色なしにとらえて評判を読んだボワレさんが呼びかけ日仏の漫画家に描きおろしてもらった作品ばかり。日本から安野モヨコさんがいて谷口ジローさんがいて松本大洋さんがいて五十嵐大介さんがいて花輪和一さんがいてといった具合に重鎮ベテラン先端を取り混ぜ読み応えは十分。対するフランスもボワレさんを初めそれなりな人が揃っているみたいで、バンドデシネじゃないけどいずれもしっかり描かれ読ませてくれる。とりわけニコラ・ド・クレシーさんの「新しき神々」なんかがキャラクターを神々と捉えて描いてあって、日本人とは違ったキャラクターの見方が分かって面白い。あの「モリゾー」の眼をクレシーさん、「目の表情が驚きだ。ある種の静けさをたたえ、でも力強く、なのにどこか物憂げなのだ」って書いている。本気なのか揶揄なのか。いずれにしても言い得て妙。見抜いてる。

 気に入ったのはカンボジアと中国の両親の間にフランスで生まれ育ったオレリア・オリタさんの台風で、日本にやって来た女の子が温泉で大きなお風呂に喜び台風にはしゃぎ寿司でウニを食べておいしさに感激するエピソードが、木訥な描線によって描かれていて心に染みる。ちょっと日本人っぽい描線なのも評価のポイント。まるっこいのに妙にエロティックな女の子のボディラインなんか、技巧的じゃないけど巧さを感じさせる。単行本がフランスじゃ出ているらしーけど、日本で手に入るのかなあ。四dえみたいなあ。新作も登場とかでこれまた注目。いずれ日本にまた来てくれることを願おう。その時は何に驚いてくれるのかな。楽しみ。


【2月6日】 日本のメディアが発信するオピニオンが特質として持つ、片側からしか光を当てず、下手をしたら部分だけくりぬいては針小棒大に伝えよーとする、我田引水で牽強付会な手前勝手さに、もはや日本のメディアなんて頼りにならないと思う人も増えている中で、まだ真っ当なことも言う世界のオピニオンを、それも多方面から集めることによって全体像を浮かび上がらせるのみならず、裏側までをもしっかりと描いてみせることが出来るんだってことを、教えてくれた講談社の「クーリエ・ジャポン」が、目下のところ日本では、針の穴からしみ出した事象をそれこそ宇宙の規模で伝えて騒ぎ立ててるライブドアの問題について、特集してくれたんで買って読む。

 至極真っ当。まずは「ロサンゼルス・タイムズ」が「”ロックスター”が退場しても新しい潮流は止まらない」って見出しの下で堀江貴文ライブドア前社長のしでかしたことはしでかしたこととして、「日本の世代間ギャップは、常に顕著なものです」という意見を入れつつ先行きへの希望を抱くに抱きづらくなっている現況を浮かび上がらせてくれる。

 そんなアメリカ各紙の論調も1つにまとめて堀江前社長のアグレッシブさを指摘。「タイム」の記事では今回の事件をきっかけに「企業改革を妨害するようなことになれば、それは悲劇にほかならない」って後ろ向きになりがちな経済なり社会の風潮に釘を差す。日本ではコメンテーターが言ってもメディアがオピニオンではなかなか指摘しないことにしっかりと、及んでいる所は功罪分けて考えるドライさを持つメディアならではの態度って奴か。

 中国の新聞に「日本の財界に『異端児』を受け入れる準備が整っていなかったのだろう」と書かれたり、シンガポールのしんぶんい「東京地検の突然の捜査を『守旧派の逆襲』と見る人々は多い」と書かれたりして、世界中から日本の上の世代に未だはびこる保守的な考え方なり立場って奴を、世界中に見抜かれてしまったのは果たして日本にとって好いことか、悪いことか。

 これはすでに引用されまくっているけれど、フランスの「リベラシオン」には「『ヤクザ』はよくてもホリエは許されない」と書かれてしまった記事なんかは、日本の表には出ないルールの存在を改めて指摘されてしまっていて、ただでさえアンフェアさを囁かれる日本のビジネス慣行の印象を、更に悪くしてしまった感じ。そーしたことをけれども日本のメディアが堂々論じているのはなかなか見かけないところに、付和雷同して弱きをくじく体質が見て取れる。ってことを一人「クーリエ・ジャポン」が頑張ったところで世間は気にもしないし、メディアにいたってはまるで省みもしないんだろーなー。向かう地平のまったき暗さよ。合掌。

 なるほど170万本か120億円もいったのか「.hack」プロジェクト。02年なんて既に記憶の彼方に置き去られた時に発表となったゲームとアニメーションの連携プロジェクト。バンダイがオリジナルのコンテンツを育てたいってことで企画し立ち上げたもので、オンラインゲームの世界を舞台にリアルワールドにいる人間がバーチャルワールドに巻き込まれてあれこれ不思議な経験をするっていった感じの内容を、オンラインゲームではないパッケージソフトの中で見せつつ一方ではそーした内容を持ったテレビアニメーションも放映して、リアルとバーチャルが交錯する不思議さをさらにモニターのこちら側から見るとゆー、不思議な経験をさせてくれた。

 そんな「.hack」が装いもあらたに「.hack//G.U.」として今年春に大復活。今回もやっぱりテレビアニメが先行して、それからゲームの発売になるらしーけど前作とは違って世界も登場人物も同じにして、内容もおそらくは連携させてひとつを買った人がもうひとつも買わなくちゃって気にさせよーとしている。前作の時はDVDこそ買わなかったけどアニメはテレビで結構見た。でもゲームは別に欲しいとも思わなかった。今回はテレビのアニメが気に入れば、ゲームもやってみなくちゃって思いそー。でもたぶんやらない。「プレイステーション2」動かないんだよ今の我が家じゃ、何せ最初のバージョンなんで、埃でドライブが固まっちゃって。

 アニメ自体は4月から放映で時間帯は水曜深夜の1時半だから「かしまし」の後? あの何ともほんわかとしてふんわりとした世界観のあとに結構ハードそうな「.hack//roots」ってアニメが来るのか。ユルんだ頭には相当な刺激になりそー。ゲームは5月からで9月と12月に続編が出て全3巻で完結とか。ただし最初の1巻に同梱のディスクにかけられているプロテクトが、2作目、3作目と進んでいくにつれて解かれて新たなコンテンツが見られるよーになるとかで、トータルでは全4作分のボリュームがあって、それも前作を何倍も上回るスケールになっているとのこと。これではプレイし終わったからといって中古屋に売れないね。そーゆーことを考えての戦略ってことなのか。

 キャラクターは貞本義行さんが担当していて、前作のテイストも踏まえつつ新しいキャラを描いている。アニメは前作と同じ真下耕一さんが監督だからやっぱりテイストも踏襲かな。今回のプロジェクトスタートに関連して、最初の「.hack//SIGN」のDVDボックスが出るそーで、ゲームに同梱だったOVAも入ったバージョンになるとかでちょっと欲しいかも。ラジオ番組も始まるし雑誌なんかすでに角川書店から専門誌が登場しているくらいで規模としては相当大きなプロジェクトになりそー。

 ナムコと統合してバンダイナムコゲームスになってからのタイトルってことでもあるし、人数では1650人対50人って少数派のバンダイ上がりが、存在感を見せつける上でも頑張って欲しいってところかな。しかし始めて知ったよ「.hack」がライバル視していたのが「ゼノサーガ」だったって。数じゃ圧倒的に「ゼノサーガ」だったけど、今回のプロジェクトが始まればトータルでは逆転になるのかな。ならないためにも生き返れ「ゼノサーガ」。

半分タールのパンダが勢揃い。匂いを放ち可愛さを醸すグロかわいい展覧会に行こう!  折角だからと銀座にある「ギンザ・グラフィク・ギャラリー」で始まった「野田凪展」を見物に行く。「ハチミツとクローバー」のオープニングで得たいのしれないオブジェを作っていた人で、他にもキッチュでグロテスクなオブジェを作ったりしているけれど、本業はグラフィックデザイナーで会場にはそんな野田さんが手がけた「NIKE」とかYUKIちゃん関連のグラフィック仕事が飾られていて、当たり前じゃない感性を爆発させつつ見て嫌悪感を抱かない範囲にまとめて見せる才能にい簡単する。胴体だけが太めになって頭の小さい「NIKE」のポスターなんて、不思議な居心地にさせてくれるんだよなあ、見ていると。

 そんなお仕事だけじゃなくって作品もちゃんと展示してあるのが「野田凪展」。巨大なパンダの着ぐるみにさまざまなデコレーションを施した作品が、それほど広くない会場に「バディベア」よろしく屹立している様はとにかく圧巻。中にコールタールかゴムかなにかを半身にだけ塗りたくった作品もあって、当てられたスポットによって熱せられて漂うタール臭さゴム臭さが、見た目には明るくて華やかな会場にどこか居心地の危うさを与えていて、その絢爛さに溺れよーとする気持ちに釘を差す。なるほど素晴らしい。

 入り口には小型のパンダのぬいぐるみがあってそれにも半分だけタールか何かが塗られていて、見た目にキッチュでグロテスク。だけど可愛い不思議なビジュアル。売っているそーだけどきっと高いんであきらめて、前に六本木ヒルズで開かれたハローキティをベースにアーティストたちがコラボした作品展で売られていたっぽい、キティ調の野田凪パンダのぬいぐるみを購入する。あの時に買い逃した人にはチャンスかも。本当にお金のある人は巨大なタールパンダを買って部屋に飾ってみては如何。くすぐられる鼻孔にきっと不思議な朝を迎えられるから。のし掛かられたら死ぬけどね。


【2月5日】 「ミュンヘン」を見た場末感漂う封切り館で流れた予告編では「県庁の星」の出来がまずまずっぽい。原作の杓子定規な公務員のウザったさと分かりやすすぎる展開も、織田裕二が演じることでそれなりな見物となっているから一般の人には感動を招いてヒットしそー。でもやっぱり「図書館戦争」(有川浩、メディアワークス)の方をさっさと映画化して欲しいなあ。本届いた。良い装丁。「ナルニア国物語」はCGが凄い。ってかどこまでCGか分からない。ライオンはCG? ケンタウルスはCG? 主人公までCGならもはや人間はいらなくなる。SFの世界はすでに過去なり。

 「ガメラ 小さき勇者たち」はトラックで輸送されるガメラがCG、な訳ないか。くっきり。造型の跡が。物語事態は「妖怪大戦争」見たく子供の前向きさでもって感動は与えてくれそうなんで、子供連れの親はゴー。特撮ファンは……行って考えるしかなさそー。例のタカラの「ウォーキービッツ」の「ガメラ 小さき勇者たちバージョン」ってもう売ってるの? ほかに流れてたのは「ポセイドン」。怪鳥ロプロスが空を飛んでロデムが変身する中でひとり海を行く巨人の話。ではなく船が沈没する話。主演はジーン・ハックマン……ではないな、それだと「ポセイドン・アドベンチャー」とおんなじだ。しかしリメイク。内容は確実だから見て悪い映画にはならないだろーけど、新しいアイディアがそれだけ生まれないか生まれさせてくれない状況に、ハリウッドも陥っているのかなあ。次は「タワーリング・インフェルノ」を是非に。スティーブ・マックイーンの役を今やるならやっぱりトム・クルーズ? それともCGで本人が再び?

 目覚めると室外の湯沸かし器が凍ってお湯が出なくなるくらいの大寒波。その寒さに頭も凍えて寒いやりとりが浮かぶ。「カンパだねえ」「記録的な寒さだねえ」「これがホントのスーパーレコード」。意味が知りたい人は勉強いしょう。「どっか暖かいところに行きたいね」「南のシマノ砂浜なんかでひなたぼっこをしたいねえ」「太陽を追って」「サンツアーとしゃれ込みたいねえ」。サンツアーがもはや死語か。「でもって夜は肝試し」「ユーレーとか出たりして」。ユーレーもすっかり見なくなったなあ。80年頃ですら既に見かけなくなっていたけど。サンプレックスは頃が悪いから除外だ。

 外に出ると霜柱。水たまりには氷が張ってて寒波の凄まじさに更なるやりとりが浮かぶ。「カンパ到来だねえ」「春の訪れにもブレーキだねえ」。カンパが何かはだから調べて考えよう。「夕べなんで布団から体半分はみ出して凍えたよ」「サイドプルプルだ」。「これで下半分が出ていたら」「太股のセンターがプルプルで」「マファックに使えなくなっちゃうところだった」。マファックってまだ有るのかなあ。高校の通学に使ってた奴にはこれのギドネットレバーを着けていたんだよ、デルリン製じゃなくって昔の軽合金製の奴。盗まれちゃったんだよなあ。「でもこれだけ寒いと」「寒いと?「簡単にカンティん(寒天)が出来るよね」。うーんうまくハマらない。ほかにチェンリングのシリーズやらイタリアの会社シリーズやらも考えたけど寒さに吹き飛んだんで誰か知ってる人は続きをどうぞ。

 なんだやっぱりたまたまか。ノルブ師。ガキん頃にお世話係を言いつけられて入った神殿にいたのがまだ人間の形をしていたサクヤちゃん。ほかのおっさんたちが信仰心も堅く手を出さなかったところを若さ故の過ちで、不用意にも声をかけて名を教えたところからサクヤに唯一慕われる身の上になっていく。はじめて見た動く存在を親だと思いこむ鳥みたいだねサクヤちゃん。おっさんが優しく声をかけたらそいつの者になっていたのか。偶然性のあまりに高いそんな行きかがりから発生している今回のエウレカとレントンの新米ペア誕生へと至るってところに、「交響詩篇エウレカセブン」にあふれるライブ感覚の一端も伺える。

 額のひきつった部分は直さなかったけど、髪型だけはなぜかちょっぴりミドルになってて大人びた感じも出てきたエウレカ。対するレントンは相変わらずに直情径行が直っておらずこの先現れる事象にいちいち突っかかっては見る人にこの期に及んでの苛々感を与えてくれそー。それもまた若さを描く「エウレカセブン」ならではってことで。次回は迫る空軍との戦闘が始まり壮絶な絵が期待できそー。その後に果たして待っているのはどんなエンディングなのか。アドロックの行方はちゃんと明らかになるのか。それよりスタート時点でレントンがリポートを書いていた相手の「姉さん」はちゃんと出てくるのか。あのリポートってすべてが終わった後に書かれた手記って感じだったよなあ。ってことはレントンはちゃんとこの世に生き残る? 考えてないっぽい方に1ニルヴァーシュ。

 ヒンギスの優勝を讃えどん底からの再生を日本経済になぞらえ「企業経営者に勇気」だの「日本経済に励み」だのと持ち上げていた新聞があったけど、決勝戦ではディメンティエワ選手を相手に2−6、0−6のストレート負け。これを取り上げ「日本企業も最後は失速」「夢うち砕いたロートルの冷や水」だのと誹る記事は流石に掲載しないで逃げた模様。中途半端だねえ。けどでも前日には圧倒的な集中力でシャラポワ選手を左右に揺さぶり勝利を遂げたヒンギス選手が、決勝では逆に揺さぶられる展開となって自滅気味。まあとりあえず世界4位に勝ってランキングも開幕前の117位からアップすることは確実で、今は具合を見ながら調整をして続く全仏オープンあたりのシングルス上位4傑なりを奪取して来るんだろー。そうなる前に契約しておくか、日本のどっかの企業。

 なななななんと1300体。15体が1セットなら86倍とかになる雛人形が「鴻巣びっくり雛祭り」ってのに出品されるそーで開幕を前日に控えてボランティアによる飾り付けが行われたとか。26段もあって見上げれば6メートル近い高さ。鴻巣市役所の吹き抜けから見下ろすくらいのビッグスケールに、鴻巣中の女の子たちに届く幸せも半端じゃなさそー。ただし問題は祭りの終わった後。片づけが遅れればそれだけ婚期も遅れるってゆー伝説を鑑みれば1300体あっても即座に片づけなくっちゃいけないんだけど、ボランティアを動員して果たして一晩で片づけきれるのか。片づけられない場合はサイズがサイズだけに鴻巣中の女の子が行き遅れになる可能性もあったりして。そんな女の子たちを狙って行き遅れまくってる男たちが秋葉原から京浜東北線・高崎線と乗り継ぎ大量流入する恐れあり。警告。


【2月4日】 リアルタイムで見たかというと実はあんまり定かじゃない。それより数ヶ月前の連合赤軍による浅間山荘の立てこもり事件は、テレビで結構な時間放映されてて既に名古屋市内へと越して来て済んでた家で見ていた記憶がちゃんとある。同じ頃に開催されてた「札幌オリンピック」の記憶も合わせて頭に擦り込まれている。

 けれども夏季の「ミュンヘン五輪」となると果たして何がどこで行われていて、誰がどう戦ったのかをあんまり覚えていない。バレーボール? 体操? うーんそっちは「モントリオール五輪」の方が記憶に深い。水泳で田口信教選手の競泳100メートル平泳ぎ金メダルだけは何故か覚えてる。田口って名字が同じ学級にいて気になる女の子と同じ名字だったから、かなあ。どっちにしたって小学校低学年の頃の話だ。女の子の顔なんてもはや全然覚えていない。消息も聞かない。聞いてどうなるってものでもないけれど。

 だからその「ミュンヘン五輪」でイスラエルの選手団がパレスチナゲリラに襲撃されて11人の選手が命を落とした「ミュンヘン事件」についても、リアルタイムで見入っていたという記憶がない。新聞を読む年じゃないし、テレビに見入る習慣もない。遠く離れたミュンヘンとの時差を考えれば向こうの昼間は日本の夜中。生中継ですべて伝えられた「浅間山荘事件」ほどには、情報を浴びなかったってこともあるんだろう。

 だから「ミュンヘン事件」についての詳述は、数年経ってから家に転がっていた子供向けの「少年朝日年鑑」か何かで知った。そんなこともあったんだと教えられた。この本にはほかに同和問題だとか、環境問題だとか石油問題(オイルショックの後に刊行されたものらしい)についても分かりやすい文章と、それなりな情報量で紹介されてて小学生にもとっても勉強になった。今出ている「知恵蔵」とやらよりも役に立つ年鑑だったよーな気もする。今も出ているのかなあ。出ていないよなあ。看板でもあった「朝日ジャーナル」を廃し「科学朝日」も止め今また「ASAHIパソコン」を休刊にするくらいだし。

 だからまあ、「ミュンヘン事件」事態のおおよその概略は知ってはいたんだけど、その事件の後にもあれやこれや尾を引く事態があったんだってことは実はあんまり知らずにいた。本とか出ていたみたいだけどあんまり興味もなかったた。事件後に同胞を殺されたイスラエル政府が密かに暗殺団を仕立ててテロを起こした”黒い九月”の面々を、ひとりまたひとりと殺害していったってゆー、その事態を映画にしたのがスティーブン・スピルバーグの新作「ミュンヘン」だ。決してサッカーの「バイエルン・ミュンヘン」が本拠地を置くスタジアムに乱入して来たテロリストを、オリバー・カーンが1人で叩きのめす映画ではない。

 「SPA!」じゃあ中原昌也さんが手放しの讃えようで、暗くて重いが絶対見ておけって書いていたからどれほどのものかと見に行った。場所は上野の西郷さんの銅像を真上に臨む場末感漂う地下の映画館。今時自由席で画面も小さく果たして映画の感動が伝わるのかって心配したけど、結論から言えばそれで十分。もとより迫力とか楽しむもんじゃない映画なんで、かえってドラマへと気持ちを集中されられる。んじゃそのドラマはというと……ふつうだった。別に暗くない。重くもない。

 よーするに因果応報って奴。一家を成す組が次を任せようと可愛がっていた若を抗争している組の鉄砲玉に殺られてぶち斬れ、親父の組長がカチ込みの首謀者のタマぁとってこんかいと若い衆を集め鉄砲玉に仕立てて送り込むって話。けど鉄砲玉がヤワな大学出のインテリだったのだから、消す相手にも家族とかいるんだ、うちの組だって結構ヤバいことやってんじゃんと悩んじゃって大変。それでも始めは仁義だからと励んでいたけれど、程なくしてバレて相手の組から逆に鉄砲玉を送り込まれ、いつタマを取られるんじゃないかとびくびくしながら余生を送る羽目となる。

 殺ったら殺られるって因果応報の理を見せて諭す。日本じゃヤクザ映画にお馴染みな展開で戦国時代をテーマに下克上の乱世を生きる武将達の物語、あるいはその下で働く忍者達の物語にも見受けられるストーリーな訳で、見てもそんなことは先刻承知って気分がまずは先に湧く。世界貿易センタービルが引きで映る場面なんかをさもありなんと出しているけど、それってつまりはあの事件の根っこの方には、ミュンヘンがあるんだよって示唆でしょ? そんなことは事件が起きた時に誰だって考えたこと。問題はそれでも踏みとどまれずに攻め入り不幸を生み出し不幸を生み返される連鎖の中を今も世界は突き進んでいる。

 映画になんかされなくたって分かってる。あるいは映画にされたところで世の中変わらない。そう思っている人も多いしスピルバーグ監督だって気づいているんだろーけれど、それでも敢えて映画にしては大資本の元で全世界的に公開して見せるのは何なんだろう。こーやって映画ってリーチの長い媒体でもって分からせてやらないと、気づかない人が超大国には多いってことなんだろーか。あるいはそーなのかもしれないなあ、あの国を先進国だと思ってはきっと間違う。大部分が善良なる田舎なんだから。

 一方で都会の暮らす分かっている人たちにとっても、”世界の”スピルバーグが問題化するって所から何かをやっぱり考えざるを得ないんだろー。ヤクザの組の抗争とか、戦国乱世に生きる忍者の非常な生き様ではしょせんはフィクションのレベルで留まってしまって、現実の世界で起こっている国歌レベルでのカチ込み合いを同じ因果応報のやるせなさで感じることはできないんだろー。だから敢えて実話を使い、どちらかといえばイスラエル側の非道さにニュアンスが傾いているストーリーを描いて、自分っちの手にいったい何が染みついているのかを訴えよーとしたんだろー。

 暗さ重たさってゆーのは、映画で繰り広げられている陰惨な出来事がフィクションではなく現実と地続きなんだってことを捉え、そこまで含んで考えた時に覚える感慨、なんだろー。でもってこの映画が作られたからといって、世界が明日にも仲良く手を取り合って進んでいくはずなんてないって諦めから来る虚ろな感情、なんだろー。やりきれない。大ヒットすればそれでも何か変わるのかなあ。変わって欲しいなあ。

 そんなテーマを別にすれば映画は実に深く詳細に暗殺者たちやテロリスト達の日常を描いて楽しく面白い。誰がどこに繋がっているのか分からない謀略の中に足を踏み入れ逃れられなくなって怯え足掻く人間の業って奴がだんだんと浮かび上がって来るところも凄い。出てくるテーブルいっぱいに広げられた料理が旨そう。パレスチナゲリラの要人でターゲットになった男の娘がとっても可愛い。2時間40分あるけど退屈しないで見られる良作。でもやっぱり問題作になって欲しいよなあ。そーでなければ報われないよ。スピルバーグも。ギリシアの路上で射殺されたアラブゲリラも。オランダ女は……お仕事だからこれこそ因果応報か。着痩せするタイプだったんだなあ。

 いやあヒンギス。勝っちまったよシャラポワに。今のランキングでいけば遙かに上のシャラポワ相手にパワー負けせずテクニックで返してのストレート勝ちってのはヒンギス選手、いよいよ再びの本格的なトップ狙いを始めたか。もとより実力は存分にあった訳だけど一時ダベンポート選手とかいったパワー系の選手に押されたのかあんまり勝てなくなって、それに嫌気がさしてすっかり引退状態になっていたんだけど、今年の全豪オープンあたりから完全復帰を成し遂げたとおもったらいきなりの混合ダブルス優勝に、あるいは気まぐれではない本物の復帰もあるのかもって期待も浮かんでいた。

 そして今回のシングルでのシャラポワ撃破。続く決勝でも勝てばいよいよ次は4大大会でのシングルス決勝そして優勝って目も見えてくる。オーレオーレなカフェオレのCMに25歳で出る訳にはいかないだろーけど、大人になって貫禄も出たヒンギス選手をCMに起用する会社もこれでまた出てくるかな。重ねた年齢がどれくらいの影響を及ぼしたか、あるいは及ぼしていないかをタニタの計りで調べてみるってのもありかも。内臓とかまるで変わっていないとしたら凄いぞヒンギス。燃え尽きる選手も多い中で、折れても枯れず再生して来たアスリートの見本として讃えよー。刺激されて復活しないかな伊達君子選手も。あの太い股がまた見たい。


【2月3日】 節分なので太巻きを食らう。3年くらい前まではちょっぴり世の中がその存在を全国的に認知し始めた程度だったけど、今年はどこのコンビニエンスストアも「恵方巻フェア」なるものを展開してはレジ前にパック入りの太巻きを積み上げる始末。「ファミリーマート」なんぞは店員が鬼の胸板を写したTシャツを着て頭に鬼のチリチリした頭を模した鬘を着けて1本角を立てて積極に当たっている。知らない人が見たらいったい何かと思うくらいに派手で且つ見窄らしい扮装だけど、日本人は幼稚園保育園の頃からそんなお手製の鬼を見慣れているから驚かない。

 これが異国から日本へと留学して来て、まずは腹ごしらえとコンビニに入った外国人が、そこに異形の鬼を見たらいったいどんな振る舞いに出ることやら。出たな悪魔めとか言って懐よりお札を取り出し呪文を唱えて剣を抜いて飛びかかったりして。コンビニ店員殺害事件。悪魔かと思ったと神学生。ごめんなさい外国の人。日本の常識は世界の非常識なのです。3月の雛祭りには男は冠衣束帯のお内裏様、女は十二単のお雛様な扮装でレジとか売っているのかなあ。

 エルスちゃんの末路は予想どーり。何か先週あたりから様子がおかしかったけどやっぱり……だったとは。ともあれ友情なんて祖先の代より注ぎ込まれた信教の念にかかれば紙よりもろいってことだよね。友情が恋情よりもろすぎなのが当たり前。アリカの”おじさま”の正体を知ってニナがぶち切れになるのは予想どーりで、加えて”漆黒の金剛石”なる宝玉を得たニナと”蒼天の青玉”を持つアリカとゆー、核兵器級オトメの激突でミントブルームは火球に包まれ崩壊の途へ。彷徨うガルデローベのご一行を迎えてエアリーズを舞台に次週、ユキノ大統領とハルカちゃんも交えた反抗が始まるど派手な展開が期待できそー。

 他のオトメたちのマテリアライズがマイスターなシズルにナツキも含めて利かなくなった中でアリカとニナの活動が可能だったのは、それぞれの宝玉が真祖様と同等だったからなのか何なのか。つか”漆黒の金剛石”って略せば”黒ダイヤ”、つまりは石炭な訳で石炭を耳に着けてキスされるだけで変身できるんだったら、今頃夕張とか三池の女の子たちはボタ山の上で顔に煤つけながらマテリアライズしてるって。しねえっての。まあ炭素繊維の強靱さから考えればニナのまとったマイスターローブもこれで結構強いのかも。優雅さはないなあ。

 ともあれオープニングでも見せてくれているよーにニナとアリカの対立が浮かび上がってそれぞれにバックも付いて始まる大乱戦。虐めっ娘のヤヨイもどーやらアリカの敵に回るみたいでそんなくんずほぐれつの中を鴇羽舞衣がどう現れて何をするのか、でもってどこへと落ち着いていくのか、残る少ない話数の中で決着が付くことを願いつつ、憂さも濃さを増すこの早春を乗り切ろう。ナオはやっぱり逃げようとしたんだろーなー。奴らしい。彼女もやっぱりオープニングじゃ蜘蛛っぽい柄の独特なローブを纏っているからきっと一緒になって戦うんだろー。そのエグい戦いっぷりにこれまた注目。

 節分なので昼もまるかぶりを食らう。「ファミリーマート」で買ったのが3本入りだっただけの話で残る1本は夜に喰う。全国的に様々な太巻きが食われたらしーけど最大最長なのはどこの誰が食べた奴だったんだろー。こーゆー時にフードファイターな小林尊さんとかジャイアント白田さんとがテレビに出ては太さ15センチで長さ50センチとかある太巻きを、みるみるうちに食べきってくれたら世間もその見た目の異様さに、これはちょっと考え直さなくっちゃいけない風習だって気づくはずなんだけど。あるいは太さは数センチでも長さが10メートルくらいある太巻きをそのまま飲み込んでしまう芸人とか。でもってそのまま口から引っ張り出して見せるとか。やれ。ほっしゃん。鼻から太巻き。

 マルチナ・ヒンギスがオーレオーレやってたのってもう何年前のことになるんだろー。当時はそれがテニス選手の可愛さの標準だなんて思いこんでいたけれど、時が移りヒンギス選手が燃え尽きるよーに表舞台から姿を消したのと入れ替わるよーに、現れその美貌で一気にテニス界の人気の頂点に立ち実力でもWTAランク1位を獲得してしまったマリア・シャラポワ選手の可愛さを見るといかなヒンギス選手といえども霞んでしまう。ましてや同じコートで対戦するとなったら世間はやっぱり見目麗しさでシャラポワ選手をクローズアップしてしまうんだろーなー。4日の「東レ・パン・パシフィック・オープンテニス」。準決勝で新旧の女王が激突する。現場で見られる人は幸せだなあ。耳栓は必要かも。叫びがね。うるさいんだよね。

 対戦って過去にあったんだろーかこの2人。分からないけどちょっと前なら圧倒的にシャラポワの勝利って確信したんだろーけど先週まで開かれていた4大トーナメントの「全豪オープン」で、およそ3年ぶりの復帰を飾ったヒンギス選手がシングルでもそれなりな順位に進み、混合ダブルスは優勝までしまったんだから驚いた。全盛期と比べれば流石に衰えもあるんだろーけど、4大トーナメントで未だに勝てるってことはそれなりな実力は再び備えているんだと見てよさそー。今は4位とやや落とし気味なシャラポワ選手を相手に上り調子のヒンギス選手が買ってしまったら? キヤノンとかきっと大変だろーなー。でもってグリコが再びヒンギス選手を「カフェオーレ」のCMに復帰させると。25歳になって「オーレオーレ」は恥ずかしい?

 しかしシャラポワ選手。激カワイイ。某バッグメーカーにデザイナーとして関わっている関係もあって来日中にそっちの方面にも出没していたシャラポワ選手を間近に(1メートル以内)で見る機会があったんだけど、大きいのは大きいけれどそれでも綺麗。そして愛想も良くってバッグを売ってる女の子たちと一緒に写真に収まっていた。世界的なプレーヤーで稼ぐマネーも半端じゃないのに、パリとかニューヨークとかイタリアのビッグメーカーのバッグじゃなくって、日本の女の子に人気のバッグに深く関わりデザインまでしてしまうシャラポワ選手。ちょっと不思議。

 それが謎といえば謎だけど、つまりはシャラポワ選手も普段はひとりのティーンの女の子、キティちゃんとか好きなブリトニー・スピアーズと同様に”カワイイ”バッグが値段だけ高くても可愛くないブランドのバッグよりも大好きだってことなんだろー。カワイイは世界の合い言葉。狭い日本のオタクを相手にするより世界のカワイイ好きの女の子を相手にするのがこれからのトレンド、なのかなあ、そんな可愛さが何なのかさっぱり検討も付かないけれど。少なくとも顔のあるカラフルなデイジーではないんだろーなー。最後の恵方巻をまるかぶりして夕飯。お腹いっぱい。これで厄も彼方へとふり祓われた。でもってブーメランのよーに戻ってきては夏のボーナスを苦しめる……。逃げたい。


【2月2日】 ニニの日。ニニって何だ? 知りません。夜に見た「神はサイコロを振らない」はどこの誰よりも立派で見目麗しいメイドが登場。1話を録画せず後は放映を眺め見ていくだけにしようって思っていたけどともさかりえさんのメイド姿を拝める番組は未来永劫においてお宝となるだろーことは確実なんで、録画してない1話も含めたDVDが発売されるのを待って買おう。小林聡美さんに尾美としのりさんの「転校生」ペアに岸辺一徳山本太郎大杉漣に升毅にそれから高橋恵子といった演技巧者の勢揃いしたキャスティングは、それだけで見て学び楽しむだけの価値がある。

 おまけに既に知ってる悲しくも清冽なエンディングへと向かい、10年前から帰還してきた403便の人たちと、迎えた”遺族”の人たちがどうなるかを認識しそこで何を思い考えるのかが明らかになっていくに従って、それぞれが自分にけじめをつけていく様が見られて心を刺激され涙腺を緩めさせられそう。既にして事情を知ってしまったともさかりえさん演じるあっちの達観とも諦念ともつかない立ち居振る舞いに、ジンとさせられ涙が止まらなかったりするし。これが最終回になったら一体日本中でどれだけの涙が流されることになんるだろー? これでもう少し視聴率も上がって本も売れてくれれば日本に今ひとつの素晴らしい作品が生まれたってことで記録と記憶に残り、アイドル起用が全盛なドラマ制作に一石を投じることが出来るんだけどなー。

 朋ちゃんを始めて見たのは今はジェネオンとなったパイオニアLDCが当時飛ぶ鳥を群で落とす勢いだった小室哲哉さんをプロデューサーに迎えて「オルモック」ってレーベルを立ち上げた時に、その最初のアーティストの1人としてデビューさせた発表会だったっけ。場所は神谷町から歩いたラフォーレミュージアム六本木。ビートの利いたサウンドに乗って白い宇宙服っぽい衣装で登場した華原朋美さんが唄った「keep yourself alive」だったっけ? デビュー曲が耳になかなか心地よくって、この人はブレイクするだろーと確信した。

 生憎とこのデビュー曲は大ヒットにはならなかったけど2枚目の「I BELEVE」がミリオンヒットとなって一気に小室ファミリーの稼ぎ頭へ。トップアーティストとなってファンの関心を一身に浴びているさなかの98年に登場したJT「桃の天然水」のCMでは、愛らしい仕草と言葉でもって視聴者の目を釘付けにして、商品を1800万ケースも売る原動力となった。「ヒューヒュー」って声が未だに耳に残っている人も多いはず。じっさいにJTがその後にあれこれ調査したところ、「桃の天然水」と言えば華原さんに「ヒューヒュー」を挙げる人が圧倒的に多いとゆー。そりゃそうだわな。

 その後小室さんとあれこれあってか華原さん、活動の場を狭めてしまいそのままフェードアウトかと思われたところに例の「電波少年」が立ち上がって彼女の全米デビューを後押し。苦労の果てにオーディションに合格するドラマで一躍日本での人気を再燃させた華原さんは、そのまま日本での再デビューとなりバラエティやらドラマやらと以前にも増して活躍の場を広げて現在へと至っている。写真集も出たっけか。まだ見てないけどきっと熟れ熟れなんだろーなー。

 そんなこんなですっかり落ち着きも出た華原さんの人気に今一度、すがろうとゆーか一緒に良い夢を見ようってゆーか、JTが何と再び「桃の天然水」のCMに華原さんを起用するって発表会があったんで見物。味もパッケージも初代を踏襲した「桃の天然水 復刻版」のイメージキャラクターとして登場した華原さんは11年前のデビュー時にも増して貫禄がつき、量感にも溢れてなかなかのもの。おまけにCMで着ている胸の大きく開いたドレスで登場したものだから、前かがみになるとそこには深い谷間が現れ目を眩ませる。すかさず写真を撮るフォトグラファーの人たち。プロだねえ。僕は見とれ見入ってシャッターを切れませんでした。

 CMは昔のいろいろなバージョンを混ぜつつ今の華原さんも登場するって感じで「懐かしさと新しさが重なったCM。自分の思い出を重ねて見てくださいね」ってファンに向かって呼びかけたりして、すっかり大人の余裕って奴を見せてくれた。何を言うか分からない時代の朋ちゃんじゃないんだよ。CMの歌も唄っているみたいで詳しくは聞いてないけど今の31歳って年齢ならではの深みと、それからデビュー時より定評のあった透明感が合わさった、サーティーズ華原ならではの曲に仕上がっているって言えそう。7日から放映だそーで見れば今再びの「ヒューヒュー」に「ももてん」を飲みたくなる人が大挙発生しそー。

 思い出は消えてしまうものなのか。消してしまわなくてはいけないものなのか。そんなことはないと、思いたいけど思っていられない程に世界は厳しくて夢なんて抱いてはいられない。楽しかった思い出は薄れ埋もれてそしていつか永遠に失われてしまい、思い出の中で見えた勇者も乙女も泡と消え、二度と蘇ることはない。それが理。だけど。それが大人になることだとしたら、ちょっと寂しすぎる。思い出の中で遊んだ勇者や乙女たちに申し訳なさも募る。だったら思い出せば良い。思い続ければ良いんだと矢治哲典さんの「ワンダフル・ワンダリング・サーガ」(ファミ通文庫、560円)が教えてくれる。

 高卒で菓子メーカーに就職して2年。明日も営業という日にふと聞こえた声に誘われ気が付くと鈴木正晴はジャングルの中を歩いていた。そこに現れたのが空手着を来たクマに乗ってランドセルをしょった女の子のピヨリ。「あなたは勇者なのです」と言って正晴を導き冒険の旅へと向かう。ランドセルから大根を抜き出し斬って煮ては勇者に食べさせる女の子。途中で幼なじみだった夢見までもが異世界へと誘われ正晴たちといっしょに世界を救う旅を始める。そしてたどりついた世界の中心で知った真実。その向こうには夢を夢のまま抱き続けられない大人の世界の哀しさが見えて来る。

 だからといって忘れてしまえばすべて終わる訳ではない。終わって良いはずがない。嬉しそうな表情で歌を唄いながら大根を切り煮て食べさせてくれるピヨリ。美味しそうにお菓子を食べてくれるピヨリのそんな表情を刻みつけることで、忘れていた夢を抱いて歩き続ける楽しさを正晴は改めて知ることができた。夢を捨てて大人になってルーティンワークの毎日を惰性で過ごしている人たちに、すべてが驚きと楽しさに溢れていた頃を思い出させてくれる物語。そんな思い出を今再び抱いて進む力を与えてくれる物語。驚きの設定はないけれど、読むとなぜかほろりとさせられる。ファミ通えんため大賞の佳作を受賞した作品。このテイストを、このメッセージ性を持った作品がまた読みたいなあ。次作はいつ出るのかなあ。出ないんだよなあ。このレーベル。


【2月1日】 外も薄くなったが内も薄くなっていた模様で、3人が作っていた分量を2人で組まなくちゃいけないとあって原稿集めに四苦八苦。おまけに午前中は書き手と言えどもご用聞きに回れとのお達しもあって、誰も捕まらずただでさえ早い締め切り時間に間に合う原稿がまるで来ず、無為の時間を過ごした果てに真っ白な紙面が迫る悪夢に胃をやられ、そして場が引けた午後3時以降に集中するニュースを、集めさばいて割り付けていくプレッシャーに押しつぶされるといった具合に、1日のうちに地獄が何度も到来する職種が発生したみたい。

 始まって早々にこれではさらに多忙を極める年度末なり決算シーズンには、死人だって出かねない状況が訪れそうだけどそうなると事前に誰もが分かっていながら、反論をせず諾々と受け入れたんだから、内の人たちはある程度は自業自得って言えるのかも。諾々と従い死に向かう奴らに同情なんかするものか。けどでも新しく内に加わった人たちは大変だなあ。慣れない上に干されそれから溺れさせられる繰り返し。それで日本を代表する存在に勝てって? 河童が臍で茶をわかすぜってんだ。まず保たないなあ、あと何ヶ月も。このままだと。

 セレブ婚の次は癒し婚? 日産財閥の創設者とゆー御先祖様を持ってセレブだ御曹司だと持てはやされた人と結婚してはとっとと離婚して、その行動力の凄まじさに言動の華々しさが世間の耳目を集めた杉田かおるさんだったけど、バツいちな上に40歳も超えてもはや新しい出会いなんてあり得ないかと思っていたところに、インターネットで男女のマッチングを行っているマッチ・ドット・コムが立ち上がって杉田さんに新しい出会いをプレゼント。バレンタインデーにどんなデートを杉田さんとしたいかを、書いて応募すると、その中から杉田さんが気に入ったプランを選んでくれるとゆー趣向。これは面白い。

 セレブだって袖にし、後から罵倒すらする恐女に誰が応募するんだろうって心配しもあったけど、そこはかつてのチー坊だけあり金八先生での出演も心に留めた人も多いのか、1500通とゆー応募が殺到しては杉田さんに、愛の言葉を愛を著すプランを提案してみせた。そんな中から最終候補に残った3人を順に見ていく杉田さん。最初に出てきたコンサルティング会社の社長とやらには「ヒルズ族?」って言葉を発し、セレブ婚で味噌を着けた人ならではの疑念を挟んで眉を潜める。

 最後の1人となった人もプロフィールが「一級建築士」となっているのを見て「大丈夫?」ってこれまた訝しげな表情。半年前だったらセレブに並ぶエリート資格だったんだけど、例の耐震偽装問題で一級建築士が話題の中心になっていることもあって、この人が何をどう建築しているの? って心配も浮かんだのも当然か。そんな2人のいかにもセレブでエリートな感じとは対照的だったのが2人目に紹介された人。熊本県在住で職業は薬用キノコの栽培。提案したプランはラフティングってライフジャケットを着て急流を下るスポーツで、セレブでエリートなイメージとはまるで正反対にある。

 けどでも杉田さんが選んだのはこの御仁。疲れた都会での有名人に囲まれ芸能マスコミに追われる生活に「自然の中で癒されたかった」と思っていた杉田さんの、気持ちを見事に貫いたってことなんだろー。もちろんこのプランがそのまま実行に移されるかどーかは今後の交渉次第。巨大なチョコレートを贈って応募への感謝を示した杉田さんだったけど、ここから先。酸いも甘いも知り尽くした杉田さんの硬く疑念に覆われた心を溶かして熊本の地へと導けるのか。お手並み拝見と行きましょう。こんな発表のテレビカメラを10台近く集め芸能リポーターも呼び込んでマッチ・ドット・コムのPR戦略も大成功。良い企画者が付いているなあ。打てばまるで響かず逆に衰退を招く企画ばかりを立てる誰かに勉強に行かせたい。誰かってのは秘密だ。

 もう11回目なのか「AMDアワード」。その昔に立ち上がったマルチメディア・タイトル制作者連盟が名を変え今に続いているデジタルメディア協会が実施している表彰式だけど、それ以前からあって通産省から経済産業省へと変わった役所の所管する「マルチメディアグランプリ」、今の「デジタルコンテンツグランプリ」と違うのは、企業ではなくコンテンツの制作者その人を表彰するって所。故に映画ならプロデューサーではなく監督が取りゲームも企業ではなく開発者が受賞するといった具合に、作り手の励みになる賞としてそれなりの認知度を上げてきた。立ち上げたのがシナジー幾何学にデジタローグにボイジャーといった、業界ではマイナーながらも勝れたデジタルコンテンツを作っていた会社の人たちだったからだけど、それも回を重ね団体がデジタルメディア協会となり総務省との関係をより強固なものとし始めた今、変貌を遂げつつあるみたい。

 何しろ今回の対象の受賞者はUSENのインターネット放送「GYAO」。なるほどネットとテレビの融合を実現したプラットフォームではあるけれど、それ事態はあくまでもメディアであってコンテンツ制作者とはちょっと違う。受賞すべきはそこに流されている映画なりアニメなり番組といったコンテンツであるはずなのに、何故かプラットフォーム全体が受賞し受賞者も社長の宇野康秀さんになっていた。技術賞だか特別賞だかをグーグルマップやらグーグルデスクトップといったコンテンツを自在に操る技術なり、ラジオを時間の束縛から解放した「ポッドキャスト」が受賞するのは分かる。それはデジタルコンテンツを支える技術であり、デジタルコンテンツの使い勝手を向上させた特別なものだから。

 でもデジタルコンテンツの制作者を讃える賞の頂点が、「GYAO」ってゆーのはどーなんだろー、やっぱりちょっぴり違和感を覚えてしまう。アメリカのアカデミー賞の作品賞に映画作品ではなくちょっと新しいシネマコンプレックスが挙げられたって感じ? あるいは日本レコード大賞に番組としての「ミュージック・ステーション」が輝いたって言うか。まあ名前がデジタルメディア協会と代わり時代もIT時代へと移り変わった今、デジタルコンテンツの制作者にこだわるよりももっと大きな意味で、デジタルコンテンツを支えるインフラなりプラットフォームも含めて検討し、賞を与えることを妥当とする風潮になっているのかも。

 立ち上げた面々の業界の中でそれなりの大立て者になり、日本のコンテンツ制作を左右するくらいの発言権を持つようになって来た。そんな面々を要している賞を、ただのクリエーター表彰にしておくのはもったいない、”敵”の経済産業省が実施している「デジタルコンテンツグランプリ」に立ち向かえる、コンテンツ産業を振興する賞にしたいって思惑でもあったのかもしれない。

 もちろん当初にデジタルコンテンツ作りの苦労を分かち合い、讃え合おうと思い立ち上げた人たちの中には、この変貌に対してなかなかに微妙な感情を抱いている人もいるだろー。そんな後ろめたさでもあったんだろーか、今回からデジタローグを創業してAMDの立ち上げにもAMDアワードの創設にも大きく関わった江並直美さんの名を冠した、新しいコンテンツのクリエーターを讃える賞が作られて、ネットで一風変わったFLASHを作っている人に贈られた。

 その意志や良し。けどでもやっぱり江並さんがむしろ旗のグランプリフラッグに込めた、企業に立ち向かい屹立していく制作者を讃えたいんだって思いをはやっぱり、コンテンツのクリエーター本人に受け継いでいってもらいたい。来年にどんな人が受賞するのかは分からないけど、せめて映画監督なり、ゲーム制作者なりが壇上に挙がり「GYAO」からグランプリフラッグを奪取して、クリエーターの維持って奴をみせてやって欲しいもの。立てよクリエーター。

この2人が共に功労者として並び立つ。不思議な賞だAMDアワード  場内を散策していろいろな人を見物。ガイナックスから武田さんが来ていたりバンダイから鵜野沢さんが来ていたりして、元バンダイの山科誠さんもAMDの理事長としていて歓談している姿を見て、時代が10数年前へと一気に遡り1本のアニメーション映画が浮かび上がる。その映画を大好きだった人は今、囲いの中。その人の名前とともに散々っぱら喧伝された会社の名前を最初に作り引っ張った人も、今は林檎な会社の偉い人として来場していて人間の人生の紆余曲折栄枯盛衰って奴を深く味わう。経済産業省の優秀賞に続いてAMDアワードでは功労賞を受賞した富野由悠季監督も登場。結構陽気そうで今またノリにのってる感じが伝わってくる。

 その富野さんといっしょに功労賞を受賞したのが村上隆さん。どこがデジタルなんだ? って違和感は確かにあって、なるほどルイ・ヴィトンといっしょにデジタルも使われたアニメを作ったけれどあれは細田守さんの作品な訳で、村上さんはどちらかといえばプロデューサーの立場で関わっていた。なおかつ他の作品は絵画にしてもフィギュアにしても大半がアナログで、デジタルコンテンツの発展に貢献した人だって言われると大いに疑問が浮かぶ。ナムジュン・パイクの芳がはるかに貢献しているんじゃなかろうか。

 まあそこはそれ、変質から拡散を辿るAMDアワードだけあって、日本のコンテンツを世界に広げたいと目論む主催者と後援の総務省のお眼鏡に、日本の漫画やアニメといったコンテンツを美術の文脈に載せ語り海外に持って言ってる村上さんは、まさしくうってつけの功労者って映ったんだろー。国も認めた紹介者としてこれからも、日本のアニメや漫画をどんどんと持っていってやって下さいな。僕はそんな村上さんのハイセンスなお眼鏡から外れているけど、下卑てたり通俗だったりして且つ面白い作品を探して読んだり見たりするから。


日刊リウイチへ戻る
リウイチのホームページへ戻る