縮刷版2006年1月上旬号


【1月10日】 えっと、まあ良いんじゃないでしょーか「練馬大根ブラザーズ」。ある意味で頂点を極めた「はれときどきぶた」の後でやった「へっぽこ実験アニメ エクセルサーガ」が原作をとてつもなく改編していて悩ましかった上に「ルパン三世」のTVスペシャルもやっぱり苦衷を味わわされた記憶が残っているだけに、ワタナベシンイチさんがどこまでテレビに即した話しを作り上げてくるのか心配だったけど、かつて「歌う大竜宮城」でテレビにおけるミュージカルに、挑んで世間をあっと言わせた浦沢義雄さんを脚本に迎え、見てそれなりなものを作り上げて来たところは流石に才能って奴か。

 近藤高光さんの動いて目立つキャラをテンションも高く動かしているのも見て目に気まずさを可にさせない理由のひとつ。大根にも並ぶ女の子の太い大腿部が跳ね上がったりするシーンが現れる度に目は画面へと釘付けになってしまう。うーんマコちゃん可愛いぞ。「スペースコブラ」の劇場版以来? かどーかはともかく松崎しげるさんの声はキャラクターにピッタリで歌は本業だけあってバッチリ。マコちゃん役の松本彩乃さんは……マコちゃんが可愛いから巧くてもそうでなくてもどっちでも良いや。

 もしかしてギャル狙いか「月刊アニメージュ」。2カ月ほど買わなかった間に編集長だった大野修一さんが「スーパーバイザー」になってたりして仰天したけど、そのせいなのか2006年2月号は表紙が「ガンダム」でもなく「エウレカセブン」でもなく「ゲド戦記」ですらなく「NANA」。そうあの矢沢あいさん原作で実写映画にもなった「NANA」を表紙にフィーチャーし、それもアニメの版権イラストではなく矢沢さん本人によるイラストを持ってくるアニメ誌には前代未聞の作戦でもって「エウレカ」の「アニメージュ」や「舞−乙HiME」の「アニメディア」とは差を付けている。

 普段のアニメ誌が置かれているだろー男性漫画誌とかフィギュア誌模型誌ミリタリー誌なんかがある場所に、「NANA」を好む中高生の女の子がやって来るかが目下のところ不明だけど、見つけてさえもらえれば興味を引くだろーことは絶対的で、そこで手に取り中を開いて(紐で縛ってある店が多いけど)キラ・ヤマトとラクス・クラインのピンナップを眼にした上で、見開きになって見つめ合う大崎ナナと小松奈々の2人の「ナナ」のセル調になった版権イラストを、見て情報を読めばちょっとは雑誌を買ってみたくなるだろー。

 次のページでも少女漫画の「桜蘭高校ホスト部」のアニメ情報を紹介し、さらにその次のページでCLAMPさん原作で映画にもなった「×××HOLiC」のテレビアニメ情報を載せて妖艶な壱原侑子の版権イラストを見開きでどーんと掲載し、なおも続けてやっぱりCLAMP原作の「ツバサ・クロニクル」の第2期情報を載せるとゆー、ティーンの女の子読者に配慮していたりする畳みかけ作戦を敢行してみせているところに、「アニメージュ」のアニメ誌における新たなポジションの模索って奴を伺い見る。それが果たして成功するかは、やっぱりまずは手に取ってもらうことと、それから来月以降も同様の記事を掲載し続けることだけど、一方で従来の男の子やら大きな男の子が引いてしまう可能性もあるだけにバランスの配慮が難しい。それともそっちは切り捨て一気に舵を傾けるか? 「今日からマ王!」の特集ってあたりにそっちの可能性の強さを見るんだけど、さてはて。

 しかしなるほどこれでは「イコノクラスト」のイラストなんで描いている時間がないはずだよokamaさん。例の「電車男」のテレビ版でオープニングアニメに登場したキャラクターの「ミーナ」を主演にしたOVA「月面兎兵器ミーナ」でキャラクター原案をして版権イラストも寄せている上に4月から放映の「ひまわりっ!」ってアニメでもキャラ原案とプロダクションデザインをokamaさんが担当してやっぱり版権イラストを寄稿。それだけに留まらず企画進行中らしい「ガラスの艦隊」ってアニメでもキャラデザインの原案を担当していたりする。

 「ミーナ」についてはオープニングアニメ程度の動きだったら見る価値ゼロ以下だけど、時間も使ってOVAで作って来る以上はそれなりなものに仕上げて来ると期待し、そこでokamaさんのテイストがどこまで出るのかに興味津々。「ひまわりっ!」の方では猫耳風だったり眼鏡だったりする女の子にその独特なタッチが現れそーだけど、実際にキャラクターデザインをするきしもとせいじさんの色も入るんで作品となた場合のテイストは現時点では不明。むしろプロダクションデザインの方に「創聖のアクエリオン」なんかでも見せた独特過ぎるビジョンが現れて来るのかも。期待。

 ほかではレヴィがよりワイルドにエロっちくなってる「BLACK LAGOON」のアニメ版に期待で「アリーテ姫」の淡々とした世界が印象に残った片渕須直さんが対極的なアクションの世界をどう描くのかに興味津々。それから原作の異常過ぎるテンションが爆笑を感涙を誘った「大魔法峠」OVAが原作のあの迫力をどこまで絵によって表現してくれるのかにも注目するところ大。けどでもなによりやっぱり大注目は今敏監督の最新作となる「パプリカ」か。

 「アニメージュ」に掲載された、今さんと安藤雅司さんによるイラストによって描かれた千葉敦子&パプリカの何と怜悧で淫靡なことか。こんなキャラが今さん流の錯綜する物語の中でどんな動きを見せてくれるのか。原作の筒井康隆さんが寄せているコメントだと、コンテが「そのまま映像化されれば、もの凄いものになる」とか。顔写真の額もつやつやとして血色も良い今監督が公開までの期間にどれだけのパワーを注ぎ込んで来るのかを、今さんを超えて広がっていく我が額を叩きながら期待しひたすらに待とう。おや前のページでは「半分の月がのぼる空」の橋本紡さんがインタビューに登場だ。「WOWOW」見られないんだよなあ。DVD買おうっと。


【1月9日】 愛知県だから小牧あたりの基地なり名古屋にある駐屯地を出て小松基地へと配属された若い自衛官の青年が、希望していたF15とかじゃなく海難救助のヘリコプター乗りを命じられて内心は腐っていてもそこは自衛官だけあって、爽やかに居住まいを正して小松へと着任してはマンションの近所で食べる場所を探してファミレスはない、食堂もないと言われコンビニでサンドイッチを買って海へと走り気持ちを切り替えさあ仕事と、赴いた基地で早々に”鬼軍曹”から海難をなめんじゃねえと一発かまされ戸惑う一方で、つき合っている彼女からはすれ違いが多くて相曽を尽かされ始めてる。

 そんな平板で起伏に乏しい内容を実写のドラマではあくどーしてアニメなんかでやるのか分からない「よみがえる空」だけど、でもそこはバンダイビジュアルだけあって「戦闘妖精・雪風」を作った際に航空自衛隊へと取材をし、また航空自衛隊を題材にしたドキュメンタリー映像も作っている実績とノウハウを、活かしつつこれらで掴んだファンに向かってひとつ作品を送り出してやろーと思ったんだろう。だけどやっぱり見ていて平板。キャラクターがとことんリアル系なことも地味さに拍車をかけている。誰が見て喜ぶんだろうか? いたとしてそれはビジネスになり得るくらいにいるんだろうか? 萌えとやらから脱して市場を探る必要に迫られているアニメ界の新たな挑戦が生む成果。見守りたい。しかしやっぱり個人的には実写でやれよ、だなあ。

 読み終えた原稿を詰めて出版社の送り返す段ボール箱を2箱を積んだ車を止めて、少し歩いて20年前に死んだはずの祖父が住む家へと行ったらそこに祖父がいて、折角だから食事に出ようということになったけど足腰が弱っているため車で行こうということになり、その家にある車の鍵を預かり表に出たけど車が見あたらない。近所に止めたのだと考えて少し歩き出した時点で足腰が弱いという祖父の設定が消えているんだけどそこではそのことにあまり気づかない。

 ちょっと歩いたけれど車は見あたらず、家の庭にあったんじゃないかということになって戻ることに決めたけど、それだったら近道をしようと祖父が言い出し、何故か近所に出来ていたゴルフ場のフェンスのスキマから入り込んで、ゴルフ場を突っ切ろうとした所で事件は起こった。フェンス際でシャワーか何かを浴びていた外国人女性が倒れていて側で祖父がドライバー(ゴルフクラブ)を手に持って立っている。向こうの方からは女性の知人らしい男たちか、あるいはゴルフ場の従業員らしい男たちが駆けつけこちらを取り囲み、祖父を犯人扱いして尋問を始める。

 僕は祖父が近隣の土地を広く持っている資産家で、地元の名士であってそんな事件を起こすはずがないと主張するが、外国人たちは聞く耳を持たず引っ立てようとする。これはいけないと推理を働かせて、女性がシャワーを浴び得ていた背後から近づいたのなら祖父の服は濡れているはずなのに濡れていないと訴え、女性の背後の濡れた地面に足跡も残っていないじゃないかと正論を履くと外国人の1人に腕を取られて手の甲を万年筆でつつかれ「シャラップ」と言われる。

 僕は相手の手から万年筆を奪い取って近くにある木に手裏剣よろしく投げて差す。外国人が新しい万年筆を出して手をつつき始めたからそれも奪い取って投げようとすると、高いものだったのか相手はうろたえ「やめて」と言い出したところで目が醒めた。この夢が意味するところがまるで分からないけどそれが夢ってもんだ。フェンス際にシャワーがあるゴルフ場なんてないし、そんな丸見えの場所でシャワーを浴びてる女性ってのも、あり得ないけど夢では時々そうしたものが登場する。

 それでも何とはなしに近くあった出来事なんかから、どうしてそれを見たのかは類推が可能なんだけど、今回ばかりはちょっとお手上げ。どうしてゴルフ場が舞台になたのか。現れたのが何故に外国人だったのか。そして20年前に死んだ祖父が今さら登場したのか。探していた車をカリーナだと思っていた理由は何か。心当たりが皆無で見た理由がまるで分からない。うーん気になる。それとも記憶が溜め込まれていた脳細胞が融けだしてでもいるのだろうか。うーんそれはマズい。困ったなあ。

 ちなみに直前に見たのは新しく登場した「コンビニエンスストア」というところに行列して入る話しなんだけど行った先はどう見ても「KIOSK」で、そこで前の客はビニール合羽を買って保証はないのかと売り子の婆さんに尋ねてる。婆さんは「そういうものはコンビニにはないんだ」と答え「あんまり相手をしていると客が詰まる」と言ってその客を追い払った。これまた意味不明だけど、おそらくは最新号の「AERA」でイトーヨーカ堂とミレニアム・グループの経営統合の記事を読んでいたのが吹き出したんだろー。しかし何故にKIOSKがコンビニに? 夢ってだから面白い。

格好良いぞ、そして強いぞ琴欧州。琴北米に琴阿弗利加を挑ませ大陸世界一を決めてたくなるなあ  家にいると夢に溺れてしまうんで、段ボールをコンビニへと持ち込んで配送以来してから電車に乗ってまずは両国で折り「両国国技館」で大相撲初場所の2日目のチケットを購入。2階席のCは最後列から3列目という土俵が彼方に見える席だけど、元がそんなに大きい訳じゃない国技館なんで相撲取りの姿や顔立ちはそれなりに判別できたりする。「愛知県体育館」の後席の方がむしろ遠いんじゃなかろーか。でもってすぐには入らず池袋で本屋を除いたりして時間を潰してから午後の2時前くらいに再び両国へ。幕下の取り組みが始まる時間帯でここからなら知ってる力士の取り組みも見られるんで午後5時半とかのこれより三役の取り組みまで、飽きずに眺めていられる。

 あれは「ファイナルファンタジー」の映画が劇場で公開された初日に坂口博信さんの挨拶を聞きに劇場へと足を運んだ帰りに寄っていらいだからもう何年? 入り口を抜けるとそこでは「琴欧州」の写真がプリントされたクリアファイルを配ってて、おみやげ屋で売って品物なんかに負けない良い出来で気分はハッピー。入ると中の売店では琴欧州とか朝青龍のフィギュアなんかも売っていたりして、人気力士の引退もあって満員御礼の垂れ幕が下がりにくくなって幾年月、伝統にあぐらをかいていた時代から、サービスもホスピタリティも変えていかないといけないってことを日本相撲協会も、支える業者もいろいろ考えているってことなんだろー。ワイヤレスLANまで導入されているけど、接続はされてもホームページが見られないのはこちらの背亭がおかしいせいか、それとも使えるサービスを制限しているからなのか。

 取り組みはやっぱり高見盛が人気で出てくると歓声が。勝負にも勝って嬉しそうに帰る高見盛に飛ぶかけ声。1人であってもその立ち居振る舞いが注目される力士がいるだけで、場所に行って見たいって思えて来るもので協会もそーした力士を人工的にに創り出すんじゃなく育て上げる必要がありそー。休日なのに国技館は枡席の後ろの方とか椅子席の半分くらいが埋まってなくって寂しい限り。それでも大関琴欧州に横綱朝青龍と話題の力士も増えて来たんで、あとは若さで鳴らす日本人力士とかが出てきてくれれば良いんだけどなあ。誰かいないかなあ。いないなあ。やっぱり外国人力士に頼ることになるのかなあ。

 琴欧州は掴んだらパワーで押し切る相撲で今場所初白星。遠目に見てもすらりと美丈夫でとても力士には見えない体つきなんだけど、かといって安定感がない訳じゃなく細すぎるって訳でもない、全盛期の大関貴ノ花を長身にした頑健さって感じ? とにかく美しくって強い力士。このまま横綱へと突っ走って欲しいけなあ。立ちふさがるべき朝青龍は黒海に敗れて早くも一敗を喫してこれからの展開になかなかの興味を与えてくれる。残る取り組みはきっと勝ち続けるんだろうけれど、全勝なり1敗で並ぶ力士が琴欧州も含めてずらりと並べば優勝の行方も混沌として来て、2週目以降の観客動員に大いに貢献してくれそー。今週末にもまた行こうかな。


【1月8日】 再会の「交響詩篇エウレカセブン」はスタジアムに集まったショボい人数を相手にデューイが演説している様が旧ユーゴっぽい雰囲気。けど狭い場所で深く根付いたプロパガンダはやがて世界をも巻き込み定説として氾濫していくもので、そんな流れに果たして月光号の面々は逆らい反攻して行けるのか。行かなくっちゃ世界は救われないってことでそのあたり、どんな説得力のある展開を見せてくれるのかに注目して見ていこう、ってあと3カ月もないのにどうまとめる気なんだろう、スカルコーラルとの折り合いをつけ人類と異種族との平和って奴を成し遂げるのは容易じゃないのに。

 それは映画館で公開の始まった「銀色の髪のアギト」なんかでも描かれていることで、人類が暴走した植物に追われ文明を衰退させてからかれこれ300年が経過して、よーやく相互の間にコミュニケーションが生まれ初めてさあこれからって感じになっていることでも伺える。アドロック・サーストンが行方不明になってだいたい10年? そんな期間で人類とスカルコーラルとの対話は更に後退しているってゆーのに、デューイを討ちエウレカを前面に押し立て人類が対話を求めたところで相手がすぐに「うん」と頷き人類を受け入れるとは思えない。

 そもそもスカブコーラルの核ってどんな存在なんだ? 知性はあるのか? あるいはそこに融合したアドロックがいて、人類とスカブコーラルとの対話を取り持つのかもしれないけど、それも何だかありがちな展開だからなあ。ボダラクの破壊僧も仲間に引き入れてみた割にはあんまり役に立ってないし。まあ13話あればそれなりな世界観を作れるのが昨今のアニメなんで一気にまとめあげて下さいな。そこにレントンの姉ってのがどう関わるのかにとりあえず興味。まるで出てこなかったらそれはそれで「エウレカ」らしいと納得。

 しかし「銀色の髪のアギト」。またの名を「未来少年アギト」とでも言えば実に素晴らしく内容を説明できるアニメ映画が21世紀に入って公開され、今時の最先端のコンテンツだと事情を知らないメディアに持てはやされる構図の何とも居心地の悪いことか。なるほど絵はすばらしい。動きは流石なクオリティだし俳優さんたちを起用した声にもそれほど違和感はない。ストーリーだって人間が間違いを犯し自然を暴走させてしまった挙げ句に滅びようとしている未来を舞台に、自然との調和を模索し生きようとする人類がいて、自然の流れに逆らい文明を取り戻そうと足掻く人類がいる、その間に過去から人類の将来を左右する鍵をもった少女が眠りを経て蘇るって設定を、若い人ならさほど違和感なく受け入れるだろう。

 けどでもなあ。鍵を握る少女に惚れた少年がもてる力を発揮しさらわれた少女を救いに行っては、そこで文明の復活を目論む男と戦い男が蘇らせた巨大な兵器を打ち壊すってゆー展開は、そのまんま宮崎駿のあの名作TVシリーズを思い出させるてしまう。暴走して人間を脅かす自然もやっぱり宮崎監督の名作アニメ映画の構図と重なる。そーした設定そのものが古い時代からよくあるものだと言えば言えないこともないけれど、同じアニメって土俵でそれを今さらながらに持ち出されても、古い人はなかなか感動を覚えられない。

 もちろんアニメがそんな古手に向けてばかり作られている訳じゃなく、新しい人が新しい時代のスタンダードとして「アギト」を受け入れれば良いだけのこと、なんだけどそれだとお話的にあるいささか無理筋な部分が気に掛かる。だって地球全域を遺伝子操作された植物が覆っているんだぜ。それを滅ぼすんだったらやっぱり遺伝子レベルで対抗していくなり、全地球規模で人間にすら影響の及ぶパワーを繰り出さなくっちゃいけないのに、「アギト」で繰り出される手段は実にミニマム。それで世界を変えられるんだったらツングースに巨大隕石が落下したり、セントヘレンズが山を半分以上吹き飛ばして大噴火したことで世界は激変してるって。

 なるほど温暖化なり寒冷化といった変化は起こったけれど人類も植物もどっちも滅んじゃいない。もしかするとそんな自然の凄さと、対する人類の愚かさ小ささって奴をそこに描き上げようとしたのかもしれないけれど、そんなメッセージが伝わる内容でもなかったしなあ。まあいいや、科学とかあんまり知らない子どもが見て「しぜんはこわいけどたいせつにしなくちゃいけないんだ」って思い抱いて、これからの生を歩んでいってくれるようになれば映画の目的は果たせる訳で、過去に類例がどうとか設定が無理目とかいって粗を探すよりも、伝えたかったことを素直に受け止めることにしよー。いやしかし。でも。うーん。とりあえず軍事国家の副官が、モンスリー的に強くて可愛いらしかったんですべて許す。彼女のための映画だ。あと大杉漣が声をあてたおっさんのパワフルさ。あそこだけ実写にして大杉さんが演じても良かったかも。

 予告編では「北斗の拳」の劇場版が長尺になって登場。気になった宇梶剛士さんのラオウはセリフ回数が増え絵も重なるにつれて違和感も薄れてきた感じ。それよりやっぱり阿部寛さんのケンシロウが完璧以上のハマり具合。あたたたたたたたたっ! の叫び声も本家の神谷明さんをしのぐ迫力で、これなら見て決して違和感に振り回されて映画に没入できないってことはなさそー。絵にはシュウが出てきてサウザーのピラミッドを担ぎ上げていく場面とかが出ていたけれど、物語的にはいったいどの辺りになるんだろー? 大塚英志さんは妙に目の敵にしているんだけど、見て安心のストーリーは古手のファンを集めそうだし、パチスロパチンコで改めて関心を持った人とかが押し寄せればそれなりの客は入るかも。迫る公開にとりあえずは注目。

 映画を見た「シネプレックス幕張」を出て「ガーデンウォーク」にあるアウトレットの「ビルケンシュトック」で靴を買う。先が広くなって足の形にピッタリと来るモカシンタイプの靴で色は赤。歳を喰うと着るもの買うものが地味になりがちだけど、それだとただでさえ厄年で災厄を招きがちな身辺がさらに暗くなるってことで、数年前から派手な色の靴やらセーターを買って身に着けていて、そんな流れにこいつはピッタリと見て即決、購入へと走った次第。2万6000円とか定価じゃする靴が7割引で7500円強とお買い得。歳を喰ってむくみがちな足の形にもピッタリで、普段履いてる真っ赤なメレルのジャングルモックともども重宝しそー。心に難しい映画を見た後だけに良い買い物で気分も晴れ晴れ。


【1月7日】 岩手県立遠野高等学校「全国高校サッカー選手権大会」(大久保嘉人、太ってないか?)を勝ち抜いて準決勝まで駒を進めたと聞いて、きっと誰もが妖怪変化の助力を思い抱いたのではなかろうか。ゴールキーパーを含め11人で守り攻めるのがサッカーのルールだけどそこに実はもう1人、見えない座敷わらしが加わっていて時折ボールを受けては前線にパスを出し、危ない時は戻ってゴール前へと迫ったボールを蹴りだしていたんだけど、何しろ座敷わらしだけにその時は選手がいるなあと分かっても、アナウンサーがいざ解説しようとすると選手の名前が分からず、さらにしばらくするとそんなプレーがあったことすら忘れてしまう。

 録画で見ても同様で見たその瞬間しか見た人の記憶に残らない。けれども確実に行われた座敷わらしのプレーによって、遠野高校は結果的に1人少ないことになる相手を圧倒。加えて遠野に暮らす河童の助力、ミスターピッチと見間違えられることもあるぬり壁ぬりちゃんのゴールふさぎ(透明になっているから見えない)等々、柳田国男のお陰もあってその存在を認められ、信じられることによって力をつけた妖怪たちが遠野高校には付いていて、準決勝の場へと彼らを勝ち上がらせた。でなけりゃ那覇西に東福岡なんてビッグネームを倒し広島観音、立正大松南といった所を相手に勝ち上がることなんて出来るはずがない。那覇にだってシーサーがいるし東福岡には沙原ちょちょ丸率いる中州の河童連合が付いていたんだろうけど、本家・遠野には叶わなかったってことになる。

やはりいた! 河童の力が遠野を国立に導いた! 冬で良かったね中の人(中の人などいない)  けど実際の所はどうなんだろうか、本当に座敷わらしや河童が遠野高校を守っているんだろうかと確かめに行った「国立霞ヶ丘競技場」で僕は見た。頭に皿、背中に甲良を乗せて歩く緑色の妖怪を。もっとひっそりとしてスタンドの影に隠れて試合の成り行きを見守っているかと思ったら、大勢の応援団の中に入って歩き回っては女子高生やら男子高校生と戯れ浮かれる河童が1匹ならず2匹もいては、同じ緑色をした芝の上で走り回る遠野の選手たちににパワーを与えてる。試合中もスタンドの最前列に腰掛け試合をじっと見守っていて、その眼力に気圧されてかこれまた強豪の鹿児島実業も、前半に猛攻を見せながらなかなか遠野のゴールラインを割ることができない。

 1度ならず2度3度とゴールマウスに飛んだボールも軌跡が変わり、キーパーに触れられたりゴールから外れたりして無得点。これこそが座敷わらしのディフェンスだと確信し、これならば遠野が得点を奪われる可能性は低いと思った前半もロスタイム入り直前の時間帯に、鹿児島実業が前線へと蹴り込んだボールが、明らかにディフェンスラインを超えていた鹿児島実業の選手に渡り選手はこれをシュートしネットへと突き刺した。当然ながら遠野の選手はオフサイドを主張したけどラインズマンはそれを認めず1失点。これが失意を読んだか神通力を失わせたか、後半にも2点を奪われ遠野の決勝進出は夢と消えた。

 なぜあれがオフサイドに認められなかったのか。想像するならおそらくその瞬間にラインズマンは見たのだろう。シュートをしようとする選手とゴールキーパーの間に座敷わらしの存在を。相手チームのゴールキーパーとディフェンスラインの最後尾との間に入り込んで、味方からのボールを受ける行為をサッカーでは待ち伏せ行為、オフサイドとして反則に規定しているけれど、自分の前にキーパー以外にもう1人、フィールドプレーヤーがいればそれはオフサイドにはならない。鹿児島実業の最前線の選手がボールを受けた瞬間、その選手とゴールキーパーの間に実は座敷わらしが残っていて、それを瞬間に見たラインズマンはオフサイドの旗を上げなかった。

 次の瞬間に記憶から座敷わらしは抹消されてしまうから、観客はオフサイドかもしれないと感じ選手もオフサイドじゃないかと抗議したけど一度出た判定は覆らなかった。いるけどいない座敷わらしの特性が、ここでは裏目に出てしまったに違いない。残念。でもまあここまで引っ張り上げてくれた座敷わらしと、スタンドから力を送り続けた河童には感謝してやって下さいな。そして来年も今ふたたびの妖怪パワーで決勝まで勝ち進んでくださいな。他の地域にも強敵の妖怪はいるけどなあに、妖怪パワーで遠野に勝る地域なんて鳥取くらいしかありません。水木しげるvs柳田国男。日本の妖怪王はどっち?

 まあ実質的には守りをがっちり堅めすぎて折角の好機に攻め手が足りず途中で奪われ続けた遠野高校にくらべて、ボールを持てばサイドが開き渡るとそこにフォローが走る鹿児島実業が上回るのは当然。しっかりとした組織力に加えて、前線の選手の1人2人をかわしゴール前へと迫り、サイドからのクロスをゴール前でフリーになってる選手へとぴたり合わせるテクニックを持つ選手たちが揃っている鹿児島実業が、何とか勝ち上がって来た遠野高校を圧倒した試合だったって言えそう。決勝の相手は滋賀県代表の野洲高校。ジェフユナイテッド市原・千葉に入団の決まっている青木孝太選手のいる好チームだけに今後のジェフの躍進を、確認する意味でも見ておきたいけど締め切りが……。頑張ろうこの日曜に。

 宇宙人が乗った宇宙船に激突されて女の子になってしまった元少年がふにふにになってしまった体に戸惑いながらも学校で同級生だった女の子たちとむにむにする話とか、飼っていた猫が何故か美人の女の子になってベッドに入り込んでふにょふにょしたりする話とか、聞いて背筋がなま暖かくなる設定の作品が目白押しでうーむと唸ってしまった電撃文庫の1月新刊にあって、鷹見一幸さんの「小さな国の救世主 なりゆき軍師の巻」(電撃文庫、683円)は設定こそ海外旅行中に内戦に巻き込まれた青年が、攻められる部族の巫女を救おうと彼女についていた元軍人の美女と一緒に戦いに身を投じるって過去にも類例のありそうな話だけど、リアルな世界を舞台にしているだけあって突拍子のなさは無く、人死にもあるシリアスな状況下で平和ボケしていた日本人が、もてる力を精いっぱいに出して世界のために自分を役立てたいと頑張る姿が描かれていて好感が持てる。

 A君こと小野寺剛士みたく怨念に支えられた軍略家的な才能がある訳ではないし、格闘技や銃器に通じている訳でもないけれど、そこは今時の現代っ子らしく世界から情報を拾い集めては敵の弱点を見つけて味方を勝利へと導く。なんだけっきょくは他力本願かって言えば言えるけど数ある情報をどう利用するかもひとつの才能ってことで。イリジウムを使っていればいつか所在地を割り出されるんじゃないのとか、ネットで助言なんか求めていたらいつか裏をとられて壊滅させられるんじゃないかとか、心配事も多々あるけれどそーした苦難をどう乗り越えていくかって感じに、1人の青年の成長を描いていってくれれば有り難い。巨大掲示板の次はSNSあたりを使って戦略構築してみてみてはいかが。


【1月6日】 年末年始の特番に押され消えていたアニメーションの徐々に復帰の模様で「舞−乙HiME」が晶ちゃん登場の回なんかも経て次第に増していた不穏な空気がいよいよ爆発。中心はアカネちゃんが好き合っている青年との恋を捨てて、繰り上げ卒業してマイスターオトメとなりどっかの国へと向かうかどうかを迫られ悩みながらも恋を捨て、夢に生きようと決意するんだけどでもやっぱり……ってうだうだしたストーリーでもって名作映画「卒業」的な展開が繰り広げられる。まあパターンだね。1人の少女の夢を一時の感情でもって怖そうとする男のリビドーには辟易させられるけど、それに乗っかるアカネもアカネってことで罪は同等? しかし返す返すも勿体ない。

 そんな傍らでは、半世紀ぶりとかになるらしーオトメどうしの戦いが行われて世界がいよいよ混沌へと突入するかどうかって状況に。いよいよ始まる鬱展開は「舞−HiME」の姫たちによるバトルロイヤルを上回る悲惨さを持って真夜中の精神を蝕むのか、それとも舞衣より圧倒的にあっけらかんとしたアリカ・ユメミヤのパワーとスピードでもって鬱を吹き飛ばしてしまうのか。後者を期待したいところなんだけど踏破試験以来どうも色気づいてしまったよーだからなー。そんな辺りでニナちゃんとの確執も生まれてやっぱりバトルロイヤルなんてことになったら冬が余計に寒くなるなー。最後にまとめて大団円、なんて技を使える世界観でもなさそーだし。さてどうなるか。アカネが抜けてトリアス昇進となるナオとシホのバトルが楽しみ。ケンカは良いねえ。

 んな「舞−乙HiME」を見て寝ようとしたら突然に始まって見入ってしまった「オー!マイキー」の正月特別番組。実に7編だかを一挙公開ってプログラムで次から次へと繰り出されるシュールでナンセンスな人形コントの雪崩に真夜中の冷え切った部屋でマイキーたちといっしょに大笑いする。わははははははははははは。つか良く笑う番組だなあ。冒頭に作った石橋義正さんが登場しては内容を説明し、最後にも出て閉めた上に挟まれるDVDとか携帯サイトのCMもすべてが「マイキー」仕様とゆー30分がまるまる「マイキー」なプログラム。それだけに録画しておかなかったのが悔やまれる。

 最初は3巻がボックスになっていたりしたDVDは、知らないうちに8巻まで出ていたようで、あとテレビ放映不可能な作品が入った「ハードコア」も去年の8月に出たそーで、果たしてどれだけ凄い内容なのかを知りたい気が。その内容に相応しいアダルトでエロティックなマイキーやエミリーちゃんやローラちゃんが見られるんだろーか。見られてどうってことないんだけど。だって人形だし。でもそれが嬉しい良いナーブな僕たち。困ったものです。わははははははははは。

 それにしても何故に「マイキー」は面白いのか考え中。アメリカナイズされたマネキンを動かさずブツ撮りしつつ画をつなげそこにセリフを重ねていく手法自体の意外性が、マネキンの実にグロテスクでゴージャスなビジュアルもあってまずは気持ちを捉えて離さない。ただそれだと意外性を感じた後はまたも同じ手法かって次第に飽きが来るものだけど、「オー!マイキー」の場合はそんな手法を使って繰り広げられる、寸劇のナンセンスにしてスラップスティックな様が見ている人をぐいぐいっと引きつけ、いつの間にか作品への強い関心を抱かせる。

 マネキンに劇をさせましたってゆー、一発芸に終わっていない凄さって奴がこの作品をここまでの長寿番組へと押し上げたんだろー。重ねるセリフを喋る声優さん俳優さんたちの巧さ達者さも耳に違和感を抱かせず作品へと心引きつけさせる要因か。それらをトータルにプロデュースし続け今なおテンションを落とさないクリエーターの人、凄すぎ。99年に展覧会で「キュピキュピ」の映像を見た時は、どんなアングラアートの人かと思ったけど、ここまでアートしつつメジャーも成し遂げたって意味では村上隆さんよりも世間に名を知られ認められて良い気がするんだけどなあ、石橋義正さん。やっぱ揃えようDVD。

 「ARIA」の第8巻が登場してゴンドラ台座付きぷにフィギュアのおばさん……じゃなかった先輩3人セットのおまけ付きも出てたんでそっちと通常版を両方購入。小さい割に表情よく出ているなあ。コミックは善意ばかりに包まれていたネオ・ヴェネツィアでの灯里の暮らしに初とも言えるくらいの謎めいた事件が起こる。夜にひとりで喪服を着た女性が墓地のある島へと運んで欲しいと依頼して、それを受けたウンディーネは皆行方不明にになってしまう。

 そしてそれに遭遇してしまった灯里の運命やいかに? そこでこれまで灯里を見守ってきたネオ・ヴェネツィアに住まいし善意の象徴が、姿を現し彼女を救うシーンにほっと心が安らぎ嬉しさに満たされる。猫の不思議さは地球も火星も同じ。というより火星の方がより強いかな。どうして灯里がそこまでアクアに、ネオ・ヴェネツィアに好かれているのか分からないけど、そんな才能があるからこそアリシアさんの下に招かれ誰しもから好かれて日々を明るく前向きに生きていけるんだろー。そんな姿を見ているだけでこちらも心がほこほこしてくる。素晴らしい物語。アニメーションの第2期も決まったそうで更に重なる物語と、そして動き出すウンディーネたちの日々に期待してこれからの進展を見守って行こう。


【1月5日】 ベンチに座ってぼーっとしていたら浅田真央ちゃんが通りがかって、前にインタビューした僕に気づいて立ち止まり話しかけ横に座ってくれ、しばらく公園でつき合ってくれるとゆー夢を見たけど正夢か。正夢だよな。頼む正夢になってくれ。夢でも真央ちゃんは明るくって優しくって可愛くってまたまたファンになった。触れたかったけど夢でも手を出すなんてこと出来なかった。これが女神クオリティって奴か。放たれるオーラ力(おーら・ちから)って奴なのか。今晩も夢に出てくれないかなあ。みどりか亮子だったら困るなあ。誰?

 「スポーツ・ヤア」の新年号にも登場して笑顔を見せてる真央ちゃん。まさしくこの笑顔が夢の中でも眼前に迫ってくる快楽を味わえたんだから今年が厄年なんてきっと嘘だ。4年後の真央ちゃんもこんなに天真爛漫なのかなあ。そして神々しいのかなあ。20歳に迫ったらきっと、すれっからしてツンケンとしたただのどこにでもいる女子大生になっている可能性が大。おまけに言葉は名古屋弁だがや。オリエンタル即席カレーのCMにしか使えんがや。だもんで今から2年が旬。チョコレートの会社もこれまでの投資を擲って乗り換えてしまえば良いのになあ。だがね。

 第134回の芥川賞と直木賞の候補作が決定。んでもって直木賞に鞍替えさせられたかと思われた絲山秋子さんが芥川賞に復帰していたり、その芥川賞に「大人計画」の松尾スズキさんが「文學界」に載せた作品でノミネートされていたりと話題は豊富で、いかにもそんな2人に受賞してもらったら世間も湧くねえって下心裏心も感じられるんだけど、両作品とも文藝春秋の「文學界」に初出ってことだからダブルは”独占”と受け止められかねないと、事務局当たりが差配し調整して来そう。ってことは絲山秋子さん確定か。それとも同じ4度目のノミネートで同じ「文學界」掲載の佐川光晴さんが先に行くか。誰が取っても話題には乏しいなあ。話題になったからって受けるもんじゃないけれど。

 直木賞は「夜市」が何故かノミネートの恒川光太郎さんを除けば超ベテランがズラリで誰に行っても今更感強し。とりわけ6度目ってゆー東野圭吾さんが注目で、これで授賞させないならもはや授賞させる気は選考委員については皆無を判断するより他にないけど、ミステリー関係の賞で人気の作品ってことは相変わらず「人が書けてない」云々の声を浴びそう。その当たりを指摘している毎日新聞の記事「芥川、直木賞 文学賞乱立…存在感したたか 候補作発表」を読んだ選考委員が、そんな牽制を受け入れず「人間は書けているけど文学として云々」とか言ってやっぱり授賞させなさそう。そして二度と候補になることもなくなるという。ある意味で直木賞の今後を占う選考になりそーで楽しみ。

 恩田陸さんも時期として受賞して不思議はないけど候補作が問題。シリーズの半ばの1作で「常野物語」のどことなく漂う力持つ者の居心地の悪さがあまり出ていない「蒲公英草紙」で受賞ってのは気持ちが落ち着かない。けどでもそれだからこそ単品としてのまとまりを主張し授賞させてしまうかも。伊坂幸太郎さんとダブルか荻原浩さんが奥田英郎さん路線の継承で受賞か。っつてると女性枠文春枠で姫野カオルコさんにあっさりと行ってしまうんだ。読んだ「ハルカ・エイティ」は小粋なおばあちゃんの生涯を明るく描いて、苦しさ貧しさみっともなさばかりが強調されがちな戦中戦後の生活描写のステレオタイプぶりに一石を投じていたのが面白かったけど、その辺りを戦中戦後に生きた老大家どもが何と評するかに関心。

 それにしても毎日の記事も芥川賞直木賞を擁護しているのか貶しているのか曖昧にして微妙。「芥川、直木賞 文学賞乱立…存在感したたか」って言い方はなるほど伝統に裏打ちされた両賞の持つ強みって奴を讃えているよーに思えるけれど、結局のところは台頭して来て売れ行きにも影響を及ぼすよーになった「本屋大賞」をはじめ振興の賞に対して、伝統ある両賞がどう差を付けようとしているのかってことを指摘してみせた内容。泰然自若として孤高の存在として我が道を行っているはずの芥川賞直木賞が、実は新興の賞をあれこれ気にしていて若手に与えて評判を取った路線を改めたんだって筋書きになっている。

 でも平均年齢なんて直木賞なら荻原浩さんが乙一さんなり米澤穂信さんなりに代わるだけで3つ4つは下がってしまうもの。前回より5歳高いって言うけどだったらその前はいったい幾つだったのか。この何回かの平均はどれくらいだったのか、なんてことまで突っ込んで調べようとはしていない。別に無理に平均年齢を引き上げたとも思えないにも関わらず、敢えてそう指摘してている記事を読んだ選考委員は「そんなことはねえよ、若手に与えたのも偶然だよ」って言って、むしろそうした年齢にあたふたしている態度を非難されたと臍を曲げてしまいそう。芥川賞もしかり。たまたま超若手がいないだけのことで、受賞者が伊藤たかみさんなら逆に前々回の阿部和重さんと前回の中村文則さんの間に収まっただけってことになる。

 だから別に「存在感」を出そうとなんてしておらず、むしろバランス感覚としてちょいベテランを集めてみましたってだけのことに過ぎず、それをあえて「存在感」のためだなんて言っては逆に「存在感にこだわってなんかいないぞ!」と主催者が怒り出しそう。あるいはそれを狙い彼らが「存在感」にすがろうとしているんだと匂わせることによって、彼らの高慢なプライドを嗤う婉曲的なネガティブキャンペーンだったりするのかもしれないと、思ったりもしたけれど今も昔も文化部学芸部で王道を歩む文芸記者なんてものが、権威を茶化して進取を尊ぶ姿勢なんて見せる訳がない。真摯に芥川賞直木賞が存在感アップに取り組んでいるよーに見える姿勢を一緒になって喜んでいるに違いない。だからこそ芥川賞直木賞が権威にしがみつこうとしているんだと感じた自らの思いをそのまま書いて、新聞の文芸担当が実は権威にすがろうとしているんだとゆー姿勢をさらけ出す。文芸護送船団は21世紀も好調にブンガクの凪を航海中。

 なるほど500万台に史上最速で届くわけだよ「ニンテンドーDS」は「ファミ通」のエンターブレインが調べたランキングで2005年12月に144万台を販売して「プレイステーション・ポータブル」の42万台に100万台以上の差を付け独走。ソフトも「おいでよ どうぶつの森」が83万本で2位の「キングダムハーツ2」の73万本を上回り、3位には「マリオカードDS」が66万本で入ってサンドイッチしている好調ぶりで、まさに我が世の春ってところを見せてくれている。

 新ハードとして期待の「Xbox360」は「プレイステーション2」の23万台に及ばず8万台ちょい。「ニンテンドーゲームキューブ」は上待っているけど「ゲームボーイアドバンスSP」すら下回る立ち上がりは「デッド・オア・アライブ4」がなかった影響を割り引いて考えた時に、果たして妥当かちょっと迷う。コンスタントにしりあがり気味に20万台から30万台へとせり上がっていけば1年で200万台から300万台には達しそうだけど、それにはやっぱり坂口博信さんの「ブルードラゴン」級ソフトの登場が必要そー。「HD DVD」外付け確定のニュースは果たして凶と出るか吉と出るか。


【1月4日】  突き出された双房の間に長い鍵を差し込まれて少女がうめくビジュアルは、ひとつ間違えれば陳腐で珍奇でただただ猥雑にしかならないんだけどUHFローカルで放映がスタートした割に「鍵姫物語 永久アリス輪舞曲」は絵がしっかりとしていてキャラクターの頭身も崩れなかったんで、見てそれなりに耽美なイメージを崩されることなく最後まで見通すことができた。トライネットエンタテインメントもやる時にはやるんだな。まあ「機動新撰組 萌えよ剣」だって絵だけは最初から最後まで良かったし。

 アリス能力者、ってゆー力をどーして少女が持っててどーしてその能力を奪い合うのか、って命題を確認するには至っておらず主人公の少年がそんなアリス能力者たちの戦いの場に踏み込めるのかも不明だけど、第1話からすべてが明らかになるアニメなんて今時存在するはずがない。半年どころか3クールを過ぎて謎の一端が突如として明かされる午前7時からのアニメもあるんだ。それを思えば終了まで何も分からなくたって、「そういうものだ」と笑顔で受け止め可愛い美少女たちの悶えあり叫びあるなバトルを堪能させて頂くとしよー。こーゆーヌルさが日本のアニメの死を招いてるんだろーなー

 車の新製品発表会だのデパートのお中元商戦の開幕だの、美少女スポーツ選手の活躍にまつわる関連商品の展開だのといった話題こそが女性層にはキャッチーとばかりに、他の大切な情報を押しのけ散々っぱら表の1番目立つところに並べ、季節が巡れば世界最大のスポーツの祭典に関する話題ばかりを1ヶ月間、ぶっ通しでやっぱり1番目立つところに並べ続けて良しとして来たその口が、他にはない話題すなわちスクープこそが大事だとここに至って紡ぎ出すことの不可思議さを、さても如何に受け止めれば良いのかを迷う今日この頃。

 軽く100倍の人間が時間と金をかけて取って来ているのがそんなスクープって奴で、対抗するにはせめて時間くらいは融通を利かせるべきなんだろうけど一方でテレビの7時のニュースが流す情報はすべて載せるのが筋とばかりに、テレビのニュースをメモする担当を1日に必ず1人おくシステム的なすれ違いぶりを、これまたどう受け止めるべきなのかを悩んだところで仕方がないのは先刻承知。つまりはその場その場で浮かんだことをそのままアナウンスしている、よく言えば機動的な作戦に従い進んだ先に待ち受けるのは果たして? 2月に入りゃあどうせトリノで連日だ。

 つー謎めいた妄想を初夢の中にしまいつつ読書三昧。ようやくやっと読めた上月司さんの「カレとカノジョと召喚魔法 第5巻」(メディワークス)は前巻でとんでもない過去生が判明して世界中の男性諸氏を燃え立たせた井沢玲と、悪魔を召喚する力を発動しては好きな少女の足を治してもらった代わりに感情を失ってしまった少年・遊矢との本格的な対決が始まって夜の学校を舞台にお互い読んだり読まれたりする壮絶なバトルが繰り広げられるけど、その先に至って提示された実に残酷にして過酷なシチュエーション。遊矢はどうなり玲はどうなっのか。

 おそらくはそうなってしまったのかもと想像させて引かれた展開の早く続きが読みたいよー。早く出してと出版社様作者様にお願い。玲の前世バージョンはもう出ないのかな。見たいなあ。性格の悪い美女ほどそそられる存在はいない。真面目なんだけどどこかズレてる西苑まどか先輩の口絵に描かれたロケットぶりもなかなか。自らにリボンを巻いてプレゼントと差し出す際にリボンがしっかりと引っかかる体型をしています。対して雪子はリボンがすぐにズレ落ちる……。それでも雪子が大事と命をかける遊矢の心境って奴を、分かるためにもやっぱり続きを。最終巻を。そこでの圧巻のクライマックスを。

 さらに椎野美由貴さん「バイトでウィザード 沈めよ恋心、と雨は舞い降りた」(角川スニーカー文庫)は散々っぱら戦っては傷つけられては治癒魔法を受けた果てに魔法が効かずそれどこか自然治癒の力さえ失いかかってしまった京介、豊花の双子兄妹魔法使いの兄貴の方。死んだと思われていたのにどっこい生きてたかつての恋人にして一時は敵の組織に身を置いていた礼子を助け出したは良いものの、傷つき今は病院で絶対安静の状態にある。治癒できない体をランク付けしてあと2段階を進めば死ぬだけとゆー状況。それどころか1段階進んだだけでも3年ちょい以内の死が確約されてしまう状態で京介は身動きがとれずにいる。

 そんな京介の境遇を知ってか気づかないか豊花は相変わらず傍若無人ぶりを発揮しては京介が助けた礼子の世話を焼いていたけどそこに現れたのが京介らが所属する魔法使いの集団「光流脈矯正術者」の家長。とりあえずは礼子を置いてあげると優しげに言うもののこれで内心では何を思い描いているのか得体の知れない所があって、礼子の内奥に自覚していないまま眠っているかもしれない情報を引っ張り出すために礼子の命なんて奪って構わない、といった挙に出て豊花を怒らせ京介をうろたえさせる。そして至ったある悲劇。自らの命すら先が限られている京介が選んだ過酷すぎる運命が果たしてたどり着く先に幸福はあるのかと、思えば思うほどに暗くなるけど果たして椎野さんはどんな結末を用意しているんだろー。

 人が自分たちを守るために作った組織がいつしか組織そのものを守るために人間を犠牲にすることすら厭わなくなるこの矛盾。現代のあらゆるところに存在する組織に共通のジレンマを描き出しては人間に強く問いかけるのが「バイトでウィザード」ってことになるんだろー。最初は猪突猛進の妹をやれやれと思いつつも見守る兄とゆー構造で描かれるコミカルな魔法バトル物だったのが、巻を重ねて深刻でシリアスなテーマを持った深い物語へと進化を遂げた。戸惑いつつも読み続けていたらやっぱり深淵な人間の存在を問う物語へと化けた「灼眼のシャナ」と同様に、最後までつき合って行きたいシリーズだ。


【1月3日】 しつこく観る微妙な夢。「オタクエリート」についてどうやらあんまり肯定的かない見解を表明したことを「オタクエリート」の信奉者から指摘され非難されてそれに懸命に答え諭しているんだけどどうにもうまく説得できない。これは何だろう、あるいはああいった「エリート主義」が蔓延り跋扈し跳梁しては一般化する可能性が高く、それに先人として恐れを抱いているって心理の現れか。だとしたら住み難い世の中がやって来るってことなんだなあ。いやだなあ。つか売れているのか「オタクエリート」。ネットだと妙に好意的にあの試験を受け入れ受験するんだ合格するんだって頑張ってる人が目に付くんだけど。クイズ的知識よりも必要なのは実体験として溜め込んだ知識なはずなのに。そうした知識主義経験主義はもはや通用しないってことなのか。

 もうひとつはロベルト・バッジョが目の前にいて手持ちのユニフォームにサインしてもらおうとしても彼が所属していたチームのユニフォームが見つからないって夢。その夢で探していたので確実にバッジョがいたのはインテルなんだけど他に探していたのは起きて気づいたミランでもユヴェントスでもボローニャでもブレシャでもないのが意味不明。つか何でバッジョ? 中山法華経寺に厄払いにいった影響なのかなあ。でもここは日蓮宗の寺なんだよなあ。

 出がけに使ったアイロンのコンセントを抜いてきたかが気になって、改札を抜け1駅乗った先からとって返して小走りに部屋へとたどり着いて中に入り、しっかりとアイロンがしまわれていることを確かめてからまた同じ路を辿って仕事に向かうという、そんな経験なら数度はあるけれど歳をとって考えるのが億劫になったのか、どうせ燃えたってアパート1棟だなんて不謹慎にも程がある考えが心のどこかに巣くって囁きかけるのか、外に出てからアイロンのコンセントが気になることはなくなった。というよりアイロンが筆余蘊アイル委をまるで着用しなくなたってことの方が理由としては大きいけれど。

 そんな強迫神経症と呼ぶのも烏滸がましい心配性と比べると、いつ自分が「裏返され」されるのかに怯えながら生き続ける人の苦しみや悩みは激しくて果てしない。恩田陸さんの「常野物語」シリーズ最新刊「エンド・ゲーム」(集英社)に登場する瑛子と時子の母子がだから、そんなプレッシャーの中でどうして何十年もの間、戦ってこれたのかが正直なところ実感できず、そこまでして守りたいものっていった何だろう、自分なのか家族なのかそれとも別の何かなのかって疑問も湧いてくる。

 そしてそんな疑問に恩田さんは幾重もの答えを見せては壊し、果てに人が守っているもののその実他愛がなく、故にだからこそ必至になって守るのだというひとつの真理を見せてくれる。守りたいから守る。というより守ることを守りたい、とでも言うのだろうか。そんな構造をこの社会、この世界へと敷延させた時に、人間という過去を記憶し思い出として引きずる存在の持つ厄介さが浮かび上がり、それが今を恐怖させ未来を狭めていることに気づかされる。

 かといって一切の思い出無き常に今しか存在しない世界の味気なさも一方の問題。そこのあたりの割り切りなり取捨選択って奴をどうすべきなのかを、人間はその賢さで考える必要があるんだろー。ちなみに「エンドゲーム」はシリーズ第一冊目に当たる連作短編「光の帝国」に収録の「オセロ・ゲーム」と同一世界が舞台で登場するのも同一人物。このワンエピソードを長編化したものが「エンド・ゲーム」ってことになるのかな。そーゆー当たりもアメリカのSFっぽい。さすがはゼナ・ヘンダースンの「ピープル」シリーズを下敷きにしただけのことはある。ヘンダースンもこんなスピンアウトをやっているんだろーか。今読めるのがどれだけあるかも知らないんだけど、復刊とかしているのかな。調べてみよう折角なんで。

 それにしてもライトノベルの世界じゃ超能力者に魔法使いが大手を振って世間を歩き、その能力でもって悪と戦いあるいは悪をなし、人を守ったり恐怖させたりしているのと比べると「常野物語」の世界に生きる能力者たちは実に慎ましやか。まあちょっとの異能が喧伝されて衆目を浴びた果てに危険だ何だと言われ排除されるのがこの現実だ。ちょっとばかりの予知だの遠視だのといった力では世界が生み出す何十億もの人類の力の前では正直無力。目立てば迫害され消去される恐れすらある。

 そんな現実社会の中で、仮に異能異形の存在がいたとしたら、自らを守りつつそれでも少しは世界にその力を役立てようと考え、ああいった形で人の間に散って時折その力をのぞかせていく生き方しか選びようがないんだろう。「光の帝国」の中には能力者たちが軍に協力させられそうになる話しもあるし。ティーンの力に対する憧れを仮託されがちなライトノベルの無形さが持つ破天荒な楽しさを取るか、現実を知り非現実の難しさを知った大人にそれでもいささかの夢を見させる快さを取るか。どっちも読んでどっちも楽しみどっちからも何かを感じれば、良いんじゃないってことで。

 テレビ神奈川で一挙3話放送だなんてDVDを買った身には悔しいことこの上ない仕打ちが迫っていたんで慌てて買ってまだ観ていなかったタツノコプロ40周年記念作品「鴉−KARAS−」を3話まで一気に観る。なるほど妖怪を機械化して新宿制覇を狙うイケメンを相手に選ばれた若者が美少女を引き連れ立ち向かうってゆー設定は夏に映画が上映された「妖怪大戦争」にも重なるけれど、1巻が発売された時期では「鴉」の方が早いから無関係。文明化していく世界への警鐘ってのはいつの世界にも共通の話題になり得るってことなんだろー。悪者のイケメン度合いだとアニメの方が自在に描けるだけに上、かなあやっぱり。

 んで絵はなるほど3Dと2Dの融合ってところが売りになるだけのことはあるけど画面で重ねたときの違和感がもっとありありになるかと思ったけれど、3D部分でのバトルのスピード感が凄くって且つ目に見えるタイミングにちゃんとマッチしていて凄いスピードで動く奴らが激しくぶつかりあう戦闘ってものを、頭の中で何ら変換することなく観たままに楽しむことができた。この辺がNTT東日本で実写と融合の「ガッチャマン」を監督した人ならではの案配って奴か。

 全体に淡々と進む中で女鴉だけが自分を主張して自ら物語を引っ張りかき回せる強さを持っていて、もっと出て欲しい気がするけどでも出過ぎるとあの淡々として進む展開が壊れてしまうから難しい。ゴーグル少女は同じのが何人もいて誰が誰やら。ゴーグルに描かれた目のつむっていたり明いていたりする違いから判断すれば良いのか。常にそこにいて巻き込まれたりする渋谷飛鳥が演じる女の子のあっけらかんぶりが、得体の知れない謎に絡め取られ包まれていく世界を表面では誰も知らないでいる状況を現しているよーで興味深い。ケンメリのスカイラインのハードトップでおそらくはGTXか何かをGTR仕様に改造した車がしっかりと作画されていたのに好感。こーゆーところで抜けば抜ける手を抜かない所がタツノコのタツノコらしさって奴か。けどそれが経営を傾かせてしまったのかも。果たしてタカラはそのまま支配しつつトミーとの合併に臨むのかそれとも……。こっちの行方も興味深い。


【1月2日】 12時間ほど眠る中で観た妙な夢。下読みの原稿があまりに類型的で、例えば超常能力を持った者の学生が世界の敵と戦ったりする話ばかりだったりして目が疲れ果てていた所に気が付くと、どこかから女の子が部屋へと入り込んできては読みかけの原稿の最終ページに自分で赤を入れて「直したからこっちを読んで」とか言ってくる。けど直したところでそれが格段に良くなっているはずもなく、冒頭のあらすじを読み返してその如何ともしがたい内容に女の子を捕まえどうしてこんなありきたりの話ばかり書くんだと説教する。

 その意味するところは全く持って不明ながらもこれが初夢だとするなら今年は何か文学賞の原稿読みの仕事が舞い込みそれでしばらくは食いつなぐことが出来るってことなのか、それとも家を女の子が訪ねてきては昨年12月30日にコミケで知り合いと一言会話して以降、誰とも話していない生活を脱するかのように楽しいコミュニケーション活動がそこに繰り広げられることになるのか、判断に迷うけどいずれにしても喜ばしいことには違いない。ちなみに女の子がどんな顔だったかはもはや覚えていない。ロングヘアーだったかな。うーん勿体ない。夢なんだから手でも足でも出しとけば良かった。

 それより個人的には夢に出てきた我が家の書斎があって玄関があって広々としてモダンな様にこれが正夢となってくれれば有り難いことこの上ない。二本立てで観たもう1本の夢も乱雑ながらも部屋がいくつもあって、そこをぐるぐると周りながら何かを探し回っている夢で、その部屋の広さはちょっと前に竹熊健太郎さんのひみつ会で会場となっていた小飼弾さんの家以上。そんな家に住めるんだったら探しているのが化け物であっても嬉しいんだけどなあ。椅子がなく机がなくってベッドの上にあぐらをかいて段ボールの机で原稿を書く暮らしからはいい加減、脱却せねば。

 それは新年の抱負のひとつであるけれど、もうひとつの抱負を達成しよーと起き出しては京成に乗り中山駅から徒歩数分の場所にある「中山法華経寺」へと赴き去年に続いて境内にある鬼子母神で厄払いの祈祷を受けてくる。去年の前厄は念頭にインフルエンザで2日ばかり悶絶した記憶があるけれど、それ以外はとりたてて大過なく強いて上げるなら会社とピサの斜塔との比較でそろそろ結果が見えかけて来た程度の厄しか訪れず、結果としてボーナスの格差が広がった程度で済んだけど、本厄の今年は想像するに会社のピサ度が一段と増してポンペイ化した上に、髪が抜け腹はふくらみ階段を上り下りするだけで立ちくらみがするようになり、近視が進んで物がよく見えなくなり虫歯が進んで物がよくかめなくなり、水虫が広がって手足が更に痒くなるくらいではすまない災厄が訪れるに違いない。

 そのすべてを防いでいただけるのは虫が良すぎるとしても、せめて髪がこれ以上抜けるのだけは勘弁して頂きたいとお布施を治めお札を受け取り、本堂へと正座してはすでに丸まりかかった頭を晒して「南無妙法蓮華経」とツインで唱えるお坊さんたちのカチカチと何やら打ちならす音を聴き心沈めて身を清める。お坊さんの声ってのはいつ聴いても格好良いなあ。あのお経を唱える声を重ねるなり100人くらいのお坊さんを集めてクイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」のコーラス部分を吹き込んでもらいたいと常々思っているんだけど未だどこも企画してくれないのが残念。あるいはお坊さんのお経ばかりを集めたCDでも良いや。グレゴリオ聖歌がCDになるならお経だってあって不思議じゃないし。

 そんなこんなで早めにいったお陰で午前の10時前にはご祈祷を終えてお札を頂きお寺を辞してそれから電車で上野へと出たら丸井の前に大行列。今日から始まるスパークリングセールの福袋を求めての買い物客で普通だったらそこに並んで何やら漁るところなんだけど、乱雑する部屋にこれ以上物を入れ込んでも狭くなるだけ。夢に見たハイソな暮らしに近づけるためにもここは我慢と上野を離れ秋葉原まで歩いてそこで本やらCDやらを買い込む。オタクは別腹? 初夢ははやばやに虚夢として彼岸の彼方へと雲散霧消。困ったもだ。

 地方の企業城下町なり本当の城下町を巡って起こる、企業の創業者一族なり旧家の跡継ぎなりといった支配者層の専横に、肉親を失って怨みを晴らそうと立ち上がった市民なり都会から来たジャーナリストなり流れ者の快男児なりが挑み悪事を暴いては支配者層の崩壊に一役買う。なんて設定を持った小説が皆無かってゆーと実はそれなりにあったりして、横溝正史さんとか森村誠一さんとか西村寿光さんとか大藪晴彦さんとかいった面々の書いた膨大な作品の中に、そんなモチーフを持った作品の1つや2つはあったんじゃないかって気もするけれど、古いしきたりなんかが残っていたり、企業絶対の風潮が醸成されていた時代が舞台となっている物が大半で、この現代を舞台にそーした小説って、リアリティを構築するのが面倒ってこともあってあんまり生まれてない。

 ましてやライトノベルの世界で、そーした設定の小説ってあんまり目にしたことはない。あったとしても権力者の側には魔物なり妖怪といったバックを付け、反旗を翻す側にそれを討伐するために古くからの力を受け継ぐ一族なり、天使から授けられたかった少年少女なりって設定が加わった伝奇アクションの形を取る。その方が面白がられるって思われているから。その意味で言うなら森橋ビンゴさんの新刊「plup1」(ファミ通文庫、600円)は今時には珍しくライトノベルにも異色の社会的権力者による陰謀に一部の市民が立ち上がり立ち向かう社会派ストーリー。妻を事故で失ってから抜け殻のようになって生きている元ジャーナリストの夫。その夫婦の間に生まれた娘は父親の暴力に耐えつつ自分を傷つけては生きている感触を得ていたが、そんな暮らしを更に脅かす事態が街には起こっていた。増える通り魔事件に荒れる社会。歯車がどんどんとズレていくような日々の中で、少女も通り魔に襲われ死にかけたところを、刀を持った1人の少年に助けられる。

 その少年こそが街に巣くい人心を蝕み始めた悪霊を討つたために使命を帯びて現れた陰陽師の末裔だった……ってなら他に幾らでも転がっている物語で、陰陽師が魔法使いでも退魔師でもエクソシストでも何でも良いんだけど、意外にも少年にはそーした力は存在せず、少女にも秘められた力なんて存在しない。そしてそんな社会とか権力に対しては無力に等しい少年少女が、社会を蝕む悪と戦うってんだから恐れ入る。

 そんなことをしたらたちどころに権力に察知され捕まるなりして社会的に抹殺されるはず。だからこそライトノベルの世界なんかでは、内閣直轄の悪を退治したり悪霊を調伏する機関なりを設定してリアルのレベルを広げようとする。あるいは年齢を下げて児童文学にすれば「まちのあくにんvsただしいぼくら」の勧善懲悪に出来たんだけど、ティーン相手のライトノベルでそれはもはや取れない手段。現実世界が舞台となった「pulp」が現実世界のリアルをそのままに取り入れながら、物語としてのリアリティを維持し世界を構築しているのか。思いっきり力量を試される世界に挑んだ作者に拍手。今後の展開に興味津々。


【1月1日】 かつてプラクティスシャツにキャラクターの顔を擦り込まれて支援され、でじこぷちこうさだにぴよこの着ぐるみまで送り込まれながらもなかなかJ1に復帰できず、今もJ2の中位でくすぶり続けるサッカーの湘南ベルマーレとは対照的に、ブロッコリーが新しいトレーディングカードゲームの「ディメンション・ゼロ」でイメージキャラクターに起用した五味隆典選手は、大晦日に埼玉で行われた「PRIDE男祭り」の舞台でもってミドル級の決勝に進出しては、難敵の桜井”マッハ”隼人選手をノックアウトし「PRIDE」史上で初の日本人チャンプに輝くとゆー偉業を見事に達成してみせた。

 「PRIDE」のチャンピオンって地位が世界の格闘技史上において如何ほどのものかは不明ながらも、並み居る強敵を倒して勝ち得たトップとゆーのはやっぱり凄い。この余勢を駆ってブロッコリーにも是非に今年も株の爆上げに留まらない、業績の堅調なる上昇を見せて頂きたいもだと願いつつ、チャンネルを変えて目に入った、格闘技の中でも屈指の強靱さを誇るとされる相撲のチャンピオンだった人間が、体格こそ素晴らしいものの格闘技を初めてまだ1年余って人間を相手に戦って叩きのめせず挙げ句に判定負けを喫するみっともなさに落涙。その醜態を晒して何も得られず何も与えられないと、気づけば他に路を選べるはずなのにそうしない理由はいったいどこに? 何だかとってももの悲しい。

 それから2000年頃の代々木第2体育館で行われていたレスリングの全日本選手権に出場した姉の山本美憂を、当時の夫として見守りに来たエンセン井上選手のかたわらで、付き人っぽく振る舞っていた山本”KID”郁徳選手が、そんな相撲界のチャンピオンすら押しのけて、メーンイベンターとして登場してはアブダビコンバッターな須藤元気選手にパンチを見舞ってマットに沈めた戦いぶりに感涙。思うに栄華なんてものはちょっとした弾みでガラガラと崩れてしまう一方で、チャンスというのは努力さえしていれば必ず訪れるってもの、なんだなあ。

 天皇杯だって制したことのある名門チーム、湘南ベルマーレの沈滞が続く一方で去年の「ディメンション・ゼロ」の発表会当時には果たしてどれだけの認知があったのかと訝られる五味選手が06年は新聞のトップだって飾る可能性が高くなり、またエンセン井上選手や山本美憂山本聖子の姉妹に認知度で大きく劣っていた山本”KID”郁徳選手を抜きに、今や06年の総合格闘界は語れなくなるとゆーこの数年の間に起こった様々な逆転変転に、いろいろと考えてしまった新年の朝。不惑を超えて厄年に突入して体調も脳の調子も下降気味な中で、残された時間を精一杯に使い切るためにははやり逃避してばかりいてはいけないのかもしれない。何かしようとここに決意などを語ってみる。とりあえずはブロッコリーの株でも買うか。

 それはさておいて思い浮かんだ今年にやっておきたいことあれこれ。まずは厄払い。これは去年も行った下総中山にある法華寺の奥にある鬼子母神でもってお払いを受けることにしよー。それから仕事範囲の拡大。本に関するあれやこれやの仕事はそれなりにあるけれど受けて出すリアクションが中心で内容も散発的。貫く軸ってものを作り出せず方向性を明示できない当たりに弱さがあるんで今年は向かうベクトルを意識しながら何かをひねり出していければ良いか。

 デスコミュニケーションぶりも直そう。いろいろ出歩きはするものの所詮は単なる自己満足、そこにいたとゆーだけのことでしかない。個人に情報は溜まってもそれをコミュニケーションへと発展させてはいない。せめて今年は出没したら最低1人、できれば3人くらいの新しいコミュニケーションを生み出したいものだと思い抱きながらも人見知りするってゆーか他人に覚えてもらえる度の低さを懸念してただそこに存在するだけに留まっている。情報を流通させない存在など世界から観れば存在していないに等しい。まあ個人がそれで面白ければ別に構わないんだけど、いい歳をして年末年始に誰とも何も喋らず1週間くらいを過ごすってゆーのも余り健康ではないんで、今年の年末には1つ2つのコミュニケーションが成り立つくらいの関係性を構築できれば良いか。「これ下さい」「380円になります」ってコンビニでのコミュニケーションだったら困るかなあ。ちなみに店員側が、僕。

弧を描きゴールへと迫るコーナーキック。高校生より巧くて観る価値、ありまっせ女子サッカー  午前も早めに起き出して「国立霞ヶ丘競技場」へと「全日本女子サッカー選手権大会」の決勝戦を見に行ったらおまけに「天皇杯」が付いてきた。んじゃなくって去年から女子サッカー振興も狙ってて男子と女子の決勝を同じ元旦に開くことになっただけなんだけど去年は決勝に女子が日テレ・ベレーザ、男子が東京ヴェルディ1960と同じクラブの男子と女子が残った関係で、応援も同じサイドで始めは女子のサポーターが前に出て応援して後に男子のサポーターが占拠し女子のサポーターは後ろへと周り一緒に応援することが出来たけど、今年は決勝に残ったベレーザとTASAKIペルーレのいずれもが、天皇杯を戦う浦和レッドダイヤモンズとも清水エスパルスとも関係がなく、いったい応援をどうするのかと心配していたらこれが何と!

 エスパルスが陣取るゴール裏の左右にペルーレとベレーザのサポーターが一角をもらって応援するスタイルに。静岡県からでは集まるエスパルスサポーターの数も決して多くはないってこともあるけれど、浦和レッドダイヤモンズのゴール裏は浦和のサポーターがおそらくは何日も前から徹夜し開門と同時に完璧に確保してしまう関係で、そこにペルーレであれベレーザであれ割り込むのは困難と判断し、だったら開始前のしばらくを貸してくれないかとエスパルスのサポーターにお願いしてそれぞれに小さいながらもブロックをもらい応援して試合終了後は撤収、そしてエスパルスに譲るって話し合いが出来ていたんだろー。あるいは主催社が間に入ったのかもしれないけれど、それならレッズ側にだって1ブロックくらい拠出されても不思議はないのにそうはなっていなかった所を観ると、エスパルスサポーターを中心にペルーレとベレーザのサポーターが話し合ったってのが方向としては合っているのかな。いずれにしてもそれを認めたエスパルスはなかなかにナイス。善行が良い方向へと転がってくれたら更に良かったんだけど……。

 それは後にしてとりあえずは「全日本女子サッカー選手権大会」決勝。共にフルメンバーで臨んだベレーザにペルーレは、女子サッカーの頂点を決める大会に相応しくお互いに攻めては攻められる戦いを繰り広げる。そんな中で我らが酒井與惠選手がちょんと前に送りだした所を大野忍選手がディフェンダーの間から飛び出しトラップからシュートしてベレーザが先取。さらに荒川恵理子選手が決め永里憂季選手が2点を上げて4点を奪取したベレーザが、クロスに飛び込んでゴールに叩き込んだ鈴木智江選手による1点にペルーレを抑えて国体にL・リーグと続いた05年のタイトル街道の最後を全日本のタイトルで飾り史上初とかゆー3冠を達成した。いや凄い。

試合後はエスパルスサポーターをエール交換もあったベレーザサポ。ほのぼの。ちゃんと挨拶に来るベレーザ選手も偉い偉い。  思えば03年1月だかの全日本で日テレ・ベレーザ、無得点から突入したPK戦で小林弥生選手が外してTASAKIペルーレに敗れて以降、2年ほどの低調が続いていたけどワールドカップとアテネ五輪を経て女子サッカーの人気が高まる中で選手層も厚くなり、また沢穂希選手の帰国もあって戦力充実。04年のシーズンこそさいたまレイナスにhタイトルを持って行かれたものの全日本ではそのレイナスを決勝で敗ってタイトルに返り咲き、余勢を駆って05年のリーグも無敗で走ってリーグを制覇しそして全日本のタイトルまでも獲得した。

 兄貴分の東京ヴェルディ1969がリーグ制覇どころかJ2落ちの屈辱にまみれている一方で、妹分は奢ることなく戦力を充実させ戦術も徹底して立ち直っては強さを回復した。カテゴリーこそ違え見習うところは多々あるんだけど果たして新監督に就任したラモスはそーした女子の努力や熱情って奴を、しっかりと認めてくれるんだろーかそれともヴェルディにとって無関係だと知らんぷりを決め込むんだろーか。経営面でもあれこれ難しくなっていくだけにベレーザが煽りを食わないかだけが今は心配で仕方がない。ラモスがいつまで監督を務め続けるか? それもまあ興味の置き所なんだけど。

 そして「天皇杯」。あまりの寒さに観ないで帰ろうとも思ったけれど浦和のものすごい応援を耳にし、始まった試合のなかなかに互角な戦いぶりを観るにつけてこれは最後まで観なければ勿体ないと心を変えて場内に留まり見物。そしてアレックスのクロスを見事に決めた浦和がその後も追加点を奪う一方でエスパルスが1点に留まり反撃も実らないまま試合終了のホイッスルが鳴って見事に浦和が1980年の三菱重工以来ってことになるのかな、ともかくものすごく久々の天皇杯制覇を成し遂げる。

 アレックスは右サイドの前に張り付けば動きもキックも完璧で、これが最後の試合となるマリッチ選手も飛び込み蹴り込む動きはグッド。この戦力を擁してもリーグ戦を制覇できなかった当たりが長丁場を戦うリーグの難しさって奴なんだろー。ともあれ浦和の制覇で07年にアジアチャンピオンズリーグの出場が決定。いっそ前倒ししてヴェルディの変わりに06年を戦ってもらえば、戦力の充実ぶりもあってアジアチャンピオンに輝き12月のトヨタカップにも出てくれて日本サッカー協会も大喜び、なんだけどそーゆー融通の利かないところがこの世界って奴で、戦力も整わないまま参加することに意義があるとばかりに去年の天皇杯覇者のヴェルディが、戦ってはおそらくは緒戦のグループリーグで敗退して年末への期待をとっととうち払ってくれやがるんだろーなー。カップ戦からは止めてリーグ戦から2チームってことにしよーよ、やっぱり。


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