縮刷版2006年10月下旬号


【10月31日】 「東京コンテンツマーケット」の会場でキャロムってゆーインド生まれのおはじきとビリヤードを足したよーなゲームを遊んでいるブースがあって2日目に誘われペアで1戦をプレー。真ん中に集められた白と黒との円盤をブレイクしてから順に持ち駒をあてて持ち色を4隅の穴に落としていくってルールはテーブルでビリヤードを楽しんでいるよーな優雅さと簡単そーに見えて真っ直ぐ弾くことすら難しい複雑さがあいまって、なかなかに戦略的な楽しさを感じさせてくれる。

知られてなくたって日本チャンピオンもいるキャロム。タモリさんも好きだとか。  対面どうしがペアになって自分が無理なら相手の良い場所に弾いてあげるとかってチームプレーも可能。問題は卓が重くて大きくて、家で気軽に遊べないってことだけど玩具メーカーあたりが乗り出してテーブルホッケーのミニチュアみたく玩具として出してくれたり、それこそテーブルサッカーみたく大人のトイって感じで瀟洒な酒場やらレストランとかに置かれてあってそれを楽しむ習慣が増えてくれば、それなりな人気も集めそう。出展していたエッジワークスって会社では、「ベイブレード」よろしくキャロムを題材にしたアニメの企画なんかも立てていて、漫画雑誌あたりと前向きな話し合いを進めているんだとか。ちょっと楽しみ。

 ちなみにエッジワークスって会社、もらったパンフレットに挟まれていた名刺にあった代表取締役の名前が山野辺一記さんって有名な脚本家と同じ名前……じゃなくって山野辺さんその人で、放っておいても続々とアニメやシナリオの仕事が入って来る老舗であるにも関わらず、大勢のメディア関係者やコンテンツ関係者が集まる「東京コンテンツマーケット」に企画を出展しては見てもらい、売り込んでそこで原作と脚本の仕事をとろうと頑張っている。持ち込まれるシナリオの仕事よりも原作権を持ちシナリオも手がけたアニメの方は確実に収益は高いしオリジナルに挑むことでモチベーションも高められる。

 プロダクションIGのよーなアニメ会社でも原作を持たなければ収益も得られず仕事も選べない環境で、シナリオだけの事務所はなおのこと請け負い仕事が多くなる。でも本当にやりたい仕事をするなら企画・原作から絡まなきゃいけない。それを会社として担うことで請け負いから発信者へと発展したいって考えているんだろーな、やっぱり。本当に「金色のストライカー」そのままのアニメ企画が持ち上がるかは分からないけど、奥深くって戦略性の高いゲームをキャラクターたちの中でどう表現してみせるのか。実現がちょっと楽しみ。あとはやっぱりキャロムそのものの面白さを気軽に味わえる場所の創出だよなあ。誰か広い部屋のある人が買わないかなあ。

 京都の伝奇は「ホルモー」に始まり「こいわらい」に終わったのかそれともまだこの後に続くのか。とりあえず年末も近づいて登場して来た松宮宏さんお「こいわらい」(マガジンハウス、)は京都を舞台に美少女剣士が大活躍する話、って聞けばぐっと首も伸びるけれど詳しく言えば舞台は現代で主人公の和爾メグルは女子大生。子供の頃から活発で河原で拾った長さは30センチくらい、太さは4センチくらいの木の棒きれを背中に背負ったリュックに指して、ビームサーベルよろしく抜いては相手を倒す居合いみたいなことをして遊んでた。

 よほど手に馴染んでいたのかそれとも棒に不思議な力でも宿っていたのかあるいは和爾メグルの体に流れる血の成せる技か。両親ともども車で谷底へと落ちる事故に遭い前席に乗っていた父母は即死。メグルはといえばその日も背負っていた棒が頭に当たって小脳 に内出血を起こして大部分を切除する大けがを負い、一生をベッドで暮らすかと思われた矢先。弟が持ってきた例の棒を手にした途端に神経が全身に行き渡り、運動中枢を小脳の代わりに大脳が務めるようになって奇蹟的に快復する。命を奪いかけ命を救った棒の謎。悩みながらもメグルは両親の死で家屋敷を奪われ弟と2人だけになった家族を支えるために、大学で見つけた奇妙な求人に応募する。

 仕事はボディガード。京都の町を表から裏から仕切る謎の老人の身辺警護を月収70万円という高額で依頼されてメグルはそれを引き受ける。武道の心得が逢ったわけではない。けれども誰にも負けない術がある。それが「こいわらい」。語源は不明ながらも死んだ祖父からそう聞かされたメグルは、背負ったリュックから引き抜いた棒を人差し指と親指で挟んだだけで振り抜き、迫るヤクザやならず者の顎を砕いて退ける。連戦連勝。老人も安泰。そこに不穏な空気がわき上がる。いつものヤクザと思い相手をし始めた背後からナイフが飛んできた。やがて拳銃の弾も飛んで来るようになった。

 飛び道具に棒では分が悪い。多勢に無勢も宜しくない。それでもメグルは己を信じ家族のためと戦い続けるが、一方で疑念も浮かんでくる。老人は本当に自分の味方なのか。祖父の友人で和爾家再興を助けてくれようとしているのか。「こいわらい」とはまた別の「放心」という古来より続く不思議な技を体得した男も絡んで、物語は戦国の世へと遡るメグルのルーツへと迫り、そして和爾家に密かに伝わっていた「こいわらい」と「放心」という幻の武術を現代の京都に顕現させる。

 ただの少女が不思議な力を得て敵と戦う展開はライトノベルにはよくあって、敵も学園なり街なりに迫る魔物なり妖怪変化といったものになって、次第に強力になっていく敵を相手に、少女も眠っていた力を爆発させる。畳みかけられるような興奮が味わえるそんなドラマに填る人の多さが似たジャンルの物語を次々と送り出している。けれどもライトノベルとは違う「こいわらい」では少女が戦う相手は別に京都を襲う魔物や妖怪変化ではなく、成金っぽい風情の老人を襲うヤクザたち。強いといっても人知の範囲は超えてはいない。

 老人を護る行動にも金のためという目的はあっても世界の安寧を護るといた大げさな理由はない。暴かれる闇とか逆境から蘇る少女といったシチュエーションを期待すると最初は物足りなさを覚えるかもしれない。それでも棒1本でそれも独学の技で戦うメグルにとっては男の拳銃使いは強大な敵だし、使う技の不思議さも魔道妖術超能力の類に決して劣っていない。一撃必殺の「こいわらい」が持つスピード感。それに「放心」が加わった時にいったい何が起こるのかという期待感。わくわくとさせてくれる。どきどきとさせてくれる。面白い。とてつもなく面白い物語だよ「こいわらい」は。

 おそらくはそうだったんだろうという帰結に向かう途中にも、紆余曲折があってこれという真相が得られるまでのミステリー風な読みどころも充分。ただの棒きれが何故にそれほどまでにメグルを突き動かすのかという伝奇的な謎もあって想像を巡らせる楽しみを味わえる。それよりなにより和爾めぐるという、一介の女子大生にして美少女剣士の格好良さよ。後遺症から時々からだが動かなくなる彼女を助ける中学時代の同級生もナイトに従え、向かう敵を一撃必殺で叩き伏せていく姿には、文字からだって見ほれないではいられない。

 空間デザイナーという作者の初の小説にしては初めてとは思えない書きっぷり。京都の食事や風俗にも触れられていてちょっとした観光の気分も味わえる。現代を舞台にした陰陽バトルをダシに学生達の恋模様を描いた万城目学の「鴨川ホルモー」に対して秘伝を奪い合い極め合う剣豪小説を土台に女の自活と探求を描いた「こいわらい」。左右に並び立つ現代京都伝奇の良書が同じ年に出そろった裏にはいったい何が? 棒のたくらみかそれとも鬼たちのてまねきか。

 ジャッカルに仕込んでいやがったとはウォルター、やっぱり遙かに以前からそっちと通じあっていたのだな。だとすれば美少女然とした頃のアーカードと2人していっしょに少佐をいったんは闇へと退けたのはいったい何だったんだろー。そのときはまだ敵対していて後で転んだのかそれともその時からすでに通じ合っていたのか。まあいずれそのうち明らかになるんだろーけど進むテンポからあと1年後なのか2年後なのかは分かりません。ましてはOVAがそこまでたどり着くのはいったい何時? 「東京オリンピック」の後くらい? それとも次に日本でサッカー「ワールドカップ」が開かれる頃? ありがちなだけに恐ろしい。

 ともあれ「ヤングキングアワーズ」誌上では最終決戦に近い派手な展開が続く「ヘルシング」に対して「ジオブリーダーズ」の方は相変わらず昭和が舞台の地味展開。ミグ25にベレンコ中尉なんて言われてピンと来るのって40歳以上だろーに。もしかしてそんな世代しか読んでないのか「アワーズ」。冒頭で紹介されてる1979年連載の「超人ロック 炎の虎」とか続く「魔女の世紀」をリアルタイムで読んでのってやっぱり40歳前後から上だろーからなー。でもこの2編は全編を通じても傑作だから最近のファンも買って読むこと。本当はバレンシュタイン大佐の若い自分が描かれた「コズミックゲーム」の再刊も欲しいんだけど。


【10月30日】 眠れない中を録画してあった「ヤマトナデシコ七変化」を1話から見直したらめちゃくちゃに面白かったよ流石はワタナベシンイチさん。メリハリのついた演出に畳みかけるようなテンポは中期から終期にかけての「はれときどきぶた」の様。見ているうちにぐいぐいと世界に引っ張り込まれて気が付くと1話を見てまた次の1話をみたくなるって感じに心が捉えられている。

 歌の凄さで圧倒した「練馬大根ブラザーズ」も悪くはなかったけれど、あのノリにノれないと結構キツかった。こっちはマイ・フェア・レディよろしく暗鬱なスナコちゃんを美形4人がどうにか見目麗しい淑女に仕立て上げるって定型なストーリーの上で爆裂したキャラが踊り回る楽しさがたっぷり。鬱々と喋り時には怒鳴り叫ぶスナコちゃんの演技も耳に刺さって気を逸らさせない、寝させない。原作とか読んでないから展開とか帰結とかまるで分からないし、そもそもそーゆーテンポの話なのかも知らないけれどアニメ版として単独で見ても存分に楽しめそうな逸品。夕方とかに放映されたら「こどちゃ」あたりに並んでもっと話題になったんだろうけど、今ってそれが許されない時代なんだなあ。勿体ないもったいない。

 仮にもほどなく30歳になろうってゆー分別のある男子がだよ、自分探しとか行ってあちらこちらの観光地を巡り見聞を広めてますってんならまだしも、フィリピンのスラムな地域に立ち寄って、地元の大変な境遇にある子供たちとサッカーをして見聞を広めましたって言って、いったい誰がすげえよって褒め称えてくれると想っているんだろーか? 世界にはいろいろと厳しいところがあることなんて、普通の人だったら20歳になる前に分かっている。分かって何かをしようと頑張っている。今さらヒデが訪ねたところでそれが改善のための何か新しい動きを起こすなんて思えない。

 これがマドンナの場合はアフリカのマラウィ貧しい地域に生まれ育った孤児を引き取ろうとして世界中に波紋を巻き起こしている。人身売買的だの偽善的だのといった批判も確かにあるけれど、一方では世界にそうした厳しい地域があるんだってことを知らしめつつ、行動してみせることの強さってものを見せてくれた。ヒデが苦手なフィリップ・トルシェ元日本代表監督だって、モロッコ人の孤児を養子に引き取りさらに育てやすいようにとイスラム教に改宗して名をオマル・トルシェに改めた。それなのにヒデの場合は“自分探し”で行って見聞を広めましたってだけ。それが新聞なりを飾り通信社を経て世界に(というか日本に)喧伝される。何だかとっても居心地が悪い。

 サッカー選手として専念していたから世事に疎いって理由もあるかもしれないけれど、でもヒデと同じ代表メンバーに加わっていたナイジェリアワールドユース組、いわゆる黄金世代はとうの昔にトルシェに引きずられてブルキナファソへと遠征に赴き、そこで日本に比べてはるかに劣悪な環境でも頑張る子供達の姿に触れていろいろと考えている。彼らから何も聞いていなかったんだろうか。あるいは元日本代表の北沢豪さんが、カンボジアにサカーボールを贈る活動を長く続けている。同じ世界にいてそうした活動を見聞きしていなかったんだろうか。

 もしもヒデがあと少し遅く生まれて黄金世代に加わっていたとしたら、トルシェに引き連れられて黄金世代といっしょにアフリカを見て、30歳になって自分探しを始めるまでもなく世界の広さ複雑さを感じたんだろ。そうすれば自分の脚1本で巨額の金を稼ぎ出すとともに、それを使った何かが出来るし大勢の子供たちに希望を見せられる現役サッカー選手の地位を、ああもあっさりと投げ出さなかったに違いない。若くしてブラジルに渡り貧困から這い上がったカズが今なお現役で、移民として過酷な性根時代を贈ったジダンがあの年齢まで頑張ったように。ちょっとした歳の差が、ヒデに世界を思う気持ちを醸成させる間もなしに、30歳まで行かしてしまったんだとしたら残念というより他にない。

 もちろん30歳になろうと50歳になろうと、個々人が見聞を広めそこで初めて世界がとても広くていろいろあるんだってことを知るのは自由だし、むしろ良いことだと思う。その経験が後々の行動に生きてくれればこんなに喜ばしいことはない。問題はそうした“発見”を“発見”としてのみ喧伝することに、何ら違和感を抱かないヒデの周りの動きだろう。それがどうしたと、100人が聞いて90人は思うだろうことを平気でやってしまえるこの不思議さたるや。ちょっと理解が及ばない。

 積極的にプロモートしたというよりは、年の割にピュアなヒデの感性に沿った形でメディアへの露出をコントロールしているんだろーけれど、それがあまりに拙いと感じた時には諭し導く大人の対応が必要だ。でもできない。一緒になってお目出度いと騒いでいる。どうしたものかなあ。とりあえずフィリピンも含めた“自分探し”の旅写真集がキヤノンのカメラで撮影されましたってキャプション付きで刊行されないことを願おう。それだけはやってはいけない。あいや売上の全額を寄付するなら或いは。うーむ。

 おおおおおお。桜坂洋さんの名前を最後に見てからいったいどれだけの年月が流れたのだろう。種だった朝顔が芽を出し蔓を伸ばして花を咲かせて散って種をばらまくくらいの期間がきっと流れたにちがいない。それだけの長きにわたる沈黙をへて「ザ・スニーカー」の2006年12月号にて大復活を遂げた。それも「時をかける少女」の特集に寄せる短編とゆー形で。題して「5分前の彼女と5秒後の彼」は認識の差異を梃子にして描いたSF短編でありまたボーイ・ミーツ・ガールの物語。読めば驚きのビジョンを見せられる。眼鏡の委員長な美少女が男にストンピングをスカート姿でかます描写もあって何とも痛快。痒いところに手が届くとはこのことだ。同じ号には森岡浩之さんも短編「いつものように爽やかな朝」を寄せて「時かけ」トリビュートで競演中。新城カズマさんと日日日さんの対談もあって裏から斜めから「時かけ」の魅力に迫っている。ファン必読の号かも。ついでに僕の書評ページも斜めで良いから、読んで。


【10月29日】 気が付くと午前2時を少し回ったところでテレビを着けて「BLACK LAGOON」の通算16話で第2期では4話目をリアルタイムで鑑賞。単行本にまだなっていないエピソードが初めてアニメーションになって連載をそこんとこだけ飛ばしていた身にはこれが初見。なるほど偽札ジェーンが得体の知れないガンマンどもに追われていた訳が分かったよ。ITが得意なのはインド人だからなんだろーけれど偽札作りに手を染めたのも凝り性故か。でもってその凝り性が仇となって2ヶ月間も納期を遅らせお役ご免の寸前。慌てて飛び出したまでは良かったけれど逃げ込もうとした先がヨランダ婆さん率いる暴力教会では神様なんていやしない。

 エダの開けたドアに跳ねとばされてゴロゴロと転がっていくその向こう側に乗り付けて来たフロリダあたりのマフィアたちが事情も知らずに銃をぶっぱなしてはエダと酒をかっくらいに来ていたレヴィを怒らせ銃撃戦に。でもってヨランダ婆さんまでもがブリッツ・スタンフォードの手にしたルガーなんかよりも凶悪な面構えをした金色に輝く銃を手に持ち1発撃てば、ガソリンタンクに命中したのが車が火炎を吹っ飛び転がりマフィアたちは方法の体で退散する。なるほど迂闊に手を出して良いところじゃないんだ教会は。もっともジェーンは口の減らない性格も災いしてか教会も叩き出されてモーテルへと逃げ込む。

 そこに集まるは雇われた腕っこきの殺し屋たち。ですだよシェンホアもいれば始末屋の姉ちゃんもいてそしてロットン・ザ・ウィザードなんて名前だけ(な割には意外にしぶといことは次週に証明されるはず)の野郎がいたりとまるで「ジオブリーダーズ」の三重編みたいな展開が、超シリアスで後味も決して良くはなかった双子編とか、これもやっぱりシリアスな展開の日本編なんかの間に位置して、陽気に楽しく喧噪渦巻くロワナプラの社会を描いて楽しい気持ちにさせてくれることだろー。でもやっぱり最後に暗黒面が口を開けるんだけど。人は見かけによらないってことだ。

 ゴロゴロと転がっていくジェーンのスカート姿故に当然な描写が目にもくっきり。インド系なだけあって肌もやや褐色気味なんで余計に映える。次週も四つん這いになってモーテルを逃げ出すシーンでこっちや読めにも鮮やかなものを見せてくれそー。出てくる奴らがレヴィを筆頭にエダにロベルタにバラライカにシェンホアにグレーテルといった面々ばかりでおよそ堪能できなかった清純な白い世界がようやくここに来て繰り広げられたんだなあと感慨。でも性格はおよそ清純とはほど遠い。日本編での鷲峰雪緒登場にかけるしかないのかやっぱり。

 久々なクルミ・ヌイの登場にマイメロディの凶悪さを再認識しつつ家を出て「江戸東京博物館」で「ボストン美術館所蔵 肉筆浮世絵展 江戸の誘惑」を見物。いやあ美しい。版画として版木に掘られ刷り師によって刷られた浮世絵も色鮮やかさとデザインの秀逸さで目に響いてくるけれど、原画として描かれたものとか依頼で描かれた1点物とかいった肉筆画は色も鮮やかな上に線の繊細さもよく出ていて当時の画家たちの技術力の高さってものがよく伺える。

 緻密な絵ってゆーと欧州の貴族なんかが描かれた肖像画なんかが衣装やアクセサリーなんかを緻密に描いてて目を驚かせるけど、浮世絵だって着物の繊細な柄を描いた上に浮世絵っぽく意匠化までしているんだから凄い才能。日本ならではのそんな技法が今にまるで伝わっていないのは何が勿体ない。っても欧米だってレンブラントみたいなフェルメールみたいな絵を描く人はもういないんだけど。写真がある以上はそんな精緻に肖像を描く技術なんていらないってことなんだろーか。これもこれで勿体ない。

 引目かぎ鼻って日本ならではの美観から描かれた女性たちが今に通じる美人かってゆーと悩ましいところもあるけれど、時代や流派によっては今の美観に近い美人画を描いているところも。たとえば懐月堂ってところの描く美人は顔がふっくらとして間延びしてなく、目と鼻と口のバランスも良くって今に通じる美人顔って感じ。この技法を受け継いだ松野親信って人が描いた美人画も同じ顔立ちな上に立ち姿でなかなかに凛としていて年下とかからお姉さまって慕われそう。前髪をなでつけた髪形なんかも含めてどっか「護くんに女神の祝福を」の鷹栖絢子さまっぽい。竹田春信なんかの美人画もそんな感じ。いずれも1700年代の初頭の作品で、これが1800年代に入るとデフォルメが効いたやや下ぶくれないかにも浮世絵って感じの顔になって来る。趣味の違いかそれとも人種が変わったか。

大名屋敷の上でアラキネマ。シュールだけど馴染んでいるのはアラーキーが歩く江戸・東京そのものだからなのだ  会場を出て6階へと上がり常設店へ。巨大な空間に江戸やら東京の町の一部が再現された模型がおかれている雰囲気は、最近第4巻も出た高山しのぶさんの「あまつき」(一迅社)の冒頭に出てきたテーマパークって感じ。もっとも「あまつき」はバーチャルリアリティを見せるゴーグルをかけるとブルーバックにCGの江戸の人物たちが浮かび上がってよりリアルな雰囲気を体感させてくれる施設だったけど、現代の技術ではそこまではまだ無理なのか会場はポコポコと模型が置かれているくらい。とてもじゃないけどそのまま「あまつき」の舞台になっている幻の江戸に引きずり込まれるような雰囲気はない。鵺も日本橋に座っていなかったし。

 それでも実寸大で再現されてる日本橋とか中村座とか、ミニチュアながらも隅々まで再現されてる大名屋敷とかを見たり飾られた大名の用具や大正昭和の日本にあった家屋やら道具なんかを見ているだけで、当時の空気が感じられて来る。物は少ないし娯楽も大してなかったけれど、シンプルな中に家族を大切にして日々を前向きに生きようって気持ちがあふれていた時代、だったんだろーなー、きっと。見学している人の中には外国からの旅行客とかもたくさん。なかなかにグラマラスな外国人の女の子とかいて目の保養にもなり良い時間。けど日本語喋ってたぞ彼女。あやかしか。

 その常設展示会場では荒木経惟さんの展覧会「東京人生」も同時に開催。東京がテーマになった風景画やら東京の繁華街が舞台の女性像やら花やら空やらがパネルになって貼られている場所もあれば、アラキネマとして上映されている場所もあって再現された江戸と東京の町々に昭和末期から平成へと変化していく東京のあれやこれやが埋め込まれている感じがして興味をそそられる。企画した人もそんな効果を狙ったのかな。

 凄かったのは大名屋敷の巨大な模型のその後方に設えられた巨大なスクリーンに映し出されるアラキネマ。2面あるスクリーンに順繰りに猥雑な美女とか雑然とした街並みとか、活力にあふれた人々とか荒木さんの作品が映し出されていく光景は、なかなかにシュールで不思議な感じがしたけれど、そーした猥雑だったりパワフルだったり淫靡だったりする荒木さんの作品が生まれたのも、活気あふれる江戸があり、活力を失わない東京があってのもの。何でも飲み込み消化し吐き出しまた飲み込んでいく江戸なり東京って街を凝縮した場所で繰り広げられるのに、これほど相応しい展覧会もないって言えそう。荒木経惟は歩く江戸東京博物館、ってことで。おや誰か見知った人がカラオケを歌っている姿が大写しになっているぞ。


【10月28日】 見本で届いた阿部和重さん「ミステリアスセッティング」(朝日新聞社)をつらっと読む。なるほどマッチ売りの少女ねえ。つか思い込みだけで生きてる無垢さとは裏腹な自己愛にあふれた少女が、騙されふり回された挙げ句にドツボにハマってどっかーんて自爆するイタい話って読むと読めてしまうんだけどそれが芥川賞ってベールに包まれるなり、フィルターを通すなりすると“極限の純愛小説”になるんだから日本って国は実に優雅だ。

 これなら本文の放送禁止用語続出な、ルワンダで頭に鉈をたたき落とすフツだかツチだかの住民の目が死んでいる様を見て絶頂に達する警察署長が主人公の、本文中には放送禁止系な言葉が頻出している戸梶圭太さんの新刊「バカをあやつれ」の方がよっぽど刺激的で文学的。世の中に悪意と嘲笑をまき散らしては読む奴らの脳髄をスポンジみたいに穴だらけにしてくれるぜ。けどでも阿部さんだって昔は刺激的だった訳で賞って看板が何かギラギラしたものを取り去ってしまったのかそれとも、背伸びしていた部分を取り払って実はピュアだった本質を露わにしてしまったのか。戸梶さんが賞をとったら変わるのかなあ。戸梶さんいつになったら何か賞を取るのかなあ。

 目ざめたら三銃士のプロモーションビデオが流れていた。違う「おとぎ銃士赤ずきん」はいつぞや以来の登場となるブレーメン音楽隊な4人が、唄うといろいろ変化が起こる南瓜に向かって音楽魔法をかけた結果デカい南瓜が誕生。強大な相手に苦戦していた赤ずきんだったけど、歌で操れるんだったらといきなり歌い始めてからがミュージカル。最初は不思議な踊りと単純な歌だったものが、エスカレートしてバックにこれまでの放映分から編集されたシーンをつないだ映像が流れる上を、キャラクターミニアルバムに収録された曲が1人ひとりワンコーラスづつ唄われてそれぞれの魅力を堪能できた。いやあ良い回だ。アルバム買いたくなるくらいに絶妙のプロモーションだ。手抜きじゃないって。多分。

 今日もきょうとて「六本木ヒルズ」で「東京コンテンツマーケット」を見物。「やわらか戦車」の様々なグッズを手がける企業の代表が「やわらか戦車連合軍」として登壇して世間的には向けない「やわらか戦車」をいかにして商品化していったかって話をするシンポジウムが面白そうだったんで土曜日だってのに40階の薄暗い場所で話を拝聴する。面白かった。例えば角川ザテレビジョンの寺田克也さん似なおっさんは絵本化にあたってネットのスタイルに引きずられ、黒字の中に四角いコマの四隅を丸くしたブラウン管風の画面を白く抜いてそこに絵を描き上半分には黒字に白抜きでご教訓めいた言葉を入れるスタイルを提案して来たラレコさんに駄目を出したらしー。

 さらに試行錯誤を重ねフォーマットを作り、またネットと同じ線では弱いと戦車の主線を漫画みたいに太くすることで印象を強くし、さらに忙しいラレコさんにアシスタントも手配して何とかどういんか本を仕上げてようやくの刊行へとこぎ着けたらしー。相手がネットで騒然のクリエーターでも本とゆーパッケージにかけては角川の方がはるかにノウハウがある訳で、それを主張し相手の才能も引っ張り出しつつ最上のものを仕上げてみせるプロフェッショナルの仕事ぶり、学ばせて頂きました。しかし強面な人だったなあ。藤田薫さん。

 続くすばる堂はタカラトミーの関連会社で食玩なんかを専門に手がけている会社。商品化された点では1番くらいに早いんだけど頼みに行ったのはもう3話分くらいまでがアップされてた時期とかでちょっと意外。当方的にはすでにして「くわがたツマミ」とか「コアラッコ」とか「カレーパンのうた」で一部に知られていたラレコさんが、ライブドアの「ネットアニメ」に作品を出したってことでアップと同時に見に行って、その面白さにこいつぁすげぇと小躍りして、すぐにでもどこかが食らいついてくるぞって思ったんだけど、世間的にはネットで流通しているだけのマイナー過ぎる作品で、知れ渡るまでには時間もかかったってことなんだろー。それでも数ヶ月でちょっと感度の高い人ん所に伝わったのはある意味凄いのかも。

 担当者レベルではそれなりに注目はしてたんだけど、問題は決済できる権限をもった人たちの考え方。どこまで売れるかって躊躇もあったんだろーけど、そこは本体とは違う気安さもあってどーにかこーにか商品化にこぎ着けたあとはご存じのとーり、先行販売すれば20分で1000個が消える爆発的な現象を引き起こし、今は第2弾の準備が進められているとか。良い商材を掴んだねえ。そんんたタカラトミーグループの会社がバンダイナムコグループのバンプレストと呉越同舟なのも「やわらか戦車連合軍」の面白いところ。とはいえバンプレストは極めて早い時期に商品化を考え、手作りの縫いぐるみを作り原型まで仕上げてファンワークスへと持ち込んだらしい。その辺は手早い。

 上も上でメディアミックス等の仕掛けがない作品への躊躇いはあったものの損をしない程度にやってみたらと社長の人も考えたらしくあとはどうにかこうにか準備が進んで、「アミューズメントマシンショー」にてそれなりの規模でのプライズがお披露目されてその頃にはすっかり高まっていた世間の認知度に後押しされて、あちらこちらで取り上げられた。もとよりプライズの商品化にかけてはノウハウもあれば相手のキャラクターを活かすことに心血を注ぐ社風もあるらしーバンプレストならではの手際。それでも何ヶ月か躊躇えばやっぱりどこかに持っていかれた可能性もある訳で、タオルで縫いぐるみを手作りして持ち込んだ若い社員の感性の、ここはそのビビッドさに拍手を差し上げよう。次は何を手作りして持ち込む?

 フェイスの携帯や音楽コンテンツはフットワークの軽いITってことでそれなりのスピードで行われた模様。今はカラオケボックス向けにテーマソングを配信したり、バンダイナムコゲームスの「太鼓の達人」の楽曲にテーマソングを入れたりと色んなところに“退却中”らしー。甲子園の入場行進曲になる日も遠くないかも。その時は全選手が後ろ向きで退却しながら入場だ。これからの展開も発表になってて本家のタカラトミーが何かを創るそーで後はショウワノートが文具をやるとか。柔らかい消しゴムとか創るのかな。ジェネオンエンタテインメントもDVDを発売とか。ネット版をまとめるだけかそれともプラスアルファがあるのか。とりあえずやわらかパッケージだけは止めとくれ。


【10月27日】 とりあえず鶴屋さんが可愛い。と思いつつ草野球編にカマドウマ退治編へと入っていたDVD版「涼宮ハルヒの憂鬱」第4巻なんかを見ながらしみじみと思う。文庫の記憶を探りつつ、本編に挟まれ本編を過去の既成事実として扱う本編以外のエピソードに提示される、本編に絡んだ情報から本編への想像を膨らましていくことによって、最後に襲ってくるスペクタクルへの興奮と、未来に開かれた決着への安心感はシャッフルされた放映をリアルタイムに見ていたからこそ、得られたものだったのだなあ。

 既に本編を見終わった上に、その後の平穏無事でもないけれどとりあえずは穏やかなSOS団の日々についても見知った上で見ていくDVDは、本編で提示され繰り広げられた事象をそうだったよねと追認していく楽しさはあっても、既成事実として示された情報をそれらが既成事実化していない本編へとフィードバックし、本編の世界を認識しつつ行く末を探っていく楽しさとはまた違うんだよなあ。原作を知らないかうろ覚えのままDVDからアニメ版を見始めた人にとっては、アニメーションの「涼宮ハルヒの憂鬱」ってどんな印象なんだろう? 平凡な学園スラップスティックラブコメディにしか見えないんだろうか。などと考えながら秋の夜長も更けていく。めがっさにょろ。

 早起きして「六本木ヒルズ」へと向かい40階に上がったら「Pマン」がいた。近所を歩いていたヒッピー風ファッションのお兄さんが「今年もいるんだ」といっていたから去年もいたのかもしれないけれど、同じ「東京コンテンツマーケット」とはいえ去年までは「東京国際フォーラム」が会場で、地下の平場に詰め込まれた未来のクリエーターを漁りにそれこそ「デザインフェスタ」なんかを見るのと同じ感覚で、美大系の人も本来のビジネスにつながるコンテンツとかキャラクターを探しに来ている背広な人たちに混じって見られたから、別に「Pマン」がすっくと立ってポーズをキメてたって違和感はなかった。

 けど今年は日本でももっとも”とれんでぃ”なスポットとして知られる「六本木ヒルズ」だ。それも40階なんてハイブロウにも程がある場所だ。窓から見渡せば東京タワーに富士山にお台場から新宿から横浜から遙か彼方が目に入る絶景な場所に特撮のそれも自主制作のPマンが立っている。つまりはそれだけ日本のビジネスシーンって奴が、若い才能新しいコンテンツを求めている中で、かつてはコミケワンフェスSF大会にトイフェスデザインフェスタGEISAIあたりでごくごくマニアにひっそりと、人気になっていた特撮やらアニメやらってものにも関心を抱き引っ張り出そうと模索している現れなのかも。いだったら「東京コンテンツマーケット」なんて開いてないでデザインフェスタSF大会ワンフェス等々に行きなさいってんだ企業の人。横浜が会場となり「世界SF大会」だったら「Pマン」行ってるみたいだし。

 とはいえ5回目を迎えた「東京コンテンツマーケット」は、初期のもっと雑然として玉石混淆だった時期に比べて、よりビジネスに直結しやすい題材が審査員たちの目を通してセレクトされているって感じもあって、出展されている品々は絵なら絵、作品なら作品、造型な造型、映像なら映像がちゃんと手にされててそれは何かが分かり、そしてそこから何が出来るのかが想像しやすかった。例えば「TCMアワード」で静止画の賞を獲得した伝陽一郎さんは「INUISU」って犬が豊かでコミカルな表情をポーズで椅子に座っている造型でもって、以前に「文化庁メディア芸術祭」の新人向け賞を獲得したこともあって展示してある造形物がそのまま商品クオリティ。驚いた。

 それこそバンダイあたりが猫をテーマにフィギュアを付けたキャンディトイに続くシリーズとして、商品化したって不思議はない出来だった。あるいはペットボトルのボトルキャップとか。実際にペットフードの会社がおまけのストラップにこの犬たちを採用して小さく商品化していたことのこと。けどまだまだ全然引き合いはないそーで「TCMアワード」って賞が果たしてどれくらいの神通力を持っているのかは分からないけど、それをきっかけに声がかかれば、あるいは売り込みに行ければって作者の人は離してくれた。映像化、なんてのも希望していたけれどクレイじゃないフィギュアってどう動かせば良いんだろう。CGかなあ。

 映像化ではTAKORASUさんて人が中空を行く巨大で複雑でレトロなメカちっくの城塞やら飛行機やらを細かいペンで描いた従来からの作品を、PC上で動かしてみせた作品が「TCMアワード」の動画部門賞を獲得してた。以前にも出展したことがあったらしーけどその時はポストカードなりポスターとして展示しただけであんまり関心を持たれなかったんで、だったら動かしてみようそーすればもっと世界観が伝わりやすいかもってことで動かしてせて見事に受賞。静止画だって見る人が見ればこれを導入してアニメの上で「ハウルの動く城」よろしく動かしてみるなり、物語の舞台にしてみたら面白いかもってアプローチをかけたくなるものなんだけど、ビジネスって場はシビアなのか鈍いのか、実際に動かして見せないと動けば面白いかもってことに気づかない。あるいはそこまでの親切さを持っていない。

 ちなみにTAKORASUさんの方は村上隆さん率いる「GEISAI」でもって「美術手帖」か何かのスカウト賞も獲得したことがあったんだけどその時にあったはなしも静止画像の壁紙的な配信だから動画とは無縁。イラストとしての仕事も時にはなかったみたいで今は可愛いキャラクターも登場する作品をイラストとして仕事にしつつ、オリジナルの幻想的なレトロチックな世界を淡々を描き続けている。長く「文學界」の表紙に使われている野又穣さん的な、空想力を喚起させられるシリーズなだけにそーゆー方面での引き合いがあっても不思議じゃない。カラーじゃないのが難だけど「SFマガジン」の表紙とか口絵イラストになっても面白そう。当人にその世界を言語化出来る力があればなお良いんだけどどうなんだろう。ともかく未来を感じさせる面々が割にそろった「東京コンテンツマーケット」は28日も開催中。商売のネタを探している人はのぞいてみよう。「Pマン」がガッツでお出迎えしてくれるゼ。


【10月26日】 いくら目の前にゴールキーパーが迫って来ているとはいえ、ぶつかると痛そうだからと手を前に出して突っ込んでいけば、ボールに手が当たってしまうのも道理。それを避けて得点だけを考えるんだったら手は後ろに引っ込めるなり、横に付けておくなりして頭なり肩から突っ込んでいくのが魂からのフォワードっぽい動きだけど、眼前に障害物が迫れば咄嗟に手を出してしまうのが人間の本能って奴だけに難しい。

 キーパーのところにボールが行ったんで我が身を守りつつ突っ込んでみたら、相手も驚いてボールを離してしまい手に当たってしまったって、どこかにアリバイ作りの意識も漂うプレーではなかったって思いたいけど、奪われたボールに食らいついていく感じってのがあまりなかっただけに、見ていた人には希薄の無さを感じさせてしまったかもしれないなあ。平山相太選手。あの身体能力に巻播戸の動きが加われば。それが出来てりゃ帰っては来ないか。うーむ。

 そうそう国立競技場では日本と韓国と中国のU21対抗戦開催にちなんだ弁当が売られてて、1000円とはまた無体な値段と思いつつも国立なんで仕方がないかと諦め買って試食。韓国からはチヂミにキムチにモヤシの何かが来ていて中国からはシウマイに春巻きあたりが入っていたけど日本からはとりたてて目立った食材が入っていなかったよーな記憶が。ってゆーか日本ってご飯に梅干ししかなかったよーな。日の丸は日本の旗だからっ日の丸弁当が日本を代表する食べ物なわきゃあない。来日して買ってみた中国韓国の人にそう思われた日にゃあ、ちょっと悲しいものがあるので次回のU21韓国代表の時にはもう少し、ゴージャスな食材を入れて中国韓国を圧倒して頂きたいもの。塩鮭とか。鰹節とか。鰺の開きとか。

 日の丸がどっか透けて見えそーなのが昨今の必修科目履修不足告発ブーム。1つ出たと思ったらさほど時間を置かずに全国でいっせいにワラワラと出てきてそれが新聞紙面を飾り立てるなんて、各紙とも余程の取材力を持っているのかそれとも相当に暇なのか。狭い路地なのに近道だからって高速で車が走り抜ける地区の問題でも、虐待されてる子供が救われていない実状でも幾らだって告発すべき話はあるんだろーけど“ブーム”じゃなく、紙面で扱いが大きくならないから評価につながらないから動かない、扱いの大きくなる履修不足探しに血道を上げるってんならそりゃあ問題。頭の悪さが出ている。

 あるいはここまで各地で一気に履修不足の情報が出回る背景に、文部科学省あたりの意を受けた調査リポートなんかがあったりして、それを受けてメディアが動いているんだとしたらと想像するとなかなかに不気味。地方でそれぞれの教育委員会なんかが、独自の裁量で監督に当たっているから履修不足の見逃しなり、不足していてもまあ良いかってお目こぼしが起こり、引いてはそれが教育現場の“暴走”と教育の劣化につながっているんだってことで、国が教育の統制なんかに乗り出して来ないとも限らない。むろん質の向上に繋がるんだったら悪くはないけれど、そうはならないのがお上の仕事。まずは国旗だ国歌だ愛国心だって外枠を固める方向から入って現場の様々な問題を切り捨て、画一化へと向かい金太郎飴ばかりが生まれる愉快な世界へと突き進む。面倒な世の中になって来たなあ。道徳の教科書が「美しい国へ」じゃないことを祈ろう。

 父親は遺伝子操作の粋を集めて作り出された究極の軍用犬。母親はシベリアのタイガでトナカイを追っていたタイリクオオカミ。それが数奇な運命を辿って和歌山山中で出会い交わり生まれた子供は当然にして究極を超える戦闘能力を持った子犬たち。幼くして強靱さと獰猛さを発揮し確保した人間たちを手こずらせていたが、そこに現れたのが1人の少女。その視線その匂いその心根に感じるものがあったのか、犬たちの本能が少女を主と認めて付き従うよーになるとゆー、それこそ「南総里見八犬伝」の昔から山とありそーな少女と動物の交流譚なんだけど書いたのが吉岡平さんとなると話は別。ソノラマノベルズから刊行の「狗王」(朝日ソノラマ、1000円)は次から次へと事件が起こり場面が変わりキャラが関わり進んでいくテンポの良さでぐいぐい読ませ、緊迫感とスピード感にあふれた犬たちの戦う描写が目に迫力のバトルシーンを浮かばせる。

 軍用犬と狼の間に生まれた狼犬のタチと心を通わせる力を持った少女が、それを利用しようとする軍用犬の開発元の米軍人にさらわれたのをきっかけに、少女が居候していた親戚の家にいて引きこもっていた長男がこざっぱりとした風貌になり、家を出て少女の父親たちと探索に向かう展開とか米軍が犬とは別に作っていた、マンドリルが土台の怪物猿がクライマックスに登場してメイド服やらオタク青年やらを粉砕し、キングコングよろしく少女をさらって連れ回す展開とかもうサービス精神てんこ盛りのストーリー。隠れてひっそり繰り広げられている闇闘犬とかも描かれていて目まぐるしい。少女と狼犬に絞り強大な敵を相手に過酷な闘いを挑むリアルでシリアスな感動ストーリーにだって出来る材料を、暗くならず重くもさせずに飽きさせないエンターテインメントへと仕立て上げた腕前は流石ベテランと行って置こう。ところで「ヴァウハラ・コネクション」の続きはどうなった?


【10月25日】 最近、展覧会に幾たびに入り口で貸し出している音声ガイドって奴が気になって仕方がない。絵を鑑賞する時にガイドをつけて当該の絵の前に行くとその絵に関する解説が流れ出してそれをヘッドホンで聴くってアレだけど、絵を見る時ってゆーのはその絵が放つ何物かを、じっと目を凝らして見つめ続けることによって心に浮かび上がらせてみて、何かしらの解釈にたどり着くのがまっすぐなあり方だって教わってきた身にとって、誰かが固定化させた解釈を真ん前に絵をみながら聴くなんて邪道も甚だしいって気がしてならない。。

 だったら入り口でカタログでも買って解説を読みながら見るとか、逆に見たあとでカタログを買って瞼に焼き付けたその絵の解説をたどってそーだったんだと理解する方が、勉強にも頭の体操にもなるって思うんだけど、そーゆー勉強チックな鑑賞法ってのは昨今、流行らないみたい。今時の人はそれが何かをすぐにでも知りたいんだろー、そしてより“正解”に近い答えを手っ取り早く知りたいんだろー。結構な数の人がガイドを借りてはギャラリーの中へと入っていく様を見るにつけ、天下のルーヴル美術館が大日本印刷と組んで美術作品の周辺にマルチメディア技術の粋を結集させて、音声だったりタッチパネルをつかって映し出す文章だったりでもって、個々人が望む情報をその場で見られるようにできないかって模索するのも時代の流れ、仕方がないって解釈するのが筋なんだろー。

 あらかじめ言語とか、鑑賞に要したい時間なんかを連絡しておき来常時にそれらが記録されたICタグが張り付いた入場券とPDAをもらって入ると、どの順路で見ていけば時間と内容が自分にマッチしたものかをPDAが教えてくれるんだとか。いやあ便利な世の中になったもんだ。言語に関してはルーヴル美術館みたく全世界から様々な言語の人がやって来るだけに、それらの国々の人たちに楽しんでもらいたいってことで、他言語の案内を用意しておきそれぞれの属性に合わせて流れるようにするって意義はありそー。あとはレベルに応じてどれくらの情報を流すかってゆー選択も可能になるのがマルチメディアの良いところか。とはいえやっぱり見ながら解説をその場で聴くってのは個人的には入れられない鑑賞行動。遠からず脳内にデバイスが放り込まれてそこから絵画の1枚1枚に応じて電波が脳内に直接送り込まれるよーな時代が来たって、僕はきっと装置を切って絵を楽しむんだろーなー。そんな時代が来るかは別にして。便利だけどね。

 面白い、といったがら語弊もあるけれど興味深さでは今年に出たスポーツ関連本でも「Gファイル 長嶋茂雄と黒衣の参謀」と並ぶかもしれない「女に生まれて男で生きて 女子サッカー元日本代表エースストライカーと性同一性障害」(河出書房新社、1300円)。書いたのは水間百合子さんって女子サッカー日本代表として90年の北京アジア大会を始め、数々の試合に出場したフォワードの選手なんだけど、単に女子サッカーの歴史を振り返る内容じゃないのはタイトルを見ればすぐにも分かる。

 水間選手は子供の頃から自分の性別に違和感を持ちながらプレーしていて、それをずっと言い出せずにいたんだけど、水商売の道へと入ってそれなりに年齢を重ねてきたこともあってカミングアウトしたのがこの本ってことになる。だから内容は、学校時代の服装に悩んだ話とか、周りにいる女性たちに感じる自分の志向が相手の感情と相容れるものなのかを悩みつつ、たまに現れる理解のある相手と関係も持っていたってゆー、性同一性障害(GDI)の人が発表する手記とそれほど変わらない。

 水商売の仕事を始めてから付き合った、こちらは男性だけど心は女性とゆーGDIの人との心と体があべこべになった関係が、心だけでなく体も重ねようとした時に起こった何とも言い難い感情などは、笑い事ではなくシビアな問題を投げかけてくる。外野が下卑た感覚で思うことと当人たちの感情は違っているってことなんだろー。

 それとスポーツ選手でそれも一線級のアスリートだったこともあって、周囲が女性ばかりとゆー環境におかれて抱く複雑な感情と、そんな感情を押し殺して相手とどうやって接するかってゆー難しさも書かれてあって興味深い。たしかスウェーデンだったかノルウェーだったかの女性サッカー選手が、レズビアンだとカミングアウトして女性の恋人を連れて歩いている話が出回ったけれど、そんな選手をチームがどう遇しているのか、他の選手たちがどう思っているかがちょっと知りたい。

 あとは80年代から90年代にかけて、女子サッカーが置かれていた環境の過酷さも描かれていて、女子サッカーの歴史について関心を持っている人たちにとっても重要な本って言えそー。所属していた浦和本太レディースってチームが元がママさんチームでジュニア登録に変えてもやっぱりアマチュアチームだった中にあって、代表にも呼ばれるくらいの実力を持った水間さんが練習したいと悩みつつも果たせず、開幕したL・リーグの波を横目に悶々とし、移籍しようと考えながらも世話になった監督の強権もあって出られず苦しんだ経緯は、スポーツの世界が今もどこかに抱えている徒弟制度的、部活的な仕組みを浮かび上がらせる。

 同じ頃に代表で活躍していた木岡二葉さんや手塚貴子さんや鈴木政江さんや本田美登里さんたちが、評論をしたり協会の仕事をしたりL・リーグのチームを率いて戦っていたりとサッカーに関わる仕事をしている一方で、完全に袂をわかって10年近く沈黙をしていた水間さんが、今どーしてカミングアウトをしたのかは分からないけれど、「なでしこジャパン」として盛り上がりを見せている女子サッカーの世界に何か波風を起こしたいっていったものでは決してない。そんな気持ちがあるんだったら数年前の、北朝鮮を破り五輪出場を決めた人気のピーク時にやっている。

 社会がGDIといったものに理解を示すよーになったことがひとつにはあって、また女子サッカーとゆーものが一般にも知られ始める中で、そこでかつて活躍していた1人の選手とゆーバリューから興味を持って読んでもらった人に、世界にはこーした悩みを抱えている人間が大勢いるんだって知ってもらいたい気持ちが、働いたからなんだろー。きっと大勢の有名選手たちと関わりながらも、そーした固有名詞を一切出していないところにかつての同僚たちへの配慮が感じられる。女子サッカーやあらゆる女子スポーツに関心がある人にとっては、実際に女子のそれも決してメジャーではない競技がおかれている環境の厳しさを知ってもらうとともに、様々な悩みと思いを抱えた人が生きているって事実を知ってもらおうとした意義深い本。願わくは女子サッカー、GIDの双方に実りをもたらすことを。

 2万人も来りゃ上等だけどそのうちのどれくらいが真っ当にチケットを買って入場したんだろーか。1万にくらいもいたのかな。でもそんな1万人には果たしてどれだけ支払った対価に見合う試合だったか、ちょっと微妙な気がしたサッカー「U21日本代表対U21中国代表」。入りはじめはボールが回らず中国に攻められる場面が結構あって冷や冷や。それでも前半に絶妙のサイドチェンジから受けた右サイドの選手がクロスを入れてそれが平山相太選手の頭を越えて落ちてきたところに、梶山陽平選手が突っ込みヘディングで1点。見事な速攻に溜飲も下がったけれど前半はその1点であとはやっぱり攻めきれない展開が続いてちょっぴり眠くなる。

 見に来ていたリトバルスキーへのサイン責めなんかがあったハーフタイムを終えて始まった後半も出だしはパスが回らず退屈な展開。それでもだんだんとパスが回るよーになって攻めて攻められまた攻める、ピンポンのよーな試合展開になって興奮の度合いもやや高まる。そんな中に炸裂したのが我らが平山選手によるクロスチョップシュート。チョップってそりゃハンドじゃん、って思いたい人が思うのも当然。だけど審判はそーは思わなかったらしくキーパーがちょんと弾いてしまった所に突っ込んでいた平山選手の体の“どこか”に当たったボールがそのままゴールへと転がり込んだ追加点を含めた2点を日本が守りきって、中国での戦いに続いて2連勝を治めた。課題や山積みな気もしないでもないけれど、どりあえずの勝利をまあ良かったと言っておこー。しかし反町監督、選手交代をしないなあ。性格なのかなあ。何かの意図があるのかなあ。明日の朝刊に関心。


【10月24日】 最新作の「パプリカ」を見られなかったのは痛恨の極みではあったけれど、待てば冬には公開されるんでそっちを見れば良いと気を取り直しつつ、それでも1度くらいは今敏監督のトークを聞いておきたいと「東京国際映画祭」の関連イベントのひとるで、これまでに監督として手がけた全ての作品の上映とトークショーを開催する「今敏まつり」(仮称)から「千年女優」をセレクトして見物に行く。最初に見たのが「東京都写真美術館」で開かれた「文化庁メディア芸術祭」の中の上映会で場所は美術館に付属のホールだったから音響なんかは今ひとつ。さらに本公開では銀座にある東映のビルの地下で近所を地下鉄丸の内線が執っている関係で、電車が通過する際に音が響き床が揺れてとてもじゃないけど音響なんて楽しめない。

 期間中には舞浜に出来た「イクスピアリ」の中の「AMC」でも上映があったみたいだけどそっちに遠征する余裕はなくって上映は終了。あの感動をもたらしたエンディングに鳴り響いては気持ちをぐっとかきたてる平沢進さんの名曲「ロタティオン LOTUS−2」をドルビーなサラウンド環境で是非に聞きたいと思いながらも果たせなかった。リバイバル的に三軒茶屋の劇場で公開された時は昔の映画界がテーマになった作品を、昔ながらの風情を残す劇場で見られてそれはそれで趣もあったけれどでも音響面ではやっぱり昔な劇場だけあってそれなりの水準。それだったら家でいくら5・1ch環境を作って楽しめば良いってことになるけれど、それだと度は画面が小さくなってしまうから悩ましい。

 いずれにしてももはや映画館的な大スクリーンで幻想的な物語の疾走する様を楽しみつつ鳴り響く壮麗な平沢サウンドを堪能する機会は永遠に訪れないんかもと、歯がみしていたところに今回の「東京国際映画祭」での上映は天与のチャンスと見るしかなく、タイミング的にも他の取材が重なっておらずかけつけカウンターでチケットをもらい場内へと入って今敏監督の到来を待つ。まずはニッポン放送の吉田尚記アナウンサーが珍しくも凛々しい三つ揃いのスーツにネクタイ姿で現れ今敏監督を招き入れて質疑応答。めくるめく移り変わるシーンが生まれた理由とか、ネットなんかでの批評に対する今敏監督の考え方なんかを聞きだしていた。

 短い時間だったけどなかなかに濃密だったインタビュー。あの寡黙でとっつきにくそうな印象のある今監督からよくぞいろいろと引き出した。偉いぞよっぴぃ。映画を見るということはつまり映画に見られているんだって今敏監督のコメントは意味深で、そして実に的確。批評するという行為に必要な客観性を改めて指摘されたようで勉強になった。けどそんなに勘違い的な批評って多かったかなあ、「千年女優」に対して。ラストの千代子の一言に対してはあった方が良い、なかった方がより感動できたって意見はそういえばあったよなあ。

 なるほど見直してなかったら感涙の中に劇場を後に出来たけれど、あれがあったからこそこの映画が、女優である前に女だった千代子の一途さというよりは、女である以上に女優だった千代子に凄まじさを見せるものとして戦慄をもって迎えられたんだろーけど。個人的にはラストのセリフ肯定派。ってゆーか監督が作りたかったんだから観客は従うより他にない。絵はさすがにどこも綺麗だけど表情的には監獄の中で「あの人を毎日好きになっていく」って名セリフとともに見せる憂いと熱情を帯びた千代子の表情が好き、かなあ。何度みても良い映画。そして何度聞いても感動の「ロタティオン」。また劇場で見たいなあ。「パプリカ」公開に合わせてオールナイトとかやらないかなあ。

 こいつは凄まじい。そして素晴らしい。今年に限らずこの何年かをかけて球界の盟主とやらから滑り転げ続ける読売巨人軍がほとんど最後に輝きを放った1996年の「メークドラマ」の裏側に、当時の監督・長嶋茂雄を膨大なメモによる戦術的・メンタル的助言と、それから実際的なスカウトなり、コンディショニングなりといった部分で支えた1人の人間がいたって話をまとめた「Gファイル 長嶋茂雄と黒衣の参謀」(武田頼政、文芸春秋社、1905円)とゆー本が登場。しばらく前に「プレジデント」に連載されていた文章をまとめ猶したものらしーけど、上期の独走がやがて沈滞へと変わりそしてBクラスに沈んだ今年の巨人の体たらくを見たその目で読めば、なるほどそーなってしまったのも仕方がないことだって思えて来る。

 名を河田弘道とゆーその参謀は日本体育大学を出てから海外にわたりブリガムヤング大学って米国でもスポーツの強豪として知られる学校で、器械体操のコーチを務め三大スポーツのアドミニストレーターって責任のある地位に若くして昇進した逸材で、それに目を付けた西武グループの堤義明総帥が、西武ライオンズの発足とともに引き抜いてきてしばらく編成なんかの仕事にあたらせたとゆー。決して嫌いになった訳ではないけれど剛腕ぶりのその手法と、周辺を固める番頭たちの跳梁跋扈に異論を覚えて退任したあと、世界陸上関連の仕事をテレビ局で手がけていたところに仕事を通じて知り合った長嶋茂雄から、12年ぶりに巨人の監督に復帰するに当たって是非にスタッフに入って欲しいと乞われ応じることにする。

 もっとも立場は裏方。とゆーより長嶋のスパイって人によっては見られかねない立場にあって、球場には入ってもグラウンドには降りずロッカーにも入らず選手たちとも関わらず、ただひたすらにスタンドから試合を見ては選手の退潮面を調べ、球団内部に作った情報網から選手やコーチたちの言動を集めて今、どんなアドバイスなり叱咤成りが必要かを逐一長嶋邸へとファクスする。そんな諜報のみならず、これからのアスリートには必要と考えPNFって新しい手法のスポーツ医学を導入して選手たちのケアにあたらせ、選手層が薄いと見れば外国に作った情報網を駆使して例えばガルベス、そしてブリトーといった先発にリリーフの中心となった選手たちを引っ張ってくる。

 まさに八面六臂の大活躍。そんな河田さんの仔細にして克明なメモと、現代のスポーツビジネスにとって当たり前とも言える仕事ぶりがあったからこそジャイアンツは94年に中日ドラゴンズとの激闘を制して130試合目に優勝し、96年には11・5ゲーム差をひっくり返して奇跡的な優勝を果たす。ロス五輪を契機に大きく変わった世界のスポーツビジネスの考え方、アスリートのケアの方法を日本にも取り入れ、野球を近代化させよー、そして大好きな長嶋監督をもり立てよーと働き結果まで出した河田弘道だったのに、97年のシーズン終了とともに巨人を追われてしまいそして日本のプロ野球は、とゆーより読売巨人軍は過去の旧態依然とした体制に戻ってしまう。そして今もそんな体制が続いているんだろー。成績がそれを証明してる。

 何が河田を妨げたかってゆーとひとつには巨人って金看板を背負い名を遂げてきたV9時代の遺物たちがその看板を掲げるだけで有効な手だてを何も打てないまま、いたずらに足を引っ張り合い牽制し合ってチームを強くさせられなかったこと。それと選手としては天才肌だったけどコーチングのメソッドを持たないために後進を指導できないコーチがその戦歴故に重用されてしまったこと。つまりは堀内恒夫のことで投手陣についてケアすべき所をできず、長嶋監督の勘だけの起用にも逆らえないまま出しては炎上を繰り返してしまった。後に監督になった堀内の監督としての無能ぶりは明白で、そーした適正を把握し報告していたにも関わらず河田の意見は聞き入れられなかった。

 縁故で採用され来た球団職員との反目もあった。現代の最先端を行くトレーニング方法を取り入れようにも古くからいる医療部門がそれを許さず選手たちを何人も潰してしまう。松井秀喜選手はそれでも河田が導入した新しいコンディショニングに傾倒して自らを直し鍛えて大打者へと成長していった。河田が抜けて河田が連れてきたコンディショニングのスタッフもいなくなって果たして松井選手が感じた不安はどれだけのものがあったのか。ジャイアンツを出ていってしまったのもどこかに旧弊な体制への反発があったのかもしれない。怪我の多い人工芝をいつまでも変えようとしない体制とかも含めて。

 そして読売新聞から来る面々が繰り広げるポリティカルな闘争も、河田の行く手をさえぎった。新聞を売るための道具としか巨人を考えていない本社の面々が、再販維持につながる議員の応援をさせるために長嶋を担ぎ出そうとした97年秋。悩む長嶋は辞任する覚悟すら固めたけれど結局はテープだけの応援に留め、河田らが根こそぎ粛正された巨人の監督に留任してしまう。その日、1997年9月18日を著者の武田さんは長嶋の敗北と見ているけれど、敷延すればこの日は巨人がスポーツビジネスってゆー大きな潮流の中で敗退の道を歩み始めたミッドウェー的な日だとも言えるだろー。そんな戦犯達は今もぬくぬくと新聞社の中で権勢を誇り権力闘争にうつつを抜かしながら巨人の栄光を泥にまみれさせ続けている。この本の書評は絶対に読売には乗らないだろーなー。

 もっとも逆に見れば興行として、あるいは宣伝材料としてのプロ野球がスポーツとしてのプロ野球へと大きく転換していくきっかけにもなった、日本プロ野球界再生の始まりの日であったとも。見よ、北海道日本ハムファイターズと中日ドラゴンズによる日本シリーズを。札幌で、名古屋でどれだけの視聴率を獲得しているのか。札幌に、名古屋に、あらゆる地方の人たちに夢を与え、経済をどれだけ活性化させているのか。そんな今の状況を見て、河田弘道さんが何を思っているのか知りたいものだけど、この本の刊行を期にいろんなところに登場して来るのかな。それとも読売が傘下のメディアを駆使して大バッシングに出てくるのかな。先行きに興味。ともあれ力作のノンフィクション。書いた武田さんにも敬礼。

 またフラグなんた立てやがってと嫉妬心もメラメラ燃える五代ゆうさん「パラケルススの娘5 騎士団の使者」(MF文庫J、580円)はイタリア国王に領地を没収されて先行き不透明となったカトリックの総本山・ローマ教皇庁からキリストの聖遺物にあたる「聖杯」とやらがロンドンにあるのでもってこいと命令された騎士団が、乗り込んできては男装の麗人で希代の魔術師クリスティーナ・モンフォーコンと対峙するってストーリー。そんな騎士団の1人に異端者の出自として虐げられながら持てる能力故に連れてこられていたシャルロットって少女がいて、認められたいって思いと植え付けられた信仰心からクリスティーナを敵視するけどそこに現れたのが我らが跡部遼太郎。シャルロットを結果的に助ける形となってそしておそらくは立った新たなフラグは、婚約者の美也子、妹のよーな和音、英国の地下を滑るクイーン・マザーの娘ジンジャーとあとシシィちゃんといった美少女たちとの関係をより複雑なものにしながら遼太郎を嫉妬と羨望の渦へと引きずり込んでいくんだろー。ああ楽しみ。


【10月23日】 マスターカーボンこと炭素不味の登場にさしものドモン・カッシュも舌を破壊され愛機ごと粉々に砕かれ散っていくのであった。って話だったよーに見えた「夜明け前より瑠璃色な」。かつて放映されていったいこつら何を食っているって誰もが驚いた「銀盤カレイドスコープ」ほどではないにしても、キャベツにしたってニンジンにしたって緑色で葉っぱっぽい形をしているだけって単純さ。焼かれたキャベツや焦げたスープはさらに省略の芸が進んでいてまるでピカソの描くキュビスムの絵画を見るよーな感銘を受けっぱなしでありました。女の子の顔がそれでも崩れなかったことは褒めておこー。

 さらに「ギャラクシーエンジェるーん」は真夜中にダラダラと見るペースをこっちが掴めた感があってぼわーんとした気持ちの中に楽しめた。どっかから来た王女さまが伝説のクッキーを探して各地を訪ね歩く展開は、これまでだったら派手にエスカレーションしていくところを乱戦中の惑星に留めそこでのやりとりもシンプルに抑えつつ、いっぽうで食べる食べる場面でクーヘンさんは実は……といった言葉を重ねていくことでクスリッっていった感じの笑いを巻き起こそーとしている。王女さまとナノナノが横顔で向かい合った場面の絵的にはしっかりしているんだけど妙にシリアスがかって硬質な感じがしたのは何かのパロディ? 関係ないけどブロッコリー謹製ナノナノ&カルーア(テキーラ)Tシャツちょっと欲しいかも。この爛れ具合が最高。

 起き出して「東京国際映画祭」に併設のイベント「TIFFCOM」を見物。華やかなコンペティションとかテーマ上映とかってものとは車の両輪、映画祭になくてはならない機能だって04年に創設されたマーケットの部門ってことで、映画祭の実行委員としちゃあもっと派手に存在をアピールして、ここに来れば映画や映像やコンテンツが買えるんだってことを知ってもらわなくちゃいけないはずなんだけど、ここまでそーゆーイベントが開かれてるって話を他のメディアで見かけたことはなくって、実際に会場に来てもプレスの姿はほとんど見えず。メーンの映画祭だって初日のレッドカーペットが終わると後はほとんどメディアから消えている状況なだけに、それ以上に表に出てこないマーケットの存在に一抹の寂しさを感じる。

 それでも所詮は裏方のビジネスの世界なんだから一般に知られなくたって業界関係者にさえ知られていれば万事オッケー。さあ目一杯取り引きしてくださいってことになれば誰も困りはしないはずなんだけどさても一体、この「TIFFCOM」でどれだけの版権売買が行われているかがよく見えない。日本の映画会社やテレビ局、ビデオ会社が出展しているブースに並べられているのはすでに放映された番組だったり作品ばかり。すでにどっかのマーケットに出展されて海外版権の売買だって行われていそーで、そんな作品を今さら果たして買いに日本まで来るバイヤーがいるのかって心配が頭をよぎる。中には留守番1人にパネルが何枚かってブースもあって、遠目には去年の展示パネルを棚から出して並べる弱小文化部の学園祭って雰囲気。入ってこれ下さいって言って売ってもらえしょうな感じがしない。

 一方で中国とか韓国とかから来ていた会社はなかなか活気があってデカいパネルを展示しパンフレットもズラリと揃えて映像も流してこんなのありますって大アピール。そのうちのどれくらいがその場で”買える”ものなのかは分からないけど、歩いている日本の映像関係者にこんなものもあるのかって思わせる効果はありそー。来年以降もこのイベントが続くんだとしたら日本のを売り込むよりも日本に売り込みたい作品が集うマーケットにしていかないと、出展も集客もおぼつかないかも。それだとイベントの大義名分になってる日本の産業振興に繋がらないって勧進元の役所がむずがって、日本にももっと頑張れ出展しろと発破をかけ、かくしておつきあい的な去年のパネル展示がまた増えるといった寸法。不思議の国ニッポンです。

 だからといっていきなり日本のゲーム会社をそこにぶち込むってのも違和感が。「TIFFCOM」じゃあバンダイナムコゲームスが1社、「プレイステーション3」を置いて「リッジレーサー」と「ガンダム」のデモをしていたけれどそれを見て凄いと思ったって、その場で権利なんか売買できるものじゃない。じゃあそこで存在をアピールできたかっていうと別にいまさらそこで見なくたって皆知ってる作品ばかり。それとも映画祭に来る人って「リッジ」も「ガンダム」も「PS3」も知らないの? まあ知ったからってゲームの権利は買わないし買えるものでもないいからなあ。どーして出展したんだろ? 今年も謎多き「TIFFCOM」でした。こんなミスマッチ感にあふれるマーケットをさらに拡大させようって目論見から開催される来年の「国際コンテンツカーニバル」、いったいどんな展示会になるのかなあ。楽しみ。


【10月22日】 そうかあの瞬間、百戦錬磨のバラライカといえども部下を虐殺された怒りに内心は震え迫る悪鬼に心も圧迫を受けていたって解釈か。「BLACK LAGOON」の第15話(違う「BLACK LAGOON The Second Barrage」第3話っ!)は、ルーマニアの双子編が最後を迎えて2人に別れた兄様姉様のうちの兄様が、公園で待つホテル・モスクワの攻撃をくぐり抜けて噴水の縁に腰掛けるバラライカの前に立って変わらぬ減らず口を叩こうとしたその時に、バラライカの口から「ひざまずけっ!」と発せられる強い口調の命令を、上手に立つ者が諭し聞かせるような感じに、ゆっくりとして太い声によるものだとずっと思っていたけどアニメーションではバラライカを演じる小山茉美さんは、怒鳴るほどではないけれど強い口調でテンポも素早く発してみせてくれた。

 それが憤りか焦りかは想像するしかないけどいついかなる場面でも、余裕を失わなず誰もが腐ってるロワナプラにあって常に凛とした態度をとり続けて来たバラライカにしてはな感情まる出しの口調にやっぱり、相当に渦巻くものがあったと見るのが妥当だろー。そしてそれだけヘンゼルとグレーテルの双子が異形で異様な存在であったかも。そんな存在の片割れにエピソードを積み重ね、レヴィとの諍いも経たとはいってもどこかに真っ当な世界の感覚を残して境界線上を漂っているロックが相手ではかなうはずもなく、逃亡する船倉で同情しては裏切られ翻弄されまくっている姿が痛ましい。

 もっともロックがそんな場所でそんな経験をする羽目になったのも、また双子がこうまで壊れてしまったのも真っ当な世界に属する会社なり、政治なりの後押しがあってのこと。むしろ感情と欲望が残り渦巻くロワナプラとラグーン商会の方がほほど真っ当に見えるってもの。そんな気持ちにレヴィたちの側へと完全に身を投じた途端に手ひどく裏切られ、居場所のなさに震えるロックの姿が描かれたらまた衝撃もデカいなあ。果たして漫画版はどんな帰結をロックに迎えさせるんだろー? そしてレヴィは? 暴力シスターの教会で結婚式を挙げてる2人の上から降り注ぐ雨霰の銃弾ってのが相応しいか。

 数時間だけ寝ていよいよスタートした女子サッカー「なでしこリーグ」のディビジョン1上位4チームによる総当たりプレーオフを見物に「西が丘サッカー場」へ。ここまで1位の日テレ・ベレーザが4位の岡山湯郷bellを迎えた試合は圧倒的なパス回しでもってベレーザが湯郷bellのゴール前に迫るもののそこは代表ゴールキーパーの福元選手だけあってなかなかゴールをわらせない。それでも1点をリードしたベレーザが後半も幾度となく攻め込むもののやっぱり圧倒的な試合にはならず、かろうじて澤穂希選手が折り返したボールをキーパーが弾いたところに詰めていたボンバー荒川恵理子選手が決めて2点目を奪い、そのまま勝利をつかみ年間優勝へと大きく近づいた。次で浦和レッズレディースが負けてベレーザが勝てばそのまま優勝か。けど出来れば11月4日の最終節で決まって欲しいなあ。西が丘に満杯のサポーターが来るだろーから。

 今季は途中からの出番が多かった荒川選手が出ずっぱりだったのは朗報。動きの質も高くってこれなら来年の女子ワールドカップ出場をかけて闘う北中米のチームとのプレーオフでも大きな戦力となりそー。もっとも出場権を得ている北朝鮮女子チームの出場が揺れてて辞退ともなれば日本が繰り上がるんだけど。なんか中途半端な状況だなあ。一方ここまでエースとして牽引して来た永里優季選手の動きがやや退潮気味。下げられた時にセンターラインで待つ交替選手の所にいかず真っ直ぐベンチへとうつむき加減で歩いて戻ってしまった辺りに己がプレーへの不満ってものが現れていた印象。残る2試合での復調を期待したいところだけどさて。

 久々に見た近賀ゆかり選手は途中出場ながらも前線で切れ味あっぷりのプレー。飛び込んだり左右で裁いたり中距離から売ったりと縦横無尽な活躍は、ジェフユナイテッド市原・千葉で途中から出ては切れ味鋭い水野晃樹選手とも通じるアグレッシブさを感じる。まあ水野選手もどこかにムラっ気があってそれが先発完投とはなかなかいかない理由になっているよーに、近賀選手も高過ぎるテンションが90分はなかなかフルに発揮できない所があるからなかなかレギュラーにも、そしれ日本代表にもあと一歩届かない。若いとはいっても歳下ですでに代表入りしている永里選手らもいる訳で、ここ数年を飛躍の年と位置づけ割に年輩者も増えてきた代表とベレーザの面々を華麗なドリブルと圧倒のスピードで追い抜いていって欲しいもの。そーすればいつか買ったフィギュアもお宝になるから。

 ライトノベル界を初期から支え続けてきた水野良さんと、ただ書くだけじゃなく映像やメディアミックスを意識しながら多方面での露出を計りライトノベルのクリエーターにこんな生き方もあるんだって刺激を与え続けている冲方丁さんの対談があるってんで、「エンタまつり」に沸く秋葉原へと向かい「デジタルハリウッド大学」とやらの校舎で聴講する。すでに整理券なんて品切れかと心配していた午後3時過ぎの時点でまだまだ余裕があったのは、2人の知名度ってよりもイベント自体の告知があまり行き渡っていなかってことなのかな。サイン会なら2人合わせて500人は並んで不思議はない人たちだけにそこだけはやや意外。でもまあそれだからこそ2列目あたりで見られたんで良かったってことで。

 対談は永遠のライバルと目されている「ドラゴンマガジン」と「ザ・スニーカー」ってライトノベルの雑誌の両方に、冲方丁さんが連載を持っているって状況をは踏まえながら、こーした活動が何を意図としているのかってこととを話していった感じ。冲方丁さん水野良さんを挟んで両脇に「ドラマガ」と「ザ・スニ」の編集長が並び合いの手を入れつつ進むトークショーなんて見たのは始めてで、業界雀的には同じグループに属しながらも分厚い壁を間に対峙し、反目と引き抜きの銃弾を交わしては毎月の戦勝報告に一喜一憂するって印象を持たれているっぽい両誌なだけに、そんな雑誌のトップがお抱え作家とともに同じテーブルに並ぶ姿を見られたってのはなかなか貴重な経験だったのかも。

 もっとも当事者たちにはあんまりそーした意識はないみたいだったし、何より作家が両方の雑誌を使うことの意義ってのを語りどちらかへの帰属意識なんて持たず、共に世界を創り上げていこうって前向きだったのに新しい時代の訪れなんかを見た感じ。どちらかといえば読者の側が知らず立てているレーベル間の壁を取り壊し「読者をクロシングさせることができる」って効果ががあると冲方丁さん。あと1誌だけでは1つしか作品に対して1方向からしか向けられないカメラが、別の雑誌別のメディアで展開することで多方面から向けられるようになって、それでよーやく立体的な作品世界の全貌を照らし出せるんだってことも言っていた。

 「作品の向こう側にあるものを地続きにできる」とも。あとはそーした多視点化させた世界をさらに高みにいて作り上げ調整していくマスターとしての役割を、1人のクリエーターがどこまでこなし切れるかって所が成否を占う上で重要になりそー。別に1人でなくてもルールさえあれば下に大勢のクリエーターがついてルールに則りそこにある世界を掘り出していけば良いだけなんだけど、ルールを決めても今度はそこから逸脱したがるのがクリエーターの性だって言っていたからなあ、水野さん、「ギャラクシー・エンジェル」なんてそれでいったいどれだけの多層性が出てしまったことか。まあそーした暴走も含めて作品を大勢がシェアしつつ発展させていくことの面白さなんだけど。1時間ちょいで終わり雨の中を帰宅してちょい寝てそれから「ギャラクシーエンジェるーん」。まったりしていい感じ。逸脱が足らない、かなあこっちはこれで。


【10月21日】 早起きして「東京国際映画祭」へと出向きプレスカードを受け取って、あわよくば「パプリカ」の上映会にも潜り込めればと期待したものの、話題作だけあって早々にプレス向けの配布は終わったか最初からなかった模様で、張り紙に罰点マークが黒々。諦めて秋葉原へと回って「秋葉原エンタまつり」の雰囲気を見物する。こちらも早朝からなかなかの争奪戦が繰り広げられていた模様で、「Fate/stay night」のイベントとか「電撃3作品映画製作発表会」とか開かれるイベントのすべてが午前中には整理券の配布を終了。きっと見る奴は全部を見ていくんだろー。若いって素晴らしい。

 現象面だけ見れば「パプリカ」の満席に秋葉原でのイベントの満員御礼は、ともにアニメーションって奴が持つポテンシャルの高さを証明するものだろーけど「パプリカ」の方はアニメってよりはヴェネチアにも出品された作品として映画の業界から注目を集めているってだけのこと。同じよーにヴェネチアカンヌベルリンで話題になった作品があればやっぱり早々にソールドアウトになっただろーし、それは「パプリカ」が「時をかける少女」でも変わらない。逆にヴェネチアの箔ががついていなければ「パプリカ」であっても一流の映画監督の作品であっても残ったんじゃなかろーか。

 一方の秋葉原エンタまつりの方はヴェネチアだとか映画だとかいった”権威”だの”お墨付き”だのといったものとは無縁に人が持ち上げ関心を抱いているコンテンツ。イベントが開かれると聞けば取る物も取らずにかけつける。なるほどだからそーしたアニメや漫画が持つ集客のパワーを、「東京国際映画祭」の集客にも役立てたいって考えが浮かんで「国際コンテンツカーニバル」だなんてものを来年から開こうと経済産業省も考えてみたくなるんだろーけどそれは実は本末転倒も甚だしい。

 秋葉原に朝から集まる人たちが六本木ヒルズの「東京国際映画祭」なんてまるで無関心な状況を見れば、あるいは「秋葉原エンタまつり」の「プレイステーション3」の体験コーナーが出来ても、「東京国際映画祭」の中で「PS3」の映像を体験させる常設コーナーが出来ていない(「リッジレーサー」の4Kでの上映会はあるけどソニー・コンピュータエンタテインメントは無関係)状況を見れば映画とゲーム&アニメ&漫画が総合効果はもたらしても、相乗効果をもたらす可能性は薄いって見る方が普通だろー。

 やらなければいけないのは「映画祭」の抜本的な改革であって、アニメだとかゲームだとかに巨大化した軒下を貸して4畳半の母屋に閉じこもることなんかじゃない。それなのに経済産業省が話題性と集客力なら持ってた「東京ファンタスティック映画祭」復活に向けて何かをしたって話は聞かない。タランティーノだって敬意を示した「ゆうばりファンタスティック映画祭」の再生に取り組んだって話も聞かない。

 ってゆーか「ゆうばり」復活に取り組んでるのってNPOじゃん。普通だったら夕張市ににゃ任せておけんと国なり北海道なりが名乗りをあげて世界のブランド「YUBARI」を取りに行くべきだろー。それなのに目論むのは映画とゲームとアニメと漫画の集約化による見かけの集客増。それによって得られる何かが役所にはあって、協力するゲーム業界アニメ業界漫画業界にも権威付け的な見返りがあるんだろーか。そうでなければ10年を経過し貫禄も出てきた「東京ゲームショウ」を「映画祭」の客寄せに差し出す意味がない。

タイツ男に時東ぁみ。東京国際映画祭の来場者でこれを見に来る人がいったいどれだけいるのだる?  どっちかってゆーと序列じゃ下に見られがちなゲームやアニメが映画と同格に扱ってもらえるって見かけ上の喜びはあるのかもしれないけれど、そんなことで権威大好きなメディアがアニメもゲームも同格に扱うと思う方がご機嫌だ。とはいえ役所は着々と地均しを進め業界も粛々と従う動き。だったらいっそ六本木ヒルズで「エンタまつり」を開いてみては如何。かつてない数千数万って人間が訪れてはアリーナを、広場を埋め尽くして歓声を上げジャンプしサイリュームを輝かせるから。それを見れば世界から来る映画人も日本のパワーって奴を否応なく認識するから。見たいなあ、六本木ヒルズのアリーナで法被に鉢巻きで固めたマニアが激しくジャンプし続ける様を。

 こりゃ面白い。三上康明さんって人の「ストーン ヒート クレイジー」(集英社スーパーダッシュ文庫、620円)は何やら石に紋様を刻むとそれが回路となって働き蒸気機関のパワーをアップさせられるよーになった時代が舞台。そんな「機石」と呼ばれる回路を発明したドームスターて男が事故で行方不明となってから3年。ドームスターの息子・ドミは生まれた町で機石を守る仕事をしながら日々の糧を得ていた。アームって名前の同居人もいたけど2人で組んで何かをするってことはなく、またドームスターから受け継いだ工房や彼が使っていた職人を集めて機石作りを再会することもなかった。そんなドミにドームスターの機石を渡すようにと国王からのお達しが下される。国のために渡すことも仕方ないかもって迷っていたところに、同居人アームがなぜか不思議な行動を取り始める。

 ドミのところに来るまでのアームの日々。それ依然のアームの出生の謎が明かとなるにつれ、ドミは自分がドームスターへの思いから逃げようとしていたことに気づく。そして父の遺産を引き渡さなくてすむように、そしてかけがえのない友人のアームを助けるためにドミは父から受け継いだものの眠っていた才能を引っ張り出しては今までにない機石を作ろうと走り出す。アームとドミの関わりに絡む機石技術者のリピルが果たしてヒロインなのかが今ひとつ見えにくい構造になっているけれど、何やら過去に彼女もいろいろありそーで、仮に次の巻とかあたら存在感を高めてヒロインの位置に滑り込んではいろいろと騒動を起こしてくれそー。続きとかってあるのかな。美形なのに駄洒落が好きって伯爵の設定はやや滑り気味。まあ言うギャグのすべてが滑ってナンボの人だからそーゆー立ち位置でも仕方がないのか。

 読んでいるうちに蘇我へと到着して「フクダ電子アリーナ」でサッカーのJリーグ「ジェフユナイテッド市原・千葉vs大宮アルディージャ」を見物。先週はあれおど大勝したのに今週はその大勝に奢っていたのか気合いが抜けて大敗。これだからジェフってチームは興味深い。開始早々のクロスからのヘディングによる得点はクロスを簡単に上げさせた上に中央の小林大悟へのマークがなくってほぼフリー。ほかにも似た感じに中央でフリーになる選手がたびたび出て追加点を奪われてしまう。ストヤノフ選手が悪いのかそれとも前でボランチに入った選手が相手の中盤を捕まえきれなかったのか。

 いずれにしても流石にこれは拙いと思ったのか、アマル・オシム監督がストヤノフ選手を外して水野晃樹選手を入れて中島浩司選手をリベロに下げて中盤からサイドへの厚みを増したらこれが大当たり。幾度となくチャンスを作りさあこれからってところでまた気の抜けたミスがでる。ペナルティエリアのやや外で得たフリーキックに対してヘディングで競ろうと後ろから中島選手や阿部勇樹選手といったディフェンス陣が上がり駆けていたところに何故かクルプニコビッチがフリーキックを蹴らず、速いリスタートをしてしまってこれが、味方にもフェイントになって相手に取られそこからカウンター。ディフェンスラインには1人しか残っておらずアリソン選手の速いドリブルと思い切りのよいシュートにぶち抜かれて1点を健常。3点差となってしまう。

 たぶん焦りすぎ。パスが合わない場面とかも多々あって攻撃陣の意識のすりあわせがうまく出来ていない状態が、今もまだ続いているって感じ。それでもフリーキックなんかにはヘディングの巧さなんかもあって対応できるけど、組み立てて崩す動きの所で相手に渡してしまうミスが続出してなかなかシュートへと持っていけない。ハマると凄いって分かるんだけどどーしてそこにハマらないのかが不思議。技術なのかメンタルなのか。最後の最後で1点を返してはみたものの、これが1点差だったらまだ反撃の期待ができてお2点差では気分の乗らずそのまま終戦、ホームで敗戦、当然の帰結。ガッカリだ。まあそれでも気合いの空回りっぷりを選手が理解し気合いを入れ直し、名古屋でのグランパス戦でフクアリの雪辱を果たせば来る11月3日のナビスコカップでこっちは気合いが抜けまくりな鹿島アントラーズを相手に勝利をおさめることが出来る、かな。やって欲しいなあ。

 転戦して表参道の「青山ブックセンター」へと出向き西島大介さんが平野綾さんに帯を書いてもらってあまつさえ対談までしまったことを大森望さんが糾弾する集会に参加するも会場に集まっていた人に平野綾さんはおろか「涼宮ハルヒ」の存在はともかくその人気ぶりを体感的に会得している人が少なかった関係か、今ひとつ「ボクの綾ちゃんとよくもコンチクショウ」的なエネルギーが場内に溢れない。むしろ「私の大介さまとよくもキーッ」って雰囲気の方がやや濃かった感じ。そんな所にたとえSFなシーンからは今ひとつ重きを置かれなくても西島さんが、サイン会を開けば行列を成す人を集め本もそれなりに売れて音楽文学といった雑誌から連載コラムカット等々の仕事の引きも切らない理由の大体が伺える。

 「アトモスフィア」の完結でSF方面でやり尽くし感も出て憑き物も落ちた西島さんが次ぎに狙うは「ハリポタ」的メジャーシーンか。「世界の果ての魔法使い」のシリーズを是非に映像化したい、ってかこれくらい映像化を意識して描いている作品もないんだってことを対談で強調していた程で、なのに未だ話が来ないってことを喋っていたのであの漫画を見てこれは行けると思った方々は、契約書を作り映像化の許可をもらいに西島家へと押し掛けよー。可愛い魔法使いのキャラだって動物のキャラだっていっぱいあってグッズ作りに不足はなし。ファンななから声だって平野綾さんがやってくれるぞそーなればDVDは1巻50万枚だ。「おねがいマイメロディ」の後番組あありで、如何。


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