縮刷版2005年7月中旬号


【7月20日】 海の日。はすでに終わったか。誕生して歴史の浅い祝日だけど定日にフィックスされる期間もさほどないまま日曜日にくっつく流浪の祝日となってしまった。まるでさまよえるオランダ人。なるほどそれもまた海の日って奴に相応しい。それにしても海かあ。近所に船橋港があるんで行けば海くらいはすぐに見られるし、夏の漫画祭りに行けば背後はすぐに東京港なんだけど、いわゆる夏でビーチで水着でボンって状況からは終ぞ遠ざかっているなあ。ってかもう20年以上も海でもプールでも泳いでない。もしかするともはや泳げないのかもしれなくなってるって不安があるけど人間、何年くらい泳がなくっても平気なんだろーか。こいつはちょっと実証してみる価値はあるかも。プールに行くか。独りで。でもって溺れて。美人監視員の人工呼吸に大喜び。なんて妄想に微睡む炎天下。夏が来た。

 やっと出た広江礼威さんの「ブラック・ラグーン第4巻」(小学館、533円)はチャイナの二刀流こそ表紙ながらも登場は最初の1話で終わってしまって残念。もっとあの脚をながめていたかったのに。んでもってロックにレヴィとそれからホテル・モスクワの面々が東京入りして暴れ回るエピソードへと突入して、おそらくは米国でも、それからアジアでも日々大暴れしているレヴィがスカートなんかをはいて少女少女している姿が拝めてまあ幸せ。一生そんな格好はしないと思っていたよ。けどそんな平和な日本に迫るホテル・モスクワの影。引っ張り込んだヤクザもそれが毒だと気づいた時にはすでに遅し。任侠道に気付き道を正そうとして返り討ちに合ってさあこれからって展開で、終わってしまうのがもどかしい。

 「少年サンデーGX」の連載はもうちょっと先に進んでてロックとバラライカとレヴィの三つ巴的展開が描かれていたけど、まだ続いている感じがあって果たしてどこへと落ち着くのか、遠からず付く日本編の決着に期待。ロックは果たしてどこへと向かうのか。巻末のおまけ漫画はロックがあれしてダッチにベニーがああなってしまうお楽しみ満載。ってかバラライカって転じるとこんなにイカすのか。ルーマニアの双子はもとからどっちがどっちだったか分からないので変化無し。そんなおまけ漫画に続く手書きの後書きの「協力」の項目の、「露/軍事考証」に石山俊浩さんと連盟で秋葉いつきさんって名前が見えるけどこれってあの秋葉いつきさん? 瞬間で消えたと思ったけれどどっこい生きてたってことなのか? ってか軍事も得意だったのか。翻訳担当? それならありだけど。うーん謎。

 今市子さんの「百鬼夜行抄第13巻」(朝日ソノラマ、762円)も登場。お話が重厚になってはいるけどその分一筋縄ではいかなくなっている気が。「餓鬼田の守り神」はどこでどーやって話がつながっていくかが一読ではよく分からない。開の登場ってのも律を中心とした謎解きの物語にカウンターを与えて事態を複雑化させる要因になっているみたい。けど相変わらず雰囲気はあって恐さも増してて読み応えはたっぷり。無敵に見えた青嵐が実は案外に脆い存在で、それを治すために走り回る律を描いた連作って感じに見れば。冒頭の「夜半の客」は序章として13巻を1つの長い話が入った巻って見ることも出来るかも。それにしてもこれだけ続くシリーズに映像化の話が起こらないのも珍しい。やっぱり絵の雰囲気も重要な話だけに難しいのかなあ。それともやっぱり話が複雑過ぎる? 京極夏彦さんの「姑獲鳥の夏」だって映像化できたんだから可能って気も。でも「姑獲鳥の夏」はキャラがどれも強烈だから絵にしてハマればハマるのか。

 麻宮騎亜さん「彼女のカレラ」も第2巻。ポルシェ愛を喧伝する漫画ってことで読めば繰り広げられるポルシェ談義に読んでいるとだんだんポルシェに乗ってみたくなるから不思議。だけど事故ってぶつけた修理代が100万円を突破してしまうのもまたポルシェ。それに耐えられる財力と、何よりあの難しい車を乗りこなすだけの腕前がなければポルシェオーナーになる資格はないってことで。麻宮さんが財力はともかく運転の腕前でそれだけの資格を持っているかは知らない。人気の女子アナでその正体はハンドルを握ると性格の豹変する人間だった溝呂木響子と麗菜が向かい合ったシーンが迫力。パッと身は麗菜の方が勝ってるかな。何がってそれはつまりあれでして。間に挟まれて死ねたら本望って奴でして。それでRSのベルトを締めてたらキツいだろーなーと。ポルシェ乗るのも大変です(ポルシェは関係ないか)。


【7月19日】 撮れてなかった「創聖のアクエリオン」に魂を落としつつ灼熱の中を向かった「東京おもちゃショー」はもはや子供のための玩具って常識も通用しないくらいに大人系懐かし系の玩具がいっぱい。少子化でマーケットが先細りの中でターゲットを海外に求めたり他の世代に求めたりする動きは前から強まっていたけれど、ここまで新製品ってよりは”温故知新”な品物が増えて来ると、昔のコンテンツを使い回しつつ昔を超えられずそのまま先細って行く他のエンターテインメント業界なんかの二の舞を、たどってしまうよーな気がして心配になる。ハリウッド級の金で「スパイダーマン」みたいなのを作れば良いんだろーけど、そーもいかないからこその集散だからなあ。

 まあそれでも「装甲騎兵ボトムズ」だったらフィギュアになってくれても別に悪くはなくって、タカラから出るスコープドッグのミニチュアは出来もそれなりなんで楽しめるんだけど流石に「魔神伝説ワタル」とか「マイトガイン」とかになると懐かしさも微妙で思い入れ度も寸止めで、改めて出されてさてどこまでわいわい出来るのか微妙なところ。80年だ末で10代ってゆーと今は20代後半か30代半ばってところで、社会に出て堅気になっている人たちを呼び戻すパワーが「ガンダム」くらいにあるとは思えず「エヴァンゲリオン」みたく世代を無関係に引きずり込むパワーにも欠けている。

 かといって何でも集めるマニアにアピールするよーな商品も作りづらい。「ミクロマン」とか「ゾイド」みたいに消えつつも消えず命脈を保って来たタイトルだったらそれでも火の着け方で燃えあがらせることも出来たけど、今まで消えてたタイトルを懐かしさだけでどーやって盛り上げていくんだろーかがまだ見えない。それとも僕の知らないところで熱烈な「ワタル」ファン「マイトガイン」ファンがいるんだろーか、それは「ラムネ」「シュラト」「星矢」を超えた凄いコミュニティになっているんだろーか。これからの展開を見て行こう。

 同じ懐かしさでもこっちはもう少しビビッドに動くかも。「ポケットポケット、メイト」って宣伝が耳に今も残る小型のゲーム「ポケットメイト」がトミーから復活。文庫よりも小さいサイズに例えば野球盤とかゴルフとか、パチンコとか将棋盤とかが組み込まれたゲームで僕が小学生の頃に一世を風靡して、誰か彼かが学校に「ポケットメイト」を持って来て遊んでいたっけ。「ゲーム&ウオッチ」みたいな液晶携帯ゲームが登場する以前は旅行のお供にもなっていた。それがえっと20年ぶり? いや30年ぶりに近いかな、いよいよ大復活を遂げるみたいで年末には店頭に品物が並びそー。

 見ているバイヤーさんの反応も見た目20代前半から上は40代の人まで懐かしそうに手に取って、それでしばらく遊んでいたから受けは上々であとは携帯電話のゲームで遊ぶ大人とか、携帯型ゲーム機がデフォルトの子供にどこまでアピールできるか、ってことになるのかな。2人で盤を挟んで遊べる将棋は携帯ゲームの通信では不可能な将棋の醍醐味を覚えさせてくれる優れもの。値段も420円と文庫本より安く買って鞄に1つ入れて、暇な時に取り出しぺこぺこ遊んでまたしまうライフスタイルが浸透してくれば意外な再発からのヒットってことになるのかも。しかしそれにしてもよく今作れたなあ、金型とかってどっかに保管してあったのかなあ、もしかして商品が倉庫に眠ってた?

 そのトミーではあの「ファービー」までもが復活。「たまごっち」に続くデジタルペットの先駆けとして登場しては銀座に大行列を作らせた人気玩具だったけど、見た目のアレさ加減と結構な喧しさでもって我が家からは程なく放逐(地層に埋もれた)となり店頭からも見かけなくなった商品で、そのエッセンスは今は癒し系玩具筆頭の「プリモプエル」へと受け継がれているけれど、今度はデザインこそそれほど代わらないものの大きくなって受け答えもするよーになってコミュニケーション能力が高まって、飼って楽しいデジタルペットとして再登場する模様。世界では9月とかに出て日本には10月に登場ってゆーから期間もすぐ。旧世代の歓心を惹きつつ新しい世代の必須アイティムと成り上がった「たまごっち」が意外なほどの大ヒット商品となったからには「ファービー2」も、成功の可能性がない訳じゃない、けれどもやっぱり値段が4000円超ではなあ。「プリモプエル」みたく大人の癒しともならないし。その辺も含めて発売後の動静に注目。

 バンダイでは高橋晋平さんと「シンペイ」を手合わせして一蹴されて流石は名人と敬服。考えていても見落としがあったり気づかなかったりで負けてしまうから分からない。定石もまだ見つけられないし。この難しさと面白さはひょっとしたらひょっとしてのヒットとなるかも。せめて「GUN−PEY」よりは長く伝えられる商品になって欲しいなあ。「GUN−PEY」だって面白さでは突き抜けたパズルだったんだけど、プラットフォームが「ワンダースワン」だったのが惜しかった。今なら縦で遊べる「PSP」に移植すべきって気が。一緒に「ケロリカン」も移植して「ワンダースワン・ミュージアム」って名前でパックで売れば売れる……かな。僕は欲しい。遊びたい。

 やっと2話が見られた「ぺとぺとさん」はなるほどほのぼの。それでいてほろ苦。ぺと子を見る街の大人たちの眼が痛いけど、それを気にせず対抗しよーとするシンゴの強さが心に染みる。いよいよ登場のこぬりちゃんはやっぱり可愛い。早くグッズを出そう。できればほっぺたにくっつくやつを。眼鏡を外すと3の字目が増えてた昨今において赤沢は眼鏡を外すと超美人ってキャラを演じてくれていてなかなかに素晴らしい。おまけに顔も上気していてそれが眼前へと迫ってきたら誰だってヤられてしまうだろー。とはいっても相手は妖怪れろれろだ。汚れを舐め取るその性交を満足させるために自然、相手に警戒感を抱かせず相手から好まれる容姿へと変化しただけに違いない。あるいは擬態? だとしたらその正体は……。でもいい見かけが可愛いから。ところでアニメで「ぺとぺとさん」を知った人は赤沢がどーしてシンゴの口に吸い付いたのか分かったのかな。その辺やや興味。とりあえず静かでエロくて切なくって楽しいアニメでした。「かみちゅ」とはこれからも重なるなよ頼むから。


【7月18日】 文学賞とライトノベルをめった斬って浴びた返り血も乾かないうちに今度はSFへと殴り込みをかける覚悟なのか大森望さん。7月23日に池袋の「ジュンク堂池袋店」でもって稲葉振一郎さんと「現代SF殴り込み!」って対談をやるそーで、「ナウシカ解読」「リベラリズムの存在証明」と来て何故かいきなり登場の長谷川裕一さん解説本「オタクの遺伝子 長谷川裕一・SFまんがの世界」を出して驚きと喝采を浴びた稲葉さんが、どんな話を繰り広げるのか興味が及ぶ。

 分からないのが「SF殴り込み!」ってタイトルでどっぷりSFの人であるところの大森さんが何を今さらどこにどうやって”殴り込む”のかやや不明。それとも稲葉さんがSF業界に殴り込んで来た、って意味なんだろーか。けどすでにいろいろSFについての言及も多い稲葉さんも今さら”殴り込み”って言って言えるんだろーかどーなんだろーか。意外だったのは説明によれはお二人は初対面だそーで、てっきりどちらもSFの古いファンで面識もあったと思っていたけど違うのか。当日は午前中から「東京キャラクターショー」で午後は西が丘で女子サッカーのなでしこジャパンがオーストラリア代表と戦う親善試合があるんで東に西に走って時間があったら見に行こう。「ナウシカ解題」どこに閉まったかなあ?

 灼熱の中を扇風機から出る風にささやかな涼で命を繋ぎつつ千葉テレビで見た「奥様は魔法少女」の第3話。次の管理者候補のクルージェに加えてクルージェに敗れた魔法少女のブルガまでもが現れ嬉子さんに絡んで怒るバトルは灯籠が板野サーカス、とまではいかないけれどそれなりな動きで嬉子さんに迫る動きの良さとか変身シーンの嬉子さんの背中とお尻のラインが目にも麗しかったりする点とか、アニメのマニアとしてハマる要素のオンパレードに惹かれつつももうちょっと別の、物語的世界観的な部分がツボにハマって来た感じもあって、これはもしかすると単に魔法少女物の定式をズラしてみせて笑わせるコメディなんかじゃないんじゃないかって思えて来た。

 母親が作った素晴らしくも平穏な街を守りたいからと、指輪を譲らす夫の浮気も見逃して頑なに魔法少女を続ける嬉子の一途さはなるほど表層にあって理解しやすい主題だけど、指輪に触れたブルガがはじき飛ばされてしまう場面なんかが挟まれて、それを見るについけて嬉子の一途さの背後には、彼女の意志とはまた別の指輪自体の強い魔力かあるいは指輪に込められた意志みたいなもがあるんじゃないか、さらには指輪の力を介して今ののんびりと平穏なままであり続けたい街の意志みたいなものも加わって来ているんじゃないか、なんて考えてみたくなって来る。

 つまりは生き、生かされる人間と社会との関わりめいたものとかがそこにあって、そんな土台の上で大人になりたいと焦る新しい魔法少女の姿が、子供のような無邪気さを持ち続けようとして頑張る嬉子の一途さと対比になって、嬉子の夫でベストセラーを過去に何作も出しつつ今は爛れて我が儘を貫いている作家の子供っぽさも重なって、成長するとはどういうことなんだろうか、それは正しいのか素晴らしいのかそれとも間違ってるのか辛いのかを考えさせられる。

 タイトルからストレートに浮かぶロートル魔法少女のモラトリアムぶりを笑う物語ってだけでは決して片づけられない物語へと、果たしてこれから発展していってくれるのか。くれたら凄まじい演出とも相まって凄いアニメになりそーな気もするけれど、やっぱり見かけの通りにズレた設定を楽しんで終わりになってしまうのかなあ。とりあえず最後まで見通そう。必要ならDVDも買おう。主題は深くなくても変身シーンだけで十分過ぎるくらいの価値あるし。同じ意味でジャケットの素晴らしさからCDも買ってしまいそー。何だやっぱり惹かれたのは世界観じゃなくってそっちかい。かもな。

 身内に甘いこともあるし体面にこだわるあまりに本質を踏み外すこともないとは言えないけれども根底としてやっぱり”正義”を貫く強い意志が、警察とゆー組織にあることだけは信じたい気持ちがいっぱいある。警察の子に育ったことも大きな要因だけどそれよりもやっぱり”正義”なき世に未来は決して訪れることがないと、歴史が証明していて叡智を持つ現代の人間が自ら未来を閉ざすような愚を犯すはずがないと、これまた信じたい気持ちがあることが大きい。とはいえ世間に伝わる警察に関わる不祥事たるや増えこそすれ減ることはなく、どこかやっぱりこの国のたがって奴が外れカカっているんじゃないかと不安に苛まれ懸念に身もだえる。

 けれども横山秀夫は警察を信じる気持ちを捨てていない。警察に”正義”の未だあることを誇りたい気持ちが残っている。だから書いたのだろう。「震度0」(朝日新聞社)。神戸で巨大地震が発生した、その朝突然に失踪した震源地からは遠く離れた某県の警察本部の警務課長。生真面目で切れ者だった彼が失踪してしまった、そその謎をキャリアの県警本部長とキャリアの警務部長と準キャリアの警備部長にノンキャリアの刑事部長、交通部長、生活安全部長たちがそれぞれの思惑を抱えつつ調べ真相に迫っていくとゆー、かつてない形式の小説で警察上昇部に蠢く様々な人間関係力関係の複雑さを見せられ辟易とさせられる。

 こうまで腐ってしまっているのか。こうまで歪んでしまっているのか。たったひとつのミスに、それも自分のものではないミスにこだわり心労を重ねつつそれを表に出さず飲み込む警察人の存在を一方に置いて、右往左往し右顧左眄する警察幹部のドタバタぶりが目に余るけど、それでもひとつ、貫かれる”正義”の影を見せられることで未来につながる希望を少しだけ、得ることができる。遠い神戸の地震との関わりが今ひとつ不明だけど、あれだけの事態を脇に追いやってしまう警察内部の不祥事対策の不可思議さを際だたせたり、進む事態の緊迫感で物語を引っ張ったりする意義はあるんでやっぱり必要な要素だったんだろー。ともあれなかなかの物語。流石だなあ。

 そんな感心が続く物語の、それもライトノベルから出た1冊でさらに増幅される。東海林透輝さんって講談社の「X文庫新人賞」を受賞したその名も「ドラゴン刑事!」(講談社X文庫ホワイトハート、600円)はタイトルだけ見るとショットガンとか抱えていたりする変態刑事のコメディとも、中華拳の使い手によるハードボイルドとも思えてくるけどこれがどーして、警察組織の複雑にして単純な階級社会的難しさを描きつつ、そーした組織にあって”正義”を貫こうと頑張る人たちの大勢いることを描く優れた警察小説になっていて、これがどーしてことでこんなタイトルで、出てしまったんだろーかといった不思議さに頭をかき回される。

 主人公の女性刑事で強行犯係に所属しながらも性犯罪の被害者のケアもでき、なおかつ街にうごめく妖怪変化の類をその眼で見ることのできる凶眼の持ち主とゆー龍鈴麗が痴漢によって襲われた少女の事件の謎へと、新しく赴任して来たキャリアながらもどこか拙いことをやらかしたのか所轄までトバされて来た若い警部の青年とともに挑むってストーリーは、警察組織の描写も犯罪に向かう段取りも極めてリアルで真っ当で、なおかつ起こる事件の謎解きも理詰めで読んで納得の行くもので、警察小説のファンが読んでもその部分なら普通に楽しめるよーな気がする。悩ましいのは鈴麗の能力で、見かける妖怪変化の言葉振る舞いも参考に事件へと迫る描写を警察小説好きが納得できるかって所だけど、まあ一種の勘だと思って理解すればそれはそれで納得できないこともない。

 事件への糸口を見つけ真相へと迫る展開だって妖怪のアドバイスに頼らず見つけた証拠を勘で繋ぎ理論で裏付ける手順を踏んだものなんで、気にさえしなけれ優れて面白いミステリーって言って言えなくもない。警察の”正義”を信じそこに拠り所を見出そうとする人たちの気持ちの良も感動的。「震度0」が上層部の物語なら「ドラゴン刑事!」は最先端の物語として、共に同じ”正義”の護持ってテーマに挑み頑張る素晴らしさを堪能できるだろー。それにしてもやっぱり気になる「ドラゴン刑事!」のタイトル。普通にシリアスで心に染みる警察小説がタイトルのお陰でアクション&コメディに思われてしまうよ。どーしてこんなタイトルにしたんだろう? とにかく警察小説好きとか伝奇ファンとか美貌の女性刑事とか間抜けに見えて力を秘めていそーな青びょうたんとかが好きな人にはうってつけ。タイトルが気に入らなくても買って読んで次へとつなげてあげよー。お願いします。


【7月17日】 2日目の「HAMACON2」に行く者の義務として午前7時に起き「交響詩篇エウレカセブン」を見たらオープニングがHOMEMADE家族になってチェケラッチョありがとサンキューラブ。歌詞こそ違え少年のハートを称揚する内容をラップに載せて繰り出すサウンドを聴いて、ヒップにホップな気分に朝からなれってゆーのかどーなのか、知りはしないけど狙っているんだとしたらそれはうーん、見ている層を少し間違えているよーな気もしないでもない。

 だって敢えて午前7時の「エウレカセブン」を見る人なんてヒップがホップな歌なんてきっと知らないぜ、HOMEMADE家族なんて聞いたこともないぜ。前の「Days」はFLOWが普段の持ち味のパンクでラップな感じを封印してアニメのオープニングに相応しい歌にしてオリコンでそれなりのランキング入りを果たしたけれど、それと比べると戦略に変化があって戸惑うこと多々。だったらFLOWにだって本来のサウンドでやらせてあげれば良かったにと同乗の気持ちも沸いて来る。けどまあオープニングなんて2回も見れば慣れてしまうものなんで気にせず本編に集中することに……総集編かよまったくもう。

 エンディングはまあ好き。グルーブ感のある歌は聴いてて前のメロウなき持ちとは違った浮き立つ気分で次週への興味をつなげてくれる。問題は次週以降の展開がまるで見えない点でオープニングに登場して来る新たなカップルが誰なのか、でもってレントンやエウレカが目指す場所はどこなのか、感じるにはまだ材料があまりにも乏しく大きな目的を見据えてストーリーを追っていくことがちょっとしづらい。かといって注目すべき対象も前半で言うならタルホさんのボディみたいなものがなく、アネモネのやんちゃぶりは痛く気持ちに入ってこない。エウレカもトッポ過ぎて好みを入れられない。宙ぶらりんで彷徨う展開に果たして見える核はあるのか。それはどこへと向かうのか。期しつつ待とう来週を。今週はだから総集編。

 でもって「SF大会」はSF書評の人が並ぶ姿を遠くでながめつつ大学生はもっと電撃文庫を読もうそーすれば大学の図書館にだって電撃文庫が並ぶよーになってセレクトする人にも電撃の情報が求められるよーになるはずだと呻吟。それが求められる大学図書館ってのがあるかは知らない。我が母校の図書館には日本人作家の小説すらなかったし。「ラブクラフト全集」はあったけど。訳わかんね。続いて「ライトノベルの包み方」とかってタイトルのイベントに行ったら人が大勢で入れず外から眺める。なるほど売れたカバーはあーやって作られたのか。編集長の権限ってのはかくも大きいのか。偉くなろう。決意。ライターに偉さは関係ないんだけど。

 それからSF編集者座談会。東京創元社と早川書房と徳間書店の編集の人、とくればだいたい了解の面子が揃って去年はあれを出し今年はこれを出すって話に耳を傾ける。会場に上遠野浩平さんと桜庭一樹さんと桜坂洋さんと橋本紡さんがおられらのにはやや驚き。桜庭さんは創元でもハヤカワでも本を出すし桜坂さんはハヤカワでお仕事していてこれからもしそうで情勢を確認に来たってことになるのかな。2日目もちゃんと来場してくれていたところにありがたみ。ちなみに浅井ラボさんも来場しては特攻服を隠さずまとってライトノベルの勢力拡大に務めていらっしゃいました総長格好良いぜ夜露死苦。

 橋本さんは2000年の「Zero−Con」で電撃作家が集まる部屋に来場していたのを見て以来、かあるいは「電撃大賞」の授賞式で姿は見ているけれどもそれくらいだったけど当時と違って「半分の月がのぼる空」が評判となって以来の拝見。もうずいぶんと経歴も長くなったけど、未だ若々しい姿に来月刊行の「泥棒猫と木曜日のキッチン」が一般にも評判となってくれればこの才能が外に知られることになるのにって期待を持つ。ちなみに傑作。切なく明るく痛くそして強い物語。読もう。「シフト」に続けて。エンディングはトバしてロビーで漂っていたら白衣を着たアマゾネスが歩いてた。凄かった。何がどう凄いかを説明するとなると文庫3冊分は思考の弁証法的昇華が書けてしまうんでここは深く考えないよーにしよー。しかしうーむ。世界は広くて深い。

 読みのがしていた近藤信義さんの「ゆらゆらと揺れる海の彼方」の第4巻を読み続けて第5巻を読んで物語にぐっと厚みが出てきた一方でこれをどこに収めるのか、帰結点が見えづらくなって来たよーに感じて迷う。兄と弟の国盗り物語をノウラって記憶喪失の少女がその正体の発露も絡めて支えるって展開だったらまだ範囲も狭くて済んでいたけど国が滅び攻められ守り同盟を組んでって世界の版図をめぐる争いへと広がってしまった今だとラシードとジュラの兄弟が自分の国を守って終わり、ともはならないし滅びて終わりじゃちょっと寂しい。

 第3巻でその正体が明らかとなって力も見えたノウラを海獣の女神へと押し上げ、その力で世界を光で照らさせるって締め方もないでもないけれど、だったら何故にそんな存在が生まれたの? って今度は次元がメタへと触れてしまっていっそう奥深さが増してしまうから感動の一方で欲求不満も生まれそう。キャラクターもどんどんと増えて読んでてあれ誰状態になって来たのも長編シリーズの良さでもあって悪さでもある難しさ。それらを御してまとめ切って感動のエンディングへとどう持っていってくれるのかをこれからも期待しつつ追って行こう。とりあえず第5巻は軍神ジュラの凄みが存分に発揮されててジュラファンには嬉しい1冊。あとは新キャラの生真面目な騎士カルナちゃんのウブさに惚れ。マッドなサイエンティストのメシエさんも妖しくってステキです。


【7月16日】 午前6時に目が覚めて二度寝したら午前の7時半になってしまってたんで慌てて回しをして(名古屋弁で用意をしての意)電車に乗って「パシフィコ横浜」へと向かって「日本SF大会」の会場に到着したものの相変わらずの中押し準備に15分遅れで参加受付がスタート。これならもーちょっと寝ていられたかもって思ったけれど遅れている間に行列が長くなってほぼ先陣で受付を済ませた後にまだ結構な行列が出来ていたことを思えば少々の早起きもやむを得なかった感じ。

 早々と済ませた後は抜けだして隣の「パシフィコ横浜」で開催中の「ジュラ紀大恐竜展」を見物に行く。初日で朝一ってこともあって来場者はまだ少なかったものの入っているうちに次々と人も来ていたみたいなんで昼間はそれなりに混雑したのかも。上野の「国立科学博物館」で開催中の恐竜展にはアメリカから世界最大のティラノサウルス・レックスの化石が来ているって評判だけどあれは実は複製骨格で言うなればニセモノ。対して「パシフィコ」に来ている骨は一応は全部ホンモノで、数も上野をはるかに上回って大量に来ているんでリアルを求めるファンにはこっちの方が来て見て楽しめるかもしれない。けどやっぱり恐竜の花形はティラノだからなあ。大きさと雰囲気だけを楽しむんだったら上野の方に行くんだろーなー。俗物どもめ。

骨骨骨の大洪水。SF見た後は恐竜をどうぞ  1つ200円の恐竜の化石と三葉虫の化石とアンモナイトの化石を買って(外に同じ素材を使ったガチャポンもあり)戻って「SF大会」のオープニングを見物。オープニングアニメは公募したのに集まったのは2本と少なくこれなら出せば僕でも通った可能性がないわけではなかったりするけれど、その後の好評で野田大元帥が大昔の「DAICON3」のオープニングアニメに場内が大歓喜した例を挙げて大喜びされるものがオープニングアニメだとするなら今回のは……といったことを言っていたんで下手なものを送らなくて良かったと安心する。まあ作ったところで手書きのパラパラ漫画のそれも死ぬほど下手なものにしかならなかったんだけど。あるいは本が1年の間に部屋を浸食していく様を定点カメラでコマ撮りした映像とか。見たくねえ。暑苦しい。

 「星雲賞」は順当に穏当に「OTAKU展」に前田建設ファンタジー営業部にアニメ版「プラネテス」に新海誠さんにグレッグ・イーガンにシオドア・スタージョンに飛浩隆さんに笹本祐一さん。笹本さんはスペースシャトルが上がらずケープカナベラルから戻れず最高の栄誉をその手に直に受け取ることができなかったけれど、そーゆー事態こそが今、種子島だ何だとロケットを追って飛び回っている笹本さんらしいエピソード。そーした働きが未来の糧に確実になっているって状況が、例え授賞式に来なくっても「SF大会」に来た人たちを納得させうなずかせたんだろー。ともあれ皆さんおめでとう御座いました。

 プログラムはその後はまずは「電撃文庫」部屋。入り口に案内もおらず本当にここでやるんだろーかと中に入ると上遠野浩平さんが座って資料を見ている前で司会の人が机を並べ替えるとゆーセルフサービスプログラム。300万部のベストセラー作家でなおかつ時代を変えた人でも使う手作り感がこれからも続くとなると果たして上遠野さん、これからも来てくれるんだろーかどーなんだろーか。平等さを尊ぶ精神に払う敬意はあるけれど、一方でそれがもたらす課題もぐっと浮かび上がって来たことをさてはて、これからの大会がどー理解しどー解決していくのかにちょっと関心。どっちにしたって永遠の一ファンには関係のない話なんだけど。

 もっともシステムが変わっても仲間を助けに駆け付ける心根の持ち主が多いのか電撃出身作家たち。「電撃部屋」には成田良悟さんが来場し葛西伸哉さんも来られ榊一郎さんも助っ人で参戦し米澤穂信さんも登場。なおかつ角川スニーカー文庫からライトノベル界の総長こと浅井ラボさんが特攻服を身にまとって登場。作品のクールな熱量とはまた違った関西系の派手な喋りでイベントも仕切ってそれなりな賑やかさでもって1時間半の会期をピタリとまとめる。ってかちょっと喋り足らなさそう。明日はどこかでその喋り足らなかった分を吐き出してくれるのかな。ぐるぐる回ってチェックしよー。特攻服を見かけたらやっぱり総長って呼ぶのが正しいのかな。

 続けて桜坂洋さんと桜庭一樹さんの対談「サクラ対戦」を見物。50人強の部屋が満杯でパッと見て足りるんだろーかと抱いた心配が本当になる。「All You Need Is Kill」がSFで評判を呼んで「スラム・オンライン」がハヤカワから出たことで桜坂さんのSF方面での認知度は急上昇しているし、桜庭さんも「SFセミナー」での登場でファンに認知度が高まってた、そんな2人の対談に人が集まらない訳はない。入れなかった人もきっといただろーからこの続きを、どこかの機会で是非にやってもらいたいところ。といっても次にあるのは「京都SFフェスティバル」か。そこでやられてもちょっと行けないなあ。来年のSF大会はさらに場所も遠いし。「ライトノベルフェスティバル」あたりか、やっぱ。

 途中で2人の著書一覧が出てそのリストの最も新しいところにあった「すたんだっぷ風太くん」ってタイトルにこれは何かの冗談かと訝り終わった後に近寄り見たらホンモノにリアルな桜庭一樹さんの新刊だった。そりゃ別に風太くんの写真集が出るのは構わないけどどーして桜庭さんが文章を書いているのかが分からない。当人がとてつもなくレッサーパンダのファンだったのか、それともスタンドアップした風太くんの立ち姿がカラテの姿勢に似ているからと桜庭さんに話が振られたのか。そもそもどんな文章が書かれているのかも分からないんで明日にでも本屋で探して読んでみよー。キャットファイトならぬパンダファイトの話だったら楽しいのに。ところでこーゆー本のサインは桜庭さんに頂くのが正しいんだろーか。それともやっぱり風太くん? 千葉市動物公園に行けばくれるかなあ。桜庭さんは千葉市動物公園に行って風太くんが立つのを見たんだろーか。


【7月15日】 1日遅れで千葉テレビの「機動戦士ガンダム」は「テキサスの攻防」を見たらセイラさんの入浴シーンが一瞬だった。もっと体全体が見えたと思ったんたんだがなあ。「OUT」に掲載の「悩ましのアルテイシア」が脳に固定化されてしまってそれとアニメが重なってしまっていたのかなあ。プラス小説版「機動戦士ガンダム」ってのもあるかも。それはそれとして久々に直で聞く「あれは良い物だ!」は切迫感と義務感と責任感が入り混じったマ・クベの心境が滲んでる感じで心に響く。

 塩沢兼人さんが当ててた声もマ・クベならではの気取った感じじゃなくって切実さが籠もって、結構良い奴だったじゃんって印象が浮かぶ。もっと聖女っぽくって幼女っぽいって印象が頭に染みこんでいたララアも割に悪女で妖女な感じが声に滲んでたりして、頭の中でこね回しているうちにお話の中での役割とか、周辺で言われる評価が勝手にセリフのトーンもねじ曲げて捉えるよーになってしまったんだろーなー。ちなみにシャアは頭の中で捻り回すまでもなくシャアだった。ってかデュランダル議長になってもやっぱりシャアでしかなかったり。幅が狭いってんじゃなくってこれはこれで池田秀一さんが偉大な声優さんだってことで。類例は森山周一郎さんか。

 そんなガンダムの殿堂「ガンダムミュージアム」に新しいコーナーが出来るってんで内覧会を見物に行く。その名も「『V作戦』コックピット・リプロダクション」は宇宙世紀0079年、連邦軍の新型モビルスーツを探りに行ったシャアが「サイド7」で謎のモビルスーツを発見した作戦の際に、アムロ・レイが乗り込んだ白い新型モビルスーツ、すなわち「ガンダム」のコックピットを、宇宙世紀0100年の未来に偉大な「ガンダム」を振り返るために作られた博物館に、再現したってコンセプトで作られたもの。決して「ガンダム、大地に立つ」の場面でアムロが「ガンダム」に乗り込み動かし戦う場面をシミュレートしたものではなくって、揺れ動きもしなければ眼前にザクの巨大な顔が迫って来るのを討ち果たすよーな遊びもない。

 言ってしまえば観光地にあって名勝にとけ込んだり歴史上の人物に成り代われる顔抜きのボードに顔を突っ込んで楽しむってのに似ていたりして、シミュレーターだと思ってかかると肩すかしを食らうけど、最初から顔抜きボードの立派な奴だと割り切って、コックピットに座り往事の雰囲気を味わいつつ、記念写真を撮ってもらって楽しめばそれで結構良い気持ちになれるだろー。入場料が500円に利用料が500円で記念撮影が1000円とゆーのが金銭的になかなかだけど、撮れる写真が結構なハイクオリティで座っているって気分を改めて感じさせてくれるんで、1000円くらいなら惜しくないって人の方が多いかも。16日からオープン。行くと今だと「機動戦士ガンダム」の劇場版のフィルムを5コマ分、くれるんでマニアは行くべし。セイラさんだと嬉しいな。

 オープニングの映像が変わった「ハチミツとクローバー」は一変して実写にアニメってゆーか漫画ってゆーか、ともかくキャラクターが重なるお洒落なイメージになってて気色悪さを訴えていた人には望みが叶ったと喝采を浴びそーだけど、個人的には実は前のあの映像が好きになってて、YUKIの歌のリズムとシンクロして動く展開の心地よさに、これから始まるスウィートでビターな青春ストーリーへと心を盛り上げられたりした。新しいのは気色悪さこそ薄れたけれど音楽のテンポと画面がどーにもシンクロしていなくって、見ていても心があんまり沸き立ってこない。上下にずれる絵も左右に流れる絵に見慣れた目にはちょっと意外。ってゆーか左右に目のついている人間には狭い上下に流れる絵ってあんまり心地よく感じられないって思うんだけど、その辺プロの人にはどー見えたのかなあ。ちょっと知りたい。

 エンディングも変わっててスネオヘアーの「ワルツ」がギターのカッティングだかでスパンと入ることで、ドタバタがあってシンミリがあったドラマが次のエピソードへとつながっていく感じを味わえたのと比べると、のんびりしたテンポで静かに今回のエピソードを見終え味わい突くしてさあ、次もまた楽しませてくれよって落ち着いた気分にさせてれて、前までのペースに慣れた頭にはちょっと違和感があったけど、人間なんて好い加減なもので3回も見れば見慣れてこれこそがスタンダードだって思えてしまうんだろー。ただしCHEMISTRYが唄う「機動戦士ガンダムSEED DESTINY」の新しいオープニングは除く。絶対に除く。相変わらず歌声に心がこもってないんだよなあ、こいつら。巧いんだけど、それだけ。絵はルナマリア・ホークのニーソックスとか下着姿のあれはステラだったっけカガリだったっけ。眼福です。それゆえにあのぬるーんとした唄が……。

 上月司さんの「カレと彼女と召喚魔法4」(電撃文庫、570円)を読んで驚く。まさかっ! 井沢玲がっ!! あのバカ沢がっ!!! だったなんてっ!!!! いやもう見る目が変わります。嫌な奴だと思い嫌っていた気持ちがひっくり返ります。読むしかないです。読みなさい。彼女こと幼馴染みの女の子が壊した脚を治すために悪魔と契約したカレこと水瀬遊矢は代わりに恐怖心だか何かを奪われてしまったんだけど、持ち前の才能か才覚か感覚を奪われた人間にしては見た目普通に見える生活を送っていたりする。

 彼女はカレの心を取り戻そうとしてカレが呼び出した悪魔を探し出そうと懸命なんだけど、不思議な魅力を備えた遊矢に目を付け、カレの心を奪ったのとは違う悪魔で今は人間の高校生の格好をして井沢玲って名で同じ学校に通っている野郎が迫って来るって展開が、前巻あたりまで繰り返されていてそーして登場した第4巻で、ぐるりと様相が一変。玲にはとんでもない過去があったことが判明して、思わずこれまで嫌って御免よ仲良くなろうよって迫りたくなって来る。何でそんな勿体ないことをするかなあ、地球的損失だよなあ。そんなこんなで終わって次から無理のたたった遊矢に迫る最後の時って感じのドラマが始まって、風雲球を告げそうな予感に速く続きをって気になって来る。さてもどーなるこやら。とりあえず玲にはレイに戻れと言いたい。レイって誰? 見れば分かる。


【7月14日】 買ってないけど本屋で立ち読みした「スポーツ・ヤア」の最新号はいきなり安藤美姫選手の美尻が迫ってくる写真に顔を紙面へと近づけたくなったけどコンビニだったことに気づいて我慢。下手するとどっかのコンビニみたく全裸で買い物に来ていて捕まってしまったおじさんみたいになってしまう。どーして全裸で買い物に来たのかは不明らしーけどきっと暑かったんだろー。全裸で買い物に来たのがおじさんじゃなくって若い女性だったら果たして店主は警察に通報したんだろーかとひとしりき沈思。でもやっぱりしたかなあ。でもってあとで監視カメラの映像をダビングしたかなあ。

 話が逸れた「スポーツ・ヤア」は女性アスリート特集で中にサッカーの日テレ・ベレーザに所属して日本代表こと「なでしこジャパン」に選出されてる沢穂希選手に酒井與惠選手に宇津木瑠美選手に永里優季選手へのインタビューがあって4人が芝生に寝そべっている顔を上からとらえた見開きの写真がなかなか。いや美しいってことですよ。内容の方は酒井選手が割に人見知りするタイプで新人の頃の宇津木選手永里選手はびくびくしてたとか、今度の東アジア大会では酒井選手沢選手とも代表になって初のアジア制覇を狙いたいって話とかいろいろで読んで是非にも頑張って下さいって気持ちが沸いてくる。

 本当だったらここに大野忍選手や川上直子選手がいたって不思議じゃないけどこの4人にしたのは何でらろう? ベレーザプロパーで新旧2人づつってことなのかな。荒川恵理子選手に小林弥生選手は今年はお休みなんでいないのは不思議じゃないけれど、この2人が仮に復帰して来て姉御の小野寺志保選手も入って来たら総勢えっと何人だ? ディフェンスの豊田奈夕葉選手だって代表だし中地舞選手や近賀ゆかり選手だってボーダーで、ベレーザだけで一チーム作れそー。なおかつTASAKIペルーレやTEPCOマリーゼからも選手が来たりする訳で今年の東アジア大会はちょっと期待できそー。行くか韓国。その前に西が丘で壮行試合だ豪州戦だ。仙台以来?

 しかしその日は「東京キャラクターショー2005」が開幕するのであった。まあキックオフは午後3時だから十分に間に合うってことで「キャラショー」には午前中に行って今が旬らしーアキハバラのメイドさんたちを存分に堪能させて頂こう。何故に「キャラショー」にメイド? って疑問を抱く人も多々あろーけど、本日ニッポン放送で開かれた開催前の概要発表会によれば「ドン・キ・ホーテ」の5階にあって訪れやすいと評判の「@homeacafe」から4人くらいのメイドさんが「幕張メッセ」を訪れてご奉仕してくれるんだそーな。会見には3人のメイドさんが秋葉原から駆け付けて「おかえりなさいませご主人様」とか何とか言ってくれて背筋がゾクゾク。これを間近で言ってもらえるんだったらとついつ通ってしまう人の気持ちがちょっとだけ分かる。実はまだ行ったことがないのです。「SF大会」にはないもんなあ、秋葉原流「メイド喫茶」。

 会見には超イケメンなのに週に2回は秋葉原に通うと断言して世のアキバ系男子を喜ばせているのか引かせているのかあんまりよく分からないけどともかくニッポン放送を代表するエースアナウンサーへの道をひた走る吉田尚記さんが当然の如くに司会として登場しては喋る喋る喋りまくって突っ込みまくってそのいちいちが「オーラバトラーの出ないダンバイン」とか狭い所を突くコメントで、なるほどA系のトップランナーって言われる訳が分かった気になる。ちなみに僕は週に4回は秋葉原を経由して会社に向かうA系記者。だけどイケメンじゃないから世間の評判にはなれないしサンズのタレントとも知り合えないし奥さんだってもらえません。あの指に輝くリングが! リングが! リングが! 関係ないけど破れたジーンズから見える体毛、ステキです引っ張りたいです染めたいです。

 帰宅して30分押しだったけど冒頭なんで撮れてたTV版「電車男」のオープニングアニメの動いているのを見て年輩の人の妙に評判が芳しくない理由に納得、動いてないじゃんあんまり。絵はそれなりだけどアクションに溜めがなく素早さがなく緩急がなく平板だし、視点もアングルも工夫がなくって見ていて心地よさをあんまり感じない。「DAICON4」の元ネタがどんな動きをしていたのかって記憶がそれほどないけれど、女の子の飛び方にもミサイルの飛び方にもそれぞれに独自のものがあったんじゃなかろーか。たとえそれほど変わりがなかったとしても今時の派手なアニメに慣れた目にも耐えられるものにして欲しかったなー。ユーフォー・テーブルだったらどんなに凄いオープニングアニメにしただろーか。やや残念。エンディングは撮れてなくってトライガンだったり権佐だったりする人がいるかは未確認。こっちは来週に調べよー。


【7月13日】 豆腐ちゃんがちゃんと出ていて嬉しかった「かみちゅ!」は猫がいなくなってさびしんぼしていたゆりえの町に貧乏神警報発令。どこだ? と探し予防策をとったにも関わらず貧乏神台風は町の商店街を閉鎖に追い込み神社にも災いをもたらした。貧乏神はどこにいるんだ? と身構えたゆりえたちの前に現れたそれは……って感じに相変わらず素っ頓狂な展開で、なのにギャグにならずほのぼのとした雰囲気になってしまうのは絵柄とそれから物語自体を中学生の女の子の神様がいたって誰もが平然として奉り頼ってしまうレベルへと、整えることに成功しているからなんだろー。倉田英之さんの脚本も舛成孝二さんの演出もともにあっての世界観、ですね、きっと。

 それにしてもゆりえの文字通りの猫可愛がりっぷりたるや。毎日風呂に入れられ蜜柑を食べさせられぐったりするまで触られたら猫だって逃げ出したくなるよなあ。そんなゆりえの頓狂ぶりも凄いけど、今回登場のお母さんのメルヘンぶりもなかなかなもの。父親が言う「わくわく猫ランド」の存在を間に受けて疑いもせずいってみたいと言ってのけるその天然ぶり純粋ぶりを見るにつけ、父親も平然とした顔で母親に冗談を言ってみたくなるのもよく分かる。絵的にはあとどう見たってただの猫の動きをしていた猫が突然す「おっこいしょ」っと立ち上がった場面の描き方が面白かった凄かった。猫が立ったらあんな感じになるかもってビジョンを見せてくれました。4つ足じゃなくって2本脚で逃げる姿もヘンだったなあ。原画の人よく描いたなあ。

 表具師になる修行をしている少年が知り合った素封家の娘とその従姉妹の少女。後妻の孫の娘と違って先妻の孫だってことで引き取られた館の屋根裏部屋へと押し込められて、それでも静かに暮らしている従姉妹の方の少女が死んでしまった祖母の形見と引き継いだ掛け軸の謎を解いてくれと頼まれた表具師見習いの少年は、やがて過去と現在とを繋ぐ憎悪と思慕の情念渦巻くドラマへと巻き込まれていく。松田朱夏さんって人が富士見ミステリー文庫から出した「ハイブリッドソウル そして、光の中を」(富士見書房、600円)は田舎の町を舞台にした伝記的な設定に既視感を覚えつつも込められた思慕の思いの強さに打たれ、仕掛けられた謎の哀しくも崇高な様に引かれ幸薄い人々の哀しい命運に悲しみを覚えさせられる。

 表具師ってゆー他にあんまり見ない属性を主人公に与えた上に、それを行かしたミステリー的な展開を挿入しているところに評価。なおかつもうひとりの主人公と言って良いクリスって舶来の青年の存在感をメインではなくサイドに置いて人間の哀しくも美しい心根を浮かび上がらせ、恨み妬む心のたどり着く寂しい光景を見せつけて人間にどうあるべきかと問う。設定も校正も展開も流石は「松田篁」名義で数々の作品を出してきただけのことはあるって感じ。なおかつゲームのノベライズではないオリジナルの作品で、しっかりとした構成を持つ物語を描けるってことも証明して見せてこれからどんな作品を読ませてくれるのかに期待も膨らむ。とりあえずは同じ主人公を使ったシリーズになるのかな。とにかく注目。住んでいるのが名古屋ってこともあるし。

 んでもって野梨原花南さんの「レギ伯爵の末娘」から続くシリーズの最新刊「スノウ王女の秘密の鳥籠」(集英社コバルト文庫、419円)も読んだら物語が終わっていなかった。うーん焦れる。アザーって貴族の家に輿入れしたマダーだったけど男性に扮して女性たちに幸福を与える仕事が耳に届いたのか、スノウ王女に拉致監禁され王女を楽しませる存在にさせられてしまってもう大変。正体こそバレてはいないけれど抱え込んで離さないスノウ王女の専横ぶりは奔放なマダーにとってもやっかいなものだったらしく、大人しくスノウ王女に従っては鳥籠から抜け出すチャンスを狙っているのかそれとも泰然自若なのか。

 新キャラのスノウ王女がアザーの拗ねっぷりが可愛く思えるくらいに迫力たっぷりで、そんなキャラを相手にマダーがどう応対していくのかがとりあえず興味。だって終わってないんだもん、珍しく。良かったり悪かったりする魔女のポムグラニットが師匠と仰ぐ魔女の過去とも関わって来そうな物語が帰結する先はどんなだろー? そんなに待たせないうちに出るってゆー続きを読むのが待ち遠しい。

 町中に足裏マッサージの店とかあって果たして入るかってユーとコレがなかなか入りにくい。疑うわけじゃないけれど施術は確かなのか料金をボられたりはしないか等々、逡巡してしまって横目で見つつ素通りしては家電量販店の健康器具のコーナーで、マッサージチェアに座ってごりごり肩のこりをほぐしてたりするんだけどそんな疑り深い人にコレは朗報と言えるのか。ナムコが「ナンジャタウン」に作った新しいテーマパークは”食”をテーマのフードテーマパークから趣向を代えて”リラクゼーション”がテーマとなったコンプレックス。入れば足裏から頭から背中から腰から様々な場所をもみほぐしてくれるお店があって提示された料金でしっかりと術を施してくれる。

 場所が場所だけに出展しているってことはそれだけ確かな店って安心感が得られるし、フードテーマパークの成功も裏打ちして施術にも信頼感が抱ける。あとはやっぱり入りやすさで町中でふらりと入るだけの勇気は沸いてこないけど、敢えてリラクゼーションのテーマパークに行ったんだったらやっぱりどこかを試さなきゃ、って意志があるわけでそんな意志を誘い掴んで引きずり込んでくれるから迷い惑うこともない。大勢で行ってあっちの店こっちの店と体感し合い比べ合うって遊び方も出来て女性の団体さんなんかが訪れそう。料金はまあそれなりだけど果たして成功するのか否か。成功すれば選ぶテーマが”食”から広がって色んなテーマパークが開発されては全国に展開されていきそう。何がテーマになるかなあ。


【7月12日】 もはや”萌え”は男だけのものでもなければオタクだけのものでもない、のかなあと「AERA」2005年7月18日号を読んで嘆息。だってねえ、「萌えバブル キターッツ!!」って見出しで始まる特集の冒頭に掲げられているのが鉄道模型の真名グループなんだよねえ、でもって写真も旅館に鉄道模型を持ち込み走らせてる中年おっさんたちの食事風景。美少女に対するもやもやっと内からわき起こる好意的な感情ってゆー、従来からある”萌え”のイメージとはまるでかけ離れたビジュアルなんだけど、これを持って天下の朝日新聞社が出す雑誌が鉄道模型を”萌え”と主張する以上はもはやそれも”萌え”と言わざるを得ないんだろー。何ともはや。

 それを想えばボーイズラブ市場を”萌え”と言う方がまだまだニュアンスにマッチしていると言って言えないこともなかったりするかもしれなかったりするかもしれないとか何とかかんとか。ある意味愛でる対象を問わず覚える好意をそう呼ぶことだと既定するなら性別が逆転しているだけのボーイズラブくらい”萌え”と呼んでも平気だろー。そーした解釈の軟化が進んだ果てに対象がコンクリートミキサーでも煙突でも鉄道模型であっても、どこか韜晦を含んで対象への偏愛を自覚的自虐的に覚える感情を総称して”萌え”と呼ぶ時代が到来するのだとゆーことを、「AERA」は先取り的に訴えているんだと思えば思って思えないこともなかったりするかもしれなかったり。まあ多分に勘違いしているだけなんだろーけれど。それともマジで鉄道模型に”萌え”てるの?

 強くなったなあフェリオ王子。剣の腕前はもとからあったけどシリーズの最初の方ではどちらかといえば成り行き的に騒乱に巻き込まれた中を惚れた少女のことを思いつつ周りにも助けられつつ奮闘して来たってイメージがあったけど、渡瀬草一郎さん「空ノ鐘の響く惑星で」(電撃文庫)シリーズ最新刊の第7巻では危地に陥るリセリナとウルクを守って強大な敵を相手にひるまずむしろ時には圧倒するくらいの戦いぶりを見せてくれる。イラストに描かれる姿も幼さのかけらもない精悍な青年って面もちで、これならむしろ兄を差し置き国王にだってなって相応しいけどそれをやったら騒乱が本格化して話がふくらんで、10巻くらいでは片づかなくなってしまうんで無理かもしれない。

 さても最新刊では捕らえられてたウルクに救出が入りリセリナも戻りそして敵のチームにも大きな変化が発生した模様。カタブツに見えたリセリナのオリジナルのイリスにも心に変化が生まれ、ただひたすらに突っ走ってきた行動がこれから違った方向へと向かうかも知れないって予感が生まれて来た。問題はここまで続いてきた話がどーなったらエンディングへと至るのかが見えない点。柱でつながった向こう側の世界とこちら側の世界の崩壊をフェリオが救う話に向かうには、強くなったといっても一介の人間に過ぎないフェリオには荷が重い。

 かといって断絶した2つの世界のこちらがわで、新たに生きる決意をリセリナもイリスも固めてエンディングってんじゃあ、柱ってゆー魅力的な設定が活かされ切ったとは言えない。フェリオとウルクとリセリナの三角関係が腐れ縁的に続くラブコメティックなエンディングで納得できるには世界の設定が魅力的で奥深すぎる。どんな差配でもってこれまで広げられてきた風呂敷を畳んで来るのか、果てに見えるのはどんなビジョンなのかととりあえずは見守っていくことにしよー。けどいったい何巻になったら終わるんだろー? 途中で刊行ストップってことにだけはならないで欲しいんだけどなあ。あり得ない話じゃないからなあ、ライトノベルのレーベルって。


【7月11日】 真っ当に演出すれば未だ少女時代にこだわるおばさんの痴態にあイタタタタって思わされ身もだえさせられる可能性もあったはずの題材を、どこか不条理的な動きとか展開とかを織り交ぜることによって中和してさらには新しさすら感じさせてしまうことに成功した、って言ったらちょっと言い過ぎか。2話で初めて見た「奥様は魔法少女」は、主題歌のCDのジャケットに描かれている魔法少女奥さんのお腹のたるみなんかが好事家に評判を呼びそうではあっても一般層からは忌避されそーだったりして、そんな感情を全編にわたって覚えさせられるのかと思ったらこれが意外。不思議な演出でもって画面に目を引きつけられて、次に何が起こるのかって期待させられて平気で最後まで見せられてしまったよ。

 前を行く青年の後ろで新旧2人の魔法少女が背中に魔法のロッドを持って歩く場面を後ろから描いたシーンでピクピクっとする魔法のロッドの動きとか、同じシチュエーションが正面から描かれあシーンで前を向いて歩く青年の後ろで新旧2人の魔法少女がちょっかいを出し合う動きとか、真正面からの描写を避けて平板な展開のなかに潜ませることで気恥ずかしさよりも違和感を覚えさせてそれで画面への興味を惹き付けよーとしている感じ。過去の例で言うなら「少女革命ウテナ」とか、「忘却の旋律」の流れに似たところもあるけれど、不条理が突き抜けていた両作品よりは楽しく安らかに見られそー。でもって織り交ぜられた毒に知らず当たるとゆー。しばらくは要注目。「ぱにぽにだっしゅ」はいじけるベッキー、高飛車な橘玲が見られるだけで十分。なので継続。

 SF的な大舞台を設定したものの繰り広げられる人間ドラマに設定が大きすぎてかみ合わず、宙ぶらりんになってしまった感じのあった作風がガラリと一変、身近な範囲で起こる人間たちの心のやりとりを繊細に描いて評判を取るよーになった橋本紡さんの転機となった「毛布お化けと金曜日の階段」を、紛う事なき傑作だと強く推したもののレーベルが持つ読者的な成約、ってゆーか読者が抱いていた印象なり先入観とのギャップが邪魔をしたのかセールス的には大きな評判は呼ばなかったみたい。

 けれどもその後に出してきた「半分の月が上る空」のシリーズが、広がるレーベルの可能性を貪欲に受け入れたいって受け手側の意識の変化もあったからか妙に評判を取ってシリーズも好調なよーで、ファンタジーでもSFでもなく超能力も宇宙船も出てこない、一般小説青春小説がライトノベルのレーベルにあって全然不思議じゃないって認識を深く広く植え付けた。ムーブメントから見れば何だか桜庭一樹さんの方がライトノベルのレーベルで青春をやって一般読者へと抜ける道を開いた人みたく感じられているけど『毛布お化け』で橋本さんが試した成果ってのもそーしたムーブメントの盛り上げに、一助となっているって思ってる。

 もっとも評判の面で至らなかったことを当人的にも、またレーベル的にも残念に思っていたのか今回、文庫レーベルから離れてメディアワークスが何ヶ月か連続で刊行しているハードカバーの小説シリーズに橋本さんの一般小説が登場することになった模様。タイトルも「猫泥棒と木曜日のキッチン」は「毛布お化け」と直接的なつながりはないけれど、悩みや痛みを抱えて生きているティーンの心情が日常的な暮らしの中に描かれている点は「毛布お化け」と共通。あっちは大切な人の突然の消失に惑う姉妹がそれでもしっかり生きていく姿が描かれていたけれど、こっちは消失すらあらかじめ想定せざるを得ない過酷な環境に生きていながらもひるまず、怯えず生きていく少女の姿が描かれている。

 再婚相手の男が消えて2年。その男との間に生まれた父親の違う弟とそして姉のわたしを残して突然、母親がいなくなってしまったけれど、そんな母親のダメさずっと見てきたわたしは慌てず弟と2人で暮らしていくことを決めて、それまで通りの日常を続けていたんだけれどそこに入り込んで来たのが猫たちで、道ばたに置き去りにされて死んでしまった猫たちの姿に憤って悲しくなってもしかして自分の姿も重ね合わせて、とある行動へと踏み切った。子供のような大人が子供を捨てた話に見えて実は大人のような子供が大人を乗り越え歩き出す、哀しみと強さを併せ持った作品って言えそー。痛みも覚えさせるけれど前向きな強さも与えられる物語は8月10日ぐらいに刊行予定。良い物です。一般文芸の出版社から出ればメディアでも評判を取れそうなのになあ。レーベルが壁は越えて文芸の世界に染みだし初めても、版元に対する文壇とやらの固定観念は未だ変わらずってところか。

 やっぱり三度笠だったよガッツ石松さん。バンダイの新しいゲーム「瞬間決着ゲーム シンペイ」のお披露目で後楽園ホールに30年ぶりくらいに登場してリング上で「シンペイ」のエキシビションマッチを戦ったガッツ石松さんに期待されていたのは、その破天荒な頭脳が巻き起こすボケっぷりだったと思ったけれど、意外といったら失礼ながらもしっかりとルールを飲み込み相手となった和希沙也さんを相手にちゃんとした勝負を繰り広げ、一勝一敗から決戦となった3戦目をきっちりと勝って頭もしっかりしてるんだってところを見せてくれた。やっぱり頭の良い人なんだなあ。天然ボケキャラなんかじゃないんだなあ。

 それより凄かったのはガッツさんより前に出てきてエキシビションを戦った将棋の森内俊之名人で、チェスの日本チャンピオンを相手にした勝負は普通の人が遊んでは絶対にならないよーな形にコマが並んでなかなか勝負がつかず、「瞬間決着」って言われるスピード感が売りのゲームではあるものの、そこに秘められた戦略性はなかなかに奥深く将棋の名人であっても油断はできないくらいに、遊んで面白いものなのかもしれないって可能性を見せてくれた。開発した入社2年目にしてその名をゲームに冠した高橋晋平さんも2人の対戦には驚きだった模様。これならオセロを超えるってかけ声も倒れずにそれなりな評判を呼びそー。7月23日発売。サンプルをもらったけれど1人では遊べない……。「SF大会」のロビーで縁台シンペイでもやって稼ぐか(それほど強くない)。


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