縮刷版2005年7月上旬号


【7月10日】 「納豆の日」は名古屋にいる双子の弟が40歳になる誕生日でもあって遠く千葉の彼方から心だけのお祝いを差し上げる。妻子とともに持ち家で暮らしケーキに蝋燭をたててプレゼント交換なんかをしていやがる絵に描いたよーなマイホームの光景を脳裏に浮かべる当方はと言えば、本が積み上がって身動きのとれない中をベッドの上に座りパソコンをながめつつ本を読んだりテレビを見たりする無為の日々。回る扇風機の音だけが部屋の中にブーンと響く。

 考えようによっては頭脳に新たなる情報を刻み込んで次なる思考の糧とする生産的な作業と言って言えないこともないけれど、少子高齢化が進む原題においてそーした思考の生産よりも大事なものがあるはずで、それを実行している名古屋の双子の弟の40歳に相応しい立ち位置には深く敬意を捧げたい。おめでとう。当方はといえば実行したくてもその前段となるチャンスがなく、またチャンスがあってもそれを継続させるだけの甲斐性がないのです。まあ選んだ道なんで自業自得っちゃー地獄自得なんだけど。

 それでも折角の大台だからと深夜のコンビニでケーキでも買ってくるかと想ったものの、惨めさにスタンピートがかかるんで止めて酒っかくらい眠って起きて「交響詩篇エウレカセブン」を生で見る。大台を超えて初めて見たアニメがこれってのも何か感慨深いものがあるなあ。遙か昔に「POP−EYE」なんかで舐めて憧れたセブンティズなウエストコーストの記憶を惹起させつつ10年前に前の大台を突破した時期を彩ったアニメの趣も覚えさせるって意味でも何かとフックの多い作品だから。

 もちろんそれだけじゃなくって新しい世代にとっての「POP−EYE」的なカルチャーのガイドとなるなりあるいは「新世紀エヴァンゲリオン」のよーな心に強く刻まれる道標的な作品となるべくして作られたんだろーけれど、ここまでのところそーした作り手側の企みが成功しているかってゆーとこれが微妙。年寄りは文句を言いつつも見てはいるけど若い層から圧倒的な歓迎の声が上がっているよーに感じられないのが悩ましい。それとも感づいていないだけでティーンの間では絶大な人気があって毎週日曜日の朝7時には必ず起きてテレビの前でレントンのぼやきに共感しつつタルホさんの触り心地が良さそうなボディを堪能しつつ画面から放たれるテイストに溺れ感銘を受けているんだろーか。とりあえず月末のDVDの売れ行きに注目だ。

 雨が降るって予報に考えたものの折角の不惑なんで惑っていても仕方がないと起き出し「西が丘サッカー場」で女子サッカーの「日テレ・ベレーザvsスペランツァ高槻」の試合を見物。西が丘暑すぎ。座っているだけで直射日光に汗がじりじりと吹き出す暑さでこんな中をよくもまあ試合なんかやるものだとフィールドをかけまわる選手たちに敬服する。トピック的には沢穂希選手が105点目を入れて通算で大竹奈美選手が持ってた記録を抜くことだけど前半から永里優季選手が飛ばして後半途中までにハットトリックを達成し、大野忍選手が得点をして圧倒的な差を付けても沢選手にはシュートの機会がなくって得点へと至らない。

 それでも後半に回ってきたボールをちょい離れたところから叩き込んで見事にゴール。通算105点目を上げて女子サッカーのリーグ記録を塗り替えた。凄い場面にいられて個人的には幸せだけど本来だったら米国のリーグに参加してそちらで得点を積み重ねているべき人材。なのにアテネで競技種目としては残っていても世界的に見て女子サッカーを支える基盤はまだまだ弱く、米国の女子プロリーグ再開のメドは立っておらず沢選手も仕方なしに日本でのプレーを余儀なくされてしまった。

 そこで腐らず着実に得点を積み上げるプロフェッショナルぶりにはこれまた頭が下がるけど、これほどの才能をもってしても脚一本で食べて行くには不十分なスポーツ環境をやはりこれからの日本は変えていかないと、社会から潤いとかゆとりとかが失われていってしまう気が強くする。還暦過ぎた病人に頼っていれば万々歳と思い込んでるスポーツがあり一緒になって騒ぐメディアがそれに結託してスポーツへの興味から人をどんどん遠ざけているこの国では、考えるだけ詮無いことかもしれないけれどそんな中でも沢選手の頑張りが、世間の認識を変えていってくれれば有り難い。

探せばサッカー美少女はいくらでもいるのだなあ、眉毛ないけど  それにしてもベレーザだけが1抜けしてしまっている構造にもちょっと問題が出て来たよーな気がするなあ。最終的に7点とかとられて破れてしまったスペランツァ。最終ラインのマークが甘すぎてベレーザの選手をフリーにしてしまって次から次へと得点を決められ為す術なしって印象で、見ている分には楽しいけれどこれが常態化するとゲームとしての面白さは次第に失われ、見ている人たちの関心も薄れていってしまわないかと心配になる。

 個別には10番を背負った庭田亜樹子選手とかユニバーシアードの代表でも10番をつけテクニックもありそーだし何より見目麗しいところに期待もしたいし、9番の相沢舞衣選手もサイドを突破するスピードと女子にしては大きい身長にパワフルなプレーを期待したいんだけどそーした個々の才能を組み合わせ結びつけるだけのまとまりが欠けてしまってる。せめてディフェンスに2人くらい、代表クラスの人がいれば守備もしまって失点を許さずゲームを引き締めてくれると想うんだけど。「なでしこジャパン」の活躍で興味を持った女子が選手になる10年後くらいまでは我慢し続けるしかないのかなあ。それまで世間の興味を繋ぎ止めてくれるよー、沢選手にも他の代表選手には頑張って下さいと平にお願いしておこー。京都に移転する宝塚バニーズにも良いスポンサーが付くと良いな。京都に冠たるゲームな会社とか。女子にアピールしたいなら絶好の素材だよ。

 丸本天外さんの「喚ばれて飛び出てみたけれど 1.はじめまして世界」(角川スニーカー文庫)は呼び出された悪魔の少女が呼び出した少年かから得体の知れない機会で命を搾り取ってはネコと口をきけるよーにしたりアイドル歌手のコンサートチケットが手に入るよーにしたりとセコい願い事をかなえてあげるマゾヒスティックでサディスティックな展開と、二股ダイコンの悪魔や頭のわっかが蛍光灯になった情けない天使の少女といったキャラクター造型、昭和のテイストもたっぷりに挟まれる細かいギャグが「撲殺天使ドクロちゃん」風だけどあそこまでシチュエーションのおかしさに徹底してこだわることはなくって、少しづつでも話を進めようストーリーテリングがあって類似作だと呆れないで済むよーになっている。

 悪魔の少女が出会った天使の娘の正体に秘密があったり再開できた父親が破天荒だったりして先にどんな展開がまっているのか、って期待も浮かぶ。しゃべれるよーになった使い魔のネコの「チャトラン」(今時この名前を使うセンスがまた微妙)が健気にもローマへの道を辿る姿とかも徹底してギャグに走って逃げない「ドクロちゃん」よりは何かを物語ろうとする意識を感じさせる。それは「ドクロちゃん」的な永遠に泥沼を漂う楽しさを捨てることを意味するけれど、真似をしたって仕方がないんで「喚ばれて飛び出てみたけれど」にはギャグの切れ味を維持しつつキャラクターの突拍子のなさも保ちつつ、イラストの見目麗しさにも支えられつつ独自の世界を築き上げていって頂きたい。あとは「ぴぴるぴるぴるぴぴるぴー」に匹敵する瞬間で脳裏に刻まれる呪文があれば完璧だな。


【7月9日】 「男祭り」じゃなかった「電波姉妹祭り」から帰宅して見た「ハチミツとクローバー」は喪男の1人として登場していないイケメン揃いの物語がまぶしくって直視出来ずサングラスを探してかけて見る。それほどのものではない。花見か何かで寝転がる山田の美脚の魅力に迫られながらも3年4年を耐え抜いた真山を朴念仁と非難するべきかそれともあの美脚に捕まったが最後、一生を踵落としの恐怖に耐えつつ暮らす悲劇を無難に避けたと讃えるべきか。あの美脚なら脳天に落とされたって歓喜だって意見もあるけれど。

 朴念仁ぶりでは真山以上と評判の江戸伸介が大活躍する弓月光さんの「甘い生活」の総集編が出てたんで買って読んで読み浸る。やっぱりこいつは面白いなあ。ピクシーって下着メーカーのアルバイトとして働いていた大学生の江戸伸介。根っからの下着好きに加えて触っただけで着ている下着のメーカーもサイズもピタリを当ててしまい、且つ触れられた女性と伸介が作った下着を身につけた女性のほとんど全員が、官能のピークへと気持ちを高められてしまう能力の持ち主だったことからピクシーの会長に気に入られ、最初は社員の意識改革を担わせそれから開発も手伝わせ、やがて世界にその名を轟かせる下着デザイナーとなっていくってのが28巻まで出ている単行本のメーンストリーになっている。

 ストーリーのもうひとつが若美弓香って会長秘書の美女との恋愛話で最初は綺麗に下着を身につけているってことで伸介の興味を引いてまんざらでもなかっただけの彼女も伸介のマジックハンドにやられ才能に感嘆して伸介の恋人になっていくんだけど、そこは別に好きな女性がいてそっちに関心を向けて山田の秋波を避け続けている真山と違って、下着のことしか関心がない超絶朴念仁の伸介だけあって、弓香が好きだって意識はあってもそこから先、何かをどーするってことがなくって弓香をやきもきさせるもやもやとして苛々とした腐れ縁的展開が今に至るまで続けられている。

 始まった最初っから「ビジネスジャンプ」の連載で読んでいた記憶があったけれど総集編でこれが連載スタートから実に15年もの年月を数えていることを知ってちょっと愕き。1990年ってことは東京へと出てきた当時でそれだけの期間が経ったんだなあって郷愁も抱きつつそれ以上に15年とゆー長丁場をテンションを下げることなく連載し続けた弓月さんの凄さに恐れ入る。総集編は26話目までで単行本だと2巻か3巻くらいだけどこの後伸介はどんどんと出世して合衆国の大統領とも知り合いになって何百億円もの資産を作るんだよなあ。けれども相変わらずの朴念仁なんだよなあ。何だか単行本をまとめ買いして一気読みしたくなって来た。28巻揃いの古本屋ってなかったかなあ。新刊だと2万円くらいかかっちゃうんだよなあ。買っても置く場所なんてないんだけど。

 思い返せば「ぼくの初体験」「エリート狂想曲」あたりで名前を知って25年とかの読者で、少女漫画から男性漫画へと移って大成功した「みんなあげちゃう」あたりをピークに後は余生って認識してて、そんなこんなで始まった「甘い生活」も長くは続かないかと想っていたらとんでもなかった。見知ってからの期間の半分以上を「甘い生活」に付き合って来たってことでもはや「甘い生活」はは紛うことなき彼の代表作だって断言できそー。その割には映像化されたとかって話はあんまり聞かないのは何でだろー? 「みんなげちゃう」は確か実写化されたんだけどなあ。下着が出過ぎるしおツユも溢れ出すぎるんで無理なのかなあ。

 久々に臨海へと戻ってくるジェフユナイテッド市原・千葉の試合を見に行こうかって想ったものの降りしきる雨にこれは難儀と諦め千葉テレビで観戦。2バックなんてリスクのとてつもなく高い布陣にオシム監督いったいどーかしてしまったのかと驚嘆ていたらこれがとんでもないことだったと判明。ストヤノフ選手の圧倒的な守備能力に加えて斎藤大輔選手を基本に彼が上がれば代わりに佐藤勇人選手が最終ラインに入って守ったりと臨機応変に守り攻めるトータルフットボールをやろーとしてたとはオシム監督、いよいよ次の階梯へとジェフの選手たちを引っ張り上げようとしているみたい。

 完成すれば選手の能力は体力も知力も格段に上がるはずだけどその極限まで高められた能力も、戦術的な理解も連携も存在しない日本代表とゆー場では無駄に終わる可能性が高いのが残念とゆーか悔しいとゆーか。あるいは日本なんて狭い場所じゃなくって世界へとジェフの若者たちを送り込む算段をしていたりするのかオシム監督。見たいよなあチャンピオンズリーグで走り回る阿部勇樹選手に佐藤勇人選手に羽生選手坂本選手水野選手水本選手巻選手。そんなに抜けてしまったらジェフが来年からボロボロになってしまうけど。そこはオシム監督の息子がしっかりケアしてくれる?

 「スター・ウォーズ エピソード3 シスの復讐」が日本で公開されて誰もがスクリーンの上で小さい体を振り回して強大な敵と戦うヨーダの強さに圧倒されたその日に、初めてリーグ戦に登場したジェフのヨーダこと要田選手もまた持てるフォースを発揮して初得点のそれも試合の行方を決定づけた決勝点をゲット。またとない相応しい日に得点をあげられたのはあるいは遠い遠い昔に宇宙を駆け回って大活躍したヨーダの残したフォースが原題の要田選手を導いたからなんだろー。流石はジェダイのトップ。できれば公開中はそのフォースを要田選手に及ぼし続けてこの夏のリーグ連戦にカップのホーム&アウェー戦でのゴールげと導いて差し上げて欲しい物。対抗するなら敵は米田選手ってのを呼んでぶるけるしかない。「べいだ」って読むんだけど、いるかなあそんなサッカー選手。


【7月8日】 テロのニュースについ見逃してしまったテレビ版「電車男」のオープニングが「エレクトリック・ライト・オーケストラ」でなおかつ「DAICON4」のオープニングをとてつもなくリスペクトしたものだったと知って悔しさに歯噛み。録画しておけば良かったよ。某所で見たキャプチャ画面によると動きは分からないけどアングルとかレイアウトをなぞりつつもキャラクターはバニーガールではなくオリジナル。ドラマの中で伊藤淳史くんが演じる「電車男」のパソコンの前に見えてた何だか分からないフィギュアの美少女がそれでフジテレビ、ここいらでフィギュアのビジネスなんかを考えていやがる可能性も見えて来た。時代だなあ。

 制作はガイナックスじゃなくってGONZOだったけど監督は誰だったんだろー? ちょっと知りたい。キャラクターのデザインはOKAMAさんらしくって「創世のアクエリオン」に「とっぷをねらえ2」と増えてるアニメ関係の仕事に更なる金字塔。今が瞬の人っぽくなって来た。出来ればだったらOKAMAさんのオリジナルな世界を映像化して欲しいところなんだけどあの独特のキャラクターデザインにメカデザインにプロダクトデザインにアクションを映像化するのって大変そー。でも見たい。「クロスロオド」でも良いしイラストを担当している「イコノクラスト」か「テラリウム」の映像化をどこか企画しないかな。端正さで貫かれている「華札」だったら可能かな。願望&期待。

 エンディングは秋葉原の駅でサンボマスターがおたくな人々に囲まれ唄う感動の逸品。慣れ親しんだ景色だけどテレビのドラマの中で出てくるとちょっと口元がほころんでしまう。大勢のおたくな人たちの中には権佐な人とかトライガンな人とかいろいろ有名人も混じっているそーだけど録画してないんで確認はできず。オープニングともども次回はちゃんと録画してコマ送りにして確認だ。お話の方は自意識過剰で臆病で引っ込み思案の「電車男」が電話したくてできない葛藤が巧く現されていて見ていて泣けて来た。

 パパパパッと変わって重なるネットの向こうの人たちが書き込むメッセージがそんな「電車男」をちょっとづつ変えていく描写もなかなか良し。このテンションが次回以降も続くのかそれともダラっとした内気な青年の告白ドラマになっていくのか、不明ながらもしばらくは関心を持って見て行こう。ところで「電車男」ってガノタなの? 部屋には「機動戦士ガンダム」関係のプラモデルやらフィギュアやらがごろごろしてたけど。「キュベレイ」の方も見えた気が。それにしていは着ていたTシャツは「百式」じゃなくって「パンダーZ」。これは映画との差別化か? さすがに美少女キャラのTシャツは着せられないのかなあ。「パンダーZ」なら許せても美少女キャラでは引くもんなあ、エルメス嬢。

 悔しさに歯噛みはパリも一緒か。他人様の不幸を喜ぶ訳にはいかないだろーけれど、もしもテロが何日間か前に起こっていればロンドンに決まった2012年のオリンピックの開催地選びに何かしらの影響はあっただろー。早々に手を引いたフランスだったら安心安全ってアピールも聞いただろーし。とはいえそれだとマドリッドだってすでにテロがあって警備は強化されているから安全って見方も可能だし、ニューヨークに至ってはあれだけの事件を起こされた都市だけにさらに警備も万全って主張が効きそーで、おとなしくパリには決まらなかったかもしれない。いずれにしても決まった開催地を返上することはなさそーで、2012年には万全の警備体制でもって五輪が行われることを願おう。

 そのロンドン五輪から野球とソフトボールが除外されたとゆーニュース。野球についてはアメリカと日本とあと台湾に韓国あたりのローカル競技で、けれどもそんなトップクラスの国がマイナー国のオーストラリアあたりに負けてしまうくらいの実力しかなかったりする訳なんで、除外されても誰も文句は言えないんじゃなかろーか。五輪に野球があったからって高校球児の励みになってる訳でもないしアテネから外されたアマチュアにだって五輪競技である意味はない。プロがこぞって参加して世界に日本の野球の凄さをアピールする場かってゆーとそーでもなかったのがアテネ五輪で、除外も自業自得と言って言えないこともない。

 可哀想なのがソフトボールで女子のプレーヤーにとって目標となるべき最高の舞台が消えてしまったことになる訳で、不景気から企業の支援が細りつつある実業団の女子ソフトボールチームにとっても最高のアピールの場となる五輪から除外されてしまったことをきっかけに、支援をうち切られてしまう所も出てきそう。女子サッカーが五輪に出られず支援をうち切られ長い停滞に入った記憶も新しいいだけに先行きが心配。女子サッカーよりも出ればメダルを獲得できる可能性の高い競技ってのも日本にとっては痛い。さてどーなることやら。2012年の五輪開催に前後して女子ソフトボールの世界的な大会が開催されるよーな方向に向かえば良いんだけどなあ。

 ってんですっげえ久々に「ロフトプラスワン」へと出向いてしろはたさんこと本田透さんプレゼンツの「電波姉妹祭り」を見に行ったら「男祭り」だった。過去に数々のトークライブを見たけれど、これほどまでにことごとくが男ばっかりってのは初めてで、それだけ本田さんって人の容貌体型知性肉体が男好きするものなんだろーかと期待を込めて登場を待つ。実は見たことがないのです。でもって登場して来た本田さんは「電波男」の見返し部分に掲載されてる著者近影そのまんまな感じに電波的なダンディさを持った人で喋りにもやっぱり信念が籠もっててなるほどこーゆー人が強靱な意志で本を出し大勢の男たちから支持されるんだと納得する。羨ましがって良いのか悪いのか。

 そんな羨望の的、彼方に輝く北極星みたいな本田さんだけどただ1点、共感できるところがあったのがパソコンか何かの壁紙画像がスクリーンに映し出された瞬間。チラッと最初に見えた線にもしやと注視していてやがて再登場したその画像はまさしく「かみちゅ」の第1話にて猛威を振るった「ゆりえ台風」ではないですか。実は当方のパソコンも先週から同じ画像がデスクトップを飾っているんだけどこれは公式サイトの背景画像を保存して拡大して張り出したもので、そんな奇特な真似をする人が他にいるとは想っていなかっただけに驚いた。まあそんなことをしなくても「姉妹祭り」に倉田英之さんを招くくらいに交流の広い人だからそっちから世紀の画像をもらっていたのかもしれない。こっちはネットからの流用。なるほどやっぱり彼我の差は大きい。それでキモメン文学だなんて言わないで。

 さて登場の滝本竜彦さんは作り笑いとか愛想とかいったものとは無縁にストレートな発言を連発して場内の男たちを楽しませる。キモメン文学だなんて言ってひとり受けしたってそんなもの、1号で休刊させられるのがおち。なので最初はイケメンっぽくはじめてジョジョにキモくしていくことで読者を引っ張り惹き付けなくてはダメと言って喝采を浴びるも単行本を出して以降、連載をしてもそれが本にまとまるまでには至らない我が身を自虐のギャグにして話す姿に今度は大爆笑。盛り上げ落としてつなげまとめるエンターティナーの才能は来場したすべての観客やゲストの柳下毅一郎さん等々に強く印象づけられたのではなかろーか。ってことで年内創刊となるかならないか分からない「ファントム」に幸あれ。


【7月7日】 なんだっけ「あまえないでよっ!!」だったっけ、原作は知らないけれどとりあえず新作アニメってことで録画して見たら尻で透けラインで目には福々しい始まり方だったけど、話は能力を秘めながらもなかなか発揮できない若い修行僧と同じ寺で修行するパターン違いの女の子たちとがあれやこれやする典型のハーレムアニメーション。中の1人の女の子と仲が良いのか悪いのか、喧嘩はするけどその女の子の裸を見るとなぜか「イって」しまって修行僧の少年が力を暴発させて現れた幽霊を退けるって退魔物のパターンも踏んでいる。

 んでお話は単純。供養していた人形の中に残っていた持ち主の想いか何かが発動して一緒に供養されようとしていた人形たちを動かし暴れるのを少年たちが倒すって展開だけれど対して力も見せない相手に大苦戦する少年に少女たち。でもって裸を見て力を暴走させた少年が放った光の中で静かに”成仏”していく少女の霊を見るといった何にそんなに不満で現世に留まっていたのかが分からないくらいに安らかで、直前まであんなに高飛車な態度で暴れ回っていたのが不思議に見える。何だったんだろう?

 女の子のボディはふくよかで1人は平べったくって優しい人がいて暴れん坊がいて突っ慳貪な眼鏡っ娘(なぜか大食い)がいて「こいこい7」みたいで様々な人の好みには対応できそーで、見せてくれるものもいっぱいあってそれはそれで楽しいけれど問題はやっぱりお話の方。1話ゆえの顔見せ的な展開でこれからバトルも激しくなるのかそれともやっぱりぐだぐだな展開で進むのか。分からないけど目にも嬉しい絵だからしばらくは見ようって結局やっぱりそこかのか。

昔は横一線でやっていたのだが流石に無理になりました  むくりと起き出し「東京ビッグサイト」で恒例の「東京国際ブックフェア」名物「ギネス級テープカット」を見物、今年は42人だった。おまけに今年は隣で「国際文具フェア」もやっててやっぱり同様に2列になった巨大なテープカットの設備が用意されてて会わせれば延べ100人近くがこの日に同じ会場でテープカットをしたんじゃなかろーか。けどでもイベントなり落成なりでテープカットをする儀式って果たして本当に必要なのかと最近いろいろ考え中。関係している人が一様に参加できるって意味はあってもイベントそのものを紹介する時にはまったく絵として不要だし、神事的な意味があるとも思えない。40人いっせいとか形式化も進んでてアピールされればされるほどますます意味が空虚になっていく。

 けどでもそーゆー形式化を突き進めるのが人間のとりわけ日本人って奴。丸の内ビルディングが出来た時にぐるりと取り囲んで1000人がテープカットを行ったよーな莫迦騒ぎ化したケースもあってこれから様々なエスカレーションが始まっていきそう。サーキットがオープンした時にレーサーがレーシングカーで並んで走ってテープを切るとか、東京湾に出来た人工島の「バビロンプロジェクト」の完工をレイバーが並んでテープを切って祝うとか。ちょうちょう結びが出来るくらいに起用なんだからはさみくらいは持てますって。「デススター」の落成でベイダー卿はやっぱりライトセーバーを使ってテープを切ったのかなあ。

 ざっと見渡してデジタル関係の展示で携帯電話向けのコンテンツ配信にいろろ種類が増えていたのに興味。あとボイジャーが作ったどんな携帯情報端末でだって本を読めるよーにする技術が面白い。昔のボイジャーは文字データをテキスト化することで容量を小さくし、どの端末にも送り込めるよーにした上でそれぞれの端末向けのブラウザを開発して搭載させていたんだけど最近はそーしたブラウザソフトの囲い込みなんかがあったり端末の進歩が激しくいちいと対応ブラウザを開発するのが大変になっていた。

 そこで考えたのがどの端末でだって表示可能なJPEGのフォーマット。デジカメだってデジタルビデオだってiPodだってPSPだってJPEGのデータは表示できる。だったらテキストをパソコン側でそれぞれの端末の画面の大きさに合う形にして行数字数も整えた上で画像データに変換して、それから各端末に送り込めばそれぞれの端末に最適化された形で本が読めるよーになるんだとか。

 昔だったら画像データは重くパソコンでのコンバートも処理速度が遅くて大変だったけど、今のハイパワーなパソコンではデータの書き出しなんてあっとゆー間だし、端末側で利用可能なメモリーの容量だってメガバイトになってて文庫本くらいの数メガバイトの容量だったらまるで問題なくなっている。画像だって間に挟んで百科事典みたいな本でもイラスト付きの絵本でも漫画でも再生可能にしてしまえるこの技術。使えばいろいろ使えそー。自費出版とかにも。

 テキストデータ化にこだわっていた会社が発想を変えるのって大変だった気もするけれど、ユーザーがどんなシーンで何をするかを考えたときに最適な方法を提供しよーと探求することを一義とすれば、こーなるのが当然だったってことなんだろー。技術やアイディアに拘っていては変化の激しい時代に勝ち残れないってことで。もちろんベースにテキストでデータを持っていたからどんなフォーマットにだって変換可能な訳でその当たり、過去の蓄積も無駄じゃなかった。ボイジャーが生まれて10年余。電子出版の先駆け企業は今なお先を駆けてます。

 ぐるりと回って人文書フェアで割り引きコーナーを散策。とりあえず国書刊行会のブースでスタニスワフ・レムのこれまでに2冊出た「ソラリス」「高い城・文学エッセイ」とそれから訳者の山尾悠子さんのサインが入っているジェリー・フォードの「白い果実」をいずれも2割引で買う。山尾さんのサインはちょっと嬉しい。訳者には金原瑞人さんほかの名前も並んでいたけれど、あとがきを読むと金原瑞人さん谷垣暁美さんらが訳した文章を山尾さんが山尾さんの文体に直して出来た話らしーんで山尾さんのサイン1つがあればオッケーってことなんだろー。第二部と第三部もあるらしーけどそっちは進んでいるのかな。

 国書のブースはあとSF叢書とか「文学の冒険」とかも2割引でズラリと並んでいて壮観。初期の頃は揃えていた「文学の冒険」も最近はとんと追い掛けておらずどれが持ってて持っていないかが分からないしそもそも部屋に並べる場所もないんでパス。SFは持ってないのがどれかを思い出せず悩んでディッシュだけがないことを思い出したけどお金がなかったんでパス。河出書房新社にもスタージョンとかSF関係の叢書が並んでてこれも割引だったっけ、そんな展示もあったんでまた行って買いそろえるかどーするか。いずれにしてもそれすらも部屋に置く場所がないんだよなあ。書庫欲しい。


【7月6日】 原稿を読んでコメントを書いて段ボールに詰め直して封印してとりあえず完了、後は来年に本となって店頭に並んでくれるかだけどその時には前に読んだことをすっかり忘れているのだった。記憶力ゼロだなあ、相変わらず。そんな表に出ない仕事をこなしつつ見た「フタコイ・オルタナティブ」の最終回は畳みかけるよーな最終決戦の果てにカタルシスが来るかと思ったらさにあらず。とっとと片づいた後に余韻のよーな展開となって真夜中の頭がうっすらと霞んで来るけど、飽きたからってよりはむしろそこに漂う心地よさ故のもの。盛り上げるだけ盛り上げて尻切れ蜻蛉とするよりも、余韻の中にハッピーエンドを持って来れた方が見ている側にはよほど有り難い。

 某ガサなんとかなりノワなんとかといった、最初の方は面白がってテレビを見ていてDVDも買い始めていたのに、最終回を見てその風呂敷の畳めなさぶりにDVDの2巻以降を買うのをためらってしまった作品が幾つかあったことを思えば、「フタコイ・オルタナティブ」の最終回は十分に評価できる。途中の圧倒的な動きっぷりも保存して見るに値するs。って言っても買うかどーかは微妙。ハードディスクに珍しく途中を飛ばさず全部録画できてるし、「ハチクロ」とはDVD必売の作品がこの春スタートには多いってこともあるから取捨選択が難しい。さてどーしよー。

 こちらもたぶんDVDを必買な「かみちゅ!」は録画分を朝に鑑賞、相変わらずにすげえ動きに見せ方をしているぜ、口の動きとか形とか、巫子ちゃんがうつむいたところから顔を上げて八島様がどっかいってしまったことを告げる場面なんかは過去に見たことのない、けれども違和感のまるでない立体感のある描き方がされていて30分のテレビアニメでここまで深いことをしてしまって来週再来週と体力が持つのか心配になる。射的の場面で前屈みになった眼鏡っ娘の胸元の描き方とか、線は単純なのに肉感が出ていてエロいんだよなあ。

 話の方は家出した神様をおっかけて神様になってしまった中学生の女の子が湯屋、じゃないけどそんな感じの神様たちが骨休めをする場所にいって神様を連れてかえって来る展開。またぞろ「千と千尋の神隠し」からのインスパイアって言われそーだけど迷い込んだ女の子自身が神様って点は目新しい。ってか過去にない。あり得ない。そんな突拍子もない設定をふんわりとして優しげな世界で自然に見せてしまう演出とストーリーに感嘆。舛成孝二さんはやっぱり凄いなあ。エンディングもますなりこうじ風でちょこちょこ動いて楽しいたのしい。豆腐ちゃんが今回もしていて嬉しいうれしい。

 仕事で渋谷に行って発表会のあるホテルに入ったら森本貴幸選手とか山田卓選手とかが歩いていてすれ違って仰天。今日の試合は頑張ってって言って応援しよーと思ったけれど今にして思えばもし言っていたら相当な嫌味になってしまったかもしれず言わなくて良かったとそっと胸をなで下ろす。大黒選手のいるガンバ大阪に7点を奪われたことはまあ仕方がないことだと言ってしまえても、エメルソン選手の来ない浦和レッドダイヤモンズに蹂躙されて前回と同じ7点を奪われてはもはやかける言葉はない。天皇杯当たりまでは完璧に近かったはずなのに一体どこが変わってしまったんだろー? でもって前節今節と守備陣に何があったんだろー? アルディレス監督去就も含めてとっと目が離せない。いっそだったらレオン監督を招いて再生を託すか。

 ロンドンロンドンロンドン楽しいロンドン愉快なロンドンロンドンロンドン。って歌声もトラファルガー広場から聞こえて来た、気がした2012年の五輪のロンドン開催決定シーン。パリ最右翼って下馬評もあった中でドーバー海峡を挟んでにらみ合ってた2つの国の首都が最終投票でロンドンが過半数を獲得して夏季五輪の開催権を獲得したまでは良いんだけど、食事は今ひとつだし設備だって大変そーなロンドンが果たして世界から集まる選手に観光客を満足させられるホスピタリティを発揮できるのか、ちょっと心配になっている。まあ行くことはないんだろーけどロンドン五輪2012には。

 けどでもイングランドとウェールズとスコットランドと北アイルランドの4協会に別れているサッカーが地元開催ってことで始めて統一のチームを作って臨む可能性もあって、これはちょっと見ておきたいって気もしないでもない。朝鮮半島の南北合同チームだったらまだしも統一英国サッカーチームなんておそらくこれが最初で最後の機会だろー。どんなユニフォームで登場するのかな。選手は誰が入るのかな。

 ウェールズ代表のライアン・ギッグズ選手に、ワールドカップでは果たせなかった国レベルでの対抗戦の機会を与えたい気もしないでもないけれど、2012年なんてギッグズその時いったい何歳だ? オーバーエイジでも出場は難しーかも。とはいえギッグズ選手に匹敵する存在感を持った選手が少ないってこともあって、結局はイングランド代表に近い編成になってしまうんだろーなー。ともあれどんな展開を見せるのかに注目。テニスはウィンブルドンで試合をするみたいだけど決勝に出ればセンターコートに立てるのかな。それだったら張り切る人とか出そー。マドリッドに決まって「サンティアゴ・ベルナベウ」でサッカーが出来ることを願って五輪代表入りを目指すのとどっちがアスリートにとって心に響くのかな。重みではやっぱりウィンブルドンのセンターコートか。金出せば立てる場所じゃないし。テニスで日本は立てるのかな。関心を持って眺めて行こー。


【7月5日】 8月に「kami−robo」が「後楽園ホール」で試合を行うって話がっちょっと前にあって玩具関連のべんとも結構大げさになって来た揉んだと思っていたらそれよりちょっと先にバンダイが「瞬間決着ゲーム シンペイ」って新しいゲームの発表を「後楽園ホール」で開催するって話が届いて、根がレスリングだった「kami−robo」だったらまだしもオセロみたいなゲームをどーやってリングのある「後楽園ホール」で見せるんだろう? って思ったら登場するのがガッツ石松さんってことでそれなら本場も本場の人、三度笠に河童姿で現れリング上に颯爽と上がってのガッツファンを嬉しがらせてくれるんじゃなかろーか。今時そんなガッツを知ってる人がどれだけいるのか知らないけれど。

 それにしても簡単そーでなかなか難しい「シンペイ」。ネット上のサンプルで何度か遊んでみたけれど、自分のコマを3つ並べようと焦るあまりに相手のコマが3つ揃うのを見逃してしまって連敗に次ぐ連敗を喫して情けなさ100倍。全部おいたらあとは斜めに半分だけ進めてその際にはひっくり返ったり、挟んだ相手のコマをどこかに飛ばせたりと手はいろいろ多いんだけどその分、考えることが多くなって考えてしまってそのあまりに相手の出方を見落とすことになってしまう。自分のことばかり考えがちな自己中には不向きなゲーム。大局観を持って挑む人なら強くなれるか。発表会では将棋の名人位を防衛した森内俊之さんがオセロのチャンピオンと戦うみたいで、どっちもそれぞれに一家言あるプレーヤーが中間的なゲームでどんな手筋とそれから読みを見せてくれるかに注目。あとガッツが「OK牧場」をやってくれるかにも。

 「指輪物語」とか「ハリー・ポッター」とか「ヒロイックファンタジー」とか「十二国記」とか並べて風間賢二さんが面白いって解説を書いていた深見彰さんの「時を編む者」(光文社、876円)を買って読んだら疑似インカ帝国衰亡史だった。生け贄みたいなのを尊び太陽なんかを崇め皇帝が支配する国にどこか遠くからやって来た白い人たち。歓迎してたら裏切りやがって国を滅ぼし皇帝をどこかに隠してしまう。そんな国でもどちらかといえば虐げられている下層の民にまじって盗掘を生業にしていた青年アレジオがある仕事をきっかけに「時を編む者」と呼ばれる少年と出会った所から話は動き始める。

 アレジオの出自に占領していた異国の男との過去も絡んで繰り広げられる因縁の渦中、「時を編む者」と呼ばれる少年の秘密をめぐって謎の僧侶が暗躍しバトルは激しくなってアレジオは否応なしに戦いの場へとひきずりこまれる。そしてたどり着いたクライマックスはピサロに滅ぼされたインカともコルテスに滅ぼされたアステカとも違った展開を見せて未来への希望が開かれる。「時を編む者」と呼ばれる存在のどこか脇役的な扱いが物語の広がりと深みを妨げている気もしないでもないけれど、まあこれがデビュー作ってことでドラマを描き闘いを描けるその腕を、次の作品では是非に発揮して欲しいもの。しかしやっぱりヒロイックファンタジーってよりはインカ帝国衰亡史だよなあ。萩尾望都さんが新人の表紙だなんて小松多聞さん以来? うらやましがる人大勢いそー。

 本屋でふと見かけて細川ふみえさんの最新写真集「Feminine」(音楽専科社、3200円)を買って読んだら大きかった。何がってつまりはあれに決まっているんだけどそれはそれとして実にクリアなプリントで、粒子があらく荒れた感じの写真集が結構あって買ってガッカリ続きだっただけにちょっと嬉しくなる。撮った山岸伸さんが良いのか印刷した東洋紙業&パレットが凄いのか。きめの細かい細川さんの肌をくっきりと鮮やかに写し出しててそれなりな年齢の彼女にしては未だ衰えていない容色を存分に堪能できる。あとはもちろん未だ弾力性のありそうなその肌の質感も。オールヌードはないけど包まれた中からはちきれそうな弾力を感じさせるのが細川さんの持ち味ってことで昨今読んだ写真集でもトップクラスの出来と讃えよう。しかし金持ってると人間不思議な行動するなあ。

 それは突然木村カエラさんのライブが収録されたDVD「KAERA KIMURA 1st TOUR 2005 4YOU」を突発的に買ってしまったことにも現れていたりする。CMなんかで歌声は聞き顔は見ていたけれどアイドル歌手って域を抜けなかった木村さんがライブで唄っている映像がレコード屋の店頭で流れていてその意外ともいえるロックンロールな感じが耳に響いてこいつはもしかするとすごいシンガーなのかと思い買って帰って視たDVDはやっぱり凄かった。アイドルなんかじゃねえ。タレントでもねえ。ロックシンガー。「sakusaku」で屋根の上でボケトークを繰り広げているカエラはカエラであってカエラじゃねー。ライブハウスの板の上、激しいビートの中で吐き出すボイスこそが木村カエラなんだってことを強く激しく感じさせてくれる。何度でも言うぞ。すげー。

 アイドルっぽさなんて微塵もない。バックバンドがギターにドラムとシンプルなサウンドでビート感を出しうねりを出すんだけどそれに負けない声を張りだし観客席にぶつけるカエラ。巧い歌手ってことじゃないしヘビメタクイーンみたいな大音声を得意にしている訳でもない。けれども響く。迫力のサウンドを突き抜けて心に届く。日本語の歌は詩が何を言っているのかちゃんと聞こえるし、英語の歌は発音のネイティブさが旋律にピタリと乗って心地よさの中に浸らせる。

 この感じを例えるのはとっても難しいけれど、声質こそ違え例えばジュディマリの初期の頃の感じとかパーソンズをちょっとだけポップにした感じとか、ヤイコがライブハウスで演ってる感じとかいろいろ挙げられて、居並ぶ面々にその凄さも感じて頂けそー。「weak」の飛んでる感じ、「happiness!!」のハッピーな感じ、「You know you love me?」のスピード感のどれもが最高、極上。聴きたければDVDを買いなさい。ってか買っておかないとこれから10年の日本のガールロックは語れない、なんて大きなことを言っちゃおう。これほどまでのライブが聴けるんだったら是非にも行きたいものだけどしばらくは単独で演ってくれそーもないからなあ。夏のフェスティバルにはいろいろ出るみたいなんで追い掛けるか。


【7月4日】 風邪で伏せっている恋人のお見舞いに「ペヤング」と「UFO」のカップ焼きそばを持っていったら伏せっていた彼女が無理矢理起きあがって調理(お湯を入れただけ)してくれてそれを2つも食べて帰ってきたり、取材で撮影中の姿を見た女子高生から「ふつうのおじさん」だと言われオーラの出ていなさに落ち込み自分とミック・ジャガーとはどこが違うんだと悩んで友人から涙を流して笑われたり、子供の頃にあだ名で呼ばれなかったせいで今もトイレにはいると全部塞がっていたりするんだと悩みもだえてこそ日本が誇れる歌人になれて、結婚だって出来るんだって穂村弘さんのエッセイ集「本当はちがうんだ日記」(集英社)を読んで思う日常ははたして満ち足りているのかそれとも飢えているのか。かえすがえすも羨ましい。

 「嘘と裏切りの宝石」って文章に恋人からメールが来て「恋人ができちゃった。裏切ってごめんね」と言われてあんまり腹立たしくは思わず彼女のひとりで屹立して生きている時間の濃さに羨望して、「私はひとりの死を死ぬしかない自分の運命が怖いのだ。いつかたったひとりの死は来るのに、それを待つだけの日常のなかで、小さなことにびくびくしながら、ひとりの時間を薄めて生きている自分が情けない」って書いた穂村さんにはとってもとっても共感できる。そうなんだよって言って肩を叩きたくなる。けれどもこれを書いた2004年末から一変して穂村さんはご結婚など遊ばされて僕らとは違う場所へと行ってしまった。成功者が振り返る過去のいじけた日々になど共感したくたってできねえよと、涙を拭きつつそれでも紡がれた怯えと迷いにあふれた文章にしっとりと心を重ねもだえる夏の夜。蒸し暑いなあ。独りで寝てても。

 トライポッドみたいな「ボエーッ」って音を出しつつくたばりながら迎えた真夜中にふっとテレビを着けて「ぱにぽにだっしゅ!」の第1回目を鑑賞してうなる。「ポエーッツ」。よーわからんが面白い。天才ちびっ子先生のレベッカ宮本が赴任してくるとか来ないとかって設定があるらしーけど初日から遅刻しては兎をつれて海へと出かける謎行動。一方で生徒たちはてんで勝手に盛り上がってはあだ名付けを面白がったりよく分からないお嬢様をいなしたりと、そんなやりとりが楽しくって次に何が繰り出されるかも面白くってついついずっと見てしまう。

 まちゃちゅーちぇっちゅ工科大学とやら(違う!)を出たベッキーにそれを言わせようとする橘玲の悪辣さがなかなか。得体の知れない団子を持って迫る一条さんが不気味。その魔手にかかって視線を彷徨う兎が哀れ。麦人さんと杉田智和さんの宇宙人ペアの声がやたらと豪華、そんなに出てないのに。ほかキャラクターがやたらめったら多いけど性格とか被ってないんだろーかと心配になるけど覚えなければ誰か何かやってて楽しげってことで十分だから関係ないっちゃー関係ない。放映中では最深夜のアニメってことでマンデーブルーに崩れつつある脳内に染みこみ毒素を中和するお気楽アニメと認めのんべんだらりと見続けよー、起きていられれば。

 明けて駅頭でざっと眺めた新聞はスポーツ紙こそ長嶋茂雄さんの復帰が1面に並んでいたものの、一般紙はおおむね東京都議選のニュースがトップで脇に写真で長嶋さんがバルコニーから手を振る写真を掲載している程度の扱い。本家の「読売新聞」ですら都議選がトップでサイドも別で脇に長嶋さんといった具合に抑制していて長嶋さんの復帰を商売に結びつけようなんてさもしい態度ではかえって世間の反発を食らいかねないって自覚のあるところを見せてくれた。これがテレビではない新聞の矜持って奴だ。

 経済系は当然ながら日経日刊工とも都議選だったり企業ニュースをトップにして読者の求めるニーズにちゃんと応えよーとしてた。それが適切なマーケティングに基づいた真っ当な編集態度って奴でそれを忘れて団塊世代が俺たちのヒーローだからすなわち世界のヒーローだって感じにはしゃぎまわって、長嶋さん復帰をトップに堂々を掲げ関連ビジネスが沸き立つなんて不謹慎も甚だしい記事をドカンと掲載するクオリティ紙がなかったのはこれ幸い、日本のメディアにもまだまだ矜持があるってことを見せてくれた。そうじゃない新聞が仮にあったとしたら? 答えは読者が出すでしょー。でもそんな新聞がどっかにあったの? 知りません。

 これからの出会いのご挨拶は手にスプーンを持って「眼球えぐっちゃうぞ」で決定だ! ちょっぴり猟奇でサディスティックな言葉を可愛いセーラー服の美少女から言われた日には、自分から「えぐって!」って顔をついつい差し出してしまうマゾヒスティックな男性も多々出るのでは。もっとも日日日とかいて「あきら」と読む新鋭作家のすでに5本目となる最新作の「虫と眼球とテディベア」(MF文庫J、580円)に登場して「眼球えぐっちゃうぞ」と吐くのはボロボロの衣装に洗っていない狼ヘアをした裸足の少女で、面と向かうと恐さも100倍、ついつい後ずさりをしたくなる容貌だけどそこはそれ、不気味に見える彼女こそが物語において深く悲しい運命を背負ったヒロインで、主人公の青年とその恋人の前に現れては「眼球えぐっちゃうぞ」と言って強大な敵と戦う姿を見るにつけ、こいつはこつで好きになって来てしまう。

 超絶天才で大金持ちな癖に1人の少女を見初め彼女と一緒にたいからと高校教師になってしまう賢木愚龍という青年の設定も突拍子のなさもなさだけど、決めセリフの「眼球えぐっちゃうぞ」を吐く少女の名前が眼球抉子で自称愛称グリコってのもなかなかの突拍子のなさ。それで設定だけが浮き上がっていれば読んで辛いことになるんだけど「虫と眼球とテディベア」は悲しい運命を背負って戦ってきた少女の心が融解し解放されるカタルシスがあり1人の少女に徹底して恋する男の歪みかけてはいても熱い想いのほとばしりがあってぐいぐいと引っ張られる。

 エデンの園の神話も土台に組み上げられたストーリーはそれで一本筋が通ってて読み終えてしっかりと心にメッセージが残る。切なくって良い話だったなあ、と思い余韻にひたる間もなく始まる新たな出会い。そして物語。次はシリアスさを抜けて当初のコミカルなドタバタへと行くのかそれともさらなるシリアスな物語へと向かうのか。ともあれ楽しみ。それにしてもいろいろ書けて、それでいて文体に流法(モード)があるって凄い書き手だ日日日さん。いっそこれから100冊までは1冊目で挑んで新記録って奴をうち立ててみては如何。


【7月3日】 タルホ姐さんの踏ん張り月光号を操縦するシーンが一杯あって楽しかった「交響詩篇エウレカセブン」だけど涅槃だかゾーンだかに引きずり込まれたレントンが見る幻想は、エヴァに取り込まれたシンジが見るような心理に迫る恐怖感ってのがあんまりなくって見ているこっちにレントンが抱える不安が伝播して来なかったのが微妙なところ。引きつる顔の絵がとてつもなくシリアスだっただけに、幻想の世界で突然お腹が鳴り出すシーンのギャグっぽさと、居並ぶトイレのドアに巨大な便器って絵面が醸し出すコミカルさが不安がりたい心理を邪魔して半歩引いた場所へと押し戻す。

 ゾーンから抜け出る場面でおっかけてくるアネモネの顔がデカくなって開いた口に牙がズラリと並んでいた描写はちょっと怖かったけど、その後に彼女の体がサメになったのは絵の流れとしては正しくっても恐さがそれで逆に減殺されてしまった感じ。まあ朝っぱらから心理ホラーの世界へと引きずり込まれるよりは、ちょっぴりコワくてけれども面白いって当たりで留めておいてもらった方が1日も快適に過ごせるってものでそーした塩梅を下手に乱さず途中から一気にシリアスへと流れてハマりかけてた気分を一気に鬱へと持っていくよーなこともせず、残る3クールを走り抜いて頂きたいもの。これで月光号クルー全滅シナリオとか待っていたら寝起きも悪いから。

 原稿を読むために家を出て電車に乗って移動して読んで読み終えてとりあえずは全部読んだんであとはもう1回ざっと読み返してどれをどうするか考えよう。とか思っているうちに御徒町に到着したんで降りてアメ横で靴を物色。夏なんで麻のスーツにピッタリな白い靴なんてものを探したけれどさすがにホワイトバックスなんてものはダンディ過ぎるんで途中にあった店でクラークスのワラビーが短くなったよーな形の靴の白いのを買う。これで白いパナマ帽に麻のスーツなんかで歩くと、時代錯誤な無責任男が一丁上がりって感じになってとってもクールビズ。うっとうしい季節も吹き飛ばせそうな気はするけれど別にうっとうしい話がこのところ、周囲をカビの如くに沸いて来ているからなあ、そっちを何とかするのが先か。何ともならんけど。カビの根っ子が深すぎて。

 例えばの話。朝日でも読売でも全国紙があってそこに毎週掲載される書評の欄に取り上げられる本を選ぶって際に、出版社を会員にしてどーすれば本がベストセラーになるのかを指南する組織と提携してその組織に加盟しなおかつ新聞を購読するようになった出版社の本しか取り上げないってことになったらその書評欄は果たして信頼のおけるものなのかどーなのか。なるほど公明正大が旨とはいっても大出版社の大作家が出す本なんかだと割に優先して取り上げられやすかったりすることはあるけれど、そこに名目としての編集権はやっぱり存在する。故に公器としての新聞の体面も保たれる。

 もし外部に組織に加盟し購読している出版社の本しか取り上げられないってことが喧伝されてしまったら何が起こるか。公明正大って暗黙の了解がなくなって書評欄の価値が上がる。掲載される本は金を出さなければ掲載もされないような本なのかって言われかねない。メディアは体面を損ない出版社も信頼を失って共倒れの憂き目を見ることになるだろう。だからこれまで長い間、どこの新聞社もそーやって会員組織と連動して取り上げる先を選定する代わりに、新聞を取らせたり広告を出させるよーな無様な真似はしてこなかった。考えなくても分かる話だ。

 だいたいが年間に50冊取り上げ50部売れたとしてどれだけの収益になるのか。かける人件費を考えれば割に合わないし、失う信頼を考えれば割に合わないどころではない。まあそんなことくらい長く新聞業界にいる人は先刻承知のことなんで、書評が企業であってもそーやって購読やら広告やらを引き替えに記事を載せるなんて醜態をさらけ出す、それも華々しくも新施策なんぞと銘打って実行するよーな所は出ないだろーと信じよう。それでも背に腹は代えられないと言って実行するよーな所が出てきたら? その時はいよいよおしまいだってことだろー。当該の人たちは逃げ出す準備をした方が良い。逃げる先なんてないけどね、このご時世に。

 御徒町から上野へと周り「国立近代美術館」で「ドレスデンの秘宝展」だか何かを鑑賞。ドレスデン、って言ってもドイツにあることくらいしかしらないしそこに集められている美術品がどれくらいに凄いものかも知識がなかったけれど、行けば工芸品のよーに細かい細工の施された銃とか四分儀とか地球儀天球儀とかが並んでいて、金があるところにはあったんだなあと欧州を長く支配した貴族たち王族たちの豪奢さに感嘆する。日本の大名がいくら裕福だったって、そこまでの豪奢さはなかったからなあ。東洋で対抗できるのは中国の皇帝くらいか。

 もっとも金銀宝石の豪奢さと日本の大名なんかが好んだ贅沢とはまたちょっと質が違うよーで、けれども欧州の王様たちも東洋人が好む贅沢への関心をしっかりと持っていたことも展示物から伺える。ずらり並んだ古伊万里の皿やら壺は金細工銀細工に比べれば輝きこそ放ってはいないもののそのフォルム、その絵柄でもって静謐さの中に高い価値が潜んでいるんだってことを主張していて、居並ぶ西欧の宝物に負けないオーラを放ってた。

 「なんでも鑑定団」で古伊万里にかけてはエキスパートの中島誠之助さんがいたら部屋中で「良い仕事してますねえ」と叫び回ったかも。一方で岩崎さんがマイセンの鮮やかな彩色の施された陶像を見て腰を抜かしてたりするんだけど。これもこれで立派で美しくって喉から手が出そー。そんな東西の陶器の最高峰を同時に見られるって意味でも価値ある展覧会だっかも。フェルメールの1点はフェルメールにしてはなあ、って感じであんまり感心はしなかったけどそれでもフェルメールなんで好きな人はどうぞ。ファン・メーヘレンの方が良い絵を描いたかも。

 回って「東京ドーム」を見物したら指定席のチケットはすべて売れて立ち見席が出る盛況ぶりで、最下位決戦でしかない試合が日曜とはいえこれだけ埋まってしまう状況に、復活する長嶋茂雄さんのパワーって奴を改めて痛感させられる。視聴率だってきっととんでもない数字が出てくるだろー。もっともこれって言ってしまえば反則技でありドーピング。たとえこの日は満員でも、明日以降、長嶋さんがいなくなった試合がまたしてもガランとしてしまうのは自明だし、視聴率だって同じよーにはいかないだろー。

 現場だってそんなことは分かっているんだろーけど、それでも上から言われれば盛り上げなくっちゃいけない。選手たちの頑張りを伝えファンになってもらう努力をしたくてもさせてもらえない。それで果たして10年後のプロ野球は存在し得るのか。それとも10年先まで同じことをやり続ける気か。それが出来ればある意味凄いけど登場した長嶋さんのポケットに入れられたままの右手を見ると、期待し過ぎるのはかえって酷とゆーもの。夏の夜のひとときの夢はしょせん夢なんだと、気づいて明日からの新しい1歩につなげていくことこそが長嶋さんにとっても本望なんだろーけれど、そーしたピュアな思いを邪魔する人があそこに1人、そこにも1人。巨大な権限と我欲を振りかざす彼らに潰されていく様を観察しつつ、バルコニーに立った長嶋さんの姿を思い出してあれが分かれ目だったと思う日が来るのを待とう。


【7月2日】 アトランタ五輪の聖火台に現れたモハメド・アリは、患っているパーキンソン病の症状で全身に震えが出て歩く脚はふらつき、聖火の燃えるトーチを持つ手も常に小刻みに揺れてた。けれどもそんな体をモハメド・アリは、全世界で恐らく何十億人もの目が見つめる中にさらけ出し、病と闘う姿は蝶のように舞い、蜂のように刺すリングの上での戦いにも負けず尊くて素晴らしいものなのだと教えてくれた。勇気づけられた人は世界中にいた。同じ病ではなくても難病を抱えた人、肢体に不自由を持った人、心に傷を負った人、そして生きているすべての人がモハメド・アリの勇姿に感銘を受けて歩み出す力の糧とした。

 徴兵忌避でアメリカのリングから閉め出されそうになったモハメド・アリに、唯一戦うリングを与えたアトランタへの恩返しだったという話もある。人種問題を常に抱える国だけに政治的な意図があったのかもしれないけれど、それとて決してひとりの人間の、ひとつの企業の利益に資するようなものではない。広くアトランタ市民のためでありアメリカ国民のためであり、さらには世界中の人々のためにモハメド・アリは聖火台に立った。そしてアトランタに、アメリカに、世界に感動と勇気を与えた。ボクシングのヒーローであり人種運動のヒーローだったモハメド・アリは、アトランタ五輪での聖火台を境にすべての生きる人たちのヒーローとなって今なお輝き続けている。

 翻って明日7月3日、「東京ドーム」に長嶋茂雄さんが病から復帰した姿を現すというニュースが数日前から世間をにぎわしていて、スポーツ紙やテレビのスポーツニュースを飾っていたりするけれど、アトランタの聖火台にモハメド・アリが立った場面の再現といったような、心躍る感じはない。むしろ逆に冷めている。冷めきっている。

 長嶋さんが国民的なヒーローであったことは間違いのない事実だし、その動静に関心を抱いている人が大勢いることも否定しない。病に倒れて心配していた人にとっては、無事な姿を見せてくれることは大きな意味を持つだろう。けれどもそうでない人にとってどれほどの価値のあるニュースなのか。1974年に引退した長嶋選手が現役時代にどれだけのヒーローだったかを知る人はおそらく45歳を超えている。巨人ファンとして監督の長嶋茂雄さんを好きだったという30歳代20歳代がいないとは言わないけれど、それがプロ野球ファンの大半を占めることはない。だから復帰が騒がれそれが世間でこうも持ち上げられることに違和感を覚てしまう。

 もちろん1人の人間が、病を克服したことは尊いことだし素晴らしいことには違いない。同じく後遺症に苦しむ人たちにとって、画面に映るだろう長嶋さんの健康そうな姿に勇気をもらえたと感じる人も大勢いるだろう。それはそれで結構なこと。なればこそ復帰を取り上げる側には、そして復帰を仕掛けた側にはそうしたスタンスでの言動が嘘でも欲しかった。

 モハメド・アリがスポーツによる平和を世界にアピールする場で復帰したのと同様の舞台を、長嶋さんにも用意してあげて欲しかった。長嶋さんが長く活動を続け今もそこにいるプロ野球というスポーツに資するような場所で、プロ野球ファンと病に苦しむ人とそしてすべての人たちに向けたメッセージを発させてあげて欲しかったし、そうしてあげることが”球界の宝”である長嶋さんへの礼儀だった。

 ところが。長嶋さんに与えられた復帰の舞台は東京ドームでの巨人戦の観戦。真っ先に起こることは東京ドームへの客足の増加であり、巨人戦と前後の特別番組の視聴率向上だ。ひとつの企業グループを利し、ひとつの球団を利すことが第一に来る貧しくも寂しい復帰の舞台しか、長嶋さんに用意できないことに日本のプロ野球界とそれを仕切るメディア界の貧困さが見える。そして世間はそんなプロ野球界とメディアの貧困さに確実に気づいている。だから未来は明るくない。というよりすでに闇が覆い始めている。

 それでもまだ希望はある。例えば扱いを適切にすること。活躍した現役の選手たちが讃えられてこそのプロ野球であるという、基本を逸脱することのない範囲での適切な報道が行われること。最高のプレーが、極上の試合がスポーツ紙のトップを飾りスポーツニュースを彩った先に、偉大な先達者である長嶋さんの復帰が添えられ世間がスポーツへの関心を深めること。それが行われれば日本もまだまだ捨てたものではないと思う。100%無理だろうけれど。

 ならば長嶋さんの復帰がトップでも良い。それがひとつ球団、ひとつ新聞、ひとつテレビ局の利益にのみ、なってしまうような事態にだけはさせないで欲しい。巨人戦で復帰したのなら、次はオールスターで球界への関心を抱く人たちの前に姿を見せて勇気づけてくれるように訴えて欲しい。巨人の出ない日本シリーズで元気な姿を見せて変わりつつあるプロ野球界をアピールするよう働きかけて欲しい。たとえ不自由さが残る姿でも構わない。健康に差し障りのない範囲でいろいろな場所に現れて、野球とスポーツの素晴らしさ、生きることの尊さを全身で現して欲しい。それができる人だ長嶋さんは。けれどもそれをさせない何かがあったとしたら? その時こそ世間はひとり利することを狙った新聞とテレビと球団を見捨てるだろう。すがろうとした他のメディアも含めてプロ野球を見捨てるだろう。メディアとプロ野球の分水嶺。2005年7月3日。注目だ。

 柳下毅一郎さんの賛辞を真横に聴いてならばと出かけた錦糸町で午前9時から「宇宙戦争」を吹き替え版にて鑑賞。見終わって思う。宇宙で戦争なんかしてねーじゃん。っていやまあタイトルが「宇宙戦争」で馴染みがあるだけで原題はは「WAR OF THE WORLD」で「世界戦争」なんで宇宙は関係ないんだけど、「WAR OF THE WORLD」じゃあウェルズ原作の映画って分からないから仕方がない。ところで「星の王子さま」は原題の「小さな王子」を「星の王子さま」と訳してもらった岩波書店の要望で各社から刊行の「星の王子さま」にはその旨、書かれるようになったけど「宇宙戦争」の場合はどうなっているのかな。そもそも最初に「宇宙戦争」ってタイトルを付けたのって誰なのかな。

 それはさておき映画は最高。家並みを超えてすっくと立つトライポッドの偉容と、それが襲ってくる迫力をしっかりと描いてくれています。目線ずっと人間の高さだったからってのもあるんだろうなあ。米軍機がばらばらとやって来て攻撃する場面でも目線は地面にいる人たちの目線だったから。これが他の怪獣映画なんかど自衛隊機とか空軍機が上からトライポッドを見下ろし攻撃してははたき落とされていく場面が挟まれるから。それもそれで怪獣の強さを現してはいるんだけど、人間の身に迫る恐怖心とはずれていってしまうから。その意味でもトム・クルーズが子供を連れてボストンへと向かう話に徹底して視点を固定してあったのも悪くない。自分ならどうなるんだろうか、やっぱりパニックしてしまうんだろうか、子供がパニックになったらどうしたら良いんだろうか、なんていろいろと考えさせられたから。子供なんていないんだけど。

 最初は怪光線で冷凍粉砕して次は突き刺して血を吸い終わりの方だと飲み込んでたトライポッドはいったい人間をどうしたかったんだろう? エサにしたかったのか壊滅したかったのか。それともアレルギーがある宇宙人がいて最初は食べるのを躊躇していたとか。あとクレーンの操作に関しては埠頭でトップクラスらしートム・クルーズの生活がどんな感じなのかにも興味。住んでる場所は高速道路の下で町中ではなくアップタウンでももちろんなくって風紀はあんまり良さげじゃないけど家はそれなりに大きく裏庭もあったし家の中にはオーディオとか家電とか揃ってたからまあそれなりの給料はもらっているんだろう。あれが下層なら上はどんなだ? ちょっと羨ましい。

 体を動かすことしか能がなくって、それがたぶん良い所のお嬢さんだった奥さんに敬遠されて別れられてしまったってトム・クルーズの演じてた主人公。その設定にマッチする言葉にしぐさに表情なんかを作り込んだトム・クルーズって役者が凄いのか、演技をツケさせた演出の力が凄いのか。キャッチボールをしたがりウザがられ笑いをとろうとして小馬鹿にされて可哀想だけど、いっぽうで親を小馬鹿にしてウザがる子供も小憎らしい。暖かで円満な家庭ばかりじゃ世の中ないんだぜってことを強烈に教えてくれます。ダコタ・ファニングはまだ10歳なのに頭良いなあ。吹き替えだったから喋りがどんなんだったかは分からなかったけど、同じセリフを英語で言っていたんだとしたら相当に聡明に聞こえただろー。ところで吹き替えのトム・クルーズの声は誰がやってたんだろ? あとダコタ・ファニングの声も。どっちも山寺宏一さんではなかったような。だから流石にダコタ・ファニングの声は出来ないってば。いやしかしけれど……。


【7月1日】 速く歩かれちゃって大変って思うのはつまりは追いつきたいって気持ちがあるからで、画材を買いに来たのに全然、何を買いに来たのかを思い出せないってゆーのはそれだけ、他に気になることがあってそっちで心が一杯になってしまっているから。つまりは恋してるってことなんだけどそのことに当人がまだ思い至っていない、考え及びもしてなんだって様が描写と台詞から醸し出されている、そんな「ハチミツとクローバー」の第11話を見ながら「巧いなあ、染みるなあ」と独り呟く真夏の夜。

 思いが顔に出て行動に出て脚に出てしまう山田との対比もくっきりで、キャラクターの造型と物語の描き方になるほど人気が出るはずだと強く納得。惚れる側と惚れられる側のどっちのキャラにも縁遠かった身には(第三者的ってのはあったかも)こーゆー色恋沙汰の描き方ってとっても勉強になります。勉強したって使う場所も機会もないけどね。しかし森田先輩、向こうが気づかないうちはしきりにアプローチをかけるのに、向こうから迫ってきた時は知らん顔してみせる怜悧さがいけず。それを意識してやってる感じがしないところがはぐちゃんをも上回る天然の天才って奴の証明か。実在の人物としているのかなあ、いるとしたら誰が1番近いのかなあ。

 見られないんでどんな放送だったのかがまるで分からないけれどとりあえず「増田ジゴロウ」の退場はネタではなくって本当だったらしー「sakusaku」では元老院がどーの下々がこーのといった黒幕による例えで状況の説明が行われたとか。その意味するところもほとんど分からないけど想像するならデザインをした人がいて使っている人がいて使っている人が権利関係の処理をどっかに任せてそこがグッズ製造メーカーなんかの窓口になっていたけどそのこと事態がデザインした人の了解の範疇ではなくそれでもしっぽりと盛り上がっていた間はよかったものの日本を巻き込む話題のキャラとなってしまったためにデザインをした人が改めて権利関係の整理整頓を求めようとしたらこれがどこかで滞ってしまったんだろー。

 でもってごちゃごちゃするくらいならキャラを替えてしまえって乱暴なことをいう人がいてそれで退場へと至ったと、考えるとすると今度は乱暴なことを言った人が誰でデザインした人との話し合いのレベルがどんなだったんだろーか、ってところへの興味も及ぶけどその当たりがはっきりとしたところで消えた「ジゴロウ」が戻って来るとはもはや思えないだけにあとは権利を引き取る形になりそーなデザインした人が、その権利をチャント使ってビジネスを展開しつつ新しいキャラを迎えて進む番組もちゃんと巧く行くってゆー、誰もがハッピーな展開を期待したいけどそーは巧く行かないのが世の常って奴だからなー。

 あるいは「何で消えたんだ!?」って怒りが権利を主張する人簒奪した人の双方に納得のいく解決策を考えさせてユーザーも含め誰もがこれまたハッピーになる解決策って奴が現れることも期待したいけどこれはさすがに無理か。とりあえずは勇姿が拝める唯一の公式映像となるDVDを買って眺めてこんな奴がいたんだって記憶を脳裏に刻もう。DVDはちゃんとこれからも発売され続けるのかな? 大丈夫。ジゴロウも言っていた。「俺、フォーエバー」。合言葉は「俺、フォーエバー」。忘れるもんか、1週間は(はやっ)。

 例のホリエモン騒動の時にメディアが姑息さを発揮して内輪でもあるメディアの見方をしよーと援護射撃を発射しまくりそれに呼応して経済人も政治家も元総理大臣も、ライブドアの時間外取引による買収を激しく非難したけれど、そんな財界にあってトップの日本経団連会長の職責にある奥田碩さんは事前にしっかりと対策をとっていなかったフジテレビジョンのスタンスに遺漏があったと指摘していた。それすらも模糊とした文脈に押し込み財界総理もライブドアに遺憾とかいったストーリーにメディアは押し込めよーとしていたあたりにこの国を覆っている重たくて暗い空気の濃さも伺えるけど、それでも財界トップにしっかりとしたスタンスを持った人を抱くこの国にはまだまだ希望を持っても良いって気が浮かんだ。あるいはそーした人物をトップに仰ぐトヨタ自動車への羨ましさも。

 とはいえ奥田さんが特別に聡明だったわけじゃなくって昔はしっかりとした倫理観を持ち企業と言えども単純無比にその利益のみを追求するのではなく、人倫にはずれない範囲での経営が半ば義務づけられていて経営者もそーした倫理観にそぐう言動をしていた。中川一徳さんの「メディアの支配者」(講談社)なんかを読むとメディアのトップにいる、人一倍に倫理観を求められる人たちの揺れ動き乱れる一方で、当時の三菱銀行会長だった伊夫伎一雄さんが「三菱は岩崎家の四代を経ていまの形になったのです。こういうこと(クーデター)は、やってはいけないということで、この先うまくいかないでしょう」と断じてる。

 「業務上、頭取は(日枝社長らと)会わざるを得ませんが、私はもう彼らと会いません」と筋を通した言動をしたってことも書かれてあって、そーゆー毅然として超然としたスタンスがあのバブルの時期に三菱銀行を拡大競争へと向かわせず、結果大きな損を出させず金融再編の大混乱の中で常に中心的な存在でおさせ続けたんだろーと理解する。今の銀行の頭取なり経営者にそーした倫理観はあるのかそれとも……。皆無とは言わないまでも薄れているから今のこの姑息でチンケな経営しかできないトップが座り続ける状況がそこかしこで起こっているんだろー。少なくとも失敗続きの経営者には早速の退陣をお願いしたいところなんだけど、問題は姑息でチンケと気づかない経営者の案外に多いところなんだよなー。かくして無能が無能を読んで無駄を生み出し無謀から無一文へと流れていく。悲しい時代が続きます。


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