縮刷版2005年6月下旬号


【6月30日】 ブラジル対アルゼンチンなんて世界でも屈指のカードに真夜中、無理矢理に目を覚ましてテレビにかじり付いて試合に見入ってまず叫ぶ。「アッドリアァーーーーーーノォーーーーッ!!!!」。中央でもらったと思ったらすいっと中に入りそしていきなりズドン。1人迫っていたディフェンスをかわすなんて無駄はせず、蹴ればあるいは入るかもって思い切りの良さがそのままパワーとなってゴールネットを揺らした感じ。もちろんそれで入ったって記憶と俺なら入るって自信がそんなプレーを彼にやらせているんだろーけれど、そーゆー自信を積み重ねる以前に考えすぎ、安全へと走る日本のフォワードの少なくない様を思い出し、アドリアーノ選手のプレーに何か思いを抱いて欲しいもんだと考えたけれど果たして見ていたんだろーか某ディフェンシブフォワードは。

 更に今度は「カッカァアーーーーーッ」と叫んだ午前4時過ぎ? これも思い切りの良さがディフェンスに詰められる前にシュートを打たせて奏功した例だけど、加えてカカー選手の場合には瞬間に相手の動作なんかを判断して確実な場所へと蹴り込む技術と冷静さがあった模様。だからこそのトップリーグのトップチームでトップ選手を張っていられるんだろー。さらにはロナウジーニョ選手のクラッキ丸出しなボレーとそして、高く激しいアドリアーノ選手のヘッドでブラジルが4点を奪取。途中から入ったアイマール選手の1点があったものの全体に、アルゼンチンは中心となったリケルメ選手がボールを持ってからしばらく考えるなり相手をかわそうと技巧を見せるなりした関係でスピーディーな攻撃ができず、ブラジルのスピードとパワーとテクニックの前に沈んでしまった。

 まあもっともヴェロン選手もクレスポ選手も出てない試合でサビオラ選手も出場停止となっていたりと枚数の揃ってなかったこともあってこれが揃う来年の本番では、ブラジルと当たってもそれなりの戦いぶりを見せてくれると信じたい。けど仮に日本と当たるんだったらコンフェデでのアルゼンチンをお望み。でもってそれでもやっぱりリケルメ選手とアイマール選手にチンチンにされるんだけど。敬意で接してくれるブラジルと相手がブラジル流ならそれなりの態度で臨んでくるアルゼンチンとのそれが差だ。

 記憶にも新しい2月から4月にかけてのホリエモン騒動の時、堀江貴文さんがインターネットってメディアの台頭をバックに既存の放送メディアなり活字メディアに変革を呼びかけたのを聴いた既存メディアの面々が一様にその進歩性を「メディアが分かってない」と批判し非難してみせたものの、その受け答えの硬直ぶりが逆に進歩が激しいネットメディアのことをまるで分かってないんだってことを周囲に印象づけてしまったけど、メディアの人間が常にそーした”保守的”なスタンスかってゆーと実は違っている所にはちゃんとメディアの変化を読んで先んじようとする人材が、いたんだったってことを中川一徳さんって人が書いた「メディアの支配者」(講談社、上下各1800円)によって知る。

 「テレビ、ラジオという速報機能が徹底した時点で、従来のような紙面を作ってメシが食えると思ったらとんでもない間違いだ」「ラジオとテレビと新聞はこれから五年間ぐらいの間に、コンピュータを中心に不可分な結びつきをしないといけない時代が来る。それをやれるのは人的なつながりから言えば産経だけだ」。別に今年の春にこれが言われたんだったら別に特別進歩的って誰も思わないだろーけど、中川さんの本によるとこの言葉が発せられたのは実に40年近くも昔の1968年のこと。言ったのはフジサンケイグループを作った鹿内信隆って人でニッポン放送とフジテレビジョンのトップに立って苦境にあった産経新聞へと乗り込み社長に就任したその時の演説で、こーいって社員たちを鼓舞したらしー。

 毀誉褒貶ある人で後にメディアを私物化して世襲してしまうってゆー”汚点”も残した人物だけど、ことメディアの変化を読む才能には優れていたみたいで今でこそ普通に世界中に存在する、出版から音楽から放送から何から何までを包含するメディアコングロマリットの概念をいち早く認識して作り上げたことからも分かるよーに、こと経営って面ではなかなかの卓見を備えていた。コンピュータなんて存在は知られていても実物を目にした人は少なく高速で計算すること以上の使い道なんて誰も知らなかったものがメディアにとって大きな核になり得ると、勘でもって掴んでいたってのはちょっと凄い。

 こーゆー人が借りに40年後の今いたとしたら、とっくに新聞はネットに移行し放送も権利処理を済ませした上でネットでガンガンと配信されてはがっぽりと、儲ける時代が来ていたかもしれないけれど、鹿内信隆って人がこー言えたのも外部から来て長年培われ積み上げられて来たシステムに依拠せず省みもしないで現状を認識し未来を見据えた上で最適な道筋だけを言えたから。長年積み上げて来たキャリアを捨て既得権益を投げ出すことになるサラリーマン上がりの人ではきっと、言えもしないし思い付きもしなかっただろー。故に今、日本のメディアがこーゆー状況になっているんだけど。見渡してごらん、この国のメディアのどこに外部から来た人材がいる?

 同様のことは娘婿で後に3代目の議長となったもののクーデターによって追われた鹿内宏明さんについても言えることでクーデターによって追い出されてしまった以上はそこに何らかの瑕疵があったと一般には広く思われているけれど、ことメディアグループの将来って点では「メディアの支配者」によるとそれなりの卓見を持っていたよーに書かれている。例えば新聞について定数ってのがあって発証部数ってのがあってその差異があれこれ悩ましいことになっている状況を改善しよーとしたこととか、「全国紙」であることの価値を維持しつつも内実は「中央紙」として産経を位置づけてその丈に見合った紙面なり経営を行う効率化を進めようとしたことがあって、あと2002年に東京方面のみながら実施された夕刊の廃止を97年実施の方向で想定していたらしー。

 それもある面は合理化ながらも紙面としての位置づけを放送なりのグループとの連携も含めたストラテジーの上で実行しようとしていたってことで決して収益が厳しくなったからって後ろ向きの発想ではないって、中川さんは本に書いている。銀行でそれなりの実績を治め経営のセンスを培っていたから言えたことでこれまた外部から来たってことが専横と呼ばれかねない計画の策定につながったんだろー。果たしてこれらの計画が本当に存在していたもので実行されれば成功していたのかどーか、宏明さんが解任されてしまってから13年近く経つ今では確かめようがないけれど、日本のメディア企業が非国際的で非ネット的で非視聴者的な孤高の立ち位置に今、立っていてそれがホリエモン騒動のよーな事態を引きおこしてしまったってことがメディアを経営することの難しさを現しているよーな気がする。さてもどーなりますことやら。

 「週刊SPA」の課題図書で回って来てはいたんだけどそれだとカバーがないんで三省堂書店神田本店でシオドア・スタージョン著で大森望さん編訳の「輝く断片」(河出書房新社)を購入。7月1日に開かれる柳下毅一郎さんに中原昌也さんを交えたトークショーの整理券ももらったけど番号はまだ41番で残り若干ながらも整理券が残っている模様。今時スタージョンではお客さんは来ないのかなあ。この面子だとやっぱり「スタージョン」ではなくって「スター・ウォーズ」について話してくれた方がお客さんも集まってくれたんじゃなかろーか。もちろん僕的にはスタージョンがスター・ウォーズでもスターシップ・オペレーターズでも大歓迎だけどその当たり、どーなるのかを期待しつつ行ければ行って見物しよー。ちなみに「輝く断片」はすっげえ話。SF? ホラー? 悩ましいけどミニマルな話の中に人間の吹き出る鬱々とした感情がほとばしって泣け震えられます。


【6月29日】 「神様になっちゃった」っていきなりな展開に腰を抜かした「かみちゅ!」だけど舛成孝二さんが監督だけあって、神様になっちゃった女の子がいてその言説を信じる巫女少女がいて屋上で神様の力を引き出す訓練を始めてしまう唐突きわまりない設定も、ほのぼのとして淡々とした描写に飲み込まれているうちにアリって思えて来るから不思議というか凄いというか。そんな感じだから神様になった少女の力が遠く南洋で台風となった上に少女の怒り顔を目として写し出してしまった展開も、莫迦莫迦しいってよりはなるほど童話っぽくって微笑ましいって印象が先に立って、愕き呆れるよりも笑え楽しめてしまった。

 何か妙にふわふわとした展開が一変、スペクタクルへと転じてスピード感が付くのも「R.O.D THE TV」で舛成さんが見せてくれた作劇と共通するものが多々。ゆらゆらと無駄にたくさん動く絵は先だっての「ハチミツとクローバー」の舛成選出の回を思い出してしまった。つまりは現代でも最良の1つに入る作品になる可能性が高いってことでこれから何話続くか知らないけれど、途中でうち切られる心配もないと信じて見続けることにしよー、録画でだけど。キャラクターでは三枝祀の妹で喋らなかったけど健気に巫女さんやってた三枝みこに興味。もちろん眼鏡っ娘の四条光恵の几帳面さにも。

 ゲストっぽいキャラでは台風の渦中で現れ飛ばされないよう看板にしがみついてた豆腐の精霊が声に仕草とも可愛かった。空を行くマンボウみたいなのは何なんだろー。妖怪キャラは他にもいっぱいあって来週からは本格的に主人公の少女達に絡んで来そう。そんな妖怪との交流がメインになるのかそれとも神様の力を(それを彼女が持っていることが街の人たちにバレバレって設定も凄い)いろいろ発揮しては人助けする魔法少女っぽい展開になるのか。先が見えないだけにやっぱり見続けなくっちゃいけなさそー。それにしても角川映画から公開になる映画の「妖怪大戦争」といい近く公開の京極夏彦さんの「姑獲鳥の夏」といいアニメ放映のスタートも待ち遠しい「ぺとぺとさん」といい、何かこの夏は妖怪が大流行しているみたい。って誰かが言い出すと「妖怪ビジネスが云々」とかって方面に至りかねないのが気持ち悪いなあ某新聞。鬼太郎だけで何億円?

 ペプシの夏「スター・ウォーズ」の夏。ってことでペプシを昨日から飲んではフィギュア集めに邁進しかかってはみたものの、最初にパドメ・アミダラのヘッドが出て幸先良いぞと思った次に出たのが「C3−PO」のそれも胴体がドロイドになった奴。それって「エピソード2」のキャラクターじゃんと嘆き造型の貧相さに嘆いて口直しにさらにもう1つ買って明けたらオーガナおやじだった。おまけに顔が造型のミスで潰れてしまって誰が誰だか分からない。あれだけ格好の良いキャラ見目麗しいキャラのいる中でこんなのが立て続けに出る悲しみを、どこにぶつければよいのかと遠くカリフォルニアの空にむかってゲップする。でもダイエットペプシだから太らない。といいけど炭酸はやっぱり太るのか。

 早売りの「ヤングキングアワーズ」2005年8月号では真っ先に「ジオブリーダーズ」を読んで暗澹。いよいよ向かい始めたクライマックスの彼方に開ける終末の風景がどんなものになるのか。その時に無事大地に立っているのは誰なのか。先月号で明らかになった謎の女の「菊島」という名字が意味する社長との関係も意外ではないにしろ興味深いものだったけど、それ以上に復活した先代「まや」が告げた場所にあるものががいったい何で、それをめぐって対峙する神楽の面々とハウンドの面々厚生省の面々とそして老人たちの関係がどーなっているのかを早く知りたいし、同時に今はまだ知りたくない。だって死ったら終わってしまうじゃないか。急転直下を見せる物語の帰結や何時でそれは如何なるものなのか。1カ月先が待ち遠しい。そして1カ月先が怖ろしい。

 町田康さんの「浄土」(講談社)を読んですごくて腰を抜かす。冒頭の「犬死」って短編は、最近いろいろ周辺にごたごたがあって見知らぬライターが勝手にインタビュー企画を雑誌社に持ち込み写真家にも話を付けてしまって大変だったり家に泥棒が入ってあれやこれや盗まれたりした作家がどうにもこうにもいかないなあと悩んでいた時、やって来た編集者から占い師の話を聞いてもっと詳しい話を聞きたいんだけどプライドが邪魔をするからか恥ずかしいからかその場では聴けず言い出せずもだえる心理描写がまずおかしい。でもってよーやく聞き出し言ってお告げを聴いてさらに落ち込む事態となって虚勢を張ろうとしてそれがあっけなく崩壊してしまう展開に、ぐるぐるとした内面の葛藤を言葉に綴って笑いを取る滝本竜彦さんの作品に似た印象を覚える。

 「ギャオスの話」に至っては、中野に突然現れたギャオスが新宿あたりに出向いて街を破壊し人を喰いまくって日本は大変って話でまず驚嘆。でもってなぜか中野に帰って眠るギャオスに近づいた写真家がカメラを向けるとギャオスは人を襲わずポーズを取って見栄を張る。なんだ見栄っ張りだったんだと大勢が近づき記念写真を取り始めたことで新宿あたりでの破壊はなくなったものの、近づきすぎて食べられる一般人も出たため後は政府がギャオスに牛を喰わせカメラを向けて落ち着かせる施策を取るよーになったとゆー、話のそーした役立たずの大飯ぐらいを税金でまかない続けなくてはいけない鬱陶しさがこの国に巣くう無駄飯ぐらいでそのく権力だけは持って振り回しては人に迷惑をかける、政治なり大人なりって奴を想起させる。一言主が現れセンター街とかボンカレーとかを大和盆地に出現させる破天荒な話もあったりと楽しめ笑え考えさせられる短編集。筒井康隆さん的なナンセンスで風刺も効いた短編は町田康に生きていたか。SFな人も注目。


【6月28日】 って訳で消滅の日が近づく「増田ジゴロウ」のグッズを抑えておこーと秋葉原にあるコトブキヤに行って残っている品々を物色。しよーとした目の前に「バンプレスト製品はもう作られないんで店頭にあるのが最後だよ」的な張り紙が出ていて驚く。あちらこちらで噂になっている”真相”なんかを読む限りだと、キャラクターをデザインした人がいてそれを発注した人がいて使ってるテレビ局があってグッズを作っているバンプレストがあるって構図のうちの企業寄りの人たちがお金儲けに走って、デザインした人を外してしまおうって流れがあって、だからバンプレストは商品化権を独り占めしてこれからも「ジゴロウ」グッズで一儲けしやがるんだってストーリーになっていた。

つーかなに俺首?  けどコトブキヤの張り紙によれば市中に流れるバンプレストは既に「ジゴロウ」グッズの生産をストップしていて残りは市中にある在庫のみ。ってことはこれから一儲けも何もあったもんじゃなくって2年くらいかけて育てて来てよーやくブレイクって所まで来たキャラクターを、そっくりまるまる失ってしまう格好になっている。つまりは損だってことでだったらいったい誰がこれからの「ジゴロウ」の権利を主張して一儲けしようとしているかってことになると、想像があれやこれや浮かんでこれは単純に企業の力が個人の才能を潰そうとしてるんじゃないかもしれないって思えて来る。とはいえ真相は不明。今はまだ大きなメディアが騒ぎ始めてないけれど、週末で”引退”となって世間がようやくことの重大さに気づけば週刊誌あたりが調べて何か書いてくれるだろーからその時に「何がジゴロウに起こったか」が明らかになると期待しよー。

 コトブキヤでも山ほど種類のある「ジゴロウ」グッズのうち1番人気っぽい大型の縫いぐるみは残っておらず、とりあえず安いところで11種類+2シークレットあるトレーディングフィギュアを2つばかり購入。あとちょっぴり異色なところで「ジゴロウ怒りのアクションフィギュアZ−56」て奴を買って帰る。「Z−56」ってのはつまり「ズィーゴロ」ってことか。フィギュアは緑の顔した「ジゴロウ」が出たけどこれは何かのパフォーマンスをしているところか? 番組が見られないんで分からない。ロボットも出たけど「ジゴロウ」が欲しい。シークレットはカエラ?(そんな訳ない)

 店頭に並んでいた商品では「ジゴロウ」の形を絶妙な造型で再現した目覚まし時計が欲しかったけど値段が4000円とかしやがってひとまずパス。でもここで一気に”絶版人気”とかが盛り上がって来たら1つ所望してしまうかもしれない。ちなみに家の近所の「ロフト」にはコトブキヤでは品切れだった「ジゴロウクッション」とか「増田ジゴロウお楽しみ宇宙ボックス」の在庫あり。もちろん目覚ましもアクションフィギュアもキーチェーン縫いぐるみも豊富にあったんで週末の動静を見た上で買い占めに走ろう。とか言ってると来週から謗らぬ顔して「ぷっちゃん」が出て誰も気づかないまま人気キャラになってたりするんだ。

 「ライトノベル」という割に概念として周縁が曖昧ながらもぼんやりとした範囲が見える言葉さえ使っていなければ、小説の世界におこっているカテゴリーもジャンルも垣根も何もかもとっぱらわれてしまいかけてる状況をひとつの「文学運動」と呼ぶに吝かではないのかも。秋葉原に行ったついでにもらった毎日新聞デジタルメディア局発行のフリーペーパー「マンタンブロード」掲載の東浩紀さんへの「特集 ライトノベル進化論」に関するインタビューは、「ライトノベル」って言葉を引っ張りライトノベルと従前より呼ばれているレーベルから現れてきた作家たちに加えて「ファウスト」なんかで作品を発表している講談社ノベルズ系の人も含めて「新しい魅力」を持った作家と位置づけ、その「アニメ的・マンガ的な文法や技法を取り入れることで、小説の表現に変化や多様性をもたらして生まれた」作品群を敢えて「ライトノベル」と読んでみせつつその運動性に着目してる。

 その上で「ライトノベルは文学運動なんです」なんて語ってしまっているから従前かあらある「ライトノベル」を書き読み嗜む人たちから何を一体言っているのかって異論やら反問やらが起こりそー。だからこそ別の、例えば早川書房の「SFマガジン」が使う「リアルフィクション」に類するよーな言葉を編み出すとか、大塚英志さんがこだわって使っている「ライトノベルズ」とゆー言葉に乗るとかして、一般に言われる「ライトノベル」と東さんが位置づける「ライトノベル」の間にある”差”をしっかり意識させて欲しい気もしたけれど、一方でレーベルとして「ライトノベル」が話題になっているその中心にいると目される上遠野浩平さんなりを御旗に掲げつつ文学で起こっている潮流を語るには、上遠野浩平さんが所属していると黙される「ライトノベル」をそのまま引くのが便利だし世間に印象づけやすいってこともあるのかも。

 もっともこれをやってしまうと、文学運動の動静は掴めても、上遠野さん以上にあるいは売れて人気になって支持を集めている時雨沢恵一さんとか、世間を震撼させ続けているおかゆまさきさんといった面子の扱いが東さん的「ライトノベル」から外れてしまう可能性があるのが悩ましいところ。とかく運動ってのは先鋭的な部分に目が向けられがちで、「ライトノベル」と呼ばれてきたものの本流を行く作品群が逆に運動としての「ライトノベル」の枠からこぼれおちてしまう、といった本末転倒な事態を招きかねない。

 インタビューでは「そういった状況の中で、『これはライトノベルであるかどうか?』の議論や、『ハードカバーで発行されているから文学』『アニメ的な絵が載っているからライトノベル』といったカテゴライズでわい小化してしまうのはつまらないこと」と言っている。にも関わらず、アニメ的な絵が載っていても作品の内容に西尾維新さん舞城王太郎さんに通じる運動性がないから「ライトノベルではない」と、東さん的「ライトノベル」を支持する層から思われ排除されてしまいかねない。それを東さんが望んでいるとは思わないけど、権威付けられた言葉ってのは往々にしてすがりたい輩を生み出し運動を先鋭化させてしまうのだ。

 ハードカバーかどうか、アニメ絵的かどうかなんて実は「ライトノベル」を好んで読んでいる方にはまるで関係なかったりする。冲方丁さんが分厚いハードカバーで出した「ばいばいアース」を読む人は読んだし五代ゆうさんの富士見から出した分厚い「骨牌使い」を五代さんだからと読んだライトノベルのファンもいる。装丁造本云々は「ライトノベルって何」って聴かれて便宜上言うだけであって、読者は作品の中身であり作家の名前でもってそれを「ライトノベルっぽいもの」として意識し認識して読み嗜む。むしろそういった差別をなくさなくっちゃって言い立てる方がかえって差別を強く意識していたりするものだったりする。どっちだって良いんだよ、面白ければ。

 ハードカバーがライトノベルかどうかなんて些末も些末。読んだ人がそう思えばそれでそう思わなければ違うってことで落着する。むしろ文学の方だったら、文庫本の書き下ろしでは直木賞が受賞できず文芸誌に発表されていない単行本の書き下ろしでは芥川賞が受賞できない状況ってことの方がよっぽど大きな問題じゃないか。作品において差はないのに形態によて差別される典型例。それがもう何十年も続いているのに是正しようって運動は起こらない。どうしてなんだろう? SFが受賞できないってこと以上に不思議だよ、これ。

 「ライトノベル」を運動にしたいんだったら講談社ノベルズから出た佐藤友哉さんの長編を芥川賞に(芥川賞が新人の短編に与えられる賞らしいとは知っているけど)ノミネートさせるくらいのことをして欲しいもの。あるいはハヤカワ文庫JAから出た「復活の地」が直木賞なり山本周五郎賞に堂々ノミネートされるとか。そんな状況が生まれてこそ文学運動としての「ライトノベル」が既存の権威も概念も超えた何かを生み出せるんだと思うけど、それもそれで面倒な話なんで今はとりあえず「ライトノベル運動」は運動として認めつつ、一方で従前からの「ライトノベル」レーベルがあってそこに日々大量の面白い作品が送りこまれ僕たちを楽しませ続けてくれることを願おう。

 眼鏡っ娘(30歳だけど)で博士で白衣の女性が退場して良いはずがないのだ。それは地球が生まれる以前からの節理なのだ。ってことで嬉野秋彦さんの「蘭堂家の人々」第2部最終巻となった「Sweet Home Again」は中華な世界を支配する組織「華龍門」を率いるシャンフェイを支える天才科学者にして高貴な血を引くルンちゃん(30歳以上)に降りかかった悲劇に瞬間憤りが沸き煮え滾(たぎ)ったけれど、そこはそれちゃんとしっかりした収まりを予想した範囲内とは言え見せてくれてて一安心。これでこのあと普通の生活へと向かって二度とは出てこないのか、それとも神々のスピリットを集め作られた兵器の女の子たちに囲まれ暮らす翔太くんに起こる危機に女の子たちの1人でシャンフェイにさらわれていたフェイちゃんが危ないとシャンフェイに泣き憑かれて今再びの叡智をほとばしらせてくれるのか、この先も続く第3部がちょっと楽しみ。巻末の4コマ漫画が凄いことになってるなあ「恐怖新聞」かよ「水木しげる」かよ。


【6月27日】 偽「ぷっちゃん」と評判の(違います)「増田ジゴロウ」が大変なことになっていたのに今さらながら気づく。デザインをしたダイスKさんによるとどーやら権利関係のもつれから「sakusaku」に出続けることがかなわなくなったみたいで、その責任の所在がだったらデザインした人なのか、デザインさせた側なのかテレビ局なのかグッズを製作して商標登録もしているバンプレストにあるのかは不明ながらも今まさに旬な(去年あたりから賑わってはいたけれど)キャラクターを今まさに旬な時に引っ込めざるを得ない事態に至ってしまった経緯の拙さがやるせない。

 もちろん今まさに旬だからこそ起こる問題ってこともあるんだろーけど、今まさに旬であるが故にどこかに責任があって誰かが無茶を言っているって可能性はあってもそーした責任や無茶を引っ込めさせるだけのファンのパワーが存在するはず。それを気にせずもめましたから引っ込めますってやったら起こるのはひとつのキャラクターの死だけではなく、クリエーターでありテレビ局でありメーカーの関わったすべてが何かしらの打撃を被ることになりかねない。今はまだくすぶってる感じだけど大きなメディアが気付き取り上げ始めた段階でそーした打撃は始まるんで関係者の方々には今が旬であるってことを認識して、何かしらの解決を探って頂きたいもの。それが無理なら代わりにやっぱり「ぷっちゃん」を出して時間を稼げ。見ている方は意外に気づかないものだって(そんなことはない)。

 飛び交う慶事への所感に蚊帳の外感を覚えつつ無縁と任じ孤高に生きようと決意しつつ眠り起きてゴルフの全米女子オープンをテレビで鑑賞。ミッシェル・ウィー選手はすでにスコアを崩して優勝の圏外へと落ちていたものの同じくアマチュアで10代のプレッセル選手が残っていて彼女の動静に目を見張るも17番ホールでのあと少しの転がりが足りなかったことが後に分かれ目となった模様で勝負ってものの怖ろしさを目の当たりにする。そこでバーディーを奪えなかったことがプレッセル選手の単独首位を阻害し代わってプレッシャーを受けずに済んだバーディー・キム選手が最終18番ホールでバンカーからの難しいショットを手堅く打ってチップインバーディーを達成。それで逆にプレッシャーを感じたプレッセル選手が18番ホールで2オンを失敗し3パットのボギーで崩れバーディー・キム選手に晴れてメジャータイトルの栄冠と高額の賞金が転がり込んだ。

 何しろ「バーディー」キム選手。覚えてもらいたいからってそーゆー名前を選んだそーだけど「ジャンボ」とか「マッシー」っていった感じのニックネームとは違ってゴルフでも栄誉の「バーディー」を敢えて名前にしてしまうと、それが逆にプレッシャーとなってしかかって手足を縛ってしまって不思議じゃない。けれどもそーしたプレッシャーを超えないことには米国のツアーで生き残れないってゆー根性が彼女の場合にはあったんだろー。臥薪嘗胆。艱難辛苦。名前を我が物としてそれに恥じない精神力と実力を身につけようと頑張ってきた事が、18番ホールでそのものずばりの「バーディー」を奪わせ優勝を獲得させたんだろー。キャディが親爺だ別の人だってことで崩れたり走ったりする日本のヤワな新人ゴルファーとは性根の強さが違うってことで。

 そんな彼女の活躍にマネしてニックネームを付けて来る外国人選手とか増えて来そう。今回は予選落ちの憂き目を見た宮里藍選手もいっそだったら「イーグル宮里」とかって名前にすればプレッシャーもかかりそれを乗り越える精神力も養われて、凄いゴルファーになるかもしれないなあ。だったら横峯さくら選手は「アルバトロス横峯」か。それって絶対に不可能。だけど名は体を表すともいうし。「ホールインワン諸見里」。うーんこればっかりは無理だろーなー。「ボギー服部」。うーん縁起でもない。けどそーした逆張りの名前も案外に縁起担ぎになって良いかも。「トリプルボギー不動」。これは流石に勘弁。

 とりあえずは栗山千明のお尻に光明ありと言っておきたい「妖怪大戦争」。かつて大映で作られ時々テレビ放映されては妖怪の蠢く様の怖ろしさを面白さを合わせ感じさせてくれた映画が21世紀の現代になって蘇ったってんでマリオンで開催された完成披露試写会で見物。神木隆之介くんが使命されて妖怪と戦う身となって猩々とか川姫か河童とかいった妖怪の手助けも借りながら、加藤保憲が企む機械と妖怪を混ぜ合わせた「機怪」による世界征服を阻止するってゆーストーリーはかつての諧謔味あふれる「妖怪大戦争」とは違って子供が見て笑いながら楽しめる冒険ストーリーになっていた。

 ギャグのレベルもストーリー展開も繰り出される説教も子供だったら見てあれやこれや考えさせられる内容。大人にとってはのめり込んでいた気持ちをやや現実に引き戻される感じを抱かされるかもしれない展開だけどそーした部分も決して白々しくはないところが脚本の妙か監督の腕か俳優女優の力ってところ。見ていて赤面することはない。子供だったら大喜びしてあれやこれや笑いながらも最後まで悦んで見通してしまいそー。大人はそんな子供の悦ぶ姿に満悦しつつも例えば栗山千明さん演じる女妖怪がお尻も鮮やかに胸元も奥まで覗かせつつ、マシンを操作し妖怪を作るシーンとか、神木くんを助ける川姫の高橋真唯さんのふっくらとした太股とか、着替える神木くんの半ケツとかを拝み堪能すれば十分に2時間ちょっとを楽しめるんでこの夏は安心して「妖怪大戦争」を見に行こう。

 三輪明日美さんのろくろ首も三輪明日美さんらしい役所。加藤保憲は嶋田久作さんのイメージが強烈だったけど豊川悦司さんも長身で外連味たっぷりで格好良い。ラストの場面でのヌけた感じもなかなか。あれで実はコメディが得意っぽい豊川さんならではの味を出しまくってくれています。本人的には大まじめな場面ななろーけれど。この夏は「妖怪大戦争」の公開とは直接は関係ないけど同じグループってことで関連付けも可能な妖怪アニメ「ぺとぺとさん」も始まって、子供達の間で「妖怪」に関する探求心が広まりそう。絵慨にも1場面ながら登場の水木しげるさんにおかれましてはそんな子供達の探求心を叶える作品をこれからも出していって頂きたいもの。映画を見る限り元気そうなんできっと大丈夫でしょー。


【6月26日】 ウィーーーーーーッ。と雄叫びを上げたのは何もスタン・ハンセンのファンだからではなく早朝から放映されてた「全米女子プロゴルフ選手権」でトップを併走するミッシェル・ウィー選手を見たからで、まだ15歳だってーのにそのスリムな癖して出るところはちゃんと出っ張った、スーパーモデルもかくやと思わせる肢体の素晴らしさに日本で何だかんだと大騒ぎされる宮里藍選手だとか横峯さくら選手だとかの影が一気にかすむ。

 もちろん容色ではなく実力を買われての人気だってことは承知だけどそんな彼女たちの実力を持ってしても宮里選手は全米女子プロでは予選落ちで横峯選手は日本でここんところさっぱり。なのにウィー選手は全米の名だたる選手が名を連ねるツアーでアマチュアながら上位に食い込む活躍を見せ、あまつさえメジャーの最高峰とも言える大会でトップを走る素晴らしさ。実力に容色も兼ね備わったその存在に今、かなうとしたらテニスのマリア・シャラポワ選手くらいしかいないかもしれない。日本でいったら誰? 比べる存在など絶無。敢えて言うなら……お蝶夫人くらいかなあ。

 怖ろしいのはそんなウィー選手と並んで全米女子プロのトップにあと2人の10歳代の選手がいるってことで顔はまだ見てないけどウィー選手のプレーぶりを見るにつけ、首位に立つ以上はそれに匹敵するプレーを見せているってことでだとしたら怖ろしくも凄い逸材が、全米には目白押しで日本からはるばる駆け付けた宮里選手なんかまだまだ遙かに及ばない、高い峯がそこにそびえ立っているってことなんだろー。日本で11位に沈んだ横峯選手などまだまだ海抜ゼロメートル。新聞が何位に入っただの父親がどうしただのと紹介するに当たらない。字の無駄だ。

 にも関わらず阿呆が極まった某経済系の新聞は経済系であるにも関わらずスポーツに手を出しゴルフを報じ、その上に首位でもなくトップ3でもなく下位に沈んだヨコミネだとかミヤサトを、それでも見出しで紹介し続けるんだろー。スポーツ紙ですらそんなグラビア雑誌的報道がスポーツの本質を求める読者から呆れられて衰退している状況で、経済系のメディアがそんなスポーツの本質からも経済の本道からも外れた報道をして生き残れると思っているのが甘いけど、そこはそれ阿呆だから間抜けだから戯けだからなあ。夏は越せても春は迎えられないだろうなあ。予言。ミッシェル・ウィー選手の活躍でナイキのブランドが一段とアップ、女子ゴルファーが増えるって前にミヤサトヨコミネモロミザトあたりを主役に掲載された記事のウィー版が遠からず載るでしょう。

 えっとあの白い生き物は何ですか猿ですか狸ですかモグラですかクマですか。「交響詩篇エウレカセブン」にいよいよ登場のアネモネちゃんがペットにしている白い生き物が何だか分からない。前に一度ご退場願ったはずの艦長が生真面目さ故に艦長の拙劣さに巻き込まれて幸せになれそーもない副官の女性ともども復活しては、アネモネのお守りに当たってるんだけどその彼が持ち上げた所、相当な重さがあった模様で決して毛だけで膨らんでいるんではなさそー。一方でラスカルみたく後足で立って上半身を持ち上げる仕草もみせずひたすらに床面をはいずり回っていたところを見ると、モグラ系か何かと見るのが正しいみたいだけどその割には昼間の日差しにも平気そーだったからなあ。謎。

 読まなくてはいけない本とか原稿が山積み状態。だけど家に居ると暑くて仕事にならないんで電車に乗って冷房の中で原稿なんかを読みつつ上野へと出向いて折角だからと最終日になってた「アール・デコ展」を見たけどどこにも「アール・デコ」はいなかった。どーやら春高攻防戦の方へと出向いていたみたい。何のことだか。「カルメン故郷へ帰る」。だから何のことなんだ。それはそれとして「アール・デコ展」に集められた品々の何と多彩なことか。ギリシャにエジプトといった時代に描かれたり作られた様式的な紋様なりデザインから源流を求め日本に発達した様式的な紋様も経つつ20世紀初頭に大流行した様式的で装飾的で機能的な「アール・デコ」の数々を、芸術作品からファッションから工業製品から建築からポスターから、余すところなく紹介していて当時、アール・デコが実に多岐に渡り広まり浸透していたんだってことを伺わせる。

 ってゆーかシンプルで機能的なデザインは今も脈脈を引き継がれているもので、現在も周りを見渡せば直線的だったり様式的だったりするモダン・デザインに囲まれている訳だけど居並ぶアール・デコの品々とは似通っている部分もあるけどでもどこかが違う。それは単純に機能美に還元されないゆとりってゆーか、余裕みたいなものがアール・デコの時代にはあったってことでそれが人間の目には美しさを覚えさせたんだろー。

 バウハウスあたりから続くさらにシンプルで様式的なデザインはモダンさは感じさせてもゆとりがない。かといってアール・ヌーボーのようにゴージャスなだけでは息苦しい。その間にあって人間が人間らしさに溺れず人間らしさを残しつつ人間以上を目指そうとした、夢と活力に溢れた時代のデザインがアール・デコなのかもしれないと、勝手に思ったけれど本当の所は知らない。まあ素人の戯れ事ってことで。本当は並んでいる品々よりも見物に来ている女性客の方にばかり目が行ってしまっていたのです。夏なんで薄着なんで体のラインが割にくっきりと出るシンプルな衣装が多くてもう目が釘付け。展覧会の性格からなのかどことなく起伏もゴージャスではなくシンプルな女性が多かったのは内緒だ。

 大変ですよ桜庭一樹さん、って会ったこともないし話したこともないけれど、「SFセミナー」でしきりに縄文だ弥生だと言ってた桜庭さんにこそ相応しい展覧会が「国立科学博物館」で開催の予定。その名も「縄文vs弥生」には縄文土器が出て弥生土器も出て縄文人の骸骨が出て弥生人の骸骨も並べられて弥生時代のご飯が並べられて縄文時代の住居も展示されて、行けばどっぷりと縄文時代あるいは弥生時代に浸れそー。縄文弥生のファンだと言い縄文弥生を舞台に小説を書きたいって言ってた桜庭さんにこそ相応しい展覧会だと断言したい。ただ開幕の7月16日は「日本SF大会」の初日。桜庭さんも出席するみたいだけどさてはて放り出して上野の山へと駆け付けますか? どうしますか?

 これは何と評価すれば良いんだろう。精神系ライトノベル? 中村九郎さんって人が書いた「ロクメンダイス、」(富士見ミステリー文庫、600円)は恋をしなければ死んでしまうと言われた少年ハツにショートヘアの金髪散髪娘とお下げの眼鏡教師の2つの性格が同居するララ子に巨体でスキンヘッドながらも怯えきった性格のヒロムが共同生活する「六面ダイス」って施設を舞台に、新たに加わった少女のこれまた感情にプレッシャーを受けると「心辺警護」って能力が発動しては触るものみな傷つけてしまう状況が重なって混乱を極める。

 見えるビジョンがそーした精神の歪みが物理的に作用したものあのか、それとも特定の主人公の目にそー見えてしまうだけのものなのか、分からないけどともかくも繰り広げられるビジョンの歪みっぷりが異色。傷つきやすい人間たちの傷を抱えながらそれでも傷を乗り越えて行こうって力をどうにかして得ようと頑張る凄さが描かれ、この居たたまれない世界で生きる人たちにひとつの道を指し示す。エンターテインメントというよりはどことなく文学的で、それも現代文学に近いアヴァンポップな雰囲気があって難しいけど読めば読み込むだけ何かを得られそう。1読ではさっぱりだったけど引っかかる所も多いんで落ち着いたらまた読み返してみよう。


【6月25日】 起き出して「次世代ワールドホビーフェア」。午前10時前に到着すると外にはすでに大行列。毎回何かしらヒット商品があってそれを買い求める人で行列が出来るイベントだけど今回は何だろう、やっぱり「コロコロコミック」版の「たまごっち」だろーか、表ではあんまり騒がれてないけれど、小学生から更に下の子供の間では大流行している感じがあって、道を歩く子供のほとんどが胸に「たまごっち」をネックレスよろしく下げてる姿を頻繁に見かけるようーになって来たし。

 空前のブームになった7年前とかは新聞雑誌にテレビが騒いで大騒動になって不足するまで作らないメーカーに非難も集まったけど盛り上がった分、人気が下がるのも早くって1年保たずに古くさくなってしまって、一方で作りすぎた挙げ句に在庫が溜まって何十億円もの消却を余儀なくされて会社が左右に傾いた。その轍を踏むまいと生産をぎっちり調整しつつブームも持続させよーと頑張った結果、発売から1年と4カ月近くが経って今なお人気は右肩にゆるゆると上がっている感じを保っている。「たまごっち」なんて今さらってメディアがあんまり食いつかずだから情報として消費されないってこともあるのかなあ。ばっと盛り上がってぱっと消える玩具が多い中でちょっと不思議な展開は、玩具のマーケティングにひとつのモデルケースを与えそう。面倒くさいんで研究はプロにお任せ。

 タカラの経営方針説明会で模型が展示されてた新しい玩具が稼働状態でお目見えしてて楽しそう。四角いフィールドの上で2台のメカを走らせぶつけ合い戦い合わせる玩具だけど、普通はすぐに弾かれ四角いフィールドの縁から飛び出して終わってしまうのがこいつはセンサーか何かで四角い縁までいくとくるりと反転して中へととって返してまた戦う。なので戦いがすぐに終わらずがっぷりと組み合った格好でしばらく続いて見ているとなかかない赤勝て白勝てって感じに興奮させられる。よく考えたなあ。来ている人たちの反応もまあそれないに上々みたいでこれからの季節にどんな展開を見せるのか、それがタカラとトミーの行く末にどんな未来を与えるのかを興味津々で見守って行こう。しかしやっぱり本当に、合併しちゃうのかなあ、したとしてこーゆー海の物とも山の物とも知れない玩具が出て来る率って上がるのかなあ、それと……。

 館内はそれほどでもない暑さも外に出るともうむんむん。そんな戸外で果敢にデモンストレーションを行っていたコナミの「ボクらの太陽」は太陽のエネルギーをゲーム内のキャラクターのエネルギーに置き換える仕組みを使ったソフトの第3弾なんだけど、1本目が出た2003年が予想外の冷夏で太陽センサーの効き目が今ひとつで、外に出てもゲームがうまく動いていくれない日があって遊んでいてあんまり楽しくなくって結果、ソフトも評判ほどには売れなかったんだけど、家でゲームはするものだって概念に挑む小島監督の執念もあって、続編は作られ出された上に去年今年と暑い夏が続いて続きそうなこともあってそれなりな存在感を出してきた。こーゆー冒険が出来るのは小島監督だからかそれともコナミだからか。いずれにしてもゲームに1つの可能性を広げたソフトとして歴史に残りそう。デモに付き合う社員は炎天下に立ちっぱなしで辛いけど、頑張れ。

彼の登場で完結の「スター・ウォーズ」はつまり彼のサーガだったのかクフォー。  帰宅したら「SFマガジン」2005年8月号が届いてて「スター・ウォーズ」の「エピソード3」についての座談会が載っててアナキン・スカイウォーカーがダース・ベーダーになるんだって盛大なストーリーの暴露が行われ……みんな知っます。つかそんな風に人間がグレてワルになってくヒーロー&ヒロイン物の反対を行くお話なのに、世界でそれなりに受けてしまうのは勧善懲悪の予定調和なハッピーエンドのヒーロー&ヒロイン物に世界が飽きてしまっている現れ、だからなんだろーか。だとしたらハッピーエンドへの改変が噂されてる「機動戦士Zガンダム」の劇場版だって、前のまんまにアンハッピーなエンディングのまなにすれば世界の潮流に乗ってて良いのに、そーはしないところが時流に乗らない富野由悠季監督の矜持って奴か。あるいはへそ曲がりって奴。

 折角だからとワーナーマイカル市川妙典まで出向いて「スター・ウォーズ エピソード3 シスの復讐」を早々と鑑賞。夕方6時10分からの回で1番大きな劇場の入りは5分とまずまずの出足。情報が増えて迎える本公開はやっぱりそれなりな混雑が予想されそー。お話はだからアナキンがグレてワルになっていく話なんだけど、グレた要因がひとつに奥さんのパドメに予見された不幸な未来に対する想いとそれから、自分自身の力が認められていないって我が儘だってところが何とゆーか庶民的ってゆーか、まんま「週刊新潮」連載の「男と女の事件簿」的ってゆーか、あのフォーマットにはめてもそれなりにはまってしまいそー。「悪に誘われエリート夫は堕落し、彼の子を宿したお嬢様も破滅へ」とか何とか。それにしても精神も肉体も鍛え上げられたはずのジェダイも実は案外にたいしたことがない模様。勘も冴えてるフォースのマスターたちが平気で後ろから撃たれたりするもんなあ。

 お話はもちろん予想通りに終わって我らが「ダース・ベーダー」様が誕生してピーター・カッシングもどきも登場してはデス・スター開発の場面へと一気に飛んで何かが始まりそうな予感で続きが楽しみ、。5年後くらいに公開かなあ、想像するなら生まれた双子のうちオーガナ家に引き取られた女の子のレイアが長じてお転婆娘となって親を困らせ同級生も迷わせ大騒ぎ。そんな一方で何か世の中に物足りなさを感じていたある日、自分の中に眠る力に気づき父親の書棚の裏側にある金庫に保管されてた「ライトセーバー」とオビ=ワンからの手紙を発見してしまう。

 自分の正体を知り使命に目覚め体と心を鍛えるべく、ヨーダのもとに弟子入りして訓練にはげみそして免許皆伝を受けジェダイに伝わる秘密兵器の人型巨大ロボット「ジェダイオン」だか何かを受け継ぎそれに乗って反乱軍に参加。融通の利かない秘書タイプのアンドロイドで美形でメタルフレームの眼鏡がキラリと光るアンドロイドの「シースリー」に、やんちゃな少年タイプのアンドロイド「アートゥー」を従え、ワイルドな雰囲気を持ったパイロットのハン・ソロに彼の友人で野獣の血がやや混じったチューイの4人の美青年&美少年を従えたレイアは、大冒険の果てに「帝国軍を討ち果たして宇宙に平和をもたらす。そしてその頃タトゥーインに里子に出されたルークは、変化の乏しい日々にぶつくさ良いながらも荒れ地で田畑を耕す平穏な日々を送っていたのであった完。戦闘美少女物が主流になった今こそレイアを主人公に萌えたっぷりな「スター☆ウオーズ」を作らせませんか日本のアニメ会社製作に、ねえルーカスさん。


【6月23日】 「葛西臨海公園」の大観覧車って近所を走る京葉線を土日の午前中とかに乗って有明に向かう途中でながめると、それなりな行列が出来てた記憶もあるけど年末の寒風吹きすさぶ季節ともなると、さすがに人っ子ひとりいないのかもしれないなあ「ハチミツとクローバー」アニメ版。クリスマス商戦も片づき課題も終わって竹本真山森田山田にはぐの5人は真山の提案でもって隅田川からお台場を周り葛西へと向かう遊覧船に乗って冬休み気分を満喫しよーとするものの、時は真冬だけあって他に客は誰もいなくて貸し切り状態。到着した葛西もやっぱり閑散としていてそこには人っ子ひとりおらずただ、大草原が広がり地の果てに大観覧車がそびえて立ってい、とか何とか。

 年の瀬も押し迫った時期の「東京ディズニーリゾート」が冬休み中の人たちでごった返すのは誰にとっても明らかだけど、世界でも2位とか3位とかにある「ダイヤと花の大観覧車」(これが正式名称)を差し置いて年末のお台場に「東京ディズニーリゾート」と互す人が来場しているって話を本当だと、理解できる一般人の果たしてどれだけいるんだろー? 実は「ディズニーリゾート」以上の密度で人がごった替えしている場所があるんだけどそこでいったい誰が何をしているのかは説明するのも面倒なので詳細は発売されたばかりの木尾士目さん「げんしけん 第6巻」(講談社、505円)を読んでくださいと言っておく。まあ製作のフジテレビ的には有明の一角じゃなくってお台場の球体展望室があるあたりは冬でも賑わうって言いたかったのかもしれないけれど。実際最近はそれなりに賑わっているし。

 んでその「げんしけん 第6巻」には幸せって何だろうって考えさせてくれる描写が。それは1秒にも満たない一瞬のことなんだろーけれど、はっとして見れば眼前に迫る巨大なそれに顔がめりこみ次の瞬間にはじき飛ばされ「東京ビッグサイト」の床にはいつくばる羽目となった、そのプロセスに置いて感じる至福はもしかしたら「東京ディズニーリゾート」ですべての乗り物すべてのパレードを満喫するよりも、あるいは真山と2人でゴンドラに乗って17分間をいっしょに観覧車で回った山田よりも高密度に高精細なものなのかもしれない。何しろ相手は大野さんだ。「やわっこくてそんでもって弾力のある」(荻上)ふたつの巨大な球体だ。拝めるだけでも有り難いのにあまつさえ顔面でもってその弾力を、その柔軟さを味わえるのなら他に何もきっといらない。あれを量りきっと触って触りまくってコスプレ衣装を作る田中総市郎に不幸の訪れがあらんことを。

 秋葉原あたりでは同人誌がセットになった「特装版」が山積み状態でさすがは世界の秋葉原、集まるところには集まるものだと納得至極で早速買う。2つで十分。2つもか。ひとつは開いて同人誌を読んで久米田康治さん描くコスプレ大野さんの変遷を観察。いきなり「デ・ジ・キャラット」ってところが「勝手に改蔵」で「ブロッコリー」を描き切った久米田さんならではか。手袋が巨大でグロテスクになってるところも含めて久米田さんのあーいったものへの微妙な距離感怜悧な視線を覚えてしまったり。ラムちゃん森雪はメジャーだけど最後のひとコマは何だろう、マリン・レーガン? 場所も有明じゃなくって晴海っぽい。「バルディオス」かあ。「ゴッドマーズ」やら「ゴーショーグン」やらが盛り上がる(盛り上がった?)中でひっそりとやってたなあ、名古屋じゃ夕方に、見てたけど、でも最後がどーなったかは知らない。どーなったんだっけ? 眼鏡の女司令がどうにかなっちゃうんだっけ? 買うかDVD、出てたっけ?

 そうだでじこだ「デ・ジ・キャラットにょ」が何でも来月から韓国で地上波でもって放映されるとか何とか。時間帯は夕方の午後4時5分からでそんな時間に何で? って調べると韓国だとそこから2時間くらいが子供のための番組枠で、今や日本だとワイドショーの残り香とワイドショー化した夕方のニュースとドラマの再放送に埋め尽くされ、新作再放送も含めてアニメのなかなか放映されない子供にとっても元子供にとっても不毛の時間帯になってしまっているけれど、韓国じゃあ未だにまさしく子供の時間が残っているのかと嬉しくなる。夕方の再放送で僕たちは「ガンダム」ブームにも「ヤマト」ブームにもどうにか乗れたんだよなあ。「ダイターン3」だって夕方の再放送がなければきっと見ないままだったからなあ。

 今だと一瞬の放映を見逃すとあとでついていくのは困難至極。真夜中に再放送する人気アニメもあるにはあるけど、そんな時間を見られるのなんておっさんおばはんばかりで、本放送にちょっぴり乗り遅れた子供の間にブームを再燃させて巨大な市場へと育てるなんて出来はしない。見せてパッケージ売って回収なんてモデルがもはや成立し得なくなって来ている時代だけに再放送でブーム化して視聴率稼いでスポンサーを招く、ってモデルの再構築なんかも考えないといけないんだろーけど再放送で視聴率が稼げるこれまた時代でもないし、再放送ばかりだと新しいアニメ作りにお金が回らず画期的革新的アニメも登場しなくなってしまう怖れもあるからなあ。うーん難しい。なのでなるほど日本での再放送より韓国での放送へと、目を向けて行かざるを得ないんだろー。

 ってことで7月1日から始まるらしー韓国版の「デ・ジ・キャラットにょ」のでじこが果たしてどんな声でもって喋るのか、語尾に「にょ」は付くのかぷちこはちゃんと「にゅ」と喋るのか、あれだけアバンギャルドな展開を果たしていきなり見せられて子供は大丈夫なのか、等々疑問もあってどんな反響が出てくるのかに興味津々。それにしても「おジャ魔女どれみ」やら「ゴースト囲碁王(日本名・ヒカルの碁)」やら「ワンピース」やら、巨大バジェットの人気シリーズが目白押しな日本アニメ枠によくぞ入った「デ・ジ・キャラット」。これが大受けしてアジアに人気が飛び火してけば極東の安全保障にも光明が見えそー。だって誰もがでじこ様の僕となってその足下に跪くのだから。あり得ない。


【6月23日】 ラッ、ラー。登場の「機動戦士ガンダム」再放送はサイド6でアムロが宿命の出会いを果たしニュータイプとして覚醒する珠玉のエピソード、ってもまあこれからの話数はどれもこれのが珠玉なんだけど、それにしても過去に山ほどのエピソードを積み重ねて来てもこれまで、1度たりとも対面のなかったシャアとアムロの邂逅を、僕のよーに再放送ではなくってリアルタイムで見ていた人はどんな衝撃を受けたんだろー。ララアの登場にはハテナマークがつたのかな、こいつは誰だ? って。まさか後にあれほどまでに尾を引くキャラクターになるとは。「逆襲のシャア」に至るまで、2人は彼女に縛られ続けるんだから。

 カムランのよーやく発揮された男気を鬱陶しがるミライにビンタをかますスレッガー中尉のエピソードもこの回だったか。今の言葉でいうなら「フラグが立った」って奴でひとつ、ミライの中にスレッガーへの気持ちが灯りそれがやがて大きくなってそしてソロモン攻防戦でのスレッガーの死とゆー悲劇へとつながり群像ドラマを深いものにしてくれるんだ。誰が誰とどうなっていて、何が何とどうなっているのかさっぱりな最新の「ガンダム」に比べてこのシンプルさ、でもって奥深さ。なるほどやっぱりファーストは凄いと原理主義者は言うのであった。「ええい、ホワイトベースはいい、ガンダムを映せガンダムの戦いぶりを」。「白いモビルスーツが勝つわ」。名セリフもこの回だったか。今見るとララア、案外に大人っぽい。したたかそう。幾つになっても発見のある作品ってことで。

 よくやった、と言えば言える試合だったんだろー「コンフェデレーションズカップ」の日本代表vsブラジル代表戦は日本代表の加地亮選手がオフサイドにされたもののゴールにボールを叩き込んだシーンに始まり大黒選手のクロスを滑り込みながら中村俊輔選手が押し込もうとしてカバーに入ったディフェンダーに弾かれたシーンとか、クロスを大黒選手がヘッドで押し込もうとしてキーパーのマルコス選手に弾かれたシーンとか、惜しい場面の続出でそれらが全部決まっていたら5点だって取って見かけ上は勝っていたかもしれない。

 ただ一方でブラジル代表はそれらに倍する惜しいシュートを上にふかしたり外したり、キーパーの正面に飛ばしたりしていた訳で、そんなシーンを続出させるくらいに凄い攻撃陣が日本のディフェンスラインを自在に攪乱している様を見るにつけ、やっぱり次元が違うと感じこれで最後が同点だからといって悦んで良いわけないと悩み沈む。誰だっけロビーニョだったっけ、横に7人くらい並んだ(セブンバックかい!)日本のディフェンダーの波を、例えるならしりあがり寿さんの漫画「流星課長」に出てくる課長さんが満員電車の中を自在にすり抜け空席に飛び込むが如き動きでもって、かわしかきわけ進んだりする様の何とゆー凄まじさ。同点でも良いチームならではの余裕も垣間見られた訳で、それがロスタイムの大黒のヘッドを許す油断にもつながったんだろーけど、勝ちを本気で取りに来てたらきっと前半で勝負が決まるくらいの点を日本は許していたんじゃなかろーか。

 その意味でもディフェンス陣の強化は急務でボランチとの間が空き中盤が間延びする現象を防ぐ統率されたディフェンス網の構築なり、サイドからの突破を許さないディフェンスの投入としったより強く、より堅くなるための施策をやっぱりジーコ監督には取って欲しいところなんだけど、それが出来ればとうにやってる気もしないでもないからなあ。まあまるで将来性の見えなかった加地選手がこの数週間でなぜかみるみる進化(それは横に中田英寿選手がいたからなんだろーけど)して来たのを見るにつけ、反対側の人もあるいは進化するかもしれないんでそのあたりを見極める意味でも8月の、東アジア大会は注目の試合になりそー。中田選手は出てくれるのかなあ。出ないと加地さんまでも元に戻ってしまうからなあ。両サイドを使えるボランチ陣の投入に期待するか。誰がいる?

 あはははー間抜けー。情報セキュリティの強化を率先してやって情報セキュリティ商品の売上を伸ばそーと画策して2月に「企業機密管理宣言」なんてものを出した三菱電機が率先して機密情報を漏洩してしまっていたことが判明。こーゆーのを頭隠して何とやらってゆーんだろーか。説明によれば社員が仕事につかっていたハードディスクを会社から持ち出し自宅のパソコンにつないで作業をしていたところ、おそらくは自宅のパソコンに進入していたキンタマウィルスか何かによってデスクトップにおかれていた機密情報が、Winnyのネットワークに勝手に流れだしてしまったらしくて、それが原発にも関わるものだったから新聞が取り上げ大騒動になったため、会見をやって経緯なんかを説明した。

 会社によれば漏れた情報は発電器の保守点検に関わる作業報告書であって、新聞なんかがかき立てたみたいに原発に進入されて核物質なんかを奪取されてテロなりに利用されるって恐れはゼロに等しい確率でなさそーなんだけど、そーした安全面への影響以上に手前の所で情報セキュリティ製品を売っていながら、手前のところの情報セキュリティがすかんすかんだったことが白日の下にさらされて、今後のビジネスに影響なんかを与えそう。お前んところが使いこなせない商品なんか買えないぜ、って感じに。けどそこは社会正義を旨とする日本のメディア、明日もやっぱり「原発の安全性」なんかが報道のメインになって、これからのビジネスに大きなプラス効果をもたらす情報セキュリティ市場での、地位への影響なんかを語るところはないんだろーなー。本質を見極めず情動に走るメディアに来る未来はいかなるものか。遠くない将来に結論は見えそー。


【6月22日】 クマクマクマクマ逝ってクマ。あそこでどーして水野選手に代わって兵藤選手を入れるのか。平山選手へのクロスに期待をしたってゆーけど突破できず詰められ後ろに戻したボールにつめられスローインへと持ち込まれ、それを送り込まれスルーを出されて決められ失点して敗戦ってゆー、逆の意味でとっても大きな役割を果たしてしまった選手を投入してしまった責任はひとえにやっぱり監督にある。

 緊張感漂う終盤で守勢に入るのは絶対にダメで、積極果敢に攻め上がらなければ奪われ放り込まれるなりして負けるって、93年の「ドーハの悲劇」が証明しているにも関わらず、フォワードのチェックを受けてる選手にバックパスをするってゆー消極的な、ってゆーか危機意識のやや欠けたプレーを選んでしまうのは、そーゆープレーが失点から敗戦となって明日の給料来年のポジションに影響するプロの世界の洗礼を存分に受けていないからって言えば言える。そーゆープレーをする可能性がこれまでの3試合でほの見えていたにも関わらず、一筋の信頼にかけて結果裏目に出てしまった訳でやっぱり送り込んだ監督に責任を大半を求めて当然って言えるだろー。

 これがプロに揉まれた本田選手だったら? 水野選手がそのまま残っていたらどうだった? 思えばキリがないけど少なくとも今になって「検証しなくては」って言っていること自体が問題外。なので来年再来年には始まる北京五輪のチームには、的確なセレクトと起用が出来る人の投入を望みたい、って誰がいるんだろう? 湘南ベルマーレを今は率いている上田栄治さんが「なでしこジャパン」を率いていた時みたく、あらゆる試合に足繁く通って選手を見極めつつ、相手の出方を緻密に分析して的確な作戦を授ける行動力と知力を持った人が欲しいけど。

 広江礼威さんの「翡翠峡奇譚」の2巻を買ったら話が終わってた。すでにして尻切れ蜻蛉で終わった過去を持つ作品ではあるけれど、折角の再刊に当たって何かしらの手直しがあるかと思ったらこれがゼロ。巻末のおまけ漫画で「なんだかいろいろあってェククルカンと脇坂君はナチの野望を打ち破り、幸せになりました。めでたしめでたし」ってその後が登場人物の某から明かされてはいるものの、その登場人物がお話の中で登場したのはわずかに1ページしかなくって、ククルカンとかグルマルキンとどんな絡みを見せたのかも明らかになってないのは心残りも甚だしい。

 その登場人物、川島芳子がもし順調に連載が続けられていたんだったら、果たしてどれほどの女爆裂キャラぶりを見せてくれたのか、それはグルマルキンは言うに及ばずレヴィやロベルタやバラライカすら上回るキレっぷりだったのか。目つきの悪さはレヴィ以上だし、刀を手にしたたたずまいはアフガン帰りの猛者を従え君臨するバラライカすら上回る威丈夫ぶり。広江キャラでも屈指のアブなさを漂わせている。

 そんな彼女が刀振り回し大暴れするシーンを見ずして「翡翠峡奇譚」は追われないんだけど今の広江さんの絵では描くとククルカンもグルマルキンも川島芳子もレヴィの如き表情で、呵々大笑するキャラになって見分けが付かなくなるから仕方がない。想像でもって物語を描き脳内モーフィングで後書きマンガへとキャラをつなげて予告された「めでたしめでたし」な物語を妄想することにしよー。「鉄腕バーディー」みたく描き直す余裕なんてあるわけないし。7月は19日に「ブラック・ラグーン」が発売。やっと4巻かあ。

 「HAMACON2」に入金する。日曜日とかどーなるか分からないけどとりあえずは言ってうろうろとしていよー。ライトノベル関係だと水野良さんが「ライトノベル作家座談会 〜僕たち、メッタ切りにされちゃいました!」ってのを用意しているみたいでメッタ斬った人が出るかは不明ながらも「これまであまりSF大会に来られていないライトノベル作家の方に、鋭意出演交渉中」だそーで誰が出るのか楽しみにしつつ後ろの方からじっと見物していよー。それにしても一体誰が出るんだろう。元祖の誉れも高い平井和正さんか? だったらサインしてもらうのに。

 ホール企画だと「押井守、『立喰師列伝』を語る!!」が面白そう。5月に東大の公演で姿は見かけたけれどあのときはもっぱら「戦争」について語ったくらいで映画についてはあんまり語ってくれなかったんで、実写と一応はなっていても「アヴァロン」以来のデジタルも織り交ぜた映像がいったいどんな形になって「立喰師」の世界を描いているかを目の当たりにしてこよう。壇上に屋台を持ち込み立って蕎麦を喰いながら語り合ったら楽しいなあ。あとはやっぱり「サクラ対戦 〜〜桜坂洋×桜庭一樹〜〜」か。同じライトノベル系の作家ってこと以外に、傍目には作風でもレーベルでも通項のない2人が何を語り合うかに興味。桜庭さんが拳で語り合おうとし、桜坂さんが格闘ゲームで語り合おうとするコミュニケーションのギャップが見られるか。注目だ。後桜庭さんが眼鏡を当日かけて来るかにも。

 「前田建設ファンタジー営業部 特別プレゼンテーション 空想科学と技術の距離2」ってのも良いなあ。去年の岐阜の会場に負けず不思議な形をした建築物の周囲に多い会場だけに、そこを拠点にどんな不思議な秘密基地を押っ立ててくれるかに興味。そうそう「星雲賞」の授賞式はいつなんだろう、オープニング? だったら行こう行って誰が取るかを観察だ。それと副賞。去年は岐阜提灯だったっけ、今年はいったい何だろう、横浜だからシウマイか、巨大な、食べられる、でも腐る。夜の洋上クルーズ「ドンブラコン」は星雲賞を取る人の顔ぶれとかによるかなあ。「SF書評を楽しもう!」? 寄ってまな板の上の鯉さんたちを眺めるか。


【6月21日】 マイトガイは健在なり。1955年に映画界入りして56年に川島雄三監督の「飢える魂」で銀幕デビューを果たしてから半世紀。今なお歌に舞台に活躍し続ける小林”マイトガイ”旭さんが芸能活動50周年を記念して「マイトガイレーベル」を設立するってんで記者会見に行ってまずは去年の10月に「東京国際フォーラム」で開かれた50周年記念コンサートの模様を収録したDVDを鑑賞、いやあ上手い。デビュー当時は若さでもってハイトーンな歌も唄いこなせていたけれど、66歳になってもそんなハイトーンぶりを保ちながら数々の名曲を唄い上げている映像の格好良さに目を見張る。

 AGFのコーヒーのCMでお馴染みだった「熱き心に」なんてあれでサビの部分は結構高くなるんだけどそれを何の苦もなく唄いこなしてみせる歌唱力。映画スターとしてデビューしながらプロの歌手だって難しい曲をいとも簡単に、それも独特の節回しでもって歌ってしまう偉大さこそがなるほど昭和を代表するスターでありまた21世紀の今もなお存在感を持ち得ている”マイトガイ”の”マイトガイ”たる由縁なんだろー。DVDには最新の曲「翔歌」ってのも入ってて、阿久悠さんの詞に宇崎竜堂さんの曲が奏でるメロディーも歌詞も心に染みて泣けて来る。これをコンサートで聴いたらきっと号泣なんだろーな。そんなコンサートが9月から順次各地でスタート予定。行かねばサンプラザ中野、行かねばNHKホール。

 そうこうするうちに時間となって我らがマイトガイ登場。ダブルのダークスーツにブルーを基調にした派手なネクタイのたたずまいは、「クールビズ」とか言いつつその実しょぼくれた格好しか出来ない日本の平成のおやじどもに渇を入れて「手前らもっとしゃきっとしやがれ」って言ってる様。どんな時でもダンディーさを失わず、格好良さを追究し続けるからこそのスターってこれが奴だろー。あやかりたい。けどその為にはどんな暑さにも冷房を強めるなんて無様な対応をしない、夏の暑さすら超える「熱き心」が必要だ。頑張ってマイトガイになろう。でもって夏の暑さを吹き飛ばそう。無理だろうけど。弱虫だから。

 さてもそれにしても「マイトガイ」。言われれば何だか気恥ずかしい名称だけどそこは1958年の「ダイナマイトが百五十屯」からマイトガイと呼ばれ続けた男だけあって「いまさら照れてもしょうがない」って言って自ら「マイトガイ」と呼ばれることを認め任じる潔さ。これこそがなるほどマイトガイ。今仮に存命ならば石原裕次郎さんが「タフガイ」と呼ばれ続けることを受け入れただろーか。「タフガイレーベル」なんてテイチクから離れて自分のレーベルを立ち上げただろーか。ないだろー。そこがどこかお上品さを失わなかった石原裕次郎のお仕着せっぽいニックネームと、内より染み出る熱さが呼ばせたニックネームとの違いって言えば言える。流石はマイトガイ。だったら未だに「ジョー」と呼ばれて平気の平左な宍戸錠さんはアッチッチ? バラエティ番組で「ファンファン」と呼ばれて悦に入ってた岡田真澄さんは超クール? かもなあ。熱いしクールだもんなあ2人とも。ちなみに「ダンプガイ」は二谷英明さん。もはや誰も読んでない。呼べないよねえ二谷友里江さんのお父様を「ダンプ」なんて。

 あの幻冬舎から文芸誌が登場。その名も「パピルス」って文芸誌には「福井晴敏氏の最新書き下ろし『インベーダー』をはじめ、あさのあつこ氏、乙一氏、川上弘美氏、豊島ミホ氏、大崎善生氏の今まさに読まれるべき読み切り小説」が掲載されてラインアップ的にはまあそんなに悪くはない。けどなあ、巻頭の特集が中山美穂さんってのはどうしたものか。「約2年の沈黙を破った中山美穂さんの物語を、グラビア、ロングインタビューを通して読者の方々にお届け」するんだそーでなるほど辻仁成さんとの結婚からしばらく表舞台から姿を引っ込めていた中山さんが、今ふたたび登場ってドラマはあるけどそれを文芸誌でやられても、文芸の読者としてはちょっと困ってしまうのです。別に読みたかねえよ今さら辻の嫁さんの話など。

 これがアイドル全盛期の中山美穂さんだったら文芸アイドルの作家を読みたい若い層の気持ちをちょっぴりズラせば楽しめたかもしれない。「ダ・ヴィンチ」じゃないけど彼女のコメントが文芸への興味をかきたてるフックになって相乗効果を招いたかもしれない。かつての「月刊カドカワ」が時のアイドルだったりアーティストだったりミュージシャンだったりを取り上げ話題を作った記憶がそれを証明している。けれども今の中山美穂が何を語ったところでそれが乙一ファン、あさのあつこファンの気持ちに重なるとは思えない。きっとそんなことくらい、作り手だって分かっているんだろーけどあえてやってしまうあたりに「月刊カドカワ」を成功させた体験を引きずりつつ、辻仁成さんとの関係に引っ張られているっぽい偉い人の判断力の揺れを見てしまう。

 コラムも中谷美紀さん中田英寿あん村上龍さん乙武洋匡さん、だもんなあ。中田選手は良いとして他の方々の何に期待すれば良いんだか。木村カエラさん表紙で真鍋かをりさんコラムとは言わないけれど(あからさますぎるし)、もーちょっと時代の半歩先行く手腕って奴を幻冬舎には期待したいよなあ。それをやらずに半歩遅れつつふくらみかけた市場を一気に刈り取る手法でデカくなった会社だからまあ、仕方がないって言えば言えるのかもしれない。安野モヨコさんに伊坂幸太郎さんが入ってるんだから後、三浦しをんさんくらいは入れて欲しかったなあ。ともあれ28日の創刊号に注目。ミポリン脱いでたら買う。かも。ね。


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