縮刷版2005年2月上旬号


【2月10日】 ジーコは「ウイイレ」か何かで見たことがあるしベッケンバウアーは去年の12月にW杯独大会のPRに来日した時に記者会見で対面して、20世紀のサッカー界を飾った名選手のトップ20に入って不思議のない選手のリストを着々と埋めている感じだけどこのチェック済みリストに今日、また新たな名選手が加わった。その名はサー ボビー・チャールトン。あの”赤い悪魔”こと「マンチェスター・ユナイテッド」で長年主軸として活躍し、イングランド代表としても1966年の優勝に大きく貢献した 偉大な人物。”サー”の称号を持ってるってだけでその凄さも分かるんだけど、そんな人に見えることが出きるとあっては行かない訳にはいきません。

 ってことでかけつけたオリエントコーポレーションとマンチェスター・ユナイテッドとの提携カード発行の発表会見。現れたボビー・チャールトンは好々爺然としながらも背筋はまっすぐで眼光もしっかりとして足取りも強く、流石はアスリート出身と感心する。もっとも引退してから横幅が2倍3倍5倍になってしまった選手もいるからアスリート出身といえどもすべてが素晴らしいって訳じゃないんだけど。思考にちょっとばかし不具合が見てとれない某国代表監督もいらっしゃることだし。

 それにつけてもサー・ボビー。昨日の日本代表と北朝鮮代表の試合を語りマンチェスター・ユナイテッドのリーグ優勝の可能性を語り、といった具合にことサッカーに関するトークになると止まるところを知らず通訳の人もどうしたものかと困り顔。カード発行のあとに奥寺康彦さんを招いて行われたトークショーでもチェルシーを追い掛けるプレミアリーグについて「残りを全部勝てば優勝は可能」と言い、昨日の代表の試合で印象に残った日本選手を聞かれると懐からメモを取りだし「サントス、中澤、小笠原、遠藤」の4人を上げて力強いプレーヤーだったとほめあげる。

 気になる選手がいればそれをサー アレックス・ファーガソンに伝えることがマンチェスター・ユナイテッド取締役としての務めだそーであるいは前回、英国行きが出場数が足りずに壊れたアレックス選手あたりを招くなんてこともある……訳ないか、ギグスを押しのけアレックスがマンチェスター・ユナイテッドの左サイドに入るくらいの選手なら、2人に囲まれたって北朝鮮のディフェンスくらい置き去りにしてどんぴしゃりのクロスを鈴木隆行選手か高原直泰選手にあげてるよ。中村俊輔選手が上がらず遠藤保仁選手が上がったのは意外。2部で頑張る稲本選手の代わりに先にプレミアのスターになれる? かも。

天皇杯より古くナビスコカップは猫またぎ。高い値段を払ってでも欲しいFAカップが今目の前に。アーセナルなき今やっぱり赤い悪魔の手に留まる?  試合については「本当にエキサイティングだった。日本は北朝鮮の体系的なプレーに最初は戸惑ったのではないか。北朝鮮の選手はマークをしっかりしてボールに寄せて来る。ただ日本はそうしたプレーにも柔軟に対応した。だから逆転も起こったのだ。北朝鮮は同点に追いついてから守勢に回ってしまった。そのツケが最期に出た」って見解。なるほどしっかり見ています。「楽しんでもらえたかな」って得意がる代表監督よりも冷静に。ただ「EURO2004のギリシャみたいに体系的な守備を行えば有力ではないチームでも勝てる」って守備の大切さも説いていたんで、その辺りに気に掛かった所があったのかも。それでも「ドイツに行くと確信している」と有り難い御言葉。行けると今はまだ信じているけどでも、やっぱりアウェーでのイラン戦が気になるところ。HISの弾丸ツアーは売り切れちゃったみたいだけど日本旅行とかからも発売されてるし、やっぱ行くしかないのかテヘラン。行きたいなあ。

 会場にははるばるマンチェスターから海を渡ってFAカップが登場。したけどそのピカピカ具合からどうやらリアルに受け継がれているものではなくって、こうした移動して陳列する時用に作られている一種のレプリカだった模様。それでも目の前で世界で最も歴史のあるカップを見られるって機会はないんで、近づいて持ち上げたかったけどガードの人がいたんで諦める。でもサー ボビー・チャールトンは重たいカップを手にして結構な時間を記念撮影に応じていて、それを警備の人もとがめ立てはしなかった。流石はサー。英国でも1番か2番くらいにもらい慣れて持ち慣れているんだろーから安心していたのかな。黙って近づいて持ち上げちゃえば良かったかな。でもって夜明けを四谷警察署の留置場で迎えると。

 そっか「TEPCOマリーゼ」って名前になっていたのか元「YKK AP東北女子サッカー部フラッパーズ」から東京電力へと引き渡されたチームは本拠地も宮城県から福島県の「Jビレッジ」へと移動して、バックアップ態勢はゴージャスになったけどチームそのものがどーなるのかが心配だったけど、出来上がったサイトは妙に重たいことをのぞけばシンプルでスタイリッシュで、ブルーを基調に明るいイメージを持ったものになっていて、華やかさが信条の女子サッカーらしさが現れていてこれならチームも明るくって華やかで、なおかつ強いチームへと仕上がって来てくれそー。

 三陸のハードな海に面した場所にあって同じ海でも南海のソフトなイメージを持ったイルカをエンブレムに使ってしまうあたりがなかなかに前向き。ユニフォームは流石にスカートって訳にはいかないけれど(当たり前です)「ピッチに映える、マリーゼブルーとマリーゼゴールドのコンビネーション。ドルフィンと王冠をモチーフにしたキュートなエンブレムを胸にあしらって。 かっこよくて、強くて、可愛くて、もちろんおしゃれであること」をテーマに「これからの『女子サッカー』のあるべき姿を体現したユニフォーム」って言っているから見れば目にも鮮やかなブルーとホワイトのユニフォームに身を包んだ美女たちを、春には目の当たりにできるんだろー。期待大。3月19日に去年のリーグチャンピオンの「さいたまレイナスFC」との練習試合がJビレッジである見たいで是非に行きたいけれど翌週がイラン戦だからなあ。福島に行くかテヘランに行くか。うーん悩む。「強くて、可愛」いユニフォームに身を包んだ大部由美ちゃんが見たいのに。


【2月9日】 鈴木杏ちゃんを見物に行ったらセガの会見がついて来た。逆だ。セガが何だか新しいネットワークのサービスを始めるってんでてっきり、ゲームポータルか何かかと思って六本木の会見場へと駆け付け見ると一種のコミュニティサービスをスタートさせるって内容で、中身を見るとアバターを使った自分のアピールとそれから友達機能を使ったソーシャル・ネットワーキング・サービス、日記を公開してコメントを付けてもらうブログにオンラインゲームとか映像とかってコンテンツが就く、ショックウェーブとミクシィとカフェスタとBBゲームスが重なったよーなサービスだった。つまりは流行っている奴の美味しいどころどりって感じ。

 いわゆるコンテンツ作りには一日の長はあるセガだけど、ゲームばっかり作っていても限界があるって感じたのかそれともオンラインゲーム事業を展開する中でコミュニケーションこそがエンターテインメントだと気付いたのか、どちらなのかは分からないけどとにかく時流には乗っている。もっともいくら豪華な建家を作ってもそこに人が住まなければ宝も単なる持ち腐れ。そこで鈴木杏ちゃんを使ってCMなんかを流すみたいだけど某ブログで真鍋かおりさんがあれやこれやとタダナラヌことを書いてはファンの関心を集めたよーなことを、杏ちゃんがやってくれるかどーかまでは分からないのが微妙なところ。小口久雄社長が参加してくれていてもそこはお金を山ほど持って自分で自在に動かしているホリエモンとは立場が違うからなー。

 後発だけあって美味しいどころの取り方はなかなか達者なもの。「ミクシィ」だって単なる言葉の交流だけなのに酷いと1日に2時間3時間と滞留していたりする訳で、そこに無料で遊べるカードゲームとか占いとかが加わった日には1日だって漂っていたくなりそー。そーした魅力は魅力としてもやっぱり最期のものをいうのはそこに誰がいるってことで、鈴木杏ちゃんは客寄せとしてそれなりに自分の周辺でコミュニケーションを取りたい人の大勢集まって来てくれた暁には、「セガリンク」に顔を出してあげても良いかな。

 って考える人ばかりだと誰も最初にはいかずいつまで経っても閑古鳥。なのでとりあえず5000人のクローズドベータテストが始まるんで応募してみるか。杏ちゃんと仲良くなりたいし。CMに起用されたってことで会見に登場した杏ちゃんは「六番目の小夜子」の後にちょっぴり物理的視覚的に丸くなっていて、このままバルーン化してしまってどこかに埋もれてしまうのかって心配したけれど、「花とアリス」だったっけ映画なんかにいろいろと出て、ハードな舞台もこなしている関係で今日見た彼女は前のよーなくっきりとした目鼻立ちを持ちそれなりに成長して大きくなった体躯を持った美少女へと成長を遂げていた。いや良いものを見せてもらいました。そんな彼女とチャットなんかしやがってダーツなんかに誘っていやがった小口久雄社長に毒念波。じぐじぐじぐじぐ。

 狙いはなるほどガタイの巨大な電波メディアなんかじゃなくって情報への優先的なアクセスを既得権益として持っている新聞メディアの確保ってことになるのかどーなのか。切込隊長の見解によれば戦いが長引けば長引くほど調達した金が塩漬けになって利益が逆に逃げていく感じになって疲弊が進むライブドア。かといってフジテレビもいつまでも喉元にトゲのささったままでは鬱陶しい、だったら手元で持ってる株をニッポン放送に代えて渡してやるから産経新聞を持っていけ、ってことになるっぽい。

 なるほどこれが読売新聞グループだったら上にあるのは読売で日本テレビが読売の株なんて売ろうにも売れず縁なんて切れないし朝日だって同様。ただテレビを持っている意義は大きいってことでテレビ朝日が買い占められた時はルパート・マードックからテレ朝株を引き取った。その逆となるフジテレビの場合は果たして新聞というメディアを”傘下”に持っている価値がテレビにあるかって部分で他が持っているから持っていて悪くないって意向もあるだろうし、以前だったら電波行政を行う筋とのコンタクトって部分は長年の歴史を持つ新聞メディアが担ってた。”波取り記者”って言葉が実際にあるくらいだし。

 けど時代も流れて自前で政治と突き合うよーになった民放が、そーした政治的行政的な役割を別に担ってもらう必要が果たしてあるのかって所が鍵となりそー。あるって考えれば持ち続けるけど重荷と思えばうち捨てて独立独歩、ニッポン放送と全国キー局の取材網を使えば全国紙とは言いつつも全都道府県をカバー仕切れてはいない産経新聞に本業の部分で頼る必要もなくなったって考えればなおのこと、切り離して持っていってもらうってシナリオも決して絵空事じゃなくなって来る。

 情報ポータルとして強化していくために作った「ライブドアニュース」ってところがホッしているのは情報にアクセスできるルートであって、それは霞ヶ関あたりの取材網では新聞に譲るテレビ局である必要はないんだよね。映像が欲しければ記者にカメラを持たせて行かせれば良いだけのこと。テレビのようなクリアな映像なんて求めないから、むしろその方が機動力も上がる訳でそーした方面を狙いつつ今は巨大なブラフをかまして柿が熟して落ちてくるのを待っているのかもしれない。ともあれこれからの展開とりわけ紙媒体の対応に注目、ってますます他人事じゃなくなってきたけど切込隊長は売られるのは産経と扶桑社って限定しているからなあ。フジサンケイビジネスアイ? 宙ぶらりん。それか沈没。

サッカーが好きなのか代表が好きなのか騒ぎたいのか暴れたいのか……分からない人たちも間もなく消えるでしょう独に南アを逃したら  インタビューしたけど川淵三郎キャプテンが一見さんに融通を利かすはずなんかありえず「埼玉スタジアム2002」へと向かうことは早々に断念。代わりに前回2002年のワールドカップの時と同様に国立競技場で開かれることになった日本代表対北朝鮮戦のパブリックビューイングを見物に行く。メインスタンドが改修中ってことでバックスタンドとビジョンの反対側に位置するゴール裏を開けたイベントは最初こそほどほどの入りだったけど試合が始まるころにはほとんどびっしりの状態で、日本代表へのファンってのがこの国にはまだまだ蔓延っているってことを実感させられる。代表しか応援しないって奴らのことね。

 それはまあそれで良いんだけどこーゆー人たちって例えば日本代表がワールドカップに出られない時期がしばらく続くとやっぱり離れていってしまうんだろーかと懸念。いや別になくなってくれても全然構わないんだけど、代表の凋落がサッカーの凋落とイコールで考えがちなメディアへの影響なんかも考えるとやっぱり代表にはそれなりのバリューを持ち続けてもらわないと困ってしまう。

 単独インタビューした川淵キャプテンによれば少なくとも今のJリーグについては例え代表がワールドカップに出られなくっても人気にほとんど影響はないってことでそれは川淵キャプテンがリーグのチェアマンとして尽力した地域密着がほどほどに出来上がっているからだってことなんだけど、代表がそれなりの地位を保っているからこそサッカーへの関心が継続的に盛り上がってリーグへのファンの導入にも少なからず繋がっているってことを考えると、代表がいつまでも弱いってのはやっぱり困る。車の両輪のひとつとして代表にはそれなりな強さを維持してもらいつつ、一方でリーグの人気も高めつつ代表を応援している自分に酔っぱらうよーな輩ではなくサッカーを見ること選手を応援することをまず第一義に考えるファンの層の拡大に、寄与してもらいたいものだけど日本じゃそーゆーのってやっぱり難しいのかなあ。

 とゆーか強い代表って前提がそもそも崩れそう。北朝鮮戦は早々に小笠原満男選手のフリーキックで1点を先取したのは良いものの。プレスをかけ奪うと即座に全員が前へと走りだしては日本陣内へと攻め込む北朝鮮の頑張りにディフェンス陣がおたおたとして逆襲をかけられず、余裕があってもそれは最終ラインだけのことでそこでボールをゆったり回しているうちに北朝鮮に守備を固められ、中央からもサイドからも攻められない状態へと突入してしまって追加点がなかなか奪えない。前半はそれでも何とか押し切ったものの後半に入って先取を代えて攻め足を速めて来た北朝鮮に中央からサイドへとふられてそこからドカン。川口能活選手は逆を取られた形で止められず鮮やか過ぎる1点を決められてしまう。こーゆー攻めが見たかったんだよ日本代表に。何で出来ないんだよ日本代表は。日本代表だから? ごもっとも。

 しかし本当に走らない日本代表。足下でもらったボールを前へと出したら選手はそこから動かない。もらいにいくって動作がないからウェーブがかけられずオーバーラップにもならず畳み込むよーな分厚い攻撃がまるでかけられない。1回放り込んで外れたら終わり。奪われて返されて戻って奪い返してそこからよたよたと組み立てよーとすると詰められ前へと出せないサイクルが続いて見ていて心底イライラする。後半に入って俄然動きが良くなったのは中盤でのプレスが減ったことと、あとやっぱり中村俊輔選手が自分で動いてボールをもらいに行きまた出してもそこに留まらず左右に走ってボールを引き出すよーな動きが出来ていたからで、これは海外組が海外に移籍できた理由にもなった持って生まれた才能ってよりも海外の厳しい環境でプレーしたことで培われ磨かれたプレーの質的変化ってことだと言えそー。

 ジーコ監督もこれを見るとやっぱり海外組って思うかもしれないけれど日本でだって北朝鮮がやってたラン&ガンなプレーが出来ているチームがある訳でそこから選手を呼ぶなり自らそーゆープレーをさせるなりしないと、平壌では圧倒的なアウェー環境の中で萎縮させられたところを縦横無尽に切り裂かれてしまうことになりそー。大黒選手の間髪をいれない振り向きざまのシュートで救われた感もあるけどこれとて崩して取った得点にはほど遠い。ハラハラドキドキは今年も夏まで続きそう。重要になって来た次のイラン戦。やっぱり行くかなあ、弾丸で。


【2月8日】 夏だ男女だイベントだ。ってことで沖田雅さん「先輩とぼく4」(電撃文庫、578円)は肝試しから始まり夏休みのお泊まりに海水浴に花火大会といった具合に続くイベントの中で、男の子だけど女の子になってしまったはじめくんに、女の子から男の子へと乗り換えたつばさ先輩が変わらないちょっかいを出してははじめくんを困らせ焦らせる展開の面白さを楽しめる。

 得体の知れない輩が大活躍した前の巻とは違って今回ははじめくんとつばさ先輩の2人の関わりが中心になってて笑えるけれどもしっとりとした感じ。ラストの先輩のどうしてこんなにはじめくんをイジるのかって理由の独白とか、聞き捨てならない言葉もあるけどそんな基本の設定はすでに記憶の彼方にあるんで、これからも微妙な年頃の女の子(中身は男の子)のもだえ悩みつつも前向きに生きる姿を読ませてやって下さいな。しかしそれにしても気になるたった2人での家での夜。何かやっぱりあったのか?

 他人事として見るならネット企業と既存メディアとの融合ってのはAOLとタイムワーナーとの連合って例が過去にあって、だからライブドアがニッポン放送の株を買って業務提携をして関係を深めたいってゆー狙いを健康的に解釈すれば、生まれた新しいメディアが取材網なり企画力なりといった”コンテンツ”を持つ企業と連携することによって新たな価値を生み出そうってゆー、とっても分かりやすい構図でしかない。ニッポン放送だってネットには早くから取り組み独自の展開をしているけれど、それが果たしてどこまで一般性を帯びているかというと難しいところ。むしろネット界隈で集客力を誇るポータルサイトが窓口となり、ニッポン放送側のコンテンツをネットの海へと出すような関係が出来れば、そこに新しくって大きな情報のコロニーが出来上がる。

 AOLとタイムワーナーの連合はAOLの使い勝手が思いの外に悪かったからかネットにぶら下がった山ほどのユーザーに対してワーナー側のコンテンツがリーチできていなかったってゆーか、リーチさせるための機能がうまく働かなかったってゆーか、目立ったよーな成果は挙げていないけれど、タイムワーナーのIT戦略にそれなりにAOLのリソースも生きたって好意的に推測できない訳でもないんで一概に失敗だったとは出来なさそー。むしろ当時よりネットを利用するにが増え、ネットのプライオリティーも高まっている現代は融合がむしろ不可欠になっていて、その意味で大手マスメディアとネットとの連携はどっちにとっても大きな意味合いを持って来る。

 気になるのは堀江貴文社長の本気度って部分。過去にテレビ朝日株がルパート・マードックによって買い占められた時は、半分は日本のメディア市場に参入を希望しつつも法制度が壁となることも承知だったろーから半分はソフトバンクなんかも巻き込み展開していた「J−skyB」の展開を有利に進めるための手段だったよーな記憶がある。仕上げはご覧じろ。慌てた日本のメディアが買い上げマードックは傷を負わず衛星放送は先行の「ディレクTV」を蹴散らし「スカイパーフェクTV」として生き残って発展中。大きな戦略の中の1手だった訳だけど、今回はそーした裏であれこれ画策した上での揺さぶりって感じが表からはあまり見えない。もう単純に、明快に、純粋にメディアとしての価値をあげるには既存メディアとの連携が不可欠って認識から動いているよーに見える。

 もっともそーと見せかけ別に何かを狙ってるって可能性を否定するのはまだ早そー。純粋な想いは想いとしてもそれに800億円とかってゆーお金を供給する側があるものだろーか。想い入れでお金が集められてメディア企業が帰るなら堀江さんより前にやってて不思議じゃない企業なり経営者がたくさんいる。けど誰も手を出さなかった。やってもメディアは思い通りには動かし難いって想像が働いたのかもしれないし、メディアの側からの反攻があるかもって想像が働いたのかもしれない。

 そーした有形無形のプレッシャーを純粋な想いで跳ね返せるか。ファイナンスに応じた側に別の意図があってそれが描いた絵の上で役割を演じてみせている可能性はないのか。揺れ動いた果てにそれぞれが利を得た上でとりあえず、おさまる所に収まるって展開に至る可能性はないのか。とまあ想像すればいくらでも想像は働くけれど会見なんかで喋っている顔を見ればこれまでの、野球への参入に競馬への参画にネット証券への参入といった”本気”な行為の延長線上にあって、より自社のビジネスに近い部分での大きな一手だと言って言えなくもない。とりあえずはその動向に注目したいところ。それから受けて立つメディア側の”これから”を見据えた上での判断にも期待したいとおろ。ってだから人ごとじゃないんだけどね。もうホリエモンとは呼べないのかなあ。

 ティラノサウルス・レックスの 「スー」といったら他に類をみないくらいに有名な恐竜の化石で、サウスダコタで掘り出されたものの所有権を巡って掘り出したブラックヒルズ地質研究所から運び去られてオークションにかけられてしまった挙げ句に、シカゴのフィールド博物館が10億円くらいで買い取って展示するよーになったってゆー数奇な運命を持っている。その過程は日本でもテレビのバラエティで取り上げられたりしたから結構な人が知っていて、あわせてブラックヒルズ地質研究所のピーター・ラーソン所長って人の名前もそれなりに業界では認知されているって思っていたんだけど、どうも事情は複雑怪奇な様子。

 3月に「国立科学博物館」で開催される「恐竜博2005」ってイベントの会見があったんでのぞいてそこで、あの「スー」が日本に初めてやってくるって話を知ったんだけど、会見での説明では「スー」は、化石ハンターのスーザン・ヘンドリクソンって人が掘り当てたものでそれがオークションにかけられて、10億円の値でフィールド博物館に落札されたって経緯だけしか語られなかった。ブラックヒルズ地質研究所のラーソン所長の裁判も含めた活動も説明がまるでなし。聞いた人によっては化石を探して西東、渡り歩いていたハンターの美人女性が苦心の果てに掘り当てたのが世界最大のティラノサウルスの化石で、それをオークションにかけ10億円の大もうけをしたって印象を抱きかねない。

 想像するなら買い取ったフィールド博物館がラーソンたちブラックヒルズ地質研究所の跳梁を牽制し、邪魔なものだといって情報から完全に排除しよーとしているのかもしれないし、今回の展覧会でカウンターパートナーとなる国立科学博物館も、研究所と言うにはどこか山師めいた雰囲気もあるブラックヒルズの面々を話に混ぜると鬱陶しし、それを言い出すと折角の「スー」が借りられなくなるから向こうの言うままになっているって想像も浮かぶ。

 ここに主催者のひとつのテレビ朝日がのっかって、「美人化石ハンターが世界一のティラノサウルスを発見した驚きと感動の物語」なんてものをドキュメンタリーとして制作して、放送したらますます”真実”はカーテンの向こうへと行ってしまう。それとも伝えられているラーソンの話はすべて彼の作り話で、ヘンドリクソンが頑張って掘り当てたものを横取りでもしよーとした、なんて”真実”があったりするのかな。興行的には惨敗だったけどつい一昨年にはティラノサウルスの”権威”として、そして「スー」を掘り出した責任者としてラーソンに会って話を聞いた身なんで、今回の”情報操作”っぷりはちょっと気になるところ。会見に来ていた科学系のジャーナリストで気になった人っているのかな。

 ちなみに来るってゆー「スー」は全部が本物じゃなくって骨格複製とのこと。つまりはレプリカ。一部は来るってゆーけどそれだけを見にいくべきかどーかはちょっと迷う。でも行くんだろーな、どれだけ大きいかくらいは分かるし。ほかに中国で掘り出された羽毛のあるディロング・パラドクサス(皇帝竜)ってのやマダカスカルで出てきたマジュンガトルス・アプトスってゆー奴の全身複製骨格が世界で初めて公開あえるとか。共食いとしていたかもしれない恐竜の並んだ歯とかに注目、かも。


【2月7日】 そう言えば長いことソニー製品を買ってない。ゲーム機はともかくとして家電関係だと最後に買ったのは今も使っているトリニトロン管の21インチテレビくらい? それ以降に出た製品はパソコンも買ってなければデジタルカメラも買ってないしハードディスクレコーダーももちろん非ソニー製。なぜってデジカメはオリンパスを上回ってソニー製に魅力を感じなかったしパソコンは値段が高い割に使い勝手が悪そうだったし、HDDはやっぱり東芝が1番って選択肢があったから。敢えてソニーを選ぶだけの理由がそれぞれの製品に乏しかった。テレビだけはトリニトロン管が鮮やかで綺麗ってイメージがあったし実際に店頭で見ても鮮やかで、だから21型を買ったときも1万円くらい高かったのにソニーを選んだ。今なら果たして「VEGA」を選ぶのかとゆーと、きっと選ばないと思う。

 昔だったらウォークマンはやっぱりソニー製が良いんだろうなってイメージが、ハードのデザイン的にもあったしサイズや音質といった部分での性能でもソニーに一日の長があった印象がある。ラジカセもやっぱりソニーでトランジスタラジオもソニーでカセットテープもソニーだったら良さそうとか、そんなイメージが根強く刷り込まれていて選ぶんだったらまずソニー、あとは値段次第で他に選択肢を探そうってゆー消費行動が90年頃までは続いていた。それが今では家にソニー製品がテレビ以外はまるでない生活。このテレビが故障したら次はきっとシャープなり、サムソンの液晶に乗り換えるだろーから我が部屋からソニー製品はゲーム機(SCEI)を除いて絶滅する。

 高くても買わせるだけの魅力ってのがかつてのソニー製品にはあってそれは性能だったりデザインだったりしたんだけど、90年代に入って急速にそんなイメージが衰退してしまった。「週刊ダイヤモンド」の2005年2月12日号にそんなソニーの今の苦境が詳細にリポートされていて、読むと経営資源がてんでばらばらな方角へと巻かれて肝心の、ソニーの良さの根本だった革新的な技術開発とそれを使った製品作りとゆー部分に、遅れが出てしまった結果店頭での競争力がなくなって、価格を売りにせざるを得なくなって今の「安いソニー」ってイメージへと堕してしまったって指摘されている。悪いのは? やっぱりトップで旗を振るばかりで具体的な方向性を示せなかった出井伸之さんってことになってしまうのかなあ。

 「どちらも技術への造詣は深いが、自ら直接判断し、”手触り感”を持って陣頭指揮できるわけではなく、周囲の意見を聞いたうえでベストな選択をするスタイル」とゆーのが久多良木健・ソニー副社長の出井会長安藤國威社長評。「コンセンサスからユニークな技術は生まれない。要するに全社員に対して、今何をすべきなのかとうメッセージを投げ切れていなかったということ」と手厳しくって、これを本当に言ったのだとしたら出井会長安藤社長の不興を買って不思議はなさそー。だけど一方で久多良木さんに次代のソニーの核となる半導体部門を任せて差配させている以上はここで更迭して船ごと沈没って事態は起こりそうもない。「PS」にしろ「PSP」にしろ、ソニーの名を持つ製品で欲しいと思わせるものを作って来たのは久多良木さんだけだから、期待はしておいて間違いはなさそー。

 問題は突っ走りすぎる久多良木さんの思惑が次代を越えすぎていたり周囲を置いてきぼりにした挙げ句、消費者のマインドとうまくかみ合わなかった時だろー。久多良木さんが命運をかけれIBMなんかと開発しちる「セル」ってプロセッサーによってもたらされる状況もまだ良く見えていないだけに、その真価を問うのはまだちょっと早そう。とりあえずは5月に予定されている「E3」で次世代のプレイステーションがどんな性能や機能を持って登場してくるのか、そこで使われているチップが他にどんな可能性を持ったものなのか、でもってそれが世界に蔓延る可能性はあるのかって辺りを見極め判断したいところ。放言のし過ぎで安泰の座に揺らぎが招じていないことを祈ろう。

 イランに行こう。HISのW杯アジア予選イラン戦をテヘランで見る弾丸ツアーの詳細が発表。値段は12万9000円で行きは木曜日の深夜に羽田を出発して翌日にイランに到着。テヘラン市内を観光してから試合にのぞみその後すぐさま飛行場から飛行機に乗り日本には土曜日の夜9時半に羽田に到着するってスケジュール。サラリーマンも金曜日の1日を休めば行ける日程ってところに結構な数の参加者が期待できそう。飛行機に乗っている時間がいったい何時間になるのか想像もできないけれど、帰ってきても翌日は日曜日で1日ぐっすり休めるんで年輩者にも有り難い。

 値段が高いか安いかは判断の迷うところだけど二度とない試合ってことでこいつはちょっと乗ってみたい気が今はちょっぴり膨らんでいる。イラン入りにはビザが必要なんで頼むんだったら早めが良さそー。周囲の反応なんかを見つつ月内にでも動勢を決めよう。会社を辞めてゆったりのスケジュールで行く? それもアリかも。ちなみに平壌での北朝鮮戦はスケジュールもツアーがあるかも不明だけどどーやら向こうは長期間滞在してお金を落としていって欲しい模様。ゴージャスなホテルでゆったりとしつつ巨大なスタジアムで前夜祭のマスゲームを見て試合も観戦、翌日は万寿台大記念碑を見たり観光をして夜に平壌を飛び立つとかって、スケジュールなんかが組まれて値段が15万円とかだったら行ってしまいそーだなー。長期滞在が超々々滞在にならないことだけは祈りたい。

 素晴らしい文学を読みたかったら神田神保町の三省堂書店へと走れ。凄まじい文学を読みたかったら以下同文。とてつもない文学をさらに同文。日本文学のコーナーに平積みとなっている日日日という聞き慣れない著者の碧天舎という耳慣れない版元から刊行された「私の優しくない先輩」(1300円)という小説を買ってその場で読み切って感涙と感銘の渦に身を溺れさせたまえ。何を大げさなって? とんでもない。これでも説明が足りないくらいだ。読み始めれば可笑しくて、読んでる途中で切なくなって読み得たときには哀しみで胸がいっぱいになる。そんな物語が生まれてこれから世に広がる、最初の扉を貴方達自身の手が開くのだ。その先には日本が、世界が驚きと感動にうち震える未来が待っている。そしてその未来は決して遠くはない。

 なんって冗談で書いていると思ったら大間違い。本当にすごいぞ「私の優しくない先輩」は。小さな島で西表耶麻子ってゆー名の女子高生がいて「南愛治くんのことが大大大好き」だけど告白は出来ないまま、別の不破風和って名の先輩とたった2人の体育の授業をこなしていた時に隠していた愛治くんへのラブレターが転がり落ちてしまってそれを見つけた不破先輩。気を利かせたのか祭りの際に出店を出すんで参加しろ、俺は愛治を誘うといって場を取り持とうとする。けれども愛治くんには別に好きな人がいたりしたり、個人的にあれやこれや秘密を抱えていたりして、私こと耶麻子の愛治くんへの関心も揺れ動く。

 そんなこんなで近づいてきた祭りの準備の過程で起こった大きな転機。耶麻子の抱えていた事情も明らかになって何とも言いがたいラストシーンが訪れる。「ちーちゃんは悠久の向こう」とは違ってどこに向かいそうかは想像の付く展開ながらシチュエーションを刻む文体、シチュエーションを選ぶ力が圧倒的で笑い楽しみつつも耶麻子の心に浮かびふくらむ不安とか、憤りとか憎しみとかいった感情が伝わって来て生きるってことの決して安楽ではない様が伝わってくる。そしてラストシーン。冒頭の独白と対を無し、そして本心からのものとして切実さのこもった叩き付けられる言葉に心揺さぶられ涙腺を刺激され暖かさと切なさ、喜びと悲しみの入り混じった感情に全身を覆われる。

 完璧なまでの物語的完成度。そして最高を越える感動度。どんな訓練をしたらこんな言葉でこんな構成でこんな物語を描けるのかと、改めてその脳味噌を開きかき混ぜ探ってみたい気にさせられる。マイナな刊行物は出版と認めず改めて文芸誌に転載、でもって再出版と来て権威ある賞にノミネートされ受賞、なんて道があるのかは知らないけれど、それがないなら碧天舎のビルを立て替えるぐらいの大ヒット作品となって世界中を笑いと涙に埋もれさせて欲しいもの。だけどやっぱり出版社の力から見て広い範囲に届きそうもないなあ。とくに文芸評論系。心ある評論の人はだから自ら手に入れて読んで広くその才を喧伝して欲しい物。卑俗な言い方だけど”先物買い”できる作家です。


【2月6日】 やっていることを思い出して横浜まで「マルセル・デュシャンと20世紀美術」を見に行く途中で届いた第11回電撃小説大賞の大賞を受賞した七飯宏隆さんの「ルカ 楽園の囚われ人たち」(電撃文庫、510円)を読む。受賞した時のタイトルが何だったっけ、「天使禁猟区」? 違うけどまあそんな感じのタイトルだったのに作品の方は元のタイトルから浮かぶ猟奇なイメージはまるでなし。ってかだからこそ編集さんとか選考委員とかの反発もあってこのタイトルへと変更したんだろー。

 けど「ルカ」ってゆータイトルが適切かってゆーとある意味で悩ましかったりするのも事実。中心となるのはまゆという名の少女で10年ほど昔、人類もその他の生物もすべてが戦争によって滅んでしまった地球で、富士山の地下にあるシェルターに犬といっしょに取り残されていたところを、なぜかそこに現れた5人の、人? まあとりあえず人と数えることにする少女に少年に主婦に老婆に老爺に助けられ世話をされあれやこれやと教わりながらどうにか生き延びてきた。

 外は汚染されて出られず地下のシェルターで知識だけを詰め込まれたまゆがある日見た映画が「ローマの休日」。それで目覚めたまゆは一緒に暮らしている”5人”に自分もキスをしたいと迫るものの誰もそれを果たせない。それは家族だから、ではない別の理由で。けれどもそんな理由をまゆに語って聞かせるにはまだ早いと迷っていた彼ら彼女たちに今度は別の新たな事態が巻き起こる。シェルターを管理していたコンピュータの復活。人類の種族維持が最優先でプログラムされたコンピュータによってまゆは浚われそこから”5人”の奪還のための作戦がスタートする。

 誰1人として「ルカ」という名をもったキャラクターがおらず一体何だと思っていたら明らかになった「ルカ」の正体。その意外性を軸にして永久ではないもののそれに近い命を持った存在が見守る人類の終焉といった主線から、最後に輝いた他人を思い遣り生命を慈しむ存在といったものを浮かび上がらせるよーな構成を極めれば、悲しいけれども清々しい、辛いけれども美しい滅びのビジョンを描き出せたよーな気もしないでもない。その方が冒頭に掲げられた「破損ファイル」でのやりとりも生きて来る。

 けれども、それだとえらく状況観察的なストーリーになって、展開も思弁的なものになってエンターテインメントとして楽しめるものになるかどーかかが判然としないんで、コンピュータの目線を奥へと下げて少女が戸惑いつつも成長していく話を主線に戸惑う”5人”って形にしておいて正解か。SF、と呼ぶには戸惑いも招きそうだけど終焉に臨む人類のそれでも失わない優しさを描き、真綿にくるまれたまま永久の安寧に向かう心地よさを描いたSFとして評価されそー。しかしやっぱり気になる元のタイトル。

 でもって更に電撃小説大賞金賞の長谷川昌史さん「ひかりのまち」(電撃文庫、550円)を読む。険しい山々に閉ざされながらもそれなりに繁盛している街が舞台の物語。政治家を父に持つ少年ネリムは、頭脳明晰を唄われながらも森へと入って行方不明となった兄が探ろうとした秘密に近づこうとしてあれやこれや調べている。そこに現れたのが1人の女性校医さん。彼女に「本当のことが知りたい?」と誘われたネリムは夜の部屋で本当の女体の神秘を知りつつ街に秘められた謎にも近づき行方不明になった兄の事件の真相にも近づいていく。

 科学を忌避しつつも科学が裏であれこれと動いて、それが明らかになるって展開は小説にも漫画にも結構ある設定。面白いのは小さい街ながらも政治があって2つの党派が施策をめぐって対立していてそれが新たな展開への鍵になっているって部分の作り込みか。逆に気になったのは世界がどーして地動説ではなく天動説を信じるようになっているかって部分で、そこがどこかの異世界だったらまだしも太陽があり地球があって月がある、この世界からの延長に属する世界らしーだけにそーした状況へと至った理由と、それから1つの壁が崩れたこれから起こるだろー街の人々と、科学が存在し地動説が正解になっている世界との関わりになんかに興味もふくらむ。1巻で完結、って言われても十分だけどそんな興味を埋める意味でも続きをとりあえず期待しよー。眼鏡っ娘の校医さんも可愛いし。

 いよいよ到着した横浜美術館で「マルセル・デュシャンと20世紀美術」を鑑賞。マルセル・デュシャンとゆーのは20世紀の初頭から中期にかけて活躍した芸術家で便器を「泉」と名付けこれは芸術なんだと言い張ることでレディメイドなオブジェクトも芸術へと押し上げなおかつ芸術だと言い張る行為そのものを芸術にしてしまった凄い人。といってもパフォーマンスだけの人じゃなくって絵も描けば物も作って一般的な感覚での芸術家っぽいこともして、荒川修作さんの作品とかロベルト・マッタの絵画とか、森村泰昌さんのセルフポートレートとかにあれやこれや影響を与えた。息子が2人いて1人がディディエ・デシャンでもう1人はマルセル・ドゥサイーで後に2人ともサッカーのフランス代表になった、とゆーのは本当かどーか知らない。

 面白かったのはデュシャンの作品と並べてそこから影響を受けたアーティストの作品も展示して、比べて見られるよーになっているって点で例えば「泉」だと横に同じ便器ながらも金色をしたジェリー・レヴィーンの作品を並べてあってそこにある繋がりなんかを示唆してくれている。カタログを読むとレヴィーンは工業製品を芸術と言い張るレディ・メイドをブロンズ彫刻とゆーリアルな芸術の形に引っ張って彼我にあったりなかったりする差を浮かび上がらせているらしーけど、傍目にはただただデュシャンをゴージャスにしただけって感じ。デュシャンとブランクーシとの関わりなんて言われるまで気がつかなかったよ。

 デュシャンといえば「泉」と並んで有名なのがガラスに絵を描いたものが運搬途中にヒビがはいってより完成系へと近づいた彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁さえも」、通称「大ガラス」って作品だけど会場にはその「大ガラス」のヒビが入っていない80年制作レプリカバージョンが展示されててそれはそれでなかなかの迫力。加えて横に吉村益信さんって人が作った巨大なカラス、すなわち「大ガラス」の像が展示されててデュシャンが挑んだ既存芸術への反抗に、さらに挑みこれを半ば愚弄しつつデュシャンを崇め奉る風潮を嘲笑してみせてくれていて、その莫迦さ加減に内心で喝采を贈りついでに爆笑を贈る。カラスがリアルじゃなくぬいぐるみっぽいのが良いねえ。

 興味深かったのは「遺作」とされる扉の穴からのぞくと裸で無毛の女性が大股開きで横たわっている像が見える「与えられたとせよ1.落ちる水2.照明用ガス」って作品でデュシャンはこれを芸術から引退したと思われる中で密かに制作して死後にどうやって運搬されるべきかも指定していたらしく、つまりはそれだけの思い入れをもって作った作品ってことなんだろーけど提示されるのは猥雑なものを密やかに嗜む人々って分かり易すぎる構図で、すごく直裁的なテーマにレディメイドとか、大ガラスとか含蓄の多い作品を作ってきたデュシャンがどーしてこんなものを、って思わないでもない。

 けれどもそこはデュシャンだけにきっと、センセーショナルなものポルノグラフィックなものに人がダイレクトに反応しメディアもそれを助長するよーな野獣化していく風潮を、予言なりしていたのかも。今回の展示は見える像が立体的になっているのが新しい。与えられる奥行きが猥雑さをより際だたせてくれるんで、カタログなんかで満足していた人噂でどんな作品かと妄想を膨らませていた人は、この機会に是非に一段のバージョンアップが成された「遺作」を見てデュシャンの企みなんかを想像してみては如何。単純にエロいなあと楽しんでも良いけれど。あるいはそれが狙いだったか?

 帰りの電車でやっぱり電撃大賞銀賞の結城充孝さん「奇蹟の表現」(電撃文庫、510円)も読了。受賞3作品の中でストーリーとしてまとまっているという点で1番まとまっていた感じかも。対立組織との抗争の果てに妻子を殺された組織のボスは相手の組織を壊滅させても心はいやせず傷ついた体をサイボーグに変え組織も後進に譲って堅気になり、とある修道院の門番として就職する。平穏な日々が始まると思ったところに、現れたのが以前の組織の男たち。何やら探しているようで前のボスが門番をしていると知って礼拝堂の中にあるかもしれないその品物を探させてくれないかと話を持ちかけてくる。折しも街では子供がいなくなる事件が続出。どうやら臓器を抜かれて殺されているのだという話で、 組織の話を断れば修道院が世話をしている子供たちに何が起こるか分からないと心配し、話し合いに応じたボスだったが事態は風雲急を告げ、かくして元ボスの再びの苦闘が幕を開ける。

 元ボスがサイボーグであり、敵となるのが遺伝子操作されクローニングされた職業的暗殺者である点をのぞけば、街に蔓延る犯罪を描きこれに立ち向かう男を描き純粋無垢な少女を描いたアクション小説として楽しめる。というか、そーしたアクション小説の型枠に電撃文庫ってゆーライトノベルのレーベルが求めるSFっぽい風味を付け加えた感じとも言って言えそー。

 物語に出て手来る人物の”正体”をめぐっての疑念とか、その人物がどうしてそこまで頑張るんだろうといった理由を過去の行状なんかに絡めて描き込みつつ、そんな人物と元ボスとの関わりを増やし、その上でその人物を悲劇に遭わせて主人公を発憤させる、って展開にしておけば、元ボスが修道院で知り合う少女の無垢さと対比になって、人間ってきれい事だけじゃ生きていけないけれど、それでも綺麗に生きて行きたいって願望だけは持ち続けたいって矛盾を浮かび上がらせる、ノワールでハードボイルドな感じを持った大人の物語に化けたかも。読者層の若いレーベルではとある人物の動機と行為に理由を持たせて安心させるのもやむを得ないところ。ただそれだとあまりに可哀想過ぎるんだよなあ。やっぱり大人バージョンって奴を呼んでみたいところ。ハードカバーで出しません?


【2月5日】 かつて世界の警察と呼ばれた国があって世界を真っ赤に塗り替えようとする勢力に対抗するべく東南アジアとか南アメリカとかで正義の力を振るって最初は喜ばれたものの、次第にその力の振るい方が乱暴になって地元から反発を食らい反撃も食らい、最後には追い出されてしばしの弱体化を余儀なくされたもののそこに新たに降って起こった乱暴者による市民の危機に、何十年も沈黙気味だった世界の警察は再び世界の警察としてのプライドを取り戻すべく世界へと討って出、て危機の排除に乗りだし市民もそれを大喝采で迎える。

 そんな歴史を思い出すことが果たして正しい見方かどーかは分からないけど「Mr.インクレディブル」ってそれ自体が「ファンタスティック・フォー」、いや日本では「宇宙忍者ゴームズ」の方が通りの良いアメリカン・コミックをパロったところのある話だからあるいは素直にアメリカン・コミックのヒーローですら訴訟から逃れられない窮屈な社会のあり方を非難しつつスーパー・ヒーローの再来を誰もが喜び昔は良かったとノスタルジーに浸らせる圧巻のエンターテインメントを狙いつつ、そのさらに一歩下がった所から何事も力任せで解決しよーとする様に密かに嘲笑を浴びせかけていたりするんだろーかと、上映終了も近いんで近所の「東宝シネマズ本八幡」まで行って見てあれやこれや思った次第。

 まあどれが正解ってこともなく危険なことが起こっても家族が力を合わせて頑張ることで解決できるんだって呼びかけているって言えば言えるし、どんなに才能があってもそれを使う方法を間違えれば嫌われてしまうから常に周りに気を配りつつかといって自分を殺さず生きるんだそれが人間とゆーものだって諭しているって言えば言える。さまざまな見方が可能な奥深いアニメでなおかつ最初から最後まで目を離させず画面に惹き付け楽しませる、完璧無比のエンターテインメントでもある奇跡的な1作って言っておこー。DVDは買おう。

 評判のインクレディブル夫人のお尻はなるほど素晴らしいものでした。スピード感が必要なキャラにはちゃんとスピード感を出させパワーが必要なキャラにはちゃんとパワフルさを感じさせる絵になっていて、そーゆー微妙な表現が苦手だった3DCGもこの10年でとてつもなく進歩したもんだと感心。ってすでに「トイ・ストーリー」の頃から完成に近いものがあって、それが優秀なアニメーターの成長とその感性を実現する道具の発達によって、より面白いものになって来たってことだろー。でも予告編で見た「カーズ」は3D酔いしそーな絵で今ひとつ。これからの精進に期待。携帯とかおしゃべりとかを注意する映像が「ワンピース」で日本版ゴームズ(ルフィ)が出ていたのには笑った。みんなきっとインクレディブル夫人をゴームズじゃなくルフィの真似って思うんだろー。恥ずかしいから「ワンピース」を真似るなんて、ってな抗議はしないでね若い人。

 届いたんで電撃文庫から佐藤ケイさんの新シリーズ「私立!三十三間堂学院」(メディアワークス、590円)なんかを読んで最初のイラストがいきなりパジャマ姿でそれも上だけで下はパンツ1枚の女の子だったりして相変わらずの惹きの強さに感銘を受ける。ここまでやらなきゃこの世界、生き残れないのだ。お話の方は……判断保留。女性ばかりの学園に転校してきたたった1人の男子生徒が女生徒たちによる争奪戦に巻き込まれておおわらわ、って基礎の土台はどこかで聞いたことがありそーだけど、そこは「天国に涙はいらない」のシリーズで萌え設定のことごとくを使って圧巻の物語を紡ぎ挙げ続けた作家だけあって、ありがちな設定だからと投げ捨てることは出来ない。

 事実お話の方は転校して来た男子生徒に学校を取り仕切る堅物の生徒会長が惚れてしまったもののそこは堅物で純情派。それを恋と認めることに逡巡しているうちにたった1人の男子生徒を奪おうと学校中が浮き足だったものだから、生徒会長として威厳を見せねばならぬと男子生徒に自分と付き合え、そうすれば他の生徒は全員が失恋をして落ち着きを見せるだろーと考え少年に日本刀を突きつけ交際を迫る。

 それに驚いたのが少年とは幼なじみだったとゆー副会長。脱会して反生徒会長派を旗揚げしては参謀役の少女の作戦に沿って生徒会包囲網を強めていく。かくして一触即発の状態に陥った学園で当の生徒はあまり深く物事を考えもせず、周囲が動く中を新たに立ち上がった中立派に入って四方の諍いを丸く収めようと動き出す。難しいのはそんな少年の迫られ悩みけれども頑張ろうって立ち上がっていく感情に重ねて迫られる喜びともたらされる悩みを感じつつ成長していく喜びを味わえるかってゆーとそれには少年の主体性がなさ過ぎだし、恋を恋と認められず身もだえしながらも勤めを果たそうと頑張る生徒会長に心を寄せて読むには生徒会長の場面が今一つ少ない。

 幼なじみの副会長も少年が好きだからこその行動って動機があるにも関わらずキャラとして屹立するには今ひとつ役者不足。参謀として背後で蠢く少女とか、演説役を買って出た生徒会四天王のひとりの方に精気を吸い取られて目立たない。そして千住花音。少年を引き取り学院に転校させた主役級のキャラでありながら生徒会長に副会長西天王その他の激しい活躍ぶりの影で置き去りにされている感がある。なるほどとてつもない立場上の秘密を抱えているらしーけど1巻では少なくとも目立った位置にはおらず最後の最後まで良い場面が与えられない。

 誰かに心を寄せつつ読む読み方の難しさからどこか設定の書き割りめいた印象も受けかねないけどそこはやっぱり流石な才能。爆裂キャラたちによる爆裂炸裂な言動の連発でもって楽しませてくれることだけは確かなんで深く考えず1時間2時間を爆笑しながら過ごしたいって人にはベストな本かも。続くとして気になるのはやっぱり生徒会長の心の持って行き所。純朴故に恋を恋と気づけなかった彼女が少年の唖然呆然な宣言でもってなおいっそうの逡巡に身もだえる姿とか、読ませてくれそーで今から楽しみ。けどやっぱりキャラと物語に強い芯が欲しいなあ。


【2月4日】 当日は国立でパブリックビューイングに行かざるを得ないチケット状況なんで現地「埼玉スタジアム2002」で何も起こらなかった事実を見極めることが出来ないことが残念だけと政治的情勢からあれやこれやとかまびすしいサッカーW杯独大会のアジア最終予選、初戦の北朝鮮戦にのぞむに当たって試合とは関係のない所でやれあいつは監視員だのスパイだのと、密着マークで訪日した選手団を追いかけ回したりして騒ぐメディアの下衆な報道(報道とは言えないけれど)っぷりも懸念されて今からウンザリ感が膨らむ。

 実際に何も起こらず粛々と進むだろーことは去年の4月25日、サッカーの女子日本代表がアテネ五輪に出られるかどーかってゆー今回以上に大切な試合で北朝鮮を相手に迎えて、国立競技場を埋めた青のサポーターと赤い応援団との間に、何も起こらず極めてスポーツパーソンシップにのっとった激しくも清々しい試合とそして応援が、国立のスタンドを舞ったことからも明々白々。試合終了後も負けた北朝鮮側のサポーターはとっとと帰ることはせず、スタンドに残ってウイニングランをする日本の選手をスタンドから見守ってくれていた。

 当時だって既に政治的な情勢は悪化していたにも関わらず、試合は中止すべきだの随行しているのはスパイだのといった声はほとんどまるで聞かれなかった。それだけ当時は女子サッカーがマイナーだったとも言えるし、メディアにも男子の日本代表がサッカーの中では最もバリューが高くそこを起点に代表選手がどんなプレーをしたか、あるいはしなかったとゆーことを報じていれば読者もオッケーって頭で凝り固まっているって言える。そんなバリューと「北朝鮮」ってゆー出せば受けるとこれまた信じ切っている「北朝鮮」ってキーワードの結びつけに、こんなにも躍起になっているんだろー。

 発売中の「エルゴラッソ」2005年2月4日号で日本代表をサポートする「ウルトラスニッポン」の植田朝日さんが数あるメディアでもおそらく唯一、発言を寄せていて冒頭で「どのメディアもサッカーとしてではなく『北朝鮮』をキーワードに取材を持ちかけてくるから」最終予選についてほとんどの取材を断っていると話してる。熱烈なサポーターに「北朝鮮」を主語で話を聞いたって大切な初戦で勝つのが必定、それは相手がバーレーンでもイランでも変わらないって話になってしまうだろー。

 6分の1。だけど最も重たい6分の1。それがたまたま北朝鮮だっただけなのに、そう話しても「編集のしかたによっては前後の発言をぶち切ったコメントが掲載されて誤解を招いてしまう可能性がある」と嘆く。心あるメディア、スポーツをスポーツとして報じたいメディアが義を貫いても、下心たっぷりのメディア(それが同じ企業体なり媒体に属しているケースもあるから厄介極まりない)はやっぱり下衆な報じ方で臨むんだろー。それが正しいって思い込みで。迫る9日に向けて狂騒は一段と高まりそーだけど読む側見る側も心の居住まいを正して臨む必要がありそー。美女軍団? うーん今回はどっちでもいい。とりあえず我らが名古屋グランパスエイトの安学英選手のプレーぶりに注目。

 羽生善治さんがタイトル戦で森内俊之王将をストレートで角番に追い込み谷川浩司さんとの棋王戦に臨もうとし順位戦では久保利明8段を破って2敗と藤井猛と並ぶトップを走って森内名人への挑戦権獲得まであと一歩と、相変わらずの強さを見せまくってる将棋界だけどそんな状況に割ってはいる逸材として先の竜王戦で森内前竜王を破って初のタイトルを獲得した渡辺明新竜王が「週刊文春」の2005年2月10日号に登場して阿川佐和子さんと対談していて羨ましい、と10年前なら思ったかな。10年前の阿川佐和子さんってどんなだっけ。いや渡辺明さんの話だ渡辺竜王は奨励会にいた時代からその丸顔に眼鏡という風貌が大山康晴15世名人の再来と言われ朝日新聞なんかにも取り上げられ、持てはやされていたんだけど最年少棋士の記録は破れず小学生でのプロ誕生とはならず、それでも強さはダントツだったよーで加藤一二三9段に谷川棋王に羽生二冠だっけ、後に名人を獲得するような人たちと並ぶ中学生棋士としてプロの世界に登場した。

 もっともそこからが伸び悩んで最年少でのタイトル争いとかタイトル奪取といった記録で名を残すこともなく、順位戦でもよーやくやっと1つ上のC1クラスに上がれた程度で才能も枯れたか、なんて思われていた昨年度のシーズンに大爆発を見せて当時の羽生王座に挑戦して、ここで相手を角番に追い込みフルセットの末破れるとゆー奮闘を見せて一躍時の人に。今年はさらに爆発していて4月に結婚7月に長男誕生と私事での大イベントをこなしながら竜王戦の挑戦権を獲得して名人位も王将位も持つ森内さんを相手にこれを勝ち、棋界最高位(名人よりも賞金が上なんで)へと上り詰めてしまった。

 結婚するとあの羽生二冠王でもちょっぴり弱くなって足踏みしたのに結婚が逆にプラスに働く不思議な棋士。村山聖9段のよーな無頼派ともまた違って「電車で『少年ジャンプ』が読めなくなった」「喫茶店でメールをカチカチやるのがはずかしい」といった客観的に今の立場を捉えた言葉を話したり、奥さんがお風呂にはいっている間は子供をあやし子供を風呂に入れ風呂を洗ったりする話をしたりととてもまだ20歳とは思えない、しっかりぶりも見せてくれて倍近く生きてて未だに「少年マガジン」を電車で読み風呂は週に1 、2度で洗うことなんてしない我が身と重ねて出世する人には理由があるんだと納得する。してどーする。

 「手料理でも、僕は黙々と食べて別に感想を言わない。だから、ドラマとかで料理を食べた男性が『うま〜い!』とか言うのを見て、『これぐらい言わないと、君、モテないよ』って言われちゃった(笑)」って話しててなるほどそーゆーものをかと思ったものの手料理なんて食べさせてもらえる機会がないから試しようがない。「すごい勢いで黙々と食べて、お代わりしているのはおいしいと思っているから、いちいち言わなくてもいいなじゃいかと……」と渡辺竜王のよーに態度で示そうにもチャンスがないのが残念至極。20歳で結婚できた渡辺新竜王の極意、ってか新竜王をゲットした4歳上の奥さんのアドバイスを果たして活かせる日は来るのか。明日は遠い。


【2月3日】 隣りのドッペルさーん。って戸川純の歌だったっけ。違う砂浦俊一さんのデビュー作だ。「隣のドッペルさん」(集英社スーパーダッシュ文庫、580円)はぶっちゃけて言えば退魔師ものなんだけどそこに至るまでに学校に自分とそっくりな別人がいっぱい現れて来る現象が起こってこれはいったい何事だ? って騒動が起こって主人公の少女とその恋人の男の子が、原因を探ってあれやこれやする話が展開される。

 見たら死んでしまうと言われているドッペルゲンガーが少女の周りに出没する。一体何事? って探り始めた少女の先に安彦丸千早って美少女が現れそして事件が顔を覗かせる。ドッペルさんがつまりは何者なんだ? って部分が途中から横にズレて安彦丸とゆー美少女の戦いを見守る主人公の愛美、って構図になってタイトルロールのドッペルさんが脇役になってしまうけど、そこはそれドッペルさん発生の一因になっているらしー隕石の謎の解明がまだだったりするんで次巻以降、その辺りの解決とそして再びのドッペルさんの活躍なんかが見られるんじゃないかと期待しておこー。イラストは美麗。愛美と千早のどっちが好みかと言われるとうーん、千早? でも中身が得体知れないからなー。尻尾生えてるんだろーか。

 記憶の衰えがいささか激しくなっている昨今、セガトイズから出た「脳力トレーナー」を試してもなかなか改善の兆しが見えない中で、果たして効くのかと取材先でもらったイチョウ葉エキスを飲んでみたらこれがなかなかどうてこうして。血流を促進して脳の調子を整えてくれるってゆー効果のあるらしー成分がこの寒空の中で冷え込んでいた手足の先っぽをポクポクと温めてくれるよーな感覚があって、これなら脳の詰まった血管も広げ死にかけていた脳味噌の細胞を生き返らせてくれるんじゃないかって、期待毛管出来たけどそーゆー作用が実際にあるのかどーかは開いて見られる訳じゃないんで分からない。

 作用の形はともかくてイチョウ葉エキスがアルツハイマーとか痴呆症とかの治療に実際に使われているのは紛れもない事実で、その製品を売ってる会社の親会社があるドイツでは、医薬品として認可されてて治療の現場で投与されて効果も挙げているんだとか。けど日本に関してはハーブ系の品物を医薬品として認める環境にはないらしく、今は健康補助食品として売られているらしー。

 聞くとイチョウの”原産”は日本で、それがドイツに渡ってイチョウ葉エキスとなって日本に帰って来たのに認められないとゆーのは皮肉な状況。あと日本の医療行政を取り仕切る役所に医療機関の総本山とも言える北郷の学校の、校章がイチョウだったりするのも皮肉な光景で、あまりに身近にありすぎる素材故にその効能に気付かず認めるのにも二の足を踏んでいたりするのかも。もっとも日本で1番頭の良い学校に頭の良くなる樹が生えていて校章にも採用されているのは案外に直感的に効能に気付いていたのかも。そんな人たちのつま先にすら近づけてないけど折角のイチョウ葉エキスなんでしばらく囓って記憶力が良くなるかを主観的に観察して行こう。なんて言ってる先から飲み忘れるんだ、きっと。

 10回目ってことは10年近く経っているのか。AMDってゆー名称で投書はマルチメディアタイトル製作者連盟、今はデジタルメディア協会ってゆー団体が開いている優れたデジタルコンテンツを表彰する「AMD Award」が開かれたんで見物に行く。立ち上げ当初から観察していている賞なんだと当初の主力メンバーのうち、シナジー幾何学って「GADGET」を作った会社がなくなりデジタローグって格好良いCD−ROMタイトルんを作っていた会社の人は病に倒れて不参加に。そんな中でも当時はオラシオンとハンズに分かれていた今のハンズオン・エンタテインメントとかインフォシティとかボイジャーの人は未だに業界の先頭に立って頑張っていて、この10年がデジタルコンテンツにとって発展の歴史だったんだってことを改めて確認する。ってかベストビジュアル賞をとった「キャシャーン」で映像の中心を担ってたのって「GADGET」の庄野晴彦さんだよ。10年経っても最先端。やっぱり本物の才能だったんだなあ。

 っても中堅中小の多かった創設メンバーをサポートする形で入った角川書店の角川歴彦さんとかコーエーの襟川恵子さんは当時もそれなりの地位だったけど今はさらに政府系の委員なんかをするよーになってますます業界の大立て者に。持てる者はさらに持てる者となってそれ以外は低空飛行、結果格差が広がってしまった昨今の経済情勢がここにも現れているなーと10年を追い掛け続けてまるで業界に認知されていない我が身なんぞを振り返りつつ溜息をつく。インターネット黎明期に浮かんだアイディアを実行に移していれば今頃は六本木ヒルズに住んでいた? いやそれはないなあ。いなくなった人たちと同様に消えて埋もれて吹き飛んでたなあ。ハイパークラフトの人って今どこで何してるんだろ?


【2月2日】 緑の半袖・中地舞選手の右サイドからのオーバーラップがとてつもない攻撃力を発揮し始めている女子サッカーの日テレ・ベレーザに激震。日本代表では左サイドバックに入ってガンガンと攻め上がりを見せLリーグの「TASAKIペルーレ」では中盤で攻撃の要となってる川上直子選手が日テレ・ベレーザへの移籍を決断。現役の代表クラスの移籍自体も珍しいことだし下位のチームに出場機会を求めての移籍じゃなくって十二分に戦力のある最強チームに敢えて加入するってのも珍しい事態。TASAKIだったらレギュラーは確約で代表に選ばれるのもほぼ確実って状況なのにどーして敢えて難しい道を選んだのかがちょっと解せない。

 もちろん実力的に現状のベレーザのレギュラー陣に劣っているとは思えないけどチームってのは実力以上にコミュニケーションが重要となる場所。とりわけ細かいパス交換が信条のベレーザにいきなり入って大丈夫なのかって心配もあるし、折角良い味を出して来ていた中地舞選手とか、中盤でキレキレのドリブルを見せてくれている次代の代表候補の近賀ゆかり選手とか、右でも左でも大丈夫な小林弥生選手といった選手たちが移籍の影響を被るんじゃないかと怯え萎縮してしまう心配もある。あるいは試合ではキレのある動きを時々は見せてもどこかひたむきさに微妙さがあって代表合宿に呼ばれても代表にはあと一歩の続いてる近賀選手への刺激って意味もあるのかな。だったらそれはそれで意味があることなのかも。

 それにしても川上加入でベレーザの強さは一頭抜けてしまう感じ。前の所属チームと同じ中盤になるだろーからトップ下の澤穂希選手に左の小林選手、ボランチの酒井與惠選手に加えて右に川上選手と女子サッカー版”黄金の中盤”が出来上がる。荒川恵理子選手のプレート摘出手術で抜けてしまうフォワードに澤選手が入ったらトップ下に入れて近賀選手を左に置くって手もある。フォワード陣も永里優紀選手に山口麻美選手と将来性のある選手は大勢いるから黄金中盤をいじる必要も実はない。ってことはやっぱり近賀選手は控え行き? 途中交代されるやユニフォームを脱ぎ捨てアンダーシャツ1枚(スポーツブラは着けてます)になってピッチを歩く豪快っぷりが見られなくなるのは残念だなあ。残して欲しいなあ。

 バックス陣は四方菜穂子選手に中地選手に須藤安紀子選手豊田奈夕葉選手とこれも鉄壁。そのまま代表にだって行けてしまう面子が揃ったチームが女子サッカー選手権大会の余勢を駆ってそのまま「なでしこリーグ」を突っ走りそう。分厚くなった選手層で1チームあたり3試合になって7試合増える長丁場を乗り切ってしまいそー。でもそれだと面白くないんでさいたまレイナスには是非に頑張って欲しいもの。五輪代表にも入ってその美貌を満天下に知らしめてくれた、母親がモデルで試合では決まった勝負パンツを履くとゆー女子大生選手の丸山桂里奈選手とかがレイナスに入ってくれると嬉しいんだがなー、ってレイナスもフォワード陣が余ってるから争いが厳しくなるんだけど。伊藤知沙選手とか試合出られなくなっちゃったけどどーしてるんだろ。

 1日からスタートしたってことで2006年のワールドカップ独大会のチケットなんぞをネットから予約してみる。とりあえずはTSTって贔屓のチームの試合をぜんぶ見られるってゆーチケットで予約。もちろん対象は日本代表チームだけど、決勝まで見られるチケットだと高くなるしそこまで行くとはとうてい信じられないんで、前回よりは1つ上のベストエイトに残って戦う準々決勝までをカテゴリー1で頼んでみる。取り合いじゃないんでネットもさくさくとつながってあっとゆー間に手続き完了。ネットの技術も2年前より格段に進歩しています。

 価格は確か660ユーロで日本円だと8万円弱? ともあれ同じことを日刊大会でやったら軽く10万円は突破していたはずなんで、独大会がいかに安価にチケットを設定してるかってのがよく分かる。問題はそれ以上勝ち上がったら、なんだけどそっちは別にシングルで準決勝と決勝を予約しておくことにしよー、って出来るかな。ともあれ1カ月間をドイツに滞在することになりかねないんでそれに備えて懐を分厚く、身辺を身軽にしておく準備を今からしておこー。仕事は……今のまんまだと自動的に消滅してくれるから気にしないで良いか。

 「バッテリー」が子供層に大人気らしーあさのあつこさんが「ヒット?」って小説誌だかムックだかに少しづつ発表して来た「時空ハンターYUKI」(ジャイブ、760円)が刊行されていたんで読む。実は血筋的に退魔師だった少女が曾祖母からの教えも受けつつ子猫みたいな妖怪みたいな生き物の助言も得つつ、蘇った「闇の蔵人」とその眷属だかと戦うってストーリーやありがちと言えばありがちだけどそこは「バッテリー」で青春の機微を描いて人気のあさのさん、中心となりそーな小中学生の読者にいろいろと考えさせる仕掛けを作ってある。

 魔布結祈って主人公の少女には香楽って名前の双子の弟が居てかれが極度のシスコンで、自分が弱い姉を守ってやらなくっちゃならないと決め込んでいたところに姉の自立めいた動きがあってあれこれ戸惑ったりする心理とか、倒すべき妖怪であってもそれには子があり家族がいて心もあるってゆー状況に主人公の結祈が倒して良いのかと悩んだりとか、単純に勧善懲悪でもなく妖怪バトルでもない部分があって読む人にいろいろと考えさせる。子供に優しく役立つ物語、ってことなのか。もっとも死人は出るんで刺激はなかなかだけど。

 結祈を導く曾祖母が101歳って超高齢なのに健勝で外に出ればすたすたと山道を歩いて進む健脚で食事もとれば喋りも達者といったスーパーおばあちゃんでキャラとして強烈。姉思いで優等生な香楽のシスコンぶりも鬱陶しいけど納得の造型でそんな強い個性に囲まれて、引っ込み思案で喘息の気もある結祈がさてはて、どんな強さを身につけ哀しみを知って大きく成長していくのかって所に興味があるけど、お話は江戸時代へと遡って祖先の活躍に移りそうだし刊行自体も今年の秋ととてつもない先。そこまで出版社が保ってくれるか(タカラの子会社なんで)って心配もあるけどそこは読者の多い作家の面白い作品ってことで、圧倒的な読者の支持をバックに刊行されると信じよう。次はあちたろうって名前の作家の「わが輩はヴィドック2」を読まなくっちゃ。


【2月1日】 日日日が「あきら」で晶なら木木木と書いて森で「もり」だと読ませるのもあったりするのかな。木木木日日日なら森晶で「もり・あきら」。木木日日なら林昌で「はやし・まさ」。そんなペンネームの応募原稿が来たらさてはてどーしよー。「ちーちゃんは悠久の向こう」(新風舎文庫)が間もなく大評判を巻き起こす日日日さんは8月の「ファミ通えんため大賞」でも小説で佳作を受賞していたとかで受賞式にも来ていたらしくそこで「ちーちゃんは悠久の向こう」で解説を書いている久美沙織さんから「それが正しく美しい日本の謙譲語だ」と説教を食らっていたらしい。すれ違ってたんだ自分。

チチをもげ、ではなく父と言え、と諭している場面か否かは不明  けど実を言うとイラストだか漫画だかで受賞した女性陣の方にばっかり目が行って小説部門のオトコドモが何を言ったかどんな顔をしていたのかほとんど覚えて居泣くって、その時に撮影した写真を引っ張り出して眺めて見ても誰が誰で何を言ったか記憶になく、ただ坂田大輔のユニフォームではないドレスアップした久美さんが受賞者に囲まれてあれやこれや喋っている姿だけは記憶にあって、あるいはその話の中で「『お父さん』ではなく『父』と言え」と日本語の授業が行われていたのかもしれない。それもそれで歴史的な場面に居合わせたんだなあと半年近く経ち実感。しかし誰が日日日さんだったんだろ。

 怖いよティナ。「ファンタジックチルドレン」はブラックホールを腹に抱えて何でも吸い込むドリムーンとは逆に胎内にゾーンを開いてそこからエネルギーを引っ張り出しては発射する人間最終兵器と化したティナが放つ元気玉(違う)でもって惑星ギリシアは崩壊の危機に。塔が砕け森が焼けてもそこに暮らす普通の住人たちの逃げまどう姿が見えずただただ貴族だか官僚だかの怯える姿しか見えない状況にどーゆー統治形態になっているんだと不思議に思ったもののそれはそれとして悲惨だったのが幼なじみのセス。俺の声を聞けーとばかりに近寄っては吹き飛ばされて腕1本持って行かれてしまったのに、タイミング良く近づいた宇宙少年ソランがティナを鎮めてしまってどうしてなんだとただただ呆然。傷ついた身も捨て置かれてひとりとぼとぼと歩いて森に入っていく姿に一体どうなってしまうんだと興味も募る。

 あるいは兵器としての発動が収まり科学者たちによる管理も始まったティナをこんなティナは僕のティナじゃないとばかりに嫉妬の心も秘めつつ再度暴走させては地球へと転生させざるを得ない状況を、セスが作り出してしまってその歳にソランも討ち果たし、それがソランの地球への転生へとつながっていたりするのかも、って想像も浮かぶけどだったらセスはどうなってしまっているのか、なんて疑問も浮かぶ。デュマってギリシアのパートではまるで根を持っていないキャラが地球のパートでは出ているけどその正体にも関連するところがあるのかな。いや陰謀を巡らすデュマと純粋培養で直情径行のセスとは相容れないからセスはセスできっとどこかに転生してはヘルガに絡んでいるんだろー。地球パートでの進展が待ち遠しいけどしばしギリシアでの”惨劇”にお付き合い。

 漫画家もいろいろ。ティム・リーマンってアメリカ人のジャーナリストでアーティストが日本に来て12人の漫画家にインタビューして歩いた「マンガマスター 12人の日本のマンガ職人たち」(美術出版社)が課題図書で回ってきたんで読んだら作家の思想的な部分とそれが日本の漫画状況にどう関連しているかって歴史的な部分からアプローチするパターンとは違って、どう物語を作りだし何を使って書きアシスタントはどう動かして出版社とはどう関わるかといった大きい意味での技術的な話が多くって、それはそれで日本の漫画の現場に正しくアプローチした内容だと関心する。描かなちゃ漫画は出来ません。

 選ばれて居る12人がなかなかに渋いというか絶妙というか、冒頭では「サイレントメビウス」の麻宮騎亜さんで出版社との付き合いの部分で編集者のクオリティについてて厳しいことを言ってて興味深い。続いてCLAMPさんが登場していて合作という形態よりもむしろ一種プロダクション的にキャラからストーリーからタイトルロゴからいろいろと練り上げて企画書を作りメディアミックス展開の可能性も含めて出版社にプレゼンテーションする”大人”っぷりが紹介されてて単に漫画好きの人が集まり描いてプロになっちゃいました的な集団ではなさそうなことを伺わせてくれる。

 ほかに江川達也さん井上雄彦さん高尾未央さん丸尾末広さん古屋兎丸さんとメジャーマイナーアングラな所をピンポイントでキャッチ。繊細だったり荒々しかったり緻密だったりおどろおどろしかったりする作品がそれぞれにどうやって生み出されているのか、道具は何が使われているのかがテーブルの模様書斎の状況を写した写真とともに紹介されててそれぞれの違いっぷりに驚く。岡野玲子さんの書斎なんてとてもじゃないけど漫画家の机には見えません。小説家っぽい整然さ。パソコンは使わないのか使えないのかコメントしていないけどCGは好きじゃないみたいで最近は筆と墨汁でもって描いていたりして最新鋭のパソコンを駆使する冒頭の麻宮さんとの対比が面白い。

 ってかパソコンをフル活用してタブレットもがんがん使うタイプの人は12人にはいなくって、紙に手で描き切り張りをして色を塗る、古典的なタイプの漫画家さんたちが多くって昔ながらの漫画読みには懐かしくも心休まる印象を受ける。コンピュータよりコピー機の方が友達って感じ。何故か最後に漫画家とゆーよりはイラストレーターって活動の方が強いひろき真冬さんが紹介されてて何で? って思ったけれどそもそもこの本が生まれたきかっけは「マンガスーパーテクニック講座」にひろきさんが紹介されていたから。着想の原点で著者のアイドルでもあったひろきさんを外す訳にはいかなかったんだろー。そんな熱望に応えてひろきさんの漫画作品が巻末に収録されているのでファンはチェックしておくこと。輝いてます。


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