縮刷版2005年1月下旬号


【1月31日】 クロイクロイトパーズタンクロイ。待望の第2巻が登場した海原零さん「ブルー・ハイドレード」(集英社スーパーダッシュ文庫)は古戦艦を乗っ取り逃げ出した士官候補生たちがこれでは食い詰めると伝説の海賊、ロベルト・ガーデュランが作った海底要塞に、その娘のトパーズちゃんの指導で乗り込み新鋭艦を奪うって展開だけどその作戦の過程でトパーズちゃん、船倉の捕虜をおとりに使おうと言いだし作戦の成功に功のあった女性を見殺しにするよーなことを言い出す腹黒ぶりで驚かせてくれる。

 作戦の途中でも計算高さを存分に発揮し、自分に見方してくれる士官のジルをたらし込んでは欲しいままに艦を操る。最後には自分を疎んじる士官候補生の中でも切れ者のソリカ・ハイレンをいつか殺してやると言い出す始末で見かけによらないその非道っぷりにヤングアダルト文庫界「腹黒の女王」の称号を与えて進ぜたくなって来る。桜野タズサも悪口雑言は酷いけどお腹のなかは純粋無垢。一方で真っ黒けなトパーズなんてキャラを作り出す海原さんの素養は果たしてどちらにあるのか、聞いてみたいものです。

 あのサザンオールスターズの名曲「エロティカセブン」がバンダイによってアニメ化されるってんで一体どんな映像になるのか興味津々で会場にかけつけると桑田圭佑も原由子もおらずサザンのサの字もなくって会場を間違えたかと心配になったけど、看板にはちゃんと「交響詩篇エウレカセブン」と書かれてて……「エウレカセブン」? こりゃまた勘違い。バンダイがボンズと練り上げていたアニメーションとゲームの連動企画「交響詩篇エウレカセブン」の大々的なメディアミックス展開を発表する会見だった。

 言ってしまえば4月スタートの新番組なんだけど集ったメンバーが凄くって、それだけみれば勝利は確実って印象。放映元が「機動戦士ガンダムSEED」と「鋼の錬金術師」を手がけた毎日放送で音楽も両タイトルでヒット作を連発したソニー・ミュージックエンタテインメントグループ。制作は「鋼」のボンズで中核を国内最大の玩具メーカーのバンダイが鎮座ましました構図は現時点で組み合わせとして最強最高。これでヒットしなかったら他のどんなアニメだってヒットしないって布陣だけに2カ月先の放映が今からとっても楽しみになる。例え放映が日曜の朝7時だなんて無謀な時間帯だったとしても今時のハードディスクレコーダー使いには無問題。そのちょっと前に前週分の再放送もしてくれるそーで撮り忘れててもカバーがきくのが有り難い。

 乾いた大地に吹き上がる粒子にのってロボットがサーフィンをしながたバトルする構図ってのもなかなかに勇壮。そのロボットが河森正治さんのデザインって所もマニア的にはポイントを与えられそう。そんな男の子向けの配慮の一方でキャラクターに群がる女性向けには「キングゲイナー」ばりのスタイリッシュなデザインによるキャラクターが登場してはファッショナブルな格好でもってそのハートをガッチリキャッチしてくれる(カタカナばっか)模様。「ラーゼフォン」の劇場版を手がけた人が監督をして「カウボーイビバップ」の人が脚本を書いてとアニメ制作の布陣も強者揃いだけにクオリティへの期待も膨らみっぱなしに膨らんでる。

 1年も続く話がどこまでの深さを持っているかが不明ながらもそこは「SEED」に「鋼」で1年の長丁場を飽きさせもせずにファンを惹き付け続けた面々だからきっと深くて大きな物語でもって、1年を楽しませ続けてくれるだろー。「新世紀エヴァンゲリオン」が生まれて10年。レトロな雰囲気とスタイリッシュな物語の融合とゆー「エヴァ」とも似通った部分のありそーな「エウレカセブン」が果たして21世紀の「エヴァ」となり得るかどーかにまずは注目。第一クールの音楽を担当する「FLOW」のテーマソングが無茶苦茶格好良い。男2人の掛け合いをカラオケでやる人とか続出しそー。

 日日日とかいてあきらと読む。晶を分解したからそう読むのかもしれないけれど真相は不明。ともあれ今年のうちに日日日は「あきら」と読むんだって誰もが理解することになると断言しておこー。数々の文学賞に投稿してはそのことごとくで賞を獲得してしまった17歳の新鋭の最初の本、その名も「新風舎文庫大賞」を受賞した「ちーちゃんは悠久の向こう」(新風舎文庫、562円)が刊行されて読んだらなるほどこの才能なら世に認められても当然と納得する。ってゆーかぶっちゃけ凄すぎ。セーシュンの諸々を有りのまんまに描いた白岩玄さんの「野ブタ。をプロデュース」が芥川賞の候補になるんだったら「チーちゃんは悠久の向こう」はフィリップ・K・ディック賞とゴンクール賞とメフィスト賞ファウスト賞を同時受賞した上に芥川賞三島賞の2冠をかっさらっても不思議じゃないくらいに文学しててミステリしてて乙一しててそしてなにより日日日してる。

 幽霊を見るのが大好きってゆー燐家の少女のちーちゃんと同じ高校に通っている主人公の少年は、だからといってちーちゃんと青春するでもなく、仲違いしている父親と母親の間で虐待を受けつつ日々をやっとの思いで、かといって悲壮感は漂わせずむしろ達観した(諦念に近いか)態度で送ってる。高校では少年は陸上部に入りちーちゃんはオカルト部に入ってそれぞれの道を歩むかってゆーとやっぱりそーでもなく、オカルト部の課題賭して学校の七不思議を調べるちーちゃんに少年は陸上部を休んで付き合うことになり、そんな少年に陸上部の美人部長が関心を示したりする。

 なんだ幼なじみと先輩との狭間で悶々とする羨ましい少年の話かってゆーとこれまた違って、よくある青春小説のセオリーがまるで通じない展開に、最初のうちはどこに連れて行かれるのかって不安が先立ちページを読む手を度々留まらせる。それが半分くらいもすると作者の中にある流法が多少は伺えるよーになって、そんな流法の上でとんでもない展開へと連れていかれるだろー予感にページを繰る心も高ぶって来る。

 少年の両親はクライシスを迎えちーちゃんはどんどんと壊れ先輩は部長なのに部員からパージされて陸上部を去る。少年は橋の下から学校に通い先輩の申し出を受けちーちゃんはさらに壊れていくって感じの展開がもたらす衝撃的なラスト。それはいったいリアルな出来事なのかそれとも壊れた人々の心がつむいだ幻想なのか。暗喩とか象徴とかいったテクニックではなく揺らぐ世界への視線、覚える世界からの遊離を感じたままに筆に載せて原稿用紙にぶつけた感じの物語は、賢しらな小説書きたちにはない興奮を読む者にもたらす。角川学園小説大賞の優秀賞をとった作品は割に普通にエンターテインメントしていた記憶があるだけに、その才覚の幅の広さにも恐れ入る。いったいどんな作家になっていくのか。楽しみでもあるし不安でもあるけどとりあえず2005年を飾る作家であることは間違いなし。出る作品をチェックしてその才覚の底知れなさを確認して行こう。次は何が出るのかな。


【1月30日】 妖怪やら霊魂やらが見えてしまう主人公がその力でもって巷にあふれる霊魂やら妖怪やらの相談事に結果としてのってあげて、父親がいるけど本当は逝っちゃってるのにある力が働いてそうはなっていないって外枠だけなら今市子さんの「百鬼夜行抄」と似通っているけどそこは紺野キタさん、「知る辺の道」(幻冬舎コミックス、590円)は何故かそんな力を持ってしまった女の子が知らずさまざまな影響を外部に与えつつそれぞれの心残りを払拭していく心温まる展開が、可愛らしさ炸裂なキャラクターでもって描かれていて読んでて気持ちが豊かになる。

 そんなシリーズ的な冒頭2話(プラスおまけ漫画1編)をはじめとして微妙に不思議な物語が収録された短編集。男の子っぽいスタイルだけど実は女の子らしい主人公の父母があれこれあった関係で田舎に預けられた時に、頭が呆けてるって思われているお爺さんが実は天女を遊んでいたってことを知って驚きつつも自分もやがて天女を受け継ぐ身と知り家族との関係とも折り合いをつけようと頑張る「天女」は綺麗な物語で紺野さんっぽさ炸裂。母親をどうにかしてしまった同じ顔の2人の少女が白い部屋で対話している「匣」は内面へと迫る怖い話。今の紺野さんっぽくはない話だけどそういえば最初の「ひみつの階段」に結構ホラーっぽい話もあったから描けて不思議はないのかも。

 秀逸が「天使のはしご」で病気がちな姉がいて学校では八方美人ながらも家では妹に結構辛くあたって我が儘な所を見せててそんな姉に妹は同情しつつもうんざりしているって設定がまずあって、そうこうするうちに姉の具合が悪くなって入院してしまって、それでも代わらない減らず口に妹の方もキレそうになってしまうって展開。けれども妹の見えない場所での姉は他人に優しくて、最後の瞬間も妹への気持ちを示しながら「天使のはしご」を昇っていく。悲しくって切なくって涙の出そうになる物語があの絵で描かれているからもうたまらない。萩尾望都さんの「半神」にも重なる珠玉の一篇として長く漫画史に語り継がれて当然だって思うけど、未だ紺野さんって一部に愛好家にくらいしか知られていないからなあ。かといって知られすぎて「ひみつの階段」がテレビドラマ化されても困るし。知って欲しいけと汚されたくないファン心理っていつも微妙です。

 釣りに関連した写真を撮っておこうと「国際フィッシングショー2005」に行くと会場のそこかしこに「パブリックコメント」の文字。例のブラックバス(オオクチバス)が「特定外来生物被害防止法」における「特定外来生物」指定リストの第一弾に入りそうだって話を受けて、それに対して一般から広く募るご意見(パブリックコメント)を会場に来ている釣りファンの人たちにも出してんもらいましょうって呼びかけで、とりわけ最初は指定リスト入りが先送りにされていたオオクチバスが小池百合子環境相の鶴の一声でリスト入りしそうだって事態になったものだから、会場のそこかしこで開かれていたバス釣り関係者の「パブリックコメント」提出を呼びかける言葉にも、どこか”決起”って感じの力がこもってた。

 釣り具のショーでのこうした意見を募集するって構図は釣り具業界の利益を守らなくては成らない、釣り人たちの楽しみを奪う法律には反対しなくてはいけないってゆー利益受容者側のエゴばかりが反映されたものだって思われがち。一方でバスが日本に古来からいるってゆーことになってる鯉だの鮒だの公魚だのを食べてしまうってゆー意見が環境保護の側から出されてて、バスフィッシング推進派にはいささか分の悪い状況になっている。業界のエゴが日本を壊す、って趣旨からの報道も実際に山とあって、最初にリストから外れたのは業界団体の圧力に環境省が押し切られたからって報道が先を走ってそれを見て業界に負けたってイメージを被りたくないからと、小池百合子環境相が1月21日に指定リスト入り先送り方針を大臣の権限でひっくり返したところ、新聞なんかはやんやの喝采を贈ってその”決断力”を讃えまくった。

 けどこれって本当に快挙と讃えて良いことなんだろーか。指定リスト入り先送りって別に業界の圧力があったからじゃなく、どちらかってゆーと業界側の意見をあんまり採り入れてくれない学者先生たちが集まった小委員会ですら、影響を特定できず釣り人たちの協力だって必要だからってことで半年先まで議論を煮詰めようってことで事情から出てきたものだったはず。あるいはそーした小委員会の意見のそこかしこに業界団体なり、その意向を汲んだ政治家の圧力があったのかもしれないけれど、だからといってそーして論議されて出された結論が、大臣の鶴の一声でひっくり返ってしまう状況って果たして快挙だの英断だのって言えるんだろーか。むしろ怖いことなんじゃなかろーか。

 例えば児童ポルノ規制の問題なんかで直接的な被害者がいる(モデルになる子)写真とかは論外に規制されて当然としても被害者の直接いない絵なんかも、与える影響が甚大ってことで規制されよーとしている状況に、人の情動を左右して犯罪へと走らせるよーな因果関係はないしよしんばあったとしても表現の自由は守られるべきだってロリ系漫画の人たちが主張して、表現規制にナーバスなメディアの関心を得て戦いを有利に運べていてもそこに絵であろーと犯罪者を生み出す懸念はあるしそれは実際に起こった事件を見れば明らかと、大臣なんかが鶴の一声で規制を叫ぶとそれが快挙と呼ばれてしまう構図を想像してみればいい。

 そしてこれは決してあり得ない構図ではない。日本政府は国民の皆様のために頑張っていますとアピールしたい偉い人が鶴の一声で規制を訴えるとそれがまかり通ってしまう可能性を、オオクチバスの一件がまさに証明してしまっている。バス釣りを楽しむ人の権利なり釣り具の販売や入漁料で稼ぐ漁業関係者の生活権を守る戦いを淫靡な児童ポルノを一緒にするなと釣り人なり釣り具の業界は言いそうだし、止めろと言われているのに欲望からバスを違法に放流しては生態系を破壊している輩もいないわけではない釣り人釣り業界のエゴと表現の自由を守る人たちを一緒にするなと漫画側は言うかもしれない。

 それはそれでこれはこれと分けて議論する必要はもちろんあるけど、政治家が見栄と思い込みで突っ走ると民主的な議論も建設的な意見も簡単にひっくり返されてしまうとゆー気持ち悪い状況が、今まさに起ころうとしている。権利ばかり主張するとエゴとされる恐れを踏まえず、戦い方を間違えると結果として破滅を招きかねないことを学ぶ上でも、お上を相手に意見を通したい勢力はこれからオオクチバスに絡んで起こるさまざまな論議なり運動を見ておく必要がありそー。バスが環境を破壊しているかどーかは差詰め問題ではない。個人的には食わない漁は苦手ではあるけれどそーした個人的な感情も問題ではない。民主的な手続きが情動的な政治と扇情的なメディアによって蔑ろにされよーとしている状況が問題だ。まずは31日のリスト発表に注目。

 杉原智則さんの「てのひらのエネミー 魔王咆吼」(角川スニーカー文庫、590円)は4巻で”シリーズ完結”。って全然まるで終わってなくってよーやくアウルが魔王として屹立する決意を固めたってところで魔法使いを排除しよーとする王国との戦いも全然始まっていない段階で、これを完結と言われてしまうと浮かぶ違和感も甚だしい。とはいえアウルが魔王となって支配を固め勢力を集めて王国に立ち向かう一方で、王国でもシーらが権力を奪取し政治的な基盤を固めてアウルに対峙するまでに育つにはあと何年何十年も必要で、そんな大河ドラマを演じていたら10巻が20巻あっても足りなさそー。一段落させつつ将来を伺わせてエンディング、ってのが引き際として良かったってことなのかも。勿体ないけど。軍服じゃなく少女姿になったシーラがちょっと可愛いけど表紙のぶすったれたシーラも嫌いじゃない。こーゆーのにやっぱり弱いんだなあ自分。


【1月29日】 前屈まれたい。などと「ヤングキングアワーズ」の2005年3月号掲載「ジオブリーダーズ」を見て興奮しつつ感じた人の13万人はいただろーことをここに断言。ベッドで横たわる田波洋一の立場にその身を置き換えた時に湧き出る感情で、この場面、忍び込んで来ていた厚生省ハウンドの成沢が、田波の手から空になった缶を取ろうとして腰を曲げ顔を近づけて来る。

 そんな前屈みになったポーズを成沢がした時、人間の女性に特有の胸部に2つある隆起が重力の影響で下へと伸びてはセーターを内部から押し出し、屈まれた人間の眼前にある種の鍾乳石にも似た形状を現出させては眠っている田波の視野を遮る。すなわち視野のほとんどを女性に特有の隆起が占めてしまう訳で、その羨ましさを思うとき、例え命の危険があってんも神楽総合警備へと入り化け猫相手に奮闘した挙げ句入院して、見舞いに着た成沢に自分も前屈まれたいとゆー願望が、浮かんで全身を震わせる。

 廊下を叫びながらストレッチャーで運ばれていく桜木高見の叫びも、眼前に迫るそれの迫力を前にしている田波にまるで聞こえなくって当然か。まこと男子は出ているものに弱いってことで入院した高見ちゃんにはこの休養を活かし鍛錬して、せめて重力の影響を受けるくらいに立派なものをその胸部に育んでもらいたい。でなきゃ可哀想過ぎます高見ちゃん。無事に難局を乗り切りインターミッションに欠かせない銭湯へとたどり着けた蘭堂栄子ちゃん梅崎真紀ちゃんがともに重力の影響を過分に受け易いスタイルだけにその不憫さもいっそう引き立つ。社長? あれは論外。だけど過去に神楽警備保障にいたはずの彼女が今回明らかになった”事件”を乗り切っているってことはやっぱり相当な秘密を抱えていそー。それが明らかになる時は近く来るのかまだ先か。竜とそしてあの人はどーだったんだっけ。

 秋葉原をのぞきつつ池袋へと回って「ジュンク堂」で開かれた冲方丁トークショウwith大森望×三村美衣の「ライトノベルめった斬り」コンビのイベントを、会場と書店を隔てている本棚に張り付いて本棚越しにタダで聴く。前に東浩紀さんが登場した時もそんな聴き方をした記憶があるけれど、その時よりも壁越しでタダ聴こうとする人が多かった感じで、「めった斬り」なんかが招いた”ライトノベル・ブーム”の影響力の高さを伺い知る。まさか本棚周りに溜まっていた人がみんな江戸とか城郭とか街道の歴史に興味のある普通の買い物客ってことはあるまい。いやそんな本が仕切りの本棚にはぎっしりと詰まっていたんで。

 もっともそんな本でも見て壁越しのトークに並んで興味をそそるものがあったのも事実で、ついつい読み耽ってしまいトークの一部を聞き逃してしまった。けどねえ、「南セントレア市」なんて間抜け極まりない地名が南知多に登場しそうって話を聞いたあとではどーしても、「こんな地名はつけるべきではない」的意見の掲載された本に興味が及んでしまうのだ。詳細は立ち読みだったんで記憶も曖昧だけど、大意として地域を無関係な地名は付けない方が良い、ましてや「南アルプス市」なんてもってのほかって話があってますます「南セントレア市」の間抜けぶりが浮かんでくる。けどそーした間抜けが通ってしまうのが今の日本だからなあ。どーなりますことやら。「南」があるならただの「セントレア市」は出来ないのかなあ。常滑当たりが改名することになるんだろーけど。そーなると「常滑焼き」は「セントレア焼き」ってことになるのか? ありがたみ薄いなあ。食べられそうではあるけれど。

 さて壁越しのトークは本の著者でつまりは主賓であるはずの大森さんも三村さんも身を退きひたすら冲方丁さんの独壇場と化していて、ライトノベルの書き手はもっと社会性を持とうとかライトノベルを沢山書くには漫画家みたいにプロダクション的な仕組みを作る必要があるとかいった、冲方丁的ライトノベル業界構造改革論が中心になってて「ライトノベルって何なの?」的な興味からイベントに参加した人は頭にハテナマークもいっぱい出た可能性がありそー。超絶二枚目の長身ライトノベル作家をその目で見に来たかったってゆー人にとっては想像以上の端麗ぶりにビックリマークが一杯出たかも。前に見た時より精かんになってたし、ってそれは仕事のし過ぎって奴。

 まあ、こーした出版業作家業における構造改革が最もやれる可能性があるジャンルってことでライトノベルのことを挙げていたって考えれば、立派にライトノベルのことを語ってたって言えるのかも。キャラを作るチームがあり物語を考えるチームがあれば今まで以上に高品質な小説を高頻度で送り出せる訳だし。ただ最後に編集者の人が漫画と小説じゃあ発行部数が違うんで得られる金も違ってプロダクション的にしたら1人頭の金額が小さくなるんで無理じゃないかって言っていたのもこれありで、量産化と高品質化が底上げにつながり結果として漫画的に大勢を養えるだけの市場を作り出す可能性も一方に含みつつも、やっぱり1人が筆1本で量産していく形が続くのかも。そーした血を吐きながら続けるマラソンに勝ち残った1万分の1成り10万分の1が長者番付にその名を連ねる刺客を得る。厳しいなあ。やっぱりみんなが楽して設けられる仕組みの中から多様性のある作品が出て来て欲しいなあ。

 何かいきなり出ていた須賀しのぶさんの新シリーズ「ブラック・ベルベット 神が見棄てた土地と黒き聖女」(集英社コバルト文庫、495円)を買って読んだら最高だった。どこか西部的って雰囲気も持つ惑星の片田舎にある宿屋に黒い服をまとったキリという名の美少女が訪れる。賞金稼ぎをやりながら旅をしている彼女が探しているのは1人の神父。3大賞金首と呼ばれる内の1人を倒したとして知られるその神父は戦った直後に行方不明となってしまってて、そんな彼をキリは探して旅をしていた。

 教会が支配する世界でキリは教会に反旗を翻すような言動を取って街を治めていた神父から疎まれる。挙げ句に3大賞金首の1人ではないかと目され身の危険も感じるくらいの攻撃を受けるものの、見るからに秘密を背負った感じがするキリは追っ手を退け今また最強の敵とも対峙しながら消息を絶った神父を捜す旅を続ける。その間に女の友情にも似たドラマが繰り広げられ、悲しい運命を嘆く人間のドラマが演じられて読む人を感涙の境地へと引きずり込む。とにかく謎めいて圧倒的なキリってキャラクターが最高で、どこか浮世離れした所を持ちながらも締めるべき所は締める強さとそして、類い希なる美貌を引っさげ今後の活躍に期待も膨らむ。女3人の珍道中。果たして行き着く先はハッピーエンドかそれとも悲劇か。注目しつつ先を追おう。


【1月28日】 突如思い至って「キム・ポッシブル」のファンになる。今さら、って想う人の大多数だとは分かっているけど「ディズニー・チャンネル」なんでまるで見る機会のない人間にとってはトミーの新作玩具発表会に登場していた姿が初対面。ディズニーキャラクターを「トミカ」にプリントして販売するシリーズのひとつで「フェアレディZ」にプリントされているイラストの、その細腰っぷりその猫目っぷりから勝ち気そうで強そうで、でも内面はまだまだ可愛い女子高生って感じのキャラクターが想像できて動いている姿を是非に見てみたいって衝動に駆られる。

 2002年辺りから米国では放映が始まっていて日本でも2003年の「ディズニー・チャンネル」の開局に合わせて登場して来た模様。決して日本的な”萌え”を喚起させられるキャラクターではないけれど、「舞−HiME」だったら強そうな外面を見せて突っ張っている玖珂なつきとかが好みな青少年なら、”萌え”よりもむしろ居丈高な雰囲気で叱咤してくれるキャラってことで、この「キム・ポッシブル」に興味を示す率が高そう。いや本当にどーゆーキャラなのかは分からないんだけど。DVDとかも出ているみたいなんで買って見てみるか。ディズニーの少女キャラだとインクレディブル夫人くらいに好きかも、ってインクレディブル夫人は少女じゃありません。

 トミーで見かけた新製品では「プラレール」の「名古屋鉄道スペシャルセット」なんかがツボ。小田急ロマンスカーなんかで関東地区ではそれなりに知られている形の「パノラマカー」が名古屋鉄道のバージョンとして登場していてあの独特の形とそして、名鉄独特の赤で再現された品物に4年の期間をこれを使って豊橋まで通った血がうずうずと騒ぎ出す。商品化されるのは「7000系」と呼ばれるパノラマカーと新しい「1000系」のパノラマカー、そして岐阜の路面電車なんかとして走っているか走っていたらしい「モ510形」って車両の3種類。「モ510形」なんかは1926年に登場した80年近くも大昔の車両で先頭部分がアイスキャンデーのバーみたく円形になっててなかなかな大正モダンぶりを感じさせてくれる。3車両がセットで税込み4725円はマニアにとって小銭かな。

 「スター・ウォーズ」関係も展示があったけど「エピソード3」に関しては情報がまるで明らかになっていない関係もあって商品もまるで明らかになっていなくって、これまでのキャラクターを使った商品がとりあえず紹介されていた程度。やっぱり気になったのが「ダース・ベイダー ボイスチェンジャー」ですでに昨年末から「トイザらス」なんかでは先行販売が始まっているけど、あの重厚なお面を被ってスイッチを入れるとマスクの中から喋る声がぜんぶ「ダース・ベイダー」になってしまうとか。喋りが軽いし弱いとゆーことでセールスなんかでいつも相手に舐められてしまう人、プレゼンテーションが相手になかなか伝わらない人なんかが使うと「理力(フォース、原力って訳もあったっけ)」の導きもあってそれなりに押し出しを得られるかも。ってお面を被ってセールスするのか。したいなあ。

晶のチャイルド、ではありませんげろげーろ  バンプレストで取材があったんでついでにバンダイ前のキャラクターストリートを観察。初期の頃からメンバーも代わって1番大通り寄りに「プリモプエル」を差し置いて「仮面ライダー1号(二本線)」がすっくと立っててなかなかな格好良さ。今でこそあれやこれやと様々な仮面ライダーが登場しては子供とお母様方の人気を獲得しているけれど、良い世代の大人にとって仮面ライダーといったらやっぱり1号2号が基本中の基本。あと「V3」の緑色したやつと「ライダーマン」と「X」と、「アマゾン」に許して「ストロンガー」とテントウ虫女あたりまでが「仮面ライダー」って固有名詞とダイレクトに結びつくのです。欲しいけど運ぶのは思いので遠慮。眺めるだけにしておこう。コインを入れるとカプセルが出てくる「仮面ライダー」の大きな人形、ってのが昔あったけどその後どーなったんだろ、あれ。

 ほかに「ドラえもん」とか「ガンダム」とか「ウルトラマンなんとか」が並ぶ中に「フロッグスタイル」も登場していて苦節2年か3年か、オリジナルとして立ち上げたキャラクターがここに来て「バンダイ」を代表するキャラクターに成り上がったって雰囲気で深い感銘を覚える。去年の夏だかにお台場で開かれたイベントには朝から長蛇の列が出来て大混雑で、その人気ぶりに激しい驚きを覚えた記憶があるけれど以後も着々とファン層をひろげて浸透を続けている格好。30年40年のキャラに並んで登場させてもらえたパワーを落とすことなくこれからも精進に励んで頂きたいものだけどさてはて。

 んで「舞−HiME」な訳だが晶がコクりやがって巧海に嫉妬もりもり。またがられるわ抱きつかれるわ、マウス・トゥー・マウスで薬を飲まされるわと女子にして欲しいフルコースをしてもらいやがってて強くもなければ格好良くもない、ただ病弱で姉に心配ばかりをかけている身の上であっても、関心を持ってもらえる羨ましさにそーした経験の皆無な男子として怒りに震える。それはそれとして始まった姫どーしのバトルはやっぱり搦め手からの破綻。だからガキの状況をわきまえない嫉妬は怖いと身も震える。ここで戦い仮に破れた場合に当然、及ぶのは楯の命運だけどあそこではっきりと告白しないで曖昧にボかした自業自得と言えば言って言えそうなんで舞衣には心おきなく殺っちゃって下さいと行っておこう。もんっだいはこれから後か。なつきがあぱらぱーになった姿も悪くはないかなあ。


【1月27日】 僕は膝になりたい。って思った人がおそらくは全国に120万人はいただろーと「ナンバー」2005年2月10日号のフィギュアスケート安藤美姫選手へのインタビューに掲載された写真を見ながら嘆息。何故膝に? ってことは写真を見れば瞭然なんだけど説明するならば女性には子を生み育むための器官とゆーものが幾つかあってそのうちの1つ、とゆーより2つが胸部より盛り上がっていたりして、その種族依存に不可欠な器官的重要性はそれとして、傍目に見た場合のビジュアル的なインパクト、及び主に異性にとっての触覚的心地よさといった権能を持ち、様々な喜悦を周囲に放ち与えていたりする。

 まだ17歳とゆー安藤美姫選手の場合はそーした器官のビジュアル的で触覚的なインパクトが果たしてどれくらいあるのか、といった問題もあったりするけど今時の成長の早い中高生の場合17歳はもはや立派過ぎるほどの大人であって、器官の発達も進み成人と遜色のないレベルまで達している模様。「ナンバー」ではそんな安藤選手が胸元の開いたスケート用の衣装でベンチに腰掛けた姿勢でやや前屈みになっており、必然として胸部よりの2つの盛り上がりによって招じる谷間の深さがクローズアップされて目を惹き付けていたりする。

 ここで問題なのがベンチに腰掛け前屈みになっているという姿勢。決して高さのないベンチで前屈みになった場合、どうしても前へと突き出た膝の位置が高くなってそこに前屈みとなってやや下方へと突き出た胸部よりの2つの盛り上がりは、布地を挟んで情報へと突き出た膝に接触することになる。膝になりたいというのはつまりそういうことで、ビジュアル的なものよりはどちからといえば触覚的な部分から、その存在を極めて近い場所で確認し且つ体感できる立場に両の膝がなっているその様を見て、膝になりたいと思う人が大勢いるに違いないと確信した次第。

 右膝になりたいか左膝になりたいかはまあ好きずきだけど贅沢を言うなら両膝になって、その感触を全身(全膝)で味わってみたいものだが、そんな願いが叶う日は来るか。膝そのものに慣れた段階で見上げれば天空には三角の白(かどうかは趣味の問題だが、安藤選手の)がひろがる境遇に、それで満足してしまうかもしれない。膝になるのは現実問題無理だとして、だったら例えばおぶえば背中で感じられる? なるほどだったら名古屋に帰省した折、信号で困っている安藤美姫選手を見たらおぶって反対側まで運んであげよう。そんなチャンス絶対に来ねえ。

 「香爐峰の雪は簾をかかげて見よ」の言葉があるように、「にんげんはじめました」は帯を外して眺めよという言葉が近い将来、書店店頭での行動としてデファクトなスタンダードになるのではないかと吉岡平さんの「にんげんはじめました」(ソノラマ文庫、476円)の美しくも艶やかな表紙の絵を見て一句。いや漢詩か。メイドの格好をした球体関節を持つ人形見たいな(人形だって場)少女が脚の間にこれは恐らく人間の少女を抱え込んだ構図の、とりわけ抱え込まれた少女が下半身に何も身につけていない関係でなだらかな曲線がこちらを向いた状態に成ってついつい目を近づけてその感触を確かめてみたくなる。やってもただの紙だけど。

 問題はお話に球体関節な人形の少女は出てきても人間の美少女は出てたっけ、ってところで考えるなら天より使わされ、何故か突然閉鎖されてしまった街で起こる不思議な出来事に挑むエリンとゆー小さな人型が、街に取り残されたジャーナリストと彼が街で知り合った老タクシー運転手、と見えて実は悪魔学の権威でもある老教授がひろって共に暮らすことになった時にしている人間っぽい格好の少女が球体関節の脚の間に抱え込まれた少女だったりするのかしないのか。分からないけど美少女2人がもつれあうその表紙絵はなかなか良いものなので店頭ではやっぱり帯をはずして舐めよ、じゃない眺めよとこの本については言っておこう。

 閉じこめられた街でパニックが起こるかというと実は起こりかかっているんだけど描写の方は市長に警察署長が俗物ながらもまあそれなりな権限を発揮して淡々と行政をすすめてて、物語的にはよくある閉鎖空間での食料その他を奪い合うような陰惨なシーンの連続とはいかず、妙に落ち着いた中をさていったいどうすればこの閉鎖空間から出られるのか、といった展開になっててそこに閉鎖空間に呼び出された悪魔めいた怪物たちが人間を襲い騙しているところに、エリンとその従者で黒い化鳥のベルスナールが現れ倒していくってゆーダークでオカルティックな物語。13体の魔物を倒せばエリンは人間になれるらしーけどこの巻ではまだ3つか4つって所なんでこの先まだ暫くシリーズとして続いてくれそー。ちょっと楽しみ。表紙も含めて.

 前線から遠のくと楽観主義が現実にとって代わる。そして最高意志決定の場では現実なるものはしばしば存在しない。戦争に負けている時は特にそうだと昔偉い人が言っていたけどこの場合は前線の様子に半ば気付いてはいてもそれを認めるよりむしろ、楽観主義をとって未来の可能性を先取りした挙げ句に前線が本営まで迫って否応なしに敗戦の実態を気付かされたとゆーことか。拡張路線の果てに収益が出せずタカラは佐藤慶太社長が無念の降板。アイディアは悪くなくまた子供がどんどんと少なくなっていく状況で、エンターテインメントという切り口から生活に潤いを持たせる商品を作り投入していこうとゆー施策に間違いはなかったんだけど、それを実行に移す段階で販売面、商品力といった要の部分がおろそかになってパンクしてしまった感じ。

 前に解任されたやっぱり二代目で慶太社長にとっては兄の博久さんは会社を会社らしくしよーとし、組織を重視した挙げ句に風通しを悪くしてしまって商品開発に滞りが出て停滞を招き退かざるを得なかったけど、こーしたブレーキ踏みっ放しの人とは対称的にアクセル踏みっ放しだった慶太さんの場合はそれが行き過ぎてハンドルを切れず壁に激突・大破してしまったって感じか。いずれ経営には必要な才能ではあるんだけどどっちも持ち合わせているって人はなかなか少ないってことか。ブレーキな人にはアクセルな部下、アクセルな人にはブレーキの番頭がいて丁度いいけどそーした脇役を共に二代目社長である意味権力者の場合、なかなか持ち得ないかいても周囲が遠慮してしまって結果的に機能しないってことなんだろー。新社長は番頭さん的人だけどさてはてどこまで自主性を発揮できるのか。まずはお手並み拝見。


【1月26日】 課題図書で回ってきた野口武彦さんの「幕末の毒舌家」(中央公論新社)が妙に面白い。取り上げているのは大八木醇堂ってゆー江戸末期の1938年から明治も30年目の1897年まで生きた人で幕末維新の動乱を、江戸にあってつぶさに見て来た人らしーけどその生い立ちに問題があったのかはたまた性格に難があったのか、書くことの大半は嫌味も混じった毒舌文章で残りは自分の頭の良さについての自慢話。だけどそこに江戸でも最優秀に近い頭をもってため込まれた該博な知識が入るものだから、単なる悪口雑言とは違った面白さがあるらしい。

 らしいというのは野口さんの醇堂への解釈も含まれているからでただの雑言の裏にある、醇堂のおかれた立場や育まれただろう性格を読んでそこからどうしてこういうものの見方が出てきたのか、でもってその時代の江戸や幕府はどういう状況にあったのかを解説してくれているんで、醇堂とゆー歪んだフィルターを通して描かれた江戸明治の諸相が、官製の歴史とも戯作の類とも違った趣を持った、人の息吹と血肉の感じられるリアルな姿で浮かび上がって来てなるほどそんな時代だったんだ、でもってやっぱり人間が生きて歩いていたんだってことを感じさせてくれる。

 もともとは旗本の家に生まれた醇堂は、祖父が将軍家より水戸家に嫁いだ姫様の世話役とゆー偉い人だったけどこれが偉すぎたこともあってその死語もしばらく生きていることにされてしまい、既に宮仕えしていた父親もいたため3代は出仕できないという規約か何かに引っかかって、それなりに優秀な成績で官吏登用の試験に通っても仕事がもらえず腐ってたとか。そんな挫折と金持ちへの僻み妬み嫉み(お姫様の世話人は給料も良いけどその分体面を保つ出費も多くて赤字らしい)がつもり鬱積して生まれた醇堂の文章は、自分が水練の時に将軍様の前で披露した日の丸半纏が幕府の軍艦旗になりやがて日本の国旗に成ったとか、水戸の碩学・藤田東湖に出会った時も子供ながらに小癪な問答をしたとかいった自慢話が織り交ぜてあってホントウなのかウソなのか、分からないけどその負けず嫌いな感じが出ていて愛着が湧く。

 幕府の事情に詳しい一方で悪所と言われる場所についても詳しかったりして一体、どうしてそんな知識を持っているのかと言われそうな醇堂先生。だけどやっぱり言葉にホントウなのか分からないところが多すぎるってこともあったのか、歴史的にそれほど頻繁に取り上げられたことはなかったみたい。それを野田さんは「世を拗ねる。冷眼で見る。白眼視する。幕末の時代を不遇に生きた醇堂の眼差しもやっぱり偏見に満ちている。自分を受け入れない社会に向けられる目はどこか歪んでいて、皮肉やで、冷罵と嘲笑でしか世界と接しないところがある。これも立派な変更レンズである。その独特の解像力をもって、歴史を見る光学装置に利用できないか。ひがんだ見方だからこそかえって、<幕末>における社会と人間の真実が顕れ出るのではないか」と言って取り上げる。この切り口もどこか醇堂的、って言ったら野田さん起こるかな。ともあれ面白い人を取り上げてくれたと拍手。今だと醇堂的な評論家って誰だろう。唐沢俊一さんの仕事なんか100年後にこういう紹介のされ方とするのかな。

 「電車男」と「mixi」が政府の偉い賞をもらったってんで「デジタルコンテンツグランプリ」の授賞式をのぞく。デジタルコンテンツ協会、ってその昔はマルチメディアコンテンツ協会とかマルチメディア協会とか言ってた団体だけどマルチメディア的な作品をいち早く取り上げ賞をあげてきた歴史のある団体で過去にはCD−ROMブームのきっかけを作った「GADGET」なんかも表彰したこともあって、国内的にはそれなりな権威を持っている。去年は「東京ゴッドファーザーズ」とかプロダクションIGの石川光久さんとかとっておまけに企業部門はセルシスのアニメ制作ソフトで、アニメ関連が3冠を取ったと話題になったっけ。今年は賞の体系がまたちょっと変わって、企業関連のシステムやサービスが受賞する部門ではまたしてもセルシスが「コミックスタジオ」で受賞。一方ヒットしたコンテンツを表彰する部門で「ドラゴンクエスト8」が受賞して、堀井雄二さんが授賞式に駆け付けた。

 「電車男」はそんなヒットコンテンツ部門の優秀賞として選ばれたもので、授賞式にはさすがに電車男も中の人も、中野独人も来られず代表してひろゆき氏が登壇して賞状を受け取っていた。受け取るときにしげしげと眺めたのは珍しかったからか? その後の記念撮影前の時間に堀井さんとひろゆきさんが、談笑していた光景は新旧の時代的英雄が邂逅した場面としておそらく記録に残るだろー。一方の「mixi」はシステムサービス部門で優秀賞。イー・マーキュリーの人が登壇して賞状をもらっていたけど怖ろしく若く見えて時代はこーゆー人たちが切り開き、でもって大金持ちになっていくんだと思い悲しい気持ちになる。もっとも堀井さんはあの歳で未だにヒットの最前線にいる訳だからなあ。歳ではなく才能か。ネットのコミュニティを生み出した新旧、ってことでひろゆき氏と「mixi」の人の絡みも撮っておけば良かったかな。去年だったらはてなの人ってことになるところで、1年で諸相がガラリと変わるネットな世界で今の新旧が来年どーなるか分からないけど今、この瞬間のトップランナーってことで記録しておく価値はあったかも。


【1月25日】 あの白くて血の滲んだシーツの中で椅子の上にうずくまったままピクピクと震えるティナが一体、どんな有様だったのかを想像するほどに沸き上がる恐怖感も募る「ファンタジックチルドレン」 の第17話「ティナ」。そんな悲惨な姿の娘を彼女の痛みや苦しみも、そしてその後にもたらされるだろう様々な運命も気に掛けずただ自分の娘を蘇らせたいという願望だけで、節理を無視しあまつさえ己が保身まで謀ろうとした王タイタスの錯乱が、地球で果てしない転生を繰り返させられそのたびに家族と引き離される哀しみを味わってきた「ベフォールの子供たち」や、どおか遠くにある場所を思いながらも現世を漂うように生きたクリスティーナとセラフィーヌ、今はヘルガという名の女性たちを生み出してしまったのだと考えるなら、権力者としてのタイタスはやはり暗愚な王だったのかとも思え、見た目も喋りも悪役そのものの王弟ゲオルカの方が為政者としては上に思えて来る。

 もっとも家族との絆が「ベフォールの子供たち」でもトーマでも大きな要素になっているのを考えれば王タイタスの家族を想う気持ちが出過ぎただけだと、ティナへの最初の処置を認めて認められないこともない。魂が固有のものなら器はどうあれそれはティナ。記憶だけを受け継ぐたぶん3番目のあれとはちょっぴり意味も違って、代わりのきく存在ではなくかけがえのない存在だと人間を捉えている節がまた残ってる。問題はだから事件をきっかけに生まれた疑心に蝕まれた王タイタスの振る舞いで、ティナをただティナとしてだけではなくその内に恐るべき秘密を持った存在にしてしまった所に彼の限界が見え、そこに地球で起こっている様々な別離の哀しみの原因が探れて憤る。

 始まってしまったこの輪廻が正しい形へと収束していく日は来るのか、そしてそれはヘルガやトーマや「ベフォールの子供たち」にどんな明日をもたらすのか。ゾーンの節理を破った「ベフォールの子供たち」やティナだけに苛烈な運命も想像できるけどそこを誰もが納得でき、可能ならば歓喜して見終われるエンディングをなかむらたかしさんには用意して欲しいけどしかしなあ、シーツの中でピクピクふるえる瀕死のティナを画面に出す人、だからなあ。キツそーなエンディングも覚悟しておかないとやっぱりいけないかなー。

 街に出たついでに21日は発売になっていたサウンドトラックCD「O.S.T 〜ギリシアからの贈りもの」を購入。新譜なのにまるでショップの店頭では見かけなくって棚差しのが唯一の在庫だって状況は何だろー、それだけ売れに売れまくったことではたぶんなくって今ひとつ、今どきのキャラがどうしたってアニメでなければCDも売れないって思っている人がアニメのCDを作ってる人にもアニメのCDを売ってる人にも多いってことなのか。けどアニメを見る側は思いのほかに柔軟で、延髄レベルで萌えとやらがどうって反応している人もいるにはいるけどそれは少数、そう言いながらも常に面白い物語を探そうとして日夜テレビ画面の前に座り新番組をチェックし、ネットを漂っては評判を探っているのです。「ファンタジックチルドレン」はそんな評価の糸に遠からずひっかかる作品なので作り手は今から大キャンペーンを貼ってCDを売りDVDを売る準備を進めておくよーに。「lain」だって「灰羽連盟」だってそーやって盛り上がり伝説になったんだから。

 んでCDはやっぱり良い。「ゲルニカ」は横目で戸川純さんの奇天烈さをながめていた程度で音楽にまでは気が回らなかったけど「GADGET」って大昔にあったCD−ROMのマルチメディアソフト(死語)の音楽当たりで気になって、その後に発表になった「GADGET」の音楽と映像がミックスされたタイトルの発表会(確か浅草のアサヒビールの横にあるホールで開かれたんじゃなかったっけ)で音楽にぶっ飛ばされた記憶があってそれから「イエロー・ブリック・ロード」の楽しげな音楽も担当してたんじゃなかったっけ、そんなこんなで名前は耳に記憶していた上野耕路さんが作った音楽は繊細にして儚げで、思い記憶を引きずったまま転生を繰り返しては膿んでいく「ベフォールの子供」たちの運命をそのまま表現したような楽曲とか、「ヘルガ」とかいろいろ聞いて耳に残る旋律が多くあってついつい何度もリピート再生してしまう。

 もちろん音楽そのものの素晴らしさもあるんだろーけどこの作品は、記憶の檻に閉じこめられた「ベフォールの子供たち」が放つ悲しいイメージや遠くギリシアを思いひたすら手を動かし続けたクリスティーナにセラフィーヌ、そしてヘルガといった女性たちの存在、そんなキャラクターたちが動き回る街や走り回る自然を表現したビジュアルまでも含めてトータルでその雰囲気を作り上げているって言えるから、聴く人は上野さんの新譜ってだけじゃなくやっぱり、なかむらたかしさんや美術の山本二三さんが作り上げたあの世界観に触れた上でそこに登場する人たちの揺れる思いを想像しながら、聴いて欲しいって気がする。ってかCDを先に開けちゃうと中の年表でお話がとりあえずの所明らかにされちゃってるんで、やっぱり映像からを先にした方が楽しむ上では吉かと。DVDっていつ出るんだろ。

 秋葉原では「K−BOOKS」で恒例の桜坂洋まつり。新作の「よくわかる現代魔法 jini使い」のサイン本がレジ横に平積みで売られてるんだけど今回は奮発したのか海原零さんと砂浦俊一さんのサイン本も平積みで誰が1番先になくなるか競争状態で、ここまでの手間をかけてでも売りたいって編集サイドの熱意が見るからに伝わってくる。聞けば近隣の他の店にもサイン本を蒔いた模様。気合い入ってるなあ。ちなみに桜坂さんは前作「ALL YOU NEED IS KILL」のサイン本も並んでいたんで読んでお気に入りになった人は今がサイン本ゲットの”最終”チャンスかも。2冊もいらない? だったらサイン無しは他人にあげて信者を増やしなさい。そうすればサイン本の価値も上がるから。


【1月24日】 「黄泉がえり」の舞台となった熊本県からそれほど遠くない長崎県だからじゃないのかな、なんて妄想をしながら読んだ「読売新聞」の死んだ人は生き返ると大勢の小中学生が信じているというニュース。すわリセット世代の台頭か、ってゲームの”悪影響”を喧伝したい勢力に利用されかねない懸念も抱いたけれど、理由のうちでは「テレビや映画などで見たことがあるから」ってのが29・2%とダントツで、「ゲームでリセットできるから」は7・2%だったってことを考えると、ゲームを悪者にしたい一派はむしろテレビの影響をもっと訴えるべきなんじゃないかって思えてしまう。

 CGの”絵”がいくら死んで生き返ろうともそれを我が身のこと、現実世界でも起こり得ることだと直結させて考える人なんてほとんどいないってこと。人が死んでは生き返って来る実写のドラマなり映画がもたらす影響の方をこそ、より問題にすべきなんだろーけれどいったん”仮想的”となるとゲームのすべてにおいての悪役のポジションは、なかなかひっくり返るものではないらしー。いわば”身内”のテレビを批判するよりゲームの方が矛先を向けやすいってこともあるんだろー。かくしてゲーム脳とやらにならないまま日本人の頭は、テレビに浸され毒された挙げ句に死んでも人は生き返るんだと信じ込むようになってしまうんだろー。言い続けると真実として定着するゲーム脳ってタームの伝播力と浸透力、怖ろしいです。

 麻布十番通りをカエルだって睨み殺せそうな目でぷんぷんと怒りながら六本木ヒルズへと向かって歩いている一ノ瀬弓子クリスティーナがパンツをはいていたかどうかは気になる所ではあるけれど、桜坂洋さんの「よくわかる現代魔法 jini使い」(集英社スーパーダッシュ文庫、495円)はそんな描写を小味にしながらも本筋は家庭での居づらさから家出した小野寺笑という名の少女が電子の精霊たちとお話できる力を使って六本木ヒルズに住み着いていた所に、弓子が持つ杖に眠る魔力を引き出そうと企む男の陰謀がめぐらされて笑の力を奪いまた、六本木ヒルズに姉原美鎖の仕事に着いて来ていた森下こよみと坂崎嘉穂も巻き込まれてしまう。

 とりわけ嘉穂は防火扉の隙間に閉じこめられて身動きがとれず、魔物たちにも手足を削られ危機一髪といったところ。笑の方も自慢のjini使いの力を横取りされてこれまたヤバい状況におかれていた。絶体絶命のピンチをまたしても救ったのがあらゆる魔法を組み替え金だらいに変換してしまう森下こよみ。それがどんな手段だったのかは読んで頂くとして、限定された空間に集まった最小限の人間たちのやりとりの中で、1人の寂しい少女が過信し空回りした挙げ句に崩壊しそうになっていた所を救われ、何かに頼らず誰かにすがらなくっても前を向いて歩いていけるよーになる成長のドラマが描かれ読んで感銘を与える。過不足のないキャラたちによるスリリングな展開に気がつくと1巻の終わりってお話作りの巧さが光る1冊。文体も相変わらずに淡泊です。

 もっともそんな本筋とは別に、六本木ヒルズの屋上を舞台に一ノ瀬弓子クリスティーナと姉原美鎖の魔法バトルが突然始まってしまったのにはビックリで、何が美鎖に弓子をそこまで攻撃させたのかって理由が謎で、戦いの決着もも謎のまんまで次巻へと物語がつながっていっているのが目下の最大の懸案事項。嘉穂と笑とこよみのセーシュン物語にもたらされる決着に胸をなで下ろせても、シリーズで最大の重要人物たちに起こる事態の行く末は今後の展開に大きな意味を持ってくるだけに何が起こっているのか、でもってどうなってしまうのかが無茶苦茶気になる。

 敢えて中書き的な場所に「あとがき」を持ってきて嘉穂と笑とこよみの物語にケリをつけつつ、その後にもう1度本編をつなげて美鎖と弓子の顛末を入れた辺りに次巻での急展開が予想されるけど、さても一体どーなってしまうのか。期して待ちたいけどいつ出るのかなあ。ちなみに中書き的なあとがきには霜越かほるさんの「双色の瞳」の続きがSDで見られる日も近い、刮目して待て、なんてコメントもあってそっちにも期待大。やっぱりいつ頃出るのかなあ。


【1月23日】 退きつつもやっぱり筋肉の強ばりは残り腰痛を引きおこしてくれて明け方にかけて目も冴える。今回のインフルエンザは体力増進にもなかなかやっかい。仕方がないので録画してあった「ギャラリーフェイク」の第3話を見る。頭に星の付かないクーリエたちにスポットを当てた話でジャンボジェットに持ち込まれたラファエロの名画が強奪されそうになってその際の事故で温度調整がいかれ名画にひびが入ってさあ大変。乗り込んでいる美術取扱のプロたちすなわち「クーリエ」も手の出せない中を我らがフジタがメトロポリタン美術館仕込みの腕前を発揮し裏板の修復から表面の絵の修復までを瞬く間にやってしまう。

 そこまでなら良い話で終わるところを強奪しよーとしていた犯人が誰かを知って交渉を持ちかけ自分もちゃっかり懐に金を入れるとゆー悪道ぶり。ラファエロを持ってきた学芸員に呆れられ嫌われるとゆー実にフジタらしー落ちを見せてくれた展開は劇的でもないし圧倒的でもないけれど、その分そーなるんだろうって安心して見ていられて誠土曜日の夜に気持ちをのんびりさせたおじさんたちが、眺めるに相応しい作品っていえそー。石坂浩二のクーリエを解説するナレーションもそんな気持ちにマッタリ響きます。

 原作のスリルがないって意見もあるけれどまあアニメってことで。絵の方は1話よりも何故か改善されてる感じがあってサラの表情があれこれ変わって結構楽しい。フジタも高潔さと卑俗さが背中合わせに同居した、軽薄さの下に怒りをしのばせた男って感じをまあ出してる。森川智之さんの声もそんなフジタをよく現していて見ていて違和感がまるでない。サラはなまりがないのが不思議ではあるけどロレッタ織姫みたくいつもなまられても鬱陶しいんでナチュラルで良しとしておこー。エンディングのサラはなかなか可愛い。猫も可愛い。このエンディングだけで全て許す。ってつまりあまり許してない?

 せっかくだからと「ファンタジック・チルドレン」を1話からすべて見返す。何故か奇跡的にすべてをハードディスクに録画してあったのは1話2話あたりまで見て分からないなりにこれは凄い世界観の広がりを持った作品なのかもしれないって予感を抱いたからなのかもしれない。あるいは”サイコピノキオ”と評された「パルムの樹」からの当人的にはともかく傍目からはそう見える”リベンジ”がどう果たされてていくのかを確認したjかったのかもしれないけれど、それは1月に入って物語が地球から一気に宇宙へと広がった中で、散らばっていたピースが重なり合い人々が関わり合って壮大なスケールの物語が浮かび上がったことで十二分に果たされたって断言できる。

 思ったのはこれほど”人と人とのつながり”を大切に描き出そうとしたドラマがあっただろうかってゆー感動で、魂が永遠無比に転生していくってゆー定義はリアルには受け入れがたい思想ではあるけれど、それを決して素晴らしいことの代表としては描いておらずむしろある現世におかれた魂が、家族や友人や住民達はその他大勢の人たちの魂を触れあうことで満たされ喜び悲しんだりもするけれどやっぱり嬉しい様を、そうした魂の触れあいに留まれず転生を余儀なくされる「ベフォールの子供たち」の、強くあろうとしてもどこかで残してきた家族達への思慕を募らせる描写から描き出していて心を潤ませる。

 一方で現世に身寄りを持たず放り出されたヘルガが、トーマの家族達が見せてくれる優しさに喜び涙し、トーガの幸せにとって自分たちは入り込めない異分子なんだと決めつけ飛び出してしまう描写が人とのつながりを得られない哀しさを描き出す。そこで甘えられれば楽なんだろーけれどそこは遠く彼方より来て故郷を夢見る魂を持って生まれた少女だけあって、自分の本来居るべき場所を探し求める旅を選んでしまった。ある意味高潔だけどある意味魂の連続が見せる厄介さ。人はそんな魂に従うべきかそれとも現世での喜びを選び取るべきなのか。ヘルガがベフォールの子供たちと”再会”を果たして今、選び取ろうとしている未来の行方が答えを指し示してくれそー。気になるのはトーマ自身の存在の謎。時折見る夢で足下に横たわる仮面の男との関係は? ああ次が気になる今すぐ見たくなる。これからは月曜深夜は午前2時まで寝られない。

 街に出かけたついでに買った金曜日に既に出ていた「エルゴラッソ」の2005年1月22日/23日号は表紙に堂々のイビチャ・オシム監督をフィーチャー。「今日はトレーニングではない。新しいトレーニングスーツのお披露目会に過ぎない。あとは選手たちが仕事を忘れていないかの確認だけだった。選手たちが健康であるということはわかった」って初日から午前と午後の2部練習をやらせててのコメントにしては人を食い過ぎているって選手たちから反発も起こりそうだけど、3年目となるオシム監督の流儀を選手たちもすでに十分承知なよーで「帰ってきたことが嬉しい」と佐藤勇人が言えば巻も「想像していたとおり」と流す余裕の対応。それをやることの結果ってものを肌身で知っているからこその対応ってことでつまるところは結果を出さなければ無理難題に思えることに人はついていかないってことだと言えそう。逆に言えば1年経って結果の全然出ていないビジネス新聞で、同じ編集幹部が人を更に減らしてでも愛知万博も近い中部地区を強化しようとしたり相も変わらず芸能ネタを広告的価値で推し量ったりする同じテイストの紙面を作り続けようとしたって下はとっくに限界ってことで。名古屋で売るには3年が必要なんだよそーゆー土地柄なんだよ。わかっちゃいねえなあ。わかってたらとっくに何とかなってますって。

 「ビッグイシュー」の1月15日号に滝本竜彦さんがエッセイを寄せているってんで買って読む。エッセイは2005年を頑張ろうって話だけど相も変わらず2004年ハイソが強いばっかりで大変だったんで2005年は自分を変えようって言っているんだけどそこにすかさずつっこみアスカ? ではなく南国の美女。「いくら歳を重ねても、なにひとつ進歩していないって自分でもわかってるでしょう? 同じ所をグルグル回ってるって気付いているでしょう?」。かくして妄想彼女の叱咤されつつ自分を変えようと念頭に決意し果たせない代わり映えのしない1年が幕を開けるのであった。そんないつもながらのエッセイなのに面白いのはやっぱり滝本が不幸せの代弁者だからだ。決して幸せになってはいけないんだ。彼女? 返上しなさい。お金? 寄付しなさい。いつでも受け取りに参ります。


【1月22日】 やや退いたとはいえやっぱり明け方にかけて腰の痛みも強くなって目覚めそのままどろりどろりと朝。湿布を貼り替えまた横になって1日を潰そうかとも思ったけれど、今日明日と「幕張メッセ」で「次世代ワールドホビーフェア」が開催されていることを思い出し、写真だけでも撮っておけば後でどうにだって記事を作り上げられるってことでここは多少の無理を押しても会場を舐めておことうと、起き出し着替えもせず服を着てダウンコートを羽織り電車に乗ってバスに乗ったらなんだか異臭が漂っていた。自分だった。汗出しまくりで5日も風呂に入っていなけりゃ異臭も出るよね。まだ周囲を1発で退かせるほどではないけれど、もう2、3日したら頃合いも良くなって楽しい状況を作れるかも。そのまま会社に行くってのはどうだ。あっちはあっちで違う異臭が漂っているから気付かれないか。

 いつものようにNTT前で降りて歩いて「メッセ」の会場へと入り受け付けをくぐって場内へ。既にして床の上を「ダンガンレーサー」を組み上げる子供たちが大勢いて、通路もまっすぐ歩けないくらいの混雑ぶりでこのインフルエンザ大流行の折りにこんな場所へと子供を連れてくるなんてあんたら鬼か、ってな憤りを覚える。だったらインフルエンザウィルスを抱えたまんま来んなよって声は知らない。まあ子供は予防接種を受けてる子も多いだろうし体力もあるんで直りも早い。むしろ家族連れのお父さん達の方が心配で月曜日あたりには全身を痛みにひきつらせたインフルエンザ患者があちらこちらの家庭に出ては、会社の仕事を停滞させ経済を停滞させ日本を停滞させるんだ。自分は何も停滞させてないけれど。だって会社の方が先に停滞しちゃったから。

 いかん闘病生活の辛さが心を荒ませ何を書いても会社への温かくも適切なご意見へとつながってしまうと反省。ここは童心に帰って新しいおもちゃの数々を楽しもうとまずはセガのブースへと向かい「ムシキング」の相変わらずの人気ぶりを確認し、タカラのブースで「デュエル・マスターズ」の衰えない人気ぶりを見る。タカラのブース周りは通路にやっぱりカードをかかえてプレーしたり交換し合ったりする子供がわらわらといて踏みつぶしてやりたくなったけど、中にどう見ても大学生くらいの体格でなのかつウサミミと付けたウェートレス風の(うさだとはちょい違う)男子(!)が地べたにしゃがんで小中学生とカードの交換に勤しんでいた。あんた童心に帰りすぎ。一方でそこまで目線を合わせられる勇気と行動力が羨ましい。

 バンダイのブースではマジックの小道具が売られていてそこに小学生から更に下くらいの女の子がわらわらと群がっていて市井のマジック人気を伺わせる。小道具っていってもカップとかカードとかリングとか、使えばそのままマジックが出来るネタ入りのグッズで単品でもショップに行けばプロ用とはいかないまでもそれなりのものが買えるんだけど、色がピンクのボックスな辺りに女の子へのアピールのヒミツがあるのかも。マジックのセットと言えば大昔に伊藤一葉さんの宣伝に載せられて冊子型の小箱に入ったマジックセットを1冊買ったことがあったっけ。全部集めると立派なマジシャンになれると思っていたら全部出る前に伊藤さんが死んじゃったんじゃなかったっけ。人体消失の大技でござい。身をもって試すなよ。何かご質問は。いい味だった。

 ブースではウサギの小さいぬいぐるみの中に指を突っ込んで動かすといかにもウサギが生きているよーに見えるマジック、ってゆーかほとんど隠し芸に近い道具を使ってデモが行われてたけれど、これが近寄って来る子供たちの間で結構な人気。その様に年頃の少女にモテたければマジックを覚えれば良いんだと気付く。ウサギが受けるならぬいぐるみを動かすマギー審司系も悪くはないけどやっぱり個人的にはこの中に入っているのは赤いウサギか黒いウサギかどっちって奴をやって女の子たちを驚かせたいな。ダーク大和のビデオを買ってこよう。あのトークを覚えれば僕も一気に人気者だ。

 流行はバトル系か。「ダンガンレーサー」は流線型のボディで速さを競い合うスタイルだった遊びが同じレーンをぐるぐる回らせながらはじき飛ばし合うよーなローラーゲーム的スタイルに変わっていてボディも妙にごてごてっとしたものに変わっていた。それらのパーツがバトルにどこまで物理的な寄与を果たしているのかは分からないけれど、子供は理屈なんでどうでも良いんだろー。ブームを別な方向へと引っ張り長引かせていくことに関してはやっぱりタミヤは一日の長がある。トミーはカブトムシ型の小さいゾイドを台の上で真正面からぶつけあって押し出しなり、すくい上げなりの技で勝ち負けを決めるバトルおもちゃを提案中。一発芸だけど分かりやすいのが良いのか。「ムシキング」でも同じようなラジコンのカブトクワガタと戦わせる玩具が開発されていたけれど、扱いが面倒そうな割に動きにキレがなかったからなあ。でもブランド力はあなどれない。勝つのはどっち?


【1月21日】 結局明け方を過ぎても腰と背中の痛みは取れず。「舞−HiME」の腕をむちのようにびよんびよんとしならせながらソファに叩き付けて奈緒のサンバ姿を笑うアイドル服姿のなつきの姿に笑うと痛みが背中中を走る状況に、あるいはもしや他に悪いところがあるのかと心配になって昨日も行った人参マークの「船橋総合病院」へと向かう。

 待ち時間は少なく診療を受け尿検査をしてもらい腎臓等の疾患はないと分かり安心。おそらくはインフルエンザから来る筋肉痛の酷い奴ってことらしく、しばらくすれば治るってことらしかったけど、また眠れない夜を過ごすのは勘弁と言うと湿布薬を出してくれたんで帰って背中に貼って昼ご飯を食べてから薬を飲んで寝たら夕方にはどうにか綺麗に痛みが収まっていた。湿布薬が偉大なのかそれともそーゆー方向で進んでいたのかは不明。いずれにしても始まれば半端じゃない痛みに一晩は七転八倒させられるってことでこれからインフルエンザにかかる予定の人は湿布薬を買っておくことをお忘れなきよう。それよりかかったら免疫力で治すなんて頑張ってないで特効薬飲んで寝てしまう方がおおかたの場合は僥倖かと。ホント痛いぞ苦しいぞ。

 すでに記憶の彼方へと飛んでいたタカラとコナミの玩具の展示会で見かけていた物が思い出されてきたんでサルベージ。すでに「ドラえもん」がえっと35周年だったっけ、覚えてないけど割に記念すべき年ってことで既に声優陣が総とっかえになるとか、アニメがハイビジョンになるとかいったアナウンスがされているけれどそれに加えて玩具の方でも幾つか新しいプロジェクトがスタートする模様で、そのひとつがタカラのブースで発表されていた。

 それはあの「ドラえもん」のひみつ道具を玩具として作ってしまおうってものらしく、玩具のマスターライセンスを持つエポック社とか版元の小学館プロダクションの許可ももらって現在幾つかのひみつ道具を制作中。そのひとつが「ドラえもん」といったらな「タケコプター」。といっても人間の頭に取り付けると体が宙に浮くってものでは全然なくって、頭にプロペラのついた「ドラえもん」の人形がリモートコントロールのヘリコプターよろしく室内を浮遊する、って物なんだけど案では下にセンサーがあって手の平を下にかざすとそのちょっと上をホバリングするようなものになっているらしい。話せば床の上をホバリングするってこと。け飛ばしそう。

 試作品もあったけど試作品ってことで音が喧しい上にローターも「ドラえもん」自体が反作用で回転してしまうことを防ぐよう2枚重ねローターになっていてちょっと漫画のイメージと違ってた。素材もできるだけ軽くしようってことで発砲スチロールか何かを削りだしただけで「ドラえもん」的な質感が出されておらず改良の余地あり。だけどまあ部屋の隅をこいつがぶんぶん飛んでいることを考えると、ちょっぴり楽しい気持ちにはなれるんで是非に開発に成功してもらいたいもの。目にカメラとか仕込まないのかな。そーしたら銭湯に持ち込んで壁互しに吶喊させて上あら覗き見に使えるのに。

 あと「あんきパン」ってのも作っていたけど食べて覚えるんじゃなく、パン型の本体に設けられたモニターに出てくる問題を解くことで記憶力の増進が図れるって玩具。前にタカラが記憶力増進のためになるって開発した「エムサピエンス」ってツールがあったけどそれの応用ってことになるらしー。こちはら形状を変えて「ドラえもん」っぽさを出すだけなんで実現は相当に近いかも。でもやっぱり食べてしまう人とか出てくるんだろーな。あとは「ドラえもん」の「人生ゲーム」も出るとか、ってこーなるとひみつ道具とはまるで無関係。「タイムマシン」と「どこでもドア」を出してくれれば並んでだって買うのに。

 生え抜き選手を大切にしないことで有名無比な名古屋グランパスエイトが1番の長期在籍選手だった岡山哲也選手をアルビレックス新潟にレンタルながら出すと決定。これでJリーグの始まった年からずっと在籍していた選手はいなくなったみたいだけど考えてみれば他のチームにだってそんな選手は何人もいない訳で、格別代表クラスでもなければリーグの顔でもないのにそこまでずっと生き残れてこれたことをまずは驚くべきなのかも。

 それにしても相変わらず戦略の見えない名古屋の人事異動。ヴィッセル神戸に貸し出されていた滝澤邦彦選手もジェフユナイテッド市原に完全移籍で原竜太選手は京都から山形へとJ2レンタル行脚中。狗と鰻のツートップを相も変わらず信奉して攻撃に厚みを出せない上に中盤のタレントも増やせずディフェンスも厚さの足りない陣容で、戦うとなると今年もやっぱり上位進出は厳しいかな。モッチー小倉を帰してやれよって思ってしまう。その方が客は沸くのに。村井慎二選手に抜けられたジェフにとっては滝澤選手の加入は願ったり。あとはオシムが連れてくる外国人選手次第だけど誰だろ? ピクシー?


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