縮刷版2005年1月中旬号


【1月20日】 熱まるで引かず胸腰腹に痛みも蠢き始めていてこれはマズいと久方ぶりに人参がトレードマークの船橋総合病院と出かけて行って診てもらうとインフルエンザのB型だったそーで特効薬とかいうタミフルって薬をもらい飲んで帰って寝る。おしまい。

 いやこれでおしまいになれば良かったんだけど帰って寝ようとすると腰から背中にかけての痛みがどんどんと酷くなって来てまるで寝られずそのまま昼夜を越してしまってもう大変。本は読めずテレビも見られずかとって眠りにも入れず。狭い布団の中を右に左に体を動かし痛みを少しでも和らげようとしても、ものがおそらくは内臓の炎症から来ているものだけに収まらずむしろどんどんと痛くなっていく感じで目をふさいでも30分で目覚め微睡んでも1時間で起きてしまう拷問のような状態に置かれて七転八倒する。

 これがもっと早い段階にインフルエンザと気付いて特効薬を飲んでいたらここまで酷くはならなかっただろーけど、クニミツの政とやらが医者の薬は敵だみたいなことを書いていやがったのを数週間前に読んだのが災いしてか2、3日は地力で直そうと思ったのがまずかった模様。残留農薬とか薬害とか現実にあって怖いものだけど、それがすべてではないってことを分からせないとかえって医者にいかないで風邪をこじらせる人とか出て来てしまうから考え物。あーゆーレフティにナチュラルな漫画が載ってしまっているところに「少年マガジン」の今おかれてる微妙な立ち位置の遠因がありそー。かつてほど影響力、ないもんなー。

 眠れないんで「舞−HiME」を見て笑う。「君はどこへおちたい」をやってくれないで唐突に地球へと舞い戻ってきた舞衣を含めた姫たちが、碧ちゃんの発案で姫戦隊を結成するってことになってその結成式をカラオケボックスでやるって趣向がなるほど予告編での得体の知れないコスプレショウだったか。なつきのアイドル奈緒のサンバはともかく命の白鳥(首つき)はいったい何なんだ? ってか嫌がっていたなつきと奈緒があっさりと縛られ引き立てられる様を見るに、最後の部分で炎が持ち出したとんでもない事態にあたって2人の運命もかくやって思わせられるけど、冗談につきあうのと命がかかっての戦いではやっぱり覚悟も違うんだろー。ってことで鬱展開突入警報増大中の「舞−HiME」にこれからも注目。晶にまたがられて巧海ちょっと羨ましい。


【1月19日】 午前7時で37度7分まで下がり午前9時で36度6分まで下がったんでとりあえず治ったと見てコナミとタカラのやってる玩具の新作展示会へと出向く。少年サンデーで連載している漫画を原作にしたカードゲームが立ち上がるってことらしくカードに加えて指に指輪をはめていないと技のきかないよーになっているとかで、カードだけよりも広く設けようって意識が見え隠れ。アニメも放映が始まるみたいだけどこれがやたらに良い出来で、これだけのリソースを避ける番組がある一方で週刊漫画誌の看板漫画であるにも関わらず、オープニングから本編から前世紀を思わせる(前世紀の方がむしろ演出的に優れてるって場合もあるけれど)作品にしてしまった「魔法先生ネギま!」現状を深く憂う。

 歩いていると新型の「Q−CAR」を発見、ってかタカラまだ電気自動車を完全に諦めてはいなかったんだと感心しつつながめてそれが鳥山明さんデザインのものだと知ってセンスの良さに感嘆。いわゆる「チョロQ」っぽいデザインじゃなくT型フォードのよーにボンネットがあって天上が上に付きだしているクラシカルなデザインだけど、そのまま鳥山さんの漫画に出て来て「ペンギン村」を走っても違和感のないデザインと色彩に、買って小牧だか春日井だか長久手だかの田舎町を走ってみたいもんだと思ったけれど200万円で9台限定では買う人がすでに買ってしまっているんだろーなー。愛知県の田舎道を奇妙な1人乗りの自動車がぶごぶご走っていたらそれが鳥山さんだ、きっと。国分寺にも行くって?

 驚いたよ玩具菓子。フィギュアやら何やらってのはすでにバリエーションの広げ合いと潰し合いの域に入っててその中から何がでてきてもどこか際物っぽい感じが否めないけど(エポック社だかが出す「怪奇大作戦」とか瓶詰めジェル漬け生首標本で掌にドロリと出してそのまま戻せる奴とか)アイドルの分野はむしろ何で今までなかったんだ的なジャンルで、おそらくはあまりにあからさま過ぎて買う人が引くんじゃないかって思っていたのかもしれないけれどここまで来たら関係ない。杏さゆりさんやら佐藤寛子さんやら熊田曜子さんといった今を輝くグラビアアイドルのブルマーだったり水着だったりのポーズ写真が胸にプリントされたTシャツの入った玩具菓子とか、出てきても店頭ではまるで違和感なしに受け入れられるんじゃなかろーか。タカラから3月ごろに発売予定でほかに手帳入りのとかもあるみたいだけどやっぱりTシャツが凄い。これを着て歩ける男は漢だってゆーくらい凄い。僕? 別に平気で着るけどこれくらい。

 もうひとつはゆうこりん小倉優子さんのアイテム入りの玩具菓子で会見に登場したゆうこりんは手にくまをかかえていて名前を行っていたけれど顔にみとれて聞き取れず。超絶とてつもない級美少女って風じゃなく直前に出てきた佐藤寛子さんの方が美女っぽい雰囲気があるんだけど喋りからしぐさから髪型から含めて醸し出す「ゆうこりん」な空気が「ゆうこりん」を他の誰とも違う「ゆうこりん」たらしめているのだろー。出来れば水着でご登場願いたかったけれど真冬なんでそれは無理。あの「よみうりランド」の名作ポスターからそろそろ2年くらい? 「日テレ・ベレーザ」の試合を見に通った時に剥がしてかっぱらっておけば良かったと悔やむけど、当時とまるで体型も雰囲気も人気も変わっていないのが凄いって言えば凄い。やっぱり「ゆうこりん」は「ゆうこりん」にして「ゆうこりん」なのだ。

 寒さが酷く背中も痛く頭痛も酷く喉も痛く咳は出るわ頭は禿げるはと悲惨な症状にこれはやっぱりあんまりよろしくない病気ではないかと想像しつつも夜なんで医者にはいけないんで加ト吉の冷凍味噌煮込みうどんを作って食べて寝る。冷凍にしてはあの腰が残った感じを良く出しているとは思ったけれどいかんせんやっぱり味噌が違う、かなあ、名古屋のはもっとどろりっとして甘辛い感じ、なのだ。もう10年以上は食べていない味噌煮込みうどんが東京で名古屋風のまんま食べられるところはあるんだろーか。万博の宣伝もかねて東京に名古屋の食文化を紹介するブランチを作ってしまえばそこに毎日だって食べに行くのに手羽先味噌煮込み。味噌カツは「矢場とん」が出来たしアンかけスパは「パスタ・デ・ココ」があるから良いのだ。甘口抹茶小倉スパ? あれは名古屋の”名物”なのでは断じてない。


【1月18日】 筋肉痛はさらにひどく頭痛も激しくなって初期から中期へと風邪の症状は移行。それでも展示会があるからと体に鞭打ち会場へかけつけると展示会は明日からで会場ではまだブースの設営工事が行われている最中で愕然としていたら横にある「相田みつを美術館」の前でおばさんたちから写真を撮ってくれと言われて看板をバックに1枚シャッターをきって差し上げる。行った記念になるくらいの価値を持つ美術館だったんだなあ。

 いったん会社に行くものの熱で目もかすみ歩いていられず仕方なく買ったばかりの「熱さまシート」を額に貼って歩くと笑われる。諧謔の心を持たないメディアに呪いあれ。頭痛がさらに酷くなったんで早引けして薬局でユンケルの1000円くらいのを買ってバファリンを買って家の近くでバナナとレモン汁とおでんパックと1・5リットルのポカリスウェットを仕入れて万全な闘病態勢を整えてから床に就く。測ると体温は38度8分。40度はなかったか。

 レモン汁にこれまでだったらレンゲ印の蜂蜜を混ぜて蜂蜜レモンを作り飲んで体を温め汗を出して熱を引き下げてたんだけど今回は前にクインビーガーデンに取材に行ったらもらえたメープルシロップを混ぜて飲んだらこれがなかなか。蜂蜜の甘さとはちょっぴり違った香りと味にカナダに生えている楓の力が体内へと吸収されていく喜びを感じる。クインビーガーデンってのは結核か何かで体調を崩した人が健康増進のために研究して、日本で始めてローヤルゼリーの精製を始めた人が作った会社。誰でも健康になれるようローヤルゼリーの製法特許を自社で縛らず公開したっていうから偉い。特許に絡んだ訴訟多き現代、誰のための発明なのかってことを考えさせてくれる。

 メープルシロップ&レモンのお湯割りを飲むと体がだんだんと温かくなって来たんでそのまま布団を被り睡眠。この寒さに電気毛布だけで耐えるのは無理と無印良品で買ったポリエステル綿の布団の効果も重なって体から汗がジグジグとしみ出して来て良い感じ。そのまま3時間くらい経ってから目覚めて着替えて熱を測ると37度7分と一気に1度以上も落ちてて頭もスッキリとしていて汗だし効果の程を身をもって知る。ここで放っておくと脱水症状になるんでポカリスウェットをボトルからがぶ飲みして水分調整。もう一息で平熱に戻るんだけど治ってしまうと仕事に行かなくっちゃいけなくなるのが辛いところ。こんな心理、誰にだってあるよね。

 「ファンタジックチルドレン」は子供のティナが可愛すぎ。仮面のお兄ちゃんにおんぶされる場面で見せる笑顔の天真爛漫さは見れば誰だって速攻で虜にさせられるだろー。そんな可愛いティナを真正面から抱える形でだっこし腕でお尻を支えるセス羨まし過ぎ。そんなに羨ましいことをしているからティナに降られてソランに鞍替えされるんだ。けどそこであっさりと身を引きティナの幸せを願うセスとってもナイスガイ。男と生まれたからにはこうありたいと願うも身を引く前提となる許嫁がいない。とっても哀しい。

 同じなかむらたかしさんの「パルムの樹」はキャラクターの自我がストレートに出過ぎて気持ちを重ねられず辟易とさせられたけれど「ファンタジックチルドレン」は長丁場のシリーズの中で少しづつ見せていく展開で、こっちにあれこれ考えさせてくれる余裕を与えてくれるから見ていて全然辛くない。時系列をまるで無視して白髪頭でマントの子供たちがわらわらと走り回っている場面から描き南の島で少年少女がくんずほぐれつしている場面から描いて、一体これは何だと戸惑わされたけれどだんだんと明らかになる物語は次元を超えて通う心の様々な諸相を描くストーリーは奥深く、次に何が起こるんだろうってドキドキさせてくれてTVシリーズのアニメーションを見ていく楽しみを与えてくれる。こんな気持ちは「灰羽連盟」以来か。重ねられる音楽の良さも「灰羽」に勝るとも劣らず。上野耕路さんの間もなく出るCDは買いだ。


【1月17日】 目覚めると体の節々に痛みがあって頭痛も酷くどうやら風邪の初期症状らしーけど仕事があるんでひいひいと体を引きずり電車に乗って「ヘルシア緑茶」を飲みながら「週刊朝日」の2005年1月28日号を読んで目が点。斎藤美奈子さんって有名無比な評論家の人が書いている「文芸予報」ってコラムがあるんだけどそこでいきなり「舞城王太郎というライトノベルの海で生まれた台風が純文学の島を急襲したのは一昨年ぐらいのことだった」って書き始めていて舞城さんをライトノベルの人だと断じてる。

 続けて「もっか純文学派とライトノベル派が『舞城はスゴイ』『うるせえ、こっちが本家じゃ』と取りあいっこをしているかのよう」とも書いているけどいったい斎藤美奈子さんにとって「ライトノベル」とはどういうものを指しているのかがまるで分からない。なるほど一部に講談社ノベルズの中でもメフィスト賞から出てきて「ファウスト」辺りを舞台に活躍している西尾維新さんとか佐藤友哉さんに乙一さん滝本竜彦さんを含めてライトノベル的な作家って言っている声は聞く。乙一さん滝本さんに至っては出自がライトノベル系のレーベルってこともあるからなおのことそうしたジャンル括りはしやすいけれど、ことが舞城さんとなるとライトノベルに明確に入れて「こっちが本家じゃ」って言ってる人にあまりお目にかかったことがない。

 むしろ舞城だけはライトノベルって言い切れないよねって空気の方が強くって、それでも「メフィスト」「ファウスト」って所から出てきて純文学の世界に台風を起こしていることを喜んで眺めているって雰囲気の方を強く感じる。あるいはミステリー的な色の強いレーベルから現れてきた舞城の活躍を、ミステリーのサイドから眺め関心を持って見ているような雰囲気を感じたりもする。にも関わらず斎藤さんが敢えて舞城はライトノベルであると書き、純文学派とライトノベル派で取りあいっこをしているって書いた意図はどおにあったりするんだろー。舞城を評する時に論壇あたりで”綿金世代”と同義に近い用いられ方で”ライトノベル”ってゆーカテゴリー分けがなされて来ているんだろーか。

 案外にここで舞城を”ライトノベル”って言っておくことで、遅れてはならじと書評界の老大家が「ライトノベルなるものをそれがしも」と想い「このライトノベルがすごい」あたりを読んで「ドクロちゃん」「ハルヒ」を手に取って、ひっくり返る様を、眺めてやんやの喝采を贈りたいだけなのかもしれない。そんな企みを秘めて今、舞城を”ライトノベル”に括って取りあいっこが起こっているんだと架空のフレームを作りだそうとしているに違いない。頭の良い人だからそれぐらいしても不思議じゃないけど億に1つ、本当に心底舞城を”ライトノベル”と思っていたのだとしたら。斎藤さんが挙げる他のライトノベルって奴を是非に知りたいなあ。「スレイヤーズ」は入って来るんだろーか。「ドクロちゃん」とかはどーなんだろーか。

 同じ「週刊朝日」に連載されている唯川恵さんの小説「今夜は心だけ抱いて」に強い関心。内容ってんじゃなくってカットに使われている石田竜さんって人の撮った写真にどう見てもガレージキットの女性のフィギュアが写ってる。人間にはあり得ないスタイルをしているのが1点で、あるいはドールかとも思ったけれど腰の細い感じに胸の盛り上がった感じに腕の曲げられた感じがガレキで皺を作る感じそのままで、髪も毛じゃなくカタマリが刻まれた形になっている。「月姫」? とも思ったけれども雰囲気がちょと違うんで詳細は不明。だけど小説のカットにこーゆーものが使われるよーになったってのは、かつて中原広大だんが適当に組んだガレキを「芸術」を称して村上隆さんの憤りを買った時代から、はるか遠くに来たんだってことを妙に実感させてくれる。しかし一体誰のフィギュアなんだろ。でもってどーしてここに使われているんだろ。

 スリーダイヤは背中に回って胸には「マンチェスター・ユナイテッド」と同じマークが入った浦和レッドダイヤモンズの新ユニフォーム。Jリーグの初期の頃なら分不相応だって世界から叩かれまくったかもしれないけれど、昨今の高いパフォーマンスとその圧倒的な人気ぶりを考えると、「マンチェスター・ユナイテッド」と為を派って同じスポンサーに世話になってもどこからも文句は来ないだろー。胸と背中と袖とパンツの裾にしか広告ロゴの入っていないデザインはシンプル極まりなくって、本当だったら背中の三菱もなしにして名前と背番号を入れる海外リーグ式にして欲しかった気もするけれどそれは日本ではまだ早いってことなんだろー。

 それでも三菱自動車から損失補填をしてもらうって契約を3月でうち切って1スポンサーとして資金を出してもらう(株主ではあるけれど)形に代えたってのは犬飼基昭社長の英断であり志。その意志に応えられるだけの集客を選るにはやっぱりパフォーマンスってことで「マンチェスター・ユナイテッド」との7月試合のスケジュールも煮詰まり世界にアピールできるチャンスが迫る中、選手たちには頑張って欲しいところだけど予定されてた田中達也が来なかったのは何故だろー? 怪我? 病気? 来ていたけれど小さいから見えなかったってことは……あるかもなあ。


【1月16日】 ジャンプシステムでは別に不思議ではないけれど「週刊少年マガジン」でそれも結構な大家なのに投げっぱなしジャーマン炸裂で恋も成就しなければ謎も明かされないまま終了してしまった大島司さん「ステイゴールド」の第3巻が出てたんで買ってあるいは単行本で加筆修正なんかが成されているかと期待したけどそんなサービスはまるでなく、「マガジン」連載の時そのままにインターハイの東京都予選のそれも4回戦でしかない試合、わずか1セットマッチとゆーおよそテニスらしからぬ試合をクライマックスに終了してしまっててガックと肩を落とす。期待はしてなかったけどでもちょっぴり希望はあったんだよなあ。

 かつて「赤い弾丸」と呼ばれるスーパーでスペシャルなフォアハンドを得意としていた選手が3年の沈黙を経て帰ってきたもののそこは進境著しい世代だけあってフォアハンドのパワーだけでは超えられない壁もあったってことでコーチのハゲたおっさんが乗りだし主人公たちを鍛えて鍛え抜いて迎えたインターハイ予選。「ヒットマン」と呼んで憧れた名前も顔も知らないテニスプレーヤーの面影を追いつつ試合会場へと臨んだ赤い弾丸こと佳山大介は七色のショットを持つ岡野とゆー全国3位のプレーヤー相手に苦戦しつつもひっくり返して勝利する。

 残るは準決勝だか決勝で凄い相手と辺りこれを桜木花道よろしく撃破し全国の舞台へと行って長年のライバルだった金城と、戦いを繰り広げるってのが予想していた展開だったけど岡野に買ったところで終わってしまって美冬は脇役のまんま一切佳山と関わらず、金城とも戦わないまま終わってしまって結局佳山の実力は分からずじまい。美冬をめぐって金城と戦うでもなくヒットマンがハゲのコーチの高橋とどーゆー関係だったかも明かされない欲求不満の溜まりまくった終わり方を、それなりな面白さを持った作品だったにも関わらず編集部が選んだのかが今も気になって仕方がない

 。同じ頃に違うテニスの漫画も始まっていたけど面白さと、ヒロインの可愛さでは「ステイゴールド」に軍配が上がっていた感じもあるからなおのこと分からないんだけど、やりだすと切りのなくなるスポーツトーナメントインフレーションに、巻き込まれないうちに終わってしまおうって考えがあったのかも。「月刊少年マガジン」とかへと移籍して続けてもらっても良かったし、その方が胸元の谷間からスコートの下の白三角から、チラリチラリと見せてくれていた美冬も存分に堪能できたんだけどそーしなかった作者の潔さをここは讃えつつ、最終巻でのかがんだ美冬の胸元にのぞくクレバスを堪能しつつ、そんなテニス漫画があったんだってことを記憶に刻みつけておくことにしよー。しかし結局誰だったんだローヒットマン。

 なんだやれば出来るじゃん「ギャラリーフェイク」。絵のクオリティの方については未だ判然としない部分があってバストショットの口だけパクパクとさせて会話を成り立たせ揺らしたところに靴音をはめこんで歩いている姿を見せたりっていった、絵の面でのどこかレトロな印象は完全に拭いきれなかったけど、ストーリー展開についてはテンポがあって切り替わりも早く、飽きないままに展開を見ることが出来たし仕掛けられた謎、繰り出される蘊蓄も決して本筋を邪魔するものではなくむしろ適度なスパイスとなって展開に味を出してくれていたんで最後までちゃんと見通すことができた。

 サラとの出会いを描き三田村との因縁を描いた内容はこれこそ第1話に相応しいって思うんだけど敢えてメトロポリタン美術館での話を、それも決して完璧なまでに誰しもが理解できるかどーかギリギリな展開でもって見ている人を困惑させたエピソードを第1話に持ってきた所に、どんな意図があったのかを聞きたいところ。フジタって男の謎っぷりをまず出しておいて、そんな彼にどんな過去があってどんな人脈を持ってどれほどの実力を蓄えているのかを、追って説明していくよーにして1回目を見て不穏さを抱きつつ将来像に期待も抱いた人たちの、期待を裏切らずむしろ期待に積極的に応えているんだって印象を、与えよーとしたんだとしたら監督の人は凄いけど結論的にはそーゆー順番だったから、ってことに落ち着くんだろーな。ともあれ見続けるだけの価値は感じられたんで来週以降、どんなエピソードが選ばれアニメとなって繰り出されるかを注視して見て行こう。


【1月15日】 発売されたらしー「アイポッドシャッフル」を買いに並びに銀座当たりまで行こうと思いつつも雪が降ると面倒だし、かといって「東京体育館」まで「サー」な愛ちゃんを長めに行く気力もなく秋葉原当たりを散策して新刊の漫画を拾って帰って寝る。高校生にもなった女性をつかまえ「ちゃん」付けもないものでそのあたり一般紙は「福原選手」と読んでいるんだけど、スポーツ新聞は相変わらずの「ちゃん」付けなのがスポーツそのものではなくスポーツ選手の属性にスポットを当て過ぎる日本のメディアの現状を現しているってことなのか。某ビジネス紙なんかも「ちゃん」づけだけどこれは戦略以前のオヤジ的な反射神経なんで論外。

 家ではひたすらに川上稔さん「終わりのクロニクル4」の上巻を下巻を一気に読み通す。足すと1000ページを超えているけどこれまでのに比べて何となく読みやすい気がするのは概念が関わる戦闘とかが少なく頭がついていきやすいからかそれとも確実にお話を捌く腕前が上がっているからなのか。何しろ今回は5番目のGと4番目のGを一気にまくる内容で5の方はそちらとかつて関わりのあった爺さんと連れていた少女が襲われ少女だけが逃げ延びて、そんな彼女を追って米国からUCATが乗り込んできて日本の面々とひと騒動が持ち上がる。

 そんな間にも5th−Gの生き残りは着々とその刃を研ぎおまけに”軍”という一味がUCATの施設を襲って情報を盗み出すというエピソードもあって、ここに新庄・切/運の自分探しの旅とそして、我らが全竜交渉の交渉役、佐山・御言による4th−Gとの交渉もあるといった具合に盛りだくさんなのに、読んで割にすらすらと読んでいけるからなあ。慣れただけ? かも。

 下巻の表紙のこれはディアナ・ゾーンブルクさん? 巨乳ぶりに加えて今回は人妻だったことも判明して衝撃を与えてくれます。上巻の215ページで脚を上げてスカートの奥まで覗かせながらトイレで着替えをする新庄は展開では運ではなく切でつまりは見えている白の奥にはつまんで引っ張れるものがあると、そういう訳なんだけどイラストはその辺りを無視して可愛さを振りまいていてくれて人間としていろいろと考えさせられる。結論。可愛ければいいのだ。

 そんな楽しみ所も満載だけどやっぱりこのシリーズは佐山・御言の存在あっての物種で、下巻411ページあたりから始まる、決戦を呼びかける佐山の演説、「佐山の姓は悪役を任ずると!」から続くアジテーション、そして「進撃せよ」のかけ声にはやっぱり燃えて、クライマックスへの気持ちが高揚させられる。これがある限りどんなに頂戴なシリーズでも、読み通してこの場面に達したいって思わせてくれるだけのパワーをくれるシーン。金さんの入れ墨ご老公の印籠にも並ぶこのシーンを作り出したってことで「AHEADシリーズ」の成功はもはや約束されたって思いたいけどそう思っているのがどれだけいるかは不明。僕だけ? でも良いそんなシーンがある限りついていきます最後まで。至るまでに重ねるページは何万ページ?

 「魔法先生ネギま!」とやらのアニメが録画されているのをすっかり忘れていて撮ってあったハードディスクを回して見てそのまま記憶とHDから消去する。でも記憶からは消せない。とても哀しい。とにかく凄まじ過ぎるオープニングにまず陶然。向かい合った生徒たちと二分割の画面でキスをしていくシーンがメジャーな数人だったらまだしもほとんどの生徒と延々続くって展開の、斬新さはそれで素晴らしいけど絵がどことなく平板で変化もバリエーションの域を出て折らず5人目あたりで浮かんだ笑みが程なく苦笑となり更に愁眉となって頭へと痛みを走らせる。オープニングの世界に独自性を打ち出した南家こうじさんの偉業から20年くらい。一気に時間を40年前へと戻してしまったって意味で歴史のその名を刻みしそー。

 本編も本編。タカミチとエヴァンジェリンと茶々丸の3人が歩いているシーンはバストショットの3人の絵を違うタイミングで左右に揺らしてそこに靴音を重ねるってリーズナブルな手法でしっかりと3人が歩いているんだってシーンを描いてあって、お金をかけて絵を増やして動かさなくっても表現はそれなりに可能なんだってことを今さらながらに教えられる。口パクの3枚と腕の上中下の3枚があればそこにセリフを重ねて10分はアニメを作れるってことなんだな。勉強になるなあ。してどーする。「週刊少年マガジン」でそれなりに看板になってる作品で「ハリポタ」的な要素も持って仕込めば夜の7時台に放映されて子供も大人も一緒に楽しめる作品になり得るのに、深夜で誰も見ない時間帯にDVDでだって集めるのに躊躇をさせるクオリティの作品になってしまった責任の所在はどこにあるんだろー。考えると政府が「アニメ立国」だなんって言ってるその本質的な部分を外した上っ面ぶり空虚ぶりも見えて来る。出すなら口じゃなく金、金、金。そして人、人、人。日本の未来は明るくないなあ。


【1月14日】 大石英司さん「神はサイコロを振らない」と梶尾慎治さん「黄泉がえり」とふと比べてみたい気になった今日この頃。ってか「黄泉がえり」ってどんな結末だったんだっけ、すでに覚えていない、映画を見ようか、竹内結子さんの評判が最近松嶋奈々子さんを抜いたって記事も「週刊新潮」に出ていたし。そんなにエロっちぃのか竹内結子さん。どんな顔をしていたか覚えていない。最近人の顔が覚えられない。歳だ。関係ないけど「舞 Hi−ME」を録画していて冒頭に入った「DELL」のパソコンのCMに出てくるGAP系(タンクトップにゆったりしたチノ)の女子3人のバストにばかり目が行く。歳だ。

 2度目を見返して「舞 Hi−ME」はある意味本来クライマックスである筈のエピソードをこんな中途半端な所に持ってきて、それも超あっさりと片づけさせてしまってこれから一体何をしでかすのかが謎。シアーズ財団も300年眠るとか言ってるでもしかすると「姫」たちを冷凍凍結して300年後の戦いに備えさせ、目覚めるとそこは1万年後の未来で世界がすでに宇宙からのオーバーロードによって開放され高次へと人類もシフトしていてそんな場所に怒りとか食欲とじゃ情欲とか怠惰とかって煩悩を捨てきれずに持ち込んだ「姫」たちが、虐げられつつもその時代では「罪」と呼ばれる人間の本来持つべきパッションを、訴え人類を更なる次元へと導くなんて話になる訳ありませんかそうですか。そういうのはゆうきりんさん「でぃ・えっち・えい」(電撃文庫、590円)に任せておけば良いのです。

 少年は笑顔が素敵で性格も温厚。けれどもその人を疑うことを知らない性格が災いして父母の事故死に便乗して来た親戚だか無関係な人だかに家屋敷財産を奪われ追い出されそうになっていまう。そんな彼の周りになぜか集まる美少女たち。怒りにまかせて戦えば強い美少女がいて何かと高慢に振る舞ってしまう美少女がいて食べるのが大好きで時々食べ物のアドバイザーも勤めている美少女がいて金儲けに貪欲な少女がいてエロエロな女性がいてあと飽きっぽかったり嫉妬深かったりする美少女も出てきては、神代光というその少年の家へと無理矢理押し掛け彼の世話を焼く。

 そんな様を心配して見ているのが同じ学校に通う少女の白鳥愛。どうなってしまったかと見つめる彼女のもとにそのとき舞い降りたのが天使で光は地獄に堕ちようとしているから救えを指令する。一方で光はといえば嫉妬(エンヴィ)に怒り(ラース)に怠惰(スロース)に高慢(プライド)に強欲(グリード)に大食(グラトニー)に云々といった「罪」を抱いていると気付きその「罪」に光を染めることを使命と感じた美少女たちに誘われ時として眠っていた「罪」を発動させる。果たして光は「罪」にまみれて地獄へと落ち、内なる悪魔を目覚めさせるのかそれとも……って展開は真っ当にシリアスになればオカルティックなホラーになるんだけどそこは電撃文庫でゆうきりんさん。「罪」を抱いた美少女たちが迫り少年をオトナの世界へと導こうとするけどおカタい邪魔が入ってドタバタジタバタ、そんな恋の鞘当てにまるで気付かず少年は己が路をひとり行く、ってラブコメディに仕上がっている。

 例の「ハガレン」があった後だとエンヴィにグラトニーにラースにルスト(邪淫)ってネーミングがそっちから引っ張ったものって認識されてしまうだろーけど元はキリスト教だかの宗教から引っ張られているものなんで使っていけないものじゃない。それともそーしたネーミングにセンシティブな人たちが反響を見せて話題になることを見越してのネーミングなんだろーか。あるいはまるで関係なく、「オーパーツラブ」なシリーズを発表している「集英社スーパーダッシュ」で7つの罪ならぬ7つの幸福が少年の家へと上がり込む物語が流行っていることを見てだったらこっちは「罪」で行くと対抗心を燃やし、資料を漁って行き当たったんだろーか。だとしたらその創作活動に影響を与えた川崎ヒロユキさん「はっぴぃセブン」は偉大だ。もしかして本当にそうなのか。違うだろうなあ。

 新宿を舞台に新宿を知り尽くしたカメラマンが新宿をテーマに撮った写真が展示される展覧会が行われるってことで初台にある「東京オペラシティアートギャラリー」に行って荒木経惟さんと森山大道さんの2人展「森山・新宿・荒木」の記者会見を見物に行く。去年の8月に2人が歌舞伎町を歩いて撮った写真から始まって森山さんの1960年代後半のデモに沸く新宿から荒木さんの新宿に集まり欲望に奉仕する女性たちのヌード写真から新宿の飲み屋に張ってあるエロいポスターを撮った森山さんの写真から「東京」をテーマに撮り歩いた数ある写真集の中に入っている新宿の風景を写した荒木さんの写真から、どこまでも「新宿」づくしの展覧会になってて新宿すきには堪らないかも。

 ってか日本の戦後を行動成長期からバブル期そしてその崩壊期と至った過程をその変貌によって、あるいは変わってなさによって体現している街って他にそうはない。見れば日本が辿ってきた発展と崩壊と停滞の様が分かるしそんな変化の中でも人間は相も変わらず生きてて食欲や淫欲の「罪」を「罪」ではなく、人間らしさの源泉として受け止め貪りエネルギーに変えてきたって様が分かって面白い。これが渋谷だったら集まる若者のファッションセンスは変化しても、そうした表層の奥にある社会の変化なり、人間の心の深層までは切り取れないし銀座はどちらかといえば賑わい寂れふたたび賑わうといった資本主義的な繁栄と停滞の繰り返しを、現して社会風俗文化の変遷までは表現できない気もするからなあ。この辺は思い付きなんでいずれもうちょっと考えてみたい所。

 それにしても意外にも並べてみると実に似通った2人の写真。最初の部屋こそ割にばちばちさくさくと風景を切り取り並べていく荒木さんの手法と、たくさん撮った中から特徴的なものをより抜きローライズのジーンズにおさまったヒップのアップやら街角やらを荒れたトーンで並べる森山さんの手法に違いが出ていて分かりやすかったけど、過去の写真になるとともにスナップで瞬時に切り取って行く感じがあって対象がヌードみたいな、あるいは高いビルからの見下ろした風景みたいなモチーフを選ぶ感覚の違いから分かる例もあるけれど、こと街角になると選び撮る対象も似ていて構図にも差はなくって、2人が「遠いようで近い」(荒木さん)写真家だったってことがよく分かる。

 それでも「2回くらい見ると違いが分かる」(荒木さん)そーで森山さんの写真は「闇へと迫っていくような感じがある」(荒木さん)らしく、一方で荒木さんはどこまでもライトでフラットにモチーフを切り取っていった全体から何かを表現しようとしている感じがあるそーなんで、数多い写真が並べられている展覧会の会場でその写真を全身に浴びながら、森山さんが迫ろうとした闇なり荒木さんが沸き立たせようとしている空気なりを感じ取り見つけだしてみるのも面白いかも。

 図録は3500円とちょい高めだけど2人の作品が目一杯に掲載されて2人の新宿に関する対談、ってゆーか雑談も載っているんで1960年代から疾走して今なお最前線で活躍を続ける2人の世界的な写真家が、普段何を思って「新宿」を見つめ何を感じて写真を撮っているのかを、知りたい人は買って読もう。それにしても荒木さんはもちろんのこと森山さんもやっぱり凄いなあ。パワーはまるで衰えてないよ。かえすがえすヒステリック・グラマーから出ていた写真集の先に出た方を買い逃してしまったのが残念。今探すと高いんだろーなー。


【1月13日】 芥川賞の発表も近いってんで候補になってて”綿金世代”と話題らしー白岩玄さん「野ブタ。をプロデュース」(河出書房新社、1000円)を読んでみる。ふーん。過剰な自分を演じてなければ居場所が得られないと思い込んでる少年がそれでとりあえずなんとかなっててさらに一番、大芝居に出て転向して来た肥満の冴えない少年をクラスの人気者へと押し上げるプロデューサーとなってそれなりに成功するものの付けた角は取れ被った皮はいずれ剥がれる感じに裏を見透かされ、足下を見られて寂寥感に苛まれるというイタい話だけどある意味、あるがまんまの自分ではどこか不安だってゆー全てに過剰な、というか過剰なんだと思い込み思い込まされている世界に生きている人にとって自分の境遇を語ってくれている内容だと共感を持てる内容なのかも。

 14歳くらいから18歳くらいのミドルティーンが読めばぴたっとはまりそうな内容でそーした世代を意識した作品がもともと多かったりする「文藝賞」には実に相応しい。「アイコ、16歳」でも「なんとなくクリスタル」でもなくって、「インストール」に「蹴りたい背中」で河出書房新社の名前を同時代的に知った中高生が手に取り読んでなお納得って構図を出版社が描いているんだとしたら実に適切。これからもそうした作品を選び刊行していけば、売れ行き芳しくないと言われて久しい単行本の未来も決して暗くはないのかも。

 ただここに「芥川賞」ってフィールドにのると、オヤジな世代の”最近の若者とは”的な御託が上からのしかかって来て、作品が本来持っていた同世代的な軽さに権威めいたものがまとわりついて、評価を鬱陶しいものにしてしまいそう。あるいはそんな上の権威なんぞ気にせず「芥川賞」を本が10倍売れるPOP程度に認識して、作り手も書き手も二十歳前後までの青少年に同世代感覚の本を出し続ける考えがあるのなら大丈夫なんだろうけれど、現場が幾ら意識したって権威が大好きな世代が施策のイニシアチブを持っているこの企業社会で、どこまで理念を貫き通していけるのか。逆に「芥川賞」ってものを権威めいた場所から同世代的な場所へと引っ張ってこれるなら凄いけど、ご高齢の選考委員達にそんな感性がるとも思えないからなあ。まあ若者世代に売りたいって行ってる新聞にオヤジババアな世代が若者に檄、って感じの企画を立ち上げ鬱陶しがられるよりはマシか。

 タイトルが利いたから既に5刷りまで来ていた山崎ナオコーラさんの「人のセックスを笑うな」(河出書房新社)はパスして田口賢司さんの本とか漢方の小説とかも買ったけど芥川賞はそのどれにも行かずに大本命だった阿部和重さんへと落ち久々、でもないけれど納得の結果に。過去に数あった作品でとれなかった所が問題っちゃー問題だけどそれでも永遠に候補に鳴り続けた挙げ句にパスされるよりは素晴らしい。なおかつ受賞した作品が今時の風潮に対してレジスタンスしている感じもあって、世の言葉や思想への統制が強まる中で言葉を扱う人たちのせめてもの抵抗を見た、って思いたいけど果たしてそこまでの意識があったのか。選評に注目だ。

 事故で死んだと思っていた人が10年ぶりに還って来た。あなたならどうする? 言えなかった言葉を言うのか。果たせなかった恨みを晴らすのか。大石英司さんの「神はサイコロを振らない」(中央公論新社、1800円)で描かれるのはそんな問いかけと人々たちの答え方だ。1994年8月15日に消息を絶ったYS−11が10年後の2004年8月12日に出現して羽田へと降り立った。中からは10年前に事故で死んだと思われ認定もされていた64人の乗客乗員が10年前の姿のままで現れる。タイムスリップ? そのとおり。マイクロブラックホールを超えてYS−11は10年後へと引っ張られた。

 バブル崩壊を経て様変わりした10年後に戸惑う人々を描いたストーリー、かというとそうではあるもののメインはむしろ家族たち。10年後のYS−11の出現は科学者によって予言されており、その科学者によって現代に蘇ったYS−11の乗員乗客の”運命”もまた決定づけられていた。決して永遠ではない時間の中で、家族たちとの再会を果たした乗員乗客たちは喪失感にあるいは苛まれ嘆いていた家族の、あるいは想い出をエネルギーに変えて全力疾走していた家族の心を動かす。そして訪れるエンディング。断ち切られる哀しみを超えて前へと踏み出す気持ちにさせられる。

 過酷な運命を感覚的にはいきなり突きつけられたYS−11の乗員乗客の側に葛藤の激しさが足りない気もしないでもなく、もっとじたばたしそうな感じも抱いたけれど横たわる10年という時間に触れ、その時間を苦さと悲しさに浸って生きてきた家族の姿に接することで気持ちを納得させられたのかも。設定のハードさを使いつつ人のつながりの強さ、大きさを考えさせ感じさせてくれる物語。それぞれの再会にひとつづつ終わりが打たれていく場面に泣かされます。

 ロケットロケットゴーゴゴー。「舞 Hi−ME」はシアーズ財団へと攻め込まれた学園が反抗へと出る大展開で舞衣の大技が炸裂。ってゆーか乗っていたカグヅチがアルテミスの直撃を受けてその姿をコンコルドともロケットともつかない姿へと変え、煙を吹き出し宇宙へと飛んでいってしまったから大笑い。そこは普通1回ためて、奇蹟の復活って感じを見せるんだろーに1話に詰め込み叩き込んでは一気のクライマックスへと持っていってくれる。でもって次回はコスプレカラオケ編。誰が誰やら分からないけど何か楽しげに歌ってます。をを晶のサラシが谷間が柳腰が。絶対必見。


【1月12日】 いやあ凄い。何が凄いって「ピープルズ・チョイス・アワード」って米国で行われているらしーエンターテインメント業界のその年のトップを一般からの投票で決める賞があるんだけど、米国ではともかく日本ではこれまで大々的に取り上げられることなんてなかったその賞を、受賞者全員の顔写真を入れコメントも新たに記者が書き起こして入れる新聞があったから驚いた。どこの新聞かは秘密だ。

 本来的な価値で言うなら放送映画批評家協会賞の方がアカデミー賞の前哨戦ってことでより重要で、取り上げるんならむしろこっちって感じもするんだけど偉い人の考えることはまるで不明。その日の思い付きでもって日本ではまるで関心が持たれていない賞の全受賞者紹介を、1つの面の半分以上を使って行ってしまったからある意味で英断だけど別の意味では意味不明。結果すなわち読者の評判がどーだっかたもまるで分からないけど一部には社内でとっても評判が良かったそーでなべて世はこともなし、これからも上とか横とかを向いて外に向かない記事がどかんどかんと紙面を飾るのであった。嗚呼、無情。

 「ファンタジックチルドレン」をぼつぼつと。時間と空間が錯綜して何が起こっているのかまるで分からなかった1話2話といった辺りからつい最近の話数まで、撮り溜めてはあってもまるで見ていなかったから話が繋がらないのは仕方がない。最新の話数では前にどっかの病室で亡くなった女性画家のエピソードからつながって、1話とか2話とかってあたりで出てきた少女の正体に重なって白髪にマントの一味との、関わりも見えてなるほどチルドレンがファンタジックな話だから「ファンタジックチルドレン」だったんだと納得する。

 1話遡って見るとさらにはっきりしていてヘルガって名の少女が遠く異星から転生して来たお姫様だったことも明かされていて、さらに遡れば白髪に黒マントの面々が辿ってきた数奇な人生の冒険を興奮しつつ見られそー。だけど10話分くらいあるから見れば300分で5時間はかかるんで時間に余裕が出来た時に見返すか、DVDを買って1話2話と1月づつゆっくりと見ていくことにして、今はこれからさらに展開していく圧巻のドラマを堪能しつつ、三島由紀夫さんの「豊饒の海」にも重なる転生の意義について考えていくことにしよー。「げんしけん」終了の今、やっぱりこれが1番のアニメってことになるのかな。

 期待、って意味では「スターシップ・オペレーターズ」のこれからにちょっぴりの上向きな期待が沸く。相変わらずキャラクターは動かず止め絵の口だけがパクパクしている、ある意味とってもアニメチック(但し20年前の)な作品って言えそーだけど端折って何が何だか分からない人も多かった1話と違っていったん事が始まって、士官候補生だけが乗り込んだ戦艦がテレビ局のマネーをバックにしつつ祖国を占領した帝国と闘っていくってストーリーのうち、シリアスな宇宙でのバトルを中心としたストーリーが中心に立って、緊張感のある展開を辿って行けそー。でもやっぱりもーちょっと動いて欲しいなあ。せっかくの頭身が素晴らしい美少女たちばかりなんだから。

 「週刊サッカーマガジン」と「週刊サッカーダイジェスト」の2005年1月25日号でスペインのレアル・マジョルカへと移籍した大久保嘉人選手の勇姿を写真で見てなる膝も削られるはずだと納得。相変わらずソックスを足首まで下げていやがるぜ。場所から言えばソックスをたとえ上まで引っ張り上げていてもギリギリと外に出ていてスパイクがあたれば怪我をした可能性が高いけれど、ほんのわずか下だった場合にギリギリ怪我をしないか軽傷で済んだ可能性もある訳でその辺り、俺流でもって出た試合で結果は出せたとしても狙われ怪我を重ね試合に出られず腐り評判も下がって先達の二の舞三の舞とならないとも限らないんでその辺りも、しっかりとセルフコントロールして欲しいもの。どこへ行っても同じってのは捨てがたい性格ではあるんだけどなあ。もっとも日本代表でだけでは発揮されない性格なんだよなあ。


【1月11日】 えっと美少女の変身ヒロインたちですか。コスプレしていてセーラー服の少女は「スクール」ですか。百合な少女はシスター服で「シスター」ですか。関西生まれで関西弁で金には五月蠅くてでも親が大金持ちという「マイペースゆずらん」の2人を足して割ったようなキャラクターですか。15歳だけど幼女体型の少女は「ナース」服でそんでもって名前が鶴平菜知でときどき「つるぺたないちち」と言われて怒りますか。怒って両腕を振り回すと竜巻が起こりますか。3人合わせて「美少女戦隊AV(エーファイブ)」ですか。

 敵は醜いものをモザイクにしてしまう「R−18」ですか。その首領はリン・リーで娘の幹部はルー・ルーですか。リン・リーは本当は父親だけど胸がありますか。エロゲーのポップやポスターが貼られた秋葉原にある幼稚園を評して「おお、怖い! 怖い!日本一デンジャラスな幼稚園だわ!! 保護者の方々はあの街にたむろする男たちの性的嗜好をご存じなのかしら!?」と今のこのタイミングで言わせますか。でもってそんな秋葉原を浄化する話をすっとばして「ねずみ園」とやらに行かせますか。「ねずみ園」ではモルモットのキャラクターが多摩に棲息する猫のキャラが描かれたポシェットを切り刻みますか。「そういうキャラ設定」なのですか。ふーん。

 という訳で七月隆文さん「白人萌乃と世界の危機」(電撃文庫、550円)は読めば笑えたり笑い飛ばそうとして口の端が引きつったり、ネタだと楽しめたりネタなんだけど楽しみたいという気持ちにリミッターがかかってふと気がつくと深い溜息をついていたりする、前代未聞に空前絶後な抱腹絶倒の爆裂時空へと貴方を引っ張っていってくれる本。読めば書くことの志(こころざし)と売ることの心構えが戦い曙とホイス・グレイシーの勝負みたいになって屹立する様を感じられますお大事に。「フィリシエラと、わたしと、終わりゆく世界に」(富士見ファンタジア文庫)の続きまだあ?

 渡辺明新竜王の記事を読むために久々に「週刊将棋」の2005年1月12日号。「最強世代に20歳のクサビ」と見出しにあるよーに羽生善治森内俊之佐藤康光の35歳から40歳にかかった元チャイルドブランドな面々がその名称が付けられて15年近く経ってなお、第一線を走り続けている中に割り込んで若干20歳の青年が、棋界最高位とされている竜王のタイトルを奪取したんだからこれは快挙と言って良い。

 かつての屋敷棋聖のよーに若さ故の勢いでたちまちのうちにタイトルを取ってしまうこともない訳じゃないけれど、渡辺新竜王の場合はこれからも存分に強さを発揮して行きそー。プロ棋士になる前の奨励会の時から朝日新聞に「大山康晴15世名人の再来」と、そっくりな顔立ちも含めて書かれて期待をされていてて、その期待に見事応えて中学生でプロ棋士になった逸材だけに、いつかタイトルは取るだろーと思われていた。

 ただ上の世代があまりに強すぎるのと、当人がプロになって以降それほど圧倒的な勝ちっぷりを見せて来なかったことから、成長も止まってしまったのかと思われた時期もあったけど、一昨年に羽生善治王座への挑戦者となってタイトル戦に登場した前後から以前の強さを取り戻したよーで今年に入っても勢いは止まらず、2回目のタイトル戦で4勝3敗とフルセットながらも森内俊之前竜王を押し切った。森内さんに「実力だから仕方がない」とまで言わせたんだからこれは本物。単に時の勢いだけじゃなく底力の上に出来上がった実力が発揮されれば早々に失冠ってことにはならないだろー。相手が羽生さんだと分からないけど。

 何しろ王座と王位の2冠を保持しつつ王将戦で竜王を失っても名人と合わせ2冠となった森内さんに挑戦し、一方でその森内さんを決定戦で敗って谷川浩司棋王への挑戦を決めてしまったからここに来て実力フルスロットル。対局数は年間60局で今年トップで勝数も44勝とやっぱり全棋士トップ。2位の渡辺竜王が34勝でその差は10もあって未だ最強の称号を譲ってはいない。相次いで始まる2つのタイトル戦で両方とも奪取して4冠となってA級順位戦でも1勝でトップを走る藤井猛9段を破り2敗で並ぶ久保利明8段を破れば2敗で谷川棋王、藤井9段と並んでプレーオフの可能性がぐっと強まる。そこで勝ち抜き名人位奪取となって不思議じゃない。

 そんなタイトル争いに渡辺竜王が絡んで来るとしたら、現在予選が進んでいる王位戦で1組予選決勝まで進んでいる渡辺竜王が藤井9段を破ってリーグ戦入りして、そこを勝ち抜き羽生王位への挑戦を決める時ってことになりそー。今いちばん見たい対局だけに是非に実現して欲しいけれど一足早くリーグ入りを決めた佐藤棋聖がいるし目の前の藤井9段もA級順位戦で絶好調。森内前竜王を破った力からすれば超えられない壁ではないけれど、決して軽々とは超えられないだけにこの先、どんな戦いが繰り広げられるかに注目しておく必要がありそー。次号には渡辺竜王のインタビューも載るみたいだし天野宗歩の評伝漫画も始まっているし、しばらく買い続けてみよーか「週刊将棋」。「週刊少年マガジン」も買わなくなって久しいし。


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