縮刷版2005年11月中旬号


【11月20日】 頭がでっかくてうつむき加減でぼしょぼしょと喋る高橋留美子世界的なキャラの登場に場も和んだ「交響詩篇エウレカセブン」だったのに、おばさんキラーな上に子どもも誑かすデューイがその子供たちを使い悪巧みをした挙げ句、とりあえずは保たれていたコーラリアンとの調和が乱れ大量発生した珊瑚虫のお化けみたいのがわんさと現れ人間を襲い喰い消し町は大変。そんな光景を遠目にしながら月光号の面々は最後の戦いへと挑むべく、アクセル・サーストンことじっちゃんの助けも得ながら「ニルバーシュ」の改装に勤しむのであった。

 って感じ? でかいおっさんの名前が「グレッグ・イーガン」だったのはまあ驚きだっけど、それ以上に世界がコーラリアンとの危うげな”和解”の上に成り立っていてどちらかと言えば人間たちが劣勢で、一時は宇宙にだって出ていたこともあってそれでもも星の支配を取り戻すべく頑張っていたなんて、大きな構造がはっきりとした形でよーやく見えてきてこれで物語にも帰結する地平が見え向かう軸が通って、展開を見守りやすくなって来た。普通はそーゆーのって最初の1話でやるかするのに、半年以上もかけてやっとってのはなかなか奥手な人たちだねえ、「エウレカ」のクリエーターさんたちは。

 つか一体コーラリアンって何者で、どーして人間を上回る進化を見せたの? あの星が「地球」なのかは覚えてないけど星にもといた生命体で植民して来た人間と対立したのか、それとも谷甲州さんの「パンドラ」よろしく何かのきっかけで進化し人間たちを追いつめ始めたのか、分からないないもののとりあえずは人類に決して好感は抱いておらず刺激されれば反撃に出る存在だって怖さは見えた。そんな存在の仲間であるエウレカにさて、レントンほかの人間たちはいつまで好感を抱き仲間意識を持ち続けられるのか。カエレとエウレカに呼びかけるコーラリアンの声を留めるだけの愛をレントンはエウレカに見せられるのか。そんなあたりにも注目しながら残る4カ月と半分を見ていこう。おばさんもしていたバッフクランの髪型にちなんでまとめて暴走だけは勘弁。

 ちょっとだけ眠り起きて「文学フリマ」へ。10時半と開場30分前に到着するとすでに館内に100人からの行列が出来ててちょっと驚き。前回も少しは行列が出来ていたけど5列になるほどではなかった。んでもって開場と同時にその行列のほとんどが桜坂洋さんと桜庭一樹さんが出したブースへと向かい行列したのにはさらに驚き。休日の早朝から秋葉原へとかくも大勢のファンを集めるほどまでに、2人の人気は絶大だったのか。目の当たりにして分かる真実。なるほどこれだけのファンがいれば、2人についてはあと10年は戦い勝ち抜いていけそー。ちなみに正午過ぎの段階で用意した本は数百冊が完売。あとはトークショーで渡した引換券の分しか残らず後はサイン会と相成った。初回にして壁際にして看板とは。やるなあ。

 そんな2人に負けじと頑張っていたのが浅暮三文さんと画伯のブース。小さいながらも手の込んだ冊子を出しててそれに丁寧にサインを入れる間に行列ができてちょっとした賑わいを見せていた。とりわけ目立ったのが女性のファン。桜坂桜庭のコーナーに並ぶほどんど9割8分が男性だったのと比べると、グレ&画伯のコーナーは4割り5割が女性でなるほど、こーゆー層への波及が進んでいるのかと見て納得する。これだからサイン会とかいった現場歩きは止められない。桜庭桜坂のコーナーも同様だけど、ライトノベルが流行だからって現実にはだったらどんな世代が読んでいるのかを、見極められるのはネットよりもむしろ直接ファンと触れあうイベントだから。

 つか場内を見渡してもライトノベルに言及した本とかライトノベル風の萌え表紙を着けた冊子なんかがわんさと見受けられたのも今回の特徴か。慶応大学SF研究会まで美少女表紙にしていたくらいで、気色悪さよりも今やキャッチーなアイコンとしてライトノベル系のイラストが、認知されている現れって言えるのかそれとも単なる狭い場所での現象なのか。村上春樹の小説にそんな萌え表紙が使われリニューアルされる時が来ればいよいよ本物なのかも。大江健三郎でもいいかな。いっそ耽美なイラストレーターを使って三島由紀夫の文庫を出し直してみないか新潮社。

 前島賢さんのところで前田久さんとかカケルくんとかがいたのを見たり徳間書店のブースで大塚×大野の対談ペーパーがいつ並ぶかを観察しつつ歩いて見つけた平山瑞穂さんの本。「戦争文学がこんなにわかっていかしら。」とか何とかいった冊子でそれに「ラス・マンチャス通信」を出す前に書いていた作品「ケルベロス行軍」の抄録が掲載されている。内容はチラっと見た限りではやっぱりな平山瑞穂節。得体のしれないぐりょぐりょした感じがきっと込められているんだろー。60部限定だったからすぐに品切れになったかな。今回の「文学フリマ」1番2番を争う収穫でした。

 気になったのが玉城文庫って所から出ていたウズって人の絵と文章になるフリー文庫の「バイスクルメトロノーム」って冊子。小説だけど表紙のイラストが可愛くってもらって買える。萌えとかいった絵じゃないけれど心にぐっとくる感じ。メカも独特でこの路線なら新しいイラストのテイストを求めるライトノベルなり児童文学の方面で、気に入られることもあるんじゃなかろーか。内容についても何だかジュブナイルっぽさがあって楽しそう。タダでもらったのも悪い気がするんでここに紹介して各方面の関心を繋げよう。座っていたおばあさんが本人だったらびっくりだけど。

 延々とサインを続ける桜×桜を遠目に見つつ入り口で大森望さんとすれ違いつつ「文学フリマ」の会場を抜け出し「味の元スタジアム」へと駆けつけ、サッカーのJリーグ「FC東京vsジェフユナイテッド市原・千葉」の対戦を寒空に身を凍えさせながら観戦。負ければ優勝争いから完全に脱落するジェフ千葉にとって大切な試合だけど、一方では負けると広角争いに名を連ねかねないFC東京も必至ってことで双方に最初から積極的な攻撃が見られたものの供にゴールに結びつかない。ジェフ千葉はストヤノフ選手の欠場で空いたセンターバックを中島浩司選手が努めるスクランブル。だけど今ひとつクリアが鈍くて何度も相手に渡して危機を作り肝を冷やす。

 その一方で山岸智選手が0対0から迎えた後半にほとんどフリーでシュートを放つも枠の上へと外してノーゴール。そうこうしているうちにジェフ千葉の守備の乱れから梶山陽平選手に叩き込まれて選手され、マリオ・ハース選手の得点で追いつき、林丈統選手のスピード&テクニックで攻め立てたものの再び今度は別のFC東京の選手に叩き込まれて万事休す。工藤浩平選手の投入がワンテンポ早ければあるいは、って思われたけれど今日の守備陣ではやっぱりこれが精いっぱいだったかも。ストヤノフ選手の偉大さが改めて分かりました。次も出られないけれど。

 次はえっとどことだったっけ、浦和レッドダイヤモンズだっったっけ、勝つのも厳しいし勝っても優勝は遠いけれどここまで来たら3位以内を狙う根性って奴を見せて終幕の「フクダ電子スタジアム」での対名古屋グランパスエイト戦を迎えてやて欲しい物。その時にグランパスが降格圏内まで落ちて来ていないことを願おう。とはいえグランパス、あの資金力あの戦力でこの体たらくてことは、1度落ちた方が上のふがいない奴らが一層されて良いのかもなあ。事務とか時務とか寺務とか。


【11月19日】 名古屋弁が出てきてテレビ塔が出てくる小説はそれだけで郷土愛的に大正解なんだけど、栗田有起さんの「マルコの夢」(集英社、1300円)は加えてどことなくファンタジックな展開もあって読んでてなかなか面白い。就職がままならないで悩んでいた少年に父親の違う姉から連絡があってフランスで営んでいる食材輸入の仕事を手伝いにパリへ行く。そこで数ヶ月を過ごした後に姉から良い使った用事でパリでも有名なキノコ料理を出すレストランへと物を届けた際に何故か、オーナーに言われてそこの店でキノコ番として働き始める。

 就職もなかった時にこれ幸いとは言いつつも、朝の3時にレストランへと入り深夜まで続く仕事に躊躇もなく飛び込んだのは主人公のあまり深く世界を考えない性格か。そうこうしてとりあえず働いているうちに彼に重大な任務が下される。その店を代表するキノコ料理の中でもとりわけ評判なのがマルコという名のキノコを使った料理。いったいどんなキノコかは不明で他のキノコがどれも自生していたものを摘んだ生のキノコばかりなのに対して、マルコだけは乾燥キノコでそれをシェフが水で戻して調理しているという。入手経路は秘密。食べれば誰もが病み付きになるという味で故に店を代表するキノコになっていたけれど、採れなくなったかして店に入ってこなくなって在庫が切れかかっていた。

 困ったオーナーシェフが頼みにしたのが日本から来た青年。キノコのことなんでまるで知らなかった彼が何故かマルコを探して日本へと舞い戻る。しばらくぶりの日本で食べるものも吸う空気も体に合わなくなっていた彼に果たしてマルコは見つけられるのか。そもそもいったいマルコとは何なのか。さいしょは行き場を失い漂っていた青年が落ち着き前を見つける成長の物語かと思った小説が、後半に来てファンタジックな様相を帯びライトなホラーのニュアンスも帯びて転がっていく。

 敢えていうなら純文学としての精緻さ美麗さからやや外れつつ、かといってホラーやファンタジーやSFといったもの程にはエンターテインメントしていない、中途半端感があって悩ましいけど短いページ数の中で自然なるものに身を委ねる心地よさを味わわせ、深淵なる生命の強さを感じさせる役割は、果たしているからSFやファンタジーは重たいけれど少し不思議な物語が読みたいって人には最適かも。同じよーな菌類によって紡がれる生命の強さを描いた梨木理香さん「沼地のある森を抜けて」(新潮社)と比べつつ並べつつ読んでも面白いかも。

 とくにすることもない休日を秋葉原の「ヨドバシカメラ」へと行きデジタル一眼レフなど眺めて過ごす。使っている「PENTAX istD」は描写の能力こそ悪くはないものの、オートフォーカスが遅いのと連写の速度が今ひとつなのと、測光測距が鈍っているのか写すと全体に暗くなってしまって、仕事の時にあれこれイジくらないと使えない。おまけに外付けのフラッシュをはめ込む部分にヒビが入って取り付け状態でフラッシュを倒すと根本からポッキリ行きそうで不安。修理に出しても良いけどその間に使うカメラがなくなると仕事に差し支えるから悩ましい。マスコミなんだから写真部があるって? マイナーな子会社の些細な仕事に出向いてくれる写真部なんていないんだよう、まず滅多に。それが子会社クオリティ。

 なので新しいのが欲しいところなんだけど、PENTAXは後継がアンダーグレードのものしか出ておらず連写性能も今ひとつ。想像するなら来年あたりに上位グレードの新機種が出て来そうだからその時まで待つってのも、買い溜めたレンズやフラッシュの有効活用を計る意味でアリだけど、それが同じよーな性能だったらって考えるとここでメーカーごと切り替えるのもアリかもしれないって思えてくる。んでとりあえず現時点で使えそうなのは何かをチェック。値段で選ぶんだったら「NIKON D70S」が使い勝手と性能でトップクラスなんだけど、やたらめったら大勢の人が使っててちょっと悩ましい。

 「EOS Kiss DIGITAL N」も同様。だから狙うならちょっと上のグレードで「EOS20D」あたりがまずは候補に挙がる。レンズ込みで安いところで20万円前後ってのは「istD」のレンズ付きセットを買った時より安い値段。それで性能はプロ仕様に近いものが手に入るんだから世の中の進歩って素晴らしい。ここに対抗として登場するのがNIKON D200」「でベストセラーになった「D70S」より上位を狙って連写性能もオートフォーカスもプロに近い出来で、なおかつ値段がボディとレンズを合わせて22万円から3万円当たりに落ち着きそう。フラッシュを足して25万はちょっと魅力的で、あとは望遠をタムロンかシグマ当たりで買って足せばそれだけで仕事に十分なシステムが汲めてしまう。

 さても買うならどっちを選ぶか迷うところではあるけれど、果たしてそんな高いカメラが必要な状況がこれらも続くのかどうかって当たりを考えると更に悩みは深くなる。相変わらずの状況がここ2年近く続いてアップアップ。もらえるボーナスはこれまた子会社クオリティではなんだか未来への希望もしょぼくれてしまう。今あるカメラでスポーツイベントなんかはそれなりに撮れる訳だし、ここはまずは向こう数カ月の様子をながめて向かう前が流れ落ちる滝なのか、細く狭まった隘路の果ての行き止まりなのかを見極めてから散財すべきか考えよう。ってどっちもどっちだなあ、この未来。それよか年は越せるのか?

 暗くなって来たんで明るいクリスマスを迎えられるよーにと新宿に回り紀伊国屋ホールで12月25日なんて世間がジングルベル一色に染まり終えた時期に開かれる、「波状言論S改」の刊行記念トークセッション「ゼロ年代の批評の地平 ―リベラリズムとポピュリズム/ネオリベラリズム」のチケットを買ってくる。出演するのは編著者の東浩紀さんんと登場している北田暁大さん、それから精神科医の斎藤環さんに何故か1人だけ「切込隊長」と異名のついている山本一郎さんで今時な中ではなかなかの面々。ほとんど共著に近い鈴木謙介さんの名前が見えないのは不思議だけどきっとクリスマスのことだからどっかの音楽イベントの方に駆り出されてでもいるんだろーと適当に想像。妻子ある東さんには外で遊ぶよりも稼いで玩具の一つでも買って来いってことか。

 だったら東方はどうなのかと聞かれても答えようがないんでパス。「有馬記念」に行く年でもないしましてやレストランとか遊園地とかに行く身でもないから、壇上で何でまたクリスマスにこんな古めかしいホールでおっさんばかりと顔をつきあわせてなきゃいかんのかって雰囲気を見せる講師陣の憮然とした表情を眺め同類の感を抱きつつ夢のない年末を過ごすことにしよー。あとは心配なのは日曜出勤が入るのかってところか。サッカーの「天皇杯」とかはどーだったっけ。まあその辺も含めて調整。それよかやっぱり大事なのは年の瀬を無事に越えられるかってところだよなあ。ヤバげな会社に引っかかって祭りになってたりしたいら嫌だなあ。

 「ゲーマーズ」へと寄って川田まみさんが歌う「灼眼のシャナ」のオープニング曲「緋色の空」の初回限定盤って奴を買う。DVDがついてるのが得っぽいけどDVDに何が入っているかは知らない。曲はテレビで聞いててなかなかで、高橋洋子さんの歌うエンディング「夜明け生まれ来る少女」と並んでopedともグッドなアニメーションが今期は数ある中でもやっぱり出色かも。とかいいつつ実は「BLACK CAT」のオープニング&エンディングもともに好きなのです絵も含めて。買う程ではないけれど「舞−乙HiME」はエンディングへの入り方が毎度まいど心地よくって今回は頑張るアリカの絵に星が走ってから駆け出すアリカのエンディングへと入るタイミングがばっちり。ああ終わったなあ、んでもって来週もまた見ようかなって気にさせてくれた。癒し系だと「ARIA」のエンディングが最高。「ノエイン」もopedともに悪くはないけど印象的にはやや薄いか。「IGPX」……すでにアニメの印象も薄れがち。あれ見てアメリカ人、嬉しいのかなあ。奴らの感性って分からないなあ。

 始めて見たのはいつなんだろう、中学校だったか高校生だったかすら記憶にないけど少なくとも10代の半ば頃には見ていたモーリス・ベジャール振り付けによるボレロ。ジョルジュ・ドンの名演でも知られるこのバレエをその後に踊った大勢の人たちの中でもきっと、馴染みでは日本人でトップクラスに位置づけられるシルヴィ・ギエムが遂に日本での「ボレロ」上演を封印するとあってこれは見て置かなくちゃと取ったチケット握りしめ、上野にある「東京文化会館」へと駆けつける。B席1万円は3階ながらもステージ真正面。そこでも中央付近の席がとってあってこれはラッキーとロビーでオペラグラスを借り受け上演を待つ。

 まずは「ギリシャの踊り」とゆー群舞を見物。波から始まるさまざまなバリエーションがあって再び波へと戻る綺麗な展開は自然と神話を入れたがるモーリス・ベジャールっぽさ炸裂で見ていてなかなかに楽しい。同じくベジャールの「ドン・ジョバンニ」は男性のドン・ジョバンニが登場しない中を周囲で女性ダンサーたちが踊る楽しい舞台でコミカルなところもあって見ていて飽きない。最後にちらりと顔を見せて舞台を横切り歩いた梯子の男がドン・ジョバンニ? そりゃみなさん落胆しますわな。

 その合間に1本、ギエムの「小さな愛」ってのがあって男性ダンサーと2人で踊った演目は、衣装から剥き出しになったギエムの腕と脚の筋肉が目立ってその凄味に感嘆。前に出てきた女性ダンサーたちが途端にひ弱に思えてしまうその体格があればこそ、何十年も過酷な「ボレロ」を踊り続けられたんだろー。女性の優雅さではなく突き詰めた肉体の素晴らしさを見せるって意味ではジョルジュ・ドンの踊った「ボレロ」にもしかしたら近いのかな。

 けどでも「ボレロ」の場合は周囲に群がる男性たちがいっぱいいて、踊るギエムを見つめ最後は赤いステージを叩き手を挙げる場面があってそこだけ見ると、アメノウズメの如くに舞う女神を讃える人間たちって図式も浮かび上がる。とりわけ「ボレロ」の時のギエムは長い髪をストレートに垂らし振り乱しながら踊っててまるでシャーマン。ドンが神話的ならギエムは土俗的ってゆーかシャーマナニックな感じがあってそこに例え肉体派であっても女性ダンサーのギエムが「ボレロ」を踊る”意味”ってのがあったのかもしれない。ともあれこれで見納め。だけど日本ではまだしばらく公演が続くみたいなんでチケット探してまた行こうかな。来年には4月に上野水香さんが日本で「ボレロ」を踊るみたいなんで行ってっ比べてみたい気が。それよりそれが演じられる「ディアギレフvsベジャール」みたいな公演で山岸涼子さんの漫画にも出てきたニジンスキー振り付けによる「牧神の午後」が演じられるんでそっちも注目。


【11月18日】 HDDレコーダーに録り溜めておいたアニメをあれこれ。ついでにDVD−RAMへと移す作業も。秋原場をうろつくと結構安い値段でRAMが出ていてハイグレードの2時間ビデオに撮るよりはるかに安い値段で、4時間分を入れられる9・4ギガのディスクを拾えるんでそれに8話分を放り込んでいきながら、すでに100に迫りつつあるインデックスの数を減らす算段を整える。けど一端ディスクに焼いてHDDから消してしまうと、入れて再生するのが面倒で、途端に見なくなってしまうのが難点。かといって消さずにHDDに残すと、制限いっぱいになってしまうのが悩ましいところ。RAMの再生可能なパソコンが目の前にあれば、いざというときはそれで見るよーにできるんだけど、そんなものを置く余裕が我が家には既に存在しない。というわけでやはり堂々巡りの結論へと至る。引っ越したい。

 んでもって「灼眼のシャナ」。マージョリー・ドーの設定にアニメが「シャナ」初体験だと迷う人とか出そうだなあ、こいつ一体何だって、でもってどーして学生2人を従えているんだって。そんなに魅力的? まあ魅力はあるけどスタイル的には。でも性格は……魅力的か。原作を読んでいれば、言葉で描かれたキャラがとりあえずそれなりな絵になって動いているんだって安心できるんだけど、アニメから入るとまずはフレイムヘイズが何で紅世の徒(ともがら)が何で荒洲徹が誰なのか、分からないまま得体の知れない敵と戦い少女が何故か見方なはずの同じフレイムヘイズの姉ちゃんと、バトルをおっ始めたのかを理解できずに戸惑うことになりそー。絵の動きとかオープニングやエンディングの出来が良いだけに勿体ない。

 それから「ARIA」。晃さんの訓練に灯里たちが苦労する話にネオ・ヴェネチアへと観光に来た若いカップルを載せて2人にウンディーネの現実を見せるエピソードが重なったテレビオリジナルの展開で、客の前では優しげだった晃が先輩モードになった途端、頭身も代わり表情も強くなって灯里たちに説教する変わり身っぷりは、漫画で読んでも楽しいけれどアニメで見るとなかなか楽しい。漫画では許される技法でもアニメに許されるかは微妙だけど、最近の漫画ほどにはのべつまくなしに頭身を変化させてはいないから、驚きが飽きへと進んで気持ちが萎えることはアニメを見ている限りはない。アリシアさんはアニメで声がついている方がのほほんっぷりが出ていて良いかなあ。「あらあら、うふふ」って声を聞くほどに気持ちが安らぎます。

 確かに似合ってる。けど世界を担う乙女がするにはやっぱりちょっと恥ずかしかったかも。「舞−乙HiME」は援助を得てもやっぱり仕事で稼ぎたいアリカがナオから紹介されたバイトに行くとそこはお城の修復工事。Tシャツを着てニッカボッカをはき頭にはヘルメットとゆーどかちんスタイルで、ガタイのデカい男に混じって歩き回るアリカの姿の、細くて小さいんだけどでも何故か見事に溶け込んでしまっているのは、常に前向きな態度が肉体系のワーカーの雰囲気にマッチしているから、なんだろーか。

 あるいは生まれ育った環境が、人の雰囲気を左右するのだとしたら例え高貴な出自であったとしても、訳あって田舎で野生児のよーに育ったアリカにはどかちんなスタイルが似合ってしまい、未だ出自は不明でニセモノだと言われることもあって傷つきながらも、臣下に傅かれ蝶よ花よと育てられたマシロにはそれでそれなりにお姫さま然とした雰囲気が、生まれ周囲に対する説得力を持つよーになっているのもよく分かる。ここまでの何年かを別々な環境で過ごした2人がこれからどんな変転を辿るのか。そこでどんな成長を見せるのか。見つつ謎が解明され物語が進み世界が明らかになる時を待とう。それにしてもこんなバイトを紹介するとはナオさんなかなかイケズだねえ。

 サッカーのワールドカップドイツ大会に出場する国がすべて決定したニュースの影でラグビーのワールドカップ開催国がニュージーランドに決定して日本が落選したとの報。けれども扱われ方はひっそりとしたもので、ドーハの戦いでワールドカップ出場を逃して日本中が落胆した時はもとよりそれ以前の、86年とか90年の大会を前に日本が予選を敗退していった時ほどにも世間がラグビーのワールドカップ開催国落選を気にしていないのが不思議とゆーか恐ろしいというか。かつて松尾雄治が釜石を率いて7連覇を達成し、次いで平尾誠二が神戸製鋼で7連覇を達成してみせた1980年代だったら世間はラグビーの方を国民的なスポーツと認め、その動静を気にしていた。ワールドカップを開くとゆーなら国を挙げて盛り上がり、開催地を逃したとなればオリンピックで日本が落選した時以上の落胆を見せたに違いない。

 けれどもどうだろう。今においてラグビーが日本の国民的な関心を集めているスポーツだとはちょっと言い難い。マスコミの世界に妙に多い早稲田だとか慶応だとかいった学校出身者が我が母校への思い入れからか学生ラグビーを妙に盛り上げたりして目立つけど、それも関東方面だけでのことで他の地域ではまるで無関心。それよりもオランダのサッカーがワールドカップに返り咲けるかどーかといった、他国の話の方で盛り上がっている人の方が多いかもしれない。

 現に今朝付けの新聞でワールドカップの出場国決定を1面で取り上げた新聞はあっても、日本のラグビーワールドカップ落選を1面で飾ったスポーツ新聞が果たしてあったか? なかったんじゃなかろーか。想像するなら学校スポーツの延長みたいなプロ意識とは違う精神が蔓延り、歴史と伝統なんてものに縛られ妙な意地に凝り固まって一般の人たちへのアピールを欠いてしまった結果、人気を凋落させてしまって、けれどもそれを認められない老人たちが頑固にも居座り続け、変わらないまま坂道を転げ落ち続けて向かうはどうどうと流れ落ちる滝か草も生えないツンドラか、といった状況なのかも。けどそれは一時期のサッカーも同じこと。そしてこれからのサッカーに起こらないとは言えないこと。もって他山の石としつつラグビーのワールドカップがいつか日本で開かれ、世界の本流のラグビーを日本人に見せつけては日本を体質改善へと至らしめる日が来ることを祈ろう。


【11月17日】 えっとどうしろと。紅白歌合戦。司会がみのもんたさんに山根基世さん。見るからに高砂の翁と媼にしか見えない2人は、紅白ではなくその後の「ゆく年、くる年」にこそ相応しい面子であって、若いアイドルだって出場しては若い観客をその時間だけでも引きつける番組に、とてもじゃないけどそぐわないって思えて仕方がない。予想していた仲間由紀恵さんとは大違い。紅白を見ようかなって気が一気に萎える。

 あるいはNHK、そーした若者に媚びるスタイルをすっぱりと止めて、NHKに未だ神話を抱く老年壮年世代にターゲットを絞り込んでは昭和歌謡をひたすらに流す番組へと、紅白を持っていこうとしているのかも。その方が案外にターゲットが絞れて視聴率は取れたりして。ともあれ足して118歳の超絶ベテラン司会陣。2時間以上の長丁場を生きのび大トリは2人で「高砂」を舞って新年を祝い賜え。裏番組でTBSには久米宏と黒柳徹子に「日本レコード大賞」の司会を任せて挑んで欲しいなあ。

 ジミー大西を見た。ボージョレ・ヌーボーの解禁日。ワインのラベルを描いたメルシャンが「サンケイビル」の前で開いたイベントに現れ何やらトーク。あの簡単そーに見える絵に3カ月もかけたって話しているのを聞くにつけ、すべてに本気なアートの魂って奴を持った人間だってことが見えてくる。それとも単に仕事が遅いだけ? けどでも巨大な寺のふすま絵を、延べ16日かとかで描いてしまう元コメディアンよりは信頼が持てるよなあ。ただうじゃうじゃと鬱陶しいくらいに描かれた鯉の絵は、美しさよりも生臭さばかりが漂っているし。それを讃えるメディアの気持ち悪さよりはましだけど。

 石川亜沙美を見た。って誰? あんまり知らないけれど身長178センチもあってオスカープロダクションでモデルをしている美少女ってことで、現れた本人はなるほど細くて美しく、モデルの中でも立派にファッションモデルがつとまる体型だってことが見てとれる。現れたのは神宮前のカフェでアマゾンが新しく始めたスポーツストアのオープニングを祝うイベントに、やって来てはジャスパー・チャン社長と並んでネットに向かってあれやれこれやを探して見せてくれた。それだったら本当にスポーツに関わる人を呼んでくれた方が、サイトの役立ちっぷりを証明できた気もするけれど、大勢のカメラが来て撮影していた所から想像するに世間へのアピール度では石川さんの方がきっと上なんだろー。んでもって誰なんだ、石川亜沙美って? 石川梨華と紺野あさ美の合体したフランケンシュタインか。

 まず小学生のような女の子がやって来ては「お兄ちゃん」と叫んでタックルをかます。続いて居丈高な少女が立ちふさがってお前を守ると言っては近寄る存在を殴り蹴り飛ばして排除する。さらには刀を持った金髪の少女やメイド姿の眼鏡の少女が現れ一緒に来いと誘いかける。そして謎の少女と謎めいた青年が現れて激しい攻撃をしかけてくる。その中心にいたのが針山さん、ではなく朝凪巽という少年だったとゆー、谷川流さんの「ボクのセカイをまもるヒト」(電撃文庫、550円)の聞けばどこかで聞いたことのある、コピーのコピーのコピーみたいな設定に眉をひそめる人も結構いそー。

 けど読めばなるほどこれはとてつもなくオリジナル。ありそうな設定なのにそれをぶち破る強烈無比なキャラクターが繰り出してくる、奇をてらった突拍子のなさとはどこか違う寸止めのよーで想像を絶するよーな、実に何とも表現のしづらい不思議なバランスがそこにできあがっていて読んでいて既視感に眉を潜めるよりも先に、繰り出される怒濤の展開に押し流される気分を味わえる。結局不明の状況がこの先にどんな展開を見せていくのかがまず楽しみ。そして朝凪巽がどんな役目を担っているのかをどう描くのかに興味。何よりどんな物事にも動じず現実を直視し打開策を練ってそれを現実にしてしまう超絶リアリストの朝凪津波の正体に注目。ただの鈍感な人かもしれないけれど。


【11月16日】 ひきこもり男性に女性作家が援助を申し出る逆「NHKにようこそ」的ストーリーを持った「ニート」(角川書店、1200円)の楽しさから始めた絲山秋子さん強化月間の一環として、長編「海の仙人」(新潮社、1300円)を読んだらこちらは大人版「わたしたちの田村くん」であった。宝くじが当たってデパート勤めを止めて敦賀の海辺の町へと引っ越し空き家を買って住み始めた男の所に「ファンタジー」と呼ばれる神様とも幽霊ともつかない存在が現れ男にあれこれアドバイスとも説教ともつかない言葉を発し始める。

 それを厭う訳でもあく男は日々をゆるりと暮らしていたがある日、岐阜で輸入住宅の販売会社に勤める中村かりんという女性が休日利用して白砂の綺麗な島に泳ぎに来た所に行き当たって、知り合いとなってそのまま何とはなしにつき合いをスタートさせる。一方で元いたデパートで同僚だった片桐妙子という女性が長い休暇を取ってアルファロメオを転がし男を訪ねてきては、男やファンタジーとともに数日を楽しんで別の地へと向かい、そこで男と別れようとする間際。友人然として振る舞っていた片桐妙子が男の後ろ姿から目を離さず彼は彼女の本心とも言える愛を感じ、けれども既にいる中村かりんとの関係を大切に思って元同僚の想いを遠ざける。

 どちらも大切にしたいけれどそうはいかない関係は、幼なじみと新しい知り合いとの間で板挟みになってもがく田村くんに似た雰囲気。ただし「海の仙人」の主人公の男は優柔不断にはせずかりんの方をとりあえずは選ぶけど、かといって結婚に至ることはなく過去に姉との関係から負った心の傷を埋めきれないまま、体を重ねない淡々としたつき合いを続けた果てに悲しい別離へと至ってしまい、そして今ふたたび片桐妙子との関係が顔をのぞかせて物語りはクライマックスへと向かう。

 気になるのが神様とも幽霊ともつかない「ファンタジー」の存在で、見ればそれが「ファンタジー」なんだと誰もが気が付く存在らしーけれど、神様として奇跡を起こす訳でもなく、逆に悪いことをする訳でもなくただ淡々として言葉を発して迷う人たちを迷わし続ける。あるいはそれは人の迷う心を象徴した存在で、田舎の一人暮らしを楽しんでいるふりをしながらも姉との断絶した関係に悩み現れた2人の女性との関係に迷う主人公は、ファンタジーの存在をそれと気づいたのかもしれない。

 つきあっている男との関係を深めたいと想いながらも仕事への魅力も断ち切れないかりんも、ファンタジーの存在見ればファンタジーなんだと分かり、元同僚の男への思いを抱きながらも姉御肌でかりんにすっぱりゆずって身を引いた片桐妙子は、ファンタジーが何かを知らなかった。迷うことでひらかれる未来への可能性を示す存在。あるいはファンタジーをそう捉えることも可能なのかもしれず、故にかりんを失い視力も失って半ば絶望状態にあった主人公の男前にファンタジーは姿を現さなくなったのだろう。なんて勝手な想像はしているけれど真相は不明。ともかく不思議な味わいの物語なので読んで貴方だったらどっちを選ぶか迷いつつ、自分にはファンタジーは現れるのだろうかと考えてみるのも面白いかも。

 冒涜だろう、国歌への。もちろんそれを敬う心さえあれば下手でも口に出して歌わなくても構わない。だから歌った松浦亜弥さんを責める気持ちはそれほどない。何でまたしゃしゃり出てきたのかってゆーことくらいか。だから問題は、誰もが注目する場所で大勢を代表して歌うって人間に歌を歌として聴かせられる力量を持たない人を招き歌わせた主催者にある。一方でアンゴラの国歌をおそらくは声楽を学んだ人が学び練習して見事に歌いきったのを見た後だけに、日本が用意した歌手の拙さが際だってしまって、結果主催国である日本の国歌を何と心得て選んだって憤りが湧いてしまう。

 この場合だとどこなんだろう、日本サッカー協会? それともTBS? まさかスポンサーのキリンがゴリ押ししたとは思いたくないけれど、日本郵政公社とともに松浦さんを起用し試合の合間に流れたCMに登場させている関係から、スポンサーの暗黙のプレッシャーに妙な配慮が選ぶ側で働いたのかもって勘ぐりも抱いてしまう。見る人が見ればそんな勘ぐりは生まれて当然。けれどもだからといって是正しないところに、この国を蝕むスポーツへの、歌手への、国への、すべてのあらゆる真っ当なことへの敬意の喪失ってものが見て取れる。気持ち悪いなあ。けどでもそれを喜ぶ人がいるから共に水準を切り下げて行ってしまうんだよな。参ったなあ。

 そんな素っ頓狂な国歌独唱で始まったサッカーの「日本代表vsアンゴラ代表」は散々っぱらチャンスを作りながらも決めきれなかった日本代表に対して後半に入りアンゴラが良い攻めを見せてとてもじゃないけどこれがワールドカップ初出場とは思えない。球際に強くまず奪われないし日本が頻発するトラップミスを見逃さずに奪い攻撃へと繋げるところがなかんなか。これで来日しなかった主力が前線に加われば確実に何点かは奪われていたに違いない。

 日本の方はロスタイム直前に松井大輔選手がふかさず決めてホームのプライドを守ったけれど、フルメンバーに近い面子をそろえてこれでは本番が思いやられる。やっぱり初の出場を決めたオーストラリアが次からはアジアの予選に参加してくることを考えると、これからの半年は仕方がないとしてもその後の3年をどう強化していくか、日本にとってその後の20年を伺う大きな転機が訪れそう。それを果たして誰に任せるのか。出てくる答えの失望を招きそうな雰囲気にちょっぴり沈む晩秋の夜。まあとりあえずは勝利を喜び阿部勇樹選手の定着を願うことにしよー。


【11月15日】 クラリスかあ。テレビには少女の頃に描いた絵ってのが出たらしく、それがすべて終わってからカリオストロの城をみつめるルパンとクラリスの後ろ姿が描かれていて、前々から噂されていたアニメーション好きって趣味を改めて裏付けた格好で、それに対する驚きはなかったけれど、流石に結婚式のドレスに「ルパン三世 カリオストロの城」でクラリスが着たウェディングドレスを模したドレスを採用するとは思わなかった。

 飾りが少なく裾まですーっと直線的にカッティングされたデザインで、肩口がふくらみ肘からは手首の部分まで細く伸びた袖の形も確かにクラリスのドレス。首がスタンドカラーになっていたら完璧だったけどそれだとネックレスが目立たなくなるから仕方がない。世界が注目する場でアニメへの、クラリスへの想いを遂げてみせるとは並みのアニメファンでは出来ない英断。それだけに改めて人物的な素晴らしさを痛感する。そこまでの情愛を注いでいたとは、たとえ組合運動に熱意を示した人間だったとしても、宮崎駿監督も嬉しかったんじゃなかろーか。

 いっそどーせだったらご主人様には披露宴で緑のジャケットを羽織って頂きたかったかも。けどそれは流石に無理だったみたいなんでこれから続く生活の中で、是非にあつらえて着用しては「FIAT500」を転がしどこどこと田舎の町を2人でドライブしていってくださいな。そーいえば車好きで友人にも車好きな人が多いって聞くご主人様。同盟偉人かもしれないけれど友人で出てきた人の中に「FIAT500」 に関心を向ける人もいるくらいだし、そんな車への情愛に彼の人の影を見て慕い結ばれたりしたのかも。いい話だなあ。

 せっかくだからと「ハウルと動く城」のDVDを大手町にある紀伊国屋書店で購入。ショートアニメのDVDと通常版とがセットになったパックを買おうか4枚組でロングインタビューの入った特別収録版を買おうか迷ったけれど、ショートアニメのDVDは別に買えば良いと考え特別収録版をチョイス。メビウスと宮崎駿監督の御大対談やジョン・ラセターと宮崎監督とのご対面、そしてハウルを動かすCG解説の入ったディスクは確かこっちしかないから、マニアなら買うしかないってことなのかも。

 もらった24分の1秒ってタイトルが付けられた上映フィルムの切り出しはハウルとかかしが映った絵柄でラッキー。そりゃソフィーのそれも若い時代が映った奴の方が嬉しかったかもしれないけれど、ハウルは一応は主役でそれからかかしは最後に美味しい思いをしたキャラってことでやっぱりアニメを代表する存在。それが映ったフィルムはやっぱり当たりと言うのが正しいんだろー。

 だったら外れはというとやっぱり年寄りになったソフィーか肥えた荒地の魔女かカルシファーか髭を伸ばして化けたマルクル。果たしてそーゆーのが混じっているかは今は不明だけどもらったフィルムを公表しあうコミュニティなんかがあるみたいなんでそこで様子を見つつどんな絵柄があってどんな絵柄がないかを確認しよー。動く城、ってのはあるのかなあ、一応はハウルと並んでタイトルロールなんだけど。コミュニティで拠出しあって1本の映画を作ってしまったら凄いかも。

 それにしても気づかなかったけど英語版の声の出演ってとてつもなく凄かったんだなあ。ソフィーの婆さんには「シーザーとクレオパトラ」「大いなる遺産」「ハムレット」のジーン・シモンズで「荒地の魔女」はハンフリー・ボガートの奥さんだった人で「三つ数えろ」「キー・ラーゴ」「百万長者と結婚する方法」のローレン・バコール。ともに美人女優として名をはせ且つまた老いても矍鑠として銀幕にその姿を見せ続けている大女優の共演だった訳で、これを見れば日本版が幼少期も老年期も同じ倍賞千恵子さん、「荒地の魔女」が三輪明宏さんてキャスティングがちょっぴり見劣りしてしまう。よくぞ集めたジョン・ラセター。それだけ宮崎監督の作品に出る価値があるってハリウッドでも認められているってこともある。

 ちなみにハウルは「バットマンビギンズ」で主役のバットマンを演じた「太陽の帝国」で子役だったクリスチャン・ベールとやはり大物。木村拓哉さんだって日本では大物だけどこと俳優としての”格”からすればやっぱり見劣りしてしまう。ソフィーの少女だった時代を演じたエミリー・モーティマーしかり。ちゃんと役に応じて使い分けることで見ている人に違和感を感じさせずより、作品へとのめりこませるだけの意識をちゃんと持って作っているってことなんだろー。突拍子もない演技をする声優も微妙に問題だけど演技の質より知名度でもって選ばれたキャストってのもやっぱり問題。純粋に作品とマッチしているか否かで選ばれる時代は宮崎アニメに訪れるのかなあ。あと何年続くかが最大の問題か。

 実を言うならそんなに記憶に残っていないのは僕が「プチ・アップルパイ」や「漫画ブリッコ」は読んでも「レモンピープル」とかは読まずに過ごし、地方にいたため同人文化にも触れず「プチ・パンドラ」も手にする機会がないまま80年代半ばのロリコンブームを経過したからか。つまるところは大塚’sチルドレンであっても決して蛭児神健’sチルドレンではなかったってことで、だから「新現実」でロリコンの神様、おたくの中のおたくと言われた蛭児神建さんの復活とそして手記が載っても大きくは気持ちを動かされなかった。

 けれどもまとまって本になった「出家日記 ある『おたく』の生涯」(角川書店)を読むとそこに記された時代的な様相とか、登場する人たちの名前なんかはやっぱり身に覚えがあるものばかりで当時の記憶を呼び起こしつつ、そんな時代がどうして費えてしまったのかを考えさせられる。出家して心に病を負った妻と同居しながら生活保護を受け時々ペット供養の香典をもらい生活している著者の蛭児神建さんは自ら「おたく」を降りたからまだしも、彼を吾妻ひでおさんと会わせた沖由加雄さんなり可愛らしい絵で評判だったこのま和歩さんなり、彼が才能を認めながらもその取り巻きと仲違いをして没交渉になった破裏拳竜さんなり千之ナイフさんなり内山亜紀さんなり豊島U作さんといった面々は、80年代の半ばの一時期、確実にファンをつかみ特殊ながらも漫画のシーンを席巻していた。

 けどそんな中で今も第一線で活躍している人がどれだけいるのだろう。同様に「プチ・アップルパイ」なんかで見かけた水縞とおるさんや早坂未紀さんや森野うさぎさんやいくたまきさんといった面々も今ではあまり名前をみかけず、ひとり藤原カムイさんだけが突出してメジャーなシーンに残り活躍を続けている。あっと「ガイバー」の高屋良樹さんもそれを引っ張って今なお活躍中ではあるか。白倉由美さんは大塚英志さんとの関わりもあって今も人気といえば人気だけどメジャーな所で名を見る程ではない。大塚さんを筆頭にごく少数が生き残っただけってのは、彼らの才能に期待し将来を夢見た身としてどうにもうら寂しい。

 それはどうしてなんだろう。岬兄悟さんや大原まり子さんや火浦功さんといった、80年代のあの時期に名をはせた誰もがかくありたいと憧れた若きSF作家たちがやっぱり今なお現役の第一線で活躍を続けているとはあまり言えない状況にあるのとどこか関係があるんだろーか。地域に根ざして独自の路線を歩んだ神林長平さんは今なをトップを走っているし、仕事を持ちつつ描き続けた草上仁さんもばりばりの現役。谷甲州さんもしかりってことはあるいは若くしてその世界へとどっぷりはまり戯れの中から才能を爆発させてしまうと、どこかで燃料が足りなくなってしまうんだろーか。

 そうはいってもあびゅうきょさんのように商業誌をは縁を持たないまま同人の世界で独自の活動を続けて根強いファンを持ちづけている人もいる訳で、商売っ気に流れて自分を見失うことなく、強い気持ちで前へと向かい続けることが長く続けられる理由にあったりするんだろー。蛭児神建さんの場合は対象への愛が深いあまりに商業へと向かい始めた「おたく」の世界になじめず廃業した口。かといって仮に商売に流れていたら、例の事件のあおりでもまれ消えてしまっていた可能性もあった訳で、ピュア故に悩み迷いながらも自分を売らずに来たことが、伝説の人物として名を語り継がれそして蘇らされた背景にあったりするのかも。それにしてもどこへ行ったのかなあ早坂未紀。可愛くて面白い絵と話を描ける”萌え”の元祖みたいな人だったのに。さえぐさじゅんさんともども読み返したいなあ。


【11月14日】 おお「エル・ゴラッソ」の2005年11月15日号にサッカーの「全日本女子選手権」の日程が出ているぞ、日テレ・ベレーザの試合はと……ひたちなか? ってどこだよ一体。常磐線の勝田駅からバスか何かで相当にかかる場所にありそーで、加えて午前11時からの試合ってことで出かけるには相当な苦労が必要そーだけど、そこを逃して次に回っても次もやっぱりひたちなかで午前11時からの試合だし、更に次の試合もやっぱりひたちなかで午前11時なんで事情は同じ。だったら頑張って12月10日の初戦に臨み神村学園高との試合を見るしかないだろー。午後1時からは早稲田大と聖和学園高との試合もあるんでそっちも楽しみ。ってゆーか更に楽しみ。大学生と高校生が短パン姿でグラウンドをわっしょい、だもんなあ。

 元朝日新聞の人が職場のあれやこれやを綴った「『朝日』ともあろうものが。」(徳間書店、1500円)が面白かったので作者の烏賀陽弘道さんって人がどんなタイプなのかを確かめようと、高円寺にある「円盤」ってレコードとかCDとかを売っててTシャツなんかも売ってたりする不思議なお店で開かれた「円盤大学」ってトークショーを見物。岸野雄一さんって音楽関係の人が連続で開いてる、音楽に関わりのある人を呼んでいろいろと聞いて行く連続セッションの実に44回目のゲストだそうで、故に話は「J−POPとはなにか」をはじめとした音楽関係について社会的経済的技術的な面から見た成果について、岸野さんが尋ねつつ自分の見解も交えて進んでいくスタイルで進められる。

 といってもそこは巨大な産業であると同時に長大な文化でもある音楽の話。個々の思い入れも当然ながら多々あって、そこに触れるとどうしても避けて通れなくなるのか話はあちらへと向かいこちらへと戻り遡っては先に行く、ややもすれば散漫だけどそれはすなわち音楽の持つ多面性を現すトークセッションになったって言えそー。とにかくみっちり3時間ちょい。語り続けた2人にはまずは心からの敬意を表します。

 とにかく多岐に亘る話の中で気になった部分からピックアップすれば、かつては存在していなかった音楽配信とゆー状況が生まれたことによって、聴くたちのスタンスがかつてのよーな1枚のLPを裏も表も音楽を味わい尽くすよーなところから、気に入るかどうかをデジタルに判断して取捨選択し、冒頭だけをザッピングしていく人たちが増えて来たんじゃないかってゆー岸野さんの問題意識に対して、烏賀陽さんはそれも当然な帰結であってむしろそこから音楽を楽しむ新しいスタイルが、生まれるんじゃないかって可能性を示唆していたりと見解に差違が見られた。

 年齢でいうなら誕生日が3日違いの同年とゆー2人で、どーして差違が出たのかは興味深いところだけど、思うに岸野さんは音楽を半ば職業であり人生として生きて来た人で、音楽を一種神聖なるものとして受け止め味わい堪能してきたタイプで、故にどこかに音楽かくあるべしってゆースタンダードが自分の中に出来てしまってて、そこから逸脱することをどこか畏れているよーな節が伺える。だったら声高に己の主義主張をのみ叫び、周囲を説得し続ければいいんだろーけれど、そこまで傲慢になれない優しさもあって悩み悶えているっぽい。

 あといくら1人が声高に叫び導こうとしても、それで世間が動かなくなって来ているところ、すなわち個々の好みが細分化されてしまった状況下で、誰もが共通に好感を抱く”ポピュラー”なる音楽、すでに時代において成立し得なくなった音楽を未だ信じて迷い悩んでいるよーにも見える。共同幻想によって信念を形成された世代があるいは陥る隘路とも声とも言えそうーだけど、一方で今の若い人たちはそーした共通項となる知識がないためすべてをフラットに認識しては、好みによって取捨選択をして自分だけのフェイバリットを創り上げてしまう。それは過去にオールドタイプの人たちが学び感じ育んできた文脈もルールも逸脱しているため、なおのことオールドタイプの反感とゆーか違和感を惹起し、世代間に摩擦を引き起こす。

 もっとも烏賀陽さんはそーした状況をも含めて広くとらえているようで、若い世代がJポップも聴けばロックもジャズも聴いて良いものを受け入れる態度に理解を示す。問題があるとしたらそーしたフラットな世代に対して、時代やジャンルをブリッジしてフェイバリットに成り得るものを紹介していくナビゲーター役の人が不足していることで、それを知識を持った古い世代が出来ればいいんだけど、でもやっぱり”行儀作法”の呪縛がつきまとって若い世代に強要しては嫌がられ疎まれるって図式がありそー。かくして世代間の断絶は広がり”ポピュラー”は消滅していくと。なるほどアニメーションやらSFといったものと変わらぬ構図が生まれているだなあ、ってゆーかすべての文化においてそーした状況が起こりつつあるんだなあってことが分かったのが、今日のトークセッションの最大の成果だったかもしれない。

 それにしても書けば音楽業界にもメディア業界にも辛辣な文章を書く烏賀陽さんだけど、しゃべりは京都市出身だけあってのんびりとした関西弁。且つ相手の言葉にムキになって反論するよーなことはせず、まずは受け止め理解しつつ異論があればそれを示し、且つ理由も添えて相手の納得を促す。説得しようとするよりこれは高度な対話の方法で、これがあるからこそあの堅苦しい世界で自分の糧となる仕事を重ねて来られたなろー。といっても言外があった訳でそれが退社からフリーへの道につながったんだろーけど。その意味で新聞業界って奴ほど頑固さを増しつつ衰退に一直線の業界はないのかも。音楽業界なり雑誌の世界がどんどんと細分化されていくなかで、未だ”総合”を歌っている新聞が生き残れるはず無いもんあああ。

 けどでもそんな新聞業界にも序列はある模様。地下鉄の通路を歩いていたら壁に「クーリエ」って講談社から17日に創刊される雑誌の広告が掲載されていたんだけど、そこに書かれてあったのは「詳しくは日本経済新聞の広告を見ろ」「朝日新聞を見ろ」「読売新聞を見ろ」「ニュースステーションを見ろ」ってコメントで、そこから「毎日新聞」と「産経新聞」が綺麗に除外されている。届く範囲と影響力を考えたなら、挙げた4つで十分だって思われたってことなんだろー。主義主張は違っても今時「毎日」あるいは「産経」しか読まず「日経」も読まなければ「ニュースステーション」は見ない人はいないと考えたのか、あるいは「産経」「毎日」を読む人には「クーリエ」は相応しくないと講談社が考えたのかは不明だけど、そーしたところで始まっている選別は、パソコンや自動車や携帯電話や書籍等々、あらゆる業界に広がって新聞業界の広告終了を二極分化させている。

 結果起こることは一方の繁栄ならぬ現状維持と一方での死滅。それではご飯が食べられなくなると、死滅させられそうな側では対策を立てるんだけど、それまで避けていた業界からの広告といった方向に流れていくのが半ば必然としての行動で、結果食べたら猛毒のの饅頭を食べて空腹を満たすものの、いずれ毒が回り死んでしまうのもやはり必然。だからといって毒を食べずに死を待つって達観が、目先の結果に己の進退を左右されると怯えすがりたい人たちには出来ず毒を毒と知って食べていく。それほどまでに新聞業界、痛んでます緩んでます壊れてます。これはもうだめだろうね。


【11月13日】 そうかタルホはスパイはスパイでもバッフ・クランが送り込んできたスパイだったのか。星で一体何が起こっているのかを見極め、これからどうなるのかを探っていたのか。そして星に生まれた謎の生命体コーラリアンがレントンという伴侶を得て落ち着きを見せたところで、仕事も一段落となって臍だしミニスカートのホランド悩殺用スタイルを止めて、バッフ・クランに独特の体にフィットした衣装に改め、髪型もカララ・アジバほか多数のバッフ・クランの女性がしている伝来のスタイルへと、変えてみんなの前に姿を現したのか。なるほどなあ。

 それはおそらく妄想ながらもそう思ったアンダー1970年生まれの面々も多々いただろーと想像できる「交響詩篇エウレカセブン」は、エウレカの正体を物語りによる段取りを踏まずに説明してエピソードを端折るタルホの一気語りに続いて、今度はニルヴァーシュの正体を技術者たちが撮影して映画に仕立て上げたとゆー、どことなくゆうきまさみさん的ギャグのテイストを感じさせる手法によって一気に語って見せる力業。前回今回のこれらの技でもってエピソードも、それぞれ4話分づつは一気に端折れたに違いない。アニメーションの新しい演出法として、後々まで語り継がれ引き継がれることになるだろー。何ともはや。

 とはいえそれはそれで楽しめたからまずは良し。あと絵が妙に綺麗でオープニングに描かれたどことなくそこはかとなく微妙な絵おはまるで違って可愛らしさが内面から滲み輝くデザインになっていて、笑うエウレカに微笑むタルホのその表情は過去のどのエピソードよりも目に麗しい。とりわけタルホは内面の苛立ちが険となって現れていた三白眼が直り美貌が格段にアップ。ファッションも人によっては露出が少ないと言うかもしれないけれどその分、体に密着したスタイルになっててスカートで隠れていた腰のラインが露わになって何とも艶めかしい。

 これを眼前で左右に揺すられたらホランドだって何時までも寝てなんかいられないだろー。いっそ館内の全員を同じテイストで統一したら、「エウレカセブン」も70年代から見た21世紀的テイストがより際だって狙っていた30代40代の、過去に夢見た未来を見たい人たちに、よりアピールできるじゃなかろーか。チャールズ&レイ・ビームスなんてポストモダンな時代に未来を見せてくれたインダストリアルデザインの大家をもじった夫婦を出してシグナルを送ってきたアニメだし、次はフラードームでも丹下健三でも具体派でも何でも出して金持ってる大人の懐かしマインドをくすぐりまくれ。それがDVDを売る秘訣だ。

 ってなことで、目黒美術館で開催中の「チャールズ&レイ・イームズ 創造の遺産」を見物。行くと、そこは白鳥号の中が再現されてて死んだチャールズを悲しむレイがぶちまけた衣服が床一面に広がり冷蔵庫からはアメリカサイズのシリアルやら牛肉やら牛乳やらが放り出されて凄い光景、だったら面白いんだけど残念ならがこちらはビームスではなくイームズ夫妻。並べられているのは2人が作った椅子の実物とか家の模型であとは撮った映画なんかもあって決して大量の転じではないけれど、要点として2人が遺した業績を振り返ることができる。

 面白かったのは合板を曲げる自作の機会で巨大な機織り機みたいな形をしたものに挟んで中で風船をふくらませることで圧力をかけ、石膏か何かの型に押しつけ欲しい形に合板を曲げるらしー。それで本当に加工が可能かは分からないけど展示してある曲線を持った合板の椅子とか単に曲げられただけの合板を見ると案外にそれでできるのかも。あとグラスファイバーを固め押しつけ上からプラスチックだが合成樹脂だかを塗して、椅子の座面を作る過程を収録したフィルムなんかも上映されて、ほとんど手作業なのにしっかりと規格にマッチした椅子が続々と出来ては積み上がっていく様に設計と加工の行き届いた手順の素晴らしさを感じる。設計から型作りの場面が製図とそして粘土をこねては削り張り付け整える完全な手作業だったのは何か新鮮。

 今だとどんな複雑な形だってCADとか使えば簡単に設計できるだろーし、数字から導き出した利用にも加工にも最適な形ってものがきっとあるんだろーけれど、でもそれが決してベストじゃないことは世に溢れる様々な物の大半がイームズ夫妻の作った椅子に叶わないことが示している。あるいはル・コルビジュの椅子なり柳宗悦の椅子なんかでも良い。それはきっと、目で見て手で引いた線の間隔、指で触れた曲面の感触なんかがきっと数字では表せないフォルムの美、利用した際の心地よさに繋がるから、なんだろー。プラスチックで作られた座ってすっぽりはまって足も伸ばせる椅子の何とゆー心地よさ。この曲線は計算では生まれては来ないんじゃなかろーか。

 出て東京駅の横に新しく出来たビルでインディアンカレーとやらを喰う。大阪方面では老舗のスタンドカレーが初の東京進出となったそーでこれは試しを行ったら結構高かった。カレーで630円? それを大盛りにして卵を乗せて100円増しの730円とはちょっと気軽に食べられる値段じゃないけれど、それを押してもそれなりの味があってピリリと舌に来る辛さがいつまでもじゃなくしばらくの間残ってカレーを食べたって気にさせてくれるのが嬉しいかも。量も大盛りならそれなりになるし。フライ系のトッピングを楽しみたい時は「CoCo壱番屋」へと赴き脳天を貫きたい時は「ゴーゴーカレー」へと足を伸ばし味を楽しみたい時は「インディアンカレー」へと行くとするか。でも本当はボンディが好きなんだよなあ、ジャガイモほくほく食べられるし。

見よ、この美女を、これがコリアンビューティーだジウ姫みたいだ  それからご近所をうろうろとして午前中に買って置いたチケットで「東京ドーム」へと入り「KONAMICUPアジアシリーズ2005」の決勝「千葉ロッテマリーンズvs三星ライオンズ」を観戦。1塁側だと列が後ろになってしまう一方で、3累側だと三星ライオンズの応援団が陣取る当たりの前から8列目が取れると聞いて1も2もなく3塁側をもらっておいたんだけどなるほど行くとすぐ斜め前に例のチアリーダーが踊る台が。ここで踊る美女たちを堪能できるんだと試合が始まる前から血中アドレナリンが上がりまくる。

 そして現れたチアリーダーたちは韓国でもトップの球団が雇う人たちだけあって韓国流に目鼻立ちがくっきりして髪の長い美女揃い。そんな彼女たちが衣装を2回変えては手にチアースティックを持ちうち振りタオルを掲げて上下に振っては叫声を上げて三星ライオンズを応援するものだからもうこれは一緒に応援するしかないと、千葉県民であることを一時棚上げしてライオンズがヒットを放てば歓声を上げ9回に2点差まで迫った場面では立ち上がって行け行け行くんだと内心で吠える。けどでもそこはさすがに小林雅投手、打たれ点を奪われながらも抑えて勝利を掴みリーグ優勝と日本シリーズ勝利に続くアジアチャンピオンの座を手に入れる。おめでとう千葉ロッテマリーンズ。

里中2世、って誰も分からないか、アンダースローの名投手、里中くんを生きて見られる時代が来るとは  遠目に見ていても渡辺俊介選手はマウンドすれすれの所から投げる正真正銘のアンダースロー。事前にライオンズの選手もコーチが下手で投げる球を打って調整はしてて、それのお陰もあったのかそれなりにヒットを重ねたものの肝心なところで得点に繋げられず、逆にマリーンズが少ない安打を効率良く得点に結びつけていく。終わってみればライオンズ13安打にマリーンズ6安打と倍以上の差が開いていたのに得点はマリーンズ5点でライオンズ3点と逆の結果に。打っても散発では勝てず繋げて初めて得点になる野球ってスポーツの難しさと面白さがここに現れているって言えそー。1人じゃ勝てないってことだ。

 かくして第1回目の「KONAMICUPアジアシリーズ2005」は無事に終了。7試合中の3試合を見て思ったことはやって良かったってこと。ライトスタンドからレフトスタンドまでを埋め尽くしてマリーンズの応援団が大歓声を上げて応援する姿を、テレビを通して今一度見せつけることによって、世間にパ・リーグの存在感を再確認させられたし、それなりな接戦を制してアジアチャンピオンを掴んだことで、パ・リーグのシーズンをは2位だったとか阪神タイガースが試合勘を鈍らせていたとかいった批判的な言説を、これで封じ込めることができたんじゃなかろーか。

 シーズンから大きく外れた試合に詰めかけた観客は3万7078人。本拠地の千葉マリンスタジアムすら上回る人出で季節はずれの東京ドームを埋めてしまったマリーンズの動員力は驚くばかりで、川崎球場時代のロッテオリオンズを知る古手のファンから見れば夢幻に映るんじゃなかろーか。このマリーンズ人気が来年以上も続くよーなら、セ・リーグの特定球団ばかりが突出していたプロ野球の世間的イメージが塗り変わり、ビジネスの構造にも大きな変化が起こるだろー。すべてはこれから。期待しつつ来年を見守ろう。

 アジアから日本に多く訪れている人たちにとっても、”我らが代表”の来日しての真剣勝負は気持ちを高揚させる絶好のエンターテインメントだった模様。台湾戦でも関東の学校に留学している若い人たちが集まって来ていたけれど、ライオンズの応援にも韓国からの旅行者や日本在住の人たちが大勢来ては母国の言葉で応援していて楽しそう。ライオンズのマスコットのぬいぐるみをかかえた子供が母親と連れだって来場しては歓声を上げている姿を見るにつけ、どこの国でもスポーツは格好の娯楽なんだってことが伺える。そんな娯楽を提供していくことによって繋がるアジアの輪。その意味でも今年に限らず来年も再来年も続けてやって頂きたいもの。んでもって出場はやっぱりマリーンズ、かな。


【11月12日】 目覚めて「幕張メッセ」で「サイクルモードインターナショナル2005」へと出向いてあれやこれや見物。目の前に入るなりコルナゴがいてデ・ローザがいてチネリがいてピナレロがいてとイタリアンなスーパー自転車の大津波。まみれて暮らせたらこんなに幸せなことはないけど既に家にある自転車すら乗らず錆びさせてしまっている見には余る高級車たち。そもそもが置き場所も存在しない安アパートでは買っても閉まっておくことすら不可能なんでここは遠目に愛でる程度に留め置く。しかしかつては名物だったデ・ローザの三角チェーンステーも素材が代わった今は昔の思い出かあ。

 いやいやそんなことはなかった。かつて「サイクルスポーツ」を貪り呼んでた1970年代末から1980年代にかけて、世の中のツーリングサイクルといえばこれだった「ランドナー」と呼ばれるカテゴリーの車種がARAYAから大復活。端正な三角フレームにはシートチューブとダウンチューブにボトル台座が着けられリアブレーキのワイヤーがトップチューブの中を通った高級仕様。変速機のチェンジレバーはダウンチューブに直づけされててそこから伸びたワイヤーがボトムブランケットの下を回ってフロントディレイらーとリアディレイラーに繋がる記憶だと70年代末から流行った工作がされている。タイヤは昔ながらの26×1・5と太さがあってちょっとした悪路も自在に行ける。まさにランドナー。懐かしいなあ。

 パーツも凝っててランドナーバーは日東工業の専用ではなくおそらくはロードタイプのものを曲げて作ったオリジナル。両サイドが大きく開いておらず正面から見た時にスリムな印象を受ける。巻かれたバーテープは茶色でシックでブルックスのB17革サドルの茶色とセットになってて見た目にもシックな印象を醸し出す。そんなシックな中にも最新のパーツが組み込まれていてブレーキはクロスバイク用のカンティブレーキで効きは抜群。ディレイラーもシマノの「SORA」でユーティリティー性があって広いレンジのギアを使えて山あり谷あり平地ありのツーリングに楽々と対応できる。

 ランドナーだったら早川書房のすぐ側にあるアルプス自転車とか、ランドナーの権化とも言えそーなTOEIのフレームを使って古いパーツ(TAのチェンリングとかマファックのブレーキとかユーレーのディレーラーとか)を組み込み作るのも悪くはないけど、今ある部品を使いつつ昔ながらの雰囲気を楽しめる自転車としてこれはお勧め。壊れた時でもこれならすぐに探してタイヤだってリムだってチェーンだって交換できる。1と8分の3なんてタイヤがランドナーで流行っていた次期もあったけど今あんまり見ないからなあ。

 マッドガードが分割式じゃなくって輪行に面倒なのと、シートピンがクイックリレーズじゃなく取り外しや調整が面倒くさそうなのが気になるけれど、家を起点にツーリングなり朝晩の通勤なりに使うんだったら泥よけなんて外さないしシートの位置なんて変更しないからこれで大丈夫。時には自動車に積み遠征しては峠をこれで越えるってのも”神保くん”っぽくって良いかも。誰だ神保くんって言う人は近所の40前後の自転車ファンに聞いてごらん。ともかくこれはなかなかの一品。個人的には赤より緑色の方は茶色のバーテープとシートがマッチしてより欧州っぽい。あとは可能ならばブレーキレバーをギドネットに代えて前傾しなくても乗れるよーにしたいんだけど、今時ないよなあ、マファックのギドネット(軽合金)なんて。取っておけば良かったなあ。

前にもサインをもらったっけかゲイリー・フィッシャー。けどこんな派手じゃなかったぞ  そんなランドナーが何故に消滅してしまったかと言えばやっぱりマウンテンバイクの登場が大きいかも。ドロップハンドルで前屈みになって乗る必要があり、またパーツもあれやこれや組み込まれていてそれなりに重厚な雰囲気を持つランドナーに比べて、MTBは座面が低く女性でも気軽に乗れるしバーもオールラウンドなタイプで姿勢に無理がない。漕げばそれなりにスピードも出て悪路の走破性もよく何より見た目が格好良い。一方で「ツール・ド・フランス」の知名度も上がってロードバイクに人の目が向きご近所用では折り畳みタイプが全盛となるなかでランドナーもスポルティーフと呼ばれるカテゴリーもともに消滅してしまった感がある。

 それから20年。MTBはますます世のバイクの中心的なカテゴリーとなってる訳でつまりはそれだけ世の中から求められていたカテゴリーだったんだろう。その発明者、ゲイリー・フィッシャーも「サイクルモード」で開かれたトークショーに出演して「こんなに大きくなるなんて想いもよらなかったよ」って話してた。「マウンテンバイクはもともとは自分と友達が山を走るために作ったんだけど、こんなに世界で愛されていて、いろいろなバイクが作られているのを見るのはとっても幸せ。受け入れてくれた人がいっぱいいることは有り難い」とも言ってるあたりは余程の自転車好き。だから今も熱意を持って自転車にまたがり新しいチャレンジをし続けられるんだろう。

 そんなゲイリー・フィッシャーが最近凝っているのが無断変速のMTBで会場にも展示してあったけどなるほど前も後ろも1枚づつしかギアがない、ちょっと目にはピストにも見える自転車だけどブレーキがリアにもついていたからピストとは違って後ろはちゃんとフリーホイールになっているんだろー。でなきゃ下りの山道は無理だろーし。これからのスポーツバイクはどうなるの? って聞かれた問いには答えて「いろんな楽しみ方が出てくればバイクもそれに合わせて作っていくよ」とのこと。何しろトークショーに真っ赤で模様もいっぱいついたスーツ姿で現れる55歳。失っていない若い情熱が時代を超える製品をこれからも作り出してくれると期待しよー。ちなみに欲しいのはかけておくとバイクがピカピカになる毛布だとか。それだったら藤子F不二夫先生に頼めばきっと作ってくれるよ。

 きーみのちきゅうがきーみのちきゅうがねらわれてーるーぞー。だったっけ、最近入れたささきいさおさんのベストCDに入っていた「大空魔竜ガイキング」のテーマソングから思い浮かぶ宇宙とか出てきたハードな内容のロボットアニメって印象をそのままに見たらいきなり子供が出てきて怪物に襲われたと言ってはうそつき呼ばわりされてて何だこりゃ。けどお話自体はその嘘が本当だったことが分かり襲われる街に立ち上がった少年が、現れたロボットに飲み込まれ搭乗しては必殺技を繰り出し敵を倒してそして「ガイキング」の仲間になるってゆー、ロボットアニメに王道の物語が繰り広げられる。

 主人公の世代とかキャラの印象とかは代わっても宇宙からの侵略者に狙われる地球を守り戦う基本は同じ。そこんところは「未来少年コナン」の名を冠しながらもまるで得体のしれないもとのなって途中から冠が消えてしまった「タイガストーリー」とは扱いも違うってことなのか。合体シーンを大張正己さんが手がけていたりして迫力たっぷり。ロボットの巨大感とか爆発のエフェクトとかもしっかりと描かれていてそこは21世紀に大手が本気を入れて取り組んでいるだけのことはある。僕らに必要なアニメかってゆーとちょっと謎だけどこうしたメタに走らず捻りも入れずストレートにぶつけて来る物語が今、どれくらいの支持を得られるかってところを計る意味でも注目したいところ。

 だってほら、「仮面ライダー」だって戦隊ヒーロー物だって、他愛のあいストーリーで同じ設定なのに繰り返し放映されては新しいファンを獲得しているからね。ロボットアニメだって”定番化”したって良いってことで、サンライズがそこんとこから手を引き気味な今こそ東映アニメーションには頑張って頂きたいところ。予告にチラと出てきたストレートヘアの乱暴者っぽい女の子は誰だ?


【11月11日】 本人を見たことはあったっけ、うーんえっと確か1998年2月の「マックワールドエキスポ」に来ていたっけなあ、なんてことを思い出しながら東洋経済新報社から出た「スティーブ・ジョブズ 偶像復活」(ジェフリー・S・ヤング、ウィリアム・L・サイモン著、井口 耕二訳2200円)なんかをペラペラと。なにもかもみななつかしい。気づいた時にはすでにジョブズはジョン・スカリーに追われアップルにはおらずジョブズなきアップルはそれでも新型のマシンを続々と発表し「パワーPC」に「G1」だが「G2」といった高性能CPUも続々搭載してはそれなりに支持を集めていたものの「ウィンドウズ95」登場以降はユーザーインターフェースでも利点を生かせず風前の灯火化してたっけ。

 そんなアップルに颯爽と帰ってきては「iMac」だの「iBook」だのと価格的にもデザイン的にも魅力のある商品を続々送りだしては目を引きつけることに大成功。そして「iPod」の大成功でもって完全復活って印象を与えてくれているジョブズが実はほかにもいろいろやってたりあんまり何もしてなかったりする様がつぶさに綴られ、人生って奴は結構運に左右されるもんだと思わされるけどそんな運を呼び込むための不断の努力に才能に人脈が、つまりはジョブズにあったってことだから単に幸運なだけど誹ることは出来ない。

 個人的にはピクサーの関連の記事が興味深くってジョージ・ルーカスが離婚のあおりで現金が必要になって売り払ってしまったのが今のピクサーで買い手もジョブズの前にいくつかあったけど最終的にジョブズに落ち着いたらしー。けれどもジョブズはそこでアニメ作りだけじゃなくってグラフィックのソフトやハードを作りたがってあれこれ手を出し失敗続き。けれどもジョブズとは異なる天才のジョン・ラセターがアニメでもって大成功を成し遂げジョブズを潤わせていく流れの中で、ジョブズがただのパトロンではなくくちばしを突っ込みリストラも厭わず現場をそれなりに混乱させようとしてたって話もあって、それを抑えて作品を創り上げてはアカデミー賞を取り長編を作って記録を出し、今のピクサーへと繋がる道を開いたピクサーの人たちの苦労が忍ばれる。

 そういえばピクサーのアニメーターが来た時に聞いた話で新しい短編を見たジョブズがラセターに「だから短編は必要なんだ」と絶賛しつつ意義を説いたって話を聞いたけれどこれってもしかして皮肉だったのかなあ。ともかく必読。今は無き「ニュートン」だとか「Nextステップ」だとかアップルが一時買おうとしていた「BeOS」とかどこかに消えてしまった「ネットスケープ」といったIT関連の90年代的タームが続出して90年代にIT絡みの動きを眺めていた人には回顧の気分がわき起こること必至。ギル・アメリオとかいたよなあ。どこで何をしてるんだろ。そういえばアメリオの「アップル 薄氷の500日」(ソフトバンククリエイティブ)って本も出てるんだ、ジョブズ復活の下地を引いた彼の「偶像復活」に関するコメントも聞きたいなあ。あとジョン・スカリーの意見も。

見よ、この美少女を、これが応援だ、楽しそうだなあ  なるほど「その存在自体がゴシップという説もあるけど。まるで世間が大挙して腫れ物に触りまくるかのような微妙なスルー体制はしびれます」かあ。まあそうだけど。ってかそんなもんじゃないけど。それはそれとして、またしても「東京ドーム」で「KONAMICUPアジアシリーズ2005」の今度は「興農ブルズvs千葉ロッテマリーンズ」を見物。どんな応援があるんだろーかとブルズ側の応援団が陣取る席のそばに座って見ていたら回りに続々と台湾出身の留学生とか台湾からツアーで来た人たちがやって来て台湾の言葉で喋って気分はアジア、ちょっとしたトリップ気分を味わえる。逆にやって来た東京デザイナー学院とか文化学園とか早稲田とかいった学校の台湾からの留学生たちは大集合できて知り合いにも逢えお国の言葉に浸りつつ、”我が代表”を応援できる良いチャンスになっていたんじゃなかろーか。

 それは昨日の韓国も多分同様。そーゆー機会を創り出しつつ世界にアジアの野球の存在感をアピールする意義が「KONAMICUP」にはある訳で、客の入り不入りに関係なく是非にも続けていって欲しいもの。日本のプロ野球の実状を対戦相手のアジアの人たちに見てもらうことで日本への感情を慰撫し憧憬を持ってもらえる、これは絶好の機会と国だって思えばもっとこーゆー試みを積極的にバックアップすれば良いんだろーけど、そーゆー外交にはとことん興味のないのが今の外務省って奴で。文化交流基金なんてあるけどそれすら利権となりかかっている風があるもんああ。サッカーの方ではやっぱりアジアのチームが集まる「A3」が存続の危機にあるみたいで心配。マツダに日産がスポンサーして投げ出した今、トヨタしか受け継ぐところはないんだけど世界とリベルタドーレスで忙しいから無理かなあ。

 試合の方はマリーンズが圧倒的な打力で持ってブルズをコールド送りに。途中で4人連続三振を奪う好投をブルズの人も見せてたんだけど目測を誤ったライトが行き過ぎてキャッチできずフライをアウトにできなくて点を奪われたりセカンドが飛びつけば取れる当たりに送れてヒットにしたりと守備に抱えた穴も綻び、マリーンズを調子づかせてしまったみたい。韓国は焦る投手におおざっぱな打者がもうひとつ緻密さを書いて拙攻に繋がってしまっただけにその当たりを今回の対戦を糧に直して来た暁には、共に強力なライバルとして台頭して来そう。プロだって五輪でオーストラリアに負ける時代で差なんてそんなにありゃしない。だから日本もさらに先を目指すべきなんだけどでもねえ、組織が未だにあれだからねえ。


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