縮刷版2005年11月中旬号


【11月10日】 生まれた人間の魂を人間に運ぶのはコウノトリかと思っていたら実はカラスが子供を運んでいたらしい。西門佳里さんの「鍵の猫」(講談社X文庫ホワイトハート、550円)によるとカラスはあの世へと行ってから浄化され新たな命となって戻ってきた魂を運び、子供として人間に送り届ける役目を負っているんだけどこのところ天国へと向かう魂が減っているのか還ってくる魂も少なくなってて、それで送り届ける相手を確実に”妊娠”する女性に限るように厳命されていた。

 けど中にはそんな命令を破ってどうしても子の欲しい人に子を成してもらいたいと願うカラスもいてそれで仲間から攻撃されて息絶える。それを間抜けと見るかは人次第だけど猫はそうは見なかった模様で「鍵猫」すなわち死んだ人間の魂を”あの世”を送り届ける扉の鍵を持った猫になったばかりのニキは、誰かの為何かの為に頑張ることの大切さを学び、交通事故によって親や兄妹を殺してしまった人間であっても救い扉の向こうへと、送り届ける仕事を始める。カラスが役目よりも我欲を通して死に猫がエゴを捨てて大儀を選ぶ形こそ正反対だけど、もたらされる満足感には意味がありそう。ライトノベルのレーベルにあって児童文学に列せられそうなファンタジーの佳作かも。表紙も猫ネコしてて可愛いぞ。

 せっかくだからと仕事も兼ねて「東京ドーム」に行って「KONAMI CUPアジアシリーズ2005」を見物。試合は「千葉ロッテマリーンズvsサムソン・ライオンズ」で果たしてどれくらいの人が来るんだろうかと心配していたけれど、プレイボールまでの時間に徐々に埋まっていって外野席はライトスタンドがまず白一色になりレフトスタンドも半分以上がロッテの応援団で真っ白に。内野も1塁側がほぼ埋まる状況で関東に本拠を持つ球団が、最高のゲームをして日本一に輝いた余韻って奴がここにちゃんと現れているんだってことを実感する。「ナビスコカップ」で優勝した途端に「フクダ電子アリーナ」でのジェフユナイテッド市原・千葉の試合がどんどんと売り切れているのと同じ状況。終末のジュビロ磐田との試合、どこにもチケット売ってねえ。

見よ、この美女たちを、これがチアだ、祭りだ、感動だ  それを悲しむよりもよくぞそこまで来たと喜びそうした選手たちを讃えよう。同じく千葉ロッテマリーンズの選手たちも本気でアジアチャンピオンを狙って来ているよーで、初戦から小林弘之を持ってきてサムソンライオンズの打線をヒットこそ許しながらも抑えきる。2点は奪われたものの終わってみれば初回から積み上げた得点でもって逃げ切り6対2で解消。とはいえ負けたサムソンも半ば調整ってことでこの後に続くチャイニーズタイペイこと台湾と中国の代表チームとの試合を連勝し、決勝の日本戦にすべてをぶつけて挑んで来るだろー。緩い試合が続くかもしれないロッテがこれでダレてしまわないかと心配。日曜日の試合も見に行こうかなあ。生きたいなあ。

 でも本当に見たいのはサムソンライオンズのチアリーダーたちの艶姿。内野スタンドの真ん中あたりにしつらえられた舞台の上で4人のチアガールが舞い叫び踊る姿が遠目にもなかなかで、これを間近に見られたらきっと試合もさらに楽しくなりそー。そのためには良い座席をどうにか取らなきゃいけないんだけど初戦を見たらサムソン側の応援団はそれほどおらず空席もあってみなさん詰めて座っていたみたいなで、近寄れば近寄れないこともなさそー。もっともそれがスゴいと評判になってしまったらそこから最初に埋まっていってしまうかも。その時のために今度は双眼鏡を持って行くか。千葉ロッテマリーンズのチアリーダーも悪くないなあ。台湾や中国にはいるのかなあ。

 水着水着水着水着触手触手水着悶絶失神フォー! という声が真夜中の全国大都市に響き渡ったと想像する「舞−乙HiME」はくすぐりに弱いと判明したニナちゃんが攻撃を受け悶絶しつつあでやかな声を上げて目にもハッピー。んでもってプールの授業となって肉付きの良いアリカの姿を拝めてフォー、薄いけどいちおうはちゃんと出ていたマシロのスクール水着姿にフォー、性格は悪いけど叩けば凄いジュリエットの姿にフォーフォーフォーと叫び大悶絶しながら真夜中の天井に向かい叫ぶ。ああこれは良い話だ。DVDはもう買いだ。絶対買いだと言いつつ実はまだ「舞−HiME」全部揃えてない。そっちから先に集めなきゃ。金がない。仕事しよ。


【11月9日】 いや手厳しい。それは受賞作家だけじゃなくすべての作家へのメッセージになってて聞いてて耳を痛めた人も大勢いたかもしれないし、これから聞いて心をえぐられる人も結構いたりするのかも。第12回の「電撃小説大賞」の発表会。選考委員として挨拶に立った深沢美潮さんが「作家莫迦になるな」って過激にもストレートな言葉を発して受賞作家を叱咤激励していて、何年か前にあれは「ファミ通えんため大賞」だったっけ、富野由悠季さんが受賞者に向かって「今日からライバル」と挑戦状をたたき付けていたのを思い出す。ともに自覚を促す有り難い言葉。だけど受賞していきなり言われて新人さんも戸惑うことが多かったんじゃなかろーか。

 深沢さん曰く「みなさんはプロの作家としての一歩を歩み始めているが、本を書く以外にこれまで他の仕事をしていなかった人は、アルバイトをするとか、旅をするとかバンドを組むとか、いろんなことをやって欲しい」とのこと。「忙しくなるけれど、若くして先生とか呼ばれたり大金を前にして、感覚が狂ってしまってはいけない。作家稼業を長く続けたいのなら、本を書くこと以外のことをやって頂きたい。業界でない人たちの関わりや経験は得難い宝になる」って話してて、外部との積極的な接触の必要性を訴えていた。

 もちろん人によっては社会人経験がなくても類い希なる想像力で社会に切り結ぶ作品を描ける人もいるけれど、まるで社会人経験がない人の場合だと、作品の世界が現代だった場合にどこか浮世離れして現実味の乏しいキャラクター造型なり経済情勢なりが、行われてしまう可能性もない訳じゃない。たとえファンタジーの世界だってそこに生きている人たちが社会を営んでいる以上、経済基盤に政治システムに外交関係といった要素は描かれないまでも設定に含んでおいて悪くはない。最初は知識も経験もそれほど違わない同世代の若い読者を引きつけられても、自分ともども大人になっていく読者が社会で経験を積む一方で、作家としてのみ経験を重ねるだけではやがてそこに乖離が生まれてしまう。

 そうした時に従前どおりのティーンに向けて描き続けるか、それとも育った読者に合わせて自らも育っていくのか。後者の場合はやはりいろいろな知識と経験が必要となって来るんだろー。そうなる時を見越してこれから作家になる人たちに自覚を促したんだろー。見るとまだそれなりに若い人たちばかりだった今回の受賞者たち。経験をどこで積むかはそれぞれの考え方次第だけど、いずれにしてもせっかく得たチャンスを1度くらいで失わず、頑張って描き続けて長く愛される作家に育っていって頂きたいもの。とりわけ見目に麗しさの漂う金賞受賞の来楽麗さん21歳には電撃きってのアイドルとして、作品にグラビアに活躍してくれることを願って止まない。他の男性諸子はまあとりあえずおやんなさい。

 どこでも一緒なんだねえ。ってのが読後の印象。そりゃ規模が桁違いだからスケールもずいぶんと違うけど、やってる内容のジャーナリズムというものからかけ離れた所でいhけらかされる夜郎自大ぶりは規模の大小に関わらず質的にはまったく同じで、それ故にこれからの展望に未来をなかなか見出しづらく、なればこそそんな状況に巻き込まれる前に逃げ出した烏賀陽弘道さんの立場を羨ましく思う同業者も結構多そう。「朝日新聞」だろうと他の新聞社だろうと大差ない。だからきっと供に滅んでいくのだろう。

 2003年6月末をもって「朝日新聞」と決別し、フリーのジャーナリストとして活動を始めた烏賀陽さんが、1986年に「朝日新聞」に入り津から愛知を経て東京に移り「AERA」という週刊誌で10年近くを活動しながらどうして「朝日新聞」を逃げ出すことになったのかを綴った「『朝日』ともあろうものが。」(徳間書店、1500円)って本が登場。読むとなるほどこれはまさしく「『朝日』とおあろうものが!」って気にさせられるくらいに凄まじい話が並んでる。

 笑えたのが「AERA」の記者としてオウム真理教の事件を取材していた時に、警視庁のクラブのキャップにアドバイスしてくれるよう頼みに行ったら同じ会社の人間なのに「おれ、テレビがほしいんだよなァ」って情報の代価を求めて来たってエピソード。国民の知る権利の執行を付託され記者クラブという情報にアクセスする権利を得ているからこそ貯められた情報を、自分が見られるテレビと引き替えに同じ会社の人間に出すのって多分、許されることじゃないのにそれがいかにも当然って雰囲気で、なおかつ他の人もそれは仕方がないって受けてしまう。何というか誰のための新聞社なのか? って疑問に駆られる人も多くいそー。

 これから話題になりそうな人物を見つけて掲載を打診したけど、幹部の誰1人としてその人物を知らないからと、掲載を拒否されたてのは何とゆーか、情報の最先端であり続けるのを拒否しているとしか思えないんだけど、それが何らかの矜持でもってやられているならともかく(権威を維持したいとか)、単に勉強不足で認知できないが故に先送りしてるってだけのことで、それが重なり続けた挙げ句に雑誌やネットといった流行を先取りするメディアのおっかけばかりが掲載され、「新聞に載った時点で流行は終わってる」っ公然と言われてしまう。自分の知らないことは世間も知らないことだと3周送れた情報をさも新発見のように掲載しては失笑を買う。

 そんな新聞にだったら「『朝日』ともあろうものが。」は見切りを付ける本かというとそれだけではなく、嘲弄するどころか逆にこれでは有意なメディアが1つ減ってしまうと心配し、改革しようと叫んでる。安全な場所に避難していたのに総攻撃を受ける危険を顧みずに新聞改革の戦場へと舞い戻って果たして著者の人は大丈夫なのか。心配だけどそこで著者が倒れるってことはすなわち新聞の、この国の未来を大きく揺るがすことを意味する。なのでここはこの本が広く業界内外の共感を呼び真摯な叫びを聞き入れて、新聞改革へと繋がる道が開くことを願おう。無理だろーけど。正力物をやりたくないと本田靖春さんが起こっていた時代から半世紀経っても変わるどころか酷くなってるんだから。困ったなあ。

 辛勝。なれど勝利を収めてジェフユナイテッド市原・千葉は天皇杯でヴァンフォーレ甲府を倒し次の段階へと駒を進めた。たいそうに素晴らしい試合だったそーでそれが遥か彼方の「市原臨海競技場」で行われたため時間がなく行けず悔しがった人も多そうで、スケジュールなり会場なりを主催者にはもっと考えて欲しいものだって気持ちが起こる。とはいえジェフと甲府で国立競技場は厳しいからなあ。ともあれまたしても勝ちますます人気となりそーなジェフは次の試合が因縁のジュビロ磐田だけあって、フクダ電子アリーナでの試合のチケットはほぼ完売状態になって手に入れられず、せっかくの試合が見られそーもない悲しさに打ちひしがれる。この日は三省堂書店神田本店で「戦う書評」の公開録画もあるんだけどそっちのチケットもはけてしまって行けないんで、ここは味の素スタジアムに赴くかあるいは家で謹慎をしつつ新聞の未来なんかについて考えよー。真っ暗で何も見えない。


【11月8日】 ははははは。オリンピック・マルセイユとル・マンの試合が直前にあったはずなのに何故か極東の島国で開かれた日本代表の新ユニフォーム発表会場に現れ真新しいユニフォームを着て澄まし顔で立っていた中田浩二選手だったけど、8日に発表された16日のアンゴラ戦の代表メンバーにその名前は存在せず。海外組ではウェストブロミッチに所属する稲本潤一選手が選ばれていてル・マンの松井大輔選手も選ばれているのに、大久保嘉人選手と並んで選ばれていないのはきっとジーコ監督に嫌われてしまったからなんだろー。愛する鹿島アントラーズを足蹴にした怨みって奴? 怖いなあ。

 会見に現れたのは想像するなら日本代表ユニフォームを提供するアディダスの引っ張りがあったからで、やっぱりモデルとなったFC東京の今野泰幸選手の場合も所属するチームのユニフォームがアディダスを採用していて自身もアディダスのシューズを履いているからってことなんだろー。もっとも今野選手の場合はもとよりあんまり候補になっていなかった(候補に入る実力はたっぷりあるのに)から選ばれなくっても仕方がない。

 でも中田浩二選手は海外でもトップチームに所属するトッププレーヤー。なのににあんまり試合に出ていない稲本選手に柳沢敦選手ほどにも頼りにされていないってのは、やっぱりどこかに感情的なもつれがあったって想像するのが普通だろー。そんなにトルシェの申し子が嫌いかジーコ監督。こーなればトルシェ率いる代表チームに無理して潜り込んで日本代表の鼻をあかしてやって欲しいもの、だけど無理なんだよなあそれは。まあ良いやジーコ監督もあと8カ月。続く監督に期待しよー。トニーニョ・セレーゾ? うーむ。

 と思っていたら指摘が。前のウクライナ戦でレッドカードをもらったから次は出られないらしいとか。なら安心。けどでも出られない選手を呼んで会見に出すアディダスの考え方もまた残酷。とっとと帰ってマルセイユの試合にちゃんと出てやって下さいな。出してくれない? それは知らない。

 たぶん「銀盤カレイドスコープ」を見ている間に流れるアニプレックス提供のCMに耳が引きつけられて仕方のない真夜中。アニメーション「シティーハンター」の主題歌とエンディングを全部収録したCD「City Hunter Sound Collection X Theme Songs」の宣伝なんだけど、パパパッと流れる楽曲のどれもが聞き覚えがあって、「あったなあ」「流行ってたなあ」って気分に浸らせ、テレビやラジオなんかでこれらの曲が流れてた80年代後半へと、感覚を巻き戻させてくれる。

 分けても耳を引っ張ったのが「FENCE OF DEFENCE」ってバンドの「SARA」。歌謡曲人気アイドル人気が後退しバンドなりポップスへの関心が高まる中で、音楽シーンを支えたスタジオミュージシャンでも最強どころが結成したって話題をひっさげ登場して来たのが85年。以来ど派手な山田わたるのドラミングと超絶的な北島健二のギタープレー、そして野太さ荒々しさを持って張り上げる西村麻聡のボーカルでもって世のロック好きの関心を集めた。エピックソニーって今でいうJPOPの総本山みたいな所でもイチオシのバンドだったって印象が当時もあったけど、なかなか一般性を得なかったのがアニメ「シティハンター」の主題歌を歌って一気に認知度を広めたっけか。

 何しろ当時からすでに超人気だった「TM NETWORK」の今に至るまでおそらくは最大のヒット曲として知られ唄われる「GET WILD」なんかが使われた番組で、ヒット曲の生まれる場として知られるよーになっていたこともあってエピックあたりが次から次へと最新鋭のミュージシャンたちを送り込んでいた。アルバムにも入っているサイズや大沢誉志幸や岡村靖幸(大丈夫なのか?)って面々を見ればどれだけ凄い番組だったかってことも分かるはずで、この路線がおそらくは後の「鋼の錬金術師」や「機動戦士ガンダムSEED」「交響詩篇エウレカセブン」の主題歌チェンジ技へと繋がっているんじゃなかろーか。

 アニプレックス的には「るろうに剣心」でジュディ・アンド・マリーや川本真琴やラルクアンシエルやT.M.Revolutionを代わる代わるに使ってヒットCDを連発した手法が始まりなんだけど、ルーツをたどればそれはきっと「シティハンター」に行き着くだろー。アニメの「うる星やつら」も結構主題歌変わったけどタイプは違うんでこれは除外。「重戦機エルガイム」「機動戦士Zガンダム」の主題歌チェンジも半期でメカチェンジとセットだったからCD販売との連携とはやっぱりタイプが違う。 本格的にレコード会社とタイアップしてポップスシーンでヒット曲を連発したのは「シティハンター」が最初かあるいは初期ってことになるのかな。もうちょっと考えてみよう。

 ともあれ久々に耳に飛び込んできた「SARA」はサビのメロディーが醸し出す泣きのイメージが懐かしくも嬉しくって、これ1曲を聴くためにCDを買おうって気にさせられる。ってゆーか調べてもFODのCDって店頭にあんまり売ってなさそー。03年から活動を再開してたってことも調べてやっと分かったことで、「シティハンター」の主題歌コンプリートをきっかけに人気が再燃していけばそれはそれで面白いかも。しかしなるほど本当にいろんな人が歌っていたんだなあ、CONTAにアン・ルイスに鈴木聖美にAURA! 「いか天」バンドもこんなところに入っていたか。もう1枚の挿入歌集もいろいろ入ってて良さそうだけど1人、北代桃子さんって名前が気になる。記憶にないんだよなあ、どんな歌手だったのか。今も活動しているのかなあ。

 参考までにと「GUNDAM 来たるべき未来のために」を見物に上野の森美術館へ。すでにネットとか雑誌なんかで見ている作品ばかりだから今になってとりたてて感想はないけれど、巨大セイラさんいついてはその巨大さを現場で初めて実感。かつ肌に刻まれた気味の悪い紋様だとかくりぬかれた腹部にしつらえられたコックピットだとかいった、セイラさんとゆーイコンへの情愛の正反対を行く仕打ちにファンとして憤ること仕切り。ってゆーか戦争に慟哭する人々を現したいとか何とかいった解説がつけられていたけどこれを見てそんなことを思う人なんてどれだけいるんだろう?

 「ガンダム」をまるで知らないファンは悪趣味だと思うし知ってるファンはなおのことを無粋の極みととらえそう。ファンが崇め象徴するものを崩し辱める作品のどこから「ガンダム」がテーマとしてない方していた「戦争」への憤りを持てば良いのか分からない。まあそんな波紋を巻き越すことがそもそもの狙いでそこに意味が添えられることで目的が方々に伝わるって可能性もない訳じゃない。存在そのものが一種のメディアとなった「ガンダム」とそして「セイラ」の逃れ得ない運命って奴なんだろー。しかしやぱりアートとしての意味が見えない。人間の可能性を「ニュータイプ」という形で探求した作品のエッセンスを再現してみせる八谷和彦さんたちの作品が明確な意図を持っているのと比べると正反対。けどそーした目立ちやすいイコンばかりが一般の媒体を通して流布し「ガンダム」のイメージを作ってしまう。参ったなあ。


【11月7日】 翻訳なのかそれともオリジナルなのかは判然とはしないけれど木村元彦さんによるオシム本が出版の運びとなったもようでまずは善哉。集英社からの刊行でタイトルは「オシムの言葉 フィールドの向こうに人生が見える」だけど別にオシム監督の語録だけを集めたんじゃなくって、ボスニア・ヘルツェゴビナ出身でユーゴスラヴィアの監督を務め解体と前後して国を出て各国を流離いながらも見事に成果を出してきたオシム監督の、生き様を描いてサッカーにとっての必要なこと、スポーツにって大切なことを教えてくれる内容になっているんだろー。

 集英社で木村さんは過去にストイコビッチ選手の評伝を確か2冊ばかり出していた記憶があって、それがともに最高の出来だったんでオシム監督本も前に噂の立った海外で出た評伝の翻訳じゃなくって木村さんオリジナルでも全然平気。むしろ期待も持てそー。日曜日の「やべっちFC」で日本酒好きってところを暴露されてて「カメラを止めてくれたら飲むよ」っ顔をくしゃくしゃにしながら喋っていたオシム監督の、日本での食生活とか娯楽なんかも教えてくれると嬉しいかも。風太くんは見に行ったのかなあ。それとも「市原象の国」で巨体でもって象と戦いこれを倒して歩いてたとか。知りたいなあ。

 そんなオシム監督に感想を聞いたら何って答えたんだろう? 「ユニフォームが着心地が良いからといって止まっていては汗など出ない。着心地を実感するだけの運動を選手はまず見せるべきだろう」とかって言ってポゼッションとは言いつつ足下パスの連続だったりする代表を暗に牽制したりして。そこはジーコ監督、さすがに世の中を行く術を知っているのか「一目見て美しいと感じだ。これを来てドイツでは良いパフォーマンスを見せたい」とか何とか言ってアディダスが新しく発表したサッカー日本代表の新ユニフォームを讃えてみせるそつのなさ。スポンサーとゆー存在がスポーツにとってどれくらい大事なものなのかを熟知した発言をしてみせる。流石は本国でスポーツ大臣までやった人だ。このそつのなさなら協会の会長だって出来るかも。多分やるだろーなー、監督はもうやらなくっても。

 んで実際の新ユニフォームの印象はというと、決してそれほど悪いものではなくってシンプルでモダンな感じがあって着ればそれなりに格好良さそー。予想だと襟とかついたクラシカルな雰囲気になるものだって感じていたから、逆に徹底してモダンなデザインと素材になったことは意外性とともに受け入れられた。気になるのは背番号のフォントが変わったことで丸っこい数字になってそれが3本の細い線だかで形作られているんで遠目には棊子麺に見えなくもなかったりする。胸の真ん中に入っていた前の番号も胸元に来ていてそれが結構な大きさで、反対側に配置される日本サッカー協会のマークとのバランスが今ひとつしっくりこない。まあ慣れれば気にならなくなるんだけど。

 凄かったのが脇にうねっているラインで何でもこれは日本刀の刃に浮き出る波形の刃文を取り入れてデザインしたもの。2002年の時のユニフォームが富士山を取り入れていたって話があるけれど、そーした日本的なイコンを入れ込むことによって選手たちの浮き足立つ心を鎮めひとつの方向へと向かわせたいって発想があって、今回は日本刀の意匠が取り入れられたってことになりそー。ただ、気になったのはアディダスジャパンの副社長の人が言っていた言葉で、曰く「ナショナリズムを念頭に世界に誇る伝統や精神、美術に着目した。それは侍たちが命の次に大切にしている日本刀だ」って話して、ナショナリズムって言葉をややあっけらかんと使っている感じがしてサッカーのサポーターたちの選手への入れ込みを国家への入れ込みと見て「プチナショ」と懸念を示す精神科医が出てきやしないかと怖じ気づく。

 アディダスの人は「選手達の努力によって磨き上げられた技と肉体、怯まぬ精神力で勝ち取った勝利こそが本当の美しさだ」とまで言ってて、それはそれで正しいんだけど真正面から語られると気恥ずかしさも出たりする。そもそもが脇をうねうねとして走るラインのどこが日本刀の刃文の高潔にして斬新な様を現しているというのか? 不規則にうねるだけのラインは浮世絵に描かれる波には見えてもそこから刀を想像することなんて出来やしない。昔の肩に入った赤いラインを富士山って言うのも無理があったけど今回はさらに無理を重ねている感じ。商売っ気が満々でそれが日本代表って存在、日本の伝統って存在をもてあそんでいるよーな気がしてならない。

 もっともいざ大会が始まってしまうとやっぱり気になってしまう我らが代表の活躍で、勝てばその脇のラインの切れ味も抜群と、思い認めてしまうんだろーなー。だったらいっそ来年の大会は全員が髪を伸ばし結んでちょんまげ姿で戦えば、侍の雰囲気も出てさらに強さが増すかも。ジーコ監督にもだから着物を着てもらい短刀を懐に試合を見させ負けたらその場で切腹するくらいの覚悟って奴を持ってもらいたいもの。それが武家の頭領の責任って奴だ。何回腹切らなきゃいけないんだろう? 今度のアンゴラ戦で終わってしまったりして。どんな試合になるのかなあ。でもってピッチのどんな見栄えがするのかなあ。新ユニフォーム。


【11月6日】 うくくとネガティブなスピリッツを溜め込んでは世界を斜に見上げて睨みつけるスタンスが、居場所のなさに惑う男どもの同感を招き寄せる町田康さんは、新刊「東京飄然」(中央公論新社)でもやっぱり世間から後ろ指を指されてるんじゃないかって妄想に苛まれながら、東京を放浪した記録を綴ってて世間の冷たい風に身を刺され屈辱を味わいそれでも逃げず性懲りもなく出かけていってはやっぱり屈辱にまみれる様に同情心が湧き供にうくくと呟く。うくく。

 「旅に出たくなった」と言って向かう先がいきなり都内の早稲田でそこから都電荒川線に乗って王子に向かうというショボさ。理由はあって午前中は仕事があり猫の世話もあって遠出も出来ないからで、それからして実に小市民的なヌルさに溢れているんだけど、出向いた先でもひなびた食堂へと入ってはそこでまずどの席に座ったら良いかを迷い注文すると明るい返事をもらえず悲しみを味わい、そして出てきた「さくらうどん」のうまさに納得しつつも領収書をもらおうとして叱られるかもしれないと怯えもらわずに引き下がるうくく者ぶり。鎌倉に行ってもライブハウスをのぞいてもやっぱり乗れず感動を味わえず疎外感ばかりを味わうその様にはじんわりと涙すら浮かぶ。

 自虐的なエッセイなら滝本竜彦さんを始め若い世代のとりわけオタクな層に結構評判のものがあるけれど、そんな世代の大先輩にあたるだけあって町田さんの文章は自虐なんだけどおかしみが漂い同情心と嘲弄心をともに読み手に引き起こして笑い怒り喜び悲しませる。どろどろとしているようでどこかさらりと乾いた部分もあって読んでそんなに不愉快にならない。小説でもやっぱり自虐自嘲に溢れていても鬱陶しく思えず泣け笑えたりする町田さんの真骨頂って奴が、存分に発揮された紀行(といっても都内と近辺だけど)エッセイって言えそう。写真も綺麗。西森美美さんと2人の連名になっているけれど、町田さんが撮影した分はどの辺りをなんだろう?

 いつか出るだろうとは思っていたけど結構かかった女子サッカーがテーマの漫画。その名も「ガールガールボールシュートガール(講談社、514円)は179センチある長身で黒髪の美少女が気弱なんだけどサッカー好きな眼鏡の少女の誘いに何故か乗ってサッカー同好会へと入り男子を相手に大奮闘するってゆー、ありがちといえばありがちな展開でおまけに超ミニのスカート姿でもってボールを蹴り上げたりするシーンもあって当然ながら見えまくりで、つまりは女子スポーツを餌に男心の官能を誘う漫画かと思わせる部分もあったけど、読めばこれが意外に真っ当にスポーツ根性ストーリー。真っ当に頑張り練習した成果をしっかりと出して難敵に挑み、技術と根性で突破していく展開に感動が浮かび涙もにじむ。

 寡黙で長身でモデルのような美貌を誇る梅澤ヒカリ。近寄りがたい雰囲気を放つ彼女がなぜか授業の合間に体育館でサッカーの練習をしている眼鏡少女の水野香織の後を付けて体育館 へとやって来ては、冴えた空中トラップを見せて香織たちの仲間に加わる。高校総体に種目の存在しない女子サッカーの実状を嘆き全国女子選手権大会への出場を夢見るも学校に部活として認められる可能性の乏しさに躊躇する香織たちに、ヒカリはだったら兄妹校の男子サッカー部と試合をして認めされば良いと乗り込み、甘く見た熱血キャプテンを強烈なシュートで沈めて見事に試合の約束を取り付ける。

 いったい彼女は何者なのか。彼女の兄の名は梅澤直樹。代表入りを約束されながらも怪我で代表どろこかサッカー自体を断念せざるを得なくなった兄に代わってサッカーのワールドカップに出場しようと決意し練習に励んできたヒカリは、光が丘女学園サッカー同好会をスタート地点に世界へと続くとてつもなく細くてとてつもなく長い道を歩み始める。能力はあっても体力で男子に劣る女子が簡単に男子相手に勝利を得られるはずはなく、またヒカリ1人で頑張っても11対11のサッカーでは試合にならない。それでもヒカリは奮闘しチームメートも諦めず逃げないで日頃の練習の成果を出し切って挑み2点を奪い5点で抑えて負けたものの賞賛に値する試合を見せる。

 肉感あふれる描写はエロいし見せまくる展開もあって男子へのサービスもたっぷりで楽しいことは楽しいけれど、それ以上に同好会の1人1人が個性を発揮して試合に臨み頑張る姿を通して、決して恵まれているとはいえない女子サッカーの世界にあって、それでも努力する人たちがいっぱいいるんだってことをちゃんと描いてくれていてとても嬉しい。平野博寿という人の経歴はあまりしらないけれど、女子サッカーを興味本位ではなく興味を抱きつつも実状を鑑み実態を取り入れながらエンターテインメントに仕上げようとする意識が見てとれる。

 上には上のいる世界で強烈なテクニックとパワーを誇る姉妹が現れ、ヒカリや香織の前に立ちふさがるこの先、そしてさらに上に君臨する学校を未だシロウトでしかないヒカリや香織やその他の光が丘女学園サッカー部がどううち破り、日本代表になりたいとうヒカリの夢をはじめそれぞれが抱くサッカーにかける夢をどう叶えていくのか。その時が描かれることを願いつつ見守りたい。フットサルでも女子がブームの昨今、漫画にも登場した女子サッカーが本格的にすそ野を広げていく可能性がちょっとは見えて来たなあ。

 えっとそれってありなんすかタルホさんの説明セリフでもって大きな謎を明かしてしまった作劇に「交響詩篇エウレカセブン」が抱える通常のアニメの話法とは違った新しい世代の持つ横紙破り的なパワーを感じる。正しいかどうかは別にして。逃げたと思ったらちゃんと地元に戻って修理工場を再開していたレントンのじっちゃんの所にドミニクがやって来てはバイクを修理してもらうエピソードも、彼の正体を見抜きつつそれでも知らないふりをしているのか、やっぱりまるで知らず行きずりのボンボンに親切にしているのかが見えないじっちゃんの描き方が興味深く、そんな裏の見えないじっちゃんの態度から何かを感じほだされるドミニクの精神構造も目新しい。形式に沿わず経験が通用しないからこその新世代アニメってことなのか。それにしても知らずレントンもててるじゃん、同級生の少女3人から興味をもたれて羨ましいぜ、おまけにうち2人は眼鏡っ娘だぜ。うくく。


【11月5日】 決戦の朝が来た。希望の朝だ。浮き立つ気持ちを抑えつつ、前に「フクダ電子アリーナ」に行ったときに買ったベースボールシャツ仕様の応援ウエアを着込み総武線へといざ乗り込み、がたごとと揺られつつ到着した信濃町から徒歩8分。きっともの凄い行列に入場まで1時間くらい掛かるかと心配したら意外やすんなりと中に入れて、やっぱりジェフユナイテッド市原・千葉とガンバ大阪ってゆー、方やJ1でも屈指の低動員力を誇るクラブにこなたはるばる大阪から来場のチームとあって、国立霞ヶ丘競技場を満杯にする程の人は集められないのかと嘆息する。

 そのまま中へと入りまずは売店で今日発売とゆードライマフラーのロングを購入。そのままジェフ色をかざしてバックからホームのゴール裏を抜けてメインスタンドへと回り、コーナー付近にしつらえられたS席に入るとこれはどうだ。リーグ戦ではキックオフの時間になっても埋まらない自由席がすでに大半を黄色に染め上げる賑わいぶり。尚かつどんどんと人が入ってきては黄色に染め上げて行って君たちそれなら普段の国立の試合でもちゃんと来なさい、オシム監督に主催試合であるにも関わらずアウェイだなあなんて言わせなさんなと思ったけれど、でもまあ場合が場合、ナビスコカップの決勝戦ってゆー晴れの舞台でチーム創設以来の初タイトルを勝ち取るかもしれないって場所に来ない訳にはいかないと、感じた隠れジェフファンも多かったってことなんだろー。あと昨今のジェフの活躍ぶりに感化された新しいファンもいたってことか。いずれにしても素晴らしい。

見よ、このスタンドを、これが決勝だ、祭りの儀式だ、感動の予感だ  スタジアム全体も最初こそ空席が見えていたけどキックオフの時間になるとメインもバックもほぼ満席、最終的には4万5000人なんて来場者があってジェフは6000人、ガンバも1万5000人で足しても2万しかいないだろー試合でそれの3倍も集まったこの事実に、ジェフはジェフで良い試合を重ねガンバはガンバで優勝争いに絡む奮闘を見せている、すなわち良い試合をすればそれだけ観客も付いてくるよーになるんだとゆー千葉ロッテマリーンズと同様の状況が、サッカーにもやっぱり起こりつつあるんだと理解する。それが本格的に定着して来れば、サッカーも野球もともに21世紀に相応しい運営形態へと変わり発展していけるんだけどなあ。

 さあ試合だキックオフ後のジェフはどこか足が重いのか相手の出方を見ていたのか余り走らず、逆にガンバ大阪の選手の方が最前線からチェックに行ってジェフの守備陣を戸惑わせる。そこでこれまでだったら慌て挙げ句にボールを相手へとわたしてしまい自滅していたんだけど、今日についてはストヤノフ選手の圧倒的な読みの深さとそして両サイドの斎藤大輔選手に結城浩三選手の頑張りがあって点を許さず、拮抗した中で前半を終える。そして後半も終盤になってパスが回り始めてジェフらしさを見せ始め、そしてロスタイムも間際に華麗なゴールが決まりこれで優勝決定! と思ったらファールで残念。そのまま延長戦へと突入する。

 途中、足を引きずっていて痛めたのかなと感じた巻誠一郎選手が延長戦に入るとしっかり走るよーになり、林丈統選手ともども前線から引っ張るよーになってラインが上がり、立ち上がりのよーな突っ込まれて守備陣が慌てる場面もまるでなくなり安心感。もちろん相手も素晴らしい攻撃陣を誇るチームで、吉原宏太選手も入って厚みが増して怖かったけれど、そこは安定感あるセービングを試合の中で見せ続けたゴールキーパーの立石智紀選手を筆頭に、全選手が守備の意識を失わないで守りきってそして運命のPK戦へと突入する。

このクリアが優勝を決めた。素晴らしいぞ立石智紀、次は代表の座を掴め!  かつてワールドカップのイタリア大会でユーゴスラビアを率いて勝ち進みながらPK戦でアルゼンチンだかに破れたオシム監督は、PKの怖さを知り尽くしているのか直前にしっかりとPKの練習をしていたらしくすべての選手が厳しい場所に決めていく。一方でガンバ大阪は最初の遠藤選手が正面からややずれたところに蹴り込んでしまって、この試合もナイスなキーピングを見せ続けた立石選手によって弾かれたのが後まで尾を引き、5人全員が決めたジェフ千葉が優勝の栄冠を獲得した。おめでとうジェフ。おめでとうオシム監督。ああ書いててまた涙が出てきたよ。

 そして表彰式から歓喜の場面へとなだれ込んで、誰もが期待したオシム監督の胴上げは本人が後ずさりながら敢然と拒否して見られず。リーグの試合ではウォームアップスーツ姿を通すオシム監督がこの試合はびしっと背広姿だったのは、それだけ試合への敬意を抱いていたってことの現れなんだろーけど、あるいは背広が皺になるから汚れるから胴上げは止めてくれって理由にしよーとしていたのかも。いややっぱりサッカーの試合に対する敬意かなあ。天皇陛下にお目取りするフォーマルもどフォーマルな式典に、モーニングを仕立てて臨みつつも靴だけはスニーカーであまつさえそこに「3」なんてマークを入れてしまう野球の偉い人とは大違いだよ。ってか当人はきっとよく分からないまま、周囲の彼を神格化したいキャラクター化したい一派によって履かされてしまったんだろーなー。可愛そうだなー長嶋茂雄さん。これで「3」入りスニーカーが売り出されたら権威も地に落ちるよなあ。でも何かやって来そうだなあ、プロジェクト・ナガシマな連中は。

背広が汚れるだろ、だから胴上げはダメだよって言っている?  MVPは当然のよーに立石選手。0対0の試合で幾度と無くピンチを救った守護神ぶりに加えてPK戦で1点を弾き止めたことが大きなポイントだったんだろーけど、リーグ戦も含めた活躍ぶりを見ればこの試合だけのフロックな活躍じゃないってことは誰もが理解しているから、攻撃陣ではなく立石選手がMVPに輝いたおとは来ていたジェフ千葉のサポーターも心から祝福したんじゃなかろーか。背番号1を背負いながらも実質的には櫛野亮選手の下でサブとして出場機会を得られなかったベテランゴールキーパー。途中に出たチームでもやっぱり同じよーな立場で戻ってきたジェフでそろそろ後進に道を譲る時期にあった所が、櫛野選手の怪我で出番を得てゴールマウスへと立つ。

 そしてそこで見せた活躍がオシム監督にも認められ、櫛野選手の復帰後も譲らず正ゴールキーパーの座を守り通してる。下積みにあっても腐らず精進し続け技量を磨き続けた立石選手の物語は、出番が得られずモチベーションを下げがちな選手たちに是非に聞かせてやりたいもの。でもってなおかつ立石選手と櫛野選手ってゆー2人のゴールキーパーの存在を、来場していたジーコ監督に認めてもらいたいもの。リーグ戦の方で負けの込んでる楢崎正剛選手をいつまでも実力派トップと認め使い続けるのも分かるけど、他にもたくさんの素晴らしいゴールキーパーがいるんだってことを、分かって欲しいけどでもやっぱり無理かなあ。呼ばれてもやっぱり阿部勇樹選手に巻誠一郎選手くらいなんだろーなー。水野晃樹選手の吶喊ぶりとか工藤浩平選手の火の玉ぶりとか、見てたかなあジーコ監督。見て欲しいなあ。

 そんな訳で試合が長引いて三省堂書店神田本店での桜坂洋さんと桜庭一樹さんのトークショーは30分送れて入場。するとすでに2人が座らず立って漫才の如くに突っ込み合いをしていて楽しいおかしいおもしろい。桜庭さんが「ブルースカイ」はゲームのシナリオのクリアしてもまた繰り返すってゆー時系列をはっきりしない感じを小説でやってみたって話しててなるほどと思ったり、桜坂さんが桜庭さんは話を感覚でつなぐけど自分はそれは苦手で理屈でつなぐって話して彼我の違いを示したりしてこれまたなるほどと思ったり、書いた人や書く人にはいろいろと見えているんだなあと勉強になる。

 そんな感じにタイプこそ違え割りに噛み合った議論をしているなあと感じていたのに当人たちは「噛み合ってないねえ」を繰り返すのもまた楽しい。「文学フリマ」に出す合作を挟んで方やいっぱい書いているのにこなたなかなか書かないことで生じる摩擦めいた話もあったけど、そーゆー齟齬があってこその合作であって摩擦が生む熱が読者に新しい世界を見せてくれるんだろーと期待も膨らむ。どんな話かまるで見えないけれど最初に桜庭さんがパソコンの中へとキャラが入り込むよーな話を書いたらそれを桜坂さんが直したって話があったらかきっとそんな内容を包含した話ななろー。それにしてもパソコンに人が入る話の類例を、赤松健さんの「AIがとまらない」に持っていったところに桜坂さんの趣味とかが伺える。サイバーパンクだって京美ちゃんだって柾悟郎だって内田美奈子だってあるのに赤松健。なーるほど。


【11月4日】 抱いているイメージってものがあって、極真空手なら道場はあっても激しい練習で畳みはすり切れ使えず、庭で練習するも踏み込み続けた結果、地面のそこかしこに足の形に大穴があいってまともに歩けない惨状。叩くサンドバッグはなぎ合わせたものに砂を詰めセメントの粉を混ぜて固くしたものを幾重にも重ねた帆布の袋に詰めてあるけど強力な拳に打たれ半月と持たず作り替えなくてはならない。かといって代わりに叩ける木もほとんどが拳と蹴りによって叩きおられて近所にはなく、仕方なくはるばる30キロ離れた海岸へと毎朝走って防風林の松を叩き蹴ってはやっぱり3日1本、削り追って地元の人から鬱陶しがられてる。

 周囲の目も気になって来るので年に3カ月は道場を離れ山へと籠もって肩眉では足りないと両眉にすね毛胸毛に股間の毛までもそり落としては、これが生えそろうまで降りぬと山に留まり着替えもせず風呂は毎朝打たれる滝で済ませ、食事は週に1頭の熊を倒して調達しようにも熊はおらず、代わりに空を舞う鳥を高い木の上からムササビの如くに滑空して捕まえ3回転して地面に降り立ち、その場で羽をむしり生でかぶりつく、といった鍛錬を続けているんじゃないの? ってイメージを、きっと誰もが思い抱いているはずだ。おおゴッドハンド。

 けれどもそれは大間違い。今や極真は明るく楽しく体を鍛えられるスポーツとして広く一般にアピールするものになっているらしー。届いたリリースにあったのは10月に渋谷と恵比寿の間なんてファッショナブルなゾーンにオープンした「ichigeki PLAZA」は、上に極真の道場を置きながらも下は近代的なフィットネス機器が並んだスポーツクラブ。明るい光の中で最先端のメニューに従い運動しては体を鍛えられるよーになっている。上の道場で道着に身を包んだ人たちが空手の鍛錬に励む下、若い女性がフィットネス着でマシンの上を走る光景はなかなかに興味深いものがある。

 松井章圭館長率いる国際空手道連盟ってゆーから正統派? 大山倍達さん没後に門下生の間で分裂とかいろいろあったみたいでどれも正統って言っているんだけど、そんな中でもそれなりに知られた松井派が新しく始めた事業とゆーのがなかなかに意外。資料を読むとメニューにはいろいろあってたとえば「ichigekiヒーリング」ってのは「『息を吐ききる』。それが極真空手・呼吸の奥義”息吹”。伝統武道における心身接続法を拾得し、ストレスや緊張感を吐き出しましょう」ってのがちょっと空手っぽい。これが続く「ichigekiアドバンス」ってのになると「『自分自身の身は自分で守る』。いざというとき役に立つ”実戦空手”を極真快感本部指導員が直接指導。プロテクターを身に着け、ビックミットを打ちまくり!」ってあって肉体のみのフルコンタクトってイメージを思いっきりひっくり返してくれる。

 さらに「ichigekiシェイプ」ってのがあって女性限定クラスなんだけど「『「美しく・かっこよく』。それが極真女戦士の合い言葉。プロテクターを着けた極真会館の指導員を、力一杯パンチやキックすることができます。普段のフィットネスに物足りない人や仕事でお悩みの人でも、一撃でストレス発散」とあって、全身をプロテクターで固めた指導員(おそらくは極真の猛者)を女性が蹴り叩きなながら体をシェイプすることができる。完全に空手をベースにした格闘技エッセンスを取り入れたエクササイズでボクササイズに近い雰囲気。ストレスは発散できそーだけど空手が強くなれるかはちょっと謎。人間サンドバッグな指導員が時々突然反撃に出ると緊張感もあって面白いんだけど、それだと怖がられて会員が引くからやっぱり耐えて打たれるに任せる、これもカラテの道ってことなのか、頑張れ指導員。

 しかしやっぱりミニスカートで上段に蹴りを放ったら見えて当然だと思うし、蹴られた木の枝からくるりと回転して地面に降り立つミニスカートの奥にも見えて当然なんだけど、そこを無理なポーズにしないまま見せずに乗り切り、なおかつ見えそうで見えない焦らしで視聴者の官能を微妙に擽ってみせる作画陣の腕前は、ある意味で神がかっているとしか言えない。流石はサンライズ。テレビ東京の厳密なコードにも挑み対抗しつつ乗り越えようと頑張ってるよ胸が、きゅんと寂しくなる「舞−乙HiME」はやっぱり虐めにあるアリカを周囲が助け隠れたところでも助けが入って乗り切る熱血ストーリー。

 優等生ぶってて裏に回ると陰湿さを見せる女の子とかいたりするのもお約束。きっとそのうち正体が露見して酷い目に遭うんだろー。その悪意がさらに裏側で蠢く陰謀へと繋がっていったら学園コメディに留まらないスケールの大きなものになっていくんだろーけれど。今のところあんまり大きな物語が見えてないんだよなあ、以前の「舞−HiME」同様に後半戦ですべてを明かして怒濤の展開へと持っていく考えでもあるのかなあ。意外だったのは奈緒転じでナオの性格でオトメに似合わないダークさはあってもそれが周囲への反発に向かわず力となってアリカを結果として支えている部分が目新しい。前は舞衣の下級生だったのが今回はアリカの上級生って所からそーなったのかな。でもどこかでやっぱり悪女っぷりを爆発させるのかも。期待しつつ注視。


【11月3日】 迫る慶事に街も賑わって来ている様子。錦糸町の改札をマリオットホテル側に抜けた売店に小泉総理が描かれた煎餅なんかと並んで堂々の出品は、箱に「紀宮清子さま ご成婚おめでとうございます」と墨痕にて描かれた饅頭で、お印の花とされている「未草」も描かれ朱色の「奉祝」の文字も鮮やかに店頭で輝きを放ってた。開ければ菊花を象った饅頭が入って包みにも、記憶だと奉祝の文字か何かが描かれていて食しては申し訳ない程の神々しさ。なのでここは1人で頂かずに目出度い席へと運び場を幸せで包み込もうー。他にどんな記念商品が出ているのかなあ。街を歩いて探そう明日にでも。

新潟にインドネシア。そして何が次に起こるのか11月15日。食べれば無事に息災か。  うーんしょぼいかも。数年前までは海外メーカーもわんさと出展してゲーリー・フィッシャーなんかのサイン会もあって賑わっていたのに、今年の「東京国際自転車展2005」は並ぶ自転車の数も少なく出ていても多くが中国台湾といったアジアのメーカーのファミリー向け一般向け自転車が多くって、スタイリッシュな自転車を探しに行ったり「ツール・ド・フランス」なんかで見かけたレース用の自転車を見物に行った人は肩すかしを食らったかも。

 そーゆー自転車は11月12日と13日に「幕張メッセ」で開かれる「サイクルモードインターナショナル2005」ってイベントの方に回ってしまったみたいでチネリもトレックも「東京ビッグサイト」では見かけない。パーツもハンドルの日東工業とペダルの三ヶ島工業は「ビッグサイト」に来ていたけれど、世界に冠たる「カンパニョーロ」は「メッセ」に出展でサドルの「ブルックス」も「メッセ」行き。銀色に輝くカンパのディレーラーやらクランクやらを愛でられずシックな印象を見せる大銅錨の「ブルックス」のサドルにも触れられないイベントのどこか「国際自転車展」なんだと主催者を問いつめたくなったけど、まあきっと裏にいろいろな事情があると察して黙っておく。横取りされたり分裂するのはイベントの常、だもんなあ。

 けどでもまあ「東京国際自転車展2005」にも見るべきものはあって中でも絹自転車製作所ってところが出してたフルオーダーの自転車が、見た目マッドガード(泥よけ)のついた細いタイヤのスポルティーフって感じで、革っぽい茶色のバーテープとブルックスの薄茶のサドルがシックな感じを演出していたけれど、よくよく見るとパーツは最新でカンパニョーロをベースに組まれバーもブレーキレバーもやっぱり最新のものばかり。茶系のステンレスに見えるフレームはおそらくはオールアルミの軽量仕様で、シートステーがシートチューブとトップチューブの接合された部分をぐるりと巻いた懐かしの巻きステー加工がされていて、そこが磨かれ輝いていて目にも美しい。

絹製品で有名な片倉工業の自転車部門が作った片倉シルクの名を継ぐシック&ゴージャスなマシン、欲しいよお  最新の技術と最新のパーツを使って昔懐かしい雰囲気の自転車を作って見せたその心意気に感動。かつて片倉シルク号と呼ばれ五輪なんかでも大活躍した自転車の流儀をブランド名ともども今に引き継ぐ自転車。ほかに海外のど派手な自転車なんかが出ていなかったからって訳じゃなくって、展示されてたコルナゴなんかにも負けない存在感を放ってた。20数万円するフレームではさすがに手はでないけど、同じテイストでシックな雰囲気を出した街乗りの自転車を組んでみたいなあ。既製品なら「R−2」ってカスタムメイドのロードバイクがあってこれもシンプルにしてシックでけれどもゴージャス。欲しいなあ。でも乗らずに錆させるんだよなあ。

 しかしゴージャスではこっちが上か。クールズってところが出してた”ローチャリ”ってカテゴリーの自転車はピカピカにデコレートされてて目にも鮮やかで、乗って六本木やら赤坂あたりを走り抜けたら評判を呼んで囃されそー。でもやっぱり似合うのは千葉の県道か埼玉の農道か群馬の林道、だったりするのかなあ、あと特攻服来てすべての語尾に”夜露死苦”ってつけて喋る人たちが集まる場とか。他にも極太のタイヤを履かせた、昔懐かしいチョッパーハンドルを付けた自転車なんかもあってこの展示会に限ってはデコレートなりカスタマイズといったキーワードで、これからの自転車のトレンドを図れそー。「サイクルモードインターナショナル」でゴージャスな海外製の高級自転車も見てそれから今後の流行、考えよー。

 「機動戦士ガンダムSEED DESTINY COMPLETE BEST」を聞く日々。ヘビーに流しているのはCHEMISTRYの「Wing of Words」って曲で第4期のオープニングに使われてオープニングからシック過ぎると評判はそれほど高くはなかったんだけど、楽曲としては燐としてメロディアスでドラマティックで収録曲でもトップの良さを誇ると言って過言ではない。声質も最高。ただし巧いかどーかは別。CHEMISTRYで巧くない訳ないじゃんって人も多そうだけど、個人的には彼らは音程とハーモニーは技巧的でも魂に響く歌を歌えていないって印象がデビュー当時からあって、その難点が今に至るまで解消され切っていないって認識がある。

 「Wing of Words」もそうで伸ばす場所で伸ばし切ってない感じが聴いて手耳に物足りなさを覚えさせ高揚感をせき止める。リズムに乗りきらずむしろリズムに合わせよーとする頑張りが滲む印象。その原因を素人なりに想像すればゴスペルなりソウルを唄う人たちに必須の声量が存分じゃなくって歌声に余裕が感じられなくって、それがどこかに臆している感じを与えて聞く人の耳に引っかかりを残すのかもしれない。ライブなら生なりの臨場感があるんだろーけどそのライブの模様をサンプルで視聴してもやっぱり同じ印象なのは、技巧に走り声量に魂を乗せて発するスピリッツを彼らが未だ物にしていない現れか。プロデューサーの人には是非にボイストレーニングを彼らに積ませてやって頂きたいもの。あるいは1年とは言わないまでも1カ月、街頭に立ちノーマイクで1時間をフルに唄いきる修行をさせてやって欲しいなあ。それで30年保つ素晴らしいデュオができあがるんなら安いもの、なんだけど。


【11月2日】 1分で3冊とゆー伝説が跋扈しているアマゾンジャパンの物流センターだけど新しく市川塩浜駅にオープンした倉庫はまだ移転して間もないってこともあるからなのか働く人のスピードは別にしゃかしゃかとはしておらず、図書館の人が還ってきた本を棚に戻していくのとは動きとして逆ながらもスピードとしては同等って感じで、これなら普通につとまるかもしれないなって思ったけれど単にメディアが取材に来ているからあんまり焦らないよーになさいよって言われて、いなくなったとたんに3倍速で動きはめたのかもしれないしそうではないかもしれない。

 ともあれタテで250メートルあって三十三間堂の倍以上の長さがあって横も80メートル近くある新物流センターは最上階の倉庫がまだ空き家になってて、そこにどっちゃりと品物が入った暁には、より多くの商品が24時間以内に発送ってゆーユーザーにとっては有り難い事態が訪れることになるんだろー。でもアマゾンであんまり買わないけど、だて家電なら秋葉原で変えるし本屋は近所に大きいのが3軒もあるし。働き場所としての新物流センターは駅前にファストフードもコンビニも見あたらず昼時に結構苦労しそー。夜は倉庫の前に2軒、ファンシーにライトが輝きベッドがぐるんぐるんするホテルがあってそこならエンターテインメントな夜を店屋物とを摂りながら過ごすことが出来そー。相手が必要だけど。

 ほのぼのとしてほくほくとする物語。大凹友数さんのMF文庫Jライトノベル新人賞佳作受賞作「ゴーレム×ガールズ」は意中の女の子と疎遠になってしまった悲しさを埋め合わせようとした地味な少年がゴーレムを作るんだけど最初のゴーレムは少年の本当の願望に気づいてて静かに退場。そして少年は本当の願望をかなえようとするんだけど途中で手にした石膏の手から聞こえた願望をまずは叶えてあげようとそこからゴーレムを製造。そして生き返った少女との会話を通して次第に気を取り直しつつ、本当の願望を叶えるチャンスと模索する。

 蘇った命があってそれはけれども代替物で居場所に悩み迷っているんだけど、そんな存在でも望むのは自分の居場所。ここにいてもいいんだよって言われて立ち直るゴーレムたちの姿に誰かから認められるうれしさとか、居場所のあることの喜びってものが浮かび上がって来てひとりで生きていくより大勢で、頼り頼られ生きていく方がずっと良いって思わされる。ただのツクリモノが人間に近づいていくところで要求される、体を重ね合わせることおできる構造に関する描写が妙に生々しくって艶めかしい。そんなんなくたってそこにいてくれれば嬉しいんじゃないかって言いたくなるけどでもいざ近くにふりひらと可愛いゴーレムがいたら、やっぱり触れていろいろしたくなるものなのかも。ハッピーに開かれ未来に続くエンディングは好み。イラストも良いねえ。

 さても悩ましいのはブロガーはすべからくジャーナリストであるべきなのかそれとも状況を努めて余さず語るメディアであるべきなのか、はたまた自分を意見を何が何でも伝えるオピニオンの発信者であるべきなのかって点で、自民党との懇談会に呼ばれたからには一般のマスコミなんかからあんまり伝わって来ないこととか、一般のマスコミでは聞きそうもないことなんかを聞かなくっちゃって意識を持っている人もいるけれど、それはジャーナリストの行動原理であって相手が何を言ったのかを余さず伝えたいって意図を持っている人には、相手を”敵”と認め対峙し一切の貸し借りは作らないって意識でのぞむジャーナリストな人のスタンスが、見てなかなかに堅苦しく見えて仕方がない。

 さらには自らがオピニオンの発信者でありたい人には、懇談会の場は己が意見を直接伝えられる絶好の機会であってとにかく何かを言えればオッケー、さらにはそれが政策に反映されればなおオッケーってことだから、別に相手が何かもてなしをしてこよーともそれを受け入れるにしても拒否するにしても本題とは無関係、そんなことには微動だにせず自分のスタンスを貫くことに終始する。そんな目的も行動パターンも異なる人たちが割合は分からないけど一つ所に集まり同じテーブルについて果たして大丈夫なのかどーなのか。ジャーナルが使命感から突けば現場の空気は緊張し、メディアが望むだけの意見が聞けなくなるって可能性はある。オピニオンが語れば時間はそちらに奪われジャーナルの突く時間は欠け、メディアの時間も少なくなる。

 果たして自民党が望むのはメディアなのかジャーナリズムなのかオピニオンなのか。当初の意図としては既存のマスコミとは別に台頭して来たブログなりネットといったメディアをメディアとして活用して、そうした人たちに連なる大勢の市民に施策を伝えようってことがあったんだろー。もちろんただ単に垂れ流すだけなら佐藤栄作さんじゃないけど自民党がネットに余すところなく自説を乗せて発信すればいいだけのことで、それぞれのブログなりネットメディアを運営しているメディアの人たちなりの見解も添えてもらい、ある程度のフィードバックも得つつ総体として自民党にとって前向きな効果を狙い多かったんだろー。そんな狙いは大体において成功している。

 けれども一方にブログなりメルマガなりを運営することをすなわち既存のマスコミでは失われつつあるジャーナリズムの再生と、見る向きもあり実際に既存マスコミの体たらくにネットが持つジャーナリズムとしての機能に期待を寄せる動きもあって、そんな動きの中から現れたインディペンデントなネットのジャーナリストたちが、自民党という巨大で重要な存在に対して突っ込んでいこうとしている。方や受け身のメディアがあるこなた前のめりのジャーナリズムがあってひとつの会場に一緒になって場が綺麗にまとまると考える方が不思議。さらにはそこに加わるオピニオン。三つ巴のくんずほぐれつが前回今回と続き今回はさらに色彩が鮮明化しているってのが前回今回と参加して感じた印象だったりする。

 メディア的な存在に対する自民党のアプローチはこれからも続くだろう。オピニオン的な存在に対しても招き意見を伺う機会が作られる可能性は高い。この2つが同じ場にいる必要はなく、目的に応じて招く先を分けることになるんだろー。いずれにしても自民党による接触は続く。問題になりそーなのがジャーナリズムを指向する存在への対応で、なるほど世にさまざまなネットメディアが立ち上がっては、日々に独自の取材結果を発してはいるけれど、ネットを土台にしたジャーナリスティックな活動が既存のマスコミを代替し得るのかってゆーとこれがなかなかに難しい。

 ネットにしか出来ないってことは実はそれほどない。仮に今、既存マスコミでやらなくなってしまったことであっても、考えを改め原点に立ち返ることで実現はできる。それこそ自民党の55年体制が崩壊し、それでも自民党が存立しちえるよーに大手マスコミに救っている55年的体制が崩れ、真の意味でのジャーナリスティックな活動が行われ得る土壌が生まる可能性は決してゼロではない。ましてやブログだ何だと揺さぶられ、既存マスコミへの頼感が損なわれて来ている昨今、これはまずいと気づき立ち直る動きに向かう可能性は以前よりは高くなっている。

 そんな状況が訪れた先、敢えてブログなりメルマガといった勢力に、お墨付きを与えて既存のマスコミにとって代わってもらう必要もないと自民党なり取材源が考えても不思議ではない。門戸を開くことで、インディペンデントなジャーナリズムにも、自民党は自在に動いてもらってますってイメージ戦略の材料にするって狙いは果たせるけれど、本気でネットのジャーナリズムは既存のマスコミを超えるのか、あるいは自民党がそうしたネットのジャーナリズムを既存のマスコミ並みに意識し対応する時が来るのかは、もう少し成り行きを見てみないと分からない。インディペンデントなネットのジャーナリズムが経済的物理的な理由で存立を危ぶまれているって現実もある。かといって存立可能なように群れ集えばそれはやがて企業化し既存マスコミと同列化していく道を歩む。

 ネットを主体としたジャーナリズムが既存マスコミと同質化せず独自性とそして情報機関としての価値を維持し続けることができるのか。あるいは既存マスコミの改心はありえず故にネットを主体に活動するインディペンデントのジャーナリズムはますます求められるようになるのか。活動を支える経済的物理的な基盤は確立されるのか。そんなビジョンが見えてくるなり見せる動きをしないと、今は興味から場を与えられているジャーナリズムを主目的として活動している人たちは、メディアやオピニオンを指向している派から浮き上がり埒外へと押し出されてしまわないとも限らない。効果のない相手に場を提供する義理は無いって言われてしまいかねない。

 それならそれで結構だ。用意してもらった場所で、ジャーナリズムかくあるべしと、形にこだわりひとりマスコミを演じているなんてジャーナリズムじゃないと考え勝手に暴れる道もある。3回目の会合があるのかどうかは知らないけれど、仮にあってやっぱり様々な指向の人が三つ巴を演じるようなら目的別に分断されることになるんだろー。そして先に果たしてジャーナリズムにチャンスが与えられるのか。与えられたとして言質を取るだけじゃない成果を得ることができるのか。そんな興味でこの先の推移を眺めていこー。僕? 僕は出没家だから出没できれば良いのです。サンドイッチもアイスティーも手を付けなかったけどね。


【11月1日】 ああ今年もあと2カ月だ。早いなあ。んでもってSFを読まなくちゃシリーズも終盤へとさしかかって梨木香歩さんの「沼地のある森を抜けて」(新潮社、1700円)をざっと読む。叔母が死にその家にあったぬか床を受け継ぐって端緒から幕を開けた物語は、かつて母も世話をしていたというそのぬか床をめぐって起こる奇妙な出来事が、やがて生命の誕生と存続をめぐる物語へと発展していき超然として幽玄なる生命の神秘って奴を見せてくれる。藤崎慎吾さんの「蛍女」に重なる所があるのかなあ、昔に呼んだっきりて「蛍女」あんまり覚えてないんだけど。

 ぬか床から現れる得体の知れないものを描いて奇妙なビジョンを与える展開だったら「日本ファンタジーノベル大賞」受賞の平山瑞穂さん「ラス・マンチャス通信」(新潮社)に重なったかもしれないところを、ぬか床ってアイテムを機軸にしっかりと1本のテーマを通して科学とまでは言えないまでもサイエンスを思わせる設定を盛り込み描き上げたところが、設定やらディテールには凝るもののどこかテーマに筋の通ってないところが見受けられないこともないプロパーなSF作品よりも、余程SFチックなビジョンとそして感動を与えてくれる。なるほどこーゆー作品が現れて来るから文学って凄い。そして素晴らしい。

 なるほどテーマかあ、テーマねえ、うーん何がテーマなんだろう? 突然売り出されていて驚いた山本一郎さんと伊藤龍太郎さんの手になるライトノベル作品「スカーレット・ソード」(ソフトバンククリエイティブ、1400円)。地方から手に斧を持って出てきた少年が街を目前にしてリザードマンに襲われ九死に一生を得て街へと入りそのまま戦士になって街を守る仕事に就く。街にはクレリアってまだ若い少女がいてリーダーとして頑張っているんだけど職務にいそしむあまりにたいして力量がある訳でもないのに手に剣を持って街を遅うリザードマンに突っ込み別の街が襲われたと聞いては遠征していく。ただし手にした「スカーレット・ソード」には秘密があるらしく、あと魔法使いなんかも彼女を護っていてとりあえず死なずに済んでいる。

 んでもって街は経済が破綻しかかっていて何とかしないと大変なことになるってことで、起こったお金になりそーな仕事をみんなでこなそーとして出かけた先で知った意外な事実。世界を裏で操る存在なんかが仄めかされ、「スカーレット・ソード」の意味なんかも示唆されるんだけどでもそれが主人公の成長を促すわけでもクレリアちゃんとの恋愛を成就させる訳でもなく、またクレリアちゃんが自分の存在意義に気づき為政者として自立していく訳でもなく、ただ何となくわいわいがやがやとしながらひとつのそれほど大したことのない事件が片づいて大団円を迎えてしまう。

 ひとつの世界の有り様を見せ情勢がどうなっているかを示しつつ、登場人物がどんな性格でどんな能力を持っているかを分からせる、何かテーブルトークRPGの設定書みたいな本て印象が一読した感じで、ひとつのテーマがあってそれが語られ答えが提示され、読んでひとつ教えられたとかいった感銘はあんまり得られない。なるほどキャラの描写は楽しげでクレリアちゃんはヤスダスズヒトさんのイラストも含めて性格的にもビジュアル的にも最高だけど、それだからこそ彼女がどんな行動原理を持っていて何を目的に頑張っていて、その結果どんな成果を得られたのかって答えを物語りの中から欲しかった。それがあっての小説ってゆー古い小説観に染め抜かれた人にはややもすれば目に焦燥をもたらす物語かも。設定に興味を抱くとかキャラクターに関心を寄せるといった読み方の出来る人には楽しめるかな。

 さても再び呼ばれて飛び出て向かった自民党党本部の関所を抜けて「自民党とブログ・メルマガ作者との懇談会」に紛れ込む。前回よりもやや多めの35人が出席した会合は、当初は与謝野馨さんが政調会長として登壇する予定だったのが急な党人事で与謝野さんが大臣となり後任に中川秀直・国会対策委員長が就任したこともあって、果たしてそのまま行われるのか危ぶまれたんだけどそこは機会を見て自説を語りたい自民党だけあって動きも迅速で、昨日の今日で忙しい中川・新政調会長を招いて語らせるってゆー英断を下した。つまりはそれだけブログとかメルマガといったネットメディアを重要視している現れなんだろー。あるいは重要視しているんだぞって姿勢を喧伝したいんだろー。いずれにしても気にされているってことですね。

 さすがに多忙を極めているのか20分ほど送れて登壇した中川政調会長。それでも過去に初代のIT担当大臣なんかをした経験もあるIT通だって自認した上で是非に出なくてはいけないと思い出席したんだって話して集まった人たちを喜ばせる。それから自説を開陳。主張していたのは従来の官僚が中心となって政治家なり党なりが周囲を囲み国を動かしていった構造を改め、党がシンクタンクを持ち一般の意見も採り入れながら政策を作り決定し、官僚はそれを執行していく形になる必要があるってことで、そんな党主導の政策立案にあたって一般の意見を広く求めなくてはならず、メルマガなりブログなりといったネットに集う人たちの存在に頼る部分も出てくるんだってことを示唆していて、自民党が決して人気取りではなく、実効性の伴う部分でネットに期待をしている節が伺える。

 すべきことは構造改革。米国なんかに比べて低い労働生産性やら資本生産性を改善する必要があってそのためには民主党であってもその提言にうなずける部分があれば取り入れ、政策的に大連立を行うんだってことを話してた。政党のためでもなく政治家のためでもなく国民のために何が必要かを問い実行する政治へと、移行していく意志はブロガーたちばかりでなくメディアの頭撮りも入れての発言で、それだけに意義は強くリップサービスに留まらない実効性をはらんでいると言えそー。あとはそんな胸襟を開いた自民党に民主党が答え国民のために必要な思索を提言できるかって所だけど、対立をアイデンティティーの基盤としていた過去が果たして振り切れるのかがまだ微妙。乗り越え理想論ではなく具体論で勝負できるよーになった時に、民主党が政権を取るかどーかはともかく政策を実行できる政党として意味を持った立場になれるんだろー。

 そして始まった質疑応答は前回にも増して具体的な政策に関して議論が飛び交い白熱。上海に行ったってどこかの会社の人が上海で人気なのはポケモンで、だから日本は中国の人に日本のファンになってもらえるように努力しようと聞いて根本匠・自民党広報本部長が日本はコンテンツ法案を議員立法で作りコンテンツ産業で世界と勝負していことしていて、外交は戦略的に行うけれど文化交流も行っていくと回答した。それからオートバイのライダー向けのブログを運営する人が、高速道路のETCでバイク用の導入が遅れって、同じバイクでも付いているのと付いていないのとで料金が二重になっていると訴えたものの、そこが巧く伝わらなかったのか明確な回答はなく、一方でETCがすべての乗り物に導入されればインターチェンジを大きく造る必要がなくなりどこからでも乗り降りできるようにできるってメリットを語って、今後の対応を約束する。

 自民党が勝ったのは良いけど、日本として守らなくちゃいけないものがあるはずなのに、国家というものについてのビジョンが見えないって言った質問に、中川政調会長は他の意見はあるのかって会場に聞き、自分はあんまりそうは思わないって人の意見も聞いた上で、日本として守るべき物は政治だけでなく皆で守るべきであって、皆で守れないものには時代とそぐわないものがあるんだってことを指摘する。なるほど政治にリーダーシップは必要だけど、そのリーダーシップが発揮されるには同じ世代に生きる人の合意がないといけないとも。とにもかくにも真剣に議論しコンセンサスが出来ることが重要って話してそれはそれで納得を得る。

 障害者自立支援法に不安を感じる人には、決してすべてに負担を強いる訳では泣くって支援する仕組みも作ってあるんだってことを強調。議員の世襲は正しいのか、先の選挙で候補者の公募ってのはちゃんと行われたのかって質問には、前の参院選で負けた反省を行い公募するノウハウを蓄積して来た経緯があってそれが生きたと発言。職業選択の自由があるから世襲が悪いとは言えないけれど、これからは選挙があれば候補者選定委員会で面接を行い透明性の高い候補者を選定するんだって答えて、それがお為ごかしであってもそれなりな決意の程を感じる。もちろん実行できてこその決意なんだけど、大成功した実状を踏まえればやらざるを得ないんだろーなー。そーやってコンセンサスが形成されていてけば、世襲が今とは逆に不合理なものだって思われ立候補するなら地盤を引き継がない場所で、って風潮が出てきてぐっと適正化していくんだろー。未来に注目。

 次に来る「ユビキタス・ジャパン」ことUジャパン構想でもやっぱりインフラ整備が目立つことに異論を唱え、ソフト面の充実が必要なのではと聞いた問いには、おっしゃるとおりでで課題になっていると即答。学校にネットを入れるような目標も作りハード設備もいれたんだけど、先生たちが習熟してIT教育を行うまでになったかというとそうではなく、これからはITをどうやって活用するかが重要になって来ると話してくれた。その即答ぶりと論旨の明確さからここの部分についてもそれなりな議論が党内で行われていると想像する。ってことは事業的にはやっぱりIT教育に携わっている分野がこれから儲かるのかな。株もそんな業種に注目が集まるのかな。

 そこの所をちょっと聞いてみたい株の専門家も来場していたけれど大物過ぎてちょっと聞けず。何しろあの北浜流一郎さんだプロフェッショナルだ、今日の会合からも投資のヒントなんかを得たんじゃなかろーか。そんな北浜さんが尋ねたのは、ブロガーを集めた今回の懇談会も結局はご意見拝聴に終わりかねないおそれがあるってこと。答えて世耕広報副本部長はまだ始まって2回目で、手探りの状態で進めているから、これから様々な要望を取り入れてテーマごとに行うのか、それともやっぱりいろいろな意見を聞く会にしていくのかを考えていくと話してた。けどでもそれが決して後退しないと信じられるのは、自民党が先の選挙も含めて採用したPR戦略が有効だったから。国民の声を聞くためにちゃんと電話で人間が応対して、それも午後8時まで対応して集まった意見はちゃんとまとめて党内で回覧してもらい、指摘があればちゃんと候補者にも伝えるよーにした結果が先の大勝だったって実感がある以上は、始まってそれなりに話題にもなっているメルマガやらブログの運営者との懇談も、止める必要はないんじゃなかろーか。

 とまあ様々な意見交換が行われ予定の午後8時20分を過ぎても終わらず結局約2時間、午後の9時までみっちりと行われて聞いていていろいろ為になったし、反応する自民党の態度からその本気度も伺えた。そんな内容だったとここに報告することだけでも努めは果たせるんだけど、意見を付け加えるならそーした党の本気が一部に留まらず末端に至るまで行き届いて、誰かのためではなく国民のために実行されているのかってことを見極める必要があって、それが果たされていない現場があったら、あるいは事例があったらネットでも既存のメディアでも当初でも何でも構わないから国民は声を上げるべき、でもって党はそんな声を認め改善に繋げる動きを取るべき、だろー。双方向の関係が成立してこそ日本は、世界はより良い方向へと向かう。そのためのツールとしてネットがより機能するよーになれば素晴らしいんだけど果たして。


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