縮刷版2004年5月中旬号


【5月20日】 いやもー素晴らしい作画っぷりだった「サムライチャンプルー」は、どこが素晴らしかったって胸に花火を2つ放り込んだ娘の揺れるバストの柔らかい脂肪とはよっと違った硬めの球が入っているらしーことが見て何気に分かるシーンとか、そんなバストから花火を取りだし振り向くシーンでの当然ながら薄べったい胸の甘食に似たわずかな盛り上がりを着物の合わせ目からちゃんと覗かせて、そーいったものが好きな男子の目を喜ばせてくれるシーンとかが、ちゃんと盛り込まれているところが素晴らしすぎて、花火屋で見せてくれる涙ぐんだ目のぶすったれた表情も含めてここまでアニメ好き洗濯板好きな人間のハートを鷲掴みにしてくれる作品を、よくぞ作ってくれましたと「カウボーイビバップ」以降は「アニマトリクス」でその名前を見た程度だった渡辺信一郎と、下井草の方々に彼方から感謝のエールを贈る。讃えよ甘食。拝めよ洗濯板。

 ラップだかテクノだかジャンルに疎いんで分からないけどそんな感じに格好良いビートの音楽に載って繰り広げられる心地よいリズムに乗った殺陣も目に鮮やかで、それがリアルな戦闘と言えるのかどーかってのはまるで気にならず、飛び回っては自在に切り裂くチャンプルーな沖縄兄ちゃんと、舞うよーに切り伏せていくサムライな眼鏡野郎の立ち居振る舞いも素晴らしくって、ここまで人材を投入して1話を仕上げてしまうとこれ以降、果たしてどれだけのリバウンドが出るんだろーって心配も浮かんできてしまう。既にして改変期から2カ月近く遅れて始まっててリバウンドが心配、ってのも妙な話ではあるけれど。

 さてどんな影響が出るんだろーと想像するならまずは殺陣がなくなり女の子の表情が乏しくなって、最後は止め絵の連続をセリフ回しでつなげる紙芝居へと向かうって所か。いずれも過去に別のアニメで起こったことだから実際に起こっても怒りはしないなー。とは言え小林真一郎さんってプロデューサーの「無限のリヴァイアス」とか「アルジェントソーーマ」はどれも、クオリティだけは最後までそれなりに保たれていたから、中途半端な時期に始まるだけのアドバンテージを持って「サムライチャンプルー」も、きっと最後まで同じだけの動きと絵でもって江戸時代を舞台にした男2人と少女が織りなすドタバタを、見せ楽しませてくれると信じよー。しかしかの「キル・ビル」のアニメパートを作った中澤一登さんが真夜中のアニメで大きな仕事をしている日本ってやっぱり不思議な国、だなー。

 すげーぜ倉阪亀一郎さんの手がける初の伝亀作品「大亀神」は発掘された亀をめぐって起こる日本の亀機にカメオカンデならぬ神亀ンデスペシャルも絡んで前代未聞の大騒動となる展開……って違った倉阪鬼一郎さんの初の伝奇作品「大鬼神」(祥伝社、880円)だったけどついつい「キ」を全部「亀」って書きたくなるくらいに亀づくしの展開で、読むほどに池の中とかをぼちゃぼちゃ泳いでたり日溜まりへとはい上がって文字通りの甲羅干しをしているノホホンとしたあの動物の実はそれないに怖い所もあるのかもって想いが強くなる。いやまあすでに手足から火を噴いて周りながら飛ぶ怪物が日本には何度も来襲してその怖さは重々承知してたんだけど、古来瑞兆として尊ばれたり占いに使われたりして来ただけの存在感を亀が持っていたんだってことを教えられた。

 しかし凄まじいのはそんな亀づくしな展開だけじゃなくって柴田よしきさんの京都シリーズとタメ晴れそーなエスカレーションぶりもそーで、美形で陰のある天才陰陽師ってキャラクターを生み出し日本の霊的防衛に携わっている唯一の人間だって設定も盛り込んで新たな伝奇ヒーローの出現を見せてくれていたのもつかの間、すさまじいばかりの衝撃をもたらす状況へと進んでいっては「伝亀」ならぬ「伝奇」を楽しみにしていた読者を唖然呆然とさせそー。いやもーその凄まじさといったら他に比べるものがあるとしたらゆうきまさみさんとか唐沢なをきさんといった人が描きそーなギャグ漫画? かくも凄まじい、伝奇史上でも最強最高に近い存在を出してしまって折角生まれたニューヒーローの若い陰陽師・中橋空斎が次に戦って相応しい相手がいなくなってしまう気もしないでもないけれど、そこは予想の上を行く発想なら得意中の得意っぽい倉阪さんだけに唖然呆然とする設定を持ったシリーズ2作目を届けてくれるだろー、と信じたい。しかし怖ろしい敵だよなー、今回の敵は。

 えっと美少女フィギュアとゆー日本に独特な品物を日本の文化のエッジと認めてそれをリスペクト&カリカチュアライズしてみせた等身大フィギュアの類を僕は造型としてのアートだって認めるに吝かじゃないし、そーやって取り入れたオタク的な要素を延長させて作り上げたキャラクター的ニュアンスを含んだフィギュア群を今度は食玩ってゆーこれまた日本に独特の商品形態の中に落とし込んで大量にバラまいて見せる行為は行為としてアートって認めることを厭わない。けどなあ、村上隆さんが佐藤江梨子さんことサトエリに妙な衣装を着せてそれを写真に撮ったからってそれを、どんな文脈に落としこもーともアートって認めたくない。ただのサトエリのコスプレ写真じゃん、それも決して出来のよろしくない。

 何者かになりたいってゆー意識が他人の目には例え奇異に感じられても関係ないとキャラクターの扮装をしてイベント会場に立つコスプレーヤーのスピリッツのカケラでも、ココちゃんや悪魔の扮装をしたサトエリにあるよーには見えないしそーゆースピリットへのリスペクトが、村上さんの側にあるよーにも感じられない。漂うのはサトエリってそれなりに知られた名前と、コスプレって一般メディアが奇異に感じる行為の上に、村上隆ってゆー”世界で認められたアーティスト”のラベルを貼ってさあメディアの皆様ご安心、「OTAKU」っぽいけど僕がやるからアートなんです、って喧伝してみせたい顕示のスピリッツくらいだ。

 「OTAKU」的な意匠の剽窃、ってことだと等身大フィギュアの時と変わらないって声もありそーだけとあの当時の村上さんは、アーティストではあっても”世界に認められた”アーティストではなくその行為のすべてが大手メディアから無条件に支持され持ち上げられることはなかった。関心を持った文化の最先端を見てこれこそがアートだと感じ、そのエッセンスを自分のフィルター(ネームバリューではない)を通して拡大してみせていただけだった。目線は並行だった。だから僕は支持できた。けれどもすでに高いネームバリューを得た村上さんが、「OTAKU」的な意匠を扱う手さばきはそれが本人の意図しないものであっても、どこか高みから見下ろし自分のラベルの下に「アート」のお墨付きを与えているよーにしか映らない。おまけにサトエリ。もーひとつのバリューを引っ張り込んではよってたかってコスプレにアートからと芸能からのお墨付きを与えてる。気持ち悪くって仕方がない。

 同じサトエリを土台に使ってはいても、「キューティーハニー」って作品へのリスペクト、アニメーションって形式への愛を、サトエリって素材を半ばダシに使うよーにしてスクリーンに定着してみせた庵野秀明監督から発せられるスピリットは、願望に純粋なオタク心のど真ん中を行っていて気持ち良い。無名の声さんを土台に使って、アニメ絵をペインティングしてみせた会田誠さんは土台への敬意、アニメ絵の傾注とそれをボディペインティングに結実させてみせる、トータルの行為としての凄みがある。村上さんの「サトエリコスプレココちゃん写真」に庵野監督の「ハニー」のよーなパワーはあるのか? 会田さんのよーな凄みはあるのか? まるで感じられないけれど、ニュースで聞くだけでは伝わってこないスピリッツがあるのかもしれないから、スタートした展覧会は是非にのぞいて会場に漂う空気を感じて来よー。


【5月19日】 とかいろいろ綴ってみたけどこーゆメディアの将来を考えさせられる問題に対して某オシャレな32ページまるごと経済総合紙(JAROって何じゃろ)とやらではまるで触れず。ってか僕が触れないといけないんだけど残念にも無念にも触っている時間が与えられずかといって通信社から集めた原稿に偉い人たちが肝いりで作った「トタ班」とかゆー一種の遊軍が動くかってゆーと朝に誰かが思いついた事柄について別に専門家がいよーと関係無しに1日がかりで取り組むってゆー、インターン以下な立場に「トタ班」とやらはなってて、時間も無駄なら経験もまるで無駄なシステムになってて役に立たない。立ったところで個人サイトが画像をパクって掲載していたのが取り締まられたことのどこに問題が? ってところで思考が固まっているからどっちにしろ再びのCMがまるで評判を呼んでいないオシャレな経済紙にこれに関する記事が、載ることはなかったってことなんだけど。

 とは言えあれだ、メジャーな新聞は相手にされていろいろ情報の面でも便宜を図られているのに全面的なリニューアルにも関わらず前と体質的にも内容的にもまるで変化のなかったことがリニューアル1カ月でバレてしまった某スポーツだって経済すると口では言ってる総合経済紙だって、立場的には権利者からまるで相手にされていない個人サイトと同列で、だからこそこーゆー時に意見を開陳しては情報アクセスへの公平性をアピールすれば良いものを、プライドだけは高い偉い人たちは自分たちのやってることの悲惨さには目をつぶっても同列同格だと思いたがっているからそこで、わざわざ自分たちの格を下げるよーな主張はしないからやっぱり一緒か。ボーナス10数万円の格差を付けられ何が同格だってーの。責任者出てこい! あっ、責任者は責任とらずに金だけ掴んで逃げたっけ。

 ちょっと面白くなって来たかも「忘却の旋律」。目玉の描かれたダムのある村へと乗り込んだボッカ一行がそこで見たのは絵を描く青年とダムに片手を突っ込んだまま動かない美少年の鬼と村を支配して鼠のロボットを数えさせる美女と手に弓を持って村に帰ってきた美少女。不条理なシチュエーションに不思議なキャラクターたちと「忘却の旋律」が始まって以来変わらない状況にはあるけれど、流れる物語自体が割にストレートで不条理に見えるシチュエーションも不可解なキャラクターもそこに全てがつながっていて、不条理さ不可解さをこれまでのよーな思わせぶりなのに中身の見えないものと見て忌避したくなる気分が起こらなかった。手を突っ込んでいる鬼の少年だけがやっぱり不可解だけどこれもまあ、次くらいで正体も役割も明らかになるんだろー。

 ほぼ同じ歳だったはずの村を支配する美女と弓矢の美少女の今だと年齢に差が出ているよーに見えるのはモンスターのエージェントになったかならないかの違いって奴か。そんな美女がボッカを相手にくれてやろーとした金額が500万ドルだか520万ドルってドル表示なのはもしかしてモンスターってのはアメリカ人なのかそれとも世界がドル本位制に世界が変わってしまっているのか。思わせぶりなだけ、って可能性もあるからやっぱり最終的な判断はこのシリーズがひとつ完結してからにしよー。小夜子の腕の鎖が勝手に伸びて向かうべき道を指し示すのってやっぱりあれかな、「フリクリ」との世界的なつながりを示してくれちゃっているのかな、モンスターってのはメディカルメカニカのことなのかな、アトムスクが舞い降りハル子さんが降臨して「鳴り響けあたしのギブソン」とかやってくれないかな。絶対にその方が面白いのに。

 朝も早くから池袋の西武百貨店へと出向いてお中元のカタログを風呂敷に入れて手に持ち近隣の顧客を訪問する部隊が出陣する様を取材。風呂敷でカタログを包んでいったらどーして商売の原点に立ち返ってるのって疑問も浮かばないではないけれど、包み方の講習までして風呂敷の復権に取り組んでいる姿勢もちゃんと示しているから「真心を包んで送り届ける」ってゆーマインドがそこに込められているんだってことは確かって言えそー。受け取る側にそーした発想がわくかは別だけど。やっぱり高いか旨いか、なんだよーな、もらう側のとってお中元の善し悪しは。それにしても5月ですでにお中元のカタログ配りとは気も早そーだけど小田急百貨店に至っては今日からお中元の販売コーナーを店頭に付くって注文を取り始めているから上には上ってこと。でもってそんなお店に初日の朝1番でちゃんとお客さんが来ているから驚きで、あるいは早めで高めでもお中元を出したいくらいに景気も回復して来ているんだろーか、って思えて来る。当方にとってはまるで無縁なんだけど。景気自体が無縁だから仕方がないか。3倍書いて金額は10数万円安では景気も悪くなるってもんだ。責任者出て(以下略)。

 とっても面白いと思われ。桜坂洋さんの「よくわかる現代魔法」(集英社、638円)に続く第2巻「よくわかる現代魔法 ガーベージコレクター」(集英社スーパーダッシュ文庫、495円)はコンピューターを使ってプログラムを組んで魔法を走らせる術に優れた現代魔法使いの姉原美鎖が頼まれ仕事をしていた渋谷で別の魔法の思惑が動いて美鎖とそれから前巻で彼女の弟子になった森下こよみと他いろいろな人たちをピンチに陥れる。渋谷を巻き込んで事件を起こそうと企んでいるガーベージコレクターとは誰なのか。どーしてそんなことをしでかそうとしているのか。彼女に協力するホームレスの正体は。謎が明かとなりラストバトルが迫る中で美鎖の傍若無人に見えてあれでなかなか可愛いところも浮かんできてそれがクライマックスでの涙を誘いエンディングでの微笑みを招く。

 携帯電話の上に走らせるアプリがひとつの鍵ってところが現代らしくなるほどだから現代魔法ってことなんだけど、そーした設定の妙味に加えてあれやこれやと出てくるキャラクターたちがどこかしらで重なり合っていてそーした人生の重なり合いでもってひとつの物語を紡ぎだして見せる作者のお話作りの腕前に、テンポがところどころズレて掴み辛いところもあった第1巻からの大きくて激しい進歩を見る。コンピュータ好きで20年も前に流行ったアニメソングの歌い手を知ってて「状況は改善しないと思われ」とかゆー口調で喋る嘉穂ちゃんのキャラとか楽しいし、美鎖と古典魔法の使い手な一ノ瀬弓子クリスティーナとの決戦場面の見た目はソフトでもその実激しい「拳での語り合い」が行われている描写は圧巻で圧倒的。こんな場面をはじめ他にも魅力的なシーンを繰り出し奥深さのあるキャラクターを並べ1本の筋が通った話を2作目にして繰り出して来るとは。これで次を期待するなとゆー方が無理で作者の人にはそれほど待たせず是非に続きを素早く出して欲しいもの。お願いします。


【5月18日】 新聞ってのは”報道”って錦の御旗を割に前面にぶっ立てやすいメディアでこれがあれば権利のある画像をお貸し下げ願うことも割に容易だし、それを掲載する時に添える文言にネガティブなコメントの1つ2つを付けても権利を持っている所から、以降のお貸し下げが願えなくなるなんてことは滅多にないしあったらあったで「言論の自由に立ち向かうたぁええ度胸しとるのぉ」と陰に陽にプレッシャーもかけやすい。もちろんそーいった権力を傘に着たり着せられたりする関係ではなく、権利を持っている所も正当であろーとなかろーと批判されることを甘受し、対するに批判する側は側で腹に一物持つとか為にするよーなニュアンスを含むとかいったことを絶対にせず、正々堂々真正面から自由に批判する関係で対象とメディアがあるからこそ批判も受けてもらえる。まあ理想だが。

 ゲームサイトを運営していた個人が未発売のゲームソフトの画像を自分のページに掲載していて逮捕されたってニュースを聞いて、とりあえず浮かんだ未発売のゲームの画像を勤務を利用し手に入れてそれを自分のサイトに流用してアクセスを増やそーとしていたって構造で、だとしたら道徳にも反するしソフト会社の商売にも迷惑な話だから逮捕も仕方がないかもって思ったけれどそれとは別に、未発売とはいえすでに媒体なんかを通して画像が出ているゲームソフトの画像なんかがあった場合に、そーした画像を発信することはソフト会社の宣伝になりこそすれ情報が漏れて迷惑がかかるってことにはならなかったりする訳で、著作権をたてにとってまで差し止めて良いのかどーかが分からない。

 もちろん画像に著作権がない訳じゃないし掲載している側が著作権法に違反していない訳でもない。ないけれどもだからどれだけ迷惑なんだろー? って話。違法にコピーされたファイルが勝手に流通する。これはパッケージが売れなくなるから困るだろー。ファイルが流通することによって受けるプロモーション効果もあるだろーけれど、本当に買ってくれるかどーかが見えない状況で、無料にファイルが出回っても稼げるビジネスモデルになってない以上は差し止めたくなる気持ちは当然だ。けど画像が出回ることで受ける金銭的なダメージっで何? 絵を描いた人やキャラクターを作った”著作権者”にお金が入らなくなるでもないし、キャラクターが弄ばれてイメージを崩されるってことでも多分ない。

 情報戦略が阻害されて迷惑だ、ってゆーけどそれは売るためのマーケティング活動の一環であって、その戦略が崩されたところでいったいどれだけの影響があるのか判然としない。あったとしてもそれが正当な批判を伴うものだったとして、宣伝に影響があるからと差し止めて良いのかどーなのかが分からない。批判されることが分かっていて情報を出す必要なんてない、って権利者の気持ちは分かる。商売を上手く回したいなら当然の”マーケティング活動”だって言える。けど批判は許さない、ってスタンスだけでメディアを選別するのはどーなんだろー。選別してポジティブな情報ばかりを発信しても実物が出てそれが情報がもたらした期待感とは正反対で、ガッカリを引きおこしてそれが反発を招き禍根となって衰退へと繋がる可能性もない訳じゃない。だからこその公平性が権利者にも権利を受けて報じる側にも求められる、消費者のために。

 むしろ商売が絡まない分、趣味でやってる個人サイトの方が純粋にフラットに情報を発信して広く伝えられる可能性もある訳で、結果それが消費者に支持されて売り上げに影響を与える結果を招くかもしれない場合、そこへの提供を渋る理由がいったいどこにあるんだろー。誰も知らないメディアだから? 批判されるから? 旧来からあるメディアだからオッケーで、ネットみたいな技術がたらした可能性のある新しいメディアでも新しいが故に排除ってことならそーしたスタンスは、新しいメディアがますます増えてくるこの50年、100年の間にいつか破綻を来す。

 アニメ会社が個人サイトでも申請があれば画像の張り付けを認めるって言い始めたのはもう5年くらい前のことで、そーゆー”お貸し下げ”的な発想はやっぱり素直には喜べないけれど、でも著作権をただ囲い込むだけじゃなく、正当な理由があれば緩くして見せることが可能だって分からせてくれる、良い機会になった。けど他のエンターテインメントコンテンツの場合、宣伝側のプレッシャーにメディアが呑まれコントロール下に置かれているよーな雰囲気があってそれが、自在な個人メディアの勃興を認めない空気を呼んで結果、いきなりの逮捕だなんて至った可能性も考えられて悩ましい。

 メディアを通してオープンになったものならそれは、同じメディアの範囲でなら使われて当然、ってことにどーしてならないんだろー。旧来からあるメディアですら”宣伝媒体”と思い込んでいる権利者が”宣伝媒体”として役割を果たさない可能性のあるメディアをそのまま認めるはずもなく、コントロールにおけないものとして著作権を強固に主張して排除に動いて回るのも流れとしては当然、ってことになるんだろーか。

 重ねて言うけど明らかに犯罪性を帯びた手段でイケナイ画像を手に入れ流し金を稼ぐ行為が目に余ったってことなのかもしれないから事件についての善悪判断は留保。ただ少なくとも著作権がすべてをコントロール可能な絶対の剣ではなく、ある程度まで権利者を保護しつつもそれを越える部分も認められるニュアンスにならないと、権利者もメディアもともに行き詰まりからタコツボへと向かってしまうんで要注意。お墨付きを与えてメディアに掲載させたCG画像に写ってる、家具でも建物でも腕時計でも銃器でもいーけどそれらをデザインしたデザイナーが著作権の侵害だって、別の方向から訴えて来るかもしれないぞ。


【5月17日】 ダービッツにパウレタとレプリカを持ってる選手がどちらも入ってない「サッカーダイジェスト」別冊の「2003−2004シーズン ヨーロッパ・サッカーのベストプレーヤー100人」の価値について考える今日この頃。片やバルセロナを再生させてリーガ・エスパニョーラの上位へと押し上げチャンピオンズリーグ出場を予選抜きで狙える位置まで持っていった立て役者、こなたフランスリーグの得点王でこそないものの上位に位置するプレーヤーで低迷していたパリ・サンジェルマンをこれも上位に押し上げた立て役者、なのに入っていないのはちょっと解せない。

 まあダービッツは前半がユヴェントスで不遇をかこっていた関係で点がなく、パウレタはただでさえマイナーなフランスリーグに所属ってことで選から漏れたってことで、降格の危機にあったボローニャを立て直して残留させた中田英寿選手との価値比べでは2人とも上に来そーな気がするけれど、ここで日本人が1人も入らないと商品としてマズいって意識が働いた可能性なんかは想像しても良いのかな、それはないとしたらやっぱりそれだけ「セリエA」は過酷なリーグってことなんだろー。

 日本人だとほかに中村俊輔選手を持っているけど入っていなくて当然か。ってか代表ユニフォームの背番号10をインド戦で着ていられるのかどーなのか。小野伸二選手のも2002年のフェイエノールトのを持っているけど怪我で出ていない時期が多かったから入っていなくて当然か。レプリカを持ってて入っている唯一の選手はバレンシアのバラハでこれは36位と割に上位にランクイン。バレンシアはアイマールにミスタにビセンテにカニサレスも入ってリーグ1位の実力をここでも発揮。その強さをそのまま持って来てくれると信じたい夏のプレシーズンマッチを是非にも見たいところだけど、アイマールがいるからチケットゲットは無理かなあ、ロナウジーニョのバルセロナですら即完売だったからなあ(顔じゃないって)。

 剛剣を手に戦国の世を修羅として生きる青年を描く「非の王シリーズ」(中央公論新社)とは別に、柳蒼二郎が立ち上げた「元禄魔伝 八咫鴉」(徳間ノベルズ/819円)は、半陰陽に生まれ狗神と合体し、徳川家に入り込んで江戸を魔の巣窟に代えようと企む美貌の妖僧に、水戸光圀の依頼を受けた熊野の修験者とその娘たち、さらに存在を消され熊野に放逐された皇子が挑むストーリー。ってゆーとなんだか萩原真さんの漫画「夜叉鴉」を思い出すけどあっちが現代が舞台ならこっちは江戸時代が舞台で仮面に甲冑の鴉も出来ないから同じモチーフを持った違う作品ってことになるんだろー。けど那智って皇子が出てくるから案外に裏で繋がっていたりするのかも(繋がってません)。

 両性具有の僧・隆光が絶望的な状況から狗神と合体して逆襲するまでは描かれているけれど、そこからぐっと飛んでいきなり将軍家の大奥に入り込んでしまっているのが謎とゆーかはしょり過ぎとゆーか。メインの物語をそんな希代の怪人と、熊野から現れ江戸へと乗り込む皇子とそれに付き従う鴉たちとの激しくも凄まじいバトルにしたかったんだろーけれど、隆光が最近のノベルズの中でも突き抜けて魅力的な怪物なだけに彼(彼女?)がどーやって成り上がっていったのか、その家庭でどれだけの悪辣で淫靡なことをしでかして来たのか知りたいところで、本編とは別に番外編とかあったら是非に読んでみたいもの。ともあれ超常的な能力者たちのバトルに濃厚な性愛描写で読ませる伝奇ノベルの逸品がここに開幕。次巻でいよいよ苛烈な戦いへと身を投じる八咫鴉にその可憐な娘たちの運命や如何に?

 「ナデシコ11」だの「女子十一蹴房」だのといった名前が続々応募されて来るだろーと容易に予想できてしまうサッカー日本女子代表チーム「愛称」募集に参戦してにわか女子サッカーファンとしてお祭り気分を味わっても悪くはないとは思ったものの商品がアテネ五輪へのご招待とあってこれは真剣真面目に取り組まなければと気持ちを転換。とは言うもののそこでグッドなネーミングが浮かぶほど”つんく”しておらずやっぱり「青11」だの「霞ヶ丘娘。」だのといった益体もない名前しか出てこずいっそ取材先の広告代理店あたりに頼んで1つ2つ適当なネーミングを考えておらって後で御礼は記事一本とか、そんな卑怯なことをしでかしたくなる今日この頃。何か言い名前はないものか。

 乗り込む先がギリシャ神話の戦いの女神「アテナ」の都ってことでそれに負けないだけのオーラを持った名前として例えば「アマテラス」って付けてこっちは太陽神だぞ偉いんだぞと威張って蹴散らすのもひとつの手だろーけれど、それだと腰に付けた八咫鴉が恐れ多いと萎縮して威力を発揮できなくなってしまうんであんまり偉すぎるのは止めた方が良さそー。あるいは「ヒミコーズ」とかってやれば呪術をよくして敵を屠って行けそーだけど名前負けして体力とか、消耗しそーな感じもあるんでこれもやっぱり却下かも。

 軍神アテナが相手なら日本史上でも豪傑との誉れ高い女性、巴御前の名を戴いて「巴ちゃんズ」ってやれば可愛くってその実パワフルで一石二鳥な気もするけれど問題は五輪代表に入るだろー選手に「ともえちゃん」がいることで、全員が「ともえちゃん」と呼ばれた時に混乱を来さないかを心配して却下されそーな予感もしないでもない。とは言え個人的にはその酒井與恵(さかいともえ)選手こそが代表チームの中心だと思っているから「巴ちゃんズ」で何ら問題はないしむしろドンピシャだと思ってるんだけどどーなんだろー。いっちょ応募してみるか。


【5月16日】 そうそうバンダイの新本社は4基あるエレベーターのそれぞれにキャラクターの声が仕込まれてあって有名なのでは「機動戦士ガンダム」のアムロ・レイが「いきまーす」と案内してくれて、ホワイトベースからカタパルトで射出される気分を味わえる、程ではないけどまあバンダイらしさは楽しめる。隣りはシャア・アズナブルで入ると中は真っ赤で速度はアムロの3倍、だったら面白いけどそれだと安全基準に引っかかるのか「ガンダム」で被るのを避けたのか、藤岡弘さんによるアナウンスになっている。もちろん役所は「せがた三四郎」……ではありません、セガバンダイじゃあるまいし。もちろん初代「仮面ライダー」です。各階についてドアが開くたびに「何だあれは!」と叫んで……くれません、探検体調じゃあるまいし。

 社員とその家族を招いた15日のファミリーイベントで乗った人の感想。社員のお姉さんとゆー人が乗って流れるアムロの声にただひたすら「すっげーすっげーすっげーすっげー」と感嘆。声が流れるところを手持ちのビデオカメラで抑えていたりとなかなかのコレクターぶりで、その喜び方とそれから見た目の雰囲気にあるいは夏と冬の東京ビッグサイトを聖地とする種類の人なのかもと類推する。もしかしたらバンダイに入りたかったのは妹さんの方ではなくってこのお姉さんの方だったかも。でもそれだと出迎えてくれる「プリモプエル」から毎朝のエレベーターのアムロの声から社内のあちらこちらに転がる玩具から、仕事が手に付かなくなる可能性もあるからやっぱりダメかも。僕もダメってことだな。

 家に居ても寝てしまうんで文庫本を持って外へ。富士見ミステリー文庫から新装後に読んで心に引っかかった2つのシリーズの続刊がそれぞれ出ていてそのうちの桜庭一樹さん「Gosick2 その罪は名もなき」(富士見書房、660円)は前巻「Gosick」(富士見書房、600円)から続いて良い所のお嬢様ながらも出自にいろいろあって学校の高い建物の上に半ば軟禁される形で暮らしながらも持って生まれた明晰な頭脳でもって新聞雑誌に口伝から起こる不思議な事件を解決してしまうヴィクトリカと、日本から留学している九城一弥のペアがまたしても不思議な事件に挑む。

 何しろ今回はヴィクトリカ自身の過去にも関わる問題で、ヴィクトリカに深く関わる人物が20年もの昔に犯したといわれる殺人事件の真相を、娘が20年の時を経て解決してみせるとゆーものでその過程で長く世俗から隔絶して暮らしてきた人々と、現代(といっても舞台は第一次世界大戦後の欧州だけど)に暮らす人々とのギャップとかが描かれる。分からないのはネタふりにされた灰色狼伝説と隔絶された村に暮らす人たちとの関係で、これが伝奇だと灰色狼の血が流れた村人たちが月夜の晩に変身しては美味しい料理を、じゃないそれだと「怪物くん」だ、いや変身はしなくても混じった怪物の血が事件と関わり当時の欧州を席巻しつつあった神秘主義的なものへの傾注と重なって、村人たちとそれからヴィクトリカの運命をも巻き込んで転がる大がかりな物語へと進んで行っても不思議はない。

 けど「Gosick2」はレーベルがミステリー文庫ってこともあってそーした猟奇の世界へとは流れず灰色狼も単に人種の違いを一般人が感じて覚えた感覚って所に収斂されてしまう。まあ伝奇に猟奇な話はほかにごまんとあるんでこーして、ごくごく一般通念の及ぶ範囲でもってすべてが解決される物語があって構わないしむしろかえって新鮮に面白かったりするのかも。とはいえ猟奇には走らなくてもなかなかに大きな設定が裏に控えていそーで、ヴィクトリカの母親とゆー人の謎めいた存在っぷりがヴィクトリカのこれからの人生にどんな影響を与え彼女をどこへと導いていくのか、でもって山奥の村でなかなかに辛い未来を予言された一弥との関係がどーなっていくのかが楽しめそー。後書きのザ・ゴールデンブラジャーな人の話ともども続刊を待とう。しかしどんなブラジャーなんだ。

 さらに上田志岐さん「イレギュラーズ・パラダイス」(富士見書房、560円)の続刊「イレギュラーズ・パラダイス2 青い王女のエスケープホリデー」(富士見書房)はまあ「ローマの休日」話で正真正銘に絶対的に良い所の出のお嬢様がその身分を黙って指名手配犯ながらも何故か図書館の館長に収まっていた男に付いていっては図書館で働きそこに収められている「DDD」とゆー世界を滅ぼす力を持った絵本を読むことを希望する。そんな少女を捜してお着きの人々が大騒ぎする一方で前巻で「DDD」を奪って世界を滅ぼそうとした少年が現れロクデナシな館長と彼を補佐するマガイモノ、と呼ばれる一種の精霊の少女とそして転がり込んだお嬢様の一行を襲いその街をかつて襲った悲劇の再現を目論む。

 お嬢様が探していたかつて自分を助けてくれた少年が実は、って展開とかそんなお嬢様が実はとてつもなくとてつもない身分の人だってことがバレてたって展開とかも含めてありがちといえば言えるストーリーだけど、それらを見せていく段取りの良さがあってついつい先へ先へとページをめくらされストーリーに浸らせられる。ロクデナシ館長にさらに謎が増え、世界を滅ぼしたい少年が連れて歩いているおとぼけ美少女レティの正体やら過去にもいろいろありそーなことが浮かび上がってますます深まる先への興味、の前に1000人を獲得しないと図書館が潰されてしまうってゆー基本設定もこれありで、これが超能力バトルのエスカレートへと発展しがちな物語を現実へと引き下ろしてくれる。このバランスがどこまで巧くとれるかでシリーズがシビアな内容をはらみながらも飄々とした展開を持った良品として完結できるかにかかって来そー。一転して超シビアにするのも手だからその辺りでどっちを行くかは作者の筆力にかけよー。

 日本ではまるで知られていないスポーツが世界にはたくさんあるのです、たぶん。ってことを知られて毎週楽しみにしている「ワールドトランススポーツ」で「ボックスラクロス」が大特集。フィールドでプレーするホッケーを室内の氷上で楽しめるよーにしたアイスホッケーのよーにフィールドでプレーするラクロスをアイスホッケーのコートでプレーするよーにしたもので、アイスホッケーの本場カナダでホッケーがオフとなる期間にプレーされて大人気になっているらしー。

 コートには6人づつが立って防具とヘルメットを付けて手にあの網のついたクロスを持ってボールを受け渡ししたり持って走りながら相手ゴールに叩き込むんだけどフィールドラクロスと違って攻める時間がバスケットボールのよーに制限されてて素早いターンオーバー合戦の中に迫力のプレーを楽しめる。手にクロスを持って走る姿がひょこひょことしてアイスホッケーほどのスピード感が出ていないのが微妙だけど狭いだけあってぶつかり合う迫力はなかなかで、現場で見れば結構楽しめそー。日本でもプレーされているのかな。大会とかあったら見に行きたいな。ちなみに男子のスポーツらしーんでふりひらなスカート姿の女子に関心系のラクロスファンの興味はあんまり引かなさそー。女子のラクロスもあれで現場で見れば相当な迫力なんだけど。


【5月15日】 当たっちまったよインド戦。インド代表のユニフォームってどっかに売ってたっけ。それはそれとして浅草へと出向く用事があってその前に、上野へと出て「東京都美術館」で「栄光のオランダ・フランドル絵画展」を見物。電車の中吊りなんかで滅多にその作品にお目にかかれないフェルメールの絵が見られるってあって、これはどんな絵でも1度は見ておかなくっちゃと思って覗いたんだけどちょーど銀座でフェルメールをモデルにした「真珠の耳飾りの少女」が大ヒット中ってこともあって、絵は違うけどフェルメールを見ておこーってゆー女性もわんさと詰めかけていて印象派でもピカソでもない地味なオランダ絵画なのに結構な賑わいに、メディアって奴の情報を伝播させる力の強さを改めて思い知る。

 そーいえば昨日のイベントで今敏さんが、OVAをやらない理由として、アニメとしてTVで放映もされず映画として公開もされなかった作品がレンタルビデオ店に買ってもらいやって来た人に借りてもらえるには相当な宣伝が必要になるから畢竟、少ない宣伝費でも知ってもらえ見てもらえるよー情報や内容に貪欲なコア層に向けて中身も含めて作らなくっちゃならず、自分には難しいって言っていたっけ。今敏さんが”萌え”に燃えてOVAを作ったら、いったいどんな感じに捻りの籠もった”萌え”が見られるのかってのにも興味があるけど、そーゆーのは得意な人が山ほどいるから今さんには今さんの道をひたすらに求めていって欲しいもの。次回作がやっぱり気になるなあ。

 さて「オランダ・フランドル絵画展」。入り口でもらった一覧によるとフェルメールは1点しか出てい泣くって世界でも30点しかなくファン・メーヘレンの贋作を含めたってそんな数にはならないから、1点だって見られるのはやっぱり相当な幸運って言えるんだろー。まあ世界でも名うての鑑定家たちが騙されたんだからメーヘレンの贋作だって見てそれをフェルメールだって思えば良いんだろーけれど。フェルメール以外だと有名どころではパトラッシェが見て涙を流した(違うネロの方だ)ルーベンスとか肖像画で知られるファン・ダイクくらいであとはファン・アフォントとかファン・チュルデンとかダーフィット・テニールスとかヤン・ファン・ダーレンとかディルク・ファン・デーレンとかいったサッカーのオランダ代表みたいな名前の画家ばかり。中にファン・デル・サールとかファン・ニステルローイとかファン・デル・メイデって名前が入ってたって気が付かないかもしれない。ファン・ニステルローイが絵を描けるかは知らないけど。巧かったりして。

 地階でルーベンスの大きな絵を見て前で犬のぬいぐるみを抱えて「もう眠くなったよ」とフランダース犬ごっこをしよーとしたけど警備員が怖かったんで諦め1階でダイクとか見て2階の奥でよーやくやっとフェルメール。静謐な部屋に射す光で照らされた人物を描くフェルメールお得意の作風で、陰影をさばきながら空間や人物に立体感存在感を与える腕前に感銘を覚える。モデルの女性もそれを描く画家の肖像も生き生きとして300年以上も昔に生きた人間たちの生態に時間を超えて思いを馳せる。彼女はどんな生き方をしたんだろー、どんな息づかいをしていたんだろーと絵の前であれこれ思いが浮かぶ。絵ってのはだから素晴らしい。この後2人はどんなことをしたのかな。そんな妄想は浮かべなくって良いですって。

 出て上野公園をぶらぶら。指圧学校の生徒さんだかが青空の下で横に並んで来園した人たちに指圧を施す光景のお茶目っぷりに浮かぶ笑み。長閑だねえ。そのまま山を下りて地下鉄で田原町から浅草浅草寺へと回って「三社祭」がたけなわな様を遠目から眺めてそれからバンダイで開かれた新しい本社の披露をかねた社員向けイベントを見物。1階から「アムロ」に「仮面ライダー」に「プリモプエル」にあと「アンパンマン」らしー声の出るエレベーターのどれかに乗って上へ下へと回ってバンダイの製品で遊ぶ家族を見たり、お父さんが働くオフィスへとやって来ては玩具が山と詰まれた机を見て、きっとパパは会社に遊びに行っているんだ仕事だなんて嘘なんだ遅くなるのは遊びが楽しいからなんだズルいんだって心に刻みつけた子供の姿を見物する。家族サービスが家族ホーカイを招かなきゃ良いけど。

 社長室で次々にあがる「りんぎしょ」にハンコを押す社長の人に大盤振る舞いを見物し、そこから見下ろせる隅田川や浅草寺の光景にバンダイの社長か社長室に飾ってるダルマになりたいと心にちょっとだけ思ったりしてから再びバンダイ製品を遊べる部屋へと行って現れた「デカレンジャー」やら「プリキュア」の活躍を見てヒーローにヒロインがやってきてくれる会社ってところはやっぱり遊ぶ所なんだ、僕も私も会社に行きたいと子供が思い込んで月曜日から大変になるそれぞれの家庭の様に思いを馳せつつ帰宅、する前にバンダイ本社そばにあるコンビニエンスストアの店頭に並べられているガシャポンで、実写版セーラームーンのガシャポンを回してとりあえず5つをコンプリートする。

 それぞれの女優さんたちの姿を顔から手足からリアルに再現してあってその造型の細かさはなるほどガシャポン譲りに凄いけど、あまりに凄すぎて膝の出っ張りから腿の裏にみなぎる筋肉から細かく再現してあって、ちょっぴり太目でO脚っぽいセーラームーンの今時な女の子体型っぷりには心誘われる。。出来について言うなら生身の放つ可愛さがフィギュアになることによって減殺されて人間の生々しさばかりた強調されて、それがセーラームーンのセーラー服を基調にしながらもふりふりひらひらとしたデコレーションが付いているデザインの衣装を重なって、歌舞伎町とか吉原とか、女子大小路とか錦三丁目とか金津園とかいった地名に働く女性たちの無理を重ねてもマニアの要望に応えたいと頑張った果てに現れた姿を思い起こさせます。何のこっちゃ。いやなかなかの逸品です。実写系フィギュアのマニアは即ゲットだ。もー売っているのかな。


【5月14日】 あからさまな水着よりもチラリと見える白に胸躍らせられる類の人間なんで先週の、屋上から落下する少女のひるがえるスカートの奥にのぞいたシーンとかに強く惹き付けられて今週は、それ以上のシーンが期待できると思っていたのに、水着はあってもそーしたシーンは数少ないどころかまるでなく、がっくりと肩を落として迎えた朝の目覚め。そんな「爆裂天使」は学園に潜入したヒロインたちの前に、当初は繰り広げられたマリみて的世界が途中で一変、得体の知れない化け物が現れ暴れ回っては最後に、悲惨な正体を見せる展開の唐突さに首を捻り、あの化け物はいったい何なんだって疑問にとらわれたけれどこれって、続く話の中で解決されていくんだろーか。入院していた少女の所にやっぱり得体の知れないおっさんが駆けていったよーに見えたし、全体を覆う設定へと発展していく可能性なんかを想像してしまう。まあその辺りはあんまり期待はしないで(外れると衝撃も膨らむし)目先は4人組少女舞台の暴れっぷりとその際の衣装のいろいろっぷりに注目して眺めていこー。この作品、こーゆー見方で良いんだろーか?

 これがサービス精神って奴なのか。米大リーグのオールスターに日本のコンビニエンスストアから投票できるよーになって4年目。今日が今年の投票のスタートってことで「am/pm」が一番町にあるコンビニで千葉ロッテマリーンズのボビー・バレンタイン監督に来てもらって第一号投票をしてもらうってことで午前8時なんて早朝に一番町へとかけつけて、コンビニに入ってバレンタイン監督が到着するのを待つこと30分。最初は知人を伴い入ってきては店内で買い物をしてそれから投票を行うって聞いていて、折角のコンビニなんだから身の回りのものでも買うのかな、なんて思っていたら途中で友人ではなく来日したばかりのメアリー夫人を同伴して買い物するってことに変更。それもまあアメリカ人だしユニットで動く西洋人だからと微笑ましく捉えて到着を待つ。

 「入ります」ってアナウンスともに近づいてきたバレンタイン監督に向けてカメラを構え、アメリカ人らしくジーンズかチノにボタンダウンシャツにジャケットのラフな格好か、監督らしくスーツでキメて来るかと思い込んでいたらどちらも大はずれ。ピンストライプのマリーンズのユニフォームに身を固め、帽子も被った監督としての”正装”でとっても絵になりやすい姿で、なるほどこれがサービス精神って奴なのかと感心する。おまけにバレンタイン監督、「am/pm」が新しく発売したチルド弁当(冷凍じゃない冷蔵の弁当をこれまで「am/pm」は出していなかった)の「とれたて膳」を手に取ってカメラにかざし、菓子売り場へと行ってロッテの「トッポ」を何箱も手に取りガムも見て、それから「am/pm」が導入している「Edyカード」で買い物をするフルコースでそのいちいちが字になりやすい。

 宣伝めくことは確かだけど、この人ならやっても不思議はないし嫌味にもならないってイメージを、自分自身でしっかりを分かっているところにサービススピリッツが尊ばれるな国のサービススピリッツが不可欠なプロスポーツの世界で実績を残してきた人ならではの、身についた立ち居振る舞いの安定感を覚える。同じことをやって様になる日本人の監督って誰がいるだろー。去年だったら星野仙一さんがやって似合いそーだったけど岡田監督堀内監督がやっても今いちピンと来ない、からなー。

 同じ外国人監督なら、日本ハムファイターズならヒルマン監督がやってくれそーかな。でもヒルマン監督ってどんな顔をしているのか知らないんで、バレンタイン監督のよーにやって似合うかどーか不明。代わりに見た目ナンバーワンの新庄選手がいるけど”コンビニ”で”ユニフォーム姿”で”チルド弁当”を買う新庄選手の姿、とてつもなく想像できません。セルフイメージを喧伝するのは得意でも、それはあくまで自分自身を訴えるだけのもの、だから。バレンタイン監督の場合は、ロッテとスポンサーと大リーグとそして何より千葉ロッテマリーンズを、自分を通して知ってもらおうって意欲が溢れてるから素晴らしい。それが転じて自分たちの仕事がしやすい環境を作っていくところをちゃんと認識しているんだろ。サービスの価値を血肉にしている様がそこにある。あとはチームが勝てば、だけどこればっかりは……。アジアの大砲よ今何処?

 作ったセルフイメージも歯車が狂うと自分自身を追い込んでいくもの、らしーと夜に「ロフトプラスワン」で行われた今敏監督のテレビシリーズ「妄想代理人」のほぼ完成記念イベントに招かれていた平沢進さんの話を聞いて実感。実を言うと斎藤環さんを司会に今敏監督が来てあとはアニメーションのスタッフが作画話に演出話に美術話で花を咲かせる「アニメスタイル」的なイベントかと思ったらこれが大間違い。アニメ系のイベントにあるよーな独特の香りや雰囲気がなくってギッシリはギッシリでも小ぎれいな女性がいっぱいで、これは何事かとよーやく見つけた席に腰を落として向かいに発見した小川びぃさんに聞いたら音楽を担当した平沢進さんも登壇するんだそーでなるほど、それなら熱烈と言われる平沢ファンがやって場内を埋め尽くしているんだと理解する。見目麗しい斎藤環さんのファンもいたのかもしれない。今さんのファンとなると判別不能。男性は今さんファンだったのかな。

 さてイベントはまず今さんが登壇して斎藤さんと歓談。4日前だかに最終話をすべて上げたにも関わらずすでに前日に次の作品の脚本合わせに行くとゆー仕事数珠繋ぎぷりで、不景気だ何だと言われるご時世でもこれだけ仕事が引きも切らないところに劇場3作と話題のTVシリーズで見せた実力への評価を見る。最後にチラリと明かしたところでは次の仕事は劇場版でそれも原作があるものだそーで、漫画が原作じゃないってところに一体何なんだって興味がわき起こる。綿矢りささんのストーカー物(違う)の芥川賞受賞作「蹴りたい背中」だったらきっと凄いものに仕上がりそーな気がするけれど、まあ絶対に違うだろー。いったいいつ頃見られるんだろー。仕事の早い今さんだから来年には見られるのかな。期待大。

 そして平沢さん登場。前にインタビューした時と代わらず細身で物静かな雰囲気で、最初の一言までちょっと間があったけど喋り始めたらこれが意外にいろいろと、面白いことを言ってくれてその中でセルフイメージを突き詰めすぎたあげくにドツボへとはまっていった話も語られる。つまりはデビューした辺りから真面目な人って印象を作り、ファンからステージでのMCに異論があるからいついつどこそこの公民館まで来いと言われてそれを放っておかずにちゃんと答えて出かける真面目さをキャラにしていった結果、にっちもさっちもいかなくなって困ったことがあったとか。最近ではそーゆーイメージを切り替えることに成功したよーで、去年に見たライブでは孤高な求道者って感じでステージと客席との間の距離感を持たせてベタベタにしゃせず、一方でインタラクティブライブって手法で一体感を醸し出している。苦労を重ねて人は成長するってことで。

 クリエーターの2人が揃ったところで斎藤さんがナイスな質問。昨今の音楽ソフト映像ソフトを取り巻く状況で最もホットな違法コピーの問題についてどう感じるかを斎藤さんがまずは平沢さんに尋ねて答えて平沢さん、より大勢の人に届くことがミュージシャンの願いであってそれがどういう形であっても嬉しいし、何よりコピーの問題は今に突然はじまったことではなく昔からずっとあったことで、それが今になって急に問題にされることの裏側に一体何があるのかと疑問を投げかけている。

 コピーが簡単になったとか音質が劣化しなくなったとなネットで大量にばらまけるよーになったとかいった違いはなるほどあるけれど、だからといってミュージシャンがコピーを今になって否定するのはヘンだってことなのか。あるいは昔と比べて巨大な産業と化した音楽業界に生きるミュージシャン以外の人たちを含めたところでコピーによる収益源がフトコロを痛めるって影響が出て来たことが問題なのか。詳しく聞いてみたいところ。そんな音楽業界に早々に見切りを付けてメジャーを辞めて自分でレーベルを立ち上げて、やりたい音楽をやりたいよーに作ってはCDんしたりライブをやったりネットでも配信して来た平沢さんには、音楽業界がこーなってしまうことへの先見の明、状況を見抜き対処する洞察力と行動力があったってことになるんだろー。

 今さんの方はツールを作って捕まるんならバットを作った奴がバットでの殺人が起こった時に捕まるのか、米国で銃による殺人が大量に発生しているのに銃器が合法となっているのはどーなんだ、といった部分で開発者の逮捕への違和感を表明、しつつ少年バットがキーワードになってる「妄想代理人」も絡めるこれがサービス精神って奴か。いやそれはそれとしてクリエーターとして大勢の人に見られる機会が増えることは嬉しいことで、コピーして見た人がそこにいてそれで1枚の収益がなくなったとしてもその人から伝え聞いた人が見て買う可能性もあるんじゃないかと指摘。コピーとかを完全に出来ないよーにして間口を狭めてしまうことによって得られる自分へのリターンと、間口をひろげて得られるリターンとを比べた時に狭めて増えるとは思えずむしろ広げて評判を呼んだ方、話題になった方がより大きな結果を長期的には得られるんじゃないかってことを言っていた。

 ただ微妙なのは「欲しいと思ったものは買ってきた」ってゆー僕たちも今さんも同様の感性が、果たして次の世代にもちゃんと受け継がれているのかってことでいくら評判になろーとも、そこで”買わずに済ます”感性が幅を利かせて蔓延ってしまった時に起こるギャップがとても気になる。高いから買わないと言うけどだったら安くなれば買ってくれるのか、買いやすければ本当に買うのかといったところに答えを今のところ見い出せない。良い音楽だったら買ってくれる? 買ってくれる音楽を作れば良い? それが成り立てば素晴らしいけれど、モラルの底が抜けた世界でそーしたスピリッツが成り立ってくれるかってゆーと正直先が見えない。

 本も同様で図書館は昔は本を買って読む人たちを育てる場としてそれなりに機能していたのが、今は借りて済ます人たちばかりを呼び集めるだけになっていて、それは図書館の責任に限らず読み手の意識に送り手の意識なんかも重なった複合的な要因が絡んでいるから難しい。図書館は有料にしますとか、漫画喫茶は禁止にしますとかやって、だから皆さん本屋で新刊を買いましょうってことを言い出しても、それで本を買って読む人が急激に増えるのかが分からない。”買わずに済ます””買うぐらいなら手を出さない”とゆー感性のどこまで浸透しているのかをちょっと調べてみたいところ。買わずにいられないヤングアダルトのレーベルがあったり、漫画の単行本があったり携帯電話でのコミュニケーションがあったりする状況を咀嚼した先に、コンテンツビジネスとやらのこれからのあり方が見えて来るのかどーか。それが分かれば一儲けできるんだがなー。出来ないから今のこの寂しい暮らしがあるんだよなー。


【5月13日】 いったい誰が見てるんだってな時間帯に放映されてた「ジオブリーダーズ」も4回目が晴れて放映されてまずは一段落。3話分のOVAを4回に分ける大胆極まりない編集が施されていたけどCMの前後でエピソードを重ねたり冒頭に前回のおさらいを入れたりして巧くつながるよーになっててその辺り、プロのお仕事ぶりを見た感じ。驚いたのはすでにDVDが発売されてる「FILE−X」すなわちテレビで放映された作品が7月に再発されるってことでつまりは既に「FILE−X」ってのは絶版になっていたのかと驚いたけれど、もし今回出るのが前のと内容なり、ジャケットなりに違いがあったんだとしたらやっぱり買ってしまいそー。TV編集版とか入っていたら面白いんだけど。妙に格好良い「サムライ・チャンプルー」のテレビCMもついでに。

 ってか誰も見ていない時間帯に放映されている、ファンでなければまず見ない「ジオブリーダーズ」の前後にCMを入れていったい誰に売りたいんだろー某32ページまるごと総合経済紙。漫画のファンでも相当にスレててアニメのファンでも相当にユガんでいる可能性の多い「ジオブリーダーズ」を見る層ってのは考えれば考えるほど経済とか、ビジネスとかとは無縁のアウトローか企業社会に乗れない一匹狼で、新聞まで買って世の中の経済とか金融とかを勉強しよーなんてとてもじゃないけど思えない。そんな層に向けて打ったCMだってやっぱりタダじゃない訳で、放送局にとられ間に立った代理店にしっかり抜かれてもうけさせてやってる訳で、無駄も甚だしいこーした支出が一体どーゆー了解のもとに行われいるのかを、責任者の人に問いつめたい気にかられている。

 もしかして指定された回数だけ放映されれば時間帯は一切問わないだなんて契約になっていたりするのかな。そんな契約がまかり通っているとは思えないけど、誰がどんな記事を喜んで読んでいるのかを調べよーとはせず、もちろんどんな記事が読まれるのかも一切気にせず、偉い人が偉い人なりの思い込みと思い入れでニュースとかジャンルとかをセレクトして作り上げている新聞だから、どの時間帯に放映されているかなんて関係ないのかも。あるいは本当に「ジオブリーダーズ」の視聴者に某32ページ総合経済紙が読まれるなんて考えているのかな。僕に「ジオブリーダーズ」のファンが欲しがるニュースを山と書いて載せろって暗にプレッシャーをかけて来ているのかな。だったらそーゆーポジションに持って行けってんだ。書いてやるよ「モーゼルミリタリーの経済学」でも「ネットワーク社会の化け猫活用法」でも何でも。

 もう間抜けとしか言い様のない「吉野屋牛丼復活販売大騒動」。たかだか3000杯を今日から始まった「2004フードサービスショー」の中で特設ブースを作って売るってだけの話題を朝から何十人ものマスコミが取り囲んではニュースにし、記事にして放映したり掲載している状況を見るにつけ、日本って国の平和さとそんな国で蠢くメディアのお気楽ぶりに暗澹となる。いやそーいった話題を追うのは別に構わないし、僕だってそんな何十人の1人としてカウンターにくらいついて写真を撮ったり、整理券をもらいに来た1番乗りの青年の話を聞いて間抜けなショーの盛り上げに一役買っていた訳だけど、現象としての面白さとは別にここに潜んでいるいろいろな問題についてはあれこれ考えていて、一過性の話題で終わらせたくない気持ちだけは持っている。気持ちだけだけど(意味無いじゃん)。

 それは日本と米国で違う検査の基準を消費者の求める形に合わせるべき、ってな吉野屋の人の訴える政治的な問題とはちょっとズレてて、BSEの発生とゆーリスクを以前に実感していてなおまるでリスクヘッジをせずに米国産にこだわり続けた挙げ句、消費者が求める牛丼を出せなくなってしまった吉野屋のリスクマネジメントが結果として出来ていなかった経営が、果たして評価され得るものなのか、って部分でこれが自動車メーカーで部品が調達できなくなって車を生産できなくなったら、購買担当者の首は飛び経営者だってただじゃーすまず世間の目だって同情よりも批判めいたものになるだろー。客も離れるってもんだ。にも関わらず100%を米国依存にした挙げ句に100%の輸入がストップして消費者に牛丼を届けられなくなってなお、経営者として踏みとどまっていて果たして世間で評価されるのかそれとも責任問題になるのか、ちょっと振り返って考えてみたい所。やっぱり早期の再開を予感していたのかなあ。

 不思議なのは内心はともかく表向きには”脱牛丼依存体質”を掲げて新しいメニューの開発と提供を始めている吉野屋が、その中心に据えたい「豚丼」を「2004フードサービスショー」ではそれほど積極的にはアピールしていないってことで、真ん中のブースで牛丼を振る舞っては未納がバレた中田宏・横浜市長に食べてもらっていたけれど、隅の方に作られた豚丼の販売ブースの方はとりたててアピールすることもなく、中田市長に立ち寄ってもらうこともしないでほったらかしで、数百人が行列を作って整理券の配布を待つ牛丼ブースとは対称的に昼頃までですら数十人しか客が来ない寂しさ。豚丼が牛丼の代わりになり得ないことを自分たちのブース展開にイベント展開によって自ら証明してしまった訳で、こーゆースタンスがやっぱり”脱牛丼”への本気度に違和感を覚えさせる。松屋が豪州産でも構わず「牛めし」の復活を目論む中で国には方針への異議をとなえつつも牛丼を売るためのなりふり構わない努力を、もーちょっと見せてくれないと話題作りの巧さで受けてもいずれ見る目に冷えたものが加わって来るぞ。


【5月12日】 なんだやっぱり「ゲーム&ウォッチ」のダブル液晶版じゃんと、写真だけ見て思った「ニンテンドー・ディーエス」だけと形はたとえ上下に2つの液晶パネルがついてはいても、そこで走るソフトは針金細工のよーな人間が担架を持って右往左往するよーなものじゃなくって3Dで描かれたマリオのよーな「ニンテンドー64」の上で動いてたって不思議のないキャラクターたち。でもってパネルは手で触れて操作できるよーになっているとかで、それを使っていったいどんな遊び方が出来るのか、ってかどんな遊びがそこから生まれて来るのかなんて、いろんなことを考えてしまったけどでもそれを考え出せるくらいだったら今頃、ゲームの世界に足を踏み入れあれやこれややってるだろーから、何も考えつかなくって当然と言った所だろー。

 もっともゲームのプレーヤーってのはそーいった、ごくごく普通の頭で与えられたものをよーやくやっと理解してそこに楽しみを覚える人たちが大半で仮に、先鋭的なクリエーターの人がその飛び抜けた発想でもってとてつもないアイディアを実装したゲームを「ニンテンドー・ディーエス」の上で走らせたところで、その先進性を遊びの醍醐味として理解し評価出来るかってゆーとこれがなかなかに難しい。むしろもっと分かりやすい、絵とか音とかって部分から評価に入ってしまいそーで、その点でソニー・コンピュータエンタテインメントが出してきた「PSP」の、綺麗な映像も鮮明な音声も再生できる小型のマルチメディアプレーヤー性に、惹かれ流れてしまうよーな気がする。つまり人間って莫迦なのよ。

 それ故に「ニンテンドー・ディーエス」の上で、どんなソフトが出てくるのかってのは実に興味のあるところで、その先進性先鋭ぶりをプレーしている人に感じさせつつも、ゲームとして遊んで楽しいものになっているかどーなのかを確かめてみたいところ。例えば「コロコロカービー」は新しかったしその新しさが面白さの要因になっていたし、「ボクらの太陽」だって光センサーを搭載したって新しさが、光をどう使うかってゆーゲームの内容に割に直結していた。どちらも無茶苦茶売れたって印象がないだけに、新しさと面白さが両立していてもさらに別の、キャラクターとか話題性で売れ行きが決まってしまう状況があるけれど、それでも面白い新しさを1つ1つ造りあげて行くことで、生まれる未来ってものがきっとある。

 2枚のパネルにタッチセンサー音声センサーといった豊富なオプションも加わった「ニンテンドー・ディーエス」の上で、果たして新しさと面白さを実現できるクリエーターがいるのか。絵の綺麗さ音の良さといった家庭用ゲーム機でいつか来た道を人に辿らせないよーに出来るのか。年末が楽しみ。しかし一体幾らになるんだろー。15000円までなら買い、かな。その位だと「ゲームボーイアドバンス」のソフトも遊べるってところで、たくさんゲームを持っている人が買い換えに走りそー。「PSP」なら25000円まで、って所か。問題はゲームソフトよりも映像とか、音楽ソフトに何が揃うかって所だけど。1枚のUMDにアルバム10枚分が入って3000円とかってソフトが一緒に出るなら買うかな。

 原始女性は太陽だったけど、現代男性は月みたい、ってか「古事記」の昔から日本では女性が太陽神で男性は月の神様だった訳だけど、現代ではさらにその傾向が進んで回る地球なり、その地球が回る太陽といった存在を持たなければ生きて行けず光り輝けもしないのかもしれない。なんてことを考えたのは三浦しをんさんの5月27日に発売される小説「私が語りはじめた彼は」(新潮社、1500円)を読んだからで、そこに収録されている連作短編に共通して登場する1人の男の生き様が、自在に天空を飛び回り自在に満ち欠けして奔放に見えてもその実、相手となった女性なり家族の存在あってこそのものでまた、語られる男の周囲の人々の生き様にこそ信念があり真実があって、男は単にそーした人生を写し浮かび上がらせる月鏡のよーな存在でしかないよーに思えて仕方がない。

 中心になるのは村川融とゆー歴史学科東洋史専修の教授で彼は、決して美形とは言えない容姿ながらもなぜか女性の歓心を惹きやすく、妻子がありながらも幾人もの女性を平行してつきあっているとゆー。そんな彼に届いた謎めいた脅迫状に、弟子の1人が差出人を捜す役目を仰せつかって教授の妻を訪ねた短編「結晶」から幕を開けた物語は、村川教授とかつてつきあっていた女性とその女性の家に婿養子で入っていた男性とのぎくしゃくとして、それでも固まっていく関係を描いたり、村川融が妻を捨てて再婚した先にいた再婚相手の娘が、義父ではなく実母との関係になぜか問題を感じ始めてそれがやがて、哀しい結末を迎えさせていく展開を描きながら、村川の周囲にいた女性の感じ想い動いていく太陽のよーな直截さを浮かび上がらせ、対比として男性の権威や家や体面や仕事に縛られ羽ばたけない月の如くのナイーブさを感じさせる。

 中心となっているはずの村上融教授については周囲に現れ来てた女性たちや、その女性たちと関わりを持つ人たちの目線や経験に基づいてもに語られるため、どーてそーゆー心理すなわち家庭を捨てて愛人に走り娘を愛しつつもそれが受け入れられなかった悲劇的な存在として認識し辛く、それがキャラ属性としての月っぷりを感じさせる。もっともだからといって男性もギリシアの太陽神アポロンのよーに自己主張を激しくすれば良いのかってゆーとちょっと違って、月として女性の周囲を回り威光を受けて反射させながら太りやせ細り太りってなサイクルを繰り返しているからこそ、世界は地味で危機感の少ない状況ながらもそれとなく円満で、円滑に事態が推移する状況が長く日本では続いているのかもしれない。

 それにして小説として一日の長を強く感じさせる物語。冒頭から中国での寝取られ皇帝と寝取った男との微妙な関係を描いたエピソードを並べて作品世界への興味を抱かせつつ主題を変奏させつつ読む人に、エンターテインメントとしての楽しさと文学としての心の移り変わりを読み込む楽しさを与えてくれそー。各話でそれぞれに繰り広げられる男女のシチュエーションでもやっぱり、本気に狂気を混ざらせながら女性の思惑をもてあましている月のよーに主体性の少ない存在として、登場する男性が軒並み男性が捉えられている節があって、なるほどやっぱり女性は有史以前から太陽で、男性はそんな女性があって初めて存在感を出せる月なんだなって想わせてくれる。それにしても月でも1度に2人3人と女性とつき合える村上教授が羨ましい限り。そんな日々なら満ち欠けよーと何だろーと平気で生きて行けそーなものなんだけど。現実にそーしたエピソードのまるでない僕は月ですらないってことで。小惑星? そんないいものじゃないだろーなー。


【5月11日】 堀江由衣さんの歌での最高傑作といったら何と言われよーと「フォトン」のエンディング「ピンチ!」だと思い込んでいるユルめでヌルめのファンなんでパッと「岡崎律子さん死去」と聞いてアニメソングなんかも手がけているとあって誰だったけ、何を作った人だったけとちょっぴり頭を悩ませ気づいて「十兵衛ちゃん2 シベリア柳生の陰謀」のエンディング「心晴れて 夜も明けて」を作った人だったと知ってうーむと歯がみ。でもって「メロキュア」ってユニットを組んで「ストラトス4」の音楽を担当してアニメソングでありながらもオリコンチャートを賑わせた2人組の1人だったことに気づいてうむむっと眉間に皺寄せる。ファンと言う程聞き込んだ訳ではないけれど、その活躍ぶりからこれからのアニメソングの世界にとっても、林原めぐみさん堀江由衣さんといった人たちの音楽活動にとっても重要な人を失ったってことだけは分かるだけに哀しい気持ちが湧いてくる。「メロキュア」人気の真っ最中だったのに好事魔多しとはこの事か。それにしても敗血症とはいったい何があったのか。ともあれ合掌。6月のソロアルバムは(出るなら)買おう。「メロキュア」のCDも聞こう。

 「アニメージュ」2004年6月号の付録の「2004アニメソングブック」をぺらぺら。見ていたら「恋風」のオープニングの「恋風」も作詞が岡崎律子さんだった。アニメ見てないからどんな曲か知らないけれど雰囲気からすればなるほど優しげな歌を作る人だったのかと理解。それだけになお勿体ない。ほかにもないかと探してなかったけれど代わりに「河村隆一」の名前を発見。こんな大物がいったいどんな名作傑作スタイリッシュアニメの音楽を手がけているんだろーか、ロックなんだろーかバラードなんだろーかと提供されているアニメのタイトルを見て眼が点。「それいけ! ズッコケ3人組」ってええっ? 「河村隆一」と「ズッコケ」のこの混ざり合わず重なり合わない言葉がどーゆー折り合いを付けてテーマソングとして成り立っているのか、これは1度確認してみたければならないかも。横山智佐さんの声が河村隆一さんの曲や詞をどう料理しているかにも関心。それにしてもこの「アニソンブック」を欲しがるアニカラニストな面子の誰が「『ハウル』まで待ちきれない! 宮崎駿ソングメモリアル」を欲しがるのかちょっと謎。それとも宮崎アニメだからと言って分け隔てなく合唱するのが真のアニカラニストなのか。「さんぽ」は堀江由衣さんも唄ってたし、「十兵衛ちゃん2」で。

 しかし強えーぜ”ハガレン”こと「鋼の錬金術師」。第26回アニメグランプリの6部門制覇は人気のある作品への集中ってことで「機動戦士ガンダムSEED」と同じ構図と言えるけど、各話で選ぶ「サブタイトル部門」で20位までに8話までがランクインしているのはちょっと凄いかも。「SEED」の時もこんなんだったなろーか。そんな中でもトップの1位にキメラにされた少女の悲劇を描いた「合成獣が哭く夜」が入ったのは放映された直後話題の盛り上がり方を思えば当然過ぎる結果か。原作の漫画を読んだ時もこいつは残酷過ぎる話だとしばらく見開いた眼が閉じなかったからなー。女性キャラクター部門の「リザ・ホークアイ」も絶対的に当然的。強靱な美女に憧れるのはアニメファンなら当たり前の心理状態ってことで。来年は2位にイズミ師匠が入るのも間違いない、かな。秋からとかゆー「SEED」の続きの出来次第、ってところになるんだろーけれど。同じ部門の8位に「キノの旅」のキノが入ってるってことはつまりキノって……。

 しかし依然として「ガンダム」関連は絶好調なよーでバンダイの2004年3月期連結決算で聞いたバンダイグループの「機動戦士ガンダム」関連の売上は実に504億円と、1つの会社がまるまる入ってしまうくらいの規模があってこれだけあれば「株式会社ガンダム」って独立したって展開していけるんじゃなかろーか。秋からの新番組でさらに盛り上がるだろーことは必至で、加えて「アニメージュ」に「ニュータイプ」が報じているよーに「機動戦士Zガンダム」が劇場映画になって復活の予定とかで「株式会社ガンダム」は増収増益は確実な模様。羨ましいなあ。しかしあのハマーン様を巨大な画面で舐めるよーに見られるってのはすべてのアニメキャラクターの中でもトップランキングにガウ・ハ・レッシィとかセイラ・マスとかシーラ・ラパーナと並んで(富野アニメばっかりじゃん)位置する女性キャラクターなんで嬉しいことこの上ない。声は新しくあてるのかな。でも榊原良子さんなら今でも代わらず居丈高な声を聞かせてくれるだろー。まさか全員刷新とかしねーだろーな。でもクワトロ・バジーナを今の池田秀一さんがあてるのは悩ましいし。うーむ。


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