縮刷版2004年4月上旬号


【4月10日】 市原へと遠征する途中で千葉にあるヨドバシカメラに寄って、まだ買うと決めた訳じゃないけど欲しい度が増しているデジタル一眼レフを物色。ニコンの「D70」に価格とブランド名で惹かれているけれど、根がひねくれ者の隙間狙い野郎だけに内心はペンタックスの「istD」へと傾きかけていて、並んでる棚の前を行ったり来たり。間に「EOS kissデジタル」もあったけどこれは眼中の外。安けりゃ良いってもんじゃない。

 問題は「istD」だとレンズがキットであるものの、玉が短くって暗くて屋内での記者会見なんかの多い仕事だと使い勝手が悪そう。タムロンの28−75ミリのF/2・8ALを付ければだいたいは間に合いそーだけどそれだと20万円を超えてニコンに5万円近い差が出てしまって、「ワンフェス」なんかでフィギュアを取るための明るいレンズが1本か、イベントでステージに上がるコンパニオンの撮影に必須の望遠1本が余計に買えてしまうんだよなー。ああ悩ましい。

 とかいろいろカタログスペックを見比べあれこれ考えているうちが、実は1番楽かったりするモノマガポパイ世代。先立つ手元の不如意が不幸だったりするんで、本当に買うかどーかは夏のボーナスの妥結額次第なんだけど、冬の半分になりかねない状況を鑑みれば見送る可能性が約9割。そもそももらうまでしがみつくつもりか微妙。今辞めても全額はともかく少しはもらえたんだっけ。だったらなかったものとして行きがけの駄賃にしてしまうって手もありか。

 去年までは確か無料だったって記憶があるけどいろいろあってか200円を取るよーになったシャトルバスに乗って、市原臨海競技場へと駆け付けると前売りで売り切れが続出しているだけあって、」結構な来場者でスタジアムの中も外も人がいっぱい。いつもだったら並ばないでも余裕で買えるビールもつまみも長蛇の行列で近寄れず、仕方無しに席へと座って本とか読みつつ時間を潰して過ごす。

 横浜F・マリノスが来たっていっぱいにならなかったアウェイのゴール裏をはるばる来場してはちゃんと埋める鹿島アントラーズのサポーターの頑張りには脱帽だけど、イレ込む余りに曽ケ端選手がサンドロ選手の脚を取りに行って退場させられた途端に、低いフェンスを乗り越え乱入してはスポンサーの看板を蹴り飛ばした姿に、敬意の念も大きく殺がれる。それやっちゃーおしまいだ。

 レプリカユニフォームなりレプリカTシャツなりで固めて声を張り上げる普通のサポーターたちは良い。気になったのはスカジャンか何かを揃えて最前列に立ちコールを仕切ってる人たちが”率先”してなだれ込んで来たことで、応援を引っ張りサポーターたちの模範となってしかるべき立場の人たちだからこそ、他の人たちとはちょっぴり違った衣装に身を固めて列の先頭に立つ役割を担っていると思っていたのに、別の何か特別に、試合にコミットする権利でも持っているかのよーな行動ぶりに、大きくなって長く続いた組織に現れる課題めいたものの一例が伺える。

 それは先週見に行った「FC東京vs東京ヴェルディ1969」の試合でも感じたことで、「FC東京」のゴール真裏に集まってはひたすらジャンプしていた集団が、得点の入った瞬間にゴール裏の椅子を覆って飾っていた団旗だか、応援旗だかの上に飛び乗ってはしゃいでいたののは驚いた。何を意味する旗かは知らないけれど飾っている以上は何かの象徴であって、果たして上で飛び跳ねて良い類のものなんだろーか。「花の応援団」じゃないけど団旗で縁を地面に付けることすら許されないくらいに神聖新星なものって印象がある。

 にも係わらずけどその上に飛び乗り、あまつさえ最後まで立っていたのが、去年の年末だかに放映された「朝まで生テレビ」のサッカー版に出ていた日本代表サポーターの代表によく似た人だったからなー。同じことを日本代表の試合で日の丸を相手にやったらどんなリアクションが返って来るんだろー。国旗とかいった感じにぞんざいに扱ってはいけない旗ではなかったってことなのかな。ともかくサポーターの熱意はサポートで現して欲しいもの。それでこそ新しいファンも集まるってことで。鬱憤晴らしに見えたらおしまいだ。

 んで試合。始まってしばらくはなるほど走るなあ、って印象もあったジェフだけどフィニッシュへと至るサイドからのクロスが合わなかったりパスが届かなかったりでちょっとちぐはぐな感じ。止まっている相手なら出来ても、動いている相手のどこに動くかまでをも想像しながらパスを出す難しさがまだ、こなされていなってことなのか。クロスの精度は……練習と才能か。あるいは落ちてくる場所を考えて飛び込む想像力計算力の醸成も。

 1人減った後も攻めのちぐはぐ感は収まらず、前がかりになってはそこで渋滞してしまう間に後半、本山小笠原選手の2人の連携でアントラーズにゴールを割られて敗戦色が漂い出す。攻めっ放しの中でもらえるコーナーキックはショートを使ったりで真っ当に放り込むものがほとんどなく、ゴール前でもらった絶好のフリーキックも名手阿部勇樹選手が怪我気味ってこともあってかまともに蹴らずゴールに近づかず何やってだ感だけが膨らんでいく。

 けどそこは1人多いってことに加えて林丈統選手を混ぜてゴール前へと押し寄せる人数を増やしたってこともあってかサンドロ選手が立て続けに決めて逆転。ふだんはどっかりベンチに腰を落としていることの多いオシム監督が後半はベンチ前に出ずっぱりで、2点目の瞬間には手を突き上げていたけどあれは嬉しかったからなのか、攻め方がいまいちで怒りを現していたのか、聞いてみたいけど「飛んでいた蚊が目障りだったので捕まえようとしただけだ。背が高い分頭にまとわりつく蚊も多くなる」とか本当なのか隠喩なのか分からないコメントではぐらかされそうなんで聞かない。


【4月9日】 これが次期日本代表監督(希望)人気って奴なのか。ローソンチケットで明日の「ジェフユナイテッド市原vs鹿島アントラーズ」の試合のチケットを調べたら前売りで3500円とちょい安いS席ホームは品切れ。S席アウェイはまだあったしSS席もたぶん残ってはいるんだろーけれど、どんな試合だってS席はおろか自由席だって品切れになることなんてない市原臨海競技場でのジェフの試合だけに、ここに来ての人気の上昇ぶりは驚きに値する。

 あるいはオシム監督ってよりは阿部勇樹選手の人気の方が上を行っている可能性の方が高いのか。とりあえず明日は「オシームニッポン」のコールが上がるかそれとも「阿部」のレプリカが蔓延っているかを観察。阿部選手が勝ったとしてもジェフ選手に注目が集まるのって代表エースだった頃の城彰二選手がいた頃以来な感じでこのまま、中田英寿選手とまでは言わないけれど小野稲本選手あたりくらいに見出しの立つ選手へと、育って行って欲しいけどそれってつまりはジーコジャパンに入って、魂を削り取られるってことだから悩ましい。ジーコ監督は鹿島の愛弟子たちの視察に来るのかな。だったらなおのこと聞かせてやりたいなあ。「オシームニッポン」の大コール。

 架空のアニメーションのストーリーをあたかも事実としてあったこと、いわゆる”歴史”として語ろうってゆー口調がとことん苦手でだから、「機動戦士ガンダム」の世界観を経済的政治的科学的に納得のいくものとして、語ることが可能かってゆー手探りのスタンスならまだしも、始めっから「なのである」って感じに断定口調で来られると、よく考えたなあと感心する反面で、たかがアニメにご苦労なこったと愛情反感の複雑に絡み合った感情を抱いてしまうひねくれ者。

 そんな僕だけに今日から発売になった「機動戦士ガンダムヒストリカ」では、「しかしガンダムがその能力を発揮しきれたのは、ニュータイプであるアムロ・レイゆえというのが、現在における定説である」なんて、架空のアニメを過去の事実として定説化してしまう口調にうーんと首を傾げてしまう。「いったいガンダムとはなっだのだろう? その評価は現在に至るも確定していない」っていったい「現在」っていつなんだ?

 しょせんは現実味の乏しい二足歩行の巨大ロボットが暴れ回る世界に「らしさ」を醸し出そうとした設定を、「らしさ」を超えてリアルな歴史として整合性のあるものにしよーとするからどこかに無理が出る、そのどこか落ち着かない感じに僕のゴーストが警戒心を発しているのかもしれない。まあ半分は後から来て作品に真剣にハマり込んでは歴史を作ろうと頑張る僕よりちょっと下の世代、でもって実にリアルな設定を考え出してしまう若い才能に嫉み妬みの感情を、抱いているだけなのかもしれない。

 そーいえば子供の頃は「レッドキング胃(そんなのあったっけ)」とか「マグマ溜まり」かいった現実の生物学的にはまずあり得ない設定を、「本当なの?」って驚き喜んで読んだ少年漫画誌の大図解に熱中していたっけか。それはあくまで”子供だまし”な手法でしかないけれど、そーやって鍛えられた”疑史”として綴られたものを”正史”として楽しむ感性が、今になってあちらこちらで発現しているのかも。ただそーした小粋な遊びが遊びとしてじゃなく”正史”としての押しつけになって、それ意外は認めないぞ的風潮になっているのが悩ましいのかも。

 その意味でいくと「らしさ」の要因となっている科学っぽかったり技術っぽい設定を、そーした科学なり技術のモデルとなった事実に照らして解説している永瀬唯さんのコラム「サイエンスボックス ”宇宙世紀の足音”」は、僕がアニメから得たり感じたりする情報を補完してくれるとゆー意味で、望んでいたものに1番近いスタンスのコラムって言えそー。あるいは架空の世界をそれっぽい情報でもって現出させたアニメであり、またビジネスの材料としてのアニメとして玩具の歴史を振り返った「ガンダム玩具伝説」といったコラムの方が、僕的には読んでいてピンと来る。

 鷹見一幸さんによる「ガンダム」登場脇役による座談会はパロっぽさが出ていて「アウト」周りで流行ったアニパロ的な企画みたいで新しいのに懐かしい既視感があって楽しめる。この辺を読むだけでも買って行こー。たかだか10号だし専用バインダーも買っちゃったし。「Z」「ZZ」「G」「W」「X」「逆」「A」と続いてしまったりするのかな。やめて欲しいなあ。全部はとてもじゃないけど部屋に収まらないんです。


【4月8日】 「6 SAKAI」で代表ユニフォームを作りてぇ。と思ってはいるけど手元が不如意な上にこの先いつ、ぶちキレて叩き付けて無収入にならないとも限らないだけに1万数千円も出して新しいのを買うのはちょっと悩ましい。ここはあきらめて「10 NAKAMURA」で応援に行くべきなんだろーか。でも縁起が悪そーだし。とゆー訳で遂に発表になった、アテネ五輪出場を目指す「AFC女子サッカー予選大会2004 日本女子代表チーム」のメンバーに、中盤の底を高めては絶妙なポジション取りでルーズボールを広いまくって前線なり左右へと絶妙のボールを配給し、川上直子選手や山本絵美選手の突っ込みとそしてクロスを引き出す役を黙々とこなす日テレ・ベレーザの酒井與恵選手が選ばれていて良かったと胸をなで下ろす。

 去年の「女子ワールドカップ」でも立派にレギュラーを務めていたけど去年のリーグも女子サッカー日本選手権も日テレ・ベレーザは優勝できなかっただけに、調子が悪いと判断されて外される可能性も想像してたんで、何度もMVPを獲得したあの技を大舞台で見せてくれるだろーことが決まってこれは絶対に見に行かなくてはとローソンに駆け込みロッピーからチケットを購入する。何か北朝鮮の「美女軍団」が来て対抗に松浦亜弥さんが国家を唄いに来るなんて噂もあってチケットがそーゆー邪(よこしま)な目的のモーのオタな方々に、チケットを買い占められるんじゃないかって心配もあるだけに、早めに抑えておくに越したことはなさそー。とりあえずペンライトの確保とあややの国家に被せるコールの練習だな(あるのか?)。

 北朝鮮が「美女軍団」を揃えてもこっちだってなかななか美少女軍団なんでこれから、メディアに露出して来る機会も多そーで盛り上がりに期待大。若い永里優季選手が残ったことに上田栄治監督にも”スターシステム”なる悪霊が憑いたのかって言われる可能性が浮かぶけど、若手を発掘する上で大事な試合を放り出してカーニバルへと帰り、代わりに見るはずだった兄も風邪で結局出向かなかったどこかのA代表チームとは上田監督、違います。

 Lリーグの試合があればどんなに遠い場所でもちゃんと足を運び、関係者席じゃない場所に座って選手たちの動きを観察し、L1への参入を決める「埼玉スタジアム2002」のサブグラウンドで12月末に開かれた試合ですらも、スタンド代わりになってる脇の芝生の土手に立って選手をじっと見ていた人。それだけに、評判なんかじゃなくその目で見て選んだ選手だって納得できるしきっと、選ばれなかった選手たちもヘコまず了解できるだろー。見ててくれてるんだって期待感と安心感。メガネに適わなくなれば落とされるとゆー恐怖感。その上に登場したこの代表はきっと本番で国立に埋まっている切符を掘り出してくれるだろー。

 規格外。が今のプロレスリングのマットにいないことがやっぱり昔ほどの、プロレスへの興味を抱けない理由にあるんだろーかと解説者としてテレビで頻繁に、テレビでその姿を見た門馬忠雄さんによる「アンドレがいた! ”大巨人”アンドレ・ザ・ジャイアントの黄金時代」(エンターブレイン)を読んで思いつく。2メートル23センチ。275キロ。歩けば山のよーな岩肌のよーな巨体に背中が観客席の間を突き抜けて現れては、リングへと上がりトップロープをまたいで中へと入り、これだってなかなかに巨大なレスラーたちより頭1つどころか2つ分は大きな姿をテレビ越しですら見せてくれたアンドレに比べると、230センチあってもジャイアント・シルバやジャイアント・シンってどこか質量が足りないよーな気がして仕方がない。

 「ふたりとも動きが緩慢で、ファイトが雑だ。大きいという立体感はあっても、アンドレのように観客がみじろぎするような圧倒的ボリューム感がないのである」(6ページ)はまさしくそのとおり。「期待感をもたせた2メートルの黒い砲丸ボブ・サップにしても、ワイルドな暴れっぷりは最初だけだった」「テレビのCMに起用されるたいんい猥雑いんあった」(6ページ)もなるほど至言で、そんな見てくれだけの面々に比べるとアンドレは、そこに存在するだけで何か立ち上ってくる圧力があった。今のリングにそんなアンドレの圧力を押し返せるレスラーが何人いるんだろー。ジャンボ鶴田亡き後の日本人ではまず皆無。外国人も同様だろー。強いて言えばアレクサンダー・カレリンくらいか。カレリンだったらアンドレあらベアハッグでギブアップを奪えたかな。見てみたかったなあ。

 そんなアンドレに加えてあの時代は、2メートルの巨体で宙を舞うブルーザー・ブロディにブレーキの壊れたダンプカーことスタン・ハンセンに怪しさ満載のアブドーラ・ザ・ブッチャー、派手さに強さも兼ね備えていたハルク・ホーガンといった巨体と技とが最高のレベルで共存していたレスラーたちが、毎週毎日のよーにテレビでど迫力の試合を見せてくれていたんだから面白かったのも当然か。テレビやメディアが作り上げたイメージってのもそーした迫力に多少はスパイスとなって僕たちを惑わせていたかもしれないけれど、でも本質的な部分でも彼らが持っていた存在感は多少のスパイスがなくても変わらないだろー。ブロディは死に反戦は退きブッチャーは追いホーガンは毛が無い。「十数年という時空を経ても、大巨人という空洞感は埋まりそうもない」(7ページ)。ジャイアント馬場も消えジャンボ鶴田もみまかった今、空洞はますます広がるばかり。アケボノに期待したいけど……ムリだなあ。

 「アクションフィギュア」を「ガンプラ」と呼ぶ趣味は僕にはないけれど、出来が飛び抜けていればそれをガレージキットを言ってはばからない海洋堂のスタンスに倣えばプラスチックで出来た「機動戦士ガンダム」の模型を「ガンプラ」と呼ぶのはまだまだニアピンベタピンのよーな気がしないでもない。全長9センチしかないのに両足を開いて床にぴったりと付けられるわ、胸のエアインテークの奥に機械が仕込んであるわ、どんな細かいモールドもしっかり刻まれているわと「『ガンプラ』24年の扇を全て注ぎ込んだ」らしー新しい「ガンダム」関連製品は、手足が動きどんなポーズも自由自在でそれを9センチのボディに押し込んでしまってなおかつ、量産ラインに乗せてしまったバンダイの技術力に感嘆する。

 「ザク」に「ガンキャノン」に「リックドム」が来て年末には待望の「シャア専用ザク」も登場の予定。先走って人気の「赤ザク」から出さないとこに商品をブームではなく「10年は続く商品」にしたいと考えているだけのことはある。「ザク」も出来は悪くないけど個人的には「リックドム」のホバーが吹き出す脚の部分のボリューム感の再現度がお気に入り。飾って格好良く動かして楽しい「ドム」ってのはこれが初めてだろーから、意外に地にひそんでいる「ドム」のファンはもー買うしかなさそー、もちろん3つまとめて。ついでに「ガンダム」も買って頭を踏み台にする場面を再現だ。


【4月7日】 人間が全部非道な欲望を内に秘めている訳じゃなく、あってもそれを押さえ込む理性があってだから、世界は混乱も崩壊もせずに何とか社会を維持してる、よーに見える。そんな人間の理性をもってすれば人間を喰らい記憶と姿を奪い取る怪物がいたとしても、喰らった人間の理性をも取り込んでおとなしくなって、やがて怪物は姿を見せなくなるないかって思えなくもないけれど、狭山京輔さんの「イレギュラー 血まみれの女神」(集英社スーパーダッシュ文庫、552円)を読むと、喰らう度に”イレギュラー”なる存在が悪鬼と化していく様を見ると、これでなかなか人間って奴の心は、暗くて陰惨な憎悪と欲望に凝り固まっているものらしー。

 孤児院で育てられたナオは、家族のよーに暮らしていた仲間達をイレギュラーに食われ自分も襲われそーになったところをダイバーとゆーイレギュラーを狩う仕事に就いている女性セツナに助けられる。やがて長じてダイバーを志望するよーになったナオはセツナを尋ねて弟子入りしよーとするものの断られ、それでも居座っってセツナの所に持ち込まれた、少女が父親をイレギュラーと疑い正体を確かめて欲しいと言って来た仕事を解決して、見習いくらいの立場をどーにか確保する。

 そして起こったダイバーばかりを狙って襲う事件に立ち向かうセツナとナオ。優秀なダイバーを喰らって強さを増すイレギュラーと戦う中で、セツナ自身に秘められた怖ろしくて悲しい秘密が浮かび上がる。そこで思い浮かぶのが人間の本性の善悪二元論で果たして、性善説性悪説のどちらが人間に相応しいのかを考えてみたくなる。善人は善人で悪人は悪人ってだけのことなのかな。

 食物連鎖の上に立つ人間のその上を行くイレギュラーがどこから生まれてどうして蔓延って来たのか、どーして最低で1000人に1人の人間が毎年命を奪われるくらいの脅威になっているのか(人口1億として毎年10万人以上が死ぬってことだよね)、そんなに高い確率で被害の出る状況でどーして人間が社会を営んでいけるのか、っていった設定に絡む部分で謎もあるんで今後、続きが描かれるとしたら過去にイレギュラーはいたのか、いなかったのだとしたらどこから来て、何のために存在しているのかって辺りも含めて教えて欲しいもの。期待しつつ待とう。

 「少女革命ウテナンゲリオン」って奴? TBSで真夜中に始まった「忘却の旋律」はウテナとアンシーみたいなボーイッシュな女の子みたいな少年とメガネっ娘のペアがなにやら腐れ縁的関係を見せたと思ったら空気椅子ならぬ見えない矢を放って悦に入る教師が出てきては威張り嫌味を言って少年をイジり、かと思ったらおやじが出てきて男が出てきて美人秘書が出てきてエクスタシーで少年が現れてヌードになっておやじと美人秘書が人形になってバスに足が生えて……といった不条理な展開が繰り広げられて何が起こっててどこに向かうのか、まるで分からないまま第一話を終えてしまう。

 不条理極まりなかったもののあれで第1話はまだ少女がヒーローとなって戦うとゆーフォーマットから外れていなかった「ウテナ」に比べてストーリーもなければ設定に迫る描写もなくってどこをどー掴んだら良いのか分からない。胸の谷間がいっぱい見られるのは悪くないけどキャラクターが「ウテナ」の美麗さに及ばず「エヴァ」ほどの可愛らしさにも今ひとつ届いていないのが微妙な所。気持ちを治める場所の不安定さに果たしてこれから見続けて何か得られるんだろーかと不安も浮かぶ。とはいえどこに連れて行かれるのか分からない感じはこの4月スタートのアニメではピカイチなんで、谷間の描写エクスタシーの描写といったエロスへの期待もそれが圧倒的な興奮を誘うものではなくても抱きつつ、1話また1話と進んでいくだろー展開を噛みしめて見ていくことにしよー。

 つまりひとたび名古屋グランパスエイトの監督になったものは「優勝」とゆー栄光から見放されるとゆーか何とゆーか。まあ名古屋グランパスエイトだって「天皇杯」は2度も取っているから決して優勝できないチームじゃないんだけどその一方で、リーグ戦での優勝が1度もなかったりする訳でその辺り、2つの栄光を掴むことはないって解釈するのた正しいんだろー。つまりはプレミアリーグで優勝できてもベンゲル監督はアーセナルでチャンピオンズリーグを取ることはなく、リーガエスパニョーラで優勝しそーなケイロス監督もやっぱりレアル・マドリッドでチャンピオンズリーグを制することはないって呪い。天下を掴みかけたものの三河徳川に天下を横取りされた尾張織田&豊臣の昔から続く。この呪いを解くにはグランパスが三河の豊田にフランチャイズを移すしかないのか。豊田グランパスエイト。オフには遊びがAパンクラブかそこいらのパチンコ屋しかない。選手ちょっと大変かも。

 パッと読みではグレッグ・イーガン的なSF的解釈の可能な世界を舞台にした少女の世界を発見する物語って印象も浮かぶ鈴木鈴さん「海辺のウサギ」(電撃文庫、690円)は世界が直方体だか立方体だか多面体で仕切られていてその中に、海やら山やらが作られていて人が生計を営んでいて、一方で直方体なり立方体なり多面体のそれぞれあるの中央あたりに、異世界へとつながる通路が開いているって設定で、どーして世界がそんな奇妙な状況に置かれているのか、想像するといろいろ浮かんで楽しくなる。

 それぞれが産物にも特色にも違いのある異世界どうしが通路を介して行き来して、交易をして生きているって部分に異論はないものの、仕切られた世界で太陽はいったいどこを動きエネルギーをどう伝えているのか、なんてことを考え出すと物理の範囲では世界の存在は不可能としか思えず、だとしたらつまりか架空の世界に作られた”島々”で、神ならぬアドミニストレーターの息吹を感じながらもキャラクターたちが生きているとゆー、「グラン・ヴァカンス」的な世界かあるいはそれに類似するいろいろなSF的ファンタジー的世界なのかもって結論も浮かぶ。

 もっともそれをこれから説明してくれるのかは不明。1巻で完結して感動も出来るから、ほのめかし程度で終わってしまう可能性が高いけど、せめて世界がそーゆー形で存在しているのかくらいは説明が欲しいところ。架空だとしたら「大鳴動(グランドゼロ)」が起こる理由がちょっと不明。すでに世界はアドミニストレーターの手を放れて放任の中に沈もうってしてるってことなのかな。そーした世界がだとしたら何のために生み出されたのか、でもってどーして消えずに残っているのか知りたいなあ。そーした謎合わせも含めつつ、ユトの剽軽さが増してるエンディングに是非、続きを書いて欲しいとここに挙手。お願いします鈴木鈴さん。

 はっきり言って持ち腐れ生き腐れ。来る人会う人情報誌みたいで読むところがたくさんあって人の話もいっぱいあってって言うけれど、そーした好評ないわゆるナンパの面の作成にまるで係わることがなく、係わる時間もないまま日々垂れ流される読んでも一般市民にとってまるで面白くない、スーパーの決算だとか経営だとかって情報を右から左へと流す作業を続ける日々に、嫌気がさしまくってて気持ちがささくれだつことおびただしい。それしか出来ないってんならまだしも当方、ファッション読書映画美術アニメコミックゲームトレンドといった分野に決して疎くなかったりして、にも係わらずそーした関心を必要とされていない以上はやっぱり潔く身を引くしかないのかも。同じグループで使ってくれるところがあれば良いんだけど。でも散々っぱら悪口書いているからダメか。


【4月6日】 よーやくやっと「十兵衛ちゃん2 シベリア柳生の逆襲」の最終話。蘇ったシベリア柳生の親方に挑んでも跳ね返される2代目柳生十兵衛ズ(複数形)が友情の場ロムクロスで合体して、遂にはこれを倒すって展開の無茶っぷりには驚いたけど、そんな中に時々仲違いもするし誤解もし合うけど、それでも親子ってものは通じ合ってるんだってことを感じさせてくれて、良いシリーズを見せてもらったなあって気にさせられる。柳生十兵衛を演じた目黒祐樹さんの声音の暖かさが最終話で存分に堪能できたのも大きな収穫。それにしても鮎之介が○○○だったとは。裸のシーンを見返そっと。

 「オシムきたーーーーーーっ」と叫んだ全世界1億人の声が耳に届いたよーな気がした朝に目覚めてウェブとかチェックして、「スポーツニッポン」が2004年4月6日付でジーコ監督の後任候補選びがすでに日本サッカー協会で始められていて、その有力候補にジェフユナイテッド市原のイビチャ・オシム監督が挙がってるってニュースを書いてることを知って「オシムきたーーーーーーっ」と叫ぶ。ああ聞こえたのはこの声だったのか。

 事実としてどこまで本当なのかは分からないけれど、心配なのはこーした記事が出ることで逆に、川淵三郎会長のジーコ監督に対する”信頼”とやらをグレードアップさせてより、強固ってゆーか意固地な意識でジーコ監督の続投をバックアップしていくよーな言動を取り始めないとも限らないってことで、現時点では単なるトバしで留まっているニュースに、協会なり一般紙なりが反応を見せ始める時が不安。一方で意外と人目を気にすることが分かったジーコ監督が、こーゆーアドバルーンが上がること事態気に入らないと言って代表監督の座を投げ出す可能性なんかも想像できるんで、目先は月末の欧州遠征での結果なんかを見ながら、どーゆー推移を見せるのか観察して行こー。

 事実かどーかはともかくとして、仮にオシム監督が代表監督の座につけばそれは、トルシェ贔屓のトルシェビキにしてオシム主義者のオシミストでもある当方にとって、喜ばしい事態ではあるけれど、四六時中を一緒に過ごしてすべてをコントロールして、じわりじわりと底上げを図り戦術を浸透させていけるチームの監督業とは違って、それなりの人材を集めてプレーさせてまた返す代表監督を、引き受けてオシム監督がジェフ市原と同じだけの成果を挙げられるのかって辺りが現時点での不安か。

 なるほどもとより圧倒的な才能を持った旧ユーゴスラビアの選手たちなら、レジェンドにジーニアスにパトリオットな面々を混ぜつつしっかりとした土台を持った選手もセレクトし、そこに戦術を授けてその通りにプレーさせ、素晴らしいチームに仕立て上げることも出来ただろーけど今の日本、そーしたレジェンドもいなければジーニアスも少なく、選んで組み合わせてどこまで戦術を徹底させられるのか疑問も浮かぶ。

 まあだったらサンドロ選手に変えて高原選手かその辺り、ミリノビッチ選手に代えて宮本選手かその辺りでも混ぜてキーパーに楢崎選手を混ぜほか、中田選手小野選手あたりを入れればまんまジェフをスケールアップさせられるから1次予選は楽勝か。でもって2次予選はジュビロ磐田でグラウ選手の代わりを高原選手にして指揮をオシム監督が執ると。ドイツへの道、見えてます。

 代表監督については5月1日にいろいろ動きもありそーだけど当日、「SFセミナー2004」なるものが永田町であってそっちに果たして駆け付けられるのか微妙なところ。いっそ「SFセミナー」のやる会場の近所で大集会をやってもらえれば掛け持ちも可能なんだけど場所がほら、上が議員会館で近所に首相官邸があってさらに国会議事堂も近いとゆーだけあって、ただでさえ胡乱なSFに加えて熱血日の丸サポがわらわらと集まると、一体何事かと警備が飛んできて機動隊が動員され放水車装甲車戦車戦艦爆撃機までもが集まって国会議事堂前は戦争です状態になりそーなんで、やっぱりあんまり騒ぎにならない場所で粛々と、でもって着々とするのが代表監督への提言にはもって来いかも。近所だったら抜けて行こう。

 言葉には力があってそれはロボットの雁字搦めにされたAIすらも動かす力があるみたい。山科千晶さんの「埋葬惑星」(電撃文庫、578円)は死んだ子供たちが埋葬される惑星で子供を慰めるためだけに送り込まれた猫型アンドロイド(青いアレではありません)がふとしたはずみで本来は不可能だった、少年を棺桶から出して宇宙へと連れ出したいとゆー願望を抱くよーになってそこに、その星に埋葬されたらしー少女に会いに男が降りてくるってゆー話で、ご主人様なり親愛を抱いた人への、鉄壁な警備もプログラムによる規制も貫く想いの強さを感じさせられる。流れは割に単純ながらも南瓜のお化けの暴走とか、いろいろ想定外の事件もあって起伏を楽しめるし、がっくりと来るクライマックスの後にそれでも前を向かせてくれるエンディングも用意されているのも素晴らしい。さらりと読んで感銘に浸れる1冊です。


【4月5日】 あっちが「ウエストゲートパーク」ならこっちは「サンシャインストリート」だ。ってことで成田良吾さんの非「バッカーノ!」第2弾「デュラララ!!」(電撃文庫、630円)は、池袋を舞台に不良っぽい奴らがめいめい勝手に欲望のまま気分のおもむくままにあんまり良くないことを繰り広げて、それが編み目のよーに絡み合って一つの図絵を描き出すってゆー「バッカーノ!」シリーズとも通じる巧みなストーリーテリングの妙が冴えまくり。タダモノじゃなかった感を漂わせる。

 冒頭から登場するのがストーカー美少女。惚れた少年の家におしかけ留守宅に忍び込んだところをそこにとんでもないものを発見しては行方知れずになってしまうぶっ飛びエピソードから幕を開けて、純朴そーな少年が高校に進学してひとり暮らしを始めた話をいちおうの主軸いしつつも一方で池袋でもキケンな2人の笑いながら刺すよーなキレキレの抗争がありーの、首のない騎士ならぬライダーが馬ではなくバイクに乗って駆け回りーのともう無茶苦茶。それが不思議と1人の少女を助けようとする話へと収斂し、他のいろいろな問題もとりあえずの決着がついてしまうから素晴らしい。

 顔がない人間のアイデンティティの問題とか、中心の存在しない組織の団結力とか、この曖昧模糊としつつも妙にまとまりながら転がっていくこの国の有様を象徴するよーなモチーフもいくつかあって、なるほどめいめいがちゃんと自覚を持ってさえいれば、突出したリーダーも傑出した美貌も必要なしに世はこともなく転がっていくんだってことを感じさせられる、ってのは無理矢理過ぎる解釈か。いずれ劣らぬキャラクターばかりだけどやっぱりトップは電撃文庫を”今晩使う分”も含めて30冊買うカップルか。いやもう凄まじい使い道。なるほど「撲殺天使ドクロちゃん」は選びたくないよね。「しにがみのバラッド」もキツいよね。

 漫画喫茶もコミックレンタルも図書館ですら使わない(とゆーか図書館は返本期限を10年くらい過ぎてしまって怖くて行けない)身にとって、書籍に貸与権が認められてコミックレンタルが死滅しよーとまるで影響はないと、言って頬被りをしてもすぐには心は痛まないけれど、今はそれでもかつてお金がない時期に、図書館を散々っぱら利用しながら本に対する関心を醸成していった経緯を振り返ると、とりあえずは除外されているとは言え本に貸与権を認めて使用料を徴収する仕組みが、いずれ拡大解釈されて公共図書館にまで広げられ、かつてのよーには容易に本を読めなくなる人たちが出るかもしれない可能性も考えられない訳ではないだけに、知らんぷりをするのもどうって気にはなっている。

 貸与権はあって当然の権利なんだろーけれど、問題はそれをどう運用するのかって部分で、全国貸本業組合とか日本コンパクトディスク・レンタル商業組合連合会とかコミックレンタル有志の会とかが集まって行った緊急集会では、貸与権を今認めるのは問題が大きすぎるんで、ここはひとまず(あるいはずっと)報酬請求権を著作権者に認めつつ、自分たちでレンタル分からお金を集めて納めるよーにいたしますってゆー政府案とは違った逆提案が行われて、なるほどこれなら作家もお金が取れるしレンタル事業者も貸与権が認められたは良いもの著者からのレンタル許諾が集まらず来年1月とも言われる法施行時に実質的にレンタルが出来ない状況に陥るってケースも避けられそーと思ったけれど、いったん動き出したら梃子でも止まらないのが日本の国会、おそらくは諾々と法案が成立してしまって貸与権が設定されるってことにはなりそー。

 そこからどんな使用料徴収の仕組みが出来上がりどんな運用がなされるのかそれともなされないのか。でもってレンタル事業者のみならず、民間の図書館とか読書コーナーみたいな場所とかにどんな影響が出て来るのか、今回は適用の除外になっている2000年以前から事業を始めている事業者にいつ網がかけられるのか(だって年限げ切って一方に認めて一方には認めないのって”法の下の平等”に反してるじゃん、既得権益を認めるって話になっちゃうじゃん)って辺りに関心が移っていきそう。作家でもカゲキな論者は公共図書館の”貸本屋”的な動きにも目くじら立ててるんでいずれはこっちにも及ぶのかな。その時はレンタル事業者以上の悶着が起きるのかな。

 もっとも一方ではとりあえずレンタルなり図書館で借りて読んでいずれは自分で買いに回るってゆールートがあんまり開けていない状況もあるだけに一概に貸与権でも報酬請求権でも認めてレンタル業を認めてしまうのにもちょっぴり複雑な思い。これについては本を読む、買ってでも読むってゆー習慣とそれから作者へのリスペクトの意識の情勢があんまりうまくいってないことがあって、一方でそこまでして買いたい作品があんまり生み出されていないってここがあって、どっちかに責任をなすりつけることができず悩ましい。

 竹熊健太郎さんが著書で指摘しているよーな、連載だけでは漫画家があんまり儲からない仕組みになっている出版業界の構造めいたものも絡むだけにどこどをう、解きほぐせばすべてが明快な図式の上に著者の刊行者も読者も納得の仕組みが出来上がるのか、そもそもそーいった仕組みが成り立つのかが見えて来ない。そんな複雑怪奇な状況をまるで斟酌せずに法改正を進めるお上の脳天気さってのがやっぱり最大のネックってことになるのかな。誰も得しない消費税の総額表示への切り替え問題と根は同根かも。不思議の組織カンリョー。

  13巻で130万本ってことは1巻10万本。一昔前なら1万本がやっとって言われていたアニメーションのDVDなりビデオなりLDの世界も変わったってゆーか、それだけ「機動戦士ガンダムSEED」って作品が爆発的な人気を誇っていたってゆーか、バンダイビジュアルから届いた当該の案内に関するリリースを読んで時代も大きく変わったもんだと感嘆する。1年以上前に出た第1巻が初回出荷で8万本行ったって聞いて驚きつつも2巻以降は本数が減るのがこの世界の常識、5万から3万本くらいに落ち着くんだろーと見ていたら逆に増えてしまったんだからも驚くより他にない。

 これだけの人気があるんなら本家「機動戦士ガンダム」がDVD化された暁には、1本30万本だって行くんじゃないか、って妄想も浮かぶけどアスランにキラの美形対決に慣れた目には、シャアはともかくアムロにリュウにカイにハヤトの暗かったり丸かったり三白眼だったり太っていたりとてつもなく太っている男性陣とあと、おっさんばっかのキャラクターがどう映るかはなかなかに微妙。マニアはマニアで繰り返されるバンク絵に当時の技術の至らなさを思って慈愛の気持ちに心を満たしそーで、「SEED」超えはおろか「SEED」に迫ることすら出来なかったりするのかもしれない。なのでバンダイビジュアルは最後のドル箱と溜めてないで「SEED」人気が燃えてる今出そう。


【4月4日】 「ヨーヨーの日」。だそーなんで「ハイパーヨーヨー」のイベントを東京ドーム横の旧「後楽園ゆうえんち」で現「東京ドームシティ ラクーア」へと見物に行く。あれは一体何年前のことになるんだろー、「ミニ四駆」の爆発的なブームの後を受ける感じで盛り上がってきたヨーヨーブームの中で開かれた「次世代ワールドホビーフェア」なんかで、それこそ何千人もの子供たちが会場の地べたにぺたんとしゃがみ込んでは、ツールボックスをがばっと開けてパーツを取りだし組み込んでは華麗なストリングスプレーを演じていた光景を、目の当たりにして来たんだけど栄枯盛衰諸行無常、やがて衰える人気の中で世間でもあんまり「ハイパーヨーヨー」をプレーしている子供を見なくなっていた。

 ところがどうした。昨年末あたりからバンダイではもー1度あの栄光を、ってな時に「ハイパーヨーヨー」の復活を「たまごっち」と同様に画策していたよーで、パッケージを一新して店頭に流す一方でイベントなんかもあちらこちらで企画しては徐々に、でもって密かに「ハイパーヨーヨー」の認知度向上を図りそして晴れて迎えた何回目? の「ヨーヨーの日」に合わせて大会を開いて一気に認知度を高めよーと思ったみたい。聞くと全国の600カ所で同じよーに小学生を対象にした「ロングスリープ」とゆー下でどれだけ長くヨーヨーを回し続けるかを競う、簡単そーで基本だとゆー技の大会が開かれたそーで、一体どれだけの人間が集まったのかで今、どれくらい「ハイパーヨーヨー」の人気が盛り上がってきているかが分かりそー。

 少なくとも「ラクーア」の会場では天気が4月だってのに1月2月かと間違えそーな氷雨が降ってたこともあってか満員御礼って感じには遠く、ステージ前の椅子にも余裕が見られるくらいだし周囲に来ては技を披露している子供もあまりいなかった。まあ5年だか前の全盛期にプレーしていた小学生高学年はすでに中学生から高校生へと上がってプレーしなくなっているだろーから、小学生の大会をわざわざ今さら見物に来ることはなくまた肝心の小学生はプレーし始めたばっかりって所で、ツールボックスのパーツを詰めて来るほど熟してはいない。

 まあかつて「ハイパーヨーヨー」がブームになった直前だって、そんなに大勢がプレーしてた訳じゃない。今より認知もされてなかった中でのスタートからあそこまで行った訳でそれよりは多少、認知もされてる状況の中、前のブームの時に巧くなったお兄さんたちお姉さんたち(っているのかな?)を前面に出しつつ誘えばその格好良さとも相まって、それなりなブームを再び起こすことはあんまり難しくなさそー。6600円のTシャツとか12800円のパーカーが平気で売れていく昨今、親もさらに子供に甘くなっているみたいなんでここで子供の優越感を擽り、親もいっしょに子供の立派さを誇れるよーな雰囲気を作れば前にも増してのブームなんてこともあるのかも。そんな時代を見越してまだ普通に買えるうちにお父さんお母さんは玩具屋に「ハイパーヨーヨー」を買いに走れ。間違えても「ジターリング」は買っちゃダメだよ(売ってるのか?)

 秋葉原で中古のデジカメの相場なんかも確認してデジ一眼はやっぱり荷が重いんでこっちで誤魔化すかな仕事なくなればお金も大事だしとか妄想しつつ銀座線で日本橋へと回って30日にオープンした「COREDO日本橋」にできたタカラのショップ「GARAGE」を見物。プレオープンの時にはどんな感じのお客さんが集まるんだろーと思ったけれど、1年以上前にオープンしてはやっぱり新しい名所として大勢の人を集めた「丸の内ビルディング」がどちらかと言えば年輩の人が多かったのに対して「GARAGE」は売っているものが売っているものってこともあって親子連れが結構いて、そーした層を狙ったタカラの思惑はまずは満たされたって言えそー。

 1階の「Q−CAR」とか置かれてるフロアも一緒に電気自動車を見てそれから「チョロQ」を見る親子がいっぱいで、これだけ人目に触れればこれまでみたいなお台場の片隅とか、有楽町の「ソフマップ」店頭でひっそり売られていた時に比べて引き合いも増えそーな予感。例の「ケイターハム7」を模した「Q−CAR」に並んでホンモノの「ケイターハム7」もあるんで車好きは行くのが吉。やっぱり格好良いなあ。田舎に住んでたら「Q−CAR」も買ってた可能性があるけれどそれを売り飛ばしてでも「Q−CAR7」、買ってたね。

 2階の玩具売り場はさらに大混雑の様相。隅でエアプレーンを試し飛ばしている親子がいれば角でダーツを見たりゲームで遊んだりしている親子がいて、別の場所には「番竜」を見てすげえと行ってる親子がいて別の場所では簡単に引けるギターの玩具で遊んでいるおっさんがいて、って具合に”遊び心”でいっぱいのフロアのそこかしこで”遊び心”を見たそーとする人たちで一杯で、今の若い親とその子たちに染みこんでいるモノへの関心の高さって奴を目の当たりにする。仕事一途に歩んできた50歳前後のおっさんたちじゃあこーゆーショップ、きっと理解不能だろーね。そんな世代が作るトレンド新聞って奴もあるけれど。結果? だから言わんこっちゃない。

 その日に備えて白便箋と白封筒と万年筆を揃え印鑑も手元に置いて書く練習(何をだ?)に励みつつ、杉原智則さんの1カ月も前に出ていた新刊「てのひらのエネミー 魔王起動」(角川スニーカー文庫、495円)を一気読み。冴えない少年がある日魔王に任ぜられる、って点だと例えば豪屋大介さんの「A君(15)の戦争」があって巻を重ねるたびにそのシミュレーション小説的なディテールの細かさと人間対魔族ってゆー人間社会にもありそーな対立の構図のやるせなさとオタク趣味の万国共通な不可思議さを描いて評判を高めて来ているし、最近でも淺沼広太さんの「魔王、始めました」ってシリーズがあってイラストの可愛さ話のノリの良さで人気抜群だったりする。

 そんな中での”魔王物”て訳で2番煎じ3番煎じと言われる覚悟を持っての登場ってことでさて、どれくらいの画期的な世界観を見せてくれるのかと思った「てのひらのエネミー」は結論から言えば超画期的って雰囲気はなくむしろ前2つが形式へと流れるなりキャラクターへと走る中で、魔王になってしまった少年がその力に臆しつつも迫る危機に挑んでいくっていったストレートな”ヒーロー物”になっていて読みやすい。本来だったら魔王の能力を受け継ぐはずだったのに、降ってきた少年にそのポジションを奪われ泣く泣く”師匠”の路を選んだ老魔法使いのキレたキャラぶりは突飛だけれど、少年が蘇った配下の魔獣たち(犬に鳥に猫に人間団子にほかいろいろ)を手なずけその力を巧く引き出し、迫る危機へと立ち向かっていく苦闘と成長の物語を楽しませてくれそー。電撃でも新シリーズが始まったばかりで大活躍の杉原さん。どちらもちゃんと決着がつくまで続けてね。


【4月3日】 「ピカチュウ4vsピクシー」ってのは一種の”歴史的瞬間”かもしれれないけどそれはそれとして”歴史的瞬間”って奴はそうそう滅多にお目にかかれるものではないよーで、だからこそ歴史が作られる瞬間に、居合わせられる幸運を願いつつ神経をあちらこちらに張り巡らせて、歴史に刻まれる事件なり事態なりが起こりそーな可能性の高い場所を探り出してはいそいそと出かけ、果たして歴史はちゃんとそこに現れるのかとゾクゾクしながら待つんだけど、滅多にお目にかかれないからこその”歴史的瞬間”って訳で、やっぱり今日もお目にかかること適わなかった。

 サッカーのJリーグ。すでにして最年少デビューを果たしている東京ヴェルディ1969の15歳フォワード、森本貴幸選手が今日ゴールを決めればそれが現時点でのJリーグ最年少得点ってことになったけど、果たして「FC東京vs東京ヴェルディ1969」の試合は18歳も年齢が上とゆーエムボマ選手とツートップを組んだ森本選手が、前半こそ快足を飛ばしてゴール前へと迫りディフェンスをかわしてシュートを打つ場面もあったけど、決定的だったそれは相手キーパーの土肥選手にはばまれ得点ならず。エムボマ選手の突破を導き出すこともエムボマ選手が落としたボールを拾ってシュートを打つこともなく結局無得点のまま途中で後退してしまった。

 まだリーグが始まって3節で森本選手の先発は2試合目で同じだけ、出ていて得点を挙げていないフォワードも沢山いるからもうダメだって決めつけることは出来ないけれど、目立っている時に活躍するからヒーローとか天才とかって言われる訳で、ここで後2試合活躍が見られないと単に出場できた若造でしかなく代表ではともかくリーグでは得点王を争った大久保嘉人選手とは雲泥の差、且つ15歳のそんな奴を出さなきゃいけないくらいに選手層の薄いチームと「ヴェルディ」も一緒に侮られることになりかねない。試合も負けて3連敗で最下位街道まっしぐらだったりするんでここは、アルディレス監督には”真っ当”なフォワードを入れて試合での勝ちを目指すか、森本選手よりもさらに”珍しい”属性のフォワードを入れて話題での勝ちを目指して頂きたいもの。ベレーザから永里優季選手を呼ぶとか。

 表紙がバレンシアオレンジに染め抜かれ中央にバレンシア蝙蝠の紋章が描き抜かれた「月刊ゴール」の2004年4月号を購入して発行元を見て、「株式会社エスパルス」ってなってて旧清水市に発行元がるのも分かって清水エスパルスとの関係を類推する。なるほど蜜柑の静岡にあるオレンジカラーのJリーグチーム、清水エスパルスが遠くスペインでこっちはオレンジの産地にあるオレンジカラーのサッカーチーム、バレンシアにエールを贈る雑誌だったのか。違うんだけどね。謂われはあんまり知らないけれど通巻142巻に達するそれなりに歴史のある雑誌みたいなんで、いろいろ特集をやっている中で、今回はスペインでトップのレアル・マドリッドを追うバレンシアにスポットをあてただけなんだろー。けど多分刊行以来最高にマッチした企画って気もするなー。日西オレンジ対決。

 リーガ・エスパニョーラって言えばまずはレアル・マドリッドで次にロナウジーニョが移ったバルセロナってのがどのサッカー雑誌でも定番になっててそれ以外には滅多どころかまずもって、特集がなされない状況にあってこの「ゴール」は掲載されている記事のほとんどすべてがバレンシアとゆー貴重過ぎる1冊。何しろバレンシアと言えばこの人なパブロ・アイマールを2番手に回して冒頭ではスペイン代表の左サイドMF、ビセンテ・ロドリゲスを取り上げ継いでアイマールに触れ、さらにバレンシアの伝説になっているマリオ・ケンペスの若い勇姿を大きな写真で載せてくれいているとゆー盤振る舞い。本拠地「目スタージャスタジアム」の紹介に練習場のリポートもあってファンであってもなかなか知れない情報に、触れることが出来る。

 バレンシア関連以外の記事もサガン鳥栖の監督になった松本育夫さんへのインタビューとゆー硬派振りで、なのに読めば「バレンシアオレンジvs静岡みかん」とゆー記事まで含めて楽しめてしまう作りっぷり。これを取り上げておけば売れるはずだと作り手だけが信じて、ひたすらにメジャーなものだけを鳥が得る方向へと固まってしまう、冒険しよーとしない人たちの集合的な自意識から生み出された、特集も企画も表紙までもがが同じ方向を向いた雑誌や新聞やテレビ番組なんかが多いメディア界において、究めて異例であり且つとてつもなく崇高な雑誌だと言えそー。おそらくはこれからの数ヶ月でバレンシアが勝ち続けてはリーガで優勝しUEFAカップでも勝ち残るんで、その時に実はファンだったんだよと言うためにも「月刊ゴール」「2004年4月号を買って勉強しておこー。でも普通どこに売ってるんだろ、この雑誌。

 使っているデジタルカメラのズーム機能がお釈迦。伸ばしたままでガチャゴチャ接触するとネジだか接着部分だかがズレてレンズが引っ込まず引っ込んだら今度は出てこなくなるらしー。まだ半年くらいしか使ってないのに。落としたりこわしたりでいい加減安いデジタルカメラも飽きて来たんでここは奮発してデジタル1眼を買うかって気にもなっててカタログを集める日々。もちろん第1候補には「ニコンD70」が来るんだけどレアル・マドリッドよりもバレンシアが好きなマイナーマニアって立場としてペンタックスの「istD」に惹かれる所もあって悩ましい。

 EOSキッスデジタルってのもあるけど銀色のボディは玩具みたいだしサイズも大き過ぎるんで除外。値段だとニコンだけどサイズでペンタックスも捨てがたいし……迷います。レンズは何を買うべきなんだろ。どっちにしたって20万円もする代物を、会社が危ない(とゆーより会社での僕の立場が危ない)(ってゆーかそんな立場に僕を追い込む程に会社がやっぱり危ない)状況でそんな金を使ってしまって良いのかな。でも独立したって写真を撮る機会はあるしなあ。デジカメ代くらいを一気に叩き出せる仕事とかないのかな。イラクに行ってイラクのおたくを撮って来い? いやいるかもしれないけれどそれはちょっと。やっぱり本を書くしかないのかな。でもって100万部くらい売るしかないのかな。昔書いた原稿じゃあ本にするだけの中身も量もないから全部書き下ろしかあ。時間が欲しいなあ(だからさっさと辞めちまえって)(最近マジに思ってるって)。


【4月2日】 桝ではなく枡なりし。んで「文学賞メッタ斬り!」のトークショー終了後に大勢のSF派とミステリー派とカエブン派とほかいろいろ派が積み重なって入ったお店で数少ないアニメ派な小川びいさんと大塚英志さん「おたくの精神史」について歓談。名古屋とゆー地方で友達もなくただ本だけが情報を得る唯一の手段だった暮らしの中で「リュウ」を読み、「プチアップルパイ」を読み「漫画ブリッコ」を読んで過ごした、すなわち大塚さんの手を経た情報にのみ浴して過ごした寂しい高校生大学生にとってあの本は、まさしく同時代であり一心同体であり我が血肉に重なる本だってのは自覚してたけど、そうでない東京方面で暮らしていた人でも同様に”大塚史観”が染みていることがあるそーで、地域差よりもむしろ活動範囲に起因する部分が多かったりするのかもしれないと気付く。

 大阪とゆー地域で「ゼネラルプロダクツ」とゆー造型特撮アニメSFの先端かあるいは末端か、ともかく枠を飛び出て突っ走ってた一派の周辺にいたとゆー堺三保さんにとって”大塚史観”はまるで重なっていないらしくしきりに違和感を強調。「SFマガジン」に「SFの本」とか「SFイズム」とか「スターログ」とか「宇宙船」、は入ってたっけ、ともかくそーした方面のメディアに浴し近しい趣味の人たちと語らい互いに持てる情報を交換しながら進化し深化しいける環境にあれば、「リュウ」に「プチアップルパイ」に「漫画ブリッコ」に「少年キャプテン」と流れてそこからしか、情報を得てこなかった僕とは大塚さんの本に抱く感想が違って当然だろー。

 そもそもが自分と「リュウ」あたりの出会いだって一方には吾妻ひでおさん石森章太郎さん平井和正さんといったSF色を持った人からの通路があり、一方に「アニメック」だかの「機動戦士ガンダム」関連の「パワードスーツ」特集があってそこに「超人ロック」が紹介されていて「少年キング」に気付いて聖悠紀さんを読むよーになって「黄金の戦士」から「ペアペアライサンダー」へとつながって「アニメージュコミックス」へと流れそこに「アニメック」あたりの「ロリコン」ブームが加わって「プチアップルパイ」へと転んで「漫画ブリッコ」に向かったかどーかってゆー、偶然の分かれ道を踏み歩いてきたっぽい通路もあってのことなんで、そんな人間と同じ感想を持つ人が他にいたら逆に怖いって気がしないでもない。少なくとも僕の回りでは見たことないな。友達が少ない? 放っておけ。

 とはいえ大塚さんが書いた”大塚史観”がだったらとてつもなく狭い範囲でのみ同意を呼ぶものか、ってゆーとそーではなさそーなのはこの本が、本とゆー形で刊行されてそれなりに売れているってことで、今の大塚さんの地位からその本を読んでみたいとゆー新しい人薄い人を集めている可能性もあるけれど、それよりやっぱり数千人から万を超えるオーダーで”大塚史観”に重なる人が出版界にも読書界にもいたってことの現れだって言えそーで、あの時代にあの雑誌たちがそれなりに影響力を、漫画ってこともあってSFの雑誌群よりも広い範囲への影響力を持っていたんだろー。もちろん数が正しさの現れじゃないし、世代によっても大きく異なる印象があるのは重々承知。あくまでも叩き台としてそこに自分の”史観”なりを、赤ペンで上から書き加えるもよし、行間に小さく書き記していくのもよし、とにかく振り返りつつあの時代を思い今への影響力を考えてみるのが良いのかも。

 博報堂が出している「広告」の2004年5月号は「日本をおもしろくする77人」が大特集されてて広告関係の人が結構な数混じっているのとあとはアーティストにデザイナーの人が中心で、例えば八谷和彦さんとか辛酸なめ子さんとか矢沢あいさんが入っていてそのバラエティーに富んだセレクトにこんなにいろいろ知ってる編集の人は偉いと関心することしきり。ウェアラブルの塚本昌彦阪大助教授も入ってたりするからなー。そーゆー編集方針だからかいわゆる思想系評論系の人があんまり(ほとんど?)含まれていないのが特徴だったりするのがちょっと興味深い。

 これが3年だか4年だか昔の「広告」だったら表紙にまでなって登場していた東浩紀さんに村上隆さんといった面々が、こぞって取り上げられていたんだろーけど、すでに名を挙げたってことで無事、「広告」からは”ご卒業”あそばされたって位置づけにさせられていたりするのかも。とはいえ海洋堂の宮脇修一専務はいるんだよなあ。北田暁大さん森川嘉一郎さんがいないのはちょっと微妙。あと「はてな」の近藤淳也さんも。一方で「長島有=ブルボン小林」さんに「ウェブログ入門」の田口和裕さんは入っているんだなあ。このあたりが博報堂的関心事ってことなのかな。博報堂にアプローチするならそちらからってことになるのかな。

 「天上天下」。最初千葉テレビでやってた「一騎当千」とごっちゃになって地上派で流すことになったんだろーか、なんて思って見たけどキャラクターがまるで違って、けれどもやっぱり学園を舞台に中国絡みの英雄群像が繰り広げられそーな展開に、やっぱりごっちゃになりつつ見ていたらまるで違う話を判明。ちょっとややこしい。学園に乗り込んで来た暴れん坊の2人組が真面目な剣道部の部員にあっけなく倒され飛ばされた先にいた美少女1人。裸を見られた相手を婿にするしきたりか、その暴れん坊を慕い追い掛けるドタバタコメディになるのかと思ったけどさらに得体の知れない敵とかいそーで訳の分からないバトルが繰り広げられた「一騎当千」とはまた違う、訳の分からな過ぎるバトルを楽しませてくれそーな予感。問題はやっぱりテレ東コードか、「一騎当千」ではまるまる見え見えだった白がとっても少ないんだよねー「天上天下」。問題だ。


【4月1日】 開けて読んだ4月1日付け「朝目新聞」の1面トップにジーコ監督解任の報。前にトゥルツェ監督の”解任を”スクープ”しては結果として大誤報となり後に中田央寿選手が日本代表から”引退”すると書いてやっぱり大誤報となった実績があるだけににわかには信じられない気分も浮かんだけど、今回ばかりはこれまでの経過を考えると流れとして必然だし方向としても間違ってないんで大誤報には終わらず真っ当なスクープ賭して後生に名を刻んでくれることを祈りつつ中身を読む。

 なるほど星野仙一さんなら競争意欲を喚起させてサブも含めてモチベーションを高め、難儀な海外組も上手に使うことに長けているからピッタリかも。S級ライセンスはないけどそれは今のA代表監督も同じだし、サッカーのことはあれで結構知ってるでメインは山本昌邦さんに任せて選手のモチベーション管理を専門にやれば相当な成績を残すかも。実現をマジで期待しよー。ところで今日は何日だ。

 だったら良いな的妄想を自在に膨らませられる日なのにどこも誰に気兼ねしてかどこも大きくは扱っていないものの、それでもスポーツ新聞の著名ライターコラムのそれも、ジーコ監督に好意的だと思われていた層から投げ出すよーな言葉が発せられるよーになって波乱の予感。「『海外でプレーしているから』という理由のみで失敗が許されるのであれば、ジーコ監督は就任直後から言っていた『Jリーグから始めよう』なるスローガンは撤回しなければならない」と、ちょっぴりだけそに御言葉に異論を差し挟んでいる。

 とはいえそこで向かうべき矛先をスルリとメディアへとズラしてしているのが御大ならではの文章術。「ファンもメディアも、そろそろ気付こうではないか。日本には『黄金の4人』なんて存在しないということを」「この日のぶざまな日本代表は、選手や監督だけでなく、日本人の世論によって作り上げられたものだったということを」だなんて金子達仁さん、”おーまーえーがゆーーなーー”って突っ込みが、コラムを読んだ人の99・9%から発せられたんじゃなかろーか。

 あるいは金子さん、1度たりとも「黄金の中盤」なんて言葉は使って来なかったこもしれないけれど、だったらそれをメディアが使い始めた一昨年のジャマイカ戦の時から即座に、非難し批判し誹謗して欲しかったよ、してくれなかったら今こーゆー状態に陥ってしまったんじゃないか。まあ良いたとえ1年半遅くても気付き言葉を出して来てくれたことをメディアは受け止め金子さんをおだでさらに言葉を吐かせ、互いに利用し利用されながらも本山に未だどっかりと腰を下ろして動かない彼を、追いつめていって頂こうではないか。問題は追いつめられてるって自覚がまるで無いことか。心は年中カーニバル。

 今頃になって「わたしたち小売店の見方です」面して消費税の総額表示問題を書き立て決まったことに今さら反対してもお上ににらまれるだけだと諦念でもって作業にいそしむ流通関係者に「あなたたちのためにやっているんですよだから取材に応じなさい」と憤るメディア関係者にだったら、決まる前に問題点を洗い出して大論陣を張って実施を潰さなかったんだよと心で突っ込みをいれたりしながら世間が大騒ぎしている1日をやり過ごして夜、青山ブックセンターで開かれた豊崎由美さんに大森望さんの「文学賞メッタ斬り」(PARCO出版)発刊記念トークショーへと入って最前列正面にて拝聴する。

 「ジーコ解任が決まりました」とゆー開催日らしー言葉から始まったトークショーは、次々に吐かれて聞くほどに爆笑の渦へと引っ張り込まれる豊崎社長のあっけらかんとした毒ビーム攻撃と、大森さんの内心になにやらありそーな気配を漂わせながらも言質としては取られないよー差配する全身でのパフォーマンスが繰り広げられて初っ端からトップスピードに。これならこのままどこかの公民館なり演芸場なりで、2000円とかのお金を取って見せられても十分じゃないかって思わせてくれる。3000円は高いかな。「文春ホール」でやれたら5000円でも面白いか。生きて帰れるかってスリルも味わえそーだし。

 それにしても場内の業界関係者率の高さに驚き。本を編集したアライユキコさんと組んで「カエルブンゲイ」とかやってる米光一成さんが座っているのは当然としてもその「カエルブンゲイ」系からいろいろと来て、大森さん系でSFからわんさと人が来て豊崎さんとやってる「ミステリチャンネル」系でミステリーの偉い人たちがいっぱい来て、見渡せばどこかで名前を聞いたことのある人にぶつかる状況は一種の”サロン”と言えるかも。とゆーか主流が集う社交の場としての”サロン”ってよりは権威を冷やかすアンデパンダン的な場だったと言った方が良いのかな。背中をおされ先陣で危ない橋を渡る豊崎社長は差詰めアンリ・ルソーってとこか。

 場内には枡野浩一さんもいてオニツカタイガーの靴が格好良かったのはさておき「ロフトプラスワン」で随分と大昔にトークショーを見ていらいの実物が、つるつるとしていなかったのがちょっと悔しい。いや最後にロフトで見たときもつるつるしてなかったかな。「賞とるマガジン」で新人賞についてのコラムを担当していた時の桝野さんは自分の態度の源泉には賞をとれなかったことへの”恨み”があってそれが「文学賞メッタ斬り!」とは違ってて、あーいった選評とかからの切り口で文学賞を取り上げられたのはちょっと悔しいかもと言っていた。

 恨みはあったけどそこで落とされた自分が1番知られるよーになってしまったことで恨みも薄れてコラムが続かなくなってしまったって話は、自慢じゃなくって場を読み盛り上げようってゆーサービス精神の現れか。そのあたりのことはエッセイ+短歌集「君の鳥は歌を歌える」に書いてあるので是非読んで、とゆーPRもしっかりな所も含めて。同名のCDも出ています。おお「編=枡野浩一(歌人)」なんてページも出来ていたのか。


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