縮刷版2004年3月中旬号


【3月20日】 若い自意識に満ちあふれたイベント出没リポートでギャルのハートをキャッチ(死語だらけ)している青年たちにはもはや感性で適わないけど、それを行動力でカバーするのが元祖でも本家でもないけど主流とは自認していた出没家としての取り柄って奴で、今日もきょうとて午前の8時過ぎには家を出て、銀座にある「博品館トイパーク」へとかけつけて、バンダイが満を持して復活させた「かえってきたたまごっちプラス」の初売り出しを見物する。

夢をふたたび、でも悪夢はいらない。「たまごっち」がバンダイの高収益をさらに高めるかそれとも……?  できれば並んで1つ2つ買おうとも考えていたけど降りしきる雨の中を並びつつ時々外れて取材するのも難しかしそーだったんで、列を遠巻きにしてどんどん増える行列を前に後ろに数えたり、こちらもだんだんと増えていくテレビカメラの局を確認して復活の「たまごっち」がどれほどの前評判を集めているのかをその目で確認する。そうこの目で確認するってところが出没家の醍醐味って奴。ネットに出ているニュースを拾ってジョッキーするのは才能だけどそれがないならリアルに目で見てニュースを作るって努力をしなくちゃね。

 発売時にはフジテレビにTBSにNHKまでも含めたテレビカメラが集まって、行列も200人から300人近くまで伸びてた模様。こっそりと離れた場所から様子を観察していたバンダイの高須武男社長も開口一番「うれしいねえ」とお喜びの様子で、降りしきる雨とゆー悪条件の中でのこれほどまでの人出と関心の多さは、やっぱり「たまごっち」が他の山とある玩具の中でも一頭抜けた認知度を、持つに至った近年では珍しい商品だったってことになるんだろー。「ムシキング」は1000人並んだって? 7年後にも同じだけ並ぶかい?

 「チーフ・タマゴッチ・オフィサー」の人も来たり「博品館トイパーク」の社長の人も来たりとVIPも勢揃いの中で迎えた発売は、午前7時とかに来たらしー子供から始まって、カップルがいたりお母さんがいたり彼女にあげるのかスーツ姿のジゴロなお兄さんがいたりと幅も世代もバラエティー。行列ものによくある転売屋風の人たちが少なかったのも好感で、あーいった人たちが入ってはネットとかでの値段が急騰し、すぐさま急落しては本体の人気とともに消え去っていくパターンを今回は、はずして長い人気を持続しそーな気がして来る。キャラクター展開を派手にやっては人気を冷え込ませてしまった前回の轍を2度と踏むもんか、って決意のこれも現れか。

 かといって人気を盛り上げないままだと売れ行きに影響するから難しいところで、微妙な線で人気を長引かせるってゆー、人気商売をやってる人なら誰でも知り合いノウハウを、今回の「たまごっち」でどこまで掴めるかって所に今後のバンダイ全体の隆盛もかかって来そー。それこそ「チーフ・タマゴッチ・オフィサー」が「チーフ・オペレーティング・オフィサー」から果ては「チーフ・エグゼクティブ・オフィサー」になるためにも。

少女を子に持つ親は大変だねえ、財布が。でも世話できる女の子がいるのは羨ましいなあ。  6色だかある「たまごっち」を順に選んでもらってさばいていくパターンで、雨で傘を畳んだりする動作もあって行列の掃けがちょっぴり遅い気持ちもしたけど、最期まで見届けることはせずに社長の人が車で移動した後を追って地下鉄で渋谷へと移動して「109−2」に新しくバンダイがオープンさせた子供向け化粧品の直営店「コスメティックパーラー」の開店模様を取材に回る。例の子供向けに派手なカラーリングと財布の脅威の価格をもった洋服をヒットさせたナルミヤ・インターナショナルが提供してる人気ブランド「メゾピアノ」のイメージを借りて作った「メゾピアノコスメ」を専門に売るのがこのお店。ブランドの知名度が高かったこともあったのか、開店直後からとてつもない数の子供たちが詰めかけ、到着したお昼過ぎでもまだまだ行列が出来てて人気の凄さを伺わせた。

 子供向けの化粧品なんて300円とか高くて500円とかってのが一般的な認識だし、バンダイだってそーゆー辺りの製品を売ってた実績があるけれど、今度売る「メゾピアノコスメ」はリップが1890円で寝入るが1050円、オードトワレに至っては5250円と男性化粧品より高い価格でこれが果たして売れるのか、って心配を「たまごっち」と同様に高須社長は感じていたみたいだけど、そこに太鼓判を押したのが大人が驚く価格帯でも売れる服を作って来たナルミヤの人。6000円とかのTシャツ、1万円を超えるパーカーを着ている子供たちにとって2000円しないリップカラーは常識の範囲内にあるし、もとより「メゾピアノ」ってブランドに対する信奉が価格を超えて子供達を支配しているんだろー、売り場では子供達が熱心に商品を選び鏡に向かって試し、手に持ってどんどんとレジへと運んでた。デフレってのはどこの国の話だ?

 歩き回って疲れたんで地下鉄で寝て起きて秋葉原へと回っていろいろと商品を確認してから山手線へと乗って池袋方面へと向かう電車を1周回ってる間もぐっすりと寝て、起きて上野のアメ横をぶらついてサッカーショップの店頭に流れていた「6月の勝利の歌を忘れない」を立ち見する。映し出された日本代表の「対チュニジア代表戦」を直前にした、ロッカールームでの選手間のコミュニケーションの取れ具合。ぎりぎりに入って着てはテンションも高く叫んで選手の気持ちを高めるトルシェ監督の引き締めっぷり。これこそが勝利のために何をすべきかを選手も監督もいっしょのベクトルで認識した、”大人”の集団って奴なるんだろー。営業に行く時とか会議の前とかに流すときっと、やる気とチームワークとかが湧き出て来そー。「フィリップ・トゥルシェの組織経営メソッド」とかって出せば良いのに、ビジネス書として。

 それにしても結果させ出せば文句を言わない、それが自由だし責任ってことのはずなのに、そーした自由を標榜しながら無関係のところで羽目を外した選手を、試合の結果如何にかかわらず一律に非難する稚気にあふれた今の集団ぶりとは、何とゆー違いなんだろー。「6月の勝利の歌を忘れない」を撮った岩井俊二さんが今同じ代表チームでドキュメントを作ったら、どんなミーティングが映っているのかとっても興味。営業に行く前に見ると失敗したら理由の如何にとわず非難され、全ての責任をおっかぶせられて僻地へと飛ばされるって恐れに全身を支配されて、やる気を著しくスポイルする反ビジネス的なビデオになりそー。敵に見せれ相手を落ち込ませる気か。でもその時にはこちらが落ち込み過ぎてるからなー。

 そのまま地下鉄を乗り継ぎ乃木坂から歩いて西麻布にある「COLORS」で小谷真理さんの「エイリアン・ベッドフェロウズ」(松柏社、1900円+税)出版を記念するパーティーを見物、メイドがいっぱいいて目の保養、でも薄暗かったから保養した気分になっただけかも、明るい場所で見てみたい、いっしょに歩いたら捕まるかな。会場には萩尾望都さんがいて夢枕獏さんが来て出渕裕さんが帽子を被ってて小中陽太郎さんが日本ペンクラブ関係を公表して新井素子さんはぬいぐるみを持っていなくて……といった具合にジャンルも世代もてんでバラバラな来場者がいて、その付き合いの幅の広さに驚く。笙野頼子さんもいた。呼ばれてマイクの前に立った時に場内からどんな人なんだろーと挨拶する笙野さんの顔を見に行った人多し。あのケンカっぷりあの作品の凄みに触れればやっぱり気になるんでしょー。今日は佐倉からかけつかたのかな。小田原の夢枕獏さんとどっちが近いのかな。作家になって済むならどっちかな。


【3月19日】 さあ次は女子だ。アテネ五輪に男子サッカーが出場を決めた「U−23日本代表vsU−23UAE代表」の試合にもちゃんと女子のアテネ五輪代表に関する紹介記事が載っていて、澤穂希選手に大谷未央選手に宮本ともみ選手の3人が写真入りで紹介されている。酒井與恵選手がピンじゃないのは残念だけど、去年秋の女子のワールドカップで相手から1番脅威と思われた選手が宮本選手だから仕方がない。集合写真には戦番号(見えるのは腹番号だけど)5番でちゃんと写っているから良しとして、願うならこの番号で4月に駒沢陸上競技場でベトナムを相手に幕を開ける最終予選に出場して欲しいもの。その番号とそのネームでレプリカ作っていくから、駒沢に国立に広島は……良いか、その時にはもう決まってる訳だし。

 さあ次はA代表……だと……いいけど……でも……。「自分は制裁を科すような人間ではない。次の選考に影響するようなことも別に考えていない」 なんてこを言って1カ月も経っていないにのに、シンガポールで行われる次の試合に向けた代表を発表した会見で、「100パーセント信頼していた選手が最低限のルールを破った。私の信頼に対する裏切りだと感じた」なんてまるで正反対の言葉を吐いてはキャバクラで寿司を投げてた7人と、風邪で調子が出ずに酷い試合をしたかあるいは7人に加わっていた山田暢久選手も含める、国内組とゆー意味ではトップクラスに位置する選手を8人も外してしまって、これまで選ばれなかった、すなわちジーコ監督自信は二線級と認識していたメンバーと、海外では決して調子を発揮してない海外組を混ぜ合わせて親善試合ぜはない大事な公式予選に挑もうとするんだから怖ろしい。これでは心底から次はA代表と言いたくてもちょっと言えない。

 シンガポールだから勝てるって算盤があるのかもしれないけれど、そー言ってたオマーン戦で見せた体たらく、それも国内で長い合宿を組んだ果ての体たらくを見せられると、暑い海外でコンディションもままならない海外組と、コンビネーションなんて合わせたこともない新参組を交えたチームがオマーン戦以上に機能するとは考えられず、ひょっとするとひょっとする事態が起こる可能性も考えられる。なるほど規律は規律として選手は守るべきだった。けど本番の1戦でそれを言わせてもし仮に負けても、日本サッカー協会は「規律を守った結果」と大手を振って堂々とした態度で果たして言えるのか。デモを起こす数万人を前に同じ言葉が吐けるのか。勝ちたいんだったら、勝つべき試合だったらここはやっぱりジーコ監督を説得してでも、最初の言葉を守らせるなり、1戦の重要さを分からせ懲罰は先送りさせてほしかった。

 あるいは2月9日時点ですぐさま規律違反を確認し、12日のイラク戦で処罰を行って大事な本戦は身綺麗になった選手たちを存分に起用して欲しかった。分からなかった? それを把握するのが監督でしょ? メンタル面も含めて選手を監督し切れなかった責任を監督自身に分からせ招集されない選手といっしょに監督自身も招集されない路を選ぶべきだった。つまりは辞めろってことになるのかな。ともあれ1度言ったことでも都合次第ではコロリと変えることもある人なんで五輪代表で実績を出した大久保嘉人選手と彼を御せる都筑龍太選手の復活を期待したいもの。とはいえアルゼンチン戦の4バック総とっかえを行って以後、秋田選手も奈良橋選手も呼ばないよーに自分をコケにした奴は、狸のよーに執念深く恨み続ける節もあるだけに、大久保選手も久保竜彦選手も小笠原満男選手もずーっと選ばれない可能性もありそー。それで道が断たれたら。でもって「監督には敬意を表する」とか言い続けている協会関係者がいたら。ありうるな、文京区本郷の本丸を取り囲む数万人のブルーズから発せられる「おーくぼよしとー、らららららーら」ってコールが。もちろんジーコ監督はブラジルに帰郷していて聞かないんだけど。

 最終回だけあって「R.O.D The TV」はさらわれたミシェール姉にマギー姉を救い出したいアニタと菫川ねねねにナンシー幕張を取り戻したい読子・リードマンが共闘を組んで群がる敵を退け取り囲む敵を圧倒。そこから紙飛行機を作って仲間をさらったヘリコプターを追い掛けるスペクタクルなシーンを経て、クライマックスへと達した一行を待っていたものは、すべてが夢の果てへとおいやられ主役の放浪少女アニタが図書館に潜り込んで居眠りしている果てに見た夢で、夢の中では仲良しだった少女に「あんた誰?」と言われて愕然とするシリアスにシビアなストーリーだった。訳じゃないけどこの唐突な終わり方ではテレビを見ていた人にはそーゆー話としか思えなかったり、どーゆー話かまるで分からなかったりするだろー。

 こんな中途半端極まりない終わり方でテレビ局は電波を使う免許を預かる責任を果たしていると言えるのか。否。断じて否。ここは責任を果たさず作品をすべて見られなくするテレビ局のスタンスを疑われる。ほかにも途中カットな話があったりする局だけに、深夜のアニメなんて相手のプロモーション用に時間貸しているだけなんだと開き直る可能性もあったりするけど、そーゆー経営スタンス自体が電波を預かる業種としての責任やフェアさの正反対を行くものと断じて心からの異論を唱えたい。それにしても気になるあの先。予想可能なクライマックスへと予測不可能な絵でもって向かって盛り上がりまくってる「十兵衛ちゃん2 シベリア柳生の逆襲」とは正反対の、絵柄は普通でも話がまるで見えない「R.O.D The TV」にどんなクライマックスが訪れるのか。」DVD買うしかないのかな。フジテレビが心入れ変えるなんてことはある……ないな。やっぱりDVDだ。


【3月18日】 偉いぞ日本テレビ放送網、いやさ「真相報道バンキシャ!」担当チーフ・プロデューサーの酒巻和也さん。高崎で青年が少女を殺害した、という事件があってその流れで青年が集めていたらしい「スーパードルフィー」を紹介しつつ、人形の愛好家と少女を殺害する人間との間に因果関係があるよーな報道を行ったとかでボークスが厳重な抗議を行ったことに早速回答と遺憾の表明を行っている。

 普通なかなかこーゆー種類の抗議って通りにくいものなんだけど、今度の場合は文面も真摯で逃げも打たずにちゃんと回答してあって、事の重大さを認識している節がそれなりに伺えて納得がいく。「イノセンス」って人形にふかーい関心を示した映画をスポンサードしている局ってこともあったのかな。ともあれ善哉。一方で活字メディアは総合週刊誌から女性週刊誌から徹底したバッシングを展開中。ワイドショーがこれに乗り始めるとさらに凄まじいことに成りそーな気もするんだけど、その辺はどーなっているんだろー。土曜日の「お父さんのためのワイドショー講座」、チェックしなくちゃいけないかな。

 早起きして入社式。まるで定まらない紙面作りの方針が駅のキオスクに連日のタワーを作り出しては終局までのカウントダウンを加速している様にいよいよ覚悟を決めて職を転じて臨んだもの、出はなく仕事でイトーヨーカドーグループの入社式を取材。就職難のご時世に実に776人もの人を採用する流通は雇用の優等生、ってことになるけど一方で西友なんかがパート・アルバイトの比率を高めて店頭は時給の人に任せる方針を打ち出しているのと比べると、社員を雇うのは時代に逆行しているって言われかねないけれどそこは経営理念の継承を旨とする家族的な結束を持ったグループだけあって、教育を施し理念に前向きな人材を育てるためには正社員の方が良いってことみたい。

 来年はさらに多い1200人を採用するとかで既に始まってるだろー選考には他より広い門戸に山ほどの人材が押し寄せそー。社歌を歌い大声で挨拶をしストレッチを一斉にやって合間には採用されたグループごとにエールを交換し合う予餞会みたいなイベントを入れ、一例として「バモ・ニッポン」の「ニッポン」を「デニーズ」に代えて唄ったりする様を今時の個性的な若い人が受け入れられるかって部分が気になったけど、これがクリエイティブな職種ならともかくお客さんに知られ好かれてナンボの客商売、常に明るく笑顔を絶やさず挨拶は励行して枠から外れない態度は不可欠ってことで、高度成長時代的会社人間を蘇らせたよーに見える入社式もこの業種にはむしろ正しいって言えそー。

 会場になった「東京プリンスホテル」を出て見上げた温度計が19度を指してて暖かい中で試合を見られると思っていたら昼前からむくむくと黒雲が流れ込んではパラパラと雨を降らし始め、気温もこれに伴い急速に下がって日が沈んだ段階では先月に「埼玉スタジアム2002」で見たA代表の「対オマーン代表戦」の時にも並ぶ寒さになっててカイロを準備。したけど夜になるとさらに冷え込みがきつくなって先月にやっぱり「埼玉スタジアム2002」で開かれた「U−23日本代用vsU−23イラン代表」の時にも並ぶ極寒になって「国立霞ヶ丘競技場」に着座しても手足が震えて止まらない。

フリーキックにコーナーキックからしか点を取れないあたりも微妙。オーバーエージで中田英寿選手に名波浩選手が入れば凄いチームになるんだけど  それでも頑張ってチケットを取っていただけあって席はカテゴリー1のメインスタンドホームの上段で、屋根があって雨を直接体に受けないで済んだのがとりあえずの僥倖。最上段に近い部分で吹き込む風が体に刺さったけれど雨に打たれているよりははるかにマシだったかも。それだけに油断しないでダウンコートを持っていけば良かったと悔やむ。そんな状態に震えながらも待って迎えた選手紹介で平山相太選手に田中達也選手のUAEラウンドでペアを組んだフォワード2枚に加えて日本ラウンドから復帰した大久保嘉人選手までもが加わる攻撃的布陣を取ることが判明。こいつは本気で勝ちにいく気だ山本昌邦監督って誰もが思ったに違いない。同時に中盤を抜かれてカウンターを決められて敗れ去る懸念も。

 もっとも驚異的な寒さは常灼熱な国から来たUAEの選手たちの動きをスポイルしていたみたいで試合は日本の超攻撃的布陣が効いて前半のうちに2点をゲット。後半にもフリーキックからの混戦を2度触って大久保選手が叩き込んでUAEを突き放してA代表ではまるで見られなかったアグレッシブさに、A代表ではカケラも見られなかった落ち着くまでもが加わって、大きく成長したところを見せてくれた。阿部勇樹選手のキックの精度がもたらした点でもあって、もしも彼がUAEラウンドにいれば、初戦もとって悠々自適にアテネ五輪行きの切符を手にしていたかもしれない。けど最期に出てくるからこそのヒーローって奴で、2点を取った大久保選手ともども真打ちらしさを見せてくれたんでここは、思わせぶりとは攻めず素直にその活躍を讃えよー。でもA代表にいくとやっぱり気負っちゃうんだろーなー。

 結局無得点に終わった平山相太選手は高さでポスト役にはなっても周囲とつなげず得点機を演出したって感じは希薄。ポストはポストでも動かない郵便ポストみたいなもので、かといって自分で打開しよーとしても相手を交わしはじき飛ばして進むだけのパワフルさも発揮できず、ボールを追い掛ける動きもちょっぴり鈍重。体調が悪かったのかもしれないけれど、キレキレの絶好調だった大久保選手との差が目立ってしまった。ユース世代では抜けた才能でててもカテゴリーが1つ上がるとやっぱりいろいろ難しいことがあるのかな。大学とかで試合に出てヌルさの中で得点を稼ぐのも悪くはないけどここはやっりプロの水の中で徹底したフィジカルトレーニングを積んで走ればアンリ、止まればビエリってな感じの超大型頑健ストライカーへと育っていって頂きたいもの。でないと15歳にしてスピードもあるしパワフルさも存分な東京ヴェルディ1969の彼にすぐに抜かれちゃうぞ。


【3月17日】 そーかやりやがったか日本テレビ放送網、いやさ「真相報道バンキシャ!」。高崎で青年が少女を殺害した、という事件があってその流れで青年が集めていたと言われている人形のおそらくは「スーパードルフィー」を、秋葉原のボークスで記者とも取材とも言わずに購入してはそれをテレビで披露してみせ、人形の愛好家と少女を殺害する人間との間に因果関係があるよーな”報道”を行ったとかで、ボークスが厳重極まりない抗議を行っている。

 もちろん取材であると記者とか言わなければ必ずしもいけないってことではないだろーし、人形を愛でている心理が人間への関心へと向かいかねない可能性に言及していけないとゆーことではない。人間にそっくりな、とりわけ少女にそっくりな人形とはそーした猥雑さ、淫靡さをどこかに持っているからこそ人を惹き付けるもので、心理の奥底を人形によって擽られることは可能性として存分にある。あるけれどもそーした心理が実際の行動に向かうかどーかはまったく別の話であって、むしろ圧倒的に多数の人間が現実を踏まえ妄想は妄想の中だけに抑えて真面目に健全に生きている。そーした状況をまるで踏まえず、あたかも「人形愛好家=犯罪者」といった図式でのみ”報道”したからこそボークスも、またスーパードルフィーの愛好家たちも反発したのだろー。

 ましてや日本テレビは、そーした人形の持つ淫靡さ、猥雑さ、不思議さをえぐり出した押井守監督の最新作「イノセンス」に出資して宣伝番組まで流している局で、さらには淫靡さ、猥雑さをことらさに前面へと打ち出し見る人たちの内心を激しく揺さぶっている創作人形たちを集めた「球体関節人形展」にも関わっている。「球体関節人形」のページなんて「バンキシャ!!」と同じ場所にあるんだぜ。それでいて片方では人形の愛好家を叩き、片方では人形の愛好家たちに媚びを売る。一体どっちなんだ。

 過剰なまでの自信を持ったテレビ局が謝るなんてことは滅多にないし、今回は人が1人亡くなっている事件ってこともあるから、それを大義名分に立てて一切の抗議を黙殺する可能性は低くない。大スポンサーでもないボークスの抗議が、どこまで届くかは正直微妙だけど、その分裂気味のスタンスは”報道”を標榜する機関としてやっぱり問題。なのでここはテレビであってもきちんとした回答を示すのが、「イノセンス」に出資し宮崎駿監督を持ち上げる日本テレビの責任って奴だ。「球体関節人形展」に出展している作家たちが、人形を愛でる気持ちを傷つけられたといっせいに、展示を引っ込める抗議行動に出ればさしもの日テレでも動くかな。今度の日曜までの日程なんであんまり効果はないのかな。

 時速150キロを出した車が人をはねて死亡させても、車のメーカーがスピードの出過ぎる車を作ったからと文句を言われて車の製造を中止したことはないし、お酒が酔っぱらうと人事不省に陥ることもある商品だからといって、酒の勢いで人を殺してしまった事件が起こっても、お酒のメーカーが酒造りを止めたって話は聞かない。車は運転する人間の資質、酒は飲む人間の責任にすべてが帰結する。けれども。少女を殺害した高崎の青年が持っていた可能性からおそらくは、美少女フィギュアといったものに今後、相当な好奇の目と非難の声が集まるだろーことは想像に難くない。発売中止に追い込まれるものだって出そー。困ったもんだ。

 思い出されるのは15年前の例の事件とそれに関連したメディアからのバッシング、そして起こった影響だけど、こーしたメディア的な事態が何故起こるのか、って部分を考えない限り、オタクたちがいくら自分たちは少女を守っているんですと言ったところで、15年前と同じ状況は何度でも繰り返されるだろー。ってゆーかロリプニのフィギュアを集め「週刊わたしのおにいちゃん」はすべてを2つづつ買い、「電撃萌王」を買い「もえたん」も買って隅々まで貪り読み、部屋にはガレージキットや18禁の漫画やマイクロデザイン出版局から出ていたノベルズが山と積まれているよーな中年独身男の僕のよーな人間に、守られたいなんて思う少女がいるはずない。守らせたいなんて親がいるはずもない。守ることが関わることならむしろ僕は遠くへと自らを待避させ、関わらないままでいたい。社会に対して害意はないんだとゆーことを日常的な態度で示しつつ、相手が警戒を抱くよーな場面へは近寄らず、こもり妄想の中に溺れ浸っている方が、自分にとっても少女たちにとってもハッピーだろー。

この突起が体のツボを刺激して血行を良くする……のか?  すべての人が可能性に怯えなければならないと言うつもりは毛頭ない。ただ自分に関しては常にあちら側へと転ぶ可能性を自覚して気を張らせ続けていたい。どーして自分があちら側へと転ばないでいられるのか、その違いは何なのかを思考したい。そーすることによって性懲りもなく繰り返されるバッシングに対して異論を唱え、少しづつでも跳ね返せるだけの論理的、精神的な拠り所を探っていきたい。真正面から反論しても未だ通じないどころかむしろ、どんどんと悪くなっている状況を変えるためにすべきことは何かを考えたい。広まる運動が影響力を持って世間を動かす可能性には心からの敬意を示しつつも、僕は僕の立場でできることをしていこー。やっぱり「もえたん」「週刊わたしのおにいちゃん」の大々的な特集かな。デスクに局長のクビを飛ばしてでも(こっちのクビが飛びかねない)(それはそれで本望か)。

 そんな根暗なオタクでもやっぱり健康は気になるよーで朝から「東京ビッグサイト」で開幕した「健康博覧会2004」を見物。メシマコブだかアガリスクだかイソフラボンだかコラーゲンだか知らないけれど山と健康食品が積まれサプリメントが並べられ、飲料品がカップに注がれ出される会場を隅から隅まで歩いていると、何だかとっても健康になって来たよーな気がしてくる。ついでにカプセルに入ってジェット噴流を全身に浴び脚の裏とか尻とかを刺激されるプレートに座り、何とかエネルギーの込められたお札だかネックレスだかを身につければもー完璧なまでに健康になれそーだけど、会場にいた人たちが皆そんなに健康になってしまったら日本の平均寿命だって数歳、上がってしまいそーだからきっと人によって効き目にも差があるんだろー。オタクは除外? そりゃまあね。


【3月16日】 やりかねん神様。「週刊サッカーダイジェスト」2004年3月30日号掲載の村山文夫さん「スーパーさぶっ!!劇場」の4コマ漫画で名陶工のジーコが気に入らないからと失敗作を石にぶつけてぶち壊す。それはなるほど世に名の通った陶工だったら作品への強いこだわりとして理解できない行動ではないけれど、そこは我らが神様だけあって考え方も神レベルにあるよーで、「ただこわすのが好きで……」というおそらくは神兄の言葉どーりにピンクの柄の「オークボ」を石に叩き付けてはあっさり割り、今また国宝の「ヒラマヤ」を手にして石にぶつけよーかと思案している。やるかなあ神様。

 やりかねんマツ。敵のバックに回って腰を腕で抱え込んでは反り返ってジャーマンスープレックスホールドを決めて必殺技然とする、そこに現れた岡田監督がマツを相手に一言。「試合でその技は使わんでくれよ」。けどなあ、マツだもんなあ。やりかねんなあ。残るひとつもやりかねんシリーズ。脱臼した肩を叩いてなおしてついでに何発も殴って安心を強調した挙げ句に叩いた打撲で肩が腫れ上がったトゥーリオ。やりかねんよなあ。今もきっと肉離れした脚を気合いでつなげよーと後ろから平山選手に蹴ってもらってるに違いない。UAE戦は復活か。まさかなあ。

 なるほどだから丸数字なのかと「週刊サッカーマガジン」2004年3月30日号掲載のナイキの広告を見て納得。韓国では悪評を招きポルトガルでもブラジルでもオランダでも腹に丸の数字を描き上げて見る人たちに「ビリヤードの玉か?」と不思議な気持ちを与えていたナイキの新しいナショナルチーム向けユニフォーム。その唐突な丸数字ぶりに一体何が起こったんだろーと訝っていたら今度新しく出たシューズのサイドに描かれているのが丸に90の数字。これまでも「AIR」の文字を側面に描いたバスケットシューズとか出して微妙にして強引なデザインセンスを満天下に見せつけていたナイキだけど、側面にでっかい丸数字を持ってくるとは丸に八が地元の僕でも考え及ばなかったぎゃあ。

 烏撃退のボール見たいなぐるぐるとした円が描かれている新しいボールにも、丸に90の文字が大きくはないけれど描かれているからきっと、丸数字がナイキの今のデザイントレンドになってるんだろー。アディダスがオフィシャルな関係で、着られている姿を日本だとあんまり目にする機会がなく、韓国の評判を聞いてどうにもイマイチだって風聞が漂い始めているけれど、だったらいっそ日本でナイキを使う鹿島アントラーズに浦和レッドダイヤモンズに東京ヴェルディ1969にも、最新の丸数字ユニフォームを供給して、一気に目を慣れさせてみてはどーだろー。それより23日開催の「U−19日本代表vsU−19韓国代表」で韓国がそれを着て圧倒的な強さを見せれば、日本での見方もちょっとは変わる……かも……しれない…なあ(弱気)。

 唯一、って訳じゃないけどよく見るチェーンでは唯一と言って良い「神戸らんぷ亭」で「牛丼」。印象としてどこか玉葱が硬い記憶があって「すき家」に「吉野家」に「松屋」が並んでいると遠慮していた(「なか卯」は五十歩百歩)ところがあるけど、大門へと出向いたついでにそこにあった「らんぷ亭」で大盛りを食べるとこれがどーして、肉の煮込みも良ければ玉葱の具合もそれなりで、タレの分量も多からず少なからずとベストなコンディションに仕上がっていて美味しく食べることができた。どーしてここだけが牛肉の在庫を切らさず未だにしっかりと「牛丼」を出せているかと言えばおそらくは、根強い先入観があったからななろーけど飢えた人が問い込み食べてその意外な味にこれはと思い通い始めるよーになったら、こちらもやっぱりたちまちのうちに牛肉の在庫を切らしてしまうことだってありそー。なので皆さん行かないよーに。

 「古本屋は暗くて狭くて臭いもあって店舗を貸してもらえなかったんです」なんて、読子・リードマンやらミシェールさんが聞いたら怒りに爆発しそーなコメントだけど実際に古本屋を営んでいる人の言葉だけに説得力は十分。ブックオフコーポレーションが東証の2部に上場を果たした会見で、坂本孝社長の口から出てきた言葉は「新刊書店に比べて低く見られていた古本屋でもこうして上場できたということはつまり、世の中になくてはならない企業であり業種だと認められたこと」といった感慨を噛みしめるようなもの。新刊書店や出版社から本が売れなくなる原因だって悪玉のよーに言われた時代もあっただけに、そーした風評を跳ね返してマザーズでもジャスダックでもない本市場へと上場できたことは、やっぱり相当に嬉しかったんだろー。別に泣きはしなかったけど。

 「中古の本はビギナーを集めて底辺を広げて新刊の本は上へと質を高める」って言葉はパッと聞くと手前勝手な自己正当化に聞こえないこともないけれど、かつて図書館とゆーものがあってそこで本に慣れ親しんだ青少年が長じて本を山ほど買い込むよーになった現実を踏まえると、ビギナーが安価に、あるいは無料で本を手に取れる環境があるってことは決して悪くはない。問題はそーしたビギナーが一生涯、ビギナーで居続けブックオフなり図書館を新刊書店の代わりどころか新刊書店をまるで無視して使い続ける現実で、こればっかりはいくら坂本社長が頑張ったところで改められるものではない。本を読むとゆー習慣を身につけ、本は楽しいとゆー事実を理解するよーになることが何より大切で、そのためにもビギナーは「R.O.D The TV」を見て本への愛情を深めて……放送打ち切りですって? フジテレビ許すまじ。グループだって関係なし。

 バックラインでてらてらとボールを回しやがってた辺りでもしかして、気を抜いた瞬間に追いつかれ焦って点を取りに行ったところをカウンターで逆転されて敗戦、なんて図を妄想したし実際、前への放り込み1本で同点に追いつかれてイケナイ展開が頭をよぎったけれど、そこはジーコ監督に割られても山本昌邦監督には国宝級の扱いをされている大久保嘉人選手、追いつかれた次の瞬間にサイドに流れた前田選手からのクロスをどんぴしゃりで叩き込んで1点をリードして、日本をとりあえずはグループトップの地位へと戻してくれた。後半の半ば過ぎからの怒濤の攻めは迫力で、これをどーして前半の後半もやってとっとと突き放さなかったんだと怒りも沸いてきたけれど、ともかく勝ったとゆーことで今日のところは良しとして、明後日のUAE戦で勝利を得て1位を固めてくれと心から願うことにする。頑張れニッポンあと1勝。ついでにアテネで金メダル(それはちょっと気早すぎ)。


【3月15日】 間違えて消去してしまったデータがパソコンの奥からサルベージされて復活した時に感じる喜び、だったんだろーか。「超重神グラヴィオン ツヴァイ」でオープニングで見せてたよーな燃えっぷりを本編でも見せてくれたいエイナが、天空より舞い降りた新型機の中からお尻もプリプリに再登場。それを見た斗牙の喜びようといったらまるで、死んだ恋人が生き返った見たいなはしゃぎ方だったけど、昔から慣れ親しんでいたエイナの体は壊れてチリとなって消え去ってしまって、天空から降りてきたのはデータだけが転送された一種のコピーに過ぎないにも関わらず、同じ個体と認識してしまえる所に斗牙の精神の闇を見る。

 萩尾望都さんの「A−A’」だったっけ、辺境のラボに再生して還ってきた女性と、ラボにずっといて女性の恋人になっていた男性が、元の鞘に収まろーとして果たせないエピソードが描かれていて、遺伝子的には同じ存在で記憶も1部が重複していても”2人”で重ねた経験だけはコピーできないことの重さを突きつけられた。復活したエイナもその意味では似て非なる存在なのに斗牙は同じと認識する。その認識の対象はやっぱり記憶ってゆーかこの場合は記録ってことになるんだろーけど、だったらまるで同じ記録を持ったもう1体のエイナが現れた時に斗牙はやっぱり同じ個体と認識するんだろーか。ちょっと謎。

 それにしても、そーいった人と記憶の関係、オリジナルとコピーの差異、魂の有無といった哲学的生命学的なことを深く考えさせられるエピソードだったにも関わらず、そーしたホンモノかコピーなのかって葛藤をまるで描いていない「グラヴィオン」の作り手側の方が、実は斗牙よりもよっぽり不気味だったりする。だってデータじゃんコピーしたってオリジナルじゃん、と主張するならそれで良し。けど例えデータを丸ごと転送したって昨日まで使ってたパソコンと新しく使うパソコンを”同じ”と認識できるんだとしたら、余程モノへの状態ってものが欠けた人ってことになる。そーゆー世代がクリエーターの最前線に来たってことなのかな。それとも描くと「イノセンス」になって説教臭くなるから知ってて知らないフリして熱血感動再開ストーリーに収めたのかな。

 「SFセミナー」から案内が届く。また凄い場所でやるよなあ、首相官邸からロケット砲がたぶん届く距離で議員会館から見るとほぼ真下。レバノン大使館にヨルダン大使館ってイラク紛争絡みでもサッカー絡みでもホットなスポットを周囲に抱えた場所でゴールデンウィークのまっただ中に得体の知れない「えすえふ」とやらが集い狂乱を繰り広げて、果たして最後まで警官隊に突入されずに無事に終了できるんだろーか。その場合はまあ首謀者(鈴木力さん?)が1人しょっぴかれては2、3日、桜田門あたりでカツ丼を食べることになるだけだろーから一般人としては関係ないんだけど。でも公安9課だったらその場で射殺か。バトーが来たらまとめて射殺だ。どーしよー。

 昼間の企画はSF状況を勉強するにはうってつけって感じ。ファンタジーの歴史にコミックファンダムの歴史に雑誌SFの歴史を学び現状を理解できるから20代の歴史にあまり触れてこなかった世代には新鮮かも。同時代的に見聞きしてきた人だとうーん、再確認にはなるのかな、あとノスタルジーを満足させられるってゆー。クリエーターの本音に迫る企画が山田正紀さんへのインタビュー1本ってのが普段あんまり会えない作家の人クリエーターの人に会いたいって要望を持った人には厳しいかも。その分は夜の合宿に来る、かもしれないクリエーターの人を囲むしかないのかな。誰が来るのか分からないけど。「凹村戦争」が出て間もない西島大介さんは本をかついで来るのかな。塩澤編集長が来させるのかな。

 先週の澤穂希選手に続いて「週刊サッカーマガジン」の女子サッカー紹介ページ(アディダスのヒモ付き?)は小林弥生さんが登場。全日本女子サッカー選手権ではPKを1人失敗して敗戦の敗因になってしまって泣きじゃくっていたけどあれから2カ月が経って、気持ちもアテネ五輪出場権獲得に向けて切り替わり、持ち前の明るさを取り戻してくれたみたい。彼女が活躍しさえすれば去年の女子ワールドカップでだって2勝は出来たかもしれないんで、ここは是非に気を持ち直して頂きたいもの。同じ日テレ・ベレーザから2人続いたってことは同じ日テレ・ベレーザ続きで次週こそ酒井與恵選手を期待したいもの。中盤の底を宮本ともみ選手と2人でケアする代表のキーパーソンなんだけど、でもやっぱり宮本選手か川上直子選手か山本絵美選手かキャプテンの大部由美選手か得点王の大谷未央選手が守護神山郷のぞみ選手なんだろーな。それでも女子サッカーが注目される分まだマシか。川淵三郎キャプテンが「埼玉スタジアム2002」で女子サッカーの最終予選への応援を呼びかけていたけど「ウルトラス」も「ボーイズ」も反応、鈍かったもんなあ。


【3月14日】 「万国博覧会」で明けて「機動戦士ガンダム」で暮れた1970年代を僕が論として語ることは、出来なくはないけれど同時代にセーシュンって奴を過ごした10歳とか干支で一回り上の世代に譲った方が、より実のあるものとなりそーだってゆー謙虚さは持っている。その倣いで僕より10歳とか、干支で一回りくらい下の世代が80年代を論として書きたいとゆー人がいたなら、一昨日来やがり遊ばせと言って諭すだけの自負はある。小学生からせいぜいが中学生の時に見聞きした体験で世間を語られちゃー堪りません、って奴だ。

 とは言えだからといって僕が80年代を語るに適切な人間かとゆーと、これもやっぱり難しい。ってゆーか80年代って言っても一昔とされる10年が間に横たわっている上に、地域によって得られる経験もまるで違う関係で、日本中の万人が納得できる「80年代」なんてものを論として描き出すなんて不可能に近い。それでも最大公約数的に80年代を浮かび上がらせるとしたら、あの時代に東京で、あるいは首都圏でそれなりの仕事に関わっていた人たちの言説をもってするのがベターってことになるんだろー。

 その意味で大塚英志さんは、ベストに近いベターな書き手って言えそー。「『おたく』の精神史 一九八〇年代論」(講談社新書、950円)には実に良く、80年代のサブカルチャーと社会と思想と半ば経済までもが盛り込まれていて、短いとは言えなかった10年を実に子細に網羅してあって、読んでいてあんなこともあったそんなこもとまったと思い出させられる。雑誌の編集にいてそれも、決して高級とは言えない雑誌で働きつつ評論の方でも頭角を現し始めた人だからこその実地と伝聞と検証がふんだんに盛り込まれた80年代論。地方にいてしがない学生をやっていた僕にはとうてい書けないボリューム&クオリティーだ。

 もちろん大塚英志さんは大塚さんであって筑紫哲也さんでもないし永江朗さんでも中森明夫さんでも仲俣暁生さんでもない関係上、その語られる内容の傾向に大塚さんらしさが満ちていて人によってはまるで現実を踏まえていない80年代論だって意見も出そー。1章を裂いて語られる「かがみあきら」とゆー漫画家をたぶん10人のうちの9人は知らず、そこでどーして岡崎京子さんとか、あるいは吾妻ひでおさんに時代を前後してでも触れないのかと訝りたい思いを抱くだろー。宮崎駿監督に押井守監督に富野由悠紀監督の御三家だったらより自然だ。

 けど不思議なことに、大塚さんが「『おたく』の精神史 1980年代論」でつづる80年代は、僕にとって実にまったくそのものズバリの80年代だったりする。「かがみあきら」とゆー漫画家は確実に僕にとっての大きな憧れだったし、「漫画ブリッコ」とゆー雑誌、「リュウ」とゆー雑誌に「プチアップルパイ」といった単行本形式のアンソロジーを貪り読んで過ごした83年から86年頃にかけての期間を中心に、糸井重里さんがいて「朝日ジャーナル」の「若者たちの神々」があってニューアカがブームになって宮崎勤事件が起こって昭和天皇が崩御し手塚治虫さんが亡くなりバブルが終わった10年間こそが、僕にとっての紛うことなき80年代だった。つまりは大塚さんが言う「おたく」とやらに、僕はそのまま当てはまるってことだ。

 だから僕はこの本を全面的に支持する。下がって見ればつまりはお釈迦様ならぬ大塚さんの手のひらで踊らされた10年(どちらかといえば80年代でも後半あたり)ってことになるけどそれも仕方がない、「おたく」なのだから。けど同時に不足している部分があることも認める。セゾン文化と呼ばれるものが80年代を跳梁し跋扈した挙げ句に雲散したけどその辺りにどこまで踏み込んでいるのか。ニューミュージックと呼ばれる音楽が台頭しバンドブームが起こり一方で「おニャン子クラブ」なるものが世間を圧倒して消えたことにどこまで触れられているのか。「それは『おたく』じゃない」と言えば言えないこともないけれど、今ほど特定のジャンルに閉じこもってはいなかった「おたく」たちは世間一般で流行る音楽にも文化にもそれなりに感心は持っていた。影響は皆無ではなかったはずで、それを除外してはやっぱり80年代は振り返られない。

 「SF」はムーブメントにはならなかったけど80年代は初頭にデビューした神林長平さんに大原まり子さんに火浦功さんに草上仁さんといった面々がジャンル内で活躍しジャンル外へも進出したこともあった。ちょっとは触れて欲しいところだけど触れられていない。SFは大塚さんの眼中になかったとゆこと。仕方がな。けれどもゲームは違う。「ファミリーコンピュータ」が出てゲームが子供たちの間で人気となって今のゲーム大国へと日本を押し上げる基礎が創られたのが80年代。なのに「『おたく』の精神史 一九八〇年代論」には「ビックリマンチョコ」の話はあってもゲームについてはページがない。

 おそらくは大塚さんがゲームにのめり込まない人で、同時代的に経験していないから半ば私論であり自伝に近いニュアンスのこの本で、語る訳にはいかなかったんだろー。けどやっぱりはずせない「おたく」なアイテムな訳で、八〇年代後半におけるゲームとそれをとりまく出版なり、人材といったものを踏まえた論考が補完された「一九八〇年代論」とゆーのを、僕自身が大塚さんと同様にゲーム文化の先例をまるで受けていない関係もあって、ちょっと読んでみたい気がしている。この辺りはやっぱり干支一回り下の世代に頑張ってもらうしかないのかな。子供の文化だったからなー、「ファミコン」って。

今となっては虚しさも……ジーコの顔を掲げさせられたオマーン戦よりはマシか?  なんてことを考えながら到着した「埼玉スタジアム2002」で、前座(じゃないよ)として始まった五輪出場を決めるサッカー「U−23UAE代表vsU−23レバノン代表」を見物。ここでUAEが負ければ日本が俄然有利になる(とその時は思っていた)ってことで場内はにわかレバノン贔屓が大量発生。コールはレバノンを応援するものばかりになっていて、それに後押しされたかレバノンが2点をリードする展開になって、これで五輪はいただきだと(その時は)思ったけれど、さすがはUAEだけあって2点を追いつき試合はドロー。彼我の戦力差があっても油断等々といった要因で、勝敗が予想を覆すこともあるんだってことを痛感させられる。

 なのに続いて始まった「U−23日本代表vsU−23バーレーン代表」は、前半も30分くらいで要のトゥーリオ選手が肉離れだか何かで退場となり、阿部勇樹選手が入った辺りからじとっとした沈滞ムード。油断こそなかったものの攻めの勢いに欠ける内容で、前目の選手が前戦に吶喊しても後が続かず畳みかけられないとゆー、去年のゴールデンウィークあたりにミャンマーとかを相手に見せられた記憶もほのかに残る展開が続いてい不安が募る。慣れていないのかトゥーリオ選手と比べるのが間違いなのかは分からないけれど、最終ラインとボランチと、その前の間につながりがなくかといってサイドも突破できず、放り込んだら放り込んだでトップで高松大樹選手と田中達也選手が重なったりする場面もあって、効率よい攻めが出来てなくってイライラとした時間が過ぎる。

 そして後半。こぼれた所を叩き込まれてバーレーンに1点をリードされてしまったにも関わらず、中盤は厚くしても平山相太選手を入れてポスト役なりヘディング役として勢いを増すとかったことはせず、パワープレー移れないまま波状攻撃を跳ね返され続ける展開がやがて、試合終了となって幕切れを迎える。バーレーン1点、日本0点の敗戦。左サイドで登場した石川直宏選手を生かし切れず、右では茂庭選手が微妙な位置取りとプレー振りで戦力とゆーには微妙で、田中高松のトップも怖さを相手に感じさせられなかった辺りに、それでも彼らを起用した山本昌邦監督の采配への疑問を呈する声が起こりそー。

 まあそれでもまだまだ得失点差ではトップな訳で、ここは気持ちを切り替え次のレバノン戦で相手を一種して得点を貯めて、最後の「対U−23UAE戦」での勝利なり引き分けを待ち望むことにしよー。今日で目処が立つと思っていただけにUAE戦が予想を上回って大事な試合になって行く気モリモリ。平日だけど朝から代表ユニ姿で過ごすか。記者会見も大臣会見も全部。認められるよね。


【3月13日】 2回目の「イノセンス」、を見に行った早朝の日比谷スカラ座前にカメラを手にした女性を中心にした大勢の人だかり。「花とアリス」の舞台挨拶で誰か来ていたらしい。鈴木杏さん、ではないか、蒼井優さん、ってこともないからやっぱり郭智博さん目当て? でも誰なんだろー、郭さんって。向かいの日比谷映画劇場は9時50分の回からで3分の入り。上映1週間の1回目でこれならまあ成功の部類か。同じ志郎正宗さん絡みの某「ガンドレス」なんて2日目で悲惨な光景だったし。それ以前に映画が悲惨極まりなかったけれど。無限ナルトとか。

 2回目で内容はほぼバッチリ。砲撃して来る戦艦ってあくまで無限ループの中だけのデザインだったんだな。乗り込んだプラントはアクアポリス気味だったし。「2501」も改めて確認。だけどあれを見たのって無限ループに入ってたトグサなの? それともバトー? そこだけが不明。あとバトル人形が機動したシチュエーション。侵入者だけでなく警備の人まで倒しているのは何故? 北端へと移ってのシーン。中華でリオなお祭りのシーンで、かかる音楽が「ボーン・フリー・スピリット」byロブバードでも合いそーな気が。あれは血沸き肉踊るCMだった。懐かしいと遠い目。「カップヌードル」は未だに存在。偉大なり。

 犬印、だと妊婦帯か、犬パッケージのドッグフード(ドライにしとけ)が開けられたトレイにむしゃぶりつく犬の耳が汚れないよう広げて置き直すバトー。細かい描写。飼い主だけが知る習性。治療施設へ連れてこられた犬の頬。引っ張るとよく伸びる。これも飼い主だから描けるシチュエーション。エンディング。トグサの娘の人形はまるで動かない。人形だから当たり前。バトーが抱える犬は2度瞬き。生きている犬と動かない人形の、どちらが人間らしいのか。人間っていったい何なんだ? 人間は人間だから人間でそれ以外は犬だろうと人形だろうとそれ以外、だよ。自己愛に溢れた者の意見。だから人間って何なんだ? 俺様が人間だ。自己中に満ちた者の意見。ここに帰結するのか。そこからさらに「人間とは」へと向かうのか。

 せっかくだからと日比谷線で六本木。「六本木ヒルズ」のミュージアムショップで犬印のドッグフードを購入。バトーみたく3つまとめ買い。バトーは4つだったっけ。映画とまるで同じデザインがナイス。牛肉100%って書いてある。良いもの喰ってやがるぜガブ。でも中身は小麦に卵にあれやこれ。つまりはクッキー。箱も映画よりちょっと小ぶり。同じサイズにしてくれれば、グッズとしてなお面白かったのに。そもそも「六本木ヒルズ」でしか売ってないのは何故? キャンペーングッズが余ったんでひと商売って奴? 映画館で売れば売れそーなのに。上映中に貪る奴とかいて楽しいのに。あそこは映画会社の縄張りだから売れないのか。アニメグッズじゃないとアニメを見る奴らに売れないと未だに思っているのか。それを言うなら「イノセンス」で絵柄目当てでグッズを買う奴なんていないと思うけど。萌えないもん。バトーでもキムでもガブちゃんでも。

 初台へと遠征。「ICC」で「見ることは信じること」。目当ては八谷和彦さん。去年の夏に「ミズマアートギャラリー」で上映会「メーヴェが飛んだ日」みたいなイベントでお目にかかって以来。夏だとTシャツで鍛えられた胸筋がパンパンな八谷さんも、冬だとトレーナーだか長袖シャツで少しゆったり。でもスポンサーロゴっぽい文字がいっぱいのシャツで格好良い。どこで見つけて来るんだろ。自作? そーいや「ジェットボード」の実験の時にヘルメットキャップを買ったっけ。八谷ブランドのファッションってイケるんじゃない。ピンクのクマより。

 先陣を切った茅原拓郎さんで気を失う。春眠って奴? でも手にしたペンは落とさない。バインダーも抱えたまま。これが高校で鍛えた技って奴だ。成績にはまるでつながらなかったけど。続く八谷和彦さん。「視聴覚交換マシーン」が出来た経緯で何億円ものバーチャルリアリティ装置への異論があったことに爆笑。誰もが着用。重たくて辟易。染みる汗。故に「汗くサイバー」。そんなの嫌。だから軽く。スキーのゴーグルにカシオの液晶テレビに監視カメラのCCD。そしてトランスミッター。30万円で出来たのか。それであの体験。10年経っても通じる内容。テクノロジーに依拠したメディアアートが2年で陳腐化するのに。ナムジュン・パイクのビデオアートは今見ても新鮮。つまりはアートはテクノロジーでなく着想ってことで。

 つけていると「視聴覚交換マシン」、だんだんと2人の動きがシンクロしてくるのが面白いところか。相手が下を向く。自分の目の前のモニターに下を向いた映像が映る。合わせて下を向く。相手の目に自分の首が向かった下が映る。なのでやっぱり下を向き……とった具合。そのうちにだんだんと動きが重なってくる。とゆーより重なった方がより効率的に事を運べると気付く。肩を組んで歩行。並んでいっしょに食事。方でつながったシャム双生児になった気分。「視聴覚交換マシン」はつまりコミュニケーション促進マシン、だったんだ。8時間を椹木野依さんと視聴覚を交換した八谷さん。一心同体少女隊。ちなみに椹木さんは男性です。

 下條信輔さんは静岡駅前に出来る「静岡市立科学館る・く・る」だかの宣伝。屋内型「養老天命反転地」? イリュージョンな壁紙とか、前に進んでいるのに下がっていたり曲がっているのに落ちていたりするよーに思えるライドが面白そー。トンネルに描かれた線条がテレビドラマ「タイムトンネル」みたい。けど過去には行けません。1回に1人しか乗れないんで体験は大変そー。好いてる時を狙っていくか。そもそも大人は乗れるのか。下條さん、頭がショートモヒカンで顎に髯。顔を握ってぐりぐりとひっくり返すと髪は髯に、髯は髪になってちゃんと顔に見えたかも。信じることが見ることだ。

 日本における「汗くサイバー」の第一人者、前田太郎さんも登場、一昨年の「ルネサンス・ジェネレーション」以来の拝顔、だけど東大の人ではなく「NTTコミュニケーション研究所」の人になっていた、野に下るってゆー奴? それとも一時の出向か。シンポジウムの予定には入ってなくて意外な再開。話は八谷さんと並んで面白かった、春眠暁を覚えなかったし。見せてくれたのは「ジャンボーグエース」、ではないけど人間の手とかの動きをまんま反映して動き握るロボット。こいつで動かしている人間をつつくと、動かしている人間は地球を1周して背中をつつかれている感覚になるとか。身体感覚、ってのの不思議に思いを馳せる。でも棒だから感じる感覚で、ボールをぶつける場合はまた違うのか。それとも地球を1周してボールが戻ってくる感覚になるのか。

 総じて教えられたのは目という器官の大きさか。魚の目だろうと象の目だろうと見えてなんぼ。見えないで風を、気配を感じるだけだったら錯覚トンネルも逆さ眼鏡もまるで用をなさない。「視聴覚交換マシン」は聴覚が入れ替わるから目をつぶってもそっちで、自分に閉じこもれないんでまた違った経験、より深い自分と他人を考える経験が出来るのかも。その意味で「視覚」じゃなく「視聴覚交換」にした八谷さんの直感は正解。どこかの国で、聴覚が不自由な子供達がこれを楽しんだって経験を話してくれた八谷さん。視覚が不自由な人が聴覚を、世界を感じる大きな拠り所にしている聴覚を交換するとどうなるんだろうか。先天的に見えない人、かつては目で世界を感じていた人で違いはあるんだろうか。

 我が名古屋グランパスエイトは移籍の人たちが大活躍。今年はイケるか。ジェフユナイテッド市原も負けはこそすれ強そー。でもヴィッセル神戸もイルハン選手が本調子ならやりそー。横浜F・マリノスはアン・ジョンファン選手がよさそー。久保竜彦選手もキレてそー。田中達也選手が戻った浦和レッズはいきそー。15歳がキレキレな東京ヴェルディ1969はすごそー。和製ロナウドってニックネームは辞めて。縁起が悪いし。前にそんな名前の選手がいたけど今、いないんだよね。どこもかしこも優勝しそー。アレックスにアンが抜けた清水エスパルスだって底力。でもやっぱりジュビロ磐田が強そー。それでもやっぱりグランパスには優勝して欲しいもの。関東に来るのは何時だろー。見に行くぞ。


【3月12日】 「冬のオペラグラス」だったら勝利者か。挨拶に行った先でカメラを置き忘れて取りに行ったついでに立ち寄った「博品館トイパーク」で、さらに1枚の「8盤」レコード「おニャン子クラブ」シングルメモリーズを1枚購入。これまた「バナナの涙」だったら泣くよバナナンボー、って恐る恐る開けて出てきたのが新田恵利さんで一安心。一応は知ってるメンバーだったんでとりあえずは勝利したと思うことにする。しかしとりたててどーとゆーことのない顔に歌。これがどーしてあの時代にあれほどまでに受けたんだろーと訝りつつ、テレビを着けて出てきたあいぼんにこれこそが現代を象徴するミューズだと、感じ入る僕に審美眼とか節操はあるのか、無いのか。

 「十兵衛ちゃん2 シベリア柳生の逆襲」はどーにも奇妙な所へと後退してしまった菜の花自由に果たして復活の日は訪れるのかってゆーシビアな展開。涙果てて枯れ木と貸した鮎之介が未だしっかと抱えた「ラブリー眼帯」を取るにはやっぱり枝とか切らなきゃいけないんだろーけどそれやるともしも復活した時に鮎の介の手足に不自由なところが出てしまうし。まあ鯉之介だって干物になってもお湯かけ3分で復活してたから鮎の介もその場で華麗に復活してくれるでしょー。お湯がない? 女性2人いればほら、溜まり溜まった中より迸る黄金(以下自粛)。

 すさまじきかなスペイン列車爆破。犯人としてアルカイダの名前が上がり始めて日本も名指しされてるよーでこれから日本は引くべきなのか進むべきなのかって議論が活発になって来そー。でも小泉首相は間抜けの一つ覚えのよーに「テロには屈しない」とゆーだけで「責任はとるのか」と聞かれても「テロに屈しないのが日本としての責任だ」とか言って話をズラしてしまいそー。かといってその目を覚まさせるために事件が起こるってのもなー。

 それはそれとして、あれだけの事件を起こせるまでに爆弾とか集めよーとした過程でどーして公安とかにバレなかったのかが不思議。「9・11」から時間が経って気がユルみかかっていたとしても、それなりの情報網を構築してただろーから、日本の公安とか米国のFBIに当たる組織が事前にテロの情報をつかんでパクってたって不思議じゃない。それをかいくぐって事件を起こすまでになっているんだとしたら、もはや世界に安全な所はないってことなのか。米軍だかフランス軍だかに守られたサマーワの自衛隊キャンプが1番安全だったりするのかな。

 もっともだからといって全国民をさらに厳重な管理下におけば、どんなテロだって犯罪だって未然に防げて安全って安心できるかってゆーと疑問。韓国でもあったけどペットボトル1本のガソリンで地下鉄をまるまる燃やして何百人も1度に殺傷できる訳で、誰かが突発的にそんな行動を取ることを未然に察知したり防止するのは不可能に近い。心の病の履歴も把握すれば、って言っても心に病のある人だけがそーした事態を引き起こす訳じゃない、フラれて突発的に、なんてことだって考えられる訳で、そーなると管理していよーがされていよーが安全な所なんてこの世に存在しないことになる。

 なのでここはやっぱり誰もが誰もを信じることができ、安全を幻想ではなく現実として共有できるだけの社会を作り、維持することが大切なんだろーけれど、それって教育の問題家庭の問題ってのが大きな役割を果たしているから難しい。どちらも何十年もかかって崩壊して来たもので、これを立て直そうとするとやっぱり何十年もかかってしまう。ひったくりして老人を殺害してしまったと心配しても自首せずそれを女友達に話す若者。そんな人ひとり死んでいる深刻極まりない話をそらっと日記に書いてしまう女友達。ひったくりする行為そのものがモラルの綻びを現してはいるけれど、その後のあっけらかんとした展開の方により怖ろしさを感じてしまう。10年後にいったい世界はどーなってしまうんだろー。

 「サッカー批評」の第22号は「日本サッカーの論点」と題して日本代表とかJリーグとかについての徹底批評、な雑誌の冒頭にジェフユナイテッド市原のイビチャ・オシム監督のインタビューを持って来るってことはつまり、日本代表を率いるあの人への「サッカー批評」なりの当てつけか。実際に巻頭言の所でも「日本サッカーの沸点」だなんて号のテーマをパロった感じで現代表のとりわけ監督の人に厳しい注文を付けつつ川淵三郎キャプテンの英断を誘ってるし、この意図が奏功して代表監督がオシム監督になれば面白いかもしれないけれど走って鍛え上げる手腕をそのまま代表に当てはめることは出来ないから、やっぱりオシムでは無理なのかな、でも走れる人間を集めて戦術にはめることは可能か、やっぱりオシムが良いのかな。

 本文の方だと続く大住良之さんの記事で、人間としての大きさに敬意を表しながらも代表監督としてのジーコには苦言を呈してもらってる。武智幸徳さんのお遊び入った記事も厳しさ満載で、トーンとしてはつまりは「ノーZICO」なんだけど論理的過ぎて過激さにかけて敵本丸へと切実さを持って迫れるかどーかが微妙。期待するのはやっぱり大メジャーな新聞たちなんだろーけど分析されてる「スターシステム」の最大のスターを自ら汚すことが出来るとは思えないし。ともあれ週末の我らが五輪代表の試合でA代表との”違い”が明らかになって、月末だか来月のシンガポール線でその”違い”がさらに明確になればキャプテンだって考えるだろー。これからの2週間が楽しみ。でもって4月にガッカリ?


【3月11日】 朝から出かけなくっちゃいけない用事があってその回し(準備の意)をしている間に「R.O.D」を見る。読子・リードマンにアニタちゃんをたかだかネバネバなトリモチで縛っておけると思っているならミラーマン、余程の阿呆としか思えないんだけど自力光学迷彩を使って見えないよーに体を変えられるから例え、逃げられても大丈夫だと安心したのかも。でも2人が四方八方に紙技を使えばすぐさま一刀両断されそーな気も。ナンシー幕張じゃないんだし。

 そのナンシーの子供と判明したジュニアがちょっと良い感じに親子していたと思ったらあっけなく元の鞘に収まってしまった。いったいどんな洗脳が施されているのやら。ウェンディの色香? そんなものは存在しない。ドレイクがいてガスであっさり、ってのも謎。ちょっとは寝ぼけても油断はしない歴戦の勇士を侍らせておく意味がないじゃん。ともあれバトルが始まりジョーカーとの決戦へと向かうクライマックス、一体どんな帰結を見せるかと来週も再来週も……放送中止? お台場に紙爆弾だ。

 起き出して有楽町へと行って社長盛りを見る。裸になった社長の上に刺身のお作りが載った食べ物、ではなくって「吉野家」が豚丼を全国一斉発売するにあたって250円のキャンペーン価格を導入したことを、満天下にアピールするために社長の人が久方ぶりにお玉か何かを手に持ちカウンターに経って豚丼を盛ったもの。いってしまえば社長を看板にした一大PR作戦ってことでそれに分かっているけど放映を飛ばすことの出来ないメディアがわんさを群がり、朝から「吉野家有楽町店」は何十人もの人垣が出来てお祭り状態になっていた。そのうちの1人に僕も入っているんだけど。横並びから外れる訳にはいかないんだよ、今の日本のメディア状況では。

 流石は元バイトってゆー社長の人は手にもったお玉か何かでささっと肉をすくいとっては店長さんらしー人がご飯をよそった丼の上に載せて「豚丼いっちょう」ってな所を見せてくれたけど、プロフェッショナルな吉野家の人って手にした重さをグラム単位まで感じ取ることが出来るって聞いていて、牛とは比重のたぶん異なる豚をよそって果たして正確無比な肉盛が出来るんだろーかと聞いてみたくなった。堀井憲一郎さんに再びずんずん調査してもらおーかなー、豚丼の肉盛の分量とご飯のつゆの染み具合を。

 前に牛丼が出せなくなるって会見をしてそこで過去を捨てて新しい会社になる覚悟を示したのもつかの間、数日後の朝日新聞のインタビューで単品主義へのこだわりを主張していて一体何があったのか、あるいは牛肉輸入再開の目処でも立っているのかって不思議に思ったけれど今日のパフォーマンス後の会見で社長の人は、過去へのこだわりも見栄もあっさりと捨てて、新しいメニューをひっさげ最後発のフードチェーンとして活動していく旨、主張していたから1月の会見の時と気持ちは一切、変わってなかったって言えそー。だとしたらますます不思議なのは朝日新聞のあのインタビュー。やっぱり一瞬弱気になっていたのかな。それとも針小棒大牽強付会の現れかな。

 駅で「R25」の第2号を広う。リクルートが25歳とかって男性向けに情報を提供するために出した初めてのフリーマガジンで、とりあえず1カ月を首都圏でテスト配布して様子を見た上で、全国規模に広げていく考えだとか。「トーキョーヘッドライン」みたく地域に向けて情報を発信して地域に向けた広告を集めるってビジネスモデルはあるけれど、ナショナルクライアントを入れて全国に向けて情報を送り届けるフリーメディアが果たして成立するのか、するとしたらそれはどんな形のものになるのかって所を「R25」が見せてくれそーで、成り行きをちょっと注目している。営団ではなく都営の地下鉄が中心なのがネックだけど、見つけたら拾って読んでみましょー、結構情報が豊富で面白いし。

 その情報として竹熊健太郎さんの「マンガ原稿料はなぜ安いのか?」(イースト・プレス刊、1200円)が紹介されていて結構濃い情報も載っているなあと感心。この1年ちょっとくらいお目にかかる機会もなくって大学の講師とかされているって話を聞きつつもいったい何をしているんだろーと思っていたらこーゆーシビアな本を書いていたとは。別に漫画出版社にケンカを売ろうってことじゃなくってそのまま「マンガ原稿料はなぜ安いのか?」を日本の出版社の構造から説明した本、ってことになっているみたいで読めば漫画がどーゆー状況で生まれ、そこにどーゆー人たちがどーゆー熱意のベクトルで関わっているのかが分かりそー。業界を志す人も漫画が好きな人も注目の1冊。紹介者は……伊藤剛さんじゃないですか、こちらも1年ちょっとご無沙汰だなあ。リクルートと仕事があって羨ましいなあ。

 「博品館トイパーク」へと出かけて「8盤レコード」の専用プレーヤーとレコードの「おニャン子クラブシングルメモリーズ」を2枚買って開けた1枚目「うしろゆびさされ組」の「バナナの涙」だった僕は勝利者だろーか。すでに大学生になっていて夕方は学校から帰る途中にあったかバイトに行ってたんで、「おニャン子」に某哲学者ほどはハマってなかったんだけど、それでも少しは知っている名前のうちでも割りにお気に入りだったチームの知ってる曲ってことはやっぱり勝利者だったって言えそー。ちなみにゆうゆう原理主義者ではありません。高井麻巳子派です。秋元康さんはニクいです。2枚目は……「バナナの涙」。勝利者だろうーか敗者だろーか。


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