縮刷版2004年3月上旬号


【3月10日】 最初に読んだのっていつなんだろう、と思い出そーとして20年くらい前だっただろーかと、思い返してその間に実に大勢の人が、この雑誌の上で取り上げられたものだと感嘆しつつ、わずかながらもそのうちの何人かとは面識も出来たことに自分の歩んできた20年の足跡を振り返って慨嘆する。取り上げられるくらいに大物になれれば良いな、ってゆーかなってるはずだと20年くらい前にはちょっとくらい考えていたけどそこに至るまでの才覚はやっぱりなかったみたい。それにしても「七人のバカ」に山形浩生さんが取り上げられる日が来ようとはなあ。

 期待したいたことがあるとしたら、勤め先についても悲惨な状況がさらに悲惨な状況へと転じて来ていることが取り上げられ、悲惨さの原因に鉄槌が下るって日が訪れることだったけど、今に至るまでまるでを見ることもなく悲惨さは持続され増幅されていくばかり。それもこれもマイナーさが悪いんだって諦めつつ、あとは後を嗣ぐ雑誌に期待してみたくなるけど「サイゾー」だって「創」だってマイナーなネタを取り上げ紙価を敢えて下げる冒険もしたくないだろーし。かくして悲惨さは続く、永劫に。そんな私事私怨を心残りにしてしまう自分って相変わらず矮小で卑俗。ともあれ合掌しよー、「噂の眞相」2004年4月号、休刊に。

 「ニュータイプ」の大勝利。になるんだろーアニメ雑誌の2004年4月号の売り上げバトルはもともとが圧倒的な部数を誇る「ニュータイプ」が「機動戦士ガンダムSEED」のキラとアスランの2人を表紙に配したに留まらず、本誌と同じ版型と本誌に匹敵するくらいのボリュームで「SEED」の情報を満載の別冊を付けて来るんだからファンやマニアはたまらない。対して「アニメージュ」はおっさんと犬が表紙。美少女もいるにはいるけど人間じゃなく人形で裸だけど人形なんで硬そうで、顔も”萌え”っぽさとは無縁の顔。これを見て手に取り買おうってゆー中高生が、果たしてどれだけいるんだろーか。僕が中高生だったら買ってたかな、買ってたな、そーゆー奴だよ「アニメージュ」を買うアニメファンって人種は。

 「八重洲ブックセンター」に行ったら突発的に神林長平さんの単行本が出ていて即座に買う。何故にヒヨコ舎から? そもそもヒヨコ舎って何? なんて疑問も浮かんだけど前に1冊2冊、ヒヨコ舎の本を仕事の書評で取り上げたよーな記憶もるんで決して出来たばかりのマイナー出版社ではなさそー。しかしやっぱり神林さんの本が何故? って不思議は残るけど。その本「麦撃機の飛ぶ空」(ヒヨコ舎、1800円)は「SFショートショート傑作選」をうたれているよーに比較的短い短編ばかりを集めて収録したもので、「SFマガジン」に掲載された「エデン」に「射性」と「SFアドベンチャー」掲載の「麦撃」と、あとは「ログイン」やら神林同盟の会報か何かに掲載された13篇が読めるんで、若くして「ログイン」なんて雑誌があったことを知らずそれでいて神林コンプリートを狙っている人は必読でしょー。普通に普通の本屋で買えるのかな。

 ついでに新書4冊を束ねた、訳ではないけど中身はまさしくそのとーりな森博嗣さん「四季」の「愛蔵版」とやらを購入。まるで島田荘司さんの単行本みたく分厚いけれど中は段組じゃないから読むのにそれほどの苦労はなさそう。つまりは新書で出ていたバージョンはまだ読んでないってことだけど。新書の方が寝転がって読む分には楽なんだがなー。そんな八重洲ブックセンターでは果たしてどんなランクだったから不明ながらご同業の丸善では新書で1位、アマゾンでも1位とゆー栄誉を勝ち取った高橋眞人さん「宣伝費ゼロ次代の新しいPR術」(河出書房新社、720円)を頂戴する。読売新聞を辞めてPR会社を経て日本メディアストラテジーを立ち上げた人で記者としてPR会社と付き合った経験にPR会社の人としてメディアと付き合った経験を合わせてどーすればよく取り上げられるPRを行えるか、ってノウハウが紹介されている。

 その言質は究めて的確。記者が見て興味を持ってくれそーなプレスリリースの書き方から、それをどこに送れば良いかってアドバイス、そしてプレスリリースを出した後の問い合わせにどーやって対応するのかって辺りまでが、豊富な事例を盛り込みPRの対象になるマスコミの記者の”習性”なんかも含めて実に丁寧に解説されていて、これを読めば記者なんて手の平の上で簡単に踊らせられそーな気になって来る。もっともそーした予想を上回って記者ってのは難渋な生き物なんだけど。

 ってゆーかこの本に書かれている記者たちを、メディアにもPRにも関係のない人が読んだら「記者ってこんなに酷い奴らだったのか」って思いそー。メディアとゆーものに所属しているってだけでそれを嵩に着て広報を怒鳴り特別扱いされないと機嫌を悪くする、狭量で夜郎自大で卑俗な存在にしか取れないんだよね。PRの人たちはお仕事として記者との付き合い方を学びもちろん良いPRを行う方法を学べる本。記者の人も自分たちの病んだ姿を鏡像として見せつけられて反省できます。もっともそれで反省するくらいなら最初っから怒鳴りつけはしないんだけど。


【3月9日】 これはいける、かもしれない。「週刊サッカーダイジェスト」の2004年3月23日号に掲載の村山文夫さんの漫画「スーパーさぶっ!!劇場」。U−23日本代表ではほぼ不動のスターティングツートップとなった田中達也選手と平山相太選手がこれまでの東京タワー&山手線的な特徴を活かした攻め方をさらに発展させた素晴らしすぎる攻撃方法を披露。その名も「ツインシザース」はまず田中選手が片足でボールを跨ぐシザースを敢行したその上から平山選手が田中選手の頭の上で片足を跨ぎ越すシザースを行い、イッタイコレハナンゴトダビッチと敵が戸惑っているうちに田中選手がシュートを決めるとゆーこの技を、受けて果たしてロシアは、イランは、UAEは防ぐことが出来るだろーか。ここに平山選手の上をさらにまたぎ越す選手がいれば完璧なんだけど。帰化させるかヤオミン。

 喉元過ぎたかジーコ監督へのブーイング記事もなりを潜めた感じのサッカー雑誌にあって「週刊サッカーマガジン」2004年3月23日号では伊東武彦編集長が巻頭言で引き続きチクリ。ワンタッチのパスワークを見せてUAEのU−23代表を撃破したU−23日本代表に未だ至らない部分があると苦言を呈しつつもそーした形を持っていることを上げて「内容がよくないという表現が、それがどの程度できたかという意味。チームコンセプトがあるか、ないか。何をやろうとしているかさっぱり分からないチームとの違いはそこにある」って言って暗にA代表に苦言とゆーかクレームを付けているよーに見える。まあ勘ぐりすぎでもっと別の、Jリーグのチームに対する言葉なのかもしれないけれどパッと思い浮かばないから分からない。ってかパッと一番に思い浮かぶのがA代表ってのが、なあ。そんな代表に誰がした?

 さても「週刊サカマガ」ではJリーグの順位予想も実施。わが名古屋グランパスエイトを1位に押すのは中日新聞中日スポーツに東京新聞とゆー「中日グループ」の3社のみ。1社「東京中日スポーツ」は仲間の癖して裏切って横浜F・マリノスを1位に推していやがってきっとこれが出てからしばらくしたら、書いた荒川敬則記者の姿は遠く彼方へと見えなくなることだろー。神奈川新聞行き? 1番多かったのはやっぱりその横浜F・マリノスで実に16社が1位に推しててプレシーズンの外国での戦いで優勝できず「ゼロックススーパーカップ」でも原人&美形の日韓ツートップが未だ機能していない実態が明らかになってもやっぱり、シーズンに入ればきっちりまとめてくるって読みがあるんだろー。サンキュー坂田もJに専念できる訳だし。2番目がジュビロ磐田でこれも納得。3番目が名古屋の3人より1人多い4人の鹿島アントラーズってのは微妙。小笠原満夫選手のモチベーションが月内にちゃんと盛り上がるって読みがあるのかな。つまりはA代表から外れて減退復帰を果たすってゆー。柳沢選手の復帰って線もあったりして。ありそーな気が。

 ゆうきまさみさんの「鉄腕バーディー」も第4巻。かつて「増刊少年サンデー」で掲載されていた時には単行本が出る間もなく終わって後に出たけど1巻ってうたれた割には続きが出ない状態になって悲しい思いをさせられたのに、リニューアルしたこっちは順調に巻を重ねてどちらかと言えば前作ののりとそれからキャラクターの雰囲気が好きだった身としては複雑な感情に身もだえる。表紙のブレザーを裸体にまとったバーディーのビジュアルとか嫌いじゃないしバチルスに足を捕まれ逆さ吊りにされる早宮の脚の付け根に覗く白のオンパレードは有り難くって拝みたくなるけれど、ストーリーの展開がどうにも遅くてどこへと向かうのか、どーなったら帰結となるのか見えない状態にカタルシスを得られずこれまた身もだえる。ヌードに裸ブレザーを披露してくれるバーディのビジュアルを楽しむのも一興だけどそれも溢れれば飽きるもの。もーちょっと敵に迫るよーな展開の速さを見せて欲しいものだけど、でもまあ続いているだけマシってことで文句を言わずに応援しておこー。でないとまたしても中途切れのによる身もだえ20年の刑に処せられるから。

 つー訳で「東京オペラシティー」なんてゴージャスな場所で開かれた「ドラゴンクエストミーティング」なるイベントを見物。すぎやまこういちさんが登場して本当の指揮者みたいな(本当の指揮者だってば)フリで「ドラクエ」の第5作目「天空の城」で使われている音楽をフルオーケストラで聴かせてくれて、1作品として「ドラクエ」をプレーしたことのない僕でも知ってるテーマソングを始めとしたすぎやま節を聞かせてくれて耳が嬉しくなる。その後を受けて登場したスクウェア・エニックスの和田洋一社長は「ドラクエ」を使って下は幼児から上は中年までをもターゲットに商売をしていく考えを表明。以前のスクエアだけの時の「ファイナルファンタジー」シリーズで不可能だったこーしたマルチエイジな展開が、「ドラクエ」シリーズを持つエニックスとの合併で可能になったってことで、「トッププライオリティーの確保」を狙った合併の効果が早速出てきているって言えそー。業界での和田さんのプライオリティーもトップクラスになった訳だし。

 今回は「プレイステーション2」向けにリニューアルされた「ドラゴンクエスト5」の紹介がメインだったけどそれだけじゃー納得しないメディアに向けて今回は、「ドラクエ5」に同梱される「ドラゴンクエスト8」の映像もスクリーンにて初披露。その絵は2Dのデフォルメされたキャラクターがまんま3D化されただけって言える「ドラクエ5」のリニューアル版とは違って、テレビアニメなんかでよく見る鳥山明さん的なデザインの頭身が高いキャラクターが、そのまま3Dでそれもトゥーンシェイドのアニメっぽい塗りになって登場するよーになっていて、動かして楽しむアニメって雰囲気をより楽しめそー。とりわけバストの大きなブルマっぽい女性のキャラクターの突き出た胸が歩いても回っても揺れて動くよーになっているのが個人的には超万歳。ポリゴンの密度が上がり過ぎたかそれともセーブしているのか、揺れが昔より官能的じゃなくなった「デッド・オア・アライブ」に悔しい思いをしている身として、これを見るためだけに「ドラクエ5」を買っても良いって思えて来た。本編だったらさらに様々な角度で楽しめるんだろーなー。頑張って待とう。例え「プレステ2」が次世代に変わっていても。


【3月8日】 「超重神グラヴィオン ツヴァイ」はいよいよクライマックス、で良いのかは分からないけど今までの1回1体ってセオリーを無視して大量に押し寄せた敵・ゼラバイヤだかのメカを相手に国家のチームが苦戦を続ける中、満を持して登場したはずの「グラヴィオン」もメンバーが足りないってことが理由かあっさり撃退されてしまってジ・エンド。かくして人間は滅び去ったとなるかならないかってところで突然現れた新しいメカに新しいキャラクターが、次週以降にどんな活躍振りを見せてくれるのかに興味が及ぶ。レイヴンも来週は再びマスクを外すみたいでこれは必見。とはいえレイヴン、予告編の限りだと前の登場時みたいな肉体的な変形は見せてくれそーもないのがちょっと残念なところ。さてどーなるか。「U−23日本代表vsU−23バーレーン代表」を見極めた後は速攻帰宅だスイッチオンだ。

 他の農場に迷惑はかけたし消費者への不安も招いたけれど、人間が現時点で死んだ訳でもなく病気になったって話も届いていない。疾病発生の届け出を怠ったとゆー法的な責任を負いつつもそれが他の例えば贈収賄やら秘書給与の搾取といった犯罪に比して、どれだけの重さがあるのか未だ曖昧としている段階にも関わらず、世間を恐怖のどん底へと叩き込んだ大罪人的な扱いを連日され続ければ、それが本当の大悪人だって参ってしまうものだろー。カラスに感染が及ぶに至って、可能性としてのアウトブレイクへの怖ろしさは踏まえるべきながらも、眼前にいるその当事者がどれだけの”罪”を犯したのか、またそれはどういった心理的物理的な状況で起こったのか、といった背景へと思いを馳せて人間として起こり得る失敗と認めつつ、次への対策を考えるのがより建設的な責め方だっただろー。

 にも関わらず、これと決めたスケープゴートはとことん追いつめさらし上げる、それもより人間性へと踏み込む形で内容をエスカレートさせながら追いつめていくメディアスクラムを前にして、もはや再浮上への道はなくそれどころか進む1歩さえ残っていないと絶望的な気になったとしてもおかしくはない。経営していた会長とその妻の自殺とゆー、傷ましくも悲しむべき最悪の形でひとつの幕引きが行われた京都での鶏インフルエンザの大発生事件。「会長夫妻の自殺」のニュースを関わっていたメディアがどーゆー気持ちで報じたのかが今は知りたくて仕方がない。悪であった。だから追った。といった勧善懲悪を口にする人がいる可能性もあるけれど、こと現場で日々接していた人たちに関しては、自分たちの書いたことがその生死に影響をどう与えたかを考えていない訳はない。おそらくは生涯、1つの重たい十字架を意識しながら仕事を続けていくことになるんだろー。同情する。1つ間違えれば我が身だった訳だし。

 問題はそーした現場での過去から繰り返され続けている”悲劇”、いわゆるメディアスクラムがもたらす悲しい出来事が未だ消えないとゆーことで、他が書くならうちも書く、それもより多くの情報を盛り込んだ形で書かなくては読者はともかく自分たちが我慢できないとゆー、どっぷりとメディアに浸かった偉い人たちが現場での感情の機微を知ってか知らずか、自分たちの望むストーリーにのみ固執しそこにあてはめてしまう状況が、なくならないことが背景にあるのだろー。現場で例え悲劇を目の当たりにしても、上に行けば気にするのはさらに上にいる者の意識であり、そーした意識が指し示す他との関係。いずれ悲劇の経験は奥底へと追いやられ、かくして横目平目ばかりが横行し、メディアスクラムが蔓延ることになる。

 タイミング良く発売された、中村俊介さんとゆー朝日新聞学芸部の記者が書いた「文化財報道と新聞記者」(吉川弘文館、1785円)の中に、大分県の聖獄洞移籍をめぐって起こったねつ造疑惑で、疑いをかけられた老学者が潔白を訴え自死を選んだ一件が紹介されている。文化財のねつ造は道義的な問題はあっても、鳥インフルエンザとゆー重大事でもって世間を脅かした今回の一件とはレベルが違うから一緒にすることは難しいし、当の老学者の学問への純粋さを農園経営者の商売への熱情と一緒にすることも出来ないかもしれない。けれども当時の風潮では、遺跡ねつ造は国家的な犯罪といった空気があって、そんな状況下で釈明も通じずメディアにただただ”犯罪者”扱いされた結果、起こった悲劇という意味では共通する部分も少なからずある。

 間を置かず繰り返されるこーした事態は果たしてどーすればなくせるのか。メディアが大人しくなれば良いのか? そうではないが、そうでもある。多分バランスだろー。だったらその塩梅は? それが見えない。だから他に基準を求めよーとして裁判とゆー制度が出て来てしまい、事情の分からない司法によってメディアに多大な負担が背負わされることになる。結果、裁判沙汰になりそーもないより安全な、すなわち叩きやすい対象(今回の場合は農園経営者)へとメディアへの関心は集中し、そして更なる悲劇が起こるとゆー悪循環へと向かってしまう。こーした負の連鎖は断ち切れるのか。それには何が必要か。誰もメディアを信じなくなること、信じるに足る情報のみに関心を示すことによって夜郎自大なメディアを追いつめることしかなさそーなんだけど、そーなるにはやっぱりまだまだ時間がかかりそー。かくして悲劇は繰り返され、最前線では意あるジャーナリストの摩耗が進む。ニッポンの未来は暗いねえ。

 今日も地下鉄のキオスクに赤い題字のタワー。まーそりゃスポーツ紙がトップで持ってきて書くよーなゴルフのトーナメントでの宮里藍選手のプロ転向優勝&催促優勝を、日曜日になってろくすっぽ取材もできない状況の中で過去の情報を探してつなぎ合わせて「だからゴルフ人気が盛り上がる」なんて記事に仕立て上げたところで、それを読んで宮里選手がどんな活躍を見せたのかってドラマが読めるわけでもないし、ゴルフの道具に関する蘊蓄が盛り込まれている訳でもない。サントリーとかJALとかいろんな所がスポンサーに付いてます、って紹介はあるけれどそれは宮里藍選手個人のことであって、歩く広告塔が1人出来ましたって意味はあっても、これをもって景気が盛り上がるってことでもない。手を伸ばしたい気にならないのも仕方がない。写真が頭抜けて良ければ別だろーけどモデルがモデルなんでそれは無理ってゆーものだし。

 にも関わらず。世間が関心を持ちそーなことを一緒になって書くのが新聞で、他に出ていることが出ていないと途端に不安になってしまうとゆー、同じメディアの中で起こっていることしか見ない典型的メディア人間たちの発想にプラスアルファで、無理にでも経済の話に仕立て上げないといけないとゆー強迫観念も重なって、世間がまるで望まない形にして記事にして1面トップに掲げてしまうから話がややこしくなる。だいたいが藍がアイだってことで杉山愛に上村愛子に福原愛といった、「藍」では全然ない上にキャリアもカテゴリーもまるで違う(杉山なんて10年選手、上村愛子だって長野五輪から6年だ)スポーツ選手を並べて「スポーツ選手がこんなに注目されてます」とやって面白いのかどーか。読み手にとっては今さらですらない関心の埒外にある記事を、1面トップに掲げて自己満足に浸ってる感じがありありな新聞を、駅頭で見て是非に欲しいと果たしてどれだけの人が思ったのか。思わなかったからのタワーなんだけど。

 折角作ったのに、って久美沙織さんはガックリしているんだろーか。五輪代表のアジア最終予選の日本ラウンドにのぞむ選手の候補から横浜F・マリノスの坂田大輔選手が外れてしまって、「日本SF大賞」「日本SF新人賞」の贈賞式にわざわざ背番号19番で「SAKATA」の文字を入れた新しい日本代表のユニフォームを着て来た久美さんが、果たして次に着る機会はあるんだろーかと心配になる。そんな自分はワールドカップに出られなかった中村俊輔選手の背番号とネーム入りを来てワールドカップに応変に行ったくらいだから、別にいよーがいまいが構わないと思っているんだけど、でもやっぱり応援するならそこに同じ番号とネームを付けた人がいて欲しいもの。なので坂田選手にはアテネ五輪の本番には是非に復活してもらいもの。そーなったら久美さんはアテネのスタジアムに行くのかな。


【3月7日】 「サンケイスポーツ」の2004年3月7日付けに「イノセンス」が押井戸守監督の9年振りの作品だなんて見だしが立っていて「アヴァロン」はどこに行ってしまったのかと愕然。けど9年ぶりの「攻殻機動隊」って意味なら合ってないこともないんでその辺を、曖昧にボカしつつお久しぶりの押井節ってことで売りたい人たちがボカしてどっちとも取れるリリースでも作って渡した可能性なんかを想像してみる。あの爺さんならやりかねん。

 しかし9年って年月は長かった。「イノセンス」の公開に合わせて「増補改訂版」として出された「押井守の世界」(徳間書店、2200円)に寄せられた大森望さんの文章の冒頭。「デジタルスチルカメラで撮影した写真をパソコンに転送、画像処理ソフトで加工してから、ハイパーテキストマークアップ言語で記述されたテキストファイルとともに、28800bpsモデムが接続された電話回線を経由してロサンジェルスにあるインターネットWWWサーバへ転送する……」なんてパソコン好きな人しか理解できなさそーな先進的な行動が半ば日常と化している現実の進み具合を指摘したらしー文章も、10メガ100メガのADSLに光ファイバーが普及したり携帯電話で撮った写真をblogに直アップできたりするよーになった9年後は流石に予想が出来なかったみたい。

 「当分のあいだ、技術的にこれを上回るアニメーションは出てこないだろう」ってコメントも9年後の「イノセンス」で完璧なまでに覆されてしまっているのも驚くばかり。9年が当面かどーかが悩ましいとするなら「トイ・ストーリー」の登場ですでにくつがえされちゃってるって言って言える訳で、テクノロジーの進化と合わせてアニメも進化してるんだってことを改めて実感してしまう。さてその大森さんは「SF Japan」の2004年春号で「イノセンス」について書いているけどこっちでは技術の進歩についてのコメントはなし。「当分のあいだ、技術的にこれを上回るアニメは出てこない」って書きたいけれど、でもやっぱり出て来そーな気もするなー。

 その「SF Japan」にあの、驚きの、火浦功さんの”連載”とやらが掲載。前号を買ってなかったんで前号がどれくらいの分量で掲載されていたのか覚えてないけど、「続」と書かれて2話目となるらしー「火星のプリンセス・リローデッド」は2号続けて掲載されたことにとりあえずは驚くべきなんだろーけれど、それよりやっぱり掲載された分量におよそ常識を破り破壊し破滅させるバスター火浦としての面目が躍如された様を見て感動する。21行。21ページじゃないし原稿用紙で21枚でもない。21行。それも1言での改行だらけの21行。1ページの全部すら埋められないこの分量に藤城陽さんのイラストが1ページまるまる付けられているその様に、ここに至るまでにいったいどれだけの駆け引きと決断があったのか知りたくなる。1人2人死んでそー。次回は一体何行掲載さっることやら。でもってイラストはちゃんと付けられるのか。期待&不安。どっちにしても好奇心。

 萌え神さまと少年との腐れ縁的ドタバタ日常劇。かもって表紙だけ見て思ってしまったけど柴村仁さん「我が家のお稲荷さま。」(電撃文庫、550円)はかっちりと隅々まで考えられた伝奇的な設定が土台としてずしっとあってその上で、霊感を受け継ぐ少年たちと強い能力を持った妖狐との交流が描かれていて雰囲気だけしか楽しめない(それもそれで悪くはないけど)話が多い中にあって物語を読んだなって気にさせてくれる。天下無敵に妖狐がどーして逃げずに兄弟を守ることにしたのか、その裏側にある純粋な人間の持っていたパワーを見るにつけ、正直に素直に真っ直ぐに生きる大切さを考えさせられる。コンビニエンスストアを経営している恵比寿の正体に笑い。神様もあれでなかなかお金に厳しいよーで。放電映像さんのイラストもなかなか。「うにゃーん」とは言わず「こーん」とも言わない辺りはまだ文章の人がそーゆー方面に趣味を出し切っていないからか。だとしたら続編ではもっとはっちゃけさせて頂きたい感じ。クーちゃんあれでエリスとタメはるナイスなバディの持ち主だし。誰だエリスって?


【3月6日】 平日の地下鉄で昼を過ぎて「東京スポーツ」が並び始めたスタンドに変わらぬ高さで赤い題字のあれが残り、土曜日のスタンドに至っては4段5段と積み上がったままピクリとも動かない様を目の当たりにした一方で、「JRでは完売だ」「返品は5割を切ってる」「評判は悪くない」といった話を偉い人たちがしながら喜びはしゃいで「だから頑張ろう」と発破をかける姿に思い出すのは我らが後藤隊長のこの言葉。「戦線から遠のくと、楽観主義が現実にとって変わる。そして、最高意思決定の段階では現実なるものはしばしば存在しない。戦争に負けている時は特にそうだ」。だから遅すぎたと言ったんだ!

 そんなセリフを後藤隊長に履かせて10年ちょっと。前作からだって8年とか経ってる今日いよいよ押井守監督の待望の新作「イノセンス」が公開になったってことで早速近所にある「ワーナー・マイカル市川妙典」の初回上映にかけつける。きっと行列が出来るくらいの人気で広い劇場もぎっしりだろーな、東小金井の髯のプロデューサーが前面に立って宣伝を指揮してたんだからって思いも抱いて入った部屋は「ワーナー・マイカル市川妙典」でも1番小さい部屋。でもってオープニングに集まった人は30人位と”天下の”押井作品にしてはややちょっと、寂しい気もしないでもない滑り出しだった。でもお台場で見た「東京ゴッドファーザーズ」の初回よりもまだ多かったかな。「千年女優」はセル画がもらえたから浅草は満員だったよな。やっぱ「イノセンス」もセル画配んなきゃ。

 映画について。ハンス・ベルメールを昔から知ってて「ツァイト・フォト・サロン」での展覧会なんかも見に行ってて、澁澤龍彦は全集を翻訳全集も含めて揃えてて当然に四谷シモンも関心の枠内に入ってて、その昔に「O美術館」で開催された「ひとがた・カラクリ・ロボット展」はチェック済みで現代版オートマタ作者の「ムットーニ」なんかの展覧会にも関心があってあればのぞいてて、デュエイン・ハンソンとかジョージ・シーガルとか舟越桂とか舟越保武といった具象の彫刻家の展覧会なんかが開かれると聞けばたいてい駆け付けて彫刻を間近に見て、そのありもしない息づかいを感じ視線を感じてみたりする。

 そんな一方で、秋葉原にある「ボークス」のショールームは毎週のよーに行って「スーパードルフィー」の美しさに目を細め「ドールズパーティー」「ドールショー」も欠かさず通って、リチャード・コールダーは「アルーア」も「デッド・ガーズル」も「デッド・ボーイズ」も持っててダナ・ハラウェイも「サイボーグ・フェミニズム」から「猿と女とサーボーグ」まで持っててリラダン「未来のイヴ」は読破しててついでにこれを題材にした「演劇実験室万有引力」の公演も見ているとゆー、そんな人間にはストーリーとか語られるテーマは”皮膚感覚”として意識的無意識的に持っているものなんでそれほど圧倒もされないし驚嘆もされず、「まあそんなもんだよね」「でもどっちでもいいじゃん」ってな感じにスンナリ受け入れられそー。いるのかそんな人間?

 まあ人と人形と動物と無機物の違いとか何かってことを語ろーとしてもその差を何に見るのかって線引きなり基準が違えば話はまるで変わってしまうもの。スペイン語が分からなければ、聖書が理解できなければ人にあらずなんてことをかつてやって来たのが人間で、それが当時では真剣マジに信じられてたんで今から何十年何百年の未来に、サイボーグとガイノイド=人形と人間は全部同じだってことにならないとも限らない。外野があれこれ基準を手前勝手に設定しては「人か人ではないのか」を問うても滑稽なだけで、出来るのは「自分は人間なのか。そもそも人間とは何なのか」なんてことをアイデンティティとして自問することくらいだろー。青春の悩みって奴だ。

 その意味で言うなら草薙少佐とゆー「自分は人間だったことがあるのか」を自問する存在、「自分は人間とどこが違いどこが同じなのか」を探求する人形使いとゆー存在を通して、自分とゆーもののアイデンティティを問えた「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊」に比べると、「イノセンス」はそーした自問や探求があまり切実ではなく、むしろ「少佐どこー?」「こいつらなにー?」ってさすらうおっさんの姿がメインになってる感じがあって監督が「球体関節人形展」まで企画して実施してしまう程には人間と、人形の差異についてはあまり考えさせられない。もっともベルメールを昔から知ってて云々な人間のうちの1人に入って感覚として認知してしまってるってことがあんまり、そーしたロジカルな問題へと関心を及ばせなかった理由かもしれないけれど。むしろ自分を守りたいあまりに暴れ結果殺しも厭わなかった存在の我が生への執着の裏側にある他の身体性の希薄さに目を見張らされるけど。「だから若い奴らは餅つきの絵も描けないんだ」って言いたかった? それじゃー東小金井の仙人監督だよ。

 絵については最高。電脳化された頭や視覚聴覚触覚が認識する世界像、ってやつをビジュアルでもって見せてくれて自分も電脳化した気分になった。便利だね、きっと装備すれば歩いている美女を全部裸にして見られるんだよね、でもそれが物理的な裸かどーかは曖昧だけど。作られたCGってこともあるし。でも認知する唯一絶対の機関・脳が本物と認知すればCGでも幻でも本物なんだけど。あと事前に情報量が多いから見ると疲れて途中で落ちると脅かされてたけれどストーリーのわりに単純なことを知り、また情報量の多さに付き合わず必要な部分だけを抜き出して意識するよー務めたこともあってそれほど目は疲れず脳もいかれなかった。もちろんそれで見落とした仕掛けもきっとあるんだろーけどその辺は出て来るだろーし既に出ている解説本とかムックとか小説とかで補完しつつ、再度再々度くらいの鑑賞で少しづつ潰していくことにしよー。あれにもこれにもきっと藤津亮太さんの筆が。頑張ってるなあ。せめて足元にでも追いつきたいなあ。

 ロボット工学系の人にはあの球体関節ってゆーのはロボットを、ガイノイドを作る時に果たして便利な機構なのかどーなのかを聞きたいところ。異形な感じはビジュアル的に目をハッとさせてくれるけど、前作では冒頭の義体作りの場面にはまるで球体関節めいたものは出て来ず、むしろ人間の骨格筋肉内蔵をそのまま人工化していくアプローチで作られていたよーに見受けられたんだけど、物語世界でわずか数年のうちにテクノロジーにブレイクスルーが起こってサイボーグもロボットも人型は球体関節がベストってゆーことになったんだろーか。だとしたらその根拠は何なんだろうー。嘘っこでもいいからロボット工学的な寄りで「球体関節人形」の優位性、めいたものをでっち上げてあったら読みたいなー。


【3月5日】 ってんで「十兵衛ちゃん2 シベリア柳生の逆襲」は黒トリーシャの悪ダクミがじわじわと菜ノ花彩の心へと忍び込んでは自由への揺るぎない愛情に陰りを加え、遂には九死に一生ってな戦いから戻った自由を理由もなしに撃つとゆー”暴挙”に彩を至らしめる。ああこれぞ親子の相剋、分かり合えない人と人。前作以上にその辺のドラマがひっそりこってり盛り込まれていてあれこれ考えさせられる。前作がどんなか既にあんまり覚えてないけど。DVDボックス買わないと。

 この前の空中戦とか第1話の流氷バトルといった格闘シーンの絵的な迫力がやっぱり前面に良さとして立つけれど、ギャグの合いの手なんかも入りつつ深いところで進む人の心の物語にこそ「十兵衛ちゃん2」の凄みがあるのかも。誰からも好かれようとして張り付いた笑顔を絶やさず誰も自分の苦しみを分かってくれないと嘆く自由が、ここからどう壊れどう再生していくのかって辺りも注視。茜さんが走り去るポーズが実写版「セーラームーン」の「セーラーヴィーナス」の走りにそっくりだった。チキンウイング。あれは忍者走りだったのか。

 出版社の「新人賞ビジネス」の実体を調べに普段たむろしている「東京商工会議所」の隣りで開かれた「日本SF大賞」「日本SF新人賞」の授賞式へと潜り込む。久美沙織さんがサンキュー坂田のレプリカユニを着てた。オーセンティックだったかもしれない。面倒臭いからと中村俊輔で日和った僕より潔いなあ。さて「日本SF大賞」は「マルドゥック・スクランブル」の冲方丁さんで、壇上へと登った冲方さんは2001年の「日本SF大会」で初めて見た時よりも、どこかのイベントで次に見た時よりもずっとずーっと細くなっていて、かつて自称していたよーな「アン・ジョンファン似」が現実に近くなっていた。今のSF界でピカイチかも。かつてのSF界でピカイチだった難波弘之さんがテレビ「キーステーション」のCMに出たこともあったから冲方さんにもCMの話が来たって不思議はないかも。大原まり子さんもそーいえばCMか公告か何かに出てたなあ。嗚呼80年代日本SF全盛時代。

 面白かったのは、って言って良いのかそれとも悩むべきなのか、「大賞」とゆーいわばお兄さんを超えてお父さん的な賞を受賞した冲方さんが1977年生まれなのに対して「日本SF新人賞」を取った八杉将司さん北國浩二さん片理誠さんの3人が3にとも冲方さんより年上だったりして、SF作家の平均年齢は下がるどころか1年で1歳づつ上がっていくとゆー法則に、近いものの健在なことが分かって愕然とする。ここで一気に平均年齢を下げるなら、18歳とか16歳では間に合わない、8歳6歳の幼い天才にデビューしてもらわないといけないんだけど、どっかにそんな天才、いるのかな? いたりして。

 セカイ系の人と言われて心外な人が「DAICONフィルム」とか「ガイナックス」への所感を「のうてんき」相手に滔々と語っているのを横目に帰宅。極私的英国3大バンドと勝手に呼んでるうちの「ポリス」に「ジェネシス(フィル・コリンズ付き)」のDVDは買ってあって聞き込んで、まだ未来があってきっと20年後には年収1000万円くらいの生活をしているに違いない、なんて思い描いていた80年代の記憶が蘇り、ひるがえって未来どころか明日さえ見えない暮らしにそっと手を見て生命線の短さに愕然としていたけれど、それから1カ月くらいが経って、晴れないどころかなおいっそう暗雲の立ちこめる中、気持ちだけでもせめて明るくしよーと残る1つのバンド「クイーン」の名盤「ライブ・アット・ウェンブリースタジアム」をよーやく買い込み、あの巨大なスタジアムにぎっしりと埋まった観客を前に、我らがフレディ・マーキュリーが見得切りっぱなしのアクションと、スタジアムを突き抜けて響く声で圧倒的なパフォーマンスを繰り広げる姿に涙ぐむ。明るくなってないじゃん気持ち。

 いや涙ぐんだのはそのパフォーマンスがもはや絶対に見られず「クイーン」とゆーバンドが再結成される可能性も絶対にないことへの哀しみであって、おそらくはすでにHIVに冒されつつあった体の衰えをまるで感じさせないフレディの、声とパフォーマンスに満ちあふれたエネルギーは見る僕たちに生きるんだって勇気を与えてくれて、戦力で100分の1でも給料で3分の1でも戦って突っ込んで1兵でも多く道連れに自爆してやろーと覚悟を決める。って違う、それじゃー特攻じゃん、本土決戦すぐそこじゃん。でも実際、ろくに休みも取らせず新聞とせいぜいがニュースからしか情報を得ない関係で「ほかの新聞に出ているか」「ニュースが流したか」が情報の価値を判断する唯一絶対な基準になってしまって、世間一般のとりわけ若い層とは大きくかけ離れてしまった”イノセンス”な感性を持った、50代前後が編集権を持って作ってるからしょうがないってゆーか。やっぱりサイパン硫黄島かなあ。年収1000万円(現行の5割増し)は遠いなあ。

 ライブで山下達郎さんが唄う「LOVE SPACE」みたいにハイトーンの所を下げて逃げてるっぽさが感じられた「ウイ・ウイル・ロック・ユー」で気合いを入れてアテネ五輪サッカー予選「U−23日本代表vsU−23UAE代表」の試合を見物。持ったら前線へと放り込んでゴールからボールを遠ざける作戦でも取っているのか前へとボールは行くんだけどそこでトラップをミスしたりパスが小さかったりして、囲まれ取られて逆襲を食らい慌てて戻ってカバーし逃げる、心臓には悪い展開に先行きへの不安を募らせる。

 松井選手も前回あんまり目立てなかったけど山瀬選手も今ひとつ。平山選手も動きが鈍くてこれは引き分けかと諦めかけた後半に、入った高松選手がサブじゃなくって真打ち大トリって存在感を見せて相手に激しいプレッシャー。松井選手も2休が明けて2勤のサイクルに入ったらしくて所々軽いプレーでひやっとさせるものの要所では凄いパスを出してそれが最後に田中選手へと渡り、田中選手がシュートしGKが弾いたところに詰めてた高松選手がゴール。次の田中選手の1点もシュートを枠の中に打てば良いことがあるんだってことを見せてくれて、これでUAEラウンドを勝ち点7で1抜けしてアテネを大きく引き寄せた。

 もっとも本気をかけるUAEが残りの試合を全部勝ちに来れば決まるのは最後の日本でのUAE戦。国立霞ヶ丘競技場が国際試合への出場を決める真剣勝負の場となるのって去年の女子ワールドカップのプレーオフ以来で男子だと何時以来? もしかして初めて? 分からないけど記録的な場になることは確実でこれはやっぱり行かねばならなぬと今からその日に大きな事件が起こらないよー願うか、すでに他界した祖父母に蘇ってもらって再び三度他界してもらえないかを願う。会社が潰れても良いのか。それは流石に。首になっても良いんだよな。それならあるか、今すぐにでも。


【3月4日】 強い、のかそれとも「U−23バーレーン代表」が弱いのか、せめぎ合いなんかを見ていると明確なところを判断するのが難しくなる、厳しい場面も所々あったアテネ五輪予選のU−23日本代表の試合だったけど、得点を重ねたシーンや得点に迫るシーンだけを取り出せば平山選手の高い頭か散らし流すポストプレーが効果抜群で、田中達也選手につながったり、サイドを走る石川直宏選手にボールが集まりクロスもがんがんと上がって先月の、「対U−23韓国代表戦」にも優るスピードと迫力のあるゲームを楽しませてくれた。やっぱり強かったのかな。

 山本昌邦監督の采配もズバリで、疲れもあるだろー平山選手を下げてやっぱり高さもあるけど貪欲さもひときわ名高松大樹選手を入れてフロントの活性化を図り時間が経つごとにボールをこねくり回すよーになった松井大輔選手を下げてワンタッチが信条みたいな前田遼一選手を入れてゲームのテンポを整えるとゆー、意味もあって結果もともない交代にせいぜいが選手のリフレッシュくらいしか考えてなさそーなA代表の采配との、”格の違い”を感じさせてくれた。本当なら格上なんだけどなー、A代表が。

 かくも立派な試合運びをする五輪代表を果たしてそのA代表の監督は、来て見ていったかとうーとどーもそーではなさそーで、落とした石川選手の走りっぷりをもし目の当たりにして何を言うかが楽しみだったけどこれではコメントはもらえなさそー。見てもきっと眼中には入らなかった可能性もあるけれど。A代表の紅白戦で見せただろー活躍を無視したくらいだし。次は「UAEラウンド」でも天王山になる「対U−23UAE代表戦」でここを勝てばもちろん同点でしのげば日本に帰って有利に事を運べそー。偉大な神様監督にはこーゆー試合にこそ現れ「神が来た」って感じで相手選手をビビらせて欲しいし確か、就任した時にそーゆー効能を謳ったメディアもあった記憶があるけどでも、きっと来ないんだろーなー、キャプテンの”親心”にも理解を及ぼせない唯我独尊のブラジル神が、違う唯一神の本場に乗り込めるはずないもんなー。

 起きて「R.O.D The TV」。どろんどろんになってしまった読子・リードマンを後ろに縁側でくつろぐアニタとジュニアに、故郷を離れ強大な敵に追われても変わらず脳天気なミシェールさんが日本の休日そのものってなゆとりをもたらし良い感じ。けど復活してきた読子が過去の経緯を話し始めジュニアの秘密が明かされ更に、大英図書館崩壊の瞬間までが登場するに至ってただのちびっ娘だったアニタがさらにチビっ娘だった頃が読子と重なり、そこで一体何があったのかへと関心を引っ張る。お嬢っぽかったアニタが何でヤサぐれて廃墟で凍えてたのか。そもそもどーしてアニタが現場に居合わせてたのか。ジュニアの体調ともども来週が楽しみ。また夜更かしか早起きだ。.

ヤクルトは飲んでもヤクルト本社は呑みません、とゆー意思表示なのかな。グループダノンのフランク・リボー会長さんちょっとお茶目です  仕事中に呼び出されてひとり「ホテルオークラ」へと駆け付けヤクルト本社がどこかと提携するってゆー会見を聞く。それなりに大きな話で他社なんかはカメラマンからサポートの記者からわんさと詰めかけお祭り騒ぎに備えているのにこっちと来たら昼間に飛び込んできたどーにも理解が難しい原稿依頼(アメリカでマクドナルドからスーパーサイズの尾ポテトとドリンクが消えたんだけど日本はどうよ、って話。どうもあるわけがない、そんな巨大サイズがそもそも存在してないんだから)を聞いてキれ、逆に日本じゃウェンディーズが巨大なパテを挟んだバーガー出して人気だぜ、って感じで依頼した側の思惑をぶち壊す原稿を出したこともあって、たった1人でいったいどーしろと憤ったもののそこはそれ、ページ数と目標では大日経を目指しても現場はわずかに数十人の所帯が大きく出られるはずもないと納得してひとり粛々と記者会見を聞きつつその場で原稿を売って終了直後に流す。人間スキャナー人間音声認識ソフトの面目躍如。

 内容はたいしたことない、と言えば言えるしたいしたことだと言えば言えるヤクルト本社が欧州の食品メーカーのダノンと提携するってもの。ダノンって言えば「プチダノン」しか知らないんだけど向こうじゃ結構それなりの規模の会社で目立つところだと「エビアン」なんかも供給していて、そんな会社がしばらく前にヤクルト本社の株を買い増しいよいよごっくんと呑み込むのかと思ったけれどもさにあらず。いわゆる乳酸菌とか腸内菌とかいったものを使った商品とかそれの売り方とかを開発したり、啓蒙活動を一緒にやりましょうってソフトな内容でこれでどこまで大きな記事になるのかと、戸惑ったけれど忙しい中を1人でやらされることへのレジスタンスの意も込めて、大量に書いては送りつける。でもきっと切らるだけなんだろーなー。兵隊は弱し管理(職)は強し。

 ちょっと格好良いかも。「ワールドサッカーダイジェスト」の2004年3月18日号に我らがルイス・フィーゴ選手がポルトガル代表の新しいユニフォームをまとって登場。胸のゼッケンが丸に囲まれた数字になってる奴でビリヤードの玉みたいとか悪評も紛々だったけど、表紙を見るとゼッケンの丸も数字もメッシュっぽい柄になっててそれが、赤いユニフォームの地に黄色でとけ込んでいて肩から脇へと流れる黄色いラインとも相まって、それなりの雰囲気を形作っている。

 韓国代表の新ユニフォームと違って協会のマークが胸に来て番号の位置が腹よりやや上になっているのもバランス的に良かったのかも。これなら買って番号を入れて着たいかも、とか思いつつ中の特集で前のデザインを見てやっぱりヘンかもと思い直してみたり。どっちやねん。ちなみにオランダは胸の中央に入ったマークの下にゼッケンが着て韓国のユニフォームに見かけ近かったけどマークぎりぎりまで番号を挙げた関係で腹じゃなく胸番号を維持してる。ブラジルはどーだったかなあ。確か中央に協会のマークが着てたよなー。でもロナウドが腹掛けなら別に変じゃないから良いのか。


【3月3日】 乙女な日。雛飾りを見て世間はかくも階級的な序列にがっちりと固められて居るんだってことを確認する日。せめて3人官女の位置くらいまでには入りたい。菱餅でも良いぞ。牛車はなあ。それはさておき届いた「ザ・スニーカー」の2004年4月号から大塚英志さんが「正しい文学」なる連載を初めて第一回目で三島由紀夫さんの「仮面の告白」を取り上げているのを発見して、角川書店系メディアにおける大塚さんの今なお衰えを見せない重用ぶりを確認する。

 それにしても「正しい文学」だなんてタイトル。「ザ・スニーカー」を読むティーンなヤングに今さら三島を振りかざしては読め読んでおけ教養のためにとかって、「朝の読書」で「バナナはおやつにはいりません、漫画も本ではありません」なんて言って古典に名著を励行する、ブンガク崩れの国語教員みたいなことを言う連載かと最初は思ったけれど、「自分が自分であることの意味や、自分と周囲との関係や、あるいはそもそもそんなふうにうまく言葉にできないややこしいを感情を抱えていて、そーゆー物に少しでも触れていてくれる小説」が、「スニーカー文庫」以外にもあることを教えようって内容で、決して居丈高ではない。ある意味やっぱり「お節介」ではあるんだけど。

 もちろんこの連載を読むヤングなティーンがどう思うかは不明。「漫画ブリッコ」やら「プチアップルパイ」っていった自分がいろいろお世話になった雑誌やら単行本の編集O(「作画グループ」は古すぎて)として、半ば兄貴分的に接してきた身としてはなるほどふんふんと聞いて勉強させて頂きましたとお礼も言える。けど「サイコ」あたりすら読まない世代が着実に生まれてきている中で、そんな世代が読む雑誌の上でこの人が言うならちょっとは読んでみようって、名前で説得できる立ち位置に大塚さんがまだいるのかがちょっと分からない。

 名前が立たないなら中身が勝負になるんだけど、それだと最初っから「三島って誰?」「文学って何?」って感じに読み飛ばされてしまいそーな気もしないでもない。果たして本人が目指すだけの効果が出るのか。「スニーカー」の今の読者にも「文学のお兄さん」として受け入れられるのか。三島や大江健三郎やあと誰だろー、村上春樹あたりかな、それとも太宰治や坂口安吾や中島敦や川端康成やそーいった所? まあ良い何が出てどんな反響が出るのかを伺い実際にそれらがティーンに読まれることになるのかを、同じ雑誌で「ライトノベルのおっさん」として書評を出している身として観察していこー。勝負はしません例えティーンにだって影響力じゃー向こうが遙かに上だから。

 なんてことを描いてたらそんな「プチアップルパイ」に掲載されてた中でも異色中の異色だった「あびゅうきょ」さんの作品を収録して1987年に刊行された単行本「彼女たちのカンプグルッペ」から再録って形で集めた「あびゅうきょ作品集2 あなたの遺産」(幻冬舎コミックス、850円)が登場していてシンクロにシティー。軍事独裁国家となった日本だったりドイツだったりで船とか戦車とか飛行機に乗って戦う美少女たちが出てくる短編作品群は当時だと、バブルに向かって平和を享受する日本人が自らを律する気分が半分と、あり得ないシチュエーションだと笑いのめしたい気分が半分ぐらいづつ、入り交じった感情で読んであれこれ考えさせられたものだった。

 それがどーした。20年近くが経った現在、腑抜け具合がますます高まった日本人への鉄槌として、あるいは右傾化が進んで半ば現実のものとして少年少女の軍隊が出て来そーな状況への警鐘として、意味を持つよーになってしまっていて流れた20年とゆー時間の重みと、それを有効に使えなかった人間たちの至らなさを感じて歯がみする。まさか予想していたのかあびゅうきょさんは、こんな日本が、こんな世界が来ることを。恐るべしあびゅうきょさん。もっともっと読まれ評価されても良い人なんだけどなあ。そーなると「彼女たちのカンプグルッペ」の初版本の値も上がる……。

 菊川怜さんを見に行く。じゃなかった菊川怜さんが登場するアオキインターナショナルの新しいスーツ「癒しアルファ波スーツ」なるものを見に行く。信州大学繊維工学部の教授といっしょに開発した製品だそーで、何でも生地に付着したマイクロカプセルに閉じこめられたラベンダーの香りが動きとかでこすれると爆ぜて中から飛び出し嗅いだ人を過去へとタイムスリップさせる……んじゃなくってリラックスさせて脳内にアルファ波を出させるんだとか。ただ香りが出るだけじゃーアルファ波は出なくって、そのあたりの濃度の調整に信州大学の人のノウハウが使われているらしー。筒井康隆さんのノウハウが使われれば過去へのタイムスリップも可能かな。場所を放課後の実験室にするとかすれば。

 問題は夏場ってことで吹き出る汗によって香り立つラベンダーを上回って男の匂いが浮かび上がって効果を脅かしかねないってあたりだけど、値段が69000円とアオキにしては高いってことで、着る人はオフィスでもそれなりな立場にある人になりそーで、外回りの営業で着て汗に型くずれを起こしたスーツをそれでも連日着倒す人とかが、汗とラベンダーの香りを溢れさせて電車で隣りに着た人を卒倒させることにはならなさそー。ちなみに1万回はこすってもマイクロカプセルは保つそーで、石油系のドライクリーニングでも3回まではマイクロカプセルは生地に固着したままなんで、シーズン終了時に1回のクリーニングが通常なら3年は保つんでご安心。

 そもそもがオークションでチケットを売買するってゆー行為自体に僻み嫉みも交じった憤りを感じている人間としては、そこで偽造チケットを掴まされた人を別に可哀想とか思ったりはしないけれど、今回ローソンが明らかにしたチケットの偽造事件については、ニセモノマガイモノが流通する可能性のあるオークションにリスク覚悟で挑んでいるにとは言っても、ちょっと同情したい気が浮かんでしまう。今回の事件が特殊なのは、偽造されたチケットが全部まるまるコピーされたものじゃなく、正規のローソンチケットの台紙が店からゴッソリと盗まれたかして、そんな白紙の台紙の上に公演名とか座席番号とかがプリントされていたこと。裏側に本物の証が入っているチケットを手にして、これが偽物だとは買った方でもカケラも思わなかっただろー。

 印刷前のお札の用紙を盗めば偽札作りだって平気、ってゆーどこかの犯罪小説に出て来そーな、けれども現実には不可能そーなことが出来てしまったのは、チケットがネットオークションなんかの出現で普通の人でもひと儲けできる騰貴商品と化したとゆー背景の上で、それならば厳密に管理しなくてはならない台紙をある店舗がずさんに取り扱っていたってことで、外部環境の変化とそれに追いついていなかった内部状況の重なりが、かくゆー事態を招いたって言えそー。もちろんしっかりとマニュアルに従って店舗が管理しておけば起こらなかった事件であることには違いなく、その意味で店が負う責任は小さくないんで、夜は金庫に入れるとかプリントに当たっては1枚1枚台紙を金庫から出してプリンターにかけるとかいった対策が必要になりそー。面倒くさいなあ。

 ただ100枚は盗まれた台紙があるってことでこれからも被害に遭う人とか出て来そーな予感も。盗まれた台紙はすべて番号がチェックしてあるからオークションに出たとしてもその通し番号から盗まれた台紙にプリントされた偽物だって把握可能で、それ故にオークションにこれから出回るって可能性は小さくなったけど、代わりに街の金券ショップへと回ることになりそーなんで、買う側としても注意が必要。通し番号は新聞のお詫び公告とかネットに出るんでよく利用する人は要チェックだ。でもやっぱりチケットは必要な分だけ正規のルートで買おうぜ。


【3月2日】 アテネ五輪サッカー最終予選「U−23バーレーン代表vsU−23日本代表」の試合が始まるまでにちょい間があったんで、撮り貯めてあった「十兵衛ちゃん2」の最近の2話を見る。すごすぎ。特に崖から落ちながら十兵衛とフリーシャが体を入れ替え上へ下へと動きながらバトルするシーンなんて、どーしてただの崖がスカイダイビング出来るくらいに高いんだここはギアナ高地かって突っ込みたい気分を脇に追いやるくらいにスピード感あり、浮遊感あり、激突感ありありな映像に仕上がっていて、計算され尽くした動きにデフォルメとかをプラスアルファしていくCG(コンピューターグラフィックス)では相当に面倒くさい動きでも、感性と技量で描いてしまうアニメーターたちの匠っぷりに目を見張らされる。今年1番のアクションでは名場面、って言えるかも。まだ2カ月なのに。

 続くエピソードでの彩へのフリーシャの揺さぶりっぷりもなかなか。心に生まれた隙間をそっとつつきこじ開け黒い思考を流し込んではドロドロにしてしまう手管を、あの動物たちに囲まれて暮らした300年で、どーやって会得し醸成したんだろー。いっしょに暮らしていても所詮は人間、差異から来る疎外感の中で1人鬱屈した気持ちを黒く純化させてしまった結果なのだとしたらそれを、自由の無垢な愛が癒し治すのって相当に難しそー。やっぱり自由が十兵衛となって剣で斬るしかないんだろーけど、それをやってしまうと戦いでしかすべてが解決しない、って話になってしまうしなあ。もっとも愛がすべてを救うってのもアレだけど。涙枯れ果てた鮎之介も大変なことになってしまってさてはて今後の展開や如何に。もー撮り貯めはなしだ。リアルタイム視聴だ。「R.O.D The TV」も同様だ。木曜の朝が死にそうだ。

 「一刻も早く、ジーコを解任せよ」。当然だ、って思いはするけどこれがメジャーなサッカー誌の上に掲載されているとやっぱり驚くなあ。「週刊サッカーマガジン」2004年3月16日号掲載の大住良之さんによるコラム「ああ言えば、こう蹴る」は「このまま任せておいたら、日本代表のレベルは下がる一方だ」「とにかくジーコの指導から切り離したほうがいい」とまで言われてしまってて、これでは神は神でも疫病神か貧乏神。いるだけでめーわくって感じがありありで、本人が読むと相当に傷つきそー。でも「まだ1人か2人じゃないか、3000人のメディアが解任を求めるなら私は退こう」なんて言って反論するのかな。

 大住さんが激怒しているのはジーコがやろーとしているサッカーのいけなさもさることながら、監督としてすべきことをしていないって部分でそれは「U−23日本代表vsU−23韓国代表」とゆー日本にとって底上げとなる才能と、近い将来ライバルになる韓国の若手の選手をその目で見ずに帰ったことで、これにU−23が今中東で繰り広げている戦いを見ないでFIFAの100周年記念式典に行ってしまった事も加われば、大住さんの怒髪もさらに一段と天を衝きそー。でもって「埼玉スタジアム2004」の屋根にはたはたと突き刺さると。

 最近「かみさま」と「キャプテン」に厳しい「週刊サッカーダイジェスト」の村山文夫さんによる「スーパーさぶっ!!劇場」も2004年3月16日号は2本がジーコネタでいずれも秀逸。高熱にうかされる3選手に「非常事態以外はメンバー固定でいく。よって3人とも頼んだぞ」と言うジーコ、日本サッカー協会の幹部が頭を悩ませるのを後目にカーニバルで浮かれるジーコの漫画は如実にこの代表監督の特質を捉えてて思わずニンマリしてしまう。もっともそれは一瞬でそーした不思議な言動が実際に起こっているこで正直笑い話じゃないんだって気付くとすーっと笑みも引いてしまう。どーしたものか。漫画を見せるか。「3万人の漫画家がわたしの悪口を描けば考える」。描いてくれ夏コミで。間に合わないかもしれないけれど。

うっほっほうっほっほうっほっほのほ。とは関係ないZMPの「nuvo」。爆発もしません。手前は携帯でチェックできる監視カメラ。四方八方見えちゃいます。  ゼットエムピーといったら松井龍哉さんって勝手なイメージがあったけどそれな「PINO」のことで今度、ゼットエムピーが発表したロボット「nuvo」はメインにフェラーリなんかのデザインも担当した世界的な工業デザイナーの奥山清行さんを迎えて今までの「アトム」的な親しみやすさとは一線を画した、でもって「パトレイバー」なんかで見られるアニメ的なロボットのデザインとも流れの異なるデザインで、下半身を見たとき一瞬「ラムダ?」と小山田マキになって思い上半身を見て「タイムボカンの三悪人のゴリラロボ?」と思ったことは脇においてもなかなかに味わいのあるフォルムで「PINO」とは違った意味で人目を引きそー。

 歩いたり回ったりと基本的な動きはするし携帯電話のテレビ電話機能を通して「nuvo」が見ている映像を携帯電話でチェックできたりするあたりは「PINO」より進化してる感じ。それでいて値段は初期バージョンこそ300万円とかするものの年末までに出すとゆー量産型(ジム、と読んではいけない)は50万円とかになるそーで、「AIBO」に群がった初物好きな日本人から評判を呼んで購入希望を集める可能性も高そー。でも歩いて覗き見たりするくらいしか能がなさそーなのがネックかも。「AIBO」はあれで見ていると結構、可愛いんだよね。

 もっとも手前のこの3月にはバンダイ必殺の「ドラえもん・ザ・ロボット」の発売が控えていて価格も19800円と超安いんで、50万円では高すぎるって人の気持ちの離反を招く可能性もあるから勝算となるとちょっと不明。なにしろ「ドラえもん」だけあって四次元ポケットにタケコプターにどこでもドアが着いて……ないのか、でも立派に「ドラえもん」してるからなあ。「nuvo」はせめてスモールライトくらいは付けよう。関係ないけど記者発表の司会の女性、ブラウスの前が大きく開いてて横を向いた時に思わず見入ってしまったよ。これがタニマニアの宿命なのだ。


【3月1日】 「超重神グラヴィオン ツヴァイ」を見る。あれはいったいどこにはいっていたんだろう。例えば僕が豊橋の町畑町にある大学から夜に車を飛ばして渥美町あたりまで行って温室へと潜り込み、温室で成育中のメロンを2つ頂戴したとしよー。そして運悪く温室の所有者に見つかってしまって、慌てて2つのメロンを服の内側の胸元へと放り込んだとしよー。バレるわな。見るからに巨大な双球が大の男の胸板からこんもりと盛り上がっていては。

 つまりは質量保存の法則であってこの世に4次元ポケットとか便利なものがない限り、人は胸にメロンは2つも入れられず、いわんやスイカを2つ入れるなんて絶対的に不可能だ。にもかかわらずやってのけたのだよあの野郎は。いや野郎と言ってはもはやいけないのか。ともかく一体どこにどーやって仕舞っていたんだろーと思わせられること確実な双球が飛び出して来たのを見た瞬間に、「ロフトプラスワン」での「夜のファウスト祭り」が10時半過ぎには終わってそのまま家へととって返して「グラヴィオン」にぎりぎり間に合ったことを、そしてHDDレコーダーに録画できたことを心から喜べた。ラスト付近に大アップされた白もまた良し。ますますもって様々なニュアンスの興奮が渦巻く「グラヴィオン」のこれからがますます楽しみだ。「MEZZO」は面白かったのかな?

 「夜のファウスト祭り」の閉会から即座に家へと転進した最大の理由はもちろん「グラヴィオン ツヴァイ」ではなく翌早朝に控えた「フジサンケイビジネスアイ」の新創刊に合わせて、日本橋にある「三越前」で朝からチラシを配らなくっちゃいけない仕事があったことで、さっさと眠って起きてえっちらおっちら、週末に作ったクリアファイルにPR紙と購読申込書と試読券のセットを担いで配布場所へとたどり着き、お仲間が誰もまだいない間隙を縫ってさっさと配ってしまおーと、手に取り1枚また1枚と地下鉄から出てくる人に渡そーとするんだけど、自分がティッシュとか差し出されても取らないのと同様に、なかなか取ってくれる人がなくってティッシュ配りを邪険に扱うことがその人にとって、どれだけ傷つくことなのかを身をもって知る。ってかすでに「産経新聞」がワンコインになった朝に津田沼駅でティッシュ配りをやってその仕事の辛さに歯がみしたことがあるんだけど。新聞記者の仕事って大変です(ちょっと違う)。

 それでも配り初めておおよそ40分くらいでノルマの100部は配布完了。三々五々と集まってきてまだ配布中の人のをすこしもらって河岸を変えてこれも、拒否とか合いながらどーにか配り終えてまずは順調な滑り出しを見せる。いや別に100部が100万部だろーとPR紙はPR紙に過ぎず肝心の新聞が売れてくれないことには明日のご飯明後日の住居未来の大往生も夢と儚く消えてしまうんだけど実際のところ、地下鉄のスタンドで見かける「Fuji Sankei Business i」は題字がやたらと大きくって肝心の記事部分に何が書いてあるのかがパッとは見えず、これなら買ってやろーかって気を惹かせるのにちょっと苦労している感じ。駅売りなんてほとんどしてなかった関係でどーゆー風に組めば見栄えも良いし駅でも映えるのかってノウハウが、なかった現れって言えそーで売れ行きなんかを見て今後の検討がちょっと必要かも。売れ行きってゆーほど売れたのかって検証ももちろん含めて。

 久々に「AERA」の2004年3月8日号を買ったら「異色誌参上」なんて連載が10回目を迎えてた。これって「サイゾー」の「マガ人」と関係のある企画なのかな、異色の雑誌を取り上げ編集長の人になれそめ経緯の類を聞く、ってコンセプトに共通する部分が結構あるし。なんてイヤミはさておき「AERA」最新号と言えばやっぱりジーコ監督に関する記事。どっちつかずに丸めるかあるいはやっぱりジーコ支持で押し通すかと思いきや、後藤健生さんのコメントを引っ張り出して「何の進歩も見られない」「辞任を簡単に口にしてしまえるあたりも責任感の欠如を感じ」るって断固否定のトーンもちゃんと打ち出している。

 伊東武彦・サッカーマガジン編集長も引っ張り出して「彼のいうしっかりした仕事とは何なのか一向にビジョンが見えない」とも言わせていて、トーンとしてはヤバヤバだってニュアンスが色濃い。サッカー協会とのしがらみも何もない人が書いたのかな。それかサッカーに純粋に浸っていてやっぱりジーコではダメだと確信した人がまとめたのかな。本紙筋のプレッシャーで言辞がこれからも曲がらず解任に向けて繰り出され続けることを願おー。ちなみに最新号の「サッカーマガジン」2004年3月16日号では後藤さんの「ああ言えば」に大住良之さんがとてつもない言葉で「こう蹴」ってるんで要注目。ここまで怒髪天、だったのか。まあ普通はそーだよね。

 鷹見一幸さんの「ガンズ・ハート2」(電撃文庫)は不良だった少年が僻地の部隊を率いる100人隊長にさせられ乗り込み軍隊を信念で籠絡する話のそこかしこで繰り出されていた、原人めいた存在の大発生と大暴走がいよいよ起こったって展開でもっぱら、砦をめぐる攻防戦にあてられ血と硝煙の匂いが前の巻以上に楽しめる。長く禁忌とされて来たテクノロジーが、喫緊の時代とは言えてこーも抵抗感なく生み出され使われて良いんだろーか、だったら過去にも幾らだってテクノロジーが”解放”されてたって不思議じゃないのに、って思わないでもないけどそれだとお話にならないから仕方がない。

 むしろ注目はテクノロジーが登場してしまった現在から未来に向けて起こるだろー混乱に人間が、どー立ち向かうのかって部分で人間が戦争を太古の昔から撲滅しよーとしてできずに来てしまった事実を重ね合わせて、向かうだろー小説の展開の困難さ、血生臭さを思う。小川一水さんだと「ハイウィング・ストロール」(朝日ソノラマ、629円)でこーゆーシチュエーションに、独自の条件をあてはめ人が争い合わないよーにしてたんだけど。ともあれ始まってしまった以上は起こるだろー”人類の敵””平和の敵”との果てしない戦いが、こーやれば終わるんだって例を明示してファンのみならず戦いに苦しむ世界の読者を驚かせ、感動させて欲しいもの。期して待とう。


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