縮刷版2004年11月中旬号


【11月20日】 アカデミー賞の巨匠に未来の巨匠が真正面から挑んだという、21世紀のアニメーション史的に記録される日となるのかはこれからの新海誠さんの活躍によるものとして、すでに未来への可能性は試写で確認して記事にもしてあるんで今日は現在の巨匠の現時点での至高の技を確認すべく、朝も早くからご近所の「ワーナーマイカルシネマズ市川妙典」へと出かけて8時55分からの「ハウルの動く城」を見ようとしたらいきなり映写機が故障で、金髪のスーパーモデルもかくやと想わせる美女たちが、スカートの脚を閉じてなかったり脚を組んでたりしながら珈琲を飲むネスカフェの素晴らしいCMを途中までしか見られず残念無念。また見に行ってこんどはしっかりと目に焼き付けよう。

 田舎の劇場で初回ってことでどれくらい入るのかが分からなかったけど1時間ちょい遅れでもう1つのスクリーンで上映されることになっているにも関わらず、中くらいの部屋の半分以上を埋める客が来ていてさすがは宮崎駿監督の作品と感心。それもしっかり親子連れが多かった。その昔に「風の谷のナウシカ」の初日を見に行って場内に鳴り響く安田成美さんの唄に悶絶しながら同じ匂いを放つ人たちに囲まれ上映開始を待っていた時代も遠くなったもんだなあ。もちろん今日も同じ匂いの人が幾ばくかはいたけれど。

 そーこーするうちに始まった映画はどこまでも宮崎駿監督作品。少女があれやこれやしながら困難を乗り越えていくって主軸にいろいろな成長の物語をくっつけつつラストへと保っていくストーリーラインを、実に心地よいキャラクターの表情や動きと目の覚めるよーな美しい背景と、独特にして懐かしい造型をもったメカなり街並みでもって描いてあって昔からのファンなら冒頭の機関車が煙を履きながら溝の中を走る街の喧噪と、そこで起きる出会いのドラマを見るだけでもう「来た来た来たっ」って歓喜が背筋を走り抜けることだろー。

 動きや表情へのこだわりは流石に宮崎流。荒れ地の魔女によって老婆の姿にされてしまったソフィが苦労しながらパンとチーズを袋に詰めて街を出て、山道を上へと歩いていく場面のソフィは老いた人がそこにいるよーだし、そんなソフィが荒れ地の魔女といっしょに王宮の長くて急な階段を上がっていく場面の老人としてのソフィの苦労と不摂生な魔女の苦労のそれぞれを、それぞれにしっかりと描いて見せてくれている所には実際にお祖母ちゃんとおでぶちゃんを、どっかのお寺に連れて行って階段を上らせそれをスケッチさせたんじゃないかって思えてきた。それやったら宮さん鬼だけど。けどやってたりして。

 犬好きな押井守監督が見たら苦笑しそーな犬の不格好で無様なアクションもそれはそれで滑稽で面白く、時にオーバーになったり時に萎縮する火の悪魔カルシファーの動きや表情は、ディズニーの「アラジン」に出てくる魔神ジーニーのオーバーアクションを極めた描き方と重なる部分もあったり違っていたりする部分もあって、海を越えた日米のアニメーターが持つ感性の差異みたいなものを考える糸口になりそー。ともあれ動きについては言うこと無し。日本のアニメを見る快楽ってものを存分以上に感じさせてくれました。

 言われていた声優問題もまるで気にならず。超ハンサムに描かれたハウルは木村拓哉さんの声で掴みは充分。でもって途中にあれやこれや悩んだり怯えたりするハウルの声も、二枚目然として取り繕っていることの多い木村さんが演じるからこそ滲む内心の虚勢めいた部分が漂って実にいい味になっている。そして倍賞千恵子さん。10代の少女から90代の老婆までを演じられるのかって意見もあったし10代の声にマッチしてないって批判もあったけどなかなかどーして、どちらかといえば堅くて年輩者然としたところのあった若いソフィに違和感なくはまっていたし老婆になったらなったで今度は妙な元気さが加わって、それはそれでハマってた。

 ずっと上へと行きっぱなしじゃなくって途中で上へ下へと変化する役所だったりした訳で、それぞれの段階にそれぞれの声をそれぞれのビジュアルにあわせて使っていたらとてもじゃないが間に合わない。そこを1人で演じきれる人ってそうそういる訳じゃなく、上か下のどちらかでオーバーさが出るものだけど、そこを大げさなエフェクトを交えずに演りきってしまったところに倍賞さんの役者としてのキャリアがなせる技を見た。まあ若いソフィについて言うなら、宮崎キャラに2次元の段階で有無を言わさず惚れ込める訓練をして来た者にとって声が千恵子が美津子のハスキーな声でも、あるいは男の声優であっても(大塚明夫さんはちょっと困るが保志総一郎さんなら大丈夫かな)見た瞬間に全肯定なんだけど。いや可愛いです。おまけに見ているうちにどんどん可愛くなって行きます。

 それにしても実に行ったり来たりの激しいソフィのキャラクター。その変化の激しさに呪いっていったい何だったのかと悩む人も大勢出そうだし僕も戸惑ってはいるけれど、考えるなら帽子屋の娘として派手な妹とか心配しながら地味に堅実に自分を抑えて生きていこうとしていた、その老成した内面を荒れ地の魔女によって外面へと押し出されてしまったもののさまざまな困難を乗り越えハウルってゆー魔法使いに恋をすることによって燃え盛った熱情が、外面にも作用してソフィの見かけを行ったり来たりさせているのかも、なんて思ったけれどそーゆー風になっているのかは今ひとつ不明。次に見る時はソフィの心理を追いつつビジュアルを重ねて行こう。

 ストーリーについてはクライマックスがやや急ぎすぎな感じで「千と千尋の神隠し」にあったよーな最後の試練もないまま成り行きまかせのハッピーエンドになだれ込んでて見た人によってはあんまり達成感を得られなさそー。肩すかしを食らった感じに戸惑う人も出そーだけど、強大な魔法使いとは言っても実態はどこか臆病なところのあるハウルに、強い心を持ってはいてもしょせんは人間でしかないソフィ。そんな2人のラブロマンスが繰り広げられているその外側で、世界は強大な帝国と強力な魔女が差配し支配しているとゆー部分を示唆することで、いたずらに空想の世界に遊んで夢を貪るだけじゃなく、社会ってのは広大で多様で複雑なものなんだってことを、あるは教えよーとしたのかも。自分たちではいかんともしがたいところで世界が弄ばれている現実への嘆きみたいなものもあったのかな。

 その意味でもハッピーエンドらしいハッピーエンドしか求められないハリウッドにはない、日本のアニメで宮崎アニメならではのエンディングって言えそー。この複雑さひねくれぶりを全米で公開された時に観た人がどう受け止めるのかにも興味がある。アカデミー賞に今再びノミネートされて賞でも与えられたらハリウッドが、その主に仰ぐ合衆国政府の世界を操り人類を弄ぶ姿に違和感を覚えている現れかもしれないと理解するに吝かではない。倍賞さんが演じた役を英語版でどの女優が演じるかにも興味。って誰が良いんだろ、10代から90代まで演じられるハリウッド女優。いる?


【11月19日】 池の端まで引っ張り上げておいて突き落とすってゆーか縄ばしごで上ってきて縁に手を掛けようとしたところで梯子のフックをはずすとかいった感じ? 「舞−HiME」は新たな姫が決然として隠していた自分の秘密を明かし強靱な敵へと立ち向かってこれを討ち果たし、ハッピーエンドに向かうかと想った次の瞬間にようやく得た安寧を永遠に奪い去ってしまう展開は、見ていた子供の心に永遠の絶望を与えやしないかって心配になって来る。

 しょせんは架空のキャラクターが1人”死んだ”だけかもしれないけれど、二次元のキャラに身を仮託して世界の行く末を感じようとしている感受性豊かな青少年に、絶望のドラマを与えすぎるともたらされるのは虚無の心。反対するって意味でネガティブな情感だけはあるニヒルとも違う無気力無感動無表情な虚無へととらわれただ漫然と生きている死を続ける羽目に、なりやしないかと心配なんで作り手の人にはその辺の救いも含めてこれからの、姫たちの頑張りによって気持ちを昂揚させて下さいと平にお願い。辛いのは沢山だ。

   白衣のキティがナースのコスプレをしたナース(本物じゃん)といっしょに何か配るってんでコスプレ好きでにわかキティラーとしては放っておけず原宿と、表参道との間にある日本看護協会のビルへとかけつけ日本看護協会が20日からスタートさせる「医療安全推進週間」のスタートダッシュキャンペーンを見物する。あいにくの雨で登場したキティが表参道へと飛び出し来ていた修学旅行の中学生とかライバルの浦安ネズミ帝国に来たついでのアジアからの観光客に、囲まれ持ち上げられ連れ去れるって事態にはならなかったけど、隣りにあるお洒落なブティックの女性店員さんとかが近寄ってきては一緒に記念撮影をしている様に、世代も職種も超えてキティの魔力もとい魅力が浸透しているんだって様を実感する。

 こーゆーリアルな現場での人気ぶりを目の当たりにすれば、彼方の多摩センターにある「サンリオピューロランド」が不動産的有形固定資産的な価値としてあんまり認められないってことで減損会計の対象となって、200億円くらいを一気に消却しないといけなくなったって発表会見に、乗り込んできた大手町にある米国で40億円も稼げなかった映画を日本で30億円もいくんだってトーンで持ち上げて、まるで慚愧の念を抱かない人たちがたむろ する新興ビジネス紙ではない、日本を代表する経済の新聞の若い記者もキティが無形重要文化財すなわり人間……猫国宝であると認めてその価値を、さらに高める役割を果たしている「ピューロランド」を作った意義を感じて「200億も損出して社長の人は責任を取らないのか」的質問を、ぶつけることもなかったんではなかろーか。「ピューロランド」にも行ったことがなくそこで何が行われているかを一顧だにせず決算短針の数字の動きにだけ注目している経済ジャーナリストが日本にはたくさんいるのです、絶対。

 欧米の人の人気もなかなかなよーでそこは原宿表参道、フランス英国ドイツにイタリアといったお洒落な国々から来ているお洒落な人たちも近寄ってきてはいっしょに記念撮影に収まっていてさすがはワールドフェイマスキャラクターと感嘆。ハイタッチして拳を重ねてお辞儀をしあい合掌し合う訳分からないフランス人(絶対にフランス人、そーゆーことする野郎はフランス人、と偏見で決定)の男もいたりしたけれどまあ、それも親愛の情ってことだし連れていた彼女が可愛かったので日本が誇るキティをイジったことは心の中で許してやることにする。付き合うキティもキティです。

 そーゆーリアクションがとれるよーになったのも、以前は社員がただ被っていただけらしーキティの着ぐるみ(中の人などいない)を、より親しみのあるものにするよー「ピューロランド」で見せるショーの中で鍛え来場して来る人たちをもてなすアクターアクトレスとして訓練した成果でもあって、「シナモン」とか新しいキャラクターをお披露目して浸透させるインキュベーターでもありショーの模様を収録してDVDにして売るスタジオでもある「ピューロランド」の機能を、不動産的な価値がないから、集客がとんとんだからと損金に勘定してしまうこの国のいったいどの口で、日本が誇るアニメーションやマンガやゲームといったコンテンツを育成して世界に発信していきましょうなんて言っているのか。

 口は出してもお金は出さず、上物(イベントという場も同様)は作っても路は作らないハコモノ行政の流れがやっぱり出ているって言えるのか。何年もかけてつくって売れた制作資金を何年もかける次の制作にまわせず税金でむしりとられる仕組みに変化は出たのか。その辺りを是非にも世界に誇れるエスタブリッシュメントな経済新聞の人には突っ込んでいってもらいたいところ。後発のお洒落なビジネス紙はジュード・ロウを持ち上げるのて手一杯なんでよろしく。

 新人続きで「第2回ビーンズ小説大賞」を受賞した深草小夜子さんって人の「明日とロッド・サーが」(角川ビーンズ文庫、457円)。2人の皇女が闇の神族とやらと結ばれて生まれた2人の皇子。ともに「悪魔の皇子」と呼ばれ恐れられながらも成長した第1皇女の息子シェラバッハが突然にして国王に反旗を翻して権力を奪取。これは闇の神族ではなかった人間との間に生まれた兄3人を屠り、いとこにあたるもう1人の「悪魔の皇子」のアストロッドにも魔の手を伸ばしてその生命を脅かそうとする。

 もっとも弟とはいえ「悪魔の皇子」だったアストロッドはか弱いってことなんてまるでなく、子供の頃から卑屈で品性下劣で傍若無人で悪逆非道な人間で散々っぱら人を困らせて来た御仁。シェラバッハが襲ってきた時も連れていた娼婦を放り出してはすたこら逃げ出す。それでもやっぱり追い掛けて来たアストロッドに見つかり御用。そこで命を奪われるかと思いきや、アストロッドが妃にと連れてきた少女ナシエラの体の中へと魂を移され、そのままシェラバッハの妃にされようとしてしまう。

 1つの体に2つの心がいつまでも保つはずがなく、成り行きによってアストロッドとナシエラのどちらかが消えてしまうという情勢。ただ兄への憎しみだけを糧にして怠惰に生きてきたアストロッドの心に何かが芽生え、強権を使って逃げ出そうとするアストロッド=ナシエラを捕らえ追いつめるシェラバッハをただ憎むだけでなく真正面から対峙し戦おうと決意する。女の体に男の魂。でもって迫って来る美形の兄との対峙。なるほどなかかなかにビーンズ文庫的ならではのシチュエーションって言えるかも。

 当初のアストロッドの品性下劣ぶりが実は兄への複雑な感情から生まれていたものだとか、そーゆーアストロッドを虐げ奪い踏みにじろうとするシェラバッハの心の奥底にあるアストロッドへの感情にあって、そーした感情のぶつからず重なり合わない様が悲劇を招いているんだって、そんな事情が過去のエピソードなり吐く言葉の端々なりに散りばめてあれば読んでいて揺れるアストロッドの感情に身を重ねて心を揺らすことができたかもしれないけれど、ページ数の関係もあってかあまり深くまで人物造型がなされていないよーに思えたのがとりあえず気になった部分か。クライマックスは凄絶で感動的でここから生まれる新たな相剋のドラマにちょっぴり期待したくなるけど続編とかって可能なのかな。他の話でも良いから読んでみたい人でありました。


【11月18日】 そっかシャアは感づいていたのか新しい人たちがそれまでとは違う才能を秘めているってことに。千葉テレビで始まった「機動戦士ガンダム」の第3話で補給中のムサイを相手に撃って出たホワイトベースとガンダムを相手に1人奮闘するシャア・アズナブル。新型ってこともあって苦戦はするけれど、それ以上に彼を驚かせたのはまるでなっちゃいない戦いぶりを見せているにも関わらず、歴戦のシャアを追いつめ補給艦を沈めやっぱり歴戦のガデムを圧倒してしまったこと。「どういうことだ」とか何とか言って悩んでいる、その答えた30話くらいを経て「ニュータイプ」とゆー存在へと繋がった、のかもしれない。そこまで考えて初期のシナリオを書いていたかは知らないけれど。次はルナツーでの攻防で遠からず大気圏突入で程なくガルマの登場と死。第1クールのクライマックスに向けて進む展開に毎週が楽しくって仕方がない。これで本業が潤ってればなあ。そりゃ無理だ。

 そっかやっぱりいくらなんでもだったんだなあ。昨日のワールドカップアジア予選「日本vsシンガポール」の試合について書かれたスポーツ新聞のトーンは軒並み今ひとつって感じで、大丈夫かジーコって雰囲気でこの程度だと最終予選に進んだら強い相手にコンテンパンにされてしまうって危機感が、行間からじんわりとにじみ出てきている。中田英寿選手を叱咤するイタリアのスポーツ新聞よろしくふがいない日本代表やそんな代表を作ったジーコ監督を、真正面から叱咤していないところに不満は残るけど、礼賛一辺倒でついでに前任者をコキ下ろす紙面作りが常套だった以前に比べて格段の進化が見られる。

 真正面からサッカーの中身を伝えるメディアが増えてきてそっちに人気がシフトして、スポーツ新聞としても居住まいを正さないと未来がないって気がついたのか。テーマがしっかりしている分修正もしやすいけれどこれが夜郎自大を棟とする某ビジネス紙だと作り手の思い入れと思い込みに思い違いも加わって、得体の知れ無さ百烈拳な紙面になっているからもう吃驚。15歳の高校生が入団したくらいでタイガースグッズの売り上げが増すなんてこと、あるわけねーじゃんか。それでグッズが売れるなら、81年のドラフトだかで指名された源五郎丸選手の入団で、日本中にゲンゴロウブームが起こって沼や田圃から根こそぎゲンゴロウが捕獲されてショップで売られていただろー。牽強付会もいい加減にしないと信頼性をなくすぜ、そんなものがあればだけどさ。

 「ポプラパレス」の宮廷ドラマも「郵政省特配課」の官僚ストーリーも、「回転翼の天使」のスペクタクルも「ここほれワンワン」の地質学も、「メデューシン」の医療システムも「ハイウイングストロール」のプロフェッショナルたちの友情も、小川一水さんの過去の作品のすべてが「復活の地」を書くための習作だったと言ったらあるいは言い過ぎかもしれないけれど、独立したそれぞれが圧倒的に面白いこれらの物語の面白い由縁が抽出された上に混ぜ合わされ、なおかつ野尻抱介ばりの派手な設定に小松左京ばりの国家と政治と外交と行政と家庭と友情の上から下までしっかり見通した関係が、組み合わされた「復活の地」が面白くないはずがない。

 事実全3巻で完結した「復活の地」は圧倒的な構成力と驚異的な情報量、絶対的なドラマと超絶的な造形力でもって震災により破壊された帝国が再びの内憂に迫る外患をかわして屹立する様が描かれる。一大ブランドのハヤカワから出たってことで冲方丁さんの「マルドゥックスクランブル」と同様に、SFの人たちが小川一水さんの存在を「第六大陸」でSFな人たちがその存在に今さらながに気付いたっぽい所もあるけれど、「復活の地」が出た以上はSFの人にその名が定着することはもう確実。星雲賞だって日本SF大賞だってとって不思議はないけれど、そんな”内輪”だけじゃあもはやおさまらない。来るべきクライシスに危機感を抱き何をしたらいいのかを考えている政治や経済の人にも是非に読んで欲しいけど、そっちに突き抜けるにはまだまだ高い壁を超える必要がありそー。どーすれば小泉が、ブッシュが「復活の地」を読むのかなあ。


【11月17日】 んで「スニーカー大賞優秀賞」を獲得した長森浩平さんの「タイピングハイ! さみしがりのイロハ」(角川スニーカー文庫、533円)を読了。こいつぁすげぇ。超すげぇ。ひとりの少年が学園へと転入しては美少女と出会いまくって楽しい学園ラブコメを繰り広げるって外見があって、なおかつ冒頭から美少女(幼女)がスカートをはがされ縞のパンツ姿でひっくりこけてる所に行き当たる、ボーイ・ミーツ・ガールをエスカレートさせたよーな描写もあって、なるほどそーゆー読者の特定層を喜ばせまくる話かと思って読むとこれがまるで違う。全然違う。凄まじく違う。

 主人公が学園に行くこと自体がコンピュータを不正に操作して無理矢理潜り込んで行うある種の潜入調査で、転入早々に自分がそーやって不正によって入ったことを主人公は公言してしまうから面食らう。なおかつ冒頭で出てきた縞のパンツの少女を「縞ぱんちゃん」としか呼ばず、同級生になったステンシア・ローズフィートって少女をウェービーさん(髪がウェーブかかってたから)としか呼ばず、訂正されても頑として本名を呼ばないふてぶてしさ。その性格でもって学園が狙う何かを暴くかってゆーとそれほど積極的でもなく、成り行き任せ気分任せのよーに学園生活をしつつそれでも起こっている事態に迫っていくとゆー展開のさせ方に、新鮮さが漂い異様さも浮かんで面食らわせられる。

 クライマックスあたりでは人間の運命にとっていささかシビアで残酷で切ないドラマもあったりして、一般的な学園ラブコメだったら、あるいは青春小説だったら幸運が訪れるなり正義が勝利するといった落とし所へと向かうものが、そーはならず悲しくも可哀想な方向へと向かってしまい、なのに主人公はそれを悔恨しつつもひっくり返すところまではいかない冷徹さでもって受け止めてしまう。呆れるけれどそんな非道な展開であるにも関わらず読んで嫌悪感を抱かされることなく、そーゆーもんだなと妙に納得させられつつ読ませられてしまう文体なり描写がちょっと面白い。

 とっちらかっているよーで行き当たりばったりなよーで締めるところではしっかりと締める。AIの人間性みたいなものに関する描写もあってSF的な側面からもあれこれと考えさせられる。冒頭に出てきたホログラムの美少女がただの前振りなんかではなく最後にもしっかりと役割を果たす構成の妙にも感心。これが新人だとしたらとてつもない新人だし、この無茶苦茶な展開がもたらす効果を考えてやっているんだとしたらとてつもない計算高さを持った人ってことになるけど、天然だとしたらそれはそれで凄いかも。続く物語で何を書くかが判断の分かれ目か。ともあれ久々に読んだ凄い話。縞ぱんちゃんウェービーさん可愛いイラストに騙されて読んで騙されたと皆さん、地団駄踏んで頂戴な。

 池袋の「ナムコ・ナンジャタウン」にある「池袋餃子スタジアム」がリニューアルして19日からオープンするそのプレスレビューを見物に行って餃子を1つも食べずに帰ってくる。何しに行ったんだ。まあそれはそれとして今回は新しく7つのお店が加わったとかで蒲田にある羽根付き餃子(溶かした小麦粉をぶっかけて焼くんで羽根みたいなぱりぱりした部分が出来る)の店とか銀座にある10センチものジャンボ餃子を出す店とか、沖縄にあって10月に出来たばかりの店で海鮮とかいろいろ入った包み焼きを出す店とかが加わって、これまでにない幅広い味を試せるよーになっているとか。餃子ファンならたまらない場所って言えるかも。

 2001年に最初の「餃子スタジアム」が出来た際に入場料を300円に下げて入って後は自在に楽しみ食べることで稼ぐ形に変わってこれが奏功して、年間に100万人以上は軽く集める施設になってこれに気をよくして以後、アイスクリームの店ができシュークリームの畑も出来て甘いものから旨いものまであれこれ集まった施設になっているけれど、似たコンセプトのフードテーマパークがあちらこちらに出来る中で2年3年経ってここでテコ入れも必要ってことだったのかも。このテコ入れが成功するかはこれまでに作られた「浪花麺だらけ」とか他、各地のテーマパークのテコ入れにもつながって来るんで「フードテーマパーク」を仕掛け定着させたナムコとしても腕の振るい甲斐があるってものかも。さても集客の更なる拡大につながるかそれとも飽きられ盛り下がってしまうのか。要観察。

 遊んでいるんだとしたら論外だけど真面目にやっていたんだとしてもやっぱり問題かもしれない。サッカーの日本代表がすでにワールドカップのドイツ大会行きを決めるアジア最終予選へとコマを進めた上でのぞんだシンガポール戦は、最初こそ玉田選手の飛び込みから素早いシュートで1点をゲットしたものの、マークをしっかりとして読みもかけて日本人どうしでのパスを成功させないシンガポールの激しくも素早い守備があって日本代表は攻め手を欠いて、追加点を奪えないまま最小の点差でもって勝利を収めることになった。

 サイドに振ってもそこから前へとボールが運ばれず、かといって中央突破を試みるだけのパワフルさもなく突き当たっては戻し左右に振っても進めず切れ込んでは奪われる、見ていてフラストレーションの溜まる展開を90分近くも見せられた日にゃあ一体、これでさらに厳しくなる最終予選のチームを相手に点を奪えるのかって心配が脳内をいっぱいに埋め尽くす。普段はレギュラーになれない選手がご褒美って意味合いもこめて出場させてもらったのに、相手選手へのチェックからこぼれたボールへの寄せから何からなにまで、シンガポールの選手にひたむきさで負けているのはどーゆーことなんだろー。つまりは初戦は海外組が入ればサブに回されるって諦念なのか。それともそーゆー実力だから普段はサブなのか。断じて否、って思いたいけどだからといってジーコの戦術に責任のすべてをおっかぶせるのも忍びないし。

三都州、2年を経て定位置につく。  スタジアムには日本代表と付けば誰だって嬌声でもって応援をするファンがぎっしりと入っていて、一挙手一投足に悲鳴のよーな歓声があがってさぞや気持ち良かっただろーけど、少しづつでも底上げされているファンのサッカーを見る目の前にいつまでも嬌声ばかりがスタジアムを埋め尽くすとは限らない。勝っていたってその勝ち方が悪いとブーイングが上がる日だって来るだろーし、それは案外に遠いことじゃないかもしれない。選手も監督の人も勝てば官軍よろしく大喜びに浮かれることなく、続く最終予選は勝つ負けるってこと以上にひたむきさでもって見る僕たちを感嘆させれ欲しいんだけど、やっぱりイライラでハラハラな試合が続くんだろーなー。

 インドで通訳の人が退場になって今回の試合に出られないってことで注目された通訳は、従前よりの予想どーりにアレックス選手が務めることになってこれまたジーコジャパン初期の頃からその重用ぶりの理由に上げられていた”通訳枠”の可能性が、よーやくにして裏付けられたって感じ。試合を通してあまりベンチから出てこなかったジーコがサイドラインのそばまで歩み寄って選手に話しかける横に、ベンチコートを着たアレックス選手の姿があって当人的にはいったいここで自分は何をやっているんだろうって感じだっただろーけど、傍目には2年近くを経てよーやく”正しい”ポジションを掴んだんじゃないかって見えたんじゃなかろーか。堂に入ったその通訳ぶりが最終予選の場でも発揮されることになるのか否か。でも代わりの三浦選手があれだったからなあ。ピッチ上の通訳に戻るかな。


【11月16日】 近づく「京都SFフェスティバル2004」に行こうかどーしよーか迷う日々。去年はまだ上位リーグと下位リーグに分かれていた女子サッカー「L・リーグ」の上位リーグ戦が続いていたかで帰りに伊賀に寄っては「伊賀FCくノ一vs日テレ・ベレーザ」の試合を見ようかな、なんておまけも考えられたけれど今年は全日程が終了していてあとは12月からの「全日本女子サッカー選手権」を待つばかりだったりするから悩ましい。そっちで水戸に行く予定なんかも出来そーでそっちに旅費をかけたいって気もあるし。

 仮に行くなら目的は「京フェス」ピンってことになるけど引っ込み思案で人見知りな人間が行ってひとばんを越すのは艱難辛苦も著しく、そーした壁を超えてでも見たい企画会いたい人がいるかってゆーとうーん、「空の中」(メディアワークス、1600円)の有川浩さんは評判ではなかなかに見目麗しくも健やかだって話らしーけど主婦だってことはつまり当方の及ぶところではない。ってかこの前「電撃3大賞」のパーティーで背後霊のごとくに近くを旋回してはご尊顔を拝しているから改めて、見えても東京でできなかったご挨拶ができるはずもないんでここは、家に籠もって原稿を読みつつ「雲のむこう、約束の場所」の公開を迎えることにしておこー。なのでまあ、寒さも厳しさを増す京都で皆様、風邪などひかれませぬようご自愛下さい。

 「ちょー」なシリーズが膨大に山積まれていてちょっと手の出せなかった野梨原花南さんに単独の話が出てたんで読んでみる。その名も「レギ伯爵の末娘 よかったり悪かったりする魔女」(コバルト文庫、419円)はタイトルどーりに見習いで良いか悪いかどっちかじゃなくフツーの魔女になろうかって怠惰にも考えている魔女の女の子ポムグラニットがとりあずんところの主人公。修行に出て半年が経ったんで家に帰ってお祭りに行きたいとゴネると先生、そんじゃ宿題を出して「魔女らしいことができたら休みをとらせる」って言ったんでポムグラニットはレギ伯爵ってところの末娘が、継母と13人の義姉たちの下で虐げられているらしーんでそれを助けてあげるのが魔女らしいと考えて、レギ伯爵の家を尋ねて出てきた庭いじりをしていた兄ちゃんに子細を話す。

 わかったと言って兄ちゃんはポムグラニットを屋敷へと案内してはい、この娘が末のマダーだと紹介したのが兄ちゃん自身。つまりはボーイッシュな子だったってことで驚きつつもポムグラニットはマダーの所で魔女らしいことをしよーとした所に突然、マダーの結婚話が持ち上がって大わらわ。相手は貴族の青年でマダーはそれでも淡々と相手の家へと尋ねて結婚OKと言うものの、そこで隠していた秘密を貴族やマダーへとうち明けた。マダーにはある呪いがかけられているってことでその呪いのとんでもないっぷりにポムグラニットは貴族の青年も込み込みで、呪いを解くべく奮闘を始めることになる。

 思い込んだら一目さんなポムグラニットにいー加減で成り行きまかせに見えて裏であれこれ画策している師匠の魔女のチャコーレア、相手がどんな呪いをかけられたってお構いなしに受け入れるぜと言ってマダーに求婚するアザーとそして、飄々としているよーで案外に自分にかけられた呪いを気にして苛立ちを見せる可愛いところもあるマダーと癖ありまくりなキャラクターの造型ぶりも面白いし、そんなキャラたちが障害はあるけれど陰惨ではなく悲惨でもないまま壁を超えて突き進んでいくストーリー展開をつむぐ手腕も絶妙で、さすがはコバルトでも人気頂点に近い作家の人だと感嘆する。

 相手がどんな形だって受け入れる博愛の気持ちとか、恨みを抱いて生きることの虚しさとかいった教訓もまあそれなりに得られる所もあって、読んで読み終えて読んだなあって気にさせられる。鈴木次郎さんの描くポムグラニットもおしゃまで可愛いし、このままシリーズ化、なんて期待もしちゃうけど話はとりあえず一段落してしまっているしなあ。あるいは高橋留美子さんの傑作マンガ的な設定を持たせつつその原因をどーにか除去しようって展開の中であれやこれや起こり誰や彼や絡んでくる物語へと広げていくってのもありか。ちょっぴりの期待を込めて見守ろう。「ちょー」シリーズは今からだと大変なんでいずれまたそのうちに。

 学園を舞台にして起こるからこそ異次元とか未来からの侵略が身に近く感じられて楽しくも怖ろしく思えたいわゆるジュブナイルに、近い空気を持っているかもって読んでてふっと思った水口敬文さんの「憐 Ren 刻のナイフと空色のミライ」(角川スニーカー文庫、533円)。第9回のスニーカー大賞で奨励賞をとった作品で、怪我で入院していた鳴瀬玲人が退院すると教室に1人見知らぬ女の子が。名を朝槻憐とゆー彼女をけれども教室の誰もが転校生ではなく4月からずっと一緒だったと言って玲人を不思議がる。ところが学校をひとたびでるとその同級生たちは憐って誰? と言うからもう訳が分からない。いったい彼女は何なのか。でもってどーして玲人だけが彼女の存在の異様さに気付いているのか。そこから物語は時間と運命をめぐる残酷なドラマへと進んでいく。

 自分では切り開くことのできない運命とゆーものを突きつけられた時に人はだったら運命を変えてみせると粋がるのか、それとも諾々と運命に従って生きるのか。前者でありたいとゆーのがきっと人なら誰でも抱くものだけれど、帰られるほど緩いものでは運命はないんだとゆーことを突きつけられ、下手に変えよーとすると自分以外のところで犠牲を出してしまうかもしれないと言われて果たしてそれでも我が儘勝手に振る舞えるのかどーなのか。そんなあれこれ考えさせられる設定があって単なるボーイ・ミーツ・ガールの物語だと思って読んでいた頭をすーっと冷やされる。

 未来世界のとてつもなく残酷な様にも驚かされるし、そんな残酷な未来に行われている犯罪者を罰する方法も過去に類を見ない苛烈さ。考え出した作者の人にはよく考えたと賛辞を贈りたい。ってかこーゆー刑罰を考えられる人ってやっぱり意地が悪い人なのか、それとも逆に優しいからこそ人の嫌がることに敏感なのかと想像が向く。エンディングで選ばれた道が果たして運命にどれほどの影響を与えるものなのか、興味はあるけどそれが描かれていないからこそ浮かぶ想像も幅が広がる。続編として”その後”をつづってシリーズ化していくのも一つの手だけど個人的にはここはこれまで、未来に”希望”を抱かせてくれたままにしておいて、その創造力その造形力を新たなる作品へと全力投入して頂きたい。頑張って。


【11月15日】 あったかもしれないニュース。きょう正午ごろ、東京都新宿区の地下鉄丸の内線新宿駅にある地下通路で男が壁に飾ってあった「プレイステーション・ポーブル」を奪おうとして警備員ともみ合いになり、その場で取り押さえられる事件がありました。男は40歳くらいで髪の毛を後ろで束ねた薄毛で身長は170センチくらい。自称書評家と名乗っていますが該当する仕事をしている節はなく、警察では身柄を新宿警察署に移し、身元や背後関係を取り調べています。

 男が奪おうとした「プレイステーション・ポータブル」は家庭用ゲーム機の「プレイステーション2」などを開発・販売しているソニー・コンピュータエンタテインメントが12月12日に発売を予定している携帯型のゲーム機で、今日からキャンペーンのためにその実物が張り付けられたポスターが、新宿をはじめ都内や大阪などに掲示されて話題を集めていました。張り付けられた「PSP」はどれもソフトが入って稼働するようになっており、奪おうとして取り押さえられた男は来月の発売が待ちきれず、書評家と言えば警備員も恐れ入ると思って展示してあった「PSP」を奪おうとしたものと見られています。

 とゆー事態が起こるかと思ったけれど幸いにしてそれほどまでの芳醇な魅力を未だ「PSP」は持ち得ていないよーで、新宿駅を始め池袋や大手町、東京なんかで始まった実物「PSP」のポスター張り展示を襲撃して横に律儀に立ってはケースに触れよーとする観客にやんわり注意を促す警備員を押し倒し、ケースを破って実物の「PSP」を市販より約1カ月早く手に入れよーとする青少年は未だ出ていない模様。昨日まで拓かれていた「ニンテンドーDS」の体験会「ニンテンドーワールド タッチDS」の会場でも什器から「DS」を引っこ抜く人はいなかったからとりあえず前哨戦の勝負は引き分けか、って何で勝負をしているんだ。

 それにしても派手な宣伝。実物を入れるケースを作る面倒もあるけれどそれより24時間、は駅が締まる時間もあるから何時間かは短くなるとしてもそれでも10数時間を警備員に頼んで見ていてもらわなくてはならず、新宿に至っては5人6人と警備員もいたよーで全国合わせて何十人もの警備員が1週間とかそんなもん、連日立ち番をする人件費を考えてみただけでも相当な額に行ってしまいそーだけどまあ、それでもテレビなんかでスポットを流すよりは安いだろーし珍しい広告手法ってことで「PSPが警備員に守られてまーす的」映像として、ワイドショーとかニュースなんかで流されることも勘案すれば逆にお釣りだって来てしまうのかも。考えた人は策士。佐伯さん? 

 先週に代々木の「ブックオフ」で救出した「アニメック」の1985年3月号を読んでいて「第1回日本ガレージキットフェア ワンダーフェスティバル85」が開催されたって記事を発見。今でこそコンビニエンスストアでメジャーな商品として売られている玩具菓子の新作話題作がずらりと並んですっかりマスプロな要素も持ったイベントになっているけど当時は「現在日本で製作(ママ))されている全てのガレージキットとっっても過言ではない多くのマイナーグッズが集まっていて」って感じで、マイナーであることが商品の重要な要素であったことが伺える。今でももちろん少量作られたマイナーなキットが現れる数少ないイベントであることに違いはないけれど、それが総体として来場者の主目的にあんまりなっていない状況は、元来あったマイナーを極める”スピリット”めいたものが薄れて、拡散して来ている現れなのかもしれない。来年2月の開催で満20年。「ワンフェス」はどこに来た。そしてどこに行く。

 そうか名古屋に行っていたのかと「週刊朝日」の2004年11月26日号で枡野浩一さんの動向を知る。「あるきかたがただしくない」は連載33回目を迎えて変わらぬ寂しさで落ち込んだ感じと強がって突っ張っている感じとかモザイクのよーに入り混じった内容で、同情を覚えあせられつつもいつまで引きずるんだって叱咤の念もチラチラと喚起させられる。自虐に見えるけど情けなさ一辺倒ではなく威張っているように見えてもどこかに隙がある。こんな複雑で微妙な感情にさせられる文章を僕は他になかなか知らない。これが高度なテクニックのなせる技なのかそれとも天性の感性によるものなのか、いずれだれか批評の人に分析評論して欲しいもの。真似できればたぶん一生、文章で食えるから。

 ちなみに名古屋に行った話では「セミダブルで枕が2つあるのに、ひとりで寝たのだった」という言葉を2回重ねて「意味もなくリフレインしてみました」と続ける掴みがおかしくそれでいて寂しい状況にある雰囲気を醸しだして絶妙。以下味噌カツを食べ餡トーストを食べひつまぶしを食べる名古屋グルメの様を紹介しつつもそれが餡とか味噌のよーなくどさを感じさせずさらっぱりしていてこれまた即妙。東海林さだおさんや椎名誠さんだとそんな食の部分だけでもわっと立ちこめる湯気に香りが活字から漂う、濃くて熱気にあふれた文章にしてしまうからなあ。そうして稼げるネタでもそうしない、それを潔さと見るかそれとも感情の怜悧さと見るか。書き手を詳細に知っている訳ではないんでこれまた解説の欲しいところ。しかしこれだけのエッセイが世間で評判になっている風がないのは何でだろー。やっぱり内容がシリアス過ぎるから、なのか。

 実に目出度い紀宮清子さまと黒田重樹さんとのご婚約内定を一般紙がそれなりのスペースを割いて掲載しているのは国民の知る権利に答える新聞の義務として当然だけれど、中に経済紙でるにも関わらず1面から2面へと大きくスペースを割いて状況を伝えつつ3面ではほとんどすべてを潰して結婚ビジネスへの影響がどうとかいった記事を載せ、なおかつ最終面を潰してカラーでグラフを入れる大々的な取り上げっぷりをしていて一帯、これのどこが経済紙なのかと考えて思いつく。つまりは経済紙はけいざいしで慶事愛紙でもあって慶事を愛してこれを紹介するのは当然過ぎるくらいに当然なのだ。だから2日目もやっぱり何面も裂いて似たよーな話を繰り返し紹介し、婚約が決定するまでは「今日のサーヤ」とかってコーナーも作って慶事を愛しまくるんだ。これはギャグではありません。


【11月14日】 サーヤさまこと紀宮清子さまにおかれましては東京都に勤務の黒田慶樹さんとご婚約とのこと。まずは目出度いと心よりのお祝いを述べさせて頂くとしてさて、この黒田慶樹さんが東京都でいったい何をしているんだろーかと考えて、現代視覚文化にも造詣の深いと巷では言われるサーヤさまのことだけに、もしかすると東京都が石原伸太郎都知事の肝いりで始めた「東京国際アニメフェア」の運営なんかに、携わっていたとしたらいかにもにいかにもだったんだけど、流石にそーいったことはなさそー。最高に高貴な姫君が我らのリーダーへとご降家あそばされる日が来ることを、個人的には望んでいたんだがなあ。

 あるいは「東京国際アニメフェア」の名誉総裁とかにサーヤさまがなられて、毎年開催されるイベントの初日にテープをカットした後で、満面に微笑みを浮かべて場内を観覧されてはそこかしこに立てられた看板、貼られたポスター、歩くキャラクターの着ぐるみに感嘆される姿に、こと外出等に関しては決して自在とは言えない家にお生まれになられたことで溜まられたさまざままな事柄が、融け崩れていく様を見、感動を味わわされせて頂けるかもと思ったけれど、都市整備局って固くて真面目そうな部署にご勤務さている人なんで、そーいった方面へと外出されることにはならなさそー。むしろピカソゴッホといった近代視覚文化の方面で、ご活動されている姿に浴する機会が増えることになるのかな。ともあれ改めておめでとうございます。

 文芸フリマが場所を変えて秋葉原で開催されてるってんで朝起きして総武線でゴー。青山ブックセンター本店だなんてとってもハイソでハイエンドでハイブロウな場所に果たして合うのか合わないのか境目にあるイベントだって印象があったけど、こと秋葉原に移動するとこれが何とも実にしっくり。千葉にひとつ戻る浅草橋の文具会館、新宿にひとつ進むお茶の水の損保会館といったワンデーのオンリーな同人誌即売会が根城にしている会場を近隣に持って中間地点にあるってことで、両方を移動する人にとってこれほど便利な場所はなかったかも。そっちでオンリーが今日も開かれているかは知らないけれど。

 午前11時の開場とほぼ同時に到着してしばし並んで入場すると多くは大塚英志さんと白倉由美さんが着席しているブースに行列。何か出てたんだろーか分からないけど並ぶのも面倒だったんですぐに上のフロアへと上がってこっちも行列が出来かかっていた「Majestic−12」って所で同名の同人誌を買う。編集は前島賢さんでつまりは「kluster」の人で中身も「kluster」の第3号に収録された秋山瑞人さんへのインタビューが再録されていたのは何だろう、後に続く「イリヤの空、UFOの夏」を肴にSFとか、セカイ系とかを評論するための前振りとして必要だったってことなのかな。再録度合いがどのくらいなのかは比べて見れば分かるけど「kluster」の3号が家のどこかに紛れてしまっているんで不明。その意味では再録はありがたいか。

 社会とか世界情勢とかすっとばして君と僕とかあれこれする自閉的な話を”セカイ系”って定義づけるなら(それが正しい定義かは意見異論もありそーで検討の余地有り)個人的には「イリヤの空」はどっちかといえばセカイ系の対極にあるって感じがあって、なるほど主題はボーイ・ミーツ・ガールがメインには来ているけれど背後で社会は極めて厳密に作り上げられ事態は確実に進捗していて、そーした変化がボーイ・ミーツ・ガールの話しを上へ下へと揺さぶり脅かす。ボーイ・ミーツ・ガールを描く算段として持ち出すにはその世界には確固とした基盤があってボーイ・ミーツ・ガールの主題にまるで阿っていないんだけど見えず説明されてないって意味では同じだからやっぱりセカイ系って奴なのか。中間をぶっとばして世界の終わりと君と僕の関係が直結している話しをそう呼ぶって説もあるならそのとおり。うーん難しいなあ、ジャンル分けって。

 そんな「kluster」にも関わっていた山田和正さんは別にブースを持って「CONRAD」って同人誌を発売。音楽評論に映画評論なんかをやってる佐々木敦さんをひたすら取り上げた内容は佐々木さんを知らない身には何が凄いのか、判断するのに時間がまだまだ係りそーだけど中で語られる西島大介さんも含めた熱くて濃い会話からはきっと21世紀のどっか中心軸がなくなって相対的ななかでゆれてぶれている思考にひとつの強烈なベクトルが、与えられ導き出されるよーな気がする。ってかそーなって欲しい。ブースでは西島大介さんも立ってコピー誌を配布。「世界の終わりの魔法使い」を紹介するチラしで魔法少女がウインクしているんじゃなく顔の半分を包帯で覆っていることが分かる。河出書房新社の島田一志さんのコメントもあって来年2月に刊行とのことで頑張って描いて「凹村戦争」から続く衝撃を、これは「Majestic−12」のインタビューで語っている「MATRIX」のマシンガン撮影を超える衝撃的なビジュアルを見せてやって下さいない。そっちは「SFマガジン増刊号」の漫画でやるのかな。ってか出るのか「SFマガジン増刊」は。

 東浩紀さんもいたりした会場をぐるりと回って後は表紙のニンジンガールに惹かれて「Re.PLAY」って同人誌を購入。ここでも世界とセカイについての評論がされていた。セカイ系って概念が人をそんなに惹き付けるのは何だろー。それを語ることで何が見えるんだろー。多々あるセカイ系の評論を読んでちょっと真面目に考えてみたくなったけど残された時間は少ないんで今はとにかく物語を1冊でも多く読むべし、読むべし、読むべし。そこから感じられることが重要なんだと思い込む。「Re.PLAY」にはバンダイビジュアルとブロッコリーのビジネス規模と動向からデータベース消費の限界を指摘した評論も。最高益をあげた時のブロッコリーの収益が主に「ベイブレード」とゆーデータベース消費とは無縁の事業から上げられていたことをとりあえず書いておこー。ブロッコリーが志向したキャラクタービジネスが頭打ちになっているのは事実だけど。バンダイビジュアルがバンビと略されているのがちょっと新鮮。

 早稲田大学にあった地下部室を撮影した写真集とかボイルドエッグズの村上達朗さんへのインタビューが掲載された同人誌とか買って帰って読書して寝て起きて近所で開かれた「ミステリチャンネル」年末恒例の「闘うベストテン」の公開録画に行く。豊崎社長が吼えてたけれど喧嘩みたいなものはおこらずメンバー的にはまあまっとうに、すんなりと国内編海外編ともベストが決まって時間どおりに収録が終わる。ランキングは番組を見るなり「このミステリがすごい」掲載のリストを見るなりして頂くとして印象から言えばミステリーの世界もいわゆる一時期の新本格系なり冒険系なりのビッグネームが外れて新進気鋭なりの人が大勢、入って支持されるよーになっている感じ。海外に至ってはミステリってよりSFのベストって感じすらあってSFがすべての文学を包括するんだってSF貴族的な思考を持っていた若い頃なら驚喜し乱舞したかもしれない。今だと逆にこんな良い時期がいつまでも続く筈はない、後は再びおっこちるだけかもって恐怖がじわり。果たしてSF人気は本物か。普遍化したのか。来年のランキングにはや注目。


【11月13日】 早起きして「東京ビッグサイト」で始まった任天堂の新型ゲーム機「ニンテンドーDS」に触りまくれちゃうイベント「ニンテンドーワールド タッチDS」に行く。スーパーマリオの帽子を被って「DS」の遊び方を教えてくれるお姉さんたちがいて、白いコスチュームに包まれた身の瑞々しさに眩みついつい「触ってみてもいいですかあ」と言って手を伸ばしたくなる。けどそんな冗談が通じる場所ではないと心に留め置いて観察するだけに留める。

 入った両脇にはDSの形を模したモニターで宇多田ヒカルさんのCMがメイキングも含めて放送されていて、ワンピースの胸元になぜか中央にぽっかりと開いている丸い穴からのぞく谷間というか丸い山のすそ野といったものが目に入って前でしばし佇む。メイキングでは机に置かれたDSを目に留め顔を近づける前屈みになったシーンが真正面から捉えられていて、そこでより胸元の丸からくっきりと見えるつまりは何かを目に焼き付けようと頑張っていたら目のヒューズが飛んだ。罪作りな衣装だ。サトエリとか若槻千夏さんとかに着せたいけどデカいと額に谷しかのぞかない可能性もあるからあるいは逆タイプが隙間も多くて見ていて目に凄いのかも。

 そん妄想はさておき「ニンテンドーDS」は行列も出来る活況ぶりでほとんど宣伝なんかしていないのにしっかりと来場者のあるその様に、新しいゲーム機がもたらしそーな可能性の一端を伺い見る。タッチスクリーンとデュアルパネルになったことで生まれる面白さそのものは、現場でちょっと触って遊んだくらいでは神髄を究めたとは言えないけれど、それでもそれまでと違った何かがあって、もっと試してみたい遊んでみたいって気にさせられる。そんなユーザーの体験以上に、気になるのがクリエーター側の意気込みでこれまではボタンとキーに動きのすべてを集約させる作業が必要だったものがタッチや音声といった入力デバイスを得、2枚のスクリーンをいう表示方法を得て何をそこに載せることが出来るのか、考えて来てくれるのに期待がかかる。

 前だと新しいハードが出ると生まれる新しいゲームも生まれてきたけど画像が綺麗になって処理速度が速くなってディスクの容量が上がる”進化”であったのは多くがシリーズ物のナンバーが上がっていくことで、それはそれでいより美麗でリアルなビジュアルの中を実写と見間違えるよな車で走ったりキャラクターを操作したりといった新しさを感じさせてくれた。でも”遊び”そのものが変わった訳じゃない。リアルな世界でも素早い動きでもやったり操作は手にしたボタンとレバーと方向キーのついたコントローラで、反射神経的な向上はあっても操作感に変化はなかった。

 そんな中に例えば「電車でGO」とか「DDR」とか、アクションを必要とするコントローラーも現れ結構受けたけど、そうした体感ゲームやアミューズメントマシンの模倣へと向かう動きもやっぱり限界がある。家にそんなにいっぱいコントローラーは置けません。「DS」がもたらしてくれる変化はそーしたゲームのリアル方向への進化とも、コントローラーの体感方向への発展とも違う何かなよーな気がするけれど、それが何かはまだ見えない。けどきっとクリエーターの人たちは何かを感じてだったらこうしてみたいって考えを浮かべてくれているだろー。その何かがどんな形で出てくるのか。「ファミコン」から20年目の”革命”にしばらく目が離せない、とか言って定性的な進化を極めた「PSP」も買ってしまうんだろーな。勝つのはどっち。

 会場を出て途中でネットにつなげて原稿を送りつつ最後となった「トヨタカップ」のチケットゲットに走ったらあっさりとれた。デコのいない「FCポルト」に聞いたことのない「温泉カルルス」ではない「オンセン・カルダス」の試合では盛り上がりようがないって言うか見て楽しいかって言うか。けど普段は滅多に見られないチームだからこそ見る価値もあるし、滅多にない世界一の、それも最後の世界一の称号をかけて争う以上はきっと目にも素晴らしい試合を見せてくれそうって期待もあるんでこれは見ておくのが正しい態度でしょー。同じ月にはドイツ代表も来て日本代表と戦うけど、それは2006年の決勝までお預けだ。金ないし取れそうもないし。

 そのまま西館(にし・やかた)で開かれている「第20回デザインフェスタ」をうろうろ。毎度おなじみの「ちくわぶ」で新作をチェック。見た目では「ぺ」と書かれたアルフィーの坂崎幸之助に似た長髪で眼鏡のニヤけたあんちゃんの似顔絵Tシャツが今にマッチしてたんだけど今だけって話もありそーなんでパス。あと今年が旬の「ハローキティ」に似た何かが描かれているのも面白そうだったけどこっちはサイズが小さいのしか見あたらないでやっぱりパスして、サッカーに関連のあったデザインのものを買う。「ちくわぶ」が買収した「レアル」って奴で銀河系の4人が描かれているけどあんまり似ていない気が。それもまあちくわぶっぽくて良いかも。昔に比べて立ち寄る女の子の客とか多くって浸透度も上昇中。けど絶対にマスプロにはなれないね。それが、パロディの、宿命って奴で。

メイドより白衣、これ絶対。眼鏡あればなお最高、これ真理。動いて喋っている姿が見たいよぉぉぉ。  反対側のアートのコーナーではキャラクター関連のアーティストを束ねて見せる「MP25」って企画があってプロのイラストレーターとかが参加していてなかなかに壮観。中ではまず「真吉って人のキャラクターが目に入って描かれる男の子のやんちゃっぽさと女の子のキューティーさに目を奪われミニポスターを買ってしまう。もちろん女の子のイラストだけだけど。素性がどーゆー人でプロとしてどんな活動をしているのかも知らないけれどいずれ遠からずいろいろ描いて来てくれそーな予感。青春な小説の表紙とかイラストとか。良いかも。

 あと同じコーナーでは上田バロンさんがなかなかに小粋で目立ってた。コナミのゲームなんかにキャラクターを提供しているプロの人みたいだけどどこかアメリカナイズされてるよーでやっぱり日本のコミック調なキャラクターが男も女もイカしてて(死語)、そんなキャラが動く様を是非に見たいって思わされた。眼鏡の助手の女のキャラ、最高っす踏まれたいっす。別の一般では奥平アンリって人の絵がなかなか。真正面から人の顔を描く肖像画っぽいんだけど崩れてて背景にとけ込んでたりして目になかなか深淵なものを感じさせてくれる。個展なんかだと別に物を描いたシリーズもあるみたいだけどこっちのシリーズもなかなか。いずれ来る、絶対来るって信じたい。買っときゃよかったって思うのはなあ、嬉しいけどちょっと悔しい。買いに行くか明日も。ってか売ってたのか。


【11月12日】 「代々木アニメーション学院」がすぐ側にあってアニメ屋さんには刺激も多そうな環境下にある代々木の会社に取材に行く途中で寄った「ブックオフ」で懐かしい「アニメイト」の85年3月号を見つけてついつい救出してしまう。何でこんな古い物がと訝る気持ちも半分ながら、場所が場所だけにあっても不思議ではないのかもって気持ちも半分。流石に生徒が読んで流したってことはないだろーけど、講師に来ているだろー世代にとってはリアルタイムの雑誌だからあるいは家から引っ張り出して売り払ったりしたのかも。

 「重戦機エルガイム」が終わりそうって時期だけに表紙はオルドナ・ポセイダルとアマンダラ・カマンダラのツインにリリス・ファウが絡んだなかなか美麗なもの。湖川友謙さんの絵に矢木正之さんが彩色したものらしーけどなめまかしくも美しい歩精樽に凛々しいアマンダラの対比をわずかな線で描き挙げる湖川さんの力を改めて再認識させられる。また見たいなあ、湖川さんのキャラクター。そして続く「機動戦士Zガンダム」の紹介なんかもあって久々の「ガンダム」に多分これを読んでいた人たちが、胸躍らせていた姿が想像できる。僕もそんな1人だった……っけ? 実はあんまり記憶にない。スターチャイルドが全国を回って開いた「機動戦士Zガンダムフェスティバル」に行った記憶もないし。この頃にハマってたんだろ? 「クリーミィマミ」に決まってるじゃん。ごもっとも。

 記事では「パラレル・クリエーション」の紹介なんかがあってそこに集った面子の豪華さに垂涎。久美沙織さんの「コバルト風雲録」(本の雑誌社)なんかにも書かれてあった、豊田有恒さんが当時下北沢に開いていたスタジオってゆーかクリエーター集団の巣みたいなところで、豊田さんを筆頭にしつつ星敬さんも代貸しめいた立場で加わり、そこに大勢のクリエーターが参集しては日夜原田知世さんを礼賛していた、のかどーかは今となっては分からない。掲載あれている原田さんの似顔絵がパラクリのクリエーター陣によって描かれた落書きその雰囲気を今に伝えている感じ。どーなったんだろこの落書き。

 集合写真には火浦功さんがいたりとり・みきさんがいたり大原まり子さんがいたり新井素子さんがいたりと豪華絢爛マーズデイブレイク。これが撮られて20年近くが経つ訳で、姿形はともかく仕事としていは健在な方々ばかりとゆー状況になるほど、素晴らしい人材の巣窟だったんだってことを知る。退社のご挨拶を寄せている出渕裕さんなんかは今がまさに旬の人。メディアワークスの「電撃3賞」のパーティに「ローレライ」のスタッフジャンパーを着て歩いていたりして、今をときめくクリエーター陣をさらに束ねる主として、強い影響力を放っているみたい。当人の作品が「ラーゼフォン」からこっち、ないのが気にかかる。期そうその活動再開を、火浦功さんの完全復活にまるで期待できないだけに。

 やっぱ買わねばいかんかと思い立って紀伊国屋書店まで歩いてDVDで「パルムの樹」を購入。描かれたジャケットで吊される素体のパルムの何とも無機的な格好に作品を通じて感じられた感情移入を拒否するキャラクターたちの振る舞いが思い出されて見るのが怖くなる。けど作家が作品に思いを込める、その方法論のひとつの形がここにあるんだって分かった以上は、頑張って見てそれが何だったのかを確かめなければ。心穏やかにして他人への僻みねたみを持たず親への反発も出ないよーな平穏な心境へとまず身を至らしめてから、トレーにディスクをセットしよー。そーいや封切りでパルムのセルとかもらったっけ。探してどこのシーンだったかを確認するのも一興か。「ガンドレス」のセルももらったよなあそういえば。「ガンドレス」のDVDは今に至るまで見返してない。「パルム」もそーなる?

 ついでに何かないかと探して目に入ったのが池田爆発郎さんによる「音楽って素晴らしい」のDVDのそれもTシャツとかセットになった特別版。同様にあれこれおまけをつけつつアーティスティックな映像作家の作品をリリースしているレーベルみたいだけど、そんな中にあって池田さん、得体の知れなさはナンバーワンで時代がかった劇画チックなワンピース姿の少女が描かれたジャケットに、一体どーゆー話なんだって見る前から期待も高まる。「PiNMeN」で見せてくれたあのすべての人の涙腺を緩ませるペーソスが果たして際限されているのか。それともまったく新しい世界を見せてくれているのか。こっちはすぎにでも見たい気分。でもパッケージを開けるのが勿体ない。困ったなあ。


【11月11日】 大地に立ったと思ったら次に破壊命令が出て「機動戦士ガンダム」は2週目でも変わらぬハイテンション。3倍のスピードで迫る赤いシャアの今見るとずんぐりとしてむっくりとしてとても速そうに見えないんだけど、艦長の怯えようからシャアがとんでもない奴だってことを際立たせて、流れの中でそーゆー風に思わされてしまう。30分がとっても短く思えてしまうのはすでに話を知ってしまっているからかそれともそーゆー風に作られているからなのか。時として退屈な時間が生まれることもある近作との差異なんかも考えつつ毎週水曜深夜を楽しんでいこう。全部撮って焼けばDVDボックスも待たなくて良いし。出るのはいつなんだ。

 えっと鵬(ほう)だったっけ。中国の「荘子」だかに出てくる生き物で翼を広げると何千里にも及ぶ大きさを持っているため空に上がるときっと空一面を埋め尽くしてしまうって巨大な鳥のことでこれを、難波弘之さんが「飛行船の上のシンセサイザー弾き」って短編の中に出していた。文化出版局から刊行された短編集が出たのはもはや記憶の彼方に埋もれるくらいの大昔で、内容についてはうすぼんやりとした覚えてないけれど、そんな巨大な鳥とシンセサイザー弾きの博士があれこれ、対話する話だったってことは覚えている。そーいやこの文化出版局の文庫もイラスト入りのがあったなあ。「バルーン・バルーン」とかあったっけ。1985年頃? 早川の「ハイ」が出たのもその辺だったっけ。ライトノベルブームを考えるならその時あたりの上がり下がりも勘案したいところ。

 ともあれそんな「飛行船の上のシンセサイザー弾き」を実に20年ぶりくらいに思い出してしまったのは、「電撃小説大賞」を「塩の街」で受賞してデビューした有川浩さんの新刊「空の中」(メディアワークス、1600円)を読んだからで、さいしょは「飛行船の上のシンセサイザー弾き」みたく、哲学的形而上学的なやりとりの果てに人類の未来を示そうとする小松左京さんばりの思弁的な話へと、発展していくのかと思ったらがらりと変わって「人類vs」みたいなスペクタクルな展開へ。「塩の街」でも滅んでいく中で人間のさまざまな揺れる情感を描く滅亡小説になっていくのかと思ったら後半、一気に特撮映画の世界へと膨らんでいって、それはそれで楽しませてくれたからきっと、ファーストコンタクト物いありがちな思弁的論理的な展開で読者を戸惑わせるよりスペクタクルな中でひとつふたつ、心に引っかかってくれるものがあれば良いってスタンスを、作者の人は取っていたりするのかも。

 野尻抱介さんの「太陽の簒奪者」に出てくる奴とは違ってもとより地球にいたってこともあるんだろー。コミュニケーションが割にあっさり成し遂げられるから、ムズかしい言語学とか心理学とかいったものを存分に取り入れた論争を、読まされ悩まされることはない。ってかそーゆーシミュレーションよりもむしろ、メーンにしているのは父親を失った少年や少女が自分たちの中でその哀しみをどう乗り越えていくのかって部分だったりして、ともすれば暴走しがちな子どもの心を事件がくっきりと浮かび上がらせ、それに近所の爺さんとか同級生の少女とか、いろんな人がいろんな立場でアドバイスを与えて導いていく展開は、SF的な器で見せた成長の物語だって言えば言えそー。

 もっとも、堅物で成る女性のパイロットの頑なで意固地なマインドに迫りこれを開かせついには自分の方を向かせることに成功する、事故調査に来た男性技術者の話術なり行動なりを見ていると、ある種の、あるいは趣味が独特な”男性”にとって、およそ理解の及ばない”女性”とゆー生き物を相手にした時に、どんなコンタクトをしてその後どーゆーコミュニケーションを取れば良いのか、でもってどんな行動を取れば良いのかってことをつぶさに教えてくれる物語として、歴としたファーストコンタクト物として扱うことも可能かも。ってかむしろ僕的にはそっちの物語の方が重要。ラストシーンで難攻不落と思われていた相手の頬を赤らめさせるに至った手腕、是非にも学びたいものだけど問題は試す相手がいないこと。電車で絡まれているのを助ける勇気もないしなあ。シミュレーションはゲームだけにしときます、やっぱり。

 「舞−HiME」に新姫登場。みかけは清純で実は腹黒ってなかなかそそられます。まるで「魔法先生ねぎマ!」みたいにキャラが増えて誰が誰だか分かりにくくなっている上にさらにそれぞれのキャラにはいろいろ秘密が隠れていそーで、ピンて1人抜かれた天使の歌声を持った美少女と彼女の唄に頬ゆるませるクールビューティーの関係とか、どーなっていってそれが本筋とどー絡むのか、蒔かれすぎてる伏線の収集の付け方ともども興味を持って来週以降も見ていきたい。碧ちゃんのは真正面からかかったのかが気になったけど、その直後で股をちらりと見せたり「JINRO」の「BON」みたいに前に手のひらをやったりするカットを瞬間はさみつつ必殺技を繰り出していた所をみると汚れてはいなかった模様。頭にナルト(半消化)とか乗せてやるシーンじゃないからね。。


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