縮刷版2004年11月上旬号


【11月10日】 30年近い歴史でもしかしたら見かけ最高齢かもしれないヒロインの表紙かもしれないなあ、でも生きてる長さだったら千年女王の方が上かなあ(千年女王が表紙になったことがあるかは不明)、なんて思いつつも手に取り買った「月刊アニメージュ」の2004年12月号は、小黒祐一朗さんによる「ファンタジックチルドレン」のなかむらたかし監督へのインタビューが秀逸にして辛辣。あの劇場公開作品「パルムの樹」について小黒さんがヨイショもしなかれば貶しもしないで真正面からどういう思いでなかむら監督は作ったのか、でもって自分はそれをどう感じたのかを聞いていいる。

 個人的には2002年3月16日の日記で真正面から全否定しているくらい”衝撃的”な作品で、今に至るまで見返そうって気にならずDVDもまだ買ってはいないけれど、インタビューでなかむら監督が「 入れ込むだけ入れ込んだけど、やぱり観た人の反応というのが、気になるじゃないですか。状況を考えても大ヒットなんてあり得ないんだけど、賛否の分かれ方が極端すぎたのが……」って当時から賛否渦巻いていたことを明かしてて、やっぱり同感だった人もいた一方であれのどこを讃えよーとしたのか、こちらとしても気になって気になって仕方がない。

 「とてもいい話なんですよ」って言葉に始まるなかむら監督のパルムへの思い入れは、「魂は入っているだろう」「パルムを人間に喩えて、精神的な発達というものを、うまく表現できればと思ってやったから」といった作家ならではの肯定的な言葉へと続いてなるほど、そういうことを言いたいと思って作っていたのかと感じさせる。

 面白いのがそうした言葉に対する小黒さんの反応で、「観ていて凄くつらい気持ちになったりとか、痛々しい感じは伝わってきましたよ」と頷きつつも「ただ、ちょっとつらすぎるんじゃないかと」と続けてそのシビアさを浮き彫りにしてみたりとか、「人間の精神が最終的にこんんあふうになっていけばいいな、と思えるとことに向かうためのプロセスを描こうとしたんですけどね」というなかむら監督の言葉に「でも、発達の途中が過酷すぎるんじゃないかという気がしました」と返して作り手と受け手の間にある、ギャップのようなものを顕在化させている。

 答えてなかむら監督は「あれ(注釈・パルムがナイフで鹿を殺すシーン)は、人間が生きていく上で、誰しも、大なり小なり罪を背負うということを表現したかったんです」と言っていて、内心的には納得づくの表現だったことが伺えそれが、僕にはどーして伝わらなかったんだろうってことへと思いを向けられる。「多分、『パルム』って、なかむらさんご自身が思っているより過剰な作品で、それだけに観てる人も過剰な反応をしたという事だと思いますよ」「凄い過剰な作品だと思う。監督の内面の奧にあるものを、スクリーンに叩きつけたみたない」とゆーなかむら監督への問いかけとも同意ともとれる小黒さんの言葉は、作品としては凄味があっても送り手と伝えての間にやっぱりある、溝の存在を示す。

 けど監督自身もそうした溝の存在を認識しているってことがインタビューから分かった点で、逆にこちらも監督の側が込めた思いに気づき至らない部分もあったことが分かって一方的ですれ違うばかりではない、相互に探り認め合う余地があるんだってことが公開から2年近くが経ってようやく見えてきた。そうまで思いを込めた作品なら、その思いがどうして僕には伝わらなかったのか、あるいは言葉を聞いた今なら伝わるのかを観て考えてみたい気分。買うかDVD。でも観るとやっぱり慄然としそーだしなあ、我が身のわがまま勝手さとか、親の子に対する思い入れの理不尽さとかに気づかされて。

 あと「今朝もちょっとDVDで観てきたんですけど、涙が出るくらいによくできて」って小黒さんの言葉の真意はなかなかに微妙。すぐさまなかむら監督から「でも、できた時ににはそんな事言ってなかったじゃないですか」言われて「いや、できた時には、話に圧倒されましたから」と返す当意即妙ぶりにインタビュアーって仕事の難しさと極意を見た思い。ああ言われればこう言うべき、なのか。

 「月刊アニメージュ」ではこれからのアニメ作品に思うことあれこれ。「魔法先生ネギま!」はキャラ表が出ているけれど全体に丸くなっているよーな。もしかして入りきらずに扁平をかけたか。「ゼノサーガ」のアニメ化も動いているよーで未来の眼鏡っ娘ことシオンちゃんの上から見下ろした絵の胸元に目も釘付け。「ギャラリーフェイク」のアニメ化ではやっぱり例のオタク搾取エピソードは入るのかな。「メイブちゃん」は楽しいこと確実なんでただただ発売を待ってます。しかしこれも原作は「神林長平」なのか。あるいは今から神林さんが書くのか。「戦闘妖精少女 たすけて!メイヴちゃん」って小説を。読んでみたいぞ。

 けどやっぱり期待は冒頭で紹介の「スターシップ・オペレーターズ」。イラストだとマンガチックな等身になっている香月シノンたちオペレーターズの女の子がアニメだとスラリ長身でグラマラスで目に迫力。海外を意識しているそーでなるほどこーゆー大人っぽいキャラがシビアな世界で知恵と勇気を振り絞り、死地から脱する話でもって世界の美少女マニアからミリタリーマニアからすべてをゲットしよーしているのかも。聞くと渡辺高志監督が全身全霊を込め本気出して作っているとかで否が応でも期待は膨らむ。メディアのあざとさがクローズアップされた設定を果たしてどこまでテレビで出来るのかにも注目。

 一方の「月刊ニュータイプ」2004年12月号には北村龍平監督が登場。東京都が認めたアニメーション評論家へと進化を遂げて垂涎&羨望の藤津亮太さんがロボットアニメについて密度ぎっしりな話を書いているその次のページでもって、変わらぬ濃い佇まいを見せつつ新作の「ゴジラ」について語ってる。曰く「怪獣たちは、ヘビー級の総合格闘技のような闘いをガンガン繰り広げます」とのこと。ってことはゴジラとキングギドラがともに剣を手に持ち丁々発止とやりあう場面で勢いからあの巨体が宙へとやっぱり浮き上がるのか、なんて期待が膨らんで来てしまうけどさてはてどうなっていることやら。

 北村さんに関しては12月に率いている 「ナパームフィルムズ」のヒストリーが収録された本がDVDもセットになって登場するとか。「VERSUS」の時からの支持者としてはあの時代にどんなことをして、続く作品をどうゲットしてどうこなし、さらに未来へとどう向かっていくのかを是非知りたい。そんな本になってくれることを期待。最初に見た時からまだ5年。凄い監督になっちゃったなあ。


【11月9日】 その原因が謎であれ奇矯なシチュエーションがあってこそ成立する人間のドラマがあるって点で謎解きのないSF設定の上でラブロマンスとかが繰り広げられたりする話を僕は物語として否定しない。SFとしては……不明、まあそのドラマにどこまでシチュエーションが絡んでいるかによるけれど、葛西伸哉さんの「世界が終わる場所へ君をつれていく」(MF文庫J、580円)はややドラマに比重が多くかかり過ぎていて、それがSF的なシチュエーションでなくても成立しそーな感じがあって判断にちょっと迷う。

 青森の田舎に突然あらわれた”銀の樹”は、そのフラクタルな形で周囲の建物を吸収しては大きくなり、幹だかから砲弾を撃ちだして人間たちを寄せ付けない。多くは避難してしまったけどそんな中で1人の少年が、好奇心から樹を見に行こうとして自転車を漕いでいた所に出会ったのがひとりの少女。聞くと両親と妹を前夜に交通事故で失い1人、とりのこされてしまったことでもう死のう、死んでしまおうと思っていたところに樹が現れたので、これはきっと自分を殺しに来たものだと考え、樹に向かうことにしたのだという。

 かくし始まった少年と少女の逃避行。死地へと赴く2人の間に通った心の交流から、未来につながるドラマが生まれるって寸法だけどこーゆー癒しの物語に持ち出すにしては、謎の”銀の樹”って設定がやや大がかり過ぎる気がしないでもない。もっとシンプルに誰か嫌な金持ちの親戚野郎とか、保護司的な権力とかってのを使っても成立しそーなドラマだけどそーゆーリアルな設定を入れるとどこかぎすぎすとしてまうドラマが、SF的な”銀の樹”って設定にすることでどこか絵空事めいて、読んでいてジクジクと心に突き刺さらず、それでいてそれなりに癒しと快復の物語を体感できるよーになっているから不思議なもの。そこまでの効果を考えてこーゆー設定を選んだのだとしたら作者もなかなかなものだけど真相はいかに。とりあえず僕の周囲には、不思議ちゃん異様ちゃんを含めてガールにミーツなチャンスはナッシング。ちょっと悲しい。

   2603分の1。って確率は競馬とか宝くじにくらべればはるかに当たりやすい数字だけれど、こと小説の新人コンテストとなると天文学的とも言ってそれほど外れてはいなさそー。おまけに上遠野浩平さん古橋秀之さん等々のヒット作話題作を山ほど送り出してきたメディアワークスの「電撃3大賞」。応募して来る人のレベルも年々着実に向上している中での1等賞ともなればこれは、受賞した人は相当に誇って良いだろー。

 9日に授賞式のあった「電撃3大賞」はマンガやイラストも含めて3300といった応募作品があって、そのうち小説が長編1587作品、短編1016作品といずれ片方でも相当な数字。あわせて2603作品の頂点に立って栄えある大賞を受賞したのは七飯宏隆さんの「少女禁猟区・世界で最後の1人+8」って作品で、滅亡してしまった世界にたった1人だけ残った少女を主人公にしたSFっぽい内容になっている。

 なにしろ2603作品の頂点だからきっと面白いに違いなんだろーけれど、作者の人はいたって冷静ってゆーか緊張していた様子。選考委員の安田均さんがひとしきり喋って作家は締め切りを守り編集者の言うことを聞きつつとにかく書きまくろうって挨拶した後を受け、「魅力的なタイトルを考えます」「締め切りは守自身があります」って新人らしさいっぱいの所を見せていた。新人の時は誰でも初々しいんだなあ。これが5年10年経つと……ってあ実はそれほど知らない。

 1973年生まれで30歳らしーから決して圧倒的に若い訳ではないけれど、3度の応募で手にした栄冠ってことは過去に幾度かのチャレンジをして、その度に敗れてそれでも諦めずに書き続けたパワーから察するに、見た目の静かさを超えた根性が備わっていそーなんでこれからどんな作品を、どんな頻度で送り出してくれるのかに期待と注目が集まりそー。まずは受賞作がどんな感じにSFなのか、あるいはさわやかな青春小説なのかを確認。でもって続く作品に期待。

 それにしても2600とか集まる作品の1次選考をいったい何人くらいでやっているのかに興味。中には規定を逸脱しているものまあるんだろーけど多めに見積もって1割りだったとしても2000通は超えていそーでそれを20人とかゆー1次選考の人で割っても1人100通。1カ月2カ月でどーこーできる数じゃない。もしかするとその下にゼロ次の選考をやる人がいて目の前をコンベアで通っていく原稿をインスピレーションで選ぶとか、してたりするのかそれともしないのか。

 まあそれはさすがにないとしても、数が増えれば頂点もどんどんと高くなっていく一方で、エベレストに対するアンナプルナみたいなもので富士山とかは遙かに上回って高い山々なのに、エベレストじゃないってことで落とされ埋もれてしまう可能性も高くなったりする訳で、応募する側もその辺を考えてどこに応募するのかを見極める時期に今はあったりするのかも。勝つ自信があれば別だけど。敵は強いぞ。

 パーティー会場には作家の人とかいっぱい。上遠野浩平さんに古橋秀之さんに中里融司さんといった既にして重鎮な方々を遠巻きに観察し、有川浩さんや柴村仁さんや壁井ユカコさんや沖田雅さんや鈴木鈴さんや渡瀬草一郎さんや高野和さんや高畑京一郎さんや佐藤ケイさやいろいろな人がマジカル☆バールのようなものとかエスカリボルグとかチェーンソーとかを振り回さないで集まり仲睦まじげに歓談している姿を遠巻きに眺めてそうかこんな人たちがあんな話を書いていたんだと納得したり驚いたりして時間を潰していたけれど、そんな中にあって存在感がたっぷりだったのが成田良悟さんと有沢まみずさんのご両人。かたやヴィーノかバルシュタイン子爵かって雰囲気で、こなたようこが実体化したらこんなかとゆーかもしたりしれなかったりする迫力を放ってて、なるほどこれなら次代の電撃文庫を背負っても背負いきれるだけの体力を、持っているだろーと安心する。観察は楽しい。観察される身にはなりそーもないし。


【11月8日】 一流どころのメディアの一流記者が居並ぶ記者ブログとやらの末端にでも食いつきたいならやっぱり時評は欠かせないってことで昨今世間をお騒がせの日本テレビによる有価証券報告書の虚偽記載について考えてみる。っても事件そのものではなく「週刊朝日」が2004年11月19日号で書いた「ニュースラウンジ」内の記事について。見出しに「実は重大な問題だった!」ってあって証券取引法違反ってゆー表向きの問題を超えて、渡辺恒雄会長による支配が名義以上に深淵へと及んでいたのかって思ったら違ってた。

 つまりは「証券取引法」に違反していたこと事態が大問題だったって内容で、大学の教授って人が出てきては「日テレの投資家は読売本体の持株比率はたかだか8・5%と信じていろんな投資判断をしていたわけですから、これを裏切るようなウソの記載は証券市場への背信行為、虚偽記載以外の何者でもありません」って訴えている。けどなあ。渡辺恒雄だよ。読売新聞会長だよ。グループでの持ち合いが厳然として存在しているこの日本市場で、ナベツネ個人が資産として日テレの株を持っているなんてことを、株をやろうって投資家が疑いもしないなんてことはあり得ない。

 「読売本体の持ち株比率はたかが8・5%」だなんて信じる投資家なんてそうそういなにも関わらず、これを”大問題”の筆頭に挙げて記事の前段に持って来て、より本質的な問題だろー配当金の行方がナベツネさん本人だったのかそれとも会社だったのかって部分について後段に回し、指摘はしても詳細な追求を行っていない所に「週刊朝日」の、とゆーより朝日新聞のスタンスの微妙さが見え隠れしてしまう。あるいは朝日のグループで似たよーな状況が起こっている可能性があるのかないのか。これからの報道の推移に興味の及ぶところだけれどこれを言い出すとメディアグループどうしでの土竜叩き合戦になりそーだから、やっぱりどこも虚偽記載の方をやり玉に挙げて終わりにしてしまいそー。管理ポストから上場廃止ともなれば流石に日テレもうやむやにはしないだろーからそっちの扱いにも興味。やっぱりシャンシャン?

 珍しく時事的なことを考えて頭がとろけてしまったので気晴らしに読書。新堂冬樹さんの「動物記」(角川書店、1680円)ってのを課題図書として読んだけど、帯にある惹句の「人は人である前に動物である。恩、家族愛、おきて− 2004年、新たな動物と人間のドラマ。心ゆさぶられる、大自然からの賜りもの」って言葉から伺える、動物と人間の心温まる興隆かあるいは決して相容れない自然の厳しさが描かれ感動を与えてくれる内容かと思ったらちょっと違ってた。むしろ人間に対する嫌悪感、人間でいることのやるせなさってものを喚起されそーな内容だった。

 幼い頃に旅先のアラスカで幼い小熊の兄弟と遊んだことのある男が長じて働きながらも家族を愛そうと思った矢先に妻が事故で死に、その贖罪の意識もあってかテレビ番組制作の仕事に昼夜をかけるモーレツ社員となって息子は母親に預けっぱなしの生活をしていたら案の定、息子がわがままを言うよーになってもてあます。母親に諭されアラスカへのロケハンに息子を同道したもののやっぱり仕事が優先となって息子は放任。拗ねた息子は父親の注意も聞かずに森へと入ってそこで巨大なグリズリーに襲われそうになる。

 原因は主人公の男の手前勝手な振る舞いで、息子の面倒を見ることから逃げ続けた挙げ句に息子をピンチに陥れては、大自然の中を少年に出会いさえしなければ悠然と生き続けただろー一頭のグリズリーの命を、結果として奪うことになる。たとえそのグリズリーがかつて少年だった男と中のよかった小熊の長じた姿で、感動の対面が悲劇の別離になってしまうドラマがそこにあったとしても、何故そんなドラマが生まれたのかって根底には、人間の手前勝手な振る舞いが存在している訳で、動物の側に立てばそんなドラマは迷惑以外のなにものでもない。別の短編も捨てられた犬が人間を襲うよーになってかつての飼い主とそして兄弟犬と対峙するドラマが描かれているけれど、これも感動ってよりは犬を気分で飼っては捨てる人間の身勝手さばかりが鼻につく。

 つまるところ人間と動物の暖かい交流とか悲しい別離といった感動を、収録されている中編からはとても感じられそーにもないってことで、読んで感銘を受けた記憶が今も強いシートンの「動物記」と比べ並べるのはどうって気にもなるけれど、煽っているのは出版側であって作者は文明が発達した現代において、人間の尊大さが野生を壊し追いつめているのだってゆー現実をえぐり、たとえ自然を気にしているよーに見えてもそこには個人的な思いこみなり、はた迷惑な自惚れがあるんだってことを暴きたかったのかもしれない。ともあれ人間と動物の21世紀的な関係を描いた新世代の「動物記」。読めば得られる感動ではなく慨嘆に浸ってみてはいかが。

 もはや呆れる気力もなければ怒る気概もない。女子ゴルフプレーヤーとして10代として初めて年間獲得賞金が1億円を突破した宮里藍選手の話がお洒落で知的なビジネス新聞の1面トップを飾る事態はニュースが伝わった段階で想像できたこと。むしろそんな事実となり得る想像を事前に出来るよーになってしまった我が身の浸食されっぷりが怖く恐ろしくなって来る。問題なのは外部の反響であり反発なんだけどそーゆーリアクションすらまるでないのがチェンジした3月からこれまでの状況で、夏に五輪で埋め尽くしても10月に新聞としては異例の中吊り広告を出してもやっぱり皆無だったリアクションが、ゴルファーの記事ごときではるはずもない。こーゆー事態もあらかじめ認識しつつ泰然としていられる身が怖い。販売の要すら失って行き着く先はさてはて。それすらも気にならない我が身がやっぱり恐ろしい。


【11月7日】 男の子と女の子で体が入れ替わってしまって大変、って懐かしくも嬉しい設定にキャラクターの爆裂ぶりを織り交ぜ新境地を開いた沖田雅さんの「先輩とぼく」(電撃文庫)もはや3巻目。最初の頃はそれでも多少はあった、入れ替わりで慣れない体にお互いがもじもじとするくすぐったさがどこかへ飛んでしまってはじめ君は最初っから可愛い女の子でつばさ先輩は性格の独特な男の子だったって、言っても言えなくない展開になっててどうしたものかと悩まされるけど、そこから紡がれるストーリーの奇天烈ぶりが抜けているのであんまり気にならないのは作者の筆の達者さ故か。

 突然「足りない」と言い出したつばさ先輩が仲間に引き入れたのは不思議少女の水野桜。両親を事故で失い自分も脚を悪くしてしばあく引きこもっていた関係ですでに20歳の高校生とゆー彼女は、強引にも自分を巻き込んでくれるつばさ先輩のアプローチにだけは心を向けていて、OMRとゆークラブに彼女を呼び出して以下、ストーリーはもっぱら彼女が心をさらに緩ませていく展開へと向かう。

 視点がくるくると変わって戸惑うけれど一種書き方に法則みたいなものがあるから慣れれば誰が見ている光景なのかは分かってくるからご安心。はじめくんを魔法少女へと変えてアイテムに清水義範さんが発見した”バールのようなもの”を使わせたり、そんなはじめ君が学校中の男子生徒の襲われそーになる場面にオタクの道を究めた「マスター7」を登場させたりとオカズもたっぷり混ぜご飯的楽しさの果て、前世の分かる登場人物の1人の過去探しなんかも絡めてしっかり、水野桜の心のケアへともっていくストーリーテリングの妙にもなるほどと感心。こーした腐れ縁的ドタバタを、繰り返していっても楽しいシリーズになりそーだけど、最後にはやっぱり宇宙の力が再びはじめ君とつばさ先輩の2人に絡み、それをどう捌くかって辺りで作者の力を見極めたい。期待。

 ヤングアダルト界最強対決をするなら絶対に推したいヴィーノ。成田良悟さんの「バッカーノ!1933(下)」(電撃文庫)で久々に本格的に登場してきた元クレアで元レイルトレーサーで今フェリックスがエレベーターの中からナイフをお手玉しながら登場するや、ヒューイ・ラファエット傘下の妖怪群でもトップクラスの実力を誇る吸血鬼たちを相手にまるで大人と子どもの戦いぶりを見せてくれる。どーしてそんなに強いのか。神に愛されたからって訳では決してなくって普通に訓練したからだそーだけど、でもやっぱり凄すぎます。けどそんなヴィーノでもアイザックとミリアの2人が相手ではやっぱり勝てなさそー。って訳でライトノベル界最強はアイザックとミリアの莫迦っプルに決定。あっでも「神様家族」の神様も強そーだぞ。考えよう。

 しかしそれにしても相変わらず山ほどのキャラクターが勝手に動くドラマを1つのストーリーにまとめる手腕は流石なもの。記憶力の方が衰えて来てるんでキャラクター表を見ながらこいつは誰だったっけ、ってページを繰りなおしてそうだったって納得してまた読み進めていく手間がかかるよーになったけど、それを置いても魅力的なキャラクターたちが織りなす情愛と憎悪と友愛と支配のドラマが次から次へと繰り出されてくる物語に、飲まれ揉まれる心地よさはやっぱり格別。見えてきた敵の姿と見えない敵の目的が、どこへと向かうのかに気を入れながらまだまだ続く饗宴を味わい楽しんで行こー。ヴィーノにも期待。

 分断国家も少年少女の戦闘部隊もやっぱりどこかで見たことのある設定だけど伊都工平さん「天槍の下のバシレイス まれびとの棺」(電撃文庫)は主役になった敦樹って人が女の子だったことにまず吃驚。っても字面でてっきり男の子だと思い込んでしまっただけで、表紙に描かれているのがセーラー服でミニスカートの女の子だったから間違えたこっちがとりあえず悪い。日本列島のど真ん中、たぶん南信の伊那あたりに突き刺さった3万7000メートルの高さを持つ槍を中心にして、北は福島新潟あたりで南は神戸に丹後に紀伊半島の3分の2くらいまでを飲み込む円形の、人間が入り込めない地域が出来てしまって幾年月。そこからわき出る怪物たちと人間との戦いが繰り広げられていた。

 東京大阪名古屋横浜といった都市圏を飲み込まれて日本は福島に本拠を置いた北日本と山陰山陽の西日本とに別れつつ、それぞれが怪物と戦ってはいたけれどどちらかといえば統制的な雰囲気になっている北日本。少年少女を組織して塔の調査へと送り込んではその死を名誉の戦士を喧伝し、人心を引き締める施策を取っていた。敦樹もそんな偵察隊の1人として送り込まれたものの1人だけ、生き残って西日本へと脱出してはそこで学校に通いながら防災団の一員として、わき出てくる怪物と戦っている。

 ほのぼのとした日常と背中合わせの危機。って感じのドラマはそれで楽しいけれど相手がいて、なおかつそこに深淵な秘密があるよーでこれからどんどんと厳しい展開になって行きそー。そーなって行く中でどこまで最初の印象を変えずに物語を展開させていけるのか、あるいは一転させてシビアな戦いに翻弄され揉まれる少年少女を描くのか、分からないけど塔が立った理由とそしてそこに人間たちが一部の特性を持った少年少女を除いて寄りつくことが難しくなっている理由、さらにはこの戦いがどんな帰結を迎えるのかをしっかりと描いてクライマックスを締めくくってくれることだけはお願いしたい。中途半端で放り投げるのだけはなし。シリーズが途中で止まるのはもっての他。頼むぜ。


【11月6日】 起きて風邪気味の頭をゆらゆらさせながら眺めていたNHKで不思議な「みんなのうた」が流れていて瞠目。不思議の国のアリスみたいな雰囲気でうさぎと少女がファンタジックな世界を流離う映像で、どこかで見たことのあるよーな感じでもありまったく新しい感じでもあって誰の作品だか分からず、ネットで調べてこれがいしづかあつこさんとゆー人の「月のワルツ」って作品だったと知る。知らない名前、だなあ、とりあえず。

 調べるとあのアニメスタジオの名門マッドハウスに2004年4月に入社したばかりの新人アニメーターらしーけど、さらに調べると学生の時から1人でアーティスティックなアニメーションを多々制作しては注目を集めていた逸材らしく、数々の短編アニメとかCGアニメとかのイベントやらコンテストに作品を出していたらしー。「東京国際アニメフェア」には出ていたのかな。あそこには結構若手のアニメーターとか出てたけど。うーん記憶にない。記憶が最近あんまりない。歳か。

 1人でしこしこ作った作品で認められてメジャーへと歩んだ先例では新海誠さんが第一人者として名が挙がるけど、いしづかあつこさんもそんな先例に続く人として「WEBアニメスタイル」で編集長の小黒祐一郎さんが取り上げていて「その出来のよさが評判になっています」って書いて、天下に名前のとどろく”アニメ様”も注目するくらいの逸材ってことが分かる。マッドハウスって大手で何をするのか分からないけどマスプロダクツな作品を作る一方でアーティスティックな色を持った逸材を出してるスタジオってことでいしづかあつこさんにもこれからの活躍が期待できそー。とりあえず「月のワルツ」を頑張って録画しよー。

 表参道の「ワタリウム」でラリー・クラークの展覧会。写真の人で都会やら郊外だかに暮らす若者たちの日常をドラッグにセックスまで含めて撮る人で例えるなら荒木経惟さんが近いかもしれないけれど女性が専門みたいな荒木さんと違ってラリー・クラークやもっぱら少年が中心。贅肉のまるでなスリムな少年たちが集まりダベり薬をやり会うよーな日常に迫っていくのは年齢も考えればなかなか大変そーだけど、自分がそれくらいの歳だった頃から40年間、延々とやり続けてきた彼ならではのノウハウも信頼感もあって実に普通に”彼ら”の日々へと迫ってそれらを切り取ってみせる。

 加えて不良たち少年たちが犯した犯罪巻き込まれた事件のスクラップなんかも合わせて作品として仕上げてあって、そんな写真と記事なんかから現代アメリカで生きる少年たちに少女たちの移ろいめいたものが浮かび上がってくる。ドラッグのオーバードーズだったっけ、そんな何かで僅か23歳で死んでしまったリバー・フェニックスの写真やら記事やらを何枚もスクラップしている辺りにも、ラリー・クラークが見せる少年たちへの関心、少年たちの生きている世界への関心が伺える。

 確か初監督した映画だった「KIDS」なんかは、都会に生きる少年とか少女たちの思うに任せた爛れ気味な日々が描かれていて、最後は確かHIVに感染してしまう少女なんかも出てしまう内容だったって記憶があって、衝撃的ってよりはあまりに常道的でそーなってしまわざるを得ない状況に暗澹とした気持ちにさせられた。映画ならまだしもその映画に出ていたジャスティン・ピアースなんかは25歳で首吊り自殺を遂げてしまったって話もあって、映画が現実になるってゆーか映画以上に進んでいる現実のすさみ具合に一体、未来はどーなってしまうのかって気にさせられた。

 けど日本だって一部にそーゆー世界はあってもそーでない、薬にも援助交際にも無縁で生きる大半の若者がいる訳で、一事が万事と信じるよりはそーゆー世界ばかりじゃない、良識と良心の存在する世界のまだあることを信じて短い老い先を生きていこー。「ワタリム」は1回入ればあとは何度でも入場自由なんで気が滅入った時に行ってあっけらかんとバッドな世界を爛れて生きるキッズたちの写真とか見てそのエネルギーの上澄みだけをもらいに行こう。剥きだしにされた米国人のペニスの巨大さに打ちのめされて帰る羽目になるって可能性もあるけれど。

ワールドシリーズで世界ナンバーワンに輝いたあの選手が目の前でバットを振っている。こんな幸せはありません。それがイチロー選手だったらなお良かったけど。って贅沢? だよねえレッドソックスのオルティス選手を差し置いてそう思うのは  一昨年はイチロー選手が来て松井秀喜選手が米国に渡るって直前で大いに盛り上がっていた日米野球。だけど今年は来る選手がロジャー・クレメンス投手をのぞけばあとはレッドソックスのラミレス選手とオルティス選手くらいした超特大がいなくって、果たして盛り上がってるんだろーかと心配しつつも到着した「東京ドーム」は開場前から大勢の行列が出来る盛況ぶり。イチロー選手が84年ぶりに年間最多安打の記録を塗り替えレッドソックスが86年ぶりにワールドシリーズの優勝を果たした一連の動きの中で米大リーグってものへの関心が高まっていたことが、そんなに盛り上がる世界だったら一度見てやろーかって人を増やしたのかもしれない。

 あとやっぱり日本の一連のプロ野球再編をめぐる動きの中でセントラル・リーグのそれも巨人だけじゃない、いろんなチームがあっていろんな選手たちがいて頑張っているんだってことがクローズアップされて、そんな”顔の見える”選手たちの真の意味の顔を見に行ってやろうかって日本人が増えたこともあるのかも。これまでの野球中継だと巨人の選手とあとせいぜいがセ・リーグの選手くらいしか、テレビには登場も取り上げられもしなかったからなあ。その意味でメディアは、人気がないからと取り上げずにおいて人気を出す努力をまるで行わなかった罪を自認すべき、だろー。

 さて試合。2階から見下ろしたグラウンドには大リーグと日本のプロ野球の選手が混ざってなかなかに壮観。注目はやっぱりレッドソックスのオルティス選手だったけど1打席目こそヒットが出なかったけど、DHで入った4番の2打席目ではバットを一閃して放たれたボールがドームの最奥の壁に当たって跳ね返るとゆー、推定でおそらくは160メートルは飛んだかってゆー特大のホームランになって、さすがはメジャーって所を見せつけてくれる。松井秀喜選手だってあそこまでの本塁打は放たなかったよ。いや凄い。

 あとタンパベイ・デビルレイズのカル・クロフォード選手が盗塁王ならではの快足にシュアなバッティングで既にスターにして未来のスーパースターって所を見せてくれた。その勇姿を見た少年はきっと末代まで自慢できるだろー。そう思って見れば登場して来るどの選手にも歴とした”顔”があって、それぞれに何かしてくれそーな予感があって、試合での一挙手一投足を見る目にも真剣さが籠もる。人気選手が打席に立つ時以外はチャンネルを変えてしまうよーなことにはなりません。

 有名選手がまずありき、有名選手の一挙手一投足を書いてさえいればファンも喜ぶと考えそれを何十年も実行して来たのが日本のスポーツメディアだったりするけれど、そんなメディア的価値感を頭ごなしに押しつけていては絶対にファンは育たない。すべての選手の良さを見つけそれを報じることで読者を教育して野球のファンにして永劫の読者として惹き付けていく循環を、出来る米国のメディアと野球界とファンが何とも羨ましい。スポーツ新聞でもないのに、その試合のMVPを差し置き、NBA初の日本人選手だからって10分しか出ていない田臥勇太選手を1面トップにし、またちょっと話題になっているからと美少女フィギュアスケーターの3人をやっぱり1面に並べる経済紙(!)もある日本との、これが民度の差って奴なんだろー。追いつける日は来るのかな。来ないなあ、出なくたって田臥がベンチに入る限りは報じていくってビジネス紙もこの世界にはあるそーだし。何だそりゃ。


【11月5日】 碧ちゃん17歳(嘘)大活躍。だった「舞−HiME」は新たな姫とやらの登場でますます活気づいてきて憂い多い秋の夜を楽しく嬉しくしてくれてます。けど向かい合った碧ちゃん17歳と舞、どう見もサイズでは勝ってる碧ちゃんは上から86で56で84って設定にはなっててゴージャスで、一方の舞はと言えば上から87・56・83と碧以上のグレイト。ってことはつまり舞は着痩せするタイプだったってことでそこまで描き分けるアニメーターに感銘。それとも同じサイズでも前に出るタイプと横に広がるタイプがあるのか。見たことないから分からないや。触ったことももちろんないし。比べさせてくれる人いませんか。いませんなあ。

 池袋のサンシャインシティでYKKが新しく「スキークロス」って競技大会とかスキー場とかを支援するプログラムを始めるって会見があったんで見に行く。4人がよーいドンでスタートしてギャップとかジャンプ台とかを抜けつつ駆け下り1番2番を競うスピードレースで、1人づつ滑ってタイムを競う競技よりは見た目に分かりやすくって面白そう。だけどどっちにしたって山奥の山の上のスキー場までいかないと見られない競技ってのが、なあ。「ザウス」があればミニコースくらいは造れて首都圏でプロモーションも出来たと思うと、あの時代に咲いたあだ花みたいな屋内スキードームの凄さが分かる。20年後にきっと「船橋サーキット」辺りと同じ伝説になるんだろーなー。船橋に住んでるんだから1度くらい行っときゃ良かった。残念。

 その後で「スキーの日」ってのの会見があって、イメージキャラクターだか親善大使だかに選ばれたキング・オブ・スキーことノルディック複合の荻原健司さんが登壇。したけど目が悪くなったのか顔が2重に見えてこすっても消えず、よくよく見たら同じ顔をした影武者だった。参議院議員にもなるとそーか影武者が付くのか。違います。クローンです。それも違ってつまりは弟でやっぱりノルディック複合の選手で五輪入賞って凄い記録を保っていながらも金メダルの兄の陰で目立たなかった次晴さんだった。やっぱり似てるなあ。とくに横から見たときの鼻の形がそっくり。髪型で見分けていたけど次に会って髪型が変えられていたら絶対に間違えそー。いいなあ一卵性。

肩越しに見える四角いのは332年前に摂津の村で死んだトメ、丸いのは龍神さまです、と辻本源治郎さんは言いました  NHKの拡大路線が民放連とか日本新聞協会あたりから突っ込まれているけれど、そんなことより問題にすべきなのはNHKが公共の電波を作って堂々と、あっけらかんとキャラクタービジネスを展開していることではないかとここに高らかに訴えたい。フィギュアスケートのNHK杯。試技を終えて選手たちが採点を待つ席の背後の草花が生けられた中にどこかで見慣れた顔がちらりちらりとのぞいてる。きっと目の迷いだろーとこすって見直すと逆に今度はよりくっきりと、NHKが誇る2大キャラクターの「どーもくん」と「ななみちゃん」の顔が目に映る。ゴーストでも背後霊でもなかった。

 どーもくんとななみちゃんは生けられた花の間だに仕込まれ植えられていて、選手を映した肩越しにちょーど顔がのぞくよーに配置されてて、選手がアップになるといっしょにアップになってくっきりと、その四角いたわしだったり丸いハンドボールだったりする顔をのぞかせる。よくよく見ると選手の後ろに立てられた棒っ切れの上には、どーもくんの友達だかのイタチか何かが捕まっている姿も。全世界のフィギュアスケートファンに向けて発信されているだろー公共の電波でしっかりと、自社のキャラクターを宣伝してしまうNHKのビジネス根性にはもう感動するより他にない。

 思えば関東甲信越の地域情報を伝える番組のどのスタジオでも、アナウンサーの人が喋るテーブルの上に「どーもくん」が置かれていたことがあったけど、いよいよ全世界に向けてあのたわし顔とそして新機軸のななみちゃんを売り出す覚悟を決めたらしー。ワシントンの手嶋支局長の中継テーブルにどーもくん、ななみちゃんが置かれる日も遠くないな。でもって対抗して「龍一くん」ってキャラを作らせて自らテーブルの上に並べてみせると。海老沢くん? いやそれは作っても局員にしか売れないんで止めておいた方が……。


【11月4日】 生きている楽しみが日々少なくなって惰性に過ごす時間が多くなっている今日このごろ、明日も明後日も同じよーな日常に潰され削られていくんだろーと落ち込んでいたところに突如現れた光明に、来週もそして40余週の先ませも生きて行きたい気にさせられる。千葉テレビで水曜深夜に「機動戦士ガンダム」の放映がスタート。その栄えある第1話「ガンダム、大地に立つ」を見てアムロ・レイがガンダムに乗り組まざるを得なくなるシチュエーション作りの完璧さに酔う。庵野秀明さんが完璧な第1話で「新世紀エヴァンゲリオン」でやろーとしても至らなかったと嘆くだけのことはあるなあ、やっぱり。

 「ガンダムエース」ではオリジンな漫画で前日譚が安彦良和さんによって描かれてアルテイシアが妙なジト目でランバ・ラルに無理難題をふっかけている可愛さに震え、キャスバル坊やの元へと乗り込みいたいけな少年を抱きかかえるキシリアの若さ故のぴちぴちぶりに目尻を下げているけれど、やっぱり絵として描かれ声もついて動くフラウ・ボゥの健気さにシャア・アズナブルの格好良さは格別。来週はいよいよセイラ・マスも登場でシャアとアムロのバトルもあってアニメで描く緊張感、緊迫感とは何なのかってことを教えてくれそーで見逃せない。すでにして最終回まで知っているのに緊張感を味わえる「ガンダム」の偉大さ。「ガンダムSEED DESTINY」は果たしてこれを超えられるかな。否、ちょっとは足下に近づけるかな。

 やって来ましたこの日が遂に。例えるならカズこと三浦和良選手がイタリアはセリエAのジェノアへと移籍してあのジュゼッペ・メアッツアあるいはサン・シーロのピッチに立ち、当時も今も屈指の強さを誇るACミランを相手に初戦に臨んでは無念にも試合途中でフランコ・バレージ選手と激突をして鼻っ柱を折られて退場した、あの試合を見たときの感動に近いのかも。世界最高の場所に、日本人として初めて立つとゆー快挙は後にロサンゼルス・ドジャースの投手として野茂英雄選手が移籍した時とも、中田英寿選手がセリエAのペルージャに移籍した時ともちょっとだけ違って深い意味合いを持っている。

 もちろんカズのよーに1得点しか上げられず1年で解雇されチームもセリエBに落ちてしまうう”疫病神”的な存在よりも野茂選手のよーに最多勝に近い活躍を見せて新人王を獲得するなり、中田選手のよーに強豪ユヴェントスを相手に2得点を上げる大活躍を見せた方が選手としては上かもしれない。初の快挙を讃えるか実績の凄さを認めるか。今はまだ前者の全米プロバスケットボールリーグ(NBA)の「フェニックス・サンズ」に所属し今日、アトランタ・ホークス相手の試合に日本人として初めてNBA選手として出場した田臥勇太選手だけど、いきなりの7得点に1アシストって働きぶりを見るにつけ、野茂的で中田的でイチロー的な実力も伴う極めて貴重な事態を読んでくれそーな気がしてきた。

 フリースローの4点もそれで緊張感なくしっかり決める凄さと言えるけど、流れの中で打ったスリーポイントの実に綺麗な軌跡を描いてリングへと吸い込まれて行った様、そして圧倒的なスピードを活かして切れ込みゴールしたでダブルクラッチ気味に選手をかわしてボールを投げた鮮やかな様に、慣れてくればさらに得点を重ねて1試合10点の得点だって決して不可能じゃないと思えてくる。アシストは1つしかつかなかったけど、バウンドさせつつ入れたボールを見方選手があまりのスピードからか受け止めきれずにファンブルしたりするケースの多々あったりした様に、見方もこれまた慣れてくれば相当にアシストも稼げそーに見えてきた。

 まあ去年は地区でも低迷したサンズにホークスなんでその試合をもって田臥選手の凄さを言うのは早計で、次ぎに当たるアレン・アイバーソンのいるフィラデルフィア・セブンティシクサーズとかその次ぎに来るジェイソン・キッドが構えるニュージャージー・ネッツといった強豪を相手に、どこまで自分を発揮して得点を重ねられるかに当面の評価がかかって来そー。見方を自分に慣れさせスピードある攻撃について来られるよーに出来たらもっと活躍出来そーな気がしていることは確かで、その辺りをどう認識して試合を組み立てるのか、最初からガンガン行こーと田臥をえらぶのか堅実に既存のポイントガードで行くのか、監督の腕の見せ所になりそー。

 それにしてもこーゆースポーツ新聞だったら抱負な知識と人脈で分厚い内容の記事にして来そーな話を、脈絡もなければ取材網も持たずに伝聞で情報を集めそれなりな記事に見かけ上は仕立て上げるビジネス系の新聞があるのには驚き。大統領選挙が終わって決着がついてさあ世界経済はどーなるんだろうって話が普通は1面頭から流されるんだけどそーじゃなくただひたすらに大統領選を並べ地震関連のニュースを並べて万事オッケーと思ってる編集の偉い人もいるから難しい。日本経済新聞や日経産業新聞がどんな作りになってそれ故にどれだけ売れてるかってのを調査していては出てこない発想の奇抜さにはとりあえず驚き。某スポーツ紙の冗談話ではないので悪しからず。

 俺も社長ブログなのにどうして社長ブログの代表と認められないのかとと切込隊長が悩んでいるけれど、9年近くもやっていながら記者ブログではなくおたく日記としか認識されていないページもあることなんで気を落とさないで頂きたいと言うと、日々的確なエントリーを出してはトラックバック等で議論を沸騰させている天下無双のブログと、日々どーでもいーことを一方的に垂れ流されてるおたくな日記を一緒くたにするなと嘲られそーなんで黙っていよー。マイナー紙の三流記者のこれが悲劇って奴で。


【11月3日】 待ってましたよ大統領。でどっち? 昼過ぎには判明するって聞いてたアメリカ合衆国の大統領選挙は最初に現職のブッシュ大統領だリードしたもの午後に入って(日本時間のだけど)ケリー候補も中西部あたりの票をがっちり買いまショウ。いや別に買収はしてないけれどブッシュの施策を嫌気する人たちの支持をあつめて盛り上がり、勝てば官軍まければ賊軍とばかりにすべての選挙人を総取りする、民主的なのか非民主的なのか分からない制度でもってぐんぐんと選挙人の数を伸ばして逆転間際にまで迫って来た。

 前の2000年の時はフロリダ州の投票がどっちに入れられたのかを厳密に確認しなおすまでは分からなくなって最後はそれこそ数百票だか数千票だか、そんなものの僅差でブッシュが上回ったもののそれすらも本当は……? って事態となって紛糾。結局何日間が本当に勝ったのは誰だか分からない事態となって新聞を作ってる人たちも(僕たちもだけど)苦労した。今回はオハイオ州の方で宙に浮いてる形の暫定票の行方が決まらないうちは大勢が判明しそーにもないけれど、投票資格があるのかないのかを1人づつ確認していく作業の膨大さを考えるとこれまた数日間はどっちが勝ったか判明しそーもなさそー。

 その間はやれ選挙制度がおかしいだの、電子投票の方が有用だのって蘊蓄をかましてニュースを引っ張れないこともないけれど、仕組みとしての問題点ではあっても本質的な問題である米国はどうなるか、世界はどうなって行くのかって議論を繰り広げにくい状況が続くわけでその辺りをどうさばくのか、日刊なんかでメディアを作っている人たちの手腕が問われそー。まあ選挙制度とか電子投票の是非をあれこれしているんならまだ真っ当ではあるけれど。

 些末にもオハイオで未だにパンチカードが使われているならそのカードを作った会社はどこなのか、前回の反省を踏まえてフロリダ州で導入された電子投票システムを納入したのはどこのメーカーなのかってことをチクチクと調べさせて、それがビジネスチェックだって言ってひとり悦に入るメディアとか、出てくる可能性もあるけどそれがビジネスにはまるで役に立たない情報だって、常識があれば理解できるんできっと大丈夫だろー。大丈夫だと思いたい。あっ新潟が明日雷雨だ地震がどうだと騒ぐ所とかありそー。でもお洒落で女性に読ませたいって始まったビジネス新聞はそんなことはしないよね。

 長身の眼鏡っ娘が東西線の竹橋で降りたんで後を付けると東京国立近代美術館だったんでさらに後を付ける。いや別にそんな訳ではなくって最初から近代美術館で開かれている「草間彌生展」を見に行くつもりで竹橋で降りたんだけど決して世間的にオーソライズされているとは言えない現代美術のアーティストを、ひとり見に行く若い女の子がいるってことに東京って街の懐の広さを感じる。とは言え入るとカップルで来ている若い人たちも結構いたりして案外に、草間彌生さんって世間に広く知られて来ているのかもしれない。まだ河田町にあった頃の「フジテレビギャラリー」で開かれていた頃の草間さんの個展には、そんなにお客さんも来ていなかったんだけどなあ。

 祭日ってことで無料で見られたのがまずラッキー。入るといきなり鏡の間があって、西遊前後から自分の姿を見られる状況に被っていた帽子を脱いで頭の薄くなり具合を確かめる。結構来てるかも。ってかすでに回復不能かも。けど大野さん@げんしけんには好かれるかも。好いてくれ。頼む頼みます。現実にはいないけどそんな人。気が付くと長身の眼眼っ娘はさっさと先の部屋へと進んでしまっていて後を付けるのはそこで断念。だから別に付けてた訳じゃないってば。一期一会。焼き付けた頭のメモリーから消えるのはすぐだ。

 そんなパンプキンに鏡を使った作品から巨大な水玉バルーンから、カンバスいっぱいにドットを描いた作品からペニスを模した袋をベッドやクローゼットやボートに無数に生やした作品やらマカロニをぎっしり敷き詰めたコートやら、草間さんならではの作品がめいっぱいに展示されててよくもまあ、これだけのことを数十年にわたってやり続けたものだと感心し、だからこそのアーティストなんだと納得。結果がどうなるかってことを意識してしまっては、ここまでの長い期間を活動し続けることなんで出来なかっただろー。いや凄い。凄いといってもだから何? って答えそーなのがまたアーティスティックなんだけど。

 初期の作品をいっぱい見られるのも収穫。暗い画面に小さいドットがぽつりぽつりと浮かんでいたりする感じの作品で心の深淵をのぞいているよーな感じを受ける。これが60年代にはいると心に湧いたものが一気に爆発する感じになっていて、この辺の違いなり転換の経緯なりを美術史的な観点でどう見るか、一方で精神医学的にどうとらえるのかってのを考えてみたくなる。カタログには書いてあったかもしれないけれど重たいんで今回はパス。12月まで開かれているんでまた行こう。眼鏡っ娘がまた来ていることを期待して(来ないって)。

 ついでに木村伊兵衛さんの写真展も見物。「おばこ」ってタイトルのついた秋田美人がとてつもなく美人でロシアの血でも混じっているのかと思わせられるくらいの美しさ。なるほど秋田美人とゆーのは本当に存在したのだな。ちなみに最近は名古屋嬢ってのが流行りだそーだけど決して名古屋美人って言ってないあたりが絶妙。日本でも美貌に不具合の多くある女性が発生する場所として有名だった名古屋が10年でころりと変わる訳はない。嬢ってのはつまり単なるお金持ちでブランド好きな女性って意味だろーから。あるいはそのお金で工作した”美人”って意味か。木村伊兵衛ならこの名古屋嬢をどう撮っただろー。撮らなかったかな。なんてね。名古屋暮らし20年で名古屋嬢に無縁だった野郎の愚痴なので悪しからず。

 ラウンジで読書。谷山流さんの新シリーズ「電撃!! イージス5」はひとりの青年がマッドサイエンティスト気味な祖父の家へと訪ねると美少女3人が出迎えてくれて聞くと彼女たちは次元の裂け目から出てくる怪物を相手に戦っているのだとか。高飛車っぽい巴に明るいあろえに引っ込み思案の埜々香はそれぞれに得意技を持って怪物を相手いしているんだけど結構な苦戦。青年はそんな彼女たちにアドバイスを与えたり食事を作ったりして支えやがてみんなの支持を取り付け、かくして美少女たちとの楽しくも激しい日々がスタートする。

 お約束的ハーレムノベルって言えば言える展開だけどそこはキャラクターに特徴的な谷川さん。それぞれに心の奥底にまで踏み入った設定があってそれがドラマを作り出しててエピソードに深みを与えてくれている。ノーマッドみたいにへらず口は叩かないけどノーマッド的に付き従う人工知能のエロエロ具合も我が内なる願望を代替してくれているよーでまた楽し。目新しさとか爆裂さとかとは遠いけれども読んで気楽に楽しめそれなりにほろりとさせられる、新しい戦隊ヒロインシリーズの誕生をまず歓迎。ガニメーデスにはとりあえず着替えのシーンを見せろと言いたい。


【11月2日】 ぶらり鉄道の旅で京成船橋から京急蒲田へと乗り大田区産業プラザで始まったセガとサミーのプライベートショーを見物。「ワールドクラブチャンピオンフットボール」の大成功で柳の下を狙って「甲虫王者ムシキング」を出しこれまた大ヒットしたトレーディングカード&業務用ゲームのハイブリッド機の最新作ってのを出しててこれまた人気が出そーな雰囲気で、従前より言われている開発力の高さって奴をここでも見せつけられた感じ。

 問題だったのは宣伝力プロモーション力だけど「WCCF」がサッカー人気もあって売れに売れ、「ムシキング」も子ども相手で圧倒的な売れ行きを見せた辺りから変わって来て、それなりなターゲットに向けて商品を作り、展開していくノウハウをだんだんと醸成しつつあるみたい。最新作として発表された「三国志大戦」もだから歴史マニアな人たちの間で新しいゲームでそれも格闘ゲームみたいに熟練の技とかなくても楽しめるってことで流行りそー。

 内容はといえば武将が描かれたカードを「WCCF」と同様にテーブルの上に置くとおそらくは見えないインクで描かれた2次元バーコードか何かを機会がスキャンするなりしてカードを把握しデータベースから該当する武将のデータを引っ張り出して他のカードのデータと混ぜ合わせてCGにして表示して見せ、戦いを繰り広げさせるってゲーム。どんなカードをセレクトしたか、つまるところはどれだけのカードを持っているかってトレーディングカードゲームの面白さと、対戦相手が目の前にいなくても機会や遠隔地の人間を相手にいつでもゲームを楽しめる利便性から「WCCF」と同様の人気を集めそー。

 サッカーと違ってどれだけ「三国志」のファンがいるかが不明だけどコーエーの「三国志」のヒットからマンガの三国志系の人気から考えればサッカーに及ばないまでも決してマイナーではない認知度を持っているだろーから、そーしたファンを中心に賑わいそー。あと「RAVE」の真島ヒロさんほかに漫画系のデザイナーや漫画家さんがカードのイラストを担当してて、それが決して漫画チックなものばかりではなく重厚だったり荘厳だったりする三国志ならではのキャラクター増を、華麗なタッチで描き出してあって集めたいってファンを多く出しそー。池袋でロケテスト中だけどすでに通ってカード集めに邁進している青少年とかいるのかな。全国へは来春投入なんでファンは期して待て。それ以外の人は嵐が通り過ぎるのをひたすらに待て。

 世界は言葉で出来ている。言葉だけじゃないけれど、人がもっぱら言葉でもって情報の交換をし状況を認識する生き物である以上、世界の大半は言葉でもって作られていると言って良い。詰まるところ言葉さえ積み重ねればそれで世界は構築し得るってことですでに小説なんかがやっていることだけど、文豪よろしく人の心理とか情景とかいったものまで事細かに描写していかなければ世界は作れないかってゆーとそうでもなさそう。例えば街の広告。新聞の見出し。テレビのアナウンスに街角で女子高生たちが話す言葉、そしてネットにあふれだす掲示板のログなんかだけでも世界は構築し得る。受け取る側がそれが世界だと思いこみさえすれば。

 ということで星川りょうさんって人の「スクラップ・スクラップ」。得体の知れない手紙が女性に送られ続いてその女性が前に教わっていた老教授のところに電子メールでストーカーらしき男につきまとわれて困ってるってメールが送られ教授が気を付けなさいとアドバイスを送って始まった言葉のやりとりの、合間にバラバラ死体が発見されたとか恋人らしき男性に送る他愛のない日常の感想めいたメールとかが重ねられ、バラバラ死体の事件をめぐる雑誌の記事やテレビのワイドショーのやりとりなんかも張り合わされてひとつのストーリーが浮かび上がってくる。

 バラバラ殺人事件の犯人はいったい誰なんだろう、ってミステリーのようにも読めるしそう読んでとっても面白くって最後の最後に驚かされること請け負い。状況をずらずらと並べるんじゃなくって人間の頭を通り感情のフィルターをくぐりぬけたメールなり、手紙の言葉を主にしてそこに虚実と真実を散りばめて読む人にいったい何が本当なんだろうとまず考えさせ、読めない行間から揺れる感情なり心理なりを読み出してそこからだったら犯人は誰なんだろうって考えさせてくれるところが面白い。

 恋人どうしのコミュニケーションに思えた電子メールのやりとりが意外にも……ってところに上っ面の言葉だけで世界を見る難しさを感じさせるけど、一方で雑誌やテレビがもっともらしく解説した言葉が事件のすべてを方向付けてしまう様を見ると、世界はやっぱり言葉で出来ている、とゆーか人間は言葉でしか世界を認識できないんだって琴を思い知らされ、だからこそその言葉の真偽を疑い考え理解しよーとする不断の努力を、しておかなければいけないってことなのかも。作家の人は「100円ショップの雑貨などの商品デザイナー」ってあるけどこれは本当? それともネタ? プロフィールなんで大嘘は書いてないとは思うしそんな仕事があって不思議はないけどでもなあ。刊行がランダムハウス講談社の方ってのは理由があるのかな。


【11月1日】 新札が発行されたとかで早速、近所の銀行へともらいに行くと店頭で細面でぱりっとスーツを着込んだ銀行員らしきの人が、一葉の描かれた5000円札をひらひらとさせて手招きをしているので近寄り、手持ちの新渡戸稲造が描かれた5000円札と好感を申し出たら1枚ではダメです、福沢諭吉の1万円札を出したら2枚と交換して差し上げますと言うので新渡戸を引っ込め、福沢を出して渡すとスーツの男は手のひらを顔の前で幾度か交差させた後に片方をつまんだまま2枚、5000円札を差し出して来た。

 取ろうとしたら諭吉を渡すのが先ですと怒られたので相手に諭吉を手渡すと、再びひらひらと2枚の5000円札を揺らしてからひょいっとこちらに尽きだしてきたので驚き後じさりつつもどうにか受け取り歩きながら2枚ちゃんとあることを確認して財布に入れようとして再びよく見ると、1枚はなるほど薄幸の表情をして新札には決して縁起のよろしくなさげな樋口一葉が描かれていたけどもう1枚にはさっきまで銀行の前に立っていた男が描かれていた。

 つまりは偽札だった訳で慌ててとって返すと、さっきの男が歩き去ろうとしていたので捕まえて問いただすと「それはおかしいですねえちゃんと2枚渡しましたよちゃんと探しましたかポケットを」と言ったので、ズボンからジャケットからポケットをひっくり返したけどもう1枚の札は出てこず、怒って重ねて問いつめると「じゃあ靴の中は」と言うので脱いでひっくり返すとひらり、紙切れが出てきて広げると新しい5000円札。驚いて相手を見るとこう言った。「この件について何かご質問はございませんか」。一葉違い。

 そんな伊藤一葉さんが新札の絵柄になるなんてことは世紀を3つまたいでもなさそーだけど、今から20年くらい経った2025年あたりにはまたしても新札への切り替えがありそーで、その時にいったいどんな人が絵柄に採用されるんだろーと考える。昭和生まれはともかく20世紀生まれがそろそろ出てきそーだけど、第二次世界大戦の前後では価値観もがらりと変わって時代の英雄も一転して逆賊扱いされたりしたこともあるんで、政治家軍人の類はちょっと選びにくい。文化人か学者ってことになりそーでその場合だとやっぱり日本で最初にノーベル賞を受賞した湯川秀樹さんが選ばれることになるのかな。川端康成さんも実績ではなかなかだけど自殺ってところが引っかかりそー。

 スポーツ芸能だと美空ひばりか双葉山か大鵬、長島茂雄に王貞治がやっぱり1900年代を通して目立った人たちってことになるけどどれも近い親族が存命だろーから難しそー。ここはだったら世界に通じるってことに加えて日本らしさも込めて「鉄腕アトム」と「ドラえもん」と「ハローキティ」なんてどーだろーかと考えたけど、その愛らしさから使うことをせずにタンスにしまい込んでしまって消費が伸びなくなるからちょっとマズいか。でもいずれインディペンデントな国が有名キャラを切手にしてしまうよーな手口でもってアトムにドラえもんにキティの新札とか出してしまうかも。「デ・ジ・キャラット」は続くかな。「AERA」の2004年11月8日に掲載されてた「ベネチア・ビエンナーレ国際建築展」に使われていた写真のロフトベッドの枕にちょろり、描かれていて国際デビューは果たしたみたいだけど。

 そんな「ハローキティ」の生誕30周年を記念するパーティーが「サンリオピューロランド」で開かれたんではるばる地の果てにある多摩センターへと向かう。入場すると中でキティとダニエルが気取って写真なんかに撮られていやがったんで遠目に人気ものだねえと覚めた視線でみつめていたけどそんな態度でいられたのもシナモンたちが登場するまでの話。ぞろぞろりと出てきたシナモンとかその一派のちっこくってまるまるとした格好の実に愛くるしいさまに脳天を直撃されて近寄りいっしょに飛び跳ねたくなったけど、歳を考えて心を抑えてシナモンたちといっしょに飛び跳ねたりシナモンたちに抱きつく子どもとか元子どもを遠巻きに眺めてうらやましがる。くそう可愛いぜシナモン。港北ギフトゲートに11月23日にやってくるそーなんで見に行くか。でも七五三向けだし。7×5+3=38。去年だったら良かったんだかなあ(違います)。

 イベントには昨日に引き続いて嘉陽愛子さんとか出てきて可愛い歌を披露してくれたけど写真を送るのに忙しくって見られず。trfのYUKIちゃんもみられず超残念。でもクレイジーケンバンドが出てきてキティちゃんを讃える歌を唄ってくれた様を目の当たりに出来たんで良いか。あの横山剣さんがキティを従え可愛いお嬢ちゃんたちが踊る後ろでノリノリな曲を演奏するとゆーこのミスマッチなマッチ感が、キティの全世界的で全世代的な広がりってものを感じさせてくれました。しかしいい歳してても剣さん格好良かったなあ。あーゆーおっさんになりたいなあ、って44歳? たいして違わなねーじゃん。あーゆーおっさんになれてるかなあ。なれてないなあ。


日刊リウイチへ戻る
リウイチのホームページへ戻る