縮刷版2003年9月上旬号


【9月10日】 「理性とんどるだけでにゃーの」とふとつぶやいてしまった「LASTEXILE」。得体の知れない部屋に連れ込まれて出てきた時の顔立ちは、以前の弱々しさが消えて大人になって無駄な感傷など下らんと一言のもとに捨てる英明な君主って感じで、あの機械はギルドに知識を授け成長を促す装置だったのかな、って思ったもののその後にディーオがとった行動と言ったら、剣を取ってマエストロ・デルフィーネに誘われるがままにバトルロイヤルに参じるは、デルフィーネの額ずくは言われるがままにご飯を食べるわっていった程度で、ととてもじゃないけどギルドの次代を担うマエストロ候補には見えず単なるデルフィーネの忠実な下僕(=ピエールと読む、かもしれない)に成り下がっただけのよーな気がしてならない。

 手引きがあったとは言えあっさりとクラウスたちに奪取されてしまうあたりなんかも見るにつけ、後継者とか言っておきながらもまるで同格には扱ってないんじゃないかとデルフィーネの態度なんかから感じられてしまうけど、まあそこはそれ、マシンに連れ込まれることをとても畏れてたディーオの態度なんかから過去にデルフィーネが、そーして得た人材を気まぐれで使い捨ててきた経緯があったりするのかも、それだけデルフィーネが飛び抜けた存在なのかも、ってな想像をめぐらすこともできない訳じゃなく、そんな叡智がいよいよ始まった最期の決戦でどう発揮され、近寄るシルヴァーナほかをどう迎えるのかに関心を持ちつつ残り少なくなった話数を楽しもー。しかしモランは本当に?

 「王立宇宙博物館」が人気になって火星を見る天体望遠鏡が売れるちょっとした”宇宙ブーム”にジャストな話ではあるし、読む人の関心を宇宙(そら)へと向かわせる”効果”も考えられるだけに前向きに捉えたい作品で「川端裕人さんの「せちやん 星を聴く人」(講談社)はあるんだけど、そーした期待を持って呼んでほほえましく思いながら読んで行って、最後の最後でドンと突き放された気になって、心沈ませる人とか出てきそーでその辺りを宇宙好きな人たちがどー受け止め、あるいは反発するのかちょっと興味。学校の裏山にひっそりを居を構え、奇妙なアンテナを設置して住んでいる不思議なおっさん「せちやん」に関心を抱いた小学生3人が、出入りして手作りのプラネタリウムを見せてもらい、宇宙を探査し宇宙からの声を聴く話に耳を傾けるうちに、だんだんと宇宙に惹かれるよーになっていく。

 少年の日々はいつまでも続かず、「せちやん」から引き離された3人だったけどそれぞれに心に残るものがあったのか、1人は音楽家になろーとバイトしてバイオリンを買い、1人は文学を志す。1番「せちやん」にのめりこんでいたよーに見えた主人公も宇宙への関心を心に留め置き宇宙を題材にしたゲームを作る願いを持ちながらも、コンピューターの才能を行かしつつ金融界へと入りトレーダーとして財をなしソフト開発の分野で成功してIT界の寵児となっていく。そーして過ぎた数十年の後、彼は「せちやん」の遺志に触れ、忙しさの中で脇に置いていた宇宙への関心を再び向けるよーになる。

 成功と挫折の果てに取り戻した夢、って意味で主人公に身をなぞらえたい気持ちになる人もいるかもしれないけれど、その主人公が最後で感じる”絶望”とそして”孤独感”を目にするにつけ、なんだ結局はそーゆーことかと宇宙に関心を向ける意欲を、減殺される可能性もあって悩ましい。ただ、こーした絶望感はあくまで主人公ひとりの生き方に依るものであって、本気になって莫迦をやるだけのリスクを冒さず、どこかに退路を用意しながら上っ面の興味を”夢”と言いくるめて嗜んでいるだけでは、とうていあがれない高みがあることを、主人公のもだえる姿から感じさせ、本気を出そーよ、夢に向かって突っ走ろーよ、お金で成功しなくても、夭逝してもそれはそれで素晴らしい、全宇宙に誇れる生き方だよって訴えているよーにも取れる。どちらかと言えば主人公の生き方に重なる部分があって、挫折が怖くて夢を追うふりをし続けていることを、知りつつ是認してしまっている我が身にはイタいエンディングだったけど、それでも得られる希望に明日を夢見たい、って結局はその繰り返しなんだけど。

 「フィオレンティーナは?」。って思った人は懐かしくも凄まじかったバティストゥータのバティゴールが炸裂していた時代に「セリエA」に触れていた人なら思ったかもしれないほんとうの「TOYOTAカップ」開催の報だけど、栄華をほこったフィオレンティーナが潰れて消えて別のチームとなって再スタートして名前を取り戻している間に、「セリエA」のトヨタのスポンサードはあのペルージャになってしまっていた模様。だからトヨタのロゴを胸に戦っているチームが来るとしたらイタリアから傘下はペルージャになる訳で、ミッコリが残っていれば面白かったかもしれないけれどコスミ監督すら抜けているかもしれない来年に、来てもらってはたしてどこまでのパフォーマンスが期待できるのかと悩んでしまう。

 とは言えスペインでトヨタがスポンサーしているバレンシアだって、名門とは言え内紛で今年はいったいどこまでチャンピオンズリーグに近づけるかって所を行き来しそーで、UEFAカップへの出場を決めたペルージャとの間に絶大ってほどの差はなさそー。むしろ問題はJリーグで万年トップ下の微妙な位置にあり続ける我が名古屋グランパスエイトが、イタリアで揉まれるうちに成長したペルージャに、アイマール擁するバレンシア、チャンピオンズリーグで旋風を巻き起こしたスイスのバーゼルととどこまで互して戦えるかってところで、今年活躍しているメンバーが監督も含めて来年も残っている可能性にブレが見られることもあって、仮に開かれるとしていったいどんな大会になるのか不安混じりの興味が尽きない。まあ今年来ると言って逃げたブレシャにACミランの例もあるんでガウッチョお得意の口喇叭って言えなくもないんで、それほど期待せずに開催されるだろー来年を待ち詫びよう。

 「2003年は書物の歴史にとって画期的な年になるはずです」ってあの立花隆さんが言うんだからよほどのことが行われるかと期待した人もいるんじゃないかって想像できるけど、そんな風に立花さんが前へを推すのが電子書籍ビジネスコンソーシアムのかつぐ松下電器産業の電子書籍専用端末「シグマブック」だったりする様を見るに付け、1990年代初頭に出たNEC「デジタルブック」がまるであたらなかった状況を鑑み、電子書籍をパソコンが普及しインターネットが登場しPDAが一般化し携帯電話が高度化して来たなかで、どーやって発展させ普及させていこーかと取り組んできた人たちの努力とかに、立花さんはまるで関心を向けていなかったのかと寂しい思いに駆られる。

 なるほど画像ベースだからビルマの文字でもマンガでも取り込み表示が可能だけど、取り込むまでが大変で取り込んだあともサイズの重さに苦労し検索とかいった機能も使いがたいってデメリットもある訳で、画像を見るビューアにはなっても電子書籍のデファクトにはちょっとなり得ない、って思いが今はしている。ってかこれが普及してしまうといろユーザーにとっていろいろと面倒な事態も起こりかねないし、そもそもが手への重さ映るマンガの見づらさ落とすと壊れ踏むと割れる面倒さから、本の代わりとして普及するとはとうてい思えないんだけど、そこは未来を見通す立花さんだけに、生まれる”何か”を期待して「グーテンベルク以来の革命」なんて吹いたのかもしれない。大昔に伊達公子さんがニコニコして使っていた「デジタルブック」の二の舞いにならないことを願いつつ、業界のお手並みを拝見していこー。


【9月9日】 巡る巡る巡る因果は糸車by坂本九。って訳で因果が巡るかのごとくに行われた昭和最後の中学生棋士と平成初の中学生棋士が初めてタイトル戦の場で激突した「第51期 王座戦」の詳報が載っている「週刊将棋」の9月10日号を購入。結果はすでに新聞で知っていて羽生善治王座(で竜王で名人)が圧勝したのかな、って思っていたけど「週刊将棋」の観戦記を読むとどーやら接戦だったみたいで、かつて朝日新聞が大山康晴15世名人の再来と呼んだだけの実力を、挑戦者として立った渡辺明5段が顔立ちだけじゃなくてちゃんと持っていたってことが伺える。

 今は実に泰然自若として何事にも動じない羽生王座に、たとえ感想戦の場でとはいえとてつもない「羽生ニラミ」をさせた程で、「週刊将棋」に掲載されているその目をギョロリとむいて口をギッと引き締めた、気迫たっぷりの羽生王座の表情を見るにつけ、相当の手を指していたかあるいは感想戦の場で羽生王座をひるませるくらいの見解を示したって可能性を想像してしまう。でも案外に夕食で食べたご飯が疲れからセリ上がってきたのを我慢しているだけだったりするのかも(そんなことはない)。次の第2戦は12日に京都の「ウエスティンホテル京都」で開催よ予定。渡辺5段が勝つと俄然面白くなるなあ。

 同じ「週刊将棋」に「劇団コーロ 『聖の青春』上演」の案内記事。あの本のどんな部分を舞台に仕立て上げているのかまるで分からないけど、故・村山9段の師匠だった森信雄さんが「舞台げいこを見せてもらったのですが、当時のことが現実によみがえったみたいで、思わず泣いてしまいました。子どもから大人まで、絶対に見てもらいたい舞台です」ってコメントを寄せているくらいだから、相当にリアルにシリアスで泣ける内容なんだろー。万年床で漫画本が山積みだった村山9段のアパートとか再現されているのかな。出てくるとして羽生名人の役者は似ているのかな。場所は「近鉄小劇場」で日時は12日は午後6時45分、13日は午後2時半と午後6時45分、14日は午後2時半から。関西の人で将棋のファンで村山9段のファンはのぞいて見てはいかが。東京には来ないのかな。

 それは特攻でしかない。否、特攻になぞられるのも無礼な単なる愚策に過ぎない。結果として戦局の建て直しにまるで訳に立たなかったとは言っても、特攻はその献身的な行為の奥底に、家族を護り国を護り仰ぎ見る天皇を護りたいという純粋な想いがあった。しかるに今まさに行われようとしている行動は、仰ぎ見るリーダーや大本営に対する配下の思慕の念は欠片もなく、逆に見下ろされる畏怖の念に支配されて、今に死ぬより少しばかり先に死ぬことを選んで突き進むだけの、レミングが死に際に見せる大行進に等しい暴挙に過ぎない。

 そうした本質的な部分の決定的な差異を脇に置くなら、あがる成果とやがて訪れる結果は特攻とその後の日本に重なる部分がないでもない。最前線のパイロットたちはすでに大半が空に散り、残されているのはパイロットの経験を持たない若手か、前線を退き後衛で後進の指導にあたっていたベテランか、敏感に期を見て成り上がった者たちばかり。いずれにしても百戦錬磨の集う最前線ではすぐには役には立たない。にもかかわらずそうした人員を、ろくな訓練も施さずに最前線へと送り込もうとしている。勝てるはずがない。

 加えてすでに飛行機の1機、銃の1丁を製造する人員にすら事欠き、たとえ最前線へと人が大量に送り込まれたとしても、戦うために敵のもとへと赴くことすら不可能な始末。にも関わらず、そうした生産や耕作に関わる大切な要員すら、全土からそれこそ1割近い割合でかき集めては、鉄砲も持たせず飛行機にも乗せないで、最前線へと送り込もうとしている。いったい彼らは何に乗り、何を撃って戦うのか。精神力で飛び、神通力で敵を倒すというのか。やれるものならやって見せて欲しいもの。もちろんやれる筈などないのだが。

 長い消耗戦を耐えに耐え、特攻によって大勢の若い命を失ったものの、結局のところ日本は勝てず和睦すら結べず、無条件降伏のもとに敵の軍門へと下っては、人心一新の上で新しい国家の建設へと向かうことになった。そんな特攻よりさらに無謀な、国を焦土と化す国民総動員による玉砕戦法を推し進めた先に待ち受けるのは、完璧なまでに焦土と化し、民の1人まで死に絶えた国土でしかない。そこから後、いかに巨大な資本が資金と人材を注ぎ込んだところで、芽吹くものは何一つない。立て直すなどもってのほかで、ただ滅び去るより道はない。

 もはや特攻などしている場合ではない。今なすべきは即座の停戦であり、わずかであっても緑の芽吹く可能性を持った国土と、それを耕す人民を残した状態での無条件降伏である。幸いにして日本は英明な君主が最後に幸福を選び発展への余力を維持した。同じだけの英断をリーダーは今こそ指し示すべきだ。もはや勝利など不可能と認め、自主再建すら困難と知って頭を垂れ、外に向かって速やかな占領を求め、慈悲と救済をこいねがうべきなのだ。ってもこの不景気、占領してくれるところがどこにもなさとうってのが困りもの、なんだけど(しかしいったい何の話なんだか)。

 なんて感じに慌ただしい身辺に次のことを考え始めた矢先に、いろいろと気になる情報が。東北芸術工科大学ってところがこの11月から「丸の内・アートビジネス・スクール」ってのを立ち上げるんだけど、字面から想像できたいわゆるアートマネジメントに不可欠なギャラリストみたいな人材を養成する講座かと思ったら違ってて、どちらかといえばコンテンツ系のエンターテインメントビジネスに関わるプロデューサーの養成がメインになっていて、コンテンツビジネスの拡大とそれに付随した人材の不足が言われる中、それなりに時宜を得た講座って言えそー。

 講師に予定されているメンバーが何しろ豪華で、今の日本のコンテンツ行政にとてつもない発言力を持っているっぽい感じ(役所がやるコンテンツ系表彰制度で必ず名前を見かけるし)の浜野保樹・東大助教授を筆頭に小学館で「ポケットモンスター」を仕掛けた久保雅一さんやアスミック・エースの会長なんかを務める映画プロデューサーの原正人さん、GONZOの村濱章司さんにソニ ーでプロダクトデザインを担当して「ソニーデザイン」の礎を作った黒木靖夫さんなんかの名前がずらりずらりと並んでいる。

そんな有名講師陣がズラリ並んだ演習が来年3月まで20回ある上に、実施コースとして「映画プロデュースコース」、「ゲームプロデュースコース」「商品開発プロデュースコース」なんてものも用意されていて、例えば「映画プロデューサーコース」では「日本映画エンジェル大賞」に応募する企画を練ったり、「商品開発プロデュースコース」では企業に見せられるだけの商品開発企画を作成することになる。研修でもそれが実地に結びつく可能性なんかが、「僕って意外に映画の(ゲームの)(商品企画の)才能があったんだ」って思いたい人たちのマインドをくすぐります。でもって入ってみてあまりの才能のなさに気づいて愕然とするんだ。

 お値段の方は講義が七万五千円で演習参加費は二万五千円で足せば10万円っていったところで、どっかのスポーツクラブの年間会員になるよりも、大学院にモラトリアムで入学するよりも安く受けられおまけに超有名な講師たちの顔を見られるチャンスがある。お近づきになれるかどーかは不明だけど、可能性があるならかけてみたいって人と、それより今やってる仕事のスキルをもーちょっと上げたいって人に注目を集めそー。さてはてどこまで実践的な知識がえられ実際のお仕事に結びつくのか。申し込んでみよーかなー。「劇画村塾」とどっちが面白いかなー。

 もーひとつはマスコミ就職講座の新しい奴で、以前に博報堂で取締役を務めていた渡邊孝雄さんて人が立ち上げた広告・マスコミ就職塾の万雷舎がいよいよ本格的な活動をスタートさせて、受講生の募集を行っている。塾長の伝もあってか講師に広告会社やテレビ局、出版社、新聞社で職務経験を積んだ人がズラリ揃っているのが特徴で、どんな仕事をするのか、入社試験にはどんなことが聞かれるのか、なんてことをいっぱい教えてくれそー。まんまコネになるかは不明だけど、OBの人とかが多いみたいだし。

 土曜クラス、火曜クラス、木曜クラスにそれぞれ開かれることになってる講座コースは3カ月間の講義でお値段が五万六千円、6回で終わる水曜コースは三万円とまあそれなりにリーズナブルなのも興味の引かれどころ。個人ガイダンスとか個人クリニックとかもあるんだけど、さてはてどこまで実戦に役立つ知識やノウハウを授けてくれるのか。どっちにしたってこれから就職しようって人のための講座ですでにロートルな人間はお呼びでなさそーなんだけど。それとも初心に帰る意味から受けて気持ちをあの希望に燃えていた日に戻すかな。特別講座もあるよーで1回目は博報堂で広報の仕事なんかをしていたミステリー作家の逢坂剛さんが登場。ミステリー以外の元本業の顔に触れられる機会かも。


【9月8日】 「ミニモニ。」って今いったい誰がメンバーだったっけ、辻ちゃん加護ちゃんはデフォルトとして(本当か?)、矢口っつぁんが抜けた穴は誰が埋めてたんだったっけ、外国人枠はまだあったんだっけ、って悩みながら行った会見は、「浜名湖花博」であのつんく♂さんがなにやらイベントをプロデュースするってゆー内容で、当の「ミニモニ。」も登場するって話だったんでこれで確認出来るかも、って思っていたら登場したのは「ミニモニ。」は「ミニモニ。」でも着ぐるみのキャラクターとしての「ミニモニ。」で、そのデフォルメされた背格好に一体誰が誰なんだって余計に分からなくなる。メンバー代わったらちゃんとキャラは入れ替えているのかなー、でもあの感じじゃー誰を描いても代わらないよなー、3メートルと巨大になるより他にない飯田かおりん以外は。

 同じミュージシャン上がりではYOSHIKIさんが確か2005年の「愛知万博」に絡んでいろいろやってたって印象があるだけに、ちょっぴりバリューが下がる(ってゆーか今日までそんな博覧会が来年開催されるって知らなかったよ)浜名湖での博覧会に、何でまたつんく♂さん? って疑問は浮かぶけれどそーした面で分け隔てなく頼まれれば(そして実入りがあれば)ノリ良く受ける関西人的なスタンスが、マイナーなまんま埋もれかけてた博覧会のために「いっちょやったるか」って感じで身を乗り出させた、ってこともあるのかも。あとこれは当人が話していたけど1990年に大阪で開催された「国際花と緑の博覧会」で花の植え替えのアルバイトをしていたそーで、若い時代の思いで多き「花博」だけに一肌脱ごうって思ったってこともあるのかも。大阪の仇を浜名湖で、ってパターンでないとは思うけど。

 そーしたつんく♂側の事情はそれとして、逆に頼む側の心理としては今ひとつ認知度の上がらない博覧会をつんく♂さんのバリューも借りて、博覧会を盛り上げたいってものがあったんだろーと想像するけれど、つんく♂さんから上がってきたミュージカルだったり「ミニモニ。」のキャラクターショーだったり小室等さんを招いてのフォークイベントだったりってイベントのアイディアの、花とも緑とも直接はつながらない内容に、これのどこに「花博」にふさわしい内容を感じてオッケーを出したのか伺ってみたいい所。野村万之丞さんと佐渡裕さんの出し物よりも「花博」っぽさが薄いんだよなー。

 イベントをぶつける時期が夏休み期間中ってこともあって、1番集客の期待できる時に全国区的な人気のつんく♂さんに「ミニモニ。」ショーを開いてもらおう、別に花とも緑とも関係なくても構いません、って考えが主催者の側にあったのかも、なんて想像も浮かんでしまう。けどまあそこはそれ、祭りのテキ屋みたいなもんでそれで集まった人が植わっている花とかに接して自然に関心を持ち浜名湖に惹かれるよーになれば良いってことで、果たしてそれだけの効果を発揮するくらいのイベントを、つんく♂さんが見せてくれるのかに関心を向けて来年を待とー。隠し球もあるみたいだし。あやや降臨? それは流石に。けれども。うーん。あややの着ぐるみ? だったらアリかな。

 録画してあった「住めば都のコスモス荘 すっとこ大戦ドッコイダー」をビデオで確認、アレックス・ロウ=ドクター・マロンフラワーの等号は果たして成立し得るのかってゆー疑問に激しく苛まれる。仮にかつえはそーゆー時代があったんだとしたら、当時に少女だった宇宙的大女優は一体今何歳なんだってゆー疑問がさらに浮かぶ。けどまあいっか、アニメなんだし。ポリペイモスみたいな海賊を追いかけ天空へと駆け上がろーとするネルロイドガールの絵は良かったし給水塔だかの上でヘバるエーデルワイスの瞬間映った絵のダレっぷりもなかなかだけど、お話に関しては本筋とも言えるドッコイダーと犯罪者たちとのバトルをすっかり脇へとおいて、サイドストーリーばかりを進めるここんとこ何話かの流れに果たして良いのかって気も浮かんで、この先話がちゃんと落ち着くのかって心配も浮かぶ。来週なんでモグモックル話だぜ、面白いのかねえ、オギハラさん出まくってるなら良いんだけど、でもまあいっか、アニメなんだし。そーゆーもんだ。

 ようし分かった行ってやろーじゃないか、って瞬間思った「仙台カップサッカー」のチケット販売が大不振の報。U−18の選手がブラジルとイタリアからやって来ては日本とそれから東北の代表と戦うって内容の大会なんだけど、Jリーグの試合が重なっていることに加え、全国的な告知があんまりうまくいっていないこととか、仙台って場所が遠すぎるってことなんかもあって、チケットが3日間の大会を通して4000枚も売れてないみたい。7月開催されていた女子サッカーの大会は対オーストラリア戦1試合で1500人くらいは来ていたはずで、下手するとそれよりも少ない人数で、ブラジル代表にイタリア代表を迎える何とも申し訳ない事態になってしまう。

 イタリアにブラジルって言ったら世界的なサッカー先進国で、そこのU−18と言ったらら下手しなくっても数年以内には何人かがA代表へと上がって2006年の「ワールドカップ独大会」に出場する選手がいたりする可能性もある世代。どんな選手が来るのか実は知らないけれど、少なくとも2006年のワールドカップには1人出ていれば御の字って感じだった先のナイジェリア代表よりは真っ当な選手が来る可能性は大きく、先物買いをするには最適な大会だったりする。にも関わらず世間の関心がまるで薄いのは、やっぱり「日本代表」ってブランドでしか動かない日本的な風土があるから、なんだろー。

 しばらく前に開催されてたU−17に出ていた選手も入っていたりするなら、その大会でブラジルは世界一になったはずで、つまりは世界一の選手が見られるってことになる訳で、人が来ないから行ってやろうって義侠心を捨てても、これは見て置いて損はない大会ってことになりそー。あと「東京オリンピック」で来日したオシム監督が、そこでのホスピタリティに日本を好きになって、それが日本に監督として来る理由のひとつになってるらしー、って話もあるし日本での「ワールドカップ」開催に尽力したアベランジェ氏だったっけ、FIFAの重鎮も日本での思い出が好感につながったって話がある。将来のセレソンにアッズーリたちをここで盛大に歓迎しておけば、50年後に日本のために何かしてくれるって期待も僅かながら含みおきつつ、行って声援を浴びせて来たい気分。牛タン喰いつつ見て来るか。でも「ロフトプラスワン」で27日開催の「宇宙作家クラブPresents〜見てから死ね! ロはロケットのロ〜『ロケットまつり』」も見たいんだよなあ。どーしよー。ってか27日は「SPEED」のコンサートなんだよなー、28日だけでも行こーかなー。


【9月7日】 怨念がおんねん、ってのは誰のギャグだったっけ、高橋留美子さんだたっけ、忘れたけれど行ってしまえばそんな怨念がおんねん的な話だったりする今田隆文さんの「アストラル」(電撃文庫、570円)は、ふとしたきっかけで幽霊が見えるよーになってしまった少年が、街角とかそこらへんに留まって怨み、ってゆーか残した思いを引きずり続けている少女たちの幽霊と出会い声をきき願いをかなえる媒介になって成仏させる、読んで心に染みる話が連作で収録されている。

 子供の頃に死んでしまった幼なじみが幽霊になって彷徨っていたのに何年ぶりかに再会して、こっちは当然に見えなかっただけなのに向こうはどうして無視してたんだって言って来る、思い込みのすれ違いの物悲しさが冒頭から刺さって死とゆー厳然としたものへの思いに胸がチクチクとしてくる。絵を描き残して死んだ少女に通り魔に襲われ即死してしまった少女にリレーのメンバーから外れて間もなく事故死してしまった少女とか、いろいろな事情を抱えた少女たちの、生への執着ではなく生者への心遣いの清冽さが読んで気持ちを潤ませ優しくさせる。設定はありがちだし展開もわかりやすいけどそれだけに受けるインパクトにも強いものがある。ハンケチを手に一読を。

 定金伸治さんの「Kishin 姫神」(集英社スーパーダッシュ文庫)を完結の5巻まで一気読み。最初に出た巻を出たときに読んだ時、12歳だかの少女に死んでしまった女王の日巫女が取り付いて息子の嫁になるってゆー、微妙に倒錯した設定とそれから神様に匹敵する実力者のはずなのに妙にキャピキャピとした日巫女の性格が苦手で完結まで横目で眺めるだけにとどめて来たけれど、最終巻ではそーした倒錯的な部分が背後へと下がって偉大な日巫女の後を嗣いだ息子とかその嫁とかが、中国とか日本のあちらこちらに日巫女が蒔いた種を刈り取り神代の時代から人間の時代へと歴史を引っ張る本筋が大動乱の果てに習練していて、遠大な物語の圧巻のエンディングを楽しめる。

 それだけにあちらこちらへと乗り移ってはキャピキャピとした言動を見せる日巫女のキャラクターが浮いてしまった感じがあって、どーせだったら最初から、その存在を臭わせ垣間見せつつも実体となっては現れず、偉大性とか神秘性といったものを醸しだしたまんまでいて欲しかったって気もしないでもない。あと主要な割には背後へと下がってしまうキャラクターが思兼とか佐久夜とかあって、一方で次から次へと新キャラも出てきてもったいないって印象も浮かぶ。最終2巻で台与と忍穂の前に立ちはだかる城入ってキャラの扱いにもやるせなさが浮かんで仕方がなかったけど、それでもラストにはそーしたキャラたちをオールスターで生死に関わらず使い収めるべきところに収めてあっったんだえ良しとしよー。「古事記」をダイジェストにして圧縮した上で神から人への移行を描き未来へとつなげる古代伝奇の秀作。伊藤真美さんの絵も相変わらず綺麗です。ちゃんと最後まで描き遂げたなあ、「ピルグリム・イェーガー」をやりながらも。

 ナイキのアウトレットで買ったオランダのオーセンティックユニフォームを持ってお台場の「グランドーム」へと行ってダービッツのマーキングを入れてもらう。いつもだと行く時間が早いからか20分くらいで入れてもらえるんだけど日曜日で午後ってこともあって1時間30分待ちとなかなかの繁盛ぶり。それだけユニフォームを買って背番号を入れてもらう客が多いってことで、去年の「ワールドカップ日韓大会」もひとつのきっかけとなって盛り上がった海外サッカーへの関心が、1年ちょっとを経てユニフォームの売り上げ、ひいては日本スポーツヴィジョンの業容の拡大へとつながっているみたい。何せ今度は「ユヴェントスショップ」までオープンしてしまうんだからなー、すでにある「マンチェスター・ユナイテッド」に「ACミラン」に「インテル」に「バルセロナ」に続くオフィシャルショップ。けど肝心の「レアル・マドリッド」がないのがなかなかに微妙。権利を取れなかったのかな、それとも取らなかったのかな、来年にも同じ人気を維持しているって保証はないしね、主要メンバーの年齢とか見ると。

 ぶらぶらっと見た中では新しいユヴェントスのユニフォームのマーキングが入荷していたのが確認できて、なかに9番のファブリツィオ・ミッコリもしっかりと用意されていて欲しい度のバロメーターがはねあがる。デザイン的に着るのに勇気が必要なユニフォームだけにちょっぴり手をだしあぐねていたけれど、ペルージャから戻って大活躍が期待されている豆タンク小僧の実質”ファースト・イヤー”になる今シーズンのユニフォームだけに、将来を見越して作っておくのが良いのかなって気になっている。まあそこはもーちょっとだけ時間を置いて、「チャンピオンズリーグ」の予選が始まりターンオーバーが動き始めた中でミッコリがスターティングメンバーとして出場してはそれなりの活躍を見せるまで、待ってから買うかを考えよー。結局出ずに1月に再レンタルってことになって、インテルの新シーズンをクレスポを作ってしまって落ち込む人に匹敵する挫折を、味わわされることになりかねないし。

 外国のチームのは売れに売れても日本のJリーグのチームのが売れているのを「グランドーム」ではあんまり見かけないのは、すでに熱烈なファンは日本独自のシーズンインに合わせて春に買ってしまっているからかそれとも欧州のユニフォームに比べて今ひとつ持ってしっくりと来るデザインが少ないからなのか。理由としてはどっちもどっちって気がするけれど、訪れた「ジェフユナイテッド市原vs鹿島アントラーズ」の試合が行われる「国立霞ヶ丘競技場」のスタンドを、それぞれにチームのレプリカを着たサポーターが埋め尽くしている様を見るにつけ、すくなくともファンってゆーフィールドではレプリカユニフォームはちゃんとしっかり売れているんだってことを理解する。

肩を落としてもジェフの誰よりも大きなオシム。フォワードに入れたい。  とはいえ日本語でスポンサーの名前が胸だけじゃなく背中とかにも書かれ袖にワッペンがベタベタと付けられた、歩くF1マシンみたいなユニフォームって街で着るにはやっぱり今ひとつだったりする。愛するチームを応援するための戦闘服なんで普段から街で着るなんてもってのほか、って熱心なサポーターの方々の意見も尊重したいけど、外国の少年たちが学校に好きなチームのレプリカを着て通うって話を聞き及ぶにつけ、日本でもそれが可能なくらいにもーちょっとだけ格好良くなって欲しいところ。それとも日本だけのマーケットを狙ってるんじゃなく、「楽天」「カニトップ」「オートウェーブ」って日本語が腕に日本語の入れ墨をして悦に入る外国人とかに受ける可能性を見越して、そーしたロゴを採用しているのかなあ。世界クラブ選手権にグレードアップした大会に日本から出たチームが勝ち残って決勝を「カンプ・ノウ」だかで戦ってる、その胸に燦然と輝く「楽天」とかのロゴ。エヴァートン?

 試合は点差だけなら1点差で緊迫したゲームだったって言えるかもしれない「ジェフユナイテッド市原vs鹿島アントラーズ」だけど、内容は正直言って相馬選手に名良橋選手の両サイドと小笠原選手に本山選手の中央が絡み合って攻めていくアントラーズが押し気味で、崩した中から何度もシュートを打っていってはジェフをピンチに陥れていた。ジェフはトップに回れば怖いんだけどそこへと至る過程アントラーズの素早い寄せにボールが詰まってしまう感じで、決定的な場面をほとんど作れずトップで張るチェ・ヨンスも相当に苛立ちが溜まっていた模様。最後はファウルで止めるべきボールをシュートしてしまって2枚目のイエローをもらい累積でレッドとなって退場となって次節は欠場で、譲り渡した首位を取り戻すどころかズルズルと下がって行ってしまいそーな予感。天狗っ鼻になっているのかあと1歩の詰めをしないでボールを取られ奪えなかったジェフの性根をさてはてオシム監督はどう叩き直して来るのか。その楽しみも含めてしばらく様子を見て行こー。


本日の牛。1番牛らしー場所にいる牛。 【9月6日】 牛追いに丸の内まで出向こーかと思ったものの秋に似合わない熱波に遠出を断念して市川妙典にあるワーナーマイカルで「座頭市」を見る。面白い。もうむちゃくちゃに面白い。予告編とか報道とか聴いていた話から抱いていたのは、金髪なんて先代「座頭市」の勝新太郎さんを冒涜するよーな格好でヘラヘラと出てきたビートたけしさん演じる座頭市を主役に、回りを固めた「たけし軍団」が繰り出す寒いギャグが満載で、時代考証もめちゃくちゃにタップダンスが繰り広げられて、たけしさんがひとり「やりてーことができた」って大喜びしてるってゆー、あの怪作「みんな〜やってるか!」を超えるか下回るかの、およそベネチア映画祭金獅子賞受賞監督とは思えない作品かなって印象で、そんな先入観を持って見始めた冒頭から映し出される、畑仕事をしている農民の振る鍬の刻むタップっぽいリズムのあざとさとか、斬られた人間が落とした提灯が燃える絵のいかにもさが、鼻について「やれやれ」って感じに気が滅入りそーになった。

 けれども。襲われる座頭市が奪われた仕込み杖からさっと刀を抜いて、ズバズバッと相手を切り伏せて行く殺陣のシーンのかつてないスピード感と、それを際だたせているタメとか見栄とかまるでない演技のシンプルさに目を奪われ、浅野忠信さん演じる浪人に夏川結衣さん演じる旅芸者の過去が振り返られこれに座頭市が加わる3者の交錯する展開なんだなって見えてきたあとの、どーやってこーした登場人物が関わり合っていくのかって物語に心を惹かれているうちに、さてはて次はいったいどーなって、そこでどんなシーンが繰り広げられるんだろー、って期待でいっぱいになってしまった。

 意外だったのはガダルカナル・タカさんの存在で、「たけし軍団」の重鎮として中でひたすらギャグを繰り広げるって聞いていただけに、それが浮いてないかって気になっていたけどまるでそんなことはなく、展開の中で半ば必然として気持ちをほぐし場をゆるませるギャグを織り混ぜ、ともすれば殺伐として救いのない暗い内容へと向かいがちな設定の作品を、見ていて楽しーものにしてくれた。この人がいなかったらきっとこの映画、まるで違ったものになっただろー。途中で何回も出てくる槍持もって駆け回る、武士になりたかった農民の倅も最初こそ「やれやれ」だったけど、2回目以降は気にならずむしろ厳しい暮らしにあえぐ中で気を違えてしまった人間の物悲しさとか、夢をひたすらに抱き続けるほほえましいばかりの愚直さを覚えて、優しい気持ちで眺めることができた。

 何より圧巻だったのが人によっては不要と手厳しく表されているタップダンスのシーンで、それほどまで言われるならおそらくは物語の中で唐突に出てきて、真剣勝負の映画をぶち壊すよーな違和感を醸し出すんじゃないかって心配をしていたけれど、すべてが片付き悪がすべて討ち果たされたラストに、出演していた俳優さんたちが、ビートたけしさんと殺られた悪役を除いてステージに上がってはカーテンコールに応えるって感じにつなげられていて、気持ち良すぎるドラマのラストの気持ち良すぎるエンディングに、心沸き立ち胸躍り、涙すらにじんでしまった。

 そりゃあ父母の敵を探すためとは言っても道中に散々山賊まがいのことをやってきた夏川結衣さんたちが、しゃあしゃあと農民たちに混じって善人でございと踊る矛盾はないでもないけれど、そーした矛盾を考えるよりも先に画面から放たれる嬉しそーな人々の、動きとか表情にのまれてしまって、「まいっか、面白かったんだし」って気分にさせられてしまう。これが娯楽映画なんだな。これこそが娯楽映画って奴なんだな。外国の映画祭で流されたら絶対にエンディングのシーンでいっしょになって踊り出す奴とか出るんだろーなー、ほんと楽しそーだもんなー。ともあれ「たけし映画」って聴いて抱く期待とか先入観とか抜きにして、楽しめて笑えて喜べる娯楽映画として万人に見てもらいたい作品。僕はラストのダンスシーンを見るために映画館にあと数回は通います。これはやっぱり浅草の映画館で見たいなー。

 ついでだからと海浜幕張にあるナイキのアウトレットを巡回してサッカーのオランダチームのオレンジ色したユニフォームの、それも選手が着ているオーセンティックが1900円で吊るされているのを発見して救出する。オレンジ色のユニフォームなら前にバレンシアのアウェーのを拾ってはあるんだけど、この値段で出ていたらやっぱり買ってしまうよね、ダービッツのファンとして、オランダ代表で活躍している姿は見たことがないけれど、ワールドカップに来なかったし。背番号の方は明日にでもお台場のグランドームへと行ってダービッツのを入れてもらおー。これでこの夏に買ったレプリカは何着目になるんだろ? 今シーズンのがひとつもないってところに俄マニアのお大尽的買いっぷりが出ています。まいっか、社会人で会社員で冬とかボーナスも支給されるし。

 って言っていたらどーやら怪しい雲行き。ぶっちゃけ会社が儲かってないってことでいろいろと画策していやがることがあってその影響が直接間接に当方にも及んできていてその対策をいろいろしなくちゃいけないってことで、東浩紀さんがハイになって喧伝している「モスコミューン・オフ」の隣でひとり「カンパリベラリスト党」の旗揚げは出来そーもない感じ。ドンペリから格が下がったのは財布の都合です。いや別にもはや駄目なら駄目だし実際駄目なんだからと見捨てて、むしろこれからの人生を有名な人たちに頼って生きるべく、行って挨拶しまくる方が正しいのかもしれないけれど、こっちもこっちで資本と労働のバトルってゆーモスの付かないコミューンの闘争が見られそーなんで、とりあえずは今回は遠く東京の西で上がる気勢を気にしつつ、将来のことを考えることにいたします。でもいたりして。堺さんは行くのかな。関係ないけど27日の「さいたまスーパーアリーナ」での「SPEED」のライブが「e+」のプレオーダーで買えちゃったよ。これって貴重なことなのかな。


【9月5日】 移籍の期限が終わって欧州サッカーも人の動きがなくなり、よーやく背番号と名前の入った新シーズンのユニフォームを買っても、1月の冬のカルチョメルカトーレまでは何とか着て恥ずかしくない状況になったものの、それでもまだちょこちょこと偏向があったりして、果たして今買うべきなのか悩ましい。例えば「ACミラン」の新ユニフォームの場合、最初は胸にチームのエンブレムが入っていただけだったのが、そのうちに「コパ・イタリア」の優勝マークが入るよーになってまず変更。それもはじめは中央からややエンブレム寄りのところに付けられていたものが、昨日あたりから発売になったサッカー雑誌の最新号を見ると、堂々胸の真ん中(ユヴェントスだとスクデットが付いてる位置)にスピットファイアみたいな丸い緑と白と赤のマークが付けられるよーになって、正しいのはどっちなんだと頭が混乱して来る。

 そもそもがレプリカユニフォームにスクデットはともかくコパのマークが付くかどーか分からないんだけど、できれば選手と同じ雰囲気のものに仕立て上げたいのが人情って奴で、まずは付けて欲しいってのと、付くんだったらどっちかに早く決めて欲しいもの。もっともスクデットに比べて妙に拍子抜けする丸いマークがもともと丸いミランのスポンサーロゴの上に乗ってるのって正直格好悪い気が。ユニフォーム自体はナイキの今年の奴に比べて悪くないんでできればセリエAで優勝してもらって、スクデットがついた奴を来年に購入したいなー。とはいえインテルのスクデット入りってのも生きているうちにお目にかかりたい気もするし……。ミラノ勢とにかくがんばれ。今のユベントスのユニフォームにはスクデットは似合わない、とくにピンク色をした、あのネドヴェドが着ても顔で引っ張れないくらいに難しい色合いのアウェイタイプのユニフォームには。

 会社で仕事をしていてふと見下ろすとビルの前の広場になにやら牛の置物が登場していて、何だろーと思って近寄り見ると「カウ・パレード」って案内と当該のURLのアドレスがプレートで刻んであって、その場では中身まで見られなかったんできっと一種のイベントか何かかと思い見渡すと、少し離れた場所に別の牛が立っていて周囲に人がたかっていて、折角だからとそっちにも近寄ってカメラでパチリとやって、さらにそっちにもあると噂に聞いていた日本経済新聞社前へと出向いて1つ発見して撮影する。その先は見えなかったんで間にあるJAが牛肉の促進のために企画したイベントかなあ、なんて想像をしてとって返したその目線にある、交差点の向こうのビルの前とか広場のオブジェとの下とかに、色は違うし形も違うけどやっぱり牛の彫刻が2体3体をあって、もしかするとこれはとんでもない大がかりイベントかもって思い牛を追う探検へと出向く。仕事は?

なにをいうざますアナグラムもどきがお似合いざます日本人なら唐草風呂敷だよやっぱ  「アーバンネット大手町ビル」の前庭で何体か見つけ反対側の「大手町ビル」の前でも発見してさらに東京駅へと向かって歩いた道路の歩道の上に、1体また1体を牛が見えて来るものだからもう気持ちは「なつかしのチゾルム街道」状態。北ならぬ南へと牛をおって歩いた日経前から電気ビルの下にいたる外堀通りやその近隣は牛だらけになっていて、思わずカマタイアイユピユピエイユピエって口ずさんでしまった。意味は不明。子供の時は何の疑問も抱かず唄っていたんだけどなあ。

 とにかくいろいろな牛があって有楽町から大手町にかけた地域に実に50頭以上は飾られているそーなんだけど、通りを割に一直線に歩いた関係で見つけられたのは20体ばかりと半分にも見たず、10月まで開催されている期間中には出来る限りの牛をカメラにおさめてコンプリートするぞと心に誓う。でも浅葉克己さんとか岩井俊雄さんとか千住博さんとか日比野克彦さんとかそれなりに名の通った人のデザインも混じっているんで、無事に1カ月ちょっとを街頭で牛が過ごしてくれるのかがちょっと心配。持ち上げると「モー」とか鳴くよーに出来ているのかな。

 結局のところ何かと言えばどーも世界中の都市でときどき開催されていたパブリックアートイベント「カウ・パレード」ってのが「丸ビル」のオープン1周年を記念した行事の中で日本に持ち込まれたって感じで、なるほどだから場所も「丸ビル」を中心にした一体が選ばれているみたい。とにかく色とりどりで形もいろいろで、サンケイ前の全身が人工芝で覆われているものからペインティングに凝ったものから内部を空洞にしてそこに人形を挿入したものからいろいろな牛がいて、大変だけど次はいったいどんな牛なんだろーって捜して見に行く楽しみがある。

 個人的にはアディダスがスポンサーになった牛で、尻の部分に堂々の3本線が入っているのは当然として、胴体がサッカーゴールになっていてそこの「チャンピオンズリーグ」で使用された星模様のボールが刺さっていて、なおかつ後ろ足に銀色のベッカムモデルだかの「プレデター」が履かされていて、って感じの見るからにサッカー牛が好き。アート性は下がるけどスポーツ的ってことで「国立霞ヶ丘競技場」とかに飾って欲しい。アディダスをオフィシャルにしている日本サッカー協会が買って新ビルに飾るべきかも。それだとナイキが永遠に着られない? 着なくて良いです。

街角にあるからってシュート練習に使っては……いけないだろーねやっぱりね  例えばの話。築地でも大手町でも構わないけど信頼性と発行部数で天下にとどろく高級新聞で、論説委員長と前編集局長と現事業局長とほか、重鎮が集められた部署を新たに発足させて、「さああなたたち明日から新聞を売って回りなさい」ってことになったら「噂の眞相」とか週刊誌とか、ライバルの新聞とかはいったいどれくらいの扱いで書き立てることになるんだろー。想像するにそんなドラスティックでアバンギャルドな人事への驚きを表明し、またそこまでしなくてはならないくらいに厳しい状況に直面しているのかも、ってことを推察してはいろいろと書きまくるに違いない。

 もちろんこの不景気の折だけに、人員を集めるためには現職前職が何かなんて考えてられないってゆー意見もあるけれど、これが普通の会社だったらそれほど問題にはならないところを、世に言論を問う新聞社だったりするから話はちょっと難しくなる。論説委員長とか編集局長っていったら新聞社でも頂点に近い地位で、その世論を動かす機能に力といったら相当なものがある、って誰もが想像するだろー。そんな人がはい今日からは純粋に販売の人間です、って顔で例え来たところで、受ける側では背後にある影響力を大いに気にして萎縮し言うなりになってしまうもの。つまりは国民から知る権利の付託を受けて公明正大さを旨とすべき新聞社が、暗黙のうちに相手にプレッシャーをかけて商売しよーとしている可能性がある訳で、これを認めては公正性なんてものは崩壊するし、やる以前に考えること自体が大いなる問題だろー。

 官僚が影響力をチラつかせながら団体のトップとかに天下るのを非難している新聞が、内部で同じことをやってはたして良いものか。それで得られるのは部数増なんかではまったくなく、信頼ともども失ってしまう深刻な販売減だったりする可能性が高い。にもかかわらずそーした人事を平気で断行し、中身の具体性も信憑性もまるでない経営再建プランを立てては経費圧縮と部数増にはこれしかないんだと言い切り、それでも足りないから冬のボーナスをカットしてくれ、なんって言われた日には経営者さんそれはあまりに虫が良すぎません、ってことになりかねない。

 まあもっとも築地にしても大手町にしても、先鋭性は失い官僚っぽく、あるいは企業っぽくなりながらも新聞としての一線は守り切ろーとゆー姿勢はあって、さすがにそこまで露骨なことはやりはしないだろー。だいたいがそーしたメディアに生きる人間にとって、基本ともなるべき公正性維持の思考すらできないくらいに衰退していたりするんだとしたら、そんな会社の切羽の詰まり方は半端じゃない。ってか崖っぷちに追い込まれたところで人命救助に最低限必要なパラシュートとかパラグライダーとかを持ち出すんじゃなく、ロープですらなく夢と空想をまぜこぜにした、現実味に乏しいタケコプターを「はいタケコプター」って取り出し、さあみんなで飛びましょうってやってることになる。そりゃ落ちますよ。上っても天国ですよ。瀬戸際さえ越えた暗黒の地平にすでに至っている状況で、明日どころか1時間先すら闇の中を泥船に乗って進む人たちに黙祷。他人事?


【9月4日】 自伝、ではないんだけどどこか作者本人を思わせるフリーライターで絵本作家でもあった男が、多くの人を感激させて賞までとった絵本の次を書けないまま年月が過ぎ、新しい絵本を書きあぐねてフリーライターを今も続けているなかで、さまざまな人と出会ってその生き死にを目にして発憤するかとゆーとそーでもなく、漫然と日々を過ごしながらそれでも少しづつ自分の冷えていた心、固まっていた心を融かして前へと進もーとしている重松清さんの連作長編「哀愁的東京」(光文社)を読んでやっぱりこの人、小説がとてつもなく上手いなあと感嘆し感銘を受け感動に浸り感涙にむせぶ。

 「パパといっしょに」ってかつて話題を集めた絵本は単に娘のことを書いたんじゃなく、いろいろと哀しい裏話があってそのために描いたことで他人を傷つけた可能性もあって、それが心にひっかかって男が次の作品が書けなくなっていた、ってゆーのが男のプロフィール。そんな絵本に関心を持ってくれている人が次から次へと現れてはそれぞれの思いを語り境遇を語っていくって流れは、ともすればあざとさも感じさせるだろーし、登場する人たちがネットバブルにおぼれた若手経営者とかヒット作で絶大な人気を誇りながら今は落ち目のアイドル歌手とか、モデルの顔が浮かびそーなくらいに通俗的だったりして、作りすぎ過ぎって思わないでもないけれど、決して感動を盛り上げよーってんじゃない淡々とした語り口が、あざとさを消して切なさを醸し出していて、読んでいて気持ちにじんわりと染みて来る。

 フリーライター稼業の大変さとか、マスコミの仕事に興味のある人にとって関心の向けどころだろーし、そーしたフリーライターの仕事の大変さを、自身フリーライターの仕事もしながら作家として活躍している作者がサラリと書いてしまう、そのクールさがちょっぴり怖いけど、そーしたバックグラウンドを抜きにして、物語としての作りの巧みさ、そこからわき上がるペーソスにやっぱり感動させられてしまう。40に手の届きそうな、夢を持ちながらも夢に進みあぐねている人は是非に一読を。

 神保町で早売りの「ファウスト」第壱号を購入。裏表紙の広告がTYPE−MOONって所の「Fate stay night」だったりするところに、40歳近いおっさんなんぞお呼びじゃねえぜ、って感じがにじみ出ているよーで雑誌を取った手をそのまま引っ込めたくなる。ってか執筆者の一覧を見るとほとんどが1970年以降に生まれた人たちで、中には1983年生まれなんて人もいたりして、投稿欄には60歳70歳ってなおっさんどころか爺さんたちの名前が並ぶ中間小説誌の増刊とはとても思えない。平均年齢40歳越えが標準の「SFマガジン」なんかとも段違いで、あとはいったいどれくらいの年齢の人が読むのかって当たりを知りたいところ。13日のサイン会とか行って並んでいる人たちを見れば分かるんだけど、渋谷は遠いしなあ。まあ様子見。

 そんな若い執筆陣にあってひとり平均年齢を上げている笠井潔さんだけど、対談での話し相手がそのTYPE−MOONから「月姫」を出した2人ってところに、笠井さんの歳を経ても衰えない好奇心の若々しさが垣間見えて感心する。最初は間に東浩紀さんも入ってつながったんだろーけれど、今となってはかの「ヴァンパイアー戦争」を武内崇さんのイラストで復刊するほどの惚れ込み様だったりする笠井さん。若い世代の台頭にロートルな世代がエネルギーを感じて接触して気持ちを高揚させるその構図から、当の「ヴァンパイアー戦争」に影響を与えた平井和正さんが一時、女神と讃えるくらいに高橋留美子さんに傾倒して「ウルフガイ」シリーズのイラストを高橋さんに描いてもらっていたことが、妙に思い出されてしまう。生頼範義さん描く情念の「ウルフガイ」を大きく代えてファンの腰を抜かせたよーな事態が、同じく生頼さんが手がけた「ヴァンパイアー戦争」の再刊でも起こるのか。これもまあ、どんな感じに仕上がるのかお手並み拝見。

 小説類はとりあえず後に回して、東浩紀さんの評論はフォントが目にキツくってやっぱり後日に回して、とりあえず評判の滝本竜彦さん佐藤友哉さんの2人を斉藤環さんが面倒見た対談を読んで、「ひきこもり探偵」の話を滝本さんは書くべきだと勝手に思う。「ホームズ役の名探偵がテレビで事件を見て推理して、脳内ワトソンもいたりして。『ワトソン、犯人はアイツだ。……じゃあ今日はもう寝よう……。』」。ぜんぶの事件がこれだと2行で終わるな。

 佐藤さんの方は「エヴァ」が終わった後の心境について話した「わかるわかる。『後番組、なにが”ナデシコ”だ、と。駄目だよそんな船!』と。」って言葉に激しく共感、今でこそとてつもなく幅広くって奥深い作品だと分かった「機動戦艦ナデシコ」だけど、前の番組の衝撃が凄かった分、最初のいかにもな萌え煽りに拒否感が出てしまったんだよなー。とか言いつつその「エヴァ」に、最初は熱中してた「天地無用!」が終わった直後ってことで見向きもしなかったんだけど。今は心改め前が凄かろーと後番組はちゃんと見て判断するよーにしています。人間そーやって大人になっていくのです。だから見るんだ、「ギャラクシー・エンジェル」の後の「デ・ジ・キャラットにょ」を。おもしろいぞお。

 「滝本竜彦のぐるぐる人生相談」は思っていた以上に快調な筆運びで安心。脳内彼女のアスカが現れてはひっかき回す展開に「エヴァ」からの未だ引きずる影響が見えてオリジナリティとの相関に気持ちを悩ませられるけど、かつて東浩紀さんだって文芸誌の文藝批評でアスカを確か引っ張り出したこともあったくらいだし、その世代にとってのひとつのアイコン的な存在として普遍的一般的なものになっているんだとゆー理解をするのが良いんだろー。その上で言うなら「ぐるぐる人生相談」は相談とか書きつつ実は自問自答の狭間に落ち込んで頭をぐるぐるさせる内容が、同じ悩みに陥り30を過ぎてもそこから出られずぐるぐるとしている全国数千万人の”滝本たち”の共感を誘いそー。

 なるほど「だからお願いだ。たったひとつだけでいい。どうか君も、心底本気になれる相手を見つけてくれ」ってアドバイス、かなえば生きる希望を与えてくれそーだけど、1番肝心なことを滝本さんはまるで言ってくれてない。「どーやって見つけるんだ?」。どこに行けばいるのか。いたとしてどーやって本気を伝えれば良いんだ。道ですれ違った美女は「あたしを好きになったら」なんて言ってくれないし、だからといって「好きです」と言って本気だと思われる保証はない。どこにもない。「だったら滝本さんは本気になれる相手をどーやって見つけたんですか?」って問われてさてはて滝本さんは何と答えるのか。それこそが真にして実を持ったアドバイスになるんだけど。今度のトークセッションで誰か聞かないかな。「ここにいます、この頭のなかにアスカもレイも」。かくして全員が幸せになった。


【9月3日】 アメリカで20日から始まる「FIFA女子ワールドカップ2003米国大会」の日本代表メンバーが発表。我らが(僕だけか? 他にいないのか? えのきどいちろうさんはどーなんだ?)酒井與恵選手もちゃんと選ばれていて、これに同じボランチの宮本ともみ選手とそして、川上直子選手、山本絵美選手の両サイドを加えてトップ下に小林弥生選手を置いて澤穂希選手に大谷未央選手がトップを張った強力無比な陣容でもって、アルゼンチンとドイツとカナダを次々と撃破しては準々決勝準決勝を勝ち進んでいってくれたら日本でも一気に女子サッカーが盛り上がってくれる、といいな。

 そんな酒井選手と小林選手に正ゴールキーパーの山郷のぞみさん、控えなんだろーけど正とタメはる小野寺志保さんがまとめて見られる上にユニバーシアードで大活躍の近賀ゆかり選手も見られる「Lリーグ」の一次リーグ「日テレ・ベレーザvsさいたまレイナスFC」は9日午後6時から小倉優子さんのポスターも淫靡な「よみうりランド」横にある「ベルディグラウンド」にて。ワールドカップ目前の公式戦でテレビとか来て撮影とかしているよーだと世の中のメディアの期待も女子サッカーに少しは向いているってわ思えるんだけど、どーだろー。2位になったユニバーシアードですらスポーツニュースはほぼ完全無視だったしなー、出来ればどこの局でも見物に来てはいかにとてつもない環境で試合しているかを見て伝えてやって欲しいなー。

 サウナ風呂に入っているよーな空気の中を代官山へと向かいタカラが新しく始める家電をはじめとしたニューコンセプトデザインのプロダクツラインの発表会を見物。その名も「プラスマイナスゼロ」ってゆーブランドは、予想していたよーにデザインを前面へと打ち出した製品群でたとえば22型の液晶テレビなんかは画面の横とかについていがちなスピーカーがとっぱらわれ、枠も画面ぎりぎりになってサイズがインチ数から受けるより小さくなっていて、そのコンパクトさスタイリッシュさにちょっと驚く。それより驚いたのは8インチの液晶テレビで見た目は丸裸にされたブラウン管って感じに四角い漏斗状の形をしているんだけど、モニター自体は薄い液晶だから他のふくらんで絞られた部分は中は空洞で、そこにチューナーとか基板とかが入っているから画面にはちゃんと絵が映る。ブラウン管はそれ単体だとデザイン的にはスタイリッシュに見えても絵は映らないからね。

 よくある持ち運びタイプの液晶モニターだと立てかけるとかしないと見られないのが、この「プラスマイナスゼロ」のブラウン管もどき液晶テレビは伸びた部分が支えになってどこにでも頃がしておけて、おまけにワイヤレス機能も内蔵されてるんで掴んで移して見てまた動かすってゆー、部屋の中でのアクティブなテレビライフに活用できそー。あと画廊とかの床で見せるメディアアート用のモニターとか。同じアート向け、って訳ではないけど使えそーなのか加湿器で、普通のメーカーだとどーしても既存のデザインから抜けられないのがこの「プラスマイナスゼロ」の加湿器だとお尻の悪い人用に作られたクッションにも似たドーナツ状になっててへこんだ部分から湿気が出るよーになっていて、スタイリッシュな部屋の隅においておいてもとりたてて生活臭を感じさせない。

 ほかにも懐中電灯にポータブルCDプレーヤーにポータブルMDプレーヤーにコンポーネントのDVDプレーヤーに電気毛布に電灯と、いろいろあったけどどれもデザインは秀逸。それもデザインの腕前を競うってゆーものではなく、コンセプトを受け売りするなら生活の中に開いた部分にぴったりと、プラスもマイナスもない状態でぴったりとハマり込むよーなデザインになっていて、主張せずさりとて埋もれもしないプロダクツとして生活の傍らで末永く使われる可能性がありそー。

 ただやっぱり値段の面で結構な額になっているのが気になるところで、これが例えばオーディオの「バング&オルフセン」のプレーヤーだったら15万が20万でもデザインが良いと言って支持して買うものだろーけど、そーしたブランドに当たる「プラスマイナスゼロ」ってゆー名前の背後にどーしてもタカラってゆー玩具メーカーの存在が見えてしまって、どちらかといえば楽しいものを子供でも買えるリーズナブルな価格で出すことに長け、世間でもそーしたイメージを抱いている会社が手がけた製品にしては、ちょっと高過ぎるんじゃないか、っていった短絡的な思考に陥ってしまう。

 仮にタカラってゆー名前がまるで見えないまま、「プラスマイナスゼロ」が「リビナヤマギワ」のショールームに「バング&オルフセン」とか「ナカミチ」とかいったデザインに優れた製品と、並んで置かれていたら値段に見合ったデザインだと、すんなり受け止めた可能性もあったりする。まあ経済面的にタカラが家電参入って騒いだところで世間の人のすべてが情報として認知しているとは限らないんで、雑誌なんかで記事や広告としてPRがなされそれを読んだ人が単純に優れたプロダクツだと思い買うとか、店頭で見てその価値をデザインと価格から判断するとかいった行動が出てくれば、案外にタカラとは関係なしに評判になったりするのかも。そのあたり、今後どーいったプロダクツが出てどーいったプロモーションがなされて、どんな具合にブランドイメージが形作られていくのかをじっくり見守りたいところ。ただのジーパン屋だった「ユニクロ」が、タナカノリユキさんの活躍で今やシンプルでスタイリッシュでリーズナブルなファッションのトップブランドになっているくらいだし。

 3カ月くらい前からちょぼちょぼと読んでいたアレックス・シェイカーの「ひかりの巫女」(佐々田雅子訳、アーティストハウス、1905円)をよーやくやっと読了。ライトノベルのシンプルでストレートな物語の内容と語り口に慣れきってしまった頭が、海外文学の長くて複雑な内容文体にになかなかついていけず時間がかかってしまったけど、読み終えた印象は帯にある「ジョージ・オーウェル、トマス・ウルフに匹敵する才能と激賞」って言葉に偽りはない秀作。うまいPRがブランドのイメージを決め持ち上げ一大ムーブメントまで起こしてしまうって状況を、そーしたムーブメントの仕掛け人たちが陰に裏側に策動する姿を通して描いてあって、すべてが仕掛けられている世の中で生きていることのむなしさ難しさ面白さが感じられて、読んでいていろいろ考えさせられる。

 妹が捨てられて狂気をはらんでしまった姿に、姉のアースラは半ば仇をとろーと妹を捨てた男が率いるトレンドを作り出す広告代理店みたいな会社へと潜り込んで男に近づくものの、なぜかそのまま居着いては会社の同僚たちといっしょにトレンド作りの仕事を始める。公園に寝泊まりしている野生児みたいな少女の荒々しい姿にインスパイアされて、反権力的反モラル的反トレンド的反伝統的なポストアイロニーって流行を作り出し、世間を大々的に動かし始めるものの、その中心に精神を痛めていた妹が引っ張り出されるよーになり、喧噪の中で同僚だった天才的なトレンドスポッターの心に歪みが出始め、アースラも自分のしているおとに疑問を持つよーになる。

 流行が作られる裏側にうごめいるさまざまな人間の、めぐらされているさまざまな思考がつまびらかにされ、今まさに動いている世界でにぎわっているもの、もてはやされているものの秘密なんかを想像してみたくなるし、そーして一所懸命作られたトレンドが来年には陳腐化してしまうだろーことから受ける虚無感も心に刺さる。トレンドを動かす側には走り続ける苦しみがあり、動かされる側には走らされ続ける苦しみがあって、どちらの立場にも立ちたくない、自分は自分として思うよーに生きるんだって決心したくなるけれど、そーした決心の裏側を巧妙に操作してこその一流トレンドスポッター。自主自立なんてトレンドを仕込みメディアを操作しマインドを作り上げては、自立する人間が買うべき品々、なんて方向へとトレンドを誘導しているかもしれない。恐ろしいなあ、けれども面白いなあ、人間って。


【9月2日】 いい男はやっぱり薔薇に埋もれてないとね。ってことで「LASTEXILE」はとっ捕まったアレックスに、何故か自動で巻き付き食い込む薔薇の蔓が見た目に淫靡で、アルウヴィス好きな幼女フェチとかクラウス好きのショタ(でもないか)とかソフィア好きの眼鏡&姉御ファンを満足させて来た番組に、よーやく大人の女性の鑑賞に堪えるシーンが出てきたと喜んで、真夜中のモニターへと鼻すり付けた人もきっと大勢いることだろー。そのすぐ後にマエストロ・デルフィーネの顔がアップになって、タカビーな姿に鏡を見るよーな嫌悪感を覚えて退く羽目になったんだろーけど。

 保険が効いてかエグザイルの発動だか何かに必要なキーワードがまだ足りず、目覚めたアルが威力を発揮するには来週を待たなくっちゃいけないけれど、それにはアレックスだけじゃなく、皇帝陛下とこソフィアさんの記憶にある言葉が必要になっているみたいで、とっ捕まったソフィアさんがやっぱり全裸で全身を薔薇の鎖に包まれて、身もだえしながらデルフィーネの接吻を受ける場面なんかを想像してしまって、真夜中なのに血中アドレナリン濃度が上がって眠れなくなってしまった。そんな場面があるのかな、あって欲しいな、なければ描いてもらえ、版権イラストでもパロディでも。ルシオラのギルドらしからぬ物腰にも秘密がありそーな来週に期待。しかしちゃんと最後まで描き切れるのかな。それよりそろそろ絵に支障とか出て来ないのかな。

 書き出し重要。なのは例えば夏目漱石の「坊ちゃん」の有名な書き出し「親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている」をその昔に学習ノートの付録として暗記したのが、今に「坊ちゃん」を好きな作品と思わせていたり、あるいは「国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国だった」って川端康成「雪国」の書き出しを、ことある毎に覚えさせられたことが今に至るまで川端を世紀の小説家として強く認知させていることが理由にあったりする。つまりは書き出しを強く印象づけることができれば、でもって永久に刷り込ませれることが出来ればその作品は名作となり傑作となって世紀を超えて語り継がれるのである。「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」なんてミレニアムすら超えそーだし。

 ってことから考えると、「俺の名前は猫殺しマギー。でも、猫は殺さない」なんて千木良悠子さんの「猫殺しマギー」(産業編集センター、1300円)の書き出しの強烈なインパクトはセンチュリー級でありもしかするとミレニアム級で、はや永遠の傑作が約束されたと言って果たして良いのかな、良いのかも。表題作はそんな猫を殺さない猫殺しマギーが女だか巨大なオムライスだかを殺しておかしているドクターを見ている様や、洗面器いっぱいのプリンをカラメルソースなしに食べるドクターをやっぱり見ている様なんかが、妄想猛烈な幻視的ビジョンで描かれていて読む人を困惑の坩堝へと引きずり込んで煮立たせとろけさせる。

 歪んだ世界がさらに錯綜していく様はある面で中原昌也さんにも重なるよーに感じたけれど、際限なく増殖していく饒舌が旨の中原さんよりは断片的で抽象的な感じが千木良さんにはあって、ストーリーを掴むってよりはその言葉が醸し出す空気を感じてそこに浸るってのがとりあえずは読む上で気持ちによさそー。いきなり意味探しとかやっても疲れるしそもそもきっと意味とか暗喩とかってものではなさそーだし。併録の「甘夏キンダガートン」も「アカシック・レコードに乗せられて」も場面が無節操に流転したり語り手が立場を入れ替えたりで読む人に心の入れどころを持たせないまま、めくるめく残酷で空虚な世界を案内するって感じがあって、短いながらも頭をかきまわされ身を掬われるよーな感じを受ける。J文学とかL文学とかカテゴライズ不能な不思議な小説。カバーをはずした硬い表紙の写真はJ系で活躍させられている「D」さんの傑作「キぐるみ」の人みたい。

 お台場で始まった「ギフトショー」を見物。雑貨が中心のイベントなんだけど雑貨関係に力を入れ始めた玩具メーカーが本格的にブースを構えたりするよーになっているんで、行くと新しかったり話題の品物が見られるんで早朝から目を覚ましてかけつける。まずはザッと舐めたタカラんぼブースは買収が決まった「デ・ジ・キャラットにょ」のグッズ一色、だったら面白かったんだけどそれはなく、「ミャウリンガル」を筆頭にいろいろなキャラクターを使ったり独自に立ち上げたグッズがいっぱいあって、こんなのも出てくるんだとワクワクさせられた。ブロッコリーはむしろ単独出店して、「ゲーマーズ」とかで撃ってる「デ・ジ・キャラット」絡みのステーショナリーとか見せれば仕入れて店頭で本当にほしがってる子供に届くよーな気がするんだけど。今だとどこに買いに行けばあるのかサッパリ分からないからね、「ゲーマーズ」を除いて。

 トミーの方ではボトルキャップなのに電池が入ってて人形が腰を振るタイプの玩具が登場していて面白そー。動きだけでも良いのにヘルメットとかいろいろな部分でパーツ交換も可能で、「ベアブリック」とかに飽きた人とかに新しいコレクションアイティムとして話題を呼びそー。それはそれとしてやっぱり個人的に今「ギフトショー」の目玉は1分の1「へぇボタン」。今「へぇ」と思った人が何人いるかは知らないけれど、結構な数の人が買って会議でつまらない演説をし始めた上司にいちいち「へぇ」って合いの手を入れて引っ込ませるとか、使い道はいろいろありそー。ボタンを押せばただ「へぇ」と音がなるだけの簡潔きわまりない仕組みと、20回まで連打できてその数が前面の表示装置に現れるってサービスが妙におかしくって、難しいゲームとかに飽きた人が生き抜きも兼ねて買ってそこらじゅうの話やものを「へぇ」と評価して歩いそー。ちょっと迷惑かも。

 ブロッコリーがタカラの傘下に入っるの入らないのと大問題になっているってーのに、東京から遠く離れて温泉饅頭を食べてた、かもしれない東浩紀さんが日記界へと降臨しては早速ファンと濃密な興隆をスタートさせてて立場とか、地位とか地理とかを超えてコミュニケーションを生むネットの特質なんぞを今更ながらにそこに見る。何でもモスコミュールとかゆー甘ったるいカクテルを愛飲する1号2号の東さん&佐藤友哉さんに秋波を送った人に当人から熱烈な反撃があった模様で、その延長から近く「モスコミューン」なる党派が立ち上がってはどこぞの酒場でモスコミュニスト共が決起を行うとか行わないとか。人の嗜好をとやかく言うほどの味覚は持ち合わせていないけど、数あるカクテルでもよりによってモスコミュールって当たりに引っかかりがないでもない上に、人がなにやら面白そーなことをしているとウォッチしてみたくなるのが”出没家”たる者の性分、なんで気持ちに余裕があったらモスコミュニストがインターナショナルしている横で、ひとり享楽のドンペリを愛するドンペリベラリストとして、シャンソンでも唄いおどけることにしよー。問題はドンペリを買う金がないことだけど。リベラルするのも大変です。


【9月1日】 聞き及ぶところによると「さよなら」(角川書店、1500円)が刊行中(かな、書店店頭ではまだ未確認)の森青花さんは、「BH85」(新潮社、1300円)の発売からしばらく経ってとてつもない出来事に直面されていたそーで、それはもー生きるか死ぬかってくらいにとてつもない出来事だったそーで、それが2作目の刊行をとてつもなく久々にさせてしまったとのこと。悩み多きなかで物事を考えるだけでも大変なのに言葉を紡いで物語として完成させてしまったのは何より凄いし素晴らしい。もう脱帽です。

 そーした出来事をふまえてなお、激しいばかりの「生」への執着ではなく半ば「死」に諦念を見せ、残される人たちの気持ちをケアするよーな内容の作品を仕立て上げて来るあたりに、経て得た何か大きなものがあるのかもしれないと想像なんかしてみたり。作品は清冽、背景は苛烈とゆーこの関係がどーやって生じたのか、いずれ機会があったらお聞きしてみたいところ。ネタとかノイズとかにされて本来の価値とは別の目線から作品を見られる可能性があるだけに悩ましいけれど、どんな形に作品に結実しているのか、って当たりは事情が事情だけにちょっと気になる。在阪メディアの動静とかに期待。

 すごいぞ特ダネだ大スクープだ西島大介さん。「エヴァ・エース」のエヴァンゲリオン・アンケートで「そして現在。広末的に代わり、先日のよみうりランドポスターの差し替えの一件で女としての株をさらに上げた小倉優子」って書いていたけど、9月1日発売の「東京スポーツ」がその件を何と1面で「スクープ 小倉優子ポスター回収」って感じの大見出しでもってドカンと伝えていて、書き出しも「人気アイドル・小倉優子をイメージキャラクターとして起用した、レジャーランド大手・よみうりランドの宣伝ポスターが『不適切な表現がある』ということで回収されていたことが本紙の取材で発覚した」ってなっていて、完全に自分たちの手柄にしてしまっている。

 人面魚を発見し最近でも河童の発見に尽力した、世界に冠たる超絶スクープの宝庫が自信満々書く以上は他のメディアには出ていなかったと見るのが妥当で、そんな超絶スクープ誌よりはるかに先にその事実を伝えていた西島さんは、日本新聞協会賞だってピューリッツァー賞だって当然のスクープ記者だったってことになる。おめでとう。それはそれとして直されたとゆー小倉優子さんのポスターの、前のと後のが「東スポ」には掲載されているんだけど、僕も「よみうりランド」に女子サッカーを見に行ってみかけた小倉優子さんが片膝抱えて座っているポスターなんか、コピーの淫靡さは直されていても今度はちょーど股間にかかっていた文字が下へと下がって、三角形の部分がモロに見える(もちろん水着だけど)よーになっていて、かえって「すごいな、コレ」って思えてしまう。どっちが欲しいって言われれば訂正後の方が100倍欲しい。西島さんはどっちが欲しいんだろう。ってかどっちも持っていたりするのかな。

 続編、って訳じゃかった成田良悟さんの「バッカーノ!1931 特急編」は、先に出た「バッカーノ!1931 鈍行編」のラストでシカゴからニューヨークへとやって来た列車から降りてくる人たちを迎えたフィーロやマウザーたちの前に待ち人が現れなかったことから始まる、新たな冒険なんかが描かれるんだろーと予想していたらこれが大外れ。むしろ「鈍行編」で描かれた状況を、別の角度別の人物の立場や目から描いたいわば”解決編”とも言える内容で、あの時にいったい何が起こっていてその間に誰がどーなっていたのかが、しっかりと分かるよーになっている。

 凹凸に割れたパーツを重ねるとそこにひとつの事件が完成系として浮かび上がる趣向が、見事に成功している上に事後譚的に描かれる”その後(直後)”の物語のセンスも良くってデビュー作「バッカーノ!」に負けない心地よさ(とちょっぴりの冷や汗)を覚えさせてくれる。これまた傑作。ライトノベルのパッケージじゃなくても存分に活躍できそーだけど、ニースとかシャーネとかエニスの絵が好きなんでやっぱりイラスト文庫で出て正解。血まみれの男の顔より「切符を見せろ」と言われたことに怯えまくって慌てて逃げ出すレイチェルちゃん、ちょっと可愛い。

 これは一例。ものを作ってる会社があって、まあ仮にメーカーだとしておいて、その会社がここのところ製品の販売がどんどんと落ち込んでいたとしよー。原因はいろいろあるけれど、ひとつには経営陣が打ち出す販売促進策がことごとく失敗に終わったことで、たとえば製品を買ってくれそうなお客さんを見つけたとしたら、そのお客さんのために半ば製品をカスタマイズしてしまった挙げ句に、それまで買ってくれていたお客さんが離れてしまい、なおかつ新しいお客さんもキャンペーン期間が終わればもう用済みとばかりに購入を取りやめてしまうとゆー悪循環を繰り返して、基礎的な市場を完膚無きまでにぶち壊してしまった。

 おまけに売るには営業が大事とばかりに人を集めたものの、製造部門から熟練工を引っこ抜いたものだから製品のクオリティーには当然のよーに問題が出る。にも関わらずそれは入ったばかりの期間工でカバーしろってことになり、畢竟クオリティーはさがって崩壊していた基礎票の、さらに土台にまで虫食いが及ぶことになった。これが普通のメーカーだったら、どーして販売数量が減ってしまったのかを精緻に分析し、手法に失敗があったとしたら策定した経営陣は責任を取るのがしかるべきなんだろーけれど、そこはそれ、そーした施策を打ち出さなかったらこの不景気なご時世、さらに落ち込んでいただろーと言い放つ経営トップが率いる会社だけに責任なんて取るはずもなく、失敗の原因を精査し是正するってゆー発想もまるでない。

 かくしてのっぴきならない所まで追い込まれたメーカーが、起死回生とばかりに打ち出してきたのが過去に学び未来を拓く、なんて殊勝な施策ではまったくない、工場の従業員を減らして製品のクオリティーを下げてまで、セールスに行く人を増やそうってプロジェクト。もっとも熟練工の現象でクオリティが大きく下がった製品を一体どーやって売るのか、悪化した経営を立て直せる成算はあるのかってのが喫緊の問題としてあって、過去の惨敗を惨敗と認めない経営陣が、その惨敗を棚に上げてどーして失敗したのかを検証すらせず、およそ数字的な裏付けの乏しい計画を作りました成功しますと言ったところで、信じられる従業員がいったいどれだけいるのかは相当に微妙だろー。あまつさえ儲からないのはお前たちがただ飯喰らいだからだ、なんて言われればもー立つ瀬はない。同情もできない。

 まああくまでも掲げたのは一例で、いくら世の中が荒んでも腐っても、これほどまでに脳天気なメーカーが現れるとは思えない。もし仮にこんなメーカーや経営者が実在したとしたら、経済や企業経営を担当している記者たちは、「良いんですか?」って聞いていることだろー。清廉潔白が旨のメディアだからこそ、成算の見えないプランを掲げて従業員を怯えさせる経営陣を放っておけるはずがなく、徹底して批判し退任すら求めそー。メディアが清廉潔白じゃなかったら、突っ込んだ企業から「お前がゆーなー」と突っ込み倒されるだろーけど、メディアはそれ時代が清廉潔白の代名詞なんで突っ込まれることなんでないのです、ないともさ。


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