縮刷版2003年3月下旬号


【3月31日】 丁々発止侃々諤々喧々囂々と賑やかな「GEISAI−3」の掲示板はそれとして、村上隆さんの名をますますもって高くしそーな事件(?)が勃発、今や世界を代表するサッカープレーヤーとなったパルマの中田英寿選手が、ウルグアイとの試合を終えて颯爽と帰国してったんだけどその時に持っていた鞄が何と「ルイ・ヴィトン」の村上隆さんデザインバージョンだったみたいで、スポーツ新聞あたりが早速チェックして報道してる。「ヴィトン」の熱心なファンには既にお馴染みだったヴィトンと村上さんのコラボ展開が、中田選手って広く一般に知名度を持った人のパフォーマンスを通して、スポーツ新聞ってゆーマジョリティ目茶高いメディアを介して世事に疎いお兄さんからおじさんからおばさんにまで伝わったってことで、「あの中田選手が持っていた」とゆーバッグのデザイナー、ムラカミとは誰なんだ? ってな具合に万人からの注目を集めそー。

 そーした中でかつて「クリスティーズ」でフィギュアが数千万円で落札されてアニメーションに“造詣”が深い世界的なアーティスト、って肩書きまでもがクローズアップされることは確実で、結果情報の上向きスパイラルなインフレーションが起こって村上さんをそれこそ熊さん(世間的には篠原勝之さんの方がゲージツ家として通っているからね)みたくメディアの寵児へと一気に持ち上げ引っ張り上げ、アニメもフィギュアもアートもドラえもんも村上さんが興味をお抱きになってお手を触れられたものはすべて、ムラカミの名のもとに見られ愛でられることになりそー。こんなことなら94、5年頃にまだ谷中あたりでバルーンの大きなのを上げてた頃の村上さんに取材でもしつつ、お知り合いになっておけば良かったなあ。同じ「TINAMIX」で連載やっても向こうは1回で卒業だったし。まあ今となっては後の祭りの僻み節、なんでここは研鑽を積んで「GEISAI−4」あたりで作品を並べて、そのお目を汚しても構わないんで目に入れて頂けるくらいに頑張ろう。100万で買って燃やすか、「サック・ジギャンティック」を刻んで会場で。

 見終わって「ストラトス・フォー」のラストはまさしくキャラクターたちの会話のとーりに「インベーダーとの戦い」が半分くらい話のメインになっていて、その人の精神をまんま曲げてしまうパペットマスター的なエイリアンの知性体ぶりといー、高速で突っ込む大質量の隕石の軌道を自在に変えてしまえるエイリアンのパワーといー、リアルな世界の延長線上には今のところあまり見あたらないシーンを見せてくれて、インベーダーものエイリアンもの侵略もの宇宙人ものが好きな人の目を楽しませてくれた。加えて先週に引き続いて無重力を舞台にしたスカート姿での銃撃戦が下からのカメラアングルを存分に見せてくれて、そーいった方面に気のある者のわくわく感をたっぷりと満たしてくれたことも評価に値する。

 気持ち的にはラストのあの窮地をどーやってしのいだのかを、前にグアム島に不時着した時みたいな感じに描いて欲しかったけど(よりシビアだった訳だし)、そーしたことも含めてサラリと流しつつエンディングの部分で「L/R」的に見せてくれたから、まあ良しとしておこー。これで終わりが妥当だろーけどゴジラだって1匹じゃなかった空想科学の物語で、危機がたった1つで終わってしまうのも妙な話だし、何より今回は男子の気持ちは満たしても女子の興味は充分には惹いていないのが辛いところ。なので第二、第三の隕石が地球を狙っている話の中で今度は美少年ばかりの衛星が侵略されて、薔薇の花散る背景で菊の花を朱に染める耽美なシーンもふんだんに入れた「ストラトス・フォー」をお願いし……たくないぞ僕は。

あびゅうきょさんに漫画のひとつでも描いてもらえば良かったじゃん、その昔に「プチ・アップルパイ」とかで一緒に仕事をしたこともある関係なんだから、なんてことを貞本義行さん描くところのセーラー服にアサルトライフルな美少女の表紙を見て思った「新現実 VOL.2」だけど、「エヴァンゲリオン」やら「.hack」で世間的な認知のますます上がっている貞本さんと、知る人ぞ知るあびゅうきょさんとでは店頭に並んだ時に惹く人目の数も段違いだろーから仕方がないか。けど貞本さんってこーゆー感じの絵だったんだろーか、原案からアニメキャラへと変換されたものを貞本キャラって認識してるんでちょっと不思議な感じがするなー。

 それにしても東浩紀さんの責任編集分をすっ飛ばしたってことで、その変わりになり得るだけの今のこの喫緊ともいえる危険で気色悪い状況に対するオブジェクションが満載になっているのかと思っていたんだけど、目についた文は巻末に掲載された今回フル責任編集を努めている大塚英志さんの「『反戦』をことばにするための根拠」くらいで後は巻頭の特集「天皇制への立場」にしても、イラク戦争とゆーよりは沸々と沸き立って来ている”ナショナリズム”っぽい風潮への見解だったりする訳で、今この状況に対してストーレートに何かを言ってくれている訳じゃなく読んでもスッとは心に刺さらない。これを今、やらなきゃいけないって必然性の見え無さはライトノベルの特集ともどっこいで、一方が残り一方が落ちた理由は想像すれば編集者のうちでイニシアティブのある方の意見が通り一方が通らなかったとゆーことになる、よーに思える。

 客観的に言えば表紙に宮台真司さんの名前があって大塚英志さんの名前があって福田和也さんの名前まである雑誌の方が、原田宇陀児さん元長柾木さんの名前がる雑誌に比べて論壇誌批評誌を買ってくれそーな世代に届きやすいんだろーけれど、そーした商売っ気はそれとして、編集費用の半分を持ち出しているらしー人の意見がより重視されるのが世の常ってやつで、さらに戦争とは関係のない上野俊哉さんと大塚さんの「アプリケーション化する思考」ってタイトルの対談や、小説家の藤林靖晃さんへの大塚さんによるインタビューが掲載されていた一方で、佐藤友哉さん佐藤心さんの両佐藤による連載は別として東さん絡みに見えるのがローレンス・レッシグの講演の訳出くらいでも、仕方がないねーと思い手に取り眺めるのが大人って奴なのかもしれない。まあ同じ頃に創刊の福田和也さん坪内祐三さん柳美里さんリリー・フランキーさんによる「en−taxi」がまるで戦争ともナショナリズムとも無縁の文芸&文化&コラム誌だったことに比べれば、まだ時代と関わって行こうって意志は見てとれるから、その意気とそして貞本さんの表紙を買って、もって「新現実 VOL.2」発行の意義を讃えよう。3号はちゃんと出るのかな。その時にイラク戦争は終わっているのかな。


【3月30日】 買い漏らしていた東城和実さんの「いちばんっ!!」(幻冬舎コミックス)の1巻を地の果ての大泉学園で発見して購入してこれで、熱血な神崎宏武が冷血な安曇隆之といっしょにバドミントンを始めた理由が判明する、予想どおりだったけど。構造としては天才な流川に素人の桜木がつっかかってバスケットボールを始めた「スラムダンク」に何となく重なる感じで、スポーツ物にはよくあるパターンで別にそんなには気にならず、むしろこれまで今まで見た記憶のなかったバドミントンがテーマになってるって所で、どーゆースポーツなのかが分かって勉強になった。

 構造で言うなら変人の極みみたいな人物が出てきてそれに猪突猛進とゆーか妄信な感じの女子が出てくる構造は名作「黒いちゅーりっぷ」を始めとする東城さんに特徴のキャラクター配置だったりするんで、頭抱えたくなるよーなキャラクターに胃をグリグリされたい人には読んでそれなりに毒になるかも。バドミントンの描写については、個人的に大学の体育の授業でバドミントンってやった経験があって、気軽に羽根をつきあっているよーに見えてあれでなかなかに前後左右の動きが激しくて、とてつもなく憑かれるスポーツだって知ってはいたから素人の神崎をつきまとわれて迷惑な安曇が自在に操りヘトヘトに疲れさせる描写なんか実感として分かって面白い。2巻でそれもそれぞれに短編が入ってエピソードとして1山越えた当たりで終わってしまっているのが残念だけど、強敵倒してインフレしていくスポーツ物のパターンにはまるのも東城さんらしくないんでこの辺りが打倒か。美女でナイスバディで1巻ではパンツまで見せてる監督にはもっと活躍して欲しかったなあ。名前すら付けられないで引退だもんなあ。

 読んだことがないからスポーツ物のパターンにどれだけハマっているのかは知らないけれど、美少年キャラのテンコ盛りに婦女子が大騒ぎしてるってゆー噂だけは聞いてしっていた「テニプリ」こと「テニスの王子様」のイベントが、テニスの聖地ともいえる「有明コロシアム」でもって開催されるってゆーんで取材に行く。すでにして新木場の駅から若い女性でごった替えしていて相当な人気だなあ、と思っていたら国際展示場の駅から分かれて向こうの東京ビッグサイトへと歩いていく人が大半で、なあんだ同人誌即売会のお客さんかと理解してだったらこっちは人気ないのかなあ、と人の少ない列にくっついて有明コロシアムへと向かって、受付して中に入って仰天、あの巨大なコロシアムの上から下まにビッシリとジャージ姿の、ってのは嘘だけど白に青のジャージを着た人も含めた人波で埋まってて、改めてその人気ぶりを確認する。

   来ている人のおよそ9割8分7厘(推定)が女子ってのも凄いところで、右を向いても左を向いても上を向いても若い女性ばっかりとゆー状況の中、沸き上がる嬌声と香り立つ大衆に知らず体を浸されイイ気持ちになってくる。女子校の先生ってこーゆー環境でいつも仕事をしているんだなー、と思うと今からでも仕事を変えたくなってくる。免許は既にあるんであとは職場を探すだけななけど、きっとハネられるだろーなー、趣味は読書で読んでる雑誌は「電撃萌王」とかって履歴書に書くと(書くなよ)。やがて登場してきたキャラクターの画像とその声を担当している声優の紹介の時に、起こる嬌声から誰が人気なのかが確かめられたのも現場を踏んだ役得っちゃー役得だけど、作品を見てないんで既にしれ誰が誰だか分からなくなってる。主役のリョーマが映って嬌声を上げるその流れで、担当している女性の声優にも喚声を送るのはキャラも声優も一体と思って応援しているのかそれともキャラはキャラで声優さんは声優さんとして頭の中できり明けて応援しているか聞いてみたいところ。「サクラ大戦」だとその辺り割に一体化してるからなー。小野坂昌也さんは相変わらず毒吐いてました。キャラなのか地なのか。

 ひとしりき若いエキスを目から吸い込んだ後、転戦してパシフィコ横浜で開催されたゲージツ市場こと「GEISAI−3」を見物に行く。感想。鉄拳おもしろかった。以上。と言ってしまうと何もほかに見るものがなかったよーに聞こえるけど、目に映る作品はそれこそ山のよーにあってそれぞれに作っている人のタマシイなり情熱が籠もっているだろーことは理解できても、それが財布の紐をゆるませて購入に走らせるだけのフックとしてこっちに届かず、いきおい印象からも漏れてしまった次第。パフォーマンス的なことをしている人の数はなるほとちょっぴり多いし、純アート的なアプローチを見せる作品もあるにはあったけど、ポストカードにパネルに小物がズラリとなんらんでそれをお小遣い的な範疇で買っていたりする構図から受ける印象は、ますます「デザインフェスタ」と見分けがつかなくなっている感じ。

審査員のおなーりー、って感じ?  違うとすれば主催者が世界に名高くなりつつある村上隆さんを筆頭に、権威ある人たちが作品を選んで表彰した上でどこかに引っ張り上げてくれる、かもしれないルートが示されている点だけどそれが世間一般的にどこまで知名度を上げてくれるかってゆーと微妙なところで、むしろ村上さんの「ルイ・ヴィトンやってますガレージキットにも首突っ込んでますアニメ取り込んでますフランスで人気です」的な八面六臂のプロフィールの中に、「若手芸術人発掘してます」とゆー要素とそて絡み取られ吸い付けられたまんま引っ張られ続けることになりそーな気もするから悩ましいとゆーか難しいとゆーか。メディアもそーいった村上さんを彩る要素とした見ないから問題なんだろーけれど、出来ればやってる人たちに「殺・村上」的な血気をちょっとだけでものぞかせて欲しいところ。フラワーが描かれた「ルイ・ヴィトン」のバッグを燃やすとか切り刻むとかしたら誉めて差し上げます。弁償はできません。そんな金ねえ。

 ど派手な法被に身を固めて審査員として走り回る東浩紀さんとか横目で追いつつ奥まった場所でパフォーマンスをしていた「東京モダンアート娘」に近寄ったけど何か音声にトラブルがあったよーでミスター若松、じゃなかった司会の人が詫びの言葉とか言っていてそのまま散会。まあ前回にも見たから良いだけど春とはいえまだ寒いなかをミニスカートだったりおへそを出した格好でパフォーマンスする根性は買いたい。本業(そぞれが独立したアーティストだったりするとか、でも美人揃い)での活躍も見たいなー。東京タワーの下で開催された時から出ている海洋堂のブースでその時に買った「鬼娘」とは対になる「虎娘」を購入。今回は宮脇修専務もブースに出張ってて、しょぼかった前の回にくらべてブースとか並んでいるものとか充実してるねえ、って話を回りの人としていたのが聞こえて来たけど、人の数はそーでも内容としてどーか、ってのは別だからなあ。その辺りは審査に当たった東さんの感想とかも聞きたいところ、とか思いつつも審査の始まる時間までは体力が持たず鉄拳を見てから退散する。これが4回目くらいになる鉄拳は新ネタがひとつもなし。本売れてるからって楽してんじゃねえ。


【3月29日】 「ビーッグォー、セーンシューラク」、なんてセリフは流石にロジャーも吐かなかったけど、中日に妙に演劇的な場面があってもしかしたら何かバーチャルでメタっぽい世界の物語にしてしまうのかなー、と思わせておいてスパッと立ち直らせてやっぱり単なるリアルな閉鎖空間なんだと安心させて、最後の最後にやっぱりそー来るかってな多層的な世界の物語へと流し込んで、あのパラダイムシティーもロジャーもビッグオーも「ショータイム」の舞台であり住人であり大道具に過ぎなかったことを見せてくれた。

 メタ的とか演劇的とかビューティフルドリーマー的とか神林長平的とかトゥルーマンショー的な設定は個人的には決して嫌いじゃないんで、その構造から浮かび上がる今いる世界への不安感と、それでも生きていくことへの前向きな気持ちを確認されてくれたって意味で「THE ビッグオー」はセカンドシーズンを含めて近年まれに見る佳作だって言えるけど、提示されるビジョンに使われている用語や固有名詞から世界の成り立ちや伝えよーとしているメッセージをくみ取らせようってゆー感じが作っている側にあって、そーした謎解きが昔っから好きじゃない、与えられるものに安住したい怠け者には、見ていて常に頭を働かせていなくっちゃいけない番組、先週までの内容を覚えておかなくっちゃスンナリと理解できない番組はちょっと辛かった。時間がたっぷりとあったら近く出るDVDボックスを最初から見返してチェックして行きたいところだけど時間もないし金もない。手っ取り早く理解に役立つ謎解き本とか出してくれないかなー、小中千昭さんの解説入りシナリオ集ならなお良しなんだけど。

 まあ文化が多様化していくなかでいろいろな表現が出てくるってのは普通のことで、技法にしても物語にしても高度になって複雑になっていくもので、それがアニメのジャンルで起こることもやっぱり当然のことで、アニメの進化発展のために歓迎すべきことではあるんだけど、基本線のストーリーとアニメならではの実写にはない表現でもってもっともーっと喜ばせて欲しいなー、なんてことを改めて思ってしまったのは、練馬区の大泉にある東映アニメーションに新しくオープンした「東映アニメーションギャラリー」を見物したから。”東洋のディズニー”を目指すべく作られた東映動画がこれまでに作り出してきた数々のアニメに関する資料を、倉庫に眠らしておくのは惜しいとゆーことで作られたギャラリーなんだけど、どこぞのたっぷりと金がかけられた遊園地みたいなお城みたいな美術館に比べるべくもない展示スペースであるにも関わらず、置いてある資料の価値はおそらくは三鷹にある美術館のすべてを足してもまるで追いつかないんじゃんかろーか。

 こけら落としってことで最初の展示に選ばれたのは、東映動画が最初に作った長編アニメ「白蛇伝」から8作目「ガリバーの宇宙旅行」までのアニメの資料。まずは「白蛇伝」から見ると当時のポスターは展示してあるは本編で使われたセル画は並べてあるわといった具合で、噂に聞き伝説に聞いたものが目の前にポンと置いてあって身がギュッと引き締まる。ライブアクションって実際の動きを撮影してフィルムにしたものを元に原画を起こす作業を記録するスチールも展示してあって、中にとてつもなく若い頃の佐久間良子さんが映っているのも貴重とゆーか何とゆーか。未だ劇映画に出演していなかった佐久間さんにとってカメラの前で演技した最初の作品になるそーで、ほかに松島トモ子さんも出演しているとか。例え絵にしてアニメーターがそれっぽい動きに変えてしまうものでも、ベースとなる演技の部分でプロフェッショナルと起用しよーとした当たりに、アニメと言えども妥協せずむしろアニメだからこそ徹底して良いものにしたいってゆー、作り手の意気込みが何とはなしに伝わってくる。

 演技をダイレクトに取り込めるモーションキャプチャーが技術的に可能になった今なら、舞台で活躍する俳優を起用してそれを取り込みベースにして、コンピューター上で加工すればディズニーもかくやってな動きのアニメになりそーなものだけど、お金もかかるし顔の見えない演技をしたがる俳優もいないだろーから難しい。まあ遠からず動きそのものが分析されれデータベース化されるよーになれば(半ばなってる)キャプチャーすら不要になってしまうから、アニメはアニメとして目に心地よかったり凄まじかったりする動きをアニメーターが脳内で生みだしてくれればそれで良いって言えるのかも。ただその時でも往事にライブアクションを囲んでスケッチまでして動きを学んだアニメーターたちの、熱意心情をくみ取って欲しいもの。「東映アニメーションギャラリー」はだから、アニメファンよりもむしろアニメを志すクリエーターなりその予備軍に見てもらいたいものです。ってゆーか見ろ。

 ライブアクションに関しては「安寿と厨子王丸」の時にもやられた見たいで、スチールにはちゃんと鎌倉だか室町だか戦国だかな衣装を着てそれっぽい舞台の上で演じる俳優さんたちが映ってる。メンバーはあの山田五十鈴さんに佐久間良子さんに東野英治郎さんに平幹二郎さん。潮建児さんもいたり子役だった頃の風間杜夫さんも本名でライブアクションに出演していたとか。でも全然今の風間さんっぽくないぞ。驚きはそれだけじゃない。長編第3作となった「西遊記」は、まだアニメを作り始める前の手塚治虫さんがスタッフとして起用されているんだけど、ギャラリーにはその手塚御大が書いた絵コンテが展示されていて、ひとこまひとこまを漫画の連続するコマ割りっぽく書いたコンテが読める。

 ただストーリーにはなっていて、絵としての表現も多彩ではあるけれど、こと動きがあってカメラワークもあるアニメとなると手塚さんの絵コンテでは至っていない部分もあったよーで、並べて展示してあるアニメーターによるカメラワークとか意識されてる絵コンテと比べると、アニメ的と言われている手塚さんの漫画であっても本質は漫画なんだってことが伺える。ちょっと貴重。それと悟空や三蔵といったキャラクターの原案が手塚さんの直筆でもって展示されていて、まさに手塚って感じのペンタッチが間近で拝める。とっても貴重。いったい幾らするんだろー。

 それだけならまだいいが(byトーマス兄弟)。「アラビアンナイト・シンドバッドの冒険」に至っては手塚さんの書いた直筆絵コンテがガラスケースの中に鎮座でもなく普通におかれていて、これを持って帰って「まんだらけ」に売ればいったい幾らになるんだろーかと頭の中でスロットマシンが回りルーレットが回り宝くじのアーチェリーの的がぐるぐる回る。ってゆーかこれは国家的な財産だろー、今の今まで倉庫に眠っていたってゆーことがむしろ信じられず、こーやってギャラリーが作られ展示されたってことに心からの賛辞を送りたくなる。掘ればまだまだ眠っているのかなー、宮崎監督が当時手がけた原画とかアジビラとか(アジビラ書いたかは知らないけれど)。

 手塚さんの絵はあと「シンドバッド」だかに出てくる虎の原案があるけれど、いかにも手塚って感じの動物は結局はアニメでは大きく変えられていたのが気になった。手塚漫画のアニメ的ではあってもアニメにすると何故か手塚っぽくならないことが当時からネックになったのかな。ちなみにパネルによると「西遊記」でアニメ制作に関わったことと、制作スタッフとの考え方の違いが生まれラストも思っていたものと違ったことが、手塚さんに虫プロを作らせるきっかけにもなったとか。巡り来る40余年後の今春、ギャラリーの設立と期を同じくして手塚アニメの原点が復活するのも時代の因縁か。「白蛇伝」にかけたスタッフの情熱の、これもひとつの結実した姿ってことで。元を辿ればディズニーなんだけど。それともやっぱり絵巻物?

 ともあれ凄まじいばかりの宝の山を間近に見られる「東映アニメーションギャラリー」の晴れのオープニングだってゆーのに、来ていたメディアはNHKとかごくごく少数で、あとはスタジオのスタッフとどれみとはづきとデジモンの何とかモンとそして東映動画と言えば看板な「長靴をはいた猫」のペロくらい。おまけにそのペロとどれみがTETSU&トモの「なんでだろー」のフリをして遊んでたりする姿も見られたのに(中の人も大変だな)(どれみに中なんてない)、「千と千尋の神隠し」がアカデミー賞を獲った時にはあれほど騒いだ 一般紙もスポーツ新聞も民放も、アニメーション専門誌すらもほとんど(全く?)いなかったのは淋しいとゆーか悲しいとゆーか。10日売りのアニメ誌のほとんどが校了間際で忙しかったんだろーとは思うけど、機会があれば是非に大々的に紹介して頂きたいものです。

 「アニメって本当に良いものですねー」、って気分にさせられて記憶して放映されたアニメを見て「アニメってとてつもなく素晴らしいものですねー」、って気分にさせられたのは「クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶアッパレ! 戦国大合戦」の劇場版を見たから。戦国時代にスリップしてしまったしんちゃんとひろしとみさえが当時の人たちを助けて大活躍する、って話ではあるんだけどそこに姫と家臣との許されない恋とか、武士の心構えとか、当時の戦の仕方とか移ろう時代の空しさとそれでも今を生きる大切さとか、今は大都会でもかつては自然に溢れていた日本への憧憬とか、さまざまなテーマなりエピソードを巧みに織り込んで、物語を見ている人に素直にストレートに感じさせてくれて、上手いなあって感心し素晴らしいなあって感動する。エンディングの”事件”には泣けて仕方がなかったけど、歴史不変の法則を考えに入れると仕方がないことなのかも。失う哀しみを伝えられるって意味も果たしているし。なるほどこれが「文化庁メディア芸術祭」でアニメ部門の賞を獲ったのも納得できる。アニメは死にません。アニメは宮さんだけでもありません。


【3月28日】 春休み、なんだなあと妙に実感してしまった午前の秋葉原「ゲーマーズ」は平日ではあんまり見かけない、中学生とも小学生とも見てとれる若い少年に少女が来店しては2階でDVDを手に取り4階では「デ・ジ・キャラット」とか「ギャラクシーエンジェル」のグッズを眺めては数百円とかって大人買いにはほど遠い金額の商品を買っていたりして、効率はなるほど悪いかもしれないけれどこーした細かい商売でも積み上げれば莫大な金額へと達する「ハローキティ」的な商材へと、切り替わる狭間にちょうど来ているのかなー、なんてことを実感する。

 カードゲームとか買って交換している中学生男子グループとかがいたと思えば、ガラスケースにはいったポイントでもらえるグッズなんかを物欲しそーに見ている小学生女子2人連れとかも見かけたりして、割に大きなお友達の多かったりする趣都・秋葉原の店にあってちょっとばかり層が違っているよーな気もして、その意味でも贔屓目じゃなくって「ゲーマーズ」の持っている可能性を感じたりする。それをうまく発展させられるか、慌てて広げすぎて躓くかが微妙なところで、アニメ化を見越して渋谷に店を出したのは良いけれど、奥まってハイソな感じがする「Bunkamura」の側じゃーちょっと客足を引っ張れなかったみたい。小学生女子が溜まってる「109」の付近とかだったらどーだったかなー、ちょっと筋が違うかなー。ともあれ適度に知られているっぽいキャラになって来ているだけに、残り10日に迫った「デ・ジ・キャラットにょ」の初放映への反応がちょっと楽しみ。打倒黒パンツ。でもあっちはあっちで面白いんだよなー。

 早売りで「ヤングキングアワーズ」2003年5月号、本編にまるで出てないバッシュが表紙でお久しぶりって感じ、今いったいどーゆー状況になってたんだったっけ。「ヘルシング」は「最後の大隊」に攻められているのが英国だけじゃないことが明らかに、ってゆーかとんでもないことになってんじゃん、どーするアーカード。「ジオブリーダーズ」は田波さんが田波さんが田波さんが。まや覚醒の経緯も明かされます。「コミックマスターJ」は「ブックオフ」問題とそれからマンガ喫茶的なレンタル問題への言及、っても経緯の紹介めかして明解な主張を行ってなくって「どっちやねん」と悩む。Jの言う「漫画家が漫画を守らなくて誰が守る」ってセリフは聞こえは良いけどどう守るかまでは教えてくれないからね。「エクセルサーガ」が載ってねえ。

 ちょろりと覗いた金券ショップに出ていたチケットの価格が定価の倍なのは良いんだけどペアでしか売ってないのが友達も知人するらも少ない身には辛いところ。どーしてペアでしか売らないんだろ。そんなに人は連れだってスポーツを見に行きたいのか。見に行きたいんだろーなー。仕方なくテレビで観戦したサッカー「日本代表vsウルグアイ代表」は中盤のプレスを省略して日本代表にしたい放題にさせていた感じでウルグアイがたびたびゴール前で切れ込まれ攻め込まれるピンチに遭遇していたけれど、それで決まることはなく逆にカウンター気味に送られたボールがサイドから中に入ったところをマンチェスター・ユナイテッドのフォルランがドンピシャで決めてウルグアイが先取。すぐさま鈴木隆之選手が吶喊して倒されてもらったPKを中村俊輔選手がきめて同点に追いついて、精神的な強さを見せてくれたけどまあ、流れの中からの点じゃなかった所に「決定力不足」って散々っぱら言われたセリフが蘇る。

 それでも後半に、フォワードではないけど稲本潤一選手がミドルを叩き込んで同点で試合を終えたのは救いで、1列目を囮にして2列目3列目が点を取る「トルシェイズム」が今なお息づいていることを見てニンマリとするトルシェビキでありました。逆に試合で切れているよーに見えた中村選手の姿に、何で選ばなかったんだろーとも思ったけれど、割に自由にさせてもらえったってこともあっただろーし、展開の早く当たりも厳しい「セリエA」で鍛えられたことで、素早い判断でパスを出すよーになったり寄せられてもとられずしっかりとパスをつなげるよーになった可能性もあるから判断は保留。ただ厳しい環境でこそ才能って磨かれるんだなーってことだけは強く実感する。

 可哀想だったのが川口能活先取。試合に出ていない選手は使わないと明言したのに何故かジーコ監督は川口選手を起用したんだけど、案の定ってゆーか相手コーナーキックをすっぽ抜かして押し込まれてしまって今日1番の戦犯に。ジーコ監督の言行不一致ぶりに首を傾げたくなったけど、あるいは本来は高い能力を持ちながら、頑固なのか間抜けだからなのかプレミアですらない1部リーグのポーツマスにこだわった挙げ句に控えキーパーの座に甘んじ続けている川口に、今の実力を思い知らせて移籍なき帰国を促そーとした”ショック療法”だったのかもしれない。1点目のフォルランのヘッドにもまるで反応できてなかったし、やっぱり川口選手はどっかで試合に出た方が良さそー。ジュビロ磐田とか欲しがりそーなんだけど。


【3月27日】 オサレとごくごく一部に話題の「L/R Licensed by Royal」が期末のフジテレビジョンで名物になりつつある2話連続放送でもって最終回を迎えたんで、録画して朝起きてみたら今まで以上にオサレで目がしょぼしょぼになる。見ている視聴者には一目瞭然なのに当の役者たちは気づいていないか木津廷内ふりをして話を進めるテクニック「志村そこ」が前の週から引き続き使われていたことに加えて、塔に捉えられたお姫様を救い出して野原に逃がしてあげたり、悲劇と一瞬思わせておいてエンドロールでちゃっかりとフォローしてみせたりと、鯔背で小粋なテイストをこれでもかってゆーくらいにぶち込んで、見ている人の気持ちを気恥ずかしさもちょっぴり混じった安心感に浸らせてくれる。

 初回で使った割にはその後とんと出てお亡かった「ロウ・リッケンバッカーは変装の名人」って設定が最後の最後でちゃんと使われていたりする辺りに、各話完結ながらも全話で1つの物語を紡ぎ上げよーとする構成者のタクラミに割に感心。途中放映分では確か4話目くらいに出てきた名人級のスナイパーが再登場しては怪しげにふるまいながらも最後にアッと言わせる役回りを努めたりしてて、全話通してみて分かる仕掛けってのが他にも結構ありそーで、録画したテープを掘り起こして見返したくなったけど、既にしてどこにいったか分からないのが悲しいやら悩ましいやら。こんな時にサムネイルから探せるハードディスクレコーダーが羨ましい。DVDを買え? うーん未放映分もあるらしーんで欲しい気もするけどなあ、「さよならジュピター」の特別版買うのをやめて「L/R」に回すかなあ。

 宇宙からもたらされたテクノロジーが親切のフリをして人間に災厄をもたらす展開が描かれていた友野詳さんの「ハートレス・シティ」(朝日ソノラマ、514円)と設定でシンクロするところがあるなーと思った佐々原史緒さんの「バトル・オブ・CA 星を越えていこうよ」(ファミ通文庫、640円)はこれまた宇宙からもたらされた技術が人類を宇宙へと進出させたものの反面で宇宙からの進入も招いて、人類をどちらかといえば劣等民族的な状況になってしまった時代が舞台になっている。主人公のコンラッド・ティエンは祖母のホテルを継ぎたい希望を奪われたことに反発して星を飛び出し、昔知り合った老人が建造に関わった人類が初めて自力で作った豪華宇宙船の唯一の男性キャビン・アテンダントになる。

 けれども人類がそーいった自前の船を持つことに反発する勢力があったりしたものだから、豪華宇宙船に乗り組むスタッフも乗り込む乗客も増えず、さらにはテロリストの毒牙もじわじわと食い込んできてコンラッドたちをピンチに陥れる。ところがそこは危険を承知で乗り込んで来た強者ばかりのCAたち(除くコンラッド)、元傭兵に士官学校中退に火を噴くウサギに天使族といった持ち前の才能やら能力を発揮して、客船を守るために大活躍する。設定から浮かぶ美少女ばかりの中に男性1人のハーレムノベルなんかではく、少年の成長に人類の躍進なんかが重なった壮大にして遠大な物語になりそー。この先期待しています。

 ゲームソフトのコナミを資本的には親会社に持って資産の有効活用をやっていこうと発表したのがえっと3年くらい前だったっけ、以来強力な後ろ盾に安心感もあってか着々を新企画を打ち出して、たちまちのうちに業界でも屈指の人気会社へと成長を遂げたタカラが何故か今度はゲームソフトのアトラスを資本的に子会社にするって発表をして、奇妙なサンドイッチ状態に一体何が目的なんだろーと頭をひねる。なるほど「プリント倶楽部」の本家としてアミューズメント関連に底力を有する一方で「真・女神転生」ほかコンシューマー向けソフトで熱烈なファン層を持つアトラスとお近づきになることで、以前の傷を精算した上で再びAM関連を強化したり、「闘神伝」で一世を風靡した夢よ今一度と思っているだろーゲームソフト事業をテコ入れできると思う理由は分かる。でもそれってコナミとは出来ないことなんだろーか、なんて思えるだけに上と下、サンドイッチのパン状態になっているゲーム会社とどー付き合っていくのかが気になる。

 思うにコナミはとりあえずはタカラの株式を取得したけど、経営に関しては口をはさむことはなくゲームソフトの開発に関しても向こうの下請けになるつもりはなくって、資本提携以上に業務面での関係を強く深くしてく貪欲さがあんまりないよーに見える。玩具の強化なんかもしていたりするし、部門として重複しても効率化じゃなく切磋琢磨の方向からお互いの企業価値を高めよう、って意識が根っこにはあって、親会社然とするより自主的なスタンスに任せる道を選んでいるよーにも捉えられる。

 対してタカラはアトラスを今は30%でも将来は持ち分を増やして傘下に深く入れつつ経営面でも新社長を送り込んで統括させ、業務面でもゲームソフトを作り出すスタジオとして使いたい考えがあるみたい。ってか資本業務提携っていったらそれが全然フツーのことだったりする訳で、翻ってむしろコナミのグループ企業統治の仕方にどーゆー意識が流れているんだろーか、ってな興味が浮かんで来る。あるいは自活できるよーになり拡大路線も堅調な中にコナミとの関係の改訂も視野に入っているのかな。分からないけどどーゆー感じに上とのコラボと下とのコラボが進んだり離れたりしていくのかを、しばらくは注目して見ていこー。


【3月26日】 届いた「SFマガジン」のエトセトラ欄に春のイベント情報、っても毎年恒例と毎月恒例ばかりで果たしてどこまで新しい人にアピールできてるんだろーか、ってなお節介も浮かんでしまう。「○○先生ファンクラブ発足」とかって感じに初々しいSFファンが1から集まって若々しい会話に花を咲かせる、なんてことはもう起こらないんだろーか。そんな中に誹らぬ顔で混じって若いエキスを吸い尽くしてやろーなんてよからぬことを企んでいるおじさん世代にはなかなかに淋しく厳しい時代だことよ。

 それでも「SFファン」よりは若そーな世代が集まっているよー気がする(気だけかも)「ライトノベルフェスティバル」ってのが去年に引き続いて開催されるとかで、ライトノベルなファンに割りと混じっていると妄想している純朴でお下げ髪の委員長風眼鏡美少女(SFファンにも委員長風眼鏡はいるけど少女じゃなかったりするからなあ)に巡り会い、会話に花を咲かせてやがてめくるめく青山の夜なんて可能性を思い浮かべたけれど、去年のケースを考えると割に筋金の入った鉄板ライトノベルファンが大勢集まっていた感じがあって不心得者の混じる隙間はなかったよーなんで、行くなら邪な考えは捨てて真面目にライトノベルの現在と未来を考えることにしておいた方がよさそー。

 ともあれ4月20日の開幕まで1カ月を切っていたりする訳で、だったらそろそろ申し込んでおこーかな、とか思ってだったらどんな人が今回はゲストで来るのかな、と確認して目をこする。まだ2人しか発表になってない。映島巡さんと定金伸治さんってことだけど、申し訳ないけれど両名ともそれほど熱心に読んできた訳ではなくって、申し込む手が前に伸びない。ライトノベルって言ったら今や飛ぶ取り落とす勢いのレーベルがあって星雲賞やら日本SF対象やら数々の賞に顔を出す人がいてってな感じに盛り上がっていて、そーしたシーンをこれでも割にウオッチしていた気でいたんだけど、フェスティバルに呼ばれるくらいに著名な人であっても良くは存じ上げなかったりするケースがあるんだと改めて知らされた感じ。そーした新しい世界、僕の知らない世界を見るためにも行った方がいいのかな。せめてあと2人くらいはゲストが決まってからにしよーかな。まさか2人だけってことは……がくがくぶるぶる。

 ってか5月3日の開催とこちらも1カ月ちょい先に迫った老舗の「SFセミナー2003」の方も「SFマガジン」の案内ではまだゲストが出渕裕さんと飛浩隆さんの2人しか決まっていなくって、申し込みたいけれど他にさらにどんな人が来るんだろーかと悩んでしまう。とか言っていたら「SFセミナー事務局」から開催の案内が届いて、こっちにはきっとびっちりと、合宿は無理でも本会のスケジュールはみんなつまびらかにされているだろーと見たら出渕裕さんと飛浩隆さんの2人だけ、だった。うーん一体誰がほかに出てくるんだ、気になるなあ。まさらこちらの2人だけってことは……がくがくぶるぶる。

 タカラがスポンサーになって4月3日から放映がスタートするアニメーション「冒険遊記 プラスターワールド」の制作発表があったんでサントリーホールに向かう。つもりが間違えてサントリー美術館に行ってしまって慌てて赤坂見附から溜池山王へと引き返す体たらく。歳はとりたくないもんだ。さて「プラスターワールド」の方だけどアニメの方は昆虫とか動物とかに似たキャラクターがが住む異世界へと引っ張り込まれた少年が、カブトムシに似たキャラクターと合体して敵と戦うってゆー内容で、正義の味方の方は人間との融合が可能、敵の方は家電とかライターとか消化器といった物品との融合が可能になってて、人間の融合から始まった正義の味方が、テレビとハエのテレビバエとかカメとバズーカのカメバズーカと戦っていた「仮面ライダーV3」なんかを思い出す。

 感じたけれど、それはともかく善悪をきっちりと分けてバトルさせていく内容は全員が正義だなんて政治的に配慮されたヒーロー物が蔓延り初めている風潮の中では潔い。アニメそのものもオープニングはよく動いていたし本編の方も崩れなく当然ながらヤシガニもなく、絵として高いクオリティーを維持していた。ストーリーは導入部だけあってちょっと説明っぽいところがあって、今後の話が転がり初めてからに評価を先送り。謎の美少女とか出てきてその横顔がなかなかに色っぽかったのが先まで見たい要因の最たるもの、なんだけどね。

 さてタカラといえばアニメーションに登場するキャラクターのフィギュアを「ゲームボーイアドバンス」に取り付けた台座セットすると、キャラクターがゲーム画面に登場する商品を投入してメディアミックス展開をする予定。どーやるかってゆーとGBAのカートリッジのさらに外側に、ボトルキャップのようなものをはめ込む丸い穴が穿たれたアダプターが取り付けられるようになっていて、プレーヤーがキャラクターのフィギュアをはめ込むとあら不思議、そのキャラクターの能力を反映させたCGのキャラクターがGBAの画面に現れるよーになっている。別のフィギュアを刺すとGBAの方もそれと同じキャラが登場。いったいどーゆー仕組みになっているんだろーと裏返してもバーコードもICチップも仕込まれておらず、「ワールドクラブチャンピオンフットボール」のよーに見えないバーコードでもプリントされているんだろーか、なんて考えながら説明を聞いてなるほどと納得、つまりはカギと同じ要領でした。

 詳しくはフィギュアを幾つか買って比べてらうとして、GBAの上にフィギュアを立てて操作していると目に見える立体と画面の中のキャラクターがリンクして一体化しているよーな感覚を味わえて、ゲームにより一段の親近感を抱ける。他のプレーヤーがどんなキャラを使っているかも瞭然で、そーした比べっこがフィギュアを子供たちに買いに走らせる原動力にもなりそーで、遊びの目新しさと同時に商売の目新しさもあって面白い。ゲームはRPGみたいな奴とレーシングの2種類。他にも同じ仕組みでいろいろな遊びが出来そーで、個人的にはそれこそ野球選手のフィギュアを立ててバッティングをさせてみたりしたいし、タカラじゃ無理だけどスターウォーズのボトルキャップとか立てたい気持ち。当面は箱入りでフィギュアを売るみたいだけど、サントリーが何故かスポンサーに入っているからおまけボトルキャップみたいに売る可能性もありそーで、そーしたフィギュアと連動するゲームを作って展開するなんてこともあるかもしれない。「ペプシマン」ゲームとか欲しいかも。ジャンルはランニング、だけど。


【3月25日】 ああ何か悔しいなあ。って言うと何だか嫌っているよーに取られそだけど単に”流行り”っぽいものにストレートに乗ってしまうのを潔しとしたくない天の邪鬼的心境が、「天国の本屋」だなんて大ベストセラーを送り出してしまった松久淳+田中渉(まつひさあすしたなあかわたる)さんの本「四月ばーか」(講談社、1200円)を、仕事で回って来たこともあって遂にとゆーかよーやくとゆーか手にとらなくてはならない羽目になってしまったことへの、捻れた気持ちの現れに過ぎないんで気にしないで下さいな。

 もっともただ読むだけだったらそれこそ「お仕事です」と割り切れば、悔しさも大きく減殺されたんだろーけれど、読んだ「四月ばーか」がこれでなかなかに面白くって興味深くって、ストーリーを追うだけで飛ばし読みするケースの多いお仕事本にあって珍しく、冒頭から一字一句をしっかりと頭に叩き込みながら読んでいく羽目になってしまったのが、流行りに乗った上に感心までしてるってことで悔しさを3倍増しているみたい。決して見目麗しい乙女のペアではない、見ればなんでと首が傾くペアが書いたってことももしかしたら悔しさとちょっぴりの妬ましさを引き起こしているのかも。

 CDジャケットとか本のデザイナーとして結構活躍している守山亨は、けれども数年前に女性に振られて今は広いマンションに猫2匹と暮らしていたりする。そんな亨のマンションに、大学時代に知り合った3つばかり年上の女性、北村朋子がベトナムから帰国した足で転がり込んで来たと思ったら、大学時代の年はいっしょで学年1つ下とゆー、今は売れっ子美容師として活躍している今野新一も女性関係の憂いから転がり込んできて、かくして旧友3人たちによる学生時代を復活させたよーな楽しい共同生活がスタートする。

 もっとも卒業から7年とか8年とか経った3人にはそれぞれに社会人としての経験ってのが積み重なっていたりして、それが共同生活にある3人の間に潤滑油ならぬ摩擦係数となってザラリとした空気をちょっとしたきっかけで作り出す。いったい3人はどーなってしまうのか、って辺りから若い気持ちで居つづけたい20歳代の甘えた性根にくさびを入れ、大人の関係とか本当の愛といったものへと向かう意味をそれとなく伝えてくれて、とっくの昔に30歳代には突入したけど未だモラトリアムでピーターパンな性根にスパイスを振りかけてくれる。クリエイティブな仕事に活躍する男たち女たちのプライベートでも楽しく突き合う様を見るにつけ、明るい村上春樹ってゆーかドライな中谷彰宏ってゆーか、サラリと楽しく読めてちょっぴり切なくけれども嬉しくなる本。こーゆー生活に飛び込みたいなあ、今からでも間に合うかなあ。

 日本代表とウルグアイ代表の試合のチケット争奪に破れた気持ちをさらにいたぶるフラッシュニュースに寝不足の微睡みも一気に吹き飛ぶ。「NHKにようこそ」で世界の男子に岬ちゃんの到来を期待させるだけさせた滝本竜彦さんが、すべての浮ついた関係を夢見る男子にとって檜舞台とも言える渋谷で、才色兼備な女性とデートを繰り広げたなんてエッセイが発信されていて、どーしてしまったんだ君は僕と同類じゃなかったのかそれが証拠に頭だって同じよーにツルツルじゃないか他人と話すのが恐ろしくて2人きりでどこかに行くなんてもう何十年もしたことなかったんじゃないか、って叫び出す、布団を被って涙でシーツを汚しながら。

 が。ボヤけた写真をクリックしてそこに現れたカップルの片割れの男子すなわち滝本さんじゃない方の女子の顔をひと目目にしたその瞬間、「おーい」と今度は遠い空へと向かって呼びかけたくなった。「次は滝本かー」とも。つまりは滝本さんが渋谷を連れ歩きプリクラ写真を一緒に撮り食事をしては「Kanon」が「Air」で「トキメキハイスクール」といった雅やかな会話を交わした彼女こそが、大学助教授に辛口評論家に気鋭の哲学研究者にほか日本を代表する知的生命体への好奇心を発揮し続けて学び続けて幾年か、遂には自らも最高学府を極めるとともにエンターテインメントの世界でも八面六臂の活躍をするに至った、稀有にして貴重な存在だったりするのである。

 そんな人が何でまた滝本さんと、と瞬間思ったけれどつまりはこれは滝本さんも、助教授に批評家に哲学者たちと並び讃えられる知性体として、興味を抱かれ関心を持たれる立場にあったんだってことで、頭髪や引っ込み思案で自意識過剰な性根といった部分での親近感を蹴散らされ、決定的な差をこれでつけられてしまったと気持ちがどんよりと暗くなる。かくなる上は双六で言う上がり、「人生ゲーム」で言う億万長者の館を得た滝本さんに成り代わって、ルサンチマンを燃えがらせて僕が「NHK(日本ひきこもり協会)」の陰謀を暴くべく、部屋の中で妄想を原稿用紙に綴って同朋たちの重くなった心に安寧を与えることにしよー。「ディズニーランド」に行くときは誘ってくれなくてもいーから後を着けさせて。

 言うとするとは大違い、ってゆーかこれからの企業はチェック機能強化の意味から内部告発を決しておろそかにしないことが大事って書くメディアが一方で、内部告発を許さず認めない立場を頑なに守り続けていたりする様に、これから大変だろーなーと同情なんかしてみたり。自分は絶対に正しいとの確信から業績が上がらないのは部下が馬鹿だからとインタビューで放言したことに社内からも社外からも囂々の非難を浴びたパソコンで有名な会社の社長がいたことを報じたマスコミはいっぱいあったし、赤字を出し続ける経営者を経営者失格と断罪するマスコミもやっぱりいっぱいあったけど、そーやって他の企業や経営者を時に糾弾するメディアは、自らを律し非難の対象となっていることは決してやらないのが鉄則。メディアって裏腹だねって思われ、外からも内からも信頼を失ってしまうよーな事態を招かないために、自省し自律することがトップには今こそ求められてる。


【3月24日】 1回1枚、が原則だったはずなのにここに来てちょっとした大盤振る舞い感もあった「ストラトス・フォー」は、無重力ってゆー空間のメリットを存分に取り入れて宙に舞い飛び跳ねる女性たちをたくさん描いてくれていて、下から見上げる角度に当然ながら見える例の白い三角形がそれこそ画面から目を離せないくらいに登場しては、夜に微睡んだ目を醒まさせてくれた。宇宙開発物語的な話から遠く離れて一気にエイリアンのそれも人間を操る知性を持った精神寄生体を登場させてはまるで「ウルトラセブン」か何かのよーな侵略SF物を今の時代に見られるとは、昭和も末期に育ったテレビ世代としてはただただ嬉しい限り。おまけに白の三角に水着もたっぷりとあってはもはや跪くしかない。ありがとう「ストラトス・フォー」。来週はだからちゃんとお話片付けてね。

コメントが絵コンテになってたらそれはそれで宮さんぽかった、かな  日本はともかく北米とか全世界規模では興行成績にダントツの差をつけられた作品に混じって果たしてどこまで健闘できるのかを関心を持って見ていた、ってゆーか興行成績が格段に劣る作品が獲っては芸術映画にも与える賞ならまだしも世界最大規模の映画の祭典では拙いだろーとゆー自嘲と自省の念もあって今回はノミネートされただけで儲けもの、これまでの全米映画批評家賞とアニー賞で我慢しておくのが身の程だと思っていたらこれがどーした、宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」があっさりと「第75回アカデミー賞」の長編アニメーション賞を受賞してしまって朝から原稿書きに追われる。「スタジオジブリ」のある東小金井で詰めていた記者も沢山いたよーだけど人的に潤沢な会社でもなくそれは無理だしそもそもどーせ獲らないだろーと思って大手町でふて寝を決め込んでいたから発表を聞いて東小金井まで駆けつけるのは無理と断念。これまでの経緯とか流れてきたコメントとかを使って三々五々に記事の方をでっちあげる。

 本当だったらもらったオスカーを右に立てて左に金色の熊を置き、世界が誇る賞を2つも獲った凄さを宮崎監督の笑顔とともに見たかった気がするけれど、オスカーはまだ空の向こうにあって手元にはないしどーやらオスカーを取っても宮崎監督、すでに入っている仕事の関係で人前に出てきて話す気配もなさそーだし、金熊とった時も会見場から持ち出した後で受付の机に放り出して引っ込んでしまったくらいに宮崎監督、賞に執着がなさそーで、世界でも珍しいベルリンの金熊アカデミーのオスカーの揃い踏みを見るのはいつか別の機会になりそー。

 こーなれば「文化庁メディア芸術祭」でアニメーション部門を「千と千尋」と並んで獲り、また東京都がやっているアニメのコンペティションで昨年の「千と千尋」に続いて今年の長編アニメーション部門最優秀賞を獲得した、ってことはつまり既にしてアカデミー賞級だとも言える「千年女優」に来年度のアカデミー賞長編アニメ賞作品賞音楽賞をまとめて獲ってもらって、今敏監督にトロフィーの揃い踏みをやって頂きたいところ。全米公開はいつ頃になるのかなー。

 残念だった「頭山」のDVDを間もなく発売するパイオニアLDCの人に誘われて目黒で新作アニメーション映画の撮影を見物、ってアニメの撮影なんてセル画を撮影台に乗せて撮っていくだけだろ? って言われそーだから説明するとアニメはアニメでも3DCGのアニメーションでそれも人物のアクションのほとんどとモーションキャプチャーでやるってゆー作品で、目黒のビルの一角にしつらえられたモーションキャプチャースタジオで全身黒タイツに身を包みマーカーを手足頭に貼り付けた三輪明日美さんほか男女の演技の様を観察する。

 全身タイツだけに当然ながら全身のラインがくっきりと出てしまうんだけどそこはそれ、黒いんで盛り上がっているのかしゃくれているのかが今ひとつ判然とせずちょっとがっかり。まあその辺は昔買った三輪ひとみさんとのペアになった写真集で堪能したから良いのです。それにしても黒い枠で囲われた場所をシーンによっては異なる場所だと認識しつつ、そこに一体何があって向こうには何があるのかを想像しながら演技をしていかなくてはいけないモーションキャプチャーの役者さんの、いったいどれくらい大変なことなんだろー。「そこに何かあります」って言われて歩く時は避け見る目線を合わせなくてはならないんだろーけど、基本的な動きさえ容れられれば表情とか目線とか首の角度はコンピューター上で自在に動かせるんだろーから、演ってる方もあんまり緊張してなかったみたい。あの演技が果たしてどんな映像になるのかに期待。荒巻伸志監督、曽利文彦プロデュースによる士郎正宗原作「アップルシード」は2003年公開予定。

 未だ止むことなくむしろ碑に日々激しさを増してバグダッドへの空爆は続いているようで、テレビ画面に輝く光燃えさかる炎がその凄まじさを如実に示して戦争の怖さ恐ろしさを想像の中に喚起させるけど、そうした想像の実に虚ろなことをバグダッドに留まり取材し伝えているジャーナリストの人が自身のホームページから激しい口調で訴えている文章を読み、1発また1発と爆弾の落ちてくる下にいたものでしか戦争の恐ろしさは伝えられないというその主張のいちいちごもっととも思い抱き安全地帯から世界の趨勢戦争の悲惨さ日本の進む道から我が身の処し方までを考えている自分はあるいは未熟ではなかったかと考える。

 なるほど祖父から日露戦争の話を聞き父母より降ってくる爆弾の怖さを聞き、「はだしのゲン」を読んで原爆の恐ろしさを絵でもって刷り込まれ「火垂の墓」の小説とアニメーションで戦争によって失われる命の哀しさを感じ、戦争は反対という立場を採る身ではあっても、そうした観念的な戦争への恐怖など、バグダッドで直に爆弾の降ってくる様を見た者に言わせれば想像の産物にしか過ぎない、ということなのだろう。さらに敷衍すれば、バグダッドで叫ぶジャーナリストの言は、戦争に触れて初めて戦争の恐ろしさを語り得る人間が誕生するという理屈にもつながり得る。

 こうした主張はつまりは戦争がなくなった平和な世界では戦争を語り得る人が存在しなくなってしまう恐れがあって、常に世界は戦争の恐ろしさを語れるジャーナリストを生み出すべく、戦争を続けなくてはならない、といったことを暗に示唆しているのではないだろうか。野中広務古賀誠中曽根康弘といった戦争を経験した世代が先のイラク空爆に慎重な味方を示した一方で、戦争を経験していない2世3世の政治家たちが戦争への道をひた走る姿勢を崩さないものなるほど道理。さすがは業火に自ら身をもって飛び込む英断ぶりで鳴る「人間の楯」。なればこそバグダッドの空よりジャーナリストには遥か日本に呼びかけてもらいたい。日本は戦争をせよと。文学も映画も批評も捨てて自らを爆弾の下にさらせと。戦争をしてその恐ろしさを政治家も国民もジャーナリズムも身をもって知れと。そーゆーことだろ?


【3月23日】 大罵倒抜き、になってこれまで10年ばかり見ていた構成との違和感に最初は戸惑ったNHK教育「ローザンヌ国際バレエ・コンクール2003」だったけど、試技を終えて袖から楽屋へと戻ってきた出場者が切らせる息音がダイレクトに伝わってきて優雅に見えてもあれでなかななかに大変な芸術だってことが分かったし、ちょっと失敗しちゃったかなあ、ってな意識から試技の後も表情をほころばせない出場者のコンクールにかける真剣味なんかも伝わってきて堪能できた。悪口雑言たっぷりな解説もあれで初期は真剣だったけど、それがメインになってしまってはバレエそのものが後ろに下がってしまうから、今回の構成の変更も原点に戻るって部分で良い選択だったのかも。とりあえず支持、しときます。

 もちろん解説あっての「ローザンヌ」、ってことで試技を全員が終えたあとにバーが建ち並んだ部屋に大型のプロジェクターを持ち込んで、目に付いた人の試技の模様を映しながらあれやこれやと意見を言うコーナーが用意されていたんで、何を基準にバレエの良し悪しを判断して良いのか分からない素人の当方でも、どーにかついていけた。目についた人、ってことでどちらかと言えば上手い人の紹介が中心になって悪口の限りは聞こえなかったけど、悪口のための悪口じゃなくって例えば韓国からの出場者が選ぶクラシックの曲の傾向が、スタイルに合ってないってな意見は目上の人の言葉が絶対とゆーあの国の傾向と、先入観として生真面目さをそこに見たがる欧州のアジア人に対する意識の双方がそれとなく伺えて興味津々。あと日本から出ていた福田さん、だったっかな、男子の出場者がモダンの踊りで見せた後ろでツンとはねさせた髪型を、解説していた人(アナウンサー?)が「鉄腕アトムみたいだねえ、アトムって知ってる?」と他の解説の人に降って無視されていたのが楽しかった。アトムって欧州でもちゃんと知られているんだねえ。

 その日本人の男子はクラシックもモダンもともに高い評価で絶賛されていてあるいは、って思ったけれど全体では3位。代わって1位をとったのはモダンのところで意表を突いてタップダンスを織り交ぜたダンスを踊った男子でバレエとしてどうよ、って思いとだったらタップダンスとしてどうよ、って思いが交錯してこれを絶賛して良いのかな、って考えたけどいろいろなスタイルを取り入れて何か新しいものを見せるのがモダンの良さ、って考え方もあるんだろー、基本はちゃんととれていたタップダンスと表情や手の動きといったマイムの部分の楽しげな感じに加えて、ターンのよーなバレエの要素がちゃんと取り入れられていたことを評価しての1等賞だったと考えよー。だったら次はブレイクダンスでその次はフラダンスでさらに次は大根踊りが賞を獲る、のかな。バレエ的大根踊りってどんなだろー。

 「魔魚戦記」はどーなったー、と言っても詮無かったりするからそこは気長に待つとして、それ以外のシリーズは「真・女神転生」ともども快調なよーで作家としては今ノリノリに見える吉村夜さんのこちらも快調に2巻目が出た「ハーモナイザー・エリオン ツキをつかんだ? 魔法使い」(富士見ファンタジア文庫、580円)。才能超ありながらもちょっと金にがめつい所があって、無理して背伸びして協力無比な魔神の美少女を呼びだしたものの相手が要求するお金を払うのにおおわらわ。それでもどーにか借金をいてひとつ目の事件を片付けたことが評価されて、晴れて宮廷魔術師になることが出来たエリオンだったけど、その裏で前作から続く陰謀が働いていてエリオンもその渦中に半ば当て馬として引きずり込まれてしまうことになる。金にがめつくっても仕事には純粋で気持ちに悪辣なところのないエリオンに、魔神のランドラがだんだんと惹かれていく描写を読むにつけ、金はなくても真面目に生きれば良いことあるかも、って期待したくなるけど期待していいのかな、吉村先生。

 家にいるとその無為徒食ぶりに引き籠もりの気が増すんで一念発起して健康にぴちぴちとした姿態でも見て気持ちを盛り上げよーと「代々木第一体育館」へと「春の高校バレー」を見物に行く。「代々木第一体育館」は東京オリンピックのあった年だから1964年と今から実に40年近く前に設計された建物なんだけど柱がなくって天井から屋根をワイヤーで吊った構造が生み出す空間の豊かさといー、使われている素材の統一感といーどこからでも見やすくなっているスタンドの配置具体といー、その建物としての完成度の高さには今さらながらに驚く。屋根の無さは気になるけれどスタンドの上方を形成する線の綺麗さ、収容人数の見かけに寄らない多さで結構考えられていたりする「国立霞ヶ丘競技場」ともども、オリンピック当時の建築デザインって背伸びしてたんだなー、なんてことを考える。これに匹敵する建物がその後、幾つ建てられたのかって思うと丹下先生が未だ日本の頭に君臨しているのも分かる、かな。磯崎新さんが体育館とかスタジアムをデザインするとどんな感じになるのかな。

 場内では女子バレーを見物、したけど世界は「アタックナンバー1」の時代からも「サインはV」の時代からも大きく隔たってしまったよーで、出てくるどこのチームもいわゆるブルマーって奴を履いてなくって流行の移ろい易さに思いを馳せる。けどそこいらじゅうを歩き回るヂャーヂ娘をたくさん見られたから良しとしよー。鍛えられた脚とヒップを包み込んでスラリと延びるヂャージのパンツラインの格好良さに、スポーツってやっぱり良いものだと顔には出さず(でも頬ちょっと緩んでる)に心で快哉を叫ぶ。ヒャッホー。試合の方は淑徳学園と大阪国際滝井の試合を途中から見て、フルセットの果てに大阪国際が勝利をものにする瞬間を確認し、次に京都橘と三田尻女子高等学校の試合を見物する。

 三田尻って言えば10年連続で出ている強豪って印象があったけど、相手になった京都橘が背番号7の西山由樹さんって選手が細いんだけど185センチもある長身からばつばつとスパイクを打ち込めば対角の岳衛さんって留学生? の人も同じ185センチの慎重でアタックスパイクナンバーワン。2人そろったブロックの厚さもあって三田尻の追い上げを寄せ付けず、西山さんのスピードとパワーののったサーブも決まって点差こそ少ないならも2セットを連取して見事準々決勝への進出を決めた。この西山さん、京都新聞によれば大会でも屈指のアタッカーらしく、中国からの留学生が引っ張った三田尻をうち破っての準決勝行きにますます注目を集めそー。まだ1年生ってことは社会人で活躍するのはしばらく先になりそーだけど、それより先に全日本とかに出てくる可能性もあるからちょっと気にしていよー。

 世界じゃーイラクへの攻撃に反対するデモが連日によーに起こっているそーで、そんな時流に乗り遅れるのもしゃくだからと「代々木第一体育館」を出て代々木公園から原宿表参道を歩いてみたもののどこにも反戦を訴えかけている集団がおらず、代わりに「ボブ・サップのお店」とか奇天烈パンダのアニメも鬱陶しい「ルイ・ヴィトン」が盛況で、「NO WAR」とか書かれたTシャツを買おーにも買えず、やっぱりオサレな原宿青山でデモを見るのは無理だったのかもとデモの本山「日比谷公園」まで向かったもののここにも公園を埋め尽くす集団は見えず、ならばと銀座の歩行者天国に言ったら日曜日であるにも関わらず歩行者天国になっておらず、もしかして騒動を避けるためにホコテンにしなかったのかな、なんて想像を抱いたけど警察官に聞くわけにもいかず、だったらこっちはどーだと秋葉原の歩行者天国に行ったら南京玉簾とチンドン屋とジャグラーがデモンストレーションをしていた。

 つまるところどこに行っても反戦デモには出会えなかったってことで、これをして日本が醒めているってことにはならないけど、ホワイトハウス前とかニューヨークの街頭とかに人が溢れていたりするアメリカ本国ほどにも、盛り上がってないよーな印象を抱いてしまう。これが連日、数万人を動員して国会の周りを囲んでいれば政府も受けるプレッシャーが違うんだろーけれど、消費税が盗聴法だってそんなことにはならなかったお国柄だから仕方がないのかも。デモって何かの手段じゃなくそれ自体が目的になっているケースが多いから、3連休の間に1回やっておけば良いってことなのかな。効果を狙うんだったら主催者発表で数万人とかゆー人たちをひとところに集めるんなじゃなく、分散させて駅頭にパラソルを建てて台の上にチラシを積み上げて、スカート姿のお姉さんたちが「無料でーす」とか良いながら配った方が、通りがかった人に強い印象を残せるよーな気もするけれど。現にあの会社は会員数伸ばしまくってる訳だし。

 いちおーは世界を代表していろいろと決めていることになっている国際連合を無視して攻撃に対する反撃でもなければ集団的自衛権の行使と言うにも遺漏のある論理でもって大集団を送り込んではタコ殴りフクロ叩き状態にミサイルを撃ち込んでいる、その燃えさかる炎の下で民間人はおらず独裁者とその一味と目される存在であっても正真正銘に生きている人間がメラメラと焼かれたり潰されたりしている場面をのべつまくなし得々と放映しては人間の命に対する感覚を麻痺させていやがる癖に、脳味噌を取り出しては焼いてソテーにして持ち主に食べさせるとゆー残酷さグロさを持つとは言ってもたかだか映画の完璧に作り物でしかなく、それでいてお話にとっては1番要になる見所のシーンをまるまるカットしては物語のつながりをまるで台無しにして、平気な顔をしているテレビ朝日は明日にも放送局としての免許を返上せよ。見ない自由はあっても見せない権利は手前らにはない。日下武士のレクターってのはなかなかだったけど。石田太郎だとやっぱ、ね。ドレスのクラリスの胸元も良かったなあ。


【3月22日】 何やら米国のイラク攻撃に反対してアメリカ製品の不買運動を呼びかけているNGOのホームページがあるってなことが朝日新聞に出ていて、これはなるほど良いことだと早速パソコンでアクセスしよーとして躊躇する。何故って今目の前にあるパソコンのOSは”悪の枢軸”ならぬ”悪の帝国”と呼ばれ世界でいろいろと言われていたりするシアトルの会社の製品で、だったら別のもう1台あるパソコンでアクセスしよーかと思ったらこっちはこっちでシリコンバレーだかバークレーだかのガレージで生まれた林檎マシンといずれ違わずアメリカ製。ハードの心臓CPUだって窓も林檎もアメリカ製だったりして、不買の対象に真っ先に上げるべきこーしたハイテク製品を使ってアメリカのまさしく軍事目的から生まれたインターネットを介してアクセスするなどもってのほかと、NGOには申し訳ないけど諦める。ちなみにそーしたNGOがどんなマシンでホームページを作って発信しているのかは不明。不買を呼びかけるくらいだから自らを律してOSは坂村健さんの怨念もこもった「超漢字」で、CPUは日立のSH4か何か、なんだろー、そーしたアセンブルが可能かどーかは知らないけれど。会員の人とやらのメールの発信も閲覧も当然ながら「アウトルック」は不仕様、だよね。

 戦争の報道なんかを見ながら考えることいろいろ。空爆を控えたバグダッドの曇った空を割って「ザク」とか「シュペルター」とか「ガサラキ」みたいな奴が降下して来るビジョンを21世紀の今になってなお見られないことを喜ぶべきか否か。ってーか技術的に可能かはともかくやっぱり兵器として、二足歩行の巨大ロボットなんてのは使い勝手が悪いし効率もそれほどよろしくないってことなのか。空爆の前後にNHKが撮ってたバグダッド市街の映像で、中央にモスクのドームと尖塔が映っていてあれがいつ、中にフセインを乗せたカプセルをてっぺんに付けたロケットとなって宇宙へと飛び上がって行くんだろうと「ルパン対人造人間」なんかを思い出しつつ期待してしまった人が世界に何人くらいいたんだろーか。空爆開始の期限を控えたバグダッド市街からのリポートで「緊迫の度合いを増してきました」と特派員の人が言うたびに、その全身が金色に塗られていたらどれくらい世間で失笑が起こっただろーかと想像した人の数より多いんだろーか。「金箔の度合」。お粗末様。

 戦争関連で今日1番の大きそうーなニュースはおそらくアメリカのABCが伝えたラマダン副大統領とイブラヒム革命指導評議会副議長とアルマジド元国防相が最初の空爆によって死亡していた、ってニュースだろーけどその真否を横に置いてこれってつまりはアメリカが人を3人、確実に殺しましたって内容であって事故で人が亡くなりましたとか、強盗で人が殺されましたって内容をネガティブに伝えるニュースなんかとは決定的に違って、能動的な殺人をそれもどちらかといえば肯定的に伝えよーとしていて、考えよーによっては何だかとっても不思議な気がする。人が死ぬのが戦争だし人を殺すことが戦争なんだけど人を殺してはイケナイことだと十戒の拝領仏陀の彼岸より教えられ倫理として植え込まれ法律でも縛られているのに、一方では人を殺して讃えられる場合もあるんだってことが堂々と語られ権威によって報じられ世間によって認められていることに、人はどーやって納得し子供たちをどーやって納得させているんだろー。都合によって穿たれた穴は別の都合によっても穿たれるもの。ましてや議論によって形成されたものですらない都合が通った事実が将来に及ぼす可能性を思うと、ますます難しい世の中になっていくなあと胸に影が降りる。明日はどっちだ。

 走る寒気に去らない寒気を嫌気して有明の「でじこ祭り」もサッカーのJリーグの開幕試合もパスして家で黙々と読書。とりあえずは異国の王女様に心だけが転送されてしまう少年の戸惑いと活躍をアクロバティックな構成で描いて評判だった「パートタイムプリンセス」の続編に当たる神代創さんの「パートタイムプリンセス2 ダブルソルジャー」(メディアファクトリー、580円)を手にとって期待を込めて読み始めてガッカリする。いやお話的にはとっても面白いしいろいろと考えさせられる所もいっぱいあって、単なる続編とゆー以上に楽しめるんだけど、肝心な設定で高校生の拓也が転生するのが前作の王女リアンではなくリアンに思いを寄せている貴族の少年クリードだって所が前作の面白さの”決定的”な部分を欠けるものにしていて「神代さんも編集もわかってねー」と叫びだしたくなる。ってか自分が感じた面白みの大半がそこにあったってことなんだけど、もしかしたら編集の人とか作者の人はそーは思ってなくって世間一般ももっと単純に入れ替わりの楽しさにのみ着目してもてはやしているんだろーか。自分の読みの狭さ趣味の偏りぶりからすればあり得ることだけにちょっと判断に迷う。これから出てくるだろー世間の評判が気になるなー。

 続いて友野詳さんの「ハートレス・シティ 迷いの道標」(ソノラマ文庫、514円)を読了して感嘆、これは格好良い。ある事情から閉鎖空間となってしまった東京都心に棲んでいるのは機械や他の物質を重なり融合してなお存命な人間たち。右腕がレールガンになっているものもいれば指先から水分を自在に出せるものもいて、ほかにも巨大なトラックに半身がつながっている少年やら腹に反応炉を埋め込んだ少年やらがわんさと出てききたりする、そんなグロテスクな世界が出来上がってしまったことに何故か胸を痛めているナビとゆー青年が、美しい少女から手にかかえた籠に入れられた生首の「いるべきところ」を探してくれと頼まれたことから物語は幕を開ける。誰ひとりとして同じ姿をしていない異形の異能者たちのバトルシーンの凄まじさ、そんなバトルをこなしながら生首の本体の在りかを求めて歩く展開の興味深さ、そして生首の正体が示す奇妙な世界が出来たその背後にある宇宙的規模の勢力争いといったスケール感を出しつつも、核の部分で主人公のナビが心に持ち続ける迷いと贖罪の意識からの脱却を描き通そーとしている小説としての意識の高さに関心する。どこか外国の人が書いた小説としてハヤカワSF文庫の青背で出てたっておかしくない出来。ラストの遠大さと深遠さを感じさせつつもさらっと流してバンと切る潔さもまた格好良い。イラストはなあ、表紙は良いんだけど挿し絵のピックアップがちょっと不満。拷問を受けるビーコンとか、ドロシーばりの鋼鉄っぷりを見せるアルジュを絵として見たかったなー。


【3月21日】 おっせえ。とは言えよーやくキャプテンなんて臆面もなく自分を呼ばせて恥ずかしくないんですかと小半時ばかり問い詰めたい会長の人も日本代表の米国遠征注視を決断したよーで、試合の最中にサッカーボールに仕掛けられた反陽子爆弾が爆発して米国のに北西部がアラスカあたりまでデススターの砲座みたくメコッと吹っ飛んで、日本代表がいつかのマンチェスター・ユナイテッドみたく壊滅する、なんてことになったら次の試合が大変だったから、これはこれで至極当然の判断だって言えそー。けど何か秋田選手だけは荒野にひとり屹立しては「あれ、何かあったの?」って言ってそー。

 それにしてもキャプテンの会長さん、最初に止めようって決めた時に覆さなければこれでなかなか格好良い奴だと思えたかもしれないけれど、一転して行くと言いだしあまつさえ「夕刊フジ」の記者に向かって「選ばれたメンバーの誰も止めると言わないのはジーコ監督のおかげ。トルシェだったら辞退が相次いだ」なんてことを言ったってゆーからもう始末に負えない。別に人徳なんかじゃなくここで行かないって言い出したら次に呼んでもらえなくなる可能性に怯えて、選手も行くと言い続けたのかもしれないのにそーしたことを想像できない頭のユルさといー、この期に及んでトルシェへの下卑た揶揄を止めないリーダーにあるまじきスタンスといー、そのフェッグ野郎ぶりにもますます磨きが(淀みが)かかって来たっぽい。そもそもトルシェだったら協会の方針に逆らってでも安全を考え行かなかったよーな気もするけれど、逆に逆らってでも行ったかもしれないから分からないとして、結局のところひとりあたふたしたキャプテンの会長の右往左往ぶるだけが目立った一連の騒動、なのにそーした右往左往ぶりをまるで批判しない新聞各紙の情けなさ、政治に負けるのはスポーツだけじゃなくスポーツメディアも同じ、だねー。

 しまったモモイが来ていたのか、と後になって気が付いた「デ・ジ・キャラットまつり2003」に朝から出かけて開場直後に入ってあれやこれやと観察、「デ・ジ・キャラット」のショップや塗り絵のコーナーに小学生くらいの女子が結構群がっていたいたりする様に、出自は香り立つ趣都・秋葉原であっても今やフツーに「可愛い」キャラとして腐の付かない純な女子に認知されて来てるんだなー、ってことが感じられる。セグメントによっては大人たちが”国民的キャラクター”だと勘違いしているか思いこみたがっている、あの黒いパンツを履いた2本角なロボットくんにも勝っているんじゃなかろーか。「ちゃお」でマンガ「デ・ジ・キャラットにょ」を連載している水瀬ひずるさんのサインをもらって「今まで生きてていちばん嬉しい」とかって真剣に言ってる女子とか見かけたし、そーゆー層にうまくハマって行けば奇跡の(奇跡なのか)大逆転もありそー。

 コーナーでは「デ・ジ・キャラット ゾーン」に出展していたタカラの新製品「ゴムjダンステッピー」がなかなか、ってゆーか「ゴムダンステッピー」のデモをしている女の子たちのアクションにおじさんとして目を奪われてしまってしばらくの間足を釘付けにされる。「デ・ジ・キャラットにょ」の関連商品として発売されるとかで、何で「でじこ」と「ゴム飛び」が繋がるのかは分からないけどそれはまあ、玩具を売りたい企業の要望を容れて作られるアニメの性として認めるとして、関連商品らしく宣伝には「デ・ジ・キャラットにょ」のテーマソングとエンディングを唄っている「Priere」が登場する模様。デモで流れていた教則ビデオでは、エンディングにかかる「CoCo」のデビュー曲をカバーした「EQUALロマンス」に乗ってゴムダンしてくれていて、その躍動感とかかる歌とのマッチングの良さに心地よさを覚え、このビデオが付いてるんだったら買ってしまうかも、いやいや絶対買うなと心に思いが浮かぶ。女子に売れてイベントのステージに登場したその姿にヤられて「Priere」ファンになった男子(元も含む)にも売れてタカラもブロッコリーも万々歳、になったりするのかな。4月に注目。

 手渡しイベントの整理券ゲットに群がるブラックゲマゲマ団員たちの大行列にこの日一番混雑していた「ブラックゲーマーズ&G.G.Fショップ」を横目にこれほどまでの人気をどーして新作では受け継がない(現時点ではそー見える)んだろーと悩む。理由はやっぱり”あのお方”か。ゲームの試遊台では「プレイステーション2」で出る「ギャラクシーエンジェル」が見ていてなかなかの出来で、パソコン版は持っているけどプレイする環境がないまま放っておいた態度を改め、「Xbox」版を買って来よーかと考える。「ちょびっツ」のゲームは、うーん、ちょっとアブなさそー、テキスト部分がチラッと横目で見ただけなのにとっても香ばしかった。「でじこミュニケーションズ」のスペシャルデータ配布には女の子の姿もチラホラ。ここでもキャラの浸透具合が確認できます。

 「エンジェルSHOP」につり下げられていた等身大ノーマッド(チップなし)の出来の良さに感動したり、アニメの方はどうにもこうにもなかななかな割にはゲームのおかげか人気爆発中だったりする「らいむや」(「MOUSE」グッズもあったそーだけどそっちではないだろー)の混雑ぶりに驚いたりしつつ午前中で辞去。午後3時からの高橋洋子さんも来て「Priere」も出たらシーステージも、午後5時からのモモイー桃井はる子さん(太さ不明)ほか登場だったらしー「らいむいろ+UNDER17」のステージもパスしたけどどんな感じだったんだろー。明日は本家「D.U.P」に元祖「P.K.O」のイベントもあるからきっと凄まじさも5割増10割増だったりするのかも。「Priere」見たいがうーん、Jリーグも開幕だし春高バレーも見てみたいし……悩むなあ、ってかいい歳をして悩むなよ。

  眠さに負けて一眠りしてから起きあがって「千葉テレビ」で放映されていた「不思議の国のアリス」ってゆーか「鏡の国のアリス」のテレビ映画を鑑賞、アリスについての情報が集まっている「UNDERGROUND RESIDENTS」によると85年に制作されて「不思議の国」と「鏡の国」が前後編でセットになってるアリスだそーで、当時で9歳とか10歳くらいのナタリー・グレゴリーちゃんが演じるアリスの金髪な女の子に誰もが抱く感情を、すべて具現化しているその姿態そのこまっしゃくれぶりに裏でやってる「SASUKE」とか、ニュースとかも吹き飛ばしてじっと見入ってしまう。顎なるほどちょっと2重だけど子供っぽくってそれも良し。喋る英語のセリフはアメリカの子役ならではの巧さだし、ほかに出てくるメンバーの演技も歌もこれまたエンターテインメントの国ならではの完成度。同じことを日本でやったらアイドルばかりで下手な演技にきっと見ていられず、下手な歌に絶対聴いていられないんだろーなー。テレビ映画にまさか舞台俳優とミュージカル俳優を出すとも思えないし。この辺、ショウビジネスに真剣な米国が羨ましい。

 ちなみに日本語の吹き替えでアリスの声を当てているのは声優の坂本真綾さん。当時何歳だったのかは知らないけれど10歳の声をあてても実にピッタリで素晴らしく聞いてて背筋が続々としてくる。同じく「UNDERGROUND RESIDENTS」によるととっても素晴らしい出来(前編の方にはサミー・デービス・ジュニアとかリンゴ・スターも出ている)であるにも関わらず、DVD化はされていないよーでとっても残念、配給したソニー・ピクチャーズエンタテインメントは即座に三石琴乃さんや大平透さんや大塚周夫さんら同じ日本語版の声優さん人ちを起用した(白ウサギの富山敬さんも含めて)DVDをリリースすべき、だけど買う人いるかな、真綾さんファンが買うか、1万人以上はいると言われている。


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