縮刷版2003年3月上旬号


【3月10日】 ますますB級宇宙ホラー物(お色気あり)の色濃くなっていく「ストラトス・フォー」。ディープな女性どーしの接吻なんて眼にも嬉しいシーンの有り難いことこの上ないんだけど、宇宙への上がり方やら隕石の落ち方なんかに割に綿密な考証がされていてその筋の人たちを喜ばせていただけに、口から入っただけの何かがまるで意志を持っているかのよーに(事実持っているよーだけど)人を操り、蔓延っては地球を危機へと陥れる、典型とも言えそーなスペースバンパイア的展開とのギャップが気になってしまう。せめてソックスにまとわりつくトゲイモ的な動きをするとか、飲み込まれた場合でも人間の代謝とか反応とかに働いて、結果として蔓延るよーな展開だったらまだそれっぽさを感じたままでいられたのになあ。しかし残り話数で片づくんだろーか、学園祭とか温泉とかってやってて良かったのか、まさか「セカンドシーズン」付き? ありえないとも限らないからなー、「ストラトス・フォー RePure」。

   裏表紙の折り返し部分にズラリと著作の並んでいる人が山といて、今さら取り扱いのも難しいなあと思い敬遠してしまいがちな「集英社コバルト文庫」にあってまっさらさらの新作で登場した清水朔さんって人の「神遊び」(集英社、520円)を読んだらこれがなかなか。学園物でもないしファンタジーでもない、どこかジュブナイルめいている風体は平谷美樹さんの「君がいる風景」(朝日ソノラマ)にも通じるところがあったりして、キャラクターありき設定ありきな小説にちょっっぴり飽きていた人なんかに読んでもらうと結構、喜んでもらえそー。

 故郷を離れて学生していた俊介が、前に通っていた小学校が廃校になるとかで、それをきっかけに同窓会が開かれることになって俊介は村へと戻って来る。かつての仲間たちとの旧交を温め表向きは和気藹々とした同窓会だったが、実は俊介とそして同窓生の別の3人には心に引きずっている辛い思い出があって、同窓会が終わってから4人は誰となく1人の少年の慰霊碑の前に集まることになった。その慰霊碑に祀られている少年と彼ら4人は、かつて村に伝わる「神遊び」をしたことがあって、御輿より先に裏道を回って社へと行ければ願いがかなうというその”風習”を試していた途中、彼らは不思議な経験をして悲しい事態を引き起こし、それが今に残る心の傷となっていた。

 やがて起こる新しい事態に、4人はかつての苦い経験を思い出して動き始める。結果明らかになった事柄を経て、4人はどうにか前へと踏み出すことができるようになる。起こる事件のどこまでが人間の怖い心の見せるホラー的な幻で、どこまでが超自然的な力によるスーパーナチュラルな出来事なのかは判然としないけれど、主に前者に意識を傾けて読むことによって、少年時代に起こしてしまった哀しい事態を、ちょっとした偶然なんかの助けも借りながら振り切って立ち直っていく春ストーリーと読める。

 連作になった2作目は1作目で少女だった女性が長じて経験した不思議な出来事を経て、自分を見つめ直し人間関係の恢復に努める話。3作目はまあ半ばおまけとして、若い頃にありがちな(人の生き死にの関わる問題はあまりないけれど)悩みをどうにか振り払い、前へと足を踏み出そーとする気持ちを得られる本になっている。まさにコバルト世代に読んでもらいた本だし、苦い想い出に沈んだままの大人だって読んで心癒される本と言えそー。こーゆー人が出てくるからコバルトってあなどれない。別にあなどってないけど。

   1作目で金城武さんをリアルに再現してゲームファンを驚かせたと思ったら、2作目では既に故人の松田優作さんをCGでこれまらリアルに声もまとめて再現して、ゲームの地平に新たな可能性を開いたカプコンの「鬼武者」にいよいよ第3弾が登場ってゆーことで、「品川プリンスホテル」で開催された発表会へと胸躍らせながら向かう。死して今なお頂点を極め続ける松田さんを起用した以上はおそらくはとてつもない人が新キャラクターとして3作目に登場するだろーと期待するのが当然とゆーもの、だろー。

 そんなこんなで、いったい新しい「鬼武者」は誰だろーと想像をめぐらせつつ、例えば勝新太郎さん起用で座頭市が幻魔相手に戦う(ときどき座頭市視点になって画面が暗くなり音だけを頼りに迫る敵を倒す、って「リアルサウンド」ですか?)とか、舞台をいっそ幕末に代えて幕末の志士とか「新撰組」の面々が朝廷と江戸幕府双方を操り日本を未曾有の大混乱に陥れよーとする企みを暴く話にしてキャストをアルフレックスのフィギュアと同じにしてみるとか考えたけれど、そこはさすがに世の中を震撼させることに手慣れたカプコンだけあって、発表された「鬼武者3」は誰の想像をも超えたすさまじいものとなっていた。

 何しろ舞台は現代のパリ。凱旋門の下カフェーでくつろぐパリジャンたちの上から突然舞い降りてきた幻魔たちによって、パリの街は未曾有の大混乱へと陥れられる。追いつめられる市民たちの中にあってひとり果然と立ち向かったのが、かつて「レオン」と呼ばれパリ警視庁を震撼させたと思ったら、今度はニューヨークへと渡ってジャーナリストとして「ガッジーラ」を相手に大活躍、その後日本で早大生を自称するキれた女優をお守りして大騒動を繰り広げ、最近ではアジアの山奥にこもって「ローラーボール」なるゲームを主催していたヒゲ面丸眼鏡の鯔背な野郎、ジャン・レノだったのだ、ゲラゲラ。(笑う場所ではありません)。

 襲ってくる幻魔相手にジャン・レノはトレードマークともなったえーと何だろう、ヘッケラー&コック? グロック? 知らないけど拳銃を手に持ちコートの内側に手榴弾をぶら下げ挑んだのだが、魔界より蘇った怪物相手にさしものジャン・レノでもちょっとやそっとでは撃退できない。やがて袋小路へと追いつめられた彼の前に登場したのは蒸気で動く5体の巨大なロボットたち。振り回す武器もあざやかに幻魔も降魔もまとめて撃退した彼女たちこそが、世界を降魔の侵略から守る「巴里華劇団・花組」の面々だったのだ。

 かくしてナタリー・ポートマンに広末涼子さんと手のかかる美少女たちに振り回され続けたジャン・レノは、またしてもエリカにグリシーヌにコクリコにロベリアに花火といった一癖も二癖もある面々に振り回されながら、パリに日本に戦国時代を行き来しながら両手に拳銃、背中に酸素ボンベを背負ってディープ・ブルーが幻魔も降魔でも無問題、所狭しと暴れ回るのであった……嘘です。いやジャン・レノが出るって所までは本当です。本当なんだけど聞いた瞬間に今さら感が微妙に漂ったのはやっぱり妙な作品に出過ぎてるからなんだろーなー、これが例えばキアヌ・リーブスだったらもーちょっと受ける印象も変わったのになー。

 おっと忘れてはいけない、もちろんジャン・レノがピンで出る訳ではなく日本からも1作目でその顔を打った金城武さんが明智左馬之介として再登場。日本の戦国時代と現代のパリとが時空をこえてつながる舞台の上でジャン・レノと”初共演”を果たすことになる、って言われてもやっぱり胸躍らないなあ。やっぱり出しません? 「巴里華劇団・花組」の面々。ちなみに発表会では来年3月の発売まで待てない人のために「鬼武者」のキャラクターたちを操って戦う格闘ゲームの「鬼武者キャリバー」、じゃなかった「鬼武者無頼伝」を発売するとかで、言ってしまえば「キャラゲー」なんだけど斬る心地よさに浸れた「鬼武者」の良さに加えてゲームでは操作できなかったキャラクターたちも自在に使い、魂を吸収してエネルギーを回復する技なんかも使いながら剣劇対戦を楽しむことが出来そー。

 さらに発表では3年後の発売を目標にした「鬼武者4」のアナウンスもあって、聞くと何でも今度は遠く離れた銀河に浮かぶトランスバール公国が舞台、時空の裂け目から現れた圧倒的なパワーを持つ幻魔相手に追いつめられた主人公たち(トム・クルーズ、ウェウズリー・スナイプス、釈由美子の3人を予定、次点ヘイデン・クリステンセン)は逃げ込んだ遺跡で伝説のロストテクノロジー「エクスカリバー」を見つけて引っこ抜いてその手に治め、合わせて蘇った公国の守護者「ギャラクシー・エンジェル」たちを率いて宇宙幻魔と戦うのであった……超嘘です、いや「鬼武者無頼伝」はちゃんと出ます。ソフィーティア出てるかな(出てません)。


【3月9日】 ちょっとだけ寝て夜中に起きて「スーパーサッカー」でも見よーと思っていたのに気が付くと既に午前4時。だんだんと白み始めていく窓の外をふさがった本の隙間から眺めつつ天野こづえさんの新刊「ARIA2」(マッグガーデン、580円)なんかを読みながら過ごす。改造されて水の惑星になった火星を舞台に運河を渡るゴンドラ漕ぎの修行をする少女がいろいろな人と出会ったりいろろな経験をしていく話で、今は亡き(まだある)エニックスから「AQUA」として2巻が発売されてからいろいろあったらしくて移籍した関係もあって「ARIA」から始めるとちょっと分かりにくかったりする所もあるんで、読んで気になった人はそっちも買って読むのが吉。とか言いつつ家のどこかに行ってしまってるんでにゃんこ先生、じゃなかったアリア社長が時々いなくなって行く猫妖精の所に灯里が迷い込む話が載っていたのが「AQUA」だったか「ARIA」だったか思い出せないのが情けない。せいりせいとん。無理だって。

 さて「ARIA」で舞台になっている火星がどーして人間の住める水の惑星になったのかはきっと、想像するにクラッシャーあたりの大活躍があったんだろーと思うけど、地球に比べて太陽から遠いため地球より寒いはずの火星がどーして人の住めるくらいい暖かい星になっているかとゆーと一応の説明があって、何でもお空の上の方で「サラマンダー」と呼ばれている仕事の人が大気を温めているからだそーで、そんな程度で暖まるのかどーかは地学の人の計算にお願いするとしてとりあえずはまあ、暖めているんだから暖かくなるんだと理解はできないことはない。けど地球の半分くらいしかない重力を、地球と同じ1Gにするために地下に「ノーム」と呼ばれる仕事の人たちがいて、働いているっていった今回掲載されている話を読んも、ちょっと原理が分かりにくかったのは僕が物理に弱いせいだからなのかも。名古屋市立緑高等学校物理担当武田洋子先生の美貌(20年前)に見とれすぎて授業ほとんど聴いていなかったツケがこんな所に出るとはなあ。マントルと核の間にパイプをめぐらせてそこに「重力石」を走らせることで地表が倍の重力になるとは、とっても勉強になりました。「重力石」が何かは聞かない。

 それはそれとして描かれるエピソードのどれもが今回も良い話で、吹く風の心地よさ、舞う雪の柔らかさ、輝く月の眩しさのそれらを受け止める海の優しさといった、自然と季節の素晴らしさがそこに暮らしている人たちを通して描かれていて、この潤いのない都会の暮らしから早く抜け出して、田舎に居をかまえて自然を目の当たりにしながら暮らしたいものだなあ、なんてことを考える。田圃があって田植えの前の張られた水の輝き、伸びてきた稲の青々として強い姿、立てる稲穂の黄金の輝き、冬に凍った田圃がやがて春に蓮花の咲き乱れる様へと変わる姿を眺めるだけでも人間、結構幸せな気持ちになれるもの。夏に鳴くカエルのやかましさだって馴れれば耳に心地良い。近寄る春の日差しを家に1日こもって誰とも話さず口も開かず、漫画ばかり読んでいたりする暮らしから10年以内には抜け出して、ちょっとは自然を感じられる暮らしをしよーと誓う、一瞬だけ。

 もっとも自然は時に人間の都合なんてお構いなしの所があるもので、油断をすると大変な目にあうことだってあったりする。それ故に人間は昔から、天気を何とかしよーと祈りあるいは予報技術を発達させて来たんだけど、柳原望さんの「お天気の巫女」(白泉社390円)みたく感情でもって天気のすべてを左右できるよーな能力を持った人が誕生してしまうってのも、これはこれで考え物なのかもしれない。ってゆーのも主人公の應天院あさぎは表情こそいつもにこやかながら本心はこれでなかなかに多感なところがあって、それがある時突然、先祖から伝わる天気とシンクロする力なんか授かってしまったものだからもう大変。悲しめば雨が降り怖がれば雷が落ち笑えば太陽が輝くといった具合に、その感情の起伏がすべて天気に出てしまう。母親が再婚して米国に行ってしまいそーになると決まった時も、親を笑顔で送り出したい気持ちと分かれなければならない哀しい気持ちがせめぎ合って、日本を巻き込む大天災が起こりそーになる。

 かくも大変な能力を持ってしまった少女を国家が放っておけるはずもなく、エリートとして内閣府に入った高良早春が故あって宮内庁へと出向し、巫女となったあさぎを護衛し見守る役目を担ってあさぎの住む町へと派遣されることになる。当然のよーに巻き起こるあさぎと早春のラブラブな関係へと向かうエピソードに、あさぎの心を成長させていく様とかが重なって描かれていく物語。気持ちを火の見櫓から垂れ幕にして垂らして歩いているよーなあさぎの純情乙女ぶりといー、仕事だ何だといいながらも内心はちょっとづつあさぎに近づいている早春の真面目さといー、あさぎを世話する祖父母ののほほんとした様といー、飽きさせないキャラクター造形に心くすぐられるエピソードが詰まっていて、読んでいて気持ちが楽しくなって来る。超悪い人とか出てこない部分にも好感。1巻とかって書かれてないからこれで完結の可能性もあって残念だけど、綺麗なところで収まっているし楽しい気持ちになれたんで、これで良しとしよー。

 眠っている間にいろいろあったらしくって、まさか「ナビスコカップ 京都パープルサンガvs大分トリニータ」が「やらせ」呼ばわりされるくらいに大変な事態になっていたとは朝になるまで気づかなかった。これが去年までだったらきっと「フェアプレー」として讃えられるなりしたんだろーけれど、「totoゴール」なんて得点数でもって勝ち負けが決まるくじが登場してしまったことから話がややこしくなってしまった模様。今にして思えばトリニータのロドリゴがフェアプレー精神にのっとらないドリブルを始めた段階で一端はパープルサンガが守備をしてロドリゴを止めた上で、フェアプレー云々を言えば問題も起こらなかったんだろーけれど、守備をしている間もなく入れられてしまったって話もあったりするから難しい。

 かといって大分がフェアプレーにはもとるとも入った点は点と位置づけ、相手に点を取らせるなんて真似をしなければ疑惑だのやらせだのと呼ばれることもなかったんだろーけど、それだと高校サッカーでの誤審で審判の責任を越えて勝ちにされたチームのフェアプレー精神をぶっ叩いたスポーツ紙とかが放ってはおかないだろーから戻るも地獄で引くも地獄。いっそ「totoゴール」なんて結果を選手たちがイジりやす過ぎるシステムを止めてしまえば良いんだけど、お上がいったん動き出したものを止めるなんてことをするはずもないからなー。アーセナルが同じよーなフェアでないプレーで得点してしまった時は試合は試合として成立させつつ再試合をしてその結果をトーナメントだかの結果として採用したらしーけど、この時ってゴール数の結果をもとにしたくじって行われていたんだろーか。そもそもそーしたくじって世界にいっぱいあって、問題とかって起こっていないんだろーか。新聞ほど情動に左右されず冷静な判断をしてくれるサッカー誌が何を書いて来てくれるのかを見守ろー。


【3月8日】 三々五々に四分五裂と「東京會舘」から流れるSFやミステリーや冒険や幻想な人たちを横目に局外の瓦版屋は家へと急ぎ、ビデオ録画してあった「人情とどけます」と見て愕然、ラスト15分が切れていた。てっきり1時間分は余っていると思ってしかけておいたテープの残りが30分しかなかった模様で、武士へと戻った清太郎さんが白装束で斬首されよーとしていた先週の予告編の結果がどーなったのかは遂に分からずじまい。届く噂では五郎八までもが「あばよ」と逝ってしまったとかどーとかあって気になって夜も眠れない、ことはないけどでもやっぱり気になるなあ。再放送是非に希望。それとやっぱり続編も欲しいなあ。こちらは出久根達郎さんにお願い。それとあの右手右足を同時に上げてるよーに見えるナンバな飛脚走りを誰か、どこかのマラソン大会でやって見せてくれないかなあ。

 目覚めて争奪戦、の結果2日目26日の方の米野球メジャーリーグ「オークランド・アスレチックスvsシアトル・マリナーズ」のチケットを安い席だけど取るのに成功する。イチローが守備する1塁側を取ろうと思ったのに何故かベンチが3塁側ってことに頭を引っ張られたのか3塁側の内野席を取ってしまって後で気が付いて呆然、頭の血の回りが40歳近くになって相当に悪くなっているなあ。それでもまあ、日本で開催される歴とした「大リーグ」の公式戦を見られるってことで米国内がまるまるやって来るって訳ではないけれど、鉦とか太鼓とかが喧しく鳴らない、プレーにたいして拍手するスポーツ的に正しい応援の中で静かに、そして熱く「ベースボール」を楽しもう。あの死ぬほど鬱陶しいメガホン拍子木なんぞ持ち込む奴がいたら死刑だ。問題は開戦から中止なんて運びにならないかってことだけど、そこはそれ、米国遠征するサッカーの日本代表を読んだ米国に倣って日本も自衛隊と警視庁が威信をかけてガードすると胸を張って言えばきっと……よけい……来ないかな?

 「スポーツ的に正しい応援」と言えば奇妙だったのが8日にその名も「味の素スタジアム」で開幕したサッカー・Jリーグの「ナビスコカップ 東京ヴェルディ1969vsヴィッセル神戸」での光景。何でも今年から新登場のグッズだとかで、「チアースティック」ってゆー中に空気を入れてふくらます2本の棒が売られ初めていたんだけど、バスケットボールの試合ならいざ知らず、コールとチャントとあとはフラッグが中心のサッカーの試合にどれだけ馴染むのか、ってゆー疑問が起こる。まあ日本のJリーグの応援もリーダーがいてコールをかけると全員がいっせいに同じ声をあげて同じ動きをする、たぶんイングランドとかイタリアじゃー見られない日本独特のやり方なんだろーけれど、それでも、とゆーかそれだからこそチアースティックなんて受け入れられそーにない。想像してごらん、ゴール裏で数千人のサポーターが一斉に長さ数十センチのチアースティック2本を取りだし打ち鳴らす光景を。見苦しい。喧しい。左右に当たる。しまう場所がない。グラウンドに投げ入れる。選手に当たる。喧嘩になる。ダメでしょう。

 まあ喧しいかどーかって意味では菓子杯とは言え1年に渡っておこなわれる公式戦の立派な開幕戦にあたる試合にもかかわらず、ホームの試合で来ていたヴェルディ・サポーターの数の少なさから想像するに例えチアースティックを鳴らしながらチアホーンを吹き鳴らしたところで、鹿島アントラーズの大コールには到底かなわなかったりするだろーから構わないのかもしれない。ってゆーか緑サポ、マジ少なすぎ、同じスタジアムをホームにしているFC東京のガスサポたちに比べてどーしてこんなに人気がないんだろー、「飛田給」の駅前のマクドナルドも赤と青のFC東京カラーにウインドウを染め抜かれているし……。緑がすべてを牛耳っていた10年前が何だか遠い昔のことのよーに思えてきた。これもホームタウン制が順調に育ってきている証なのかな。

 そんな緑の栄光を象徴する選手が白と黒のビアンコネーロにユニフォームを代えて神戸の地から来臨。どこで何をしているのか不明なマイヤー選手のゴールで幕をあけた「Jリーグ」のあの試合、国立競技場のピッチに立っていた三浦和良選手は今日も元気にグラウンドへと登場しては、相変わらずの格好良さを見せてくれて集まった人の注目を集めていた。レギュラー陣が練習を始めたにも関わらず、なかなか登場しないでカメラの人たちを待たせていたあたりはさすがにキング。それでもその分を最後までピッチの残ってスピードのあるシュートを放っていた姿に老いはまるでなく、未だ現役だとゆー理由の一端をそのプレーぶりに垣間見る。

このほかにエムボマまんじゅう、エムボマてぬぐい、エムボマ湯飲みなんかが、売られるよーになったりして  ハーフタイムでの練習でも岡野雅行選手なんかといっしょにシュート練習をしていてガンガン、キーパーも手に触れられないゴールをネットに突き刺していたからさすがなもの。試合には後半のロスタイムからの登場で、とりあえず出しましたって程度の扱いだったけどそれでもピッチに立つカズを、こちらは後半も早い時間の投入で、ボランチとしてとても僕らと同い年には見えない良い動きでもってチームに貢献していた兄貴の三浦泰年選手ともども見られたってのは良い経験だった。岡野選手も途中出場だったけど右のサイドで実に良い仕事をしていて今年は活躍も期待できそー。かつて知ったる名前の人でもまだまだ活躍できる所を見せてくれているのを見るにつけ、井原選手福田選手北沢選手の引退はやっぱり淋しいなー、ランク落ちようと年俸下がろうとユニフォームの色が変わろうと、プレーし続ける姿を見たかったなあ。

 さてヴェルディと言えば期待のエムボマ選手は今日に限っては不発弾。ヴィッセルのシジクレイ選手に密着マークされてたってこともあるけどそれ以上にエムボマ選手を有効に働かせることが出来るよーなスルーパスもクロスも送られず、最前線で孤立する姿が終始見受けられて前途の多難さを予感させる。エジムンド選手のよーに前線で張るだけじゃなく時々は守備もするし他の選手にパスも出すタイプじゃなく、張り続けてチャンスと見れば振り切り飛び出し点を取るタイプだから、周りが活かせないと完全に死んでしまうみたい。そんなエムボマ選手を囮に使ってセカンドストライカーで点を取りに行くってんならそれでも良いんだけど、いっしょにプレーした平本一樹選手の出来が今ひとつだったのか前半で代えられてしまったからなあ。石塚啓次選手が中盤にいて小倉隆史選手がペアだったらどんな感じになったかなあ。ちなみに限定の「エムボマTシャツ」は用意された250枚が完売する人気ぶり。この人気を持ってる実力に見合う実績でもって上っ面だけのものじゃなくしてもらいたいもの、サッカー人気全体のためにもお願いします。


【3月7日】 ゆうきまさみさんもトルシェビキだったのですね。神保町で仕入れた早売りの「ニュータイプ」2003年4月号に掲載の連載「ゆうきまさみのはてしない物語」はすでに去年の事のよーに思える(去年のことだけど)「ワールドカップ」絡みのネタで今さらって気もなかったりあったりするけれどそれはそれとしてゆうきさん、「たとえば僕は、フィリップ・トルシェ前日本代表監督が面白くって好きだったのだが」って感じでやる気を見せない(とトルシェが感じた)選手を合宿から追い返したり、間抜けな(とトルシェが思った)質問をする記者を莫迦にしたりとやりたい放題だったトルシェのキャラクターに賛意を贈っている。

 一方で虐げられた選手のファンに莫迦呼ばわりされたマスコミがトルシェを嘲り誹るのは構わないと言って理解を示している辺り、そーした反発を含めて一種の”トルシェ現象”そのもを面白がっていたとも言えるけど、それはそれとしてサッカー協会の会長な癖して自分を船長と呼んでくれって間抜けで場違いなことをいってるオールバッカーなおっさんが、「トルシェは自分の手腕で勝ったと言われたくてトルコ戦のスタメンいじくって選手がおかしくなっちゃた」と言ってトルシェを批判したことを取り上げて、「公の場で検証不能な人格批判を始める、というのは、代表監督のやとい主としてはいかにも軽率な印象を受けます」と指摘しているのは同感にして正論。全国1000万人トルシェビキの未だ釈然としない気持ちを実に綺麗に代弁してくれている。

 船長の前の会長が雇った人だから知らないと言えば言えなくもないけれど、その協会に役員としていた人なんだから一蓮托生で、だったらとりあえず「トルシェはよくやった」と誉めるのが、「4年間、自分たちが代表チームをゆだねた人間に対する、それが敬意というものだろう」と言っている。にも関わらず正反対に軽口を叩く感じであっけらかんとトルシェを批判してしまえる神経を「いかにも軽率」と批判するゆうきさんの言葉にたぶん間違いはない。「私語は会長をやめてからしてくれ」と僕も一緒になって言ってやりたいけれど、あれで元サッカー選手なんで喧嘩しても適わなそーなんで、スタジアムで面と向かっては叫びません。役立たず。

 軽率と言えば今回の米国遠征に絡んだドタバタもキャプテンとやらの腰の定まらなさを象徴する出来事と言えそーで、危険だと感じて取りやめスタジアムもキャンセルした以上は、例え向こうが全力を挙げて守るからと言っても「危険性が1%でもある限りにおいて取りやめるのが筋である」と反論して蹴り飛ばすのが人命を預かる船長としての責務。中東ってことはあっても当事国でもないサウジアラビアでの世界ユースの試合をFIFAが延期したのに、遠方ではってもモロ当事国の米国にしゃあしゃあと遠征して果たして筋は通るのか。あるいは案外に今も頭ぐるぐるめぐらしている最中かもしれないんで、今後どんな言説を繰り出してくるのかに注目しておこー。おやすぐ上に見慣れた名前が。「額に『あ』を書く話」だって。一昨年に開かれた草月会館でのイベント「ルネッサンス・ジェネレーション」で下條信輔さんが引き合いに出してたけれど、額からこめかみへとズラしていくとどこで「d」が「b」に切り替わるのか、やりだすとこれ、気になって夜も眠れません。

 戦争を前にした平均株価総崩れの影響もあって株価は100円割れ間近と相当にヤバい状況にあるけれど、作る作品への支持は着々と上がって来ているよーで、今が踏ん張り時だとブロッコリーに言って差し上げたい気になった「アニメージュ」2003年4月号の大特集。表紙におっさんたちが夢をもー1度と持ち上げる「鉄腕アトム」でもなければ、アカデミー賞での長編アニメーション部門受賞も日本のメディアの中では確実視されていてる「千と千尋の神隠し」でもなく、4月からスタートする新番組「デ・ジ・キャラットにょ」の主人公にして哲学やら社会学やら文学といった世界で「DOBくん」よりも知られてしまっている我らが「デ・ジ・キャラット」こと「でじこ」様を堂々とフィーチャー。それもコゲどんぼさん描き下ろしのオリジナルでじこで、その愛くるしさその見目麗しさ、その見えないけれど腹黒さに、惹かれ手に取る小学生から10代の男子女子のきっと山ほど発生することだろーと希望も含めて想像する。

坊主から坊主へと「日本SF大賞」は受け継がれた。もはや坊主でなくしては受賞はかなわない。欲しければ剃れ。滝本のように。  記事も8ページを抱負な上にこれまで秘密にされていた登場キャラクターがズラリと紹介されていて、商店街を舞台に移した新しい世界観とともに、繰り広げられるだろー話への興味をかき立てられる。桜井弘明監督へのインタビューもそれなりに読み応えがあるけれど、嬉しかったのは真田アサミさんが寄せているコメントで「やっぱりブラックでじこは健在でした」って言葉。「目からビームもすでに何回も」ってあるから「ワンダフル」版の超シュールさとは違っていても、それなりにオリジナルの性格設定を受け継いだものになっているんだろー。近く制作発表会もあるみたいだし、そこで明らかになるだろー全容を見た上でパンツ履いた2本角ロボットへの勝利を確信するとしよー。確信したいなー。

 仕事を理由に呼ばれてもいない「日本SF大賞」「日本SF新人賞」の発表会へと潜り込む。すでに大勢の推理小説と冒険小説とSFとファンタジーの面々の間を泳ぎつつ、前線へと出て表彰式の模様を写真に撮ったり挨拶をメモしたりと記者らしー仕事をしたけれど、去年も同じことをやって新聞記事にもしたのに、SF業界に伝わったって記憶がないのはちょっと淋しい、って工業新聞読んでる人なんて万人が千人もいないから仕方がないか。「アラビアの夜の種族」で大賞を受賞した古川日出男さんはハンチング被ったヒッピー風ってゆーかにあんちゃん風って格好でちょっと意外。しゃべりもなかなかにヒネてて、予想していた真面目さ一辺倒な文学青年ってイメージを吹き飛ばされる。同じ大賞を受賞した「傀儡后」の牧野修さんはイベントなんかでみかけた時と変わらない坊主頭で、トロフィーを手渡した去年の受賞者の北野勇作さんと向かい合ったら坊主どうしの黙礼って感じでビジュアル的に美味しかった。さすがにゴッツンコとはやらなかったけど。横で田中啓文さんもサックスを吹かなかったけど。


【3月6日】 ぶっちゃけマジに47歳サラリーマンのお父さんが愛娘の仇をとるため会社を休み体を鍛えてアマチュアボクシングの高校生チャンプに挑む話を書いて同世代お父さんたちの支えになろーとして書いたんだとしたら、35歳にして金城一紀さんも経済的には正しいけれど気持ち的にはしょっぱいなあ、って思った書き下ろし長編「フライ,ダディ,フライ」(講談社、1180円)。お父さんの体作りを助ける高校生が朴舜臣とゆー名前の在日でつっかかって来る相手に「日本人」と言って挑む描写も直木賞受賞作「GO」からこっち、金城さんの特色としてクローズアップされた部分に重なって作品への暖かい視線を送らせ易いポイントになっている。

 まるで予定調和なクライマックスなんかも含めてユルい話だなあ、でも読まれ諸手をあげて歓迎されるんだろーなー、なんて眉に皺も寄って来たけどあるいはそー思わせておいてその実描きたかったのは、とりたてて見返りもなく利害関係もないにも関わらず、威張り腐ったアマチュアチャンプをヘコませさいって考えからのお父さんを助ける高校生の少年たちの、軽やかさ爽やかさ格好良さであって、自分の眠っていたものを奮い立たせたよーに見えてその実、少年たちの助けがあって初めて奮い立つことが出来たお父さん世代のだらしなさだったりする可能性もあるから悩ましい。俺たちへの応援歌だと思って読んでいるお父さん世代を裏にまわって蹴飛ばしている、若い世代の凱歌だったりするんだとしたら金城さん、これでなかなか策士ってことになる。さてどっちだろー。お父さん世代代表な北上次郎さんあがりがどんな持ち上げ方をして来るのかに、ちょっと注目してみよー。

 たぶん出てくるだろーとは思ったけれど、今回の米アカデミー賞の短編アニメーション部門に日本のアニメーション作家、山村浩二さんの「頭山」がノミネートされたことから筆を起こしてこれこそが良質で素晴らしい「アニメーション」であって、いわゆるテレビで毎日のよーに放映されている「アニメ」は「専らコドモとオタク向けであり、なおかつ戦闘と破壊を(勧善懲悪の文脈であるにせよ)描いている」と断じ、区別しよーとする意見が「産経新聞」の3月6日付け朝刊2面に望月真理子さんとゆー人のコラムとして掲載されていて、やっぱり出てきたなあと感じる。

 なるほど「『アニメ』が青少年に悪影響を与えるだとか、モラリストめいたメディア批判をするつもりはない」と言い、また「そうした『アニメ』と、山村さんの作る普遍的にして良質な作品とは、根本的に異質なのだ」と言って「アニメ」側の事情に考えを及ばせてはいるんだけど、「普遍的にして良質」なものとは「異質」ってことはつまりは「アニメ」は「偏狭的で悪質」なものなんだって、言っているよーにも捉えられて釈然としない。そもそもにおいて商業作品であり営利が優先されエンターテインメント性が求められる「アニメ」を、山村さんの作品のよーに「芸術として」(山村さん談)作られている一群の短編アニメーションと同じ俎上で比較して、やれ良質だやれ暴力的だと指摘してしまうことが果たして妥当なんだろーかと迷う。

 コラムの筆者が心底から「アニメ」と「短編アニメーション」を「根本的に異質」と思っているのだったら、「専らコドモとオタク向け云々」といった言質を付けて比較するよーなことはしない方が読んでいて気持ちに優しかったし、山村さん自身が「アニメとよばれたくない」と言っていることの真意として、「アニメ」を見下しているんじゃなく最初から違う道を歩いているんだってことが伝えられたよーな気がする。山村さんの作る短編アニメーションが「普遍的」かって言われるとこれまたなかなかに難しいところがあって、そんなに普遍的なものなら堂々平日午後6時半から放送してみなさいよ、とも思ったけれど「アニメ」と並んでこーした作品も放映されるよーになる状況が、あって決して悪いものではないからここは希望を込めて「普遍的」としておこー。

 ってゆーかこの望月さんがコサルタントとして勤務している某巨大広告代理店は、「専らコドモとオタク向け」のアニメにビジネスとして資金提供していたりする訳で、 にも関わらず「『玉』と出会える確率が低すぎるのもまた事実だ」なんて断言してくれちゃっているから落ち着かない。某巨大広告代理店は「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」のよーな面白くって画期的で素晴らしい作品に絡んでくれていたりするけれど、探せばそればっかりではないだろーし、そもそもが「攻殻」自体が「玉」ではあっても立派に「戦闘を破壊」を描いた「オタク向け」アニメだろー。「頭山」の素晴らしさを讃えたいばかりに、手前の会社の仕事を筋としてよろしくない文脈で見下げることはやっぱり居心地がよろしくない。もちろん望月さんが言うように「良いもの、美しいものを選んで見る権利がある。それを次世代に伝える義務があ」って、山村さんの作品から「権利と義務について、それらを実現するためのメディアのあり方について、改めて考え」ることは大事。そうした風潮が今の「アニメ」が 駆逐した上に立てられるものではなく、新しい文化への認容として広まっていく機会として、「頭山」の是非のアカデミー賞受賞を希望したい。

 唐突に野球のドーム球場から始まって、ブリティッシュでアイリッシュな雰囲気を感じていた、どちらかといえばフットボールの球技場がお似合いの世界観とはまるで不釣り合いだなあ、なんて最初は感じた「L/R」だけど、説明抜きで状況へと視聴者を叩き込んだ上でだんだんと何が起こっているのかを見せて行き、どーして野球場なのかを分からせそれ故に起こっている問題にも言及し、人間たちのドラマを繰り広げてなおかつしっかりとシリーズを通してのテーマにも触れて次への展開につなげてみせる高度なシナリオに演出には心底脱帽、こーゆー回があるから「はわわ」を捨てても見ていて良かったと胸をなでおろす。ロープウェーの上でゆらゆらとするロウの姿に焦る少女の表情がなかなか。落ちそうになったロウから伸びたロープの先をしっかとつかんだ美女にも拍手。それにしても「GOTT」もかくやってなお偉方の陰謀に、残る話数でいったいどこへと連れていかれるのかに興味津々、前回を録画し損ねたのが悔やまれるけど、残る話数をちゃんと録画してラストをしっかりと見届けよー。DVDを買うかどーかはそれから、ね。


【3月5日】 ピクニックですか? 山の上へと歩いて逃げるエクレール軍団とリュミエール軍団から画面上の目測で約200メートル後方を同じよーにたらたらと歩いて追いかける偽エクレールと偽リュミエールたち、って光景の何ともまあほのぼのとしたものだこと。復讐に燃える奴らと必死に逃げる奴らとの間に繰り広げられている修羅場だとはとてもじゃないけど思えない。音速だって超えられそーな戦闘メカに乗って追いかける偽エク・リュミの2人から、飛びもしないで足でもって走って逃げて逃げられそーになってしまうシーンの、時空を描き手の意のままに操れるアニメーションならではの演出といー、ちょーのーりきを持ってる集団の癖して崖と湖くらいで追いつめられてしまうシーンのアニメーションならではの記号的表現といー、ある意味において”アニメ芸術”の先端を行った作品だったりするのかな、なんてことを「キディ・グレイド」の19話を見ながら深く黙考して出た結論、そんな訳あるかい。

 「ダンバイン」が「ビルバイン」に代わったり「ガンダム・マーク2」が「Zガンダム」に代わったり「ザブングル」が「ウォーカー・ギャリア」に代わったり「エルガイム」が「エルガイム・マーク2」に代わったり、「ハロ」が「ハロ2」に代わったり「ヤッターワン」が「ヤッターキング」に代わったり「鉄腕アトム」が「ジェッターマルス」に代わったり「バイオイエロー」の中身が変わったりと前々から主役メカが交代するのはアニメにはお約束ではあったんだけど、人間の主役がすり替わってしまうアニメは過去にそんなに記憶がない。ってかあったっけ? 「綾波レイ」は多分3人目だったけど見かけはまるで一緒だったしね。オープニングと髪の色も形も目の色も、まるで違うヒロインたちが、オリジナルでございと登場してはデンと居座るそのアバンギャルドさも含めて「キディ・グレイド」、芸術のみならず実験としての意味も大きく担わされた作品だったりするのかも。

 とか言いつつも見せてくれるところだけはたっぷりとあって目が離せなかったのも事実。跳べばまくれてのぞく白、あおれば下からまる見えな白と白、白、白のオン・パレードで真夜中に見ていた人はきっと興奮から朝まで眠れなくなってしまったんじゃなかろーか。おまけに加えて19話はアイキャッチにあの小野敏洋さんが登場、背後から豪快にエクレールのヒップを見せてくれたと思った次ぎには仰臥するリュミエールのいたいけな姿をもちろんちゃんと見えるよーに描いてくれていて、重ね撮り用じゃない独立したテープに撮っておいて良かったと安堵しつつ小躍りする。願うなら新メカ、じゃない新キャラになったエクリュミたちにもしっかりとサービスサービスゥ(死後、だけど近く復活)して頂きたいところだし、とりわけよりエレガントになったリュミエールにはレースにフリルの奴なんかを、エレガントに見せまくって頂きたいところ。残る話数で話がどこに帰着しよーとも、またはどこにも帰着しそーになくっても夢と希望をそちらに託して撮り続けます。でもDVDを買うかは未定。最終話最終話。

 素晴らしすぎ。「週刊少年マガジン」で先週にスタートするなり豪快にクマやら白牌やらを見せまくってくれて男の子たちの度肝を抜いた赤松健さんの新作「魔法少年ネギま!」は2話も冒頭からイタイケな少年を女子中学生が手込めにする、よーに見えるシーンから始まってちょっぴり人見知りする少女が、魔法先生の作った惚れ薬の影響もあって大胆に振る舞う展開の中、自己紹介もかねた盛大なご開帳を演じてくれていてそのコマの大きさ、その開き具合の大胆さ、そのふくらみ具合の微妙さ、その形のシンプルさのどれをとっても、その道にかけては超ベテランならではの技がふんだんに盛り込まれていて見ながら感涙にむせび、これは永久保存にしなければと普段だったら網棚に載せる「マガジン」をしっかりとディパックに入れて持ち帰る。31人の生徒のこれで残る29人を、順に紹介しつつ中身も紹介していけば29週つまりは向こう7カ月くらいは毎週、素晴らしい経験をさせてくれるってことで週中に増していた憂鬱もちょっとは吹き飛ぶかも。あるいは案外に女子部なのに菊之介とか混じってて、トランクスとか開帳してくれちゃったらどーしよーかと悩むけど、それもそれで悪くはないかな。とりあえず来週に期待。もちろん再来週にもその次も。

 「淑女の雑誌から」ってのが「週刊文春」にずっと掲載されていて、中身はといえば「女性なんとか」とかいった女性誌によく掲載されているお姉さま方やお嬢様方の体験談のヨガる、じゃなかった良いところを抜き出して紹介するってもので、その抜粋の仕方が巧いのかもともとの投稿の方がライターさんの手入れなんかもあって巧いのか、10行20行と短い割にシチュエーションなんかがしっかりと描かれていて、且つそそる部分も上澄みってゆーか濃い部分をしっかりと抑えてあって、読むとこれでなかなかに官能な感覚を味わえる。川上史津子さんって”エロ短歌”界隈で有名になったりしたけど元々は女優な人が天下の講談社から刊行した、エロいシチュエーションのショートストーリーを30編ばかり収めた「えろきゅん」(1300円)ってのを読んだ時に思ったのはそんな「淑女の雑誌から」を1人でやってるなって印象で、イタす場面のソソるシーンをさまざまなシチュエーションでもって描き分けた文章は短いながらも読むほどに目にそのビジョンが浮かんできて、気持ちを激しくくすぐられる。

 おまけにそれぞれの文章が例えば改行なし句読点なしで続けられていたり旧仮名遣いで書かれていたり台本めいていたりギャグ調だったりと技法修辞がバラエティに富んでいて、いろいろ考えて書いているんだなってその文章に対する真摯さがページから浮かんでくる。文章がだんだんと長くなって短くなっていくのを繰り返していったり旧仮名遣いでレトロな雰囲気を出したりと、技法ありきで内容は悪くはないんだけど印象として理に走り過ぎているよーに思えるものもあるけれど、まあそれも文体練習の一環として見ておくとして、ロジックに走らず思うがまま、感じたままをベタベタと書き走ったよーな断片的な文章なんかは読むテンポに感じるテンポがシンクロして、気持ちを盛り上げてくれる。肝心な場面でこーいったシチュエーションを盛り込みつつ全体に物語を構築できたら、面白い散文が出来そーな気もしないでもないけれど、その辺をプロの編集の人たちとかはどーみてるんだろー。「生活文化第二出版部」ってところからの刊行だから文芸とは重なってないみたいだけど、これをもってあるいはそっちへとすり抜けていったりするのかも。芥川賞とか獲るなんてなったら会見に呼んでください傅きますから。


【3月4日】 「軟弱者!」「軟弱者!」「軟弱者!」「軟弱者!」「軟弱者!」「軟弱者!」「軟弱者!」「軟弱者!」「軟弱者!」「軟弱者!」「軟弱者!」「軟弱者!」「軟弱者!」「軟弱者!」「軟弱者!」「軟弱者!」「軟弱者!」「軟弱者!」「軟弱者!」「軟弱者!」。どうせおいらは軟弱者さ。「あなたなら出来るわ」「あなたなら出来るわ」「あなたなら出来るわ」「あなたなら出来るわ」「あなたなら出来るわ」「あなたなら出来るわ」「あなたなら出来るわ」「あなたなら出来るわ」「あなたなら出来るわ」「あなたなら出来るわ」「あなたなら出来るわ」「あなたなら出来るわ」「あなたなら出来るわ」「あなたなら出来るわ」「あなたなら出来るわ」「あなたなら出来るわ」「あなたなら出来るわ」「あなたなら出来るわ」「あなたなら出来るわ」「あなたなら出来るわ」。なんかやれそうな気がして来ました。星が見えるよ。合掌。

 乳が足りん、とお嘆きの兄もあるやに想像したけど土台つるぺたで海豚の発する超音波をまんま跳ね返しそーな板状のボディを前面に抱いた少女が主役級を張ってる小説である以上、その活躍次第では他の豊満にして突出した乳の出番が減ってしまうのも仕方がないと、そっちマニアの人には諦めて頂くしかない夏緑さんの「葉緑宇宙艦テラリウム 瑠璃色の水妖姫」(MF文庫J、580円)。しかるにタニマニアながらも平べったいのだって大好きな人間である無節操な当方にとって表紙から裏表紙からイラストのほとんどにご登場のつるぺた娘、ハイライン・ラティーンの大活躍は歓迎すべきことであって、爆乳と呼ぶに相応しいプランツェルにいじられぶーたれるその言動も含めて読んで嗜虐心と哀切の感情を刺激された。ありがとう夏緑さん、ありがとうOKAMAさん。

 さてお話はと言えば美女コンテストに萌え、じゃなかった燃えた火星の喧騒から遠く離れてここは太陽系も外縁にあたる海王星、その衛星トリトンで造園のお仕事をしたテラリウム一行は、2カ月前に突然決まったとゆー異種サイボーグを禁止する法律に違反した咎で、艦長のヒース・ブレードウッド・クラッスラーもハイラインもプランツェルも地球外珪素生物のローズもまとめて捕らえられ、刑務所へと送られてしまう。そして女囚房へと送り込まれたハイラインには既に入獄していたコワイお姉さま型の手荒な歓迎が、また男の囚人がいる房へと送り込まれたヒースには白くてみずみずしい肌とそして柔らかそーなお尻を讃えるなま暖かい視線が待ち受け、ともに健康と貞操の危機へと陥る。

 その爆発的な水着姿で火星の男たちを狂気させたドラセナ・モナルダ大意と相棒のメイドロボット・チコリの登場もちゃんとあって読みどころは沢山、みどころも存分なシリーズ第3巻。どうして突然にして異種サイボーグの禁止がきまったのか。果たしてテラリウム号のクルーは脱出できるのか。ロボットの感情の有無といった科学の問題、異種サイボーグの役目といった差別に通じる問題などが提起されつつ進んでいく物語のその向こうに、かつてヒースが生まれ育った「千人委員会」なる特権組織の謀が浮かび上がって先行きに暗雲を立ちこめさせる。脳天気な中にも少しづつ、シリアスな話が入ってきて期待できそーな今後の展開だけど可能ならばもー少しだけ、例えばページ増量で今くらいのつるぺたに同じくらいの爆だったり巨だったりする乳を、OKAMAさんの美麗なイラスト付きで頂ければ息子もきっと喜びます。なんのこっちゃ。

 シャープの3D立体表示液晶が去年に発表されてその技術が使われた携帯電話が登場したりして、実用化に向けた動きのいちじるしい立体画像のよりいっそうの普及を目指す「3Dコンソーシアム」ってのが発足するとかで発表会をのぞく。シャープの人とか三洋電機の人とかソニーの人とかいったディスプレーを作ってるハード系の会社の人とそれからコンテンツ系では伊藤忠商事、システムインテグレーション系ではNTTデータが幹事になって発足しただけあって見かけはシャープの液晶、三洋のプラズマといった3D立体表示ディスプレーを軸にソニーの偏光眼鏡経由によるパソコンでの立体画像表示技術なんかも混ぜた、まずはハードの普及ありきな会かと思ったらそーでもなく、「しげしげしげお」をバンダイと開発したエイチアイとか小学館みたいな出版社、日本テレビ放送網みたいな放送局に電通のよーな広告も絡んだそれなりなコンソーシアムになっていて、ハードソフトにコンテンツが三つ巴となって立体画像の市場を創出していこーって意気に燃えていた。

 なるほどエンターテインメントで立体に見えると楽しいってのは平行法に交差法を駆使してグラビアのヌードを見ていた時代から「バーチャルボーイ」の可能性にわくわくした時代から脈々と流れていることだけど、ビジネスの世界なんかでも例えば手術の模様を立体映像にして配信すれば、世界で見ている人がよりリアルにその手法とかを理解できたりする訳だし、地図データなんかも平たい画面で見るよりは立体になっていた方が地形なんかをつかみやすい。いくら眼鏡なしでも立体に見えるよーになったとはいっても、チラチラと切り替わる画面に追従して立体視を続けていると目に結構な負担になるエンターテインメントの世界よりは、必然として立体化を求めるこーした分野の方がむしろ需要があるのかも。エンターテインメントは映画よりはゲームに期待したいところだけど、立体になってこそ楽しめるゲームの勘所ってのを掴むまでには時間がやっぱりかかるんだろーなー、その意味で横井軍平さんによる「バーチャルボーイ」の実験が、売れ行き不振から頓挫したのが惜しまれる。「枯れた技術の水平思考」とか言っても、やっぱり先を見ていた人だったんだなー。

 「マスコットロボ ハロ」も欲しかったけどとりあえず買い残していた京本政樹さんをモデルにした沖田総司フィギュアを秋葉原の「ボークス」で購入してこれで「アルフレックス」 謹製の時代劇フィギュア「新撰組」が勢揃い。日曜日には3人とも平積みだったのが1日置いただけですでに栗塚旭さんの土方歳三 は売り切れになっていて、改めてその人気の高さを伺い知る。買っておいて正解だったよ。三船敏郎さんの近藤勇と沖田がだいたい同じ数くらい残っていたけど、前の「侍 三船敏郎」に比べて明らかに原形のスキルも上がって顔の表情が細かくなっているんで、三船は持ってるって人も近藤を買っておいて損はない。来年の大河ドラマがスタートすれば、香取慎吾さん演じる近藤との対比でこっちにも注目が集まるだろーし。沖田は明日の「食わず嫌い選手権」でゲストに出る京本さんの宣伝如何か。


【3月3日】 「あかりをつけましょしょんぼりに」by秋田冒険王(まんが王だったっけ)。お嫁に行けなくなるとマズいんで時間が変わった瞬間に昼間買った雛人形(お内裏様・近藤勇、お雛様・土方歳三)をしまい込んで真夜中の「セリエA」中継をチラチラと鑑賞する。すでに1日以上が経ってる試合を堂々、放映してはばからないフジテレビは脇においてリアルタイムではないけど1時間くらいしかズレていない中村俊輔選手登場の「レッジーナvsウディネーゼ」を見て、プレッシャーがない場所では中村選手、精度もタイミングもバッチリのクロスを上げるなあと関心する。プレスばりばりの相手でこれだけ活躍できるよーになれば案外に中田英寿選手よりもミラクル性の高い選手になれそーな気もして来たけれど、そうそう巧くいくのかいかないのか。とりあえずは降格を避け残留を決めた上でもうちょっとだけメジャーなチームで先発できるかどーかが名と凡との分かれ目になるんだろー。まずは次、そして次と順を踏んで見ていこー。

 そんな中村選手の活躍ぶりは、「スカパー」にでも入っていればリアルタイムで見られるんだけど、家と家の谷間に位置する我が家では「スカパー」の電波を果たしてアンテナが何の障害もなしにキャッチできるかが微妙なところで、引っ越してきてテレビを買って10余年になるけど未だにパラボラは導入しておらず、去年の「ワールドカップ」のフィーバー時でも二の足を踏んでいた。安いとは言っても買えばセットで1万円とかするチューナーとアンテナのセットだけに、使えなかった場合フトコロとココロに響くんだよね。そんな中で何か「ゲーマーズ」が10ポイントあれば「スカパー」のーチューナーとアンテナのセットをくれるらしく、すでにして溜まりまくりなポイントから10ポイント程度なら出しても良いかなって思っていたりする。願わくばアンテナに堂々の「デ・ジ・キャラット」マークでも入っていれば嬉しくって庭に見せかけでも飾るところなんだけど、注文すると「スカパー」から届けられるよーな仕組みになっている以上は、そーした「特別仕様」はあんまり期待できなさそー。それでもタダなら安いしなー、さてどーしよー。

 160ポイント以上あるポイントカードから10ポイントが減ったとして残るポイントをどー使おうかと考えているところに、サッカーJリーグのチーム、湘南ベルマーレのスポンサーを現すホームページのバナーから「ブロッコリー」が消えていることを発見、これで去年まで使われていた「でじこ」入りのプラックティスシャツの新しいバージョンは作られないことが決定した訳で、遠からずマボロシと消えてしまう前に確か60ポイントだけで交換しているシャツをゲットしておかなくっちゃと焦る。とはいえ既にして秋葉原の店ではポイント交換可能商品の棚からシャツは消えてしまっているしなー。池袋とかならまだ残っているのかな、あったら既に1着は購入済みのがあるんでそっちは永久保存にしよー、「ベルマーレ」が消えるかあるいは「ブロッコリー」が消えるかして超プレミアなグッズになる日を妄想しつつ。

  同じく「湘南ベルマーレ」のスポンサーバナーから中田選手が関わっていた「nakata.net」のバナーも消滅していてこちらはちょっと吃驚、まあ最初っから何年かの約束でJ1にあがれなかったらどうとかいった約束もあったかなかったで、未だJ2に留まり続けているチームに対していくらOBだからっていつまでもスポンサードし続ける訳にはいかなかったのかも。とはいえパラグアイ代表だかのリカルド選手が加入した上に監督はあのトルシェ前日本代表監督の下で4年をやり通した忍耐と実力の人、サミアが就任したってこともあって躍進が期待できそーな年だけに、ここで降りてしまうのは「nbakata.net」も「ブロッコリー」も勿体ないといえば勿体ない。とりわけ「ブロッコリー」は期待していた「でじこ」のアニメ化もスタートするって時だけに、そこで引かなくっちゃいけなかったとは、あるいはなかなかに厳しい状況にあるのかな。それともサミアが「でじこ」嫌いだったとか。サミアは実は「ぴよこ」だったとか。

 送られて来たものには編集者が目を通して水準を超えていれば出版するとゆー、まるで古き良き持ち込みシステムのよーだけどそーじゃなくって立派に「Next賞」と名付けられているシステムから登場した3冊の中で、取り上げられる機会が1番多かったよーに思う川上亮さん「ラブ☆アタック!」(角川書店、950円)を遅蒔きながら読了、なるほど複数の視点でもって描き継ぎながら全体として1つに重なってくる事態を描く手法の巧みさと、出会い系サイトとゆー旬の話題をその面白さその特徴その危なさも含めて描ききった筆力は評価するに吝かではないけれど、巧すぎるあまりに展開が想像しやすい上にそれをそれほど裏切らない形で締まっていて、感心はしても感動とはちょっと紙一重な感情に捕らわれる。身近な人らしー秋口ぎぐるさんの「ダイナマイト刑事」シリーズの破天荒さとも「バレッツ&バンディッツ」のドライブ感ともちょい、離れているんだよね。

 もっとも先に同じ「Next賞」から登場した谷川哀さんの「タッチ」を裏返してひっくり返して暗黒面にまみれさせた挙げ句に血と泥と精液で塗り固めたよーな野球小説「リベンジ・ゲーム」(角川書店、950円)とか、深見真さんの拳銃アクションだけを描いたかったんじゃないかってゆー情熱だけで世界を構築したよーにしか見えない「アフリカン・ゲーム・カートリッジズ」(角川書店、950円)っていった、繰り出されるビジョンの余りにすさまじい作品を読んでしまっていたことが、「ラブ☆アタック!」の巧さを手慣れたものと見せて読む身を1歩ひかせてしまったのかもしれない。ロジックよりレトリックよりビジョンに惹かれる人間だからってこともあるのかなー、SFもビジョンの楽しささえあれば理論もロジックもそれほど気にならないし。いずれにしても3冊ともがなかなかだったことで期待が持てそーな「Next賞」、だけど次が続かないのは何故?


【3月2日】 新世代オタクトークとやらを片目で見ながらも速報系巨大掲示板にて将棋の順位戦A級の最終局を中継しているテレビ番組の実況をリロード繰り返しながら閲覧、森内俊之名人への挑戦権が未だ決まっていない中での最終局は佐藤康光棋聖が郷田真隆9段に勝てばスンナリと7勝2敗で挑戦者に決まったところが郷田9段の頑張りによって混迷へ。続く対局を横目に羽生善治4冠王は青野照市9段を下して6勝3敗でシーズンを終え、5勝3敗どうしの藤井猛9段と谷川浩司王位の試合も藤井9段が勝利して6勝3敗で羽生4冠王と並んで、郷田×佐藤の終局次第ではプレーオフ進出もありえる状況になってしまった。

 さらに言うなら郷田9段、順位で1つ上の島朗8段がすでに三浦弘行8段に勝って5勝4敗で順位戦を終えていて、ここまで4勝4敗だった郷田9段が仮に佐藤棋聖に勝ったとしても、順位差でもって既に2勝7敗でB級1組落ちが決まっている森下卓8段とともB1落ち行きは避けられない。いっそだったら佐藤棋聖に負けて相手に華を持たせることだって可能だった訳だけど、そこは真面目さが取り柄らしー郷田9段だけあって手を抜くことはなく、自身のB1落ちを知ってもなお佐藤棋聖相手に戦い抜いて勝利をもぎ取り、佐藤棋聖を羽生4冠王、藤井9段の3人でのプレーオフの場へと送り込んだ。格好良いなあ、こーゆーのって。

 とゆー訳で棋界最高峰、は今は読売新聞社主催の「竜王」ってことになっているんだけど伝統ではこっちが上な「名人」に挑戦する権利をかけてまずは10日に羽生vs藤井の戦いがあってその勝者が26日に佐藤棋聖と挑戦権をかけて1発勝負のプレーオフを戦うことになる。対局過多で中盤をすこし弱まったまま過ごしていた羽生4冠王もここのところ絶好調で4冠王に返り咲いたばっかりで、丸山忠久9段との棋王戦をしのげば再びの7冠王に向けた最難関、でもって残り確か2期でもって永世名人の資格もできる名人位の獲得も、あながち夢ではなさそー。「ヒカ碁」の影響で子供が囲碁に向かってるって話もあったけど、”羽生名人”誕生となれば世間の耳目もふたたび将棋に集まるってもので、負った業界の期待メディアの関心をプレッシャーと感じず勝ち続けて行くのかに、ちょっと注目して行きたい。とか言ってたら10日にあっさり負けたりして。

 「花粉症の方はご覚悟下さい」と表に書かれているとかいないとかで評判の「ヴォルフガング・ライプ展」を「東京国立近代美術館」へと見に行く。噂では花粉飛び散る中を流れる涙に鼻水にむせびながら見なくちゃいけないって話(一部誇張)だったけど、展示してある作品は床面に1メートル四方でタンポポの花粉が敷き詰められていたり、瓶の中にマツとハシバミとタンポポの花粉がため込まれたのが並べられていたりする程度で、舞い上がって今の季節にセンシティブな方々を痛めつけてるよーな風はない。そもそもがスギ花粉症の人がタンポポにも反応するってことはないから行くと大変なことになるってのがそもそも冗談なんだけど、センシティブな人ってそれはもー「花粉」って単語を目にしたり耳にしただけで、目鼻がカユくなってくるものらしーから、そこに積み重なったものが例えタンポポやマツの花粉でも、見ればやっぱり何かを感じたりするのかも。とりあえずお試あれ。

 さて作品はと言えばタンポポ花粉が敷きつねられている他には大理石の表面にミルクを張って張力で持たせてある作品とか、8枚の真鍮製の円錐を楯に並べた回りに米を撒いたり、蜜蝋を固めて段々の大きなブロックにして置いたりした極めてシンプルなものが中心で、あまりにシンプルなんで花粉とか、米とかいった聞けば生々しいはずの物体もそこでは乾いて静かな存在になってしまっていて、例えばヤン・ファーブルが見せる玉虫の標本を幾重にも貼り付けて作った服のよーな、臭いまで漂うパワフルな生々しさを覚えず気持ち拍子抜けな印象を受ける。いわば”死体”な玉虫の標本がパワフルで、命の源ともいえる花粉に種子(米)がかくの無機的なのはそれが表面的には生命活動のインターバルにある存在だからで、そのままでは腐らない限りは永久に近い年月を、生き抜き未来へと生命を運ぶために身をすくませて時間を固形化させているからだろー。

 つまりはそーした花粉なり、種子への意識を持った上で見なくちゃいけないってことで、単なるフォルムとかあるいは色彩とかいった”美”の意識だけではくくれない、コンセプトそのものであり行為そのものを見て感じるべき作品だって言えるんだけど、一方ではそーした御託を考えるのも面倒な人間にとって、内在するパワーとやらを受け取る以前に見てくれの平凡さに気を緩めてしまいそーな作品であることも一部には事実でもある。そのあたり、東南アジア系のアーティストなんかが米とか瓢箪とか扱う手さばきの馴れてはいなくても大胆でパワフルでストレートな様に比べて西洋っぽいすました感じも受けないでもない。とはいえそれでも金属や石や顔料に比べて種子の持つ柔らかさや親しみやすさ、花粉の持つ軽やかさが醸し出すイメージを広げてそこに、命の力を持ったりしやすい作品であることは確か。ましてや冬が終わって春になり、芽が吹き花が咲き花粉乱れ飛ぶ季節が訪れた今だけに、見て得られる解放感は格別なもの。9日までってのが残念だけど日に日に暖かくなるこの1週間の良い日を選んで、行って春の生命力を感じてみてはいかが、気になる人はマスクと眼鏡を装備して。

 秋葉原へと回って「ボークス」のショールームで「アルフレックス」から遂に発売された「新撰組」の3人集のフィギュアを発見、山積みにされた上に「1000体限定、希少」とまで書かれてあって、テーマそのものが持つ普遍的な人気に加えてNHKが大河ドラマで摩訶不思議なキャスティングでもって新撰組を映像化するってニュースも流れたばかりで、その三谷幸喜ぶさん的理想を行った大河ドラマのキャスティングとは対局を行く、根っからの時代劇ファン、新撰組マニアの理想をひとつの形に結実させたキャスティングでもってフィギュア化されたアルフレックスの製品に、人気集中から早期の完売御礼も確実と見られたこともあって、持てる財布の中から福沢諭吉を取り出しつつ、フラフラとフィギュアをレジへと運んでしまう。嗚呼衝動買い。

 悩んだのが3人はまとめて買うだけのお金を持っていなかったことで、うち2人を選ぶとしてさてと考えてまずは真っ先に栗塚旭さんの土方歳三を手に取る。やはり人気も1番らしく積まれた箱の山で減りが1番早い模様で、ここで逃せばあるいは一生を見るにかなわない可能性もあったんで仕方がない。次に、と考えた時に迷ったのが三船敏郎さんの近藤勇京本正樹さんの沖田総司かって所だけど、山の減り具合とそれから既に一度「侍 三船敏郎」が売り切れになる人気を見せていたことから近藤局長を購入することに決定。美形ではあってもちょい、時代劇ファンからの人気ぶりに癖のある京本さんはしばらくは残っているだろーと判断したことも理由だけど、案の定にレジへと土方、近藤を持っていくと店員さんから「ああ、やっぱり沖田は人気ないんだ」と言われてしまう始末で、仕方がないとは思いながらもちょっぴり可哀想になる。まあ今日は手持ちの資金難で見送っただけで今週中にでも「ボークス」かあるいは「アルフレックス」のショールームに出向いて買う気なんであんまり気を落とさないでと言っておこう。草刈正雄さんだったら即買いだったことは内緒だ。


【3月1日】 いっそこっちを大河にでも朝の連ドラにでもして欲しいぜ、って思ったけれど1話完結ながらも引きを持たせて先へとつなぐ連作的な構成では、大河は無理だし朝の連ドラでは慌ただしすぎるからやっぱり無理、金曜時代劇がやっぱり一番相応しいと思い返してだったらせめて、あと3月なりとも放映して頂きたいものだといよいよラス前の「人情とどけます」を見ながら歯がみする。こんなにも面白くっておまけにみやむー宮村優子さんまで出演しているのに、アニメの新作は欠かさずチェックしていても「今週もみやむーは悪辣だった」ってな「人とど」(略すとヘン)の感想はまるで見かけないんだよなー、喜多哲士さんの2月21日付がみやむー的カクテルパーティー効果を挙げている程度か、探せばあるかもしれないけれど。

 そのみやむーの策謀家ぶり陰険ぶりは今週はあんまり出なかったけれど、変わってラス前らしく大盛り上がりの1話でラストが近づくに連れてぐんぐんと気持ちにこみ上げて来るものがあった。姑の婆さんが布団で臥しているシーンなんて最初は原田美枝子さん演じる嫁をひっかけつつ、仲直りしよーとする姑たちの芝居だと思ったんだけど、途中にあった嘘つき兄さんを諫めるの段とは違ってここはシリアスにまとめて来たよーで、すべてが明らかになって終息へと向かう怒濤のクライマックスへと至る心の準備をさせてくれた。予告だと清太郎さん関連で不穏な動き。どーなるか。せめてあと1回は女装(ってゆーか元に戻った)格好で男言葉を喋るまどか=本上まなみさんを見たいなー、出来れば続編なんかも作って欲しいなー、話がないなら出久根達郎さんには続きを書いて欲しいなー。

 きたーっ、と言っても既に広い範囲に周知徹底はされているけどパイオニアLDCからあの超SF大作(になると公開前には激しく期待されていた)「さよならジュピター」のDVDが初回限定生産でいよいよ3月21日に発売になるそーで、届いたリリース情報の中に記載とか読んでその特典の豪華さ豪勢さ豪毅さに例え作品はアレであってもこれは買わないと人間として、SFとしてマズいのではって気にさせられる。その特典とは1つが「Making of さよならジュピター」で、今は絶版になっているメイキングを日本が誇る特技監督、川北鉱一さんの解説入り(予定?)で再録している。そしてこれは珍しい「私家版メイキング」。おそらくは当時流行始めたハンディビデオカメラを持って、撮影現場に密着した小松左京事務所「イオ」の人とか小松左京ファンの人(「小松左京研究会」の面々か)がプライベートに撮って編集した映像が、参加した人の座談も込みで収録されているとゆー。一体誰が喋っているんだろ。

 さらには当時放映されたテレビの特番を小松左京さんへのインタビュー中心にダイジェストにしたものに(コンピュータ付きブルドーザーの凄みを見よ!)、「イオ」が作ったデモンストレーション映像が15分、小松左京さんがホワイトボードに描いた絵コンテをビデオで収録したもの40分(これを見ればあの衝撃的な無重力交合シーンの秘密もバッチリ、かも)、小松さんの想像した宇宙基地や宇宙船を今はロボットの人になっている張仁誠さんとか「スタジオぬえ」の宮武一貴さんが描いたイメージ画と、静止画でもって存分に収録してくれているとゆー。坂村健さん「電脳都市」のビジュアルなんかで見せていた、シド・ミードもまっつぁおの張さん的ビジュアルがまた見られるなんて幸せの極み。「電脳都市」は持っているんだけど例によって部屋の中に行方不明で見られないんですね。

 そしてそしてこれが究極。封入特典として「こまけんハレーション」の著作もあるくらいに熱烈的小松左京主義者だったらしー漫画家のとり・みきさんが「週刊少年チャンピオン」に連載していた漫画で後にテレビドラマにまでなってしまった(んだったっけ?)「クルクルくりん」の第52話、「こちら撮影現場!!の巻」を復刻の上で収録してしまっているんだ。「チャンピオン」の連載で撮影現場ルポを漫画に借りてやってしまったってことだけで、とりさんの”こまけん”ぶりも伺えるってもの。「くりん」も勿論「チャンピオンコミックス」版を揃えてあるけどやっぱりどっかに行って出てこない。SF界の超アイドルだった頃の大原まり子さんが先生になっていた「くりん」だけど復刻版にも出ているのかな、なかなかに可愛く描かれているんだよな、太いけど。かくもこれだけ詰まってなおかつ無重力交合、あっと驚くタメゴロー歌手、平田”芹沢教授”昭彦さん、21世紀まで生き抜いた森繁久彌さんも見られる本編ディスクも付いて7800円は絶対にお得、買うしかない、これにあと「電脳なをさん」vol.271「さよならゲートウェイ」(第5巻収録)も入っていれば完璧なんだがなあ。

土砂降りの雨が中に溜まって溢れてました。嘘です、とっととしまわれちゃいました  土砂降りの中をサッカー「ゼロックススーパーカップ ジュビロ磐田vs京都パープルサンガ」。珍しく貴賓席の真ん前なんて奇跡的に最高の席が取れた時に限って雨で屋根のかからない場所で待ち時間も含めて2時間半も座っていなくちゃいけない、この間の悪さから想像するにすでにして今年の運は使い果たされていたのかも。試合の方はといえば先週の「A3 マツダチャンピオンズカップ」で無得点から最下位に終わる体たらくを見せたジュビロがフォワード陣をこれまでの偽高原、じゃなかった西紀寛選手からブラジル出身、フォワードのダイナモと勝手に名付けたグラウ選手へと替えて再起を図ったところこれが大当たり、前半こそ飛び出しのタイミングが早すぎたり、センタリングの精度が今ひとつでゴール前に走り込んだゴン中山雅史選手に会わなかったりしたんだけど、後半に入ると前線でうまく周りと絡みだし、藤田俊哉選手が先取点を挙げた時も触っていたかあるいは前線で攪乱役を果たしたことで、藤田選手がうまく切り返し抜け出しては左隅へと流し込むことができた。

 中盤も底で福西崇史選手が頑張るわ中央で名波浩選手が左右にさばくはでジュビロのほぼ独壇場。福西選手からの長いフィードが前線に回って藤田選手がシュートしたのをキーパーがはじいたところに、走り込んでいたグラウ選手がきっちりと決めて2点目をあげ、勝負をほぼ決定づけた。3点目はコーナーから流れた所にこれも良い場所を陣取っていたグラウ選手がごっつぁん。2点の活躍でもって坊主頭だけは先代に似ながら今ひとつだった西選手から、フォワードの座を奪ったかあるいは奪うに足る仕事を果たした。

 京都も決して悪い訳じゃなかったんだけど、先週とうって変わってキレキレに切れていたジュビロの選手たちの良さが発揮されたことに加え、控えに回って呻吟していたグラウ選手のプライドが、前半のやや空回り気味を乗り越えて後半に爆発したってことだろー。その辺はさすがにJリーグチャンピオン、しっかりまとめて来ています。ただなあ、名波選手も中山選手も藤田選手も服部選手も30過ぎか今年30歳になる人ばかり、なんだよなー、30歳カルテットの鹿島アントラーズのディフェンス陣に比べればまだマシだけど、老練さが味になるディフェンスに比べると働きの度合いも大きい中盤から前線がこれはやっぱりキツいかも。西選手にははやく偽高原から脱して頂きたいもの。西野泰正選手にも早く成り上がって頂きたいもの。でも名古屋グランパスエイトには勝っちゃダメだよ。


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