縮刷版2003年2月中旬号


【2月20日】 1時間ほど居眠りしよーと午後10時頃に横になって目覚めたら午後3時半。そこからアニメーションの「L/R Rycensed by  Royal」を見てそれからちょっとだけ「でじこミュニケーション」で遊んで空も間もなく白み始める時間になって横になり、午前9時とかに起きて慌てて出かけてるんだから、寝た時間の総計ではむしろ忙しいサラリーマンの人より多かったりするのかも。でも最近1日最低で8時間は寝ないと生きてる感じがしないんだよね、歳食った証拠なのかな、でも歳食うと起きるのが早くなるってゆーし。やっぱり逃避か、仕事や他にすべてからの。

 「L/R」の方は前回からの続きで「少女都へ行く」にも登場したモンキー美少女(美少女の猿じゃなくって猿を連れた美少女の意味)のノエルが帰ったアイヴォリー島に乗り込んだ、ロウ・リッケンバッカーとジャック・ヘフナーの我らが「L/R」は晴れて美少女との感動の再開を果たしつつ、一方で「アンジェ」と自称する爆弾犯の手がかりを探していたところに襲いかかって来たジェット機の編隊。近代兵器を相手に絶体絶命かと思いきや、「こんなこともあろうかと」隠しておいたソードフィッシュならぬよく分からないジェット機を駆って大活躍。地上で追われて惑うノエルもついでに助けてしまう目立ちぶりにこいつら本当に秘密諜報員かと訝りたくもなるけれど、すでにして住処もメンバーもマスコミに割れている王室近衛隊だからあんまり関係ないのかも。

 それより物語的には「15年王女」とやら応募して落選してアイヴォリー島へと帰ったノエルが実は、ってな展開だったことでそれだけならある程度は予想もついたけれど、実は結構なお歳のカミール女史が目にも眩しいふとももをさらけ出してまで跪いて頭を垂れてはらった敬意に対してノエル自身が、それを半ば必然のものとして受け止めていたことが意外っちゃー意外。もしも死んだ母親から聞かされていたとしたら当然に例の時計塔のミニチュアの秘密も知っていた訳で、それを知らない相手に見せて渡してしまっていたことにも実は何らかの含みがあったのか、って想像がふくらんで来る。同じ王位を継承する資格を持った少年の父親が黒幕化しているイシュタル王国を舞台にした政争も勃発しそーで、これまでは単に1話完結のアクションスパイストーリーだった物語にも、流れを深みが出て来そー。はわわな裏番組が相変わらず強いけど、このドロドロがどう決着するかを楽しみに見て行くことにしよー。ところで猿、出てたっけ。

 それはもうものすごい大昔にあれは東海テレビでだったっけ、かつてテレビで絶大な人気を誇ったアニメーション「鉄腕アトム」を現代(つまりは放映時の1977年)に蘇らせた「ジェッターマルス」ってゆーアニメが始まるって話が学年誌とかで話題になっていて、既にアニメを見るにはいい歳(小学生だったけど)だったにも関わらず割に意識して放映を待っていた記憶があるし、放映後にかかったテーマソングもうっすらとは覚えているんだけど、第1話も含めて本編がいったいどんな話だったかってなるとこれがほとんど記憶になく、いつまで続いたのかもまるで覚えていない。夏休みの子供向け再放送「海のトリトン」も土曜日おお楽しみだった「タイムボカン」「ヤッターマン」も物語が記憶に残っているのと比べると、この違いはつまりは当時の小学生にとってすら、「アトム」(「ジェッターマルス」とパチもんっぽさはあるけれど)は既にリアルタイムのヒーローではなく、作品として集中するに価しないものだったってことになるのかもしれない。お話自体が良くなかったから記憶に残らなかったってことはない筈。子供ってお話がどーでもとりあえずは見るものだから、善し悪しはこの際関係なしに眼中を外れていたって言えそー。

 80年に日本テレビ系で放映された「鉄腕アトム」に至っては放映されていたことすら頭の隅から外れていたりして、同じ頃に放映の「機動戦士ガンダム」なり、「未来少年コナン」に比べた印象度の低さを改めて痛感していたりする。まだ現役で手塚治虫さんが漫画を描き新作の単行本がぼこぼこと出ていた当時ですら、子供にとっての関心のらち外へと押しやられていた「鉄腕アトム」がだから、この4月6日から新しいデジタルのテクノロジーと最高のスタッフと半端じゃない資金力でもってアニメ化されて放映されるって言われても、いったいどこまでムーブメントを起こせるんだろーか、ってのが目下の関心の置き所だったりする。なるほどテレビ局の偉い人も製作会社の偉い人も広告代理店の偉い人も「鉄腕アトム」が全盛だった時代に生まれ或いは育ち果ては自らその興隆に関わった人たちばかりで、作品への思い入れも手塚治虫への敬意も強いものがあるだろー。けど今、まさに現役でテレビを見ている子供たちにとって手塚治虫さんが石森章太郎さんでも同じ事、「ポケットモンスター」や「遊戯王」に知名度関心度印象度で大きく引けを取っている。

 したがって例え2003年4月7日が「アトム」の誕生日で(小松左京さんだかの助言でもうちょっと先に延びたって話を読んだ記憶もあるけれど)、それを記念して大人たちがバカ騒ぎを繰り広げたところで子供たちはどこ吹く風、とりあえずは朝に始まるたくさんのアニメーションの中から面白いものを選び、玩具を買って楽しむことになるんだろー。そーした関心の内に「アトム」が入るとしたら、それはひとえにアニメ自体の面白さにかかっている。でもってフジテレビで制作発表前に開かれた第1話の試写を見る限りにおいて、平成版「鉄腕アトム」はアニメーションとしては技術的にも内容的にも素晴らしい。時代時代で変わるタッチとかとは関係なく、頭の中で理想化している手塚治虫さんの素晴らしい絵がその理想像のままアニメーションになって動いている感じで、見ていてまるでストレスがたまらない。

 例えば「三つ目が通る」だったり「青いブリング」だったりと、手塚さんに抱いていた理想が眼前でガラガラと崩される感覚を散々と味わって来た人たちにとって、これはある意味奇跡にも近い作品だって言えるかも。出崎統さんの「ブラックジャック」だってあれは出崎調の「ブラックジャック」で理想のの手塚治虫絵とはかけ離れていたものだから、その意味でもやっぱり今回の「鉄腕アトム」は奇跡的な出来だって言える。もしも仮に手塚さん本人が存命で見ていたとしたらどーいったかな、今の自分の絵じゃないって言ったのかな。登場するお茶の水博士の秘書役っぽいお嬢さんなんてほんと、手塚キャラっぽいのに萌えられるもん。

 色味がまた微妙に美しくって、最近のデジタル彩色のアニメみたいに原色とは言わないまでもあんまり目に優しくない色が使われて見ていて目が疲れるよーなことにはなりそーにない。どーやってこの色を出しているのかにも興味深々。ストーリーについては監督を務める小中和哉さんが「かつてのアトムは科学の象徴だったし差別されるもののメタファーでもあったけど、現代のアトムは現実の世界に心を持ったロボットが生まれたとしたら、人間はどう対応するのか、といった部分を中心に描いていく。ファンタジーというよりはよりSFに近くなっている」って話していたよーに、ロボットが生活の中に入り込んでいる現代に合わせて変えてあるみたい。

 これも手塚さん存命だったらどこまでいじれたのか微妙なところで、没後から15年、御大によるくびきから解き放たれた手塚フリークたちによる、理想の「鉄腕アトム」の具現化が果たされたってことが、かつての手塚チルドレンたちにとって嬉しくも素晴らしい「鉄腕アトム」の誕生に繋がったって言えるのかも。でもそーした思いも所詮は過去を知る者としての感動であって、お話自体の評価となるとそれこそ子供に聞いてくれとしか言いようがない。つまりはすべては4月6日の放映以降の、子供たちの視聴率にかかっている。相手は「でじこ」。21世紀のスーパーヒロイン。その「目からビーム」にアトムの「腕からファイアー」は勝てるかな


【2月19日】 先週末に行った「網状言論F RePure」の中身については佐藤心さんは1度教育実習とか行くと時間内に何を喋れば良いのか訓練できておまけに女子高生とかに騒がれてあわよくば人間彼女とか出来るかもしれないから挑戦してみては如何と言っておくとして、その時にもらった「池袋コミュニティカレッジ」の講座の中にひとつ興味深いテーマを発見して、これは一体どーゆー人が見に来るんだろーかとあちゃらこちゃら考えつつ、僕自身は果たして見に行くべきなんだろーかと迷う。

 それはお笑い評論家の西条昇さんがやる「『女優』になっちゃえ!」、ではなくもちろん軟体系美少女見放題の「新体操ジュニア」でもない、その名も「親子で納得! ウルトラマン学入門」とゆー切通理作さんによる公開講座。ウルトラマンシリーズを「親子で3倍楽しむために、生みの親であるクリエーターたちの独自性とドラマの背景をドラマとともに育った講師が一挙に解説する講座」ってことでウルトラマン関係の著作多数の切通さんはまさにうってつけの人材ってことになるんだけど、今自分の親子の親はウルトラマンの歴史を繙きたいと思っていたとしても果たして子供がどこまで切通さんの詳細な解説に耳を傾けてくれるのかがちょっと見えずに迷う。

 かといって子供に合わせると今度は生涯をブルマアクのソフビ人形収集とかにかけている親が惑いそうだし。その辺りを稀代のウルトラマン研究家たる切通さんがどーゆー塩梅で挑むのかにも注目して講座を聞くと面白いかも。5月25日の午後2時から。けど会員2300円、一般2700円の料金がともに親子料金になっているのは独身男で30代で太っている禿は行ってはやっぱりまずいのかな。大人しく杉江松恋さん講師の「ミステリーの書き方 実作と鑑賞 50枚を目標に」にしておくかな。もしも「親子で10倍楽しむ仮面ライダー役者学入門」とかだったら30代のヤングママとお子さまなガキが集まって賑わいそーだけど、フェイントで藤岡弘さんとか出てきたらブーイング出て紛糾しそー。宮内洋さんだったら……さすがにもうだめか。

 朝から「東京ビッグサイト」で開幕の「インターナショナル ギフト・ショー」を見物、春は「東京おもちゃショー」の季節だったはずなんだけどこっちがゴールデンウィーク明けに移行したこともあって、これからのシーズンに一押しのグッズ類とかキャラクターとかがワンサと出ていてまあまあな賑わいになっていた、みたい、ってゆーか秋と遜色ない規模だった。時間がなくって見られたのは玩具メーカーが出ている一画で、タカラが吉本興業と何かやるって会見が始まるまでの間を近所のブースなんかを見て過ごす。

 まずはお馴染みサンエックスのブースでは新しいか旧いかは不明ながらも「まめぴょん」ってゆーキャラクターが登場していてそれなりな可愛さ。緑色のそら豆がベースになったキャラクターで粒々な感じで皮がペロリと脱げた感じがそら豆っぽさを絶妙に表現している。バリエーションとして「あずきちゃん」とかいるんだけどNHK教育とは関係ないみたいで(あたりまえだ)もちろん紙はツインテールじゃありません。あと「グリンピースくん」ってのもいるけど別に鯨とか海豚とかを保護するために網を切ったり捕鯨船に吶喊したりはしてません(当然だ)。糸ねばねば引いた「水戸納豆ちゃん」とかいたら店頭もねばねばして面白いのに。

 バンダイのブースではあの名作にして傑作にして存在そのものは一時期ちょっぴり幻と化しつつあったりしたけどそれでも水面下でじわじわとその人気を高めつつあった池田爆発郎さん謹製のフルCGアニメーション「PiNMeN」が、この春だかのDVD発売に関連してキャラクターとして展開中。1999年に開かれた「東京ファンタスティック映画祭」で見て脳天をぶち抜かれる感動を味わった身として嬉しさと楽しさにうちふるえる。何でも何種類かのフィギュアを作って売るそーで、見た目はいっしょだけどよく見ると眉の形は目の情けなさが違っていたり包帯の数が増えていたりする「PiNMeN」たちがずらり並んでなかなか壮観、集めて並べて15ポンドの黒玉で、吹き飛ばして遊ぶと爽快な気持ちになれるかも。シークレットもあるそーだけど格好は不明、どんな「PiNMeN」がいたっけか。

 さてタカラと吉本興業との発表はいっしょにお笑い雑貨を作るって内容で、評判らしーお笑いコンビの「カラテカ」も登場しての発表会はそれなりな人数も集めて最近のタカラへの注目の集まりっぷりを感じる。商品自体は大お笑いと毒の入ったバラエティーグッズで例えばノック式のボールペンから耳掻きが出てくる「耳書き」とか、櫛に定規がついた「くし差し」とかってな駄洒落の利いた商品から、吉本の芸人が登場しては1年365日の毎日1つづつギャグを繰り出す目覚まし時計(1年しか使えないってことか?)やギャグやらメッセージやらがプリントされたトイレットペーパーまで多種多様。こーゆーのってそれこそ商品だったら「なめ猫」とか、会社で言うなら「人喰企画」とかいった感じの、中堅中小の企画屋が隙間をぬって出してた商品なんだけど、今は国内でもトップクラスの玩具メーカーが、トップクラスの芸能プロダクションと組んで出す時代になったんだなーと、世の移ろいを感じる。

 それでも2社揃ってこその商品って感じもしないでもなく、これが例えばタカラ単独だとちょっとくどい気がするし、かといって吉本単独だと芸人のキャラクター化の延長戦上にある商品としてしか見られない。2社がそろってそれなりなセンスと「くすくす」っていった程良い笑いが醸し出せるよーな気がする。「ナイナイ」とか「ロンブー」とか「新喜劇」といった芸人を直にキャラクター化した商品が今の所入ってないのにも好感、タレントの旬に左右されるキャラクター商品って当たっている時はまだしも少し時期がずれると途端に見苦しくなるからね。後々は出すよーなことを言っていたけどまずは馬鹿らしさ全開のアイディア頼みで行って頂きたいもの。いったんフォーマットさえ作ればこれ、10年だって手を変え品を買えて展開できるからね。


【2月18日】 更に言うならサッカー界ではアルゼンチン代表のヴェロンに球聖ボビー・チャールトンにハンブルガーSVの高原直泰に世界最高審判のコッリーナだってツルツルだし、将棋界では史上最強だったとその名も高い大山康晴15世名人も立派を超える禿だった。宗教界ではダライ・ラマ14世、音楽界では名指揮者の井上道義、映画界ではショーン・コネリーにジャック・ニコルソンにマイケル・アイアンサイドがやっぱりツルっ禿。ウィンストン・チャーチルに東条英機に蒋介石にトルーマンと20世紀に名前を残した政治家も揃って禿ばかり。20世紀にそお悪名をヒトラーが残すことになったのはつまり彼が禿ではなかったからに他ならない。

 言うなれば偉大な人がたまたま禿であったということではなく、禿であることこそが偉大なのであって、それをその身をもって示しいずれは21世紀の文学と政治と経済と道徳と宗教と病人の頂点に君臨するであろー滝本竜彦同志の為に今日も明日も「ハゲ賛美のシュプレヒコール、つるつる頭万歳の唱和、坊主もネオナチも疲れたサラリーマンも輪になって、みんなが叫ぶスキンヘッドコール」を贈ろーと、行く留めかの「超人計画」の読み返しを通して今朝も強い勇気を与えられて会社へと向かうのであった、もちろん帽子はしっかりと被って、気温まだだ寒いし。そうそう山ほどの反響と感嘆と賞賛と慟哭の声が欲しいのだったらヌードも決して悪くはないけど千木良悠子さん、貴女も剃ろう、つるつるに、頭も脇も下すらも。

 サッカー「日本代表vsジャマイカ代表戦」も同じくサッカー「日本代表vsアルゼンチン戦」も、野球の「大リーグvs巨人」も「大リーグvs日本プロ野球」もすべてプレオーダーでは確か見事に外れた「e+」は今回も野球の「シアトル・マリナーズvsオークランド・アスレチックス」のプレオーダーに見事落選。あるいはもしかしたら「e+」のプレオーダーシステムは秘密の暗号を入れ込むなり使っているクレジットカードがゴールドカードなりしないと勝ち抜けないものかと不審な思いにムラムラとしていたところに見事、そして始めてプレオーダーの当選が。5月5日に東京は「メルパルクホール」で開催される平沢進さんの、噂に名高い「インタラクティブライブショウ2003」をこれでこの目で見ることができるのだ。

 去年「デジタルコンテンツグランプリ」を受賞した時にインタビューして話した訥々として高踏な感じが舞台でどんな気高くそして激しい姿へと変わるのか。繰り出されるCGの映像はどんなに素晴らしいものなのか。内容とかまるで知らないしそもそもがテクノは「イエロー・マジック・オーケストラ」ばかりで「P−MODEL」はまるで聞いてこなかった人間が果たしてついていけるのか。期待と同じくらいの不安に今ちょっとかられていたりするけれど、そこはそれオールスタンディングでヘッドバンキングでジャンプでダンスなコンサートとは違った大人のコンサートだとは思うから、足が立たなくなってきかかっている老体をふりしぼってゴールデンウィークの末尾、「SFセミナー」越えの休日を、紙の兜かぶり柏餅食べ手に鯉のぼりを持って見物しよー。運、使い果たしたかな。

 秋葉原で「キディ・グレイド」のパッドダスを回す日々。アニメ自体は実のところ1、2回しか見たことがなくっておまけにその回がそれほどたいした内容じゃなかったこともあって内心「ナジカ電撃作戦」以下とのレッテルを貼ってしまっていたんだけど、秋葉原駅前にある「ゲーマーズ」のモニターで流れる2月25日発売のDVD第1巻をプロモーションする映像で、テンポが良くってメロディも妙に耳へと残る主題歌をバックに下からあおられのぞく白、とびあがった所で見える白、まくれあがった風に現れる白のオン・パレードがマッハを越える猛スピードで目を打って、なぜかキャラクターの虜になってしまって手近な所にあったジャンボカードダスのマシンから取り出す「キディ・グレイド パッドダス」を回して回して回し続けてしまった。

 描かれた絵によって異なる9種類のマウスパッドのすべてを出した訳ではないし、白が見えるのもそのうちの数枚でおまけに面積は髪の毛ほどと往生際の悪さをここでも出しているけれど、かわりにエクレールのポコンと盛り上がった両のバストが目に結構訴えかけてきたりしていて、ちょっと気持ちにヤバそーな感じで、このままいくと2月25日にDVDのそれも「コレクターズ・エディション」とやらを買ってしまいそー。同日は出るのがいっぱいあるかあなー、サッカー今年は行けそーもないなー(とかいって「A3」も「ゼロックス・スーパーカップ」も行くんだけど。


【2月17日】 世間ってゆーか日本のこゆるいメディアの空気はまるですでに「千と千尋の神隠し」がアカデミー賞を受賞したかのよーに浮ついているけれど、強力無比なライバルたちが居並ぶ中で決して興行的に振るわなかった作品(その理由をデジタルコンテンツ協会の会報で東大院の新領域創造なんとかからアメリカのスクールに留学している女性が書いてたなあ、割に美人)が果たして取れるのか否かって問題が日本ではさほど顧みられていないのは既にして宮崎駿監督がゆるぎなき存在として祭り上げられていたりするから、なんだろーか。

 そんな一本かぶりにされてしまっている状況の実はより現実的な部分で、「千と千尋」以上にアカデミー賞を受賞する可能性を持った日本の作品がノミネートされていたりして、こっちが受賞して「千と千尋」が無冠だった時の新聞とかの書きっぷりがどーなるかに、ちょっと関心を抱いている。サブ監督が何かとったにも関わらず後回しか無視され無冠に終わったことがニュースにされた山田洋次監督「たそがれ清兵衛」の実にわかりやすい例もあることだし。その作品「頭山」の試写とそれから監督の山村浩二さんの会見があったんで、京橋にある「映画美学校」へと寒風の中を出向く。

 見た作品は落語の「頭山」の展開をそのままに舞台を現代に移した作品で、けちな男の実ごと食べてしまった種から頭に木が生えてしまった男が、てんやわんやのはてに衝撃的な道を選ぶストーリーが10分程度の中に描かれている。手描きタッチの作品が動くって部分は商業作品ながら高畑勲監督「ホーホケキョ となりの山田くん」的。聞くと輪郭のレイヤーがありマーカーなり色鉛筆風の色の部分のレイヤーがあり、影のレイヤーもあったりと幾重にもレイヤーがデジタル上で重ねられて手描き風の作品に仕立て上げられているって部分も「となりの山田くん」ととっても重なる。といってもこれは山村さんが高畑さんの手法を入れたとゆーよりは、短編アニメーションならやって不思議のないことを高畑さんが長編で無謀にもやってしまったって捉えた方が良いのかな。とにかく凄い作品でした。

 面白かったのは山村さんがアニメで作品を作る理由を実写では不可能な主観的な描写、つまりは作り手が心の中に思い浮かべる内面をそのまま画にして見せることが可能なメディアであることを挙げていた点で、だからこそスケールの本来異なる人間の頭と樹下で騒ぐ花見客とがシームレスにつながったり、自分の頭の上の池をのぞく自分の頭の上に池をのぞく自分がいて、その自分の頭の上にも池をのぞく自分がいたりする繰り返しを延々と描いて不思議に歪んだ世界がそこに誕生したんだろー。あと同じ賞に宮崎さんがノミネートされていたことにまるで臆するでもなく、海外の賞に参加し活動して来た自分の仕事が認められただけに過ぎなくって宮崎さんとの同時ノミネートはただの偶然と言い切った、その自分の仕事への確固たる自信も聞いていて清々しかった。「偉大なる宮崎監督と並べて嬉しいです。光栄です」とかって答えをちょっと期待してしまった我が身の不明を恥じよー。

 つまりはパーフェクトだったってことになるのかな。去年の「第9回電撃ゲーム小説大賞」で読み残していた金賞受賞作の高野和さん「七姫物語」(メディアワークス、550円)をよーやくやっと読了、7つに分かれて群雄する都市がそれぞれに先王の忘れ形見とゆー姫君を擁立しては覇権を目指そーとしている中に、割って入った軍師のトエルと武人のテン。2人は他の都市でもやっているよーに行きずりの少女を姫を偽り都へ入ってそこに仕官の口を得て、3年経った今はさらに権勢を強めて姫を守りつつ他の都市からの侵略に対抗していた。

 姫に擁立された少女の視点から自分を利用して成り上がろうとしている2人の男たちを描き、権謀術数の複雑に絡み合ったパワーポリティクスの渦中にあってなお自分の役割を忘れず2人の男たちへの親近感も失わず、2人のため自分を慕う国民のために頑張る少女の強さ健気さが目に眩しい。ともすれば血みどろの抗争が続く中で殺伐とした物語が繰り広げられることになりそーな設定であるにも関わらず、描き出す筆致の訥々として優しいタッチが読んでいて不思議な爽やかさを感じさせる。

 登場人物たちのほとんどが前向きで実直で真摯なのもそーした爽やかさの要因か。それゆえに1人、シリアスな世界設定を背負って謀をめぐらせる人物の哀しさが浮き立って来る。7つある都市のいつか訪れるべき統一までを描くのかそれとも長い歴史の1ページとしてここまでかあるいは途中の段階に留め置くのか。続くんだとして侵略の絡む展開にいつまでも爽やかさを求めるのは困難だとしても、人間が持つ優しさや他人への慈しみだけは失わせずに描いていって欲しいもの。もちろん別の物語も構わない、その運ぶ筆が紡ぐ涼やかな世界を是非に読んでみたい、期待しています。

 よくやった。感動した。おめでとう。そしてようこそ。滝本竜彦同志。我らが「禿頭連盟」へ。そうなのです、私たちは美しいのです。「見るからに理知的で、哲学的で、かなり格好がよく見え」る私たちに「見る目のある女の人なら全員、頭皮が透けて見える勇姿にメロメロ」なのです。レオナルド・ダ・ヴィンチだってハゲなのだ。日蓮大聖人も後鳥羽上皇もポール牧も桝野浩一もチャールズ・バークリーも毛沢東も村上達朗も、ゴルバチョフもフーリガンもみんな全員ハゲていたのだ。思想界も芸術界も政治界もスポーツ界もあらゆる界とゆー界はすべて我らが「禿頭連盟」が牛耳っているのだ。歴史も経済も文化も何もかも、人類が生まれてこのかた生みだして来たものはすべて私たち「禿頭連盟」から始まったのだ。

 人は心に抱えた弱さ故にすがる対象を生みだし「カミ」と呼んであがめていた。しかして人を超える存在だけが、自らの弱さの現れでしかない「カミ」を捨て、独立して屹立し弱き人々を導き諭すことができる。そうつまりは「カミ」を捨てた存在、「カミ」などに自らを左右されない存在、「カミ」の呪縛をふり切った存在、すなわちハゲこそが「超人」であり全人類を導く偉大な存在なのだ。

 そんな当然にして自明だったはずにも関わらず、「俗人」すなわち「人生について真摯に思い悩んでいない、もうどうしようもないノータリン」たちの陰謀によって埋もれかかっていた真理を滝本竜彦同志、貴兄は強力無比なアジテーションによって今ここに思い出させてくれた。浮かぶわだかまりを木っ端微塵に吹き飛ばして世界を明るく照らす勇気を心に持たせてくれた。ありがとう、ありがとう。僕は帽子を脱ごう。テリー伊藤さんもテレビで帽子を被るのを止めよう。タモリさんも加山さんも小倉さんもはずそう。そして今、ここに共に唱えようではないですかか。「ああハゲは美しい!」。そして叫ぼうではないですか。「スキンヘッド・イズ・ビューティフル!」。スキカルとジレットシンスリー、買ってこなくっちゃ(シェービングジェルも忘れずに)。


【2月16日】 真夜中から明け方過ぎまでを説教聞きながら過ごした後に始まった「爆竜戦隊アバレンジャー」とやらを鑑賞、「ジュラシックパーク」とかでハリウッドが見せた実物と見まごうばかりに(実物を見た人間は誰もいなかったりはするけれど)恐竜をリアルに描くテクノロジーがすべてなかったこといされているCG合成の豪快さに驚嘆していたらさらに驚愕の事態が到来して皆呆然、どこをどう見ても60歳だか70歳を越えた爺さんにしか見えない男が現れては、変身に必要なブレスレットを未来だか異次元だかから来た使者から手渡されるとゆー展開に、ヒーロー物にありがちな展開で常に若くて健康な男性と女性が選ばれる従来からのパターンを大きくはずそーとした制作側の想いを感じ、この高齢化社会に増える一方の老人たちの「自分たちもまだまだ世の中のお役に立てるんだ」とゆー気持ちを増進させよーとした制作側の配慮を感じて目頭が熱くなる。

 おまけに渡されたアイティムによって変身しよーとした瞬間に見えたその仮面の、常に戦隊物ではクールでダンディーな野郎が担わされているブルーが割り当てられていたことにも、国の宝たるべき老人をもてはやそーとする狙いを感じて胸躍らせたたのも束の間、これも未来だか異次元だかから来た使者によって呼び集められた、微妙に可愛さのポイントを外した眼鏡っ娘といっしょに変身しよーとした老人は、体力がないのか知力が及ばなかったのかは不明ながらも途中ではじかれヒーローへの夢破れてしまう。がっくりと肩をおとて落胆するその老人の姿を見た、全国のお茶の間で早起きして孫たちと一緒に見ながら「おじいちゃんだってまだまだやれるんだぞ」と言っていたおじいさんおばあさんたちの哀しみ、怒りはいかばかりか。老い先短い老人たちの夢を寸前で奪った制作元の罪万死に値する。

 まあそれでも未だ残って周辺をうろうろしている風はあるんで、あるいは訓練によって鍛え直して見事に変身を成功させて、最高齢変身ヒーローの金字塔をうち立ててくれる可能性もあるし、むしろそーした方がよりいっそう老人の強さたくましさを示すことができる。同じ変身ヒーロー物で後に続く「仮面ライダー」シリーズなり「ウルトラマン」シリーズでも、同様にかつてのイケメンを変身させるなりする展開を繰り出すことで、シルバー世代の視聴者を確保し関連グッズの分野でもシルバー世代に孫を連れて買い物に行ったついでに買わせる商品を用意していけば、映像ソフト業界的にも玩具業界的にもかなり有望な新しいマーケットが開ける。バンダイがシルバー・エンターテインメント事業を立ち上げる日も近いかも。でもって遊園地で孫といっしょに変身グッズを身につけたおじいちゃんおばあちゃんたちがかけまわる微笑ましくも素晴らしい光景を見られる日も遠くないかも。

 池袋に寄ったついでに「でじこや池袋店」で入れてもらったデータを使って「ぴよこミュニケーション」をプレー。ひげ面のおっさんが「でじこや」の女子店員に「でじコミのデータ下さい」とお願いしていそいそと「ゲームボーイアドバンスSP」を取り出し作法を教えてもらいながら同時にボタンを押してどーにか交換に成功して喚起する姿の、見苦しさを来店していた他の人たちに与えただろーことは平におわびします。中身についてはでじこがぴよこに代わっただけとはゆーものの、グラフィックはすべてでじこバージョンにはなかったものだし時折もらえるイラストもやっぱり始めて見るものばかりで、こーゆーものを含めて最初っから作ってあった制作元の裏を見通す力にちょっと感嘆する。

 これほどまでの面白い遊びを単にゲームをクリアしただけでなく、店頭なりイベントに行ってデータをもらうなり誰かから交換してもらうなりしないと遊べなくしてあるってところに、店やイベントへのよりいっそうの来店来場を目論む制作元の狙いを感じてうまいなあと思う。近場にデータを配布している店とかない人はデータがもらえず遊べないってハンディもあって、可哀想かもって気持ちも浮かぶけど、店舗を持っている会社ならではのこれも戦略と理解しよー。郵送でも良いからデータを入れてもらえる方法が使えればな良し、ってこれってやってたっけ。しかし案外に「ブラックゲマゲマ団」の連中、仕事熱心だなー、4人いるから4つある仕事が余らないのも嬉しいところ。「ブラックゲマゲマ団」の腕章は利益率良い割に仕入れてもあんまり売れないなー。「ゲバ」ってやっぱり喋らないなー。

 徹夜明けで上がった会社で半分眠りながらも見たサッカー「ジュビロ磐田vs城南一和」の試合は、出足こそジュビロがボールを支配して余裕で攻めているよーに見えたものが、途中で左からフリーキックを守備陣の壁の隙間を破られる形で決めらてまず1点、その後もさらに追加点を決められて2対0で完敗するとゆー、これが去年の「Jリーグ」で前期と後期の両方を圧倒的な強さで勝ち抜け優勝したチームとは思えない不甲斐なさを見せてしまった。ドイツの「ハンブルガーSV」へと高原直泰選手が抜けてしまった穴をやっpり他のフォワードでは埋めきれないってことなのか、それとも強さに頼り過ぎて世代交代を怠ってしまったつけなのか。今度の土曜日に同じ「国立霞ヶ丘競技場」で開催されるこっちは中国代表の「大連実徳」との試合でその辺を確認して来よー。それにしても今日を試合の観戦に選ばなくって良かったと空を見て嘆息、この雨風じゃー2試合連続の観戦は確実に死ねます。


【2月15日】 発売日に「ゲームボーイアドバンス」が平積みになっていた近所の「イトーヨーカ堂」は前あった大きなゲーム売り場が縮小されて「ポケモンコーナー」もなくなっていて任天堂との蜜月にも陰りが出ているのかそれとも単純に売上げの関係で縮小せざるを得なかったのかは不明ながら、それでも「ゲームボーイアドバンスSP」はとりあえず扱ったみたいでさらに言うなら予約完売だった模様で今朝の時点ではデモ機すら見かけない。ソフトについては「ファイナルファンタジー・タクティクス」と「メトロイド」の新作2本が並んでいたけど今やるべきソフトとも個人的には思えなかったんでパス、とはいえこの先に果たしてやりたいゲームが出てくるかって言えば謎で結局は僕はゲームの人ではないんだなあ、なんてことをつらりつらりと考える。「でじこミュニケーション2」とか出たらやるかも、きっと出るんだろーけど、新作アニメーションの放映も決まったことだし、裏が「鉄腕アトム」だあ? 時代遅れのロートルなロボット小僧がうかつ者の目からビーム&目からビームにゅにかなうものかかなうものかかなうものか、と思いたい(弱気)。

 それにしても集めも集めたもんだと感嘆する「ハヤカワ文庫JA」の今年のラインアップは噂には聞いていた「月刊北野勇作」(ヌードなし)こと「北野勇作どうぶつ図鑑」全6巻が本当に出てしまうみたいで「かめ」「かえる」「ねこ」ほかどーぶつ好きなSFとは無縁の人たちが、店頭で見かけて「これ可愛い」とか言って買って行きそうな気もするけれど、「チョコエッグ」「チョコQ」のブームが去年でちょっと一山超えてしまった所だけに単なるどーぶつでアピール出来るか否かが気になる。おまけってやっぱりフィギュアかな。それとも謹製のどーぶつ折り紙?

 米田淳一さんも3冊がラインアップで快調堅調、書いてこその作家。小川一水さんは舞台こそ2070年の月面なのにやっぱり土木作業の人が主役になったガテン系でとっても小川さんらしい。瞠目はファンタジー界のアン・ジョンファンと自称する冲方丁(うぶかたとう)さんの「マルドゥック・スクランブル」で、既にして全3巻だなんって告知している以上は巻末までの構想もばっちりと仕上がって、後は書くだけになっていると思って良いのかな、1巻目が当たって引き延ばしにかかった挙げ句に途中で沈黙な作品が少なからずあるだけにキッチリと最後まで読ませてやって頂きたいもの、ハヤカワ文庫JAなんで叢書が途中で消滅ってこともないし、たぶん。

 いやいや叢書だって元気なよーで「ハヤカワSFシリーズ」は田中啓文さんが駄洒落抜きで挑む、のかまでは分からないけど駄洒落の密度は下がって代わりにSFが高密度濃縮ブラックホール級に入った「忘却の船に流れは光」がたぶんそのうち刊行とか。「グラン・ヴァカンス」の飛浩隆さんも「空の園丁 廃園の天使2」とタイトルが決まり中身も昭和50年代の日本が舞台になった学園SFってことでもろ、その年代に小学中学高校大学と学園生活を送った身として興味津々関心沸々。「金八」「たのきん」「聖子」「明菜」「薬師丸ひろこ」に「インベーダー」「ファミコン」「ガンダム」「ダンバイン」「マクロス」「幻魔大戦」「さよならジュピター」にそれから「三省堂SFストーリーコンテンスト」「新鋭書き下ろしSFノヴェルズ」の話が入っていれば嬉しいかも。懐かしいなあ50年代。

 ビデオで「L/R Licensed by Royal」、 ちょっとだけ話が奥へと入った感じでイシュタルって国を牛耳る企業の存在とかアイボリ島の時計塔を中心にしたあれやこれやなゴタゴタとかが重なり合って来て、これからの展開に興味を抱かせる。小猿を連れた美少女ノエルの再登場にも道が付けられていてラブコメ禁止な大人のアニメにも純真な青少年が二次元な情愛を込められる要素が増えて行きそー。裏番組のそれないな評判を聞くと身も揺れるけどここは構えてラストまでを猿美少女ノエルの可愛さ爆発ぶりとクレアの焼き餅燃やしっぷりにかけて行こー。カミール女史の冷淡っぷりも良いけど。ってかカミール女史って48歳なの? なんかイシュタル王室近衛隊諜報員によるページも出来たみたいだけど本当に単なるファンの人のページなのかな、詳しいなあ。


【2月14日】 カカオの日。関係ないけど。この38年ばかり。はあ(ビービービー、ワーニングワーニング)。午前8時に目覚めてとりあえず向かうは秋葉原、「ゲームボーイアドバンスSP」の今日がいよいよ発売日ってことで、前日に下見でラオックスの「アソビットシティ」が午前9時半から売り出すって調べてあったんで、とりあえずはどんな人気ぶりかを確認して写真の1枚でも資料用に撮影して、人数が少ないよーなら並んで買ってあげてもいーかな、って温い頭でいたらこれが仰天、開店の約30分前で行列は去年12月の「ゼルダの伝説 風のタクト」の予約時を3倍は上回る人数で「アソビットシティ」の裏側まで回っていてこれは無理だろーと(その時は)断念、写真とかは開店してから来て撮れば良いやと思い他の店の様子なんかを見に回る。

 向かった石丸電器のガード下にあるゲームショップは3色ある「ゲームボーイアドバンスSP」がそれぞれに5台5台4台とかしか当日売りしないとあって、これは相当に品薄だったんだってことを改めて確信する。並んでいたのは5人位で後ろに付けば買えた可能性大だったけど、そこまでするのも何だとすでに気持ちも醒めかかっていたんで、そこも後にして「ゲーマーズ」とかの前も回って再び「アソビットシティ」へと戻ってフラリと行列の最後の方に回ると、これが吃驚未だに整理券を配布中。予想していたのは最後尾で「ご免なさい」する店員の申し訳なさそうな顔で内心「おっせーんだよ」ってな気持ちを抱いた姿だったりしただけに、予想を超えた状況で醒めていた心にメラッと炎が灯って後はそのまま一直線、最後尾へと張り付き整理券をもらい「オニオンブラック」じゃねー「オニキスブラック」の「ゲームボーイアドバンスSP」を見事その手にゲットする。

 整理券をもらった時間は開店から10分ぐらい経った頃でちなみに整理券の番号は「オニキスブラック」限定で58だか68番。人気らしー「スタープラチナ」じゃねえ「プラチナシルバー」は行列の同じ辺りでそれでも118番前後で、店員の人が手にした整理券の束の厚みなんかも勘定に入れて想像するに、3色合計で400台とか500台は店頭販売用に仕入れていたんじゃなかろーか。後で聞いた話だとこれで同じ時間に「ヨドバシカメラ」とか「ビックカメラ」とか言っても無理だったそーで、妙な所での巡り合わせの良さなんかを感じる。運未だ健在なりって感じ。ソフトは「メトロイド」に「ファイナルファンタジー」なんかが出ていたけれど、アクション苦手だしPRGは時間がないんで買わず。当面は「でじこミュニケーション」でも遊ぶとしよー、早く「ブラックゲマゲマ団データ」をもらって来なくっちゃ。

 それにしても流石は満を持して投入しただけのことはあって「SP」、持った感じは超コンパクトで重量も電池を抜いた「ゲームボーイアドバンス」とほぼ同等、何よりフロントライトで液晶が明るいってのが素晴らしく、これがネックで電池が充電で10時間しか保たないって部分もあるけれど、そうした部分を補っても余りある性能を「SP」は持っていると言えそー。黒い色とPDAに似た形状の「SP」だったら電車で背広姿で「でじこミュニケーション」をプレイしてたって気にならない。ってもピンクの「GBA」で音鳴らしながら「でじこミュニケーション」やってたんだけどね、これまでだって。イヤホンを使うときにアダプターが必要なのは「ワンダースワン」と同じだけど値段が500円ってのが任天堂らしく良心的ってゆーか、それだったら最初から付けておけってゆーか。どっかから出ていたMP3プレーヤのアダプターは使えるのかな、使えたらそーゆー利用の仕方で人気が出そーだな。

 早川書房から「SFが読みたい!2003年版」が届く。年末の怠惰な生活に紛れて回答し損なっていた「マイ・ベストSF」の一覧とそれから集計が出ていて今年のベスト20作品が選ばれていたけれど、そのどこにも1年間の「SFマガジン」のレビューで僕が紹介した作品が入っていなくって、今更ながらに「SF」とやらの主流本流から外れたところばかりを読んでいるんだなあ、ってゆーか感覚がズレまくっているんだなあと自虐自嘲の念混じりに思う。「国内篇」で回答を寄せている77人のベストも多くがこの「ベスト20」に集まっていて、時折選ばれているヤングアダルト系の作品も、僕は関わらせてもらっていない巻末近辺の「作家別日本SF最新ブックガイド150」で挙げられている秋山瑞人さん古橋秀之さん三雲岳斗さん岩本隆雄さん小川一水さんといった辺りが中心。こーなるとやっぱりどこか根元的な部分で我が身には「SF魂(えすえふ・だましい)」が決定的に欠けているんじゃないかと思えてくる。

 ってかまあ、最初っからそーした「魂」とは無縁にまず物語、そして世界観、さらにはメッセージといったものを捉えつつ「吃驚仰天」をこそ大事たってな感覚で選んでいた所もあるからこーゆー事態も仕方がない。紹介される方だって「SFマガジン」とは無縁な場所で存分に活躍している人たちばかりなんで、横紙破り的に引っ張られたって還ってめーわくだったのかもしれない。カカオの日だってのに見目麗しい美少女のヤングアダルト小説家から「『SFマガジン』で紹介されるのが夢だったんですぅ、これはほんのお礼ですぅ」って直のボイスメッセージとともに本人が全身に普通のチョコレートとホワイトチョコレートをパンダ模様に塗りたくった姿で現れる訳でもないし。えーんえーん。ぶつぶつぶつ(ビービービー、ワーニングワーニング)。だからといって方針を変える気はさらさらなく、今年もおそらくは気分に合った所を集めて並べて「おもしれえ」とかいった情動的な言葉で紹介して行きますんで、作家の人はめーわくとか思わず読者の人も鬱陶しいと思わずによろしくおつきあいの程を。続くかどーかは知らないけれど。

 「マイ・ベストSF」では黒人コンピュータなイラストレーターで映像作家の西島大介さんがタカノ綾さんの「SPACE SHIP EE」(カイカイキキ、1600円)を選んでて万歳。まるでSF方面で評判を聞かなかっただけにこーゆー所で読んでいる人がいるんだってことが分かって、読んで感動した身として嬉しくなる。あと川口晃太郎さんがDさんの「キぐるみ」をチェックしているのにも共感。これはすごい本でした。竹岡葉月さんの「東方ウィッチクラフト」を推す鈴木力さんにも感謝、ゴスロリ宇卵ちゃんは凶悪だけど可愛い(けど中の人は大変だったりする)。みづきゆうさん描く漫画版「パルムの樹」(なかむらたかし原作、角川書店)を推す秋山完さん、賛成です、映画版はアレだったけど漫画版は本当に心に染みる作品だったんだよねー、映画を見た人も見ていない人も是非に。朝松健さん……何も言えません。


【2月13日】 けど本屋に行くとトイレに行きたくなるって話は結構な昔から伝説として本好きの人たちの間で語り継がれていることであって、「週刊新潮」の2003年2月20日号が盗作だと非難した朝日新聞の「天声人語」が、元ネタにしたことになっているホームページ「散人雑報」の該当するコラムの日付が2001年の5月1日だったとしたらそれ自体が巷間に口伝えされていることの紹介であって、決してオリジナルな発想だとは思えない。「トイレ」と「催す」で引けば当該のページが上位に出たとしても、「トイレ」と「便意」あるいは「本屋」と「便意」だったら別のページがゴマンと出てくるからね。

 ただ「週刊新潮」の記事にあるよーに、本編の流れがそのままズバリと重なっているんだとしたら、やっぱりなにがしかの参照があったと捉えるしかないんだろー。それにしても天下の朝日に堂々と盗用されてほくそ笑むならまだしもページを閉鎖してしまったのは残念至極。あるいは表からでは伺い知れない闇の部分でもあったりするんだろーか。ちなみに著者の大川渉さんの本は四谷ラウンドから出た「続・下町酒場巡礼」を「SPA」で取り上げた記憶があったよーななかったよーな。こんなページを運営していたとは知らなかった。そんなに有名だったのかな、世間って広いなあ。

 いやもーこれは絶対に盗作に違いない「ニューズウィーク」2003年2月19日号の記事「『千と千尋』にオスカーの壁」は昨日の日記で僕が懸念したことがそのまま紹介されていて、読んで夜に印刷所で原稿を差し替えたかあるいは僕の頭の中をのぞいて考え方を引っ張ったかしたに違いない、そーでないなら僕の日記をお抱えの占い師が予言したとか、ってのはまあ冗談ではあるけれど、つまりはこれはファクトが幾つか並んだ時に導き出される思考は割に似てしまうのであって、盗作いしか思えなくても偶然の一致だったりする可能性は決して真正面から否定は出来なかったりするのです。

 それはそれとして「ニューズウィーク」の記事はこれでなかななかに当方の思いに重なるところがあって、例えば興行面での不安については「千と千尋の神隠し」が550万ドルだったのに対して去年の候補作だった「シュレック」と「モンスターズ・インク」がいずれも2億5000万ドルだった事実を挙げてヤバいんじゃないかと言っている。ちなみに「毎日新聞」だかの今日付けの夕刊によればライバルになる「アイス・エイジ」と「リロ&スティッチ」はともに1億ドルを超える興行収入で、その他の何とかって作品ですら記憶では7000万ドルとかあって「千と千尋」とはケタが1つも2つも違っている。1000万円の配給収入の映画がやっぱり「日本アカデミー賞」を取っちゃーマズいっしょ。1万枚のレコードは「日本レコード大賞」なんて取れないっしょ。

 とはいえ「ニューズウィーク」はそれでも「千と千尋」は「長編アニメ部門」でも良いから取るべきって考えている辺りが宮崎アニメのファンとしては嬉しいし有り難い。こーした市場性とは関係のない熱烈の支持から始まって、10年後のアカデミー賞で今30代の日本のアニメーション監督たちが平気で「作品賞」にノミネートされて且つ受賞する状況が生まれて来るのであってそのためにも、宮崎監督には鉄砲玉としてアメリカへと切り込み撃たれても叩かれても超然として我が道を行き、議論と困惑をアメリカの映画界に巻き起こして頂きたいもの。とか言ってたらドリームワークス配給予定の「千年女優」が来年にいきなり「作品賞」を……それはさすがに無理かなあ、「スチームボーイ」? 本当に出来るのか?

 すわクーデターか? なんて思ってしまったけど考えれば代表取締役が起こすクーデターってのも妙な話なんで、言い回しとしてはあんまり適切とは言えなさそー。それでも記者会見とか事業方針説明会とかで先頭に立って家庭用ゲーム事業部門から業務用ゲーム機事業部門から何から何まで仕切っていた香山哲・代表取締役COOをまるで入れずに決めたらしーセガとサミーとの合併に向けた検討は、社長が社長らしー所を示しただけって言うにはちょっとばかりもやもやとしたものが漂って来る。今日開いたとかゆー執行役員の会議には香山さんとか出てたのかな、でもってどんな顔を見せたのかな。

 記者会見で印象的だったのはサミーの里見治社長がセガのオーナーだった故・大川功社長からの影響なり関係なりを訴えつつ、自分がその意志を受け継ぐスタンスを見せていたことで、同じよーに大川さんから招かれ直言して家庭用ゲーム機事業からの撤退を成し遂げ大川さんが亡くなった後のセガを事実上引っ張ってきた香山さんとこれは果たして相容れるものなのか、それとも相反するものなのかと答えに戸惑う。ネックとなっている家庭用ゲームソフト事業に関して開発力の素晴らしさを喧伝する一方で、売り方の部分なりに懸念を示していたのもつまりは、セガプロパーな力をより評価して、その使い方にこれまで至らない部分があったおとを示唆しているよーにも取れる。

 とまあ、妄想すればなかなかにぬちゃぬちゃとした関係なんかも浮かんで来るけどそれはあくまでも妄想の域なんで、処遇とかも含めて今後の展開なんかをとりあえずは見て行こー。懸念があるとしたらパチンコ・パチスロ機といった誰でもが自由に入って競争できる訳ではない分野を手がけて収益を挙げている業種への根強い偏見が、合併に余計な彩りを添えないとも限らない点であるけれど、株式を公開して世間的にも社会的にもパブリックなものになった会社によるお互いが合意の上での事実上の救済だったりする訳なんで、目くじらを立てたり眉を潜める筋合いではないんだろー。それにしても生きているうちに1つの会社が2度にわたって合併騒動に巻き込まれる様を見るとは思わなかった。1度は破談になったけど、今度は「悪夢のようなことにはならない」って佐藤秀樹・セガ社長も言っていたからきっと3度目はないんだろー。そんなに「悪夢」だったのかな、バンダイとの顛末って。


  【2月12日】 ってか丸7年も毎日400字詰め原稿用紙で5枚とかってな分量の、その割には中身のさほどなかったりしてオタク情報も程良く薄く、政治的社会的経済的な主義主張に関しては皆無に等しい文章をつづり続けて何かを犠牲にしてないはずはないけれど、それはおそらくは誰かと夜の銀座原宿六本木を格好付けて歩くことだったり、電話で甘い言葉を囁き合うといった、人生において気分的な優先順位は高くても適う可能性では最低ランクのことだったりして、犠牲にして虚しくはあってもさほど哀しくはないことだったりするし、そもそもが波形パターンで言うところの狐になぞらえられる怨念破、すなわち「いつか天下取ったる!」的なルサンチマンこそが原動力だったりするもので、こればっかりはちょっとやそっとじゃ払拭できやしない。

 いいやそれどころか書けば書き続けるほど、いつまで立っても取れない天下にルサンチマンは溜まり続け、んどんと濃くなっていくものだから、疲れよーとも書くことがなかろーともパソコンを開いては書き殴ってアップしなければ、日も暮れないし世も明けないしご飯だって食べられない。詰まるところ長続きするコツとは人によっては気楽さではあるけれど、その種の人間にとってはルサンチマンという永遠にぬぐえない強迫観念こそが原動力だったりするのである。「私が書くとかならず売れると思う本。タイトルは『ネット日記で「よく生きる」』。帯は<ブ−ムのネット日記界のカリスマが明かす『朝10分の日記で人生は100倍面白い』>。どはははは。売れるぞ」と恥ずかしげもなく書けるルサンチマン無き心根が羨ましーなー。7年で総分量不明(推定原稿用紙1万8000枚)、総アクセス数230万程度では、そもそもが相手にならないんだけど、うーん、ぶつぶつ(ビービービー、ワーニング、ワーニング)。

 かーんぺき。素晴らしい。「電撃ゲーム小説大賞」からの新鋭で壁井ユカコさんに続いて読んだ成田良悟さんの「バッカーノ The Rolling Bootlegs」(電撃文庫、570円)はお話も最高なら書きっぷりも超最高、おまけにイラストも装丁もピッタリで、今年に入って読んだヤングアダルト系の文庫でもランキングで上位に入りそー。まずは現代のニューヨーク、カメラを奪われた駆け出しのカメラマンがそこを仕切るマフィア、というかカモッラのメンバーを介してカメラを取り返してもらう間に聞いた昔話とゆーのがプロローグになって、そこから時代は一気に禁酒法時代のニューヨークへと遡り、永遠の命を得ようとする錬金術師たちの策謀と、時代を楽しく悪いことをして生きるカモッラたちのハッピーエイジな日常とかが交錯してはぶつかり合うストーリーが繰り広げられる。

 新しくカモッラの幹部に昇格が決まった少年をメインにしながらも、彼が見かけて一目惚れしてしまった女性がいて、その女性が街で出会って気に入ってしまったボニー&クライドならぬ陽気で不思議な魅力を持った男と女の2人組がいて、そんな2人が義理を感じたカモッラたちから幹部昇進が決まった少年をつけねらうチンピラから、果ては古くより生き続けている謎の老人が入り交じっては、永遠の命をもたらす酒を取り合い奪い合う。めまぐるしく代わる登場人物につながっていく場面展開の妙が読んでいて心地よく、悪いことはしていても仲間を思うカモッラたちや強盗をしているとはいっても悪をくじき弱きを助けることが目的の2人組の、言葉や行動には読んでいてスーッと胸がすく。

 そして結末の鮮やかさ。さらにはエピローグの格好良さ。装丁やイラストはこれで勿論好きだけど、お話だけを取り出してハードカバーにしてちょっと代わった冒険小説として売っても大人に人気が出るんじゃなかろーか。ハリウッドとかで映画にしてもらいたいとすら思えて来たけど、誰か英訳してプロットをスタジオに持ち込む人とかいないかな。ハリウッドのエージェントさん、日本のヤングアダルトは新アイディアの宝庫でっせ。難癖をつければ背広姿のボーイッシュな美女のエリスが口絵に登場していないのが残念至極、イラストのちょっと驚き気味の横顔も可愛いけれど、やっぱり正面からとか格闘している全身とかをカラーで大きく見てみたい。エナミカツミさんどっかで描いてくれないかなー。

 嬉しくないと言えば嘘になるけどどーせだったら日本で未だ権威として確立される以前の「風の谷のナウシカ」とか「天空の城のラピュタ」とか、そろりそろりと名は広がり始めたものの今ほどではなかった「魔女の宅急便」といった娯楽作品としても素晴らしく楽しかった頃に堂々の作品賞として、いわゆる実写の映画なんかと並んでノミネートされて欲しかったしそれが無理ならやっぱり実写と並んで外国作品賞にノミネートされて欲しかったなー、とゆーのが「千と千尋の神隠し」の米アカデミー賞アニメ賞ノミネートへの今時点での感想だったりする。他の実写作品と同列に審査されてその上で受賞したベルリン映画祭の金熊賞はその意味でとてつもなく価値があったんだなあ。

 すでに超絶的な権威となってしまった宮崎駿監督の作品が、たかだか6億円の興行収入しか上げていない興行的には失敗と言われたって仕方のない水準であるにも関わらず、多の大ヒットした作品と並びノミネートされておまけにそれも、作品賞から”隔離”されたアニメ賞でのノミネートだったことを果たして心底より喜んで良いものかと悩みつつ、大騒ぎする新聞テレビといったメディアへのどこか醒めた気持ちが浮かんで仕方がない。当時はなかったとは言っても、これで取れるんだったら日本の映画作品としては空前の米国での成績を上げた「ポケットモンスター」の劇場版だって取れておかしくはないし、未だ公開されてないのかどーかは知らないけれどあのドリームワークスが買った「千年女優」だって取っておかしくない。とかいろいろ異論はあるけれど、それでも取らないよりは取った方がアニメ界的にも追い風だから、宮崎監督にはアカデミー賞のフーマンチュー博士に身を擲ってでも、ここは是非に頑張ってオスカーをその手に掴んで頂きたいもの。3月23日の発表を期して待とう。取ったら金熊を投げてオスカーを倒して遊ぼう。


【2月11日】 8年目に突入。これを記念して少しは何か世の中の為になることでもしよーかと考えたけれどこれといって出来ることもないんで、まずは自分の為になることから始めよーと、滝本竜彦さんが新しく始めた連載エッセイ「超人計画」の第2回目にある有り難くも素晴らしい真理の言葉に倣い、今年のスローガンを「然り、これより私は人間彼女を作る」「然り、彼女作成こそが、私の真の願いである」「然り、私は自らの彼女作成願望を力強く肯定する」に決定する。ただし人間であれば何でもオッケーって訳じゃなくって歳は下が8歳くらいから上は38歳くらい、背丈は1メートルから2メートルの間で眉目秀麗、目は赤くなく髪はピンクじゃなく血はできれば赤くって、車はあればあったでなくってもよくって胸はえぐれてさえいなければ大きくても平べったくても構わない、って人を激しく望みます。まずは船橋海老川13橋めぐり(泉重千代手形入り橋とかあるんです)から始めましょう。

 肌触りの微妙さで言うならぴあから出た”日本初の本格的エンターテインメント・ジャーナル誌”(本当か?「バラエティ」とか「CUT」とか100歩譲って「日経エンタテインメント」は違うのか?)に掲載の「「102 People’s Top100 Records of All Time」ってタイトルの企画はなかなかに不思議な企画で、「102人の日本人クリエーターが選ぶ、100枚の人生ベストワンレコード」って銘打たれているけれど、選ばれた人の幅の広さもさることながら、中にどう考えても「クリエーター」とは位置づけられない人が入っていたりして、どーゆー基準でセレクトしたんだろー、って疑問にクイクイと首をならす。

 振れで言うならアニメ界の超重鎮の富野由悠紀が「モダン・ジャズ・カルテット」のアルバム「サード・ストリーム・ミュージック」を挙げつつコメントで「『Zガンダム』の総集編作りをしたいのは、新企画開発のために」って仕掛かりの仕事の話をぶちまけていたりする反対側で、アニメ界の超新鋭の新海誠さんがジャニス・イアン(「復活の日」っ!)の「ザ・グレイテスト・ヒッツ〜アップ・ティル・ナウ」を挙げていて、間に庵野秀明さんも押井守さんも出崎統さんもいない両極端ぶりがなかなかに妙。見開いた20人に萩尾望都さんと広末涼子さんと平野啓一郎さんと仲根かすみさんと穂村弘さんとHIROMIXさんが並んでいたりする構図に、クリエーターとは何を持って言うのかってな根元的命題への探求を始めてみたくなる。おやおや花田紀凱さんもいるじゃないか、この人ってエディターだけどクリエーターだったっけ?

 それを言うなら宮台真司さんとか香山リカさんとか小山登美夫さんとかいった名前もクリエーターと呼ぶには謎多い面々。椹木野衣さんも批評系の人だけど音楽に関する著作もあるから主旨には沿っているのか。それより何より最大の驚きは今をときめき過ぎな中島らもさんがコメントを寄せていることで、挙げたレコードが「ない」ってのにまず爆笑、それを載せた編集の人の、中島さんとのかまぼこ的な関係に思いを至らせつつも、ちょっと間が悪かったかなあと頭めぐらせる姿を想像してしまう。「音楽で何であれ、芸術というものには『スイジュン』があるだけです。それを超えれば有るのは『違い』だけです。『一枚を選ぶ』ことは『自己規定です』」ってコメントはある意味真理なんだけど、今となってはイっちゃってるぶりばかりが取りざたされてしまうんだろーなー。気づいたけど102人で100枚ってことはもう1枚はどこに消えたんだろ。そもそもどーして102人なんだろ。レイアウトの関係? 枚数にカウント不能な101人目102人目への義理人情? 雑誌っておくぶかい。

 おやまあこれは何としたことか。大塚英志さんに東浩紀さんとゆー世間の耳目を熱めそーな2人がガッシリと友情のバロムクロスを組んで立ち上げたんだと思っていた共同編集による新雑誌「新現実」が齢1号にて大塚英志さんによる単独編集論壇時評誌へと転換の模様。もちろん今とゆー何かとキナ臭い時期を睨んでの緊急的臨時的な方針変更であって、若者受けしている東さんを混ぜれば発行の決済は降りるから、1号だけはそれで行って後は自由にやろうぜ、ってなワルダクミが最初からあったとも思えないんで、これが終わった後にまた、「日本読書新聞」で大塚さんが自ら言っていたよーな「おたく雑誌」へと戻るだろーと信じたいけど、大塚さんの絶対的な権限を認めちゃった上でなお”共同編集者”として、サブカルチャー系の原稿をネゴシエーションして押し込んでいくだけのモチベーションを、東さんが持ち続けていけるかって部分もこれありで、先にもやもやとしたものを感じる。

 なるほど確かに形態として大塚さん個人がボランティアとコネクションで作っていたりする雑誌なのかもしれないけれど、そんな個人誌を営利企業で上場会社の角川書店って会社が発行元になって刊行するに当たっては、大塚さんとゆー名前に並行して東浩紀さんって名前があったことも決して小さくはなかっただろーことは想像できる。にも関わらずたったの1号でそーした看板のうちの1枚を外してしまうことが、果たして発行元にとって納得の行くものだったのか、ってな疑問も浮かぶけど東さんの一文を読む限りでは発行元も納得の上での方針転換であって、それでも売れると判断したよーに読めるから別に問題はないんだろー。だったら最初から大塚英志責任編集による論壇誌の刊行を角川にプレゼンして、それで出していれば良かったじゃん、とも思うけどそれだと多分、新聞の文化面はそんなに大きくは取り上げなかっただろー。

 未だなかなかに権威主義な新聞メディアにとって、マンガ原作者でライトノベル作家で批評も書くし論壇でも発言しているとは言っても大塚さん個人が単独でどれだけのバリューを持ち得ているのか、ってなるとなかなかに微妙で、これが例えば現役女子高生だったりすれば話も違うんだろーけど、そーした華やかさを大塚さんに求めるとゆーのは酷とゆーもの。「ニュータイプ」で連載している小説の冒頭で連続して語られている主義主張を鑑みるに、論壇誌としての「新現実」から繰り出されるだろー言説を好意的に取り上げるメディアは新聞だと半分くらいに限られるだろー。

 だいたいが創刊号でもない「新現実」を新聞的に今さらどーやって取り上げるのか。書いているメンバーに女子中学生がいるとか、あるいは予想もしなかった超大物が寄稿しているとかすれば記事には出来るけど、それでも10行とかが席の山。”プロレス”好きな人たちには話題になっても、届くべき人たちには知られず店頭で埋もれて行ってしまう可能性を心配してしまう。そーやって届く範囲を自ら狭めてしまうんだったら、見せかけでも今みたいにサブカルおたく雑誌にして、秋葉原に集まる20代、30代に買わせた中にシレッと主義主張を折り混ぜて、洗脳・啓蒙していく戦略を取っておいて欲しかった。「ニュータイプ」の連載はあれで壁を超えて染みだしているんじゃなかろーか。それともそーした回り道の戦略では間に合わないと思えるくらいに、今の状況への危機感を大塚さんは抱いているのかもしれない。ならばいずれ出る(いつ出るの?)新「新現実」を待って、その中身の喧伝に務めて行こー、喧伝に価するものだったのなら。

 それにしても例え次号に載る予定になっているからとは言っても、とりあえずは2号の期限に間に合うよーにと年末年始あたりに何十枚もの原稿を書いて寄せたらそれが掲載見送りになってしまった3人の寄稿者の内心とか想像すると、それはそれで楽しい、じゃなくって複雑なものも感じる。仮にこれからもずっと論壇誌でいくってことになって、ライトノベル系の評論が宙に浮きっぱなしになってしまった場合、別に収容出来そーな媒体がまるで考え及ばないんだよね。まさか次回もありそーな「文芸フリマ」に「新現実RePure」とかってタイトルの同人誌を作って売って収益を分配する訳にも行かないだろーし。リジェクトされた3人って一体誰なんだろ。壁際に行列出来そーな人たちなのかな。


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