縮刷版2003年12月下旬号


【12月31日】 コミケではあと「ロイたー共同」って所のブースで「とり扱説明書」とゆータイトルのとり・みきさん単行本解説総覧を購入、「バラの進さま」に始まって「るんるんカンパニー」へと続いた「週刊少年チャンピオン」での単行本に始まって白泉社「ジェッツコミックス」から出た「ポリタン」やら角川書店から出た「愛のさかあがり」やらを並べて紹介してあって、出店している見かけ若い人たちにしてはよくもまあ、こんな旧いものまで集めたなーと感心する。

 僕なんかはデビュー当時から雑誌の方でリアルタイムに読んでて単行本もほぼ同時代的に集めて来たからだいたい持っているけれど、少年誌向けギャグ漫画家って位置づけから抜け出して、大人でも楽しめるシュールなギャグ漫画も描ける人としてとり・みきさんを認知させた転換的な単行本「とりみ菌」あたりだと、1984年発売だから1980年代生まれだとまずもって実物にお目にかかれないだろーし、81年の「るんるんカンパニー」は後のベストは手に入っても「チャンピオンコミックス」版はブックオフでもお目にかかれないだろー。

 現場に立ってた唐草模様のマントを羽織った兄さんも「バラの進さま」だけが見つからないとか喋っているのが聞こえて来たし、買ってたお姉さんも「愛のさかあがり」あたりから知ったって話していたから(それでも十分に旧い、角川版で知ったとしたらだけど)やっぱり「るんカン」「バラ進」に「たまねぎパルコ」あたりはやっぱり前史的な存在になってしまうかも。あとがきの対談で「もしもとり・みきが亡くなったら追悼本として『バラ進』を愛蔵版で復刻希望。存命中は再販しそうにないから」なんて書かれてあるけど存命中に再刊を希望したいもの。「タツローくん」も是非に。

 しかし「とり・みき自体微妙な立ち位置だしね」「以前、秋葉原の某漫画専門店で発売日に『猫田一』買おうとしたら1冊も入荷していなくて愕然としたんですよ」には胸がツーン。「その専門店には唐沢なをき、しりあがり寿、黒田硫黄はあるわけでしょ?」と続くといったい今誰が、とり・みきさんを好んで読んでいるのかちょっぴり分からなくなる。とは言え70年代最後期のデビューで80年代を1線で突っ走ったとり・みきさんをその辺りと比べるのがそもそも間違いって気もしないでもなく、むしろ比べるんならその本屋に、いしかわじゅんさんや吾妻ひでおさんが揃っていたの、それに比べてとり・みきさんの新刊はなくても旧刊はあったのか知りたいところ。こう見ると放浪もせず評論家にもならず現役で描き続けているとり・みきさんの偉大さ、分かるでしょ。

 玄関&台所を掃除してけった(名古屋方面で自転車の意)の発掘に成功したんで折角だからと「ららぽーと」までサイクリング。年末ってことで既にちらほら福袋も並び始めていたけど買っても部屋に入れる場所がないんで諦め「ユニクロ」でコーデュロイのパンツとヒートテックのインナーを買い込み安くファッションアップを狙う。GAPも安売りをしてたけど2000円とかの差を出すのが何かバカらしく思えて来てしまったこれは老化の現れか、それともレミング的に来るべきタイタニック的不安への備えを始めているのか。「しましまタウン」は大晦日なのに結構な人出で子供層への「しまじろう」の浸透振りを今さらながらに目の当たりにする。宣言済みのアニメ評論家の人の家にもビデオ、たくさんあったしなあ。10年後のオタクはすべて「しまじろう」がベースになっていたりするのかな。

 さらに自転車を漕いで「ブックオフ」で読み残していた新書系伝奇をまとめ買いして鞄に突っ込みそこからまたまた漕いで船橋駅北口から徒歩5分くらいのスポーツクラブ向かいにある古本屋の閉店バーゲンをチェック。コミックが大判新書判関係なしに2冊100円となってて何を買おーかと意気込んだものの背中にすでに10冊とか新書が入ってこれ以上ザックに入りそーもないんで、最近コンビニ向けで復刻されていた星野宣之さんの大判のまんまの「妖女伝説」2冊を買うに留め置く。しばらくやってるよーならまた行って掘ろう。さらに「イトーヨーカ堂」で昼ご飯とそれから夜中に食べる冷凍の蕎麦を買い天ぷらも添えてほぼ完了。それだけ抱えて漕ぐとさすがに運動不足が祟って脚が痛くなって来て、これはちょっと鍛え直さないと40の壁を超えられないかもと心配する。かといって部屋にエアロバイクなんて入れる余裕は存在しないし。ジムはお金かかるしなあ。自転車でで朝晩走るか。

 400ページも費やしてるんだから完結とまでは言わないまでもせめて謎に解決の糸口くらいは与えておいて欲しかったかも、とか読み終えて思ったけれど続きを意識させ否応でも読まなくちゃいけないって感じさせて商売につなげる意味では謎を謎のまま引っ張るのも仕方がないのかも。近藤信義さんの「ゆらゆらと揺れる海の彼方」(メディアワークス、690円)は、やんごとない生まれながらも辺境へと追いやられた領主とその弟で戦闘の天才が迫るピンチに立ち向かっていく展開に、記憶を失った姿で発見された少女が絡むって内容なんだけど、時折不思議な力を見せる少女がいったい何者なのかってヒントがまるでなくって存在している必要性の有無に悩む。

 とりあえずは領主兄弟が艱難辛苦の果てに1つまたひとつとステップを超えて行くドラマに気持ちを向けらるんだけど、一方で主人公然として登場して来た謎の少女がどーゆー絡み方をしてそれが領主兄弟の、あるいは世界全体の将来にどー絡むのかって大きな物語へと展開していく可能性も伺えるだけに、どちらに集中すれば良いのかちょっと迷う。とはいえピンチに次ぐピンチをかわし進んでいくジュラって戦いの天才の格好良さ、彼に従う偵察の天才に剣術の天才といった人々の活躍振りとキャラクター的な楽しみ所は盛りだくさんで、陸と海の狭間にはるバイストンウェル、ではなく青一色の空間「冥海(メノーグ)」を舞台に獣とも怪物ともつかない巨体と能力を持った「海獣(ラグナ)」を操る人々によって繰り広げられる戦闘シーンの知的で迫力もたっぷりな描写も楽しめるんで、まずはそーしたセールスポイントを享受しつつその先に一体、どんな展開があるのかを想像しながら読み置くのが良さそー。壮大なスケールを明るく楽しそーに描き切れる新人に拍手。そして期待。

 寝転がって西風隆介さんの何冊かを片づけた後で三つ巴格闘技イベントの内容面で筆頭を飾る「PRIDE 男祭り2003」の実質的なメーンイベントとなる「吉田秀彦vsホイス・グレーシー戦」をテレビでチェック、しよーかと思ったけれどなかなか始まらないんで裏(裏かよ)で「紅白歌合戦」であやや松浦亜弥さんをチェックして、どーも君は踊りも巧いなあガチャピンに勝てるのはどーも君だけかもなあ、なんて感心しながらハードディスクに落としてさあ切ろうかとリモコンを手にした瞬間に聞き慣れたあのイントロ。まったくノーチェックだった布施明さんの「君は薔薇より美しい」が流れ出したものだからそのままHDD撮りを慣行しつつ、もう25年は昔にテレビで散々っぱら流れたオリビア・ハッセー登場のCMなんかも含めて思い起こして懐かしさに浸りながら伏せさんと一緒に口ずさもーとして、未だまるで衰えない布施さんの声の張り上げっぷり伸ばしっぷりについて行けず酸欠になる。布施明さんは偉大なり。布施明さんは永遠なり。今度カラオケで挑戦だ。カラオケなんて3年は行ってないけど。友達いないんで。

 さて「吉田vsホイス戦」。前の「国立霞ヶ丘競技場」で開かれた「Dynamaite」での1戦をナマで見ていた目にはあの試合、完全にホイスの戦意が殺がれて吉田が圧倒的な強さを発揮していたよーに見えたんだけどその後で、いろいろと起こった因縁がめぐりめぐって1年数ヶ月の今再びの対戦へとつながったとゆー訳で、さてはてどーなるものかと見守っていたけど始まらないんでまた「紅白」。華原朋美さん歌巧いなあ、胸たっぷりだなあ。

 浜崎あゆみさんの日本レコード大賞受賞も目で確認してまた「吉田vsホイス戦」。ダメじゃん吉田。ホイスに乗られっ放しで攻められっ放しで有効な攻撃の1つできないまま10分2ラウンドを終戦。柔道王であっても相手が油断せず真剣マジな柔術王を相手に何もなす術がなかったみたいで結果こそ判定なしの引き分けだったけど実質的には完敗を喫してしまった。国立で見た時には漂っていた、よーに感じられた強さのオーラもさっぱりと失せてしまっていて、ヒーローとして祭り上げられたこの1年とかの間にいろいろ余計なものが着いてしまったのかもと想像する。けどそこは吉田、ホイスが1年余を経て完璧なまでに仕上げてきたよーにきっと次までには今再びの強さを取り戻してくれると信じたい。けどグレイシーとの因縁対決はもう勘弁、そんな狭い範囲でこちょこちょやってないでいっそ曙、あるいは小川直也あたりとどデカい試合をやって見せてくださいな。クロコップじゃあ荷が重いかな。


【12月30日】 コミケ最終日。評論のコーナーに行ってまずもって東浩紀さんのブースで販売用のコピー紙を畳み綴じている場面に行き当たって、これがコミケによくある修羅場かと同情し、落とさずよくぞ出したと賞賛するも一方で、どーして朝までに用意しておかないのと理不尽で冷酷な客の目で愁眉し憐憫する。出来上がったはなから売れていく様に遠慮して結局買えず。佐藤心さんはいったいどんな「いい話」をしていたんだろーか。田村ゆかりさんのコンサートには行ったんだろーか。行ったからコピー誌が遅れたんだとしたら、それはマニア的行為としてとても正しい。

 メルマガ購読の申し込みまでしていて結構、申込者もあるよーで果たして商業的に成り立つかどーかは分からないけど、ジャーナルとは違うしファンクラブ的な情報発信とも違う、評論なんておカタいもので有料メルマガが成り立つのか、ちょっと興味深い。あるいはファンクラブ的なものかもしれないけれど、そこを入り口にして若い世代に楔が打ち込むとゆー、内向きに綴じて言説を回しているだけの雑誌とは違った回路として働く可能性もあるだけに、とりあえず成功して欲しいもの。とゆーよりちゃんと続けて欲しいもの。「TINAMIX」は2年続いた(といっても最後まで書き続けたのはシバタさんとか数人)からメルマガは5年ね。

 東さんところの卓で結局買ったのは「モスコミューン出版部」の「Kluster」第2号とコピー誌の2つ。「Kluster」では冒頭に仲俣暁生さんが語る80年代話に「うんうんそんなこともあったっけ」的懐かしさを覚える。仲俣さんに1年遅れて生まれた僕は15歳から25歳っていっちゃんいろいろ見たり聞いたりして吸収する時期が80年代とびちゃっと重なっていて、挙げられている固有名詞のひとつひとつが実物の記憶に実体験を伴って思い出されてあの、未来もあって毛もふさふさとしていた時代に戻れるものなら戻りたいと思えてくる、かってゆーとこれがどーして90年代には90年代でアニメーションやインターネットの大爆発があって楽しかったし、2000年代に入った今も日々、本にしても漫画にしてもアニメにしても音楽にしても、そして世界にしても新しい事がいろいろ起こっているから、過去を懐かしんでる暇なんてない。僕が生きて見聞きしている時間がすなわち時代なんだと、思い込めば別に年代なんて主観的には関係ないってこと。生涯一俺年代。

 とは言え客観的に思えば仲俣さんが指摘する80年代後半からバブルの隆昌と崩壊を経た90年代前半の落差は気にかかるところ。資本の論理によって文化が蹂躙されていった80年代末期から90年代初頭の空気を、東京とゆー文化経済政治の中心にあって、報誌の「シティロード」ってゆー文化を掬い捉え紹介する雑誌の現場で働いていた仲俣さんがどう見たのか、何が起こっていたのかってあたりは是非に「Kluster」での断片的なコメントではなくまとまった大著なり、連載なりによって読みたいところ。ほぼ同時代を歩んでいても84年から88年までは名古屋に住んで2時間かけて豊橋まで通って大学生をしていて88年から90年は名古屋で業界紙の記者をしていた人間だと、燃えさかるバブルの炎が文化を焼き尽くしていった様ってのは空気として感じてはいたけど実体はまるで分からないんだよね。

 バブルがもたらした恩恵としては糸目を付けないお金の投入で世界からホンモノが続々とやって来ては人の見る目聞く耳を高めたってこともあるだろー。それが今になってマガイモノを拒絶しホンモノを志向して選び享受しよーとする人なりを生んだとか、あるいはホンモノから得た影響を取り入れオリジナルへと昇華させるなり、サンプリング的パッチワーク的に組み合わせて作り出すなりしたものが蔓延るよーになったとかいった状況へとつながっているかもしれない。

 逆にバブル的な金余り的状況が金なくしては的な意識を生んで作り手の気持ちを縛り、受け手の気持ちを汚してしまい派手なもの有名なもの金がかかっているものを崇め奉るマインドが、今も尾を引き流行っているものしか認知されず流行っているものだけが隆盛を極め、それ以外は認知されず受け入れもされない極端な偏りを生みだしているのかもしれない。コミュニケーションが活発になった結果、意識が均質化してしまい寄らば大樹的な状況になって誰もが同じ方向を見、新しいものマイナーなものを探し見つけ我がものとして愛でプッシュしする悠長さが失われてしまったかもしれない。

 具体的に本当にそーなのかは分からないし何にも変わってないのかもしれないけれど、ともあれバブル前バブル後を考えバブル中に何かが本当に起こったのかは知りたいところ。田舎でバブルなんて関係成しにのびり過ごしてた人間では分からないことが多すぎるんで、往事を最前線で過ごした仲俣さんとかそんな人の総括を望もう。高城剛さん? 当事者ではちょっと。「マルチメディア」ってのの総括を高城さんにはしてもらいたいなー。自慢話?

 仲俣さんへのインタビューでは仲俣さんが今は亡き「WIRED日本版」に入った経緯に笑い。「そこのあった朝日新聞の求人広告に『新雑誌創刊のため募集』と書いてあって、それが京都の同胞者という会社だったから『これだ!』」って(笑)」って感じで試験を受けたそーだけどその広告は僕も見ていて「マルチメディア雑誌」とかって書いてあったんでマルチメディア系を担当していた記者として早速電話して「どんな雑誌が出るんですか」と聞いて「WIREDです」って教えてもらって記事にして、ちょっと後に日比谷で開かれた記者会見にも行って編集長の人とか見た記憶が残ってる。

 あの時に出版社の大きさとかあんまり気にせず心惹かれるままに受けてればどっかで仲俣さんと重なっていた可能性もあるけどパソコンも知らなければサブカルチャーについても田舎の知識と感性しかない人間だったんで受からなかっただろー。バブル末期を金融証券担当で過ごしマルチメディア時代もシナジー幾何学とかデジタローグとか取材してた割には上っ面を撫でただけに留まり、挙げ句に今はタイタニックみたいな会社で鳴りやまないバンドを演っている。仲俣さんは文芸評論で大活躍。人生はいろいろだ。

 東さんの卓から列では隣で距離では10メートルとかそんな感じの場所に帽子を被った唐沢俊一さんの背中姿が見えて、横にソルボンヌK子さんも素会っててさらに横におそらくは立川談之介さんもいたんだけど果たして行き来はあったのか。見極めたかったけど卓で溜まっていてもめーわくなんで早々に退散して「国立霞ヶ丘競技場」で開幕した「全国高校サッカー選手権大会」の開幕戦、「育英ダービー」こと「仙台育英学園vs奈良育英」を見物する。

 奈良育英は名古屋グランパスエイトの楢崎正剛選手を送り出した学校だけあってゴールキーパーに見た目長身のハードな人を擁していたけどボールへの執着心がどっか弱いってゆーか綺麗にプレーしようとしているってゆーか、転がって来るボールを突っ込んで抑えるなんて意気を見せないで自分の所まで来るのを待っていたりして、どこか不安定だなーと思っていたら案の定、長いフリーキックで前がかりになったところを直接決められまず1点。続いてロスタイムのコーナーキックを抑えられず決められ2点となって試合を決定づけられる。後半は見ずに帰ったけど結局4点取られて敗退。カウンター気味の仙台育英に比べて奈良育英が圧倒的に攻めていた感じがあっただけに、守備陣の差が出てしまったのかもしれない。試合は明日もあるけど話題のカレン・ロバート選手が出る試合は1月2日までないんで果たしてどれを見に行くか悩ましいところ。近所の習志野でもあるんでチアリーダーを見物がてら見に行くか。


【12月29日】 真夜中に「朝ナマ」風のサッカーの討論番組「朝までサッカー応援宣言」がやっててラモス瑠韋さんが以前から、機会ある度に悪し様に言ってたトゥルシェ監督に一定の理解を示して”規律”の必要性を述べ、逆に一切の異論を挟まず賞賛していたジーコ監督への疑義を投げかけて、トゥルシェの規律にジーコが言う”個性”が加われば、なんて至極真っ当なことを言うよーになってて吃驚する。S級ライセンス取得のプロセスで戦術についてチームマネジメントについて勉強する過程でトゥルシェのコーチングの賛否はともかく意義が理解出来るよーになったのかな。

 あと自分だったら中村俊輔選手に戦わせ小野伸司選手にサイドもやらせるけれど、それを選手が嫌って言ったら容赦なく外すと断言してて頼もしさもぐーんとアップ。稲本潤一選手に並べて戸田和幸選手を入れたいとも言ってた記憶もあって、それだったらトゥルシェと同じでなるほど、同じ趣旨の番組が放映された去年ではあまりに偉大なジーコ監督の登場で相対的に落とさざるを得なかったトゥルシェ監督への理解を、この間のジーコジャパンの不甲斐なさもあって、1年を経てよーやく皆が深めて来たのかもしれないと想像する。あるいはメディアの場でも理解の上にやはり”個性”をプラスアルファして欲しい、って願いがあって、それを引き出してくれそーなジーコ監督に期待して発現したことが、フレームアップ大好きなメディアの手によってトゥルシェへの悪し様な言葉となって切り抜かれ、活字や電波に登場してしまっただけだったりするのかもしれないけれど。

 「東アジア選手権大会」の敗北でジーコ監督の威光に陰りが見えた今、メディアもよーやくジーコ賞賛トゥルシェ罵倒の図式では評論家も喋ってくれないし、世の中も喜びはしないと気付いてだったらどーすれば良い? と模索している最中で、でそれが「朝までサッカー」での本質に迫って百出した議論につながったとしたら、「ジーコは神」「4人は黄金」といった内容に偏る報道にこの先、変化が出てきてより本質を見せてくれるかもって、ちょっとは期待できそー。問題はテレビがいつまでたっても黄金がどう、ジーコがどうといったスタンスから抜け出せずそればっかりを盛り上げよーとして、中継も試合の最中ジーコ監督の「ヒトリデデキナイ」顔を抜いたりする間抜けをすることか。代わるとしたらワールドカップの予選で躓きピンチになった時だろーけどそれもなあ、恐いしなあ。

 セルジオ越後尊師は最初っから最後までエンジン全開でジーコ批判に黄金への疑義にJリーグの崩壊しかかった理念への警告を発してなるほど、この爺さん単にサッカーが巧いだけじゃなくってちゃんとサッカーを中心にした文化社会全般にまで目配りをした上で発言してるんだな、ってことが分かる。フロントの頑張りで地域が盛り上がったことばかりが取りざたされてかつての鹿島、ちょっと前の仙台あたりに続く「J理念」の象徴みたく言われている「アルビレックス新潟」の成功も裏側に、新潟県サッカー協会の全面的な協力があって長期的な視座でチーム作りが出来たんだ、ユースとかの大会スケジュールも調整して県のサッカー全体を盛り上げることが出来たんだ、なんて話しててなるほどなあと感嘆する。

 返す刀でそーした前例があるにも関わらず、神戸は、鳥栖はどーして危機になってしまうのか、Jリーグは一体何をしてるんだ、行って様子を見て来てあれこれ助言して当然なのにどーして鈴木チェアマンは鳥栖から人を呼びつけるんだ、なんて怒り心頭。画面に映る顔に「週刊サッカーダイジェスト」で見る「怒ってますマーク」が重なって見えた気がした。金子達仁さんが「『天皇杯』を見ずにジーコ監督が帰ったのが信じられない」と極、真っ当なことを言ってそこからの議論を期待した瞬間に、「でも『天皇杯』自体がおかしい、外国人を帰してしまっている球団もあるんだ」と突っ込んで来たのには、あまりに真っ当過ぎて異論はないけどでももーちょっと、そこから金子さんに喋って欲しかったかも。

 ともあれ見ていて全編を通して真っ当な議論が戦わされ、やれやれとも、ちゃうやろとも思わせられなかった「朝までサッカー」、前評判にそむいてのジーコジャパンの不甲斐なさから、人気にも評判にも勢いにも頼らず事の本質は何なのかを見極め議論せざるを得ない状況におかれ、評論家もサッカー関係者も鍛えられたんだとしたらジーコ監督、ある意味で日本のサッカーの進歩に多大な足跡を残してくれたってことになるのかな。「それでもドイツには行けませんでした」だけは勘弁。

 評判の「もえたん」(三才ブックス、1143円)を買う。英単語集と思っていたら”預言の書”だったんで驚く。載ってる英単語の掲げられた例文の何と僕の日々の暮らしを言い当てていることか。その辺り具合といったらノストラダムスの預言書なんて目じゃないくらいの確立内容重なり具合で読む程にその”お見通し”ぶりに戦慄する。例えば「朝までサッカー」を見ていた裏でアニメーションがやってて何だろーと思って見たらその昔にやってた「mechanical=機械的な、機械の 『機械の体を求めて、アンドロメダ星雲へ旅立つ』」主人公が出てくるアニメの続編ってゆーのか自主的カバーってゆーかとにかく得体の知れない作品で、あの子供心を宇宙への向けさせた壮大で叙情的なドラマのカケラも感じられない雰囲気に一体、あの髯で海賊帽子の人はどーなってしまったんだろーかと今更だけど首を傾げる。ホントに今さらなんだけど。

 おまけに「frequent=頻繁な、よく起こる 『このアニメでは、同じ絵がたびたび使い回されています』」ってな感じに母親に抱えられて車窓から宇宙を眺める子供の絵がまったく同じ角度同じ動きで数度出てきたりと、今時珍しいくらいのあからさまな絵の使い回しっぷりにかつて見たアニメらしさなんかを無理矢理に思いつつ今が本当に21世紀なのかを疑いたくなる。なおかつ「smooth=なめらかな、順調な 『このアニメの絵がなめらかに動いているのは第一話の前半15分だけだ』」なんてことですらなく冒頭からもう凄まじい動きっぷり、あるいは動かないっぷり。窓から宇宙を見る子供の瞬きに開き半開き綴じの3枚が使われていることがあからさまに目視できるくらいの段々な瞬きっぷりに、これが録画で自分が知らずリモコンを触ってスロー再生にしてしまったのかと手元のリモコンを確認してしまった。見た回がたまたまだったのかそれとも毎回なのか。来週も恐いけど見てみるか。

 開けて再び預言が現実化する様を目の当たりに。「transport=を輸送する、運ぶ 『会場への輸送手段って、モノレールだけなの?』」。いえいえそんなことはないんだと自ら実践するべく新木場から臨海都市線に乗って国際展示場前で降りて「コミックマーケット」へ。ちょっと前ほど熱狂的に行きたいって気持ちがある訳じゃないけど年に2回ある年中行事、とゆーか一種の風習で、「religion=宗教、信仰心 『宗教上の理由により8月と12月には3日間の安息日を取らなければなりませんので会社には出られません』」と言い切る程ではないにしても意味のない会社の用事を上回るだけの信仰を、有明での安息日(どこが安息だ?)には持っている。

 さすがに何度も来ているんで「drag=を引きずる 『カートを引きずってい歩いている人々の後ろについていけ。そこがイベント会場だ』」なんて言われなくても平気に会場へと到着。まずは西館(にし・やかた)4階の企業ブースで「アニプレックス」が来春から売り出すOVA「コゼットの肖像」の事前プロもDVDを買ってうちでに梶浦由記さん作曲のCDなんかももらって今日の目的の1つを完了。流れていた絵柄はなかなかにゴシックな感じでそこにロビンよりは頭身の下がったギャルゲっぽさもちょいある少女が映った映像が、どんな物語となって紡がれていくのかをとりあえずは見守りたい。パイオニアLDC代わってジェネオンエンターテイメントのブースに長蛇の列が出来てて数年前の閑散からの一変ぶりにヒット1発で巻き返せるソフトビジネスの面白みを見る。何がそんなに売れてたのかまでは見なかったけど。「月姫」? それともモモーイ?

 下に降りて岡田斗司夫さんのブースで「王立食玩博物館」を購入。いつもだったら周囲にオタク系評論のブースがあってまとめ買いが出来るんだけど今回はミリタリー系の集団に入れられてしまてたみたいで岡田さんしか見えず。午前中ってこともあって群がる集団もおらず、すんなりと1冊を買い一緒にモリナガ・ヨウさん描き下ろしのイラストも入った「ルノホート下敷き」も買って目的のもう1つを完了する。

 ただのグッズかと思った「ルノホート下敷き」はよくよく見ると衝撃的に感激的な逸品。「王立」でも微妙な人気のルノホートが実は「無敵の有人万能月面戦車」で「ルノホートドリル」に「ルノホートミサイル、に「ルノホートビーム」を搭載してはアポロの月面着陸戦を蹴散らす活躍を見せ、攻撃にも「ルノホートシールド」を張って応えていたってゆー、知られているのか知られていないのか分からないけど胸躍る説明が書かれてあってワクワクさせられる。モリナガ・ヨウさんによればカパッと開いた電気釜の内部には操縦担当やらドリル担当やらミサイル担当といった5人が鎮座し今宵銀河を杯にしていたかどーかは知らないけれどマヘルシャラルハシバズならぬルノホートでもって月面を王様然と闊歩しては星条旗を引っこ抜いていたとか。でも乗り心地はあんまりで結構酔うらしー。なんて思うと「ルノホート」のダブリも気にならなく、なりません?

 「王立食玩博物館」の中身は岡田さんのほか唐沢俊一さん山本弘さん氷川竜介さんといった人たちの文章が入った豪華なもの。質も上々で特に岡田さんの「食玩の経済と賭博について」では食玩の価格が安いのは、「depend=依存する『現在のフィギュア業界は、中国の安価な労働力に依存しています』」ってことに加えて何が出るのかお楽しみ的なギャンブル性を付与されることで、ブリスターパックのフィギュアとは違って大量のロットをコンビニなんかで捌けるよーになった結果だってことが伺える。ここの記述で言うなら1ロットがたかだか3万個程度の「村上隆食玩」があの値段で出せるはずないだけどなー。大丈夫かタカラ。

 東館(ひがし・やかた)のSFがいる島へと回って来年の「第43回日本SF大会」の申し込みをして目的はほぼ完了。あとは例に倣って「holy=神聖な場所 『聖地巡礼の列が、秋葉原へ向かう』」ことにして現地であれこれ見物。石丸電器でDVDの安売りをやってて長く買いもらしていた「聖戦士ダンバインDVD−BOX2」を買ってこれで「機動戦士ガンダムSEED」のラストを参考にして作られた(そんなことはない)ショウ・ザマと黒騎士との戦いぶりを繰り返し見られると喜ぶ。あと「ハイパードール」のDVDも出てたんで折角だからと購入。帰ってみたら飯塚真弓さんと野上ゆかなさんが2人、制服っぽい衣装でピンク・レディー「モンスター」をフリも付けて唄っててそんな時代もあったねとつぶやく。パート2では白鳥由里さんも加わってキャンディーズ「ハートのエースが出てこない」を唄っててなお吃驚。凄い時代もあったんだなあ。

 DVDをあさり「ゲーマーズ」をのぞきガシャを回し「とらのあな」「K−BOOKS」で同人誌を漁るといったまさしく「behave=振る舞う、行動する 『「秋葉原を訪れる若者は、みな似たような行動をとる』」アキバーな動きをした後電車で買った「ヤングキングアワーズ」の2004年2月号を読んだら「priest=司祭、聖職者、牧師 『その牧師は、十字架型のバズーカを持っています』」な牧師がやっぱり逝っちゃってた。合掌。ヴァッシュたちのチャーハンとスパゲティとサラダのカリオストロ喰いについていける世代ってどのくらい? それより一緒に掲載されている「超人ロック」がかつて「少年キング」に連載されていたことを確認している世代って「アワーズ」の読者のどのくらい? 25年経っても続く時代はちゃんと続いているんだなあ。


【12月28日】 ありがとう大久保嘉人選手、この時ほどあなたに感謝したいと思ったことはありません。得体の知れない鵺みたいに手足腹がぐっちゃぐっちゃで先の見えない会議会議会議の連続に行けなかった「天皇杯」準決勝の、どっちみ行けなかった関西での試合で鹿島アントラーズと戦ったセレッソ大阪が大久保選手のVゴールも含む2ゴールで勝利して決勝進出を決めてくれた。

 すでに清水エスパルスが敗れてジュビロ磐田の進出が決まっていただけあってもし、これでアントラーズが勝ち抜くと元旦の試合が「鹿島アントラーズvsジュビロ磐田」なんて”黄金”とゆーより”鉄板”のカードになって、見ていて感嘆はさせられるけど面白みはあんまりなさそーだっただけにひとつ、あんまりこーゆー場には出てこないセレッソがどこまでやってくれるか大久保選手は代表と違ってどれだけ活躍してくれるか(あるいは何分で退かされるか)なんて、興味を試合に抱くことが出来そー。チケットは捨てないぞ。

 「月刊少年エース」を未だ迷う中で届いた「ザ・スニーカー」の2004年2月号をペラペラと見ておっと滝本竜彦さん、こんなところにしっかりと登場しては「月刊ニュータイプ」2003年12月号で御大・林原めぐみさんと対談したことを3ページに渡って自慢して……いるのかどーかは書き方としては微妙でどちらかと言えば後悔している感じがあるけど会ったとゆー事実を列記すること時代が、単なる民間人にとって自慢に他ならないのでやっぱりこのやろうよくもぼくのめぐーみと、といった感じに嫉みの念を、ページの向こうで一体あの日に何を話したんだろう、失礼なことを言ってはいないだろうかと部屋で悶々とする滝本さんに向けて送ることにしよー。ビービービー。

 書かれた主題について言うなら人類の未来を伺う本格的なSFだけどそこはソノラマ文庫ってゆーパッケージ、鈴木雅久さんの美少女がほほえむ表紙絵や眼鏡の女性が笑うイラストも含めて読んでて楽しく気持ちもほころぶストーリーになってて、こーゆー作品からSF的な虚無感とか絶望感とか寂寥感とか無常感といった感情を醸し出す物語への関心を持って海外SFなんかへと食指を延ばしてもられたら嬉しいかも、なんて思ったけれどそれだと何だか青背早川至上主義だと言われかねないんで別に、藤原制矢さんの「ユニバーサル・アーミー」(朝日ソノラマ、552円)はそのままのパッケージでも、読んで楽しくおまけに感慨も得られるストレートにスペシャルな”SF”だと言っておこー。

 遠く離れた植民惑星クリシュナで、宇宙軍に所属して惑星を不測の災害から守る仕事をしていた諸星一馬に、「四十七年前に地球を発進したと連絡があったオベリスク型恒星間宇宙船<かげろう18号>」に乗ってやって来た、地球からの訓練生6人のうち3人の少女の教官になって彼女たちを指導しろとゆー指令が下る。「生き甲斐」を求めて遠くクリシュナまでやって来た彼女たちの熱意と割に平和なクリシュナでのんびりやってた諸星との、コミュニケーションギャップを主軸に離れていた間が縮まりついでにラブラブな事態も出てくる話かな、なんて思っていたらこれがなかなかどーして。そこかしこに散りばめられた諸星のセリフなり状況説明の「あれ?」って感じが部分が1つの、そして厳然とした事実を裏打ちするものとして浮かび上がって読む人に何とも言えない寂寞とした印象を与える。「生きる」ってこと、その「意味」をSFならではの突拍子もない仕掛けの中で、登場するキャラクターたちの思考や行動を通して考えさせてくれる物語。ちょっぴり涙。でもって感銘させられます。

 安倍吉俊さんのアニメーション「灰羽連盟」に関連して描かれたイラストとかスケッチとか設定画を集めた「安倍吉俊 灰羽連盟画集 グリの街、灰羽の庭で」(角川書店、2400円)が出ていたんで速攻で買う。DVDとか雑誌とかで使われてたりする絵もあって、それらがアニメの展開にほぼ沿う流れで収録されていて絵と簡単な文書を読むうちに、「灰羽連盟」を夢中になって見ていた去年のだいたい今頃とか、発売されていくDVDを買ってた2004年の頭の気分を思い出して泣けてくる。2003年にこれを超えるアニメってあったっけ? 「ワンダバスタイル」? うーん。「デ・ジ・キャラットにょ」? 話によっては。その意味で2003年は僕的にはアニメ空白の年だったかも。録画用のビデオのリモコンを埋もれさせたのも痛かった。真夜中のアニメなんでまるで見られなかったから。

 普通のイラストとは別に画集には、アニメーション「灰羽連盟」の中でレキが描いたってことになってたクラモリの肖像画とか、迫る恐怖の記憶にせき立てられるよーに描いていた暗くておどろおどろしー絵とかも収録されていて、その巧さにやっぱり流石に東京芸術大学院卒は伊達じゃねーやと感嘆する。とても日本画の人に見えない絵だけど塗ってはヤスリで削ってはまた塗り重ねて平面的な画を描くのはなるほど、日本画を出た人ならではの画法なのかな、今時だけにデジタル合成ってこともあるけれど、もしも本当に手で描いてるんだとしたらどんな質感なのか見てみたいところ。展覧会とかやらないかなー。ついでに後藤圭二さんの画集も買う。エクレールとか除くと後藤さんならではのパンツが今ひとつ少ない感じで微妙。でも後藤さん絵はたっぷりと楽しめるんで丸顔団栗眼ファンは必見かも。

 折角だからと松戸に行って「ガンダムミュージアム」の中にあるショップで例の「シャアNIKE」がどんな感じかを確認、色はシャアって割にはあんまり朱色じゃなくってもっと、明るくテラっとした感じがあって質感も玩具みたいなキッチュな感じで、シャアとは無関係の赤系のバッシュだと思えばそれで使い勝手もありそーだけど、シャアだと考えると角はついてないけれど色目とか赤ザクっぽい「シャア専用DVDプレーヤー」程には心をそそられない。やっぱり角がついてないのがいけないのかな。サイズも正数で1センチ刻みでNIKEは26・5センチがジャストな身には残念なラインアップ。なので今回は買うのを見送り次には是非に百式をモチーフにしたバッシュとか、出して頂ければ物によっては買うんで是非に企画して下さいとお願いしておこー。5階の「萬代屋」に「1/1 へぇボタン」が積んであったけど持ってるんでパス。「セーラームーン」のショップで実写版のカードダスを大人回し。白が見えてるのはないのか残念。それとも白見えは限定カードか。


【12月27日】 いよいよ連載の始まった滝本竜彦原作大岩ケンヂ漫画「NHKにようこそ!」が掲載されている「少年エース」2004年2月号を買いに行った筈なのに何故か「電撃萌王」第8号「週刊わたしのおにいちゃん プレビュー版フィギュア」付きだけ買って帰っては早速表紙の絵なんて見ながらフィギュアを組み立てポワンとした表情に桜色の頬にぷにぷに感がっぷりな右腕上腕部に深く激しく感銘を受けてこれは予約せねば絶対に予約せねばと明朝速攻で秋葉原に出向いてアニメイトでもホビーロビーでも駆け込もーと決意した僕を含めた人々をどうかタキモトよ責めないでくれタキモトのファンとはつまりそういう奴らなのだから。

 フィギュアは脱ごうとしている服と手のパーツの関係が絶妙でハメ込むとばっちり服を挟んで腕がつながって造型した工場の技術力の高さを見せられる思い。0・5ミリずれても雰囲気ぶちこわしになるから。あと同じ赤でもランドセルのざらっとした質感と、靴のてかてかとしたエナメルの質感をちゃんと塗り分けてある所も。分からないのはフィギュアのオレンジのワンピと赤いシューズの間にくしゃくしゃっとなった白い奴。いったい何なんだろー? 振り上げた脚の奥にちゃんと履いてるってことはおそらくはテニスのアンダースコートか何かかな。つまんでひろげてるおにいちゃんの像が横に欲しいところ。匂いは嗅がないマナーとして。

 つるぺた属性はあってもろりぷに属性のそれほど……ちょっとは……でもまあプライオリティではつるぺたより下な人間にとって昨今つまりは「リカヴィネ」辺りからのろりぷいにいもーと発おにいちゃんビームの威力の凄さってのが今ひとつ納得できず、「萌王」が冒頭から特集しているそんな「わたしのおにいちゃん」系ろりぷにオン・パレードのグラビアを見てもこれは自分の「電撃萌王」じゃない、って瞬間思ったけれど見て見て見込んでいるうちに何となく奥底からむりょむりょと沸いてくる何かがあって、例えば縦笛を吹く2人を描いた「みんなでおんがく」のすぼめた口元にピッと来てしまうのは、つまり自分にもそういう属性があったからなのか、それとも描くYUGさんのイラストに人を幸せにして止まない何かがあるからなのか。研究せねばならないけれど研究し過ぎてミイラになる可能性の極めて高いブービートラップ、行くべきか行かざるべきか、なんて考える時点ですでにもう罠に絡め取られてる……「おひるね」はまだ買えるのか。

 大宮のブロッコリー・ライブに興味もあったけど見物のお誘いがあったんで代々木第一体育館で開催された例の「機動戦士ガンダムSEEDフェスティバル LINK この時代の中で」を見物に行く。1万人とか入るらしーあの巨大な会場をアニメーションのイベントが果たして埋め尽くせるのか、なんて心配はまるでしてなくって夏の「C3」での「ガンダムSEED」人気を見ればきっと10代20代の婦女子でもって埋め尽くされる筈だと予想していたらどんぴしゃり。原宿から向かう歩道橋の上から既に女性がぞろぞぞろと歩き敷地に入れば入ったでグッズを買う女の子たちで長蛇の列。中も開演までにはアリーナ1階席2階席ともびっしりと埋め尽くされてさすがは「SEED」、番組は終わっても未だその人気衰えじ、って所を目の当たりにする。この人気をなるほど、次につなげない手はないよね、やっぱり。

 ほぼ定刻どーりに始まったイベントはまずもって渚カヲルじゃないアスラン・ザラ役の石田彰さんの映像をバックにしたリーディングや「T.M. Revolution」の演奏なんかがあってわーっと盛り上がったものの後は喋りがあって主題歌エンディング系の演奏があるって繰り返し。気持ちがリーディングにぐっと入り込んだところで1曲だけかかってそれからまたリーディング、とゆー段取りにちょっぴり間延びした感じも受けたけど、エンディングにかけてぐんぐんと盛り上がっていくドラマに知らず引き込まれいつしか感動の渦に巻き込まれ、大トリに再び唄った「T.M. Revolution」の迫力に気も高められていい気分で終わりを向かえることができた。全編飛びまくりなコンサートの心地よさも欲しかった気がするけどまあ、それはいずれ別の機会にやって頂くことにしよー。

 リーディングでは石田さんの他にカガリ役の進藤尚美さんにラクス・クライン役の田中理恵さんにキラ・ヤマト役の保志総一郎さんが順に上がってそれぞれの立場でもって「ガンダムSEED」のストーリーを語って行く展開で、見ているうちに実は3話くらいしか見ていなかった「ガンダムSEED」の流れがおおまかに分かって、終わった時にはもうこれで、DVDを買わなくっても良いんじゃないかって思えたけれど、それでも部分部分に見える動きの良さとかキャラクターの動きとか、揺れる胸とかって映像面を繰り返し見たいとゆー気持ちも一方で起こって来たから悩ましい悩ましい。とりあえずは夜中の再放送を見て考えよー。

 しかしなるほど「ガンダムSEED」が21世紀の「ファースト」だってのも分かる気が。木馬の艦橋に迫るビームの前に立ってスレッガー・ロウ中尉が死ぬし(違います)、移動中のランチが攻撃を浴びてララァが宇宙に散るし(ララァじゃないです)、散ったあとも幽霊みたいになってキラ・ヤマトの前に立って「いつでも会うことができるわ」って言うし(言いません)、そのバックで戸田恵子さんの「今はおやすみ」が流れるし(流れません)、仮面を被ったバーン・バニングスの膨らむ悪しきオーラをショウ・ザマが退けるし(ガンダムじゃないです)、ラストは宇宙を漂うキラの目にむこうにランチが見えて「僕にはまだ帰れる場所があるんだ」って泣くし(泣いているけどセリフは言いません)、って感じにまるでいつかどこかで見たシーンが繰り広げられて新しいのに懐かしい気持ちになって、ここに至るドラマ的な流れをやっぱり密に抑えたいなあ、って気になって来た。買うかやっぱり。でもLDプレーヤーを買い直して「ファースト」のDVDボックスの後編を見ても一緒かな、一緒だな(一緒じゃねえ)。


【12月26日】 数え不惑で年収がオーメン悪魔の数字に届かない在京マスコミ企業の哀しさにそっと手を見るクリスマス。お台場ならこれに1000万が乗ってたりするんだろーなー。とか人生の岐路について悩みながら、真夜中に放映されてた「ギャラクシーエンジェル」などをHDD録画で朝方に鑑賞。「S」でも「SS」でもなく「Z」でも「ZZ」でも「逆A」でも「A」でも「A’」でも「AA」でもない「SP」すなわちスペシャルが、タイトルに付いてはいるけど実質的には第3期の残りみたいらしーんで、別に絵がぐりぐり動くとかミルフィーユやミントさんが3倍ウツクしく描いてあるとかってことはなく、いつもどーりに奇天烈な展開不条理な設定無謀なオチといった「GA」らしさに溢れた「GA」でついつい真夜中であるにも関わらず今が日曜午前9時半かと思って出かける準備をしよーかと回し(名古屋弁で支度)を始めてしまったよ。出かけるってもひとりでサッカーが美術館か映画か本屋ってのが通例だけど。

 Aパートは攻めてきた反乱軍が投げた手榴弾をひとり抱えて逃げたミルフィーユが気付くとそこは元の場所で出歩くとエンジェル隊のメンバーがいたけど何故か自分を無視する。リビングに行くと全員そろっているけどやっぱり自分に気付いた様子はなくってこれはどーやらじぶんは手榴弾で爆死して幽霊になってしまったんだと理解し仲間たちが繰り広げる思い出話に怒りつつも涙する。がしかし……っていった展開は有り体だけどだからこそ納得のエンディングへとつながり各話完結即リセットな「GA」らしさを存分に感じさせてくれた。「てへ」にかなうオチなし。

 Bパートも髯を小馬鹿にされて怒ったウォルコット中佐がココモ&マリブを追い掛けそこにいたエンジェル隊を次々に「負け石」(負けを認めた人がなる石像、学校などにあるらしい、薪の重さ本の難解さに知力体力の至らなさを痛感した負け石とかか?)にしてしまい遂には喫茶するメアリー少佐と一大決戦を繰り広げるオチなしのストーリー。「白き超新星の狼vs金色の吠える流星」って……。賛否両論だけど僕は賛な鈴木典光さん作画のシースルーミニスカ&レオタードなエンジェル隊(の特にミント)が今再び見られてラッキーでした。ってDVD買えよ。

 秋葉原を流浪して買いそろえた「R.O.D」のOVA版3巻を一気に見る。ねねね出てねえ。けど冒頭で神保町の読子・リードマンの部屋のそこかしこにねねねからのメモが貼ってあったから同じ世界に生きてるってことは間違いないのかも。今さらだけど話は「集英社スーパーダッシュ文庫」のシリーズとはまるで重なってなくって、小説版だと背後に渦巻いているジェントルマンの野望ジョーカーの深謀読仙社の暗躍なんかも見えなくて、ボケてるけど強くて純真な本好きねーちゃんがただ活躍してミッションをコンプリートする話になっててこれだけ「R.O.D」ワールドが広がってしまった今となってはちょっと狭いかな、って感じ。でも当時は本好き姉ちゃんってだけで「やってくれた!」と喜んだ記憶があるからなあ。時代はこうして流れていくのです。

 絵は良いのか普通なのか微妙。ナンシー幕張(小説版とはキャラ違う、ってことはやっぱり連続性はないのか)が潜り潜らせながら戦い活躍するシーンの次にどこからどんなポーズで出て来るんだろ? って期待をオープニングも含めて抱かせてくれるのは良かったんだけど2話で登場の玄奘三蔵の動き表情はちょっと迫力が。放映されたばかりの「THE TV」で紙使いの弱点に紙がしなびる水気が挙げられていたけど3話でピンチの読子は水攻めでも頑張っていのが不思議。それともコート紙防水紙の類だったとか。クライマックスはこれも有り体ながらだかこその感涙。一休たちって誰が復活させたの? やっぱコミック版も読んでおかないとダメか。

 独り言。女性票をゲットしよーとマドンナ風味を施策に漂わせて誘ってみたは良いものの表向きだけで中身は思い込みばかりが熱烈なおっさんのナイトクラブ受けを狙った媚的感性に埋め尽くされて結果そのなま暖かさを女性から見透かされキモがられ拒絶され、かといって引きずった2大政党時代の栄光も基礎票として捨てきれず狙ったはずの女性票とは矛盾する体質を保ち続けた挙げ句どっちつかずの曖昧さに基礎票からも呆れられ見捨てられ、遂には事実上の政党的死を迎えるに至った旧日本社会党現社会民主党の轍を踏むことなしに行って欲しいものである。

 日下弘文さんの「トワ・ミカ・テイルズ」(富士見ファンタジア文庫)を既刊の4巻まで一気に読了、帝国の聖王子たちの一騎当千ぶりからくる軍事的なバランスの不思議さはあるものの政治的な部分ではそれなりに国々が均衡している様子が見えてきて、おまけに宗教的な勢力も絡んでそんな上で繰り広げられる人々の、生きよう生き延びようと頑張る建国の物語には納得させられ感動もさせられた。とはいえ4巻で一気に生き神様バトルの様相が出てきてしまって人間どーしの争いからさらに次元が上がって果たして父と子の相剋とか、虐げられた人々の自立といったドラマが後退してしまわないかといった心配も浮かんでくる。

 アフラ・マズダとアーリマンじゃないけど絶対的な善と悪が戦えば、巻き起こるのは大災厄なんて目じゃないハルマゲドン。そんな次元が頂点を行くよーな展開を主人公の王子も含めて人間ごときがどーこできるのか? って疑問も浮かんで来るんだけどそこはそれ、神様といっても若干の制約が加えられているみたいなんでちょっぴり強い人たちも交えつつ、メインはやっぱり親子の相剋あたりに重点を置きつつ、世界の再生をも含めたスケールとドラマ性を持ったファンタジーになってくれると信じて読み続けよー。


【12月25日】 何で仕事中に温泉に入りますか。と突っ込みたくなった人の数を数えるのも面倒な「R.O.D THE TV」の第7話は岐阜県で発見された地下温泉に眠る何かを探しに紙使い3姉妹が派遣されたところにちょーど、別方面からも人が派遣されててそこに菫川ねねねも居合わせしっちゃかめっちゃかな展開に。読仙社から仕事を請け負っていたことがねねねにバレでおまけに読仙社の悪辣さが出て、さてはてこれから3人は引き続いて読仙社の仕事で稼ぐのかそれとも今回出会ったドレイクの伝で大英図書館とかそっち方面の仕事を受けることになってやがて読子・リードマンへとたどり着くのか興味津々。ところでねねねって小説だとドレイクあたりに出会ってなかったっけ? 読んだんだけど既に記憶、飛んでるんで不明。温泉で出会った2人は知り合いっぽくなかったしなー。小説と漫画とOVAとTVって全部世界が違うのかな。

 窮状を目で見て応援したいとか言っていたのに伊東武彦編集長、率いる「週刊サッカーマガジン」2004年1月6日・13日号ではまるで21日に開催された女子サッカー「Lリーグ」の上位リーグ最終節、田崎ペルーレFC初優勝ってゆー感動的でもあり記録的でもある事態をまるで無視してくれちゃってるよーで、わざわざ彼方の「ヴェルディ・グラウンド」まで出かけて日テレ・ベレーザを目の当たりにして、Lリーガーたちがどんな過酷な環境で試合と練習と仕事をしているかってことを理解した上でのこの仕打ちに、その本気さを疑いたくなったけれどあるいは目の当たりにしてコメントも聞いた酒井與恵さんが、敗れて涙する姿に感じてペルーレ優勝の記事をネグレクトしたんだとすれば、それはそれで正しい態度かもしれないと思う僕は不中立不公正だろーか。

 一方でライバルの「週刊サッカーダイジェスト」2004年1月6日・13日号は半ページでモノクロながらもちゃんと記念撮影に収まるペルーレの面々を紹介してあって流石の目配りと感心。ベレーザはさいたまレイナスに惜敗して4連覇を逃したんじゃなくって勝っても得失点差でほぼペルーレに決まってたんだけどまあ、細かいことは言いっこなし。上位リーグの得点ランキングでペルーレの大谷未央選手が11点とダントツで2位にも同じペルーレの山本絵美選手が入っているのにベレーザは大野選手が5点で3位タイに1人入っているだけ、ってあたりが得失点でペルーレを上に行かしてしまった理由に見て取れて、このあたりの来年の全日本女子サッカー選手権や6月から始まる新生「L1」の中でどう解決していくか、ってあたりに注目が集まりそー。大野選手の爆発か荒川選手の決定力復活か山口麻美選手の大成長か。澤穂希選手の復帰、とかだったら嬉しさ半分残念さ半分。もしもアトランタがダメでも澤選手にはベレーザじゃなくってペルージャで得点を狙って欲しいなー。

 「ニセ首相官邸」とゆーのがあって元首相と前首相の頃からとてもオモシロい政策を打ち出しては日本を良くしよーと頑張ってくれてて去年だったら「月刊紙幣」を提案しては金融面から日本経済を活性化させよーとし(どーせだったら偉人はやめてシノヤマキシンとアラーキーの競演が良いけど)、今年だったら「フセインの髯を沿ってしまえ」と訴え後にそーなって先見性の高さを見せつけたけど問題は、これらが素晴らしい提案であるにも関わらず、実行されなかったりされても後の祭りだったりして世界の安寧経済の安定にまるで貢献していないことで、目線がない方の獅子心首相におかれましてはどーか早くニセと入れ替わって日本を笑い渦巻く素晴らしい国へと導いて頂きたいと、年の瀬になって節に願っていたりする。

 あるいは首相がやらないのなら官僚が、ニセ首相官邸から発せられるニセ政策であってもそれが素晴らしいと思うんだったら粛々と実行に移せば良いっんだけど、そこまでの気概とお笑いを下は偏差値エリートから上は55年体制下でホネヌキにされた官僚たちで主軸はびっちり固められた今の霞ヶ関に望むべくもなく、ならばいっそ官僚もすっ飛ばして国民がイラクにノーアポでいってフセインの髯を剃りたーいバウバウってやるとか手に買い込んだ紙袋を持って年末の有明からイラクへと飛び若人にニッポンの最先端の文化を見せて友好平和を訴えるとかすれば立派に世界の平和に貢献出来そーなんだけど、民は民で不景気の中であっぷあっぷしているか、個人主義の粋すぎて自分以外に無関心か、何かしたくってもそこに踏み出す勇気がなくって引きこもっているかでやっぱり、役に立ちそーもない。

 なので津久田重吾さんって人の書いた「テールエンド」(集英社スーパーダッシュ文庫、648円)を読んでクーデターで国をひっくり返したフミ・フフミフミン将軍の、愚策ぶりに業を煮やしている国民に向けてはるか彼方より放たれた海賊放送の電波から、「余はフミ将軍であーる」と頓狂な声でもって「アホタレ将軍たちの年金給付金は、85歳から始めることにした! ついでに言うと彼らの定年は45歳だ!」って実に財源と人材の有効活用に効果的に思える施策が飛び出したり、「明日一日に限り10歳までの子供たちは、街のお菓子屋さんからクッキーをタダでもらえるぞ」「徴兵年齢に達した青年男子諸君は、軍に入隊する代わりに国有地を自由に耕してジャガイモを植えてよいことになった」といった経済政策農業政策が打ち出されたことを受け、国民が何故かそのとーりにする(将軍の定年は無理だろーけど)姿を見て何と素晴らしい民主国家だと感銘を受ける。独裁国家ではあるんだけど。

 んで物語はといえばそんな電波に笑っていた沿岸警備隊のパイロットの1人が、襲われていた飛行する船を助けたものの墜落して逆に船に助けられ、そこにいた4人の美少女たちといっしょに船に乗り込み彼女たちがしていたあることを手助けし、ついでに4人の正体も知ってなおのこと協力関係を深めて対には独裁政権を討ち果たそーと立ち上がる展開になっていて、そこでも言ったことが本当になってしまう海賊放送の凄さと本当にしてしまう国民の素晴らしさが綴られて羨ましさも募る。

 一方で独裁国家として強権に弾圧を繰り返して内部からも近隣からも恨まれている国で、そーゆー庶民レベルのサボタージュがどーして平気で日常茶飯事に行われるんだろー、どーして弾圧されないんだろー、って悩みもあるけどそこはそれ、物語なんで気には止めないことにしよー。とにかくあっけらかんとして楽しくロマンスもあってしっとりなレジスタンス・ストーリー。いつか日本でもこれが実現する日を夢見つつ読んでこーした市民政治の実現を期する人が増えるよー、皆も読もーと訴えよー。髪が薄い人30代独身の男性家にアニメのLDが100枚ある人には見舞金毎年500万、って政策をフミ将軍にはお願いします。「死刑に処す」。僕の廻りから誰もいなくなってしまった。

 「SFマガジン」2004年2月号のタカノ綾さん「飛ばされていく 行く先」は2回目にしてタカノさんにとってコードウェイナー・スミスともども真打ち級なジェイムズ・ティプトリー・ジュニアをフィーチャーしてて果たして次、いったい誰を出して来るんだろうって早そっちの方が気になってしまう。グレゴリー・ベンフォード? それとも「妖星伝」をぜんぶ読んだって言ってた半村良さん? あの絵柄で半村伝奇を描いたらどんな感じになるのかって興味はあるけどタイプとしては欧米系のSF紹介が似合ってるっぽいんでウィリアム・ギブスンとかブルース・スターリングといったサイバーパンク系かあるいは大御所のディック、または今回の中で挙げてたバロウズ当たりで落ち着くのかな。これはこれで楽しみ。

 今回のについて言えば絵がとっても漫画っぽいって感じでこれまでだと漫画でもイラストの方に描かれる2次元的日本画的なキャラクターが連続してるって印象があったんだけど、描かれた「たったひとつの冴えたやりかた」のコーティー・キャスはアクションも動的なら手足もちゃんと骨が通ってるっぽい感じでポーズに確かさがあり、また顔の表情も豊富で喜びとか焦りとかいったコートニーの、でもってその姿を借りてティプトリーへの想いを吐露するタカノさんの感情がよく出ているよーな印象を持った。凄いのはそーやって感想をただ連ねているよーで、絵の方は絵としてしっかり宇宙へと出た少女が宇宙人に出会いいろいろあって最期、輝きへと向かう展開が描かれてあって紹介を受けて本編を読んでからまた漫画を読み直すと、新しい感慨が得られそー。僕の頭だとコーティーは「SFマガジン」で読んだ時からずっと川原由美子さんだったけど、これから読む人のスタンダードにタカノさんがなって行くことになるのかな、いっそタカノさん表紙でティプトリー、再刊してみては如何、売れるかは知らない。


【12月24日】 クリスマスイブに相応しくゴシックな雰囲気を持ったアニメーションってことで見残していた「ウィッチハンター・ロビン」の21話から26話までを明け方にかけて一気に見倒して、放映当時に録画を失敗して以来ずっと気になっていた最終回がどんな感じだったかを始めて知る、別に普通でした、というかこの展開で言えば至極真っ当にストレートな最終回で世紀末を飾った難解系の双璧「新世紀エヴァンゲリオン」に「少女革命ウテナ」の洗礼を受け、また「ガサラキ」に「ノワール」なんて謎系ラストの話を見てDVDを揃えよーとしていた手を止めた人間としては、ちゃんと話が落ちてドラマにもケリがついて、感動があって余韻もある良い話に思えてニッポンのアニメも大丈夫ってむしろ嬉しくなった。

 なるほど「オルゴ」ってウィッチの能力を無効にする物質がどーゆープロセスで作られそれがどーゆー効果と副作用を及ぼすのか、ってあたりの説明にやや不足感も感じられたけどそこはそれ、「そーゆーもんだ」って納得の段取りさえ脳内で踏めば別に全然気にならなず、むしろ難しい学術的な説明なんかがなくって文系人間としては頭を使わず済んで逆に良かったかも。何より全編を通して美術背景ファッション等がトータル的なコーディネーションでもって描かれているのに感銘。出来ればそれらが完璧な作画で描かれていれば良かったんだけど動かなくっても崩れてはなく、止まっていても目にしっかりと映って気持ちに良く働いた。

 最終回の常ってゆーか「あの人はいってしまわれました」の呪縛ってゆーか「ブレードランナー」以来の伝統ってゆーか、主役は物も言わずにフェードアウトしてしまってどーなっているのかが分からず気になった。おそらくは放映時に物議を醸しただろーと想像できる、ラストにチラっと映る少女はロビンじゃないってライナーで監督の村瀬修功さんが断言してるから、やっぱり生死は不明っぽいけどそこはそれ、きっとどこかでケッタ漕ぎ漕ぎ配達をするロビンとヒモの亜門が四畳半でこたつを囲んで紅白を、見て年越しなんかをしていたりするんだろー。暖房はいらないからこたつはないのかな。あと可能ならばロビンでも最後に現れた別の少女でも良いからキャラにして、あの世界観をあのファッションあのインテリあのアエクステリアあの美術あの背景ともども蘇らせ、あの音楽あの静謐な物語の中で見せて欲しいもの。けどどーかなー、やっぱり無理だろーなー、ゴスロリって今、いろいろだし。

 一騎当千、と言っても足を振り上げ真っ白なパンツを見せながら格闘する美少女たちがいっぱい出てくる漫画やアニメとは関係なしに、ごくごく真っ当に1人で何千人もの敵を相手に戦う善玉が出てくるファンタジーを続けて読んで、こんな人がいれば苦労なんてなしにたちまちのうちに天下だって取れちゃうんじゃないの、って思ったもののそれだと話も続かなくなる心配があるよーで、一騎当千を相手に一騎当万やら億やら兆ってのが登場しては主人公たちを苦しめるんで、どーにか話も1巻の終わりとはいかずにどんどん続くし、先への心配もちゃんとあって楽しめる。

 「マルドゥック・スクランブル」がSF業界で大人気になってしまった冲方丁さんが雌伏しながら書き発表していた「カオスレギオン」シリーズは、1人で「軍団(レギオン)」を扱う男がかつての仲間で今は魔に堕ちた仇敵の男を追って旅をし戦う物語。その呼び出す「レギオン」が、無念のうちに死んで地面に埋葬された人々の魂を呼び出し仕立て上げた怨霊戦士ってあたりが漫画の「暗行御史」なんかに重なるけれど、あっちは完全にファントムソルジャーでこっちはバトルを通して供養し浄化して天へと送るってプラスアルファがある分、魂を呼び出すジーク・ヴァールハイトって騎士の振る舞いに意義が見られて  物語の中で彼の動きを周囲が支える理由になっている。

 国を裏切り魔に堕ちたドラクロワとの決戦に第1巻の無印「カオスレギオン」で決着がついてしまってあとはそこへと至るプロセスが、「0」「01」とそれから最新刊の「02」なんかで描かれていて無印で抱いた”決戦”への気持ちの高揚がどこか間延びしそーな感じもはじめはあったけど、裏切られどん底からはい上がってはドラクロワを追いその張り巡らされた謀略をかいくぐって使命を果たそーとするジークのストイックな格好良さと、彼をささえるノヴィアに妖精の従士2人の頑張りが、あるんで巻ごとにちゃんと興味を抱かされて最後まで読まされる。

 「02」の2万人大行進で起こる苦難と混乱と喧騒を抑え裁き約束の地へと無事たどり着いた時の感動と言ったら。世界の動勢に人の情動がちゃんと絡んだ骨太なシリーズになりそー。それにしても一体ノヴィアの料理ってどんな感じなんだろ。普通の食材で作っても毒々しい色になって、けれども食べると美味ってゆー。誰か作ってくれないかな。

 続く一騎当千は日下弘文さんの「トワ・ミカ・テイルズ」シリーズでこれも最新刊の4巻が出たけど読んだのは1巻だけなんで、当千がメガだかテラだかに果てしなくインフレしていくかまでは不明だけど少なくとも、1巻きでは2人の一騎当千がそれはもー一般人には予想もつかない凄まじい戦いを繰り広げてくれるんで、ぶつかり合う力と技の饗宴を楽しめるよーにはなっている。聞けばさる国の王子だった少年が魔に荷担した父親の王に対抗し、国を仕切っていた10人の聖天子たちの筆頭を務めていた美女(年齢不詳)のヴァルナに連れられ国を出て、あちらこちらを放浪しながら追っ手と戦い父の野望をうち砕こーとするって物語。その聖王ってのがまさしく一騎当千で、追っ手に出た普通の軍団のすべてをなぎ倒す実力をのっけから披露してくれる。

 そんなヴァルナを相手に出来る奴なんていない、何しろ筆頭なんだしすべての聖天子の師匠なんだから、って言ってしまえばおしまいなんだけどそーはならないのが物語が物語として成り立っている所以。一騎当千の彼女にも弱点があって1巻ではそこをついて3番目の聖天子が彼女を瀬戸際まで追いつめ話を盛り上げる。「カオスレギオン」に比べてキャラクターの立ちっぷりは良くビジュアルにすればなかなかの迫力になりそーだけど、一騎当千が残りだけでも8人とかいる突出した国が存在し得る理由とか、そんな国を相手に逆らい民が立って果たして生き残れるのかどーなのか、って部分を考えるとなかなかに難しい問題もありそーで、そーした政治的軍事的な問題に納得性を出しつつどこまでキャラたちにバカ力バトルを繰り広げさせられるのか、って部分の塩梅如何で話は面白くもシリアスにもなりそー。なので出ている4巻までをまずは一気に読み込もー。しかしヴァルナさんっていったい何歳なんだろ。リサリサより年上なのかな。


【12月23日】 楽しげなクリスマスパーティーがそこかしこで華やかに、歓声嬌声の類を放ちながら繰り広げられている師走の夜を、甲斐性のなさ人徳の至らなさ故にどこに呼ばれることもなくたったひとりで南瓜の煮付けをパックで買って夜食替わりにむさぼり食い、京野菜とラベルに書かれた1つ398円もする柚子を買って風呂に浮かべて浸ったのはすべて、夢路行さんの連作集「モノクローム・ガーデン1」(スタジオDNA、552円)に入っている「雪月下」を読んだからに他ならず、日本の伝統文化にはまるで関心がない癖に漫画とか、アニメには影響されやすい我が身のだらしなさをここでもまざまざと痛感させられている。

 とは言うものの食べてみると南瓜はこれでなかなかに甘くって洋菓子なんかよりも口に柔らかく、柚子湯は登別温泉カルルスとかいった人工の入浴剤程に肌に刺さらず静かに、それでいてひたりひたりと肌を、それから内部を暖めてくれてなるほど日本の伝統文化とゆーのも、これでなかなかに意味があり且つ素晴らしいものだと認識を新たにし、ならば年末には家でハンディ餅つきセットを買ってひとりぺったんぺったんと餅をつき、元旦には初詣に行って落ちている賽銭を広い節分には恵方を向いて京樽だかどこだかの巨大太巻きをものもいわずに一気食いして病院へと運ばれるのもこれまた日本人の心であると、意を強くして残る2003年を過ごし向かえる2004年を凄そうと、一年の計をちょっと早めに掲げてみる。その前に不二家でペコちゃんケーキを買って来てクリスマスのお祝いもしないと。もちろん家で、ひとりで、だ。

 序章を読んでこれはバリー・ユアグローの「一人の男が飛行機から飛び降りる」かあるいは筒井康隆さん「天狗の落とし文」みたいな不条理だったり奇妙奇天烈だったりする断片の短編を繋いでいく話なのかな、何しろ筆者が浅暮三文さんだし、って思ったらさにあらず、最新作の「10センチの空」(徳間書店、1200円)はもうそのまま純然と忘れてきた青春を思い出させそれにケリをつけさせて、遠く未来へと羽ばたこうとする勇気を与えてくれる感動のファンタジーに仕上がっていて、昼間っから手に缶ビールを持ち歩き夜は夜でバーボンの瓶を脇にガブガブやりながら英米文学を語るおっさんの、内にある文学への強い期待を見せられたよーな気がする。

 敏也は学生で卒業も近いのに就職活動に乗り切れず自分が何をしたいのかも見つけられないままちょっぴりの焦りといっぱいの諦めを心に渦巻かせながら日々を過ごしている。夢で空を飛んでいるものの頭に重たい帽子がのっかった感覚があって高みを飛べず、これはいったい何なんだろうと気になりそれをよく聴いていたラジオ番組に投稿したらディスクジョッキーのめぐみがそれを読み、「ザ・ビートルズ」の「フリー・アズ・ア・バード」をかけたらあら不思議、夢へと引きずり込まれた敏也の前に子供だった頃の記憶がまるで体験しているかのように蘇り、かつて自分が空を飛んでいたこと、その力を誰かから受け取ったことを思い出させられる。

 そこから敏也の、めぐみのラジオ番組をきっかけにした過去の探求が始まりやがて、彼は重たい帽子の原因を知ることになる。過去の重しは誰にだってあるもので、それを振り切れないまま大人になってしまった挙げ句に、羽ばたけず歩き出せないまま今に溺れていたりする。けれどもそんな過去はしょせん過去。今から先にひろがる未来へ、天にひろがるこの大空へと向かい羽ばたくことこそが大切なんだよ、ってまあ、言えば気恥ずかしいんだけどそれでも人が生きていく上で必要なことをファンタジックな物語の中でロマンチックな展開も入れながら教えよーとしている。「チーズがなんたら」ってベストセラーを書いた人の、過去を見つめ今をしっかりと生き未来に準備をするんだなんてことを書いた自己啓発書も出ているけれどそれを読むより面白くってなおかつためになる物語。未来ある若者だけじゃなく、過去に気持ちを縛られている大人も読んで前を向く力をもらおー。しかし本当にこれマジで浅暮さんの手から生まれた物語なのか?

 空を飛ぶファンタジー、って言うと思い出すのがスーザン・パルウィックの「いつもの空を飛びまわり」(安野玲訳、筑摩書房、1545円)なんだけど「10センチの空」が前向きな解放として空を見ているのに対してこっちは後ろ向きの逃避として飛ぶ空、ってのが描かれていて同じ空でも描き方によっていろいろと描けるものだと感じてる。もちろん好き嫌いで言うなら絶対的に前向きの、未来にひらかれた空って方にかけたいけれどパルウィックの本が出てもう7年くらい経つのに世の中から子供の虐待がなくなるどころかますます酷く、それも無意識の残酷さによる虐待が多く現れるよーになっていて、こんな世の中だったらとっととオサラバして空へ、逃げたいって子供たちが思うのも分かるよーな気がする。

 そんな世界に誰がした、って僕たちがしているんだけどだからといってどうこうできるものでもないし……鬱。それでも何とかすべってことで人間としての自立を説く「神は沈黙せず」でも連帯を求める「メシアの処方箋」でも読んで皆、人は善くなれるんだってことを自覚して頂きたいもの。こう考えるとSFとかファンタジーっていろいろと、世の中を指摘し刺激できるジャンルなんだなー。役に立っているかどーかは別にして。ちなみに「いつもの空を飛びまわり」は好評絶版系っぽくって良く自由価格本の棚で見かけるんだけどもしかして売れなかったのかな、もったいない話だなあ。

 とゆー訳で一昨日に続いてキックボードを漕いで浦和美園駅から「さいたまスタジアム2002」へと向かってLリーグ1部への参入を決める試合を見物。彼方に巨大なスタジアムをのぞむ道を一昨日よりも大勢の人が歩いているのをみてもしかして、大原学園JaSRA女子サッカークラブが大動員でもかけたのかと思ったら何のことはない、スタジアムの中でフリーマーケットが開かれていてそれを見物に来る人がえっちらおっちら歩いていただけだった。これがあったから本ちゃんスタジアムが使えず第2第3グラウンドになったんだったらちょい、勿体ない話だけど同時試合開始で緊張感を出すって意味なら隣り合ったサブグラウンドで試合も悪くはない。

土手ではポカポカひなたぼっこ、グラウンドではゲシゲシ真剣勝負、見つめる新聖地さいたまスタジアム  ただ見る方としてはどっちを見たら良いのか迷うってことがあって着いてさあ、どっちにしよーかと迷ったけれど大量ではないにしてもそれなりな人数を集めてちょっぴり土手になった観覧場を埋めたJaSRAと岡山湯郷Belleをそのまま見るよりは人も少ない「宝塚バニーズレディースサッカークラブvsA・Sエルフェン狭山FC」を見る方が楽しいかも、ってことでそっちに陣取り試合を観戦。さすがに下位リーグにともになったチームだけあってパスが通らずかといってシュートを打つ程までに抜け出せない展開になったけど、そんな中でもどちらかといえばバニーズの方が多く攻めてシュートも何本が打って、何故それが入らないってものもいっぱいあって押し気味に試合を進める。

 対するエルフェンは中盤で背番号7番のおそらくは佐藤舞選手? が1人次元の違うテクニックとボール裁きでもって持てば抜きサイドへと散らし前線へと送るプレーを見せてくれたけど、いかんせんバニーズも守備陣が頑張って容易にフォワードにボールをおさめさせず2の矢3の矢をエルフェンに放たせない。後半から多分出てきた背番号23番だから佐藤典子選手かな、サイドに張ってフリーになって佐藤選手からボールをもらい中へと切れ込むんだけどやっぱりその先へと行かず相手ボールに。この2人を軸にあと1、2枚人手があれば相当な攻撃力になったよーな気もしたけれど、残念にも点を奪えず逆にバニーズに1点を取られそのままゲームセットとなってしまった。

 隣ではJaSRAがBelleを振り切りL1参入を決めたみたいでザスパ草津よりしく温泉郷で働きながらサッカーをする少女たちは夢を1段下げたところで来年を迎えることになったみたいだけどそれでもJaSRA相手に3点を取った力はあるんで頑張ればL1参入も遠くはなさそーだし、エルフェンもおそらくは佐藤選手の次元が違った活躍でもって少なくともL2では上位に来そー。とりわけ佐藤選手(で良いのかな)のプレーぶりには感銘を受けたんで、L2だからといって見に行かないなんてことはせず、例えば近隣だとジェフユナイテッド市原レディースとの試合とか、それより先に近く始まる「全日本女子サッカー選手権」でのプレーで再び目の当たりにしたいもの。最初の2戦は博多だったりするんでそこで四国代表を撃破し強敵だけどYKK東北女子サッカー部フラッパーズも倒して駒場へと勝ち上がって来てくださいな。


【12月22日】 とっとと帰ったんで表彰まで見なかった第15回LリーグのMVPはやっぱり得点王に輝いて優勝に果てしなく貢献した田崎ペルーレFCの大谷未央選手がゲット。「FIFA女子ワールドカップUSA大会」でも大活躍だったしチームも含めて相当に好調だったんだろー。このパワーが来年のアテネ五輪予選に活かせれば。気になるのは同じくワールドカップで活躍した澤穂希選手の動勢なんだけど……いったいどーなってるんだろ、アメリカの女子サッカーリーグ。

 去年まで2年連続だった日テレ・ベレーザの酒井與恵選手はチームがぐっと若返ったこともあってか今ひとつ伸び悩んだだったこともあってMVPを逃したけれど、ベストイレブンの方にはしっかり入っていたみたいで、これで8年連続のベストイレブンは男子と同様にタレント豊富な中盤にあっても抜きんでた実力を持っているってことの現れなんじゃなかろーか、でもまるでお金には結びついてないみたいのが残念とゆーか可愛そうとゆーか。ベレーザからは中地舞選手もベストイレブンに選出されたみたい、だけど言われて顔がハパッと思い浮かばないところに我がベレーザへの愛の足りなさを痛感する。でもディフェンダーって地味だからなあ。全日本女子サッカー選手権ではじっくり観察しよー。

 神様の正体を科学的想像力によって解明した果てに神様なんて必要ない、人間は自立できるんだってことを高らかに訴えかけた山本弘さんの「神は沈黙せず」(山本弘、角川書店、1900円)が2003年のベストワンかと思っていたところに有力過ぎる対抗馬として機本伸司さんの「メシアの処方箋」(角川春樹事務所、1900円)が颯爽と現れ、年末の神様SF有馬記念は一気に混戦の模様に。厩舎も書店と春樹事務所ってことで因縁ありまくりなだけに、相当に激しいレースになりそーだけど奥付では「メシアの処方箋」は2004年1月8日になっているから、年次で切ったレースでのバッティングは避けられそー。

 ヒマラヤで地球温暖化によって融けた氷河の湖からあふれ流れついた方舟の中から、なにやら蓮の花に似た記号だか文字だかが書かれた木簡の類が発見される。すわ古代文明からのメッセージかそれとも神様の御言葉か、なんて騒ぐ学者たちを横目に発見者の若い技術者と、野心に燃える研究者が組んでメッセージの解明に乗り出す。ネットを駆使して有志を募り、悪知恵を働かせ度胸も見せて研究施設まで巻き込み遂に掴んだメッセージの正体。それはまさしくタイトルにもある「メシアの処方箋」だった。

 近未来のコミュニケーションにネットが重要な役割を果たす、ってあたりも「神は沈黙せず」と共通で、ネットがこれほどまでに普及してはいなかった1980年代とか90年代では多分、書かれなかっただろー小説かも。あと世界が混沌としている時代に人が何かよりどころを求めたくなるって気分を、受け止めつつどうさばくかっていった点があるのも両作品に重なる主張か。とは言え決定的に違うのは、「神は沈黙せず」が世界を創造した神の存在を認めつつも人間にとっての神を全否定して自立を目指しているのとは対称的に、「メシアの処方箋」は神というよりともに悩む存在を全宇宙に見つつ、そーした悩みを解消する拠り所として、概念としての神を想定しよーとしている部分。「処方箋」がもたらしたものを巡るドタバタなんかを見ると、神ってものを前に人がこれほどまでに弱くなってしまうのか、って思いも浮かんでだったら自立すべき、って「神は沈黙せず」の主張に身を傾けたくなる。

 もっとも「処方箋」も結果として人間のひとりひとりが”良きこと”のために何かを考え何かをすべきってメッセージが込めらた話とも言えそーで、その意味では神を捨てるなり棚上げするなりして、人間自体の進歩を促す啓蒙の書って言えそー。そのメッセージもなかなかに魅力的で、立場とか国の違いを超えて誰もが繋がることができる今時のネットワーク社会には、むしろこっとの方が有用な手法なのかもって思えて「メシアの処方箋」にも賭けたくなる。ともあれ年の瀬の何かと忙しい時期に現れた傑作秀作SF。同じく年の瀬に出たもののその分厚さもあってか振り向かれないまま年間ベストに挙げられずに終わり、持てるSF的センスが「マルドゥック・スクランブル」まで”発見”されなかった冲方丁さんの「ばいばい、アース 上・下」(角川書店、上下2900円)の二の舞にならないよー、ここに読んでおこーと強く激しく訴えたい。ところで舞台は「伊勢 安土桃山文化村」? 確かに籠城戦を演じたくなる場所だよね。

 きのうは大宮きょうは渋谷と麺を訪ねて西東。ってことで渋谷の宇田川町、ってゆーか「元ゲームファンタジア」の「アドアーズ」からちょっと戻った「渋谷ちとせ会館」の中に25日にオープンする「麺喰王国」のプレビューに出かける。エレベーターを降りると正面にいきなりDJブースがあるのがいかにも渋谷っぽいけど中に並んだ店はそれぞれが仕切られそれぞれに食べ物を出す方式で、人気の店に入る時にはそれぞれの入り口で空くのを待つことになりそー。「面喰王国」のフロア自体に入るまでは携帯電話での予約が可能で、最短で1時間先からの予約が出来るみたいなんで寄ってみたいとフラリ思ったその時に電話して、ちょっと遊んで寄るってのがこれまた渋谷的って言えそー。何が渋谷的なんだ。

 店については有名無名は当方には不明。曰くラーメンコンサルタントが満を持してプロデュースした店とか新横浜にある「ラーメン博物館」のコンテストで準優勝した店があるそーだけどどれがどれやら。あとラーメン以外の「ぶっかけうどん」の店とかビーフンをはじめとしたアジアの麺料理の店とかあるそー。さぬきうどんの店がないのが流行りに媚びてないってところか。ってかそれより以前に流行りのフードコンプレックスを今やることが流行のど真ん中を行ってるってことなんだけど。大宮よりは地の利があるんで流行るかな。それより大宮ってちゃんと客入っているのかな。

 ざっと見て何も食べずに出て近所の「ブックファースト」を見物。ミステリーコーナーのテレビにいきなり大森望さんが映ってて何か事件でも起こしたかと瞬間驚く。すぐに「ミステリーチャンネル」がやってる年間ベストの番組だって気づいたけれど、出演している6人がハの字に向かい合った席に座っているその大森さん側に、妙に胡乱な風体をした人たちが集められているのに作り手の作為を見る。端が豊崎由美さんで中がおそらくは杉江松恋さんだろーと思うけどその2人が共にサングラスをかけてて怖いこわい。残る大森さんも金髪で、そんな触れば噛みつきそーな人たちに向かって座る香山ニ三郎さん吉野仁さん関口苑生さんがとりあえずフツーのおじさんって風体だったりする、その配置の妙にうなる。言ってる内容までは聞き取れなかったけれど見た目だけで判断すれば明らかにどっちかが”悪者”でどっちかが”善玉”ってなりそーだから。僕はもちろん悪者なので悪者チームが推した本を読むけれど。悪者チームSF界で似たことをやろーとして”悪者席”に座るのは誰だろー。


【12月21日】 残っていたアニメーション版「綿の国星」を最後まで鑑賞、公開の時から20年弱を経て改めてとてつもなく素晴らしいアニメだったんだってことを目の当たりにする。そりゃ絵柄って意味では今時の完璧な画力に描写力にコンピューターを使った技術力の乗ったアニメの方が上を行っているけれど、絵だけじゃない物語の部分とそれを描く時の演技の付け方、声を充てる声優さんのトーンのすべてがかみ合えば、素晴らしいアニメになるんだってことを改めて教えてくれる。

 まあ「綿の国星」は原作が素晴らしいってこともあるんだけど、そのエッセンスを抜き出し映画に再構成した脚本の大島弓子さんと辻真先さんに脱帽。猫は猫なんだってこと、死ねば永遠に消えてしまうって真理を教えられつつ、それでも誰かを愛し誰かに愛されて生きていくことの素晴らしさを見ているうちに感じさせてくれる。まるで防空壕に逃げる格好をした猫アレルギーの母親が、頑張ってチビ猫に触れて「感謝します」とつぶやいた場面、その顔をチビ猫がちょろっとだけ舐めるシーン、胸に染みます。こーゆーアニメが今こそ必要なのにどーして世の中には殺伐としたのとかキャラものとかジブリしかないんだろー。その意味でもオリジナルでメカ&美少女とは無縁の作品を作り続ける今敏監督には頑張って頂きたいところ。あるいは「綿の国星」の再アニメ化とか。実写で? 今のCGIなら出来そーだけど……どんな絵になるんだろ。

   撮りおいてあった実写版の「美少女戦士セーラームーン」を鑑賞、先週にいろいろあったみたいでそれが冒頭で流れてどーやら、セーラーVが本格的にセーラー戦士たちに関わってきた模様、だけど愛野美奈子がセーラーVだとはまだ月野うさぎたちには知られていないのか。お話はもらったサインを忘れたってことで美奈子のところへと出向いたうさぎが、妖魔に襲われ逃げ出した美奈子をそーとは知らずに連れ出し一緒に逃げたり観覧車に乗ったりする中で、ちょっとばかり親密度が高まっていくって展開になっている。

 でもって戦闘シーン。登場した妖魔を相手に戦うセーラー戦士3人(なぜか1人足りない)のピンチを救うべく、現れた美奈子を前にセーラー戦士も良いところを見せよーと頑張るんだけどそこでセーラームーンをバックに残る2人が側転する理由が不明。「サービスシーンだ」って言われれば明快なんだけどそーゆーシーンを好む人だけに見てもらおーとした挙げ句、肝心の子供とその親が見なくなって玩具が売れないとスポンサーとしても困るから、わざとやっているとも思えない。あるいはそーゆー白見せ放題なシーンを好む人は玩具も買うと見ているのかな、実際セイカノートから出た塗り絵が天板に付いた小さい座卓、ちょっと欲しいし。

 側転をする時に2人とも見事に顔を見せないってのも技なのか。運動している時って歯を食いしばったりして人にあんまり人に見せたくない顔になっているからね(違うって)。あと見せ放題と言えば美奈子が変身してセーラーVになったシーンで、チキンウイングよろしく両手を後ろに付き出して前傾姿勢で走り去っていくものだから、それもローアングルで撮るものだからオレンジ色のひらひらの下に白がちらちらとのぞいて仕方がない。スタントが絡まっている戦闘シーンで見える白よりは信憑性があるけれど、本当に本当の愛野の白なのかは不明。まあそう思い込むことがこの世知辛い世の中を明るく生き抜く知恵ってことで、信じて見つめることにしよー。

 早起きして「さいたまスタジアム2002」へLリーグの上位リーグ最終節。ダブルヘッダーになってる試合のまず最初は、勝つことが絶対でなおかつ10点とか15点とかを取って得失点差を稼がなければ優勝がなくなる日テレ・ベレーザがさいたまレイナスFCと対戦。とにかく得点を取ろうってことでサイドアタッカーの近賀ゆかり選手をサブに回して荒川恵理子選手、大野忍選手のスタメンツートップに加えて、若さと美貌に実力までをも兼ね備えたベレーザ期待の新星フォワード、山口麻美選手も入れたスリートップの布陣。そんな後ろを小林弥生選手が仕切りさらに背後で酒井與恵選手が固めて一気呵成に行こーとしたみたいだけど、作戦が軌道に乗る前にレイナスに1点を先取されて早くも苦しい展開になってしまう。

 すぐさまPKで1点を返したもののその後1点づつを加えた同点のまま引き離せず、ただでさえ薄い優勝の目がさらに薄くなって来る。そしてとどめはレイナスのフリーキック。直接叩き込んでリードすると、あとはベレーザの猛攻を山郷のぞみの神懸かり的なセービングで守りきってそのままレイナス勝利となって、次の試合の勝敗に関係なしに田崎ペルーレFCの優勝が決まってしまった。レイナスのゴールキーパーの山郷選手は無茶苦茶当たってて、大野忍選手を始めベレーザの選手が後ろからのスルーなりクロスで何度も抜けだし1対1で放ったシュートをことごとくセーブ。ベレーザのフォワード陣の思い切りの至らなさがあるいはあったのかな、って思えないこともあったけど慎重に狙わないと入らないって気持ちにさせてしまうだけの凄みをそれだけ、山郷選手が放っていたって言えるのかも。代表GKの技、見せて頂きました。これでアテネ五輪も安心だ。

 一方のベレーザ、日本代表を多く出してるチームなんだけどここに来ての若干の低調さが気になるところで秋のワールドカップでは中心と期待されながらも今ひとつだった小林弥生選手は今日も前半だけで交替と、戦術なのかもしれないけれど一方でフィジカル面に不安があったのかな、なんてことを思わせた。他の選手たちも含めてパスに何か重さがあって綺麗につながらない場面が何度もあったのも気になるところ。有り余る才能でもってプレーする天才肌の選手が多いチームなんだけど、筋力体力が全体的に揃ってないよーに見える。

 その違いは次の試合で既に優勝を決めている田崎ペルーレFCを見て明らかに。サイドを買えるパスがばしばしと通るは速いパスがびしびしとつながるわ、って感じでボールが誰かの足下に留まったまんま狭い範囲を転がり続けるってことがない。広い範囲をボールを動かして大丈夫なのはそれだけ皆が走ってるってことで、これに今期のベレーザにはちょっぴりなかった決定力を、代表フォワードの大谷未央選手が加えることでまさに”無敵”って雰囲気を醸し出していた。もちろんリーグではそんなペルーレ相手に互して戦える所をベレーザも見せていた訳で、そーゆー試合が出来るにも関わらず時々取りこぼししてしまったこと、でもって得失点差を稼げなかったことがベレーザの連続優勝を阻む要因になってしまったんだろー。

 自分たちの試合が終わった後で1人、うつむいて涙を流していた酒井與恵選手はよっぽど悔しかったんだろー、その悔しさがとりあえず目先は全日本女子選手権大会、さらには1部2部に分かれて再スタートする来年のLリーグの試合と更に、来年に予選が行われるアテネ五輪の出場権をかけた試合で代表選手として発揮されんことをひたすらに願おー。終了後、「さいたまスタジアム2002」の上の方の席から小林弥生選手らと並んで真剣マジに試合を観ていたその視線の厳しさに、気を取り直しての再挑戦があると信じよー。頑張れ僕らの酒井選手。山口選手もね。

 ってな訳で終わった今年のLリーグ、かと思ってもらっては困る。1部2部に分かれるリーグの1部入りを目指した参入決定戦が4チームとも勝ち点3で並んでいて、残る1試合に勝てばL1参入決定、ってゆー状況にあってその試合が23日、「さいたまスタジアム2002」のメインじゃないけど第2第3の両グラウンドで同時にスタートする予定。どっちを見ればいいのか迷うけど、優勝が決まる試合に負けず劣らず真剣勝負が見られそーなんで天皇杯の「横浜F・マリノスvs鹿島アントラーズ」に後ろ髪を引かれながら、も23日は電車を乗り継ぎ浦和美園前からは掘り出したキックボードを漕いで(これ使うとあの距離が早いはやい)、はるばる「さいたまスタジアム2002」へと駆け付ける所存。だけど雨だったら止めるかも、だらしないなあ。


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