縮刷版2003年10月中旬号


【10月20日】 すでにしてロッポンギ観光のおばちゃんおじちゃんたちが展望のついでに寄っては、まるで訳のわからない現代アートならではの作品に「なにこれおかしい」と言って目を白黒させたり、横から上から眺めては指さして笑い声をあげている光景が名物となっている庶民派美術館の「森美術館」だけど、「週刊ビッグコミックスピリッツ」に掲載のホイチョイプロダクション「気まぐれコンセプト」によると、夜は11時まで開館とゆー運営状況から六本木ヒルズの中とか近所で一杯ひっかけたサラリーマンが寄ってはやっぱり大声で笑い声をあげたり、雰囲気のいい場所で逢い引きしたいと寄ったカップルが展示物の陰とかで積極的な行為に励む可能性があるとかで、庶民派美術館は一方で歓楽街美術館でもあったんだってことを再認識する。

 19日にフジテレビジョンで放映された番組だと開館に向けて現代美術のことを一所懸命に勉強したキュレーターやら若い研修生やらが参集しては、日本に現代アートの知識をひろめるべく頑張ろうって意気に燃えている姿が映し出されていたけれど、そんな人たちがいざ開館して集まってきた鑑賞者ならぬ観光客を目の当たりにしていったい、どんなことを感じ思ったのかを再びにインタビューしてもらいたいところ。それともそんな人たちに現代アートの素晴らしさを普及し啓蒙していく意欲が、一段と沸き上がったりしたんだろーか。だったらよろしい、この週末にでも精一杯に観光客の風体をしては猫がミルクを飲む映像が映し出されたディスプレーの前に「猫げんき」を置いて誘ったり、置かれた神様の像やら仏像やら曼陀羅の前で数珠を手にお経をとなえてありがたいありがたいと拝んだりして差し上げますか。やめて下さいとゆーかそれともそれがアートのアーティストの意識を超えた需要のされ方と認めて一緒に拝んでくれるか。

 日本出版販売から届いた週報の冒頭に掲載されている「大型企画」のコーナーでゆまに書房から「少女小説傑作選 カラサワ・コレクション」が10月24日に刊行されると聞いて5へぇ。その辺の資料についてはおそらくはたっぷりと持っているだろーと想定はしているから今、こーしてまとまることにまるで はないんだけれど、一般の人にとってはおそらくは大人気番組「トリビアの泉」のスーパーバイザーとしてそれなりに名前が知られている人だろーから、そっちから入って「何でまた少女小説?」って疑問が起こって「そうかそんなこともやっていたのか」と感心を呼びそう。帯に「トリビアの泉」のスーパーバイザーって入れれば店頭でも目立つんだろーけどそれをやってしまうと「少女小説傑作選」の体裁内容対象とズレてしまうだろーから痛し痒し。さてどうなっているのかな。24日に西条八十、横山美智子、水谷まさるの3冊が同時に刊行予定。1800円から1900円とは安いなあ。

 新刊では大江健三郎さんの「はじめて子どものために描いたファンタジー」っ て触れ込みの「二百年の子供」ってのが中央公論新社から11月25日に刊行 の予定。「3人の少年少女が時空の旅」をするそーだけど行くのはヒロシマかアフガニスタンかベトナムか。やっぱり四国か。ほかだと河出書房新社から刊行の「奇想コレクション」としてダン・シモンズ著の「夜更けのエントロピー」が11月11日に登場の見通し。オリジナル編集の傑作集ってことは「愛死」とかに収録されてた作品とかが入って来るのかな。村上春樹さん訳のC・V・オールズバーグ著「いまいましい石」も河出刊行で面白そう。ファンタジー? よく知らない。

 SF寄りでは「日本ファンタジーノベル大将」の宇月原晴明さんの待望の新刊「黎明に叛くもの」が中央公論新社から大江さんと同じ日に刊行予定、ってことは広告が減るのかそれともセットででっかく掲載されるのか。信長を描いたデビュー作から転じてこっちは信長をも恐れさせた松永弾正久秀を取り上げた歴史伝奇大作になる予定。高瀬彼方さんの「天魔の羅刹兵」でも登場していた弾正が宇月原さんの手だとどんな人物に描かれているのか楽しみ。乙一さん「失われた物語」は角川書店から11月下旬に刊行予定。傑作短編集ってことだけど書き下ろし作品がいっぱい入るみたいなんで売れるでしょー。BB映画「手を握る泥棒の物語」の原作も入るそーだけどそんな映画あったっけ。

 崩れ落ちた本の下から大昔に出たいしかわじゅんさんのJリーグマンガ「イエローカードに気をつけろ!」(集英社、580円)が発見されて読むともー懐かしい面々が続々登場で10年ってJリーグの歴史の短いよーでいて案外に長かったことを痛感する。表紙からして先だって引退した北澤豪だし裏表紙は手の長いことで知られたシジマールに髪の薄いことばかりが強調されたスキラッチ。最初の4コマには肉体派として描かれた勝矢寿延がいまやすっかり重鎮のゴン中山をなぐり倒している場面が描かれていたりして、こんな時代もあったんだなーと懐かしさに目も潤む。いたよなあ帽子パフォーマンスのエドゥーに試合には出なかったけど94年アメリカワールドカップの優勝メンバーではあったロナウド。

 今やすっかり代表監督として崇め奉られるよーになったジーコも登場。してるんだけど必ず例の唾吐き事件をネタにされている当たりが当時の世間からの扱われっぷりを思い出させる。これに怒り心頭だったチェアマンが今やキャプテンとして全面バックアップするとは世も末……とまでは言わないけれど世の中変わったよ。そのジーコ監督の今日を予言するかのよーな作品も。クビになったファルカンを見送りにオフトが来て後を受けた加茂が来たのは良いんだけど何故かジーコまでがきて「そうそういつでも引き受けるからなんの心配もいらないよ」と笑うその姿に、ファルカンも加茂も困った顔をしているって作品なんだけど、この困った顔ってものが何を意味していたのか今となってはなかなかに不明。もしかすると当時はとてもじゃないけど代表なんて任せられる人じゃないって意識を誰もがもっていたのかもしれないなー。初心貫徹しないとどーなるか、って教訓かも。それにしてもこの「イエローカードに気をつけろ!」、1巻ってなっているけど2巻ってちゃんと出たのかな。いしかわじゅんさん今でもグランパスを応援してるのかな。


【10月19日】 スポーツの秋。ってことで始まった「日本シリーズ」のクライマックス部分をちょっとだけ。どちらかに一方的な展開にはならず最後の回にサヨナラで決まったゲームはどちらのファンでもない身には見ていて楽しいゲームだったけど、阪神タイガースのファンの人には胃に重く身に辛いゲームだったよーでズレータ選手の辺りが守る赤星選手の後ろへと球が落ちてフェンスへと転がっていくシーンにきっと、悲しみを全身にたぎらせテレビに向かって雄叫びをあげたんだろー。ひとり部屋でテレビを見ながら試合展開に一喜一憂し、サヨナラに落胆して3分ぐらい身動きの出来なくなる阪神ファンの生態を生中継しているサイトとかあったら見てみたいもの。それはそれで貴重な2003年の記録になりそーだし。

 スポーツの秋。ってことで実のところはとっとと終わってくれねーかなと、日本シリーズの長引く試合の尻がラグビーワールドカップでの日本代表とフランス代表の試合にかかり気味だった状況から思いつつ、それでも計ったよーにほぼピッタリの時間に終わった日本シリーズからチャンネルを変えてラグビーの試合をテレビで視聴。前面に日の丸の描かれた白いスーツとゆー、およそ常人では考えの及ばないオーストラリア的デザイン、とは言ってもそんなオーストラリアのオリンピックで7色マントをひるがえした日本人のデザインにはかなわないかもしれないけれど、それでもちょっぴり不思議な衣裳で唄うシンガーのハモった「君が代」に、国際試合ならではのおごそかな気持ちとなって試合の開始に期待がふくらむ。

 スコットランド相手に検討した守備は相手が世界のビッグ4に入るフランス相手でもそれなりに健在で、密集から短く攻めてくる相手をことごとく止めてはいたけれど、そこはサッカーと同じで「シャンパンなんとか」って標榜するフランス代表の自在なパスワークとキックからの攻撃で、振られた隙間を衝かれてトライを決められていく展開に、いよいよ虐殺のスタートか、なんて懸念も浮かんだけど、そこでズルズルといかないのが今回の、ってゆーか夏まではまるで期待ができなかったんで10月に入ってオーストラリアに行って変わった、我らがチェリーブラッサムズの守備はやっぱり健在で、守った果てに攻撃へと転じてはノックオンとか犯してはいけないミスをしながらそれでも幾度となく良い場面を作り出し、遂にトライをゲットする。

 1点差まで迫った時にはこのままくいついて行けば点差が7点以上なかったってことでもらえるボーナスポイントの1点獲得も夢じゃないかも、なんて思えたけれどそこはピチピチのユニフォームだって似合ってしまうくらいに頑健でもりもりな体をしたフランス代表選手たち。スピードが速くトルクも太いランでもって倒しかわしてトライをゲットしていき最終的には51対29って点差まで広げられてしまった。ただ東京で見たオーストラリアA代表戦やイングランド代表戦と違って唖然呆然とするよーなシーンは極めて少なく、ほんのちょっとした差(とはいえなかなか埋められない差)しかなくなっているって印象で、この勢いがあれば中心選手が出られないフィジーに伝統のまるでないアメリカ相手に勝ち点&ボーナスポイントだって奪えそーな気がして来た。

 そー思うと油断してぶち抜かれ負けてしまう心配が浮かんでしまうけど、この2試合の戦い方のマジさ加減を見るにつけ、きっとやってくれるだろうって期待の方がより大きく浮かぶ。ともあれ残り2試合を精一杯に戦って、2011年とかに見込んでいるワールドカップの日本誘致へとつながる話題を日本中に、世界中に提供してやって頂きたいもの。サッカーのワールドカップが当面来ない間、それで気持ちを満たせれば嬉しいなあ。それにしてもすごいユニフォームだったフランス代表。これと近代的な雰囲気のスタンドが合わさった時に見える光景は、日本人が伝統的に見知ってきた泥を汗にまみれたスポーツとは、まるで違ったもスピードとパワーが炸裂するスタイリッシュなマッスル・エンターテインメントって感じ。いずれ世界中でラグビーがそーなっていくのかな、でも日本人だとどれだけ体格が良くなっても似合わなそーなんだよな。誰かピチユニ版サクラのジャージを絵に描いてくれるとイメージも湧いて来るんだけど。くじらいいくこさんやらないかな。

 スポーツの秋。ってことで早起きして日曜出勤の会社へと出向いてアメリカのメジャーリーグのワールドシリーズ「ニューヨーク・ヤンキースvsフロリダ・マーリンズ」をテレビで観戦、松井秀喜選手はやっぱりタダモノではなかったことを知る、だって3安打だよ3安打。頂点まで来ただけあって決して並ではない相手投手から晴れの舞台で3本もヒットを打ってしまうなんてやっぱり普通じゃない。何しろヒットの質が良い。これまでだったらヒットっていっても当たり損ねが外野手の前に落ちたりって感じのが多かったんだけど、ワールドシリーズの第1戦で打ったヒットは3本が3本とも快打で文句無しのヒットって奴で、この活躍でもって点が入っていればそのままとんとんと勝ち上がった暁に、シリーズMVPだって獲得していたかもしれない。

 とはいえ個人では勝ててもチームでは1点差で敗れてしまったヤンキース。5戦3勝のプレーオフの最初のシリーズと違って3つまで負けられるんで気持ちはまだまだ重くはならないだろーけど、惜しい試合だっただけに受ける落胆もきっとあるだろーから明日以降、どんな感じに気持ちを切り替えのぞんで来るのかに、衆目の関心は集まりそー。そんな中で1人3本を快調だった松井選手がチームを引っ張る形で打ちまくり、揚げ句に4戦を取り返して晴れて世界一の座に輝けば良いってことで明日からの残り6戦を、どうこなしていくかに注目しつつ朝のテレビ中継を楽しもう、BSの映る会社で、午前中に、仕事もせず。きっと日本中の会社で午前中は仕事が止まるんだろーなー。

しゃべり出したら止まらない。映画にアニメを甲高くひたすらに語る仕草は秋葉な人  スポーツの秋。ってことで日本が世界に冠たるスポーツ、チャンバラを奨励する一団の記者会見に行く。クエンティン・タランティーノって名前の大将に率いられたチーム「キル・ビル」は、副将にユマ・サーマンって日本刀を振らせればアメリカで1番って女性を置いていて、試合だと黄色いトラックスーツに身を固め、走り飛びしては手の日本刀を振ってどんな相手も一刀両断にしていく彼女も、晴れの舞台ってことで赤いドレスに身を包んでたぎる殺気をおさえていた。中堅も女性で名前はルーシー・リュー。アジアの血を引くだけあっておそらくはフェンシングよりも刀の扱いに長けているんだろーけど、試合でそれがどんな形で披露されているのかは不明。別に3人組で空手のチームも組んでいるらしー。

 次鋒はその名をGOGO夕張とゆー女性で、使うのは刀なのか鎖鎌なのかは分からないけど格好についてはセーラー服だか女子高生服だかで、パッと見その儚げな外見に騙されそー。でもって近寄るとナイフで喉をかききられるんだ。そして先鋒をつとめるのがソニー・千葉真一とゆー老人。といっても実は大将すら実力では上回る剣術の実力を持った人物で、副将に中堅の剣術指導も彼が行ったんだけど試合では長いキャリアを生かして先鋒に立って出てくる相手の先鋒次鋒に中堅あたりまでをなぎ倒しては後続を楽にする役目を果たしているとかいないとか。正体は忍者。カレーが好き。でも今は奥さん作ってくれないの。

 そんなチーム「キル・ビル」が姿を見せた帝国ホテルに集まったプレスの数は軽く300って行ったところで並んだカメラの数もテレビが10以上にビデオカメラを入れれば40本は三脚が立っていた模様。これだけ集まるってことはきっと凄い試合を見せてくれるチャンバラのチームだったりするんだろー。夕方には六本木ヒルズにも出没して大勢のプレスに観客を集めたそーで、ますますもってどんなスポーツを披露してくれるのか。来週の25日からいよいよ始まる「全世界チャンバラ選手権」を見て、彼女ら彼らの暴れっぷりを確認するとしよー。ところで大将タランティーノの強さがいまひとつ分からないんだよなー。剣より変身バトン、六本木よりは秋葉原とか似合いそーな風体だし。


【10月18日】 崩れ落ちてきた本の下敷きになって自然と早起きできたんで、2週間ぶりに実写版「美少女戦士セーラームーン」を鑑賞、白いっぱいで早起きして良かったと心からの歓喜にうち震える。と言っても手を何故かチキンウイングの格好にして背中を向けて走り去っていくセーラーVの、後ろに突き出したお尻から見える白はうれしさ半分、みっともなさ半分っていったところ。白はチラ見えるから良いんであってペラ見せるものではないのだよ。その意味ではしゃがんだ時のセーラーマーズの足の付け根にのぞいた白三角、グッドでした(そんなシーンがあったかは未確認、脳内妄想の可能性あり)。

 全体に素人くさい抑揚に欠けた平板な演技が目立つ中でひとり、杉本彩さん演じるクイン・ベリルだけがテンションを高めて”女王様”しよーとしていてちょっと浮き気味。これが「ポワトリン」やら「シュシュトリアン」だと小劇場やアングラあがりの舞台俳優が、怪演でもって展開にメリハリをつけまくってたんで、テンションの多寡とかあんまり気にならなかったんだよね。あれこれ評判になっているコスプレの気恥ずかしさは今回もまるで感じず。コミケとかワンフェスで目の前を歩くコスプレーヤーを見慣れた目には、テレビでこの程度のコスプレなんぞ珍しくもないわい。願わくはこれがさらに一般化して普段着でコスプレしても大丈夫な文化が情勢されて欲しいもの。渋谷をねり歩くセーラームーンに街頭で唄いまくるぴちぴちピッチ、なんて素敵なジャポニメニズム(=日本アニメーション趣味)。

 せっかくだからと早起きついでに六本木ヒルズへと出向いて今日から発売の「村上隆のSUPERFLATMUSEUM」の六本木エディションを買いに走る。どこで売っているのか分からずとりあえず今日がオープンの「森美術館」を見物ついでに、脇にあるだろーミュージアムショップになら売っているかもと当たりをつけてエレベーターで52階へ。降りたエレベーターからショップをのぞくと見込みはまさしく大当たりで、小ぎれいなカウンターの後ろにワンフェスの企業ブースなんかで見慣れた巨大な段ボール箱が30箱ばかり積まれてそれを、小ぎれいな格好をした女性の店員さんが開けてはボールを取り出し袋につめて迫ってくる客に売りさばいていて、かくも上品な場所で下品とまでは言わないけれど情念が発露しがちなオタクショップ的光景を見られるギャップに、アートを食玩にしてカテゴリーをごちゃ混ぜにしてしまった村上さんのタクラミの、成果がひとつ現れてるなーなんてことを感じ取る。

 あとでエレベーターを下がって降りた場所でどーやらこっちが一般向けにはメインだったらしー販売場所をウオッチ。1500円の入場料を支払って上がる森美術館脇とは違って普通に来て購入できるだけに森美術館よりも派手につまれた段ボールを開けては並べる店員さんに向かって割に見慣れた風体の人が並び1箱2箱って単位じゃなく、1ボール2ボールって単位で買っては手に下げ他のグッズには目もくれず、もちろん美術館なんかには関心を抱かずとっとと去っていく姿が見られ、これもまたハイカルチャサブカルチャーカウンターカルチャーなんて垣根のどろりと溶け合った、新しい”現象”が生まれよーとしているのかも、とか思ったりもする。

 もっとも覿面に秋葉原系って風体の人は時間も販売開始から30分くらい経ってた関係もあって見かけられず、躊躇した所があったのか、なんて思ったりもしたし、秋葉原の「ホビーロビー」だったら脇のコーナーなり、店頭にしゃがみこんでトレードを始めるんだけど、小ぎれいな六本木ヒルズでそれをしている姿を確認した限りで見かけられなかったのも気になった部分。やっぱりどこかに臆するところがあったのかな。それでも歩いているスレンダーな美女から胡乱な目で見られているんじゃないかと思われて身のすくむ思いにかられ、居たたまれなくなること確実な六本木ヒルズまで行って、最奥のわかりにくい場所にあるショップまでアーケードをくぐり抜けてたどり着き、綺麗な店員さんを相手に目的の物を買ったってことは立派なもの。オタクは確実に成長しているぞ。次は六本木のこじゃれた奴らを秋葉原に来させ、「ゲーマーズ」ででじこグッズを買わせる番だ。

 さて「六本木美術館」のオープニングを飾った展覧会「ハピネス:アートにみる幸福への鍵 モネ、若冲、そしてジェフ・クーンズへ」はタイトルにあるよーにクロード・モネがあってインドだかの仏像があって浮世絵の春画があって日本画の伊藤若冲があって現代美術のジェフ・クーンズがあって森村泰昌があって六本木ヒルズならやっぱりの村上隆があってってな感じに古今東西の「ハッピー」って言葉にたたき込める作家がわんちゃと集められてて、ざばっと見ればアートの割に先っぽのところをざくっと見られるポータル的な内容って言えば言えそー。一方では「睡蓮」のどこがハピネスなんだろ? って疑問も浮かんだりする訳で、ちょっとばかりアートの良いところを集めてキーワードに括ってみせただけって取られかねない部分もあるだけに、どーゆー意図だったのかをカタログとか読んで確認する必要を感じる。今日は「村上隆のSUPERFLATMUSEUM」が手に荷物だったんでパスしたけど。

 とにかく雑多な展示内容でも気になった作品はタイトルにもあるジェフ・クーンズの有名なクマが警官を抱え込んでいる彫像で、そのキッチュな感じに現代アートのスタアだった彼の技の一端を垣間見る。本当だったらハッピーってテーマなんだから90年頃に「ファルマコン」って謎なイベントで見た、当時(今も?)結婚していたイタリアのポルノ女優で議員にもなったチチョリーナを相手にいたしている巨大な写真とかを展示して欲しかったけどある意味分かりやすすぎて、それだけに分かりにくいんでここは熊&警官で良かったのかも。あとプラズマディスプレイに映し出された氷河の山地の中に涌く温泉につかっている少女やら男性を真正面からクローズアップで撮影していく映像作品か。温泉なのに顔が割に緊張していてハッピーっぽくないのが不思議なところ。何で選ばれたのかを聞いてみたいなあ。

 面白かったのは作品よりもその周囲に集まってくる観客で、場所が六本木ヒルズってゆーお上りさんお下がりさんが集まる”観光地”の、中でも中心的なスポットとなる展望コーナーに行く途中で入れたりするよーになっている関係か、まるで現代アートなんかに興味のなさそーな、木場の「東京都現代美術館」なんか存在すら知らなさそーな人たちがわじゃわじゃと入って来ては現代アートに向かって好き勝手なことを言っていて、それを来ているとアートってのが普通の人にどう見られているのかが分かって面白かった。温泉の作品だと真正面を向いている映像を横からながめて「こっちを向いているよ」(向いてません)と言って悦に入るおじさんとかいたし。そーゆーハプニング的な出会いを作って現代アートの”鑑賞”を”観光”へとすり代えてしう、村上さんの”アート食玩”にも似通ったタクラミが森美術館にはあったりすのかな、多分単に設定ミスなんだろーけれど。

 いろいろな部屋に置かれていた、ひたすらにミルクをなめる猫の映像作品は1時間だってながめていられそーな可愛さ。猫ってズルい生き物だ。絵だと中国の幸せだった時期を描いたとゆー作品が、周恩来に毛沢東に林彪にトウ小平といった中国の共産党のお歴々が中央に立ち両脇で少数民族の少女や男や老人がめいめいの民族衣装に身を包んで笑顔を毛沢東らに送っている、今から思えば何とも皮肉にあふれた内容になっていて、描かれている少女のイラストっぽい美しさともども見ていていろいろ感じさせられた。

老いも若きもかわいい可愛いKAWAIIと近寄りカメラでパチパチ、村上戦術まさに勝てり!  「ASEANセンター」だかで前に見た、インドネシアの軍政に反抗的な作品を数々送り出しているヘリ・ドノの作品も久々に見られてラッキー。探せばさらにラディカルで批判的な作品もあるんだけど「ハピネス」ってタイトルだとあからさまに銃とか持った兵隊を模した人形は置けないか。巨大な花がニコニコしている村上隆さんの作品とか、六本木ヒルズの敷地内に巨大な蜘蛛が置かれているルイーズ・ブルジョアの作品が何点かあったのは一種のせーじ的配慮って奴?

 ともあれ開館初日で観光客もわんさと入ってじっくりと見られなかったんで、すいてそーな時間とか見てまた行こう。気に入らなかったのは案内とかに立っている黒服姿の男性で上下を黒いスーツでかためて中にはネクタイをせず上のボタンをはずした白いシャツを着て、そのすそをズボンの上に出した格好が、長めの茶髪とあわせて売れないホストっぽさ炸裂で、それはそれでいかにも六本木っぽいっちゃー六本木っぽいんだけど、美術館って空間とのそぐわなさもまたこれありで、どーにかならんもんかと悩む。そーいった破調ぶりもまたアートの開放ってコンセプトにそぐうものだったりするのかな。

 外ではイメージキャラクターの着ぐるみが立ってペイントされた上で来場者と記念撮影。老いも若きも外国人も親しげに近寄り楽しげに撮影しているってゆー、「丸の内ビルディング」にも汐留にも見られない光景に、キャラクターってわかりやすいアイコンを持ってきて定着させた六本木ヒルズの戦略の巧みさ確かさを見た思い。真似してどっかの開発でもキャラクターを作る動きが強まりそー。でもって地方なんかで地方博なんかと同様の「ゆるキャラ」が出てきてみうらじゅんさんにイジられるんだ。


【10月17日】 読み継いだマーガレットコミックス版の吉野朔実さん「ぼくだけが知っている」が”小学生日記”めいた難しい年頃の子供たちによる日常話になっていたかなっていった記憶があったりするだけに、文庫にまとまって出た「ぼくだけが知っている」(小学館文庫)で1話とか久々に読んで、最初はずいぶんと暗くダークな空気も持たせつつ、キャラクターも動かし話も作っていたんだな、なんて印象を持ってしまった。とりわけ夏目礼智がどこか得体の知れないキャラクターっぽく描かれているのが今更ながらに異例で、最初に読んだ答辞はきっと顔はガキなのに中身は大人だったりするよーな、仕掛けがあったりすのかもと思った記憶もまたあったりする。

 結論から言えばセンシティブだけど割に普通の小学生だった礼智は普通に多感な小学生で異能力もなければ超能力も発揮しないでひたすらに、喧嘩したり友達したりしているクラスメートの間で起こる事態に触れつつ成長していく感じの話で、巻が進むに従って楽しくはなるけれど空恐ろしさはなくなっていくんで、その当たり妙な期待とか、逆に反感とか抱かずに読んで礼智は大人びてるふりをしている割にガキっぽいとか、犬伏珠美は見かけに寄らずしたたかなんだなとか、思いつつ楽しむのが良さそー。これが文庫で出たってことは次はある意味傑作揃いの短編集「いたいけな瞳」が登場するのかな。もう登場してたっけ。新作が一長一短な感じだけに旧作でも傑作は是非に読み返してみたいもの。早めの展開に期待だ。

 例えるならば北朝鮮で金正日が、逼迫する窮状を立て直すべく国民に団結と耐乏を求めたもののすでに生きるか死ぬかといった状態にあった国民から遂にノーと叫び声があがり、狼狽えた金日正はそれでも頑張ろうとしたものの機を見るに敏な軍隊あたりが寝返り金日正を射殺。権力の奪取までは成功したもののその統治中に国土は疲弊し産業は衰退して明日をもしれないどころか、すでに破綻の状況にあるにもかかわらず、裏で糸をひいた米国は金体制を妥当した以上は後を引き継ぐ責任を負うのは国民であり、金正日が最後に打ち出した論拠なき、とゆーより実行不可能な所得倍増プランも食料増産プランも受け継ぎ、達成するのが筋であり生き残るためには当然と言ってはばからず、せいぜいが監視団を送り込んで後は我関せずといった風体か。

 さらに言うなら北朝鮮国民の窮状を代弁して世界に訴え続けた国連も、土壇場になって米国の顔色をうかがい、喫緊にも国を立て直すために不可欠な資金援助なり食料援助といったことまで踏み込むスタンスを見せず、独裁者を倒した以上はその責任を国民がとって耐乏し、文字どおりに死ぬ気で国家再建にあたれと鼓舞し、一方で北朝鮮の国民が自主自立をのまなければイラクやパレスチナといった西欧が気にする地域の紛争解決に影響が及んで、北朝鮮国民が全世界から敵視されかねないと恫喝をかけてくる始末。哀れ北朝鮮の国民は外に頼れず地力でプランを立てようにも疲弊した国土に衰弱した国民、衰退した経済では短期に全国民を養い切れず、背に腹は代えられないと血迷った一部の愛国者たちが、切り札として人道にもとる核兵器の輸出といった愚挙に出ては世界を以前以上に敵に回して自滅の道を歩むとゆー、そんなシナリオを北朝鮮ではなく別の企業について想像してしまったけどそれがどこかは知らない。

 去年だかのワールドシリーズで、サンフランシスコ・ジャイアンツにいた新庄剛選手が最後に近い場面でバッターボックスに立てたことも、煎じ詰めればシーズン中の各所で彼が披露したプレーが勝利なりに貢献した、その積み重ねの結果であって決して最後の打席で凡退だかしたことが無意味な訳ではないし、ポストシーズンに登板はしていなくってもシーズン中に重ねた勝利が貢献したからこその世界制覇だったんだと、伊良部秀紀選手のリング獲得を、もののついでだとかいって非難できるものではないと、分かっているけれどもやっぱり、目の前で具体的に勝利に貢献するプレーを見てしまうと、松井秀喜選手がニューヨーク・ヤンキースで披露しているパフォーマンスは、過去数多いる日本人メジャーリーガーの中でも、突出したものだなあ、なんて思えてしまうから現金なもの。この勢いでワールド・シリーズ本番でも活躍して、名実ともにリングの栄冠を手にするんじゃないかって気になっても、おそらく誰からも異論はないだろー。

 ランナーを1塁において1アウトの場面。詰まればダブルプレーだな、なんて心配が頭をよぎりそーゆー時はたいていそーなるマーフィー的な妄想から、日本人なんて所詮はなんて自虐が頭をよぎったところがライト線の内側から外へと転がる長打コースに痛烈なヒットを打ってしまって大仰天。割に遅めの足のランナーが3塁までしかいけず打点が付かず、2塁に残る形となった松井選手の後続が、2人凡打すればヒットも1本のヒットに終わってしまった可能性があったところを、続くポサダ選手が2遊間を越えてセンター前に落ちる絶妙な落としどころのヒットを打ち、3塁ランナーに続いて2塁から松井選手が帰って同点に追いついた。

 それもただ踏んだってだけじゃなく、セカンドかショートかセンターの誰かが捕かもしれなかった打球の上がり方を判断して、2塁からホームへと突っ込み得点を稼いだ走塁面での貢献も、ヒットを打って塁に出たことに加えてこの試合ではあったと言えそー。やるべき時に何かをする。それも奇蹟とかじゃなくこなして不思議がられない実力を発揮しての何かだったりすることろに、松井選手の並みじゃなさぶりが感じられる。なればこそ日曜日から始まるワールドシリーズで、どこまでの活躍を過去2人とは違う、やって当然といった空気で披露してくれるのかが今は楽しみで仕方がない。そんな期待に単なるヒットとかじゃなく、ホームランとかで応えてくれそーなのがやっぱり松井選手。スタートして以降の連日の活躍に、並行して進む日本プロ野球の日本シリーズの扱いがどーなるのかも含めて動向を見守って行こー。虎か鯨かヤンキーか。1面をどれにするかで新聞の売れ行きも変わるのかな。その意味で各社の紙面作りにも興味を向けていこー。


【10月16日】 フセインはされどバース党幹部は居座り経済は破綻して明日をもしれないバグダッド、っていうかウサマ・ビンラディンは逃げオマル師も逃走したもののタリバンは居座った上に北部同盟までが入り込んでしっちゃかめっちゃかのカブール、って感じの空気に不穏さを覚えつつ、ずくずくと「涼宮ハルヒの溜息」(角川スニーカー文庫、514円)を読了、ちょっとアレルゲン。ひたすらに傲岸不遜でジャイアンでマイペースな美少女が周囲のめーわく省みず、飛ばしまくる話に大部分がなってしまっているっぽいってのは結局最後までそのままで、にも関わらずそれを自覚せずあまつさえ朝比奈みるくを「あたしが決めたの。みるくちゃんはあたしのオモチャなのよ!」と言い切って自分の道具レベルに扱ったりする無神経ぶりが、読んでいて気持ちを腫れ物に触れるよーな感じにざらつかせる。ハルヒってこんな奴だったっけ? イっちゃってたけど一人孤高を行って誰にも直接はめーわくかけない奴じゃなかったっけ? だから興味を惹かれたんだけどなあ。

 まあ一線を越えたかな、って部分はそこくらいであとは人間バイオハザードってゆーか歩く終末兵器ってゆーか、とんでもない存在になってしまったハルヒを扱いあぐねている周囲のおかしさを楽しめないこともないんで、次があるなら(あるんだろーけど)その辺りを踏まえつつ、傍若無人なんだけどそこに例えばキョンへの意識とか、トラウマの裏返しとかいった感情を注げる理由を設けて読んでいて納得はできないけれど理解はできるレベルへと、ハルヒの性格を作り込んでいって欲しいもの。徹底して我が儘勝手なキャラにしてしまうってのも手だけどそれを笑って受け入れられるほど精神的マゾヒストでもないんで。

 日販から届いた11月の文庫新刊ラインアップに野尻抱介さんの「クレギオン」シリーズの第1巻「ヴィエスの盲点」が登場。噂には聞いていたけどこーしてラインアップに上がって来ると、野尻さんがSF本流の方面で知名度を高めているんだなってことが伺えて面白い。小川一水さんの「第六大陸」の評判の高さも伝わってきて、過去にヤングアダルトレーベルで山と出ていた路線の延長じゃん、とか思ってもやっぱり出るレーベルによって届く範囲も距離も代わって来るんだな、ってことを痛感しただけに、今回のリニューアルがもたらす新しい可能性なんかにも期待したいところ。

 こんな路線でヤングアダルトで出ながらもハードだったりシリアスだったりしてキャラクター万歳な世界では今ひとつ受け入れられなかった”名作”を、文庫化しては早川書房のSF方面に根強いブランド力でもって広め作家には印税ってゆーお小遣いを差し上げたいってのが今の気持ち。だったら何があるのか、って言うのは出す方の気分に読んだ側の気分もあるんで分からないけど、個人的には続きが読みたくって仕方がないのに出そーもない高瀬彼方さんのシャイアさんシリーズを、3巻そろって再刊させた上で新作なんかを出していって欲しいもの。宇宙クトゥルー的な設定が出そろう前の中断は正直もったいなさ過ぎます。

 他のレーベルでは富士見ファンタジア文庫から豪屋大介さん「A君(17)の戦争」の第6巻「すべてはふるさとのために」とそれから和田賢一さん「ヴェロフェス2」が登場の予定で楽しみ。とくにA君は爆裂お姫様も加わった展開に期待が持てます。血みどろっぷりにもね。角川ビーンズ文庫の「あの風に訊け 洛書編」は前にソフトカバーで出た奴の分冊かそれとも新作か。スニーカーの吉田直さん「トリニティ・ブラッド」は”リボン”の6巻だから関数的にこっちが先行してしまうってことなのかな。集英社スーパーダッシュ文庫では嬉野秋彦さん「ファントムドールズ」が刊行。新シリーズ? 朝日ソノラマ文庫の岩本隆雄さん「まみはま鼬騒動」は「星船」シリーズかなあ。ともあれ選ぶのに困りそうもない月になりそー。読む方は……死にそー。

 まるで進歩の見えない状況に新派のメディアも評論家も疑問を呈し始めて来たにも関わらず未だ信じ切ってジーコ監督にすべてを預けて省みない態度の不遜さに、嫌気を覚えているのも事実だけれど一方で日本代表以外の部分で日本サッカー協会の川淵三郎会長が、いろいろと改革を実行しよーとしているのも事実でだから、ジーコ監督がもしも退任ってことになっても一緒に辞めてもらうと困る事態になるかもなー、って思っているのが実際で、ましてや「スポーツ・ヤア」の2003年78号の玉木正之さんとの対談で、厳しい状況にある女子サッカーの強化に向けて「バレーボールやバスケットボールの選手をスカウトし、彼女たちを育成するための奨学金制度を設けようと思っています」「Lリーグに1000万円の交通費の補助を出すなども決めたのですが、今後も多くの予算を出して、Lリーグを発展させたいですね」と喋っているのを聞くと、頑張れ即座に実行してくれって応援したくなるから悩ましい。

 欧州遠征をそれなりの成績で逃げ切りカメルーン戦をどうこなすかはそれとして、目先は「東アジア選手権」での戦いぶりがジーコ監督の試金石になるんだろーけど川淵さんは成績じゃ変えないって言っているだけにこのままの状態でW杯アジア予選へと突入してしまいそーな予感がたっぷり。いくら口で「闘い方や選手の起用法を問題にします。闘い方や選手の起用法について、我々が疑問を持てばそれをジーコにぶつけて、どうしても納得がいかない、技術委員会も監督を代えたほうがいいという意見になれば、それは代えることもありえるでしょう」と言うけれど、今時点の闘い方とか選手の起用法への疑問がなさそーなあたりに何があっても代える気がないんだろう? って思えて来る。けどいくら相手が神様だからって、東京五輪の時代から活躍していて選手歴なら年齢的に先輩にあたる川淵会長が遠慮するってこともないと思えばなさそーなんで、タイミングを見てすぱっとお引き取り願う(かお引き取り願わせる)ことだってあるのかも。もはや足掻いても仕方がないんで今は日本代表は放っておいて”川淵ミッション”の進行によって女子サッカーが、ユースが強くなることを願おう。


【10月15日】 超常現象が渦を巻いているよーな場面を探して彷徨っていたはずの人間が実はそんな超常現象のまさにど真ん中にいて、にも関わらず当人はそのことにまったく気付いておらずそんな間にも超常現象は雄叫びをあげて荒れ狂い、近寄った人間たちを巻き込んでは蹴散らしていくシチュエーションが、だんだんと明らかになっていくプロセスが多分に面白かったし読み所だとも感じていただけに、谷川流さんの「涼宮ハルヒの憂鬱」(角川スニーカー文庫)に続編なんて不要だしそもそもが成り立つはずがないと思っていて、今もその思いに変わりはないんだけど、一方で渦の中心でそよ風すら感じないまま彼方まで渦に巻き込み蹴散らしまくる爆裂的なキャラクターを、そのままお蔵に入れてしまう勿体なさを感じる人たちが多いだろーことにも理解は及ぶ。

 のでまあ、華々しくも順調に登場した続編「涼宮ハルヒの溜息」(角川スニーカー文庫、514円)がひたすらに傲岸不遜でジャイアンでマイペースな美少女が周囲のめーわく省みず、飛ばしまくる話に大部分がなってしまっているっぽくっても、涼宮ハルヒってキャラクターへのファンが喜んでいるんだから、最初っから渦中にある彼女がひとり気付かず空回りしている様を傍目からながめ楽しむ”志村そこ”的ストーリー であっても出て構わないし、あって悪くはないってとりあえずは思うことにしよー。それともこれまでに読んだ中盤以降に前作を上回る目を見開かされるよーな大どんでんが待ち受けているのかな。だとしたらなおのこと重畳、才能を認めるにやぶさかでない。さてどんな感じになってますことやら。

 ラインアップに入れても大丈夫じゃなかったの? とか思ったものの悩んでいても仕方がないんでパッパと代原をあげて送信。選ぶのに不自由どころか困ってしまうくらいに豊作だったんでいろいろ試せて逆に面白かったと言っておこー。何のこっちゃ。それはそれとしていよいよ最終戦を迎えた将棋「王座戦」は大山康晴の再来と言われる顔立ち才能を備えた渡邊明5段が史上最強の呼び声も定着した観のある羽生善治王座に挑んで2勝2敗と大健闘していて、ここで渡邊5段が勝てば90年代始めから続く羽生時代にもひとつの区切りが生まれるかも、なんて思ったもののそこはやっぱり羽生さんだけあって、あがく渡邊5段を圧倒し、頭金の詰みによる投了なんて場面まで押し切ってしまって12連覇だかを達成してしまった。

 思い返せばこれまでの間も、お化け屋敷な人とか怪童丸とか森下さん佐藤さん丸山さん郷田さん藤井さん等々の同世代からさらに下の才能は何人も出てきてポスト羽生時代の可能性を伺わせたけど、圧倒的な強さで棋界を席巻するまでには至らずタイトルを失い再び舞台にあがることもなく長い沈黙を辿ったり、取れても1つが関の山ってあたりで彷徨いていたりする。そんな面々と比べるに付け、名人に竜王とゆー将棋の最高ランクに並ぶタイトルを両手に花と抱えつつ、さらにいくつかのタイトルを取ったり取られたりしている羽生さんの凄みはやっり頭抜けてる、ってか頭だけじゃなく全身プラス5万メートルほど抜けている。この強さがある限り、羽生時代はあと20年は続くことになるんだろー。そんでもって実の子共が牙を剥いて挑んで来ると。ドラマだなあ。でもホントにありそーだなー。

 例えばの話。2006年ワールドカップのアジア地区予選に敗れてサッカーの日本代表が出られなかった場合、率いたジーコ監督が辞めるのはきわめて当たり前ってことになるけれど、問題はそれで終わる話じゃまったくなくってまず第一に、そんなジーコ監督を選んで日本代表監督の座に据えた人間も処断されてしかるべきだし、ジーコ監督の無為無策な采配を見ながらそれを身を挺してでも改めさせよーとしなかったスタッフも、当然ながらお引き取り願いたい。それらのことがなければトップがすげ変わったところで方針は改まらず、また同じ轍を踏むことになるし国民の感情だってとてもじゃないけどおさまらない。

 しかしそれ以上に必要なのが、弱体化した日本代表チームそのものの建て直しであって、戦術もコミュニケーションも選手層さえ失われてしまった状況を立て直すには、本格的にして抜本的な再建策を、一朝一夕ではなく長いスパンで作り上げ、実行していく必要がある。あくまでも仮にだけれどジーコ監督を引っ張った挙げ句にかくの事態へと至った婆、日本代表が失われた4年間を1年で、あるいは2年で立て直せるとはとうてい思えず、2010年のワールドカップの出場すら、危ぶまれるなかで呻吟していかざるを得なくなるだろー。

 あるいはクメール・ルージュに支配されていたカンボジアの話。なるほどポルポト政権は打破されポルポトの責任を追及する声も多かったけれど、政権が交代したからといって問題はまるで解決せず、むしろさらに困難がカンボジアを待ち受けていた。300万人とも言われる国民の虐殺によって失われた人材、放置され荒れ果てた国土はもはや地力での再生は困難になってしまっていた。国連なり世界各国の援助もあってどーにか普通に近い国にまでは戻りつつあるけれど、独裁時代に起こったさまざまな出来事による影響を完全に払拭し切れたとは言えず、さらなる援助と理解がカンボジアには必要になっている。

 つまるところ末期的状態へ、あるいは末期すら超えた事態へと陥ってしまった状況でトップが責任云々を口に退いたところで、本質的な解決にはまるでならないとゆーことで、溜飲を下げる分には誰も止めはしないけれど、それを万事と捉えて喜んでいるだけでは本質的なことを見誤る。成すべきは4年後は無理でも8年後を見据え、恒久的にワールドカップへと出られるよーなチーム作りを行える体制を整えることであり、疲弊した国土に失われた人材を以前の水準へと戻すために地力ではなく外部の全面的な支援を仰ぎつつ、少しずつでも前へと進んでいくための道筋を付けることだ。

 こーした状況が例えば企業にあったとしたならば、危機的状況を招いたトップはもとよりそのトップをのさばらせた面々も含めた人心の一新に加え、より本質の問題として借金の棒引きに資本の増強といった手段も含めた抜本的な改善策なくしては、瀬戸際を越えた状況は元の状態へと戻らないし1歩だって近づかない。まあここに書いているのはあくまでも”例え”であって具体的なシチュエーションに基づいたものではなく、仮にそーした状況が形こそ違えあった場合に備えて、何が本質なのかを見極める努力をして欲しいといった呼びかけをしているだけのことなんで気にしないよーに。何であれまずはポルポトが妥当されジーコ監督が解任されなければ始まらないんで、そこに向けた努力をまずは……もうしなくて良いのかい?


【10月14日】 無能だとか無策だとか涙目だとか薄毛だとかヒトリデデキタとかいろいろ非難がましいことをジーコ監督に向かって言って来た我が身なれど、届かない彼方から後ろ向きに愚痴っても一切の効果は得られず虚しさばかりが日々募ってストレスに髪もゴッソリと抜けてしまったけど……髪は前からゴッソリ抜けていたけどそんな鬱憤を晴らしてくれるよーな記事が天下の「夕刊フジ」に登場。日付だと10月15日号ってことになる新聞のスポーツ欄に掲載されたその記事は、日本代表を紹介するウェブサイトが10月いっぱいで閉鎖になることに関連して、中田英寿選手なら有料でも50万人が集まる一方でジーコ監督のインタビューが掲載されているサイトには、2000人くらいしか人が集まらない状況を紹介しては、その不人気ぶりを披露している。

 笑えるのはこの一文。「サポーターが熱望するスカーッとした結果が出ないことを考えれば、この結果も当然といえるだろう。なにしろ、ジーコ監督の采配で勝った試合はひとつもないのだから」。なるほど言われてればまったくもって事実だけど、それなりに読者もあって影響力もあるだろーメディアにこーまで悪し様に無策ぶり無能ぶりを言われてしまうとさしもの監督も、それから彼を選んだ協会の偉い人も立つ瀬がない。あまつさえ「批判が多かったが、これならまだトルシエ前監督の方が、ざん新なアイデアを数多く出していたのも事実だろう」なんて1番言われたくないことまで言われてしまって果たしてどんな”報復”があるのやら。なければなかったでさらにエスカレートして、というより包んでいたオブラートを剥がしてむき身の事実をぶつけて来る可能性もありそーで、どんなことになるのかちょっと楽しみ。けどそこは人気商売の夕刊紙、カメルーン戦に大勝でもしたら手のひら返して「万歳」を叫んだりするのかも。たとえやっぱり采配はしていなくっても。

 天才。というかもはや神。それか悪魔。その面白さはもはや感動を超えて恐ろしいばかりで、これほどまでの才能を並みの人しか相手にできないテレビがもて余すのもよく分かるなあ、なんてことを感じ入りながら松本人志さんの「定本『一人ごっつ』」(ロッキング・オン)のページをひためくる。その昔に夜中のテレビでやってたひとりコントが本になった、って訳ではなくってこの本のために新作を作って挑んだらしー”ごっつ下ろし”の内容だけど、カメラを前に出されたお題を瞬時に理解し咀嚼しあるいは平行して考えながら言葉を吐く緊張感がページから漂ってきて、本1冊作るにもとてつもないテンションで臨んだんだなってことが分かり、それをやってしまう、それでしかやらない松本人志て芸人の凄み感じる。

 冒頭からもう飛ばしっ放しで大仏から出たお題を大仏相手に答えていく「一人大喜利」ではまず「なんでこんな不良品できたんやろう」と聞かれてさらさらと、喋る穴のない携帯電話を描いてなおかつ「わざとつけ忘れたの」と続けて、そこに深淵な意図の存在を示唆してしまい聞く人を悩ませる。「これ持ってるもん同士だと”無”やねん」なんて言葉、普通のコントからじゃー10年が100年待っても絶対に出てこないだろー。さらに続けて「逆もあるよ、しゃべる側がないやつもある(中略)それ同士でも”無”やな」なんて、流しているよーな言葉でもくみ取れる思考の深さ広さは半端じゃない。

 「ベタ」と言い訳しながらチェーンが長すぎて乗る場所が地面に着いてしまったブランコとかで息抜きさせつつ、相撲シリーズで土俵に入ったら負けの相撲があるとか、よく見ると土俵の円形の部分がマンホールみたく下に掘り下げられて中で相撲が取られてるって指摘には、それが競技として面白いかどーかは別にして、想像の可能性が無限なことを教えられた気がしてハッとさせられた。「回転寿司について考えてみました、こんな回転寿司は嫌だ」的なところもあるネタでもそこは松本さんにかかれば、1つひとつのネタが研ぎ澄まされていてストレートに突き刺さる。のりしろにご飯が1粒ついた封筒、なんて鉄拳さんじゃあとても考えつかないだろー。

 袋から言葉の書かれた札をアトランダムに3枚出した上でそのうちの2枚を並べて言葉を作り、適当な解説を付けるってゆー「一人面雀」はより意外な方、より難しい方へと進んではそれを逆手にとって誰も予想のつかない展開へと持っていく凄みが如実い出ていて、人間安易に流れてはいけないんだってことを痛感させられる。「不」「ツイン」「がいるから僕がいる」でどーして「不/ツイン」を選ぶのか。でもって「これは現在の藤子不二雄のことやね」なんて言えるのか。普通の人には及びもつかない思考回路がそこにあるとしか思えない。

 「でブレイク」「名人」「ガンダム」で呻吟して「『ガンダムでブレイク』やと、どうしても森口博子になってしまうからね」なんてマニアっぷりを垣間見せつつ「ガンダム/名人」を選び、「その名の通り、ガンダム名人です」とベタに振るふりをして「ガンダム」が何かに一切触れず、実体はないけれど一種メタ的な存在として「ガンダム」というものを想定して、その「名人」とはいかなるものかを嘘っぱちな言葉で滔々と語るその凄さ。神だ悪魔だと言うことすらはばかられるくらい、禍々しいオーラがそこから放たれている。

 得体の知れないネイチャーフォトに適当な解説を理屈上では正しいかのよーにつけていく「写真を説明しよう」も圧巻。あまりに通俗的過ぎて読む前から内容が分かってしまうよーな写真誌の本文を、この手で松本人志が勝手に説明していったら、果たしてどんな”写真誌”になるのか興味がある。手抜きとしか思えない写真に文章で1冊作ってしまったよーな「FOCUS」を不定期で出すくらいなら新潮社、同じ写真を全部松本人志に説明してもらいなさい。恐ろしくも凄まじい”写真誌”として未来永劫語り継がれることになるだろー。活字で読んでこれほどのテンションと面白さが堪能できるのなら、苦吟している松本さんの表情が見えるテレビはいったいどれほどの面白さだったのか知りたいところ。放映時には見なかったテレビ版のDVD、買ってみよーかな。

 河岸もキャラクターも変えて連作的なシリーズになるのかと前巻で思った谷川流さんの「学校を出よう」シリーズだけど最新の「学校を出よう3」(電撃文庫、550円)は1巻に戻って「第三EMP学園」が舞台となって1巻にも出てきたキャラクターが主客とゆーか攻守を変えて登場しては、やっぱり不思議な現象をあいてにてんやわんやするって内容で、連作とゆーよりは連続した物語へと向かっているのかな、なんてことを感じたり。冷静さ冷徹さで成る光明寺茉衣子が不可思議な言動で周囲を振り回す班長の散々の妨害にも動ぜず第三EMP学園で起こる怪異に挑んでいく展開は、起こる茉衣子ファン垂涎の出来事を経て人の存在意義にまで迫ってしんみりさせられる。あれこれ企む黒幕っぽいレイヤーも示されそれが茉衣子や第1巻で幽霊の妹を相手に頑張った高崎佳由季たちの行動にどう重なって来るのかも含め、今後の展開に興味を抱かせる。とりあえずは冷静なふりを装って激昂しては取り乱す可愛さをのぞかせる茉衣子の言動を楽しみつつ、どう転んでいくのかを関心を持って見て行こー。僕が望むと出てくる茉衣子はやっぱり年齢が若返っていたりするのかな、するんだろーな。


【10月13日】 仕事が一向に進まないんで埼玉まで行ってカレン・ロバート選手が桐島かれんさんともしも結婚したらカレンが名字でロバートが名前なだけに桐島かれんさんはカレンかれんさんになるんだろーなー、逆に彼がジュリア・ロバーツに婿に行けばロバート・ロバーツになるんだろーな、なんて下らないことを考えながらサッカーの「全日本ユース選手権大会」を見るのを断念して近所をウロウロ。でっかいクレーンがついて取り壊しの始まった「スキードーム・ザウス」の様を1990年代のバブルの残滓が雲散霧消するひとつの例として記録しに南船橋まで出向くことも考えたけれど天気が悪くなって来たんで戻って「ときわ書房」で本を仕込んで昼飯を買って家に帰ったら、雨が降り出しやがて豪雨になったのを見て危険を察知するアンテナもまだまだ健在だと悦にいる。とか言ってて勤め先がとんでもない事態になるのを事前に察知して逃げ出せなかった程度のアンテナなんで大したことないんだけど。名刺刷ろ、仕事開拓のために。

 岡田英健さん頑張った、って別に過去から現在に至るまでネット上での接触も実際にあっての面識もないけれど、音に聞こえるその才覚でもって営々と編集し続けてきた「二次元ドリームノベルズ」が黒井弘樹さん文、あめいすめるさん絵の「シスフィーナ 白銀のエルフ」(マイクロマガジン社、890円)でもってシリーズ通巻100号に到達。ナポレオン文庫亡き現在、マンガチックでアニメテイストなイラストを持ったファンタジックだったりSFっぽかったり伝奇風だったりするエロ小説を出してくれるレーベルとして、密かに期待し応援し、それが証拠に数10冊は購入して来ただけに、レーベルとして潰れず会社も無くならずに今へと至ったことに心よりの賞賛を贈りたい。

 記念すべき100冊目は「通巻100冊」の煌めく帯も華麗なら付録のイラスト集もなかなか。もっぱら下絵なり設定なりデッサンを描かれたものが中心で、本に挟み込まれるよーやそのものズバリの描写のイラストは少ないけれど、当たりの付け方とかポーズの取らせ方なんかはこれからそーゆー絵を描く人に参考になりそー。鏤められた可愛い女の子たちの表情なんかを見ていると、こんな娘が小説ではどんな酷い目にあっているんだろう、って興味が湧いて購入へと走りそーになる。それを狙ったのかな岡田さん。ともあれ晴れて100冊を迎えてますまず続刊の模様伺える「二次元ドリームノベルズ」、内容として使える度合いにはバラつきがあるし絵にも好き嫌いがあるけれど、水準ではなく個人にとっての10に1冊のヒットを探してこれからも買い続ける所存、なので岡田さんには頑張って出し続けていってくださいと伏してお願いしておこー。しかしやっぱりどんな人なんだろー、岡田さんって。

 始まる「ワールドカップ」があれば終わる「ワールドカップ」もあるってことで「FIFA女子ワールドカップ2003USA大会」がドイツとノルウェーの決勝でもって終了、したけど眠さとそれから埋もれて出てこないビデオのリモコンのお陰で見過ごしてしまった代わりに先にやってた米国とカナダの3位決定戦が個人的にはラストのテレビ観戦。ドイツに敗れて連覇を逃した米国が、果たしていったいどーなっているのか未だ不明瞭な女子サッカーリーグの再開をおそらくは内心に期している選手も多かったんだろー、ここで頑張って3位に入ってメダルを獲得する必要性も感じて臨んでたよーで、3位決定戦によくある手抜きもダレもなく、最初から最後まで全力で挑んでいった姿に、何故かがむしゃらさを覚えないフルも五輪も含めた男子代表はこれを見て、何かを勉強して欲しいと思えて仕方なかった。やっても食える訳じゃなくメディアの注目を浴びるわけでもないのに毎試合、必死な日本のLリーグの選手たちといー、頑張る人たちには是非に報われて欲しいもの。これからも当ページは女子サッカーを応援して行きます。でも女子レスリングも応援していったり。女子ラクロスも悪くない。女子柔道は……パス。

 友情以上恋愛未満とか、恋人には早いから友達から始めましょうとか、人間の関係の段階がそこにあるかのよーに友情と恋愛って言葉が使われることが多いけど、人間の感情はそんなメーターみたいに数値で図れるものじゃないし、強弱でもって区切れるものじゃない。恋愛でもあり友情でもあって、恋愛でもなければ友情でもないけれど、それでも成り立つ2人の関係ってのがきっとあるはずで、それこそが言葉なんかで規定されない本当の”人間関係”だって言えるのかもしれないなあ、なんてことを紺野キタさんが同人誌に発表して来た連作をまとめた「cotton」(ポプラ社、580円)を読みながら考える。

 雨の交差点で濡れながら信号を待っている少女に後ろから歩み寄ってきた女性が傘をさしかける。少女はチラリと女性を見てすぐに別の方向を向いてキュッと口を結んで固い顔。そんな少女になぜか女性は涙をこぼしながら「傘、あげる」と言っては本当に傘を渡して濡れながら信号を渡っていく。しばらくして女性が姉の結婚式場に行くと、そこには以前に横断歩道で傘を渡した美少女が、姉の夫の妹として来ていて偶然の再会を遂げる。少女は後日、女性の家へとやって来ては借りた傘を返しながら面と向かって女性に「家の中に他人の物があるのって気持ち悪いから」と告げる。

 ある意味とっても拒絶的な言葉で聞いた女性は不思議がり悔しがる。けれどもその晩、嫁いだ姉から電話があって少女が家ではあまり喋らず笑いもしないことを聞かされ、そんな少女が女性をわざわざ尋ねてきては減らず口を叩くことを不思議に思う。電話が切れて女性は玄関へと行き返されて来た傘を開くとそこには……。こうして始まった奈月と理子の関係は、そのあとも理子の懐いたと想ったら反発して離れていくきまぐれな言動に奈月が振り回される形で進んで行き、その中で大人なのに稚気にあふれた奈月の態度に理子が少しづつだけど変わっていく姿が、紺野さんならではの美麗で清楚なタッチで描かれる。

 じゃれ合う2人の姿は恋愛関係のようにも見え、痛みを語り合う2人は友情関係のようにも見え、奈月の事情も考えないで憎しみを言葉に載せぶつけてくる理子と奈月の関係は敵対しているようにも見えたりして、その関係は決して一言では言い表せない。けれども実のところはどれも真実で、つまるところは出会った二人の重なり合った部分と重なっていない部分が濃淡で見えているだけで、大きさは変わっても重なってしまった関係が変わらず続いていただけだったりする。たぶん彼女たちに限らず人の関係ってのはそーゆーもので、今は難しくてもいずれ重なりを増すことだってあるんだと、信じ世に背を向けず前向きに生きていこうってことをエピソードから想わされる。「私たちは/白いコットンのハンカチ/汚れてくしゃくしゃになってしまったら/また洗えばいい」。至言にして真理。人の関係に悩む人もそうでない人も読んで感じよう、人の関係の素晴らしさを。


【10月12日】 今市子さん「百鬼夜行抄」(朝日ソノラマ、762円)もこれで11巻。始まった時にはこれほど長く続くなんて予想してなかったけど何か、他のいわゆる退魔師もの、流行りの陰陽師ものとは違って徹底して敵を倒すとか、正義を貫き通すとかって”熱さ=暑さ”もなければ逆に人間の醜さを衝き、懲らしめ脅かしていく酷薄さ、冷徹さもない、隣り合い重なり合って生きている人間と、それ以外のモノノケたちとの通じては離れ離れては触れる日々をどちらに組みすることなく淡々と、描き続けているのが飽きず燃え尽きない理由なのかも。時折見えるユーモラスな絵柄も楽しいし。

 でもって11巻は司の見合い話と飯嶋律の祖父で幻想小説家だった蝸牛の遺作が呼び起こす怪異と引っ越した家にまつわる恐怖の3本立プラス蝸牛が八重子と出会う過去話の1本。最後のは律の母親へと受け継がれる怪異なるものへの剛胆さをいっそう増幅させたかのよーな八重子のパワフルさが可笑しい1編。こんな彼女だからこそ律なんて比べ物にならないくらい凄かった蝸牛の家で平気に暮らしていけたんだろー。怖さでは消えてしまった息子が離婚した相手の家で暮らしていた孫娘を引き取った老夫婦と引っ越した家で、孫娘じゃない奇妙なものが現れる話で、ブンブン飛び回るハエの音をベースに流しながら積み上っていく恐怖、明らかになる過去をじとじと描いていけば結構なホラー映画にだってなりそー。しかし11巻まで来て映像化って話はないのかなあ、ドラマCDは出ていて律は石田彰さんだけど実写だと誰になるのかなあ、司は髪型と性格で江角マキ子さん、を若作りして無理に出す。無理かなあ。

 華麗田さんが男か女かを聞くのはあんまり華麗じゃないんで聞かずに想像するにとどめた「デ・ジ・キャラットにょ」はパリからやって来ては見るもの会う人を華麗な気持ちにさせる華麗田さんでも流石に成金不動産屋の強欲さ狡猾さ下品さにはかなわなかったよーで、当てられた毒気にシオシオになって帰国して行ってしまいましたとさ。ぴよこ一党が増えた分、間に差し挟んではギャグをさせて場をつなぐ技が可能になったみたいで前期に比べて間延びした部分が減って見ていてチャンネルをザップしてアトムに変えることなく、最後まで通して見ていられたのは果たして狙いかそれとも自棄のやんぱちか。これを最初っからやっていれば局数をぐっと減らす必要もなかったんじゃいかと思えないこともないけれど、この内容に反応できてしまう人が地方に何百万人もいるかってゆーと難しいからやっぱり仕方がないのかも。まあ良い死に水は取るんで最後までエネルギッシュにエスカレーションな様を見せてやって下さいな。

注目された場面で力を発揮してこそのスタア、アテネ五輪ではこの悔しさをバネに頑張れ我らが浜口京子  出かけて「ワールドカップ」を見に行く、っても米国で開催中の「FIFA女子サッカーワールドカップ2003USA大会」でもなければオーストラリアで開催中の「ラグビーワールドカップ2003」ではる筈はなく、地下鉄を乗り継ぎ準備中の浜崎あゆみさんのツアー会場を横目に見てたどりついたのは「代々木第二体育館」。開かれているわ「ワールドカップ」は「レスリング女子国別対抗戦」って奴でちょっと前に米国で開催された世界選手権が日本の圧勝で終わった報を目にした観客で、立錐の余地もないくらいに埋まっているかと思ったらこれが外れも外れで、決して広くない会場のスタンドは十二分の余裕があってスポーツ新聞が大騒ぎしたって一般の興味はなかなか歓喜されないって事実を目の当たりにつきつけられる。金メダルラッシュの女子レスリングがこれならメダルすらなかった女子サッカーなんてきっと前と変わらない寂しい状況が続くんだろーなー。頼みの綱は川淵さんだけど、この人がいるとジーコ監督が漏れなくついて来るし……嗚呼悩ましい。

 場内は大股開きのオン・パレードではあったんだけど何せ全身に力みなぎるファイターたちの祭典だけあって、見目は麗しくっても肉体は逞しくって同じ大股開きでも「東京体育館」で開催の女子新体操「イオンカップ」でカヴァエヴァ選手が見せただろー大股開きとは比べても届く感動には種類の違いがあるよーで、お陰でいろいろと妄想をすることなしに冷静に試合を見ることができた。注目は何といっても過去2大会を連覇している日本が果たして3連覇を果たせるのかってことで、午後の最後に回ってきた日本代表と米国代表の試合に集まったメディアの数はテレビもカメラも大量で、とりわけ浜口京子選手を囲むカメラの数は半端じゃなく、試合にのぞむ浜口選手に活を入れに父親のアニマル浜口選手が裏手へと連れて行った後をぞろぞろと、マットの上で試合している別の選手を放ってついて行ったあたりに女子レスリングへの関心がメディアレベルで高まったんじゃなく、浜口選手個人への関心がまだ先を行ってる可能性が高いかも、なんてことを想像してしまう。試合を流さずジーコ監督の顔ばかり抜くフジテレビのサッカー日本代表の対ルーマニア戦のスイッチングと良い、日本のスポーツメディアはやっぱり根底で意識を変えないと将来に禍根を残しそー。すでに禍根だらけ? そうとも言うね。

 米国が2連勝した後を日本が3つ取り返し、1つ取られて3対3のスコアで臨んだ最終戦にそんな注目株の浜口京子選手が登場する展開は出来すぎって言えば出来すぎで、ここで颯爽と相手を倒して勝ち名乗りを上げれば日本も優勝となって一気にスターダムへとのし上がった可能性もあったんだけど、普段だったら圧倒的なパワーとスピードでポイントを積み重ねるところを、逆にポイントを奪われる状況で見るほどに不安が募る。それでも最後は一気に逆転を決めてなおいっそうのスター街道を驀進する可能性もあったんだけど、世の中そんなにうまくは出来てなかったよーで最後の最後まで相手を上回れず、世界選手権で破った相手に判定で負けて日本も3対4のスコアで優勝をさらわれてしまった。

 そもそもが金メダリストをずらり揃えているにも関わらず、最後の浜口選手まで来る段階で3対3のスコアにしかできなかったのが問題で、あるいは世界選手権で勝ちまくった結果起こった慢心に油断があったか、それとも世界選手権での活躍が徒となって研究され尽くしてしまったかで、どの選手も勝ちきれずポイントすらなかなか積み重ねられない”病”に冒されていたって可能性も想像できて、来年のアテネ五輪も心配になって来てしまうけど、そこはそれ、未だ至らなさに築かず「ヒトリデデキタ」といい気になってる監督と、それを支持し続ける会長の人が支配し続けた挙げ句に間際になって至らなさが判明しても時すでに遅しってことになりかねない某スポーツ界より、ここで敗れて褌を締め直して五輪に挑める女子レスリングの方が結果として良かったのかもしれない。ともあれ頑張った選手に拍手とちょっとのブーイング。来年には良い夢を、否現実を見せてくださいな。

暗いピッチに浮かぶ画面が彼方の戦いを映し出す。届く映像の答える我らが声よ、届け赤道を超えて豪州の地へ  せっかくなので「ワールドカップ」を梯子、ってもこっちはホンモノではなく豪州で開催中の「ラグビーワールドカップ2003」の日本とスコットランドの試合を聖地「秩父宮ラグビー場」でみんなで見ようってパブリックビューイングのイベント。去年にサッカーで日本代表戦がやっぱり聖地「国立霞ヶ丘競技場」でパブリックビューイングされた時には5万人以上が立錐の余地もないくらいに集まって以降、阪神戦とかいろいろなイベントがパブリックビューイングって言葉とともに街頭で視聴に供されるよーになってそれに、伝統のラグビーも乗っかったってことで果たしてどれだけの人が秩父宮に集まるのか、潔癖で鳴るフットボールのファンがサッカー如きで世に広まったイベントに来るのか興味があったけど、そこは進取の気風にも飛んだ人たちらしく開放された秩父宮のメインスタンドは両端の開けなかった席を除けばほぼ満席とゆー大にぎわい。遠く豪州には行けなくっても日本代表スコッドの勇姿を聖地で見られる、いっしょになって応援できるってシチュエーションの持つ誘惑に勝てないラグビーのファンが東京にはたくさんいた、ってことなのかも。花園で同じことをやったらどれだけ来たのかちょっと興味。花園に大型ビジョンがあるかどーかは知らない。

 試合は「頑張ったじゃん、日本」って感じで前にオーストラリアのA代表にイングランド代表との試合を見ていずれも虐殺に近い攻撃を浴びて醜態をさらしていたのと比べると、攻めてくるスコットランドを相手にフォワードが果敢にタックルをかましては倒して前へと進ませず、逆に奪って反撃へと転じる動きも見せたりして、ひょっとしたら勝てるんじゃないかも、なんて淡い期待を抱かせる。けどそこはスコットランドだけあって、モールからラックからボールが奪われずにつながるつながる。対して日本はつなげたくっても密集に埋もれてしまったボールがなかなか出ず出ても何度もつなげずやがて反則から相手ボールになってしまって攻めきれない。スピードでもって突破する場面も何度も何度もあったけど、フィニッシュへと行く直前に倒される展開でトライへとはつながらない。

 当たり負け走り負けてる内容でもキックに関しては互角以上だった模様で日本が誇る廣瀬佳司選手がペナルティゴールを決め、タッチキックを決めて相手の攻めにストップをかける。これは仮にだけど早い段階で蹴ったドロップゴールが決まっていたらあるいは逆転しリードし焦った相手が反則を重ねたところをペナルティキックでゴールイン、って展開も想像できたけどそーならないのがやっぱり現実。遠目から蹴った惜しいゴールがはずれてしまったことも含めて善戦ながらもあと1歩を踏み越えられない、代表の今現在の実力が出てしまった試合、ってことになるのかな。それでも前に見た豪州A代表選にイングランド戦よりはるかに見ていて楽しくスリルがあった試合であることは明らか。やればやるほどつまらなくなる亜式蹴球と違って向井昭吾監督、やってくれます頑張ってます。なので最後まで応援します。次もパブリックビューイングはあるのかな。


【10月11日】 そうそう半分仕事で新しく新宿寄りに移転したスクウェア・エニックスの本社の中をうろちょろしたんだけどオンラインゲーム「ファイナルファンタジー11」開発をしている部屋がすべてのスタッフごとにパーティションで仕切られたボックスが割り当てられている様が妙に蜂の巣穴っぽくって、隣は何をする人ぞって感じでコミュニケーションが不可欠な職場には向かない形態に見えたけど、こーゆー環境があってこそクリエーターの人たちは一心不乱に自分の仕事に集中できるんであって、リアルなコミュニケーションの苦手な身としてどーしてこーゆー仕事を選ばなかったのかってちょっぴり過去を振り返りたくなってしまった。才能がない? ごもっとも。

 ざっと見渡してパーティションの上にいろいろと得体の知れない物体が飛び出しているのを観察、向こうに見える水色のあれは「のぽぽん」だな、やっぱり使っているんだな、これはなかなか良いものだし、って思ったり逆を向いて「FF」開発ルームなのに大きいスライムの縫いぐるみが鎮座している様に「FF」のスクウェアが「ドラゴン・クエスト」のエニックスと合併した”効果”を見たりする、って大げさな。モニター上のガチャフィギュア群なんかと並んでこーゆーブツにも個性豊かななクリエーターの特徴が出るんだけど、1つ分からなかったのが「ザク」の頭部の置物に、タコみたいな縫いぐるみが被せてあった珍妙なオブジェ。単に重ねて置いただけなのかもしれないけれど、ツルっとした頭にタコはなかなかにシュールで滑稽でした。89点。

 9時過ぎに起き出して実写版「美少女戦士セーラームーン」を見逃したことにあんまり後悔しないで「幕張メッセ」へと向かい「CEATEC2003」を見物。とりあえずは真っ先にソニーのブースへと向かい「FF11」も一応は出来るらしーと聞いてはいるけど実際のところはどーだか知らない「PSX」の実機を目の当たりにしつつ自分で触ってみる。おおちゃんと「プレイステーション2」のコントローラーが使えるぞ、でも後ろにつなげるのはちょっと面倒かも。ソニー・コンピュータエンタテインメントの久多良木健社長が力説するよーに「PS2」ならではのスピーディで直感的な操作性はなるほどそれなりなアドバンテージになりそーで、大量にあるデータを種類別に分けコンテンツごとに分けつつ一覧で映して見せては素早く選べるよーになっていて、画像を入れ動画を入れゲームを入れ音楽を入れとマルチメディアな引き出しとして使うユーザーには便利かも、それらのデータを記録する時にどんな手順が必要なのかによってはだけど。

 意外だったのはその大きさで他社ががっつんがっつん出してきている「ブルーレイディスク」使用のレコーダーがとてつもなく巨大だったりする一方で、「PSX」はAVアンプなんかよりもはるかにコンパクトなサイズでこれなら家のAV機器に家庭用ゲーム機が山積みの平積みとなっているテレビの上に、置いてもそれなりにおさまりそー。「PS2」がいらなくなる訳だしビデオデッキもDVDプレーヤーも仕舞えるでなおのこと簡素化が図れるかも。問題はやっぱり情報家電につきもののブンブンと回るファンで雑然とした会場のプラスティックケースに収められた状態の「PSX」では音の具合を確かめられなかったけど、部屋に置いた時に果たしてどれだけの音がするのか気になるところ。その辺りすでに「PS2」で静音化に取り組んでいる会社が敢えて「静かだぴょ」と書くんだからそれなりに静かなんだと信じたい、けど、なあ。

 コンパニオンが宙づりになったりするブースとか横目で見つつ退散してバスと電車を乗り継ぎ佐倉市にある「川村記念美術館」にロシア出身で今はもっぱらニューヨークを拠点に活動しているアーティストのユニット「コマール&メラミッド」の日本での最初の展覧会「コマール&メラミッドの傑作を探して」を見物に行く。実を言うならこれまでまるで気にとまらなかったアーティストで、いったいどんな活動をするんだろーとゆー好奇心とそれから、優れた現代アーティストを多く紹介して来た「川村記念美術館」が送る以上は外れがないってゆー期待感から見物したけどそーした好奇心と期待をそれなりに、満足させてくれるアーティストだったとまずは断じて讃えておこー。

 主に2つのテーマの作品が並べてあって1つはさまざまな国の人にアンケートをとって好きな絵画嫌いな絵画の傾向を調べた上で描いてみせた作品を並べた「みんなで選んだ絵」って奴で、今回は過去に描かれた15だかの国に加えて新しく制作された日本人にとっての「一番好きな絵」と「一番嫌いな絵」が展示されている。面白いのが「一番好きな絵」が日本をのぞくすべての国が森と湖だか川だかを描いた風景画で手前の岸辺だか湖畔に広がる草原に人とか動物が配置されてて、見るほどに落ち付く絵になっている。もっとも比べると国民性に違いはあってアメリカだと手前にジョージ・ワシントン合衆国初代大統領が描かれていたりするし、アフリカだと遠くにキリマンジャロの山がそびえていたりする。ロシアは確か湖畔にクマがいたし、北欧だかはヘラジカがいたっけか。ほかにも猫がいたりバレリーナが踊っていたりと国民の嗜好が何とはなしに感じられるよーな絵に上がっていて、社会学者とか心理学者とか文化人類学者とかにどこまでお国柄が反映されているのか、それともされていないのかを分析してもらいたくなった。

 海外がこれだとしたら日本はさしづめ中央に坂本龍馬でも立ってて向こうに富士山でもそびえているんじゃないか、って想像したくなるけれど残念とゆーか奇妙とゆーか、日本人にとっての「1番好きな絵」はまんまモネの「睡蓮」で、印象派大好きってゆーかアートと言うと印象派あるいはピカソくらいしか浮かばない国民のアートに対する認識度合いを、なかなかに如実に表した作品に仕上がっている。よくよく見ると子供のがシルエットで描かれていてこれは「いわさきちひろ好き」の反映なのかな、とか思ったりもしたけれど、他国のよーにそーしたモチーフが鮮明にならないのはよほど「睡蓮好き」が突出してたってことなんだろー。ってことアーティストの人、売れたかったら描くなら睡蓮だ。

 一方、「一番嫌いな絵」は各国ともデザインに違いはあっても大半は抽象画でドットとか、パターンとかによって描かれるデザインめいたものを絵として認めていないっぽい雰囲気が伺える。対するに日本は抽象画ってよりはむしろシュールレアリスムに近い絵に仕上がっていて、曼陀羅のよなパターンが額縁のよーに取り囲むカンバスの中央にあれは誰だろー、聖徳太子とそれから映画スター(裕次郎?)が一心同体になった奇妙な人物が、004のマシンガンが仕込まれたみたいな筒状の指が生えた手を前に突きだし股間にメタルなマテリアルの巨大なペニスをぶら下げていたりする内容に、グロテスクなものへの嫌悪感を覚える日本人の特質を見る。日本的なモチーフにグロテスクでシュールなモチーフを重ね不安定な構図にダークな色調で置いてみせるって手法はまんま横尾忠則さんじゃん、って思ったことは内緒だ。

 もう1つのテーマが絵を描く象の描いた絵の展示。何でもその昔に動物に絵を描かせてたことから発展して、米国に絵を描く象がいてこれがなかなかと評判をとっていることを聞いた2人が行って描かせたことを1つの発端で、その後タイで森林伐採を禁止するおふれが出て材木を運んでいた象たちが”失業”の憂き目にあっているのをみかねた2人が、タイの象に絵筆を鼻にもたせて絵を描かせ、それを売って得た収益を象を救う活動資金にするって始めたプロジェクトから生まれた作品が、タイとそれから日本で描かれたものも含めて展示されている。日曜日だったら前庭で実際に像が絵を描く場面も見られたんだけど土曜日だったんでお休みだったみたいで残念至極。11月いっぱいまではやってるみたいなんで機会を見つけてまた行こう。

 象が絵を絵がくって言うと思い出すのは日本の葛飾北斎だったっけ、気取った芸術を小馬鹿にする意味も込めたのか鶏の足に隅をつけては紙の上を走らせそれにさらさらを筆を加えて紅葉かなにかにしてしまった話だけど、そーしたアート的な行動としての意味を含みながらも一方でこの「エレファント・アート」プロジェクトは、単なるアート行為の結果としではなく、象の描く絵そのものの美的な価値にも着目しているのが面白い所。見ると分かるよーに鼻に握った刷毛やら筆やらパステルを動かし描かれた絵は実に絶妙な味わいで、同じ美術館の別の部屋に収蔵品として展示してあったジャクソン・ポロックやらサム・フランシスといった抽象絵画の横に並べておかれてあっても、分からないくらいの”良さ”を感じてしまった。

 教えられて花を(鼻で)描いた絵も悪くはないけど個人的にはドットでもって表現するカムサンって象の作品がお気に入り。あと水墨画のよーに単色で刷毛を走らせた日本のテリーの作品も侘び寂びがあって面白かった。来館して描いてくれるのはこのテリーかな、同じ千葉の「市原ぞうの国」にいるそーだし、って市原にそんな施設があったなんて初耳、サッカー見に行くついでに寄って見るか、象より巨大なオシム監督とかいたら面白いんだけど。ちなみに象の描いた絵はオークションで入札できるそーなんで、タイで食うに困っている象を助けたいと思う人も単純に作品が気に入った人も、こぞって入札してみては如何。食玩をアートと言い切った作品も悪くはないけど、バカ度とマジ度とアート度と世の中へのお役立ち度ではこっちの方が抜けてます。


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