縮刷版2003年10月上旬号


【10月10日】 山本弘さん、って言うとそう、今だと「トンデモ本」にするどい突っ込みを入れトンデモな説を垂れ流す人々に鉄槌を振るう人、ってイメージが広く流布しているだろーしちょっと前だとヤングアダルト系の文庫でSFだったりファンタジーだったりする小説を書いては、それなりな層に熱心なファンを獲得した人、ってイメージがたぶんあるんだろーけど、齢相当に重ねた僕にとっては80年前後の「ハヤカワSFコンテスト」に応募しては結構な比率で選考に残っていた人だったりして(この辺記憶あいまい、模造記憶の可能性あり)、つまりは自分が憧れてもとうてい及ばないSFの実作の分野ではるか先を行く憧れの頂点近くに位置していたりした。

 過去形なのはいずれ遠からずプロのSF作家として華々しくデビューを遂げてはハードなのか、ソフトなのかは分からないけど面白い作品を読ませてくれると思っていたにも関わらず、遂に縁なく終わってしまったのかコンテストでも、また「SFマガジン」でも名前を見ることがなくなってしまったからで、その後にヤングアダルト系で大活躍をするんだけどちょうど当時はヤングアダルト系をまるで読んでいなかった時期でかすらず、改めてその名前を意識したのは「と学会」なる分野で辛口だったりシニカルだったり激烈だったりする口調で、トンデモな学説を論っては論破しおちょくる活動をして評判を取っているのを知った時だったりする。

 そんな山本さんだけど、SF界から作品を求める声ってのは相当にあったみたいで何もかもすべて懐かしい「SFオンライン」に掲載された河野武彦さんの「日本SFの航海図 山本弘 解説」なんかにもそんな長編作品への期待の高さが訴えられている。にも関わらず書かなかったのか「と学会」が忙しくって書けなかったのか書いても発表する場がなかったのか、いわゆる「長編SF」のそれもヤングアダルトではない一般向けの分野でなかなか目にするチャンスのなかった山本さんの未だ秘められたSF的才能が、この月末にいよいよ炸裂することになりそーで、果たして世間にどれほどの衝撃と感激、驚嘆と呆然を巻き起こすのか今から楽しみで仕方がない。

 僕がその名を「SFマガジン」あたりで見知ってから20余年を経て登場する、「神は沈黙せず」(角川書店、1900円)は、あるいは「と学会」会長ならではのトンデモ学説に対する深過ぎて広過ぎる知識を開陳しつつ、そーした学説に対する徹底的にクールな姿勢を小説の形に代えて打ち出しただけのよーに思われかねない可能性を冒頭から半ばあたりまでの展開が持っている。さらにはそーしたトンデモ学説を批判していた人間が、それでも論破し得ない学説を目にして転向してしまったかのよーな印象をあたえる可能性も持っていたりする。何しろテーマは「神様」だ。それも「神様」の実在を科学によって証明してしまう内容なのだ。おまけに人類の存在意義にまで踏み込んでこれを蹴散らしてしまうのだ。そんなはずはない。でもそうかもしれない。だとしたらどうしよう。どうしたらいいんだろう。恐ろしくなる。恐ろしくって死にたくなる。

 けれどもそこは「と学会」会長の山本さん。繰り出されるトンデモ過ぎる展開を受けつつ、鮮やかなクライマックスへと持って言っては人類の強さを高らかに歌い上げる。だって物語の主題として構築される理論はトンデモなんでしょ、って言われればそうなのかもしれないけれど、思うに山本さんはそれがトンデモであるからと言って直ちに否定するのではなく、トンデモな説を使って世を乱し我を通す人々を糾弾し、トンデモな説を盲目的に信じて安寧に逃げる人々を糾弾したいのであって、現実に起こってなおかつ解明できないトンデモについて、その可能性を検討する姿勢は持っているみたい。なおかつトンデモがトンデモであってもなくても、最終的には”人”に既決する問題であって、神にすがらず仏に頼らず悪魔に阿らず、人として人らしく生きることこそが人にとって1番なんだと訴えてよーとしているよーに思える。

 テーマはあまりにも重厚。展開はとてつもなく能弁。そして結末は圧倒的にヒューマニズム。たっぷりの蘊蓄は京極夏彦さんのシリーズとはまた違った読み応えがあり、繰り広げられる物語はエスカレートしていく様が読む人にページを繰る手をやめさせない。そして諭される主題にはただ感嘆。かくも思弁的でかくも娯楽的なSFが過去にどれだけあったのかを考えた時、山本弘さんの名前はこの1作でもって遅ればせながらも日本SF史のメインストリームとして記録され、未来に渡って語られることになるだろー。発売予定日は10月31日。その日神は蘇り、人は新たな1歩を歩み始める。すべての人は刮目して待て。あらゆる神は首を洗って待っていろ。

 「と学会」つながり、って訳ではないけど「噂の眞相」2003年11月号の1行情報に「大ヒット『トリビアの泉』スーパーバイザー唐沢俊一のギャラは月百万円」ってのが載っててちょっと羨ましく思いつつも、元ネタとなる知識をかき集めるまでに唐沢さんが月々どころか毎日のよーにつぎ込んできた古本とかいろいろな情報源を購入する費用を想像するとそれでも足が出るんじゃないかって思えなくもないんで、うらやましがるのは筋違いかも。あるいは大ベストセラーになっている単行本から幾らか印税が入ってるんならそれもそれで羨ましいんだけど、その辺の詳細はないしあんまりウハウハって雰囲気でもないんできっといろいろ事情があるんだろー。ちなみに同じ号では筒井康隆さんが「トリビアの泉」に出演した話を書いていて、番組の感想とか喋っているんで気になる人は一読を。相変わらずに自虐と裏腹の自賛に韜晦、はいりまくってます。こんな爺さんに僕もなりたいなあ。なれないよなあ。

 時間があったんで「東京ビッグサイト」へと行って「第4回ホームエンターテイメントビジネスショウ」を見物。てっきり一般的なホームビデオメーカーの映像ソフトとかが出ていてレンタルビデオの店の人とかセルビデオの店のとかが来て見て買ってかりするのかな、なんて思ったらなるほどビデオのメーカーは出るには出ていたけれど、その多くがいわゆる成人の人に相応しい内容を持ったメーカーで、モーターショーのコンパニオンが小娘に思えるくらいに張り出し膨らんだ肉体を保持する女性がブースの先頭に立っていたりして、その素晴らしさに目を奪われて立ち上がる体の一部に痛みを覚えてしゃがんでしまったイタタタタ。これでサインとかもらって握手とかしてもらったら破裂してしまったかもしれない。破裂したって癇癪玉以下? それは言わない約束よ。

 それにしても微妙な展示会。映像ソフトのビジネスでいわゆるAVが占める比率を考えると決して目立っていけない訳じゃないけれど、そればっかりってゆー展示会が果たしてどこまで主催者の最初の意図を反映しているのか掴みきれないのが難しい。セミナーの方で万引き対策に向けてゲームショップをレコード店とレンタル屋とそして新古書店が同じテーブルについて声明を出した素晴らしいイベントなのに、展示の方がこれだと真っ当さを標榜するメディアに妙な誤解を与えてしまい、結果として折角の声明の価値も減衰して取られかねないからなー。映像ソフト会社がメジャーも含めて出揃った上で、AVも立派にブースを並べ、まとめて業者に限らず一般の人にも見てもらえるよーになる時は果たして来るのか。今後の展開に注目。


【10月9日】 悩み中。なのは11月8日と9日に京都で開かれる「京都SFフェスティバル」に行くかどーかってことで若島正さんに野尻抱介さんに小川一水さんに冲方丁さんといったなかなかな面子が揃うってこともあるけれど、一方で当日8日は西京極で「京都パープルサンガvsジェフユナイテッド市原」の試合が開かれるってこともあって、朝から移動して最初のセッションだけ聞いてから西京極へと移動してオシム監督の巨大さを偉大さとともに見物し、野尻さん小川さん冲方さんはきっと残るだろー夜の合宿で目の当たりにしよーか、なんてヨカラぬことも考えてたりするんだけど、こーゆー態度の参加ってのはやっぱりSF的にいけないのかなー。でも見たいもんなー、ジェフの試合。ってか見たいでしょ、オシム監督の巨体を関西の人たちも東京から行く人たちも。って訳で悩み中。似たこと考えている人いるのかな。

 始まった期待の「ガンスリンギャル(略称)」も見ないで早い時間にベッドに入って目覚ましを午前4時半に仕掛けて安眠、鳴る音に目覚めてテレビを付けて既に始まっていたサッカー日本代表の対チュニジア戦を見たけどうーん、何か弱っちい、ってのはチュニジア代表もだけどそれよりも日本代表により強く言えそーで、ザトペックじゃないけど機関車のごとく重層的な攻めで相手を圧倒した観すらあった去年の「FIFAワールドカップ2004日韓大会」での同じチュニジア戦と比べると、まるで違ったチームが違ったチームを相手にしているよーに見える。これでメンバーはスタメンこそ違えベンチも含めれば柳沢鈴木中田小野稲本楢崎と半分以上もW杯組が混じっているんだから、チームが違ってしまったのはひとえにジーコ監督の”お陰”ってことになるんだろー。

 何が違うって考えてすぐに目に留まったのがディフェンスラインの恐ろしいばかりの低さで相手のチュニジア代表がトルシェばりってゆーかフランス人監督の傾向か、バックラインをぐっと挙げて最前線との間を狭くし日本代表にプレッシャーをかけボールを奪い攻撃へと転じるのに対し、我らが日本代表はずるずると圧され後退したバックラインが攻めかかる相手におたおたとした所を中盤から小野選手に中村選手はもとより中田選手まで戻ってカバーにあたる防戦一方って感じの展開。奪っても次に回るのがセンターラインよりさらに自陣寄りってんだから、攻めても途中で相手に付かれてしまい攻める当人も付かれてしまってフィニッシュの形すら作れない。

 なるほど1点を取れはしたけれど、最終ラインからえいやっと返したボールがたまたま最前線を抜けて柳沢選手に渡って1対1を作れたからで、これ以外だと決定的に近い場面なんて藤田選手が入って中村選手のクロスに突っ込んだ場面くらい。後半こそどーにかボールも維持できるよーになったけど、前半なんかは最終ラインから中盤へと渡ったボールを中村選手が持ちすぎこねてはパスをミスして奪われ反撃される展開を幾度となく目にして何度となく「ダメじゃん」と心で罵声を贈りたい気持ちにさせられた。ポゼッションがどーとか言ってる割に前半なんてチュニジアが54%とかボールを支配していたんじゃなかろーか。

 これほどまでの体たらくを見せながらも現場で熟成させることを第一義にするジーコ監督は、後半になっても黄金とやらの中盤をまるでいじらず交代も藤田選手を残り15分とかで入れ、最後の最後で大久保選手を入れた程度とゆー相変わらずの不動ぶり。 ロスタイムでの投入じゃあ、釜本邦茂さんから「週刊サッカーマガジン」の10月21日号で「激しいプレーではなく、汚いプレー」とあしざまに言われた相手を威嚇するプレーぶりを見せる間なんてあるはずない。そこはそれ、天下にその名をとどろかせる「かかってこんかい大久保」だから1分でもその「かかってこんかい」ぶりを見せることは十分に可能なんだろーけれど。

 まあそれでもアウェイで最初は下がり守ってカウンターから1点を取りあとも守りきる、ってゆーシミュレーションは出来たってことでそれなりな評価はしたい1戦。なればこそ残るルーマニア戦こそは煌びやかって意味ではなるほど黄金の中盤をより実戦向きにしつつ、折角の合流を果たした廣山選手あたりもサイドに置いて新しいジーコジャパンとやらを見せてやって頂きたいもの。ってもまあやっぱり同じメンバーが同じ闘い方をするんだろーけれど、否、今度はサッカー史上に燦然と輝くだろー最終ラインにポジショニングするフォワードのアレックスが合流するから、なおいっそうによりジーコな戦いぶりを見せてくれることになるんだろー。見るべきか。それより女子サッカーの決勝を見た方が戦術を学ぶ上で有意義かもなー。

 本がベストセラーになろーと表紙を安倍吉俊さんが描こーと女の子から付き合ってと言われよーと三坂千絵子さんと渋谷でデートしよーと頭を剃ろーと大槻ケンヂさんと対談しよーとさかもと未明さんから罵倒されよーと別に、まるで羨ましいって思わなくってもこればっかりは流石に堪忍袋の緒が切れ怒髪が天を衝き、不幸の手紙に迷惑メールを織り交ぜ毒念波とともに生田の地へと送りたくなった人が全国の100万人くらい出たんじゃなかろーかと、読んで心配になってしまった「滝本竜彦さん、林原めぐみさんと対談」の報。話すだけならまだしも満面の笑みをたたえた”ツゥショット寫眞”まで載せてしまっては言い訳もきかず反論も届くはずがない。とは言え集まったファンを相手に話すことにすら大変な思いをしている滝本さんが憧れにして最愛の林原さんを相手にユーモアとウイットに富んだ会話をしては林原さんの心をメロメロにして夜の街へと繰り出した、なんてことがあってたまるものかって感じなんでまあ、ひと秋の経験値としてここは微笑みつつどんな感じに進んだのかを掲載誌を待ち検討させて頂くことにしよー。弾んでいやがったらアパート前に豚の首だ。アパートどこだったっけ。


【10月8日】 何で現在も順調に決勝トーナメントの試合を消化中の「FIFA女子ワールドカップ2003USA」の話が望月三起也さんの得体の知れない(けれどカナダ選手を模した原始姉ちゃんはちょっと好きかも、ドイツが恐竜なのは可愛そ過ぎ)が載ってねえんだと怒り脳天に達しながらも読んだ「週刊サッカーマガジン」の2003年10月21日号はそれでもモッチー望月重良選手のインタビューが掲載されててある種天才的に上手いんだけど今ひとつ波に乗りきれないままチームを変転としてしまっている残念な才能を、おそらくはJ1では最後になるっぽい「ベガルタ仙台」でもって爆発させようって意気込みが伝わってきて元ナゴ(元名古屋グランパスエイトの略、勝手に略した)として応援してみたくなる。ジェフユナイテッド市原の試合も何度か見たけどトップでは結局1度も出ず、サテライトで1人飛び抜けて異次元のプレーを見せてもらっただけなんで、残る試合のうちに1度は仙台の試合も見に行きたいところ。ってーと25日の東京ヴェルディ1969戦か。でも同日に市原臨海で「ジェフvsジュビロ磐田」もあるしなあ。ヴェルディかジェフかどっちか上位にいる方にしよー

 その「週刊サッカーマガジン」の「スター候補ファイナル」にイタリアはセリエAのペルージャでめきめきと頭角を現してきている英国人選手、ジェイ・ボスロイドが特集されててちょっと関心。何でもU−21までのだいたいの英国代表に選ばれる才能の持ち主であるにも関わらず、クラブチームとの折り合いが悪くプレミアシップのチームを解雇されたところを何でもほしがるガウッチ会長のお眼鏡にかなったのかペルージャへ。何しろ父親にカダフィ大佐を持つリビアのカダフィ選手と同じ新規入団になるで日本ではまるで注目されてなかったっぽいけれど、いざシーズンが始まると取るわ取るわのゴールラッシュでたちまちのうちにセリエAでも屈指のストライカーになってしまった。去年のファブリッツァ・ミッコリといー96年の中田英寿選手といー後にブレイクする新鋭を拾い広めるのが上手い球団だなあ。アン・ジョンファン選手だって残っていれば今頃はビッグクラブに行ってたかもなあ。

 さてそのボスロイド選手。ツルツルにした坊主頭は高原直泰選手の風貌にも重なるけれど、190センチもある身長に85キロの体重とガタイが良い上にヘッドは最近上手くなったって言うくらいどちらかと言えば足で点を取るタイプらしく、これでヘッドまで上手くなったらどこまで点を取るか分からないくらいの選手になりそー。「ビエリ(インテル)とバッツァーニ(サンプドリア)をミックスしたようなストライカー」ってのもあながち嘘じゃないかも。バッツァーニってまるで知らないけれど。もっとも柳沢選手の加入で放映される機会の増えたサンプドリアの試合でバッツァーニ選手は見るチャンスがあっても、中田選手のいないペルージャなんて地上波じゃー見るのはまず無理そー。「TOYOTA」のスポンサードするチームだけが集まるカップ戦がガウッチの戯れ言じゃなく実現すれば来日してくれる可能性もあるんだけどさてどんなものか。あるいは日本のどっかのチームが呼んでくれれば面白いんだけど。グランパスに来ないかなー、パナディッチと並べて歩かせたいし。

 未だにどこをどーやればどこにたどり着けるのか判然としない「六本木ヒルズ」の未だ足を踏み入れたことのない51階なんて場所に行くためにビルの周囲をぐるりと廻り案内を見つけて中へと入ってからもどのエレベーターならたどり着けるのかを探ってよーやく発見したエレベーターでぐいーんと上がって会見場へ。前に「GEISAI」でも先行販売のされた村上隆さんのアート作品を食玩にしてしまったとゆー画期的にして革命的な商品「村上隆のSUPERFLATMUSEUM」がいよいよコンビニエンスストア向けにも12月から発売されるってことで、発売元のタカラと販売のドリームズ・カム・トゥルーに原型の海洋堂、そして我らが(誰がだ)村上隆さんを交えた会見が始まるのを渋谷方面が見下ろせる窓を横目に今か今かと待ちわびる。その間、どんなメディアが来ているのかもチラ見たけれど学芸文化といった感じがあるよーなないよな、経済社会といった感じもあるよーなないよーな、微妙な感じでオタクとも、また純然としたアートとも違う雰囲気に商品が持つ微妙な立ち位置なんかを重ね合わせてみたくなる。

 時間となっていよいよ登壇の村上さんが、一体どんな格好をしてくるんだろー、やっぱりいつもの短パンにちょんまげ姿かと思ったらこれが上から下まで実にピッシリとしたスーツ姿で胸には自分のデザインしたキャラクターの絵柄が描かれたチーフまで入れていて、今まで見たこともないオフィシャルな姿に「六本木ヒルズ」とゆー会見場、そしてタカラとゆー企業とコラボレーションする内容、さらにはこの商品をもって日本のアート界なるところを相手に波紋を疾走させるんだってゆー決然とした意志めいたものを覚える。単にやっぱり発表なんて小ぎれいな格好をしなきゃいけないって思っただけかもしれないけれど、でもそれなりにキマってました、きっと高いスーツだったんだろーなー、シャツもネクタイも絶妙なコーディネーションだったし、でもちょっと今っぽくないダボついたスーツだったなあ、どこのだろ。

 さて発表会。直前にサーキットを買うなんてチャレンジングなところを見せたばかりのタカラの佐藤慶太社長が「村上さんのアート界にチャレンジしている精神に感銘を受けました。私たちも玩具からライフエンターテインメント企業としてチャレンジをしている企業として応援していく。これが世の中に出ることで、想像以上の波紋が巻起こるのでは」なんて強い期待を表明すれば、受けた村上さんも「6800万円もするようなものが、350円のおまけとして日本の大衆にとけ込んでいく。これは革命的なこと。この瞬間に居合わせたことを後に誰もが誇りに出来るよう、頑張ってプレゼンテーションしていきます」って意気軒昂なところを見せてくれて、ここに至った感慨の大きさと、この商品が村上さん的に持つ意義の重さなんかを感じさせてくれた。「GEISAI」だと並んで買うただのレアな食玩だったのに、言葉でもって語られるとやっぱりそれなりに重たい商品だったんだなー、これって

 ただしやっぱりこーやって言葉でもって語られスタンスを示されて通じるところが”アート食玩”の”アート”たる所以でもあって、仮に普通の人がコンビニエンスストアで「村上隆のSUPERFLATMUSEUM」を見て買ったとして、出てきた得体の知れないフィギュアに一体これ何? って思うことは必定。浮世絵なんかを例えに出して大衆化したアートの凄さを村上さんは語っていたけど、コンビニエンスストアってゆールートを使ってアート作品を売り出した、って意味で村上さん自身は大衆化への1歩を踏み出したんだと感じていたとしても、需要する側として村上さんを大衆のものと意識している節がまだ、まるでなかったりするところに村上さんの目指す道のりの困難さなんかを覚えてしまう。後のパーティー会場であった見知った企業の広報の人とか放送局の偉い人とか、ほとんど村上さんのことを知らなかったしアート作品を食玩で出す意義も分かってなかったし。

 村上さんが6800万円のアート作品を「美術手帳」のおまけにし、また350円の食玩のおまけにして世に広く浸透させてしまえって行為の全体をとらえて一種のコンセプチュアルなアート的行為と見ることも可能で、そーしたどこか権威をおちょくろーとしているよーに見える村上さんのスタンスは決して嫌いじゃないけれど、ここで止まってしまうと結局は「アート/反アート」とゆー対立の文脈でしか村上さんを見られなくなってしまうし、反アートのためにオタク的な要素を剽窃されたんだ、決してオタク的な要素を絶対的な価値として見てくれたんじゃないんだってゆー、猜疑と勘ぐりを生みかねなない。アートの世界だけで見るなら別にオタクがどう思おうと関係ないんだ、って言えるけどアートも好きだしオタクも大好きな目から見ると好悪の入り交じった複雑な気持ちになってしまう。

 なればこそ村上さんには、今回の”アート食玩”を村上さん自身のアート的行為の1つの結実したものとして安堵するんじゃなく、行為としてのアートって部分を超越して、純然としてオタク的な要素も加味されアート的なニュアンスも持ちながらそのどちらでもない、あるいはどちらでもある超絶無比な”作品”を、広め大衆へと浸透させていってもらいたいもの。どーすればそーなるのか分からないし難しいけれど、仮になし得たとしたら文字通りに「革命的」なプロジェクトとして、ミレニアムに語り継がれることになるだろーし、その場に居合わせた僕も誇りにできる。さてもいったいどんな展開を見せることやら。とりあえず12月にはコンビニエンスストアに走って、そのプロジェクトの小さいピースとして参加させて頂こー。その前に「六本木ヒルズ」バージョンも買っておかないと。何かハメられノせられている気分だなあ、流行り者大好きなオタク世代のスノビッシュ野郎が投げ与えられた餌に食いつく様を見物したいって作家のタクラミに。


【10月7日】 唐突ながら東野翠れんさんの可愛らしくも妖しげに悩ましげな笑顔と表情に脳天を杭打ちされて「カゴメデリ」のCMがいつやらないかと手にビデオのリモコンを持って待機する日々。ネットからでもストリーミングを見られないことはないけれど、画面が小さいとその笑顔の威力もそれはそれで破壊力抜群ながらいささか減殺されてしまうんで、やっぱり大きな画面でじっくり何度でも繰り返して見たいもの。ここにハードディスクレコーダーとかあれば1日まる撮りしてから探し出してDVDにリピート録画し直して、1日中だって部屋で流しまくるのに。今年のベストCM決定だ。

 「ガンなんとか」、ってのがテレビ東京で「LASTEXILE」の後番組として始まるってんでてっきり、これが噂の「ガンスリンガーガール」かと思い午前1時半に起き出しテレビを付けたら「ガングレイブ」だった。なんて先週の予告で見てはいたんだけど1週間どころか1時間で記憶が抜け落ちてしまう程に脳味噌が弱体化してるんで間違えるのも致し方ないってところ。いずれにしても「ガンドレス」でなくて良かった、あの無限ラーメンとか見せられると夜中に無性にラーメンが食べたくなってブクブク太ってしまうから。

 女子サッカーの「カナダvsスウェーデン戦」に「アメリカvsドイツ戦」としっちゃかしながら見てたんで世界観の詳細とかイマイチわかりにくかったんだけどオープニングの格好良さと始まりの静けさ、そして展開の洒脱な感じで楽しませつつやがて来るべき過酷な闘いへと誘っていった「トライガン」と同じ内藤泰裕さんキャラってことで比べると、場面とか会話のテンポの良さで見せようってよりはダークな雰囲気、説明を省いた展開にマジと見入らせそして激しい銃撃戦で目を見開かせる趣向が先に立ってて見ていてなかなかに気が疲れる。似た展開、というか究極を行ってた「テクノライズ」があっただけに既にして満腹って気持ちだけど、キャラのマンガっぽさに銃撃戦の外連味たっぷりな見せ方がある分まだマシか。あとはお話がちゃんと滑り出して、キャラが絵としてじゃなくキャラとして動き出すことを願おう。エンディングの「Scoobie−Do」は最高に格好良い。このノリこのグルーヴ感がアニメにも出て来てくれるのかな。

 サッカーの方はと言えば昔年の願望を叶えてドイツ女子代表がアメリカ女子代表を破る大金星。日本女子代表を早々と一蹴して欧州ナンバーワンの風格を漂わせているドイツですら米国には勝てないだろーと思われていたしおそらく選手も自覚していたのか、守備をガッチリと固めつつトップが2人くらいで攻めるガチガチ極まりないサッカーで、あのミア・ハム選手を擁する米国も堅い守備をまるで崩せずほんとど見せ場もないまま、最後まで行ってしまった。後半ロスタイムに入っての1点は流石にキツかったのか、気落ちしたところ続けざまにもう1点を取られて結果は3対0と大差になってしまったけど、実質は1点を争う緊張したゲームだったと言えそー。

 先取した1点を守りきろーとしてなおいっそう引きこもり度合いを増したドイツが相手では、何をやっても点には結びつきそうもなく見ていて決して面白みのある試合ではなかったけれど、勝つためのサッカーってのもを見せてもらったって意味では勉強にはなった。これが日本もカナダ相手に出来てれば……って今更言っても詮無いこと、これからのことを考える意味でも「週刊サッカーダイジェスト」の2003年10月21日号でセルジオ越後さんが訴えてる、協会関係者の理解としして実質的なサポートを是非にも期待したいところ。フィジカル強化のために選手全員がどっかのスポーツクラブを無料でカウンセリング付きで利用できるよーにするとかすれば良いのに、Jリーグのオフィシャルスポンサーになってるゲーム会社の子会社になってる全国最大のスポーツクラブとかあるんだし。

  幕張メッセで始まったイベントで例の「PSX」がお披露目されるって話も聞いていたけどゲーム機じゃなく家電だと久多良木健さんも太鼓判のお墨付きを押し与えていたんで家電の担当に押しつけ駿河台の日立製作所本社へ記者発表を聞きに出向こーとしたら途中で総武線が人身事故によりストップするハプニング。折良く新小岩へと滑り込んだところで総武線快速へと乗り換え馬喰町から都営地下鉄新宿線で小川町まで行きそこから坂を上ってたどり着いた日立本社のプレスルームへと続く通路の突き当たりで社員の健康診断が行われて机の上に尿検査の案内が置かれていて、折角だから1つ協力して差し上げようかと思ったけれど糖とか蛋白に自身がないんで遠慮する。天下にとどろく超大企業でそれにしても尿検査のコップに出迎えられるとは。これも親しみやすさを醸し出す演出か(そんな訳はない)。

 その「PSX」はそんな値段になったら買うよ、って宣言していたのどドンピシャの7万9800円って価格で登場して、160ギガバイトってハードディスク容量と最高で24倍速でHDDからDVD−Rへと録画できる機能面、さらに加えて当然のごとくに「プレイステーション2」と「プレイステーション」のゲームが遊べる点からこれはお買い得だって素直に思えてきた。買うならどーせなら250ギガバイトの9万9800円の方だけどいずれにしても今冬はそれなりの出費を予約しておく必要がありそー。

 ってことでその為にも、横暴で間抜けで無知無能をさらけ出すかの如き資本側による特攻にも等しい、でもって結果はともあれ現場にはあった特攻のピュアな精神のかけらもない愚策を、その実行責任者ともども完膚無きまでに叩き木っ端微塵に粉砕し、満額にして一切のディスカウントなき回答を得なければならないんだけど、1カ月が経ってあらゆる方面から反発の声が挙がっているにも関わらず、立てた計画は完璧であり一切の譲歩などする必要のないものであって、それに反発すること自体が間違いであるといった意固地なまでの考え方に染まって半ばカルトと化した上層部相手の闘争に、進展はまるで見られないだけに厳しいところ。かといって来年の夏も状況は似てるかさらに悪化の可能性が高いしなー。縁がなかったってことになるのかなー。


【10月6日】 久々に珍しく最初っから見てしまった「D.C ダ・カーポ」が案外に面白くって、ひょっとしたらDVDボックスとか買ってしまいそーな気分になってしまったけれどもしかしてこれは単なる錯覚か、それとも本当に異例に面白い作品だったのか、ちょっと思案のしどころだったりする今日この頃。ストーリー自体はまるで他愛のない本線を行く恋人(だけど兄と妹)どうしの関係に混じったおじゃま虫的存在って感じのものだけど、純一が音夢に美晴を連れて歩いていた理由を説明してたりする場面の美晴の正面からとらえて目が左右にきょろりとし、口がおちょぼになっている場面の、何とも言えない味わいに天啓を覚えてこれはもしかしたら絵的に凄い作品だったのかも、なんて思ってしまった。ちょっと早計か。

 そればかりかサイドストーリーのパートでの、水着美少女がフナムシを可愛いと言いナマコを可愛いといいまだらの蛸に触ろうとして毒があるからと漁師に止められカツオノエボシや毒のある貝やらの説明を受けていく展開の、シュールで唐突な様が妙に山本直樹さんしてて、エロこそないけれど見ていてググッと引きずり込まれてしまった。最初の頃はこの辺りって実写の声優さんたちによる不思議なプロモーション映像だったよーに記憶してるけど、早々にサイドストーリーのアニメーションに代わっていたのかな、だとしたら見て来なかったことが悔やまれる、けどこれほどまでにシュールなのは今回限りかもしれないし、うーん、やっぱり買うしかないのか、買って確かめるしかないのかDVD。「セラフィムコール」を超えてシュールにキッチュな作品ってことはないだろーけど、でもやっぱり歴史に残るんだろーなー、この作品も、ある意味で。

 流れで「一騎当千」。言われているよーに白やらピンクやら見え放題に見せ放題だけど短いスカート姿で格闘すれば見えるのも当たり前、ってところでそんなに無理矢理な雰囲気は感じなかった、ってスカート姿で格闘させるのが無理矢理だって言えば言えるんだけど。綾波かと思った眼帯美少女は性格はまるで正反対の極悪非道な感じでしょっぱなから四天王だかを血祭りにあげて次回も主役にいろいろ絡んで来そうで、片方だけがスカート姿だった今回と違って両選手による見せ放題見え放題のバトルを来週は存分に楽しめそー。原作がどれだけ見せてたりするのか読んでないんで知らないけれど、動きの中で見えるとやっぱりそれが一瞬でも興奮してしまうものなんだなー、悲しいね、人間って。

牛の気持ちはいま燃えに燃えているのだーっ!  一夜明けた大手町から牛の姿は一層されてて一抹の寂しさが秋の風とともにビルの間を吹き抜ける。あったらあったで風景にとけ込み通りがかる人たちの気持ちを和ませているなあって思っていたけど、なくなってもそれはそれでしっかりといつもの風景で、誰も気にしている様子もなく通りを歩いていたりするところに、恒久的なパブリックアートとは違う楽しさと虚しさの表裏一体となったイベントならではの味わいを覚えて感傷に浸る。夕べのうちにすべて撤去したんだろーけれど、期間中に誰1人として盗もうと思えなかったくらいに土台のしっかりとした牛たちを、どーやって持ち上げどーやって運びなおかつ60頭ばかりをどこに保存しているのか知りたいもの。6頭が10列とかって感じでどっかの倉庫に並んでいるんだとしたら、その場面だけでもちょっと見てみたい気がして仕方がない。きっと壮観だろーなー。

 長編じゃないじゃん、と読んで思う人もいるだろーし作者自身も言い訳しているけれどまあ、面白いから連作短編でもいーじゃんと諦め喜んだ阿智太郎さん「いつでもどこでも忍2ニンジャ3」(電撃文庫、510円)はダイナマイトバディを水着で包んだかなでに涼葉の魅力炸裂なプール編から忍者にも弱いものがあったんだってことが分かる(かなでは除外、鈍いのか強いのか)ピクニック編にかなでの意外な才能がもたらすどたばたが楽しいスイカ割り編とそして涼葉の可愛いところが爆裂の肝試し編と、夏にお約束のエピソードがてんこ盛りで夏に読んだらさぞや楽しめただろーと思ったけれど、すでに10月だと楽しかった夏への思い出ばかりが募って素直には喜べなかったりする人もいるのかも。桃香さんの果たされなかった願望がかなう話や涼葉の他にもまだありそーな弱みが暴露される話なんかも今後に希望。それより未だ登場しないマコトの両親とか、出て忍者たちにどう絡むのかも見たいところ。まったくの空想だけどその辺にマコトが誠之進に他人の空似な訳とかあるよーな気がしてならないんだよね。どーなんだろ。

 公開したってことで1つ、ステップが進んだのか「ARIA」のシリーズが好調にリリースされているマッグガーデンから天野こずえさんのエニックスから刊行されてた「AQUA」が1巻2巻とも新装刊行、表紙が新しく描き下ろされていて1巻の灯里のポーズと表情が妙になめまかしくって、それを手に入れるだけでも買い直す価値がありそー。2巻にはエニックス版には未収録だったエピソードがあったり「コミックブレイド」の臨時増刊に掲載の、エニックス版には登場していない三白眼が得意なアリスちゃんも登場するエピソードが無理目だけど若干の説明も入れて(「ARIA」を読めってことだけど)収録されているんでやっぱり買わなきゃいけなさそー。表紙のアリシアさんの表情も微妙にいろっぽいし。お話自体は何度読んでも素晴らしくって美しくって気持ちよくって清々しい。水の世界に風の丘が奏でる自然の音が聞こえてくるよーで、本当に火星がこんな世界になるんだったらすぐにでも移り住んでみたいって思えて来る。小説でも描かれているテラフォーミングだけどマンガならではのこれが利点、ってことなんだろー。アニメで見たいなー。イメージCDはどんなだろ。


【10月5日】 オープニングが代わってとても凄い人が作画を担当していて仰天の「デ・ジ・キャラットにょ」は出ない出られないと言われていた林原めぐみさん演じるピヨコ・アナローグ3世ことぴよこ様がリク・カイ・クウの3人ともども「BG団」として登場して、一気に旧「デ・ジ・キャラット」テイストが増して来る。話の方でも「悪ですからな〜〜〜」の決まり文句に決めポーズの導入があってまるでTBSの夏休み春休み冬休みのスペシャルを観ている様、なんだけどやっぱりそこはレギュラーなテレビアニメだけあって密度はユルく展開ものんびりで、大人にはちょっぴり間の悪さが感じられてしまう。けどまあそこは子供、ってよりは子供に見せているお母さんたちに美形キャラとして売り込むのが想像する狙いなんだろーから、展開はユルくてもそれなりに格好良いところを見せてくれればオッケーなんだろー、ってことで次回以降でもセコい悪とやらを見せ……てくれると思ったら華麗田さんの巻かよ。

まさか階上にあったとは。さらにこの上の階にもいて驚きの牛。どーやって上がったのか考えると夜眠れなく(以下略)  殿堂入りの「地上人(ちじょう・びと)」を別格に「魂人(たましい・びと)」に「傷負い人(きずおい・びと)」に「流離い人(さすらい・びと)」と並ぶ宇宙4大「人(びと)」として世に名高い「牛追い人(うしおい・びと)」の最期のスパートを観るべく丸の内界隈で5日まで開催されている「カウ・パレード」を見物に行く。スタート時に半分くらいの牛をゲットし以後も機会を見てあちらこちらに散在する牛を追ってはサンアントニオからアビレーンへとチゾルム街道を驀進して来たんだけど、まるでエアポケットみたいに抜かしていた場所を埋めるべくまずは大手町から歩いて途中、東京海上火災保険の前庭に立ってた牛とか本丸とも言える「丸の内ビルディング」へとエスカレーターの上の牛をかとゲット。道中にカメラを持った少年少女におっさん婆さんが沢山いて、始まった当初とは違って世に結構イベントが知れ渡ったんだろーと想像する。それもおれも当方のプレゼンが効いたからだ(大法螺)。

 たぶん沢山ある牛でも1番くらいに有名になった、覗き窓がついて尻の穴からのぞくと前が見えるって牛がどこにあったのかを確認し、尻からのぞいている妙齢の美女とかがいたのをまるごとゲットしつつ丸の内界隈をトコトコ。もはや遠い記憶となった爆破事件で道路が割れ落ちたガラスで埋まった三菱重工業前にも1頭の牛がいて、囲む少女たちがいて喧噪の時代からかれこれ30年が経って日本もまったりしてしまったなあ、なんて感想を抱く。それにくらべて当時より以前から始まっていた中近東の係争は終わるどころかますます激しさを増すばかり。世界ってこれだから難しい。今や体感すら出来ない日本人にとってはなおのこと。

警官になって15年、まさか東京でそれも日比谷で牛を撮ろうとは思いませんでした、と30年後に孫に語ってたりして  日比谷通りだか何かを超えていよいよ最後までとっておいた日比谷公園の牛に対面。その名もえっと「すべての牛は印度へ向かう」だったかな、もしかすると公園の中の茂みの下とかに隠されていて探すのも大変かな、って心配していたけれどそーしたイジワルはなくって牛は、入り口脇の派出所の手前に鎮座ましましていて、前を警察官の人が歩いていたりしてこれなら決して盗まれないなー、なんてその警備の手厚さに他の捨て置かれている牛たちに成り代わって羨望を贈る。写真を撮りに来ていた人がどーせだったらと警察官の人に牛との記念撮影を要望したらちゃんと受けてもらえたのは、似たことをする人がいっぱいいて慣れていたからなのか、それともニッポンの警察官が持つ類い希なるホスピタリティーの現れか。

 いずれにしても今日でお開きの「カウ・パレード」。今までパブリック・アートなんて気にもとめなかった人がそのイベント性とモチーフの愉快さを通してアートに親近感を持ち、いずれアート全体への理解につなげられたとしたら仕掛けた側としても万々歳、って言った所か。こなた村上隆さんのよーにアート作品をお菓子のおまけにして発売しては纏っていた権威めいたものを払拭させよーとする動きもあって、プレゼンテーションの仕方さえ面白ければこれで現代アートも大勢の人に理解され得るジャンルとして、浸透していくんじゃなかろーか。出来ればこの熱気(って程でもないけど)が冷めやらない内に次の手なんかが打たれて人に、アートへの興味を抱かせてくれたら「東京都現代美術館」も赤字しのぎにスタジオ・ジブリのプロップにすがらなくても良くなり現代アートの人も潤って良いのかも。さしあたって会田誠さんに実物大「巨大フジ隊員」を作ってもらって新幹線駅オープンで沸く品川駅あたりに転がしてもらえれば嬉しいかも。捕まる可能性は否定しないけど。

 それにしても良く書く成田良悟さん「バッカーノ1932 Drug The Domino」(電撃文庫、590円)はこれまた1つの事件をめぐって様々な勢力が入れ替わり関わり合いながら進んでいく物語で出し入れされる人物の多さを気にさせないテンポの良さと筋立ての巧みさで、あれよあれよと言う間にラストまで連れて行ってくれる。時代はニューヨークでの酒瓶をめぐる喧噪の後、不死になってしまったガンドール・ファミリーの3人がひっそりと守るシマを狙って大手が新手の麻薬を使って乗り込んできたことからひと騒動が持ち上がる。

 ガンドールの縄張りの店で働く少女の恋人がその麻薬にとりつかれてヘロヘロ状態。彼女は彼を救おうとするものの逆に彼は麻薬をキメている所に偶然出会った麻薬入りの鞄を気も大きかったのか奪ってしまい、後で気付いて彼女にどうにかしてくれるよーに頼む。一方では父と兄を車ごと海に沈められる”事故”で失いもうひとりの兄も行方不明になった少女が真相を知るためにニューヨークへとやって来る。たずねた先が情報を得ては情報を売り渡す稼業を裏で言うとなんでいる新聞社。やがてその新聞社を1つのつながりに関係する人々が出入りしては情報とそして麻薬入りの鞄をいったり来たりさせた挙げ句に、ラストの大活劇へと突き進んでいく。

 1作目では脇に回ったガンドール3兄弟がメインに立って不死身な様とそれ故の悩みも吐露しつつ、それでもやっぱりなマフィアっぷりを見せてくれるわ前作で登場した殺し屋「ヴィーノ」が相変わらずの強さを見せてくれるわと楽しみ所満載。新しい殺し屋のアミーゴ嬢もいい味出してます。何より脳天気カップルのアイザック&ミリアが相変わらずの本人たちは出鱈目だけど周囲にはしっかりと強い影響を与える格好良さを見せてくれてて2人のファンを楽しませる。つまりは読者全員ってこと。1作目2作目の人物が再登場してはそれなりな役割を与えられたりしていて、1巻だけでなくシリーズ通じて人の出し入れの巧みさにも驚かされる。このまま巻を重ねるうちに2作目で列車の中を大騒ぎして過ごした連中の再登場も近そー。実際に一部ちらほらと見えて来て、彼らが不死者の一味とどう絡んでいくのかに早興味は移っている。でも作者のこと、ストレートな続編じゃなく場所を変えた新たな物語とか用意してるかも。いずれにしても素晴らしい書き手による圧巻の物語を是非に、またしても。エナミカツミさんのイラストも素晴らしい。


【10月4日】 まだ眠った朝を目覚めると時刻は午前7時28分。そのままテレビの前へと移動して今日が晴れ舞台とゆー実写版「美少女戦士セーラームーンをひとしきり。うーんもし仮にこれがアニメーションの放映直後に作られていたとしたら、何とも言い難い気恥ずかしさに見る目を画面からそらした可能性があるけれど、間に営々として繰り広げられ多大なファンを生んで今なお続けられるミュージカルがあり、大隆盛を極めた「コミックマーケット」でのコスプレがあるんで人間が、セーラームーンの格好をして「お仕置きよ」なんて叫んでいても(CMでも叫んでるぞ)まるで違和感も気恥ずかしさも覚えないのが、人間の環境への適応能力の高さを示していたりするのかな。

 お話はベタでまんまアニメで流れても大丈夫なシナリオでその辺り、浦沢義雄さんによるヌキにハズシの技が光ったフジテレビジョン栄光の実写美少女変身シリーズ「ちゅうかな」「ポワトリン」「トトメス」「大竜宮城」「シュシュトリアン」に比べてニヤリ所に欠けてる感じがあるれど、それでも逆にベタな展開が逆にハズシが常態化している世界でむふむふとしたおかしさを醸し出してくれて良いかも。メーカーの意向入りまくりな小道具=玩具の見せ場も「デ・ジ・キャラットにょ」が照れも込めて拡大を反復を繰り返して観る人に「はいはい」って諦念を与えていたのと比べると、何気にストレートで潔い。あとはカラオケのシーンでいつからバンダイ「カラオケステーション」が登場するか、だな。

 変身シーンはアニメ版の雰囲気を割と出そーとしている? 感じでちゃんと最初は全身をレオタードで包んでから、短いスカート部分を付ける流れで逆光の鬱陶しささえ我慢すれば使えます。何にかは言わない。戦闘シーンも潔くって開脚からハイキックからバック転から披露してくれて当然ながら見え放題なんだけど、ものがレオタードの下半分だと分かっているにも関わらず、腰にフレアな布が1枚、ついて普段は見えなくしただけでそれをいつもの白三角だと認識して、感動してしまうこの真理はいったい何だろー、単純なフェティシズムなのかそれともシチュエーションそのものへの条件反射的な官能なのか。要研究、なので毎週土曜日は早起きだ。来週は水野亜美ちゃん登場だけど、普段着の眼鏡がいただけない。あれじゃーインテリじゃなくおちまさと、だよ。

 うーむ、綾波やアスカがプラグスーツ姿で描かれていたとしてもまるで魅力を感じなかった抱き枕だけど、電撃文庫のメディアワークスが何を思ってか続々と送り出してきた電撃文庫キャラの抱き枕シリーズには妙な色香とそして肉感が漂っていてこいつぁ欲しいかも、って思わせる。3種類あって1つが「DADDYFACE」のあれはまだ12歳とかだったっけ、幼くして世界屈指のトレジャーハンターとなった西E田さん描く結城美沙ちゃんが薄べったくって細っこい体を小さい水着で包んだ体を”大人の魅力”と言い切って披露してくれていて、抱くと夜中に蹴りとかとんで来そうで毎晩のベッドインが楽しくなりそー。でもって3日で汚れそー。

 2つ目は「灼眼のシャナ」のいとうのいぢさん絵によるシャナさま。”ねまき姿”って言っても上はキャミソールで丈はへそまで、ってことはつまりは腰はまる見えで包んでいるのは白三角でそれも極端に小さくて、よくぞこれで収まるもんだと人間の体の神秘に思いを馳せさせられる。足は黒いニーソックスが包んでこれも官能的。なぜか背中に「エスカリボルグ」、じゃなかった刀を入れた袋を背負っているのが不思議とゆーか、絵でも触るとゴツゴツしてそーで迂闊に触れられないよーになっている、のかな。トドメは「いぬかみっ!」から若月神無さん描くようこ姫。横寝で足を曲げているんで見えるのは後方からのふくらみになってこれまたなかなか。絵柄への好みは人によりそーだけどまあ、3まで続くシリーズだけにそれなりなファンがいるってことでの商品化なんだろー。どーせだったらイリヤとか欲しかったけど夜中に血とか、吐かれたら大変なんでパスってことで。ドクロちゃんは来年かな。

試合で目立たなかったのは幕の呪いか、柏はアフリカなのか  結局日和って近所の柏へと「柏レイソルvs名古屋グランパスエイト戦」。到着したアウェイ側のスタンドでもめ事発生、ってそれほど大事でもないけれど、メインスタンドのアウェイ寄りの端っこにある壁にグランパスのサポーターが応援の幕を貼った後かその前か、順序はわからないけどレイソルのサポーターの幕もいっしょに貼られて赤と黄色が混在する状況になってしまって、グランパス側がスタジアムの人に「あかんてー」って名古屋弁でクレームをつけていた。「あかん」が「ダメ」って意味だと伝わったかどーかはそれとして、剣幕もあって反意だと感じたよーだけど、だからといってはいそうですかと言って剥がせる訳でもなく、先に貼ったとかいろいろ意見を出してグランパス側のクレームを退けていた。

 実際のところどーゆー仕組みになっているのか知らないけれど、流儀で言うならグランパスの席にきわめて近い部分へと来てはレイソルの垂れ幕を貼るサポーターの蛮勇には感嘆で、これがトルコのよーに熱狂的な応援団の山といるところだったら何か起こっていたかもしれないけれど、逆に日本のよーにクレームはつけても実力行使へと進む程には理性が壊れていないお国柄なんで、起こり得る事態なのかもしれない。かといって「ここに貼ってくレイソルサポの気がしれん(名古屋弁で気がしれないの意)」って言葉には賛同するけど。

 ただまあ、一方ではここは柏レイソルのホームスタジアムであってすべてがレイソルのフィールドであって実際、アウェイといってもそのスタンドには黄色いレプリカが赤とどっこいか多いくらいにいたことを考えると、バスじゃなくサポーターでもなく垂れ幕を囲まれるくらいのことは一種の挑戦と受け流し、応援で巻き返し試合で圧倒すれば勝ち、って考えることも出来るのかも。さてその試合の方はといえば、前半はスターティングメンバーとして久々に登場したグランパスエイトの11番、藤本主税選手のプレーに今ひとつ冴えがなく、球離れの悪い中を囲まれ奪われたボールが前へと運ばれシュートへとつなげられる展開で、先取点を奪われ嫌なムードが漂い始める。

   藤本選手の至らなさに気付いたのかネルシーニョ監督、後半はホント久々のJ1登場になる石塚啓次選手が真っ黒になって精悍さを増した顔つきで登場。走り込むとかあんまりせずに中盤で指示を出したり受けたボールをさばくプレーに徹していたけどそれがボールを溜めて散らすことに繋がったのか、前半では間延びしたまま分断されていた後方と前方が繋がり出し、サイドのオーバーラップも何度も飛び出ていい形を作り始める。海本弟選手のクロスが長かったりして得点機は生み出せなかったけど、組織がまずいときでも個人技で抜けられるのがグランパス。ゴールに向かって左側から蹴ったウェズレイ選手のフリーキックが直接決まってまず1点。さらにゴール前へと浮いたボールを古賀正紘選手がちょこんとヘッドで合わせて2点目を取り後半早々に2点目をゲットしていたレイソルに追いつき引き分けへと持ち込むことに成功する。ホントは勝ちたかったんだけど、アウェイだししゃーないってことで。

 走らず当たらない石塚選手に不満を抱く人とかいそーだけど後半も終わりごろになってサイドからあれはマルケス選手だったっけ、蹴り入れたボールにどこからか走り込んでいた石塚選手がニアで合わせよーとしてキーパーと競り合い取られた場面とか、決定的な瞬間を見つける目とそこに向かうスピードはまだまだあるみたいで、タイミングとか合ってくれば活躍も期待出来そー。足下でのボールさばかいは巧みでキレてくればかわしてパス、って感じのプレーも生まれそー。戻ってくる岡山選手とトップ下あたりでポジションの取り合いになりそーだけど、一気呵成に攻めても点をとりあぐねる場合なんかで投入されれば面白いかも。しかしますます出番がなくなる藤本選手。ベルデニックに引かれて仙台行きか? でもすでにモッチー望月選手がいるしなあ。


【10月3日】 『「いやもう最高、だって日本で1番の才能だって認められたってことでしょ、あの世界的な名監督の映画に参加するんだから、これをきっかけにしてアメリカあたりからバンバンと仕事が回ってきて、それも日本なんてケタが3つくらい違うくらいのバジェットで時間もたっぷりあって、やりたいことが何だって出来ちゃう。でもって1本やれば田園調布に家が建つ、みたいなギャラももらえるんだから笑っちゃうよね、もう日本でなんて仕事できないよ、これからは日本のアニメーターもどんどんハリウッドに出ていかなきゃね、ってか放っておいたってオファーは来るよ」(談)』。

 なんて華々しくも勇ましい発言で紙面を埋め尽くしては日本が世界に誇るコンテンツ、アニメーションの持つポテンシャルの高さと関わるクリエーターの意気の高さを喧伝しよーと予定稿を頭の中で組み立てて、例のクエンティン・タランティーノ監督の最新作にして本当に公開されるんだろーかと未だ半信半疑な「キル・ビル」で、何故か差し込まれているアニメーションのパートを担当した中澤一登さんに話を聞きに行ったんだけど、帰ってきたのは「こんなに大きな作品になるとは思いませんでした」といった控えめにして驚きのこもったコメントで、タランティーノに挑戦すると日本のアニメーターの代表として世界に実力を見せるとか、そんないかにもなスタンスもまるでなく肩すかしを食らう。

 何でも受けたのは話を持ってきてくれたプロデューサーの人への興味と、それから信頼のおけるスタッフの確保ができたこと、ローバジェットで単館公開なら気負わずやりたいことができるってゆー安心感からで、それでしこしこ作っていたら知らないうちに大きな話になってしまったんで戸惑ってるってのが現在の心境。大きく吹かないし背伸びして見せようって気負いもなく、淡々としているのはある意味人柄なんだろーし、また世界征服とかいった大きなことより目の前にある興味深い仕事への傾注に、クリエーターって人は気を向けているんってことなのかもしれない。それとも中澤さんが独特なのかな。でも宮崎駿さんだってアメリカ人に見せるためになんか作ってないって言うし。やっぱり職人ならではの気質なんだろー。

 「月刊アニメージュ」の2003年10月号で小黒祐一郎さんが中澤さんに長いインタビューをしていたその中で、「キル・ビル」のアニメパートについて「どんなの?」って感じのことを聞いて中澤さんは「汚い絵」って答えていて、けれども「明日のナージャ」にしても「課長王子」にしても「エルハザード」にしても、それなりに整ったキャラクターに背景を出してきている人が言う「汚い絵」がどれほどのものか興味があったけど、チラリと見せられた絵はなるほど実に汚くって、日本が世界に誇る萌えキャラでもなければ「攻殻」的なクールさとも違う、独特な絵を作ってきていておまけに動きもアニメーションの面白さは絵が動くことだ、って基本的に根元的なことに忠実な面白さ炸裂の動きになっていて、観ればその凄さに「萌え」とか「クール」を期待したアニメのファンは肩をすかされ、けれどもその才に驚かされることだろー。言葉で語らなくたって作品が語るその凄み。これこそが職人のクールさなんだろーなー、格好良いなー、でも記事にはまとめづらいよなー、どーしよー、他の人はどんな感じに書くんだろー。

牧草地なら保護色だったのに石畳の上なんで見つかってしまった間抜け牛  思い起こせば残暑もまだ厳しい季節、冬のボーナスにも不安を抱きながらそれでもまさか削られるなんてことはないよね、なんて淡い期待も持っていた時期に丸の内界隈でスタートした「カウ・パレード」も5日をもって終了の模様で、大手町から有楽町へと広がる地域に50だの50だのとバラ蒔かれた牛のおよそ半数はゲットできたものの、残る牛を未だ完全には捉え切れていない所に少々の心残りを抱いているけれど、最初のうちこそ人だかりが出来ていた「サンケイビル」前の芝生牛なんかも含めて街角にいる牛に今ではそれほど多くの人は関心を向けておらず、1カ月近い間に風景としてとけ込んでしまったなあ、なんて印象を受ける。それはある意味人間の慣れへの継承でもあるけれど、一方でアートが対立ではなく融和でもって人に働きかけ得る可能性を示唆するもので、期間中に丸の内界隈の人が感じた牛への思いの変遷を聞き、またひとまず終わるパレードの後、撤去された牛の空間に人が何を思うのかを調べることで、パブリックアートの効能なんかを導き出せそーな気がする、けれど面倒だから僕はやらない。どっかの美術誌とかやらないかな。あるいは中心になった「丸ビル」とか。

 川上稔さんの「終わらない」……じゃないけどでもしばらくは終わらなさそーな「終わりのクロニクル2<上>」(電撃文庫、670円)なんて「2」であまつさえ「上」までついてなおかつ分厚い文庫をつらつら。きりきりと変わる視点に読みあぐねてちょっぴりズルして終わりのほうの、佐山・御行と新庄・運が今ふたたびのまさぐりありをするシーンを先に読んで前は握った手の感触の硬くて長かったものが、今回はなぜか平べったくて暖かかったりする状況に、一体どーなってるんだろーって興味をほんのちょっとだけ思い浮かべつつ、大半を佐山のヤローの実に激しく羨ましいその様に、嫉妬の念を燃やしくる。どんな感触だったんだろー。柔らかいものなのか。湿っているのか。生えていたのか。こすると鳴くのか。佐山に代わって確かめたいよー。ともあれ新たな「G」との対話の行く末なんかを気にしつつ、続々と出てくる麗しいキャラクターの活躍ぶりと、尻の丸みが実に官能をそそるさとやすさんのイラストに、注視しつつ次巻の登場を待とう、って来月じゃん、書くの早いなあ、川上さん、これが売れる秘訣かなあ。

 そんな来月のラインアップをはや観ると、荻野目悠樹さんの航空版エコエコアザラクと勝手に読んでる「撃墜魔女ヒミカ」の続編が出てくる模様。あと三雲岳斗さんも「リベリオン」とは違うっぽい「i.d1 神使いたちの長い放課後」ってのを出す模様でイラストとかも含めてどうなるのかちょっと楽しみ。あと前作で男の子にとってはとっても嬉しい経験があった、っておぼろに記憶してる神野オキナさんの「シックス・ボルト」も2巻目が登場。絵とかの見かけをはるかに凌駕するシリアスにしてハードな世界でどんな殺伐とした事態が繰り広げられるのか、そんな中で少年たち少女たちはどう生を掴んでいくのか、ってあたりに注目しつつ登場を待ちたい。けどその前に10月分を読み終えないと。それより9月分だって残ってる……電撃頑張り過ぎ。でも凄い。見習おう。どっか(どこ?)。


【10月2日】 異端も老いれば権威に化ける、ってかそれは別に異端の側に責任があるんじゃなく、異端に惹かれ集った人たちが向かう情熱とそれに反比例して向けられる好奇に殻を作り、壁を立てては閉じこもった果てに、異端を崇め奉る教団と化していっただけのことであって、これはまあ異端に限らずオタクな世界でも割にひんぱんに生まれる状況ではあるけれど、その責任はむしろ異端のあらゆる既成概念を嘲弄し、打破しては新たな価値観を示していく精神をどこかに置き忘れ、すがる相手を権威化しては自らも権威となっていきたい周囲にある。かくして権威化した自分がまんま本来の異端だと信じて疑わない人によって、異端の権威を貫く可能性の矢は折られ刃はさび付かせられ、挙げ句神棚へと祭り上げられ、果てにいずれ忘れ去られてしまうのだ。

 なんてことを考えたのは平凡社から刊行された澁澤龍彦さんの翻訳したマルキ・ド・サドの「ジェローム神父」(平凡社、1800円)に挟み込まれていた高丘卓さんの編集後記「高丘親分出帆顛末記」を読んだからで、何でも表紙に「巨大フジ隊員」とか「女子高生切腹」とかいった美少女を陵辱したり虐待しているよーに見える絵で世間を騒がせ続ける会田誠さんを表紙とイラストに起用しようとしたところ、「強烈な妨害を受けた。『こんな下品な気持ち悪い絵を崇高な澁澤作品に用いるのはけしからん』というのである」って感じで抗議をそれも編集者を超え編集局次長に澁澤龍彦夫人に龍子さんへと直接した「年増」がいたそーで、あまつさえ「『私は京都のパトロンを手を切って東京に戻る。ついてはスタッフを入れかえ、この企画を自分にまかせないか』と胡乱な誘いを編集局長にもちかけ」たらしー。

 ただの熱狂的なファンなのかそれとも、編集局次長に龍子さんと面識のあるそれなりに有名な人なのかは分からないけど、少女をひどい目に合わせる(それこそ今のエロ小説がおとなしく思えるくらいに)サド侯爵の「ジェローム神父」が会田誠さんの絵に比べて上品か下品かなんて比べられるものじゃなく、むしろ高丘さんが美術史家の山下裕二さんに送った手紙の文面のよーに「『ジェローム神父』のために描き下ろした作品のように思われるほど、ジャスト・フィットした挿画」になっているとさえ思える。山下さんはこれには異論があるよーで、月報につらつらと書いていてそれもまた納得の内容だけど、それでも「逆に、澁澤テイストを奉じる人たちが、会田の、このあまりに馬鹿馬鹿しい『戯れ絵』を知って、似非シュルレアリスムの薄っぺらさから脱却してくれるきっかけになれば」と、会田・澁澤・サドの組み合わせが放つ逆洗脳的効果に強い期待を寄せている。

 会田さんの絵にそこはかとない興味と官能と感銘を抱いていた身でありまた、澁澤さんの全集を翻訳も含めて買った実としては、この戦闘的ともいえる出版の試みには大賛成。「いかにも、という感じの『シュルレアリスムもどき』の挿画が施されていた方が、澁澤フリークは納得したかもしれない」なんて山下さんは書いているけど、僕としてはむしろ逆で今さら例えば金子國義さんの絵なり四谷シモンさんの絵なりが付けられても、きっと買わなかったんじゃなかろーか。まあ20年以上が経っても”椎名誠=沢野ひとし”的カップリングは不滅なよーに、慣れ親しんだ組み合わせはあるんだけど。

 ともあれ没後20余年が経って祭り上げられかけてた澁澤さんを、神棚から引きずり出しては新たな読者に見てもらい読んでもらい異端の神でも王でもなく、異端の吟遊詩人としてそこから数多ある異端へと、たどり行けるよーな立場へと、戻すきっかけになれば面白いし、会田さんを下品と抗議して来た「年増」とやらがそんな風潮を地団駄踏んで悔しがる様を想像するのも愉快痛快。ちなみに次巻は澁澤さんの「菊燈台」に山口晃さんが挿画を付けるそーでこれも期待。権威と祭り上げられた澁澤さんと結託してミズマアートギャラリー取り扱いの現代アーティストが権威化する、なんて心配は彼らの常にアグレッシブでアバンギャルド(使ってて意味不明な横文字)な活動を見れば問題ないっしょ、問題はだから見る側の意識なだけであって。

 あううう。と悩みまくっているこの週末、某「SFマガジン」で見限った、なんて言ってしまったけれど最近になって再び強さを発揮し始めた名古屋グランパスエイトの活躍ぶりを、東京地区ではこれが最後になるってんで柏まで見に行き致と思う一方で、面白さ炸裂のサッカーを繰り広げては強さも合わせて発揮しているジェフユナイテッド市原も、今度の試合で横浜F・マリノスに勝てば首位を固められるって状況だけに、その瞬間をこの目で見てみたいって気持ちもある上に、可愛い犬の写真も鮮やかに「横国へ行こう」なんてキャンペーンをされてしまうと、その想いにほだされ黄色いシャツに身を固め、言ってブルーな奴らを圧倒したいって気持ちにも駆られてしまう。

 先週にチラリとその姿を見せた石塚啓次選手の復活なんて話題性もあって柏に気持ちは7割方傾いているんだけど、買った「Jリーグチップス」から阿部勇樹選手のカードが出ると妙な因縁も感じてしまってその活躍を生で見たくもなる。まあまだ2日も間があるんでその間の体力とか考慮しつつ、近い柏で名古屋を見ることを第1候補に挙げつつ気持ちに余裕があったら遠く横浜へと遠征しては、巨大なオシム監督が怒りにペットボトルを叩き付ける様を目の当たりにしに行くことにしよー。気を回して行くと引き分けた感激を縫ってグランパスエイトが首位、なんて可能性が高いんだよなー。やっぱり柏にしておくかなー。

 「ぴぴるぴるぴるぴぴるぴー」って聞けばすぐさま、脳天を砕いて脳漿をまき散らしては桜くんを瀕死の間際へと叩き込む「エスカリボルグ」のうなり声が思い浮かぶくらいに日本の国民へとその存在感を強烈に植え付けたおかまさゆきさんの「撲殺天使ドクロちゃん」(電撃文庫、510円)に誰もが想像していなかった2巻が登場、相変わらずの迫力いっぱいのスイングを披露してくれていて、思わず頭を抑えたくなる。砕かれても復活できるんだけど今回は前みたくあっさり復活とは限らなかったりするケースもあって、桜くんもいつまでも腐れ縁的な関係を続けて良いのか考える時期に来ているんじゃなかろーか。それより可愛そーなのは裏表紙で段ボールハウスにひとり閉じこもって雨露をしのぐサバトちゃん。虚ろな目といー本編で示す空っぽの胃袋といー、誰か早く救ってあげないと桜くんより先に逝っちゃうかも。頑張れサバトちゃん。負けるなサバトちゃん。

 挟み込みのチラシで「電撃文庫ビジュアルノベル」なんてのがスタートすることを知る。まるで電撃の小説を題材にしたパソゲーでもシリーズ化されるんじゃないか、なんて思ってしまう名称だけど実際は絵本的な感覚で読める小説シリーズ、ってことで想像するにイラストの方にウェートを傾け文章は少しで、そこに小説やイラストにマッチした音楽を収録したCDを付ける、っていったパッケージングになるみたい。第1段は今の電撃をリードしてるって感じもある時雨沢恵一さんの本文とそして黒星紅白さんのイラストが鏤められた「キノの旅」。これに「パッヘルベルのカノン」とかアニメのエンディングとかが入ったCDが付いて読んでかければテレビとも小説とも違った「キノの旅」を楽しめるって寸法か。

 続く第2弾が阿智太郎さんってことで、やっぱり「ドッコイダー」か、って思いたくなるけど実際は阿智さんには珍しくも興味深いハートウォーミングな物語「僕は角のない鬼」でイラストは土筆章人さん。さらに第3弾は橋本紡さんと高野音彦さんでやっぱり「リバーズエンド」か、って思うと違って「君と僕の歌」ってラブストーリーになる模様。新刊「半分の月がのぼる空」(電撃文庫)で可笑しさの中に切なさが炸裂したボーイ・ミーツ・ガールの物語(SFでもファンタジーでもミステリーでもないけど面白いんだ、これが)を披露してくれていたりと、着々とその才能を迸らせつつある人だけにこれもまた期待大。きっと無茶苦茶切ないぞー。


【10月1日】 その会社を野球のチームに例えるとメジャーリーグ参加の3Aで中堅で堅実なプレーが……って書いても状況はまるで変わらず反響もまるで乏しいんで止めて、他人様の人生なんぞを伺いながら未来のことなどあれこれ。同じ情報をリレーションするって言ってもバックにマスなメディアを持って大勢の人たちに報道する人と、そうしたマスなメディアを持った人たちを媒介にして情報を伝えたいと願う人とでは立場は大違いで、日々に入れ替わり立ち替わりやって来るPR代理店の人たちを、企業の広報の下請けみたいな気持ちで見下し相手する記者なんてのまだ序の口。中には企業が正規に契約を結んで業務を委託しているPR代理店でも、企業の広報ではないからと相手にせず、記者クラブに広報資料を持って来ても追い返す何様ってな人もいる、って聞いたことがあある。

 そんな相手でも背景にメディアがあると思うと、でもってその人を通さないと絶対に記事にはならないと思うと追い返されても何をされても日参してはお願いしなければいけないのがPR代理店の人たちってことになる。つまりは正反対にして上下に激しく離れた立場だったりする訳で、そんな状況を鑑みるにメディアの側からPRの側へと移ろうなんて考える人がいるとはなかなか思えない。ましてやプラウダ衰退し現在において世界でもっとも発行されている新聞の栄えある科学部記者って立場を捨てて、PRの分野へと身を投じる人がいる、って話を届いたリリースで知るに至ってまずはその勇気を讃えたくなる。

 日本メディアストラテジーってその会社、作ったのは読売新聞社で科学部とかマルチメディアとかってのを担当していたらしー人でもしかするとマルチメディアの取材の現場ですれ違ったかもしれないんだけど、そんな人が何を思ってか2年前に退社してはPR会社のウェーバー・シャンドウィック・ワールドワイドへと転じて主にパブリックアフェアーズ、つまりは公共的な事柄に関するPRを行う業務を行っていたとか。そこでいろいろノウハウを得た後、独立して作ったのが日本メディアストラテジーで、ほかに出版社とかテレビ局でジャーナリスト経験を持ったコンサルティングの人たちと共に、やっぱり主にパブリックアフェアーズ分野についてPR業務を受託していくらしー。

 日本で初のパブリックアフェアーズ専門PR会社ってゆーから何をやるのか想像も出来ないんだけど、ジャーナリストとしていろいろなPR会社の人たちを相手にPRのサービスを受けていた経験と、何よりメディアが何を求めているのかってゆーことを身をもって体験して来た知識から、クライアントに対してPRのプランをプレゼンテーションしては受託するまでは、できたての会社であっても十二分に行えそー。問題は180度変わった立場として頭の高い、代理店を下請けくらいにしか思っていないメディアを相手にどこまで気持ちを耐えて業務を遂行していけるか、って辺りでジャーナリストとしての経験が、こっちでは逆に働く可能性はないのか、って興味が浮かぶ。

 もっとも社長の人が現役の記者時代からPR代理店であっても情報の大切な担い手と意識し相手するタイプだったってことも考えられ、むしろ周囲の同僚がPR代理店を鼻であしらう様を見つつ、リリースでも触れてあるよーに海外ではPR代理店が立派に情報の担い手として高い地位を強い責任を持って活動しているのと同じ状況に、日本を持って行こうと意欲に燃えてPR業界に身を投じたって可能性もなくはない。だとしたらその意気や良し、ってことでここに会社の立ち上げを紹介しつつ、その活動の行方を見守って行くことにする。決して転職先に考えてる訳じゃないぞ。

 ちなみにいきなりPRでは食えないってことなのか、マスコミ経験者ならではの知識はこっちにも活かせるってことなのか、マスコミ就職塾なんてのも始める模様。他にどんなメンバーがいるのか分からないけれど、マスコミ就職のために藁でもすがりたいって人からそれなりな関心を集めそー。出版社の筆記なら結構通った僕の知識はここでも活かせそー、ってマジで移る気? とんでもございません、もとよりお呼びじゃございません。ここでも3Aは辛い。

 「タイタニック」のDVDビデオが980円ならあなたは買いますか、って会社で聞いて1人は「『タイタニック』って嫌い」と答え1人は「レンタルで借りるから980円なんて出したくない」と言い1人は「もう見たし」って答えて実に100%が「買わない」って答えて、いったいどこで調査したら7割くらいが「是非欲しい」とか「欲しい」と答えたんだろーと20世紀フォックスホームエンターテイメントジャパンがDVDビデオ市場拡大に向けた戦略発表会で披露した、タイタニックのDVDビデオを980円に初回限定ながら値下げして発売するって話の背景として持ち出した、データへの懐疑を抱いたけれど何しろ文化芸術の類とはかけ離れた属性のメディアに働く人たちなんで、「タイタニック」が500円でもDVDビデオは買わないって答えても、仕方がないことなんだろー。僕はどうかって? 「買わない」かな、見る暇がなくって、アニメ見るのに忙しいんで。

 発表の場でいきなり出てきた「980円」って数字にまず抱いたのは「フォックス必死だな」ってことで、1500円のプライスで市場を驚かせているワーナーホームビデオに対抗するには、看板タイトルをこの値段で出すしかなかったのかな、って思ったけれど実際のところ「タイタニック」なら2000円で売っても売れるし1500円ならなお割安感を覚えてもらえるにも関わらず、一気に980円まで下げて来たところに必死は必死でも、自分だけが生き残ろうってんじゃなく、大勢の人に注目してもらって英仏独はもとよりイタリアにまで負けてしまっている日本のDVDビデオのセル市場を、盛り上げようってゆー滅私の必死さが見てとれる。

 発表に当たったマーケティングの人が涙ぐんでいたのは事前に流れた映画の場面に感動したのかVHSカセットでてんやわんやした苦労を思い出したのか、ここまで守ってきたドル箱タイトルが980円なんて投げ売りされることへの抵抗感から泣けたのか、分からないけどこれを契機に市場が急拡大する可能性に期待した歓喜の涙だったのだとしたら、それが現実となる日に向けて980円の意味をネガティブじゃなくポジティブにとらえ、広く喧伝していこー。だから次は「スターウォーズ」のトリロジーを1500円で出してくれ。

去年と同じ前振りでも進むと違う内容になるのは流石御大、作品もちゃんと読んでて新時代の林芙美子と持ち上げる。樋口一葉でも宮本百合子でも瀬戸内晴美でもないのは何故?  出た、って話は聞いてないけど出る、って話が前にあったんでもしかしたら、って思って行った角川春樹事務所の7周年記念&小松左京賞発表パーティーに、角川春樹さんはやっぱり来ておらずつまりは出ていなかったってことで、残念に思ったけれどいずれ遠からず出てくるだろーって話を最後に森村誠一さんがしていたんで、その時に起こるだろーさまざまなにぎやかな出来事に思いを馳せつつ、今日のところは小松左京賞へと意識を向けて、どんな人が受賞したのかと舞台を見守る。

 響堂新さんなんて現役バリバリの作家さんも入っていた最終候補作から栄えある小松左京賞に選ばれたのは、上田早夕里さんて1964年生まれの女性。火星を舞台に新人類の誕生計画だか何かが描かれている内容に対して小松さんの激賞ぶりは素晴らしく、出る前からその内容に強い関心を抱かされる。作者の人は過去に出版の経験はないけれど、堀晃さんの主宰している同人誌の「ソリトン」に書いていたことがあるそーで、それより前には筒井康隆さんとか審査員を勤めていた「パスカル短編文学賞」の最終候補にまで残って公開審査の舌鋒にさらされた経験もあるとかで、地道に鍛えられた文章に筒井の奇想に堀の構想、そして小松の着想が取り込まれた、かつてない作品になっているんだと思いたい。発売は11月ごろ? 前作からポップになった表紙が今回、どーなるのかも含めて発売が待ち遠しい。

 パーティーにはいろいろな人が来ていたけれど喧噪以来、久々に羽田の人を見かけて相変わらずのエネルギッシュな感じにタダモノでなさを覚える。若いしきっとまた何かやらかしてくれるだろーとこちらにも期待。噂の堺三保さんは本当に堺さんだと遠目に見分けられなかったくらいのスリムさで仰天、ってかこれまで髪の色でも識別していたんで黒い頭が見慣れなず痩せた顔を何度か見直しよーやくにして認識できた。平谷美樹さんは相変わらずの執筆ペースで続刊続々、山之口洋さんも刊行間近で期待大。高瀬彼方さんもいよいよか。北方謙三さんもおられたけれど近寄れる身分じゃないから遠くでその北方さんっぷりを見届ける。葉巻かやっぱりハードボイルドは。


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