縮刷版2002年9月上旬号


【9月10日】 なるほど才人とは人の予想の上とか裏とかを行ってるよーで、先の村上隆さん仕掛ける「GEISAI−2」に登場していたまるで「モーニング娘。」なミニスカートで唄い踊る「東京モダンアート娘。」を当方、語呂を合わせた一種のパフォーマンスで背後に仕掛人がいて、存在自体がまるでパフォーマンスとしか思えない「モーニング娘。」をさらにひっくり返してその現象を笑ってしまおうって意図で結成されたものかと思ったけど、実はメンバーの10人が10人ともアーティストだったらしー。

 例えば絵描きだったりパフォーマーだったり空間デザイナーだったりカメラマンだったりファッションデザイナーだったりメイクアップアーティストだったりといったホンマモン揃いで、その割には見かけがちょっと良すぎたぞ、ってのはつまりアーティストは見かけに若干の特殊な傾向があるって思いこみによるものだけど、それはさておき才色兼備な面々がまるでアイドルな扮装でオバカをしてみせるってゆー、2重3重の”笑い”があの「東京モダンアート娘。」には込められていたみたい。”笑い”って言っていいのかな、状況へのアンチテーゼ? そんなニュアンスも含めた”笑い”だろー、やっぱ。

 誰が演じてるってことじゃなく、誰でも無関係に引っ張ってきては「加瀬大周Z」とかってつければそれでオッケーだった往時の村上隆さんの一種のパフォーマンスが先例としてある以上は、それをそのまま「モーニング娘。」に当てはめたって仕方がないと考えるのが当然。むしろ才色兼備な面々がまずありき、でもってそんな面々の才の部分を包み隠して(知ってる人は知ってるかもしれないけれど知らない人には伝わらないからね)アイドルやらせて見ている人を喜ばせつつ、トータルとしては才な部分もユーザーさんたちに感じさせることで「なんでまたそんな」ってな空気をにじみ出させて、驚きや笑いや呆れを誘うアプローチだったってことに「東京モダンアート娘。」はなるのかな。

 だったら例えばあくまでプロジェクトとしての「東京モダンアート娘。」ってことでメンバーは全員そこいらから集めてきたパンピーと見せかけ、どこか披露する場でいきなり絵なんか描かせて巧いところを見せつけたら、その瞬間の驚きは何倍も上がったかもしれないけれど、何度も通じる手じゃないからそーゆーことじゃなく、じわりじわりとその存在のおかしさが伝わっていく方がよりアートでパンクでロックな感じで面白いのかも。聞くとこれからもあちらこちらに出張るみたいであの場だけでの打ち上げ花火には終わらない模様。見かけたらやっぱり「なんでまたそんな」とほくそ笑んでやるのがモアベターな対応、なんだろーな。

 サイド6でテム・レイに再会したアムロ・レイのきもちパート2。ちなみにパート1はタイトーとコンパイルが組んで出した”画期的”落ち物ゲームの「ポチっとニャー」を見た時ね。インターネットが出てきた時、ってゆーよりさらに昔のネットってテクノロジーが登場して、誰もが集まりいろいろ情報を交換する一種の”街”だとそれが思われ始めた時代から、本当にそれをバーチャルな街に見立てちゃえって発想はずーっとあって、想像力のたくましいSF関係の人なんかは、そんな架空のネット上の街を実際に見てきたかのよーに、小説にして描き現した。サイバーパンクとか柾吾郎さんとかそこいらへん。

 遅れて90年代も前半から半ば。インターネットが登場して文字だけでなく画像も自在にやりとりできるよーになると、ネットを”街”としてとらえたくなる気分がさらに増して、じっさいにネット上に”街”を作っちゃおうって動きが企業とかで活発化して来た。加えて3DCGの技術の発達なんかもあって、自在にウォークスルーできる街をネット上に作って中にショッピングモールとかを入れようって発想がそこかしこからわらわらと登場。中でも稀代のハイパー・メディア・クリエーター、高城剛さんが手がけた「フランキーオンライン」は着想の早さにデザインコンセプトの良質さなんかもあって、将来に結構な期待を持たせた。思い出すなあ、あの勝新太郎がやって来た「フランキー」のパーティー。

 けど現実には、そーした”街”をメタファーにしたショッピングモールにコミュニティが決して長い訳じゃないけどそれでも7年、8年は経つウェブの歴史の上で成功したって話は終ぞ聞かず、「タカシロマン」はいったい今どこで何をしているのかって消息願いが新聞の3行広告に出ていたって噂を聞いたことがあるし、最近でも「ドットシティ」とか華々しくも立ち上がった割にはその後の華々しい話は耳に聞こえて来ない。にも関わらず、今日またそーした”街”メタファーのインターネットモールがネット上に華々しくも登場しては、並み居る企業がサポートを表明するとあって、いったいどれほど凄い技術が使われているんだろー、もしかして過去の失敗を覆ってあまりある魅力を備えたモールなんだろーか、なんて興味も津々に「どりこむ島」ってサイトの発表会を見に行った。ああ行ったさ。

 ずらり居並ぶ経営陣の会長は国際証券元常務、専務も国際証券の元支店長で調べるとどーやら滋賀県から衆院だか参院の選挙にも出たことがある情報関連機器会社の社長さん、あと懐かしくも「FM−7」とかファミコン向けにゲームを作っていたクリエーターとそしてデザイナーとして活動していた社長の人も加わる経営陣の、どー見ても最先端のIT業界にいるよーな雰囲気のない地味さにちょっと意外な感じを受ける。でもって説明された島に街を作ってそこにテナント企業を誘致しつつ住民も増やしてコミュニティーやらショッピングやらを作り上げようってビジネスモデルに、過去営々と積み重ねられて来た3DCGによるショッピングモール以上の凄さがよく見えない。目が曇っている可能性もあるけれど、それにしても海千山千のベンチャーキャピタルとか、企業とかがどーしてこーも積極的に支援を表明しているのかが分からない。テム・レイを見るアムロ・レイってのはつまりそーゆー空気のことを指している。

 それでも例えば出展している企業の名前を並べると、新生銀行があり商船三井がありダイハツがありトステムがりと大手な企業がズラリ。どーゆー脈絡からなのかへーベルハウスにミサワホームに大和ハウスにパナホーム、セキスイハイムにエスバイエルと住宅関連メーカーがぞろりと支援をしているのにさらに驚く。ネット上に家を建てる時にこーゆー企業の家を使うことになるみたいだけど、ネット上でいくら家を建てたって住宅メーカーには1銭も入らないのは自明の理。そこで宣伝してモデルハウスで感じをつかんでもらうことで、実際の売上げにつなげよーって腹があるのかもしれないけれど、せめてネットでは豪華な一軒家でも実生活は3DKのマンションがやっとってな人が多そーな情勢で、うまく商売に結びつくとはあんまり考えられない。

 まあそーいった発想自体があるいはすでに前世紀で、今どきなネットユーザーは家だって船を使ったクルーズだってネットで試して購入するのかもしれない。そもそもがこれほどまでのすさまじくもビッグバリューな企業がずらりと雁首ならべて支援を表明する以上、会社なりビジネスモデルなり会長なり社長なり専務なりクリエーターなりに何らかの魅力あるいは可能性があるのかもしれない。単なる若輩ネットユーザーでは見抜けないそんな「どりこむ島」の魅力を、世界のネットエキスパートたちはどう見てどう感じ、どう将来を予測するのか、ちょっと聞いてみたい気がしてる。2年後にどうなっているかって? 晴れの門出にそんな無粋なことを言ってはいけません。

 「ロフトプラスワン」に1カ月ぶり。もはや定例の人気メニューとなった感もある「アニメスタイル」のイベントで間もなく「千年女優」が公開される今敏監督と作品に関わった作画監督や美術の人とかを招いたトークショーが開催されたんで見物する。最前列のステージに向かって1番左とゆー定位置で小黒「アニメ様」祐一郎さんほかメンバーの方々を見上げる格好でなかなかに贅沢。赤字に白いブロックがクロアチアのユニフォームみたく散りばめられたTシャツに7分たけのパンツからちょっとすねを見せて赤いソックスにスニーカーとゆー、配色もセレクトもバッチリな小黒さんのスタイルにいつもとは違うイベントへの意気込みを、これは感じとって良かったのかな。

 話の方はもう密度ありまくりで老いた頭には覚えられなかったんだけど、映画の中で使われていたセリフに幾つか高峰秀子さんとかの映画から抜き出したものや映画女優へのインタビューから引っ張ったエピソードかもあって、見る人が見たらある種の日本映画、あるいは女優へのオマージュが随分と捧げられた作品だと思うかも。それプラス、ひとりの女性を想って一途な男性のケナゲな姿を描き続けていた日本映画界へのオマージュも込められていて、これを今の配給会社じゃなくって例えば松竹だったり、東映だったり東宝といった邦画系に持ち込んだとしたら、そちらはそちらで日本映画の”味”に気づいて「これこそが自分たちが配給すべき作品」と思ったんじゃないか、って話も披露されてなるほどそーゆー見方もあるのかと感心する。

 海外が認めてドリームワークスでの世界配給も決まったってのもあるいは、そーした日本映画らしー日本映画だとゆーことで海外が関心を持ったから、なんて可能性も示唆されていたけれど、マッドハウスの偉い人にはそれとは別に米国のとくに若いアニメーションのクリエーターなり映画の関係者なりに、日本のアニメを中身まで理解した上で圧倒的に支持する人たちが増えて来て、頭の固い上の世代もそーした声を認める必要がある、ので詳細な中身はともかく「千年女優」はとりあえず押さえておくか、ってな意図もあったんじゃないかってな見方もしていて、なかなかに複雑な思いにかられる。

 けどまあ、それでも広まっていくのは悪いことではないので、あとはそれがちゃんとしたマネーへと結びつき、そのマネーが固い上の世代の勘違いやら圧力やらを抜きにして、ストレートに日本へと環流しては日本らしー、けれども世界市場でも通用する最高の作品となって結実してくれれば嬉しいんだけど。「文藝春秋」最新号の鈴木敏夫さんの手記とか読むと、「千と千尋」は音楽は変えずエンディングすら同じまま、ただセリフを英語に直して上映するってことをディズニーに認めさせたそーなんで、徐々にだけど、ほんとに徐々にだけど状況は変わって来ているんだろー。

 戻って絵から見る今敏監督作品って切り口になって、作画陣も交えたトークのこれがまた盛り上がること。今敏監督と本田”師匠”雄さんとが出会った「ガイナックス」は「蒼きウル」の現場での、今さんが描いた単行本を背中合わせで仕事していた本田さんが机の上に置いて「ぼくファンなんです」電波を送っていたら、それを見た今さんは嫌味だと感じたらしくそこから会話が生まれ、仕事の関係も生まれて今に至っているってな話なんてまだ大人しい方で、仕事をしたスタジオの仕事ぶりに至極真っ当な理由でキレた話とか、業界の人だったら面白くってたまらない話が繰り広げられていたに違いない。

 仕事の方法とかってのもアニメを作ろうって考えている人には大いに参考になったかも。それまでのアニメの制作現場ではどちらかといえば後回し的な位置にあった「レイアウト」って作業を高いクオリティーが必要とされる仕事だと認めさせる、その中心的な存在が「彼女のおもいで」から「機動警察パトレイバー」の劇場版第2作とか「パーフェクトブルー」へと作品を進むなかで圧倒的な「レイアウト」のセンスを見せつけた今敏監督だったってな超有名作画陣の言葉に、照れ笑いしていた今敏監督の顔が嬉しそーだったのに、なんて正直な人なんだろーと、今までファンだったけど余計にファンになる。最高の原画が上がって来た時に誉めるって話を聞いた時も、作品づくりに必要な現場の空気の活性化に、必要なことを知っている人なんだと嬉しくなる。

 レイアウトがアニメにとってどれだけ重要なのか、過去に手がけた作品ではそれが実際どーゆー効果で現れているのか、ってな話には及ばなかったのがちょい心残りではあるけれど、変わり超有名作画陣の作品づくりへのスタンスと、今敏監督に対する評価なんかも聞かれたんで、2部が終わった時点で帰ってしまったけどゲップが出るくらいに満足できるイベントだった。3部まで聞いたらきっと嬉しさいノドかきむしって死んでただろーな。今回は司会のパルコ木下さんも話を混ぜ返したりするいつもの感じが鳴りをひそめて、本格的に聞き役に回っていたのが結果として中身を濃くて深いものにしたのかも。


【9月9日】 人として大人として社会人として果たして、これを電車で大きく広げて読んでいてい良いのだろーかと悩みつつも読む「Megamiマガジン」第29号。金網だかを飛び越すスカート姿の少女の当然ながら見えてしまう白をズームアップする機能がついたゲームの紹介記事もさりながら、いったい何時ごろぶりになるんだろーアニメ雑誌の表紙として、我らがミルフィーユ・桜葉にミント・ブラマンシュのピースサインならぬ3本指サインが輝いている様を見れば、人なら当然として大人でも中年男でも読むのが義務なのだと開き直った目白のサンマ、もうどうにでもしてくれって感じにさせられる。

 買ったのか、って聞かれれば実はさる筋から記事を書く(どんな記事だ)資料として頂いたってのが真相だけど、見かけて買おうってちょっとは思っていただけに結果的には同じこと、あとは100人に当たるとゆー第3期シリーズの番宣ポスターをゲットするために、ハガキに目黒不動と日枝神社と成田山の線香の煙を染みこませ、神様の力でもって当たる確率を上げることに締め切りまでの約2週間を勤しむことにしよー。特集の方は3期シリーズの見所なんかの紹介で、ギャグ調にデフォルメされたミルフィーユとかミントの顔の新しい設定画がちょっと楽しい。軽い感じが強まっていてこれまで以上にポップで軽薄なエンジェル隊の活躍ぶりが見られそーな気もするけれど、そんなキャラにさてはて野尻抱介さん書くところのシナリオが、どこまでマッチしたものになっているのかにとりあえずは興味津々、第6話だそーなので、当日はテレビの前に正座して「GAはGAであるからこそGAなのだ」な持論が形となる瞬間を見届けよー。

 文庫本のシリーズが出た時も驚いたけれど今度はこれがコミックとあって驚きも2倍増し3倍増し。なるほど過去に出た作品の再刊って形にはなるけれど、そのセレクトの何とも言えない味わいと1冊100円とゆー価格設定に、買ってみたい読んでみたいって気持ちがむくむくと起こり実際何冊か買ってしまった。100円ショップ「ダイソー」の書籍関係企画者の手腕侮りがたし。「ダイソーコミックシリーズ」と銘打たれた100円コミック本のラインアップは30冊。かわばたたまきさん「ごはんですよ」とかニッシー西さん「ビバ!柔道愚連隊」なんて僕的にはまるで聞いたことのない本が交じっている辺りはダイソーっぽけれど、そんな感想をぶっ飛ばすのが1巻2巻に並んだ御大・永井豪さんの「獣神ライガー」。あの新日本プロレスの「ライガー」とタイアップするよーな内容の本で、いわゆる企画物的だった自らの成り立ちの呪縛から世代がめぐってよーやく逃げられたライガーも、今になって復刊されるとはって驚いたに違いない。

 3巻から3冊、これも大御所のいがらしゆみこさんが並んで1冊置いて7巻、8巻に名を連ねるのがあのえびはら武司さんの大傑作「まいっちんぐマチコ先制」。最近になってときどき復活エピソードなんかが懐かし系の漫画雑誌なんかに掲載されてはいたけれど、まさか本編がそれも100円で読める日が来るとは思わなかった。ダイソー万歳。それより更に歴史的ってことになると22巻23巻に並ぶ飯森広一さん「ぼくの動物園日記」なんかが筆頭かも。昭和40年代の「週刊少年ジャンプ」に割に長い間連載されてた漫画で、西山登志夫園長の若い頃の経験が土台になった動物園を舞台にした人間と動物の時に優しく時に厳しいエピソードに、若い身空で結構泣かされた記憶がある。今読んでも面白いのかなー、とりあえず買わなかったけど気になるなー。「巨人獣」なんて激レアな話も入ってたりして漫画マニアは要チェック、だけど今時誰が読むんだろー、石川球太さんなんて。

 買ったのはあおきてつおさん「こっとん鉄丸」。「将太の鮨」とか「はじめの一歩」とか「ミスター味っ子」といった系列の、天才的な能力を持った少年が大人を向こうに大活躍する話で、連載されている時に読んだ記憶があったけど、流行がすべてなファッション業界が舞台となっているだけに、今読み返すと相当に微妙で不思議な部分があって面白い。Tシャツにジーンズのコーディネートで鉄丸が繰り出す技がなにしろ「Tシャツはジーンズの中に入れろ」「ジーンズのすそはロールアップしてハイカットのシューズの上まで見せろ」、だからなあ、今時こんな格好、夏の「東京ビッグサイト」にだって秋葉原にだっていないよ、大勢は。

 ファッションでバトルするストーリー上、当時の最先端が1番格好良いファッションとして描かれているのは仕方がないとして、それ以外の例えば質の悪い素材を使ってあるTシャツをどう加工するかって勝負とか、格好悪い男子生徒の制服を作りなおす時に見せるリバーシブルの技とかってのは時代がかわっても共通に勝負の鍵たり得ていたりするんで、読むとそれなりに勉強になる。水着勝負での日焼けにまで配慮した技とかも同様。誰のためのファッションか、って基本だけは教えてくれる。とはいえやっぱりトレンドとなると10数年を経た現在ではちょっと笑えてしまうのも事実。女性をとりあう少年の片方の、ブルックスブラザーズのシャツにラルフローレンのブレザーにポールスミスのレジメンタルタイ、チノパンがアランフラッサーでアーガイルのソックスがバイフォードでコインローファーがシェトランドフォックスだなんてセレクト、聞いてその価値を分かる人って絶対に35は越えてるよ。

 それ以上に対抗する少年のファッションコーディネート激笑。貧乏なワードローブから工夫したのは良いけれど、ブレジャーじゃないオヤジの黒い背広の上着の中に着るのはチェックのシャツ。ねくたいの変わりにチェックのハンカチを首にネクタイピンで止め、下はトラウザースじゃなくパジャマ代わりの白のスウェットパンツをはいて裾は黒白ストライプの中に押し込むニッカボッカースタイル。これでシューズがもーちょっとガッチリしていれば悪くはなさそーなんだけど、われらが鉄丸が選んだのは黒のハイカットのバスケットシューズ(キャンバスのコンバースタイプ)で、こんなスタイルで今の原宿を歩いたら、違う意味で注目を集めること間違いなさそー。それでも今をときめく俳優やモデルが10人ぐらいで「鉄丸コーディネート」で歩いたら、それもトレンドになってしまうからファッションってのは分からないし難しい。復刊がきっかけになってトレンドに揺り返しが来ないとも限らないからなー。けど1点、これだけは大丈夫、寂しい胸元にセピアカラーの写真をピンで止めるなんてファッション、「鉄丸」が連載されてた時だって「いるかこんなん」と思ったから。


【9月8日】 風邪で免疫力が落ちたか肝機能が低下しているのかそれともアブナイ病気だかで手足に発疹が起こって足先指先のムクミもあったりして体調がすぐれないんで遠出せずに読書。麻疹とか風疹とか水疱瘡の類とは違うみたいだしアレルギーって感じもないんで大事ではないとは思うけど、緑すっぽ体調管理とかしてないんであるいは知らないうちにトンデモないことになっていたりするかもしれない。その時は家にある山のよーな本はどーなるんだろ、価値のあるものなんて皆無だし全然網羅的でも体系的でもないし美麗でもないし帯も切れてるしカバーもないし。遺言してもメーワクだよなー、いっそメーワクがらせたい人に遺言で送りつけるか。

 ってな訳で若木未生さんの「メタルバード」(徳間デュアル文庫)を1巻2巻と揃い読み。1巻が出てはるばる1年を経ってからの2巻ってのはライトノベルなペーストしてはジュラ紀と白亜紀(どっちが古いか不勉強にして知らず、何億年差があるかも)くらいにかけ離れているんだけど、そんな話でも忘れずに出すあたりにカタログとして良質の本を揃えよーとする文庫の性格もちょっとだけ見える、と思いたいけどさてはて創刊から2年でどれくらいが店頭や倉庫に残ってどれくらいか絶版もしくは品切れになっていることやら。気になるところではあります。

 さても「メタルバード」は脳天気なのかただのバカなのか、宇宙に出たいパイロットになりたいって思いだけで宇宙の士官学校を出て見習いパイロットになった猪突猛進のレイアードと、真面目だけが取り柄という武術士のカイトの幼なじみコンビが、乗り組んだのこれまた怠け者でエンジンおたくの船長に朴念仁のオペレーターが仕切り嫉妬深いコンピューターが組み込まれた宇宙でも1、2を争う変人船。過剰な自信でタメ口聞いても張り飛ばされはするものの営巣送りにはならない、和気あいあいとはいかないものの不思議な関係が早速できあがり、のんべんだらりとしていたところに「コズミック・フラワー」なるものを探す宇宙的なハッカーの美少女があらわれるまが第1巻。土星ステーションに起こった大混乱を何とかしのいだものの、銀河を揺るがしそうーな事件を押しつけられ、船長は嘆きレイアードははりきり他は唖然呆然泰然といった感じの中で、いよいよ宇宙を舞台に壮大なドラマが開幕……するのかな。

 まともな性格をした人が誰もいないキャラクター陣がとにかく見事の一言で、レイアードにカイトに船長のナーヴにオペレーターのラダ、謎の美女イエロウに宇宙ジャーナリストの3Dとその連れの機械ネコのジェリイのどれをとっても良識とか、常識とかとはかけはなれた言動立ち居振る舞いを見せてくれる。そんな強烈な個性がほどよく混ぜられ対峙させられつつ、進んでいく物語の何とまあ面白いことよ、会話の妙も最高なら展開のテンポも痛快きわまりない。目玉焼きはもちろん両目焼き、だよね。

 加わるキャラもこれまたひと癖ふた癖ありそーで、寡黙で苛烈な天才科学者らしーウラーノワしかり、人の良さそーな老婦人ながらその実態はレイアードたちヴァーテクス・オフィサーのトップに立つベアトリス副司令しかり、いずれ劣らぬ個性でもって物語に激辛な薬味を与えてくれる。29歳の娘といいはる21歳の少女の正体とか、おそいかかって来た危機とかいろいろ引きも多いんだけど、また1年待たされるのは酷なんでどうか若木さん、お願いですからせめて半年で次を読ませて下さいな。デュアル文庫、それまで保たせます、念力で。

 数あった試写会のまるで当たらなかった「千年女優」のサウンドトラックが出たんで買う。ちなみに映画は3月に「文化庁メディア芸術祭」関連の上映会で並んで見たから別に今さらなんだけど、サントラを聴いてエンディングにかかる「ロタティオン(LOTUS−2)」の雄壮にして雄大な音と歌詞と声を耳にするにつけて、あのすさまじくも妖しく哀しくおかしくそして格好良かった映画に今一度、それもいち早く触れたいって気持ちがせり上がってきて、1週間もまだある劇場公開がもう待ちきれないくらい、気持ちが高まってしまっている。取材とかいって潜り込むかなあ、「千年女優コンテスト」付き試写会。まあそれはしないけど、別に業界人じゃないんで。

 経済産業省の「デジタルコンテンツグランプリ2001」でグランプリを受賞した際に平沢進さんにインタビューして、「千年女優」の話とかもちょっとだけ伺って、映画の音楽づくりとインタラクティブライブ「賢者のプロペラ」に向けた音楽作りを平行して進める中で生まれたらしー「ロタティオン」を聞いて、その映画のテーマとのピッタリぶりに監督の今敏さんも相当に感動しらしー話が、ライナーに書かれてあってなるほどと思う。

 平沢さんのコメントはさらに格好良く、映画がテーマとして持つ時空を越えてつながる思いの連鎖を、平沢さんの「Landscapes」の曲を冒頭に配することで音楽的にも現そーとした今監督への賛意を述べ、「気が付けば、スクリーンが私を観賞していた」って言葉で締めくくっている。「コンテンツグランプリ」の授賞式にもどーやって算段をつけたのか、熱心なファンのとりわけ女性陣たちが表彰式の会場に詰めかけていた姿を見ただけに、平沢さんにそこまで言わせる映画って一体何だろーって、信者が大挙して訪れることになったら映画館も華やかに賑わって嬉しいかも。エクストラトラックでは唄う平沢さんの顔も拝めるお得使用。聴けば千年の至福あり。


【9月7日】 まずは快調に続編が出たよーぜ善哉な「札屋一蓮! レイ子、夕立に泣す」(集英社コバルト文庫、457円)の冒頭は人間の動物への愛情と動物の人間への忠心について考えさせられるエピソードが淡々と。船岡山で発見された呪いの煽りで病気になったらし「華子」とゆー娘を救いに、安倍晴明と小野篁の子孫とゆー霊能的にゴージャスな血筋を引いてお札を作り売っては食べている一蓮が出向いた先で出会った”家族”の絆に、いくらなんでもって呆れもちょっとばかり覚えもするけれど、他人様には伺い知れない関係ってのが”家族”にはあるもので、その厚さ強さの前にはいかな皮相家であってもやっぱり感銘を受けずにはおられない。けど1食1000円はやっぱり行きすぎだよ。

 それに比べればみかけは10歳にも満たない少女(可愛い)ながらも正体は狐でそれも齢600歳とゆー神格手前の霊狐が相手だったら、1枚98円の油揚げでは畏れ多いのも正直なところで、要求するままに祇園の「銀鮨」の特上1人前を毎度まいど差し上げたって罰は当たらない、ってゆーか差し上げないと罰も当たりそー。祇園の「銀鮨」特上1人前っていったい幾らするのか知らないけれど。

 さても今回はそんな厳しい口は叩くものの守り神的な存在として家を出てひとり札屋として生計を立てる一蓮に付いて来て、店の手伝いなんかもしれいる霊狐ことレイ子に降り懸かる災難が本筋のエピソード。船岡山の開発のあおりで社を壊され山を降りてきた九尾の狐が次に済むべき社として、留守にしていたレイ子の社を狙ったからたまらない。あまつさえレイ子にプロポーズまでしまったキザ野郎の九尾に対し、飼い主(?)として挑む一蓮だったけど何せ相手は狐の中でもトップクラスの実力者だけあってかなわない。

 そこで呼び出すダキニ天。自らの占い師生命をもかけてレイ子を救い九尾を倒すべく一蓮の決死の戦いが幕を……開けたのか? 答えは読んでのお楽しみ。本編にも出てくる死者と話せる居酒屋が出てくる短編も巻末に入ってお得感1割増し。問題は女将の正体がこれまた……だったりすることで、口絵のイラストによる登場人物紹介を見るにつけ、なおのこと冷汗がタラリと脇の下を流れる。次巻では是非に正体と並べたイラストを。恐いぞお。

 どーゆー回路か水前寺の顔が「ななこSOS」の四谷先輩みたいな感じになってしまう我が脳を無理矢理におさえつつ読む「イリヤの空、UFOの夏」(電撃文庫)の第3巻。鳥坂先輩ではちょっと知恵が足りなさそーで感じがズレてしまうんだよねー。されその水前寺が後半にかけて大フィーチャーされた第3巻は、夏のピーカンな天気が一転にわかにかき曇り、夕立どころか暴風雨へと突入していきそーな雰囲気の中で、水前寺も含めてマジにヤバげな状況へと向かっていく感じが出ていて心震える。

 別に影の総理の御曹司でもない水前寺に猛虎硬破山のひとつも習得していないただの中ボーの浅羽直之が、国家レベルで動くプロフェッショナルと戦ってもかなうはずがないってことは充分分かっているだけに、肝心なところでシリアスさを顕示している「イリヤの空、UFOの夏」の将来に暗い影が見え隠れする。さても全体どーなることか。やっぱ「よくやった感動した」総理にお出ましねがって一気呵成に「北」との和平成立といって、浅羽にも加奈ぶーにもシアワセをつかんで欲しいんだけど、総理が話して話せる相手なのかな「北」とかゆーのは本当に。その辺りも含めて次に並ならぬ期待。

 東武野田線で30分ゆられてそこから徒歩で15分だから、もしかすると家から時間では1番近いくらいかもしれない柏は「柏スタジアム」へと出向いて「柏レイソルvs名古屋グランパスエイト」の試合を見る。初めてのスタジアムだけどゴール裏が立ち見席になってるサッカー専用スタジアムはピッチとの距離がとてつもなく近くって、こんな観戦に最良のスタジアムを捨ててホームを移転しよーなんて考えている奴等が激しく非難されるのとってもよく分かる。ゴール裏のスタンドとの距離のなさは西が丘以上。相手チームのサポーターに背を向けて守る時のキーパーの恐怖感たるや、どこのスタジアムよりも高いだろー。こんな良いスタジアムをホームに持ってなぜ勝てないんだろ、柏レイソル。

 とかいってたらいきなりのレイソル先制でグランパスピンチ。おまけに前半の半ば過ぎ、ただでさえヴァスティッチが抜けたトップ陣をひとり引っ張っていたものの後ろがついてこず大変そーだったウェズレイが、想像するに飛んできたボールを足を伸ばしてトラップしよーとした行為が、寄ってきたディフェンダーに重なって真空とび膝蹴りを見舞ったよーな形になって一発レッドで退場を喰らってしまって、グランパス大敗の予感が胸を焦がす。

 ところがそこはパナディッチ、前に「東京スタジアム」で見たFC東京戦では出ておらず古賀の不安ありありなセンターバックぶりに目を覆ったものだけど、そんな古賀とは違って予感する守備から相手トップの攻撃の目をことごとく積む大活躍を見せてくれ、それに引っ張られるよーにして古賀と大森の両サイドもキレまくって相手に得点を許さない。加えてパナディッチ、見方のコーナーキックやフリーキックがあると最前線へと走ってその長身でもってヘッドにポストに役目を果たす八面六臂の活躍ぶりを見せてくれて、グランパスに得点の気配を幾度となくもたらす。

 そこはレイソルもさるもので、パナディッチの落としたボールを古賀がボレーしたシュートがバーにはねかえされる不運もあってなかなか点が入らないまま前半が終了。後半のスタート直後い見せた速攻で見事に1点を返して同点にしたものの、その後もパナディッチがヘッドにポストに大車輪で勤しみゴールを脅かすものの果たせず。退場者が続出する前に見た同じレイソルと横浜F・マリノスの試合以上の荒れ試合で最後は8人にまで減ってしまったレイソルのゴールラインをついに割ることができず、残念にも同点のまま試合終了となってしまった。

 パナディッチの攻守に渡るキレっぷりと、前に見たFC東京戦でのウェズレイにヴァスティッチの2人の破壊力が重なったベストな布陣でのグランパスのプレーは想像するに素晴らしそーだけど、その誰がかけても大きく攻撃力なり守備力がダウンしてしまうよーに見えて、セカンドステージにさてもどれだけベストな布陣でのぞめるかって辺りに、悲願の初優勝の可能性も左右されそー。左サイドに渡して前に突破を図ろーとしてもフォローがなくスピードが落ちて相手に守備を固められ、切れ込んでシュートしよーにもピクシーじゃないから2人3人と抜く途中にボールを奪われる場面の度々見られたあたりに、たとえ連勝はしていても、シンプルな縦への攻撃が魅力だったベンゲル時代とはプレーの質が違っていると感じる。レッのおウェズレイは次出られないしヴァスティッチも代表の試合で抜ける時期があるだけに、やっぱり今ステージも優勝は悲願のまま終わってしまいそーな予感。日本代表の試合で抜ける選手が楢崎くらいしかいないってのが救いだけどあんまりこれって嬉しくないし。古賀の安定、原竜太の爆発にかけるしかなさそー。小倉帰って来い。


【9月6日】 松江のスコールのよーな大雨にお釈迦行きにされたパソコンの代替機を買ったツケが未だに尾を引いて、フロー的に赤字が続く(ストック的には黒字だけど)家計な上にワールドカップの後遺症が家計の赤字異常に尾を引いて、今週もまた「週刊サッカーマガジン」と「週刊サッカーダイジェスト」の両方を買ってしまって振り返ってちょっとだけしょげ返る。もしかしたら輪ルドカップ終わってからずっと買い続けているよーな。でもって隔週で「ナンバー」と「スポーツ・ヤア」も買っていたりして、これで家計が保つわきゃ本当はないんだけど、そこは独り身の気楽さって奴で、デートに金を使うでもなし、友達もいないんでカラオケとか行く誘いもなし、なので雑誌ごときで破綻することはないのがまだしも幸いって奴だったりする。幸いなもんか。

 けど今週に限って言うなら「マガジン」は俊輔無き後のJリーグでトップ下のアシストキングとして売出し中のもう一人のナカムラ、名古屋グランパスエイトの中村直志選手へのインタビューを堂々の掲載。でもって「ダイジェスト」の方もいい加減成長しやがれってな期待に今年こそは応えてくれそーな、同じく名古屋グランパスエイトのディフェンダー、古賀正紘選手へのインタビューと共にグランパスづくしの構成で、離れてすでに13年とか経ちながらも心はきしめんか味噌煮込み、遥か名古屋に捧げる身としてこんなに嬉しいことはない。東京の新聞は勝ち続けても緑すっぽ、グランパスのことを書かないからなあ。って「東京中日スポーツ」だって緑すっぽ書かないんだけど。スポーツも「名古屋飛ばし」かよ。

 正直言うなら個人的には古賀選手って苦手な選手で、「東京スタジアム」でFC東京との戦いを見た時にパナディッチ選手がいなかったセンターバックを務めた古賀選手が見てられないくらいに不安定で(「マガジン」の採点なんか5だったし)、トーレスの抜けた後のグランパスが優勝の栄冠から大きく見放された不幸せの二の舞を喰らう現況に、鳴り物入りで入団しながら成長し切れないこいつがなるんじゃないかと未だに訝っているんだけど、それほど一緒にはプレーしてなかったトーレスからは学べなかったことを、今度は隣で仕事しているパナディッチから学んで屈指のセンターバックへと育ってくれれば、まだ若いんだし(24歳)次のワールドカップとかにあるいは日本の4バックのCBとして、ピッチに立っている可能性もない訳じゃあない……かな、やっぱないかな。って訳で今度はちゃんとパナディッチも出る柏レイソル戦争を明日は柏に見に行く予定。嗚呼しかし今度はバスティッチが出ていない。完璧なグランパスを見られるのは次は天皇杯の決勝か(希望)。

地球1周テープカットなら何人参加できるかな  そんな訳で丸の内にある「ローソン」の端末からチケットを購入したその足で、東京駅前に堂々のオープンをした「丸の内ビルディング」のオープニングを記念する世にも酔狂なイベントを見物する。その名も「ギネスに挑戦、1000人のテープカット」は過去に見た「東京国際ブックフェア」の50人テープカットを遥かにどころかとてつもなく上回るかつてない規模。50人のテープカットのバカバカしさをもう5年くらいに渡って小馬鹿にして来たけれど、こーまでばかばかしいと笑うどころかむしろ感心すらしてしまう。大きいことは良いことだ。

 さすがに1000人ともなると「ブックフェア」みたく1人ひとりの名前を読み上げるなんてことは出来ず、流れ作業的に来た人からハサミを渡し、雨も降っていたんでカッパも渡してビルをグルリと取り囲んだテープの両脇に順番に立たせて埋めていくって手順が取られて、早く来た人は土砂降りの中を1時間くらい立たされ大変だったみたいだけど、午前11時の合図を告げる声に合わせて一斉にハサミが入った時には誰もが”歴史”と”記録”に参加できた楽しさを感じていたみたいで、端で見ていて羨ましく思えて来た。折角なんで落ちていたテープの切れ端を拾って財布に確保。蛇の抜け殻じゃないからお金儲けにはつながらないかもしれないけれど、そこはまあ縁起物ってことで。家主の三菱地所の社長の人にサインでも入れてもらいたいなー、不動産担当に頼もうかなー。

 九州に在住の方に是非に聞きたいのは果たしてこの本が、店頭で堂々に並べられ売られているのかってことで、何故ならかつて”黒い魔人”ことボボ・ブラジルが日本プロレスのリングに登場した時に、九州では放映が禁止されたともテレビの前で卒倒する人が続出したとも聞いているだけに、また修学旅行で飛騨高山へと出かけた女子高の生徒たちが、みやげ物やに並ぶ「さるぼぼ」を見て「さるぼぼ」以上に赤面して中にはその場でしゃがみ込んでモジモジし始めた娘も出たなんてことを聞いてはいなけどあったかもししれないと想像しているだけに、いくら光文社のビジネス本だとしても、「ボボズ」(デイビッド・ブルクス著、セビル楓訳)なんて本が「リーブル天神」のベストセラーのトップになるとは思えない。

 もっちろん決して例のセックス指南書みたいなあからさまにエロティックな内容なんかじゃ全然なく、むしろ真面目に真正面からアメリカに生まれている新しい上流階級の”ボヘミアン・ブルジョワジー”、略して「ボボズ」の実態と生態なんかを紹介している本で、80年代末から90年代初頭の黄金シャワーなウォール街あたりを闊歩したヤッピーのスノビッシュぶりとは正反対に、安物を好む訳じゃないけど単なるブランドの名前には引きずられず品質にこそこだわる姿勢を貫き、スーツなんか着ないでジャケットにネルシャツとゆーリラックスできるスタイルを好み、遊びのよーに仕事を楽しむ感性をそれを許す才能とともに持った、ビル・ゲイツとかスティーブン・スピルバーグのよーな人たちを代表格とする「ボボズ」のことがよく分かる。

 実を言うとホイチョイプロダクションとか渡辺和博さんの著作みたく、一種のパロディとしてイマドキなアメリカの金持ち層をその似非っぽくも欺瞞偽善に満ち溢れたライフスタイルから揶揄った本なんじゃないか、なんて感じたけれど、経済の最先端に位置して世界を動かす人がいて、政治の最前線に立って世界を導く人がいて、文化の最高峰の地位をつかんで今なお活動し続ける人がいるボボたちの動向は、揶揄りたち気持ちを置いてもやっぱり注目しておかなくっちゃいけないもので、成り立ちから現状、そして将来への展望なんかを詳細に、固有名詞の注釈まで含めて紹介したこの本は、21世紀のアメリカと、そして世界を見る上で割に重要な1冊になりそー。日本だと誰がボボなんだろーかって考えたけど、柔らか銀行の人はあんまり仕事を遊びっぽく見てなさそーだからなー。「SPA!」とかででやらないかな、「これが日本のボボだ」なんて特集。大木金太郎は違うぞ。


【9月5日】 佐々木倫子さんの「Heaven?」(小学館、905円)を読む。前は確かミトン付きの限定版が出ていたよーな記憶があるけど今回はまるでそーいったものを見かけないのは、ミトンが片手分しか入ってなくって非難されたから、なんだろーか。だったらもう片方分を入れれば喜ばれただろーにねー。お話しの方は相変わらずの傍若無人ぶりをオーナーが見せつけてくれていて、いしいひさいちさんの漫画に出てくる藤原先生と果たしてどっちがよりハードボイルドなんだろーかと比べたくなる。ってゆーかこのオーナー、レストランを経営して毎日のよーに賄いを食べに来て幽霊退治に躍起となり山にこもって岩魚を食べまくり北海道へと毛蟹を漁りに行く忙しくも遊んでばかりで、一体何時どーやって小説を書いているんだろー。これほどまでに遊びほうけても作家でいられるものなんだろーか。どうよ作家の人たち。

 佐藤大輔さんの「黙示の島」(角川書店、1600円)を読む。疲れた心を癒すために友人の別荘がある島へと渡った男は、島で医者をつとめる女性と出会ってなぜかすぐさまいい仲になる。ところが数日を経ずして島に異変が起こる。誰もが生命力を暴発させてしまうようになり、やがて島全体が異常な状況に包まれる。何が起こったのか。男と女医とミリタリーおたくな苛められっ子の少年とその祖父、剣道で将来有望な女子中学生島の5人による必死のサバイバルがスタートする。描き込めばとことんまでも血みどろで迫力のストーリーになっただろーけど、設定も含めて割にあっさりと描き切ってあって読む分には読みやすくって楽しいけれど人によっては物足りなさを感じるかも。ラスト2行の意味する超弩級の惨劇の、あっけらかんとした提示ぶりにも唖然。自分なら”どっち”だろーと思わず考えてしまう。苛められっ子が転じて戦士になるパターンは豪屋大介さん「A君(17)の戦争」にどこか重なる感じも。美少女が得られるって展開も共通でともに羨ましさにメラメラと嫉妬の炎が燃える。魔界でも鼎島でも行きてーなー。

 D(ディー)さんの「ドニー・ダーコ」(ソニー・マガジンズ、1500円)を読む。シネマスクウェアとうきゅうで現在好評(かどーかは知らないけれど)上映中の同名の映画をノベライズ&コミカライズした作品だけど、ブサイクな切ぐるみ野郎が出てきて現実とも悪夢ともつかない状況の中で奇妙なキャラクターたちによる奇矯な物語が繰り広げられるって内容はまるでDさんが得意として描く作品のよー。「これは絶対に渡しが描かなきゃ! って思いました」をDさんが言うのも何となく分かる。ドニー・ダーコは成績はとかく振る舞いに多少の不思議な所がある少年。ある夜、ウサギに呼び出されてゴルフコースに出向いた間に家にジェット機のエンジンが落ちてきて、ドニー・ダーコの部屋を押しつぶしてしまう。幸いにして無事に生き延び、やがて彼女まで出来てしまったドニー・ダーコだったけど、そんなシアワセそーな日常にきしみが生まれ、そして最後の事件が起こり究極の選択を迫られる。

 揺れ動くドニー・ダーコの精神をまんま写したよーな小説部分の文体が醸し出す不安定な感じはなかなかで、ホラーでサイコらしー映画をおそらくは実に絶妙に引き写しているよーに感じる。なおかつそーした文章が突然漫画に変わる場面なんかは、平静だった日常に突如現れ目や心を異常な状況、強烈な体験、凶暴な人たちなんがか仰天させる感じをそのまま現しているよーな気もして、映画のそれもタダモノじゃない映画が本に直す上で、ただ小説だけじゃなく、また漫画だけでもないハイブリッドな描き方がこれほどまでにマッチするのかと驚かされる。映画を未見な僕にはむしろ、これこそがスタンダードな「ドニー・ダーコ」じゃないかって思えてしまうんだけど実際の所はどーなんだろ、やっぱり映画を見ないと分からないかなー。落ちてきたエンジンの大本が分かるラストが示唆する地上とは別の惨劇に身も凍るけど、これもやっぱり地上ともども回避されることになるのかな。でないと寂しし過ぎるよドニー・ダーコ。

 真坂たまさん「今夜だけ退魔少女 あたしの中の王子さま」(富士見ミステリー文庫、540円)を読む。平将門の子孫として退魔の仕事に就いて政府なんかからの依頼を受けている少女・亜子はその日も連れていかれて得体の知れない石棺の調査をさせられる。妖気ムンムンでそれを埋める算段をしていた夜、工事現場のクレーンがひとりでに動く事件が起こり、亜子たちは理由を突き止めよーと調査を始めたが、やがて現れた凶悪無比な敵に、亜子たちは命すら危ういピンチに陥る。そこで意味を持つのがタイトルにもなっている「あたしの中の王子さま」なんだけど、最初のエピソードで大活躍を見せるものの後に入ってる連作気味の短編では、それほど大きな働きをしていないのが玉に瑕。まあこれから続きとかあるんだったら、亜子と「あたしの中の王子さま」との連携による活躍とか、間によこたわる埋められない溝の重みとかが描かれ楽しませてくれるんだろーと信じたい。

 もっともそーしたメインを脇にやって、不思議な話を不思議な力で解決していく中でいろいろと考えさせる話の方をもっと欲しがるべきか。3話目に入っている大阪でのエピソードが、よくある話かもしれないけれど切なさ120%。図書館で見かける彼に話しかけても反応がない、きっと彼は幽霊だから霊能探偵さん是非に彼と私が話せるよーいしてってやってきた少女の頼みを聞いた亜子の祖父の弟子筋にあたる探偵が、調査の果てにたどり着いた結末には涙がこぼれてしまう。携帯電話で妙なサイトにアクセスした人が次々におかしくなる事件を調べた果てに行き着いた真相なんて、まるで我が身のことのよーで泣けてくる。どっちにしても続編が出るかどーかは1巻次第、なのでとりあえずはここに紹介して世間の反応作家の対応を待とう。しかしこれのどこが「ミステリー文庫」なんだろー。


【9月4日】 大阪かあ、ちょっと行けないな、なんて思った八二一(はにはじめ、って読むの)さんの写真展「君のニャは、」は5日から10日まで大阪市中央区東心斎橋2の8の26にある「ギャラリー・ピクチャー」で開催される予定。ライターで特殊歌人でもあったりした枡野浩一さんとの確かコラボレーションで連載されてたコラムなんかに載ってた猫の写真をまとめたんだろー写真集「君のニャは、」がワニブックスから刊行されたことを記念する展覧会だそーで、行けばきっと山ほどの猫の写真を見ることが出来るんだろー。「あずまんが大王」の榊さんなんか立ち寄った日には、1枚の写真の前で1時間は軽く立ちすくんで写された猫のしぐさ表情を眺め触ってみたいと手を伸ばそうとして写真と気づいて引っ込める疑似「買うたやめた音頭」を繰り返し踊る可能性が大。けど一緒に付いていった神楽だったら「ぶっさいくー」と言って「帰ろーぜ」と榊さんを引っぱり出して、哀れポストカードも本も買えず家に帰ってひとり涙ぐむって寸法。こーなると奥手(榊)も鈍感(神楽)も共に罪だね。

 八二一さんの猫写真といえば、表参道でずいぶんと前に開催された展覧会をのぞいた時にも路上で撮った猫の写真が飾ってあって、ギャラリーにいたたぶん八二一さんの半身だかの人と話すと長玉使ったり近寄ったりと、いろいろな手練手管を使って猫の可愛くも小憎らしい写真を撮ったそーだけど、それほどまでにしても猫って寄って撮ったり触ったり、見たり撫でたりしたくなる生き物なんだってことが、写された猫たちから伝わって来て、幸いにして神楽はいなかったんで引っぱり出されずに済む中を、割にしばらく眺めていた記憶がある。今回もポストカードに写ったおひるネコの実に福々しい表情なんかから相当に高品位な猫写真が拝めそー。返す返す大阪ってのが惜しいんだけど、仕方がない、写真集を買おう。ちなみに写真展は時間は午前11時から午後の7時までで最終日は午後五時まで。榊さんいたりして。

 何の展覧会かって聞かれて雑貨とも玩具ともグッズとも文具とも言えるけど言えなさそーだったりする、難しいんだけど規模だけなら「東京おもちゃショー」よりも大きかったりするイベント「東京インターナショナル・ギフト・ショー秋2002」ってのが「東京ビッグサイト」で始まったんで見に行く。思いっきり端折れば雑貨屋とかファンシーグッズのお店とか、キオスクみたいな万屋とかステーショナリーショップとかで売る小物系だったりファッション系だったりする商品を一堂に集めて展示するイベントなんだけど、最近は玩具メーカーとかキャラクターグッズの企画会社とかがこぞって出るよーになっていて、新しいキャラクター商品とかこれからの注目商品なんかが見られるって意味で、春の「おもちゃショー」に対する秋の「ギフトショー」って位置づけを個人的にはしていたりする。

 ってゆーか今でこそ日本中どころか世界の大勢が知っている「たれぱんだ」の姿を初めて見たのが「ギフトショー」で……いや「文具ショー」の方だたったかな、その辺ビミョーだけどともかく「たれぱんだ」のよーな一攫千金も予想される未来のスーパーキャラクターを探る展示会としてコンテンツビジネス、ライセンスビジネスなんかに関心のある人には結構大きなウエートを占めていたりするイベントなんで、決して醒めてはいない早朝の頭をかきむしりつつ、未だ衰えない暑さの中をはるばる「東京ビッグサイト」まで出向き、プレスの登録を済ませてからまずは昨日、タカラの「e−kara」に対抗するよーに発売を発表したテレビにつなげて楽しむカラオケ機器のデモンストレーションとかを見物。それと手に持ってボタンを操作するとヒップホップなスクラッチ音とかサンプリング音の連呼とかを出せる機器(そーいや大昔にチュッパチャプスを舐めながらスクラッチ音とか出す玩具があったなあ、あれの大人版って感じ?)なんかを見物。ギフト商品って感じのまるで無さはそれとして、いわゆる玩具とも違ったカテゴリーで成功を探るバンダイの立ち位置なんかが垣間見えた。

 彷徨くと何故か「ガイナックス」も「キャラクターライセンスフェア」って一角にブースを出展していて例のよーに「新世紀エヴァンゲリオン」とか「アベノ橋魔法商店街」とかのキャラクターを並べて紹介したり、まだ買ってないけどいつか欲しくなる日が来るかもしれない「アヤナミ抱きまくら」をはじめとした商品を並べてたりして、「ギフトショー」のライセンス商談会的な要素がここにも伺えた。目についたのはあとは「ソニーコミュニケーションネットワーク」かな、「ポストペット」の。ブース名は忘れたけれど懐かしくも気色に触れる「超兄貴」のキャラクターライセンス事業なんかを手がけている会社も出展していて、いったいどーいった層に向けてどんな商品が出ていくんだどー、なんてしばし考えてしまった。やっぱりさぶちゃんあどんちゃん向け? ゲームって前提もなくっていきなりなキャラクターじゃあやっぱりね、一歩引くよね「超兄貴」。

 まさかキャラクターの形状がパクられるって抗議でもあったんだろーか今年の「ギフトショー」は写真撮影に関して極めて厳重な警備がなされていて、入り口にカメラを預かる場所を作って持ち込ませないよーにした上に、中でもカメラを持って歩いている人に警備員が寄って鞄にしまえと命ずるパワフルぶり。「プレス」の腕章を付けて仕事のために撮影してた僕のそばにも連続して2人の警備員が寄ってきて撮るなカメラはしまえと言って来てウザさにキレそーになる。腕章を見せたら引き返してはいったけど、プロフェッショナルな警備員なら撮っている人が仕事の可能性もあると思ってまずは腕章などを確認してから注意するならするべきところを、まずは注意、それから確認ってゆー段取りの逆転ぶりが見られて、よほど厳重にカメラ撮影を中止させるよー主催者側からおふれが出ているんだなー、なんて想像が浮かぶ。

 厳しさってのは来場者だけでなく出展者にも及んでいるよーで、本部に腕章を返しに言ったら自分のブースを撮影することすら許可が必要でそれも時間なんかを申請する必要があるそーで、出展者の人が「撮りたいのはブースに大勢人が集まって来たところ。いつ頃人が集まって来るのか分からないのに時間まで申請できるか!」ってネジ込んでいた。そりゃごもっとも。もちろん他人のアイディアなりデザインをパクるために写真を撮る人が現れることを防ごーと考えるのは分かるけど、そーした一部の人のために出したおふれのせいで、全出展者全来場者が不愉快でメーワクな思いを被っては本末転倒。モラルの維持と向上を呼びかけることでもって済ませて欲しい気もするんだけど、そのモラルに期待できないのが最近の日本だからなー。難しい。ところで最近のケータイ、カメラとかしっかり付いてるんだよねー、あれで通話するフリして写真撮ったってバレにくいよねー、どーすんだ警備員&主催者?

 大団円、になったかならないかってゆーとうーん、難しいけどリセットの上で新しい一歩を踏み出したってゆー点では実に綺麗な終わり方を見せた竹岡葉月さんの「東方ウィッチクラフト」シリーズ最新巻にして最終巻「東方ウィッチクラフト 一人の望みの喜びを」(集英社コバルト文庫、495円)。前の巻でお節介ぶりが災いして体に傷を負い、意識不明になってしまったウィッチ柾季の意識に引っ張られ、使い魔の一子も意識を失い気づくとそこは不思議な世界。女王とお姫さまが対立してたり王様が脳天気だったりする悪夢とも笑夢ともつかない世界で一子は柾季と再開し、出会った少年に言われたよーに「最果ての塔」を目指す。

 誰かの夢だとは理解していてもそれが柾季か一子か判然としないぐちゃぐちゃ感の中、繰り出される一子のトラウマをえぐるよーな描写がおかしくもなかなかなに痛く、過去に忘れよーとして忘れたふりをしていた我が身の若気の至りなんかが思い出されて背中がカユくなった。普通の世界の方ではゴスロリ衣装に身を包んだみかけ美少女で実は……な宇卵が相変わらずの毒舌ぶりに多少の行動力も見せて柾季が傷つく原因となったある少年の心の痛手に挑んでいたりして、悪夢の世界の方では柾季も一子もともにかかえていたトラウマが明るみに出され、その払拭への道筋が描かれる、そんな展開の果てにたどり着く結末やいかに。答えはページの中に。これで終わりってことはつまり、もー宇卵ちゃんには会えないってことで、実態を想像するとアレだけど見かけの麗しさと対称的な口の悪さとのトルネードに揉まれヨロコビを感じていた身にはなかなかに心寒い、ので可能性があれば別に宇卵ちゃんシリーズなんて立ち上げて、ゴスロリ魔女(外見)の悪口雑言繁盛期なんてものを描いてやっちゃー、くれないものかな竹岡葉月さん。無理を承知で期待、したい。


【9月3日】 「プレイステーション2」に暗雲の立ちこめそーな気配。今や家庭用ゲーム機の代名詞を「ニンテンドー」に代わって獲得した感すらある「プレステ」だけあって、この20日に開催される「東京ゲームショウ2002」の冒頭で天下人・久夛良木健さんが堂々の基調講演を行うことが発表されたんだけど、「ゲームショウ」の基調講演って言えばその昔、セガの入交昭一郎社長が「ドリームキャスト」を引っ提げ堂々の家庭用ゲーム市場巻き返しを宣言しに登壇したものの果たせず今や影も形も存在していないってゆー過去があってそれから、こちらは数年前だけどマイクロソフトが「Xbox」でもって家庭用ゲーム機の市場になぐり込もーとした折に、あのビル・ゲイツ本人が現れては盛んに可能性を喧伝したものの、現実には米国市場はともかく日本では天然記念物もかくやと思われる貴重にして稀少なマシンを化している。世界遺産も近い、かも。

 つまりは「東京ゲームショウ」で作ってる会社のトップが出てきて基調講演を行った家庭用ゲーム機は、その意気軒昂ぶりとは逆になぜかあんまりよろしくない運命を辿るってゆージンクスがあったりする訳で、そんな風水的によろしくない場所で堂々の講演を久夛良木総帥が行うってことは、「プレイステーション2」の将来は、もしかすると暗いものになる可能性がこれで生まれたってことになったりする。まあ現実にすでに成功しているハードの人が講演する訳だからセガともマイクロソフトとも立場が違うって言えばいえるけど、あるいはもしかしたら語られるかもしれない「ニュー・プレイステーション」の成功の方に「東京ゲームショウ」の呪縛が及ぶかもしれないんで、その将来は油断せずに見ていきたいもの。絶対に「ゲームショウ」で講演しそーもない任天堂がやっぱり最後は勝つってことなのかな。それよか久夛良木さんて前に講演してたっけ。

 「ゲームショウ」と言えば届いたセミナーの案内を読んでたら、クリエーターの人とか企業の担当者の人とかが来て話すセミナーの取材は基本的に冒頭の10分のみで、もしも全部聞きたいんだったらそれは有料になるますよって案内があってフーンと思う。そりゃ別にプレスだからって他の参加者の人たちがお金を支払ってまで聞くセミナーをタダで聞いて良いって理由はないんだから、聞きたければ金を払うのも当然っちゃー当然で、そこで聞いたことが後に手前のビジネスにつながり収益となって返ってくる参加者と、そこで聞いたことを記事にして掲載して新聞なり雑誌の売上につなげるプレスとで、立場に差がないと言われればなるほどそーかもしれない。

 ただ一方で、そーした内容のセミナーが行われて実に有意義な話が繰り広げられたって事実が詳細に報じられることで、そんな楽しいセミナーなら来年は是非に聴講させて頂こうって思う人が増えるとゆー、主催者側に返ってくるメリットってのも別にあったりする訳で、共存共栄の機能を持ったメディアの聴講に対する条件を、まるで同じにして良いかって辺りになるとちょい、微妙な部分もあったりする。まあいくら報じようと宣伝にまるでつながらない到達力しかないメディアの人間が言ってもごまめの歯ぎしりなんで、ここは潔くセミナーの聴講なんぞはご辞退させて頂き、役立たずってことで宣伝もご遠慮させて頂くことにしよー。渡邊繁さんに鵜之澤伸さんが雁首揃える「攻殻機動隊」関係のパネルはちょいのぞいてみたい気もするけど、それだけに1万5000円(前売り12000円)は払えないもんなー。

 「古事記」なんてものを研究しているからてっきりライト方向にいささかの関心なり偏りを持った生真面目な人かと思っていたら三浦佑之さん、「口語訳古事記完全版」(文藝春秋、3333円)の刊行を記念した池袋の「ジュンク堂」でのトークショーに登壇した姿はどちらかといえばフランス文学でも研究していた方が似合ってたりするよーな風体、でもって語り口も実にソフトで思慮ぶかそーで、見かけは人によらないってゆーか先入観で人を判断するのはやっぱり宜しくなってことを改めて思い知る。この人にしてこの……なるほどなあ。

 話し始めてさらに納得。「古事記」を研究しているからといって、また「古事記」を口語になおして読みやすくして広めようとしているからといって決していわゆる皇道がどうのって立場じゃなく、むしろ「古事記」が「日本書紀」とは違って持っている反権力、反国家な意識への目配りを、汲み取り浮かび上がらせようとしていたりして、聞いていてとても勉強になる。かといって決してレフティでもなく、反権力・反国家といった部分をことさらにフレームアップして簒奪やらだまし討ちやらを繰り広げてきた記紀の時代の皇室を貶め批判するって感じもない。右だ左だってなイデオロギーとは切り放された部分で、ヤマトタケルがクマソタケルやイズモタケルをある意味卑怯なやり方で倒したことも、兄弟親戚の血みどろの争いを経てワカタケルが即位したことも、それが権力に就くということの重さであり、凄さなんだとゆーことをニュートラルに読み取り、そーしたことを余さず描く「古事記」の魅力を、率直に伝えたいって感じがあって、何かと右や左に寄せたがるメディア的感覚が諌められる。

 「日本書紀」の表記を採り入れヤマトタケルを「日本武尊」と記述してその英雄ぶりを紹介する「新しい歴史教科書」に対して、友達になったフリをして刀を交換しよーと誘って模造刀を渡し相手が刀を抜けないでいるところを斬り殺した知恵ってゆーか狡猾さにあふれたヤマトタケルの行為をそのまま印した「古事記」の方をこそ、紹介すべきって言う辺りにも立場の違いは明確に出ている。同じアメノウズメのストリップぶりを喜ぶ立場でも、神話の豊饒性をあくまで国家への愛着に結びつけよーとする意識がそこにある勢力とは、明確に一線を画したものだと言えるかも。いや詳しく話した訳じゃないんで実は案外祝日には旗を立て、正月には参賀へと出向き終戦記念日は靖国へと赴き、ご飯は毎日日の丸弁当な人だったりするのかもしれないけれど。

 「日本書紀」が当時は唐だった中国に向けて正史の帝紀的なニュアンスで編まれたのに対して、「古事記」は逆に内側の日本という国の、それも朝廷がかつてさまざまな滅ぼし埋め消して来た存在に対して一種鎮魂のニュアンスを込めて書かれた部分があるってな指摘は目に鱗。聴けばなるほど「日本書紀」にはない出雲でのオオクニヌシの冒険譚が「古事記」には書かれ、出雲という地域にあっただろー大和とは違う勢力を示しつつ、今はないそーした存在への意識を読む人に抱かせ滅ぼされた恨みを鎮めていたりするのかもしれず、ワカタケルこと雄略天皇によって討たれることになる目弱王のエピソードを細かく拾い、目弱王を助ける葛城氏を忠臣として描くことによって、雄略以後に滅ぼされていった葛城氏の御霊を鎮めよーとしているのかもしれないと思えてくる。

 ほかにも漢文をそのまま置き換えたよーな文体では表記としては無理のある、句点のまるで存在しない西郷信綱さんの言うところの「重層列挙法」が使われている「古事記」の口語的な部分への関心とか、ヤマトタケルが食事に出てこない兄貴をちぎって包んで捨ててしまったエピソードでの、「泥疑(ねぎ)」って言葉の解釈の違いをめぐる親と子との間にどんな時代も横たわる断絶めいたものへの指摘とか、聞いて面白くそれでもってタメになる話がたくさんあって、短いながらも濃くまたとっても前向きなトークショーになっていた。周囲をうかがうに何やら出版社関係の人とかそれなりな濃度でいたみたいだったけど、むしろ普通の人のとりわけ若い人に聞いてもらいたかった気がするなー。日本の古代を舞台にしたファンタジー小説を書いている人、そーした小説が好きな人だったらなおのこと。本に丁寧につけられた注釈でもその思索のいったんには触れられるんで、お金や気持ちに余裕のある人は買って1冊、置いておいても罰は当たらないでしょー。巻末の皇統図なんて古代史物を読む時書くときに無茶苦茶役立つぞ。


【9月2日】 しまった、と思ったのは今朝の新聞を読んだからで、何でも昨日都内のあるところで、「リカちゃん」に関連したオーディションが開催されて「アイドルリカちゃん 新メンバー」になりたい美少女たちが揃い踏みしては笑顔と演技の大競演を繰り広げていたんだとか。そーいえば案内も来ていたよーな記憶もあるけどすでに「GEISAI2」に行くことが決まってたし、ガキなお子さまたちが揃ってたってたいしたこたぁないと思いあんまり泣かずにパスしたらこれが超間違い。読んだ新聞に掲載されていた写真と、それからタカラから届いていた授賞式の写真を見て、写っている美少女たちのそれはもーとてつもない美少女ぶりに、どーして行って生でその顔その肢体を拝まなかったのかと悔やむ気持ちに胸張り裂ける。

 見事グランプリに輝いて人形にしてもらえる(別に固めて人形にするとか『悪魔くん』のマネキン妖怪に襲わせるとかじゃない)権利を得た藤本七海ちゃんは御歳7歳の小学2年生ながらすでにいくつかのコンテストで賞とか入って広告モデルなんかも努めている”プロ”だけあって、記念写真に写る笑顔も柔らかくキュートでコケティッシュ、クールでビューティーでエキサイティングな(混乱してます)表情を見せていて、なるほどその道を目指す人は子供の頃から心構えが違うと深く感心させられる。これで例えば「何とか娘。」に潜り込めでもしたら、中学生にして年収数千万円納税も数千万円ってな、僕なんか定年まで勤めても年収はおろか退職金ですら得られないお金を1年で納税できちゃう訳だから、真剣になるのも分かるよーな気がする。もちろん芸能界で頑張るってゆー”夢”に向かった意志の力の方がより強いんだろーけれど。

 オーディションシートには応募用に撮った写真とかもついてて、それがもーブロマイドもかくやと思わせるプロ仕様。オーディションシートには他の応募者の写真も付いていたけれど、ポーズを決めて最高の笑顔を見せた写真を惜しげもなく見せた下は5歳とか6歳から上でも7歳8歳といった少女とゆーより幼女たちの実に美麗なこと妖艶なこと。正直中にはホントに5歳? ホントに小学生? ってな表情を化粧とか衣装でもって見せてくれている人もいて、夢に向かって頑張るってことに対する行動力の強さたくましさを思い知らされる。中学生とか高校生とかになってからじゃー、やっぱもう遅いのかも。それくらいになってそれでも容姿に自信があるなら今だと必死に勉強の方を頑張って、東大に入って高田菊川を目指すかあるいは京大でレースクイーンになる方が、ゲーノーの道にはかえって早道かもしれないなー。

来年にはメンバーの半分が入れ替わってます、小学生に(推定)  「モーニング娘。」と言えば思い出したのが「GEISAI2」に登場していた「東京モダンアート娘。」。まるで「モー娘。」みたいな作り笑いで1点を見上げる10人だかの女性軍団の写真がブースの横に張り出されてあって、これは何だろーと気になりやがてスタートしたパフォーマンスを見たら別に美少女でも何でもない防護服に身を包んだ得体の知れない連中が、アートっぽいことをしている様に遭遇し、モダンアートをたしなむ女性のグループなのかなあ、つまらないなあ、なんて思っていたらやがて脱ぎ出てきたミニスカートの美女軍団が、これまた「モー娘。」みたいな感じで集まり「モダンアートでなんとかかんとか」って踊り歌い始めて呆れつつ驚く。

 なるほどモダンアートの綺麗どころが集団のパワーでこの世知辛いアート不毛な時代を乗り切ろうってな殊勝な話じゃなく、どこぞの誰かが「モー娘。」もどきな連中を仕立ててアートのまねごとをさせるってゆー、プロジェクトそのものをアートにしたものなんだろーなって想像はできたけど、これだったらその大昔に「GEISAI2」を仕切って「世界のムラカミ」とまで言われるに至った村上隆さんが、加勢大周さんの名前騒動を揶揄って「加勢大周Z」とかいったパチもんを山と作ってライブとかさせたプロジェクトの方が、時代や風潮に対するアンチっぽさが漂っているよーに思うけど、アートがアンチってのも今の時代じゃー通俗過ぎて受けない、むしろ「東京モダンアート娘。」のよーに笑いなのかマジなのか、曖昧な所でひょろひょろとやっている方がよりアートっぽいのかも。今度はどこに出るんだろ。

100週ほど廻るとバターになれます  伊藤明弘さんの「ジオブリーダーズ 第8巻」(少年画報社、495円)を購入。最新号の「ヤングキングアワーズ」2002年9月号で衝撃の結末を迎えた梅崎真紀ちゃん三重県大暴れ編の半分ぐらいが単行本にやっと収められたって感じで、温泉ですっぽんぽんだったり試着室でぱっぱらぱーな真紀ちゃん&ただの姫萩夕ちゃんを存分に拝めるって意味で永久保存の称号を与えられる単行本となりそー。ここでこれほどまでみ見せまくった反動が、最近の連載でも露出ダウンにつながってたんだとしたらこれからは是非にペース配分を考えて、毎号のよーに見せて魅せてやっていただきたいもの。ひとり蒼き流れ星が頑張ってくれてるけれど、黒チラじゃあ胸もあんまり踊らない。折り返し部分の蒼き流れ星も悪かぁないけど黒着用プラスガーターベルト着用だからなあ、性根ちょっと欠けてるよなあ。

 今までついぞ忘れていた「ジオブリーダーズ」が化け猫相手の物語だってことを思い出させてくれる冒頭に、「ダイナマイトが百五拾屯編」が終わってこれから始まるおそらくはシリアスな物語への期待もふくらむ。黒猫とまやが出会っている歩道橋は去年の年末に規制した時に見たのとやっぱり同じで、遠く裏山あたりから塩釜植田をこえて取材に来てたんだなあ、漫画家さんて大変だなあ、なんてことは別に思わない、だって自転車漕いだって20分くらいの距離だから。それより戦死状態が続出な「ヤングキングアワーズ」であれだけのクオリティのものをしっかりと、毎号連載していることの方が凄い。「サンデーGX」もちゃんとやってるし単行本の作業だってあった中でのこの仕事ぶり。別に週刊になんて出なくてもいいから伊藤さんにはちゃんと毎号、しっかりとお話を描き次いでいってやっていただきたい。すっぽんぽんにあっぱらぱーも出来れば是非に。


【9月1日】 実は貧乳大好き系でもある身にとって「火星産つるぺた娘の魅力爆発スペースオペラ」って煽りはまさに脳天ストライク、おまけにそんな「つるぺた」を描くのがOKAMAさんとあってはもう買うっきゃないってのが嘘偽らざる心情だけど、実際のところそんな煽りがどこまで正しいかというと実に微妙だったりする夏緑さん「葉緑宇宙鑑テラリウム 亜麻色の重鋼機乗り」(メディアファクトリー、580円)。なるほどたしかに幸薄く胸まで薄い少女が出ては来るし、口絵のイラストでは一見するとブルマーにも見える衣装を身につけていてそちら系のマインドをムクムクと刺激する。

 けれども本編の方はといえば、そんな彼女の薄胸繁盛記ってよりは彼女を助けたガテン系な兄ちゃんを中心に、彼が使っている船のコンピューターとなっている喋る植物プランツエルに兄ちゃんがかつていた所で彼をライバル視していた美少女天才パイロット、そんな彼女が拾って助けて使っている猫型メイドロボット(むちゃくちゃ強い)といったカッ飛んだキャラクターたちが織りなすくんずほぐれつの痴話喧嘩、ならぬ太陽系の危急存亡をかけたバトルだったりするから、少乳が苦手な人でも気にせず手に取って読みましょー。ちなみに植物コンピューターのプランツェルは爆乳っすこれもなかなかに最高っす。

 まずは火星で虐待に会って逃げ出した例の貧乳少女が助けられたのが造園業を生業としているガテン青年のヒース。瀕死の娘を爆乳植物コンピューターが面倒を見ている自分の宇宙船へと連れ込み介抱したは良いものの、別に妊娠している風体でもなかった娘が何故か奇妙なゼリー状の生物を”出産”してしまい、おまけにそのゼリー生物がたちまちのうちに成長してしまったから大騒動。人類はその当時、陽系内から外に行くことすら難しい状況でおまけに宇宙では他のいかなる生物にも出会っておらず、つまりはゼリー状の生物との邂逅は正真正銘の”ファーストコンタクト”ってことで、一堂はどう処遇したらよいかを思案するものの、そこはカッ飛び具合では飛車角は確実なプランツェル、ゼリー生物を届けてお金をもらって主人がナノコンピューター入り宇宙船を買って自分を捨てるんじゃないかと穿って自爆すると騒いだものだから、青年は諦め一堂揃って造園業に精を出そうと決断する。

 が。そこに降り懸かったのが別の事件。過去にいろいろあったらしー例の美少女天才パイロットのドラセナが危機に巻き込まれ、1体脱出して来た猫型メイドロボットのチコリが飛んできては一堂に助けを依頼した。何しろ「女心のわからない男は人でなしです。すなわち、人間とは定義されません」といってロボット三原則とやらを手前勝手に解釈しては、ご主人のドラセナに害をなすものに刃を向けるこわーいチコリちゃん。助けを渋るヒースを耳から出す高周波で沸騰させよーとするくらい平気だったりすることもあったし、何よりやっぱり昔なじみってこともあってヒースは重い腰を上げ、過去の伝も頼りつつ危地へと乗り込んで行く。

 立ち過ぎのキャラに軽口いっぱいの展開、おまけにポップなOKAMAさんの絵と読み口はとってもソフトだけど描かれるモチーフのウラシマな悲しみとか、人類に漂う閉塞感とかかつてないファーストコンタクトの在り様とかいった、ハードで深淵な内容には読んで結構シリアスな気持ちが湧いてくる。硅素生物の生体とかプランツェルを筆頭とした植物コンピューターとかヒースの生い立ちとか、目にも楽しいガジェット的な部分も盛りだくさん。正直詰め込み過ぎな気もしてもったいないと思えないこともないけれど、それぞれがそれなりな段取りで処理されつつ、物語の中にしっかりと折り込まれているから構わない。1巻物で終わってしまうのか出会いを経て揃った一堂から新しい冒険が生み出されるのか。まとまりでは前者だけどプランツェルにチコリにドラセナといった強くて可愛い女性陣の爆裂トークをもっと聞きたい気もするんで、何とか次とか書いてやって頂きたいもの。願います。

 9月だっちゅーのに減りもしない暑さの中をこの夏も何度となく通ったルートでもって向かうは「東京ビッグサイト」。目白押しだった8月のイベントの掉尾を飾るとともに、9月もやっぱり目白押しなイベントの劈頭に位地する「GEISAI2 夢工場の逆襲」って奴が開催されてて見物に行く。アーティストの村上隆さんが仕切役になってアマチュアもプロも無関係にブースを並べてアート作品を売っちゃってくださいって内容の、言うなればアートの「ワンダーフェスティバル」とも言えるイベントで、春にも1回、その時は「東京タワー」の下にある「アミューズメントホール」で開催されて、それなりな参加者と来場者を集めてた。

 今回は場所を代えての「東京ビッグサイト」開催でますます「ワンフェス」っぽくなったけど、同時にまるで会場も同じなアート系のイベント「デザインフェスタ」とも同一感が出てしまってる印象があって悩む。出ている人たちの中にも少なからず「デザインフェスタ」に出展している人たちがいて、「原宿露天商合同フェスタ」的にまったりとして和気藹々とした雰囲気とは違う、賞とかを出すことによって出展して来る人たちの貪欲さを引き出し競争意識を持たせて、ひいてはアートの活性化につなげようってな「GEISAI」ならではの空気がちょい、薄れてしまっていたよーな気がした。いつもTシャツを買う「ちくわぶ」とかも出ていたしなあ。

 もちろん今回も賞とかあって選ばれた作品のパネルが展示してあったし、前回の「GEISAI1」でピックアップされた佐藤玲さんの作品がプロブースの中で堂々の展示をされてしかもそれなりにな価格で売れまくってて、プロになりたいアートでご飯食べたい人たちの羨望を集めてはいただろーけれど、ブース数が10000を越えて出展者も800組とかになるとどーしても「参加することに意義がある」系な人たちも増えるし、そんな人たとと出会って話せるコミュニケーションの場としての「GEISAI」って空気も色濃くなって、切磋琢磨なガチンコの空気を包み薄めてしまうよーな気がする。

 「東京ビッグサイト」って場がまたコンペの空気には遠くって、何しろアマチュアの2大祭典「コミックマーケット」に「ワンフェス」の場なんでそこから成り上がっていくんだって空気を持たせにくい。まあそれでも審査員なりメディアなりが、集まった中からこれもガチンコに作品を鑑定し選んで賞を与えるとどうじに引き上げ売り出しプロモートしていくことで、空気をガラリと変えることも可能なんで、気にせず続けることが何をおいても大切かと。佐藤玲さんがそれこそ世界で熱狂的に受け入れられるかでもすればメディアも見る目が変わるんだろー。けど個人的にはまるで佐藤さんの”良さ”が分からないんだよなー、誰が教えてくれ、村上隆がピックアップしたアーティスト、って以外のその価値を。

奈良さんにはキャーキャー村上さんはやあやあ  場内をうろうろ。奈良美智さんが早速きれい所の女性陣に取り囲まれてきゃーきゃー言われている姿に遭遇して、その人気のすさまじさを改めて知る。村上隆さんも歩いていたけど知り合い系のアーティストだか何かな男性陣に囲まれている、その差がなかなかにそれぞれの寄って立つ基盤に作風の違いなんかを表していて興味深い。小山登美夫さんのブースは三宅信太郎さんを大フィーチャー。宇宙人みたいな、頭の大きく胴体の細い、幼稚園とかそれくらいの子供が女の子を描くとこうなるよねってな体型の少女ばかりをひたすらに、バリエーションを変えて描いたり板にペイントして切り抜いたりした作品がズラリと並べてあって、そのオブセッションしている感じと選ばれたモチーフに惹かれる。

 ウェートレスばかりとか制服ばかりとか体操着ばかりとか、時々によって違う関心で染め抜かれた少女たちの何ともいえないエロティックさが好き。髪型がまた頭の両横で縛って垂らすツインテール仕様で、その辺に並々ならぬ関心を示す男子のハートをかき乱す。ミスターとは違う意味でリビドーをくすぐるアーティストかも。会場の奥では「スターなんとか」をモチーフにしたライブペインティングに取り組んでて、登場するキャラクターがやっぱり細くて波打った体型で描かれていて、そアーティストのモチーフへのこだわりが覗けてれはそれで面白かったけど、女の子の絵と違って官能にはグッと来ないのが悩ましいところ。その辺ミスターは徹底していたからなあ。幅か深さか。アートって難しい。

 歩いていて細っ来い少女のキュートなイラストを展示したブースがあって「エロティックドール…」って名前で参加している人がいて、その作品の見栄えの良さに立ち止まり1枚500円と聞いて思わず買ってしまう。絵的にはありそーなゴスロリファッションのポップな美少女絵って感じなんだけど、話してて「ゴスロリ」が通じず単に可愛い女の子を描いてたらこーなった的純粋さはちょっと面白く、傾向におもねるんじゃない本能にゆだねる感じがアートなんだなあ、なんてことをちょっと思う。眼帯した少女の良さとかアルカディア号にまたがった少女のモチーフについて意見交換しつつ、結局カラーの大きいのを2枚とドローイングのアルカディア号少女を1枚、買ってしめて1200円が高いのかやすいのか。けど僕には描けない絵だし「コミケ」の企業ブースでもあんまり売られてない傾向の絵なんで値段は全然気にならない。飾って眺めてハアハアしよー。値上がり? 2日間で売れたのは作家の先生相手くらいだからなあ、けどいい絵なんでちょっとは知られて欲しいなあ。

 いい絵とくればペインティング作品で登場していた大畑伸太郎さんの絵がなかなかにキャッチーで気になる。「雨」って作品の、谷内六郎さんをリファインしたよーな形をしたキャラクターなんだけど、横断歩道に立ってちょい、上を見上げた顔の何とも言えないキュートな感じが目に入るなり記憶に焼き付いてしまった。調べるとすでにいろいろな方面で活動している人らしーけど、イラストってよりは立派に1枚の絵として見る人を想像の領域へと引きずり込む力がありそーで、今後にとっても期待がかかる。しかしいったい何を見ているんだろ、彼女は。

 気になったといえば笠原梨江子さんって人の絵もモチーフとタッチが気になってついついブース前で立ち止まってしまった。絵が絵なで男の妄想系かもって思ったらしっかり女性で奥手な身として話しかけられず値段とか聞けず、見るだけで帰ってしまって今になってちょっと惜しい気がしてる。ディテールが割にしっかりしている割には線とか簡潔で色使いも含めて過剰な感じがしないのが惹かれた点。表情とかにただようせつなかったり強情そうだったりする感じも良い。キャラクターっぽく立てようとして線をしっかりさせたり色をはっきりさせたイラストの過剰さに辟易していたこともあって、かえって新鮮に見えたのかもしれない。調べても3人展とかやってる程度の人だけど、ほかに何かいろいろやっているのかな。もし次とかどこかに出てたら今後は焦らず聞いてみよー、と心の中だけで決心する。きっとまた逃げるな。


"裏"日本工業新聞へ戻る
リウイチのホームページへ戻る