縮刷版2002年7月中旬号


【7月20日】 もしかしなくてもこの2002年って年は、相変わらずにバーチャルで虚構なものこそがビビッドにヤングのハートをゲッチュし得るってことを確認する到達点として、年末の「今年の10大ニュース」の欄外に記録されることになるのである、って昨日と言ってることが違う? 豹変するのだ君子は(君子じゃないけど)。いやまあそれにしても1万人とは凄いとゆーかすさまじいとゆーか、今年が5回目を迎える「東京キャラクターショー2002」に皆勤賞の取材に行ったら早朝から並んでいる人がそれだけいたって聞かされて、いつにも増しての盛況ぶりにアニメやゲームやコミックのキャラクター人気の未だ衰えを知らないどころか、ますますもって人気を沸騰させつつあるって現実に、正直唖然としてたりする。

 全日本的に注目されるキャラクターがあった90年代末期とかだったら分からない訳じゃないけれど、この何年か、社会面を賑わせるほどにブームになるアニメが「キャラクターショー」とは無縁な宮崎駿監督ブランドのものを除いてそれほど見あたらない状況が続いていたりする。にも関わらずの盛況ぶり。1点集中だった割には広がりのなかった往時を越えて最近は、幅が広がった上にそれぞれが数をも積みまして、市場の幅も厚みも増えたってことになるのかもしれない。それが証拠にあそこのブースもそこのブースもそれなりにしっかりと長蛇の列、列、列。伝統の「こなみるく」から「電撃屋」からキャラ系のイベントへの出展って意味では新興になりそーな白泉社にエイベックス・グループまでが待ち時間数10分って感じの列をブースの前に作っていた。

 なかでもエイベックス・グループのブースには、浜崎あゆみさんの熱烈なファンクラブらしー赤いシャツを来たヤンキーっぽさも漂う兄貴たちがそれこそ山と詰めかけて、限定フィギュアだか何かを買うだかもらうかしていて、周囲の角川書店とか、電撃屋とか白泉社とかで列を作っている人の層との違いに、キャラクターグッズってものの市場の広がりを改めて強く感じさせられた。まあいわゆるエロティックなゲームを出してる小さな会社なブースへの、異常なまでの人の数って状況は続いていたけれど、それに些少なりとも匹敵するくらいにバンダイの「.hack」関連ブースでの、メモリーカードへのデータ供給サービスへに行列が出来ていた様を見るとなるほど、社会が大騒ぎする程ではなくてもファンが騒ぐくらいの人気を持つキャラクターが、わんさと出てるんだなってことを実感させられる。

 見てまず欲しいなって思ったのが「ガイナックス」で展示中だった「綾波抱きまくら」。何でもUCCの景品向けに出した以外はこれまで市販していなかったアイティムを、絵柄もおそらくは新たにして出してきた商品で、前面は寝そべってこちらを向いた当然ながら胸腹が描かれているプラグスーツの綾波だけど、だからといって後ろの面がお尻は当然ながら頭が後頭部ってことにはなっておらず、見返り美人よろしくしっかり顔が描かれているあたりに、前から抱いてもバックから抱えても顔だけはしっかりと拝めるよーになっているって制作者サイドの心遣いを感じる。後頭部に鼻とかスリスリしたい人にはちょっと不向きかもしれないけれど、そーゆー人が1000人中に1人もいるとは思えないからこれで全然平気だろー。切り抜いて張り合わせて人型にするのは不可能なんで、そこは貧坊っちゃまよろしく後ろは白い布にして我慢して下さいな。

 あとは何故かブースで出展していた「宇宙船レッドドワーフ号」関連グッズ。カレーのレンジパックもなかなかだったけど、個人的にはクライテンマスクが大うけ。あの角角しい顔をゴムマスクに再現したもので買えばその日からクライテンになれるとあって欲しかったけど、ちょい金が厳しい時期に来ていただけに3000円と破格の値段でもちょっと手が出ず、今にして思って心が残る。あと「HAPPY LESSON応援セット」とか「ギャラクシーエンジェル応援セット」「デ・ジ・キャラット応援セット」ってのがあちらこちらのブースで並んでいたけれど、「応援セット」が今はキャラクターグッズの旬なんだろーか。「ときめきメモリアル」の「ガールズサイド」ってソフトに関連したグッズのコーナーにも山と人が集まっていたのも意外に思った点。ソフトが爆発的に受けたって話は聞いてないけど、W杯期間中で世間の耳目がそっちに集中していた感激で、婦女子の気持ちをしっかりゲットしていたのかも。ホント意外でした、これだけ人気があるならゲームも面白いのかな。

 ともあれ肉を伴うリアルって意味から見れば虚構に過ぎないキャラクターでも描かれた時点で”存在”を獲得して思念的にはリアルなものになったってことで、世の人々の感情の器として立派に存立し得るし、愛情なり関心の対象として成立し得るんだろー。虚構なキャラクターを虚構だからこそ愛でるんじゃなく、肉体を伴うものや物理的現象と伴うものと同列でリアルなものと捉えられる世代の台頭が、早朝から1万人の行列ってな状況を生み出していたりするんだろー。その意味ではやっぱり”リアルの復権”って傾向は当たっていたりするのかな。まあ単なる思い付きなんで、暇があったら追々検証していこー。

 でもやっぱりリアル最高、って思った「恐竜博2002」。広い会場にずらりと並ぶ巨大などーぶつの化石を目の当たりにするにつれ、何億年とかいった時空を越えて今とつながる過去の”リアル”に気持ちが入り込み、ひるがえってかつての”リアル”を今に顕在化したものとして捉える装置として、恐竜の化石が見えて来た。怪獣のぬいぐるみの展示とかじゃない、かつて存在していたってゆー厳然とした事実の重さ大きさには誰だってたじろぐだろー。ただし。見ているとメインな化石のほとんどが複製ってことが分かってきて、実物は中国とかからやって来た奴くらいしかなく、つまりは模型を見てその気になっていたりする人の多さに、「お手軽感」を覚えてしまって釈然としあい気持ちが残る。

 もっとも化石が実物だろーと複製だろーと子供たちには立派で大きな「むかしのどーぶつ」の名残として認識されているよーで、環境が気分を代えるって事実に改めて気づき感じ入る。違いが分からなかったってこともあるけど。売店ではぬいぐるみやら恐竜菓子やら関連グッズやらがこれまた山と出ていて親子連れで大賑わい。「モーニング娘。」が団扇になって並んでいたのにも驚いた位けど、これのどこが恐竜と関係だるんだろー。飯田佳織さんが巨大? 恐竜にしか見えない? なるほど確かにいやでも……うーん。


【7月19日】 もしかするってーとこの2002年って年は、しばらく続いてきた虚構なものへの過剰な思い入れを良しとする気分がガラリと変わって、リアルなものかあるいはリアルに根ざしたものを礼賛する風潮が蔓延りはじめた転換点として、22世紀あたりの歴史書に刻まれることになったりするのかも。ってなことを哲学的社会学的な根拠もなく突発的に思ったのは、ひとつにはサッカーW杯が開催されたことによって、スポーツってゆーリアル中のリアルなイベントに世間の感心が集まって、老いも若きも男も女も大騒ぎを繰り広げ、その余韻が3週間ばかり経った今も残っていることだったりするけれど、加えて本日、世間をアニメだコミックだファンタジーノベルだってな虚構中の虚構にドップリと浸らせて来た角川書店が、「ディスカバリー・チャンネル」って一種学術的教養的な番組のDVDを発売することになったって発表を聞くにつけ、なおいっそうのリアル復権の気分が強まったよーな感じを受けた。

 テレビ番組のどこがリアルだって意見は承知。それでも科学的だったり歴史的だったりとジャンルはまたがっているけど”事実”に根ざした点では共にリアルを基盤とした番組だったりする以上、まるっきり虚構であるはずがなくむしろリアルと言って差し支えなかったりするだろー。そんな番組が収録されたDVDを角川書店は9月から、続々と出していくことになっている。アニメだホラーだといったフィクション中のフィクションを得意としていた角川書店が、ここいらで教養でもって企業の体裁に格好付けよーとしてるって意見もそれとして、でもやっぱり受け入れる側にそーした教養への渇望があって始めて成立する話で、そんなこんなで世間がリアルを求めてるんじゃないかってゆー想像が、浮かんで来たのが事のとっかかりにある。

 正しいかどーかってのは今後の妄想の膨らませ方なり、専門家による分析方法なりにかかって来るんだろーけれど、仕掛けと称してメディアをまたいで繰り出されてくる様々な情報を、あらかじめそれとなく理解し咀嚼し含みおいた上で、アニメならアニメ、コミックならコミックといった虚構を受け入れ、虚構性を愛で尊ぶに至る段取りに、少々億劫さを覚え始めているのも事実。比べてサッカーの試合なり、ドキュメンタリーはそれそのものが前提としての教養も身構えも必要なく、ストレートに受け止められる。分かりやすいってこった。

 まあ当方が歳を取りすぎて、虚構をコミュニティでもって共に盛り上げていく流れにノれなくなってしまってる面の多分にある。それでもストレートに見て楽しく勉強にもなるリアルに根ざしたコンテンツを、受け入れる側の高邁な知識欲ってものがバックアップしてるって言えなくもないだけに、いずれ大きなマーケットを確立するよーな気がしないでもない。あと与える側の社会的お墨付きを得体って下心も。そーなればなったで角川書店には先見の明があったと言えるけど、結果が出るのはしばらく先だろーから、今はどこまでフィクションに力を入れて来るのか、虚構の方はどこまでリキ入れて来るのかって部分へのウォッチを、しばらくは続けてみよー。虚構の王様なイベントも明日に控えていることだし。

 しかしいくらリアル万歳だからといって、こいつはちょっとないよなあ、なんてことを思いながらジッと手を見る。中にあるのはおにぎり、とゆーかおにぎりの形をしたプライスティックのカタマリ。「千と千尋の神隠し」がDVD化されるにあたって予約の特典として付けられていたものだけど、渋谷の「TSUTAYA」に行ったらなぜか予約なしでも「ハクのおにぎりフィギュア」がもらえるってんで、特典モノに弱い身として金も尽きかけている月末であるにも関わらず、ついふらふらと購入してしまったとゆー次第。あらためて見るとご飯粒を固めた感じはまあ出ていて、触るとご飯のベトベトっとした感じもどことなく再現されているよーで(触る僕の手が熱さで汗ばんでいるだけかも)、食品模型にも近いそのリアル感にちょっと驚く。

 似てる、ってリアル感もそーだけど、このおにぎりが目的にしているのは「食」ってゆー人間が生きるにおいて最もリアルで切実な問題となる行為への想像力の喚起。プロデューサーの糸井重里さんによれば、「おにぎりは働くこと、食べられることへの価値のシンボル」で、「『生きること』の価値をたたえることにもつながっている」のだとか。映画の中で誰もが1番に感動した場面だとあげる、豚になった両親を確認して気の抜けた千尋がハクの差し出したおにぎりを食べ、涙をボロボロとこぼすシーンを「ハクのおにぎりフィギュア」によって思い出させ、通して人間は食べなければ死んでしまう生き物であって、食べるためにはいろいろ苦労もしなくちゃいけないんだってことを思い出させよーとしている、らしー。

 その善良な認識をパッケージに理由ととうとうと書いて、「何故いまおにぎりフィギュアか」を説明してしまうおし着せがましい感じに辟易とさせられる人もいるだろー。注意されたり説明されてしまうと逆ギレして反抗心が頭をもたげて来るのもので、良かれと思ってやったことがウザイ鬱陶しいと思われ逆効果にならないとも限らない。フィギュアをつけるまでは良いとしても、その理由とパッケージに書いてしまったのは、印象としてちょっと格好悪い。ただ、そーまでしないとこの飽食のニッポンで人間が生きていることへのリアル感を意識することもないかもって思える時もあるだけに難しい。

 少なくとも意識を顕在化させるフックとしての「ハクのおにぎり」をフィギュアにするってアイディアを、割にストレートにだったか3回転半くらい捻ったかは分からないけど、思い至ってなおかつ具現化してしまったことについては、宣伝プロデューサーのアイディアに感心するしかない。しかしやっぱり、もらって嬉しくないおまけであることも事実。だいたいが「ハクのおにぎり」とか言って、原型を握ったのはおっさん(宮崎駿監督)だったりする訳で、細く繊細なハクが握ったと思えるからこそ食べてそのありがたみが感じられるのに、あのペンだとこか出来ていそーなごっつい手、のべつなくなし煙草を吸いまくってる手でエイヤッと握ったおにぎりを見ても、飽食が粗食で云々とはなかなか思えないのが弱った所。海原雄山に渡したらフィギュアを床にたたきつけて怒鳴るに違いない、「煙草を吸う奴は料理人失格だ」って。


【7月18日】 本の山とゆーか正しくは台地を越えてプレーヤーへとディスクをさし込み、渓谷の奥深くに位置するテレビのモニターを見おろす形で映し出される作品を見る窮屈さが億劫で(だったら掃除しろとゆー突っ込みは却下)、新しく買ったDVDを見ない日々がかれこれずっと続いてたりしたけど先だって、作り上げたパソコンでDVDを見られる環境が、意外と便利で未消化だった作品をちょっとまとめて見てみたくなって来た。

 手元で自在に操作しながらすぐ目の前で見られる、ってのがこれほどまでに便利とは、やってみるまで気が付かず、パソコンでDVDを見ている奴等の気がしれない、って思っていたのを振り返ってちょっと反省する。無論画質については専用機にかなうべくもないし音声だって質が低いけど、どーせ日常的に使っているパソコンでいっしょに楽しめる、って便利さに比べると画質音質の類ってそれほど気にならなくなるから奇妙な物。MP3とかの低品質ぶりにこんなんで音楽を聴く奴の気がしれんと今でも思っているけど、やってみると案外とハマってしまうのかも。こーやって人間、どんどんと堕落していくんだなー。

 もう3週間近くが経つのに未だ引きずるサッカーW杯。続々と出てくる特集誌を読みながらあの6月のあの喧噪を思い出しては今のこの、世間とか社会とかメディアとかの無関心ぶりに心を曇らせる。もっとも洪水のよーだった情報を通してではなくって、実際に現場と触れ合った人にとっては未だ忘れ得ぬ思い出でありまた、血肉となった経験でもあるよーで、「ナンバープラス」のワールドカップ特集号、最終ページに掲載された「カメルーンの思い出」って大分県中津江村の中学三年生、遠坂恵子さんが書いた文章を読んでナマなW杯が与えた影響の強さ大きさ素晴らしさに涙する。

 5日間待った午前2時に起きてでも出迎えにかけつけたワクワク感に筆を起こしたこの1文。ウインクしてくれたレゲエ頭のカッコイイ(そうだ)理ゴール・ソング選手のファンになったウキウキ感を素直に吐露し、そんな選手たちを歓迎するために花笠音頭を一所懸命踊るんだと心に決める辺りの心情の、ストレートさにこっちまであのワールドカップが日本にやって来ると決まった時の高揚感を思い出して嬉しくなった。「一緒に踊りましょう」と言ったらソング選手もエムボマ選手もいっしょに踊ってくれたという、そのことが中学三年生にこんなにも感動を与えたんだとゆー事実を見るにつけ、人が人に与える影響の大きさ、強さってものを思い知る。

 今日発売のレギュラーの方の「ナンバー」だと確か、パラグアイのチラベルト御大が松本で少年刑務所とかを訊ねてスピーチしたり子供たちのPKを受けるイベントを開いたりして交流した話が紹介されていたりして、やっぱり何かを、それも結構大きなものを松本に残していったんだろーと想像できる。「これからも、ずっと、サッカーファンでいようと思う。あの心やさしくて勇敢なライオンたちが地球のどこかでサッカーをしているかぎり、私もまたがんばろうという気持ちがわいてくる」とゆー遠坂さんの一文に、審判問題とかいろいろあったし試合の質とか共催の弊害とか施設利用の問題とかが専門家にいろいろいわれていよーとも、今W杯は大成功だったと思えて来るし思いたい。ところで遠坂さんて可愛い娘? シスプリで言うなら誰に似てる?

 「スターウォーズ エピソード2 クローンの攻撃」の日本語版の声でヨーダが永井一郎さんだと気づく。なるほどチェリーか。「さだめじゃ」とか言うのか。見てみてえ。どーせだったらアナキンは古川登志夫でアミダラは平野文で見てえなあ。残念でもないけどアミダラは坂本真綾さん。まあこのあたりは誰だやってもそつなくこなしそー。第1作を日本でテレビで初放映した時の声に比べれば、ってレーアを誰がやったか覚えてないんだけど、松崎しげるに渡辺徹はこんなにしっかり覚えているのに。メイス・ウィンドウは玄田哲章さんか。まあ普通、肉体系だし。C−3POは野沢那智さんじゃないんだな。ジャー・ジャー・ビンクス=田の中勇さんって……どんなんだ。


【7月17日】 折角なDVDビデオの見られるドライブを活用しない手はないと、再生に必要なUSB2・0のインタフェースが利用できる「RATOC」のカードバスのUSBインタフェースを買って取り付けたは良いものの、どこかに不具合があるのか食べ合わせが悪いのか、そっちの方に「Logitec」のDVD−ROM&CD−RWドライブを差し込むと認識しなかったりしても中身を読み込むまでにとてつもなく時間がかかったりする現象が起こって気が急く。なおかつ肝心のDVDビデオを再生しよーとしてもソフトを認識しなかったり使っている途中でドライブそのものを認識しなくなったりする不具合が津波のよーに押し寄せて来て気が萎える。

 「ムラマサ」本体の1・1の方のUSBだと大容量メディアを取り付けるのは変だよってアナウンスは出るけど無視すればちゃんと駆動するしCDの再生CD−ROMの再生は全然平気だったりするから分からない。想像するにサウンドボードとか積んでないのがいけなかったりするのかもしれないけれど、ただのCDとか入れた時でもやっぱりときどきしゃっくりを起こしたりするから、単純に食い合わせの悪さだったりする可能性もあったりするのかも。まあとりあえずはDVDビデオを見さえしなければ使えることは使えるみたいなんで、残る課題としてはCD−RWとしての利用がUSB2・0のインタフェースで可能かを検証してみよー。使えたって使い道はほとんどないんだけど、30ギガとはハードディスクドライブがあると。

 とか安穏としたことを言っているのも癪にさわるんで、ネットの「RATOC」のページからドライバをダウンロードしてマイクロソフトご推奨なドライバと入れ替えたらこれがどーした、見事にDVDビデオの再生が出来るよーになったではありませんか。問題は安くてボディもペカペカとしたDVD−ROMの方にあるんじゃないかって勝手に想像してたけど、そっちは全然大丈夫で、肝心要のドライバがマイクロソフト純正では、インタフェースとマッチしてなかったことが判明する。純正万歳とは限らないんだなー。それともマイクロソフトならではの手抜かりってことなのかな。

 ってな訳で部屋に落ちてた「フリクリ」のこれは第6巻かな、久々に見返していたりする真夜中、テレビのモニターで見ていた時にくらべて眼前に立ち上がった液晶モニターのクリアさに、小百合さんがテレビで行ってた「液晶テレビの時代が来た」とか何とかゆー言葉の、コストはともかくクオリティでは正しかったんだなーってことを認識する。でもぶん回るディスクだかファンの音が五月蝿過ぎ。テレビの良さ、専用機の良さってもついでに認識する。何でもできる便利さでは勝てないこだわりに、情報とかつかない家電の活路があるんだろーなー。

 23個。も食べたと見るか、しか食べなかったと見るかは人によって意見が別れそーだけど、歳を重ねて弱って来た胃袋には、朝食も昼食も抜いた午後2時のギョーザ23個は正直言って結構胃袋にヘビーだったと言っておこー。ナムコが横浜のカレーに福岡のラーメンに続いて池袋にオープンした食のエンターテインメント施設、名付けて「フードエンターテインメント」「フードテーマパーク」の最新版「池袋餃子スタジアム」だかが「ナムコナンジャタウン」の中に間もなくオープンするってんで、その内覧会&試食会を見に行き喰いに出る。数えた訳じゃないけど13軒くらいの餃子の店が蒲田から東京から大阪から宇都宮から上海から、出店していておまけに食べた人の人気投票にさらされるって企画を受けて立っていて、それぞれの店の自信のほどに感心する。

 なるほどテレビじゃ名店が「キッチンスタジアム」とかで鉄人を相手に戦うって番組が成立してたけど、相手が名うてのアイアンシェフなら勝てば儲けもので負けても仕方がないって言えるけど、これが同じ平場に10店20店並んでお互いに味と人気を競い合うとなると、負ければ悔しさもひとしおってことになるわけで、だからモールのよーな感じに名店が出そろって競い合う、なんって試みが成立するとはあんまり考えられなかった。それがお互いを目の前で見ながら「投票」って残酷なまでにシビアな視線にさらされることを受け入れる。優劣を付けられる自信をそれだけ持っているってことがやっぱり、大きいんだろー。

 あるいは投票がそのまま店の序列を決めてるって受け止めるよりも、お互いが切磋琢磨し発憤する材料として受け止めつつ、そーした日々研鑽の様子を衆人環視の中でやってのけることへの強い意欲を、職人芸っぽく唯我独尊独立独歩を行っていた食の世界の人も持つよーになったのかも。福岡で「ラーメンスタジアム」を作ったころはそれでも比較され負ければ貶められると思った店もあって、説得するナムコの人も苦労したそーだけど、1年で100万人とか集める施設って意識がひろがりそんなにお客さんが来てくれる中で腕を震える素晴らしさを思えば、比べられることなんて単なる余興だと思えるよーになった可能性もある。

 ともあれ20日あかにオープンの「餃子スタジアム」は選りすぐりの餃子の店が「ナンジャタウン」の中に並んでて、宇都宮とかにわざわざ出向かなくてもそこで評判の店が何軒も出ていたり、ほかに全国で評判となっている店がやっぱり何軒も出ていたりして、半日くらいかけて順に食べて歩くとたった半日で全国を回った気になれる、かもしれない。選りすぐりだけあってどこもそれなりに特徴があって、焼き餃子も蒸し餃子も揚げ餃子も逸品揃い。パイ生地に肉とかソーセージを包んだ餃子(ってゆーかミートパイに近い印象)もあってこれはちょっと珍しい。

 マヨネーズをつけて食べると美味しい海老揚げ餃子も良かったけど、個人的には蒸しっぽい雰囲気で中に肉とスープがしっかり入ったボリュームも満点の華興だかの餃子が気に入って、2皿4個も食べてしまいました。作ってる場面も後ろから見られてこれま楽しい。カレーじゃあそこまでは見られないからね。何度でも来て何店でも回りたいだろー人のために「ナンジャタウン」の入場システムを変更して、入場料を300円とかだかに下げて後は中で遊んだ分だけ料金を取るよーにしたほどで、昼食のために入場料を払う人はいないだろーけど宇都宮まで行く手間とか考えれば300円の入場料は安いくらい。中国に行くと思えばなおいっそーの得、なんできっと結構な賑わいを見せることだろー。50個、とかやっぱり食べる人も出てくるなろーなー。体調を整えてまた行こう、目指すはとりあえず歳の数。多いんだこれがまた。


【7月16日】 ふむふむふむ。いろいろと出そろって来た「第41回日本SF大会 ゆーこん」のリポートだけど妙に気になるのが例の”SF大会史上最も豪華”を豪語され実際、豪語も当然と思った夕食についての記述。なるほど「ホテル玉泉」に泊まって「国引」ってオープニングとエンディングを開いた大広間で食べた食事は、下の写真にもあるよーに大きめのお膳ですら一杯いっぱいにおかれた皿に鉢に固形燃料タイプのコンロが2つ。乗っているのは手前の左が小さい割には結構身がつまってて冷凍っぽいスカスカした感じがなかった蟹で、その上方にあるのが肉の厚いところが2切れにアスパラ3本と茸が2かけらから鳴るステーキ。目を右へと動かせば途中に茶碗蒸しやら海老の唐揚げ2匹やらを挟んで3枚ぶんはあった肉とその他の野菜椎茸餅なんかが入ったしゃぶしゃぶが乗り、手前に降りて焼き魚に刺身類が鎮座まします。割子そばもあったな。

 加えて刺身は後で平目が追加され、それを平らげもう一杯かと思われた心の緩んだ所に襲いかかるは香の物、汁にそして茶碗にこんもり盛られた白いご飯。それらをどーにか流し込んださらに後に、メロンと2センチ四方くらいのケーキが乗った皿が届いたのが記憶に残っている「ホテル玉泉」の夕食のすべてであって、その豪勢さに驚きつつも女将も含めて風情だったらありそーな、「まっぷる」の観光ガイドブックにだって「玉泉」を差し置いて掲載されている「松の湯」の方が当然ながら同等か、あるいは上等な夕食をとっているものと思っていただけに、あちらこちらから聞こえて来た「ステーキだって!」「メロンが……」といった「玉泉」を称揚するコメントがにわかには信じられなかったし、今もって自信を持てずにいる。

 見れば一目瞭然なんだろーけれど、「玉泉」については僕が撮った写真が下にあるし、たしか「時刊新聞」にもイラスト入りで詳しく紹介されていたはずだから、見ればだいたいの感じはつかめるだろー。一方で「松の湯」に関しては漏れ伝わってくる話はあっても、証拠となる写真が知っている範囲ではどこのサイトにも上がってなくって、あるいは単なる”となりの芝生”的な言説ななろーかと想像してみたくもなっているけど、現実あれほどまでにいろいろとコメントが飛び交う以上、やっぱり看過できない差があったって可能性を捨てられない。事前にあれほどアナウンスのあった夕食だから、当方は当然の気持ちで写真に撮って後世の語り草にしよーとしたんだけど、同じことを「松の湯」で考えた人はいなかったんだろーか。2、3日は疲れも残っているだろーけど週末あたりからは続々、リポートも出てくるだろーからそっちでの絵入りの報告に真相を見るとしよー。まさか伊勢エビとか出てなかっただろーな?

 けどしかしまさかそれにしても。ってな感じに”意外”をニュアンスする言葉をつらつら並べたくなった今朝のキオスク、すでに世間が2週間前まで開かれていた世界最大のイベント「ワールドカップ」のことをすっかり失念している状況に、駅頭の週刊誌が堂々とサッカー選手を、それもトルコの控えフォワードでセネガル戦でのゴールデンゴールから一気に話題が沸騰したイルハン・マンスズ選手を表紙に取りあげている様を見て、そうかそうかサッカー雑誌も人気先行実力後送な日本選手や4位にすら入れなかったイングランドにベスト8に残れなかったイタリアのイケメンばかりを取りあげるのをやめ、人気実力ともに備えた若手にスポットをあてるよーになったかと思い近づいて口あんぐり。「週刊女性」、そのまさに表紙をイルハン王子は飾っていたのです。なぜまたどうして。

 おまけに記事がなかなかにクリティカル。女性誌だからって下半身の奔放さとかをあげつらっている、なんてことはなくって帰国して更新している本人のホームページでの日記とかを紹介しつつ、一夜開けたら王子さまだった的境遇に置かれたとまどいと、喜びなんかをまっとうに真正面から紹介していて、まるで情報の入って来なかったその後のイルハン選手の近況が分かって為になった。記事ではほかに日記や記事から本人の生真面目な性格を読みとったり、滞日中のトルコの人に恋人の話を聞いて「セリーヌ・ディオンを太らせた感じ」ってことをつきとめたりと、他のスポーツ誌も新聞もやってくれなかったことをキッチリ、やってくれていて勉強になる。

 問題はやっぱイルハン王子のことを女性誌の読者がどれだけ知っててどこまで雑誌を買ったか、ってことなんだけどトッティ級の見栄えの良さで間違えて手に取ってしまった人もいるだろーから、それをきっかけにしてサッカーにも興味を持って頂けたら、後の隆盛へと発展していってサッカーファンとしては嬉しいかも。ファンが大挙してトルコに押し掛けトルコリーグが栄える反面、日本はますます見向きもされなくなるって可能性も否定できないけれど。やっぱ連れてくるべきだな、Jリーグに。

 ガルシア・マルケスが中上健次って言われてもどっちも熟読してはないんで判然としないけど、そんな誉め殺し(殺しかのか)方をされた小野正嗣さんの三島由紀夫賞受賞作「にぎやかな湾に背負われた船」(朝日新聞社、1200円)の冒頭をぺらぺらっと読んで、マルケスの重厚さ(想像)も中上健次の壮絶さ(予想)もなく淡々と、時に軽快にどこかの湾を囲んでひっそりと佇む漁村の柵と純真さでいっぱいな人々の訥々とした暮らしを綴った本、って印象をもって特段凄みは覚えなかったんだけど、帯の紹介文とか読むと結構深刻さ、神秘さも兼ね備えていそーでこれから、どー発展していくのかに期待している。面白かったらデビュー作も読んでみよ。


【7月15日】 島根で遊んでいた真っ直中にフィリップ・トルシェ元日本代表監督がご帰国あそばされたそーで、ほうぼうから青いジャージに身を固めたトルシェ・マニアが集まっては三々五々「トルーシェニッポン ドドンドドンドン」ってなことをやったみたいで、見送りに行って見たかった身としてとっても残念な気持ちになる。よっぽどじゃないともう日本には来ないだろーし(ジーコですら年4回がやっとだったんだし、ってそれで日本のことを知ってる人かよ)、ましてや本当にフランス代表の監督になったらフランスチームが来ない限りは来日もないって訳で、せめて最後くらいはその勇姿を直に目に焼き付けていたかった。ダバディさんの隣にいない姿ってのもあるいみお宝映像だっただろーし。

 とくだんリハビリに勤しむこともなく強制起動でサラリーマンモードになって朝っぱらから会社へと、行くつもりが遂にパソコンが絶不調へと陥ったため代替機を仕入れるべく秋葉原へ。まっさらな状態だったら電源の持ちとかサイズの小ささとかからいろいろ選べたんだろーけれど、電源コードをプラグのサイズがいっしょだからってことで使ってた「メビウス」の「ムラマサ」って奴を 1台、預金残高がマイナスになっているのを知りつつも買ってしまう。評判のポップアップキーボードは傍目で見ていたよりも丈夫そー。薄型の本体もいろいろと手がかかっているそーで、薄いからってカラテで瓦代わりにしても体力的には4枚がやっとだろー。1回100万円のチョップ。心理的は1枚だってチョップできない品物だけど。

 どだどだとセットアップしてネットに繋がる原稿が書けるってな状態までを1時間もかからず実現。キーボードの方は前のと同じ気分で打とうとして何かヤワいかな、って印象を最初にもったものの使っているうちに柔らかく打つことにも馴れてむしろ、力があんまりいらず打てて前より良い感じになる。乱雑になった机の上の書類の山から雪崩おちた本の角が、使用中のキーボード上に落ちてキートップを吹っ飛ばした時の対処とか、検討してみる課題があるけど検討するにはリスクが大きいんで極力しばらく、机を綺麗にすることに決める、心では。

 前のパソコンからデータを吸い上げよーと思ったけどこれってただLANのクロスケーブルでつないでも出来るんだったっけ、まあ80ギガの外づけドライブがあるからそっちに移してえんやこら、ってやってやれないこともないけど問題は、拾ってきて入れたソフトがまるで使えなくなってしまうこと。始末の悪さでパッケージがどこかに埋もれてしまって出てこず再インストールできないんだよね。それでも「一太郎」にPHS用のドライバーは探して見つけていれられたんで、あとは「携速」と「大百科事典」を掘ろう。CD割れてたらやだなあ。

 まるで真業(希望)の本読みが出来ないなかを課題図書だってんで乙一さん「GOTH リストカット事件」(角川書店、1500円)なんかをペラペラ、特段にパズラーとして殺人も殺人者もパーツのよーに配置してみせている訳ではなさそーなのに、出てくる人たちの殺人への意識の乾きっぷりは果たして、乙一さんの本音なんだろーかそれともやっぱり意識して、観察者的なテイストを出しているんだろーかと考える。あるいは世代に割に共通した気分としてこーした、理由の見えない殺人が起こり得たいの知れない殺人者が闊歩している世界を感じていたりするんだろーか。78年生まれは滝本竜彦さんとそー言えば同じだけどまだ、滝本さんには人間を感じるからやっぱり乙一さんのテイストでしかないのかな、まあ殺人者よりはオタクの心理の方が分かりやすいってだけなのかもしれないけれど。

 それから川上弘美さんの「竜宮」(文藝春秋)も。海とかあの世とかいろんな場所からやって来たり甦ったりする古くて妖しい存在と、今に暮らす人たちの心や時には体の交流を通して今の荒んだり慌ただしかったりする世界を見つめ直させ、曖昧でも適当でもいい、妖しい世界を意識し認め楽しむだけの心の余裕の必要性を感じさせる、って印象を持とうと思えば持てるけど、まあ大意としては唐突なんだけど妙に納得させられてしまう現実と非現実とのシームレスな交換から、浮かび上がる不思議なビジョンに身をゆだね流される快楽を味わうだけで十分過ぎに楽しめる。

 「北斎」って冒頭からしていいきなり「昔自分は蛸であった」と名乗る男の話につきあわされる内容で、語る話は蛸だけに触手がうにょうにょしていて女性をそれはもうものすごくよがらせることが出来た、って艶話。けどだんだんとそーした暮らしにも倦んで海へと帰りたい気持ちを抱くよーになって行く。良いことって続き過ぎると良くないんだ、流されるのって楽だけど主体性がないとどこかで立ちすくむんだ、ってことをまあ、教えてくれているよーでもあるけどでも人間、良いことを求め流されるままに生きるのを求めてしまうんだよねー、でもってどこかでのたれ死ぬ。最低だけど最高。

 「竜宮」はヘンな話。巫女だった婆さんが少女の姿で甦ってカツレツを喰いたいってせがむ話、と言われてなるほどその通りなんだけど婆さんが巫女だった頃の話からして崇められたものの放逐されて物乞いとして生きていたら子供が出来て、けれども子供は幸福の神様として食事をねだりに行った家の中へと引きずり込まれて帰って来ず、って聞くも意味不明の描写が重なって戸惑う。あるいは女の生き様、って奴を暗喩しているのかもしれないけれど流しただけの現時点では不明。意味深なんだけど上っ面の雰囲気だけでも楽しめて、けれどもやっぱりひっかかる辺りがただ雰囲気だけの作家との、大きな違いなんだろー。銀座旭屋のサイン会行けば良かったな。


【7月14日】 到着していたのかいなかったのか、昼間はまるで姿を見せなかったのが夜になると途端に元気満々で、缶ビールを手にトークをこなす東浩紀さんは午前も2時とかいったとんでもない時間に始まった、新海誠さんの「ほしのこえ」に関連するパネルディスカッションに新海さんらと登壇しては、手にした予定表を逐一確認するかのよーに愚直に質問をしつつも、すでに答えが話されているから次に行こうって感じに、ちょっぴり悪漢はいったキャラを見せていたのが印象的。眠らずにいた夜明けに誰もがテンションたかくなるって現象の、これは現れだったんだろーか。

 それでもどーしてここまで「ほしのこえ」が受けたのかって理由で、上の世代には見たかったものを見せてくれったって点、下の世代には1人でもこれだけできるんだって点で、上下両方の世代に夢を与えたことが総量としてのセールスにつながってるんだ、ってな指摘をちゃんと即座にしてみせる反射神経の冴えは真夜中大王の異名(今つくった)に恥じない。夢にずいぶんと対価が払われてのセールスだけに仮に「ほしのこえ」より優れた1人アニメーションが出てきたとしても、夢の部分がゴソッと抜けたセールスにしか至らないって分析をそのまま、正解にしてしまうのは後進への更なる期待を抱きたい身には酷だけど、世の中偉大なる先達を超えるのはどんな分野でも至難の技。地均しとゆーメリットに先達の壁ってゆーハンディを差し引きした地点から、出発するだけなんだと思って粛々と、けれども虎視眈々と取り組むことが大事だったりするんだろー。

 同じ建物の天上&床を挟んで上下にいるのに何故か出くわさない東浩紀さんと唐沢俊一さん。廊下の角でぶつかりでもしたらお約束的に何かが生まれるかもしれないな、って思ったけれどともに大車輪で真夜中の企画に絡んでたみたいだし、そもそもがダマして引っ張っていっては廊下でゴン、なんてことを出来る相手でもないんでそれはラブコメとかのパロとして、誰かが同人誌で描いてくれる日を祈念しよー。さすがに疲れたか消えた東さんを目で送り、壇上で続く新海さんの雲バンクテクニックの披露に背中で感心しつつ、「松の湯」を出て宿泊している「ホテル玉泉」へと戻って睡眠、したと思ったらすぐに起床時間が来たんで前夜の分が少し残って垂れ下がってる胃袋に、朝食と放り込みその足で風呂へと向かって腹ごなしをしてから帰り支度。荷物をまとめてからクローク部屋に放り込んで大広間で開催あれた閉会式を見る。

 いつもと違う黒マント人だった「暗黒星雲賞」は趣旨は外しているけどネタ的に最高な授賞が連発で笑う。企画部門で「夕食」に「女将」ってどーゆー訳だ、おもしろいじゃねーか。それにも増して凄かったのは副賞で、作家だけど農園主でもあるらしー石飛卓美さん寄贈の椎茸の菌が植え込まれてある「ホダ木」をひとりひとりにプレゼント。見た目はただの丸太ん棒でしかもとても重そーで、嬉しいんだけどちょっと迷惑な表情を浮かべる受賞者の顔に笑う。コスプレはぬいぐるみが受賞したけど何のぬいぐるみかは不明。ゲスト部門はNASDA広報の静止を振り切って参加の野田指令さんがおめでとうだったけど、体よりも大きな(誇張)ホダ木を受け取った瞬間に倒れるか腕が折れるんじゃないかと思った人のいったい何10人いたことか、次点コスプレーヤーの児童よりも心配度、高そーだったし。

 クロージング。投票となった挙げ句に開催の決まった来年の水上温泉での「第42回日本SF大会 T−CON」の開催に関して、投票時に行ったプレゼンでの「値段は3万円台にしたい」ってコメントに反して4万円ちょーどとなったことに熱く質問している人がいて、生真面目な方もSFのファンにはいるんだなあ、って感想を抱く、って偏見か? この歳になると3万が5万でも行きたけりゃ行くし行きたくないなら行かないって割り切りが出来てしまうよーになって、ちょっとした”公約違反”でもぜんぜん憤れないんだよなー、ってか2泊4万ならむしろお得って気もしちゃう。場所だってまともにいけば東京発の往復で3万から5万円はかかる島根に行くことにくらべれば、安価に仕上げられる関東だしね。ちなみにその次の年は岐阜。昼間のみの都市型になるのかな。実家から通える距離だけど夜とか楽しそーなら泊まろう、っても2年も先だ、まずは頑張って生き延びることを目指そー。

 とっととシャトルバスに乗って玉造温泉駅から出雲市駅へと向かいバスで「出雲大社」へ。オプショナルツアーもあったみたいだけど申し込んでないし団体行動が割に苦手なこともあって、1人リュックを背負ってあちらこちらを見て回る。なるほどでかかった本殿だけど、伝承によれば大昔はさらに巨大だったとかで、それが今残っていたらどんな感じに見えるのかを、ヨーダ様すら生きて動かすCG技術でもって再現して欲しくなる。ぐるりと見たあとぶら着いていると押っつけコミケの偉い人一行とかオプショナルツアーの一行とかがやって来て楽しそー。団体も良いものだなとちょっと弱気、歳か。

 日なんとか崎まで行こうと思ったものの雨が降り出しそーな天気で、前日松江で降られた大雨で染みた湿気か水分だかでパソコンがいかれ飛んだ記憶が残っていた関係であきらめ、近所にある「出雲阿国の墓」と「塔」を見て回る。周囲に歌舞伎役者の上りを従えた墓は割に質素。砕いて呑めば芸がうまくなるって伝承もないんで別い削り取られもしていない。偉績を祈念した塔はあの近衛文麿元首相の筆による文字がきざまれた立派なもの。姿を写し取ったらしーレリーフにベタベタとさわってその肉感を確かめよーと思ったけど、フツーのブロンズの感触でちょっと残念、肉々ってしてる方がよっぽど怖いけど。

 塔まで上がるだけでも階段を200メートルばかり登らなきゃいけなかったのに何を思ったかさらに200メートル上にある展望台まで上がって足が棒。近所の高校生が自動車の道を上がって展望台までやって来ていて、何をするでもなしにボーっとしていたの姿が青春の踊り場っぽくって良かった、いや本当は絡まれてカツアゲされるんじゃないかってビクついてたんだけど、人とか滅多に来そーもないし。バスで戻って出雲市駅近辺を散策、するも何もなし。繁華街すらない状況に出雲がいかに大社町を玄関にしていた地域だったのかってことが伺える。

 名物がなく特徴もない地方都市を活性化させよーと、岩國哲人元市長」は「出雲ドーム」とかを作ったんだろーけど箱ものだけじゃー変わるはずもなかった模様。ヤマタノオロチをシンボルにしたいのか「おろち通り」とか作り大蛇の巨大なモニュメントを作り、バスにはイラストを入れ8月には「いずもオロチまつり」を開くらしーけど、そんなにヤマタノオロチって出雲に根付いたポピュラーなどーぶつ、なんだろーか。そもそもがヤマタノオロチっのオロチってのは日本人の感覚で言うところの「龍」を指すんだろーか。辞書とか見ると「大蛇」のことをオロチってゆーそーなんだけど、バスのペイントもブロンズの像もどれもが龍を型取ったものになっていたりするんだよね。大蛇祭りじゃー客、来ないから仕方ないんだろーなー、なんて巳年が言ってどーする。


【7月13日】 明け方まで飲んでただろー不明瞭で無目的なとりとめのないメンバーによる飲み会を中座して帰宅してまわし(準備)してからベッドに入らず椅子から脚をベッドに伸ばした「チケゲット」スタイルで仮眠し始めたのが午前2時半。でもって午前の5時にはもそもそと起きだして用意してあった韓国代表ユニを着込んでリュックを背負い、朝逃げするよーにして総武線快速へと飛び乗り品川から京急羽田線を経由して羽田空港へと向かう。着くといるわいるわ、午前8時羽田発出雲空港行きに乗る連絡バスを待つ人たちのなかに、それらしき風体をした人があちらでコロニーこちらでぽつねん。ふと振り向くとななななんと、野田昌宏宇宙軍大元帥までおられてすでにして「日本SF大会」は始まっているんだてな実感を抱く。

 朝から読んだ新聞にニアミスとかって記事が載っていたところに加え、案内に従ってバスに乗り向かう先に現れた飛行機はマクドネルダグラスの何とかって小さい奴で瞬間、妙な感覚が背中を走ったけれどかの大元帥がご搭乗あそばされるフラッグシップならぬフラッグエアプレーンが早々、容易く墜ちるはずがないと固く心に自覚。じっさい旅程は大きな揺れもなく、歩けば何十日もかかる距離を1時間ちょっととゆー瞬きするよーな時間で、東京から出雲へと僕たちを運んでくれた。寝て起きたらついてたから瞬き1回、誇張はないね。

 降りてくる人たちに見かける有名無名を問わないその筋の人たちの大勢が出雲行きのバスに乗るのを後ろに見つつ松江駅行きのシャトルバスに乗って一路松江へ、って別に目的もあった訳じゃなく、半分は勢いだったんだけど明日の夜まで時間があると思えば出雲大社は先でも良い。空港からより遠い松江の方を今日は見物するのが妥当と内心、言い訳も立てて松江の駅頭へと降り立つ。さて困った。どこに何があるのか分からない。コンビニでガイドブックを買ってはミスドでためすがめつ名所旧跡をチェックして、まず目に入った出雲そば屋へと向かうことに決める。観光より食欲、これ常識、人間の。

 バスを乗り継ぎガイドブックのトップいあった「出雲そばきがる」とかゆー店へとたどり着いた当たりで空気がどよんと重くなった感じがして、もしやと心配しつつもとりあえずは腹ごしらえと「満月そば」ってのを所望、割子3枚のそれぞれにうずら卵が乗った豪華版でかつ、そば粉100%の特選って奴を頼んで食べるとこれが実にしこしこのつるつるで、名物にもちゃんと旨いものはあるんだってことを実感する、まあここでいう名物ってのはお土産で堂々名物って唄っている背伸びし過ぎな奴のことなんだろーけれど。

 近所のおっさんたちが割子にさぬきをかきこむ、構えの割には庶民的な雰囲気に好感を抱きつつ出て歩いて小泉八雲記念館へ。空はますます淀み空気はますます湿気を帯びて、吹き出る汗に内からもびしょぬれになってたどり着いた小泉八雲の暮らした家は質素でおちついた感じの日本家屋で、こんな所に住めたらいい話も浮かぶだろーと考えつつも自分だったらこの部屋に書棚6竿、こっちには大型テレビにLD、DVDのプレーヤー&ゲーム機6台ってな感じになってしまうだろーから、広くたって良い家だって住む人の性格知性の枠組みを超えては、その佇まいを維持し得ないんだと納得する。

これだけではないのだ  松江城でも最後に見るかと歩き始めた途端に遂に、降り出した雨がまたたくまに土砂降りの豪雨となって路上を川のように流れ出し、おまけに雷までもがゴロゴロと鳴り響くに至ってもうこれはダメだと近くの松の樹の下民家の軒先を渡り鳥して雨宿り。かろうじて収まった間隙を縫ってバスに飛び乗り駅まで戻ったものの、ただでさえ乾きにくいジーンズがずっしりと水を含んで歩くのすら困難となったんで、駅の構内でつり下がってた「ユナイテッドアロウズ」の下のブランドの「グリーンなんとか」を買ってトイレで履き替えてとりあえず人心地。してから電車に乗って玉造温泉へと向かう。ワンマンバスのような料金箱のついた電車なんて初めて見たけどこれって全国的にポピュラーなものなのかな。

 電車で移動の間も徳間書店の大野修一編集長はずっと「SF創作講座」で批評する「でならひ草紙」を読んでて聞くと出雲について(同じ飛行機)ずっと読んでいたそーで、雨にも濡れなかったけど蕎麦は食べず観光もしてない模様。編集の鏡、だなあ。さて玉造温泉はホテル玉泉に宿泊してオープニングから星雲賞の発表からファンジン大賞から入浴から食事からあれやこれや。食事は過去のどんなSF大会よりも豪華と豪語していただけのことはあって、食べても食べても次が出てくるRPGラスボス戦状態。ご飯までは良かったけどメロンにケーキのデザートで胃袋、止めを刺されました。星雲賞は細かくは面倒だからどっかを見ておけとしか書かないけれど、1点、注目の日本人長編を野尻抱介さんが「ふわふわの泉」で見事に受賞したことを紹介して称賛の言葉を贈っておこー。授賞式に上がった野尻さんが着ていたのが「ノーマッドTシャツ」であったことは内緒だ(言ってるじゃん)。

徹夜明けの真夜中に爛れた目元を隠すのに便利、いや皆さん元気だったけど  「センス・オブ・ジェンダー」、っても当然ながらバンドの名前ではなくってジェンダーSF研究会によれば何でもジェンダーな小説を評価しちゃいましょうって賞で米国だと既にあるジェイムズ・ティプトリー・ジュニア賞にならったものになるのかな。それの第一回目があったんでのぞく。発表。「スカーレットウィザード」……ジェンダーってそうだったのか。悩みまくりながらも5分ほど歩いて別会場の「松の湯」で開催のなぜ今それも出雲でってな印象をそのままタイトルにした「サイバーパンク なぜいま、しかも出雲で」を聞こうとしたけど人がジェンダー研と被ってて前半はビデオ上映会になっていた。久々に見た「JM」、絵は格好良かったんだなあ。「マトリックス」、「少林サッカー」に負けてるぅ。

 やがて登場した日本のサイバーパンクの兄貴、と言うか言われている巽孝之さんと物理学者の菊地誠さん、そして世代がドンと下がって中学校の時に「オムニジャパン」で「クローム襲撃」だかを読んだらしー東浩紀さんが、いずれも今時流行っていない「ミラーシェード」をかけて、並ぶ姿は温泉宿ってよりはスキー宿。ミラーなグラスっていまはあんまりどこにも売ってないらしくって、苦労して探したものの菊地さんが岡山で買ったのは普通の濃いサングラス、東さんのも同類で巽さんだけはどーにかミラーだたけど、でもやっぱりスキー用に見える。全盛期を80年代後期に過ごしたって意味ではなるほどスキーとサイバーパンク、同類だったのか、だから今は……「私をサイバーパンクに連れてって」。


【7月12日】 思い立ってヴァネッサ・カールトンの「Be not Nobody」を聴く日々。「Bay FM」ヘビーローテーションにしているのかラジオを聴いていると何故か良くかかる上に歌声と旋律とピアノの音が妙に耳に残って誰なんだろーと気にしつつも確認までには至らなかったこの数週間を経て、よーやく先だってヴァネッサなんとかって名前までは判明して、ちょっと大きめのCDショップに行って「バ」で迷い間違え「ブァ」も見て当然ながら発見できず、ふと気が付いて「ヴァ」のコーナーへと行くとありましたありました。面をこちらに向けたイチオシ的な扱いでもって、それっぽいキャリアなんかが書かれたジャケットに包まれたCDを発見して多分これだと店員に確かめもせずに購入、ってもまさか店員に向かってラジオから覚えた「フーンフンフン」ってメロディーをハミングで聴かせる訳にもいかないんで、5分ながらも間違えている可能性には目を瞑るしかないのです。歌下手だし。

 幸いにも9割5分の確率は見事に当たっててイントロの美しさをメロディの切なさに溢れた21世紀の名曲にすでになりかけている「サウザンド・マイルズ」をたっぷりと堪能。ほかのどの曲もそれなりに美しくってなるほど今のアメリカってのはこーゆー純朴なまでの凄烈さを求めていたりするのかな、なんて思ったけれど当たっているかどーかは知らない。だって「ベスト・ヒット・USA」見てないんでどんな曲が流行っているのか分からないんだもん。「メン・アット・ワーク」はちゃんと上位にいるのかな。「フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド」のクリップはやっぱり面白いままなのかな。「デュラン・デュラン」と「カルチャー・クラブ」は……(視線ははるけき彼方へと)。

 コロンビア大学ってんだから宇多田ヒカルさんと同窓ってことになるけどヴァネッサは入学が決まってすぐに曲作りをしたいからって休学したみたいでキャンパスを並んで歩いている可能性は低そう。そりゃまあ同窓だからってそまんま東さんと広末涼子さんが一緒に歩いている図が想像できないのと同様に(一緒にするなって?)、都心部にありながらも日本に比べればゆったりしてるだろーコロンビアを日米がともに期待するシンガー・ソング・ライターが並んでお弁当を食べている図も想像できないし、あんまり学校に来ないからって並んでバケツを持って立たされている図も以下同文。ただ全米でも上位に入る学力を誇る学校に先頭を走るシンガー・ソング・ライターがともに入ったって事実から勘案するに、2物を与える天って結構不公平なものなのかもしれない。ハーバードでもスタンフォードでもエールでもないのは救い、だったりするのかな。

 押し頂きつつ読む神野オキナさん「南国戦隊シュレイオー2 ダマスカス・ハート 上」(朝日ソノラマ、495円)。迫力のバトルだったと記憶している前の巻から一変してコメディのないラブな展開の目白押しに、読みつつうにゅうううと悶えまくる。某国の高貴な出身らしー今は「「シュレイオーチーム」で活躍しているアロウと、彼女から伝家の宝刀(比喩じゃないよ)を奪った凄腕エージェントのリミティアとの邂逅の回顧を経て入った本編。昔の因縁を引きずるよーな激しい戦闘が繰り広げられるかと思ったら、旅士への愛情を不器用にも表現できず枕に顔をうずめて「うにゅう、うにゅううう」と身もだえするアロウの姿が描かれたり、精一杯の頑張りを見せて旅士にサンオイルをぬらせる策を巡らせる場面が描かれたりと、そのモモイロぶりに読んで悔しさが募る、誕生日だってのに蝋燭の1本すらもらえなかった人間として。

 そんな流れから一転して襲いかかって来た敵との戦いに苦戦するシュレイオーチームだったけど、以上にも異様な展開が待ち受けていて「アレッ?」と不思議さ爆発しつつも、さてはていったいどんな裏切りと慟哭が繰り広げられる羽目になるんだろーかと物語への興味もふくらむ。時間的な進捗がそれほどなく展開ものんびりとしている感じがするけれど、それほど巻数に余裕が残されている訳でもなさそーで、下巻にかけてガジェットも伏線もすべてぶちこんだ「闇鍋」的な展開が氾濫して来る可能性が高そー。下巻で終わる可能性なんかも示唆されているだけに、せっかくだからどんな話でどんなキャラがいてってな感じの説明を超えた物語そのものの十分な説明が欲しいところ。でもきっと果たされないだろーなー。漫画版を読んだ方が奥深く楽しめるのかな。


【7月11日】 誕生日、だった訳だけどさりとてどこの誰かと22本の蝋燭を立ててひとつひとつが思い出だったと語り合うよーな甲斐性もなく、そもそもが22本だなんてサバ読みすぎって話もあって実現せず、後輩系SF系から1通づつ来たメールに深く感謝の意をささげつつもやっぱり1人の歳喰いの夜を「ダイエットペプシ」を飲みながら過ごす。甘い。まあ来年になったからって2通が200通に増える訳でもないだろーからこの辺りが限度と心得つつ、未来もし仮に有名になったらその墓碑銘に2人の名前を刻んでその功績に敬意を表することにしよー。稀代の犯罪者の墓碑銘に名前を残されるかもしれないめーわくとか省みず。

 好き、なんだねー「千年女優」が水民玉蘭さんは。「アニメージュ」2002年8月号では巻頭近くのグラビアぺ^じで実に4ページにも渡って取りあげていて且つ巻中の連載「アニメを旅する」でもアニメの場所に行くって形式の多かった内容をちょい、外れた感じで映画の中に使われているさまざまな美術設定を紹介してる。太秦の東映の撮影所にも行っているから半分は映画の舞台を旅したことになるけれど。日曜日に行っても閑散としてたってのはやっぱり「ユニバーサルスタジオジャパン」の影響があるのかな、それとも映画自体がやっぱりトーンダウンしている現れなのかな。

 2つの企画でより面白いのは巻頭の方の「藤原千代子」って映画で主演を張る女優にスポットを当てた特集で、映画に登場するキャラクターって架空の存在であるにも関わらず、あたかも実在の大女優だったかのごとき捉え方で、今敏監督「どんな方でしたか」って聞いては答えを引き出しつつ、アニメ内の演技のさせかたの意図とか過去と現在と未来が交錯する展開の意図とかを説明している。こーした遊びとも取られ兼ねないインタビュー形式の記事を今さんよく承知したもんだなー、でも読んで楽しかったけど。すでに見た身として分かる藤原千代子ってキャラクターの思い人を追い求めるフリをして、その実自分の女優魂でありプライドを屹立させよーとする凄みって部分までは流石に説明し切れてないけれど、思い人の「鍵の君」の虚構性なんかに触っていたりしていて、その辺りを踏まえて改めて虚構だったのかそれとも恍惚の一種だったのかを、ニュアンスから探ってみたい。さっさと公開しろよ映画化、秋元とかやってないで。

 ニックネームとか例えの一種だと思ってた「明るいビル」って名前がしっかり正式な建物の名前だったんで驚きながらも、「ほぼ日刊イトイ新聞」が開いた任天堂の「ニンテンドーゲームキューブ」向けソフトのお触り会を見物する。「裏E3」だなんて自称していても「E3」ほどには開発途中のゲームなんて並べることはせず、発売間近な「マリオサンシャイン」あたりが触れるよーにしてあるだけで、あとはデモ映像でも流しているのかな、なんて想像してたら大はずれ。いきなり例の「ゼルダ」がプレイラブルな状態で置かれてあって、いろいろあれこれ評判になった「ねこぢる」顔したリンクの冒険を目の当たりにすることができた。

 なるほど顔はやっぱり「ねこぢる」だったけど、寸胴で「ポポロクロイス」風の体型をしていながらも動きが実にスピーディーで、コントローラーからの指示に対して歩き走り剣を振り回すって動作を反応良くしているよーで、プレーヤーとキャラクターとの間の一体感が他のハードよりも良く出ているよーに見えた。あとビジュアル的な面もキャラクターのデザインに合わせてカートゥーン的にデザインされたものになっていて、かといって平面の漫画っぽい感じではなくしっかり3Dで表現されていて、インタラクティブな立体漫画ってものがあるとしたら、これがそーなのかもって感じさせてくれた。リアルさを追究するゲームがごまんとあるなかでまったく違う方向を探っては、しっかりと次世代のスタンダードってなものをつかんで来るさすがは任天堂。顔は「ねこぢる」だけど。

 テーブルに白いパネルが置かれてあって来た有名人とかがイラストやサインやメッセージを寄せていて、リリー・フランキーさんやうるまでるびさんだったかな、そんな感じの絵とサインがあって若手中堅新鋭大御所ひっくるめて交流を持ってる「ほぼ日」のすごさなんてものを感じる。ひとつのアート作品として作り上げられつつあるパネルにただのシロウトが何かを書いて場を荒らすのもおこがましいと寄せ書きはパス。場内を回っている間もどこかのタレントさんっぽい娘たちが入って来ては「マリオパーティー」を楽しそーに遊んでいたから、今日明日と開かれている間にさらに凄い人たちによる凄い寄せ書きが集まって、凄いパネルが出来上がって行くんだろー。どこかに飾ってくれたら見に行くんだけど。でもって女優アイドルの部分をコッソリ切り抜いて逃げるんだけど。書いていたかは知らないけれど。


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