縮刷版2002年5月中旬号


【5月20日】 カリンカ萌え。っていい歳をして何だと怒られそーだけど、加護ちゃん的な児童っぽさを面立ちに残しながらも加護ちゃんほどには幼児っぽい体型を残していない、実に微妙にして絶妙なアンバランスのバランスが、たまらなく脳天を刺激してくれてもう目が離せなくなっている。くるみの舌っ足らずな口調もそれだけの時はいささか鬱陶しさも覚えたけれど、シャキシャキ喋るカリンカが片方にいるとそれも個性に見えてきて、対比の中で一途なくるみの良さが見えて来てこれまた次ぎにどんなボケをかましてくれるのか、楽しみになって来る。新キャラは清楚な感じのよーだけど、さてはて今のトライアングルにどんな形で絡まって来るのかな。目覚めのシチュエーションから推察すると単純な四角関係にはなりそーもないんでちょっと楽しみ。酔っぱらい姉ちゃんはしかしいったい何だったんだ。

 「メビウスノート」のACアダプタのジャック部分ちょい手前がひねったか引っ張ったかして断線気味になっていたのを騙し騙し使っていたけど遂に通電がなくなったみたいで困った困った。会社で原稿打ちマシーンに使っている関係でAC電源が取れないと正直仕事にならない。もちろんしばらく前から気になっていてパソコン屋で型式を言って電源はあるかと聞いて買おうとしたけど4年とか昔の機種ではすでに在庫はなく、部品としての取り寄せになるため1カ月くらいはかかるとゆー役立たずな答えが返ってきた。仕方がないんで秋葉原のジャンク屋の店頭でACアダプタの中古を探したけれどIBMとかNECってな数出てるメーカーのはあってもパソコンではマイナーなシャープでは流石に見つからず、いっそ新品を買ってしまおーか、なんて思い詰めるほどになったけどこればっかりは先立つナニがないんで如何ともし難い。

 出ている他のアダプタで使えるものはないかと聞いてはみたものの、そこはマニュアルが幅を利かせるパソコンの世界だけあって、互換表とか見て乗っていなければそれはすなわち使えないってことになているらしく、調べてくれないし確かめようーともしてくれない。とはゆーものの電源がないのは困った以上に問題なんで、秋葉原のパソコンショップへと出向いてジャックのサイズとか見極めて、何となくサイズが合っていそーな「MURAMASA」のACアダプタを買って半ば諦め気分で合わせてみたら、これが何とピッタリで見事に電源として昨日していて、ホッと胸を撫で下ろす。無駄金にしなくて済んだよ、今年年収下がりそーなんで1万円たりとも無駄に出来ないんだよ。

 プラグの径とかから調べればすぐにでも分かりそーなものだし、似たよーな問いは結構あるだろーからメーカーだってある程度の検証はやっていて不思議はないのに、そこは下手なことを言って問題が発生した時の責任を考慮してか、互換性があって使用可能だってことを言ってくれないのが事情は分からないでもないけどちょっと釈然としない。メーカーによって電源がバラバラ過ぎるのも不思議。まあとりあえず動いたんだし後は今後も似たよーな事態が起こることを考慮して、もう1本アダプタを買って置こーかな。パソコンを5年も使う貧乏者ならではのせめてもの自衛策ってことで。

 ついでっちゃーなんだけど、バッテリの消耗が激しくってモバイルにならないパソコンに代わって外で原稿とか打てるマシンが欲しいと思っていた所に、「ラオックス」のコンピュータ館そばにあるジャンク屋で日立の「ペルソナ」の中古がジャンク扱いで9800円で並んでいたんで、見た目の良さげなのを選んで拾う。ってもタバコの焼け焦げ後がないだけで表面はタバコのヤニか何かでベトベトしててキーボードもややベトベト気味。起動すればしたでいきなりポインターが利かなくなっていて、やっぱりジャンクだなー、無駄金だったなー、とか思いつつコントロールパネルからポインター合わせの項目を選んで試したら、ズレまくってたのが見事に直ってほとんど完動状態になってホッとする。夏のボーナスも大幅減となりそーな昨今、出費へのプレッシャーが高まってます(でも「ギャラクシー・エンジェルZ」は買うんだ、缶入りの奴を)。

 そこからいっきにパソコン通信の設定と、インターネットの接続設定をやってどーにか外からでも原稿が送れてインターネットも見られるマシンに仕立て上げることができた。さあこれで外でも原稿を打てるよーになったぞ、締め切りまでに少しづつ進めて間際にバタバタしなくて済むよーになるぞ、とか思ったもののそうなったらなったで安心感からか天の邪鬼的心理からか打たなくなるのが人情。締め切り間際まで1行の最初の1文字たりとも書き出さない人間にとって、宝ってほどじゃないけど結局は持ち腐れとなりそー。スケジューラ専用マシンになりそーだな。

 賞金稼ぎも泥棒もありきたりになった昨今、奪還屋とか動物使いとかいった一風変わった職業の人を主人公に据えた小説がヤングアダルトの分野にもジワリジワリと広がって来ているよーで、それでも最初の頃は物珍しさもあって楽しんでいたけれど、最近はちょっとパターン化している感があって胸焼けけを感じていたりした。けど、風見周さんが書いた「ラッシュ・くらっしゅ・トレパレス」(富士見ファンタジア文庫、620円)に出てくる侵入屋ってのは過去にもあんまりなかった職業で、それだけでもなかなかなインパクトがあってとりあえず読んでみよーかとゆー気になった。結論から言えば読んでとりあえず正解、金持ちが怪獣とか置いたり警備員とか雇ったりして厳しくしたセキュリティーが実際にはどれほど威力を持っているのか、ってことを侵入してみて実証することを仕事にした「トレパレス」の面々が、それぞれの才能を駆使して繰り広げる侵入技の数々に、超能力バトルにも似た楽しさを覚えてしまう。

 複雑なのは才能はありながらも相手が金に明かして雇った怪獣が相手ではさしもの侵入屋でも成功がおぼつかず、ならばと吸血鬼を復活させて仲間に加えて侵入を成功させよーとしたものの、そこは吸血鬼だけあってなかなか人間の言うことを聞いてくれず、あまつさえ人間を襲っているのかもしれない可能性すら伺わせてしまって、復活させた人間たちも果たしてそれが本当に良かったんだろーか、吸血鬼を信じるべきなんだろーかと葛藤を繰り返す。侵入屋の頑張りに吸血鬼の逡巡が入り交じってなかなかのボリュームになってしまったよーだけど、どこかにウェートを置いて話を整理して、書ききれなかった部分はあるんだったら(ありそー)続巻に入れればすんなりとお話の世界に没入できて且つ、メッセージも受け止められたかも。ヘルシングの呪縛にトライガンの呪縛も入ってちょっぴりゲット・バッカーズ。けど読んでそーした先達を意識させないテンポが良くって厚みもある連作集って言えそー。おときたたかおさんのイラストは迫力たっぷり可愛さもたっぷり。キールさんもっと描いてよ。


【5月19日】 強い子の画家として有名なホアン・ミロの展覧会を東京駅の「大丸ミュージアム」まで見に行く。力士もプロレスラーもハンマー投げのチャンピオンもバスク地方の石回し男もいなかったけど、それでもそんなに広い訳じゃない会場に散らばった100人とかの観客数を見るにつけ、デパート内でしかも東京駅の真上って地の利がたとえあったとしても、印象派とかピカソとかに比べれば無茶苦茶人気のある画家でもないミロですら見に来る大勢の人がいるってことが分かって、首都圏って場所に住む人の多さを痛感する。名古屋とかじゃー展覧会に大行列が出来るなんてなかったからなあ、「名古屋市博物館」の開館記念だかの「中国出土文物展」くらいしか(古い話だ)。

 聞くと上野にある「東京都美術館」での「シャガール展」は土日となれば入場までに数時間は並ぶのを覚悟しなくちゃいけないくらいの込みようだそーで、テレビ局がバックについて宣伝しているってことを考えてもシャガール人気の凄さを改めて痛感させられる。加えて隣りの「東京国立博物館」だかで開催中の「雪舟展」もやっぱり数時間待ちな人気ぶりだとか。タイプのまるで違う展覧会が開かれていて、ともに同時に大勢の観客を集めてしまうんだから、やっぱりそれだけ人の数が多いんだろー。しかし不思議だなー、戦前にハリウッドのサイレント映画で活躍した小男の回顧展にそんなに人が集まるなんて。「戦場に架ける橋」のファンか何かなんだろーか。

 さて「ミロ展」。いかにもミロって感じにカンバスの上に棒だか丸だか戦だかが、黒とか赤とか黄色で描かれている作品がほとんどで、ミロを見たなあって気にはさせてくれた。これで初期の風景画とか見せられたら、個人的にはキライじゃないけどミロを見に来た強い子たちはやっぱり、残念に思っただろーから良いってことで。大きいのも悪くはなかったけど小さいキャンバスにちょこちょこっと描かれたペインティングが小さいが故に箱庭的にミロのエッセンスが詰まっているよーな気がして、見ていて結構引き付けられた。彫刻作品はプリミティブってゆーかアニミズム的ってゆーか土俗的ってゆーか岡本太郎的ってゆーか、いかにもミロが絵を形にしたらこうなった、って感じの作品ばかりで特段圧倒はされる。世界的はミロの彫刻ってどーゆー価値観でもって受け止められているんだろー。グラスの底の顔みたいなもの?

 こころちゃんあると姉ちゃんいいなお姉ちゃん、らしき3人姉妹が目の端を横切ったと無意識に「ココロ図書館」レーダーが働いて、目を本屋の平台に移すと全く全然「こころ・あると・いいな」じゃなくって気が抜ける。けど瞬間で思いを改めて徳間デュアル文庫から出た「どきどき☆リトル・ウィッチーズ ディアーナの娘たち」(紺野たくみ、徳間書店、619円)を買って読む。息子1人に娘も1人の男やもめが再婚した相手が外国人でやっぱり子連れで娘ばかりが3人もいて、そんな2人が一緒に住み始めた結果、下には都合5人もの兄弟姉妹が入り混じる結果となって、そんな中で唯一の男子だったりする望は娘たちのコミュニケーションに難儀して泥沼のよーな苦労をしている

 ところが家にやって来た3人姉妹には、ってゆーか親のローズマリーも含めてやんごとのない秘密があってさあ大変。人目を柴って秘密の”実験”を続けてはいたものの遂に望に知られてしまい、ちょっと大変なことになる。1巻はそんな新しい存在を迎えていろいろと大変な望一家のドタバタさを表に出しつつも、背後であれやこれやなことが起こっていたし今も行われつつあるんだってことが見えてきて、2巻以降への興味を引いている。俊英の純SFなんかを出してるレーベルにしてはそれほど、ってゆーかまるで合致してないテイストの内容にイラストの絵柄なんだけど、今後この辺りのロマンチックにラブがコメディしてたりボーイズがラブラブな内容の小説の割合を増やして、収益的にも立派になろうとしているのかな。

 ジェンダーSF研究会参謀総長に任せた方が良さげかもしんないけれど、そうストレートに思ってしまうこと時代がすでにして社会環境によって刷り込まれたジェンダーによって規定されてたりする現れかもしれないんで難しい、なんてことを頭の片隅で考えていたけどやがて、その凄まじくも素晴らしいノリの軽さにあらゆる批評的視点がスッ飛んでしまった葛西伸哉さんの「アニレオン! ヒーローだって恋したい」(ファミ通文庫、640円)。圭一という名の冴えない兄貴がいてその兄にブラコン以上の感情を抱いている舞美という名の妹がいて、兄が近づこうとする女性にはことごとくちょっかいを出して恋がみのらないよう邪魔していると思いねえ。

 で、その舞美ってのは何故か超天才のマッドサイエンティストで特許も山ほどもってて日々得体の知れないものを作り出しては兄を戸惑わせたりしてるんだけど、そんなある日、3万年とかの眠りを破って地底帝国が地上に出現。女性同士の愛しか認めないというその地底百合帝国のポリシーにのっとって、地上を支配し男を奴隷にしようとしたからさあ大変。がしかし、そこはマッドサイエンティストだけあって舞美ちゃん、「こんなこともあろうかと」用意していた秘密兵器を発動させて、地底百合帝国を迎え撃つことになった。

 その秘密兵器がこれまたケッサクなんだけど、詳しくは読んで頂くとして舞美にプライベートをすべて監視されながらも、圭一がどうにか告白することが出来た少女の祐衣が実は果てしなくディープな特撮オタクだったり、圭一が親友としてつきあっている大金持ちの四天王寺公彦が実はアレで圭一にナニで、圭一のクラスの委員長で眼鏡っ娘でボーイズラブ本大好きな佐保泉美が実はナニで祐衣にアレってゆー、セクシャリティーが入り乱れての展開に、笑っちゃいけないんだけどついつい笑みがこぼれてしまう。

 とはいえもちろん、そこはいたずらにセクシャル・マイノリティをあげつらうよーな展開にはしていなくって、むしろそれぞれが抱える複雑な心理状態をリアルに活写しているよーで、読んでいろいろと勉強させられる。女性のとりわけ泉美みたいな人がボーイズラブ本を読む心理には目からウロコ。それがホントか確かめた訳じゃないけど、なんか納得してしまう。カンフーファイターもかくや、と思わせるインチキ英語を駆使した巨乳女性とか自分をとにかく特撮ヒーロー物の人間関係の中に置き換えて考えたがるヒロインの祐衣とか、飛び抜けてるキャラクターたちの突き抜けた言動もナイス。次があるかどうかは分からないけど、「こうしている間にも海底メイド人や未来人眼鏡っ娘軍団など新たな敵が兄と妹の禁断の愛を引き裂こうと、この幸せな世界を狙っているかもしれない」そうなんで、文字通りに服を粉にして働く「アニレオン」様のために作者には是非、続編をお願いしたい所。電撃宇宙鬼娘でも帽子型ニセ猫耳娘でもオッケーだぜ。

 狐娘だったらこっちにお任せなのがさくまゆうこさんの新刊「札屋一蓮」(集英社コバルト文庫、495円)。京都は四条河原町から5分ほどいった四条寺町に店を構えてお札を売ってる一蓮は実は先祖が安倍晴明に小野篁とゆー稀代の能力者の血を引く由緒正しい力の持ち主。金にはガメついもののその分仕事はキッチリってないかにも(固定観念)関西商人的なところがあって、眷属にあたる霊狐をちょっぴり悩ましているよーで、仕方がなくってことなんだろーかその霊狐、5歳くらいの少女の姿になってレイ子と名前を買えて一蓮の店をときどき手伝っている。見かけはともかく内実は600歳とゆー歳から来る口調の古めかしさと、佐倉尚義さん描くレイ子の可愛さがぶつかりあって醸し出されるその雰囲気の何と気持ちを沸き立たせることか。ギュッと抱きしめ頭に顎をスリスリとさせ、ときどき生える尻尾を握ってパフパフしたくなる。今年出会った美少女ベスト10に確実に入るね、2次元だけど、でもって600歳だけど。

 業突張りな割には善人で根は真面目な札屋ってゆーキャラの立て方もさるおとながら、御先祖様がかつて調伏した牛の刻参りで有名な金輪の女性の幽霊が寝ぼけて晴明の子孫の所にバケて出てくるイントロが、一蓮の売った札が原因で起こるちょっとした事件へと発展していく中に折り込まれていく流れが何とも巧み。三角関係に悩む女性の思い、けれどもそれを恨みにだけ向けることで起こる世の中の混乱が、過去に起こった事件と今現在起こっている事件とをつないで読む人の気持ちを男女問わずハッとさせる。どうなるかハラハラしどおしのクライマックスい、心がスーッとする気持ちのよいエンディングといった流れも鮮やか。後半になるに従ってレイ子ちゃんの出番もイラストも少なくなるのが難だけど、あんまりあっても有難みが減るんでここはまずは顔見せにして、続巻での再登場、続々巻での再々登場を心の底から願いたい。だから負けるな「USJ」に。


【5月18日】 久々に映画。それもアニメじゃない奴。ってことはやっぱりコレになる「スパイダーマン」を「ワーナーマイカル市川妙典」まで見に行く。着くとロビーに溢れんばかりの行列が出来ていて、そのうちの子供はおそらくは「コナン」だろーけど残りはもしかして「スパイダーマン」? もしかして満員? なんてちょっぴり心配したものの米国と違って超絶爆裂の人気って訳ではなかったみたいで、スクリーン正面中断の割に良い席をゲットして館内へと入る。30分遅れで字幕版もスタートする予定になっていたけど、最近あちらこちらで日本語字幕の翻訳が難だってことが言われてたりして、もしかすると「スパイダーマン」にもその余波が及んでいて字幕が全部「クモ男」になってたりグリーン・ゴブリンが「緑鬼」になってたりすると嫌だったんで、安心して見られる吹き替え版の方にする。役者も吹き替えでウィレム・デフォーが斎藤”モアイ”洋介になっていた(そんなことはない)。違った嶋田久作だった(そんなこともない)。声はブラック魔王だった(そんなこと……あって欲しかったかも)。

 途中幾つか挟まった予告編で「スター・ウォーズ エピソード2 クローンなんとか」ってのを見る、えっとこれは「フィフス・エレメント」か何かですか。無印「スター・ウォーズ」&「帝国の逆襲」原理主義者にっては(熊祭りは入らない、蛙祭りは論外)、砂漠に密林に雪原ってな辺境のド田舎とあとは宇宙でガタゴトやってたりするのが「スター・ウォーズ」だったりするんで、エアカーが空中狭しと走り回るシーンってのはちょっと気持ちに馴染まない。あと前作だったらユルユルとした話を前半だったらポッドレース、後半だったらダース・モールとのバトルで目も醒まさせられたけど今回はそーした目に鮮やか脳いカフェインなシーンってどれになるんだろー。予告編だとその当たりあんまり感じられなかったんだけど、もしかしたらアミダラ姫の白い衣装に包まれた形の良いヒップとかだったりするのかな、それだけだったりしたらどーしよ。

 さて「スパイダーマン」。始まるとなるほど日本語だけあって字幕とか目で負う必要もなく、その分をお話しに没入できたけど、冒頭からしばらく繰り広げられるオタク野郎のイジケ根性丸だしな展開が、英語だったら苦々しくも笑えた所を日本語でストレートに耳に入って来た関係もあって、見ていてなかなかに胸が痛い。あと誰もが見たがってる空中を飛び回る痛快なシーンへと至るまでの恋愛とか情愛とか嫉妬とかがグチャドロになったドラマの部分が長くって、もちろんそれが必要なことも分かるけど、期待しているものが後に控えているだけに余計に長く感じられて心がちょっぴりささくれ立つ。「コナン」を見に来ていたかと思われた子供も結構、「スパイダーマン」を見に入っていたけど途中、トイレとかに良く子供が多かったあたりにも長さへの配慮があって良かったかな、なんてことを思う。いや日本人の子供の膀胱が極端に小さいってんなら話は別だけど。ナニは小さいかもしれないけれど。子供であっても。ふん。

 さすがに戦闘シーンともなるとスケール感があってスピード感もばっちりで、糸にぶら下がって振り子のよーに体を振って移動していく感じの迫力に見たかったものを見せてくれるハリウッドの凄みを改めて感じる。もちろんそれはハリウッドだから出来るってものではなく、これまた予告編で流れた香港映画の「少林サッカー」も、漫画なんかで見ていつかこれを実写で見たいと願っていたものをしっかりと、心的な妥協抜きで見せてくれている部分が多々あって、国とかじゃなくようは監督の想像力とそれを実現しよーとする熱意の問題なんだろーけれど、日本人だと奥ゆかしいところがあるのか照れがあるのか、あからさまにマンガチックな表現をカッコ良く見せよーとすることに馴れていないみたいで、「スパイダーマン」的な驚きを与えてくれる作品になかなかあんまりお目にかかれない。いやいや北村龍平監督の「VERSUS」のガン&ソードアクションがあったぞ、お金はかけてないけど妥協のない演技と巧みな繋ぎがあれば迫力のシーンは作れるんだってことを教えてくれたっけ。なので和製サム・ライミとも呼ばれたこともあった北村監督にはとっととハリウッドで新作を撮ってもらって、国なんかじゃないってことを証明してもらいたいものです。「ALIVE」いつ公開されるんだろ。

 前半は間延びしつつも後半の戦闘シーンからダークな余韻を残してのエンディングへと至るクライマックスを堪能した足で神田神保町に出て「くだん書房」をチェック。マーヴェル・コミックを翻訳した新書サイズの「ファンタスティック・フォー」(ゴームズ、ファイヤーマン、ガンロック、ミスター念力が活躍する奴、って嘘です)とか並んでいたのを見てもしかしてアメコミブームがしばらくぶりに再燃でもするんだろーか、ってな予感を覚える。「超人ハルク」も来年公開みたいだし。棚をペラペラっと見て深谷陽さんの「レディ・プラスティック」(講談社、505円)があったんで救出、高橋玄さんの映画は見ているんだけど原作になった漫画の方を見るのはこれが実は始めてで、なるほど割にストレートに漫画が映画になっていたんだってことを今さらながらに知る。細いペンで影とかまで入れていくタッチとどこか青春っぽさを残した展開にとり・みきさんを思い出したけど、深谷さんの方がより美大的劇画的デッサン的で立体感があって肉感があって生々しい。気になる絵で気に入ったんで、リイド社から出ている「楽園夢幻綺譚ガディスランギ」(810円)も探して見てみよー。

 あとおかざき真理さんが「ファンロードきっての美術派」と呼ばれてたらしー時代に描いた作品を集めた「マリーン」(ラポート)とそれから「冬虫夏草」(ラポート)の2冊も購入。「冬虫夏草」は今のおかざきさんに通じる吉野朔実さんぽさもちょいあったりする絵柄なんだけど、「マリーン」の方は開けて驚きの絵柄で、人間ってなんて器用な生き物なんだろーと半ば感動してしまう。それを言うなら内田美奈子さんだって「赤々丸」の頃と「BOOMTOWN」とでは全然違うから、おかざきさんのよーな変化もありだろー。それにしても「冬虫夏草」はおかざきさんのページで紹介されているのに「マリーン」については言及がないのは何故? 神輿をかついでいる写真の「あすか組」っぽさに何か問題でもあったのかな。


【5月17日】 シュンスケーーーーーッ、ってことは別にあんまり思わなくってむしろボンバーーーーッ、ってそれなりな守備をこないだの試合で見せてた中澤選手が選に漏れたことの方をちょっと意外に思ったけれど、代わりに我らが秋田選手がここに来てものの見事に代表入りのそれも「本番入り」を果たした訳で、これだったら中澤選手も大岩選手も出られなくたって文句は言えないし言えるはずがない。中村俊輔選手につていはまあ、フリーキックとかの凄さは納得できるけど、トップ下に中田選手がいて中田がトップに出るなりしても小野選手に森島選手がいる状況では割って入ることは困難。かといってサイドで使おーとするとどーも印象としてスネた感じを顔の造作やしゃべり方もあってか周囲に見せてしまう不幸もあって、トルシェとしても選びにくかったか或いは選びたくなかったのかも。茸頭よりはやっぱり坊主が好きだった、とか。

 精神科医の全員が全員、「恋愛的瞬間」(吉野朔実、集英社、400円)の森依四月みたく(森依は医者じゃなくカウンセラーだけど)長身痩躯の貴公子風である必要はないんだろーけどでも、一種の主人公とする以上は多少は身なりに気を使って頂きたいとゆーのが人情ってものなのに、そこは奥田英朗さん描く小説に出てくる精神科医だけあって他に登場する患者の人の誰よりも増して支離滅裂な性格づけがなされていて、こんな精神科医が世の中に本当にいるんだろーか、ってちょっとだけ疑問が湧いて来る。「イン・ザ・プール」(文藝春秋、1238円)って単行本に収録された5本の連作はどれもがココロの病を負った人が「伊良部総合病院」って病院にある神経科を訪ねてそこにいる伊良部一郎って医学博士のところを訪ねて診療を受ける内容。その医者が実に独特のキャラクターを持った人物で、訪ねて来た患者はほとんど全員が全員、ヤバいと果たして直るんだろーかと不安に陥る。

 たとえば表題作に登場する大森和雄は原因不明の腹痛に悩まされていて、仕事にもちょっぴり影響が出始めている。とりたてて内蔵に異常はなく、たらい回しにあれた挙げ句にたどり着いた神経科で合ったその医者は、体型に自由度があり過ぎる上にマザコンでおまけに人が注射をされている場面を見るのが何より興奮するってゆー人物で、そんな姿を見るにつけ、大森和雄は心配になってしまう。2話目の「勃ちっ放し」に出てくる勃ちっ放しになってしまった男性も、「コンパニオン」に出てくる自意識過剰で誰もが自分に注目しているんだと思い込んでいる女性も、自分たちの症状を越えて表題作だったらプール通いに熱を入れ、「勃ちっ放し」ではパーティーで知り合った女性が実はランパブ嬢だったと知って結婚詐欺だスベタだママに言いつけてやるってな感じで診療室でわめき散らし、「コンパニオン」では診察に来た女性が応募していた映画スターコンテストの男子部門に年齢とか体型とか一切気にせず応募しては無理に予選を通ろうとしてしまう伊良部一郎の姿に、自分を棚に上げて呆然としてしまう。

 そんな無茶苦茶な精神科医の姿に人の振り見て和が振り直せの諺もあるよーにふと我に返った患者たち。患者について分析をするとか上っ面だけの美辞麗句を並べて安心感を与えよーとして勘ぐられたりとかいった、よくあるパターンに落とし込まれることなしにエスカレートしていく展開の中で翻弄され、いつしか自己を快復してしまうから面白いやらおかしいやら。それが医学的見地であり得ることなのかどーかは専門家の人に聞いてもらうなりして、実際に人の振り見て我が振りを思い出したくなるくらいに微妙なポイントをついていて、読んでいて引っ張られつつも結構勉強になる。もちろん意識して伊良部に莫迦をやらているかってゆーとそーでもなく、およそ天然っぽいにも関わらず見事に事態を怪傑してみせるあたりが小説的漫画的アニメ的ではあるんだけど、とにかく読んで読み進めてそのエスカレーションぶりに笑えることは必至。もう若手ではないけどホープな作家の才の片鱗が見える作品集ってことで、これも評判になりそー。精神科医的にはうーん、やっぱり妙な所があるのかな。


【5月16日】 ジダンジダンジダンジダンジダーンダン。なんて真夜中に叫びだしたくなったサッカー欧州チャンピオンズ・リーグ「レアル・マドリッドvsレバークーゼン戦」。すぐ前の日に見た「日本代表vsノルウェー戦」だって、ノルウェーのたった1時間ビデオを見ただけにしては完璧なまでな宮本責め(ディフェンスの穴に向かって突き立てる、って感じだったから「攻め」より「責め」って感じ?)がピタリと決まってなかなかに楽しい試合を見せてくれたけど、それと比べることが神を冒涜するに等しいと思えるくらいに、高度な技と激しい闘志がぶつかりあった試合でなるほどこれがサッカーなんだと思い知らされると同時に、こんな試合を毎週でも見られて何て欧州の人たちは幸せなんだと羨ましくなる。

 トラップはピタリと決まるしパスもキチンと渡るしシュートはたいてい枠の中。それ当たり前じゃんと言われそーだけどそんな当たり前のことすらまだまだ出来ていない様を見せられるにつけ、戦術がどーとかフラット3がこーとかいった次元の話なんで10年早いと言う方が正しいよーな気がして来る。でもってシュートまでの動作の速さよ。最初の得点のラウールだったっけ、もらったらそれを一切のトラップをはさまずゴールすら見ずにちょいと蹴り、それが見事にキーパーの逆をつく(あの体制であっちに飛ぶなんて考える方が不思議だって)ゴロになってゴールへと吸い込まれていったからもう仰天。あそこでトラップして切り返すなり抜くなりしてたらキーパー、絶対に詰めてコースを消してたよ。

 そしてジダン。もうジダン。ふわりと上がったボールが自分に向かって落ちてくるのを見極め、体を開いてためた力をのせた脚を水平にブン、とやるとボールはほとんど真っ直ぐにゴールへと向かって飛んでいき、キーパーのまるで動けない中をズバッとネットに突き刺さった。空振るとか考えず失敗するなんて躊躇もない流れるよーな動作が己のテクニックへの自信から来るものなのか、それとも練習の成果によるオートマティズム的なものなのかは分からないけれど、あの瞬間にやって当然のことをやれてしまえる凄さには正直総毛だってしまった。頭の天辺は立てられなかったけど、ジダンと一緒で。後半も始まってちょっぴり膠着して来た所で寝てしまって、長かったロスタイムに見せたレバークーゼンの猛反撃とそれをことごとくしのいだレアルのキーパーの活躍を見逃してしまったのは残念だけど、ライブで中継されたあの瞬間、50億円とか経つ宇宙の歴史の中で唯一にして一瞬の奇跡をまさしく共有できたってことを、今はとにかく喜びたい。同じ奇跡の瞬間を、今度の「日韓ワールドカップ」でも見られるのかな。それはいったい何になるのかな。

 そうか創刊からもう1年も経ったのかと、時の流れる早さに感慨を覚えながらもそんな時を険しさも厳しさも乗り越えて乗り切った「週刊コミックバンチ」が創刊時から行っていた新人漫画家のコンテストに結果が出るってんで「赤坂プリンスホテル」の発表会場へ。賞金総額1億円も話題ならグランプリ賞金5000万円とゆー金額も吃驚の賞だけあっていったいどの作品が受賞するんだろーと興味を持って発表を待つ。作品については「山下たろー」目当てでずっと「週刊コミックバンチ」を読んでいたからだいたい理解していたけれど、登壇した10組11人の顔ぶれを見て作品の内容とはまるで違った顔立ちに驚く人も何人かいて、作家のすべてを作品から把握する難しさを今さらながらに感じる。ちなみにこの下品で散漫なページを書いているのは実は12歳の美少女なんです。でもって正体は狐です。

 意外だった一例は「じゃりん子チエ」ばりのペーソスあふれる下町っぽさ漂う舞台で良心を亡くした兄と妹の頑張りを描いて大勢を泣かせた「ガキんちょ強」の人がビジュアル面で抜け出た好青年だったこと。あとブルセラショップの雇われ店長が、アダルトビデオにスカウトされた彼女を説得しよーとして果たせなかった青年を家に訪ねたエンディングの凄さに驚きつつも圧倒されて、個人的には10本あったうちの1位2位くらいに押したいと思った「灰色の街」の作者も結構ビジュアルが目立ってた。そのうちどっかに写真とか出るだろーから、見て意外に思って下さいな。残念ながら10代の美少女はいなかったけど。唯一だった女性も人妻だったし。ちなみに何がグランプリだったかは17日発売の「週刊コミックバンチ」でお確かめを。個人的にはこれこそ意外。けどほら、僕って天の邪鬼ですきま狙いの裏野郎だから、それがグランプリなのはまさしく当然ってことでしょー。

 しかし何が驚いたって17日発売の「週刊コミックバンチ」にはあの「北斗の拳」のボトルキャップサイズの「ケンシロウ」が付録でついていたこと。一部に中吊り広告なんかで予告はしてあったけど、講談社系のコミックに最近多い限定版の付録の携帯ストラップなんかが実はふわふわシール系だったりしたのと比べると、厚紙を挟み込んで中央をくり貫いてそこにしっかりと造型された(海洋堂製だから出来は保証)「ケンシロウ」が封入されているんだから豪毅っちゃー豪毅。ついでに言うなら現在発売中らしーコンビニエンスストア向け「北斗の拳」の単行本には「レイ」と「シン」がついているとかでこれまた仰天する。だが。しかし。そ・れ・だ・け・な・ら・ま・だ・い・い・が。

 17日にこれも「セブンイレブン」限定で発売される米国市場向けに作った英語漫画誌「RAIJIN COMICS」には、これまた海洋堂謹製の巧みな造型でもって作り上げられた10センチもあって腕とか動く「ケンシロウ」がついていたりする。印刷技術が進んだこともあったし売れない雑誌を何か売ろーとする意図もあって、このところパンツとかトートバッグとかいったものが雑誌の付録として付くよーになり、中身もどんどんとエスカレートしてた感じがあったけど、どちらかといえば企業の広告宣伝媒体として利用されてるっぽさがあったのに比べると、こっちは本当に欲しいかったものを本当に欲しかった形で付けてくれたってことで、作品そのものへの情愛に満ち、読者への感謝の気持ちに溢れた「コミックバンチ」ならではの付録と言えそー。

 ちなみに4センチのミニフィギュアには「ユダ」に「サウザー」に「シュウ」ってのもあってこれは、「週刊コミックバンチ」を続けて買って応募すると全員にプレゼントされるとか。10代にどこまで受けるかは分からないけど30代から20代にかけての漫画ファンには確実にキャッチィなキャラクターだけに関心を集めそーだし、面白さがフィードバックされて新しいファンも獲得するとしたら市場はますます広がるばかり。今さらながらに原哲夫さんを引っ張った堀江信彦さんの求心力に感嘆する。と同時に原哲夫さんを引っ張られた集英社「週刊少年ジャンプ」のジダン、じゃない地団駄にも同情したくなる。

 更に言うなら米国で出す「RAIJIN COMICS」には「北斗の拳」「シティハンター」のコアミックスの2枚看板に驚くなかれ「スラムダンク」に「グラップラー刃牙」に「守って守護月天」なんかも英語化されて掲載される予定があるとか。海外版とは言え日本での出版社の囲い込みをまるで打ち壊す満漢全席的な漫画誌を実現させてしまう力が堀江さん自身にか、それとも発行を支える新潮社か、あるいは「世界漫画愛読者大賞」に協力しているセガか一体どこにあるのかを知りたくなって来た。中でセガってのが結構なポイントになっているよーな気がするのは、任天堂が米国で「ポケットモンスター」の漫画をPR誌を通してヒットさせた実績があったりするからで、同じことをやるとは思わないけど米国ではそれなりに浸透しているセガのブランドネームを織りまぜつつ、米国展開なんかをしていけば習慣的に受け入れられにくく感覚的にも難しい日本の右開きでモノクロの漫画も、あるいは浸透していったりするのかも。期して動向を見守ろー。

 朝日文庫にまとまった東浩紀さんの「もーっと郵便的不安たち」を買う。間違えた「郵便的不安たちドッカーン」だった。ってすでに世界中で言われているベタなギャグをやってしまいました。けど「#」なんて末尾につけたらやっぱり同じことを考えるよね、普通の健全な若人なら。その「郵便的不安たち#」(朝日文庫、780円)はその昔出た無印から結構な内容の刷新があって、とりわけ文芸批評的な昔の仕事がゴッソリと抜けた変わりに最近の文庫解説やらSF批評やらおっさん世代批判なんかが収録されていて、若い人たちにとっての「僕たちの批評」っぽい本になるよーな編集がされている。漫画はさすがにないけどね、って東さんが漫画を描けるかどーかは知らないけれど。デザインは大塚ギチさんでロゴデザインと得体の知れない手握りっぽい人形は西島大介さんの作。もーちょい色とかハッキリさせた方が本屋で目立って良いかな、って気はしたけどまあ、ジャケ買いが狙いの本でもないんで不安な気分を体現した表紙&オブジェだって理解をしておこー。


【5月15日】 頑張った、感動した、って言いたいのはやまやまだけどサッカー日本代表、1点はオフサイドトラップの裏を見事につかれたもので参ったとは言え修正がきかない訳じゃなく、それほど痛いとは思わなかったけれどもそのの後割に早い時間で2点目を、中盤でミスからボールを奪われて、そこで相手を押し止めることが出来ずに一気に前線へとボールを運ばれた挙げ句、圧倒的な数敵不利の中で怒涛の如き攻撃で取られてしまったシーンを見て、これはもー修正は効かないだろーなーと思ってテレビを消して寝たら案の定、そのさらにしばらく後で中盤のミスから得点を奪われたって話を新聞とかで読んで、頑張った、感動したって言葉の範囲をボンバー中澤に限定しておこーと心に決めた。

 なるほど得点を奪われたシーンでは、中澤が抜かれたりして1人ポカやってたみたいに見えてしまうけど、やっぱり相手に攻められっぱなしだった前半から高いボールにはヘディングをし、ドリブルして来る相手には体を使って何度も危ないシーンをクリアしていた姿が目について、今は松田選手の故障でとりあえず出ているって形にはなっているけど、場合によっては(相手がノルウェーみたく高さで来るよーなチームとかだった場合)中澤選手を使ってやっても、悪くないんじゃないかって思えて来た。左もまあまあ。問題はやっぱり真ん中ってことになるんだけど、これもこのところの2戦で在る程度は気合いを入れ直すだろー宮本選手に加えていよいよ、本命の森岡選手も復活してくる兆しがあるんで、むしろこの2戦のダメージを糧にしたすんげーディフェンスが出来上がる……と良いな。うーんやっぱりちょっと不安。

 そうは言っても「ワールドカップ」の日取りは文字どおり刻一刻と近づいていたりする訳で、巷には関連商品もワンサと溢れて真夜中に行った「ファミリーと」でついついレプリカジャージを買いたくなってしまった、買わないけど。本の方でもスポーツ関連誌なんかが創刊されたり増刊されたりして大賑わいだけど、それとは別に漫画の方でもまるごとサッカーってな感じの本が出ていて商売の種ってのは色んな所に転がっているんだなーと呆れつつも感心する。その本「アディダスマンガフィーバー」(飛鳥新社、880円)は名前が表すとーりにおそらくはスポーツブランド「アディダス」が一種ピーアールめいた意図も込めて造ったものだと思うし実際、掲載されている漫画のほとんどすべてに例の3本線なり、「ワールドカップ」で使われるボールなりそのものずばりのサッカー競技が描かれていている。

 もっとも、そこは流石にマーケティングで世界を牛耳るスポーツ会社、掲載されている漫画への登場の仕方もシンプルなのはシンプルだしストーリーの中に入っているのは実に自然、くどいのは逆にそのくどさをオシャレに転化させるだけのパワーと内容を持っていて、読むほどに冗談抜きにそこはかとなく「アディダス」ってブランドを好きになる、人もいるかもしれない。個人的には小学校の時の体育教師で「アディダス」を愛用していた野郎が大嫌いだった関係で、今も「アディダス」が大嫌いなんだけど。とか言いつつ最近来ているウィンドブレーカーは3本線だったなあ、オフィシャルボールも欲しいしなあ、宗旨替えするか。

 漫画の方はとにかく豪華なメンバーで、バスケットだったらお手の物の井上雄彦さんがそのお手の物のバスケットをひねったサッカー漫画を描けば「TO−Y」の上条淳士さんは割にストレートなサッカー漫画(もちろんファンタジックなひねりはあるけど)を寄せていたりと、それぞれの特徴が出たり冒険してたりする作品を楽しめる。吉野朔実さんはサッカーを知らない人なら誰だって考える、フィールドの10人のうちの1人がボールを蹴って回りを9人で囲んで攻めればどうよ、って話を糸口にふくらむ妄想を描いた漫画で読んで大笑い。イラストで参加の荒木飛呂彦さんは見るほどに「ゴゴゴゴゴゴゴッ」って音が聞こえて来るよーな荒木節を見せてくれる。「ファンタスティック・サイレント」のDさんもなかなかだけど、しかしやっぱり偉大なのは安彦良和さんかも。だってサッカー、どこにも出て来ないんだもん。天草四郎は出てくるのに。どーゆ頼み方をしたんだろ。それとも序章ってあるから本章ではサッカー漫画になるのかな。「雲仙島原のフットボール」とかって感じで。

 「プレイステーション2」の値下げは予想もついたし収益モデルを維持しつつなんで企業経営戦略的にもまあ理解の範疇なんだけど、後をまさしく追って急な値下げを発表したマイクロソフトの「Xbox」にはちょっと仰天、噂だと米国で大手流通向けに値下げの可能性を示唆はしていたみたいだったけど、それにしても発売からまだ3カ月しか経っていない日本で一気に1万円も下げて来るとはちょっと予想がつかなかった。さすがは世界一の大金持ち、やることがゴーカイだねえ。おそらくは日本だと「プレイステーション2」より店頭で安くなりそーだけど、それでもやっぱり売れなかったらちょっと悲惨かも。「マリオサンシャイン」が出たら同じ値段の「ゲームキューブ」も行きそーだし。ソフト次第ってのはやっぱり変わらなそー。

 最初に並んで手に入れ自慢、になるか自虐になるかは別としてとにかく話のネタには十分になったから、34800円で「Xbox」を買ったからといってそれほど大きな憤りは感じなかったけど、ちょっと前のディスクが傷つく可能性があるって事件で木で鼻をくくったよーな対応をしてしっぺ返しを受けた経験が行きているのかやっぱり余裕があるからなのか、コントローラーかDVD再生キットかメモリーユニットか4本出ているソフトのうちの1本を、先に買った人にもれなくプレゼントしちゃうってサービスが実行されるみたいで、苦手意識もあって悩んでいた「HALO」をこれで手に入れられると、内心ほくそ笑む。タダだからってさすがにねえ、「ねずみっくす」はねえ。


【5月14日】 深夜のテレビ放映はだいたいをリアルタイムで観賞し、DVDが出る前だったんでLDはBOXで1も2も揃えてついでにレイトショーで公開されて見た劇場版の3もLDで揃えて折角なんで佐藤嗣麻子監督分もちゃんと揃えてまだ1回も見ていなくって、今はどんな名称になっているのか行ってないんで知らない「徳間ホール」で開催されたイベントにも行き、そこでグッズを漁っている姿が、ブックレットだかムックだかに収録された写真にしっかり写っていたりしたって程度のユルくてヌルい「エコエコアザラク」ファンではあるものの、それでも一応は「エコエコロジスト」の端くれとして佐伯”黒井ミサ”日菜子様さま様とサッカーの奥大介選手との出来てしまっていた婚に関しては、おめでとうと言いたい一方で忸怩たる感情も浮かんで、朝の新聞紹介番組を見ながらベッドでのたうち回る。

 しかしかといって夜に藁人形を作って近所の大神宮へと出向き、手近な木にドライバーを使ってボルト止めして誰にも見られずに帰ってくるだけの勇気もなければ甲斐性もないし、そもそもがそんな程度の呪いでは天下の黒井ミサ嬢に返し技をかけられるのがオチなんで、ちょっと遠慮したいところだし、ヌルくてもユルくても「エコエコロジスト」としてはお慕い申し上げる佐伯”黒井ミサ”日菜子さま様さまのお選びになった幸せを、壊すことがそもそも筋じゃない。グッとこらえて涙をのみ舌を噛みつつここは慶事とお祝いの言葉を贈ることにしよー。悔しいけれど、おめでとう。

 こーなっったらトルシェ監督、奥を早速全日本へと召集してはメンバーに加えると同時に、我らが黒井ミサ嬢も顧問として招いてまずはチュニジア、続いて決勝トーナメントで当たるだろーカメルーンなりセネガルといった呪術でもって勝ち上がって来た相手の呪いを見破らせ、逆に相手を「エコエコアザラク、エコエコザメラク」とやって弱体化させ、日本代表を優勝へと導かせては如何だろー。もっとも相手がイタリア代表だと、バチカンあたりからアンデルセン級(声は野沢那智)の強化人間かエクソシストでも招いて黒魔術使いをせん滅にかからないとも限らないから注意が必要。相手にバッジョが入ってれば我らが日蓮上人を反魂の術で召喚して八百長を説得出来たんだろーけど、えっ、日蓮ではダメ? だったら誰だったら良いんですか?

 昨日と今日とで朝から日本エアシステムのページを使って航空券を予約。もちろん2カ月後に迫った「日本SF大会」の会場になっている玉造温泉へと飛ぶための「羽田−出雲」線の行き分と、帰り分をそれぞれ買っただけで、縁結びだったか縁切りだったか忘れたけれどカップルに対して何かあった出雲大社に2人で参詣に行くためのものでは絶対にあり得ません。とにかく東京あたりからSFの魂が山と押しかけるだろーイベントだけに、朝からアクセスがワンサとあってすぐに完売なんて事態にならないとも限らないと心配したけど、朝イチだったってこともあってどの便も割にユルユルで、行きは朝イチ帰りは夜の最終の便を「バースデー割得」とゆー、卑怯千万にもそれぞれ1万円なんて超お買い得な価格で予約しついでにカードで決済できた。この「SF大会」の日程を考慮して安い値段で行けるよーにと、双子の弟と同じ誕生日に生んでくれた母親に心で感謝。とりあえず足は確保できたんで、あとは確実に休める体制を整えることに専念しよー。手っ取り早く6月いっぱいでフリーエージェントになるって手も……ボーナスも出た後だし……無茶苦茶安いけど……。

 「フリーター」って言葉が日本にあって定職につかず自分のやりたいことを探してさすらう若い人たちのことをそう呼んでいるけど、米国あたりだと似て非なる言葉として「フリーエージェント」ってのがあって、社会に出て企業である程度のキャリアを積んだ人たちの中から続々と、会社をやめて自分のキャリアを活かしながらも企業から離れてやりたいことをやるために頑張る人たちが出ているらしー。課題図書で回ってきた「フリーエージェント社会の到来」(ダニエル・ピンク著、池村千秋訳、ダイヤモンド社、2200円)に書かれているのは、そんな「フリーエージェント」として活動する元企業人たちの仕事ぶりから現在困っていることまでを網羅したルポルタージュであり評論集であり資料集で、どーゆー時にフリーになりたいと思ってどーやったらフリーでちゃんと食べて行けて、けれどもフリーにはどんな不都合があって、それでもやっぱりフリーは素晴らしいってことが分かる。

 カリフォルニア州のバーバンクは住宅地域にある自宅で仕事の打ち合わせをするのは違法だとかで、映画のシナリオライターだったらシナリオの打ち合わせをしちゃいけないそーだし、ニュージャージー州に至っては自宅で仕事をしてはいけないって法律がまかり通っていたりと、制度面では日本よりもあるいは古くて厳しい状況が残っているみたい。それでも企業の傘から離れて同じ職場にいたりネットか何かで知り合った、別のスキルを持ったやっぱりフリーエージェントの人たちと、ネットワークを造りチームを構成してことに当たるってな形態の、楽しくもあり合理的でもある様を見るにつけ、やりたいことをやって自分を実現していっていることへの羨望を覚えつつ、そんなフリーエージェントたちを徐々にだけど社会に必要な存在として認知して来ている米国のたくましさ柔軟さにもいろいろと感じる。

 仕事と家庭とゆー2つの居場所があった時、これまでだったら仕事もちゃんとやるし家庭もちゃんとやる、けれどもそれぞれは独立した存在として位置づけ、両者のバランスをうまく取ることに人は腐心して来ただろーけど、フリーエージェントとゆー人種が登場して勢力として成長しつつある現在、家とかで仕事をやりながら家庭生活もしっかりと楽しむブレンドの形態が、新たに生まれて育ちつつあるってな指摘があって、なかなかにキャッチィな印象を受ける。それで果たして仕事のクオリティが保たれるのか、ってな疑問も現在のバランス重視史観ではちょっと判断が出来ないけれど、そーゆー状況を在宅ワークに勤しむフリーエージェントも、そんなフリーエージェントを使う人たちもともに理解し、お互いを尊重し合うよーな風潮が根付いてくればあるいは、成立し成長して成功へと至るんじゃないかって気もしないでもない。

 いずれにしても不安定な身分の中で幾つになってもお上相手にただひたすらに下請けとして顎で使われ捨てられる、ってな状況におかれたままではなかなかフリーエージェント宣言するのも辛そー。スキルを診断してくれる仕組みでもあれば(フリーになったら貴方にはこれだけの仕事が来ます、って感じの)良いんだけど、それも自分の自信のなさを写しているよーなもので自信がないのにフリーになっても結局は成功しない、って可能性もあるから考えものかも。もっとも学生にはそんなスキル診断は就職ってゆー道へと進むのに有効みたいで、1年生の学生から集めて企業にインターンとして派遣しているデジットって会社のイベントをのぞいたら、ワンサと学生が来ていて社長の人の話を熱心に聞いていた。

 もまあ聞いていたのはゲストとして登場した広告にも出ている菊川怜さんの話だったよーで、割にスレンダーながらも中身の詰まりに詰まった脳味噌を抱えた美しい顔を遠くに見ながら、その動作に見入り言動に聞き入っていた。イベントの方はといてば集まったプレス向けに新しいサービスを発表する、ってことはまったくなく、もっぱら菊川怜さんを広告塔に据えて事業内容をアピールするのが狙いだったみたい。学生代表って人が出てきて聞いた質問に答えて菊川さん、「自分の学生時代にもこんな会社があったらな」なんて言っていて、さすがは”広報担当”、自分の立場がちゃんと分かっていると、頭の良さに感じいる。1年2年の頃から就職を考えてスキルの蓄積に勤しまなくてはいけないとは、世知辛い世の中になったもんだと思いつつ、だったら大学なんていかないで、就職するなり修行の旅にでもでて自分を磨いた方がよほど未来の為になるとも思ったけれど、そこはそれ、学生をインターンで集めるくらいには開けても、大卒の資格なりにはやっぱりこだわりたい企業の事情もあって難しいところかも。構造改革ってやっぱり一朝一夕には進みません。


【5月13日】 凄い。ってかもー完璧。見た人のおそらく9割はその若さが中にギュッと詰まってはちきれそーになったコスチューム姿にクラリと来て、来週以降は絶対にビデオ撮り(もちろん通常モード、下手したらデジタルで)をしよーと心に決めたに違いない「鋼鉄天使くるみpure」は、先週届いた荷物の中に眠る2号をさしおいて配達されて来たカリンカちゃんが加護辻的に可愛くって突っ慳貪でお兄さん思わず足下にひざまづいてブーツを脱がして頭に被りたくなってしまったよ。お殿様、とか言いながら。

 すぐ直前のアニメーションでもなるほど若過ぎな女子のいたいけさがハートにチクチク来るけど、言ってしまえば所詮は2次元平面ぴょん吉女子。ホットパンツの中にギュッと押し込まれたボディが画面にバン、と出てくる「くるみ」を見た後では記憶の片隅にすら残らない。見えはしないけどお風呂のシーンなんかもあって妄想はグイグイと膨らむばかりで、対極にある豊満さ炸裂なくるみへの思慕も惹起されて布団に入っても目が冴えて眠れない。何故にどーして「くるみ」実写にするんだろーって当初は不思議に思ったし憤りも感じたけど、今となってはアニメ版の「鋼鉄天使くるみ」すら思考の埒外へと追いやられそー。もしかして、2次元に取り込まれた若人たちに3次元の良さを感じさせ、更正させるってゆー構想の元に作られたりした番組だったんだろーか実写版「くるみpure」。成功してます。大成功しちゃってます。

 良いねえ「HAPPY☆LESSON」。お姉さま方(お母さま方なんだけど)の水着がオンパレードな展開に久々に目が釘付けになってしまったよ、ってさっき3次元に更正したんじゃないのか? 目のまえにあるオカズが1番美味しいのさ、子供にとっては。エンディングにチラチラと顔を除かせていたアンダーフレームの四角い眼鏡っ娘が誰なのかが明らかになった回でその男子に免疫がなくはにかんだり顔をあからめたりする様にちょっぴり惹かれる、いや結構惹かれる。エンディングのデフォルメキャラが踊る場面で綾波系なマッドサイエンティスト母さんが最後になっても1人踊り続ける姿をその眼鏡っ娘がジトッと見おろしてた理由もよーやく判明。1回こっきりの出番じゃないと思うから今後どんな絡みを2人で見せてくれるのか、冷静さと幼さのそれぞれに突出した2人が見せてくれるドタバタを期して待とう。それより以前にチアガールに体操着オンパレードの来週にも期待。2次元への嗜好はアカシックコードレベルで我が身に刷り込まれているんだな。

 ストイコビッチとマラドーナとバッジョとリトバルスキーの若さ炸裂な大活躍を見て寝て起きて仕事。タイでしばらく前に開催された広告の賞で審査委員長とゆー大役を務めて帰国した鏡明さんが講師を務めた報告会を電通に聞きに行く。さすがは大昔に「超革命的中学生集団」に所属して「アトラスX」のリングネームでプロレスラーとして活躍した人だけあって……それは平井和正さんの小説の中だけか、けどやっぱり世代的には鏡明=アトラスXなんだよーな、いやそれはともかくプロレスラーにされて不思議のないくらいの長身に、年代相応の恰幅も出た鏡さんは見るほどにクリエイティブ部門でエクゼクティブ・クリエーティブ・ディレクターって役職にある人っぽい貫禄があって、これならCMのイベントで審査委員長を務めてたって不思議はないと得心する。

 何でもその賞でグランプリを獲得したのも鏡さんがディレクションと担当した公共広告機構のCMだそーで、審査委員長を務めた審査で自分たちの作品が議論される面はゆさを想像して不思議な思いにとらわれる。もっともそーした次元とは別な部分で誰も反論ができない「良い」内容にならざるを得ず、それから具体的な商品につきまとう制約が比較的ゆるい公共広告が賞の対象になることの是非、なんてものを最初に話し合ったそで、鏡さんは反対したけど他の審査委員が割に賛成だった結果として、メダルに選ばれ果てにグランプリを獲得してしまったそーなんで、お手盛りとは対極にある純粋にして公明正大な受賞だったと言えそー。SFは書かないし評論の本も出ないけど鏡さん、広告業界ではとてつもなく凄い人だったんだなーと改めて感嘆。おまけにプロレスだって出来るし(だから違うって)。

 続いて広告業界で2001年を代表する人に選ばれたってことで電通から今は制作会社に出稿している福里真一さんってCMプランナーでコピーライターの人が講演。例の「ジョージア」の「明日があるさ」キャンペーンを仕掛けNTT東日本で「慎吾ままい」のCMも手がけフジカラーの「超それなりに」の広告も担当したっってゆー触れ込みから想像するに、ポルシェとか乗ってアルマーニとか着て髪は茶髪で靴はエナメル、なんてギョーカイ人(んなギョーカイ人今時いねーよ)を想像したらこれが大違い。トラッド入ったスーツにシャツにネクタイで髪はサラサラ眼鏡はペカペカ喋りは訥々って感じの真面目さが板について蒲鉾になったよーな人でちょっと驚く、いや激しく驚く。

 説明によると大学生時代から人と喋るのが苦手で学校を出るに当たってシンクタンクが良かろーと思って受けた電通総研でマーケティングって仕事があることを教えられて電通を受けたら受かってしまったらしくて(羨ましいぞ)おまけにクリエーティブを任されて(超羨ましいぞ)今に至るとゆー経歴。それだけに奇をてらったりエッジが立ってたりする広告よりも普通にどう見せるのか、って当たりを心がけてやっていたらそれが時流にかなってみるみるトップクリエーターに上り詰めてしまったらしー。もちろん時流をつかむ冴え、それを表現する才能があってのことなんだけど。喋りが苦手でコミュニケーションが不全なのにクリエーティブって務まるものかと思ったけれど、やっぱりコミュニケーションが苦手で土日は誰とも合わず誰とも喋らないにも関わらず、人カラ話を聞く仕事をやっていたりする野郎がここにいたりするんで、何とかなるのかもしれない。けどクリエーティブの方がもっと人と喋らなくって済みそう。どこか雇ってくれいないかなー、給料今のまんまで良いから(安いぞー)。

 分かった、ってか創刊号からしばらくは買っていたんだけど「コミック・キュー」(イースト・プレス)、最初の触れ込みだった江口寿志さんの色がみるみる薄くなってしまってちょい、エッジ立ったりトンがったりオシャレっぽくなってしまった当たりでこれば僕が読むべき本じゃないかも、って臆してしまって手を出してなかっただけなんです。言い訳はこのくらいにして「特集:食べ物天国」と銘打たれた「200号」(何っ?)はとり・みきさんの冷凍食品捜査官が登場するシリーズがホント久々に掲載されててハードな設定とシリアスな展開の中で繰り広げられるシチュエーションとしての奇妙さに笑い泣く。そーか英国じゃークリスマスケーキは食べないのか。タカノ綾さんは例の「9・11」を折り込み世界の底が抜けてしまったよーな事態の後で人はどこまで現実感を維持していけるのか、って割に身に迫るテーマを投げかけて来る漫画を発表しててハッとさせられる。テレビの向こうの出来事だってことでちょい、記憶から薄れかかっていたのが再び浮かび上がって来た感じ。いつまで保つかは分からないけど。人間ってこれで結構、忘れっぽい生き物だからね。


【5月12日】 まずは堅調。人によってはコミック版の暗さが出てないって言うけれど、コミック版を1巻くらいしか読んでない人間にとって、日曜朝の9時半とゆー気持ちも晴れやかにしたい時間帯に見る番組としてはアニメーション版「ぴたテン」はまずもって納得のお話しって言って全然言い過ぎじゃない。とは言いつつもワラワラと出てきたキャラの真の主人公がどことなく判然としないまま、シチュエーションのおかしさでもって流している感じがあって物語として停滞しているよーな感じも受ける。まあそこは最後の胡太郎のセリフに感情面での流れを伺わせるニュアンスが出てたんで、ゆるゆるか急転回かは分からないけどとりあえずは見て飽きない程度に動いていってくれるだろー。しかしホント、始まって見続けてるのってこれくらいだよ(プラス「あずまんが大王」「HAPPY☆LESSON」「鋼鉄天使くるみpure」「.hack//SGHIN」……って結構あるなあ)。

 頭痛が残る頭を「バファリン」で吹き飛ばして「東京ビッグサイト」で昨日から始まっていた「デザインフェスタ」へ。もう通い始めて何回目くらいになるんだろーか、最初の頃とさして雰囲気が代わっている感じはしないんだけど、時代の方がレトロだったりサイケだったりポップだったりキッチュなだったりな原宿フリーマーケット的アート&ファッション&ミュージックに染まってしまった関係で、最初の頃に抱いたよーなどこか世俗のちょい先をいってるっぽい尖った空気が柔らかくなって、まさにトレンドのまっただ中が集まっているよーな雰囲気になっていた。集まって来る人たちの数も増えたし年代の幅も広がったみたいで、結構年輩の人の姿も見受けられたし、子供も割に多かったよーな。

 もっとも子供はひとつには同じ「ビッグサイト」の東館(ひがし・やかた)で開催中の「東京おもちゃショー」を見に来た流れって可能性があるしもうひとつ、こちらは「デザインフェスタ」といっしょの西館(にし・やかた)の1階フロアで何やら開催されていた「ハロープロジェクト」だかのお子さまオーディションに来た親子連れが流れて来たって可能性もあったかも。とにかく不思議なイベントで、看板が出ている訳でもないのに「ゆりかもめ」から「臨界副都心線」から降り立つ大勢のいたいけな子供たちと一攫千金を狙う親たちが、陸続と「東京ビッグサイト」を目指し西館の会場を目指して歩み寄って来る光景は、流行りらしーピンク系の衣装の派手さと厚底系の靴のポクポクとゆー音も重なって、逆行して真正面から見るとなかなかの圧迫感を受ける。にしてもあれだけの人数を集めてどーゆーオーディションをやったんだろー。もしかして「プリクラ」を撮っただけとか。

 さて「デザインフェスタ」。入ってやっぱりかけつけるのは毎度お馴染みTシャツ屋さんの「ちくわぶ」。通い始めた頃にはすでに出ていて以来、皆勤賞ものの出店で評判も高まっていたのか午前中だってのになかなかな盛況ぶりで、看板代わりに吊された「推定Bカップ」のしずかちゃんTシャツを眺めては笑い「ヤマシタキヨシ」の黄色いシャツに吹き出している男性女性が大勢いて、その諧謔スピリッツの広まりに数年前からのファンでしかないけど喜びを覚える。新作かどーかは分からないけど今回は時事ネタっぽい2枚を購入、1枚は鈴木宗男サンがウォーホルのマリリンよろしく色違いで何枚もプリントされたTシャツだけど背中の「metal」って文字が現段階で理解不能、何だろ? メタルスライムか何か?

 もう1枚はニューヨークのツインタワーが爆発炎上している写真で、もちろん「NO MORE NEW YORK」って背中の文字が表すよーにテロへの憤りを示し過ちを2度と繰り返さないよー訴えるメッセージ性を持ったものだけど、人によってはやっぱり単なる悪趣味だと思いそーだから人前ではなかなか着れそーもない。メッセージって難しい。ほかだと「2ちゃんねる」なんかでも板の看板として使われていた「宇宙刑事タリバン」って言葉が同じよーに使われていた某ビンラディンの目に線が入った写真がプリントされて背中に同じく「NO MORE NEW YORK」って書かれたシャツがなかなかにナイス。欲しかったけどビンラディンは既に1枚、持っているしお金もないんで今回はあきらめる。通販には出てたかな。

 ベバババババッと見て「ケバブライス」ってのを食べてからちょい抜け出して「東京おもちゃショー」へと出向いてコナミのブースで「めんこ」の大会を見物。TBSの「筋肉番付」の中で開かれているのと同じよーに山本小鉄さんがレフリーを務めてSEも同じものが使われる中での大会だったからなのか、耳に馴染みを覚えている子供たちが大勢集まって見物していてなかなかな人気ぶりを見せていた。今はイベントを開けば売れるって程度らしーけど、裏側の展示コーナーでも遊んでいる子供たちの多さが目についたんでこのままこまめにイベントとプロモーションを続ければ、いつかの「ハイパーヨーヨー」最近の「ベイブレード」の後を襲う玩具のブームの中心に座れる可能性もあるのかも、「ビーストシューター」の追い上げをかわせれば、ってどっちもコナミじゃん。

 タカラのブースで何やら人だかり。見ると「e−kara」のCMに出演できる女の子をオーディションしているステージらしく、何人かづつが固まって「モーニング娘。」の歌を唄ってて、うまいかどーかはともかくその弾けるよーなエネルギーに聴いていておじさん、胸を激しく打たれまくる。7人くらいいた中に1人、飛び抜けて可愛い少女がいて一目見て絶対にこの娘が当選するんだろーと思ったけれど最後まで見ていなかったんで選ばれたかどーかは不明。3人で一緒に唄ってたんで歌のうまさについては分からなかったし、あとそれくらいの歳の美少女が持つ神秘性、ってゆーか有り体に言えば暗さ清楚さが「e−kara」の元気なイメージにちょい、合ってないかもしれないのが気にかかったけど、ウツクシサでは飛び抜けていたんできっと、CMに登場して人気になってアイドルとしてデビューして「ザ・ベストテン」で10週連続トップになってグラミー賞を獲得したあと「パリコレクション」にモデルとしてデビュー、スーパーモデルになって果てに欧州の王室に王妃で迎え入れられ世界の至宝となることだろー。撮った画像もその時にはお宝に(何年先だ)。

あなたの入れたスイッチはきっとアンドロメダで侵略者の円盤を爆破したことでしょう  戻って再び「デザインフェスタ」。うろついているとどこかで見かけた大きな体が目に飛び込んで来て、近寄ると流しの「スイッチ売りさん」で驚く。「コミックマーケット」に「ロケット野郎」でブースを出した時もプロの評論の人がまた何故にと驚いたけれど、「オタキング」なんだからオタクの甲子園に出てもそれほど違和感があった訳ではなかった。けどこっちはレトロでサイケでキッチュでクラブでロックでアートな人種の春高バレー。ある意味対極にある場にもこーしてやって来ては案外に違和感のないところを見せてしまえる当たりに、恋愛相談から「ミニモニ。」評論まで守備範囲の幅広い所を見せている「オタキング」のフットワークの軽さ柔軟性の高さなんかを見てしまう。

 愛想の良さも原宿フリーマーケット的。寄る客通りかかる客に向かって「気持ちいーですよ、スイッチ」って感じに呼びかけては「スイッチ」なるオブジェを手に取らせる巧みさに、その昔小学校の帰りに騙された露天のおっさんの家具師的スキルに似たものを感じる。説明するなら「スイッチ」ってのはつまりはただの「スイッチ」で、直方体から突き出たスイッチを入れるとランプがついて切るとランプが消えるとゆー、ただそれだけのもの。前から作っていたものだけど、今度のはバージョンアップが図られロッドアンテナが付けられていて、伸ばしてスイッチを入れた瞬間、電波がそこから出てどこかの国で何かが爆発しているか、あるいは「幕張メッセ」あたりに上陸した怪獣を倒すべく、巨大ロボットを軌道させたよーな快楽解放感を味わえる。そこから生まれる想像力(妄想力とも言う)がなるほどアート作品って感じかも。

 しかし一体どれだけ作ってどれだけ売れたんだろー。「触っていって」って呼びかける割には値段とか出てなかったんで、もしかしてただ触って楽しむだけのものかと一瞬、思ってしまったよ。伺うと2500円ってゆーから早速1つ、購入させて頂いたけれど果たしていったい電池がどれだけ保つんだろー。ランプが切れてしまった時にもしかして誰かの命が尽きるのか。ほかに「柏崎原子力発電所制御パネルTシャツ」なんてものも売っていたけTシャツは「ちくわぶ」で買ったばっかりだったんでパス、あと黒字に白抜きで「電柱&電線」をプリントした、三鷹にあるアニメスタジオに得意な意匠のTシャツもあったけど三鷹を意識したものかどーかまでは不明、だってほら、直接は聞けないし。

 「デザインフェスタ」に「オタキング」とゆー異文化コミュニケーションぶりもおかしかったけど、もっと不思議だったのが我らが鳥肌実さんがブースを出していたってこと。本人の姿は流石に見えなかったけど、小さいブースの前に私物ってゆー日本陸軍の軍服を飾って30万円で売ってみたり、バッジにCDにビデオに靴下にブロマイドにポスターといった「ことり事務所」で売ってる数々のグッズが並べられていたりで、講演だと長蛇の列でなかなか買えない人もここだとスンナリ買えたかも。濃さと毒っぽさで普通だったら誰もが敬遠するだろー芸なのに、講演ともなると不思議にお洒落だったりエッジだったりする男子女子が山とおしかける理由が今ひとつ分からなかったけど、「デザインフェスタ」でなかなかな人気を誇りブース前に流されているCDを聴きビデオを見る男子女子が大勢群がっていた光景を見るにつけ、なるほどこーゆー芸も含めて受け入れ咀嚼してしまう若い層の貪欲さを改めて認識させられる。「オタキング」の「純粋スイッチ」が「BT」に出る日も近い(もう出てたかな)。


【5月11日】 ラジカセを買ってラジオを聴くよーになってまたぞろ、耳に入ってきたちょっぴり良さげなアーティストのレコードをレンタルショップで借りては、守備範囲をちょっとづつ広げていった学生時代の音楽生活が甦って来たみたい。そこはそれ社会人ってことで借りるなんて面倒なことはしないで買ってしまう当たりが貧乏な割に豪毅だけど、CDの値段自体はインフレを経てデフレを経てもそれほど代わっておらず3000円くらいで、中には2000円とかゆーのもあるから借りるより買っちゃい、って気分になってもそれほど不思議はなかったりする。ゲームもこーなれば良いのになあ。まあファミコンのカセット時代よりは安くなってたりするんだけど。

 さて聴いたのは「スーパーバタードッグ」ってファンクなバンドのライブアルバム「ラ」。94年にデビューして90年代末にはライブなんかで絶大な人気を獲得してた、知ってる人の間では知らない人はいないってくらいに有名なバンドだったりするんで今さら聴いておっさん遅すぎって非難をごうごうと浴びることは覚悟の上だけど、ラジオでかかってイントロ部分のキーボードのメロディーに切なさ炸裂の歌声と、けれどもブッ飛びまくった歌詞に脳天を直撃された「Yo! 兄弟」って曲を個人的な筆頭に、グルービーな曲がギッシリと詰まったアルバムになっていて聴いていてそのパワーに踊りだしたくなった。こんなバンドがいたんだなー、音楽って日進月歩で千差万別なんだなー。

 他のメンバーも曲とか詞とか書くけどやっぱり、ボーカリストの永積タカシの書く曲も詞も頭抜けてる感じがあってハマりまくる。「Yo! 兄弟」なんてし「妹にキック」とかって出てくるんだからもう訳が分かりません。良いなと思った2番目はやっぱり永積タカシが詞と曲を書いた「アサガオ記念日」と、あとは地球最後5秒前の午後に決心した切なさ悔しさ虚しさ健気さが伝わって来るよーな「5秒前の午後」あたり。まだ20代半ばあたりでここまでイっちゃってて良いんですか、ってな気も起こってしまったけど天才ってのは、とくに音楽の天才ってのは得てしてそんなものだろー。詞とか曲の素晴らしさに比例してか反比例してかビジュアルはなかなかに迫力モノで道であったらきっとよけちゃいそーな雰囲気で、他のメンバーなんかも同様に凄くってこの面々で繰り広げるライブって、きっとやっぱり迫力モノなんだろーなと行ってみたくなるけど怖いから行かない。それ以前に取れないだろーけど、人気凄過ぎて。

 この国に住んでいる限り、眼前を銃弾が飛び交い自分に敵意を持った人間が攻撃を仕掛け空から爆弾が降り注ぎ地には地雷が埋まっている、なんて恐怖を経験することは、そういった地域に出かける特派員にでもならなければまずもって不可能で、だからだろうか激ヤバな場所へと人を送り出すことについて、国の威信がどうとか体面がどうとかいった理念の部分での議論が、上から下まで幅を利かせていたりする。けれどももしも本当に、激ヤバな状況に身を置くことがあったとしたら、そんな場所に人を送り込むことについて、上っ面な理念なんかでもって語るなんんてことは多分出来ず、自らの責任と覚悟を意識した上である種の痛切さを持った言葉でもって、語らざるを得ないような気が、メル・ギブソン主演の「ワンス&フォーエバー」を試写で見て高くなって来た。

 それさえも恐らくはスクリーンの上で起こっている遠い過去の遠い国でのことであって、身にリアルな感覚となって迫って来るものではないんだけれど、ベトナム戦争の中でアメリカ軍と北ベトナムの正規軍が始めて大規模な戦闘を行ったイア・ドラン渓谷の会戦をテーマにした映画の中で描かれる、1歩たりとも動けず立つことすら困難な銃弾の飛び交う戦場で、救援を当てにできずバタバタと仲間が死んでいく姿を目にしつつ、2晩を過ごした果てに最期の闘いへと突き進んでいく状況を目の当たりにするにつけ、仮にそんな場所にいたとしたら果たしてどこまで正気を保っていられるんだろうか、という思いと同時に、そんな場所へと人を送り込む権限を仮に持ったとしたら、果たして気安く権限を行使できるんだろうかいう思いも浮かぶ。「死ね」って言えるか。言った後でも正気を保っていられるか。たぶん言えそうもないし出来れば1生言いたくない。

 国民全部の幸福を考えに入れた、高度に政治的な判断を下す以上は、戦場のひとつひとつの死に思いを馳せて罪悪感に苛まれるような感情を脇においておかなくっちゃいけないんだろうけれど、それは決して罪悪感を捨てるってことではないし、ましては最初からカケラも抱かないってことじゃない。思うに多分、今の不信感にまみれた政治にそうした気配りなり罪悪感がカケラも漂っていない部分が、国の威信とか国際的な役割とかいった理由を前面に出しての、有事に対する憂い無きそなえの必要性を訴える声から、真実味真剣味を奪っているんじゃないんだろーか。重ねるけれど映画を1本、見たからといってどれほどの戦場のリアルも身に入れられたとは思わないけれど、戦場のリアルへの想像力をいささかなりとも持つようになり、責任を感じ人を「殺す」覚悟を持つことに思い至る道をつける意味でも、権限を持つ権威な方々には是非に見てもらいたい映画、だと思った。コイズミあんたもこれと同じことをやらせるんだぜ。

 映画自体は戦場のリアルさを浮かび上がらせ、そんな場所で常に前線に立ち降りる時は最初で引き上げる時は最後という自分への決め事をいついかなる場合でもまもる中佐の強い責任感に感じ入らせ、かつ敵となる北ベトナムの正規軍にもしっかりとした理念があり、戦略があり、兵士のひとりひとりに意志があって当然ながら家族もあったという当たり前の事実に思い至らせてくれて、恐怖は恐怖として感じつつも過ぎたこととして妙な清々しさも覚えてしまう。だからといって自分が経験したいかってゆーとそんなことは絶対にないんだけど。

 メル・ギブソンは見事な指揮官ぶりが「上司にしたいナンバーワン」のトップに輝くこと確実。サム・エリオット演じる副官の上級曹長も怖そうだけど頼もしい”軍曹”ぶりでキャリアにまたひとつ栄光を刻みそう。北ベトナム軍の中佐を演じたドン・ズオン。地下トンネルの中に作られた司令室で的確に支持を下して米軍を追いつめていく様が惚れ惚れするほど格好良い。名前は知らないけれど黒人兵の妻を演じた女優が夫の死を伝えられた瞬間、それを受け入れられず気丈そうに振る舞おうとして、でもやっぱり受け入れざるを得ない残酷さを、短い時間の中で演じきってみせていたのにも感動。ここ泣くね。とかいいつつギブソン一家の娘2人のスカート姿、パジャマ姿の目が釘付けになってしまうあたりが平和ボケニッポンに生まれ育った中年男の哀しい性、だったりするんだけど。初夏とかに公開予定。


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