縮刷版2002年3月下旬号


【3月31日】 もうかれこれ20年近く昔になるんだろーか、記憶だと「少年サンデー増刊」に何かの賞だか奨励賞だかを受賞した作品として掲載された「ルピア」とかゆー漫画を読んで、その絵の良く言えば若々しさ、悪く言うなら稚拙が目にガンガンと響いたことがあって、これは大成しないなと思っところが何故かその後、続々と作品が乗り連載まで始まり人気作家になってしまって幾星霜、今や「ふたりエッチ」が未経験男女のバイブル的な存在にまでなってしまったとゆー事実を前に人間、とりわけ漫画家については最初の印象はあてにならないってことを克・亜樹さんとゆー好例でもって身に深く刻んでいたりするる、ので何とゆーか実に微妙な味わいを「この花はわたしです」(小学館、552円)でもって醸し出している国樹由香さんも、喜国雅彦さんのサポートが外れても存分にエロい漫画を描けるよーになると思うと言っておこー。だから今はまだ、おめでとうは言わない。なんのこっちゃ。

 けどやっぱり克・亜樹さんのぐんぐんぶりは個人的にはやっぱり神業的ってゆー神の御業的ってゆーか、折角の年度末の日曜日を割いて出かけた「ライトノベルフェスティバル」の開場までまだ間があって、のぞいてみた「日本青年館」横の公園で開かれていたフリーマーケットの会場に、なぜか「ふたりエッチ」の画集が出ていてパッと目に飛び込んでくるヒロインのなんとかちゃんの目の輝きとか、ポーズの媚態が放つ艶っぽさに、燦々と降り注ぐ春の日差しの下でも存分に心をワクワクさせられた。同じことを思った人もきっと天下に多かったのか、戻ってイベントを聞いて途中、意識が彼方へと飛びそーになったんで脱出してのぞいた昼過ぎのフリマでは2冊あったうちの1冊が売れていたみたいで、その人気の奥深さを改めて知らしめられる。偉大なり「克・亜樹」。21世紀もあなたの時代はまだまだ続く。

 さて「ライトノベルフェスティバル」。前回のプレイベントでの伊東京一さん秋山完さん金蓮花さん一条理希さんほか多数のヤングアダルト系作家陣、イラストレーター陣の登場にもしかして栄えある第1回目のイベントには、すべてのヤングアダルトのレーベルから代表選手が5人は作家とイラストレーターが登場して、そんな人気作家にイラストレーターを見に2000人は観客が集まって「日本青年館」の大ホールを埋め尽くしたって不思議はないと思っていたらこれがどーした、ゲストの質はともかく数で言うなら目分量で半減とゆー事態に、いつ日本では時間をさかのぼれるタイムマシーンが発明されたんだろーってな気持ちがわき起こる。それとも分裂していくウラニウムだったのか。いわゆる作家さんのゲストは我らが鋼鉄の同志、中里融司さんと「日本SF大会」のディーラーズではお馴染み、「レディ・スクウォッター」の都築由浩さんの2人だけってゆー厳選ぶり。決して読んでいない人たちではないけど熱烈なファンとゆー訳でもなく、これでいったいどーしろとゆーのだ、って気がしてオープニングの間ドギマギする。

 が、スタートした最初の企画、法政大の教授でファンタジーの翻訳なんかで知られる金原瑞人さんと大森望さんの対談では、金原さんが開いている創作のゼミに生徒として在籍した古橋秀之さん、秋山瑞人さんに関する話なんかを手始めに、どーゆー感じで創作ゼミってのが開催されているのか、ってな話を聞くにつけ、物を書くことの大変さとそれでも書き続けることで伸びる才能の面白さってのを感じて、ちょっとぐらいは頑張ってみよーかって気にさせられる。2年で200枚3年で250枚4年で300枚、書けばもらえるゼミの単位ってのが果たして難しいものなのか、それとも簡単なのかは想像がつかないけれど、最低限度を切られれば動いてみよーって気に人間ってのは多分なるもの。遠く多摩(ってゆーかほとんど高尾山)の地に週末の3限だか4限だかに来られるんだったらモグリも認めないこともないって金原さん、言っていたんでちょっと通ってみよーかな。会社? んなもん知らん。

 それにしても金原さん、54年生まれってゆーから御歳結構行ってるはずなのに、見かけ35歳とかでも存分に通用しそーな若さで驚く。何か秘訣でもあるんだろーか。山尾悠子さんと小学校で同級生だったそーで、その山尾さんが今もって20年前の美麗さと保っている辺りに秘密とかあるのかな、血とか吸われたとか。その金原さん、今のお気に入りの小説として三浦しをんさんの「秘密の花園」(マガジンハウス、1400円)を挙げて耳が瞬間ひっくり返る。普通に三浦しをんさんの作品を読んだって人、これまであんまり会ったことがなかったんで。とにかく文章の凄さを指摘していて、古橋秀之秋山瑞人といった凄みで成る文章力の持ち主を生んだゼミの主、自身翻訳家として凄い文章をひねり出す人をして感嘆せしめる三浦さんの凄さを今さらながらに強く感じる。何か雑誌に持ってる書評のコーナーで取りあげる予定になってるそーで、どんな感じの紹介になるのか楽しみ。もっともーっと評判になって、マガジンハウスから2連覇ってことになったら自分のことじゃないけど嬉しいなー。

 握り飯とソーセージを食べて午後の企画を聞こうとして襲ってきた眠気に勝てず外へ。やっていたのはヤングアダルト系小説の表紙絵を中里さんと大森さんと開場から選んだ1人に見せて勝手に内容とかひねり出してもらうって企画で、会場にはすでに解答が配られていて観客はその解答と、回答者の想像とのギャップを楽しむことになる。けどまあ、そこは流石にヤングアダルトの表紙だけあって突飛な絵とかはあんまりないし、解答する方も西部劇風のを見て「これはチャイナファンタジー。主人公はロボット」とか、未来風のを見て「陰陽師もの。主人公は亀」とかいった奇説でもって受けを狙う人とかあんまりおらず、場が和んでしまったのがこっちに緊張感の糸を切らせる原因になったみたい。抜けて戻って都築さんがロケットについて話した企画ものぞくとこちらは割に真面目なロケット企画で好きな人にはそれなりに為になったみたい。問題は来ている人たちにどれだけロケットな人がいたかだけど……どーだろー、謎。

 三村美衣さんが新人賞の一次選考に残る秘訣を教授する企画はとにかくマイナスを減らしてプラスを積み上げよー、って標準的な結論に落ちついてお開き。エンディングでは今は亡き「ファンタジーの森」がまとめてもらえるプレゼントがあって、家のそこいらじゅうに埋まって出て来ない身として欲しくなったけどもらてってもやっぱり埋まってしまうだろーからもらえなくって良かったかも。終わってお茶してから隣で開催されていたサッカーJリーグの「東京ヴェルディ1969VS柏レイソル」の試合を見物、しよーと思ったけれどスタンドに座っているだけで吹きすさぶ寒風賀身を凍らせ、これはちょっとキツいかも、なんて思っていたら大甘で、ホイッスルが鳴ったか鳴らないかって辺りで降り出した雨がやがて雷を伴って激しくなって来て、イベントで抜きまくられた魂を冷たく刺す。

 試合の方も永遠の天才・石塚啓次の天才が故に孤高を行くプレーと熱血野獣・エジムンドの異次元で空回りする迫力のプレーが目立つ割には決定的なシーンを作り出すには至らず、前半は無得点のまま終了。そこで気持ちも切れ果てて席を立って会場を後にする。ホームのヴェルディよりアウェーのレイソルの方が応援団の数も質も上を行ってたって辺りに、今のヴェルディの凋落ぶりも伺える。昔だったら巨人戦にも例えられたヴェルディの試合で、おまけに相手も首都圏のレイソルなのに、集まった来場者の数がJ2の試合にすら及んでいないよーな感じがするのは、ちょっとなあ。これで「ワールドカップ」が終わったら、一体どーなってしまうんだろ。100年計画、10年目の蹉跌とならないためにも今、やっぱり何かすべきなんだろーけど。でも何を? うーん、やっぱりバッジョに来てもらうしかないのか、国立競技場の地元・信濃町の奥の院から放たれる御仏の威光でもって。


【3月30日】 後書きでの開き直り症はあるいは「温帯という病」にも入るのかな、けど「温帯」はまだ少なくとも伊集院大介が豹頭と”共演”なんてさせないから、少なくともシリーズの読者が抱くシリーズへの思い入れにはまだ配慮しよーって意識があったりするのかな、なんてことを考えながら(考えるなよ)早起きして午前8時の「東京ビッグサイト」へ。今回が初回の「キャラクターエンターテインメントコンベンション」に一体どれくらいの人が集まるんだろーかと半ば心配もしていたけれど、朝方の雨にも関わらず予定されていた会場時間の2時間前、午前8時に到着した「ビッグサイト」前には「国際展示場」駅まで届こーかとゆー行列が出来ていて、まずはひとまずは成功って感じ。当たってるねえ「ブロッコリー」。

 もっとも午前中は黒山だけどグッズの売り切れが出る午後は閑散ってのもよくある話で、午後は早々に引き上げてしまったんで、午後には通路から行列も消えてガランとしてしまった可能性もない訳じゃないけれど、それを見越してか5時10分からってな夕方に「でじこ」「GA」「ぴたテン」「アクエリ」ってなブロッコリー旗本イベントを組んでいたから、きっと深夜まで大騒ぎ、だったことだろー。巧いねえ、その辺の配慮が会社を株式公開にまで持って行かせたんだろーねー。

わたしはこんなにも大きい  午後3時10分からの「あずまんが大王」のイベントはちょい見たい気持ちもあったけど、製作発表会で主要な出演者の面々は作者のあずまきよひこさんも含めて見物してたんで今回はパス。代わりって訳じゃないけどメディアワークスが展開する「電撃屋」の裏側で絶賛予約受付中だった必殺のぬいぐるみ「ちよ父(実物大)」って奴を、見た実物のあまりの凄さに釣られてついつい予約してしまう、1万円、うぐぅ。しかしデカい。とにかくデカい。「電撃大王」で広告を見た時はもーちょっとこぢんまりとしてるかな、って思っていたけど実物は人間の上半身に軽く迫る大きさで、部屋のいったいどこい置けばいいのかと激しく悩む。いっしょに寝る? ベッド追い出されちゃうよ。

 そもそもが榊さんの夢の中にしか登場しない「ちよ父」の正しいサイズがいったいどれだけなのか? って疑問もあるし正しい色が何色なのか? って悩みもあるけどまあ、そこはおそらくこのくらいってことで身長95センチに落ちついたのかな。腕に実は多重関節が仕込んであって、いろいろと曲げて遊べるのがちょっと嬉しい。背中とかに背負わせることも可能、だけど後ろからぶつぶつと言われそーなんでやるかどーかは不明。とりあえずは予約だけで届くのは4月の中旬とかで、これまた超絶巨大な段ボール箱に入って送られて来るとか。部屋のドアから入るだろーか。グッズを作ってる「トイズワークス」でも受け付けているとかで、欲しい人はここから申し込むのが吉。買って皆さん、いっしょにゴールデンウィークの「SFセミナー」へと連れて行きましょう(大めーわく?)。

 「ブロッコリー」のブースは早々に長蛇の列。朝から並んだ人に遠慮して遠目でずっと眺めてたんで「ミントのみみ」は結局買わず。まあ僕の頭じゃ着けられないんで仕方がないか。コンサートのチケットは店で買えたら買おう、って行く気なのか、「SFセミナー」明けだぞ、「ちよ父」も連れていくのか、うーん、でもやってみたい。「ガイナックス」のブースでは4月から放映らしー「アベノ橋魔法商店街」のプロモーション映像が流れてたけどさすがは「ガイナックス」ってゆーかテンポの良さに加えてレイアウトの良さってゆーのかコンテの切り方の上手さってゆーのか、どの絵ひとつとっても画面にあざとくキマってて、見ていると目が吸い付けられて画面から離れなくなる。鶴田謙二さん絵の再現性も個人的には高い方だと思うんだけどどーなんだろー。妙にこまっしゃくれたアルミちゃんの表情なんがぐー、あとプロモに瞬間映った脇の下の感じとか(どこ見てる)。

 ブースでは武田康廣さんの「のーてんき通信。 エヴァンゲリオンを創った男たち」(ワニブックス、1400円)がなな何とサイン入りで販売中でそれなりに売れていた模様。サイン本といえば小学館のブースで「サンデーGX」に連載中の漫画の単行本がサイン入りで売られているのを発見、中に喜国正彦さん国樹由香さんのペアがエロ漫画に挑んだ「この花はわたしです」(小学館、552円)の初版ニオイ付きが両名のサイン入りで売られているのを発見して早速購入する。喜国さんのサインのはげオヤジはこすってもニオイが出なかったのは当たり前とは言えちょっと残念、ニオイつきサインペンとかあれば良いいのに。あと伊藤明弘さんの「ワイルダネス」(小学館、533円)も簡単なイラストが付いたサイン入りであったんでこちらも購入、をを3刷じゃん、売れてるんだ。

 早々に引き上げて都バスで東京駅へと向かって「東京国際フォーラム」で開催されるセガの「Game Jam2」へ。同じことを考えてる人とかいたみたいでおそらくは「こなみるく」で買ったグッズを巨大な袋に詰めてバスに乗っていたけれど、東京駅で降りて山手線か何かで有楽町へと行ってそこから「東京国際フォーラム」へ行くみたいなことを話してたのを聞いてちょっと愕然、歩いたってたいした距離じゃないのに、ってゆーか歩いた方が近いのに。ってことで当方は歩いていそいそと会場へ、ををここでも行列だ、東京駅側にある会場へと降りる階段を曲がって有楽町駅の方へと行列が伸びている様を見て、あるいは案外電車で有楽町へと行った方が正解だったのかもと思えてくる。このへんがオタクの感って奴か。

 そこはプレスなんで入り口を突破して会場へ。入ると11時から「レッド・カンパニー」変じて「レッド・エンタテインメント」がセガの出資を受けるって会見があったみたいで、あれほどのソフト開発子会社を抱えてもなおまたひとつ、「サクラ大戦」の頃から付き合いはあったとはいってもそれなりに独歩だった会社をグループの混ぜて天下取りでも狙っていくのかな、なんて想像したけど、最初から聞いてなかったんでどーゆー話が出たのか分からなかったんで、終わった後で会場に背広姿で立ってた香山哲・最高執行責任者に聞くと、車でゆーところのピニファリーナみたいな一種のカロッツェリア的な位置づけで、ハイエンドにクールで熱いゲームを送り出すスタジオになってもらうんだとか。

 そんな意気込みを実際に示すソフトとして、もー何年も前から噂だけは流れていた「トライガン」な内藤康弘さんがキャラクターデザインなんかを手がけたガンアクション「GUNGRAVE」がいよいよ白日の下にさらされて(会場は地下で暗かったけど)、その激しくもど派手な内容で会場をアッと言わせた、んだと思うけど会場に着くのが遅れたんでその瞬間は見てません。後でデモとか見たけどなるほどこれは楽しそー。ガンコンとか対応だったらバッシュの銃型のを作ってプレイしてみたい気が。ウルフウッドのパニッシャー型の? それも欲しいけど僕の部屋ではテレビに向けられません、狭くって。

 内藤さん絡みではさらにもー一つ、銃と剣とが混在する「VERSUS」とも「ブレード」とも「ガン・ホー・ガンズ」とも取れる世界観で進むゲームも開発中とかで、タイトルに入った「トライガン」のロゴがいったいどーゆー感じに内容に反映されて来るのかも含めて発売に期待がかかる。単なる「鬼武者ハザード」ではないだろーから。会見を聞いていた「アニメージュ」のO野編集長は入れ替わりで「東京ビッグサイト」の「キャラコン」へ行ったみたいで元気げんき。あすはやっぱり「ライトノベルフェスティバル」へと行くのかな。タフだなあ。


【3月29日】 そうそう「千と千尋の神隠し」と言えば鴻上尚史さんが「SPA!」の4月7日号に掲載の連載「ドン・キホーテのピアス」で、プロデューサーの鈴木敏夫さんをラジオのゲストに呼んだって話を書いていて、中で鈴木さんが「ロード・オブ・ザ・リング」について「あの映画はつまらなかった」って言ったってことを紹介してる。その理由が「最近、感情移入を強制する、起承転結を壊した、細部だけが異常に凝ってる映画が多すぎる」ってことらしく、「ちゃんとした物語がなくて、ただ映像が異常に凝っていて、凝ったアングルだの見事なCGだの細かい描写だの膨大な情報量だけで観客を引っ張って、作者の世界観を語る映画が多すぎる」とも言って鈴木さん、最近の映画の傾向に苦言を呈してる。

 すかさず鴻上さんが「千と千尋の神隠し」もうそういう映画だと突っ込むと、偉いのか単純なのか「そうです」って答えつつも「ただし、宮崎の場合は、今までずっと物語をちゃんと語ってきたんです」と反論する鈴木さん。それでも鴻上さんは引かず「そもそも『紅の豚』からだと思うんですけど」と突っ込だところ、鈴木さんは堂々と「そうです」と答えて「年寄りとは、そういうことをしてもいいんです」と言ったとか。まあ鈴木さんらしーとは言えしかし、鈴木さんの投げた疑念とそれを受けた鴻上さんの思考はつまり、東浩紀さんが「動物化するポストモダン」なんかでも指摘してた最近の文化傾向なんかを割になぞってたりするもので、東さんと対談した鴻上さんはともかく評論家とは違う作り手側にいる鈴木さんをして、そーゆー世の中の傾向を肌で感じているのかってことが伺えて興味深い。

 2時間とかで楽しんでもらわなきゃいけないってことで、映画ってメディアが壮大な物語を語るのをやめて細部の作り込みで楽しませよーとする傾向を強めたって言えるかもしれないし、映画がメディアミックスの中のひとつの出口に過ぎない位置に立つよーになったこと、ネットとか言った周辺メディアが発達したことなんかから、背後にある情報をそちらで存分に吸収した観客が映画を見るよーになった結果、断片的な情報を投げるだけで受けてしまう映画が増えて来たのかもしれない。それより映画ってのがそもそも2時間前後の娯楽ってことで壮大な物語を語るメディアではなかったのかもしれないけれど、鈴木さん鴻上さんが指摘するのはそーした背景があってもなおいっそう、物語が希薄になった作品が増えて来てるってことだろーから、やっぱり事態は深く静かに進行しているのかも。「時代がもうひとつやっかいになった証拠でもある」って書いてる鴻上さん、そのうちだなんて言わずそれは何故なのかを早く語って下さいな。

 珍しく朝から仕事で新宿へと行って新宿駅から遥か彼方にあるパークビルとやらにオフィスを構える「ヤッパ」って会社でデモを見る、をを「シシロー」が回ってる。この会社が作って納めたコンテンツで、小泉純一郎総理をモチーフにしたらしーライオン着ぐるみのキャラクター「シシロー」が3DCGになってウェブ上に出て来るんだけど、それをぐるぐる回すとちゃんと裏側から下側から作られているからちょっと凄い。3DCGなら当たり前って言えるんだけど、それがウェブの上で、それもプラグインとか無しで実現されているって辺りが特徴らしく、ほかにも例えばウェブ上に出てくるマンションの外観の画像をぐるぐる回して感じを見て、それから中に入ってウォークスルーをして感じを掴むことができたりして、マンション施工業者が地主さん家主さんなんかにプレゼンする時に役立っているらしー。

 ナイキ・ジャパンの「Shox」のページだとあの複雑な形状のビヨーンな靴が質感もそのままに再現されててぐるぐる回せるよーになっているから見事なもの。実際にビヨーンしないのはちょい残念だけど、やってやれない訳ではなさそーなんで次とかには実現しているのかも。それにしてもあの「シシロー」を手がけたんならもーちょっと、メジャーなベンチャーとしてもてはやされてても不思議じゃないのに聞くと夏から以降の世界情勢国内情勢の大混乱の中で、アピールする時期を逸してしまって今に至っているとかで、それでもあちらこちらと手を結んでそれなりなコンテンツを作って出しているから、妙なキャラ物で色物っぽくもてはやされるよりは実力先行で着目される方が会社としても、経営者のマインドとしても長くしっかししたものになるんだろー。ちなみに社長の人にも特徴があって聞くと13歳の中学生で美少女でしかも眼鏡っ娘……では流石にないけど相当に話題性のある人の様。ビジネスな雑誌とか気にしてみると面白いかも。

 「松本零士という病」と「永井豪という病」に共通項があるとすればそれは、過去営々と描き続けて来たさまざまな世界観を持ったそれだけで見ればとてつもなく素晴らしい作品を、どーゆー理由からかひとつの世界観の中に押し込めオールスターキャスト的な展開にして、クリエーターとしての集大成を図ろーとしてファンをうーむと唸らせてしまうことだろーけど、そんな症例のあるいは一つに「茅田砂胡という病」が入るのか入らないのか思案中。中央公論新社から刊行された「暁の天使たち」(中公C・NOVELS、900円)を手にとって折り返しの茅田さんのコメントとか後書きとかを読んで、どーやらこれがあれの続編的な位置づけにあるらしーと知って、作家の自分が生みだした作品世界に対する思い入れの強さとか、ファンの人気シリーズに対する続編を待望する気持ちの強さってものにつて考えてみたくなる。

 言ってしまえばこれまで茅田さんの作品は「レディ・ガンナー」シリーズしか読んだことがなく、この「暁の天使たち」がいったい何の続編っぽいのか分からず手に取ったところがあって、それでも「これは新作です」と言っている以上は、気にせず読めるだろーと思ったらこれが大違い。出てくるキャラクターが過去の因縁を語りはじめバトルを始めるに至って、これは過去を知ってなければ到底楽しめないと気が付いたものの、かといって18巻とかあって、それから5巻に外伝もあるシリーズを読んで世界観をつなげるだけの根性は今のところちょっとなく、あらすじと感想なんかを書いてあるページを読んで概況だけを確認するに留める。でもやっぱり読まないといけないのかなあ、あれどもを。

 しかしなかなかにナイスな後書き。「作者がこれまでに発表した作品に対して、独自の判断や解釈をお持ちの肩は、読まない方が懸命です。読み終わった後に不快感に襲われても責任は負いかねます」ってあって、完結に感動した、なんて人が読んで誰これ? とか何でまた? とか思いかねないことに先んじて警告を発してる。これについては、すでに18巻の話に5巻&外伝の話が絡んだらしー時点で、「お怒り、お叱りのお手紙をいただいた」ことがあって、そこで「あの話とこの話を無理やりつなげるなんて、作品が台無しだ」とか言われたことがあったとか。ハーロックにマジンガーの末路を見て呆然としている身としてまあ、分からない気持ちではない。

 もっともこーした声に対して茅田さん、「困ったことに作者は無理やりつなげたつもりはないし、台無しだとも思っておりません」「ただ書きたいと思ったから書きました」ってな具合に、作品は読者の思い入れのためのものじゃなくって自分のものだってなニュアンスのことを書いている。書き手が神様である以上はもちろんそれは是であって、雛鳥よろしく口を開けて餌がまかれるのを待つ身の読者がとやかく言える筋合いのものではないんだろー。過去を知らずこれから入る人間には過去への思い入れなんて皆無だし、ここは逆手をとってここへと至る経緯ってものが何だったのかを、遡って読んでいくことにしよー。読み終えて戻って何で彼が? とかどーしてまた? とか思わない保証はないけれど。


【3月28日】 面白イベント目白押しに悩む週末。とりあえずは30日の朝はブロッコリーが、夏にニッポン放送と組んでやってる「東京キャラクターショー」とは別に、「東京ゲームショウ春」亡き後の隙間を狙って文化放送といっしょになって仕掛けたイベント「キャラクターエンターテインメントコンベンション」 に行くことに確定してるんだけど、同じ日にセガが「東京国際フォーラム」でオンリーイベント「Game Jam」を開催するんで仕事柄のぞかなくっちゃならず、朝から海へ陸へ駆け回らなくっちゃいけなさそーで体が休まらない。こんなことなら先週は秋葉原でヌルいプラモ屋とか見物したり、神保町で早売りの雑誌とか買ったりせずに、出かけず家でゴロゴロしてれば良かったかも。

 とはいえ心の方は「キャラコン」で山と出る「ギャラクシーエンジェル」関連グッズを見て触ってお金があったら買って楽しめると思うとすでに浮き浮き。具体的にはやっぱり「ミントのみみ」ってのがどれほどの出来なのか気になってるけれど、「でじこの尻尾」と違って着けて楽しむには豊富な髪とか必要なんで買うかどーか現時点では保留。帽子を被ってその下につければ良いのかな。あとは「キャラコン」で700枚が先行発売になる5月4日は六本木の「ヴェルファーレ」で開催の「デ・ジ・キャラット&エンジェル隊コンサート 〜BROCCOLI CARNIVAL〜」のチケットを買えたら買っておきたい所。昼過ぎからの開催時間辺りでは、「SFセミナー」明けで体力とか格段に落ちてるだろーけど、そこはミントたん万歳、ぷちこちゃん万々歳な魂に火を灯し、老骨をむちうって出かけるつもりで覚悟してかかろー。「SFセミナー」に上京する「ギャラクシアン」も是非是非に、4月6日発売の前売り買って押し掛け後について唄おー「夢見たいエンジェル隊」を。途中、電池切れでバタバタと倒れていくおじさん「ギャラクシアン」の姿がほの見える……。

 31日は朝から「ライトノベルフェスティバル」とやらを見物する予定なんだけど、すでに予約をしてから届いたおそらくは最終決定に近い企画スケジュールなんかを見てうぐぅ。それぞれのファンの多さも分かるし関心の高さも分からないでもないけれど、どことなく個人的な関心から総武線と総武線快速くらいに線路にズレがあって果たして1日を楽しめるものだろーかと悩む。場所が場所だけに「神宮球場」「秩父宮ラグビー場」くらいしか近くにエンターテインメントな施設がなく、抜け出して多少なりとも興味を覚える企画が始まるまでを過ごしたり、食事しながら居眠りしたりできないのがちょっと辛そー。まあそこは積極的ポジティブ前向き志向でいかな出し物であっても楽しむ気持ちになれば良いんだけど、出来れば可能だったら決まっているメンバー以外のとてつもない飛び入りのあるだろうことを願って、当日を待つことにしよー。滝本さんとか来て翌日からのラジオドラマの宣伝とかしてくれれば楽しいんだけど。でも誰も滝本さんを知らないってことになったらショックもでかいし……うぐぅ。

 よくアメリカの若い人って独立心が旺盛で親から早く独立して生計を立てられるよーになった上で孝行もするって言われるし、親も学校を出た子供に頼りもしなければ支援もしないって言われて、それに対して日本は子は子でいつまでも臑齧りで引きこもり、親も親で就職試験について行くとか30過ぎても干渉したがるとか言ってアメリカ万歳な人たちに批判されるけれど、何のとこはない最近のアメリカの特に中産階級な家族には、大学を出ても子供は親を一緒の家に住んでそこから仕事に通って給料を全部使うだけに留まらず、親から援助も受けたりする家族も結構増えてるんだってことが「ニューズウィーク」のブサイクな千尋が表紙になった4月3日号に書かれてあって、笑う。

 それを「世代間の距離がこれほど縮まった時代はない。今の若者は親を心から愛し尊敬している」なんて讃えていたりする心理学者がいたりして、なるほど見よーによっては家族の絆が深まっている現れだと見て見られないこともないとは思ったけど、一方では「大人予備軍を思春期から本当に大人に向かわせるベルトコンベヤーが壊れてしまった」ってな具合に嘆く社会学者もいたりして、それなりに社会問題化していく様相だとか。日本だったら受験の結果を親と一緒に見に行くとか、就職試験に親がついていくとかいったことが既にして5年くらい前から問題になっていたりするし、就職もせず親といっしょに住みながらフリーター生活するモラトリアムな子供はそれこそ10年くらい前から年々増え続けていた訳で、未来に期待を持てない心理があるいは成した現象かもしれないけれど、同様のことがアメリカにも広がりつつあるってことは、つまり今は未来を常に薔薇色に見るアメリカにも、少しづつ陰りが出始めている現れなのかもしれない。そのうちアメリカの事典に載るかもね、「hikikomori」とかって言葉が。

 表紙に千尋がなっていたのは「世界に広がるジブリの魔法 世界が宮崎アニメのとりこになる日」って特集が掲載されているからだけど、中身は日本で「もののけ姫」がヒットしたのに米国ではまるでだめだった背景にある感覚の違いめいたものを説明しつつも、今回の「千と千尋の神隠し」の特大ヒットがもたらす可能性、なんてことにも触れてあって先への期待が高まる。ジブリではまだ未定と言ってる米国での「千と千尋」の公開に関して、あのジョン・ラセターが英語版の制作に参加する、だなんって話がハリウッドにはあるよーで、作品として完成されてしまって手を付けることを認めない宮崎アニメにラセターが、何をどーするのか気になるなあ。3DCGなのに板みたいな千尋とやっぱり板絵のモンスターとの競演作品とか、作って併映してくれないかな、「ミニチヒロ」とかって感じで。


【3月27日】 オタクの呪い、って奴なんだろーけどやっぱり真っ先に見てしまったよ「岡田退社」の項目を。「快傑のーてんき」こと武田康廣・ガイナックス取締役統括本部長がSFへの目覚めから大阪での「ダイコン3」開催を経てゼネラルプロダクツを作りガイナックスへと移って「新世紀エヴァンゲリオン」を作りだし、そして昨年8月に「第40回日本SF大会」を開催するに至った経験をずざざざざっと振り返った「のーてんき通信 エヴァンゲリオンを創った男たち」(ワニブックス、1400円)のことだけど、オタクの今や聖地を化したガイナックスと、オタクの王として世間に名前を広く知られる岡田斗司夫さんのあれやこれやが一体どう書かれているのか、ってのは当人関係者の人たちにとっては別に今さらなことであっても、遠く離れて噂ばかりが肥大化して耳に伝わってくる無関係者にとっては、やっぱり気にかかってしまうのです。

 で、何がどう書かれているかってゆーとそれは買って読んで頂くのが筋だけど、簡単に言えば「いろいろあった」ってことになる、のかなあ、若くて熱い成長の儀式って奴が。それにしても羨ましい人生。あの「ダイコン3」をやって世紀のオープニングアニメを作ったってだけでSFファンにとっては垂涎の対象なのに、それが今をときめく庵野秀明監督とか、華麗な復活を遂げて先頭を突っ走ってる山賀博之監督とか、常にトップランナーとしてプリメにラフィールに活躍し続けた赤井孝美さんとかいった現ガイナックスの取締役陣をはじめとして、アニメ界SF界ゲーム界オタク界に綺羅星の如く輝く人々輝いていた人々と単に知り合いってだけじゃなく、一緒に何かをやって来たって言うからもう凄い、素晴らしい、羨ましい、妬ましい。

 それはタイミングって言うものもあったかもしれないし、地の利ってのもあったかもしれない。大阪にいて、SF好き、それもとてつもなくバイタリティーに溢れたSF好きが周囲にわんさといて、そんな人たちと神輿を担ぎ神輿として担がれながらどんどんと大きくなっていった成果が先に挙げた綺羅星たちとの交流だとするならば、名古屋にいて、SF好きなんて回りに誰もいなくって、ひとりこっそりジトジトと甘く薄く読み続けて来た挙げ句がただのおっさんファン。もしあの時代、あの世代としてあの場所にいたら、って思うと地団駄を踏みたくなる。もっともたとえあの時代、あの世代としてあの場所にいたとしてもそこに居続けられるほどの才能も情熱も持ち合わせていたかってゆーと怪しいし、一方で世代も場所も違うのに一念発起して頑張って仲間となって綺羅星のひとつとなっている人もいる訳で、羨ましがっているうちは、外野で観戦しているファンすらないテレビで観戦しながらくだをまく、ただの傍観者にしかなれないし、現にそーでしかなかったりする。

 これは人生のすべてにいえることで、SFにしてもゲームにしても本業にしてすらも、どこか中途半端に興味を示しながらも中途半端にしかのめり込めず、周囲をぐるぐると回りながら知ったか振りをして悦にいる、たちの悪さではトップクラスの愚か者になりかかっている。ここでだったら一念発起できるかってゆーと、歳のこととか理由にしたり、どーせ才能はないんだからと言い訳に終始して、やっぱり何もできないから始末に負えない。そんな気持ちで読むとこの「のーてんき通信 エヴァンゲリオンを創った男たち」は結構、心に痛いものがある。とかいいつつ読んであんなこともあった、こんなこともあったなんて思い出しつつ、同じ時代を生きて来たんだまあ、って気持ちになってしまうのはやっぱり避けられない。これからも多分同じよーな本がどんどんと出てくるんだろーし、この本だってこれで終わらずまだまだ続くんだろーけれど、書かれてある同時代的なんだけど傍観者でしかない内容に、悔しさと誇らしさ、恥ずかしさと嬉しさの複雑に入り交じった気持ちを抱えながら、接して行くことになるんだろー。足を踏み出す勇気を奮えなかった、それが僕への罰なのです。

 巻末のガイナックス取締役3人による、って書くと分からないから言い直すと山賀さん庵野さん赤井さんの3人による武田さんについての対談は、仲良しクラブとかじゃー全然なかったガイナックスでの仕事については職人気質な人たちによる激しいやりとりの様子が今に伺えて、好きなだけじゃーやって行けそーもない雰囲気に遠い世界のことながら身が震える。そんな間でクリエーターとは余り言えない立場でずーっとやって来た苦労苦悩たるや並みじゃなかっただろーと想像できるけど、にも関わらずずーっとやって来れた労力能力のやっぱり並みじゃなかったことも伺えて、あらためてそのバイタリティーに感じ入る。強いなあ。見習いたいなあ。「キャラクターエンターテインメントコンベンション」で見かけたらサイン、もらっちゃおーかな。誤記誤字に関しては人のことはまるで言えないけれど187ページに掲載の人名辞典の「富野由悠紀(富野良行)」は(富野喜幸)のよーな気が。

 1980年前後から「SFマガジン」とか読んで来た身にとってはどちらかと言えば懐かし系に入ってしまう名前だけど、同じよーな位置づけにある人たちに今はあんまり見かけなくなった人もそれなりな比率で出て来ている中で、この人たちは未だ現役、それも第一線で活躍し続けていられて凄いなあと感嘆する。1人は「さまよえる海 スターハンドラー2」(朝日ソノラマ、552円)が登場した草上仁さん。就職難の中、どーにか就職できた新米ハンドラーのミリが最初の仕事で出会ったイカみたいな怪物みたいなポチともども、赴いた先で依頼された仕事がこれまた驚天動地なんだけど、そこは物怖じせず相手はよく見る”良い性格”では横綱級のミリ・タドコロ。相変わらずの押し出しの強さで激しくも楽しい姿を見せてくれる。大金持ちなのにドケチで釣りが大好きで危険になると出刃包丁をもってポクポクと逃げるオヤジなんてミリに負けず強烈なキャラも出てきて前作にも増して楽しめそー。下巻はまだか。

 もー1人は「京美ちゃん」シリーズで一世を風靡した東野司さん。いっときあんまり気にならなくなったけど、この何年か精力的に作品を発表して最近は「京美ちゃん」から連なる新シリーズもすたーとさせて、完全に第一線へと戻ってきた観がある。エニックスノベルズから出た「展翅蝶」(エニックス、860円)はシリーズとは全然違った単発物だけど、謎めいた巨大な怪獣によって東京がグルリと壊滅させられた後を生きる恐怖に怯え未来に絶望しかかった少年が、目新しいことに出会ってワクワクとして協力していくドラマがスイートな出会いなんかを絡めて描かれていて、虚ろな時代を生きる僕たちにちょっとした希望を与えてくれる。その希望が実はとんでもなかったことが分かるラストの衝撃はなかなか。正直言ってヤバめな話だけど、「風流夢譚」ほどじゃーないし国体との同一性をある意味訴えていたりするから構わないのかも。これまた続きがありそーで楽しみ。けどどんな話になるんだろ。


【3月26日】 「アニメージュ」の発明だったかそれとも「ニュータイプ」の方が先にやったか、途中10年くらいまったく見なかったんで知らないんだけど、ともかくもアニメ雑誌にパターンとなっているのが、ページを上下に2つに割ってそれぞれを著名なクリエーターとかアニメ関係の人とかが文字を書いてイラストレーターかアニメーターか漫画家か誰かがイラストを付けるコラムの連発で、2誌はもちろん今は亡き「AX」にも確かあったしそろそろ一周忌になる「電撃アニメーションマガジン」にもあって、やっぱり先行2誌の体裁を真似ないとアニメ雑誌っぽくならないってゆー、編集上の呪縛でもあったんだろーかと今になって考える。「ジ・アニメ」や「マイアニメ」にあったかは読んでなかったんで不明。「アニメディア」にはあるのかな。

 でもってスポーツ雑誌にはこちらは「ナンバー」の呪縛があるみたいで、決して美形じゃないんだけど持っているものの凄みがにじみ出た中田選手の顔がドカンと表紙になった集英社の「スポルティーバ」を買って読んでああまただと苦笑い。巻末の方、ページを上下に割ってそれぞれにライターを立てていろんなスポーツについて辛かったり激しかったりするコラムを書いてもらうコーナーが「ナンバー」では一種裏の看板になってて、読む側としてもあんまり知らないスポーツとか特集では取りあげられていないスポーツの動勢を知るのに役だっていたりするんだけど、「スポルティーバ」にもやっぱり同様のコラムコーナー「スポルティーバ・ディープス」ってのがあって、サッカーのJ2に東大野球部にアジアの自転車に競馬にプロレスに体操にマイケル・ジョーダンにタイガー・ウッズといった物々・面々が取りあげられて雑知識の仕入れにそれなりに役立つ。アントラーズの黒崎って大宮アルティージャにいたんだね。

 小松茂美さんによる中田選手へのインタビューも交えた厚めの記事とかサッカーがとりあえずのテーマってことでフィリッポ・インザーギ選手とアレッサンドロ・デルピエロ選手へのインタビューを並べてみたりとか図解を抱負に使ってサッカーのシステムを解説してみせたりとか、記事の仕立て方もやっぱり「ナンバー」風。これは産経新聞社と角川書店が編集していて発売も「ナンバー」と交互な「ゼッケン」、じゃなかったえっと何だったっけ、身内なのにすでにタイトルを忘れてしまったあの雑誌とも割に共通している部分で、違っているのは並べたライターの違いとか、使われている写真の流石は「ナンバー」と思わせるグラフィカルな美麗さといった部分で、いろいろ読めて面白いことは面白いんだけどちょっぴりゲップも出てしまう。そーいえば「ナンバー」は「ワールドカップ」の間だけは週刊化するんだったっけ。似たよーな特集でますます胃が広がりそー。

 とは言え「スポルティーバ」には流石集英社って思わせる特徴もあるから、これからもそれさえ発揮していってくれたら広がった胃に一服の胃腸薬となってスッキリさせてくれるかも。つまりはそれは「週刊プレイボーイ」を出してる集英社ならではの必殺技、仲根かすみさんのグラビア登場って奴でして、創刊号ではサッカーのユニフォームを来てその割に着痩せする胸をせり出させてアディダスのワールドカップ仕様ボールをトラップしてたり、頬に日の丸ペイティングを下顔で切なげにこっちを見つめてくれていたりする。嗚呼感応。もしも創刊が去年の「世界水泳」の頃だったらスポーツ水着で平泳ぎの格好、してくれたのかな。終わったばかりだけど「世界フィギュア」にちなんでクワンの衣装でビールマン、やって欲しかったなあ。

 そーいえば某「サイゾー」でその昔(って印象がすでにしてついてしまったよ、懐かしいよ、またやってくれよ)ジャージ美少女をずっとグラビアで取りあげてくれていた時もはち切れんばかりの肉体を包んだストイックなスタイルに懊悩したけど、1月に1度は出てたんじゃないかと思うくらいの大フィーチャーぶりでもって半ば天下を制した観のある超アイドル、仲根さんのスポーツ美少女姿だけに得られる感動もひとしおだったりする。これは「ナンバー」じゃあ出来ないからね。やったらガチンコなスポーツ右翼から叱られもするだろーし。次号も仲根さんが出るかどーかは知らないけれど、そこは天下の「週プレ」を抱える集英社だけにビッグなアイドルのスポーツ美少女姿をグラビアにして見せてくれることだろー。期待しよー、安達祐実さんの似合い過ぎる綱引きオーエス中のブルマー小学生姿、とか。

 「ロマンアルバム」の呪縛、ってほどでもないけどアニメーションのムックにも割にパターンとかあって、版権イラストをバーンと持ってきて設定集をモノクロに押し込め監督声優その他スタッフへのインタビューを長めに問ってテレビシリーズだったら各話紹介を流して、って感じに作品の紹介を中心とした構成になるのが多分普通だし、アニメのファンもそっちの方を喜ぶんだろーけれど、発売なった「機動警察パトレイバー」の新作映画のムック「機動警察パトレイバーMANIAX」はとにかく字が山とあって読みごたえのあるムックになってて、言えば批評集のよーな印象すら受ける。ムックの呪縛にとらわれているアニメな人にはちょっと、読み口が苦く辛いかも。

 主な所では氷川竜介さんいよる高山文彦監督、出渕裕スーパーバイザーの過去の作品から最近の仕事なんかも含めて分析して新作「パトレイバー」にどう現れてるかってことを書いた批評が圧巻。2人に脚本のとり・みきさんも交えた対談は「ニュータイプ」にも載ってた奴のロングバージョンかな、これまた原点となった映画についての会話が知識の開陳を見るよーで参考になる。とりさんの脚本のどこがどう変わってあーいった作劇演出になったのかも、全部じゃないけど分かるんで映画をこれから見る人は、見終わった後で読んでみると面白いこと確実。「日本SF大賞」の授賞式の時にもちょっとだけ伺ったけど、なるほど高山監督の仕事ぶりの凄さ確かさが分かります。

 桟橋から夜の海を見るヒロインの映像から書き起こした演出についての文章「映画を観るということ」はアニメのムックにはあんまり例のない映画論的文章。理屈っぽさも最上級でアニメに限らず映像について考えたい人には思考の仕方の参考になるかも。バイオな話とレイバーな話は科学なだけい森山和道さんが登場。「ROBODEX」も近いだけにロボット話はこれまた参考になります。かくも濃密な文章をたっぷりと読めて1400円とは安過ぎる気もするけれど、これだけ書いて書かせたにも関わらず、作品は大メジャーとはちょい違うんで増刷増刷の嵐とは行きそーもないってことを考えると、関わった人たちの作品にかけるまさしく情熱でもって出来上がったムックだと言えそー。疲れてた訳だよ、正月明けに顔とか観た時に。


【3月25日】 天与の才を発揮する者が必ずしも、社会通念上に照らした「人格者」ではないって事はもう、はるか昔から言われていることで、もちろん中には天才にして人格者、ってのもいない訳じゃないけれど、少なくとも将棋の世界でとてつもない記録を残した大山康晴15世名人について、将棋の強さと人格になかなかな乖離ががあったらしーことが、今週発売の「週刊将棋」3月27日号に書かれてあって興味深い。それを「やっぱり」と思うほど、将棋について詳しい訳じゃないから真偽については断言は避けたい所だけど、書いているのがこれまた天与の才を持った米長邦雄永世棋聖である以上、あるいは「やっぱり」なのかもしれないし、はたまた米長永世棋聖の天才に反比例しているかもしれない人格が言わせた放言かもしれず、どう捉えれば良いものかと悩む。

 事の発端は先週発売の3月21日号で、観戦記者だった井口昭夫さんが「いま、将棋の話題は」ってコーナーで、米長永世棋聖が始めて名人に挑戦する事になった時、作家で将棋ファンとしれ知られた山口瞳さんがその観戦記を書こうとした所、米長さんがこれを拒否して問題になったことがあったとか。何でも山口さんが米長さんの心証を悪くすることを前に書いたことがあったのが理由で、けれども当の山口さんには覚えがなく、とりあえず話し合って米長さんは納得したら今度は山口さんが書きたくないと言い出して、井口さんたちは調整に大わらわしたという。これには後日談もあって、時の大山康晴・日本将棋連盟会長に報告したところ、大山さんが「米長九段の挑戦権をはく奪して繰り上げ挑戦者にすれば良い」と言ったとかで、これもまた乱暴な話だけど、先週の記事を読んだだけの時には、むずがる米長さんに大人の大山さんが苦言を呈して発した諌めの言葉だろーと理解した。

 長く23年間も封印されていて、井口さんによって披露されたこのエピソード。いずれにしても名人に初挑戦するに当たって自身を引き締め周囲にも緊張を求めた、いかにも天才肌の米長さんらしい話だと思ったらこれが実は違っていたみたい。何しろ当人が筆を取って「緊急寄稿」したくらいだから、よほど気に障ったんだろう。間に何があったかは知らないけれど、毎日新聞社の学芸部長から手紙をもらったって話が冒頭に出て来るくらいだから、あるいは「名人戦」を主催する毎日新聞社に対して、秘事だったはずの話が表に出てしまった事について、いろいろと苦言を呈したのかもしれない。それはそれで手打ちが成ったようでまずは善哉というところで、さて米長永世棋聖、どうして当時、山口瞳さんの名人戦観戦記を拒否したかといえばそれは山口さんが「名人を大いに誉め称えたのであって、大山、中原両先生は『他の棋士よりも人間的に優れている云々』」と書いたことが「カチンと来た」から、らしー。

 ことの経緯は棋王戦。米長さんは5期優勝して「永世」の称号を規定によって与えられる資格を得たんだけど、当時の会長すなわち大山康晴15世名人から永世称号の授与に突然待ったがかかった。問うと「名人というのは他のタイトルとは全く別なんです。1期でもなるのは大変なことなんです。棋王はね、10期くらいでやっと永世称号がつくくらいでちょうどと私は思いますよ」と大山会長。つまり。規定を突如曲げて永世称号を与えることを拒否した人を「人間的に優れている」と持ち上げた山口さんの記事には誤謬があって、「将棋の強さや成績と、人格は全く別問題である」んだとゆーことを訴えたかったものの、当時は支障がありすぎて勅裁的には言えず、観戦記を拒否したいってゆー心情になって現れたってことになる。

 大山さんが言ったこと、山口さんが書いたこと、米長さんがしたことの多分、どれもが真実なんだろーし、間違いを書く山口さんの観戦記など拒否したいって思った米長さんの思考もなるほど、事情が分かれば極めて理にかなったものだと思えてくる。もっとも一方で棋士としてのプライドを気にし過ぎたばかりに、事情を知らない人に誤解を与えてしまったって意味ではなるほど、米長さんも天才の一翼を担うだけあって、長いものには巻かれろ的な一般社会にはあまり馴染まない部分があったって言えるのかも。もっともこれが大山中原級の超絶天才だったら周囲への配慮なんて何のその、喧嘩上等とばかりに理由も含めて開陳し、真っ向から山口さんにぶつけただろーから、今に至るまで理由を秘めて黙り続けたって意味で、より社会常識に近い人として、その言を信じて良いのかも。だから結局1期しか、米長さんは名人になれなかったのかな。

 天才必ずしも人格者んらず、って例に入れて良いのか悪いのか微妙な裁判に東京地裁で判決が。「宇宙戦艦ヤマト」の著作権をめぐって争っていた裁判で、自分の方に著作権があるってことで、プロデューサーの西崎義展さんを訴えていた漫画家の松本零士さんが敗訴したとかで、松本さんはこれを不服としておそらくは高裁に控訴することになるらしー。談話として入っているの「わたしが存在せずしてアニメ作人の1こまでも存在し得ないはず」って主張は分からないでもないけれど、かといって西崎さんを差し置いて自分が著作者だって言えるかってゆーと、成り立ちの事情とかは良く知らないけれど印象として無理だろーなって思うのがごく普通。にも関わらず著作権を主張して争ってしまえるだけの自意識を、松本さんが持つに至った背景が天才故の思いこみなのかそれとも米長さんの対大山15世名人にも似た対西崎プロデューサー的悪感情によるものなのか、誰かに検証して欲しい気がしてる。

 西崎さんの方も毀誉褒貶、かまびすしい人だけに勘ぐればいろいろ勘ぐれるんだけど、それでもこと「宇宙戦艦ヤマト」に関しては、プロデューサーとして名前がタイトルとかにバーンを出てきてた印象から、相当な部分で権利を持っていた、って考えられる。もっとも、今その権利がいったいどーなってるんだ、ってゆー疑問もこれありで、事件とかでいろいろあった結果権利があっちこっちに移ってたりするのかも知れず、そんな状況を踏まえた上で松本さんが権利を主張しているのかもしれないだけにややこしい。どっちにしても常識では理解できない天才漫画家vs天才プロデューサーの裁判。まだまだ先は長そーだけど、これほど話題になるくらいに、世間的に認知され世界に愛されたコンテンツを、今なおいじくり回しては誰も求めていない形で世に問い直そうとするのだけは、勘弁してやって下さいな。

 「何々みたいな」とか「って云々」とかって感じに、すっげえ今っぽい文章を書き倒せる久美沙織さんはやっぱり凄いよなあ、これがデビュー以来ずいぶんと経つのに未だ第一線でバリバリし続けていられる秘訣かなあ、とか思った「ここは魔法少年育成センター」(エニックス簿ベル図、840円)。突然自分に魔法の力があることが分かった少年が、「魔法少年育成センター」に隔離され魔法の勉強を始めるってゆーまるで「ハリー・ポッター」な話だけど、秘められた力が自分にもあるんじゃないかって子供たちに思わせヒットした「ハリポタ」とは違って、降って湧いた力に結構戸惑い、それなりな力があると分かってもやっぱり戸惑う主人公姿に、世の中そうそううまくはいかないもの、ってことを感じさせられる。

 謎解きもないしスポーツの勝負もないし最後の対決もなく盛り上がりって意味では「ハリポタ」的じゃないけれど、綴られる魔法少年育成センターでの日々とかの中で、戸惑いながらも少しづつ前へと進んでいく主人公の姿は突拍子もない分共感しやすいし、明らかになる主人公の「いうえお」な力によってもたらされる安寧には、人間だったら誰しも抱えている悔恨の記憶が刺激されて、ついつい身を委ねてみたくなる。得体の知れない(けど可愛い)ヒロインも登場して、これからの展開が楽しみになって来た所でとりあえずの終幕、ってことはつまり続きもありそーってことで、次にどんな「いうえお」を見せてくれるんだろーか、なんてことも含めて続刊の登場が待ち遠しい。本業とか雑誌とかいろいろあるけど、頑張って出してくれよエニックス。


【3月24日】 これまた早売りの「月刊モデルグラフィックス」2002年5月号を買ってペラペラ。基本は2月頭の「ワンダーフェスティバル2002冬」特集だけど恒例の水玉螢之丞さんによるイラストリポートが長く見開き2ページだったのが、前回からだったっけ、漫画家の唐沢なをきさんと1ページづつの折半で登板。ともにメジャーなキャラじゃなく、マイナーだったりメジャーでも脇に目を配ったりといった辺りを紹介しているんだけど、挙げてる作品の傾向がかたやコワカワイイ系のどーぶつキャラとかがだったりする一方、こなた怪獣やロボットのそれもヘン系ブサイク系だったりと、対比がなかなかに興味深い。欄外で水玉さんが「前回にもまして、唐沢さんとオレはホントにおんなじイベントに行ったのか? ってかんじっす」って書いてるのもよく分かる。ってゆーか2人とも僕とおんなじイベントに行ったのか?

 水玉さんが紹介している作品では「ココロ図書館」仕様「シュビムワーゲン」用猫シートを見落としていたのがかえすがえすも残念無念。まあ自作したってそれほど時間はかかんないんだろーけど、4個とか作んないといけない上に造形スキルがゼロなんで、面倒を避ける意味でも買っておいて損はなかったって感じ。ちなみにサイズはやっぱりタミヤ用、なんだろーか。戦車とか買わないでこれと「キューベルワーゲン」ばっかり作ってたなー。ほかは「栞と紙魚子」シリーズからムルムルなんかをフィーチャー。作る方も方だけどそれを目ざとく見つけて来る方も来る方で、言われれば分かるけどパッと見で気づいてチェックして、記事にまでできる眼力記憶力集中力にはやっぱり感嘆するより他にない。女王健在。

 「ワンフェス」関連特集と言えば毎度なあさのまさひこさんもやっぱり登場だけど、今回はとくに最近の傾向として顕著な「何か新しい動き」について「わからない」って立場からあれこれコメントしてたりして、世に言う「動物化」の現象が模型のシーンでも出てきていることを検証するテクストとして、いろいろと参考になりそー。ここであさのさんが言う「何か」がよく言う「萌え」 ならまだ分かりやすい。曰く「”萌え”=ことの本質(たとえばストーリーであったり、世界観であったり)を置き去りにしてまでも、キャラクターに過剰な感情移入をする偏愛行為(キャラクターの設定やディテールにおける、ヒット数の過剰なまでの追求」とあさのさんは認識していて、ひるがえって蔓延する「何か」にはおそらくはそこまでの熱量もベクトルもないと感じているみたい。

 だったら「何か」イコール「エロティシズム」かというとこれまた完全な等号ではないよーで即断できない。結局のところそれをあさのさん自身も定義付けられず仕方なく”アレ”と言っているんだけど、「明確に言葉にこそできぬものの、WF会場で造形物を見てまわっている際に感じる『ああ、これもまた”アレ”だ』という居心地の悪い感覚」って表現から類推できるのは、作り手側にも受け手側にもじわじわと広がっている、表層に出てくる形象に対して反射的に可否をつけて可ならすべて良しとして受け入れてしまう、まさしく「動物的」な空気が満ち広がって来ていることで、双方が積極的に主義主張をぶつけあう中から妥協点を探り認め合うような、熱く激しい空気を求め欲して来た人には、なかなかに息苦しかったりするものなのかもしれない。

 なんてことは当方の手前勝手な憶測で、あさのさんを始め座談会に登場している原型師さんたちが抱いている「何か」で「アレ」な空気が何かは正直分からないし個人的には別に分からなくっても困らないけれど、かといって不思議で不穏な空気がこれからの世に蔓延していくとなると、一方にはちょっと恐ろしい気もするし、一方にはそーした空気の中で泳ぎ亘っていくための方策を練らなきゃいけない。熱さ前向きさひたむきさではオタクなジャンルでも最右翼にありそーな模型業界をして蔓延りつつある空気に対して、ひとつ疑念を提示して投げかけて来た「月刊モデルグラフィックス」での記事&座談会を精読して、傾向と対策を練りつつ今後の糧としよー。どう空気に紛れ込んで儲けるか、ってことを? うーんしたいけど造形スキルゼロなんでそれは無理だな。

 だったら絵ならどうかと言われても、絵のスキルもないしあっても最近の最先端の”萌え絵”とやらを見るにつけ、やっぱりこれも才能だと実感させられることしきりなんで、これまた傾向と対策を研究するだけにしよー。それにしてもタイトルからして「電撃萌王」とは凶悪すぎるよメディアワークス。「コミック電撃大王」5月増刊号としてリリースされた第一号は、表紙にあずまきよひこさん描く鳩胸ミニスカ女子高生が描かれていて、そのあからさまな”萌え”記号でもって目から脊椎あたりに働きかけて好感を条件反射的に喚起させ、有無をいわせず雑誌をその手にとらせる。

 加えて、ページを開けばそこには「ココロ図書館」よりあるとちゃんの着替え中イラストが描かれていて、めくりあげたTシャツの裾からのぞくダブルの三角布に包まれた双房とそしてファスナーの下ろされたカットジーンズの前からのぞく白布が、大脳皮質のさらに奥、人間がまだプランクトンだった頃の記憶を受け継ぐ野へと光の何億倍もの速度で刺激を及ぼし、そこから心臓へ、下半身へ、全身へと激しい興奮の情報を送って全身を燃え立たせる、じゃなかった萌え立たせる。CHOCOさん門井亜矢さんの漫画に高野真之さんたくま朋正さんのイラストと、続けざまに繰り出される刺激に神経回路は大ショート。40ページもめくる頃には頭はもう、何も考えられなくなってただ興奮と感動だけが全身を包んで知らず双眸から涙が流れ落ちる。生きていて良かったと叫ぶ。心の中で。

 さらに極めつけ。「萌絵萌絵コロシアム」とあざとくもあっけらかんと付けられた身も蓋もないタイトルのコーナーで繰り出される4枚のイラスト。「妹」で「下着」を縛りに描かれたそれらイラストのそれぞれから放たれる波動砲、ダイダロスアタック、グラビティブラストそしてにこにこりんの4大必殺技にも匹敵する衝撃に、ページを持つ手は振るえ血圧は上がりついには脳がスキャナーズしてしまう。つまりは木っ端微塵ってこと。他3人も決して悪くはないけれど、とりわけ原田将太郎さん描く妹絵の何と妹絵であることよ。シチュエーションと言い、その描き方といい文句をつける隙がない。

 ただコンモリとふくらんでいるだけではない、内部の状態を想像させる微妙な陰影がつけられたその(どの?)描き方には感動するより他にない。凄い、そして素晴らしい。アニメ誌は潰れてそろそろ1年くらいになるけれど、アニメ雑誌だったら他にも結構出ているなかで単なるエロではなく「萌え」に特化して実際に「萌えられる」絵を揃えてみせたメディアワークスに拍手。よく出した。官能した。

 オチのぬるさもまた「ギャラクシーエンジェル」らしーと思いつつミントさんのスクール水着に堪能しつつ、辻元清美議員の言い訳はある意味政界常識的だけど正解常識を市民非常識と言い続けて来た人だけにやっぱり無理筋と思いつつ、電車を乗り継ぎ浜松町にある「東京都立産業貿易センター」で開催された「デ・ジ・ケット3」をのぞく。建物前にわんさと人があふれてて、すげえ人気と思ったら違ってどーやら鍵系の即売らしくなるほどと納得。とはいえ「デ・ジ・ケット」の小間数来客数ともそれなりで、「でじこ」「シュガー」「ピタてん」人気の根深さ、じゃない根強さを認識させられる。

 つらつらと見て表紙のキレイなのとかを2、3点購入。「ピタてん」美紗の頭のウサギのマスコットが出てたけど買っても付けていく場所がないんでこれはパスする。「シュガー」のサガのボタン型髪留めだったら使えるんで欲しかったかな、って使う気か? オンリーイベントのチラシが山と出てたんで目についたのをもらって、中に「ギャラクシーエンジェルONLY即売会 私の天使さま」ってのを発見、場所は同じ「東京都立産業貿易センター」だけど日付が5月5日ってのがなかなかに微妙。5月3日の「SFセミナー」に上京する全国のギャラクシアンな人々は、滞在を1日延ばしてやっぱり向かうべき、でしょー。その間は秋葉原の「ゲーマーズ」で関連グッズを買い漁れば良いんだし。ついでに言うなら同日同会場の4階では「エコケット5」、3階では「えんいー3」が開催予定。これに「モナー」のオンリーがあれば無物語キャラが勢揃いってなるけれど、「GA」だってまずは色違いタイプ違いキャラありき、みたいなものだったんである意味お仲間ってことで。「セミナー」開けは体力も財布も大変だあ。


【3月23日】 一部に「サイコピノキオ」とも評判のなかむらたかし監督作品「パルムの樹」も公開2週間後の3月29日で栄えあるグランドフィナーレを迎えることが決定みたいでまずは善哉、な訳ないか。追い込みをかける意図もこめてかロードショー先の上映館のほとんどで、先着数百人とかに例のセル画をプレゼントするみたいだけど、さてはて今時な子供のどれだけがセル画を欲しがるか不明なだけに、春休みに入って間もない子供たちに来てもらうのは難しそー。もっとも子供が見るとこれがなかなかに精神を激しく鍛えられそーな内容なんで、どんな作品であっても相対化の魔境へと作品を誘い成仏させる術に長けたアニメな大人たちが、もらった袋からセル画を出して「ポポたんじゃないーっ」と歯ぎしりしつつ義務として2時間17分を付き合うくらいが最適なのかも。って訳でまたもらいに行って来よー。次こそは「ポポたん」を。

 なんて感じにヒネクレまくった人間だけに、スポンサーなんでメディアミックスせんとあかんやろ、なんて感じで角川書店が出してきたコミック版の「パルムの樹」(漫画・なるもみずほ、原作・なかむらたかし、580円)も当然ながら、半分以上はコワイモノ見たさで買ったところがあるけれど、開いて読んでこれが吃驚、いい話じゃないですかー。時代は映画で描かれたパルムとポポの冒険からずいぶんと経ったとある街、クルップから作られて人間になれなくってクルップに還っていったパルムの樹に上って空を飛ぶ巨大な魚のアカモンガラを捕まえようとしていた少年・メノウは、雷を避けようとして落ちた茂みの中で2体のクルップから作られた人形、ヒスイとコハクを見つけて連れ帰る。目覚めた2人はパルムのようにいつか人間になるだと良い、メノウやフジイ老人たちと一緒に暮らし始める。

 映画だったらそこから大冒険へとつながるところを漫画の方はひとつ街に留まって、目覚めて間もないヒスイとコハクの世界や人間に対する興味や関心を鏡のようにして、周りに暮らし集まる人間たちの、生きている意味をさがす物語が連作短編によって描かれる。冒頭のエピソードでは両親を失い妹を亡くしたばかりのメノウの心の傷に光が射して、見ていて心安らぐし、次のエピソードだと大昔に見つけた彗星の精霊と再会したフジイ老人が、次にこの世で生きてめぐり会う機会はないけれど、出会ったという記憶、出会って育んだ想い出があればいつかどこかで巡り会えるんだと告げる場面に、良き思い出を、素晴らしき出会いを大切にしよーと強く思う。

 ひろったビー玉をのぞきこんで現れたテディベアに、それが昔遊んだぬいぐるみの目だったと分かり、ベアから想い出の素晴らしさを教えられるエピソードの実にとてつもなく感動的なことか。すべてのラスト。還っていくヒスイとコハクにメノウが告げる「本当ははじめからわかってたんだ」「僕は一人になっても生きていかなくちゃいけないんだ」「形はなくても僕の中には」「失ったものの記憶が残ってる」「家族や友達が生きてきた証として」「その記憶と共に生きていく」「それが僕が生きている理由の一つ」という言葉の何て凛々しく力強いことよ。読めばこみ上げる涙があり、沸き上がる勇気がある。映画を知らなくっても楽しめないことはないけれど、見てパルムのヒスイとコハクの爪の垢でも煎じて飲ませたくなるくらいな自己チューぶりに触れておけば、漫画で描かれるヒスイとコハクの健気さ、純粋さに対する感動も深まろーとゆーもの。陰鬱とした2時間17分を耐え、果てに来る580円の感動に浸ろーではないか。セル画ももらえるし。

 発売に先駆けて届いた「SFマガジン」2002年5月号をペラペラ。「アンソロジーを編む愉しみ」って特集で究極のSFやら至高のSFやらを集めた直球ど真ん中のアンソロジーとは別に、人外やらバカやらオーケストラといったテーマ別に集めた架空のアンソロジーもあって選者の半端じゃない知識量に圧倒される。アンソロジーって記憶との戦い、なんだなー。興味を抱いたのは伊藤卓さんの選んだ「AKIRAの東、ひでおの西 一九八〇年代、九〇年代日本SFマンガ精選」ってタイトルのアンソロジー。何しろトップに我らがかがみあきらさんの「さよならカーマイン」が入っていて、おまけに他もちみもりおさん、寄生虫さん、I・N・Uさんといった徳間書店白夜書房のコミックに財布捧げた世代にはもう涙なくしては語れない、想い出深い名前が並んでる。

 後半は同人系エロ系と入って気持ちも若干落ち着くけれど、それでもよく聞く名前はほとんどなし。大勢を置いてきぼりにしつつ、同好の徒のみをニンマリとさせる架空アンソロジーならではの愉しみを、選者の人はきっと存分に味わったことだろー。個人的にはあと大野安之さんとか福山庸二さんとか藤原カムイさんも入れて欲しかったところ。さらにはあびゅうきょさんとかいくたまきさんとかみやすのんきさんとかひろもりしのぶさんとか(平仮名ばっかし、しかもやっぱり徳間白夜系ばっかり)も入ってると面白かったけど、やり始めるとキリがなくなり深みにハマってしまうのもまた、架空アンソロジーならではの怖さなんで些少なりとも駕籠真太郎さん陽気婢さんといった一般性のある(あるのか?)人を織り交ぜ、70年代と21世紀とをつなぐ役割を果たしたってことで、僭越ながらも心よりの賛辞を贈ろー。

 そうそうあびゅうきょさんと言えば探しあぐねていた「快晴旅団」(講談社、1700円)をくだんの「くだん書房」で見つけて購入、そこそこの値段だったけど驚く程じゃなかった所に、人間の英知と牛のゆとりを合わせたくだんならではの良心を見る。それにしても売れているのかいないのか、「愛のさかあがり」は天地無用の3巻が未だに揃いであるし、内田善美さんも「ひぐらしの森」「空の色ににている」が残存。吾妻ひでおさんの全集も前は気づかなかっただけかもしれないけれどバラに加えて全巻パックも並んでて、「日射し」まであって思わず散財しそーになる、けど給料日前なんで踏みとどまる。

 かがみあきらさん関係は「あぽ」名義の「ワインカラー物語」が残存。あと亡くなられた後に編まれたイラストとかスケッチとかを集めた自費出版だかの「かがみあきらコレクション」の1巻だけだけどあってなかなかに貴重。僕はいりなかの三洋堂書店で買ったけど、巻末付近にある萩尾望都さん「百億の昼と千億の夜」の模写なんか、手元に置いて愛でたいんで給料日開けに回収に行ってしまうかも。あと萩尾さん関係だと、光瀬龍さんとのコラボレーション作品「宇宙叙事詩」が大判で出ていて欲しいところ。吉野朔実さん「いたいけな瞳」も全8巻が出ているしほかにもレア系懐かし系が山のように……ああ、4月もやっぱり金欠確実だあ。明日は「デ・ジ・ケット3」にょ。


【3月22日】 全然知らない人の本がぽこっと出るからチェック怠れない富士見ファンタジア文庫。「夕なぎの街 十八番街の迷い猫」(富士見書房、560円)は、何でも新人賞に応募のあった中から最終選考に残った人を鍛え直してデビューさせたものだそーで、なるほど編集の人が買った居酒屋の雰囲気の部分は面白いけれど、誰が主役で誰が脇役で何が起こってどーなるか、って辺りにまだまだこなれていない部分が見えて、将来において期待しつつももう少しだけ鍛えて頂きたい気が今はしてる。田舎から出てきて錬金術士になろーとしたものの修業先の師匠に夜逃げされて路頭に迷いかけた少年が、ようやく落ちついたのが街で人気の居酒屋。そこで働きながら独学で修行もし、拾ってきた女性の自動人形を修理して店員にしたりしていた所に、ひとりの少女がふらふらと迷い込んできた。

 何やら訳アリの少女を介抱し、居酒屋に留まって一緒に働こうと誘って来た少年の答えて少女は腰を落ちつけお手伝いを始めた。そんな彼女を訪ねてきた少女があって、訳ありっぷりがさらに深まったある日、街を統治する人たちをめぐるドタバタが迷い込んで来た少女に及んだ結果、少女と自動人形の女性も巻き込んでのちょっとしたアクションが繰り広げられることになる。気になるのは、主人公然としていたはずの錬金術士志願の少年が次には脇に回って迷い込んで来た少女が主役になったりして、視点をどこに置いていいのかちょっと悩む。

 個人的にはどちらかに固定した上で、関わる人たちの背景へと筆をひろげつつもやっぱり筋は1人において、その成長ぶりを楽しませ欲しかった。あと、錬金術とか魔導といった言葉から受ける西洋的なイメージとは違う、和風の舞台になって和風のイラストが付けられているあたりも気になる所。といっても陰陽師とか風水師とか道士とかいったアジアな雰囲気を付ければそれに縛られてしまうんで、これについては無理にでも慣れてしまうことにしよー。それより何よりヒロイン然とした美少女の正体に、ヤングアダルトな気持ちがちょい裏切られたよーな気もしないでもなかったけれど、これもまあ前例がない訳でもなかったりするし、当方とだったら頑張ればバランスもとれないことがないんで、これもまた外見尊重の流れで気落ちを納得させることにしよー。しかしある意味ヤングアダルト文庫でも屈指のヒロインかも。

 マスコミの謎、その1。例の和歌山毒カレー事件で裁判に当たって検察側がテレビのインタビューに答えている被告の映像を証拠として提出して、それを裁判所が採用したってニュースが何やらとてつもなく「報道の自由」とやらを侵害しているって感じで新聞紙上で非難され、テレビ局からも抗議文書が裁判所に送られたとか。もちろん取材の過程で得た情報を、放送局に洗いざらい証拠として出せなんて言って来たんだったら抗議も非難もやって当然だと思うけど、すでに放送されて満天下に公にされたものである以上は、そこで語られていたりする内容が検察側の思惑どおりの証拠となるかどうかはともかくとして、裁判所が判断する際の材料とされるのに何ら支障はないよーに思うんだけど、どーなんだろー。

 なるほど証拠として提出する側が、自分たちの都合の良いよーに編集しているものだったら問題だけど、今回に関してはその辺りはクリアされている。放送を前提に喋ったインタビューである以上、すなわち公開されることを了解して喋った以上は、それが将来において例えば裁判で証拠として採用されるかどーかってのも認識の上にあって当然と考えるのがごくごく普通の発想で、そんな可能性があるなら誰も取材の協力してくれなくなる、なんて言って非難するのはなかなかに理解し難い。放送されるのは良いけれど、証拠として採用されるのは嫌だ、なんて発言にだったら信憑性はあるのか? って疑問が浮かんで、そんなものを流すマスコミの信頼性が逆に疑われかねない。

 マスコミが抱く危機感が別に分からない訳じゃなくって、ひとつここを切り口にしていろいろと、報道の自由が侵害されていく可能性に考えを及ばせているんだろーけれど、段取りを踏んで明解なロジックで切り込んで来る相手にただ理念だけ訴えたところで説得はできないし、ただでさえマスコミに不信感を抱いている一般の人も納得しない。声高に反対反対と叫ぶばかりじゃなくって、何がどう問題で、将来にわたってどんな影響があるのかを、噛んで含めるよーに説明していく努力、引くべきところは引くよーにしないと今回の件もそーだし昨今よーやく大手のマスコミも事のヤバさに気付いて大キャンペーンを始めている「個人情報保護法案」も同様に、常識の範囲を越えて押し切られてしまいそーな気がする。

 もっとも口では「報道の自由」とか行って取材目的に得た情報は取材目的にしか使わないのが原則って言っている癖に、一般紙だったら政治部なんかが番記者として得た情報を、ぜんぶデスクに上げて部長に上げて局長役員社長と上げる過程で他の派閥なり政党なりに回して「政局」なるものを作る材料にしてもらったりしているから悩ましい。ギブ・アンド・テイクを拒否してちゃー仕事にならないのも厳然とした事実だし、建て前ばかりを声高に言っていると、いつか自らを縛ってしまうんじゃなかろーか。

 情報の横流しのよるマッチポンプなんて可愛い方で、酷い新聞社になると、企業取材で記者が集めた名刺から事業なり、販売なりに役立ちそうな人の名前をピックアップさせて事業なり、販売といった部署に回せと上が言って来たり、取材だからと記者が取ったトップのアポイントメントに営業とか事業とかいった収益部門の担当者がくっついて行って、取材の後に金儲けの話をしてみたりするらしーから、何をかいわんや。編集の記者が事業部員を辞令の上でも正式に兼務していたりするケースもあるらしーから、これはもう驚くより他にない。それが普通って雑誌社があるのも分かる。ただ少なくとも「知る権利」を国民から付託されて官庁のクラブに記者を常駐させる権利を得ている新聞社では、やっぱりやってあんまり宜しくないことだと思うんだけど、貧すれば鈍するってゆーのか、トップからトップ下から率先してそーゆーことを奨励している節があるらしーからなー。マスコミって、すべてが正義とは限らないってことを、マスコミ自身が認めることがまずは寛容、なのかも。

 マスコミの謎、その2。それこそ愛人からムネオハウスから何から何までひっくり返して鈴木宗夫議員のバッシングに走ったマスコミが、社会民主党の辻本清美議員の秘書給与ちょろまかし疑惑については何故かあんまりプライバシーの裏まで突っ込んでいないのが、ちょっと不思議で仕方がない。政策秘書として国から給料が出ていた人物だったらそれは立派に公の人で、どんな来歴の人で秘書としてどんな人なのかが広く国民に明かされても不思議はないのにも関わらず、鈴木議員では全プライバシーの暴露に血道を上げたメディアがなぜかこの秘書については、顔写真は載せないに名前すら書かない。過去にどんなことをやって来たかも全然不明。調べて書かないのか調べがつかないのかは知らないけれど、知りたい部分ではあるだけにちょっともどかしい。いったん正義の代表に祭り上げてしまった以上は落とせない、なんてことでセーブでもしてるのかな。

 まあ、この一件に関しては社民党の言行不一致ぶりがマスコミ以上なんで、まずはそっちを責めるのが先なのかも。政策秘書として働いてもらって給料も払ってたっていうんなら給与明細だか預金明細を明らかにして理解を求めるべきだし、アドバイス程度のことしかしてもらてなかったって釈明にはそんなアドバイス程度の人を政策秘書として雇った議員の不徳ぶり、そんな人を政策秘書として認めて給料を払っていた側の例え不作為であってもその事務遂行能力の至らなさ、あたりをキッチリと詰めて頂きたいもの。とはいえ雰囲気としてこの辺りを詰めると辻本議員だけに留まらず、他にも波及しそーな雰囲気もあるからちょっと怖い。名前も正しいものを公表できない秘書があちらこちらを渡り歩いている実態が意味するものって一体何だろー。怠慢を責めるのは後回しにして、マスコミにはその辺を頑張って明らかにしてやって頂きたい、やれるものなら。

 1巻を読んだ記憶があんまりないけど2巻が登場した一条理希さんの「D/dレスキュー フロイライン・ヴァルキリー」(集英社スーパーダッシュ文庫、533円)をペラペラ、やっぱり読んだことはないな。けどまあ、折り曲げられた部分にある便利な登場人物のプロフィールを読めば主要な登場人物のキャリアなり属性は十分に理解可能で、じっさいそーした情報とそれから書かれてある背景説明を読んで、登場人物の一部にどーやら過去にいろいろな経緯があったことが見えて来て、それから主人公にもラブコメちっくな顔とシリアスな顔とがあるってことが分かって、そんな上で繰り広げられる驚くべき事態を存分に楽しむことが出来た。

 大富豪が作ったレスキュー部隊に所属する少年が、ひとつの街を襲った外国人テロリストによる爆弾テロ&バイオテロに立ち向かう、って話なんだけどヤングアダルトのパッケージの割には起こる事態がハンパじゃない。とにかくばっつんばっつんと人死にが出るし、まだ終わってないんで続く3巻では山ほどの人が死にそーな予感もあって、読み終えてなかなかに後味が悪い。そんな状況に及んでなお、人を殺すのは嫌だと駄多をこねる主人公の態度の甘さもちょっと気になるけれど、だからといって少年の博愛がスーパーマンよろしく地球を逆回しにして時間と戻したりできるとも思えないからなー。さてはてどんなケリが付けられるのかを期しつつ臆しつつ待とう。表紙のスレンダーな美少女は目つきの悪さをのぞけば個人的にはお気に入り。胸とかあんまり大きくないのに萌えー、ってか。


【3月21日】 「鬼武者2」で斬りまくる日々。っても夜に1時間とか2時間程度なんでそれほど進んでいる訳じゃなく、どっかの島へと渡っては沖から「海が好きーっ!」とは叫ばないでやって来る、怪人ゾナーみたいな喋りのゴーガンダンテスに3度、4度と挑んではあっけなく斬り倒されてゲームオーバー。これはいかんとセーブデータから森へと戻って人魚モドキやら一つ目ソンブレロやら丸太ん棒野郎やらをイジって魂を集めて武器を鍛え、防具をすべてレベルMAXにしてから再び島へと向かう。

 やっぱり2度、3度と倒されながらも鬼攻撃やら火矢やら卑怯な手を使って時間を稼いで、最初に出会った時みたいな格好でどうにかこうにか切り抜ける。一昨日来やがれ、って叫んで良いのはどうもこっちじゃないみたいだけど。そこから仕様なのかシナリオなのか待望の巨乳キャラクター、オユウを操ってどっかを目指すエピソードに入ったみたいで、十兵衛で培った相手の攻撃を防御しつつチョロチョロと斬りつけてはダメージを積み重ねさせるチマチマ戦法で室内も橋上も何とかクリア、したかと思ったのも束の間、小さい斧と巨大な斧を振り回す奴らに難渋したまま、すでに2日が経過してしまったというのが現時点での進度だったりする。とりわけ大きな斧を振り回す奴がどうにも倒せそうもないのがネック。何かウラワザとかあるのかなか。「春分の日」は出勤でさわれなかったんで週末が出かけずに斬りまくろー。

 とか思ったけれどやっぱり無理かも。仕事に行く途中に気が付くと向かっていたのは秋葉原。降りて歩いて「Laox」の「ゲーム館(げーむ・やかた)」前へとたどり着いた時には知らず財布から万札を出して、本日いよいよ発売の「サクラ大戦4 恋せよ乙女」の初回限定版とやらを購入してしまっていた、それもテレカ付きを。きっと週末はこちらにかまけて20時間とか過ごして月曜日は眠気で腫れた目で会社に向かうことになるんだろー、でも心は充実しまくってるって奴。

 正直言うと去年の今頃に届いた「サクラ大戦3」を何故か今日までまったく触れずに来てしまって、今回も引き続き登場するらしー「巴里華激団・華組」の連中に感情を入れ込むことが出来るか不安なんだけど、そこはポストモダンが動物化した世代に精神年齢でかろうじてかかり掛かっているんで、見た目ドカンでハマって後は美少女たちが出るを幸いに胸ときめかせ、現実世界ではかなわぬ恋路をたどって甘美な夢に微睡むことになるんだろー。でもって我に返ってじっと手を見る。春いまだ来たらず。当分来たらず。永遠に……。

 面白れえ。いやまあデビュー作の「バイオーム 深緑の魔女」(エンターブレイン、640円)の時から生態系を土台にしてきっちりと舞台となる世界を描いたその上に、自然を相手に戦ったり逆に自然と調和しようと頑張って生きる人間たちの姿を描いて評判になった作家だけど、デビュー2作目となった伊東京一さんの「クロスオーバー 純白の蟲鎧」(ファミ通文庫、640円)もやっぱり生態系の不思議さ偉大さを作品の中に土台としてしっかり折り込みながら、その上で繰り広げられる人間たちの足掻きめいたものを描いて読む目を驚かせてくれる。

加えて前作がまだ、今の地球とも共通にごくごく普通の、とはいえ地球に比べてパワフルさに溢れた自然を相手にこれまたごくごく普通の人間たちが、生態系に関する知識を駆使して戦う話だったのに比べると、蟲から作った鎧をまとい蟲から作った剣を振って戦う人々とか、精神力で蟲たちを操って戦う人々とかがいたりして、そんな人たちが守る街になぜか従来の習慣を外れて統率を取りつつ襲いかかって来る蟲がいて、って展開の中で明るみに出る、そもそもの舞台となっている星の秘密とか、人間と蟲たちの関係といったドラマの部分で、一種、超自然的な要素が加わって、SF的な深み広がりが、今作ではぐっと増している。主人公のまとった鎧の秘密とか、彼が背負って旅する妹の可憐さとか観察しどころ、萌えどころも多々。シリーズ化は必至みたいなんで是非とも早期に次を出して、一端だけを垣間見せた”世界の秘密”の全貌を我が前に現してやって頂きたい。

 やるなあナムコ。前作ではラーメン屋のラーメンに乗っかる海苔に食材でもってロゴをプリントして宣伝したりした「鉄拳」シリーズの最新作の「鉄拳4」の宣伝を、今回はプロレスの興行を使ってやるとかで、25日開催のDDTプロレスリング興行に「鉄拳」キャラの豹頭の戦士グイン……じゃないキングってのに扮したキャラクターが登場しては、「鉄拳衆」なんてのと「鉄拳」技(マッスルバスターとかワンダフルメキシカンコンボとか。どんな技だ?)を繰り出しては対戦してみせるとか。プロフィルどーりに身長2メートル、体重90キロかは知らないけれどそこはそう見るのがファンの心意気って奴で、たとえゲームほどバンプアップしてなくても、ブーイングなどせず暖かく、その活躍を見てやって下さいな。時間は午後6時50分で場所は北沢タウンホール。ところでDDTってどんなレスラー、いる団体なの?


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