縮刷版2002年11月上旬号


【11月10日】 40年近い不幸が今、すべて払い清められるかの如くに舞い降りたサッカー「日本代表VSアルゼンチン代表」のチケットゲットとゆー奇跡で、一生のうちの大半の幸運を使い果たしたかと思いきや、「トヨタカップ レアル・マドリッドVSオリンピア」のチケット当選とゆーさらなる奇跡が今ふたたび降臨して、もしかするとこれで人生における幸運の総量はゼロになったどころか債務超過状態へと陥って、残る人生のほとんどをまた不幸のどん底ではいずり回るのかもしれないと、感じてゾクッと来たけど目の前で走るフィーゴに蹴るロベカル、切り込むロナウドに飛び込むラウル、そしてカクテル光線を頭上に受けて輝くジダンに見えられると思えば残る一生が年収600万円台の壁を超えられなくても女性からの電話1本メール1通のコンタクトがなくても、生きていけそーな気がしてる。アニメを見られない本を読めない松屋の牛焼定食が食べられない、ってなるとちょっと辛いけど。

 「イープラス」での多分キャンセル待ちか何かにあたる「セカンドチャンス」はこれまでにサッカー「日本代表VSジャマイカ代表」でも「日本代表VSアルゼンチン代表」(ゲットしたのは追加発売の分)でも抽選漏れしていただけに嬉しいところで、過去2回をカテゴリー1のホーム、カテゴリー2のアウェイで外した経験からカテゴリー3のアウェイで申し込んだのが今回は奏功したのかも。流石にセカンドチャンスだけあって席は巨大な「横浜国際創業競技場」の4つある隅のひとつだけど、思い返せばカテゴリー2で見た「ワールドカップ決勝」の試合も位置的には似たところだったし今回は1階ってこともあってはるか彼方で小さい人たちがちょこまか走り回っているよーな感じにはならないで済むかも。23日の「横浜F・マリノスVS名古屋グランパスエイト」の試合に行ってチェックして来よー。とにかく決戦は12月3日、この日に発表とか倒産とかする会社があったら末代まで祟るので留意しておくよーに。とくに○○(ってどこよ?)。

 「幕張メッセ」で開かれていたタカラの「ベイブレード」関連のイベントを見物、世の中的には何か「ベイブレード」って終わったっぽい言われ方をしているけどなかなかどうして、まだまだ元気いっぱいで午前9時半の時点てすでに数時間待ちって感じの行列が出来ていたそーだし、その後もどんどんと海浜幕張駅の方から親子連れが集まって来ていて入り口付近も中も大混雑を見せていた。

 場内なんて新製品を販売する行列と体験する行列がごっちゃになってそれが入り口付近まで届こうかとゆー賑わいぶり。とりわけカードゲーム「デュエル・マスターズ」の人気が凄くって入り口付近で大会をやって入場者の足を留めてしまっている上に中の販売ブースから伸びた行列がいずれはそこへと及びそーな感じがあって、人気爆発で社会ネタにもなった「遊戯王カード」みたいに困ったことにならなければ良いけどって心配もしてしまった。結局どーなったんだろ。

 ウィザーズ・オブ・コーストがお墨付きを与えているいわば超初心者向け「マジック・ザ・ギャザリング」ともいえる「デュエル・マスターズ」の賑わいぶりには驚くばかりで、年端もゆかない子供たち、おそらくは「遊戯王カード」すら触ったことのない小学生の低学年がそこいらじゅうにしゃがみ込んではデュエルしている光景を見るにつけ、彼らが飽きずにいる限りは最低でも1年は人気を堅持できそーだし、ともすれば「遊戯王カード」に匹敵する大ブームへと発展しそーな印象を受けた。

 「コロコロコミック」との連動がどーなってるのか確認してないから、そっちでの盛り上げが一段落した途端に梯子をはずされ凋落、って可能性も考えられない訳じゃないけど今日の賑わいを見る限り、まだまだどんどん盛り立てて行きそーな雰囲気で、極めつけのアニメ化とか来た日にゃー手もつけられないことにだってなるかも。それで大爆発した挙げ句に陳腐化して衰退って憂き目を見た例も過去に数多あるんで注意は必要だけど、いったん覚えたカードゲームの味は品を変えても続くもの、頂点に位置する「マジック」に一気に上るか「少年ジャンプ」を読み始めて「遊戯王カード」あるいは「シャーマンキング」に向かうかオタク化しれ「アクエリアン・エイジ」に走るかは分からないけど、出してるメーカーにとってはユーザーをつかむチャンスに溢れているんでその時を虎視眈々と狙うが吉でしょー。「宇宙のステルヴィア」に向かう子供もいる……のかな。

 近所のコーヒー屋で原稿とか打って半分くらいまでしか進まず完成を断念して「青山ブックセンター」で開かれる予定の「東浩紀VS大澤真幸」のトークショウを見物に行く。予約してなかったんで入れるか分からず行き当たりばったりだったけどキャンセルがあったみたいで無事入場、その場にふさわしく「アニメージュ」付録の「デ・ジ・キャラット」Tシャツを来て高説を承る。着ちゃってもったいないんじゃないかと言われそーだけど、もちろん「アニメージュ」はもう1冊買ってTシャツももう1パックが永久保存版であるから良いのである。もう2冊くらいは欲しいけど。

 話はとにかく多岐に渡ったけど印象深かったのはインターミッション的な場面で両者が我も我もと語り始めた「スター・トレック」話。流れは最初に東さんが例の「ほしのこえ」における葛藤も反発もない純愛のモデルについて言及してそれに大澤さんが北朝鮮に1人が拉致され引き離された2人の間でのコミュニケーションの途絶を冗談として例示した、そこから全体主義国家の一員から引き離され脱洗脳を受けようとしている拉致被害者の姿を「スタートレック」のあれは「ボイジャー」になるのかな、「ボーグ」って存在とそこから引き離され戻された人間との関係に重ね合わせてみた所からどんどんと広がっていったものになる。

 カーク船長がいたファーストシリーズの強いアメリカのイメージが、次のシリーズでは五族共和じゃないけど割に周囲に気を配り、隙もあって被虐的な面も少なくない艦長率いる登場人物たちになぞらえられて弱いアメリカのイメージへと代わり、ってな感じに時々の情勢を「スタートレック」ってドラマは如実に映してるんだって話になって、それはまあ巷間言われて来たことでもあるけれど、面白いのは双方ともに「スタートレック」をかくもしっかりと見ているとゆーことで、時間があればいつまでだって「スタートレック」で盛り上がって行けそーな雰囲気に、どっかで作品の成り立ちから今までの展開を網羅的に把握している人を交えつつ対談させたら、特撮ファンSFファンやおいマニア向けとは違った「スタートレック談義」になるかもって思えてきた。けど文芸誌で出来るかな、今の文芸誌だったらやるかもな。

 後半はもっぱら世の中いったいどうなっちまうの、って話で責任の所在が見えないなかを誰もが戸惑い佇んでいる状況からの脱却に向けて大澤さんが責任を引き受けるよーな存在の可能性に期待ってゆーか関心を見せるそのスタンスに、東さんからそれは石原慎太郎的ナポレオン的ナチズム的な俺についてこいイズムの登場を望んでいることかと突っ込みが入ってそうじゃないんだと大澤さんは返すんだけどだったら何かってことについては未だ明確なビジョンが見えていない模様。逆にだったら石原ナポナチじゃない何かを東さんはどう考えるのかって大澤さんからの問いに個人ひとりひとりが小さな責任を負うことって答えていたけど、巨大で取り返しのつかない難問に直面した時なんかは個々の責任ではとても負いきれず立ち往生が起こる可能性を指摘されて双方歩み寄らず。本にするために行われるだろー後の対談へと持ち越される形となる。

 もしかすると大澤さんのイメージには神さま的な存在があるのかもしれないけれど、宗教に依拠し過ぎる危険性はオウム問題について考えている大澤さんなら重々承知していることで、宗教なり政治なりが犯した過ちを咀嚼した上で立ち上がる「何か」ってのを、今は模索している最中なのかもしれない。ただなかなか適切なイメージが浮かばないってのはもしかすると存在していないのかもしれないってことかもしれず、答えが出るまでの道は長そー。根源に帰結すれば問題は人間は食べなきゃ死ぬ存在だってことで死ぬのを厭わないよーな思考を神さまがもたらすか、死なずに済む方法を科学がもたらすか、ってところでの択一になるんじゃないかと思うけど、これって人間が考え始めてずっと続いてきた問題だからなー。解決できれば大澤さん、倫理社会の教科書に載る偉人になれるかも。でもって掲載された顔写真に授業中生徒から落書きされると。服をピンクに塗ってはダメです。


【11月9日】 「天皇杯」決勝チケットのダブリは無事、寂しくないのに寂しがっても良さそうな人の所へと引き取られて行きました、これで佐川急便と水戸ホーリーホックあたりの試合だったら楽しいよなあ、せめて1チームくらいは出てくれよ、J1チーム。サッカーと言えば「スポーツニッポン」の朝刊ににんまり、ブロッコリーがスポンサーに名を連ねててプラクティスシャツとビブスにしっかり「でじこ」の顔が入ってる湘南ベルマーレの新監督に候補としてあのトルシェ監督をコーチとして支えたサミアさんの名前が挙がってて、トルシェ贔屓な「トルシェビキ」として嬉しくなる。

 最初の頃こそ勝ったり負けたりでリーグでも真ん中からちょっと下がる所をウロウロとして心配されたけど、ここんとこ勝ち癖がついたみたいで上位4チームには離されてはいるけどそれでもしっかり5位に着けて状況気運にあるベルマーレ、、これで組織と個との融合をしっかりやってくれるサミアさんが監督としてやって来れば、一気に上位進出で果てはJ1復帰なんて可能性だってないとは言えない。その為には来年1年をしっかりと戦える戦力を集める必要があるんだけど、経営とかいろいろ言われてるブロッコリーがメインではないにしてもスポンサーを降りてしまわないかと心配な所。もっともこの前の「横浜アリーナ」で登場した木谷高明社長は「デ・ジ・キャラット」の代復活を宣言してたから、折角のスポンサーをここで引いてサッカーファンやベルマーレファンに無用の不信感を抱かせるのも得策じゃないと、スポンサーを続けてくれると信じたい、せめて僕のポイントカードが60点になってプラクティスシャツと交換できる時までは、あと20点かあ。

 プラクティスシャツは高くてもこっちはたったの650円ってゆーから太っ腹も太すぎる観のある「月刊アニメージュ」2002年12月号。雑誌の付録にパンツとかトートバックとか付く時代では確かにあるけれど、アニメ雑誌に定価とそれほど違わない値段でTシャツがついて来た、なんてことがかつて果たしてあっただろーか。切手を入れて応募券を添えて贈れば「プレゼント」って企画はなるほどあって、あるいは今回の「アニメージュ」もそんなかと思っていたらとんでもない、袋に入れられた雑誌の脇にボール紙で挟まれて「にょ」っと書かれ「でじこ」が描かれたTシャツが1枚、しっかりと封入されていて買ったその日から着て歩けるよーになっている。それことレジで会計を済ませた直後に着替えることだって恥ずかしくなければ可能。コーヒーとか服にこぼして困っている人はユニクロ行くより本屋で「アニメージュ」を買えば着替えのTシャツを手に入れられる、おまけは豊富なアニメの記事だ。

 どーゆー会計で650円なんてちょっとだけの特別定価でTシャツ1枚を付けられたのかは分からないけど、表紙が「ギャラクシーエンジェル」で中の記事の冒頭の実に18ページとあと「にょ」Tシャツをモデルさんに着せて吉祥寺とかを歩かせたグラビアの3ページも関連だとすれば、実に22ページ分に表紙&記事として「ブロッコリー」関連のコンテンツがフィーチャーされていることになる。Tシャツくらいおまけに出したって元が取れるかも、そのTシャツ自体も立派にメディアだし。記事は前回と同様で「木谷語録」が付けられていて今後の展開なんかも方ってて、「でじこ」については「マスを意識した展開をしていきます」となかなかの前向きぶり。ってか今日から池袋で始まった「カードゲームフェスタ」で会った木谷さん本人から前向きな話を伺ったんだけど、現時点では未定のことも多いみたいでいずれ遠からず確定するだろー情報が、来年2月発売あたりのアニメ誌に載って来る時を楽しみにして待っていよー。湘南ベルマーレへのプッシュも引き続き、ね。

 ホントは3冊くらい買おうかと思ったけれど手持ち不如意で1冊に留めて「月刊アニメージュ」を池袋の「ジュンク堂」で買って帰途へ。電車では三枝零一さんの「ウィザーズブレイン3 光使いの詩」(電撃文庫、670円)を読んだけど前作の割に衝撃的な秘密が明らかになって心に痛みを及ぼしたよーな展開に比べると、ストーリー自体は割によくある感じでヒーローがいて敵がいて敵の肉親をいい仲になってしまってヒーローの幼なじみが嫉妬してヒーローは間で引き裂かれそーになって究極の選択を迫られる、って言ってしまえばそれだけで、物理法則を高速演算によってねじまげる「魔法士」の技でも凝ったものはなくって読んでそれほどハッとはしない。その分は読んでスンナリと頭に展開が入るんで当たり前だけどそれ故に泣ける話として読めば楽しめるのかも。イラストは表紙も口絵も良い感じ、口絵裏のセラの胸のうすべったさとか、属性ピタリな人にとっては感動ものかも。次作が出る感覚が短くなっているのは作家がノっているからだろーから、遠からず出そーな第4巻での今度はアッと言わせてくれるだろー展開に、今から期待を表明しておこー。分厚くても構わないけど分厚すぎて遅れるのはナシね。

 好きなものに入れ込むあまりにそれと対立するものを貶した結果が災いとなって跳ね返って来る不徳が我が身以外にここにも。「スポーツニッポン」のサッカーの記事でジーコ監督が日本代表の合宿を「伝えたいことはある。それには1週間が必要。来年からやろうと思う」って言ったことを取りあげてるんだけど、確かスポーツ新聞ってジーコ監督が選手のトレーニングはチームに任せて代表合宿はやって数日ってゆー方針を取りあげて「合宿して戦術徹底させ選手からも選手をとられたチームからも反発くらいまくったトルシェは悪、それをしないジーコは善」ってな論調を繰り広げていなかったっけ。だったら1週間も合宿をすると言ったジーコを「トルシェと同じ」と叩いてしかるべきなのに、「意向を示した」って感じでサラリと流すだけに留めていて、論旨に整合性がとれていない。

 今はシビアじゃないから自在にやらせているジーコ監督がいずれ戦術を固めて来た時に何と言うかが楽しみだけど、横にあるジーコ監督が選手の一芸を支持したって記事にあるよーに、「『ジャマイカ戦はうまくいったが、修正点もあるので、アルゼンチン戦に向けて修正したい』というジーコ監督だが”一芸”主義は変えない」って感じに依然、トルシェとの差異が大きくあるって前提の記事にしてしまってますますの袋小路に入っていってしまうんだろー。しかしホント、トルシェってメディアに嫌われていたんだねー。しかし一芸一芸ってそんなに日本代表選手に世界クラスの一芸の持ち主っているのかな、中村俊輔のフリーキックは素晴らしいけどそうなる依然のドリブルが前に進まないんじゃー何のための一芸なのか分からない。それとも例えば「華麗なパサー・フォワード柳沢」とか「悪夢のレッドカード松田」とかって”一芸”を”個性”って称揚するのかな、「少林チーム」だって顔負けの凄いチームになりそーだな、ジーコジャパン。


【11月8日】 日本レコード協会公認の「新品CD大ディスカウントフェア」で買ったサイズのCD「コレクション」が届いたんで聴く、たぶん15年ぶり? 少なくとも東京に出てきた90年からこっち聴いてないから10年以上は間に経ったことになるけれど、「Womans・S」なんかの粒々として張りのある感じのチャカさんの声は聴いてて相変わらず気持ちに心地良いし、「パラッパラッパー」や「ケロリカン」な人になってしまった松浦雅也さんのサウンドワークも当時からやっぱり凄かったんだって確認できて、かくも偉大なグループのCDが「廃盤アワー」な状態になってしまったことに哀しみを覚える。チャカさん何やってんだろ、最近。

 何やってるんだろ、ってことでは6曲目に入ってる「サイレント・ソング」を作曲してギターも弾いてるいまみちともたかさんもそんな1人で、細長い顔と細長い体でギターを抱えて「バービーボーイズ」のギタリストとしてコンタさん杏子さんのバックで凄まじい音を出してたあの時代から幾星霜、解散してこっち杏子さんが山崎まさよしさんスガシカオさんたちといっしょにシンガーとして活躍し、コンタさんも俳優業なんかで姿を見かけるのにイマサさんの姿はまるで見かけず、勿体ないなあと思ってた。ってことで調べたら何とご本人が「コードストロークの世界」なんてページを開いてて、ネットの世界の広さ深さを今更ながらに深く知る。じんわりと活動も始まってるみたいなんでまたあのギュンギュングイグイしたサウンドを聴ける日も遠くなさそー。長い顔もまた見られそー。

 それにしても多彩なメンバー。「The 東南西北」のボーカルで幼げだけど筋の通ってる声が不思議な魅力的だった久保田洋二さんが唄った「絵に描いたよりPictureness」を聴いて懐かしいと思い、「風の中で」で楠瀬誠志郎の今とあんまり変わらない声を聴いて感涙にむせぶ。しかしみなさん10年経っても頑張ってるなあ、でもってみなさんホームページをちゃんと作っているんだなあ。最後に入っている「私は流行、あなたは世間」なんて編曲したのが溝口肇さん。当時から僕にとっての憧れだったけど今なんて劇伴の王様、だからね。

 ざっと見で当時のCBSソニーに所属のアーティストが参加してたって感じで、エピックとかも含めて当時の「Jポップ」とやらのいかに中核に「SONY」があったかってことも伺える。今はどーかと言えば今市子、存在感が薄れて来てはいるけれど中島美嘉さんとか平井賢さんとか屹立したアーティストの姿も見えて来てるんで、音楽の生み出される産業の構造がガラガラっとした90年代を超えて21世紀、それなりな地位を維持しなおかつ発展していってくれるものと期待したい。「サイズ」に「バービーボーイズ」に「レベッカ」に「ジュディマリ」の復活とか、あったらなおいっそう凄いんだけど。

 ソニーで復活といえばあの名作にして怪作にして大傑作で、日本のみならず今や米国でも「TOKYO PIG」の名でもってそのピンクの勇姿と爆笑のストーリーを炸裂させては拍手大喝采を浴びているらしー「はれときどきぶた」がSME・ビジュアルワークスからいよいよDVDボックスに。LDボックスを高くって買い損ねていて、けれどもそのうちDVDになるから良いかと思っていたらタイミングを外してしまったのかなかなかならず、悶々としていたんだけど米国での人気に加えて日本でも11日から大NHKのBSで再放送が始まることもあって、大復活ののろしをここに上げて来たもよう。全61話が12枚に収録されて36000円ってのは考えようによっては(考えなくても)むちゃくちゃお得。和子せんせいの莫迦っぷり、ぷちこの凶悪さの源流とも言える玉ちゃんの罵詈雑言にクリアな画像と迫力のサウンドで浸りきれるのかと思うと、今から2月5日の発売が楽しみで仕方がない。金が手元になくって買い逃して後悔している「あずまんが大王」の二の舞にならないためにも、無駄遣いせずになけなしのボーナスの年をちゃんと越させよー。

 なんていってる端から無駄遣い。ネットで注文しておいたサッカー「天皇杯」のチケットが今朝方届いたんだけど、見ると来年1月1日のチケットがSS席とS席の2枚、入ってた。頼んだ方ではてっきり1枚は12月28日の「埼玉スタジアム2002」での準決勝のはずだったんだけど、何枚か立ち上げたウィンドウに紛れて埼玉のが消えてしまっていたみたい。カードがまるで未定で位置づけも決勝よりは下がるんで間際でも買えそーな気がするけれど、そこは意地ってことで早速ネットで準決勝のチケットも注文、最前列に近い最良の席を手に入れる。これでJ2vsJFLだったらどーしよ、とも思うけどそれとて歴史には違いないから良いのである。問題は決勝のS席か、元旦に寂しそうな人に送りつけるか、元旦は寂しいだろって言って、おまえが言うなって言われることを覚悟で。

 ネット上での発言はおしなべて等価なもので、良いように抽出され引用され貼付されて流布した挙げ句に惑乱を招くという可能性は確かにあって、これは紙媒体のような編集作業による淘汰の働くメディアであったら、文字化され定着するようなことにはならなかった言説が自在にネット上にアップされ、定着するようになったから起こったことで、だから無責任な流言飛語の類の垂れ流しには、常に留意しなければならないという見解に異論はない。ひとたび事、起こったときにそれが当人に跳ね返って来ないとも限らないし、当人のあずかり知らない所で、ひとり歩きして悶着を起こす可能性もある訳だし。

 とはいえ、等価なものとしてネット上に並立はしていてもその情報を取り扱う側の意識において、情報の出し手の世俗的な社会におけるバリューなり、情報を掲載するメディアなりのバリューってものを推し量ろうとする作業が働くことがやっぱりあって、その辺りを推し量りつつ情報の出し手が出し方の品位を上下左右させることがあって、それほど悪いことなのか、とも思う。だってねえ、来年の2月で満7年とかになるくらいにいろいろと書き殴っては来たけれど、世の中的にどうよと言われた時にまるで実感ってものがないんですね、未だに「日刊」って間違えられるし(「日刊」は競合紙だっつーの)。なのに始めてた3日? それとも1日? って人に「blogが一般的になったときに、『mesh抜きでは日本におけるblog草創期を語れない』と言われるようなサイトにしていきたいですね。(言いすぎ?)」なんて語られちゃう。でもってどうにもそれが本当のことになりかねないような空気がある。というの赤門の看板とかインターネット・エバンジェリストの後光とかってのが権威大好きなメディアにとっても魅力的で、遠からず「研究室から始まる情報革命、blogはメディアを変えるか? 情報の正確性に留意必要」ってな感じで取り上げられて、テレビのニュースにもなって歴史として定着しちゃうんじゃないかと思うんですよ、ジョーイもう大喜び、卑下したくもなりますって。

 そうなって悪いか、というと一方では既存のマスメディアに看板とか後光でもって 取り入るフリして「blog」って奴を盛り上げて、挙げ句にマスメディアそのものをぶち壊す、なんてことに期待も抱いているんだけど、それこそウェブが登場したごくごく初期から営まれて来た個々人による発言の連続と集積が、今日の「blog」とやらの胎動につながっているんだって認識なしに、「草創期」だなんて言われてしまうから腹が立つし、悔しいし、何より妬ましい。唯一神と神の子と使徒たちってか。かつて神と呼ばれた津田優さんはギリシャ神話のティターン、日本神話のオオナムジのようにパージされるのか。それもこれも静岡の助教授「日本web日記学会」を冷凍保存だか塩漬けだかにしているからだ、と言っては忙しいうちにも着々と布石を打って来た助教授には申し訳ないけれど、このままでは確実に存在している筈の歴史が存在しなかったことにされかねないので、ここにこうして指摘をすることで歴史の維持・保存に務めたい。突出しなくても良いから等価な言説として流布されることを望む。


【11月7日】 「くわっぱ!」、って今は平気でそれも頓狂愛敬強情剽軽と実にさまざまな情感を込めた叫びをしてみせる名女優としてテレビに映画に大活躍している仲間由紀恵にもこんな、初々しくって可愛らしい時代があったんだなーと「日本レコード協会」の絶版品ネットセールで買って届いたアニメーションビデオ「HAUNTEDじゃんくしょん」を見ながら笑い泣く。懐かしいなあ、あの頃は深夜アニメにも未来と希望があったなあ、毎日のよーに2本3本と放映されていたものなあ。

 テンポ良く始まるテーマソングのイントロでいきなり登場する絶妙な形の胸も露な「花子さん」のビジュアルに脳天を直撃された記憶も鮮やかに残る作品だけど、今となっては仲間さんがアニメ声優として登場しアニメ主題歌シンガーとして登場してはその筋にその存在を知らしめた作品として、歴史に刻まれてしかるべきなのに当時ビデオとLDが出た程度でさほど話題とならず、かといって最近の仲間さん人気で持ち上げられるかとゆーどどーも当人もメディアも話題にするのを避けているよーな雰囲気があってまるでスポットがあたらない。ゲーム「トゥルー・ラブ・ストーリー」のテーマソングとかも唄ってそっち系でもてはやされそーになって未来が限定されてしまうとオゾけってしまって、それが記憶にトラウマとして残っているんだろーか。

 見直してみると確かに声優としてはプロではないなって感じるけれど、ほとんどデビューに近い段階にしては発生にメリハリが出ているし感情もちゃんと篭っていて、某「ゲットなんとか」で悪評紛々なグラビアアイドルとはひと味どころか天と地といってよいほどの違いを当時から見せてくれていたことに気が付いた。歌だって割に上手い方。これとか「みすてないでデイジー」のエンディングとかが収録されたCDってのが出ていて勿論持っているけど割に全部が聴ける名盤だったって記憶している。

 なのにこれほど活躍が目立っている今、歌で活動し始めましたって話題にならないのは本人的に納得がいっていなかったからなんだろーかそれとも、CDとかやると「初めての挑戦だったっけ?」「違うよ前にCDも出してたよ」「何唄ってたっけ?」「アニメとかゲームの主題歌」「えっ、じゃあ仲間由紀恵ってオ○クだったの」って感じにメディアで話題になって声優までやってた過去を引き吊り出されるのが苦手だったりするんだろーか。けど戸田恵子さんだって現役で「アンパンマン」やりながらテレビで演技してたりする訳で、昔「朝比奈睦月ってショタコン巫女の役やってました」って言えば誰でも微笑んでくれると思うから、気にせず「HAUNTEDじゃんくしょん」の仕事を前面に出してDVDボックス化を後押しして(まだ出てなかったよね?)、僕にビデオなんかよりも綺麗な画像で花子さんの媚態に再開させてやって下さいな。

 真正面から揶揄なく辛辣でもなく滔々と窘(たしな)めていただけているようで冷や汗というか涙目というか、半ば慶賀の念を持って受け止めたいところではあるけれど、申し添えれば相撲取りをここで論(あげつら)いの引き合いに出したところで世間一般が同調して「だから相撲はよくない」と一斉に相撲を叩きに走る訳では絶対になく、「まあそうだろうけど」といった感じに受け流されるのが関の山、確立した相撲の権威を貶める可能性は低いのではないかという目算が成り立つ。

 ひるがえってゲームの長所に対する一切の言及を抜きに、ただただ「ゲーム脳の恐怖」を引き合いにしてインタビューした囲碁棋士を持ち上げようとした内舘牧子さんのコラムの場合、書いた筆者の持つ影響力に加えて掲載された媒体の伝播力でもってただただゲームの悪い面ばかりが巷間に流布する可能性がとても高い。相撲の良き面に関する言及を相撲が積み重ねて来た伝統は一般通念として広く認識されていると思い、不必要と省いた点につけ込まれる隙がある言われれば認めるに吝(やぶさ)かではないけれど、かといって未だ検証されざる”ゲーム全面悪”の風説が、ネームバリューとメディアのバリューという権威筋に裏書きされ、相撲のような一定のメリットの存在することをまるで認知されないままに流布しまくりかけてる危機をならば、どうやってひっくり返せばいいのかと正直言って悩んでいる。

 ゲームが決して素晴らしいところばかりではないことを否定するつもりは毛頭ないし、これまでもそーいったスタンスは暴力性を否定する業界の主張に茶々を入れるよーな形で見せて来た。ただここで問題にしたいのは、デジタル嫌いゲーム嫌いな輩にとって耳障りの良い言説がメディアの多くに蔓延るデジタル嫌いゲーム嫌いな輩によってフレームアップされて広がりかかっているという部分で、かようなプロセスを経て高まった圧力の前にゲームの良い部分を主張したところで果たして理解され得るだろうかという恐れがある。この一方向性は賞賛の中に批判も受け入れ得る度量を持っているだろう相撲とは違う。

 何より問題にしたいのは、こうした一方向性の高い言説を影響力とか意識せず窘めることもせず平気の平左で載せて省みないメディアの怠慢さで、どうやったらこれをひっくり返さないまでも意識させられるのかすら分からない。とはいえ相手が強力だからといって、というより強力だからこそ付け入られるような隙を作らないことも肝要で、お言葉もその辺りを示唆したかったんだろうと勝手に理解してさて、どうしたものかと考えてみることにしよう。そうそう内舘さんが12歳の囲碁棋士は「潮」を読んだらアンコでもソップでもないエンピツくんでした。そーゆーのも好みだったりするのかな。

 ふふふふふ、って笑うのは失礼な話とは言えあれほどまでに力強く米国市場でのブランド力(ぶらんど・ちから)を公言していた割にはミリオン以上を狙って出したアメリカンフットボールのソフトが30万本くらいしか売れず、これはこれで米国でエレクトニック・アーツが本気を出したから仕方がないって良いわけが立つかもしれないけれど翻ってゲームファンの間に絶大なる支持を得ていたと思っていただろーし思われてもいた国内で、半期のゲームソフトの販売本数がトータルですら100万本に届かなかった実状を目の当たりにすると、ふふふふふって虚ろさも込めて笑い出したい気持ちになる。セガのこってす。

 「ドリームキャスト」なり「セガサターン」といった独自の普及も限定されたハードの上で何十万本とかいった実績を鑑みればオープンで普及台数もケタ違いなソニーの「プレイステーション2」とか「プレイステーション」の上で倍2倍3倍売れたって不思議じゃないよーな気もして当然だしならない方がおかしいって思っていた。それが蓋をあければ今ひとつ。これをもってして「プレイステーション」は「ドリキャス」なり「セガサターン」とは違う層が持っているというのは間違いで、「ドリキャス」に「サターン」を持っていた人の多くは「プレイショーン」を持っているだろーことは想像可能、とするならば「ドリキャス」「サターン」でセガのソフトを遊んでいた人が「プレイステーション」向けに出たセガのソフトで遊ぶのがフツーだろー。

 なのに決してそーゆー循環に陥っていない部分にあるいはハードあってのセガだとゆー認識か、ガラリと変わった嗜好の上でセガのソフトが置いていかれてしまったのか、それなりに売れてはいるんだけどそれはセガのハードも買っていたよーな層に限られるからプラットフォームが広がったといっても前の本数を抜くことはないってことなのか、もとより景気が悪くってゲームが売れなくなっているのか、考えるほどに明解な理由が浮かばず経営する偉い人たちのよーな断言をもって回復なり、挑戦による遠からずの首位奪取の言い分を受け取ることができない。ゲーム開発に定評があったとゆーセガのゲーム開発に特化した結果がこれってことは多分ないと思うし難しい部分は改めても来るだろーから、ここは1年坊主のおいたと受け取った上で下期とそして来期の編成なりスタンスがどーなるかに、気を配って成り行きを見ていこー。「太鼓の達人」よろしく家庭用「ワールドクラブチャンピオンフットボール」とか出してくれれば売れまくりそーな予感、やんないだろーけどね、調子最高のアミューズメントを阻害しかねないし。


【11月6日】 それを奇跡を呼ぶならまさしくモーゼが太平洋をまっぷたつに割ってイエスが空からベアード・パパのシュークリームを雨と降らしヘレン・ケラーがボストンマラソンで世界最高記録を出して走ったくらいの奇跡だったかもしれない午前10時の「ファーストキッチン赤坂見附店」。従前よりこの日がサッカー「日本代表VSアルゼンチン代表」のチケットの追加販売日だとは調べてあったけど本番ですらまるでアクセスできなかったチケットのネット販売のホームページに、PHSを使ってつなげてほぼ時間が切り替わったのと同時にアクセスしてみたところ、いつもだったら必ず出ていた「サーバーエラー」のページへと行かずにお客様番号とパスワードを入れる画面がモニターに登場。いやいやここで安心するのはまだ早計、数字を入れて押したとたんにサーバーエラーになるのが世の常と疑心暗鬼にまみれながらも操作を続けてみたらこれがどーした、日付を選びカテゴリーを選ぶ画面へとたどりつき、そのまま購入確定の画面へと進んで挙げ句に見事1枚、チケットをゲットできてしまったよ驚いた。

 さすがに良籍の「カテゴリー1」こそ既に品切れになっていたみたいだけど、リザーブだか予備だかのシートを開放した観のある売出しで手に入れた「カテゴリー2」の席は「埼玉スタジアム2002」の羽根状に広がった上層部の中段から上段にかけてのほぼ中央で、見おろす感じのピッチで繰り広げられるだろー試合のすべてが視野に入るなかなかの良席なよーでここにもまたひとつ奇跡が起こったと感嘆する。問題は上に当然ながら屋根のないことだけど振るなら雨より雪の季節(ってほどでもないけど)なんで防寒具で固めていれば吹きすさぶ空っ風も平気に試合に燃えられそー。何よりアルゼンチンが出してきたメンバーのアイマールがいてベロンがいてサビオラがいてリケルメがいてってな豪華さに雨が大雪でも雷であっても気にせずむしろ追い風と楽しめそー。平日なのが難だけどそこは万難を排して駆けつける所存、関係当局にはこの日に重大な発表とか会見をしないよーにお願いします、しやがったら呪ってやる。

 なるほど底力があるとこーゆー商売も出来るのかと感心した「アマゾン・ジャパン」の新サービス「Amazonマーケットプレイス」。アマゾンが仕入れて売る本とかその他の商品の類をは違って第三者がアマゾンの軒先とそれからバックヤードも借りて行う商売で、個人でも企業でも登録すれば中古品でも新品でも他のアマゾンの商品と同じよーに並べることができて、買う方も他のアマゾンの商品と同じよーな操作で買うことができる。値段はもちろん出し手の自在で中古だったら新品よりも当然ながら安い値段が付けられていて、ページを見ながら値段を比べて新品じゃないけど安いからいーかって感じでそっちを選んで買う人とかその反対に安いけどでも新品の方が好きって選んで買う人とか出て来そー。中古だけのオンラインショッピングでも新品だけのオンラインショッピングでも出来ない、お互いの切磋琢磨が出来るって寸法。いや面白い。

 売りたい人なり企業は銀行に口座を開いて名前も明かしてから登録しなきゃいけないって部分に妙なものが妙な人から出品されて買った人が妙なことになるってゆー事態を防ぐ仕掛けがあって、オークションのよーななんでもありな面白さはないけど安心して中古品を購入できる便利さは担保されている。出品料の100円とそれから成約料の代金の15%とゆーショバ代がはたして商売の上で思いか軽いかは分からないけど米国だと総取引量の結構な割合がこの「Amazonマーケットプレイス」になっていることを考えると、ショバ代を払っても利益が出るなりメリットがあるよーな設定になっているんだろー。ともかくもスタートしたばかりのサービスに、これからどんな品物が出てくるのかって辺りに関心を配りながら、時折出ている品物を眺めてみよっと。ゲームの中古販売比率とかってのにも興味津々、あんまり凄いよーだと後で再びの係争再燃なんてことになるのかな。

 確かに底力はあるんだろーけど幾ら何でもちょっとと思えて来た「スターバックス・コーヒー」。大手町には前からKDDIのビルに1軒店があって周囲の会社の女性とか外国人とかが買い出しに来て例のカップを手に持って、歩道を通って自分のオフィスに戻る姿を見かけていたけど、道路を挟んで隣のブロックにある「サンケビル」がこの10月、地下部分も含めて完全オープンした折に1軒「スターバックス・コーヒー」が入ってKDDIの店と大手町あたりの顧客を2分するよーになったかと思いきや、さらに道路を隔てた隣のブロックにある「大手町ビル」の地下部分にもこれまた「スターバックス・コーヒー」が「サンケイビル」とさほど日を経ずしてオープンして、3つの並んだブロックに3軒の「スターバックス・コーヒー」があるとゆーチェーンストアのマネージメント的に果たしてどーなのよ、ってな事態が起こっている。

 もとより「スターバックス・コーヒー」って割に近い場所でも平気で店を出してたりするんだけど(日本橋の地上と地下とか)、立て続けの2軒を含めた大手町の3軒ってのはちょっと多すぎるよーな気もしないでもなく、いずれどこかが滅びるかと想ってながめているとこれがなかなかに各軒とも盛況で、日本に入って来てはコンビニエンスストア並にひろがって初期のそれこそ銀座の松屋裏に第一号店が出来た時のよーな有難みはまるでなくっても、味と満足度でもってブランド価値をすっかりと定着させては、3軒が複合的なパワーを発揮して3倍どころか5倍10倍の顧客を集めるよーになったって印象を抱く。

 むろんこれが未来永劫約束されたブランド力とは限らないのが商売の世界で、地域によっては無茶し過ぎた挙げ句に雰囲気ぶち壊しな店もあったりして今後の課題になっているんだろーけれど、その辺りをコントロールできるだけの了見もこの何年かで得たみたいなんで、当面はこのままどころかさらに隣、そのまた隣とブロックごとに店を増やしていずれは丸の内から有楽町から内幸町へとすべてのブロックのすべてのビルに、あの緑の星が輝く時とか来てしまいそー。それでも「スターバックス・コーヒー」で買わないだろー僕は未だにフラペチーノとか何とかゆーメニューの頼み方が分からず「本日のコーヒー」しか頼めない田舎者です。「ドトール」のブレンドがやっぱりおじさんには気が楽だ、あと「プロント」とか。


【11月5日】 「超重神グラヴィオン」とやらをやっとこさ見る。かの大張正己さんが大いに関わっているってゆーからきっととてつもない作品になっていると期待したんだけどパッと見ごくごくフツーの巨大合体ロボット物で、お色気もあったりするけど「ナジカ電撃作戦」程たくさんの三角が見える訳でもなく、燃えるシーンもない訳じゃないけど高らかに鳴り響く音楽が印象的だった「勇者王ガオガイガー」とはテンションがちょっと違っていてつかみ所に困る。なるほどブルンと揺れるには揺れるけどラストに申し訳程度に揺らすんだったらそんなものはいらない、あらゆる場面で揺らしまくるからこその圧倒感だと思うんだけど。絵の手当がやっぱり大変だったのかな、揺らせばその分枚数もかかる訳だし。

 それより何よりキャラクターが大張デザインじゃないのが個人的にはガッカリで、人によってはあの独特過ぎるデザインに激しい拒絶反応を起こしてしまうみたいだし、あの雰囲気を全話通して描ききるのも大変だろーとは思うけど、未だに傑作と個人的な記憶に輝く「VIRUS」を筆頭に「ゴウカイザー」とかその辺の、いかにもなキャラクターが織りなす緊張感たっぷりなアクションに思いっきりハマってしまっている目には、いかにもな美形と美女と美少女がどーにも物足りなく思えてしまう、とりわけ大張アニメと言われている作品だけに。それでも搭乗員ごとロケットパンチが飛んでいく描写とか、無駄に無理する所はいかにもでこんな莫迦っぷりがもっともっと出てくれば、真夜中の眠い目を醒まして見るに吝かでない。のであとちょっとのお色気にあとちょっとの突き抜けっぷりを期待して次週以降の展開にエールを贈ろー。でもやっぱりこれからはビデオ撮りだな。

 相撲ばっかりしていると人間は相撲体(すもう・からだ)になって体に脂肪がつきまくり、三大成人病にもかかりやすくなることはおそらくは医学界の通説なんだろーけれど、そーした相撲の害悪についてはお首にも出さずに相撲を礼賛しまくる一方で、杜撰きわまりないデータをもとに未だ学術的なお墨付きすら得ていない俗説どころか珍説に属する「ゲーム脳の恐怖」なんてものを信じ込んではゲームのやりすぎを非難する、内館牧子さんとゆー人のユルさぶりにちょっと呆然としてしまった「週刊朝日」11月15日号連載「暖簾にひじ鉄」。題して「インターネット漬けの恐怖」からは、権威を帯びてしまった人の無知から来る言説が、どれほどまでに世に害毒を流すのかってことが反面教師的に浮かび上がる。

 ゲーム嫌いがゲームを非難するのに「ゲーム脳の恐怖」を引いて来るくらいだったらまだ分かるんだけど、囲碁の素晴らしさを語る上でゲームのろくでもなさを証明するために「ゲーム脳の恐怖」を引いてきた所で大爆笑、だってあの森昭雄教授とやら、「ゲーム批評」での新清士さんのインタビューに囲碁将棋の類すらパターン化して覚えるって点で「ゲーム脳」を招くと行ってたりするんだから、それをゲームは「ゲーム脳」になるから悪で囲碁はオッケーってな感じで持ち上げる囲碁好き(ってゆーか12歳のプロ棋士好き)の贔屓の引き倒しぶりには笑うより他にない。きっと彼は「前頭前野が壊れるほど」囲碁に夢中になっているんだぜ、なのにどーしてゲームで前頭前野を壊してしまった人を相手にするよーに「爆笑し」ないんだろー、もしかして12歳の棋士くんはアンコ型なのかな。それともソップ型とか。

 まあこの程度なら害は害だけどゲームに理解のない人の「待ってましたよ大統領」的持ち上げっぷりだと思って思えないこともないけれど、後半の方で「インターネット漬け」とやらを非難する文章には呆然を通り越して愕然としてしまった。なるほどコーディネートを頼まれてネットで情報を漁る人がいない訳じゃないし、ネットで調べて駄目だったんでそう報告する人がいない訳じゃないけれど、だからといってインターネットを使う人のすべてがそーした「インターネット漬け」的な精神構造に陥るかの如くの風説を撒き散らすのには合点がいかない。

 たまたまそーゆー人に出会っただけではないのか。でもってコーディネーターにしろ編集者にしろ、頼めば何かをしてくれる人を侍らしている自身がスタッフを「過剰に利用する」だけで必要なことには自らかかる術を忘れているのではないのか。デジタルを非難したいが余りに、「潮」とかゆー必ず毎号偏った傾向の記事が抱き合わせで載る雑誌の対談で読んだ棋士を持ち上げたいが余りに、ゲームなりインターネットを確かに存在はするネガティブな面ばかりを強調して検証もなく取りあげてみせる態度をこそ、「創造力や判断力が失われ」た状態だと言うべきなんじゃなかろーか。問題は筆者がそう言うことではなく、それをこれまた検証もなく諾々と掲載するメディアにあるんだけど、「週刊朝日」にそれを言うのも詮無いこと、なんでまあそーゆー意見も世の中にはあるんだってことを、ゲームで培った想像力にあふれた若い人は理解し暖かく見守りましょー。

 なるほど屁理屈も重ね通せば理屈になるんだってことを痛感させられた田中啓文さん「蓬莱堂の研究」(講談社ノベルズ、880円)。すなわち駄洒落も一種の言霊であって似た言葉には意味があるんだってことを言われてしまうと、イタロ・カルヴィーノがイタコであってもあるいは河童絵に備前焼であっても、そうなんだからそうなんだろーと思うより他にない。参りました。今はまだ400枚程度しか書かれていないとゆー「ハヤカワSFシリーズJコレクション」は塩澤快浩編集長が駄洒落を禁止しているそーだけど、駄洒落ではなく言霊としてきっとふんだんに使われて作品に散りばめられて、読むほどに深淵なる言葉のネットワークにハメてくれることだろー。それにしても大食いな癖して見た目はスレンダー、実はトンデモ重力な主人公の少女の造型たるや、過去あまたある格闘美少女も適うまい。3話ではまだ全然終わっていない謎解きのために続編続々編を早く書き上げては比夏留ちゃんの爆食ぶり爆発ぶりを見せてやって下さいな、駄洒落……じゃなかった言霊の利いた必殺技ともども。


【11月4日】 別に誰かとどこかに流れる訳でもなしに、池上永一さんが「レキオス」だか何かを書くときのバックに延々と鳴らしてトリップしていたとゆー「アンドロメダの異星人」を珍妙な格好で唄うあれは男だったんだろーか、ちょっと分からないけど不思議なステージが正門横で繰り広げらっる様を目にしつつ、ひとり寂しく早稲田大学での「奥泉光講演会」から帰ってさあ本でも読もう、それからサッカーの中継でも見ようと思っていたけどこの数日、妙に眠気が体を襲って耐えられず、布団をひっぺがして椅子の上でベッド方面に脚を投げ出し丸まって眠って起きたら朝だった、「りぜるまいん」見逃した。

 そんなこんなで迎えた三連休の最後の日、もはや静岡に「大道芸フェスティバル」を見に行くゆとりもなければ浜松町で開かれている人形の即売会をのぞくだけの気力もなく、起きた時と同じよーな格好でひたすらに本を貪り読む。「第9回ホワイトハート大賞佳作受賞作」の桂木祥さん「仙姫午睡」(講談社X文庫ホワイトハート、580円)は八百比久尼の伝説に題を取ったファンタジー。海で溺れて生死の境にあった桐生泉はかろうじて蘇生を果たしたものの以前の記憶をすべて失ってしまっていた。何も思い出せない学校に通うようになって3年経った泉の周辺に、黒い服を身にまとって顔の半分を眼帯で覆った男や、銀色の眼差しを持って銀色の髪をした青年が現れては泉の失われている記憶を揺り動かす。

 永遠の命を持ってしまったものの哀しみと、永遠の命を知ってしまったものの妬みとの果たしてどちらが幸せなのかってことが問い掛けられる物語がなかなかに深淵で、ひとつまたひとつと事の次第が明らかになっていく展開も新人には見えないほどに巧み。江ノ島の伝説に幾つか残る人魚伝説を絡めて現代風に仕上げてみせる採話と再話の力にも感心する。これが佳作ってことは上に来た大賞作品はよほどに凄いものってことになりそーで、出るのが今から楽しみ、ってとっくに出ているよ、読んだかまるで記憶にないのは耄碌した証拠かも。

 選考委員の夢枕獏さんは神さまの必然性のないチャンポン具合に萎えている感じがあるけれど、国によって呼び名が違うだけで象徴するものは同じってのが神さまの世界だから別に気にしない。ラストシーンに立ち現れた女性がやがてエマノンみたく世界を見ていく、なんて話も書けそうだけどそーゆー話でもないんで次は抜群の構成力と耽美で静謐な筆致を他の伝説の再生なんかに活かしてみては如何。殊黎皐夕さんのイラストはちょいエグいけどなかなかに美麗で目に鮮やか。作品に合ってます。

 神さまのチャンポンてったらこっちのほうが凄い七尾あきらさんの「ハートレス・ハート」(角川スニーカー文庫、533円)に登場する神さまは、素戔嗚尊がハディートでアーレスってことはマルスでマハーカーラってっんだから古今の冥府と戦の神さの六神合体ゴッゴマーズ状態。とにかく圧倒的なブラックパワーの象徴として描かれているんだけど、なぜか世界を暗闇に包み込むでもなく、死んだフリしては酔ってくる妖怪変化を食べて日々を送っている。

 そんなスサノオの所に迷い込んで来たが記憶をすべてうしなっていた生き霊の娘。おまけにスサノオをもたじろがせる力を持っていて、興味を持ったスサノオは彼女が消えてしまわないよー知り合いの蛇女神に頼んで小さくしてもらい、連れ歩いて彼女の実体を探すことにした。寄ってくる化け猫娘や生き霊娘の実体の同級生だとゆー見鬼の力を持った楓とゆー名の少女とかを巻き込みつつ、実体を探して歩く一行の前に立ちはだかったのは、日本の妖怪変化を統治する霊課と呼ばれる組織のくびきを逃れようとあがく妖怪たちだった。

 日本中の妖怪が怯え隠れている霊課って存在を、天下御免の力を持って向かう所敵なしと暴れ回って来たスサノオがまるで関知していなかったのはなかなかに微妙な設定だけど、大物過ぎて些事にはとらわれなかったと思えばまあ納得。それよりひと悶着が片づいたこの巻の後に来る、ちょっとばかし「霊都清掃こいまげ」あるいは「魍魎遊撃隊ジオブリーダーズ」もしくは「HAUNTEDじゃんくしょん」な展開のなかで何ら頚城も柵も持たないスサノオ様が、まあとりあえずはハンディは与えられたよーだけどそれでも依然として最強最悪な神さまがどんな役回りを演じるのか、得体の知れなさではスサノオの上を行く霊課の課長の役回りなんかも含めて興味をかきたてる。とりあえず出るみたいなんで期待。西E田さんの描く眼鏡っ娘主人公は可愛いなあ。原寸大模型を付けてくれないかなあ。

 さらに新井輝さんって人の「恋愛極刑ハイスクール1 ソレデモ僕ラハ恋ヲスル」(ファミ通文庫、640円)を読む。女性ばかりの学園に転校して女性に触れられないってハンディを追いながらも巨乳美少女とドジっ娘メイドと悪口なノーマッド的人形使いの無口な美少女と格闘美少女とちんちくりん少女(美かは知らない)に囲まれウハウハでドタバタな生活を堪能するギャルゲー的なストーリーにちょっと笑う。

 が、それも半分くらいまでのこと。いきなり「ジョジョ」的スタンドバトルに突入して呆然とする。どこが「美少女わんさかコメディ」やねん。前半のコメディと後半のシリアスの配分がキャラの激変ぶりも含めて今のところ違和感ありありで、65Gのブラとか買ってあげて立ったフラグの処置とかヤキソバパンにソフトクリームい100万円が出てくる猫型ロボット的なトランクのアイティムの処置にも悩むところではあるけれど、1巻って打ってある以上は2巻が出ることは確実だろーから、そこで1巻の前半のお気楽な部分を払拭するよーなスタンドバトルでも見せてやって頂ければ納得して本を置こう。お笑いとしか思えないキャラがどシリアスにバトルするってのもまあ、面白いかもしれないし。


【11月3日】 「ぼくたち出てないよー」って陽気そーに言ってて君たち哀しくないのと、呼びつけて1時間くらい説教してやりたくなったけど、出てくれなくて良いとも昔、書いた手前もあるからちょっぴり悩ましいところ。極楽気楽に放映をつつける「ギャラクシーエンジェル」は新キャラクターとして毀誉褒貶のまっただ中にあるコモモ&マリブの2人にまるでと言って良いほど出番が回って来なくなっていて、久々に真っ当に出た場面が前半、異性に飛ばされ「ヤングキングアワーズ」連載の井上博和さん「みのりの日々」に出てくるメイドロボットの「とく子さん」に雰囲気似ているウェイトレスロボットに食い逃げを疑われて追いかけ回されピンチな蘭花さんが連絡を取った場面でチラリと愚にも付かない会話を交わす程度とゆー扱われよう。第1話でのエンジェル隊をしのごーかとゆー活躍ぶりが、もはや前世紀のことのよーに思われるほど目立ってない。

 でもって中間のアイキャッチの後半へと移る場面で再び登場しては、毎週同じにこやかな笑顔の絵ながらも声でさっきのセリフを話すとゆー、実にこれまた悲惨きわまりない扱われ方に、どーしてこんなことになったんだろーと目からおいおい涙を流しつつ口元をニヤリとゆがめて「フッフッフ」と、笑ったりはしません心では笑っているけどね。まあ今週の脚本の人がたまたまヤングなガキに辛い人でミントさんの耳パタパタ(飛べるんかい?)とかヴァニラさんの雀取り4枚重ねとかを存分に見せたいと遺産だ結果、申し訳ないけどツインスター隊にはお引き取りを願っただけだとは思うし、2つくらい脚本を書いたとゆー人の話でも1本は出せなかったけどもう1本にはちゃんと出すって話していたから、残る何話だか何十話だかあるうちの少なくとも1話くらいには、扱われ方は分からないけどちゃんと出て「ぼくたち出ているよー」って所を見せてくれるだろーから、いないとは思うけどファンの人は首を長くしてその時を待ち焦がれてくださいな。でもやっぱり雑魚キャラ扱いなんだろーなー、「PKO」はシアワセだったなあ。

 合間に流れた超久々な「ゲーマーズ」本体のテレビCM「でじこ」版。「なんでゲームがないんだよー」と土手で兄貴が叫んでた時代はさておき「うぇるかむまいはーと」とゆー半分素人っぽい歌声をバックに頭に鈴と猫耳つけたイカニモなキャラがドジやりながら「待ってるにょ」などどほたえてたCMに脳天カチ割られ、そのCMソングを収録したCDを購入してしまって以来の熱烈歓迎な野郎としては、今ふたたびの「待ってるにょ」のCMには感無量なものがある。短いなかにも盛りだくさんで誰が出て何をしてたかについては録画を分析する必要があるけれど、ひとつ「うさだひかる」にとってもよく似たキャラが出ていて「うさだ」に絡んでいたのが気になる所で、単なる鏡でない以上はあるいはうさだの姉とか妹とか、ブラックうさだとかいったキャラとして何時か始まる(願望)シリーズで、得体の知れないところを見せてくれることだろー。しかしこの新キャラに先週の「横浜アリーナ」で気付いた人は偉いなあ。

 その気付いた人が来てるかどーかは知らないけれど「ギャラクシーエンジェル」を見終わってサッカー「天皇杯」の決勝のチケットをとりあえず確保できて浮き立つ胸を押さえつつ、「青山ブックセンター」で開催されてる「文学フリマ」ってのに出かける。何しろ死んだかと一時思われていた「ブンガク」が頭に付いたイベントだから、一体どれくらいの人が集まっているのか心配半分、冷やかし半分の所があったけれど到着すると「文具会館」並に手狭な中を大きな部屋1つに小さな部屋3つを占拠して合計で50くらいは卓が並ぶ、出店者的な盛況ぶりに加えて来場者の方も割にひっきりなしに訪れる賑やかさで、これでなかなかブンガクもしぶといもんだと意外ながらも喜ばしく思う。

カベギワサークルを部屋の奥に配してはイケません  入ると何やらやたらと行列が出来ている、今回のイベントでは「壁際」的な役割を一身に担っているサークルがあって何だと思って聞くとこれが吃驚、あの「水没ピアノ」とかの佐藤友哉さんの同人誌でありました。目の前で品切れになって買えなかったけど表紙には西尾維新さんとかって名前も書かれてたり、張り紙には舞城王太郎さんの名前もあったりと、業界の周辺から人を集めた内容で、中身の方は読めなかったんで分からないけどそれなりに佐藤友哉さん節の利いた話になっていそーな感じで、買えたファンにはおそらくはたまらない1冊い仕上がっていたみたい。売り切れてからも行列は途絶えず挨拶に来る人サインをもらいに来る人がひっきりなしの人気ぶり、なのにどーして売れないって悩むのかが分からない。今回の行列ぶりを見てきっと自信も深まったことだろーから、遠からず華麗に新作をひっさげて「講談社ノベルズ」から現れる日を待とー。買うかどーかは知らないけれど。

 歩いていると知った人がいてその隣で売り子やってた人からホチキス留めのコピー本を手渡されて見て仰天。それはもー大昔の前世紀に「金色の魚」(朝日新聞社、1500円)ってなかなかの傑作を世に問うてから幾歳月が流れただろーか、あとがきに、「私はここから、どこかをめざしていけるのだっ」って書いて目指した場所が宇宙だったか地底だったかしたんだろーか、まるで噂も聞かなくなって「あの人はいま」状態になってた竹森千珂さんって人に敢行したインタビューが掲載されていて、近況なんかも書いてあって食い入るよーに読み込む。作品はなかなかに多感な感じがあったけど時間も過ぎてこなれたかしたのかインタビューに答える言葉は割に姐さん風。国費をもらってた学生から文学賞の賞金100万円のうちの10万円も税金を持っていくとはどういうことかと憤り、もっと巨悪を追えと訴える口調には小説から感じたセンシティブな作者って雰囲気は抜けて、いい感じに成長しているよーな印象を受ける。たくましくなってるってゆーか。

 読むとライター仕事とかしていたみたいで、だったら小説は書いてなかったかとゆーとジリジリっとは書いていたみたいで、知らなかったけど春に開かれていたホームページにはそのうちの何本かが掲載されていたりする。何よりもらった冊子に掲載されたご本人の写真がなかなかの美人でおまけに眼鏡っ娘。写真がモノクロで今ひとつハッキリとはしないんだけれど見よーによってはグラマラスな感じもあって、美人でグラマーで眼鏡っ娘とゆー三重苦ならぬ三重楽を背負っての再登場となった暁には、その筋のファンがわんさと押し掛け本は10月23日午前6時のハリポタ状態、飛ぶよーに売れるしサイン会などした日には紙袋下げたスニーカーな野郎が並んで握手を求めることになるだろー、でもってその中には僕もいるって寸法。なので編集の人は早く作家を抑えにかかり、同窓の平野啓一郎さんなんかより若くはないけど見目十分な才媛で、おまけに性格も奥深そーな竹森さんのパワーがフルに発揮できる場所を与えるべし。歯並びも良いそうだ。

 歩いていたら「カエルブンゲイ」もお店を出しててアライユキコさんと米光一成さんが名著「ベストセラー本ゲーム化会議」とか「カエル缶バッジ御神籤」とか売ってて100円払って御神籤を引いたら「凶」だった、運がねえなあ、やっぱり。「ベストセラー本ゲーム化会議」は最近流行ってる本をゲームにしたらどんな感じになるんだろ、ってゆー切り口が特徴の本でたとえば中原昌也さん「あらゆる場所に花束が……」だったらトレーディングカードゲーム、「バトル・ロワイヤル」だったらオンライロールプレイングゲームといった具合に、流行った本をゲーム業界人ならではの知識に照らしてゲームになぞらえてみた企画本、のよーみ見えてその実本に書かれてある内容を読み込み特質をとらえるとゆー書評家的な作業をまずはこなした上で、ゲームとゆー別のジャンルに置き換えて見せて、本好きにもゲームマニアにも納得の行くものに仕上げて見せるとゆー超絶高度な技法を繰り出してみせた本で、現役ゲームクリエーターでなおかつ本にも造詣の深い米光一成さん、飯田和敏さん、麻野一哉さんの3人だからこその本だって言えそー。

 そんな貴重な本とそれから、あの迷著(迷惑な著書って意)「ゲーム脳の恐怖」をゲームにしたらどーなんだろう? って試みが繰り広げられた10月18日の「ロフトプラスワン」でのイベントの模様を収録した小冊子が売られててどーして佐藤友哉さん家より行列が少ないのかは謎、それが若さと妹力(いもうと・ぢから)って奴なのか、友哉さんの。同じ若さだったら何故か出展していた吉川良太郎さんも若さは十分だしルックスだって伸張だって全然負けてなかったりするのに、前を素通りしていく人多数(僕とか)であんまり目立ってない。表で煙草を吸ってる吉川さんともう1人の横で知らない人のフリして(知らない人だし)会話を聞いてたらやっぱり友哉さんの人気が気になっていたよーで「呪わしいねえ」って話している声が聞こえて、SF界超期待のホープで他人からうらやましがられている人がそんなこと言わないでくれよう、吉川さんを呪っている人もきっと沢山いるんだぜい、って気になる、けど実際あの行列を見ると誰だって呪わしくなるよなあ、そんなんで売れてないって落ち込んで見せるんだから佐藤友哉さんも罪な人だ。

 早稲田大学で開かれる 奥泉光さんの講演会を聞きにいくみたい(ってゆーかいたけど、早稲田に、僕もいたから)で早じまいしてしまった吉川さんご一行を目で追いつつしばしの散歩。「風姫 天を継ぐ者」(エンターブレイン、640円)って本が出ている七尾あきらさんの著書2冊が並んでいるサークルがあっていた人に聞くと同人誌に書いてるメンバーだったとか、皆さんいろんな経歴があるんだなあ、本人も見たかったなあ、美人なのかなあ、おっさんだったりして。大塚英志さんつながりからか福田和也さんが坪内祐三さんと「文壇アウトローズ」しててカメラマンとか編集者とか引き連れて練り歩いててなかなかな貫禄。大塚さんはと言えば鎌田哲哉さんと話したり佐藤友哉さんの行列のさばきっぷりに注文をつけたりと大忙しで、元来こーゆーお祭りが好きな人なのかなあ、って印象を持ったけどでも2回目は自分ではやらないっていっているから1回限りの責任感って奴なのかも。

 ササキバラゴウさんの卓もあって上に懐かしくも嬉しい「みず谷なおき遺稿集」とか置いてあって手に取りちょっとだけながめる。もちろん持ってるんだけど案の定出て来ないんだよね。買っておけば良かったかな、でもウェブからも注文できるか。謎だったのは「小説トリッパー」と「角川書店」のブースで「小説トリッパー」の方は午前11時半にはちゃんと並んでいたのに午後1時頃にはなぜか誰もおらず机の上も片づいていて撤収状態。あるいは食事に出ただけなのかもしれないけれど、コミケとかだったらありそーな「食事中」とかって張り紙もなかったから開始2時間で疲れ果ててしまったのかも。さらに謎は角川、ってゆーか「新現実」の販売ブースで最初は箱こそ置いてあっても人がおらず嫌味半分か「まだ来てない」って張り紙が張られてあって、それでも省吾過ぎには1人来て店を広げて「新現実」とか「ルーシー・モノストーン」とか売っていたけど帰ろうと思った午後1時半には既に誰もいなかった。売る気あんのかゴルァ、なんてことは言わないけれど食事とかではずすんだったら昼とか来たり午後来たりする人のためにご案内くらいはしておいて欲しかった。次回は是非、って次回はあるの?


【11月2日】 電車に乗ってたら前に立ってた女子2人、「シリウスがっこいい」とか「3人目のハンサムさんが出た」とか「ハーマイオニーかわいい」とか「ラドクリフ声変わり」とかってな耳慣れたキーワードを羅列して喋っている声が届いて来て、こーまで人口に膾炙するよーになったかと「ハリー・ポッター」のベストセラーぶりを今さらながらに痛感する。「カフカくんナタカさん」って聞こえてこないとろこを見ると40万部程度じゃまだまだ世間話にはならないってことなのか。数千から数万のSFが世の中的な盛り上がりになっていないのもうなずける、あっと「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」はSFだった、何せSFの神様の名前がついた賞をとっていたんだから。

 喋っていた2人は2人ともスレンダーとは対極のややぽっちゃり系で顔立ちは童顔系で服装なんかから見るに中学生くらいかなー、そのくらいで「ハリポタ」読んでファンタジックな話の面白さに触れていれば、やがて他のもっと奥深く小難しい話へと多感な青春時代をかけてのめり込み、将来立派なファンタジー者かあるいはSF者になってハヤカワのFTとSFを助けてくれるよーになるなー、なんて顔には出さずにほくそ笑んでいたら「2時限目とってなくってその間に本屋に買いにいった」とかって話になってアレレ。それでも高校生だったら単位制のところもあるからまだ間に合う、そのくらいからでも立派にFT者SF者になれると思っていたけど「講義が」「教授が」ってキーワードが耳に及ぶにいたってこいつら大学生じゃんと気づく。

 いや別にいいんだよ大学生が「ハリポタ」読んだって、でもそれがすべてでほかはなく、おまけにキャラ萌え的に愛でるのはいくらなんでもちょっとねえ、ここから次の本、次のファンタジーへと手が伸び目が向くとも容易には思えず、最初に抱いた期待も塵と消える。大学生なら大学生らしい格好してくれよう、ボディコン(死語)とかハマトラ(超死語)とか。しかしこーゆー状況を目の当たりにするにつけ、「ハリポタ」が売れて活字離れが減るとか、「ハリポタ」が入り口になってファンタジーが売れるようになるとかってなことに、以前聞こえていた程にはなっていないのもよく分かる、本が好きなんじゃなくって「ハリポタ」が好き、他のファンタジーが読みたいんじゃなくって「ハリポタ」の続きが読みたい、ってことでしかないんだろー。

 まーそれでも2000万部売れればそのうちの幾ばくかは小学生だって読んでる訳で、いったん書籍化された古今の名作ファンタジーもしばらくは店頭に(あるいは図書館)に残るから、長じていく過程で両者が結びついて化学反応を起こして本好きファンタジー好きSFもちょっと好きな人とかが生まれる、その種まきになってくれれば草葉の影から……は違ったシアワセに浸っているけどまだ生きてるJ・K・ローリングさんも、それならと意を決して続きを書いてますますの種まきにつとめてくれるだろー。種まかれに今はつとめている最中でも。

左右にゆっさゆっさを見れば中田市長が楢崎でも止められませんってば、でもカーンだったら……  電車は横浜に到着して交通遺児とか自殺者遺児のための募金に勤しむ女子高生たちの「おねがいします」コールに官能を味わいつつ(だったら募金しろよ)、市営地下鉄へと乗り換えて「三ツ沢上町」へ。「ワールドカップ」が終わった直後の最初に日本代表が登場する試合として見に行ったのと同じ「横浜FCvsセレッソ大阪」のカードが今度はさらにゲストもグレードアップして開かれるとあって、秋空の抜けるよーな青さ、だったはずがよどむ雲なんかも広がってきた中を見物に行く。試合開始2時間前の開場時間に着くと球技場の前にはすでに長蛇の列が出来ていて、横浜FCの地元での試合だってこともあるけどやっぱりゲストの効果も相当にあったんだろーと想像する、人気者だね中田市長。

 違います、市長も確かに来たけどそんなものは別に見たくもない。今日のメイゲストはどーゆー思いつきからか横浜FCのスポンサーになった「norika−net」とやらを率いるタレントで女優でモデルで美人の藤原紀香さん。大物中の大物だけにきっとサッカーは知らなくってもノリカを一目みたいって男性女性がワンサと詰めかけ球技場も前回の同じカードを上回る来場者でごった返すことだろーと、思いながら始まるのを待っていてなるほとしばらく前に見た「夢の島球技場」でのヴァンフォーレ甲府の試合に比べて入ってはいるけど超満員ってほどにはならず、最終的には8000人をちょい超える入りに止まり、ノリカといえどもJ2の試合を満杯にするだけの神通力はないんだってことを確認する。それでも普段のおそらく倍は集めた訳だから神通力は十分だったって言えるのかな、GLAYだったら2万人くらい集まったかな。

 さてもご登場の藤原紀香さんは上下をユニフォーム姿で固めて雨のパラ着くグラウンドから挨拶、遠かったけど双眼鏡でのぞくユニフォームの胸の、プリントされた「norika−net」のロゴを下から持ち上げる弾力に目を奪われ、これだったらもうちょっとだけ早く来て真正面の席を陣取るだったと悔やむ、あるいは12倍ズームのデジカメを購入しておくんだったとか。その後はグラウンドを横切って横浜FC側のスタンド前にあるゴールに向かって蹴球式、ゴールを固める長身の中田市長を相手に蹴り込んだ最初のボールは狙いすぎたか左にそれてしまったけど、そこはさすがに人気市長、即座にボールを元の位置へと置いてもう1回蹴りなさいと促したからノリカ大喜び。今度はまっすぐに蹴り市長はもちろん横っ跳びなどせずボールがゴールへと転がり込み、ガッツポーズで飛び跳ねるノリカの胸の弾力もきっと上下に弾んでいたことだろーけど、遠すぎて見えずおまけに向こうを向いていたんで感じすら味わえず、それでも同じ三ツ沢の空気を味わっただってことで満足する。市長もお疲れさまでした。

 試合の方はどちらもボールがよく回って面白い試合ではあったし、横浜FCが先制点を奪って御前試合ならではの発憤もあるかと思ったけどそこはひとりひとりの地力の差か、セレッソがゴール前の崩しから確実にボールをゴールに押し込むのとは対照的に横浜のシュートは放っても放ってもキーパー正面だったりゴールをちょいはずれたりして入らず、最終的には2対6って思わぬ点差になってしまった。追いつかれた後だか追い抜かれた後のモネールのフリーキックがゴールポストを叩いたのがある意味分岐点だったかな、あれが入っていれば気持ちも違ったかもしれない。

 けどセレッソの大久保にトゥルコビッチに森島の前3人の素早いパス回しとか正確なサイドチェンジとかクロスを見ると、瞬間の判断力の部分でボールを持ちすぎてたきらいのあった横浜が詰めきれずに点差を広げられたのも仕方がないのかな。ゴールキーパーの力ってゆーか判断力に若干の差が見られたよーな気もしたし。これがJ2でも昇格争いとするチームと降格争いに苦しむチームとゆー立場の違いに出ているだろー。モネールはボールをそらす場面もあったけど持つとさすがに巧かった。フリーキック入れてヒップダンスを見せて欲しかったなあ、サッカー的にはノリカのバストアップよりもそっちの方を見たかったよ(ちょっとウソ)。


【11月1日】 スポーツ新聞を開くと「松」で始まる人の大きな記事が出ていて、一家をなして業界の頂点を極めた感すらあった人にしては、ってな割り切りぶり決断ぶりを見せてくれていて驚く。なるほど確かに肉体には相当の自信を持っていたんだろうし見る程にプリプリとした弾力性が服の上からでも感じられるヒップをもっと、それこそ世界の人たちに見てもらいたいって気持ちをプロなんだから持っていて当然だけど、公衆の面前でいくら何で黒い下着まで見せててしまうのはちょっと行き過ぎのよーな気がしないでもない。はちきればかりになったヒップの丸みを帯びたラインがもー目の毒で、横からのぞく前側の盛り上がり具合に脳貧血を起こしそーになってしまった、頭から下半身へとぜんぶ血が降りていってしまって。

 えっ、黒い下着でお尻プリプリだなんてスポーツ新聞のプロ野球面のどこに乗っているの、そんな格好をした松井選手に血をたぎらせるあなたってもしかして、って思ったのならそれは違うととりあえず弁明、そりゃあの大きなユニフォームのお尻をパンパンにさせてる巨人の松井選手の肉体に興味がない訳じゃないけれど、ここで問題にしているのは「松」は「松」でも松阪慶子さん、載っているのは芸能面でそこで50歳になってもなおタルんだ部分のほとんどない、ふっくらとして丸みを帯びて触ると弾けてしまうんじゃないかと思わせるプリプリな肢体を黒いショーツとキャミソールで包み足にはガーターベルトで吊ったストッキングとゆー、まさに「娼婦」のよーな格好で「時には娼婦のように」を熱唱している姿が堂々掲載されている「サンケイスポーツ」を見て、これほどのものを堂々の舞台で拝ませていただけるんだったらチケットを買おう、最前列は無理でも前の方を買って熱い視線を浴びせようと強く激しく思ってしまった、まだ買ってないけどね。

 あんまりに衝撃的だったんで他の新聞では別の角度からの写真を拝めるかもしれないととりあえず「スポーツニッポン」を買ったら、「松」の本命な記事は載っていたけど松阪さんのはなく、「日刊スポーツ」は載ってはいたけどモノクロで、おまけに縦に歪曲したかのよーに顎の下あたりがちょっと段々になっていて首ってものが消滅してしまっている感じがあって、燃える激情が心底からわき上がろーとしていたのをスポイルしてしまう。どーしてこんな加工をするんだろ「日刊スポーツ」、胴体も何だか横に広がっているよーな感じがするし。まあいい見ればきっと大昔にテレビでまみえて感動しつつ官能もした「愛の水中花」の夢ふたたびなスタイルを、鼻からダリーを吸い込んでいたよーなあどけなさの残る表情顔立ちといっしょに舞台の上から見せてくれるだろーから。そのためにも縦に人の体を伸ばして見せる眼鏡を今から注文しておかなくっちゃ。

 それはともかく本当にメジャー行きを発表してしまった真打ちの「松」の方の松井選手、何だかんだ言ってもそこは大巨人の超4番として大活躍している人だし、性格も温厚で義理人情に硬そうで我が身のためならなりふり構わないって感じでもなく、周囲の引き留めを受けて間際で勝手な世間の観測をふりはらい、残留を発表して日本球界のためとか何とか言うんじゃないかと思っていけど、そこは北京がジャワな感じに見えても、あるいはイエティがサツカッチで山父に思えても現代っ子、義理人情とか恩義とかいったものに縛られることもなく決断したところに、世界を知ってしまった人の心はもはや相手がワンマンマンでもミスタープロ野球でも偉大なる首領様であっても翻せないんだってことを痛感する。

 野茂選手が渡米した時はどちらかといえば反逆児が去ったってイメージがメディアなんかにはあって、日本は日本で盛り上がろうぜって空気も漂っていて喪失感はそれほどなかったし、イチロー選手の時はなるほど偉大な選手が渡ったなあって感じはあったけど、日本にはまだまだ大打者がいるんだって安心感があった、すなわち松井選手がまだ巨人にいて日本の打撃の守護神として鎮座しているんだってゆー安心感が。でも今回、この松井選手が行ってしまうことで受ける喪失感のどれほどまでに激しいことか。松井はいなくても日本にはまだ○○がいる、って果たして胸を張って野球ファンが唱えて国民の大多数が納得する選手が思い浮かばない。

 マイケル・ジョーダンが父親の死を嘆いてNBAを去った時にアメリカが抱いた喪失感には及ばないでも、トッププレーヤーがトップのまま去ってしまう事態がもたらす、ジョーダンなき後のNBAの沈滞と同様のプロ野球のシラけっぷり、トッププレーヤーを超えるんだってゆーモチベーションが、目標を失って止まってしまうなんて事態が来年以降起こって来るのかどーか。別に全然野球ファンじゃないけど心配してしまう。かといってメディアが新しいヒーローを作り出そうにも、海の向こうで活躍するイチローを松井の打棒が受け止めたよーな役割を、人気面でも実力でも、ともに果たせるバッターって誰がいる? 西武の松井? タイプが違う。広島の金本? せいぜいが移れて巨人じゃん。 近鉄の中村? 松井の爪の垢を煎じて飲んでからFAのことは言え。

 ジョーダンの代わりとまではいなかいまでもカバーはできたシャックなりペニーなりってなニューヒーローがいればいいけど、野球の場合だとまるで思い浮かばない。ともあれ今はまだいなくなることが決まったばかりで、今後どんな影響が出てくるかも皆目検討がつかないんで、まずはどこに落ち着くかを見てそれから来年の開幕を間近に控えた日本プロ野球界の熱を見て、球界がどんな施策を打ち出し球団がどんな選手をプッシュしメディアがどんな記事を作ってヒーローをすくいあげてくるのかを観察してから、崩壊か発展かを判断することにしよー。とりあえずは日米野球にその最後の勇姿を拝みに行くか、チケットまだあったっけ。

 さすがは広井王子さん、時代をかぎわける感覚の鋭さは未だに健在のよーで、今まさに話題となっている事態にピッタリとマッチするゲームソフトを作って来年の春とかに販売を始めるとか。内容はタイトルから想像するしかないけれど、おそらくは警視庁の外事部に所属する刑事が対馬海峡を渡り板門店を超えて未だ残るアジアの独裁国家へと潜入しては拉致された日本人が遺した美少女とか、子供の頃からサーカスに入って綱渡りの芸を覚えようと日々鍛錬に励んでいる美少女とか、その才能を認められて偉大なる首領さまの支援のお膝もとでバレエを学んでいる美少女とかと巡り会いながら、迫る暗殺の危機を乗り越え独裁体制を打破して平和をもたらそうと頑張る姿を、現地に取材して撮影した白頭山とか万寿台とかいった名所の写真をバックに描き出すポリティカル・アドベンチャーゲームなんじゃなかろーか、「北へ。」ってタイトルのシリーズの続編は。

 なんてボケてる場合じゃない、99年にとてつもない期待を背負って発売された今はなき「ドリームキャスト」向けゲームソフトだったもののほっけが蟹でラーメンとかいった名産品が山と出てくる内容に、大勢のファンの熱烈歓迎を受けつつその後の消息を聞かなくなってしまったあの「北へ。」の続編が制作されることが決まってハドソンで会見があって、のぞいたら今も変わらない萌え度120%なNOCCHIさんの描く美少女たちのパネルが掲げられていて、当時はトレンドだった眼帯娘こそいないものの眼鏡っ娘の委員長系がいたり入院している薄幸系がいたりして、またしてもファンの気持ちを強くゲットしそーな感じ。札幌から北海道全土に取材の話を広げたそーで定山渓から網走番外地から足寄の鈴木宗男生家まで、各地の画像をながめながら美少女たちのおりなす淡いドラマを堪能できそー。エンディングはもちろん北方4島のまとめての返還達成、だね。


"裏"日本工業新聞へ戻る
リウイチのホームページへ戻る