縮刷版2002年10月上旬号


【10月10日】 「あずまんが大王」最終回の轍を踏むまいとネットとか調べて時間がちょい、繰り上がっていたのを確認してビデオ予約した「灰羽連盟」がちゃんと録画されているのを確かめながら「まんてん」とかチェック。これのおかげで早起きになった反動で夜が午前1時を過ぎると眠くなって仕方がないんだよなー。健康になれそーなのはいいんだけど。さても「まんてん」、息子夫婦が帰って来るからと見栄を張りつつ運動会への出席を拒否し続けてきた婆さんを相手に、満天が無茶をやり引っ張り出す場面を見て、誰かに気にかけてもらえるありがたさに涙しつつも、おしつけがましい善意が蔓延りかねない心配なんかを思って複雑な心境になる。

 強引に引きずり出す方法こそが正しいってな対ひきこもり戦略を繰り出す人なんかがいて、人それぞれに対応が必要ってな斎藤環さんと対立している本が確か出ていたよーに、成功するケースもあるけどそれがすべてにおいて正しいって訳じゃないんだけど、感動的な成功場面を見たがる人の多い朝の連続テレビ小説で満天のお節介による挫折を描くとは思えないからなー。そこは一般向けの番組と割り切るべきか。影響力の大きな番組だけに配慮を求めるべきか。何かを他人に伝えることって実はとっても難しい。

 「灰羽連盟」の方はこの前の「パイオニアLDC」の10周年記念イベントでの試写とほとんどそのまんまでラストがちょい付け足されたって感じ。プロモーション用DVDで見た血が飛び散り暗い廊下を進むビジュアルともキャラクターと脚本を担当の安倍吉俊さんが描く絵のタッチから漂う寒々としたイメージからもちょっとづつ違う、割にほのぼのとしてポカポカとした穏やかな印象が浮かぶ作品だって言えそー。物語はと言えばまずはカラスの飛ぶ姿。「lain」を想起しつつ雲海だかを落下してゆく少女が、目覚めるとそこは何かの繭の中、まるで記憶を失った状態で出ていくと、世話をしに何人かの少女たちが集まっていて、おまけに全員の背中に小さかったり中くらいだったりする羽が生えていることに気づく。

 灰羽と呼ばれる彼女たちは寄り合いつつも街で働いて糧を得ていて、少女もそんな灰羽の新米としていっしょに暮らし始めることになる、ってあたりが1話だけど、灰羽たちがこの世界にとってどーゆー位置づけで街から嫌われているのか忌まれているのか好かれているのか現段階ではまだ見えず、差別と戦う話になるのか失った記憶探しの果てに灰羽の謎が解ける話になるのも不明。展開によっては暗くもなれば楽しくもなるだけに、2話以降の展開をとりあえずは気にしたい。「お天気こわれてる」はないけど代わりに「キックオフ」があってこれが毎週変わるかどーかに期待。ところで天使の輪っかってフライパンで焼くものだったの? 何か食べられそーなんだけど、固いのかな、甘いのかな。

 それにしてもどんどんと有名になっていくところともかずさん。絵描きの間では多分向かしから知られた人だったんだろーけれど、一般とゆーか西原理恵子さんマニアの間では「できるかな」シリーズでおしかけアシスタントをされて絵を台無しにされて大変だった、土手線の微妙な盛り上がり表現具合でもって高い収入を上げてているって言われたかわいそうなイラストレーターだとゆー認識しか今もきっとないだろー。一方でアニメファンの間では、安倍さんが参加していた傑作名作アニメ「lain」でNAVIのレイアウト設計を担当していたことで有名だし、同じ安倍さんが「ニア・アンダーセブン」にもスタッフで名を連ねていたりしてかつて知ったるビッグネームだったりする。

 今回の「灰羽連盟」ではいよいよ監督として世界のフジテレビの番組に名を連ねていたりする訳で、もしも西原さんのファンで「できるかな」でのアシスタントされっぷりを見て笑っていた人がそrを知ったら、えっと驚くに違いない。あるいはフジテレビに西原さんのファンがいて、監督の名前を聞いて「できるかな」に出ていた人だと親近感から放映を決めたなんてこと、あったりしたら面白いんだけど、傍目には。あるいはその恩義なのか、あるいは別の怨義なのか「灰羽連盟」でところともかずさん、スタッフロールに西原画伯画似顔絵を掲載してるのに爆笑。いっそ西原さん、そんなところともかずさんのメッセージに答えて、今度はアニメの制作現場にアシスタントに乗り込み原画とか、動画とか描けばネタ話としてはとっても面白いことになるんだけど。アニメとしては……面白かったりするかも。

 朝刊を開くと「ノーベル化学賞」を受賞した田中耕一さんの奥さんの写真が各紙に掲載されていて、全国3000万人の眼鏡っ娘萌えな男子のハートを鋭く突いただろーと想像する。どこが娘だとゆー意見はもちろんあるだろーけど絶対年齢はともかくとして僕から見た相対年齢でいけばまだ娘だし、眼鏡をかけている女性の総称としての眼鏡っ娘とゆー考え方を踏まえれば相対だろーと絶対だろーと関係ない。なのでここは眼鏡っ娘奥さんノーベル賞風味と認識してその風貌を楽しむべきであり、スウェーデンで開かれる授賞式にも是非に出席してもらってNIIPPONのMEGANEKKOの神髄を広めて頂きたいと言っておこー。壇上で眼鏡をとってそのおそらくは美少女ぶりでもって全世界をハッとさせて下さいな。


【10月9日】 パイオニアLDCから届いた広告メールで久々にアクセスしたアニメ関連グッズの販売コーナーでアニメーシ ョン「サイボーグ009」の超高密度製原画の発売を知って、番組時代は最近とんとご無沙汰だけど燃え燃えだったスタート時に見たエンディングに登場する紺野直幸さん原画によるポスカかマーカーか何かで描いたよーなタッチの003の横顔の、うつむき加減の表情とそして適度な高さを持った盛り上がりに心惹かれていつか大きな画面で見たいなあ、なんて思っていただけにこれは行幸と喜んだのも瞬間、値段と売り方を見て気持ちがちょっと引き籠もる。

 見ると9人を3回に分けてそれぞれをセットにして発売するそーで、第1回目は002と004と008の偶数倍掛けトリオで第2回目は006と007と009の島村ジョー&お笑い2人組とゆートリオ漫才のよーな組み合わせ、肝心の003は3回目に001と005の赤ん坊&巨人のデコボココンビを従えるお姫様的な扱いでのリリースで、ジェットとジョーとフランソワーズの人気3人組が欲しいと思ったら全セットを買わなけりゃいけないよーなセッティングになっている。商売旨過ぎ。まあバラ売りしたらフランソワーズとジョーだけが突出して売れてピュンマがやっぱり人気薄になってしまうから仕方がないんだろーけれど。影薄いからねー、ピュンマって。

 フランソワーズが入ったセットだけ買うって選択もアリなんだけど価格が3枚で54000円とあってそれだけのため支払うにはちょっと躊躇してしまう。むしろ全部買ってしまった方が心も落ち着くってもので、0013のテレカっておまけも付くと聞かされるに至って現在、ひどく心が揺れている。来年だかに角川から出るらしー画集「サイボーグ009画集」に入ってるんならそっちに任せるんだけどなあ。同じショップでは「ルパン三世よ永遠に 山田康雄メモリアル」ってのが予約受付大気中。その昔に徳間書店から出たものにプラスアルファが付いた商品らしーけど徳間から出たのを持っていたかどーか曖昧なだけに一つお求めしておきたい所。10月29日から予約開始予定。それにしても似てるってだけで引っ張り過ぎた観のあるクリカンには、そろそろ隠居願ってまったく新しい声質のルパンを創出して欲しなあ。山ちゃん? 聞いてみたいなあ、誰かスパイクの声で絵はルパンなマッドを作ってみてくれないかなあ。

 3年連続のノーベル賞受賞でいよいよ来年あたりは信濃町のあの人が念願の平和賞に輝いて4年連続なんてことになるのかなあ、なんて妄想していたら意外や今年にさらにもう1人、受賞が決まったってニュースが入って来て信濃町もきっと大騒ぎだろーな、なんてことを考える間もなく受賞の対象が化学賞で受賞したのが島津製作所に勤務するエンジニアだとゆーことが判明。こーなればいっそ別の賞でも自分で作ってもらうんじゃなくあげる方に回って自分の名前を冠した方が、ダイナマイト野郎みたく永遠に語り継がれるから良いんじゃないかと言って差し上げたくもなる。どんな人を対象に挙げるのかは未定だけど。やっぱ思想と芸能とスポーツかなあ、カルチョとか。

 それはそれとして珍しいのは企業に勤務するエンジニアが受賞したって点。会社のお仕事として必要に応じてたぶん作った方法が、結果として世界先進のものとして広く普及したってことになるんだろーけどこの場合、栄誉はやっぱり田中耕一さん個人のものとなるんだろーかそれとも企業あってのものと分け合う形になるんだろーか。青色LEDの中村修二さんの例にもあるよーに、企業内での活躍はいくら先進的なものでも努めている企業に帰属するよーになってしまってて、それが不満で辞めたりお金を求めたりするケースがここに来てちょっと増えていて、だとしたらノーベル賞級どころかノーベル賞そのものを取ってしまった田中さんの”発明”に関しても、これから一悶着が起こるんだろーかって心配になる。

 記者会見に登場した田中さんを見るとナッパ服来て背後に丸十の島津マークを背負ってて、いかにも企業のエンジニアって雰囲気で企業の研究開発費を使わせてもらって最高の仕事をさせてくれてありがとう、ってな雰囲気が感じられたから、今日あしたのうちに大きくは変わらないよーに思うけど、ノーベル賞を取った人が勤め人としてもらう給料の額を引っ張って「スレイブタナカ」とかって言い出すメディアとか出てきた時に、浮かぶ波風が台風となって企業とエンジニアとのあり方に中村さん以上の混乱をもたらすかもしれない。企業にとっては戦々恐々の時代到来か。関係ないけどインタビューに答えていた田中さんお奥さんがスレンダーな眼鏡っ娘(娘じゃねー)で人によっては萌えるかも。登場しそーなニュースにしばらく要注目。

 あの「噂の眞相」に対に新海誠さんが登場! っても別に大々的に取りあげられてあーだこーだとウワシン的に持ち上げられているんじゃなく、「メディア裏最前線」の中の「ビデオ」ってコーナーにDVD「ほしのこえ」がめっちゃ売れてるってことをサラリと流した記事でおまけに、「早速、観賞してみたが、なるほどこれは売れるだけのことはある傑作だった」と絶賛してる。発売から半年近く経っての取り上げは何だか遅いよねって印象だけど、ギャルゲーにエロゲーにアニメのマニアの間でのムーブメントから一歩出るまでの時間を想えば5カ月なんて短い方。昨日のひきこもりイベントに顔を出してた萩原嘉博プロデューサーによると徳間書店から出たDVDブックがこれまた結構な引き合いだそーで、書店流通に乗って一般の目に触れた時に「これこれ」って手に取る人が出るくらいに話題が広がって来ているんだと言えそー。これで「朝日新聞」が「天声人語」で取りあげ「AERA」が「アエラ問題」の一貫として「ひとりクリエーターがトレンド」とかってな記事を掲載して更にスポーツ新聞の芸能欄に新海さんが出るなり今をトキメク浜崎あゆみさんとかモーニング娘。が「ほしのこえ好きっすよ」とかコメントを出すよーになったら、いよいよホンモノのメディア的文化人となって乙武さんの次くらいに来る若者のヒーローとして、「ワールドカップ」の観戦にだって行けるよーになるんだろーな新海さん。羨まし……くはないか。


【10月8日】 なるほど実はヤングアダルト界では二つ名の知られた大重鎮として人口に膾炙されている人だったらしーことがネットで検索して判明した(遅過ぎ)たつみや章さん、なのでヤングアダルトな読者にとっていい塩梅のキャラクター造形ストーリー設定が出来ていて当然っちゃー当然か。だったらどーしてこっちの名義で出したのかって謎も浮かぶけど、もしも大名跡の方でもって出されていたら「また出ているなあ」ってな感じに見過ごしてしまった可能性も大なんで、個人的にはむしろありがたかったかも。これを切り口に過去数多ある作品にも手を出してみたいとおろだけどザッとリストをながめるだけでもジャンルは多彩に50冊近くありそーだから集めるだけで大変。むしろ「松竹梅」シリーズでのお話の繰り出し方とかを楽しみに、これからの活躍を追い続けていく方が良さそーだし、こっちの名前で出してきた作家のある面でそれが希望だったりするのかも。だから是非にシリーズ化を。それにしてもやっぱりあんまり、猫に目玉は嘗められたくないなあ。

 その実力を例えるならば出版界で言うなら紀伊国屋書店の会長とかそのクラス、芸能界ならいわゆるドンと呼ばれる人たちのさらに先代レベルにまでさかのぼるだろー力を持った人ってイメージが頭にこびりついていただけに、昨日きょう社会人になって経済部に来て兜町の証券取引所を担当するよーになった若造の、株主還元がどーの当期減益がどーのといった立場上やむを得ないとはいってもまるで文化の香り漂わない質問にも、真面目に手元のペーパーをみながらそう言えと幹事証券から言われたかの如きに形式張った「厳粛に受け止め最大限の努力をします」的コメントを、粛々と語る姿がどーにもイメージと重ならず、しょうしょう戸惑いを覚えてしまった東北新社のジャスダックへの株式上場会見は、植村伴次郎社長の挨拶でありました。いや見れば滲む凄みは確かにあったけど。

 それにしてもな不運続きの映像・エンターテインメント関連企業の株式公開。しばらく前に日本ヘラルドのジャスダック上場会見にも出たけれどあの時も確か株式市場の地合いが悪くって、社長の人が「暴風雨だ」って言っていた記憶があるけれど、今回も「台風のまっただ中だったとは」と嘆息することしきりで、よくよく運がないとしか言い様がない。とはいえいくら地合いが悪くっても、やっている仕事の中身とそれからやって来た仕事の厚みを見れば潜在能力ってのは分かるはずで、それなりな評価が下されてしかるべき。にも関わらず他の銘柄のとりわけ地合いに超敏感な金融株が悪くって市況全体の脚を引っ張りまくったからといって、いっしょに下がるのはやっぱりおかしいとしかいいようがない。森を見すぎて木を見逃す、って奴か。

 あるいは市況が悪いからこそ売れる時期に売って公募前に割安で買っていたベンチャーキャピタルとか幹事証券とかいったあたりが利益を確定するなり損を最小限におさえるなりしたかったのかもしれないけれど、将来を見据えてするってのが本来の投資だと考えている身にちょっと理解しがたいし、理解できても同意はできない。もちろんかつては名門だからってこれからも名門でありえるかって言うとそうでもなく、とくに創業者のオーナーのがんばりと人脈が強くものを行って来た分野だとその創業者が鋳なくなってしまった後にガタつくケースも想定されて悩ましい。それでも歳に似合わずデジタル技術への造詣深いとおろを披瀝し新しいビジネスの種があると訴えるあたりに救いもありそー。先見の明が積み上げた貯金が持つ期間と、増える可能性を類推した上で考える必要があるだのだろー。

 それにしても世間がコンテンツこそ次代のビジネスであり日本の宝だと言うほどには、メディアのとりわけ経済あたりを見る人の認識は及んでいなくって、ゲームも新作ソフトの話なんてまるで関心を持たずに未だ新型ハードがどうなるのかに一喜一憂して、ハードのシェア争いがゲーム業界の勢力争いめいた思考の記事ばかりが掲載される。なので映画会社以上に何をどうやって糧を得ているのか見えない東北新社の、この人なくしては多チャンネル時代なんて1歩だって進まない植村伴次郎社長に向かって何でこの時期に上場なんてしたんだよ、手取り資金が少なくなったけど困らないのかよ、って聞いてしまう。エンターテインメントなんてやっぱりまだまだ”産業”じゃないって思っているのかも。とう新聞が思っている間に系列のテレビ局はよろしくやってお互いにいい目を見ていたりするんだけど。滅びるしかないのかなあ、新聞は。ってゆーか高踏で高邁なメディアって奴は。

 記事をぶちこんで異臭騒ぎに昨日は湧いた歌舞伎町にある「ロフトプラスワン」へとコスプレ店員を見に行く。一昨日は我らが「有言実行三姉妹シュシュトリアン」の雪か月か花だった彼女が今回は頭に勇ましくも「ひめゆり」と入れたはちまきを巻いてセーラー服姿で給仕をしていて、すそからのぞく立派な脚に目を奪われてどぎまぎとし、心臆しながらも「ちちちちっ青島ビールを」と頼むことができて「ロフトプラスワン」へと出向いた目的の9割9分は達成できた。万歳。単純に「ひめゆり部隊」の扮装だったのかそれとも何か映画のコスプレだったのかは話からなかったけど。直接聞けばいい? そんなことできますか、「ひきこもり」のイベントに少しでも関心を抱いて出向いた人間が。

 そうその通りでイベントはひきこもりの兄とうつ病の母親が住む家を久々に尋ねてビデオで撮影して兄をひきこもりから脱出させるまでを描いたドキュメンタリー映画「home」の上映前記念イベントで、壇上には監督の人と元ひきこもりで今はとりあえず直っているらしー兄の人と司会で精神科医の斎藤環さん、ひきこもり経験者として斎藤さんのイベントには欠かせない「ひきこもりカレンダー」著者の勝山実さんに統一しちゃう宗教にハマった両親から逃げてひきこもりになった大沼安正さんとそして、我らが(こればっかり)滝本竜彦さん。テレビにしょっちゅう出るよーな豪華さとは無縁の言ってしまえば地味なメンバーなんだけど、悩み多き現代社会ではなぜか「ひきこもり」系のイベントに大勢の人が集まるのが常みたいで、今回も場内はほぼ満席で、開会時には立ち見も出る始末で「ひきこもり」への関心の高さを改めて思い知らされる。

 あるいは今回、滅多に表には出て来ない滝本竜彦さんをその目でしかと見たい人とかワンサと集まっていたのかも、って思ったけれど壇上にあがった滝本さんが未だに本当に自分の本って売れているんだろーかもしかしたら陰謀でもって売れているよーに見せかけられているんじゃないかって言っていただけにいささかながらの不安も。それが解消されたのは休憩時間、壇上で始まったサイン会に結構な人が並んで滝本さんからサインをもらっていた姿を見た時で、その行列ぶりに当人もそれなりにファンが現実にいたんだってことを認識して、多少は心にゆとりが出たんじゃなかろーか。いっそもっと大々的にサイン会とかやっても存分に人とか来るんじゃないかと思うけど、すでに結構行き渡った本だけに100人200人と集めるのは難しい可能性も高いんで、いつになるのか分からないけど次回作の発売時には是非ぜひに、どこかでサイン会とか開いてやって頂きたいもの。夜の歌舞伎町は無理でも昼の本屋なら見たい人、絶対にいると思うよ、今日のイベントでそのルックスの良さが明るみに出て人口に膾炙されるよーになったこともあるし。

 イベントの方について言うなら「ひきこもりはいろいろだ」。一口で「ひきこもり」って括られて同じ状態にあると思われ同じ理由でそうなったと認識され同じ考え方をすると考えられがちなところがあるけれど、たとえば滝本さんはパソコンに触るしゲームもするけど「home」の主役になった兄の人はゲームになんて絶対に触らずむしろ唾棄している節がある。なった原因だって兄の人は潔癖性にひとつきっかけがあってそれが深化していった感じがあるし、大沼さんは新興宗教にのめりこむ親からの脱出が高じてこもるに至ったらしー。滝本さんは……ちょっと不明。あと要因として勝山さんは親がとにかくすべて悪いと言い切るけれど兄の人は脱した今から振り返って決して親ばかりの責任じゃないと口にするし、親を憎むってこともないみたい。滝本さんは親に別に異論とかある訳じゃなさそー。そんな人それぞれの原因なり状況を診察して診療しなくちゃならない斎藤環さんほか精神科医の人たちの大変さってのが壇上の様子だけを見ても強く感じられる。時には混乱する舞台を仕切り話をまとめ全体に盛り上がるイベントへと仕立て上げた、それが精神科医ならではの冷静さなのか斎藤さんの才能なり性格なのか。いずれいしても大変なことには変わりない。精神科医って精神、大丈夫なんですか。

 意外だったのは滝本さんが「NHKにようこそ!」を書き上げたあとに心おだやかならぬ状態になったことで、自分の経験を書き上げて気持ちが昇華されるかってゆーとそーじゃなく、むしろ文字にして定着させてしまったことで改めて思い出されて落ち込んだらしー。売れて印税が入ってもそれが落ち込んだ気持ちを脇においやるかってゆーとこれも違って、そこに満足感を見いだして気持ちを穏やかにするってことにもならないとか。何のために書くのかってテーマを見失う恐怖なんかもこれありで、だからこそそんな不安に恐怖を乗り越えてどんな話を次に書いてくるのかに興味がある。第3作についての話はまるで出なかったけれど、同じ「ひきこもり」が題材になるって訳ではなさそーで、あの流れる筆と感動の創出力が発揮された作品が、どんなものになっているのかが今から楽しみで仕方がない。問題はいつ出るか、だけど。連載なんかもするのかな。再来年あたりは本格的な滝本ブームの到来は確実なんでサインとか、今からもらっておくと大吉かも。僕は恥ずかしくって近寄れなかったけど。やっぱりやろう、いつかどこかでサイン会。


【10月7日】 金田アクション板野サーカス庵野爆発等々と動きをどう描くかって部分での技術の凄みを調べ称え持ち上げ誉めそやす動きがしばらく続いて来たっぽいアニメ批評だったけど、最近のトレンドはどーやらレイアウトって方面に来ているんだろーか、その現時点での第一人者的な存在とも言える今敏さんに対してその手の話を聞きたいって人も多いよーで、昨日の「ロフトプラスワン」のイベントでもそんな人が結構な数集まっていたし、井上俊之さんも交えたトークでもその辺りへの言及が結構な割合に及んで、昼間っから酒飲んで喋ったり聞いたりするイベントにしてはとっても真面目なものになってしまった。

 なるほど画面がヒン曲がっていたりまるで無茶苦茶だったりするよりはカメラの位置とか種類がしっかり決められてしっかりとしている方が良いに決まっているけど、その良いって部分を言葉にすよーとするととっても難しいのがレイアウトって仕事らしくって、今さんも井上さんも話すのに苦労していたのが印象的だったし、同じ仕事をしている2人でも考え方に温度差があったのも仕事の難しさを表していて興味深かった。立場として井上さんはあまりに歪んでしまっている状況をとりあえず真っ当なものにするよーに、たとえばパースとかカメラ位置とかいったものをしっかりと勉強して理解する必要があるんじゃないたって言っていたのに対して、今さんはまず演出意図ありきで、それに適合したものが良いレイアウトであって別にパースが完璧だとか描き込みが多く描かれ方もリアルだとかいいったものは、無関係でないにしてもすべてを差し置いて前面へと出てくるものではないってなことを言っていた。

 そもそもが完璧なレイアウトとゆーのは作品の中で決して浮かび上がらず自然に溶け込んでいるものだってのが今さんの持論で、だから「今レイアウト」「井上レイアウト」なんてクリエーターの特徴でもって語られるよーな状況は間違っているってことらしー。なるほどまさしくそのとーりではあるんだけど、真っ当なレイアウトを実現できる人材が珍しい現状ではそー呼ばれて持ち上げらる中で仕事ぶりを披瀝して、後発の意識を啓発する役割を担わされるのもまあ仕方がないことと思って頂くより他にない。メディアも本来は職人芸的な仕事ぶりをアーティストの特質として捉えてトレンドとして持ち上げスター扱いするなんてことは止めて、何がレイアウトの本質かを理解し先達たちの仕事ぶりを通して伝える方に力を傾けて欲しいもの、なのでやっぱり「アニメスタイル」はイベントじゃなく本で出すべき、だなー。金田伊功さんをアートと位置づけ世界に紹介したアート界が「今レイアウト」をアートだと持ち上げフランスに持っていくよーな事態も心配だけど、そっち方面に気づく回路がまだなさそーなんで、気を付けつつも安心しておこー。

 本来は児童文学の人らしーたつみや章さん、初めての「一般小説」、といっても「角川ビーンズ文庫」だから片足の先っぽは児童文学に突っ込んでいたりするかもしれないけれど、読むとホラーがちょっと入った時代小説として大人が読んでも存分に楽しめそーな文体に内容で、勿体ないと思う一方でこーゆー「何でおあり」な面白い現象が起こるヤングアダルトのレーベルのフトコロの深さ広さに改めて経緯を送りたくなった「恋ゲ淵百夜迷宮」(角川ビーンズ文庫、457円)。昨日読み終わった京極夏彦さん「覘き小平次」(中央公論新社、1900円)と比べても遜色のない位に、江戸の暮らしの雰囲気が、暮らしている人の体温とか息遣いまで含めて感じられて面白かった。

 舞台は江戸、札差屋って今で言う金融業の大店で手代として働く竹二が3番番頭から推薦されて赴いたのが松太郎という若旦那の部屋。暇をとる番頭の代わりに若旦那の目付役になってくれと大旦那から言われて受けた仕事だけど、この松太郎なかなかに奇妙なところを持っていて、出かける時には柳行李に衣装の替えを一そろい入れて出かけるし、出入りしている猫は実は猫又で出入りしている交渉が仕事の若侍の梅沢がこれまた猫又だとい言って竹二をからかっているのか脅しているのか分からない、不可思議な言動を繰り広げる。それでもそこは奉公人、主の言いつけは絶対と松太郎に従っていたある日、寄った二八蕎麦の主人が濡れ衣を着せられ獄につながれる羽目となり、何の因果か竹二とそして松太郎はその蕎麦屋の幸助を助けだす必要に迫られる。

 不思議な言動を繰り広げる松太郎と堅物の竹二との、一方は訳知りでもう一方は何も分からない状態での噛み合わないやりとりの妙が良く、札差屋の業務内容とか奉行所の仕組みとかいった細かい部分でしっかりと史料に基づいた描写がしてある点も交換が持てて、読んでいて勉強になるし気持ちもはずむ。個人的には竹二にはとりあえず松太郎とは違った認識と価値観を固持してもらって、「やれやれ」といった気分で不可思議な出来事に対峙する松太郎を相手い気持ちの空回り的外しをしばらくやって欲しい気がしたけれど、同じ立場にとりあえずはなったからといってそこは人外な輩の力を借りて、元の純朴な堅物となった竹二が諦観を持った松太郎相手に熱血することの繰り返しを、しばらくの間は読んでいたい気がしないでもない。好評なら続くらしー「松竹梅」シリーズなんでここは是非に好評の念を送って続編での活躍への期待を熱く表明しておこー。

 ショートフィルム、ってゆーからもっと観念的で起承転結もない放り出し型の話ばかりが続いて頭真っ白になるんじゃないかと思っていたショートフィルム映画「Jam Films」の全7作品一挙公開が開かれたんで見物、何をどーゆ回路が働いたのかあのセガが製作を担当して、超有名な若手から中堅あたりまでの監督に好きに短い映画を撮ってもらった作品のオムニバスってのが触れ込で、北村「VERSUS」龍平さん篠原「付きとキャベツ」哲雄さん飯田「ナイトヘッド」譲治さん望月「鬼火」六郎さん堤「TRICK」幸彦さん行定「GO」勲さん岩井「スワロウテイル」俊二さんとゆー今の邦画を代表する作品を歳とか無関係に作り送り出し続けている監督が集まって短編映画をセガの出資で撮ったって事実それだけで、企画の凄みを感じてしまう。

 7本のうちの北村さん「メッセンジャー」と飯田さん「コールドスリープ」はすでに見ていたりするけれど、その他の作品は今回初観賞で先がどーなるかも分からずに見ることができて、なかなかに緊張感があった。作品としてはいずれをとっても15分程度の単独短編作品として見るなら逸品揃い。中でも行定監督の「JUSTICE」は、「ポツダム宣言」を英語で読んで聞かせるのが仕事の外国人教師なんてそっちのけで自分の趣味へと邁進する少年(妻夫木聡さん)の溜の演技とそして、何よりも赤緑青な面々の織りなす高く遠く速くをモットーに邁進する様をクローズアップして見せた感謝感激雨霰な設定には感嘆するばかりで、あの学校のあの席に僕も絶対に座りたいって想いに胸焦がさせられた。いや凄い、とても凄い。見る人は網膜にすべてを焼き付ける訓練を今からそておくのだ。

 堤幸彦さんの「HIJIKI」にしても篠原哲雄さんの「けん玉」にしても15分程度の短編映画として見るなら起承転結でしっかりとした落ちまでついたまとまった作品ではあるんだけど、それが15分もならぶといささか食べ応えがあり過ぎて満腹感から食傷気味な感じすら浮かんで来る。あとコントかコメディーかギャグでもって話を彩りオチまで付けてしまう傾向の作品が多かったのが、実験性よりも一般性を望みたい日本人の傾向を表しているよーで興味を惹かれた。長さもちょっとね、15分程度は正直長過ぎで7本全部を見るととっても疲れて胃がもたれる。今回はこれで仕方がないんだろーけれど、次があるなら15分なんて日本のテレビによって刻まれてしまったよーなリズムを律儀になぞるんじゃなく、時間は自在で内容も教条的じゃないけれどいろいろと考えさせられはする内容のものを作ってやって下さいな。そーした積み重ねがフリートークもアドリブも得意な日本人クリエーターを生み出すのだから。


【10月6日】 半年間のご無沙汰でスタートした「ギャラクシーエンジェル」第3期はオープニングが制作発表会でもらったCDですでに聴いていたよーに、第1期と同じメロディーながらもアレンジに詞とかをいじってピコピコにしたバージョンでフォルテさんの雄叫びも高らかに、微睡む頭を覚醒させてくれたけどすぐさま始まった本編が、前回にも増しての不条理ドタバタ理不尽スラップスティック無理難題な内容で、おまんじゅう争いの完璧なまでのスージー甘金似な紙芝居作画(紙芝居だからな)に笑い蘭花さんに締められ殴られるウォコット中佐に同情せず、チェーンソー振り上げるミントのぴくぴくと動く耳に涙しちょっとまだキレがないヴァニラさんノーマッドのペアに今後を激しく期待する。

 そして我らがミルフィーユ・桜庭さん。何も考えていないっぷり炸裂な言動は前回前々回に負けず劣らず勝ちまくり。空まで飛んだのには最初にしてはやり過ぎって印象も浮かんだけれど、ストーリーの方が割にリニアに進んでいたんでギャグなりコメディなりなおかず(とゆーかGAの場合は主食だったりするけど)がてんこ盛りでもそれほどゲップな印象は抱かずに済んだ。もっともこれまた制作発表で見ていた前編が見ていなかった後編に続いたからといって、丸く収まっているかとゆーとどーも来週もドタバタが引き継がれそーで、見たくなさそーなものも見せられそーで期待も膨らみ同時に萎える、いやウォルコット中佐が、なんとも、なあ。

 それにも増して驚いたのがエンディング、本編ともコミックとも違うテイストのエンジェル隊が微笑み動く絵のとりわけスカートをたくし挙げて媚びりまくるミントさんの瞬間に過ぎない動作にもー、頭は真っ白になってしまって開いた口もふさがらなくなって、午前10時半くらいまでテレビの前で固まってしまうし固くなってしまう。30代の独身男の妄想を張り付けたよーなビジュアルにアクションをよくもこれほどまでに再現してくれたものだと30代独身男としてスタッフの皆さんに厚く御礼もうし挙げます。あの格好でもってフィギュアとか作ってくれたら買う奴ぁ1万人とか絶対いそーだし、たくしあげフリフリするシーンを角度を変えると切り替わる画像にしてTシャツに張り付けてくれたら5000円だって買ってしまいそー。無理ならパタパタのGIFアニメのデスクトップアクセサリーを是非に、作っておくれよブロッコリー、あとスイカなノーマッドをピコピコ叩くヴァニラさんのアニメとか。

 秋晴れの日曜日の午後を芝生の公園で犬とか散歩させる暮らしに憧れない訳じゃないけれど、妄想から未だ抜けきらないモラトリアムな輩では適うはずもないし今はまだそれほど叶えたいとゆー欲求にも乏しいよーで、足は新宿の歌舞伎町にあるお天道様なんぞ絶対に拝めない地下2階にある穴蔵へと向かい、9割7分男ばかりの空間で男ばかりの顔を拝み話を聴く会合に出席する。10日程前に急に内容が決まったらしくいつも満員御礼だった「ロフトプラスワン」での「アニメスタイル」イベントも、今回ばかりは30人程の入りとゆーゆったりとして呼吸的には快適なものとなってしまった。評判になっている映画「千年女優」の今敏監督が封切り前では話せなかったことをすべてバラすって内容だけに、相当な入りがあると予想して開場の45分ほど前に到着したら行列はゼロ。鉄扉の前に座ってひとり待つこと40分くらいでよーやく1人、2人と列が出来きていく感じに、いつもこの位だと楽して見られるのになー、なんて考える。出演者にも会場にも辛いだろーけど。

 入場してからとりあえず劇場では買えなかった「千年画報」を買ってバイリンガルじゃんと吃驚し、古漫画本屋の「なんじゃらほい」だか「どんじゃらぴん」だかにいるよーなコスプレの店員さんがいたのに目を奪われ、聞くと本当に「じゃんだらりん」だかで働いていた有名な人だとかで2度吃驚して、懐かしくも素晴らしい「有言実行三姉妹 シュシュトリアン」の雪月花のどれかは知らないけれどともかく「シュシュトリアン」だとゆー扮装をまじまじと観察してはスラリと伸びた脚の白さに心惹かれ、壇上で話す人々には耳っだけ傾け目はかいがいしくも艶やかに働く「シュシュトリアン」を追い続ける。なので3時間程に渡って壇上で話された濃く且つ深い内容のほとんどは覚えてません、ご免なさい。

 それでもポイントポイントでは耳もそちらに向いたよーで、ラストの科白に込められた何段階にも重なった意味の深さ重さ広さ大きさに作家・今敏のタクラミを知り、ちゃぶ台返しと怒り呆れるなんてことはないものの、女優って生き物の業の深さとほとほと表しているなーと肯定して感嘆し、そこで折り合いを付けていた我が身の軽さを自覚させられる。まあそーした見方もありってゆーのが作り手側のスタンスらしーけど、軽い段階で留まるにしてもそれを自己満足と捉えるか、何事にも身を擲ってとことんまで邁進する凄みへの賞賛とゆー客観的な視点も含めて捉えるかで差異が生じる訳で、やっぱりなかなかに一筋縄ではいかない。ともかくも時代を超えて走り続け、とどまらず「どこまでも会いに」いこーとする千代子の言動から発散されるエネルギーを、最後の言葉でもって女優とゆー枠組みへと押し込めてしまっていては勿体ないってことで、もう3度見ているけれど、次に見る機会があったらその辺りを含み置きつつ、走り飛んでいく姿から前向きのエネルギーをもらい感じることにしよー。音響面で舞浜の「イクスピアリ」が狙い目かな。

 幽霊の正体見たり枯れ尾花、って言葉は裏返せば枯れ尾花でも見よーによっては幽霊に見えてしまうってことでつまり、生きている人間の頭のなかにこそ幽霊は存在するのであって、それは不思議でも何でもない。そんな思考し認識する存在があるこそ思考され認識される存在があるんだってことを神林長平さんはSFで書いて来たし、京極夏彦さんの場合はミステリーとかホラーの中でこの世に不思議なことなんて何もない、考え聞き見る人間があってこそすべてのことがらは起こるなんだって書いて来た。

 その京極さんが書き下ろしでもっておそらくは来年早々の直木賞なんか視野に入れて投入して来た単行本「覘き小平次」(中央公論新社、1900円)も、同様に怪異の裏側にある人間の思い込みを描いて、現世に生きるさまざまな人が持つ柵とか業とかいったもののすさまじさを描き出している。幽霊をやらせれば天下一と言われながらも妻を失い息子も死んで今は内縁の後妻の家のそれも押入の中でジッと息を殺し引きこもっている小平次とゆー男がいて、なのに何故か誘われれば旅に出て幽霊役で舞台に立つとゆーことをしていて、本編ででもやっぱり幽霊役で誘われて旅興行に出たものの、そこで事件に巻き込まれてしまう。

 過去に豪商の娘を強殺した男がいて、弟を売った家族を切り殺した浪人がいて、子供の頃に売られて後に家族も失った囃子方がいて、家族を切り殺された女形がいて、没落して今は長屋で暮らす女がいてといった具合にさまざまな過去を持つ人々が登場して、その過去が微妙に重なり合いながら進んでいく展開の巧みさにひとつ感嘆。でもってそんな人々が小平次とゆー枯れ尾花に自分の過去を照らして幽霊を見て崩壊していく様が描く人間の業の深さにひとつ戦慄。「巷説百物語」との重なりもあって京極ファンならニヤリな仕掛けもあるけれど、それがまるで気にならないくらいに描かれるテーマとそれを形作る構成の妙味が素晴らしい。「千年女優」の千代子が前向きな人間の生き方を表すイコンだとするなら「覘き小平次」の小平次は後ろを振り返って見える人間の生き様を映す鏡かも。直木賞を取るべき作品。それが駄目でも山周賞は確実、かな。


【10月5日】 おれがあいつであいつがおれだったりする話はヤングアダルトにはまあ定番だったりするけれど、もはやヴェテランの域へと差し掛かった神代創さん描くところの「パートタイムプリンセス」(メディアファクトリー、580円)は単に少年と少女の心が入れ替わってついてたりついてなかったりして大変だってな話じゃなく、入れ替わりがもたらす意識と行動の非連続性から浮かび上がる困難を知恵と工夫と協力でもって乗り切ろうってゆー展開があって手に汗握るよーな感覚を楽しめる。ごくごく普通の高校生の少年が目覚めるとそこはファンタジックな世界。でもって自分がその国の王女様になってしまっていて、お定まりのもぞもぞむぎゅむぎゅな描写があるかってゆーとない訳じゃないけどそれを存分に味わう間もなく、少年はもといた世界へと戻ってしまう。

 でもって翌日。またしても気が付くとそこは異世界で自分は王女様になっていて、そんな入れ替わりがただ続くだけじゃなく入れ替わってる時間もだんだんと長くなって来て、おまけに命まで狙われる羽目となる。機転を効かせて逃げてみたは良いものの、元いた世界に戻っている間に王女さまがヘマをしでかしていたりして再び入れ替わるとピンチだったりすることも多々。入れ替わっている間に書き置きとか残して1つ体にいっしょになることはなく、直接コミュニケーションを取り合うことが不可能な2人だったけど、書き置きを残し合うことでもう1人とコミュニケーションを取って、難局を乗り切ろーと頑張る2人にハッピーエンドは訪れるのかさあお立ち会い。なかなかにシンミリと来るエンディングには、おれがあいつであいつがおれな数ある作品とはちょっと違った、涙の滲むよーな感覚を味わえます。揉みとか風呂とかあるのにトイレの描写がないのが残念至極、いや別に下卑た好奇心じゃなくって王女の国ではどんな雪隠を使っていたのか興味があったんで。

 ピチっとしたTシャツだとそれでも結構張り出しているなー、なんてことを思って見た「まんてん」だけど素もぐりのシーンの直後の濡れてさらに貼り付いたTシャツの映像を飛ばしたのには正直怒りすら覚える。下にロングシリーブのシャツを着込むとTシャツでも途端に張り出しの感じが弱くなるのは単純に宮地真緒さんが着やせするタイプだからなのかな。1週間が終わってバスガイドだ漁師だとあれやこれや点々とした将来像がよーやくひとつに絞られつつあるよーだったけど、思い込みで突っ走った挙げ句に自爆するタイプのキャラクターだけに先の道なお険しって印象。そこをどーゆールートでもってクリアして、宇宙飛行士だか気象予報士だかお天気お姉さんだかになっていくのかをこれからも早起きするなり昼に会社のテレビに貼り付くなりして追っていこー。これだけ「朝ドラ」に見入るのって「ひらり」以来、かなあ、その前は「鳩子の海」だったっけ、それとも「マー姉ちゃん」だったっけ。

 新番組とゆーからにはまったくもって新しいストーリーを採り入れ新しいキャラクターを配し、志も高く持ってこの困難な21世紀から未来を伺うに相応しいメッセージを打ち出そーとした話だと思って見たけど、どーにも感じたデ・ジャ・ヴュに頭モヤモヤとした思いを抱いて過ごした30分間。どこぞのコロニーに侵入する兵士たち。背後で操るは仮面の士官。目指すは新兵器でそれも人型。たどり着き攻撃。ほぼ成功。けれどもそこに1人の少年。命の危機に乗り込む人型兵器。立ち上がり、背中のビームサーベルを引き抜き一閃、ザクは胴体がまっぷたつになり、テム・レイはコロニーの外へと吸い出されて酸素欠乏症になり、仮面の士官はムサイにのって木馬を名付けた船を追って地球へと向かうのであった。

 ってそれは「機動戦士ガンダム」じゃないかって、突っ込まれなくたって充分に理解はしているけれど、もー何10回となく見たその第1話をまるでなぞらえるよーなストーリーにキャラクター配置を見るにつけ、「機動戦士ガンダムSEED」が目指すものはいわゆるファーストの夢再びなのか、つまりは「ジェッターマルス」なのかと制作サイドを問い詰めたい気持ちに激しく駆られる。同じだったらまだ悪くはないけれど、「ひょんなことから」ヒーローに祭り上げられてしまった少年が艱難辛苦の果てにたどりつく地平の例えばファーストが人間の進化と相互理解の可能性だったりしたのと比べると、「SEED」の場合は因縁のある敵方の少年との相剋って辺りに落ちつくんじゃないかって思えてしまう点も心配なところ。21世紀のファーストを標榜するなら友情が深化したアヤシゲな世界へと耽ってしまうんじゃなしに、ファーストを越えるメッセージを打ち出して頂きたいところ。それとも耽美でミニマルな世界への関心が21世紀的なマインドってことになるのかな。来週再来週を見て続けて見るかそれとも現代版「おれがあいつであいつがおれで」を見るかを考えよー。トイレの描写とかってあったのかな、それともこれからあるのかな。


【10月4日】 神林長平さん久々の、でもないけど種類としては珍しいアニメ原作のノベライズ本「ラーゼフォン 時間調律師」(原作・BONES、出渕裕、徳間書店、590円)を読んで何が書いてあってどうなっているのかサッパリ分からないのは、テレビでのアニメ放映「ラーゼフォン」をまったく見ていないからだと信じたいけど、ホントの所はどーなんだろう。ウィリアム・バロウズの「ブレードランナー」を読んだところでディック原作の映画「ブレードランナー」との関連がまるで分からない(ってゆーか関連なんてまるでない)のと同じくらい、かけ離れているのかそれともアニメを見た人ならニヤリと出来る描写が満載なのか。アニメを見るのもちょっと躊躇してしまうんで、ここはメディアファクトリーの”正統的”ノベライズを読んでそれから神林さんの”神林的”ノベライズを読み直してみよー。ますます訳が分からなくなる可能性、あのかな、あるんだろーな、絶対に。

 「まんてん」を見る暇もなく上井草へと出向いて取材とか。駅を降りると街灯に「ガンダム」の顔を染めぬた旗が延々と飾りたててあって、桜新町だか桜上水だかの「サザエさん通り」の「サザエさん」看板ならいざしらず、国民的とは言い切れないロボットの顔なんて掲げて果たして街の人とか納得してるんだろーかと不思議に思ったけど、国とか都とか区とかが上げて、日本を誇る産業としてアニメーションを持ち上げまくっている昨今、街のシンボルとして「ガンダム」が出世したとそしても不思議じゃ全然ないんだろー。もっとも同じ街灯の「ガンダム」旗のすぐ下に、エンジ色のストライブでもって染め抜かれた早稲田のラグビー部のペナントが下がっていて、一方でアニメなんて不健康なものを持ち上げ、一方でラグビーなんて健全で壮快なものを持ち上げる分裂的な街の状況に、どっちかにせーやと言ってやりたくなる。

 とはいえ最近じゃーラグビーをやりながらゲームもプレイすればアニメも見るなんて学生が山と増えているだろーことは想像に難くなく、街の人たちもそんな変化を察知してシームレスな感覚で上と下の旗を捉えて見ていたりするのかも。いっそ上井草に縁ってことで「ガンダム」を早稲田のラグビー部のイメージキャラクターにしてしまい、ついでにポジションとかもプロップはドムでフランカーはズゴックでロックはガンタンク、ウイングはゲルググでスタンドオフは勿論ガンダムでスクラムハーフはグフあたり、ナンバーエイトはギャンでフッカーはジオング、は足がないから止めてビグ・ザムとかって名称に変更してしまえば(適当に選んだだけなのでラグビーマニアでガンダムファンは自分でどれがどこだかを考えよー)いかにも上井草なチームになって今や世界ブランドと化した「ガンダム」人気に引っ張られて世界で活躍できるのに、監督とゆー呼称は当然ながら「トミノ」だけど。

 えっ、あの滝本竜彦さんが人前に出て来るんですって? って別にこれまでだって書店とか回ってサインをして歩いていたりした訳だから人前に出て来たって不思議でも何でもないけれど、夜のそれも歌舞伎町に出没するとなるとやっぱりちょっぴり珍しいよー気もしてしまう。その名も「ようこそ! ひきこもり新世代」って名の「ロフトプラスワン」でのトークライブに10月8日出演とかで、いっしょに出てくる「ひきこもりカレンダー」の著者の人とか精神科医の斎藤環さんとの間で何をどんな感じで話すのか(それとも話さないのか)にとっても興味をそそられる。書いてきた作品が作品なんで、家にはやっぱりルリルリ人形がいるとか平日はカメラを持って小学校に撮影に行っているとか思っている人も多そうだけど、ここは初オフィシャルな場でクールにスタイリッシュな表情ファッションを披露して、集まるひきこもりの人とかひきこもりたい人を瞠目させてやって下さいな。行けたら応援に行くから、ルリルリ人形とか連れて(嘘)。

 ネットでプレ予約した「メジャーリーグvs巨人」と「メジャーリーグvs日本プロ野球」の試合のことごとく抽選に外れる屈辱に怒りうち震える日々。別にもとより野球にも巨人にも心底からの熱意は持ってないけれど、これが日本見納めかもしれない巨人・松井選手のバッティングとか久々に帰国できっともこれからずっと日本では見られなくなる可能性の高いイチロー選手のバッティング&守備とかを、目の当たりにできるチャンスだっただけに激しく悔しがる。ネットじゃーサッカー日本代表の試合も外しているからあるいはワールドカップのチケット争奪戦で運をすべて使い果たしてしまったのかも。とりあえず3万円近くが出ていかずに済んだことになったんで、心入れ替えてサッカーに通うことにしよー、ってことで「ロッピー」で買った11月2日だかの「三ツ沢」での横浜FCvsセレッソ大阪戦、目当てはもちろん森嶋、じゃなく西澤、でもない藤原だあ。来るのかな。


【10月3日】 毎週水曜日の日課とも義務とも化して来た「チャンピオンズリーグ」の視聴を前に、どーゆー訳だか人気だったからなのか再びスタートの「シスタープリンセスRePure」をビデオでちょっとだけ観賞、前作の前半ほどのとてつもなさはないけれど相変わらずのシュールさに早朝の下がった瞼が持ち上がる。もっぱら登場人物(超大量)のとりまとめ紹介めいた展開だったけど中でも驚いたのが亞里亞ちゃんの変貌ぶり、前回よりも話すスピードが1・2倍くらい速くあって喋る量も倍くらいに増えていてイメージ違うんじゃないかと憤る。といっても普通の人から見れば喋らず喋っても鈍な不思議ちゃんにしか見えないんだろーけど、つまりは通好みって奴で、通って何の通だ。

 さても「ゲンクvsASローマ」は試合開始早々にゴールキーパーがゴールエリアの外へと飛び出して正面から来たボールを手でとめる大技を見せて1発退場。お陰で1枚切るカードの選択肢が減ってしまったこともあってか鈴木孝之選手はベンチで終了。もっとも攻撃自体は速攻に限られたもののそこそこにスピーディーで効果的でもあったんで、鈴木選手が出たらテンポが変わって1点どころか大量得点されてしまった可能性なんかも考慮すると3人フルに枠が使えても出してもらえなかったかも。そーいえばゲンクって胸のロゴが前の日本企業の「NITTO」じゃなくなってたけどスポンサー変わったのかな、だから鈴木もラストに員数合わせ的にしか使ってもらえないのかな、出られるだけマシって言うけどベルギーだからアーセナル稲本ボルトン西澤とは比べられないし。どーなるどーする。

 筍は朝に頭が落ち葉をちょっとだけ持ち上げた所を掘るものであってあんなに、地上に突き出てしまったら煮ても焼いても固くてえぐくて食べられないと思うんだけど満天、でも強情だからきっと食べてしまったんだろーなー、生でガリガリと。今日もきょうとてTシャツ姿で海に潜るシーンとかあってそれはそれなりに見どころではあったもののシーンとして少なく目の保養にはならず。代わって離婚して島に帰って来ていた先生の娘さんとゆー、少女時代の満天にも増して見目麗しく心躍らされるキャラクターの再登場があって、今はおしゃまだけどこれからどんどん島の野生に染まって水着なんて放り出して海に川に泳ぎ回る姿を見せて頂きたいもんです、無理だろーけど、NHKだし(民放でも無理です)。

 完成まで6年とか7年くらいはかかっただろー「ウィステッドサーティーン」がDVDにもなり完成から1年半も店晒しにされた「千年女優」が晴れて劇場公開された今、たぶん1番くらいに日本での公開が待ち望まれているないかと想像している話題の韓国映画「火山高」の試写があったんでのぞく。荒れた学校で覇権をかけて荒そう生徒と教師の超絶バトルってのがふれこみのこの映画、「東京国際ファンタスティック映画祭」でもオープニングで上映される事が決まっているけれど、その話題性から考えるときっとチケット品切れになっているだろーから、今日を見逃すと来年の上映まで見られないことになるんで無理をして、はいないけど頑張って仕事を片づけて駆けつける、ってゆーかこれも仕事なんだけど、たぶん。

 前に大里洋吉アミューズ会長が決算説明の席で日本向けにいろいろアレンジするって話していたけど言葉どーりに日本版スペシャルエディションは音楽も言葉も日本向け。言葉がに本向けってのはつまり日本語の吹き替えになっていたってことでアニメじゃないハリウッドの超大作でもない韓国映画が日本語版になるのはちょっと珍しい、そーいや「少林サッカー」も日本語版があったって、流行りなのかな。ちなみに「火山高」の日本語版のキャストは見て吃驚聴いてどっきりの面々ばかり。関智一さん林原めぐみさん宮村優子さん(久しぶり?)子安武人さん森川智之さん檜山修之さん山口勝平さんと若者役に有名どころがずらりと並べばおっさん役にも磯部勉さん大塚芳忠さん池田勝さん茶風林さんとこれまた豪華。だからといって声ばかりが前面に出ず見ている間は子安さんをのぞけば誰が誰だかまるで気にならないのはそれだけ、本編のすさまじいばかりのビジュアルに目が釘付けになって耳がお留守にさせられるからなのかもしれない。

 内容についてはとにかく見ろ、見ましょう、見て下さいとしか言い様のないすさまじさ。諌めもあって暴力をおさえてひっそり生きようとしていたけれど、仲間たちのピンチにやっぱりいてもたってもいられず立ち上がるってゆー展開自体は割にとっても結構もの凄くあるものだけど、繰り広げられるビジュアルの派手さ華やかさは「火山高」が一種頂点を極めているって言えそー、韓国では。キャストでは敵で圧倒的な強さを見せる教師役のホ・ジュノが圧倒的。白竜さんのよーな凄みのある顔で「マトリックス」のキアヌ・リーブスも仰天で「リターナー」の金城武では及びもつかないアクションと演技を披露している。彼見に行くだけでも価値あります。あとヒロイン役のまだ高校生の美少女シン・ミナちゃん最高、このまま「ブラッド・ザ・ラスト・バンパイア」の小夜を演らせたいくらいだよ。ともかく圧巻、とにかく絶倒のスーパーアクション学園青春カンフードラマ、見逃すと21世紀中後悔するぜ。


【10月2日】 日本列島をバットに例え北海道をグリップエンドに見立てるなら、ランディ・ジョンソンも吹き飛びそうな豪速球のストレートの球筋で向かってきた「台風21号」。このまま空振り三振と日本を横断して日本海へと抜けるかあるいは「消える魔球」よろしく日本列島の地下へと潜り込むかなんて思っていたらどっこい、「アストロ球団」の最終章、ビクトリー球団との戦いで出てきた特攻隊崩れの爺さんが投げた殺人魔球のよーにバットすなわち日本列島にあたった瞬間、グリップエンドへと向かって走り出し、このままいけば北海道を粉砕してしまうんじゃないかって妄想も浮かぶ。そこは自然現象だけあって途中に勢力の大半を殺がれて北海道では温帯低気圧になってジ・エンド、消えてしまったけど台風はこれで終わりじゃない、第2第3の台風が(すでに21号なんだけど)日本列島を遅い今度は攻守を代えて球一の三段ドロップよろしく地殻マントル核を越えて日本列島の下へと沈むパフォーマンスを見せる訳、ないよな。

 台風一家、って文字が真っ先に浮かんだりした少年時代を思い出してしまうよーな青空の中を「幕張メッセ」で開催されている「CEATEC」へと向かう。IT関連の総合展示会って触れ込みだけどパソコン関係は再来週だかの「ワールドPCエキスポ」へと回したよーでどちらかといえば家電と電子部品が中心の展示会で、エンターテインメント色もまるでなくって見る分にはあんまり楽しい展示会とは言えない。とはいえデバイスなりプラットフォームなりがあってこその画期的革命的コンテンツって見方もある訳で、どんな新しい視聴環境が展示されているか、なんてことを見に行く分にはそれなりに楽しめるし実際楽しめた。

 目玉、と言ったらおそらくはシャープの3D液晶って奴で、見るとなるほど本当に眼鏡も何もかけないで立体っぽい画像を再生していて驚く。普通立体視ってゆーと左右の眼ごとに角度を変えた画像を作って再生して、眼鏡でもってズラして眼へと届けるか何かしてその差だかで立体に見せていたって記憶があるけれど、シャープの新しい液晶はそれを見た目フラットな液晶パネルだけで実現していて、なかなかに不思議なものを感じる。とりあえずは10インチとかってな小型のディスプレイパネルでもってファーストビューポイントのシューティングゲームを再現させたり、パチンコの液晶画面を模したモニターでパチンコ風画面を立体で再現させたりしていて、ゲームの奥行き感とか目の当たりにして面白いゲームが作れる可能性もあるのかなあ、なんてことを考える。

 ただし現時点では限界があるのも事実で、例えば真正面から見ないと右目用と左目用の画像が重ならずズレを起こした感じに見えてしまうことがあって、何人かでモニターを囲んでいっしょに視聴するのは無理みたい。それと距離も決められていて前後にズレると立体感が薄れたりやっぱりズレが出たりする。本当に楽しむなら頭の位置をグッドポイントに固定し目線も正面に限定するしかない訳で、正直不自由きわまりない。使う人に苦痛を強いるデバイスが果たして発展するのかって疑問は当然ながら抱く。

 そんな不自由を我慢してでも凄い体験ができるとかなら今のままでも可能性はあるけれど、立体眼鏡をかけた方が楽だしヘットマウント型のディスプレーにした方がもっと快適だったりする現状と、立体になったからって奥行きが出るくらいでそれほど革命的でもないソフトしか提案されていない現状で、どこまで需要を喚起できるのかを観察する必要がありそー。当面は携帯電話の液晶画面くらいで立体画像をプレミアム的に楽しむ所からスタートさせて、立体って良いねって感覚を醸成させる一方でデバイスの改良を進めていけば、既成概念を変えるエンターテインメント環境が登場して来るかも、22世紀になるかもしれないけれど。

笑えたけれど可能性も思えたのがパイオニアのブースで見かけた「media uniform」って製品。有機ELって液晶の次に来るらしー極薄のディスプレーがいろいろなユニフォームにビルトインされているもので、実用化すれば胸に開いた小窓にメッセージを流しり、袖口のモニターにアニメとが映したりできる。ウェートレスのスカートのお尻にディスプレーを付けてメニューを流して来たお客さんに選んでね、って突き出してくれたら嬉しいかってゆーと趣味によるけど、タッチ式になって触れてメニューを選べるよーになったらちょっと嬉しい気も。胸の先でも良いかな。妄想から果てしなく脳天気な可能性がひろがる、これが画期的発明って奴だよね。

 コンパニオン的にはKDDIがベスト、とりわけ受付に座っている2人の脚の細さには目もくらむ。見えそーで見えない感じが焦燥感を煽るし。KDDIはステージでのデモに登場してくるコンパニオンも細身で綺麗で驚くばかりで、男物の大きなシャツを裸の上に来たよーな格好の美女が脚もむき身に踊るバックダンサーもなかなかにグッド。もちろん裸じゃなくって黒いアンダーウェアを着ているけれどそれがチラリチラリとのぞく様に取材も忘れてしばし見入ってしまった。あと松下電器産業のコンパニオンが長身揃いで迫力満点、見下ろされるよーな感じで話しかけられると嗜虐的な気持ちになれて最高です。

 走っても揺れない大戸島さんごの系譜に連なるのだろーか満天は。昨日鹿児島に行ったと思ったら今日はやくも屋久島へと戻って来てしまった満天の堪え性のなさ加減を描いてしまって、フリーターの減少に取り組む政府から文句は来ないんだろーかと心配したけど、真っ当な意見にキレて仕事が続かずフリーターとなる現代人とは違って理不尽な要求に怒るよーな描かれ方をしている訳だから別に構わないのか。帰っていきなり駅伝に飛び入りしてはTシャツ姿で走る場面がやって来て、期待を一杯に朝の放映昼の放映と観察したけど震度でいうなら微震に入りそーな微妙な揺れ具合だったのにガッカリ、さんごの倍はあるはずなのにどーしたことだと訝る。扇情的なのはいかんとギッチリ固めていたのかな。「デッド・オア・アライブ」なんかを見慣れた目には何とも物足りなさが残る挙動だけど、些少なりとも微妙に振動する様から中の若々しい盛り上がりを想像するのも決して悪いものではないから、NHKにおかれましてはこれからもドシドシと満点を走らせてやって下さない。


【10月1日】 あずまんが大王があずまんが大王があずまんが大王があずまんが大王が。撮れてない。この何週か夜の時間帯まで起きてられたんだけど9月30日に限っては早朝からエラそうな人によるエラい話があって珍しくも午前7時半には家を出てたりしたんで午前様すら辛く、ちょっと起きてられないなーと思ったところに、これも珍しく録画予約に必要なビデオのリモコンが地層の下から発掘されて手元にあったことも災いして、ビデオでタイマー予約にすることを決意。記憶で時間帯をセットして床に就き起きて早速見始めたら布施山本が唄ってて唖然とする。何分ズレたかにもよるってんで早送りで見ても見ても見ても見続けても布施山本は終わらず、結局録画した30分のうちの25分近くが布施山本の抜群な歌に怠慢な演技の数々で占められてしまってた。何が早起きは三文の得だい。

 それでもちょっとだけ見られた冒頭は漫画の通りは通りなんだけど最終回ってこともあって思い入れが大きかったか演出面に微妙な変化でもあったか妙に気持ちにスッポリはまって、見ていて間の悪さをかまったく感じなかった。校長先生の挨拶シーンで「へーちょ」とくしゃみする大阪の方を全校生徒が一斉に振り向くシーンなんて動きがあったこともあって迫力充分間合いも絶妙。イジる智に怒鳴るよみの声の張りとか今日くらいはと思い込んで噛み猫に手を出す榊がやっぱりな被害を受けるテンポとか、考え抜かれた訳じゃないんだろーけど何となく気持ちのツボにはまる。こーゆーのも贔屓目っていうんだろー。ともあれ半年にわたった3年間もこれにて落着、手堅く賢く実験にならず暴走もせず勿論型くずれもしないで無難からちょっとだけ冒険な良質アニメだったと言って言えそー。返す返すも何度が見逃し最終回すら半分見られなかったことが悔やまれるんで、悩んでいたDVDは買うことに決定、明日「ゲーマーズ」にでも行って来よう、先日は品切れだったけどそろそろ入荷してるかな。3年生まで買うとポイントが「湘南ベルマーレプラクティスシャツ」に届くんだよ、1枚持ってるけど保存用に欲しいんだよ。

 保存用にすべきか悩ましいブロッコリー版「でじこのチャンピオンカップ劇場」。かの「少年チャンピオン」の巻末に実に1年4カ月もの期間にわたって連載された巻末漫画をまとめたものだけど、チェッカーシルクハットなマークの「ブラックジャック」や「よたろう」や「魔太郎がくる」や「やけっぱちのマリア」や「恐怖新聞」や「番長惑星」や「バラの進さま」や「たまねぎパルコ」や「るんるんカンパニー」なんかとおんなじ(例え滅茶苦茶過ぎ)シリーズに連なるバージョンがあってそれはそれで偉大なことだと思う一方で、ブロッコリーまでもがおそらくは同じ内容ながらも表紙を買え体裁を変えた上にトランプだか何かをおまけにつけて単独だと390円のところを980円なんてゆー、コミックスとしては目茶だけどキャラクターグッズと考えればそれほどでもない値段で出しては「ゲーマーズ」の店頭で販売しているものもあって、どうしたものかと悩む。

 悩むってのはもちろんチャンピオンコミックス版とブロッコリー版のどっちを買おうか、なんて些末で短小な悩みではもちろんなくって、何故なら両方を買うのが当たり前なことであるからしてむしろ悩みはどれだけ買うか、ってことでコミックスの方はまあ読んで積ん読しておけばそれでオッケーなんだけど、トランプ付きの方はやっぱり3組買って1つはタイムカプセルに入れ1つはスイス銀行の貸金庫に預けて残る1つはビニールを破ってトランプを取り出してひとり遊びをすべきなんだろーか、なんてしばし悩む。けどお金もないんでとりあえずはチャンピオンコミックス版を1つにブロッコリー版を1つとゆー軟弱きわまりないセレクトに落ちつく、悔しいなあ。肝心の中身の方は連載時にも目を通して感心していたよーに悪辣でドジなわたしなでじことぷちことうさだの掛け合い漫才にブラックゲマゲマ団が絡む「フロムゲーマーズ」以上に笑える内容。連載時はあんまり気にひっかからなかったけどでじこがリアルになったりシリアスになったり小学生的少女漫画顔になった大名になったりと八面六臂な20面相で面白い。個人的にはおまけ漫画のモードな顔がお気に入り、このタッチで全部を描くとどんなでじこになるんだろ。

 台風が東京湾沖へと迫る中を「キャピトル東急」で開催された「第3回小松左京賞」の授賞式に紛れ込む。今は遠いところにいる顧問の人が菊花の契りよろしく幽体離脱して出席……はしてなかったけど社長の人も作家の森村誠一さんも、タブーがらずに遠い場所にいてしばらくは替えって来れない春樹さんのことに触れるあたりにあからさまな罪人として投獄されているって受け止め方とはちょっと違った、不思議な感情が友人の方部下の方にあるんだなーなんてことを思う。罪を憎んで人を憎まずって奴? 超絶人気ビジュアルバンドのメンバーとかだったら存在すらが抹消されてしまうのに。それとも罪すら存在してないって思っている人が多いのかなあ。

 もっともここにこーして開催された「小松左京賞」にゴーサインを出してSFに連なる新鋭を続々と世に送り出すきっかけを作ったってことだけで罪3等が減ぜられても感情的には不思議じゃなかったりするんだけど。とりわけ今回の受賞作はタイトルからして「神様のパルズ」なんて小松さんの向こうを張った遠望ぶりが感じられる上に中身がこれまた小松ばり。「宇宙はつくることができるのか」ってテーマで大学生と天才美少女が激論を戦わせるとゆー内容で、そのスケールの多きさそのテーマの深淵さに小松さんも瞠目し、そんあ堅めのテーマであるにも関わらとってもエンターテインメントしている様に小松さんも簡単して、今回の受賞となった模様。挨拶でも小松さんもうベタ誉めで、あの小松左京が正面切って「面白い」といった作品が果たしてどれくらい面白いものかが、今から楽しみで仕方がない。いつ頃読めるんだろ。

 もちろん古来希なる歳へと到達した人だけあってその面白さのニュアンスが僕らの感覚と重なるのかどーかは分からないけど、こと小松左京に限っては老いようが若返ろうが絶対的に究極な規準でもって小説を吟味し面白さを測るだろー筈だから、その言葉に偽りはないと信じよう。台風のために銀座での2次回は無理でしょうってギャグめいたものを最初と途中に2度、言ったりするあたりに眉も曲がる気持ちが滲むけど。ただ長さで言えばごくごく普通のスピーチだったし繰り返す部分も強調と捉えれば全体に筋はちゃんと通ってて、気持ちは張ってるし記憶も歪んではいないだろーことは伺えたんで、ここは早めに「虚無回廊」の続きって奴を多少のループは良いから書いて書き上げてやって頂きたい。横溝正史賞が出来て7年だか8年、賞の冠の人が生きながらえたことを思えばまだ3回の「小松左京賞」、残りオリンピックでが1回りする時間の間にわっしょいわっしょい書いて書き殴って下さいな。「だったら君がかけ」って言われても僕には書けそーもないから。


"裏"日本工業新聞へ戻る
リウイチのホームページへ戻る