縮刷版2001年7月中旬号


【7月20日】 徹夜はともかく朝の5時起きとかして有楽町の「日比谷スカラ座」に、朝1番の上映を見に行く根性は10年くらい前になくしてしまったけれど(とか言いつつ「ガンドレス」完全版はセル画目当てに見に行ったなー)、それでも同じ世代の中では少なくとも上3割には入るだろーアニメ好きな身としては、やっぱりとりあえず押さえておくのが筋だろーと朝の9時とかに起きて本八幡の場末っぽさ漂う映画館へと「千と千尋の神隠し」の封切り上映を見に行く。1階付近で表まで伸びた行列い瞬間、そんなに人気があるのかと驚いたけれど確か前にも見た光景と記憶を捜査、ついで現場を確認して、1階にあるパチンコ屋の開店を待つ人たちがいつも並ぶんだってことを思い出す。ちょっとがっかり。

 とはいえ「ホーホケキョ となりの山田くん」に比べて確か同じ朝1番の上映ながらもすでに入っている観客の数はなかなかで、そもそもが同じ本八幡の映画館でも前は鰻の寝床部屋だった劇場が今回は場内でも最大規模の劇場へと変わっていた辺りに、興行側の対応も観客側の期待もそれなりに大きいんだってことが伺える。これが宮崎ブランドの偉大さか。上映を待つ数10分の間にも客はどんどんと入って来て最終的には5分の入り。近所のシネマコンプレックスなんかに比べて音響もインテリアも格段に劣る劇場にしてこの入りは、駅前って地の利もあるけどやっぱりそれだけいち早く見たいって人が多かったってことなんだろー。

 さて「千と千尋の神隠し」。感想は最高、素晴らしい、感動したby小泉総理。いや別に揶揄とかしてるんじゃなくって本当に他に言葉がないくらいに面白く、且つその面白さを説明するとこれから見る人のわくわくとした楽しみを奪ってしまう可能性があって、少ないボキャブラリーながらも作品の凄さを表す言葉として小泉総理お得意のセリフを使わせてもらっただけですので悪しからず。「アニメージュ」の8月号とかにはタップリのスチールでもってストーリーの前半とかがガッポリと紹介されていたけれど、実はまったく読まずに行ったんで女の子が名前を奪われコキ使われる話だってことは知っていても、出てくるキャラクター(釜爺があんな形とは知らなかったよ)に繰り出されるギャグ、そして何より紡ぎ出されるストーリーのすべてが新鮮で、次にいったいどーなるんだろ、最後には本当にどーなるんだろって感じで1分1秒のすべてを密度たっぷりに堪能できた。一観客でちょっと嬉しかった部分。

 親切にされたら御礼を言えとか知らない人の家に入る時にはノックくらいしろとか働かざるもの食うべからずとかいった”道徳”っぽさは感じたけれどそれは大人だからでメインターゲットにしている10代前半くらいの子供だったらなるほどそーゆーものかと思いつつ、そーやることで良いこともあり自立もしていくヒロインの姿に何かを学んで行くんだろー。声優さんに有名俳優がごろごろといて高千穂遥さんなんか顔が浮かんで見てられないとかって言っていたけど、当方、誰誰をやっているか気にせず行ったんで実は全然気付かなくって後でキャストを見てそーだったのかと驚いた口で(上條さんは分かったけど)、ましてや現物を知らない子供だったら素直にすんなり楽しめたんじゃないかと思う。じゃけんのお、とか言ってないし。

 横顔になった時の鼻の下があんなに長いヒロインってのは珍しいしあんなに目の離れたヒロインってのも貴重だけど、それでいて表情も仕草も可愛く見えるのは半分はこちらの性格で半分は作品の力、ってゆーか宮崎駿監督の執念か。物語の方で幾つか言うなら、そもそもが千尋が入り込んだ世界が何でそこにおける湯婆婆のポジションはどの辺りで千尋といっしょに働くリンってのは何者で湯婆婆以外のあそこにくらしている者ってのは何で、ってな考え出せば幾つも疑問が浮かぶあたり、前後の時間軸にこだわって世界を作り込むよりは続編とかに色気を見せず、その時間だけをいかに面白く見せるかって方に熱心なよーに見える宮崎監督の作品らしー。

 よーやく認められそーになったのに、元のつまらない暮らしに戻ったらいずれは失望し幻滅してしまうだろー、でもって誘われたら行ってしまうだろー。だからニール・ゲイマンは「ネバーウェア」(訳・柳下毅一郎、2400円)の中で、冒険を終えて元の世界に戻った主人公に再びのドアの向こうの世界を夢見させ、カラバス侯爵に「来ないのか?」と誘わせた。とはいえ現実には下のロンドンも”油屋”も存在しない世界に生きている人にとって、そーした世界への誘いはしょせんは逃避に過ぎずかえって目を曇らせ道を誤らせる。

 幻想の中でいろいろと教えた後でそこの世界に留まらせず、ちゃんと元の世界へと戻してあげる”親切”さを、これからの世代に向かって何かを語る人は覚えておいた方が良いんだろー。とは言え出演声優で最年少の8歳の神木隆之介君が「あの世界も全然怖くなかった」「だって幽霊とか神様なんていないって知っているから」なんて言っているのを読むと、もっと子供には夢を見てもらいたい、闇に恐怖してもらいたいって気もしないでもない。幽霊も神様もいないけど、幽霊や神様を信じる他人の気持ちまでをも否定する人ばっかりが蔓延った世の中って、やっぱり暮らしにくいと思うから。

 やっぱり小説だと続編とかへの色気が作者にも出版社にもあるんだろーし読み手の方も同じ世界観でずっと楽しめて嬉しいんだろーか。「ハリポタ」の爆発的ヒットを受けるよーに続々と発売される海外の子供向けファンタジーの1冊っぽく刊行されたクリフ・マクニッシュって人の「レイチェルと滅びの呪文」(金原瑞人訳、理論社、1400円)は、地下室に突然開いた穴からどこか別の場所へと連れて行かれてしまった少女とその弟が、湯婆婆ならぬドラウェナって魔女に自分も魔女にされよーとして、それは嫌だと覚えた魔法を駆使して戦うってストーリーで、異世界の少女が連れ込まれて戦うって「千と千尋の神隠し」との共通点もいっぱいあって、別に便乗した訳じゃないし帯にも謳ってないけれど、タイミングどんぴしゃの発売に書店なんかだと関連書籍と並べて売るとかポップを立てるとかすればそれなりに売り易そー。

 もっとも戦いは結構激烈で魔女の残虐ぶりは湯婆婆なんかの比じゃなく子供だとラストあたりの一大バトルに結構ショックを受けるかも。とりあえず勝利して元に戻った後のストーリーもすでに用意されているそーで、現実世界(といっても小説世界ではあるけれど)まで追いかけて来る幻想世界の脅威を読者はしばらく楽しめそー。魔法を覚えた主人公のレイチェルが隔絶された魔法の世界から現実の世界へと戻って繰り広げるバトルの果たしでどんな描写になっているのかに興味津々。作者の人は62年生まれの英国人でIT関係の仕事もしている人で「レイチェルと滅びの呪文」は娘のレイチェルに頼まれて書いたとか。赤い肌で目は刺青で縁取られていて口は蛇のよーに歪んでいて口には歯が4組もあってそのまわりには蜘蛛がうごめいていいるってゆー、魔女の描写は湯婆婆なんて目じゃないけどちょっと絵ではみたいくない気が。


【7月19日】 「作画グループ」はともかくとして「漫画ブリッコ」とか「リュウ」とか「少年キャプテン」あたりでの編集者としての大塚英志さんから入った身として、後の「少女民俗学」とかいったアカデミズム系の仕事に「サイコ」「マダラ」といった原作者系の仕事、「木島日記」のよーな小説系の仕事が「頑張ってるなあ」的感情にこびりつく「旨くスライドしやがった」的な羨ましさ&やっかみに彩られてなかなか目にスンナリと入って来ず、ごくごく一部をのぞくと実はほとんど読んだり見たりしたことがない。

 かろーじて論壇系での仕事が本業とかとの関わりもあって目には入っていたけど、それとて最近はとんとご無沙汰で、出たばっかりの「戦後民主主義のリハビリテーション(論壇でぼくは何を語ったか)」(角川書店、1600円)なんかを読むと、なるほど論壇系の仕事をいろいろあって最近はしてなかったことを知ったほど。相変わらずに輪がかかった己が道の突き進みぶりに、やっかみすら超えて感心の念が最近は浮かんできている。

 ろくすっぽ読んでないのに相変わらずな突き進みぶりなんてことがどーして言えるんだと言われれば、それは続々と出る単行本なり文庫ぼんなりコミックスなりの「あとがき」とかだけはコッソリと読んでいたりしたから。当たり障りのない近況でお茶をにごすとか21世紀の自分と登場させて漫談させるとかいった小技に逃げることなく、かといって大所高所からエラそーに語る訳でもなく、ただ素直にストレートに本をとりまく環境やら作業やら状況やらについて喋った、そのあまりな素直さぶりが醸し出す緊張感に浸りたくって、大塚さんの本が出るたびに真っ先に後ろを開いて、どこまで「性格の悪い大塚英志のあとがき」(デュアル文庫刊「多重人格探偵サイコ REAL」あとがきより)になっているかを確認していた。

 内容とか展開とかあらすじとかテレビ番組とか全然知らないのに文庫本版「多重人格探偵サイコ REAL」(徳間書店、648円)を買ってしまったのもそんな理由に結構よっていて、性格の悪いあとがき」であることを「あとがき」で書いてしまう「性格の悪さ」にはやっぱりなかなかなものだと感嘆したけど、それに留まらずWOWOWで放映されたドラマのシナリオをまとめたこの文庫本版「多重人格探偵サイコ REAL」にはなんと、性格の激しさを極限まて追究したよーなエッセイが実に7本も載っていて、「性格の悪い大塚英志のあとがきマニア」には実にたまらない本に仕上がっている。

 実際に「あとがき」ならぬ「エッセイ」には、番組の宣伝を全然しなかったWOWOWとか、結局事務所が持ち出したまんまだったりする番組制作に絡んでの大手の対応とかについて「相変わらず」な口調であれやこれやいっていて、読んでいると時に痛快だったり時に心臓がドキリといった気分を味わえる。角川でも講談社でもなく徳間から出る理由、ってのも含めて編集の人が読むと心がチクチクと痛むかも。小さなタブーを潰させることで大きなタブーに口を出させないよーにするテクニックとか、ドラマのキャスティングへの注文とか仕事のスタンスが気持ちに合わない脚本家をとばす話とか、言いたい放題やってるよーに見えるけど言った結果がちゃんとそれなりの形で出ていたりする辺りはやっぱり流石。伊達にこーゆー業界で10何年もご飯を食べ続けてはいなさそー。

 イラストを見る目もやっぱりで、今回起用した笹井一個さんて人のイラストは、ブキミな感じが想像の中にある「多重人格探偵サイコ」の世界観にたぶんぴったり。ヤングアダルトっぽいレーベルでよくもまあこれだけのグログロとしたイラストを表紙に出来たなあって思いもあるけれど、このグログロさが脚本とゆーか作品世界の大きなトーンになってるみたいんなんで、大塚さん的には当然の起用なんだろー。

 大塚ギチさん手がけたブックデザインも含めてとにかく目にピタリと来る本。そのあたりの巧みさが、大塚さんへのマーケティング的に世間を操ってやがるな的やっかみを醸成させながらも、前向きな意識を継続させる原動力になっているんだろー。しかしエッセイのためだけに買うのも業腹なでこれを機会に「サイコ」を読みDVDを観ることにするか。前に講談社ノベルズ版の何かを読んだ記憶があるけど中味まるで覚えてないんでどれを読んでもどれも初見として楽しめそー。とりあえずはシナリオから頑張るか。

 カセットと違っていくらだって作れてしまう関係上、ショップの店頭から1日2日で品切れになるってこともあんまりないし、昔と違ってコンビニでの予約にネットでの注文が普及している昨今、ショップの店頭に早朝から行列を作るのは半ば儀式みたいなものなんだけど、事大主義なマスコミなんかには「人気ゲームソフト=行列」って方程式が親父のデスクの頭の中にキッリチと組み上がっていて、オプションで「買って変える途中にひったくり」とかいったエピソードがついたりするから、「そんな時代じゃねーよ」とゆー現場の若手の意向なんぞはお構いなしに、早朝からどこそこのゲームショップに行って行列を撮って来い、先頭の人間には何日前から並んでるのか聞いて来い、ってな指令が飛んだりする。

 ってことで早朝から大忙しだった人もそれなりにいたみたいだけど、睡眠とゆー本能に引き替えるだけのバリューもないと認識している当方、日も高くなった頃にゆったりと起き出して秋葉原へと向かって居並ぶゲームショップの店頭をザッと舐めて、スクウェアが社運を多分かけてるタイトル「ファイナルファンタジー10」の販売状況を確認、まあだいだいがどこも結構な賑わいで、山積みのソフトを声出して販売している姿に、並ばなくても話題の新作ゲームソフトが買える良い時代が来たなあ、ってな感慨を思い抱く。ソフト会社にはちょっぴり困った事態なのかもしれないけどね。

 午後は新宿の「バージンメガストア」で「FF10」絡みのイベントを取材、待ち時間中に流れていた水辺でお姉ちゃんが葉っぱだかをグルグル回してたりするリアルなCG映像に続いて、赤い服を来て歌を唄っている超リアルな映像が出ていてCGもここまで進歩したのかと嘆息してたら実写の歌手の人だった、「FF10」のテーマ唄ってる。それは冗談としても瞬間、フッと迷うくらいにCGのリアルさは上がって来ていて、技術がさらにすすんで差異がすべて埋まってしまったそう遠くない将来、観ているものがホンモノかニセモノかを人は一体どーやって見分けることになるんだろーか、あるいはホンモノもニセモノも関係なく観ているものがすべてリアルと捉えるよーになるんだろーか、ってなことを考える。どーなんだろ。

 100人くらいはいたんだろーか、集まっている人の後ろから写真なんかをとって社長の人とかに映画はどーですかってな話をして退散。帝国ホテルで開かれたコーエーネットってコーエーの子会社の株式公開記念パーティーをのぞいてコーエーバンドの演奏に耳を傾ける。ケイコ・エリカワのボーカルによる「世界中の誰よりきっと」を聴けた物は幸せであろー、人生で出会う良いことも悪いことも含めてがすべて単なるイベントに過ぎなく思えてくるから。まあ前にコーエーが上場した記念のパーティーでも聞いていたりするから驚きはしなかったけど、これが初めてって人は結構なインパクトがあったかも。バンドのメンバーはすべて役員ってことでつまりは役員になりたければ楽器が使えてケイコ・エリカワのボーカルに合わせて奏でられるテクニックとスピリッツを持っている必要があるってことか。凄いなあ、偉いなあ。2曲終わって下がった時にいっせいに上がったアンコールの声の出もとは秘密だ。偉いなあ、鏡だなあ。


【7月18日】 なおも国民の義務は続く。日刊スポーツ企画出版社の「ワールドサッカーダイジェスト」増刊号として発売された「ドラガン・ストイコビッチ引退特集号」(1200円)を購入、おそらくは7月14日の瑞穂陸上競技場最後の試合で見せた感極まって泣き出しそーなピクシーの、見ているだけでこちらももらい泣きしてしまいそーな雰囲気のある写真が表紙になっているだけでも貴重なことこの上ないのに、内容も結構充実していて今年に入っての全試合と、それから95年に来てからの主要な試合のダイジェスト、あとプラーヴィ(ユーゴスラヴィア代表)での活躍にレッドスター、マルセイユ、ベローナでのキャリアなんかがグラフで特集されている上に、アーセン・ベンゲルや中西哲生、岡山哲也といったピクシーのことを分かり切ってるってことをファンも分かり切ってる人たちへのインタビューをちゃんと配置していて、どこのページを開いてもピクシーへの愛が伝わって来て、読んでいてやっぱり目頭が熱くなる。

 東京新聞から単行本で「誇り」が出たあたりだとサッカーファンの間だったら知れ渡っていたとしても、東京じゃあやっぱり地方でしかない名古屋のサッカーチームに所属している選手くらいの知名度しかなくって、中田選手小野選手中村選手といった日本のホープにばかりメディアの注目は集まっていたけれど、引退を表明したこの春から俄然注目を集め始めたみたいで、6月に入って「悪者見参」が文庫になって集英社から分厚い「ドラガン・ストイコビッチ完全読本」(集英社、1900円)が出て本人語り下ろしの「セブン・イヤーズ・イン・ジャパン」が祥伝社黄金文庫から出て、それから今回の増刊号の刊行と関連書籍が出版ラッシュ。さらには文藝春秋からもグラフ誌が出るみたいだし活躍を集めたDVDのリリースも予定されていたりして、リスペクトはそれとして商売としても立派に成り立つくらいの知名度をここに来てよーやく得たんだたー、ってな実感を覚える。「マカセテチョーヨ」の頃ですら全国区じゃなかったからね、ピクシーは。

 たとえばジーコが引退した時、ドゥンガが引退した時、スキラッチが、カレッカが、リトバルスキーが辞めていった時ですらこれほどまでに刊行ラッシュにはならなかったよーに記憶していて、なるほど活躍した期間が短かったってこともあるけれど、写真で見て華麗なプレイスタイルがあり、内戦に翻弄されたユーゴスラヴィアの選手って経歴があり、それでいて「98ワールドカップフランス大会」に出ておまけに「ユーロ2000」にも現役プラーヴィとして出場して大活躍までしてしまう実力があり、爆発野郎からクレバーな天才プレーヤーへ、といった評価面での劇的な変化があり、といった具合に見ても読んでも楽しめるドラマを持っていたってことが大きいかも。口だけじゃなく見かけだけでもない、その両方に加えて真の実力も兼ね備えたホンモノってのが日本から少なくなっている時に、ほとんど唯一残ったホンモノだったってことがこれだけの注目につながっているよーな気がする。

 グルリ見回してJリーグに、プロ野球に、カーレースにゴルフにテニスにどれだけホンモノがいることか。大リーグに行ってオールスターに出たイチローに佐々木に野茂とドメスティックな所では柔道の田村選手くらいかなあ。ハンマー投げの室伏が10年世界に君臨し、マラソンのQちゃんが次のオリンピックでも勝てばよーやく追いつけるか、って所かも。それでもこれだけの出版ラッシュにはならないだろー。返す返すも引退は残念で、ホント浦和が接触してるんなら大金積んででも翻意させて小野の抜けた穴を存分以上に埋め尽くしてくれれば、ホームの試合なんか東京から近い駒場で見られるしとっても嬉しいんだけど、流石に今回ばかりは翻意は難しそーで、残る「東京ベルディ1969」との試合は当然、10月6日に豊田スタジアムで開かれる引退試合「名古屋グランパスエイトVSレッドスター・ベオグラード」の試合も含めて、見られる試合は全部見る覚悟でその華麗な舞を最後まで応援していくことにしよー、ってことで帰省は10月までお預け。実家は平針なんで豊田新線で豊田市はすぐなんで、金曜日から実家に寝泊まりして見に行くぞ。

 例えば戦隊ヒーローの女性キャラの中味が男性だったとしても、仮面をつけた姿で足をふりあげたスカートからのぞくデルタ地帯に興奮してしまえないこともないし、明らかに女性だった場合にはそれがアンダースコートのよーな”見せパン”だったとしても、やっぱり胸躍らせてしまえる訳で、そのあたり男性のエロティックなものに対する感性には言葉とか理性では割り切れないものがあるってことが伺える。テニスのアンダースコートなんて最たるもので、最近はスパッツが主流になりつつあって個人的には非常に哀しい思いをしてるんだけど、アンダースコートは当然であるいはスパッツであっても、ベンチに座っている女子テニス選手を正面からおさえた映像にチラチラと見えるよーなことがあったら、やっぱり画面にかじり付いて見てしまうし、録画してればスロー&スチルでもって堪能してしまう。哀しいけどこれ、生理なのよね。

 さて最近はやりのファッションにローライズボトムってのがあって、股上が浅くなってておへそがみえるんだけど後ろ姿だとお尻が小さく足が長く見えるってメリットがあるらしく、細身の女性を中心に急速に利用が広まりつつある、まあ太めの人にもいないこともないけれど眼中から逸れてしまんで認識はしてない。で、ローライズボトムを履いた時、下に着用しているのが普通のショーツだったら上端がボトムウエアのベルト部分を超えてのぞいてしまうケースがあって、男性諸氏には嬉しいことこの上ないんだけど女性にはちょっと恥ずかしい。ベルトでカバーするとかウエストが短めの専用ショーツをはくとかいった防衛策がちょろちょろと登場して来ているけれど、しゃがんだ時に上から見おろすとボディとボトムのウエスト部分に出来る隙間から、やっぱりショーツの上端がのぞいてしまうケースが多々あって、これもまた男性諸氏の密かな楽しみになっていたりするけれど、当の女性からすれば上端がのぞくことより激しい恥ずかしさを覚えることになるらしー。

 ともかくもローライズボトムにはいろいろと問題があって、かといって解決策なんかわる訳ないよと思われていた所に、まるで逆転の発想でもって挑んで来た会社があった。見られるんだったら見せちゃえば良い。そんな発想をもとに玩具だったら有名過ぎるのにどーしてまた女性下着なんかと作ろーと思ったんだろーと誰もが訝るバンダイが、20日から売り出すことになったローライズボトム向けのショーツには、ショーツの上端部分に余分な布がついていて、ローライズボトムを上から履いた時にその部分がウエストから上にのぞくよーになっている。そのままだとまるで腹巻きなんだけど、バンダイのショーツはその部分が下に折り返せるよーになっていて、やるとこれがまるでベルトのよーに見えてしまうってゆーから吃驚仰天。バックル状の部品がついている奴もあって、遠目にはウエストに布ベルトを巻いているよーにしか見えない。

 ただ考えて欲しいのは、ベルト状に見えていてもその布はショーツの延長であるって事実で、言うなればそのショーツを着用している人を見るってことはすなわち女性のショーツもいっしょに見られるってことになって、男性だったら本来は喜ぶべきことなのに、たとえショーツにつながっていても、現実に折り返されてベルト状になった布を見て、想像力に妄想力を働かせても例えばアンダースコートなり、あるいは”見せパン”以上の興奮が得られないんじゃないかって感じがする。実際に着用したモデルが歩いていたんだけど、想像してもなかなかそれがショーツ(の1部)とは想像できず男としての想像力の限界にちょっとばかり落ち込んだ。触ったらあるいは繋がってるんだと思えたかもしれないけれど可能性はちょっと薄く、それなのに触って「ショーツ触った」と言われるのはたまらないんでちょっと実行できなかった。まもなく市場に出回るはずで街で見かける機会も多くなるんだろーけど、果たしてどーゆー反応が男性諸氏から現れ、またどーゆー意識が女性の中に芽生えるのかを調査して、女性とゆー記号の及ぶ範疇なり女性としての自意識なりを探っていければいきたい。たぶんやんないけど。


【7月17日】 うーん残念。第125回直木三十五賞に「われはフランソワ」(新潮社、1800円)がノミネートされていた山之口洋さんだったけど、奥田英朗さんに東野圭吾さんに真保裕一さんに藤田宜永さんと強敵揃いの中で1度のノミネートで受賞はやっぱりいくら作品単体が良かったとしてもやっぱり難しいんだろーと思っていたら案の定、これが何回目になるんだろー、同居人の小池真理子さんが早々と受賞して夫婦受賞は何時かと注目され続けていた藤田さんが作品の色気も含めてよーやくにして受賞となって、残念にも山之口さんは次の機会へと回されてしまった。新潮社としても多分相当にリキ入れての推薦だったんだろーけど、他者のタマが今回ばかりは強すぎたってことでしょー。負けずに2度目3度目のノミネートを狙ってください、4度目5度目6度目のそれもノミネートだけってのは心臓に堪えそーだけど。

 あるいは産経新聞の7月16日付朝刊が掲載した全候補者の顔写真入り紹介記事で眼鏡に長髪とゆーブンガク的な無頼っぽさダンディっぽさを醸し出してた藤田さんに比べると、本人はいたって穏やかな雰囲気でいっぱいの人なのになぜか写真だと坊主頭で目つきも緊張からか鋭くちょっぴり肉体派あるいは格闘派っぽい雰囲気に見える写真だったのが山之口さんにとって不利に働いたのかも(そーゆーことはありません、たぶん)。次はもうちょっと笑みを浮かべた選挙にだって使える写真で若いハートをギュッと掴んではいかがでしょー、選考委員につかめる若いハートがあるかどーかは知らないけれど。ところで同じ紙面の山之口さんの横で紹介されている田口ランディさんの写真コーナーに写っている人はいったい誰? おそらくは真正面からあてられた光によって鼻とかの陰影が吹き飛ばされて、まるで女神さまのよーに整えられまくった顔が神々しく浮かんでるんだけど、どう見ても前に見たランディさんと印象が違うんだよなー。山之口さんとは逆に意味で写真の凄みを感じた次第。いやホント、写真って怖い。

 山之口さんももしかしたら歩いていたかもしれない小道を抜けて「青物横丁」の駅からコナミが買収して新しく名前を変えた「コナミスポーツ」のフィットネスクラブへと、コナミのスポーツ関連商品のイメージキャラクターになった長嶋監督を見に行く。っても勿論当然に読売ジャイアンツの長嶋監督が試合もある中を抜けて来る訳はなく、全然立場も格も違うけど同じ長嶋ってことで起用されたプリティ長嶋さんを起用して代わりに……って違う違う、そんなんだったら怒るよね、起用されたのは同じ長嶋さんでも染色体が半分な(後の半分は奥さんから、かな)長嶋一茂さんで、コナミの野球カードゲーム「フィールド・オブ・ナイン」をプレーする監督って役柄でCMなんかに登場することになっている。ユニフォーム姿の一茂って結構久しぶりなんだけど、極真とかで鍛えてるんだろー未だにスリムな体を維持してて、背広姿も似合うし着せられたコナミ印のユニフォームシャツも似合ってて、やっぱり長嶋の子は長嶋の子なんだなーってことを実感する。背番号は3じゃなかったけど。

 質疑応答だととりあえずジャイアンツの2軍になりたいってことを言っていたけど言ってみただけのジョークで無論当人だってなれるとは思っていないみたいで、それでもカードゲームや8月だったかに発売のコナミが誇る野球ゲームの決定版「実況パワフルプロ野球」の「プレイステーション2」対応新作をプレイする中で、監督になれる喜びを噛みしめていくことになったみたい。さすがにカードゲームは信頼が大事なだけあって、引退して長く成績もほどほどだった長嶋一茂さんがカードの中に選手としても、ゲームの中にキャラクターとしても登場することはなさそーで、ゲームをイベントなんかに絡ませずに内容でしっかりと売っていこーとする姿勢が見えて安心する。っていったところでコロリと宗旨変えしてカードにオールマイティの如く登場させたと思ったら、ゲームではホントに監督なんかやっていたりする可能性もまるっきり否定できない所がちょっと怖いかも。今を旬にするより旬を年間に平準化させられるかが結構収益の鍵だったりすることを理解して、コナミには遊ばず奢らず長く地道にしっかりと、カードゲームをリリースしていって頂きたい。3年もたないカードゲームが多すぎるからなー。

 90のえっと7年か8年頃に「月蝕歌劇団」が舞台化したけど当時すでに絶版気味でいったいどこから原作を探して来たんだろーと不思議に思った竹宮恵子さんの「疾風のまつりごと」が小学館文庫から待望の復刊でまずはめでたい。古本屋で前の「プチフラワーコミックス」版も買ったんだけど案の定、家のどこかに埋もれてしまって読むことができないんで今度は枕元にキープして、いつでも読めるよーにしておこー。物語の方は、そこに存在するだけて周囲の人に「幸せ」を与えてしまう鳩子と、鳩子が作り出したほころびを繕ってゆく喬の2人が、戦後間もない頃の日本中を歩き回り、他人の家に預かり子として居候しては奇跡を成して再び旅へと向かうエピソードを重ねた連作短編集。2人がいったいどーゆー存在なのか、欲望につけこみ幸せを振りまいては浮かれる人の精気を吸い取る悪魔なのか、純粋無垢に人の喜びをかなえて歩くものの欲望に突っ張った人間の悪意に飲み込まれて翻弄される天使なのかがなかなか見えず、かといって狂言回しに撤して周囲の人々の生き様をクローズアップさせる存在に終わっているだけでもなくって2人と人間たちのどちらに力点を置いて読んだらいいのかちょっと戸惑う。

 2人の正体についてはいろいろな読み方が出来そーだけど、注目したいのは日本が今ほど豊かになる以前の、カツカツな中で幸せに貪欲でいつも前向きだった時代にこそ2人が存在できたって辺りの描写。第4話の「鳩子・生まれた日」ではもっと突っ込んだ描かれ方もしているけれど、詳しくは読んで頂くとして2人が存在できない時代、2人を必要としない状況をこそ人間が闇を克服した自立した良い状況と見るか、2人を必要とする時代こそが人間が良いことも悪いことも含めて人間らしくいられた時代と見るかによって、全体をポジティブにもネガティブにもとらえられそーでなかなかに解釈が難しい。ひるがえって今、この21世紀の時代に2人が必要とされているのかどーかも含めて、人間は戦後よりも幸せになっているのかどーかを考えてみたい。その意味でも良いタイミングでの復刊だったかも。全2巻。


【7月16日】 暑さのせいかろくでもない夢の2本立て。何カ月か掃除もしていなかった台所の流しに、例の白くてうにょううにょとした幼虫が大量発生して壁一面にびっしりと貼り付いていて、水をかけて落としても落としてもいなくならない恐怖の体験に震えたと思ったら、次は小学校にいた、アディダスのジャージ姿がトレードマークで夏は野球部、冬はサッカー部にバスケットボール部に放送部まで含めて、学校にあったありとあらゆる部活動に顧問然として嘴を突っ込んでくる目立ちたがり屋で、気に入らない生徒がいるとすぐ「クビだ」を連発する最低な野郎らしき人物が、ほとんと25年ぶりに登場して驚いた。

 野球部でノックのボールを外野から返球したら、よそ見していた野郎の肩に当たってしまいクビと言われたのを手始めに、サッカー部でも放送部でもちょっとしたミスをとがめ立てられクビと言われた記憶があって、ほかにも気に入らないことがあると怒鳴るは脅すは手を出すはで、今だったら児童虐待だ歩くPTSD発生源だと批判されまくること確実な野郎だったけど、当時はそれが熱血だと称えられていたから始末に負えず、生徒は何とか気に入られようといつもビクビクしながらご機嫌を伺っていた。夢ではそいつが仕切っていたサッカー部の練習に、行ったはいいもののサッカーシューズの片方だけが見つからず、怒られるんじゃないかとやっぱりビクビクしながら靴を探していたりする。

 これが化け物なんかに追いかけられる夢だったら、目覚めて良かったと安心できる所なんだけど、塗り込めていた記憶が甦るタイプの夢は、目覚めた後も怒りと自責と悔恨の念が逆にいつまでも尾を引いて、重い気持ちに週の始まりだってゆーのに頭が痛くなる。それにしても何故に今さらそんな夢がって気もしないでもなく、あるいは脳味噌のそーした忘れたい、忘れたままにしておきたい記憶ばかりが溜まっている場所が、暑さのせいで融け出しているのかしらと思ったけれど真相は不明。ともかくも思い出してしまった以上は積年の恨みをはらしトラウマを払拭すべく、居所を探して何発か殴り返してやるから覚悟しておけヤマモトクニオミ、今なら勝てる……勝てないかも。台所の方は……掃除しよう。

 気を取り直してコーエン兄弟の会見へ。秋に公開になる「オー・ブラザー!」のキャンペーンのための来日で、今度の作品「トゥー・ザ・ホワイト・シー」のロケハンとかもやってくみたいでこの死ぬほど暑い日本にしばらく滞在しなければならない不幸に同情する。実物は初めてなコーエン兄弟のえっとどっちなんだろー、髪の毛の長い方が兄で見かけ冷静で神経質っぽい雰囲気で、髪短めの弟の方は笑顔を絶やさない飄々としたタイプで兄弟の典型を見た思いがしたけれど、もしかしたら逆だったかもしれない。どちらも目鼻立ちがくっきりして細身で長身でつまりはなかなかに良い男で、日本だったらあるいは2人を主題にした同人誌だって出て来そーだけどアメリカにはあるんだろーか、やでおでいな本。映画についてはホメロス「オデッセイ」の翻案で(なにせ「構想3000年だから)家に帰る話にアメリカ人が西部劇よりも郷愁を覚えているらしー(そう質問した人がいた)南部を誇張も交えて描いているそーで、果たしてどんな物語になっていてどんなエピソードが仕込まれているのかちょっと楽しみ。

 夜は夜とて久々の「ロフトプラスワン」。唐沢俊一さんが「Web現代」に連載している不思議なサイト面白いサイトを紹介するコラム「裏モノ見聞録」をまとめた同名の本「唐沢俊一の裏モノ見聞録」(講談社、1300円)の発刊記念イベントってことで、書店に並ぶよりちょい早めに本が買えたんで1冊買ってついでにサインもしてもらう。「今日も元気だネットでデンパ」のお言葉付き。じっさい紹介されているサイトのデンパぶりはなかなかで、あらゆる文章をデンパ系にしてしまう「電波ニュース」はさておいて、最後の審判にヘアヌードをかけた人とか聖子ちゃん明菜ちゃんとのシンクロニシティーを数字でもって意識している人とかいった、歩いていては滅多なことではお目にかかれないしかかりたくもない人たちに、出会えるネットの素晴らしさが収録されたサイトの幾つかからは伝わってくる、デンパとともに。

 イベントでは「宇宙人大図鑑」を作って日々さまざまな姿でもって描き現されて来た宇宙人のイラストとかを収集・公開している人が登壇して唐沢さんとしばしサイトめぐり。現れる宇宙人像の豊かさに宇宙人といえば「グレイ」しか思い浮かばなくなってしまった創造力の涸渇ぶりを反省する。思い出したけど「次世代ワールドホビーフェア」の会場であれはトミーだったかタカラだったか、黒いスーツ姿のメン・イン・ブラックな兄ちゃんたちが新しい玩具か何かのパンフレットを配っていて、有名な「3メートルの宇宙人」をはじめいろいろな宇宙人たちのグッズだったかカードだったかをシリーズ化していく企画を見たっけ。そんなに種類あるのって心配したけど既に140を超える収集がなされている「宇宙人大図鑑」を見る限り、宇宙人トレカの企画だってすぐに成立しちゃいそー。それとも既にあるのかな、なにせ欧米は英国王室のメンバーを集めるトレカだってあるくらいだし。

 後半はお馴染みの鶴岡法斎さん立川談之助さんが登壇しては自慢のブックマークを紹介する形式で進展、鶴岡さんはごくごく普通の日記と掃除機で頑張る方法とNHKのラジオのニュースをつぎはぎにしてヘンなニュースにしたのをMP3で流しているサイトを紹介する。飼っていたクワガタだかが死んでしまって2、3日更新が止まった秋田の少年(このへん記憶あいまい)のサイトを見つけた理由は秘密だ。談之助師匠は趣味炸裂でどんな趣味かは今さら言うまでもないけれど個人的にはとても参考になるサイトばかりを紹介してもらって得した気分。遅くなったんで11時頃に引き上げたけど更にレアな情報とかあったんだろーか、あったとしたらそれは残念、まあ幾つかサーチのヒントはもらったんで頑張って探すことにしよー、戦いは果てしなく続くのだ。


【7月15日】 文字どおりの「死ぬほど」の暑さでスタジアムシリーズにしよーかなと思っていた高校野球の予選を見物に(応援のチアガール目的じゃないよ)行く気力もなく、昼間はリモコンが壊れて夏も冬も22度にしかならないエアコンが寒いくらいに効いた部屋で本を読みながら昼寝して過ごす、昼寝しながら本を読んだって言った方が正解か。優雅そうに見えるけど、寝てる場所が場所(本が積み上がった上に敷かれた座布団に尻、ベッドの橋に足で頭は本の山の上)だけに優雅さにはちょっと(とてつもなく)遠いかも。観葉植物に囲まれながらソファーでゆったり読書なんて人なみの生活、生きている間に送ることはできるんだろーか。

 しかしこれくらい熱帯な国になってしまった日本にはシェスタ&バカンス&サマータイムが必要かも。朝は涼しい5時くらいから13時くらいまで仕事して後は昼寝するなり遊ぶなりして午後の8時に就寝するか、暑い昼間は家で眠り夕方の5時くらいから真夜中過ぎまで仕事した後で朝まで遊んで眠りに就く、って感じ。後者だったら既に実践している自由文筆業な人も多いけど、新習慣導入の暁には晴れて真っ当な社会人として認知されるんだ。でもってそんなお墨付きが嫌な反社会的っぽさにしがみつきたい人だけが、暑い昼間に真っ黒になりながら仕事をするんだ。

 安定していて未来が約束されていて健全で真面目な世界が決して嫌いな訳じゃないけど、どこか不安定で未来も分からず危険で猥雑な世界に憧れてしまう気持ちを人間、誰しも抱いているものでどこか違う場所に行ってみたい、扉を開けて別の世界へと逃げ出したいって願望が、ちょっとしたきっかけでむくむくと湧き出して来る。それが高じると見えないものが見え、見えない音が聞こえて来たりする訳で、そこで踏みとどまることができなくって、とどまれずにあちら側へと行ってしまい戻ってこれなくなる人もいたりする。

 傍目でみていれば脱落した可哀想な人、不幸な人ってことになるけど、本当にそうなんだろうか、その人の中では立派に完璧にあちら側の世界、扉の向こう側の世界に行ったことになっているんじゃないだろうか、でもって幸福のうちに暮らしているんじゃなかろうか、ってなことをニール・ゲイマンの新刊でロンドンが舞台のファンタジー小説「ネバーウェア」(2400円)を読みながら考える。訳者は柳下毅一郎さん。「サンドマン」つながり、なのかな。

 ロンドンの金融街で証券アナリストをしている主人公のリチャードが、婚約者の制止も効かずに突然目の前の壁に現れた扉をあけて転がり出てきた怪我をした少女を助けたことから始まったストーリーは、今あるロンドンとは違う下のロンドン、地下道とか下水道とか地下鉄とかいったものの間に作られて、ホームレスなのかネズミなのかわからない人たちがうごめきあい、ボロをまとった伯爵に侯爵に女王様に天使たちが力を持っている不思議な世界へと墜ちてしまったリチャードが、助けた少女のドアといっしょに殺されたドアの両親の秘密を探し、リチャード自身が上のロンドンへと戻るための手だてを探す冒険の旅へと発展し、読む人に恐ろしいロンドン、恐怖のロンドン、ロンドーン、ロンドンの描写を見せつける。

 腐臭が漂い猫だって食べる(「猫は好き?」「大好き」「腿、それとも胸?」とゆーリチャードとネズミ語りの少女との会話が超愉快)喧噪と猥雑さに満ちた街、油断すれば命すら危なく生きていくにも一苦労の下のロンドンだけど、それでいて憧れてしまうのは上のロンドンにはない自由と生きているんだという実感、何かを求めそれに向かって進んでいるんだという充実感があったからなんだろー。果てしない冒険の果ての果て、すべてが終息し以前より幸せな状態にすらなったにも関わらず、どこか腑に落ちない気持ちになり満たされない思いに苛まれてしまうのも、ここではない場所にあるここにはない活気を知ってしまったからなんだろー。

 ネズミ語りの少女が話した下の世界へと来るまでに到った経緯から、あるいは死語の世界、亡霊たちが住む世界なのかもって気もして来るけれど、そーであっても胡散臭さをふりまきながらも機知い富んだ言動で幾たびも危機を乗り切るカラバス侯爵や美人の剣士ハンターやクループ氏&ヴァンデマール氏の殺し屋ペア等々、あんなに楽しく生き生きとした人々たちとの邂逅があって、謎解きや試練や怪物退治といったあんなに充実しきった毎日を送れるんだとしたら、それがたとえインナースペースへの引きこもりだったとしても、あるいは狂気への逃避だったとしても、やっぱり認めてしまうし「来ないのか?」と言われれば行ってしまう。清々しい感動でいっぱい、けれども甘美で危険な思想もいっぱいの大傑作。心して読もう。

 以下は疑問。普通の人だったら見えないはずのドアがどーしてリチャードには見えたのか。でもってドアと別れたリチャードが裂け目から落ちてしまったのはなぜなのか。やっぱりリチャードだけが見える狂気の世界、ってことになるのかな、それともリチャードが持っている何か、それは冒頭でロンドンに出る前に行き交ったホームレスっぽい女性と出会えた辺りから示唆されていた特別な能力によるものなのかな。さらなる冒険なんかも予見されてるっぽい節があるし、案外と続編なんかがあってそこで明らかにされるのかも。なくてもホント続きを期待したくなる。書いて下さいゲイマンさん、訳して下さい柳下さん。


  【7月14日】 言いつけを守らず自分どころか他の人の命まで危険にさらし、親切をお節介と受け止め反発して相手を傷つけ、理性的な説得にも感情的な敵意しか示せず事態をどんどんと悪くしていっている、まさしくガキとしか言いようがないガキであるにも関わらず、それでも寛容な周囲の態度と偶然さらには自分が持っている潜在的な力によって助かってしまい、半ば英雄にすらなってしまって大団円ってなストーリーはたぶん、大人からすればただただ怒りと腹立ちしか感じないんだろーし事実結構イライラとさせられる部分も多かったけど、当のガキからすればこれほど自分に都合の良い話はない訳で、だからこそ全世界共通に大袈裟で生意気で身の程知らずのガキに読まれ称えられるんだろー「ハリー・ポッター」シリーズは。

 とりわけ第3巻「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」(J・K・ローリング、松岡佑子訳、静山社、1900円)は、ハリーの我侭ぶりが極限にまで出ていてブラックってゆー自分の両親を殺害した「あの人」の手下を思われハリーに復讐するために脱獄したんだと言われている悪人に付けねらわれていると分かっているのに、言いつけをまもらず学校の中に留まらず町へと買い物に出かけ夜の校内を出歩き挙げ句に自分を危険い陥れる。無記名で届いた箒の贈り物が実はブラックのワナだったらどうするんだとゆー至極全うな忠告を素直に受け止められず文句ばかりをぶつぶつ言う。意外、ってゆーかまあミステリーなんかにありそーなどんでん返しの展開に直面しても金田一少年のよーな聡明さはカケラも見せずに感情に固執して事態を真正面から受け止めようとしない。「私は子供が嫌いです」、そう叫んだ伊武雅刀さんの言葉が今になって甦る、あの名曲また聞きたいなあ。

 けどまあそーゆー自在さでもって世の中の良いこと悪いことを経験していくなかで良くもなるし悪くもなれるのがガキの特権って奴で、おしつけがましく上から型枠はめたところで抜け出そうとするのも仕方のないこと、むしろ枠からはみ出て我侭勝手にやれば周囲がどんな迷惑を被るのか、迷惑という意識を抱かないまでも自分の振る舞いが自分だけじゃなく周囲のあらゆる事象に影響を与えるのかを認知させていくのが良いってことで、1冊読んで「終わりよければすべて良し」だなんて傲慢さを持たせないよう注意を促し、たとえばハーマイオニーの忠告、ダンブルドア校長の優しさ、セルプス先生の怒りの源に配慮を払えるような頭の柔らかさを、読んで持っていただきたいものだけど、無理なんだろーなー、大きくなったガキに過ぎない自分も含めて。お話の方は新しい要素(キャラクター、パワーバランス等など)を得てますます複雑化の様相で、復活も近そーな「あの人」との決戦なんかも含めてさらに先が楽しみ。松岡さん頑張って訳して下さい。

 スタジアムに行こうその5、かな。といっても今回は室内でスタジアムってよりはコロシアムってのが近いかも。明け方に届いた新聞でザッとイベントの予定と眺めて全日本プロレスの「2001サマーアクション・シリーズ」最終戦が日本武道館で開催されるってことを知って、昭島ではNOAのイベントもあったみたいだけどやっぱり馬場の子全日本の子、中学校が半ドンだった土曜日の何故か昼間に放映していた全日本プロレス中継で、よーやく繰り返しプロレス中継を見るよーになって以降、馬場だ鶴田だブッチャーだブロディだってな今は亡き(じゃないブッチャーは生きてる)面々の活躍に見入っていた身だったりするんで、どっちだと言われればやっぱり全日本へと足が向いてしまう。まあNOAだって魂は馬場で鶴田なんだろーけれど、馬場さんの看板を掲げられるのは全日本だけだから、ね。

 それにしても全日本、ゴッソリと選手が移籍してしまっていったいどーやって武道館なんかで興行するんだろーか、お客さんちゃんと入るんだろーかって心配もちょっとあって、実際のところ午後の4時の当日券販売時でアリーナ席のBって所が平気で買えてしまって値段も5000円とどっかの団体が東京ドームで興行やった時のスタンドですら1万円だったのに比べれば格安だったりする辺りに、分裂による人気の分散の影響なんかもあるんだろーかと思ったけれど、カードを見ると武藤敬司が奪取して保持している三冠のベルトをかけたスティーブ・ウィリアムズとの対戦と、世界タッグ選手権のベルトをかけた太陽ケアともう1人は誰だったっけ、ジョニー・スミスだかが持つベルトに何と天龍源一郎に安生洋二のペアが挑戦する対戦がそれぞれメイン、準メインになっていて、なかなか結構なカードを組めるんじゃないかとひとまず安心する。全員知らない選手だったらどうしよーかと思ったよ。

 開場まで間があったんで九段といえばな靖国神社へと参拝、はしなくってなにかお祭りっぽいことやってたんで縁日を冷やかす。全国から屋台が集まって来てるんじゃないかと思うくらいの数と種類の屋台が九段下から社までの参道を埋め尽くしていて、お好み焼きとか焼きそばとかチョコバナナとかいったスタンダードな屋台ばっかりじゃなく、ドネルケバブとか牛肉の串焼きとか鮎の塩焼きとかさつまスティックとか大阪焼きとかいろいろあって食べたい盛りの子供だったら大村益次郎にたどり着くまでにお腹を3回は一杯にしてしまいそー。生き物系だとヤドカリがゴジャラっとたかってる屋台があって慣れてる人なら平気だろーけど知らない人が見たら蠢く貝に鳥肌立てたかも。チヂミにプルコギってのがあったのが何とゆーかグローバルとゆーか、時が時だけに意外な感じもしたけれど、拝殿前にある舞台でパリの大学から来たフランス人らしーコーラス隊が歌を唄っていたりしていたのはなお意外。愛国心バリバリなフランスだけに通じるものがあるのかなー、ヤスクニズムと。

 戻って全日本プロレス「2001サマーアクション・シリーズ」。88年だか89年だかに愛知県体育館で全日本プロ列すにUWF(第2期)を見た時はいずれも2階席だったんで平場から見るプロレスはこれが初めてでちょっと嬉しい。試合は第1試合から渕正信が登場でいつから全日本に参加してたんだろー愚乱・浪花とあと1人は平井伸和か、その3人が同じリングの中で誰か1人がピンフォール取られるまで戦う「トリプル・スレッド・マッチ」ってゆー不思議な形態の試合だったりしたけれど、そこはエンターテインメント・プロレスな全日本、交互に譲り合ったりいがみあったりしながら渕を立てる愉快な試合を見せてくれました。以下藤原喜明組長やらグラン浜田やら川田利明といった譜代に外様の入り交じりながらもそれぞれが「明るく、楽しく、激しい」全日本っぽさにあふれたプロレスを見せてくれて、パターンっぽい所も多々あったけれど間合いに呼吸にリズムの心地よさはもはや一種の「型」、苛立たせ煽り盛り上げカタルシスを与える試合運びにいつしか時間が過ぎるのを忘れてリングへと気持ちものめり込む。

 世界タッグ選手権は太陽ケアの投げたTシャツを取り合った2人の膝だかが前列のおじさんの首筋に入ったみたいで随分と痛そーにしていて、あるいはあとでひと悶着があったかも。試合の方も天龍・安生組がベルト奪取とゆー展開でスンナリとは終わらず、天龍がベルトを投げるわカップも投げるわとちょっぴ荒れムードが漂ったけれど、そんな中でもベルトを肩にかけ転がったカップを拾って集める安生の動きが剽軽で、試合中の技の切れっぷりとの対比でちょっと面白かった。あーゆー人だったんだ安生って。メインはウィリアムズが手で三角マークを作って場内に武藤に挑む全日本最強の刺客ってな姿をアピールしてたけど、途中足を痛めてフラフラになりながらも武藤が最後までねばりにねばってウィリアムズをピンフォール。跳ね返したかと思ったけれどカウント3が入ってしまってカタルシスをちょっと外した終わり方ながらも三冠のベルト防衛に成功。てっぺんが薄いのがどうにも気になって仕方なかった中途半端な髪型をやめて潔く丸坊主にしてから、見かけと中味の凄みが一致して存在感のあるレスラーになったってたんだってことを見せつけてくれた。やっぱり潔さが肝心なんだなー、やるかスキンヘッド。

 それにしても中学校からしばらく見続けていた頃の全日本とは選手の名前もカードの組み方も大違い。何しろ超絶有名な外国人選手が1人として来てなくって、それでもちゃんと立派に見られるカードになっているって状況は、今だと全然普通のことなんだろーけれど、スタンハンセンディックザブルーザーブルーザーブロディアブドーラザブッチャータイガージェットシンザシークビルロビンソンボブバックランドニックボックウィンクルハリーレイスリックフレアーダスティローデステリーファンクドリーファンクジュニアフリッツフォンエリックキラートーアカマタケンドーナガサキウエダウマノスケ……ってちょっと違う名前もあるけれど、ズラリ並んだ超凄そーな外国人との抗争こそがプロレスと刷り込まれて育ってしまった目には、外国人のどの選手より日本人の方が有名な最近のプロレスは、やっぱり新鮮に見えてしまう。

 80年代半ばの新日本が日本人どーしの抗争っぽいカードを作り上げて以降、団体の分裂でトップに立って団体を引っ張る日本人レスラーがいっぱい出てきたりして、日本人どうしの試合でも情報に過不足なく内容に不満なく見られる観客が増えたんだろー。NWAにAWAにWWFってな世界標準のベルトがパワーを失って、こーした”世界標準”のベルトを日米で争うってな分かりやすい物語が成立しなくなったってこともあるし、アメリカンプロレスがアメリカンプロレスだけのこちらは名実ともに物語として成立してしまって、日本が入り込む余地がなくなっていることもあるのかも。世界の権威に頼らず格闘の内容のみで評価していく状況はなるほど正しいんだろーけれど、こーなってみるとあらためで「誰が世界一なのか」って興味も改めて浮かんで来るのも人情、団体間の垣根がまるで存在しなくなっている状況を利用しつつ、異種格闘技も採り入れ世界にも働きかけて、今いちど世界最強を決める大会なんかがあったらオールドなファンとして泣けるかも。できるのはやっぱりあのお方、くらいだろーなー、「バカになれ」るあの顎の人。


【7月13日】 人は解り合えないものなんだね。それはさておき嫌味っぽくロシア大使館の裏手にあるってことは諜報活動の活動の拠点も兼ねてたんだろー「アメリカンクラブ」へ行く。プールで金髪の女の子が歩いている姿を見られただけで暑さも吹き飛ぶってもんだ。もちろん別にパツキン&水着ギャル(U−12)を見に行った訳じゃなく、目的は「アメリカンクラブ」の大広間を借りて開かれたギャガ・コミュニケーションズの新作ラインアップ発表会。下期と2002年を合わせて70本とかの作品を持って来るってゆーだけで凄いけど、並んでいる作品も拙い映画の乏しい知識の照らし合わせて知ってる俳優、知ってる監督がゾロゾロと並んでいて、こいつ誰? ってな話がいっぱいだった5、6年前のラインアップとは段違いになっていることに隔世の観を抱く。凄い会社になったんだなあ、念願の株式上場も果たしたし。

 「グリーンマイル」に「U571」とかあって好調だった去年に続いて、今年も「ハンニバル」「メキシカン」とかあって、上期だけで去年の3分の2くらいを稼ぎだしてて絶好調らしくタイミング的には絶妙の株式上場だったよーだけど、下期に期待の2作が例の「ファイナルファンタジー」とそれからジャッキー・チェン&クリス・タッカーの「ラッシュアワー2」ってことでなかなかに悩ましいところ。まあ「ラッシュアワー2」に関しては見ているだけで石丸博也さんと山寺宏一さんのかけあいが聞こえて来そーな良い意味で品性下劣な会話と、それからジャッキーお得意の仕込まれ切ったアクションで楽しませて繰れそーだけど、「FF」に関しては画面の素晴らしさはそれとして、お話そのものに対する全米公開でのリアクションがあんまり伝わって来ていないんで、反応によっては2カ月のタイムラグが面倒な方向に働いてしまって、客足に影響を与えかねないからなー。

 まあそれでもお話はともかくビジュアルの凄みに触れられて結構楽しめたりする特撮映画とかアニメーション映画ってあったりする訳で、ゲームはともかく合間のムービーだけは凄いとうなっていたゲーム版「FF」の人とかだったら、凄みたっぷりのムービーだけがゲームをプレイしなくてもまとめて見られるのと似た感動を味わえるといって見に行くのかも。社長の人とか週末には全米ナンバー1獲得は確実とかって言っていて、大作が並ぶ隙間をぬっての週央の公開って作戦も成功ってところ。週間の動員数なのか興行収入なのか、どのカテゴリーで「ナンバー1」になるのかは知らないけれど、洋画って「ナンバー1」があるとないとでは興行に段違いの差が出るらしーし、あとの版権商売にも影響が出るんで、とりあえずの第一関門は突破ってことになるのかな。善哉善哉。

 以下適当に。メル・ギブソンがベトナム戦争のヘリコプター乗りを演るみたいな「ウイ・アー・ソルジャーズ」は固そー。メグ・ライアンのえっと題名忘れた、1876年あたりからトリップして来た兄ちゃんとニューヨークで恋いに落ちるファンタジックラブロマンス、って感じでこれも良さげ、メグちゃん笑顔が可愛いし。アル・パチーノがマッドな博士になって究極の美女をコンピューター上にCGで作り出す「シモーヌ」、別に水泳はしないみたい、声もフカキョンじゃないし。デンゼル・ワシントンだったっけ、息子の心臓移植をさっさとやれと病院をジャックする男の話「ジョン・Q」は結構胸に痛いかも。ドラッグの売人だったキアヌ・リーヴスが黒人少年ばっかの野球チームのコーチを始める何とかって映画、設定聞くだけでストーリーが浮かんで来るけどやっぱり感動しちゃうんだろーなー、がんばっていこー、とか叫んで。

 早くも期待は2003年に登場らしー「トゥー・ザ・ホワイト・シー」って映画。ブラッド・ピット主演でコーエン兄弟が製作ってだけでわくわくする話っぽいけど、原作だってなかなかどうして、「To the White Sea 白い海へ」(ジェイムズ・ディッキー、高山恵訳、アーティストハウス、1000円)ってタイトルで出ている小説は、太平洋戦争の東京大空襲前日にB29で日本に落ちてしまった兵士が、北へ北へ牛を追って(牛は追わない)歩いていく話で、バレんじゃないかって緊迫感や腹は減る足は疲れるってな極限状態から浮かんでくる幻想ってゆーか妄想めいたビジョンがどんな映像になるのかちょっと楽しみ。コーエン兄弟は「オー!ブラザー」のプロモーションで来週だかに来日で会見もやるけど、その後北海道からロケハンやって映画にピッタリな場所とか探すとか。霞ヶ浦に九十九里に松島に十和田湖に恐山に蔵王磐梯山会津若松喜多方ラーメン仙台萩の月と北関東から東北にかけての名所名物がズラリな映画になったら面白いんだけど(面白くてどーする)。

 南條竹則さんの突然発売な新刊「猫城」(東京書籍、1500円)を読む。タイトルだけ見た時にまず浮かんだのがサンリオSF文庫に入っていた老舎の「猫城記」で、猫娘のインパクトいっぱいな表紙と中国現代作家によるファンタジー、ってゆーか一種の風刺小説ってことで発売時から話題になって絶版となった今もアンナ・カヴァンの「氷」ほどじゃないけどサンリオSF文庫の異色ラインアップとして語られてたりする小説だけど、なにせ読んだのが15年は昔のことなんで内容はまるでうろ覚え。そんな記憶で重ね合わせてみて、猫が力を持ってる異界に迷い込んでいくってな展開はちょっと似ているよーな気がする。まあ関係はないんだろーけれど。

 会社をクビになって以後、定職にもつかずぶらぶらしていた中年男が昔からの友人に頼まれて九州で講演をやってその後、東京へは戻らずもらったお金がなくなるまで湯治場でぼんやりしていた時に見かけた猫にひかれたのかそれとも取り付かれたのか、猫たちのコミュニティめいたもに引きずり込まれていくって展開で、日常がひょなことから非日常へと変わり、そのままどんどんと非日常に移っていく感覚が面白く、繰り返される日常にいーかげん飽きた頭にはなかなかに眩しく見えるし、あくせく働いて得られるものの乏しさに呆然としている人には、湯治場でその日暮らしの生活をしている主人公がちょっと羨ましく見える。ひがな1日寝ている猫に憧れる感じに似てるかも。まあ猫にだっていろいろ猫の事情があるみたいで、そのあたりもちゃんと書かれていて憧れもちょっとだけ減殺されるんだけど、どっちにしたって楽しそーなことには変わりない。怪しく楽しい幻想小説。仕事に疲れた頭にはちょっと毒かも。


【7月12日】 全国の書店員さん、お疲れさまでした、ってことは別に仕事なんだろーからそれほど思いはしなかったけど、1冊だけでもズッシリと来る本を何冊どころか何百冊も運んで並べて並べて運んでそれを1日繰り返しただろー書店の文芸あるいは児童担当の人たちに、頑張ったねえとの感謝のエールはとりあえず送っておこー。予約のあまりの多さで刊行される前からベストセラー入りは確実と見られているは「ハリー・ポッター」シリーズの第3巻「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」(J・K・ローリング、松岡佑子訳、静山社、1900円)がいよいよ刊行されて、どの書店でも店頭に専用コーナーなんかを付くって山積みの平積みにしていて、想像はしていたけれどそれ以上の盛り上がりがあるんだってことを改めて納得し、「ハリー・ポッター」の凄みを痛感する。

 運び疲れて過労死する書店員とか、買ったばかりの「ハリポタ」をかっぱらわれた子供とかが続々と出てくれば社会問題化して一段と作品の”名声”を上げるんだろーけど、そこまでさすがに行ってないのが有り難いとゆーか、本とゆー商品が持つ商売っ気よりは名誉とか文化的価値とかを重んじる風潮が未だ残っているから、なんだろー、たぶん。とりあえず購入してアッとゆー間に100ページ強を読了、ちんくしゃな少年が魔法は凄かったありきたりな話の延長だったりはするけれど、自分になぞらえ困難に潜在能力で立ち向かうことへの憧憬を抱かせる点で、やっぱり「ハリポタ」は凄い作品なんだと言えるだろー。早く続きが読みたいと思わせる話作りの巧みさも同様に素晴らしい。次はきっと1年くらい先になるんだろーけれど、松岡さんには頑張って訳してもらい、1年といわず10カ月くらいで第4巻を出して頂きたい。お願いしまーす。

 「復活」、って言葉が本とか出版物に華々しくついた時に思うのまず長年読めなかったものが復刊されてよーやく読めるよーになってとっても嬉しいなってことなんだけど、一方で「復活」と銘打たなくてはならなくなるくらい長い間「埋没」していた、あるいはさせられていた理由ってのがあったりする訳で、「復活」する作品をイコール「傑作」として諸手を上げて歓迎して良いのか悪いのか、悩む理由もそこらへんにある。で、「石ノ森章太郎SFの歴史的名作、復活!」なんて惹句もはなばなしく登場して本屋に並んだ「ブルーゾーン」(青林堂、1800円)って単行本、決して熱心な石ノ森さんのファンではないっし漫画にそれほど詳しい訳でもない身ながら、とりあえずは「歴史的名作」と呼ばれている作品は読み通していただろー記憶の陥穽にすっぽりとハマって存在にすら気づかなかった作品って気がして、なるほど「復活」という言葉に久々の復刻とゆー意味を当てはめるなら、まさしく「復活」と言える刊行だろー。

 ただ「歴史的名作」か、と問われた時に浮かぶのは巨大なクエスチョンマークだったりするのが、どちらかと言えば後者の「埋没」させられていたっぽい内容からの印象で、例え7月23日に岩手県石巻市に開館する「石ノ森萬画館」のオープンに合わせたよーな復刻であっても、どーせだったらもっと他の、たとえば実業の日本社が出した名作漫画の再録に新作を集めた雑誌に入っていた、タイトル忘れたけれど面白そーだった作品とかを復刻してくれた方が気持ち的にももっともーっと盛り上がれたよーな気がしないでもない、奥歯にモノ挟まってます。ストーリーを言うなら孤児として育てられた少年のジュンに両親がいたことがわかった時にはすでに両親も姉も死んでいて、それは幽霊だか妖怪だか異次元から来た化け物だかによって殺されたんだとゆーことになっている。最初は信じなかったジュンも、自分に襲いかかってくる妖怪変化の類に出会ううちに、霊魂が行く異次元の存在を信じるよーになり、仲間たちとともに異次元すなわち「ブルー・ゾーン」からの侵略者と戦うよーになっていく。

 と聞けばどーってことのない話なんだけど、異次元が死語の世界とイコールで、エクトプラズムが集まった妖怪みたいなものが出てきて人間のエクトプラズムを集めたりして、どこかスピリチュアルだったりトンデモだったりする展開になって頭がちょっと苦しくなって来る。科学とか戦争とかいった部分から物語を紡ぎしていった「サイボーグ009」のよーな分かりやすさとは対極の、非科学的なものに理由を探そーとするニュアンスが染み出ていて、実際作品の中で作者とおぼしきキャラクターが「ふしぎ」なことを忌避する科学者たちを「古来より科学とはふしぎなことをふしぎでなくするためにあったのではないか?」と批判していたりして、読んでいて眉の辺りが湿っぽくなって来る、滲んだ唾で。死んだ人の魂が生きている人の体に入ると2倍強くなって超能力が発揮されるよーになるとかいった描写に違和感さえ抱かなければ、侵略者と戦う少年戦士ってイメージの実に石ノ森さんらしー漫画だとも言えるし、絵柄も女性とかなめまかしく美しい頃の石ノ森さんなでその点は安心。戦い途中でお話しが終わってしまうのはちょっと難で出来れば続きの読みたい所だけど、さすがにそれは無理なんでここは素直に「復活」を喜びつつ哀しみつつ、石ノ森さんの凄さを改めて認識してみることにしよー。しかしどーして青林堂がこれを。

 やっぱり義務なんで買う。ドラガン・ストイコビッチ著って意味ではたぶん初めてで最後になりそーな祥伝社黄金文庫の1冊に入った「セブン・イヤーズ・イン・ジャパン」(D・ストイコビッチ、祥伝社、552円)のことで、決して長くはないものの割と肉声に近いコメントが例えば日本のJリーグとか、日本人選手とか監督とかユーゴスラビアとか海外クラブとかワールドカップとかについて発せられていて、これまでインタビューなんかで聞いたり読んだことのある話も少なくないけれど、ひとつひとつの事柄についてインタビューなんかよりは分量があって、薄い文庫ながらもそれなりに読みごたえがあある。日本については規律の正しさを手放しで賞賛していて、電車が遅れないとか郵便がちゃんと付くとかいった日本人なら当たり前のことであっても、海外から来た人にとってはそーしたシステムの完璧さが実に気持ちに快適で、ストレスにならないってことが分かる。1分2分電車が遅れるくらいでがたがた騒ぐな、ってことなのかも。けどピクシーも東京に住んだらもーちょっとキレてたかも、中央線も山手線もしょっちゅう止まるし遅れるし。

 あのピクシーにあのスネジャナ、なんできっと2人いる娘も1人の息子も外国人的に美形そろいと思ったりするのがフツーの神経だけど、スネジャナって遠目にはダイナマイツに見えても案外と素朴な顔立ちだったりするし、ピクシーだって彫りは深いけどレオナルドのよーな美形顔とはちょっとニュアンスが違っていたりするからなのか、掲載されている写真を見る限りにおいて、間に生まれた子供たちの顔立ちは実に個性的でユニークで、さしもの女の子マニアな目にも1歩2歩間合いを明けさせ背筋をピンと伸ばさせる。とりあえず歯並びの悪さが気になって、誰もが写真に写る時は歯を見せた笑顔をする関係で、乱杭歯だったり鍬っ歯だったりする歯並びを真正面から見せつけられて反応に困る。生え揃った別の写真だとそれなりに見えるのもあるから難しいところで、あるいは3年くらい経ったらピクシーならずとも「妖精」としれグラビアくらいは飾れる美少女になってくれるのかも。あとやっぱり実物のオーラなんかも重要で、21日の東京スタジアムでの試合に見物に来てたら、躍動する姿態の見目麗しさと笑顔から放射されるエネルギーを確認して、それから判断してみよー、判断したからって良いことは全然ないんだけど。


【7月11日】 カッコ良いいいいいいいいいいっ、と「い」を100は並べたって表現しきれないくらいに格好良い絵が続々と登場しては目の肥えたアニメ記者たちをうならせ、スポンサーとか放送局の人とかをときめかせた「ヘルシング」のTVアニメーション化発表会で流されたパイロットフィルム。漫画で見たあの究極なまでに格好良さであふれた絵あのビジュアルに動きがついて、中田譲治さんの声までついて見せられて魅せられない人なんってきっとほとんどいないだろー。アンデルセンのナイフで全身串刺しにされたアーカードの口を耳まで割いての微笑みと、ナイフについた血をこわごわと舐めようとして舌をのばす婦警ことセラスの戸惑い、ワイヤーを操るウォルターの華麗な舞いに顔から怒気を発するインテグラの迫力と、止められた絵で見ても存分に漂って来たエネルギーとパワーがスクリーンからサウンドとともに伝わって来て体に震えが走る、ブルブルブル。

 絶対の信仰に従って信じるもののために突っ走るアンデルセンの腹の底から吹き上がる嬌笑には、野沢那智さんの猥雑さと高貴さの入り交じった独特の声が当てられ、完璧なまでに”生きた”アンデルセンがそこに出現していて心の中でラリホーと叫ぶ。折笠富美子さんの婦警は息遣いしか当てられていなくって感じがちょっと掴めなかったけど、絵だけならあのハチ切れんばかりに盛り上がった胸のイメージがこれまた完璧以上に再現されていて、本編での活躍ぶりへの期待が高まる。「青の6号」で2Dと3Dの融合に挑んだGONZOが制作に関わっている関係か、跳ぶ弾丸とかの感じがCG合成っぽく、あるいは人によって不思議な印象を受ける可能性もあるけれど、本放映までには仕上げて来るだろーし会見によれば映画の「ドーベルマン」的なスタイルの映像にするってことらしーから、スピード感があるスタイリッシュな画面をきっと、10月の放映時には見せてくれることだろー。

 放映がフジテレビ系の深夜ってことで、あるいは「DTエイトロン」とか「頭文字D」とかと同じ午前の3時とかってなりそーなのが不安だけど、宗教とか軍隊とかを政治的に正しくしつつ血の表現とかにも配慮しつつ、それでも原作の持つ迫力とドラマ性を生かしたアニメに仕上げるってスタッフの決意表明もあったことだし、第1期って捉えているってことはあるいは本ボスの登場する第2部への展開もある程度は折り込み済みだったりする可能性も皆無ではないと言えそーで、とりあえずはセラスの葛藤にインテグラの成長(少女時代のインテグラ、声誰が当てるんだろ?)にアーカードとアンデルセンとの超絶技能を駆使した死闘といった部分に注目しつつ、第2期が実際に実現するよー真夜中だろーと早朝だろーと頑張ってチャンネルを合わせて視聴率上げに貢献することにしよー。期待期待期待。会見を休んだ小中千昭さんには原作を超える迫力の脚本を是非。

 なんとこれは。「ナディア」のキャストキットに「ああっ!女神さまっ」のセル画に「銀河乞食軍団」のガレージキットに「攻殻機動隊」のプレミアムBOXに「スターシップトゥルーパーズ」じゃない「宇宙の戦士」のLDに加藤直之さんの習作におそらくは我らが大元帥放出の「Science Wonder Quarterly」誌1929年刊。他にもSFファンにアニメファンに特撮ファンにスペオペファン(「コメット号」だぜ、「キャプテン・フューチャー」に登場の)なら垂涎な品物が夏の麻布十番でヒッソリと取り引きされよーとしていたとは、厚生省の麻薬Gメンも国税庁のマル査も新宿署生活安全かの鮫島警部でも気が付かなかったに違いない。

 まあたぶんSFにアニメに特撮にスペオペに藤島康介にAICな人ならチェック済みで早速下見にも出向いたいただろーと思うけど、14日に「東京オークションハウス」って所で「SFスペシャルチャリティーオークションなんてものが開催されるそーで、「ガチャピン」と「バーサーカー」(パーカーじゃないよ)と手を挙げている人はかろうじて分かるけど、他のキャラやらベムやらおネジっ子にも元ネタありそーなトップのイラストもなかなかにキュートなページを見て、ズラリ並べられた商品リストを読むにつけ、行きたい買いたい買い占めたいってな気持ちがムクムクとわき起こり、銀行の口座に残っている夏のボーナスの残りをまとめて引っ張り出したい衝動がこみ上げてくる。

 野田昌宏大元帥放出っぽいパルプマガジンはあんまり出ていないけれど、加藤さんの「カルドセプト」向けとかに描いた習作とか、加藤さんがデザインして横山宏さんがモデリングしたパーカーじゃない「バーサーカー」のガレージキットは模型な人ゲームな人じゃないSFな人でも欲しくなりそーな逸品だし、「DUNE 砂の惑星」や「攻殻」や「宇宙の戦士」のLDのセットとか神谷明さんサイン入り「北斗の拳」フィギュアも「2007年ワールド今日本誘致委員会」への協力となると、既に持っていたりアニメのファンじゃないから欲しくないって人でも買ってみたいかもって気になって来る、お金さえあれば。オリジナルじゃない描き起こし1点モノの10数万円とかするセル画なんてものも出ていて、「天地無用」関係で欲しい絵柄もない訳じゃないけれど、ディズニーでもあるまいしちょっと高すぎるって感じ。誰が買うんだろう。その辺も含めてゲストのトークなんかも聞きにのぞきに行きたい気分だけど、行ったらやっぱり頑張ってしまいそーで、気づくと夏のイベントに行く金が尽き果てる可能性も高いからなあ。どーしよ。

 イベント紹介ついで。凸版印刷が文京区に建てた印刷博物館と同じ建物にあるイベントスペースの「PLAZA21」で16日から「世代・地域を超えて越境するポップカルチャー展」ってのがスタートで、日本とかアジアのたぶん生活により近い部分で使われているデザイン的にポップな品々を集めて見せてくれるとか。中には少女マンガの原点とも言えそーな高橋真琴さんの乙女絵の原画とか「チョコエッグ」の全アイティムとか「たけしの誰でもピカソ」に出て来た「アートバトル」の作品とかが入っていて、唐沢俊一さんの「キッチュの花園」に多分登場していた品々の展示されるみたい。期間中に開催の「ラウンドサークル(井戸端)セミナー」では都築響一さんや唐沢さんが登壇予定。飯田橋からも江戸川橋からも神楽坂からも遠いとゆー微妙な位置にある会場だけど、暑さにまみれて会場へと出向きポップの熱気に触れてみてはいかが。

 「アニメージュ」8月号、昔のロゴって書かれてあってアルファベットに変わっていたんだと気づく体たらく、でもやっぱりカタカナの方が「らしい」かも。OVAの評で「エイリアン9」の第1巻が取りあげられていて厳しさで鳴るあさりよしとおさんが星4つも付けててなるほどやっぱりあれは良いものだったんだと納得する。渡辺麻紀さんも4つで残り3人はいずれも星5つは「真ゲッターロボ対ネオゲッターロボ」の第4巻と一緒だったりするからつまりは、こっちも「エイリアン9」くらいに面白いってことなのか、それとも「新春かくし芸大会」と同じニュアンスの採点か。「アニメを旅する」の第3回で「lain」の美術を取りあげた水民玉蘭さんの記事が巻末に。電線の張り巡らされた絵とか見ていると「ブーン」って音が耳に甦って来る。見返してみたくなったけど、部屋に散らばってDVDが揃わない。とっても悲しい。


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