縮刷版20001年3月下旬号


【3月31日】 揺れるにはまだ暫くかかるらしー「決戦2」でイントロ部分最大の山場に当たる「赤壁の戦い」までプレイしてあっけなく敗退。戦闘から離脱させちゃいけない劉備を間違えて離脱させた途端に敗北決定で、なるほど適当にやってるだけでは勝てないってことがジクジクとだけと見えて来る。「ファミ通」の最新号を読むと攻略方法なんか書いてあったみたいだけど、そーゆー情報なんて入れずにあれやこれやと試しながら最善を探って行くのが多分ゲームの楽しみって奴だろーから、しばらくはあんまり雑誌とか読まずにどーやったら曹操に勝てるんだろーかと知恵を巡らして行くことにしよー、ふむふむなるほど劉備は最初の位置から動かすな、か(読んでるじゃん)。

 ぶらり秋葉原。駅前の「ゲーマーズ」が妙に目茶混みだったのは何故なんだろー、別に新しい商品が出たって雰囲気もないけれど、そーゆー流行り廃りとは無関係にキャラクターショップとしての認知度を着実に上げてて週末ともなると大きなお友達に限らないお客さんがちゃんと来店する店になって来たってことなんだろー、でもって来てみて大きなお友達の多さにきっと愕然とするんだ。新商品かは知らないけれど「デ・ジ・キャラット」のアニメ版に出ていたボイスアクターすなわち声優さんをフィーチャーしたトレーディングカードが出ていたのにはちょっと仰天、だってさあ、あの方々だよ、写真で欲しくなるものなのかい、そこんところだけは「でじこ」のささやかなファンを自認する僕でもちょっと付いていけない。あるいは「ぷちこ」な娘のセーラー服とかスクール水着とかでもあるんだろーか、だったらちょっと欲しい気が。「うさだ」な娘のスクール水着もそれはそれで、だったりするけれど。

 池袋へと転戦、最強最大となったらし「ジュンク堂」をのぞく。うーん上まで行って本をかついで下まで降りて会計するって手法はまとめ買いしたい時には便利だけど1冊2冊の同じジャンルの本を目的買いする時にはちょっと面倒な気がしないでもない。美術系なんて最上階だからなー、写真集とかもそーだし。不思議なんだけどエスカレーターにエレベーターといったフロア外での移動の際に鞄とかフトコロとか入れられる恐れが増してるんじゃないかってことだけど、あーゆーシステムにした以上はやっぱりそれなりな対策も立ててるんだろーから、エスカレーターとかエレベーターの方がかえって目標にされているのかもしれない、実はエスカレーターの中に人が入っているとかエレベーターの天井に張り付いているとか、よし今度下から槍でも突き刺してみよー。

 潰れてしまった小沢書店の本を哀しくも安売りしてたんで青海健さんて何年か前に無くなった文芸評論家の人のひょろんしゅう「三島由紀夫の期間」(2800円が1000円)を救出、後書きとか寄せ書きとかを読んで愛知県の県立高校で先生なんかをしていて無くなる時点まで愛知女子短大の先生だったらしく、地元にいた頃はいわゆる文芸にとんと関心を持ってなくって存在すらも知らなかったけど、こーして聞くと同郷のよしみが働いてちょっともったいない気がしてくる。これまた潰れてしまった海越出版が文芸誌を創刊した時にやっぱり愛知県で高校の先生をやっていたことがある清水良典さんなんかも交えて対談をやっていたとか、世間は案外と狭いもんです、あるいは愛知県はやっぱり日本の頂点とか(ああ郷土愛)。

 記憶だとその雑誌は買ったはずだからもしかしたら清水さん青海さんの対談も目にしていたんだろーけれど、あれやこれやとかみつくとかして世間に名前を売っていたりはしなかった関係で、真面目で中身も素晴らしいにも関わらず、存在すら認知できなかったのは今にして思えばちょっと残念。一方でそーゆー社会ネタ的な立ち居振る舞いを切り口にして世間に撃って出るの才能の1つだったりするから難しい。亡くなってすらそれほど大きくは知られず遺稿集を出した出版社までなくなってしまう状況を見ると、どーであってもやっぱり名前は売っておくべきなんだろーかと悩んでしまう。もっとも存命なままメジャーを目指そうってな雰囲気はあんまり感じられなかったから、良き仕事をして良き読者に恵まれて当人としても満足だったのかもしれない。後はせめてこの本が他から出るなり(講談社さんどーでしょー、一応「群像」出みたいだし)すればなおのことを偉績が知られ讃えられることになるんだけど。

 同じ小沢書店から出ていた酒井忠康さんって彫刻とか近現代の美術に関してあれやこれや書いた評論を集めた何とかて本もいっしょの自由価格本のコーナーに並んでいて、中に舟越桂さんの「森へ買える日」ってゆータイトルの第一作品集に収録されていた、「遠くの人を見るように」って舟越さんの彫刻のフォルムやらモチーフを実に端的に言い表している言葉を表題にした評論もそれに入っていて、ちょっと欲しくなったけど荷物も重いし「森へ買える日」は舟越さんのサイン入りのをもっていたりするから今のところパス。でも酒井さんが遠藤若林といった日本の誇る彫刻家について書いた文章も確か収録されていたはずだから、やっぱり拾っておくべきだったのかもしれない。別の評論集もあって併せても目は飛び出るほどじゃなかったから、時間を見て抜け出して遠からず広いに行くことにしよー、でも1ページを2人で埋めなきゃいけなくなるからなー、およそ日本新聞協会加盟の新聞社にあるまじき労働環境の中で時間を見繕えるかちょっと不安。

 それでも11日だかのサイン買いにはしっかり行くつもりで、「ジュンク堂」は離れて新宿にある「紀伊国屋書店」のルミネ2店で最新刊の「立ち尽くす山」(求龍堂、4700円)を購入して、青山本店で開催される整理券ももらちゃったんだけど。彫刻な人の表情をした絵でも描いてくれると家宝になるんだけど流石にやってはくれないだろーなー。こっちの方には文章としては芥川賞作家でお茶大SF出身らしー川上弘美さんが舟越さんの1つの作品が醸し出していた「こわさ」めいたものについて書いていて、女性だからファンシーだから人形も好き、ってな固定観念を解体して気持ちを平準化してくれている。個人的には昔から見慣れているから舟越さんの彫刻のどこを見ているか分からない目つきも含めて明るい場所で見ている限り決して「こわい」って印象は受けないんだけど、暗がりの廊下の向こうに浮かび上がったらやっぱり腰を抜かしてしまいそー。昔よりも表情の付け方が巧くなっているってことなのかもしれない。実際に下目づかいの人形とか、木なのに目をそらすと首とか目とか動かしそーなリアル感があるんだよなー、舟越さんの彫刻には。

 作品を見て思ったのは人間の上半身を写実っぽく切り取って彫刻に仕上げていた以前に比べると、素材の使い方とか胴体部の作り方とかにずいぶんと変化があって、第一印象としてちょっぴりとまどったけれどよくよく眺めるに胴体の微妙な崩れ方とか顔の微妙なずらし方とか、破調なんだけどギリギリのバランスで格好良さが保たれている辺りの作品に対する舟越さんの深化が見てとれる。肩に家っぽい突起があったり2人が抱き合っているよーな形にしたり顔に2つ目の顔をつけたり胸から手が生えてたりと、実際にいたら怪物にしか見えないポーズなりフォルムの作品でも舟越さんが作ると妙に格好良いんだよね。もちろん1面からしか見えない写真よりも実物を見た上でバランスなんかは判断したいところ、なんだけど西村画廊の個展は行きそびれてしまったからなー。村上隆さんも悪くはないけど東京都現代美術館、どーして舟越さんは蚊帳の外なんだろー、あんなに色々な場所で作品が使われていて、川上弘美さんもファンだって言っていて、そもそもが「ベネチア・ビエンナーレ」にも出た人なのに、日本の大都市にある美術館での無関心ぶりはちょっと謎。あるは知ってはいけない美術界の謎なんだろーか。人形の中味は実は人間だ、なんて伝説が語られて敬遠されているなんて可能性は……ないよねえ。


【3月30日】 揺れないじゃないか、って憤るにはまだ早いかもしれない「決戦2」。チュートリアルめいた1つ目2つ目の戦闘を適当にやっても勝ってしまった状況に、もしかしたら映像だけを楽しむ初心者向けのお気楽ソフトなのかなー、とか思ったけれど聞くと4戦目とか5戦目あたりからグングンと難しくなって武将も放っておかずにちゃんと指揮をしてやらないと勝てないみたいなんで、その辺りになるまでは安易な戦闘の中でもいろいろと試し、ムービーじゃなくって戦闘シーンで女性を操って初めてシブサワ・コウ渾身の「揺れ」を楽しめるんだと信じてノウハウを積み上げて行こー。それにしても劉備の古谷徹さんと美三娘の小山茉美さんが同じシーンで絡まる声優さんの使い方は、昔ながらの声優ファンには懐かしくってニマニマしながら楽しめる要素かも。山寺宏一さんとかないみかさんの未来? なんて言ったら縁起悪いかなあ、やっぱり。

 料金未納で止められていた電話を復活させるべく早起きして営業所に行って金を払ってから「幕張メッセ」へ。「東京ゲームショウ2001春」はちょっと前まで「幕張メッセの全部のホールを使ってるんだぜスゴいだろー?」ってな威張り方でその規模の凄さを訴えていたのに、あそこが出ないここが潰れたなんて業界の抱える問題がボディーブローのよーに効いてきたのかそれとも右ストレートさながらに一気にノックアウトされてしまったのか、配置もユルユルなブースがそれでも全てのホールを埋めるに至らず、7ホールと8ホールを半分壁で仕切って向こう側を使ってなくって、赤字企業が軒を並べるドン底の経営状況を反映した内容になっていた、出店状況に限っては。

 もっとも中身については見所十分で、例えば初めて出展した任天堂が「ゲームボーイアドバンス」向けに不思議な音楽ゲームを出していて、「コロコロカービィ」を作ったチームらしー不思議でお洒落な内容と露出もたっぷりなコンパニオンに惹かれて1番隅のまるで隔離病棟のよーな場所だったのに結構な観客を集めていた。ブラとパンツの間で肉が膨らんでるコンパニオンに近寄ってつまんであげたくなったのは内緒だ。あとカプコンのボディコンミニスカなコンパニオンの見えそーで見えない感じとかも最高、ベストコンパニオン賞は確実、かな。ソフトだとスクウェアの「ファイナルファンタジー10」とかナムコの「エースコンバット4」とか「プレイステーション2」の上で走る期待十分話題沸騰なソフトが触れたりするのもファンには嬉しい所かも、ファンじゃないと全然どーでも良いんだけど。

 なによりもソフトの帝国・マイクロソフトが引っ提げてゲームの帝国・日本に乗り込んで来た「Xbox」を目の当たりに出来るってのがポイントかも。もっとも最初のうちは発売までまだ半年以上もある関係で触れる内容も限られるだろーから、とりあえず見ておこうかってな程度の位置づけだったんだろーけど、世界一の大金持ちなビル・ゲイツ会長が来日して講演をやるってことで世間の関心も一気にヒートアップした感じ。集まって来るメディアも日本全国どころか世界全域に広がっていて、基調講演が開かれるホールの開場1時間前から並んでいた行列の前後には、中国の人だったりアメリカの人だったりが寒空に身を凍えさせながら並んでいて、聞くと「ショーは全然見てないんだよ」なんて言ってたくらいで、ゲームは置いてもゲイツの声を聞かなきゃってな人たちの来場で、展示のユルさと反比例する人数がきっと集まったよーな印象を持った。過去最大なんて集めちゃったら来年から呼ぶ人に困りそー、ゲイツを越えるゲストスピーカー? うーん鳥肌実さんとか(嘘)。

 それにしても集めたもんだよパートナー企業。すでに明らかになっていたコナミとかもそれなりなタイトルを出していたけど、巷間言われながらも今回が正式には初めての公表となるセガによる「Xbox」向けタイトル供給は、「パンツァードラグーン」とか「ジェット・セット・ラジオ・ヒューチャー」とか「セガGT」とかいろいろ含めて11タイトルに及ぶとかで、世界一のコンテンツホルダーを目指す会社に相応しい力の入れ様が伺えた。もっとも前に発表した「プレイステーション2」向けは確か「サクラ大戦」とか「バーチャファイター4」とかってなセガでも一頭抜けたタイトルが並んでいた記憶があるから、やっぱりソニーが好きなのかな、まあそこは音に聞こえた香山マジック、両天秤で旨い話を引き出しながらセガに最高の道を進んで行くんだろー。どっちにしたって「Xbox」即買いだろーからどこで出よーと関係ないんだけど。

 むしろ驚いたのはマイクロソフト自身も極めて真剣に対応ソフトの開発に取り組んでいるってことで、外国の良い所を持ってくるだけじゃなくって日本でも日本ならではの力を注ぎ込んだソフトを現時点では10本ものラインで作ってることを明らかにして、その真剣さを集まった人たちに強くアピールしてた。もっとも海外から持って来る「スノーボード」とか「アメリカンフットボール」とかシューティングとかいったタイトルは洋ゲーっぽさが抜けてなくってダイナミックなんだけど繊細さに欠けるって印象があって、力を入れてるって割にはたいしたことないかもなー、と思ったのは実は早計で、その後に見せてくれた「バウンサー」とか作った石井精一さん率いる日本の「ドリームパブリッシング」が作ってる「K−X」のすさまじさたるや流石なもので、躍動する肉体の滑らかな動きに重なるリアルな陰影に、ゲームもここまで出来るよーになったかとハードの性能を驚きつつも、世界を越えるゲームを作れる日本の開発力の高さに改めて感嘆させられる。何時でるんだろ。けどどーやって遊ぶタイトルなんだろ。待ち遠しいなあ。

 「ヤングキングアワーズ」5月号は「ジオブリーダーズ」が迫力のカーチェイス&銃撃戦で、バトルな部分がちょっと少ない気がしたアニメ版の最新作にして最終巻に感じた物足りなさを存分に埋め合わせてくれた、ありがとう。漫画版には初登場な「蒼い流れ星」のことを真紀が「おめェも出遭ったことが有る筈さ」なんて言われているけれど、このエピソードってOVAのえっと先だったっけ、後だったっけ。記憶がユルくなってってちょっとすぐには思い出せないのが悩ましい、まあどっちにしたて真紀ちゃん、忘れたりする可能性も高いんだけど。読み切りは筋骨たくましい若者の赤木雷蔵が改造されてちょっぴり変わったセイギノミカタに変身するいかみはじめさんの「濃縮還元ローテシールト」が最高、変身前が6コマしかないけど当然だよね、見苦しいもん。


【3月29日】 「週刊文春」で断片的に読んではいたけど果たしてどーゆーストーリーだったのか今ひとつ分からなかった東野圭吾さんの新刊「片想い」(文藝春秋、1714円)が単行本にまとまったんで買って読み始めたら2時間くらいで一気読み。女性なんだけど心は男性だとゆー性同一性障害の旧友が冒したらしー殺人事件の話題からスルリと入って同じ障害に悩む人たちの苦闘とかを描きつつ、大学時代の同じ部活に属していた人たちの過去へのこだわりを混ぜつつ夫婦や家族といった単位が持つ意味を問い直しつつ、事件にもキッチリと決着を付けてみせるプロットの巧みさ鮮やかさに脱帽する。主人公の元クオーターバックが優勝のかかったアメリカンフットボールの試合でどーしてサイドを走るランニングバックにボールを投げなかったのか、とゆー理由にもちゃんとケリがついてるし、アメフトのメンバーだった人たちがそれぞれに当時のポジションにそぐう性格なり役割を事件の進展に関連して果たしてたりする辺りの凝り様もやっぱり凄い、まあちょっと出来すぎだとは思うけど、特にラストの辺りなんか。

 結局の所、当事者ではない人間には性同一性障害の人が抱える悩みは想像できても身になって考えることは不可能だし、たとえ想像できたとしてもそれはあくまで自分の知識なり感覚の範囲での想像であって人それぞれに異なるだろー認識までをも含めて理解できる訳ではなく、類型的にならざるを得ない非当事者の思い込みが当事者の人によってはウザったくなったり時には反発すら覚えることもあるだろー、そんな様がいろいろなパターンの人たちを通じて描かれていてあれやこれやと考えさせられる。類型的で紋切り型な思考でしかなかったり、先入観に思いこみが常だったりするにも関わらず、それらがすべて純粋な正義の気持ちから出ていると信じて疑わない人間が多いマスコミ業界だけに、人それぞれに異なった感性を持ってるんだって当たり前のことを、当たり前な思考が出来ない人に理解させる意味で、有効な内容を持った小説だろー。だけども読んで書かれてあることを1つの典型にしてしまうのがマスコミ業界だったりするからなー。

 「日本ゲーム大賞」の授賞式を見物、「東京国際フォーラム」で開かれるよーになってこれが2回目になるんだろーか、豪華なセットなんかを見ると米国のアカデミー賞に擬したイベントにしたいってな意欲は伝わって来るけれど、集まっている人たちが別にタキシードでもなければドレスでもなく、実行委員長はジャケットにスラックスにギョーザ靴でドレスコードからは縁遠く、授賞する人も中にはドレッシーな格好をしている中裕二さんとか堀井雄二さんとかいたけれど、クリエーターらしくジーンズにトレーナーとかいった人も結構いて、それはそれで気楽だし個性的だとは思うけど、世界に冠たる賞へと発展させて行くんだったらもう少しだけ、せめて運営に当たっている人たちだけでもその気を見せてもらいたい気もしてきた。あるいは徹底的に気楽な賞にして全員がカジュアルで通すとか。

 そんな中にあって1人気を吐いておられたのがゲーム大賞の選考に当たった委員のメンバーに入ってて会場にはプレゼンターとして駆け付けていた漫画家の柴田亜美さん。ストールなのかショールなのか詳しいおとは知らないけれど両肩から下げた布の下は肩の部分が細くなってつながっている胸元の大きくV字に開いたドレス。はじめはフィギュアスケートの選手が良く着ているよーな首まであるのに肌色なんで一瞬勘違いする服の類かと思ったけど、ちょっとだけ頭を下げた瞬間にのぞいた胸元にWの文字を想起させる若干の谷間が見えて、シャツなんて無粋なものは着ていない、正真正銘の生な胸元だってことを遠目ながらも確認する。

 もっともWにも種類はいろいろあって例えば近所の裏山のよーに標高なんて呼ぶも烏滸がましい丘だったりするケースもあればマッターホルンに槍が岳が連なる迫力の高峰だったりするケースもあるから難しい。柴田さんの場合はといえばあれほどまでに開いた胸元を正面から見据えても思ったほどの目に毒感がなくって、それはつまりマイクを挟めそーだとか埋めると窒息しそーだとかいった鈍重さを想起させるよーなエピソードの存在を否定できそーな胸元だったってことになるんだろー。あるいは高価なドレスの卓越したパターン技術、縫製技術がいかなメロンが西瓜なバストだろーとピタリ治めて相手にドギマギ感を与えないよーにしているってな解釈も出来ないこともないけれど、流石に近寄って確かめる訳にもいかず遠目に拝見しながら果たしてどーゆーヒミツが正面から見た場合の陰影の薄さに影響をお呼びしているんだろーかと考える。うーん謎だ(謎なもんか)。

 さても栄えある大賞は「高機動幻想ガンパレードマーチ」に「ドラゴンクエスト7」に「ファイナルファンタジー9」に「ゼルダの伝説 ムジュラの仮面」といった最初のは別にしていずれも超絶的ビッグネームなタイトルが並ぶ中で、セガの「ファンタシースターオンライン」が授賞して半ば当然半ば意外。当然ってのはコンシューマー機に対応した始めての本格的なネットワークRPGで、且つ最初のタイトルだからってな甘えも妥協もない中身の面白さも十分だろーからある意味授賞は当然かもしれない。とは言え売上本数で言うなら10倍20倍なソフトを押さえての授賞となると、逃した堀井雄二さんがどー思っているかは分からないけど傍目にはある程度のバイアスでもかかっているんだろーか、判官贔屓めいたものがあるんだろーかってな感覚をどーしても抱いてしまう。

 それを言うならちょっと前の「どこでもいっしょ」だって、これを売上でも多分ファンの多さでも越えるソフトが沢山あっただろー中から選ばれた訳で、何か新しいことをやり遂げたタイトルである程度のセールスも確保したタイトルなら、やっぱり選ばれても不思議じゃないしむしろ当然ってことになるんだろー。もちろん「ドラクエ」「FF」「ムジュラ」のいずれもが授賞したってきっと異論はでなかっただろー、それくらいに凄いメンバーが揃った優秀賞。こんなに面白いタイトルがあるのにゲーム業界は何故か沈滞ムードが漂っていたりする不思議を、どー解釈すれば良いんだろー。圧倒的なタイトルとそーでもないタイトルの開きが出てるってことなんだろーか。単純に景気のサイクルだろーか。明日から「東京ゲームショウ2001春」だけど、果たしてどれくらいの人どんな感じの人が集まるのかを見ながら、今年の動向なんかを探ってみたい。「ゲーマーズ」の出店がないから「でじこ」な人が来ないのは果たして良いのか悪いのか。


【3月28日】 お洋服への類希なる理解を愛情が生みだした絶後にして空前の乙女小説「ミシン」(小学館、1000円)が本人のパーソナリティーもあって目茶売れしてしまった嶽本野ばらさんに待望の第2作「鱗姫」(小学館、1260円)が登場。短編が2本だった前作に対してこちらは長編、それもSF? ホラー? ファンタジー? いえいえやっぱり乙女小説ではあるけれども、より幻想的耽美的な雰囲気が増していて前3ジャンルほかミステリーなんかの人でも楽しめるエンターテインメントに仕上がっている。日傘が禁止されても雨傘をかかげて学校に通う乙女チックな少女を襲った悲劇。絶望に沈みかかった少女はけれども希望を見出し悪に身を委ねてでも行き続けようとする、その強さしたたかさに読んでひどく心惹かれる。

 「ビビアン・ウエストウッド」やら「コム・デ・ギャルソン・オム・プリュス」やら「ダナ・キャラン」やらファッションブランドの、その思想までをも引き込んだ使い方の妙は相変わらずで、且つ内外のホラーや伝説に題材を取ってのストーリーテリングの巧みさ、差別されるべき人間が憐れみと同情の入り交じった微笑みにくるまれ差別によって生まれるアイデンティティーすら殺されてしまう理不尽さへの憤りといった主張の強さ等々、読むべき部分も数々あって短いながらも濃密な時間を過ごさせてくれる。作家のパーソナリティーすら忘れさせるほど圧倒的なホラーにしてラブストーリー。これは買いだ。

 天童荒太さんの別に影響って訳でもないんだろうけれど、若い頃のトラウマが成長してからも行動とか思考とかに暗い影を落としていろいろな事件の原因になってるってな物語が数多く生まれて、たいていはその痛さに共感できるけど、中にはその安易さに辟易としてしまうものもあって、ムーブメントとは言えそろそろ書く方も書かせる方も読む方も、何が本当にトラウマでそれが本当に事件を引き起こすほど深刻なのかを考えて、まるでドラマの小道具あるいは単なる狂言回しとしてではなく、使うべき時に来ているよーな気がする。実際は別にトラウマになんかなっていないことが、小説の設定に引っ張られてしまう可能性があるよーな気がして仕方がない。でも説得力あるんだよねー、誰もが持ってる、あるいは聞いた記憶のあるトラウマが原因の事件って。

 藤田宜永さんの「異端の夏」(講談社、2200円)もそんな大昔の記憶が今に蘇っていろいろと事件を巻き起こす話で、そうまでして人間って傷つけられた事への恨みを晴らしたいんだろーかと、理性による抑制の無力さを感じてしまったけど、実際問題起こる事件に占める”虐待”の記憶の爆発なんてどれほどのものでもないだろーから、あるいは誰もが持ってる”虐待”の記憶を解消してくれる装置として、こーゆー話が求められているのかもしれない。気持ち的にはそーいったトラウマよりは主人公の刑事が持っている苦い記憶の方が身に染みる。奥さんの不注意で息子が死んでしまい、それが許せず奥さんとの中が冷えて遂には離婚に至ってしまった刑事で、それがどういう訳か息子が不注意で失踪してしまった美人の母親が、夫にいじめられる姿に自分の後悔の念を重ね合わせてしまうって寸法。そこで同情の挙げ句に惚れてしまうか否かは別にして、後悔は先に立たないけえど後で何とかしたい人間の本能めいた感情の機微が滲んでる。

 同情が恋愛に発展して遂には良い関係になってしまうのは、これまた願望を充足される装置みたいなもの。世の中そうそう簡単に男女が1つになれるもんじゃなく、ってゆーか個人的な経験としてそんな状況は生まれてこの方訪れたことがなく、およそ信じられないんだけど、かといって新聞を開くと色恋沙汰が絡んだ事件は枚挙にいとまがない所を見ると、僕の知らない所で男女は、あるいは男男なり女女は出会い恋して夜ごと昼日中に睦み合っているんだろー、ああ羨ましい。失踪した少年の祖父が著名な美術商ってことで付き合ってる画家に男の子好きが多いんじゃないかってな連想が当然のよーに働くことの、なるほどそーかもしれないけれどちょっぴりレッテル張り過ぎな気もしないでもなく、ましてやアートの世界なんだから男色なんて世間体に関係ないよねって言われると、擁護めいた主張であってもお世話様なよーに思えてしまう。実際にはどーなんだろー。

 それを確かめに行った訳では絶対にないけれど、言われてしまうとあの人もそーかもしれないこの人もそーなのかもってな連想が働いてしまって仕方がない「第7回コンテンポラリーアートフェスティバル」。東京国際フォーラムのホールに東京とか日本とか海外から画廊が集まって現代美術を見せて売るアートフェスティバルで、美術館なんかと違って最新のアートを実際のお値段ともども見られるところが楽しいし勉強にもなる。今回からは村上隆さんや太郎千恵蔵さんなんかを扱っている小山登美夫ギャラリーとか、ミズマアートギャラリーとかいった、いわゆる「G9」(9つの画廊が集まって青山スパイラルでイベントを開いた所から来るニックネーム)も出展していて、若手のアートが好きな人とか活躍中のアーティストの作品を見たい美大生とかで、それなりな賑わいを見せていた。でも買わないからなあ、こーゆー人たちは。売れてナンボのギャラリーにとっては嬉しいけれど手放しでは喜べないって感じかも。

 池内美術レントゲンクンストラウムで昔の、っても10年くらい前だけど村上隆さんが「ポック」に目覚める以前ながらもオタク的なアイティムに興味を示し始めていた作品ともいえる、タミヤの兵隊が壁を歩く作品の比較的大きなのが飾ってあって、中西夏之さんだったっけ、攪拌する洗濯バサミの作品のよーに兵隊の整列じゃなく群衆となって壁から水平に生えた様子が目に面白かった。あと海画廊だったっけ、太郎千恵蔵さんの「エイリアン」ってゆーか「グレイ」をシンプルな色使いでベタっと描いたシリーズがまとめて飾ってあって、ちょっと前に見た空港に浮かぶモンスターの作品とはまた違った、ユーモラスな印象を放っていてちょっと欲しくなった。でも高いんだろーなー、既に結構有名だし。

 ミズマアートギャラリーでは久々に筒井伸輔さんの作品を見る。あれはパラフィンなんだろーか、表面を塗り固めた下に何やら得体のしれないものが身を潜めている感じの作品が2点あって値段もそこそこで、1点あっても良いけれど冷房の効かない夏の蒸し風呂になった部屋に置いたら果たして表面の素材は融けだしはしないかと心配して、ちょっと買うのをためらう、ってのはもちろん嘘ではなっから買うお金なんてないんだけど。もっともツツイシンスケと言われてもやっぱり先に来るのは筒井康隆さんの名前で、浮かぶのは筒井康隆さんの「腹立ち半分日記」に出てくる子供の頃のツツイシンスケだったりして、アートとしてどうなのかを判断するだけの目も知識も持ち合わせていないところが当方の弱点。良さげ、なんだけどその気持ちを支えているかもしれない下心を越えて、果たして筒井伸輔は良いアーティストなのか否かを教えてくれる偉い人はいないかなあ、小松左京さんとか(意味ないじゃん)。


【3月27日】 遅蒔きながら「アサヒグラフ」が死んで生き返った「月刊アサヒグラフ person」(朝日新聞社、680円)の創刊号を読む。うーん「SMAP」を表紙にしてトレンディなお姉さま方の関心を惹こうとしたのも分からないではないけれど、キムタクの恥ずかしい写真が載っている訳でもなければ香取慎吾の爆発ぶりが読める訳でもない行儀の良さは、過激な仕掛けが得意な「anan」に目慣れた人の気持ちにあんまりフィットしないよーな気がするし、そもそもが5人を揃えた表紙がインパクトにちょっと欠けている、服も黒だし。

 他のフィーチャーしている人が大竹しのぶさんとか伊集院静さんでファンはいるだろーけど創刊号だぜってな豪華さに及ばず、敢えて言うなら島田雅彦さんの自虐っぷりが楽しい人生相談くらいしか「来月も楽しみ」ってコーナーがない。驚いたのは「AERA」に「週刊朝日」と朝日新聞系雑誌を嘗めてる斎藤美奈子さんがここでも健筆を振るっていて、まあやっかみ半分だけどこーまで同じ会社で入れ込むだけの人なんだろーかとバランス感覚も含めて不思議な印象が湧いて出る。田中康夫さんと浅田彰さんの対談を貰い受けて今になって得した感じな「GQ」ほどすらに看板もなく、「ロッキング・オン」が出す一連の雑誌ほどに読みごたえも読ませどろこもなく、かといって女性誌と言うにはファッション性も乏しい謎な雑誌が果たしてどこまで保つのやら。これなら「UNO!」の方がマシだったよ、西原理恵子さんの漫画があったし。来年あったらまた読もう。

 ゲーム絡みの話が載ってるってんで「週刊プレイボーイ」を買う、ゲーム絡みの話しが載ってなくっても毎週買ってるんだけど。「Xbox」については画像なんかが掲載されているけど中身についての言及はほとんどなくって、週末に来臨する世界一の金持ち父さんビル・ゲイツの会見が果たしてどんな中身になるのかに一段の注目が集まりそー。貧乏父さんとしては金持ち父さんになる方法を教わりたいんだけど、チーズは全部俺が食べちゃったったって言いたそーな人だけに(「週刊プレイボーイ」でも似顔絵でチーズかじってるし)宛にはならなそー。まあいいせめてゲームが真っ当なものになることだけを祈って週末を待とう、提携とか買収とか撤退とかってな余計なこと言って人がどんどんと減って忙しさも倍増な末期新聞社の不幸せな記者忙しくさせないでね。

 「プレイステーション3」なんて書いてしまって「プレステ2が売ってる時に不謹慎な輩め内容証明だてえいっ!」てな怒りのレターが編集部はもとよりコメントを太字で載せてしまっている助教授の所に再び届きはしないかと、瞬間心配したけどそこは経験値を積み重ねたのかそれとも1年余で1000万台を出荷した「プレイステーション2」の実力を認めたか、次世代CPUの開発に勤しむソニー・コンピュータエンタテインメントの戦略に強い関心を見せて「SCEは着々と『脱ゲーム機』の布石を打っているのでしょう」と喋っている。「もう後光がさしちゃってるぞ、クタラギ社長!」なんて叫んでるし、でもカタカナ名前ってあたりに揶揄っぽいニュアンスもあるけれど。

 もっとも「ソフト開発にそれだけ投資すれば、もっとすごいことができそうな気もしますけど……」とソフト部門に目立った動きがなくなって、フォーマット会社への道をひたすらに進むSCEIの戦略を牽制してたりするし、鹿野司さんのコメントを引いてネットワークでPS3が結合した未来像への疑問も提示している当たり、凄い凄いとはいいながらも凄さの具体性への懐疑をちゃんと示してくれている。

 結局「それはまだわからない『PS3』なのでした」と締める当たりが発表の内容にタイミングを掴んでの飛ばしなんだろーけれど、時期をみる機敏さテーマを掴む目ざとさ、どっちつかずのバランス感覚は流石に名のあある週刊誌。それにくらべて紙面は毎日ありながらも担当している人が1人って状況のどこかの新聞は、1日が終わるとすでに頭空っぽで体力もないんで、誉めるにしても揶揄るにしても体が動かず頭も働かない。貧乏暇なしか暇なし貧乏かは知らないけれど、どっちにしたってこのままいけば、今ですら「週プレ」編集者の半分にも届かないだろー給料(マジ)は、ますます広がるばかりだろーなー。

 暇なしながらも優先順位を付けながらシコシコとこなさなくっちゃいけない仕事が週末にかけて山積み。その口火を切る中古ゲームソフトに絡んだ東京裁判の東京高裁判決が出るってんで朝からいそいそと東京高裁へとかけつける。入り口で胡乱な奴をチェックでも受けると思ったら、金属探知器を通されもしなければ麻薬犬に匂いを嗅がれることもなく、スンナリと法廷まで行けてちょっと拍子抜け。デカい裁判なんかになると怪しい人がちがワンサと押し掛けて騒いだり踊ったりするんだろーけれど、ゲームって割にマニアックな品物が争点になっていても、それほど意外な性格を持った人たちは来てなくって裁判自体は10秒で終わる、なに10秒?

 それもそのはずで裁判長が言った言葉は「控訴を棄却」ってことだけで、それが合図になったのか記者席の人も傍聴席の人もすっくと立ち上がってそそくさと会場を後に。馴れない身ではあるいはそのまま判決の内容なんかを読み上げて、さらに裁判長が一言「しっかりやりなよ」と優しく諭してくれたりってな時代劇のお白砂物でお馴染みの光景を目の当たりに出来るかもと期待していたのに、ドライな時代のクールな裁判官は人情その他の要素は一切廃して、儀式的とも機械的とも言えそーな展開でもってエニックスの上告を一言でもって退けた。つまりは「中古ゲームソフトの販売は違法ではない」ってことね。

 大阪地裁でいくら東京地裁とは違った判断が出ていたとは言っても、その後の東京が流れを引き継ぐはずもなく、結果は東京地裁と同じになって、もしも明後日の大阪高裁でゲームショップ側の控訴が棄却されたら再び捻れ現象に戸惑うなー、と思って会社に戻って「ゲームは映画の著作物に当たらないから頒布権なんてないよ」ってな判断がまたも示されたと、はなっから決めてかかって原稿を仕上げて入稿したけど、午後になってゲームメーカー側の会見があるってんで会見場へと言って判決文をザッと読んで驚いた。「ゲームは映画の著作物」でやんの。でもって「著作者には同法条所定の頒布権が認められるというべきも」だって言ってやんの。「本件各ゲームソフトの著作権者である控訴人は、これについて頒布権を有するものというべきである」。なのにどーしてメーカー側の負けになる?

 答えはその後。「本件各ゲームソフト複製物は、頒布権の対象となる『複製物』に該当するか否か」についての判断で、ゲームは映画のフィルムのよーに大勢で見るものじゃなく、「一つ一つは少数の者によってしか視聴されない場合のもの」であって、頒布権が及ぶ複製物には「含まれないと、限定して解釈するべきであると考え」られた結果、エニックス側の控訴棄却となったとか。なるほどもともとが映画のフィルムに限定して与えられた頒布権の適用範囲を拡大してはいけないってなスタンスがそこにあると理解することは可能で、その意味では筋が通ってると言って言えないこともないけれど、「上記のような解釈が、法26条1項の文理に反することは、前述のとおりである」ってな具合に、メーカー側の言い分によれば「法律を無視」した判断がそこにあって良く言えば柔軟で、悪く言えば恣意的な印象が拭えない。

 例え「法律無視」と法律家にとって最大の侮辱を甘受しながらもあーいった判断を出した態度を、そこまで拡大解釈阻止への強い意志があるんだと認識することは可能だろー。とは言え一方では現実に起こっているさまざまな中古問題の解決に向けて、著作権者の権利保護を可能にするよー「現行の著作権法が規定する権利のみでは著作権者の保護としては不十分であり、このような自体に対処するため、中古販売による利益を何らかの形で著作権者に還元する立法等の措置を講ずる必要がある、とする議論は、十分合理的に成立し得るものというべき」と、判決文の中でわざわざ触れていることも見落としてはいけない。結果だけを見て勝訴だ中古はオッケーだと喜んでいる人も、裁判はあくまでも法律上での解釈しか示さないもので、結果に反映されなかったこーゆー部分への言及があったことに、それへの諾否はともかく関心を持っておくべきだろー。

 戦っていた一方の相手の中古ソフトを取り扱っている販売店の人たちも、メーカーとショップの共存共栄の道を探って権利として認めることは嫌だけれど還元についてはやぶさかではないスタンスをずっと示している。消費者だからってその権利を主張して所有物だから処分は自由だし中古もオッケーなんだと言っていると、目先は頒布権の有無だけど遠くは著作者の権利をどうやって守ろうかと考えているメーカー側、ショップ側のニュアンスとはちょと違った部分で主張が先鋭化して問題から乖離していくよーな気がするんだけどどーだろー。あるいはそーいった根本的な争点があるってことを認識しておくことが、こと著作物の権利についてはプロ揃いなメーカー側の理路整然と繰り出される口舌に感情ではなく論理で対抗する武器にもなる。

 中古への流通を見込んで最初から高い値段を設定すれば良いって言われても、2万円とかになってしまったら誰がそれを最初に買うんだろー。あと再販に守られている業界で働く身として、自分も消費者だから著作物であっても安く買える方が嬉しいんだとはちょっと言いにくい。メーカーばかりが儲けてる、俺の買った物を売っ払って何が悪い、中古販売は経営を圧迫する泥棒行為だってな感情の先走った言葉ももちろんそれぞれに理由があって根拠もある。あるけれどもそーやって情が先走って決着を見ないままおそらくは最高裁へと向かうだろー裁判の影で、反目し合うメーカーや流通を横目にプラットフォームホルダー側でガチガチなロックをかけてしまおうってな動きが現実のものになっていて、融通の聞かない世の中になってしまいそーな雰囲気が漂って来ている。それこそレッシングが「CODE」(翔泳社、2800円)に書いた状況だけど、それでいいのかどーか、嫌なら何が問題でどこを護りどこで譲り何を認めるべきなのかを、もちろんユーザーも含めてあれやこれやと考えてみる時期なんだろー。冷静に。遠くを見据えて。


【3月26日】 SPE・ビジュアルワークスは1月1日にSME・ビジュアルワークスに名前が代わっていたよーで失敬、ってことは帯は間にあったってことなのか。それはさておき地球を支えている人間の半分は女性だって言ったのはえっと毛沢東だったっけ、東京に通っている”千葉都民”の男性が選挙に無関心を決め込んでいるその傍らで社会への参画に高い意欲と志を持っている女性層が結成しただろー勝手連の草の根を分けた活躍で、希望はしていたけれど予想はしていなかった堂本暁子さんの千葉県知事当選が決定してしまった。

 見込みだと千葉にネイティブな男性は自民党に入れて残りの無党派層に反自民な声を堂本さんともう1人の民主党推薦な候補が分け合って共倒れになるって構図だったけど、実際には無党派層の女性陣がこぞって堂本さんに投票したよーで、リベラルな男性の支持くらいしかなかっただろー民主の人はもとより、自民の人までをも上回る得票数を上げて当選の仕儀と相成った。長野県ほど土砂崩れ的な非自民の勝利ってイメージはないけれど、人気の程が分かりやすい田中康夫さんの場合と違って準備期間もほとんどないまま選挙戦に突入して、じりじりと支持を広げていって最後に大逆転を演じた堂本さんの方が、選挙における無党派層のとりわけ女性層が持つ1票の意味と重みを顕在化させてくれていと言えそー。未だに男性優位な観の強い国政を仕切る人たちにとって、衝撃は大きいものがあるしそう感じないなら改めてその衝撃を噛みしめる必要があるだろう。

 バスに乗り遅れるな的雰囲気が長野以来ジグジグと漂っていた可能性はもちろん否定できないけれど、社会党が消費税に反対する旨を打ち出して雪崩的な勝利をおさめた昔の選挙の時のよーな、分かりやすい争点もないなかでの無党派層の勝利って事実も含めて、もはや単なる気分を越えて反自民を意志が高まり始めていると感じておいて損はない。何しろ自民党の王国でかつ、長野ほど景気悪化に悩んでいるって雰囲気もなかった訳だから、千葉は。

 しかしとりあえずは大々的にその勝利を讃えているメディアが、全員野党な議会に乗り込む堂本さんの行政手腕に対していつぐらいから寝返ってくるのかにも興味が津々。あれだけ盛り上げた田中知事を手のひら返したかのよーに叩きまくってる築地のメディアの不思議さは、私怨まじりの可能性があるとは言っても中立公正を錦の御旗に「いかがなものか」と囁きかけて来るから始末が悪く、知らないうちにどうやら田中知事ってファシストなんだぜってな空気を作り出してしまっていて、どうにも居心地が悪い。堂本さんの場合はとりあえず同じジャーナリスト出身で、それもどちらかといえばフェミニズムとかいった運動との関わりよりは人間としての目線で物事を語っている傾向があって、右からも左からも疎まれずにその手腕を公正に見よーとする人が多そうだし、現時点では反自民的に突出した政策がない分叩くのも難しそー。

 とは言え政治の主流と結託したいメディアがネガティブな要素だけを拾って叩きに回るのが世の常で、議会との摩擦をさも行政手腕の欠如のよーに煽るメディアもないとは言えないだけに(現実に長野ではそーなってる)、期待されつつも議会の壁、メディアの壁に阻まれ何も出来なかった青島幸夫前都知事のよーな、あるいはすでにそーなりかかっている大阪府の太田房江知事のよーな、何もしないままいたずらに4年間を過ごす”お飾り知事”になってしまう可能性も否定できない。せっかく自分たちが押し上げた知事なんだから、そこは勝手連の人たちも見捨てず中央の移行に沿って叩いて来るメディアがあれば購読視聴の類を拒否するなりの強い姿勢で臨んでくれれば、大きなマーケットである東京一円の部数を落としたくない新聞なり視聴率を下げたくないテレビはきっと、中央の意向にばかり添わない市民にちゃんと顔を向けた論調を展開して盛り上げてくれるはず。支えた以上は支えきる覚悟が必要だ、って入れた俺もその1人か。応援応援。

 録画してあった「鉄甲機ミカヅキ」の第6夜を見る、冒頭に流れる「製作総指揮 香山哲(メディアファクトリー)」の字が目に眩しいぜ。物語的にいかがなものかといった反響は山ほどあれど、あれだけの分量の特撮作品を結構な金額をかけて制作しては時間帯はともかくも地上波という1番価値の高いウィンドウでちゃんと流し切ったことへの賛辞は嘘偽り無く贈りたい、拍手。第6夜の見所は何といっても歴代「月光機」の揃い踏みで、かつて目にして涙したウルトラマンファミリーの揃い踏みにも匹敵する感銘を与えてくれた。こーゆーオカズはしっかり忘れないところが雨宮慶太監督偉いえらい、バトルスーツ軍団と悪物とのスピーディーな格闘シーンもパターンに陥らず良かったし。夏にはDVDもセットで発売とかで社長の太股アップをスチルで楽しむべく購入する可能性は大。女隊員やら高知東生隊員のエピソードはつまんで少年の成長にのみフォーカスを絞った短いバージョンを作って後は圧倒的なバトルシーンで繋げば、通して見てもまあ見ていられる作品になりそーな気がするけれど、でも香山さんもういないしなー。

 ハマり始めている前兆かそれとも既にドップリとハマているのかチラシでも看板でも中吊りでも何でもかんでも「モーニング娘。」とゆー活字が踊っているのを目の端に捉えるだけで体温が3度ばかり上がる現象がここんとこ続いていて、それこそ「娘。」とゆー活字が踊っていてそれがパクりな「カントリー娘。」だったとしても(パクりじゃないやい)やっぱり目が引きつけられてしまうから始末に負えない。「モーニング」以外は「娘。」禁止令を出して戴きたい気分。今日は今日とて「モーニング娘。」ってそのままズバリな字が帯に躍っている本「愛の種。」(橋口いくよ、幻冬舎、1300円)って本を脊椎反射で買ってしまって読んで仰天、本文全然「モー娘。」と関係ないでやんの、タイトルにしっかり「。」なんて付けてるのに。

 中身自体はアイドルになりたくって数々のオーディションを受けまくって何とか端っこに引っかかりそーになったけどやっぱり……ってな少女を主人公に、オーディション暮らしの中で何かを見失って行き夢がかなって破れてもやっぱり悟れず諦めきれない不安定な状況の中を彷徨い続ける姿が描かれてあって、何かを夢見る少年少女に未だ夢見続ける元少年元少女の心に刺さっている棘をチクリチクリと刺激する。物語の中では別に「モーニング娘。」に類するオーディションの場面が描かれている訳じゃないし、そもそもがオーディションに落ちた人たちで構成された「モーニング娘。」になりたいってのをオーディションへの合格を夢見る少女に重ね合わせる不思議さはあるけれど、まあそこが幻冬舎ならではの煽りの巧さって奴なんだろー。

 著者自身がオーディションを受けまくった経験のある人らしく、74年生まれだからオーディションで活躍しまくっていた時代はきっと下手すれば10年とか前のことなんだろーし、あるいは中澤裕子さんみたく最後のチャンスとばかりに「モーニング娘。」のオーディションを受けていたのかもしれないけれど、現実にデビューした様子はないから夢破れた中でその想いを文章につづった果てに違った形でのデビューと相成った訳だろー。どこまで経験が反映されているのか分からないから例えばちょっとは引っかかったのかもしれないし、だとすればそれなりな容姿は確保しつつも運だけがなかった訳だから、デビューによって文筆家として認知され、加えて容姿も優れているってことで椎名桜子さんじゃないけれどタレントじゃなく”文化人”としてのデビューの可能性がこれで出来たってことだろー。

 そーいえば「文化庁メディア芸術祭」のシンポジウムでも、押井守さんが井上雄彦さんを相手にした対談で「映画監督になるならまずは他の世界で成功してから横滑りしよう、その方が絶対にお金も集めやすいから撮らせてもらえる」と言っていたし、もしも著者が芸能界へと出るとしたら遠回りしたけど本願成就ってことになるのかも。「ただいま処女作執筆中」で世に出た人が後で処女作の監督をしたって例もあるからなー、長持ちするかしないかはともかく横滑りってやっぱり得なのかも。もっとも横滑りといっても文筆で一朝一夕に立てる訳でもないから、それもやっぱり才能と認めてとりあえずは次の作品がどーなるか、でもって顔出しした時にどーなのかを見極めることにしよー。小説は……30分で読めちゃった。


【3月25日】 去年秋の長野県知事選の熱気のおよそ1分も感じられないくらいに盛り上がっていない千葉県知事選は、期間中に見た演説している候補者がたったの1人とゆー状態で、なるほど朝はのんびりを家を出て夜は遅く休日は家でゴロゴロじゃあ演説に行き当たる機会なんてないけれど、そんな人間がザラにいるのもベッドタウンとして人口の流入著しい千葉県の特徴。長い通勤時間をかけて東京まで通って土日くらいは家でぐっすり、ってな人に政策を伝えられない状況では候補者たちの先も思いやられるってものだろー、自分たちのことだと認識せず選挙に関心を持とうとしない大人も悪いっちゃー悪いんだけど、関心を持てるほどのタマも揃ってないんだから仕方ない。タレント候補の強さってのも分かるなあ。

 せっかくなんで選挙に行って見かけた唯一の候補に投票、長野ほどじゃないけどタマの真っ当さでは唯一なんで出来れば勝ってもらいたい。そのまま本屋で「SFマガジン」5月号。クラーク特集にオマージュを贈っている作家の人たちが林譲司さんに野尻抱介さんに庄司卓さんってのに時代の変遷を感じる。こーゆー人たちの名前が「SFマガジン」に並ぶよーによーやくなったってゆーか、読み切りも北野勇作さんだし。ブックスコープは小川一水さんの作品が「グレイ・チェンバース」になっていていて誤植っぽい。去年の年末に出た冲方丁さんの「ばいばい、アース」(角川書店、上下2900円)についての言及もようやく。けどほかでほとんど書評とか見た記憶がないのはやっぱり長いからなんだろーか。元寇では鎌倉幕府も頑張って20キロに及ぶ元寇防塁ってのを北九州に作って今も史跡として残ってるんだけど、形跡が見あたらないというのは人々の心の部分に元寇の恐怖が焼き付いていないってことなんだろーか。

 今日もカレーとばかりに食材を揃えに行った(カレー粉オンリーだけど)「イトーヨーカ堂」の玩具売場にフラリと寄ると山積みとはいかないまでも「ゲームボーイアドバンス」のハードが何台かにソフトが何種類かあって魔力を放ってて、気付くと財布から万札を抜き出し「ミルキーブルー」だかのアドバンスを1台に「ミスタードリラー2」に「エフゼロ」を買ってしまっていて、初日に買えなかった時に立てた夏まで買ってやるもんかってな近いを破ってしまう、己が精神力の弱さを改めて痛感する。イベントなんかだとあんまり感じなかったけど実際に手に入れて手に持つと意外な大きさがあって重さもなかなかで、「ワンダースワンカラー」の小ささ軽さに逆に気付かされる。液晶は「ワンダースワンカラー」よりは明るいけれど部屋の中では角度によっては暗く感じることもあったりして、CPUの性能とかはケタ違いだけどもしも液晶がもう少しまともになれば、今は沈黙な「ワンダースワンカラー」の結構良い線いけそーな気がして来た。問題はソフトだな。

 「ドリラー」は流石に面白いけどパズルにアクションの連鎖を頭が理解できてなくって進んではツブされ途中で窒息し200メートルすら届かない素人な日々。プロな人はブロックの色とか落ちる速さとかってのがすでに体に染み着いていて進む方向に速度なんかを反射神経レベルで判断しているんだろーか。「エフゼロ」の方は「ニンテンドウ64」の「F−ZERO X」を見てしまった目には所詮は携帯ゲームだけど、単体で見るとあのサイズでこのグラフィックこのスピード感は流石に素晴らしく、高校の頃に「ゲーム&ウォッチ」の外でもバルーンゲームが遊べてしまえる凄さに衝撃を受けた時とはまた違った、時代がガチャリと回る音を聞いたよーな気がする。けど相変わらず下手っぴいでで最初のコースのビギナーですら未だクリアできず。大人しくキャラゲーやってろってことなのか。

 OVAの「ジオブリーダーズ2 ファイルXX 乱戦突破」最終巻を見る、ちょっとぬるいかなあ。単行本の方だと人はあんまり死なないけれど物理法則までをも突破するよーなギャグシーンでもってバトルを占めるよーなことはなく、大袈裟ながらも結構シリアスな戦闘シーンを楽しませてくれるんだけど、ラスボス戦だってのにバトルシーンの銃撃戦はあんまりなくってスラップスティックなどたばか劇に終始していて、1つ2つならまだしもそれが重なって大袈裟に限界を突破してしまっているよーで、見ていてちょっと目が泳ぐ。あのエネルギーの中を吹き飛ばされて無事なのは何故、あの大水に飲み込まれて生きているのは何故等々。まあ飛行機が落ちたって社長は生きていた訳だから決して無茶ではないんだけど、せめて神楽の全員に見せ場を作って終わってやって欲しかった。もっともラストのラストで温泉シーンの大盤振舞があったんで悩みも異論もすべてチャラ、ナイスな栄子ちゃんのスタイルに目を奪われつつ高見ちゃんの突き出たお尻に感動しつつ、提示された山ほどの謎が本編のシリアスな展開の中で片づけられる日を待とう。


【3月24日】 新装オープンした中華料理屋が半年くらい前に粗品でくれた米を掘り出して電気炊飯器で炊きながらフライパンでマギーの「キーマカレー」を調理。イスラムの国って豚食べないしヒンズーなら牛を喰わないからカレーの肉ってチキンだったりマトンだったりするんだけど、キーマカレの挽き肉に鳥肉って思い浮かばないし、あんまり美味しそうな感じもしない。まあ別にイスラムでもヒンズーでもゾロアスターでもないから挽き肉は安価な豚と牛の合い挽きにしたんだけど、正式なキーマカレーって何肉使うんだろー、ってゆーか正式なキーマってどこで一体食べてるんだろう。「バーモントカレー」だったらアメリカのバーモント州に行けば食べられるって分かるんだけど。「マースカレー」は当然火星の名物だ。

 とゆーのは勿論冗談で、小説すばる新人賞を授賞した竹内真さんの最新作「カレーライフ」(集英社、1800円)って小説を読むと、どーやらバーモント州は林檎とハチミツが名産で、だから林檎とハチミツを使ったカレーを名付けて「バーモントカレー」って呼ぶよーになったっぽい。ちなみにオリエンタルの「マースカレー」の話はないよ。中身はと言えば10年くらいだったか昔、従姉妹どうしの4人だか5人で祖父がやっていた洋食屋で夏に集まってカレーを食べていたところ祖父が急逝。その意向もあってか皆でいつかカレー屋を開こうって話になったけど、成長した中の1人は調理師学校を出て免許を取ったものの、残りのうちの1人は大学生でそいつの双子の兄貴は海外放浪中、最後の1人の女の子はアメリカに行ってしまってカレー屋の夢がかなう日が来る気配はない。

 そこで調理師学校を出た1人は、日本に残っていた1人で、のほほんとした性格ながら料理を始めると適当な材料で適当な味付けで抜群に美味しいものを作ってしまう”マジックタッチ”を持った人間と連れだって、少女に会いにバーモント州へと出向く。本場の果たしてバーモントカレーは食べられるんだろーかって話になったけどバーモント州にバーモントカレーがはるはずもなく、日本から持っていった「バーモントカレー」を作って現地の人たちに食べさせるとこれが大うけで、食べた1人が自分もカレーを作ると言い出しレシピを教わりどーにかこーにかマスターする。もしも彼がニューヨークに見せを出したその時が、正真正銘「バーモントカレー」の誕生ってことになるんだろー。

 物語はインドにいるらしー双子の兄を探してインドまで出向きやっぱりカレーを作って食べ、祖父のカレーの味に関わっている食材を探しに沖縄へ行ってそこでもカレーに関わる話を聞きってな世界カレー巡り的な蘊蓄話も楽しめるけど、真面目で調理師免許まで取った奴に双子だけど弟なんで期待もされずのほほんとしていながらお鷹揚さでもって最後は父親の後を継ぐことになった奴、その兄貴で長男ってプレッシャーから解放されたくって世界を放浪した挙げ句にカレーの腕前を磨いて結局は弟に稼業を譲ることになる奴、そんな従姉妹たちの姿や自分の経験して来たことを小説にしよーと頑張る奴と、各様の生き方を通じていろいろと考えたり迷ったりしながらも前に向かって進んでいく若い人たちのあがきぶりが、似た世代の人の多分心に何かを与えそー。

 あと祖父のカレーの食材からたどって祖父が生きていた時代の大変な状況とその中での奮闘ぶりに絡んだ謎解きめいた設定も読み手にページを繰らせる要素になってるかも。料理漫画につきもののカレー勝負みたいな展開がところどころあって、「包丁人味兵」の鼻田香作だかいった鼻に覆いを付けてる奴vs味平のカレー戦争を懐かしくも思い出してしまった。インドにいた兄との勝負での判定が妙にウェットなのが気にかかるし、小説内に登場するバーモントの彼女の小説がいかにもアメリカのワークショップ的なミニマルさに溢れていて過ぎている気もするけれど、分厚さをものともさせずに一気に最後まで連れていかれてしまうのは、描かれているモチーフもテーマもカレーライスに溢れてて、そんでもって日本人がとことんカレー好きな国民だから、なんだろー。ページから漂って繰るスパイシーな香りに、思わず半年前の米を掘り出してカレーを作る羽目になってしまった程だから。

 「R.O.D」(倉田英之・スタジオオルフェ、集英社スーパーダッシュ文庫、514円)の第3巻を読了、読子・リードマンのたわわさに頬が緩む。まあそれがすべてはなくって(9割くらいかもしれないけれど)お話しの方はウエンディ・イアハートってカレーは関係ないけど母親がインド人とかゆー女の子が新しいキャラクターとして登場していて、大英図書館の特殊工作部に見習いとして採用される話とか、読子が無人島に流されて活字のない生活の中で疲弊していく話とか、菫川ねねねがサイン会に行って不思議な、けれども菫川の本が大好きなファンに見えていろいろと考える話とかが順不同に入った短編集ながら、それぞれが連携していて1つのおおまかな流れを作り出していて、かつ次から展開されるシリーズでも山場になりそーな話へのインターミッション的な役割を果たしている。手軽だけれど外せない1冊。関係ないけどOVA版告知の帯、SPEビジュアルワークスがSMEビジュアルワークスになってまっせ。

 同じくスーパーダッシュ文庫から「フェアリーランド・クロニクル」(嬉野秋彦、552円)の第3巻読了、1巻から登場のギルクスとの闘いに一応のケリがついてはいるんだけど、ラスボス戦にしてはあっけなかったりするからきっと次とかさらなる黒幕とかが出て来るんだろー。それよりも人間なんだけど妖精に育てられて騎士になったって設定のサイフリートの実は……ってな正体がほのめかされている方が重要で、共通の敵に対して共同戦線を張って魔人と妖精が闘っていた物語の構図が今後いったいどーなるのか、親子とか兄弟姉妹とかいったドロドロとした関係を中心にした愛憎劇になるのかといった興味も浮かぶけれど、たとえ意外な出生が明かになってもあのサイフリートが早々屈託にまみれるとも思えないから、魔人と妖精のつばぜり合いの間に立って内心はともかくも表向きには飄々と、女性ベッタリな性格でもって暗い渡世を明るく渡っていってくれるだろー。くれないかな。見習いから上がって間もない妖精ギシャールにちょっと萌え。これでイラストに眼鏡さえあれば完璧なのに、こっちの趣味との相性が。


【3月23日】 そーいえば「東京おもちゃショー2001」のキューブなんとかってブースを通りかかったら見慣れたナッパ服な兄ちゃん姉ちゃんが何やらデカデカと楽器を鳴らしながら唄っている場面に遭遇して、相変わらずなリズム中心の珍奇なる音楽に「明和電機」はやっぱり面白いなあと感心したけど、中央で巨大なサバオの顔を頭に取り付けて閉じたり開いたりしている男性の姿はこれまでの2人から何故か1人に減員になっていて、もしかして吉本興業が「ASAYAN」経由でつんくにプロデュースでも依頼して必殺の「減員」でもやったのかなんて考えたけど、そーじゃなくってやったのはいわゆる「社長交代」で、画家っぽい方向へと進み始めた兄貴が抜けて飄々としたキャラクターが人気の弟が1人、頑張って「明和電機」を引っ張っていくことになってるみたい。とは言えやってることは前述のよーにたいして変わってはない訳で、これまでどーりに珍妙な道具とトークと歌と踊りのオン・パレードで楽しませてくれることになりそーで、長のファンとしてはちょっと嬉しい、でもそろそろ飽きたかな(御免)。

 何とかってテレマーケティングをやってる会社の発表会をのぞいて新しく開発したとかゆー選挙支援システムのデモを見る。選挙が近づくと良くろくすっぽ知りもしない同級生とかから電話がかかって来て「あのさあ選挙で入れる所決めた?」とかタメ口を聞かれて戸惑った経験のない人はいないだろーけれど(それだけ絨毯爆撃だもんな)、何が目的かが分かっての電話ってのは例えば電話の主が学生時代のアイドルだっとか付き合っていた彼女だったとかいった場合を除けば、どーしても返事がおざなりになるもので、例えば支持しますと言ったところで果たして本当に支持しているのか、選挙に行くと言っても実は行かないんじゃないかってなことがあって、結果に結構な誤差が生じる可能性が高い。

 これが全自動テレマーケティングの仕組みを使ってコンピューターから定型の音声を流してダイヤルで選択してもらう方式になると、嫌いな人間はかかって来た段階で相手に気兼ねもなく切るだろーし、そーでなくわざわざアンケートをずっと聞くよーな人は応えている内容の正確性は高いんじゃないかってなことになるらしく、調査結果と最終結果の誤差がぎゅっと3%ぐらいに縮まってしまうとか。何でも前の参院選の時の調査がそーだったらしー。ゼンリンと組んだんでブラウザに現れる区分が市区町村単位でそれを色分けしてみせてくれるそーだから、2週間とか前に読んではどこそこの戦局はマズいんでテコ入れしよーってなことも出来るんじゃないかってな期待を抱かしてくれる。

 人間の持つ相手をホッとさせたり相手のニュアンスを読みとって対処できるのは人間の思考ルーチンくらいで、ネットがたとえ発達したといってもフェイス・トゥ・フェイスの重要性は変わらないってな議論もあるにはあるんだけれど、こと内容の正確性が求められるアンケートの場合だと、相手を意識して自分を意識してしまう余りに、フェイス・トゥ・フェイスが逆にデータに誤謬を生じさせるってな現実が、誰かとの関係性がどこまでいっても付きまとうこの社会でのコミュニケーションやら情報伝達の難しさ、複雑さを浮かび上がらせてくれる。人は一人じゃ生きていけない、絶えず誰か他人の目を気にしたり人々の中でもポジションを意識して自分を作っていかなくちゃいけない、ってことなんだろー。

 そんな周囲を気にしすぎて本来的な自主性を失ってしまった結果起こるのが、どこに責任の所在があるのか分からないまま物事が阻害されたり圧力をかけられたりするケースで、誰かが責任を取れば良しとする法的なり社会的なコンセンサスが取れている社会だったら、1人が全責任を肩においながらも画期的な本を世に送り出そーと頑張れるんだろーけど、相対的な中に生まれるマイナスの気分が責任の所在が見えないままに1つの作品を弾き出す状況を見ると、果たしてどーしたものかと悩んでしまう。「ロフトプラスワン」で開催されたイベントによると、例の佐川一政さんが去年の12月に出した漫画「まんがサガワさん」(オークラ出版、1200円)が何故か取り次ぎから委託配本は行わない旨を通告されてしまったそーで、結果街のフツー規模の書店で手に取る機会はまるでなくなってしまっているらしー。

 なるほど内容的には読めばなるほどグロい本だけど、間に挟まった取次が見せる見せないの判断をしてしまう問題性については、ちょっと考えてみる必要がある。この場合は本来的には単なる取り次ぎにどーして思想心情公序良俗の類から扱いたくない本を決めても良いのかってな疑問が浮かんだけれど、むしろたとえ危ない本であってそれを売り買いしても中間段階にある人の責任を問おーとするってこと事態がナンセンスの極みで、書いた人と発売した版元が責任を追えば良いだけの話なのに、もしも何かあったらひょっとして責任は自分たち? 的な気分に脅えてしまって、だったら最初から責任を回避しよーとしてしまう。

 ことあれば理由の如何をとわず詰め腹を切らされる減点法の国ならではの、集団指導体制ならぬ集団指導され体制の気持ち悪さって言うんだろーか。辺見庸さん的に言うなら政治も世間も組織もマスメディアも含めた全てにおいて共通する「中心」ってものの不在が、このどっちもさっちもにっちもこっちもいかない閉塞状況につながってるんだろー。とは言え狡猾さでなる権力が巧みなのは、出版物の流通だったら取り次ぎをいじり、猥褻図画の頒布とかだったら刷った印刷所にプレッシャーをかけて、結果としてボーダーラインに行かない作品の流通を五月蝿い版元も賢い読者も縛ることなく止めてしまえる手段を取って来ることで、未成年に酒を売った煙草を売ったとコンビニの店長がパクられる事態の落ちつきのなさも含めて、搦め手から攻めてくる相手に対してどう闘っていけば良いんだろーかってなことを考える。

 要はそーいった狡猾さでいっぱいのプロセスへ非難を新聞とかが書きまくり、問題点をつまびらかにさせることなんだろーけれど、当のメディアが狡猾な装置の仲間入りを果たして、事実と事実をつなぐ橋渡しではなく虚実を事実に仕立て上げて共に責任不在のまま大騒ぎする体質だから望みは薄い。西尾くんだったっけ、この状況に憤っている憂国な学生の頑張りは否定しないけど、運動を世間に流通させたいってな欲求を叶えるためには、落ち込まず地下に潜らず目立つことで世間の歓心を買った後で、具体的な戦略を積み上げ不在な責任を浮かび上がらせ退路を立って追い込んで行くしかないんだろーけれど、それだと一体何年かかることやら。「中心」なき国は求心もなく糸の切れたタコの如くに迷走の果て沈没するしか……やっぱりないのかなあ。


【3月22日】 ミールは綾金市には落ちないみたいでなけなしの不動産(まだ親名義、だって生きてるもん)がミールの瓦礫で埋まって資産価値ゼロになってしまう懸念はなくなった訳だけど、その分はきっとロシアに賠償金として請求できるだろーから補償金で1生を遊んで暮らしていけるかも、とか思ったけれど何せあちらはシベリアに土地など冷凍しておけるくらいに持っている国、物々交換で一応はレートも勘案してちょっぴり大目にくれたとしても、凍った地面を10キロ平方メートルもらった所で使い道もないだろーから、やっぱり実家には落ちて来ないで頂きたい、って考えることを杞憂ってゆーのかな(言いません)。あっ、でも落ちて出来た穴に溜まった水たまりを釣り堀にして稼ぐって手もあるぞ、きっと放射線で巨大化した3倍体の鮒とかが沢山釣れることだろー(釣れません)。

 これで本当に破片のカケラでも落ちて屋根に穴が空いてつついていた鍋がひっくり返ったたとかいったら不謹慎の謗りは免れないだろーけれど、落ちぶれたとは言え米国に今も数十人規模でスパイを送り込んだりしている超大国、早々軽々しく操作を間違えるなんてことはないだろーから、「2000年問題」とか「ノストラダムス」とかのよーに過ぎてしまえばケラケラと笑い話の種にして遊べるだろー、とか思ってもスパイがバレバレになってしまう国でもあるから案外に意外な遺漏とかがあるのかも。だいたいがゼロが小数点以下10も続いたあとに1とか2が来ても、「その可能性は皆無じゃない」って不安を煽るよーなことを書くのがマスコミの悪くも良くもあるところで、とりあえずはやっぱり最後の最後が過ぎるまでは、ピリピリとした雰囲気を作り出しては人々に空を見上げさせ、それが落ちてくる可能性に緊張の1日を送ってもらい、中国の故事に倣った気持ちを身を持って感じてもらおー。防空頭巾とか被っていくと更に気分が出て良いかも。

 うんざり、って気もしないこともなかった”ロボット祭り”も同然な「東京おもちゃショー2001」の会場は、タカラが前に発表したロボットにデモンストレーションをさせ新聞各紙の夕刊に取りあげられてみれば、トミーも負けじと何とかってゆー2足歩行ロボットの歩かないモックアップを展示して興味を惹こうと頑張ってて、一方ではバンダイも去年に出て全国民(の一部)に激しい衝撃を与えた「2足歩行ザク」のおそらくは改良版を展示して、かつその横でロボットじゃない内蔵された電池の持つ限り動き続けるタイプの玩具で値段も3000円とか格安ながら、144分の1とか全長10センチとかって大きさでしっかりと2足歩行するガンダムにザクも展示してて、すでに世間一般が認知する2足歩行ロボットのキャラクターをそのまま使える強みが流石バンダイ、でもってしっかり使って良いものに仕立て上げる力も流石バンダイと感心する。

 けど流石に人間だったら等身大くらいの超巨大なザク(ウレタンとかそーゆー素材だったかな、まあ巨大な「ジャンボマシンダー」といった感じ)は一体何に使うんだろーかそれより誰が買うんだろーかてな謎光線が出まくって、頑張るのも良いけれど頑張りすぎた結果が経営を傾けるほどまで膨らんでしまった例えば「たまごっち」のよーな仕事もあったりするから、「ガンダム」に妙に力を注いでいる状況にもちょっとだけ心が迷う、お首には出さないけど。グループ会社のメガハウスの方は6分の1くらいかな、一種のアクションドールに高い雰囲気ながらも「ガンダム」っぽさを失わない、言うなれば既に組み立て済みの「パーフェクトグレード」ガンダムめいた商品を展開していたりして、全社的に「ガンダム」を使い倒そうって気運があって頑張ってって気持ちとは裏腹に温故知新のやり過ぎには警戒も必要だなーってことも改めて自覚する。

 トミーも今が有卦に入っているのか妙に「キャンディトイ」、すなわち食玩の世界に力を結構入れていて、会場にはえっとあれは大映に出てきたらしー怪獣のフィギュアとか、男のには小さい男性機がポチっとした感じでついていて、女の子には針でつついたよーな穴のあいてる極めて生物学的に全うなディティールを持った小さい人形の全部で16種類だったっけ、それくらいの種類がある赤ちゃん人形をおまけにつけた商品を売り出そーとしている姿に、伝統のある会社もやっぱり今ぽい事業に気合いが入ってるんだなーってことが分かる。

 得意なトミカとか鉄道模型のトミックスには迫らないけど同じよーな鉄道の玩具とかってのを折り込んだ食玩も出ていて、新しいフォーマットに古いリソースを流し込んでは商材をリニューアルしよーとしている雰囲気もあって、新機軸と旧態依然のつばぜり合いなんかの中で果たして食玩にどんな世界、どんな市場がこれから開けていくんだろーかってな興味が湧く。ライバルのバンダイは「ガシャポン」にスイングじゃない「あずまんが大王」のフィギュアを登場させるみたいで、相変わらずのキャラクターのハンドリング能力の高さを見せつけられる。実際に「クウガ」に「ガオレンジャー」の変身特撮の新番組は玩具的にいずれも好調みたいで、「ポケモン」で駆け上がったトミーに「イーカラ」と「ベイブレード」が救世主となったタカラにも負けない安定性があるよーで、久々に3者が揃い踏みして良い年を遅れる1年になってくれると有り難い、その方が意欲的だったり衝撃的だったりする新しい商品をいっぱい見られるから。

にせP3  あと景気が良いと同じ衝撃的でも頭が真っ白になる衝撃を与えてくれそーな商品がいっぱい出てきて気分を豊かにしてくれるから、やっぱり良い年になってくれるのは有り難い。余所も自分の所も「2足歩行ロボット」が妙なトレンドになっている中で、その雰囲気を逆撫でってよりは擽りに近いニュアンスで商品を提案できる根性の強さに思考の柔軟性を感じるにつけ、「イーカラ」「ベイブレード」で上向きつつあるタカラの未来はさらに面白いものになるのかも。だいたいが経営が悪い状況だったら考えないよね「カーミネーター」。形はまるでホンダの「P3」っぽいロボットで大きさも等身大くらいはあるんだけど、重量は絶対に1キロもなく、それでいて歩けば人間並みに歩くし綾取りだって麻雀だってサッカーも軽々とこなせそー。ただエネルギーはやっぱり三度三度の米の飯が必要だろーしトイレだって1日に5回は行きそーだし、そもそもが空気がないと動けなくなるロボットが果たしてロボットと言えるのか。

パラパラロボ  とゆー問い簡潔に応えるならば「だってロボットじゃないんだもん」ってことになるんだけど、だからと言って所詮は中に人間が入る一種の着ぐるみじゃないのって気って捨てるのも無粋の極み。むしろ堂々と被る以上は心をロボットにして誰かサクラを雇っては命令してもらいぎこちない動きの中を綾取りをしたりサッカーをしたり立位体前屈をしてみせるのがロボット野郎の心意気てもんだろー。名古屋でのSF大会ではP3とか来てくれなかった訳だけど、この「カーミネーター」なら現地で制作することだって出来そーなんで、もしもちゃんと発売されるんだとしたら、夏のSF大会にはやっぱり「ASIMO」とか来てくれそーもないんなら、主催者でも受賞者でも参加者でもこの「カーミネーター」を引っ提げ代わりに会場へと乗り込んで、10人くらいでパラパラでもやって場内の失笑を誘いつつ「暗黒星雲賞」を目指してやって頂きたい。

 どーせだったら「フラワーロック」よろしく音に併せて手を振るこちらはまるで「SDR−3X」な形をしたタカラの腕振り人形を前に並べると、より雰囲気が出て効果的かもしれない。いずれにしてもこれほどまでに世間の流行をアカラサマに取り入れてギャグれてパロれるセンスが現役な会社があるってことの方が、決して世の中不景気にマイナス思考になっているばかりじゃない、前向きになろーと思えばなれて且つ成功できるだけの活力を社会は持っているんだってことを分からせてくれて、気持ちにちょっとだけ余裕が生まれる。この上にさらにライオンの口とかモアイの口からお湯が永久に流れ出す(風呂場の壁に取り付け下に伸びたホースで水を吸い上げているだけだから)通称「ゴージャス風呂」なんて作って披露してしまう会社。種類が増えすぎている感もある「イーカラ」で下手を打たない限りは堅調さを維持して行ってくれるかも。期待してるっす。


【3月21日】 阪神淡路大震災を髣髴とさせる画面の暗さに呆然としながら入力を切り替えクリスマスのいわゆる告白イベントをこなして後、ご飯も食べずに延々とプレイし続けて日が変わった午前の2時くらいにどうにか「サクラ大戦2」をクリアしてデータをビジュアルメモリに残す。もう1年以上も「セガサターン版」はプレイしてないけれど戦闘シーンの勘所、たとえば「武蔵」の中で金剛と闘う時の光武・改の配置とかってのは不思議と覚えていて、ラストの京極メカとの闘いなんかでも振り下ろされる手とか発射される光線とかを巧みによけつつそこまでは一体何しに着いて来てたんだ的アイリスの復活光線も存分に活用して、最後まで1人の脱落者も出さずにクリアできたんでまあまずまず。戦闘のヌルさが時に指摘されるゲームだけど攻略本は見なくっても何度かやれば勘所が分かって、けれども単なる作業にはならない程度の抑揚は持たせてあるって意味で、手の動かない中年男にはなかなか良いゲームだってことを改めて感じる、中年が「サクラ大戦」をやるかって問題は別にして。

 残したデータが本当に次の「サクラ大戦3」のプレイで何らかのいいことを引き起こしてくれるかどーかは知らないけれど、13、4時間とか突っ込んだ(といっても「ファンタシースターオンライン」常連の100時間200時間から見れば瞬きするくらいの時間だけど)身としては、例えば通行人の1枚に花組のメンバーの誰かさんが写ってるとかって程度の絡み方では涙が浮かぶかも。なあにそれすらもオッケーだと言えて始めて根っからのファンなのかもしれず、さらには全員分のクリアデータを持っていて全員分の特別イベントを即日に発見するのが真正のファンだろーから、その点でもやっぱりヌルさが我が身を苛む。が、滅茶苦茶に濃い人であっても1人で10本とかソフト買ってくれる訳じゃなくって、そんな人間も含めてわんさとソフトを買う人がいてこその金になるソフトビジネスだろーから、虐めず苛立たせずに表はにこやかな顔をしつつも内心には憤怒の気持ちを抱きつつ、弁髪の背広野郎が昼日中からゲーム屋でニヤケ顔して「サクラ大戦3」を買う姿を見守ってやって下さいな、「激帝」とか鼻歌ってやがったら別だけど。

 それにしてもなセガ人事。天下に轟く「日経辞令」を袖にして香山哲さんじゃなく佐藤秀樹副社長の方を社長に昇格させてしまったことで、結果として恥を欠かされた日経の遺恨試合がこれからきっと始まるんじゃないかと他人事のよーに心配になる。とにかく何かスクープしたはずのものがどっかと同着になっていたら、「どーしてあそこにも教えたんですか」と広報あたりにねじ込むくらいに血の気に溢れた新聞社。だけに本紙で記事が出て月曜付の「日経産業新聞」でもやっぱり同じ香山さん社長説で固めたワイド記事を掲載してしまった反動が、担当記者へのプレッシャー以上に相手企業へと向く可能性は皆無とは言えない。早速の本日付夕刊では香山さんが取締役じゃなかったことを理由にとりあえず的なニュアンスで佐藤さんを昇格させたって意味の原稿が出ていて、軌道修正に心を配っている様が読んで取れる。あるいは明日の朝刊なり「日経産業」の方でもっと詳しい”逆転劇”が載るかもしれないんで、どんな解釈をしているのかメディアウォッチャーの人は注目だ。

 なんてことを週末だったし休日だったし山形さんの講演会もあったしでまるっきり動かないままあるいは香山さんが社長になるかも的憶測を作文した野郎に言われたくないだろーけれど、現実問題後講釈的に見るとやっぱり香山さんより佐藤さんの方が座りが良くって、さらに上にCSKから福島吉治会長が兼務で会長職に就くことになっていて、この2人がグループをまとめ社内をまとめたその下で、上も納得尽くのリストラクチャリングを進めた方が香山さんもやり易いんじゃなかろーかってな気分になって来る。何ってゆーか豊臣秀吉が死んだ後で「7本槍」の時代からの叩き上げ家臣たちより上に石田三成が立ってしまったことで間がぎくしゃくして、そこを徳川家康に突っ込まれたってことがあったじゃん、その過ちを繰り返さないためにもこの場合は誰になるんだろー加藤清正? 副島正則? ちょっと分からないけど信頼のおける譜代を据えたその下で、能吏・光成に頑張ってもらおうって気持ちがあったのかもしれない。

 あるいは佐藤さんが家臣ってよりは大老組の前田利家だったとしてもまとまることはまとまるけれど、その場合は早くに没してしまって三成の台頭を許すことになってしまうから具合が悪い。あと福島さんの立場を考えるとあるいは「鳴くまで待とう」の家康で、旧臣に新鋭がつばぜり合いから疲弊したところをひょいとつまんで行ってしまうケースも想定できるけど、だとしたら大阪冬の陣夏の陣を経て滅んだ豊臣家と同じ筋道をセガもたどってしまうのか、ってな悪い妄想も頭に浮かんで離れない。まあ戦国武将たちでもなく1国といっても社会性を持った企業体で衆目の中を覇権争いするほど気持ちも揺れてはいないだろーから、3人がそれぞれのドメインを持って仕事に励んだ成果としての栄光の日々に、遠からずお目にかかれることを期待したい。夏までかもなんて「日経辞令」なんて吹っ飛ばして下さいな。

 会見でやっぱり聞かれた「どーして佐藤さん?」ってな問いには「前々からどーするか考えてあった」と禅譲なり遺訓なりを示唆してくれて、信じるならやっぱり大川功さん的に何をどーすれば治まるのかってことを考えていたんだと言えそー。あと長くハードの開発をやって来た佐藤さんがいざトップに立った時には”故郷”がなくなってしまっていた、そのことはやっぱり「寂しい」と話してて、「ジェネシス」が世界を席巻して後、開発部門として自信を持って送り込んだ「セガサターン」も「ドリームキャスト」も結果失敗していまった事態はやっぱり残念だったみたい。良さをアピールして適切なユーザーに売り込むマーケティングに至らなさがあったのかもって振り替えていたけれど、今となってはどうにもならないとは分かっているよーで、「ソフトがあってのハードでいわば黒子。これからは世界から評価されるコンテンツのプロバイダーになります」と強く言っていたから、わだかまりもなくこれからの事業に取り組んでいけそー。期待……するより他はない。

 運動は運動でもシノヤマキシン大先生をさらに大物にするための運動だったのかもってな思いが沸々と浮かんでしまった「SPA!」3月28日号グラビア「ニュースな女たち」。写真界のこれは直木賞かそれとも芥川賞なのか、とにかく偉いらしー木村伊兵衛賞がHIROMIXさんと蜷川実花さんと長島有里枝さんの3人の女性写真家にまとめて授与されたって話に、いったいどーゆーことだろーと訝ったことがあったけど、シノヤマ先生のグラビアへの3人まとめて登場って事態になっていて、授賞した3人の凄みが減殺される一方で、3人に授賞させたシノヤマ先生の凄さばかりがクローズアップされているよーに感じられて仕方がなく、それぞれい実力のある3人を「モーニング娘。」あたりの「これまとめておいくら」的なニュアンスで例えてみせている中森明夫さんの文章も併せて、何か居心地の悪い印象を持つ。

 まあそー感じてしまうのも裏返せば木村伊兵衛賞にある種の”重み”を認めてしまっていて、そこに3人がまとめて入ってしまう状況を口ではアーティストへの冒涜とか言いながらも心の奥底では実は賞とゆー権威への冒涜だと憤っている自分があったりする訳で、そーした偽善を見透かし嘲笑しつつも純粋にそれぞれが賞に値するんだとゆー感情でもって、3人に賞を与えたのかもしれないから難しい。その場合は運動といっても賞の権威に縛られず純粋に写真家の凄みを見よーよってな運動だろーから、非難すればするだけ向こうの思惑にハマって1つの運動に取り込まれてしまう。どっちにしたって流石はシノヤマキシン、天性の運動家だと感嘆するより他にない。同じ号で遂に四方田犬彦さんの連載が終わっても、未だに巻頭を飾り続けられるこれが秘訣なのかもね。


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