縮刷版2001年1月上旬号


【1月10日】 ビデオリサーチって視聴率調査だけじゃなかったんだなあ、と言っても実施しているのがビデオリッサーチネットコムだから別にいいのか。インターネット利用状況を調査している会社で12月31日に開幕した「インターネット博覧会(インパク)」のアクセス数なんかを調査してて、それによると推定アクセス人口は30万人にのぼったとか。開幕日だとするとちょっと少ないよーな気もするし、大晦日って時期を考えると多いよーな気もして判断のしよーがないけれど、当方の1日のアクセス数が1500とか2000とかって程度だから何百人何千人と関わって何億円もかかっているサイトが人件費無料で人数は1人のサイトのたったの200倍じゃあやっぱり少ないんじゃなかろーか。この程度の数字で「順調な滑り出し」と書いて「高い関心がもたれている」なんて言ってしまうビデオリサーチドットコム、視聴率調査と同様で向いてる側はやっぱりお上ってことなのかも。

 しかし「インパク」、ネット上での人気はともかくリアルな場でのPR活動は今まさに真っ盛りって感じで、さすがは世界に冠たる電通が自分ちのギャラリーや年頭の賀詞交換会の場所を使って大々的に「インパク」をアピールしている姿がここんとこ目につく。帝国ホテルの新年会ではパソコンをズラリ並べて「インパククイズ」なんか開催。ホームページの内容を読んでそれがどこの県のパビリオンか当てるって内容で、クイズ自体は別に難しくはなかったけれど、遊びながら思ったのは、そんなクイズが出来るくらいにパビリオンのコンテンツにはご当地情報が多いってことで、つまり「インパク」ってのはデパートの観光物産展のネット版に過ぎないんじゃないかってなことに気づく。何故か届いた朝日新聞社の「論座」で堺屋太一内閣特別顧問が「インパク」について「コンテンツを競い合い、にぎやかなお祭りが展開されます」なんて言ってるけど、まあ確かにお祭りだよなあ、屋台が並ぶ村の秋祭り程度には。

 全問正解でもらえたグッズが有田焼の携帯ストラップって言うからどれだけ格好良いものなんだと期待して開けた封筒の中身を見てボーゼン。1センチほどの直系の陶製のボールに描かれていたのは「i」の字をモチーフにした「インパク」のシンボルマークとやらで、裏にはカタカナで「インパク」と書かれご丁寧にアドレスまで入ってる。美少女キャラとは言わないまでもせめてドーブツだったら「可愛い」なんて感情の容れ物になり得るものを、どーゆー発想がただの球に「i」でインパクなんてデザインを採用させたのか分からない。「インパク展」を開催中の電通ギャラリーに行くと、同じシンボルマークが描かれたマウスパッドとか電卓とかTシャツとか、いかにももらって全然嬉しくないノベルティグッズでございといった品物が飾られていてますます謎は深まる。キャッチフレーズでデザインでCIな会社が仕切ってる割にはお洒落さをとことん排除したキャラクターグッズを何故に作ったのか。70億円とかいった金が云々なんてことよりも大きなモンダイだよなー。

 「インパク展」の会場にはネット上に簡単にホームページを作れる端末「放課後倶楽部」の「インパク版」が展示してあって来場者は写真をとってもらってプリクラシールと作りながら同時に自分を紹介するホームページも作成できる。あまりの人の少なさに行列なんて皆無だった端末の前で早速自分のページを作成。これが僕のインパクページです声は入ってませんあしからず。トップページから辿ればちゃんとした美女のちゃんとした顔も見られてときどき「あけましておめでとうございます」なんて声も聞けちゃったりして、会場のコンパニオンなんかも混じっていたりするんでアプローチ代わりにメッセージなんて書いてみてはいかが。見てくれるとは限らないけれどね。

 会場にボードがあって「成田豊さん」とか「堺屋太一さん」とかのメッセージが書いてあって名前だけならなかなかに壮観だけど、あまりに重すぎるんで空いたスペースに自分のメッセージを書き込む、「ウラニチ参上 勝負だ」ってシール付けて書いて来たんで行った人は探してみて下さい。勝負って言っても金と人間と手間暇をかけてやってる「インパク」のインパクトの乏しさに対して個人としてどこまでやれるのかってのが当方の当面の改題で、まあ「インパク」に対抗するって気持も力もないけれど、向こうがおそらくは1年経して尻窄みに終わっていくだろー中で、すでに5年近い蓄積に新たに1年分を加えてもなお変わらないペースと分量(中身はまあ、今もないし)を守って続けていくことが、勝ち負けで言うなら勝ちに当たると決めて頑張って行こう。

 これのことだったのか宣伝会議で花田紀凱さんが「一言言っておいた方が良いよ」って指摘していた「噂の眞相」2月号の記事ってのは。聞いたところによると宣伝会議からは角川書店に行く前から話があったそーで、状況から雑誌創刊の話が進まなかったんで別に喧嘩別れじゃなくって移ったってことらしく、「リストラの憂き目」って文言には言いたいことがあるみたい。「編集会議」はタイプこそ違え同じマスコミ業界を取りあげるみたいなんで「噂の眞相」、ライバルになるかならないかはともかく喧嘩しないでいっしょに業界の裏側を抉っていって下さいな。そーいえば花田さんの古巣の「週刊文春」がレイアウトなんか若干のリニューアル、でも映画なんかを扱った見もの聞きもの」のページは何かスカスカな印象で書評のページも地紋のないベタな見出しが素気なさ過ぎて、それで統一されていればかまわないところを既存のコラムは賑やかな見出しがついていたりとチグハグで、何とも居心地の悪い印象を受ける。

 BSデジタルを褒め称える阿川佐和子さんの海老沢勝二NHK会長インタビューといいクリスマスディナーショーで唄ったことを自慢する林真理子さんのコラムといい、なれ合うベタベタ感が全体に漂い始めていてムシ暑い。青山真治さんの「EUREKA」への厳しい評とかは「文春らしさ」炸裂だけど、やっぱり全体に薄く軽い感じが否めない。時代なんだろーけれど、だったら僕はおっさん世代として花田時代に軍配を上げたい。「面白いもの作る自信はあるよ」と言ってた花田さん、週刊誌またやらないかなー。


【1月9日】 毎年恒例の冬の直木賞レース開幕パフパフ。1番グリッドに控えしは「えびめし」と吉備団子の里、岡山から参加の岩井志麻子さんは「岡山女」。ホラーとゆーより1人の霊能力者を媒介にして見せる愛にまつわる男女の機微が何とも言えず心にズリシと響くドラマチックな内容は、ご当地物で先に受賞したなかにし礼さんの「長崎ぶらぶら節」のまるで裏版っていった雰囲気もあったりして選考委員の気持ちに訴えかけるかも。ミステリー的な謎解きめいた趣向もあって同じくミステリーから参戦の横山秀夫さん「動機」(文藝春秋、1571円)と並んで個人的には推したいところ。でも文藝春秋社刊ってことで「動機」が強いかなあ。

 文藝春秋からは山本文緒さんの「プラナリア」も候補に。読んでないけど切ると増殖するプラナリアが主人公の動物ファンタジーなのかなあ(違うって)。新鋭ってことで田口ランディさんが「コンセント」でレースに参戦、けど芥川賞じゃないってところがちょっと不思議。雑誌掲載の中編ばかりが候補になってるあたりを見ると今回の芥川賞、候補作の条件面で仕切り直しでもあったんだろーか。まあ話題性でのおじさん連中への受け方でも結構なものがあるからこれはあなどれない。受賞するにしても落選するにしても選考委員のコメントが1番楽しみな作品であります。

 野球で言ったら3番4番バッターあたりの重さで名前を連ねるのが「ビタミンF」の重松清さんと「あふれた愛」の天童荒太さん。天童さんは「永遠の仔」で取るべきだったと思うけど巡り合わせだからしょうがない、ただ「あふれた愛」も結構な人気だったみたいだから可能性はきわめて大きい。岩井さん天童さんとともに山本周五郎賞受賞者の重松さんもその意味ではやっぱつ強そー。「ビタミンF」も実は未読だったりするんで「あふれた愛」とともに読んでみよー。予想するなら2人受賞なら天童さん山本さんかな。16日発表の予定。芥川賞は知らない人の中で唯一「郊外へ」以来著作を全部読んでる堀江敏幸か、吉田修一さんあたりに注目、でも「文学界」掲載の大道珠貴さんがきっと獲るんだ政治ってそーゆーもんだ。

 そーゆーもんだからこそ芥川賞を獲った人の中にもとてつもなくとんでもな人 が現れるのが現実で、世界文化社から何故か刊行の辻仁成さんは「サヨナライ ツカ」(1470円)は東大卒の深窓の令嬢との結婚が決まっているタイ駐在の航空会社員が 現地で出会った日本人の大金持ちの美女から一目惚れされながらも婚約者を捨てられず、愛欲の生活の果てにタイで出逢った美女を捨てて日本に戻って幾星霜、幸せな家庭を築きながらもタイの彼女を忘れられず曖昧な態度を取り続けるとゆー、無責任とゆーより常に相手側に責任を持たせて受け身な態度で自分の責任を回避する男の描写に、ちょっぴり苛立ちながらも内心はそーありたい自分を含めた男子一般の願望を感じて悩みもだえる。

 ここまで傲慢で都合の良すぎる男の姿は普通真っ当な文学者では描けるもんじゃなく、そこは常に既成概念固定観念に反逆し続けるロッカー出身だけのことはあると感心、芥川賞受賞席で文学の未来を背負うと言ってのけた辻さんだけのことはあると納得する。初めて出会ってから30年以上も自分のことを思い続けていながらも相手の生活を考えて身をひき遠くから見つめ続ける女性なんて妄…じゃない空想をたくましくしなくてはとてもじゃないが描けない。いやもうとてつもなくとんでもなラブストーリーに貴男も貴女もカンドーしてみませんか、スポンサーは「ザ・オリエンタルホテル」でした。

 朝日新聞社に入った時も角川書店に移った時も広報の敷居が高そうなんで遠慮していたけど、さらに次のステップに移行したとあってはいつまでも遠くから眺めている訳にはいかないと、宣伝会議の取締役に1月1日付けで就任した「週刊文春」元編集長で「マルコポーロ」元編集長で「UNO」元編集長で「メンズウォーカー」元編集長と元編集長づくしの花田紀凱さんに会いに行く。すでに「映画館へ!」って映画雑誌の編集を手がけていて、3月からは月刊化される「編集会議」の編集長にも就いていろいろとリニューアルなんかを考えているらしく、矢崎泰久さんの回想録とか花田さんの師匠筋にあたる編集者の話とか、編集なりマスコミなりジャーナリズムで働いていたりそれらを目指す人には、「噂の眞相」「創」とかとはちょっと違った面で興味深い雑誌にはなりそー。

 「映画館へ!」は最初の号では時間がなく100人のアンケートが誌面の半分近くを埋め尽くす不思議な仕様になったけど、体制を固めて挑む次号では中身もいろいろ充実させていくとかで、どちらかと言えばキャリアな女性たちに向けてメジャーマイナーを問わず映画を紹介したり、そんな人たちから映画を紹介してもらう映画雑誌にするとか。でも表紙は和田誠さんなんだよなあ。それにしてもいろいろと会社を移ってもずーっと「編集長」をやって来た花田さん、宣伝会議では取締役として後ろから仕切るかと思ったら、やっぱり「編集長」として陣頭指揮を取っていて、そのパワーその意気込みにはやっぱり頭が下がる。ちょっぴり間があった同じく”編集長渡世”な渡邊直樹さんも聞くところによると中央公論新社で再度じゃない再々度でもない再々再度くらいな編集長稼業を始めるとか。おじさん揃って元気です。

 ネットとかあんまり気にしない人らしく、もとより超マイナーな存在として地下深く潜行する当方の裏稼業について花田さんは知らなかったよーで一安心、「UNO」から「メンズウォーカー」へと流れて行った仕事の節々に関してあれやこれやと書いて来た記憶があるし、出版業界新聞業界に知己の多い花田さんを通じて辺見庸さん的にカッコ良すぎる言葉でいれば「穴を穿つ」、もっと直接的に言えば「愚痴を垂れる」当方の裏稼業が偉い人たちに伝わって、穿った穴の奥で更に穴を穿っている上から土砂とか放り込まれて生き埋めにされる、なんて事態が起こらないとも限らないからね。でもちょっぴり残念、間もなく5年になるんだけど、やっぱりネットはネットでしかないってことなんだろーか、うーん田口ランディへの道なおバーティカルリミット(険しいってこと)、6年目に入ることだし有名人向けアピールとか有名人サイト掲示板への出入りとかして、もーちょっとだけメジャー化を目指そー。


【1月8日】 医者とか看護士になって点滴に催淫剤とか混ぜて美少女の患者をどーにかしちゃうとかってなゲームやアダルトコミックがあって犯人はそのユーザーだった、なんて話が出てくるなり作り上げるなりする官憲マスコミPTAその他が出て来やしないかってのが、目下の所の関心事だったりする仙台筋弛緩剤入り点滴事件。可能性としては海外なんかに類例のある医者による患者殺人事件の模倣って方が高いんだけど、そんな場合でもだったら海外の猟奇殺人について書かれた本なんかを槍玉に上げる輩が出てこないとも限らず、どっちにしたって「だったらゲームを」「マンガを」「本を」規制しろなんて話になってしまう訳で、自らの報道なりドラマなりが結果として情報を伝播した可能性には目をつぶって、別のメディアに責任を被せて叩く動きが果たして今回も出てくるのか、捜査の進展を待ちつつメディアのスタンスを見守ろう。

 しかし臆面もないってゆーか日本テレビ、去年だかに「動物のお医者さん(仮)」とかゆータイトルで発表したドラマが、あれやこれやあったのか「向井荒太の動物日記 愛犬ロシナンテの災難」なんてタイトルに代わって1月13日から放送開始ってことになった模様。もっとも堂本剛安倍なつみ水野真紀といった当初発表されたメンバーが引き続き登場ってことになっていて、代わったのはタイトルだけってことは或いは中身は佐々木倫子さんの「動物のお医者さん」なんかどこか重なるシチュエーションを、今となっては全然無関係なドラマだとして放送するんだろーかと、やっぱり事の成り行きに関心が高まる。

 刑事ドラマが「7人の刑事」「太陽にほえろ」の前例にどこか倣い、教師のドラマが「なんとか青春」「金八」の呪縛を抜けられないのと同様に、獣医学科を取りあげたら「大学とその付属家畜病院を舞台に(中略)人間と動物の心温まるコミュニケーションを描く」(サンケイスポーツ)ドラマになるのは当然っちゃー当然だけど、刑事や教師と違って獣医学科を取りあげるってレアな発想を敢えて取り入れるって時点ですでに「動物のお医者さん」パク……じゃないリスペクトな雰囲気が見える訳で、その臆面のなさでどこまで「ハムテル」「菱沼聖子」「漆原」なキャラを違った名前で見せてくれるのか、家にある「動物のお医者さん」の単行本を読み返しつつ盗……じゃない新作ドラマのスタートを待とう。

 九段へ。新世紀初にほぼ近いオタクな人の群集うイベントってことで「スーパーフェスティバル」を開催中の「科学技術館」に行く。到着すると早速コスプレな人がわんさといて、ほとんどが格闘ゲーム系のコスプレだったけど、中には上半身裸で下半身Tバックなグラマーな人が何人も集まっていたりして、目の保養になるかなーと思ったけれど、グラマーにも程があり過ぎる人たちばかりで、おまけに全員男子だったりして目の毒にしかならない。いったいこれはどーしたことかと入り口まで戻って看板を見上げると、朱塗りに金字で描かれていた会場名は「館」は「館」でも「日本武道館」。開かれていたのは「スーパーフェスティバル」なんかじゃなく「鏡開き式・武道始め」で、格闘系のコスプレに見えたのは柔道空手少林寺拳法合気道といった武道の道着、つまりはマジもの。でもってTバックな男子は想像どーり相撲部の部員たちでありました。いやあ間違えちゃったよ新世紀早々。

 とゆーのはまあ半分作り話で、「スーパーフェスティバル」の会場で韮沢靖さんがプロデュースした当代随一のイラストレーターらによるちょっとキれてる女の子絵集「Bitch’s Life」(グラフィック社、3000円)を買ったらもらえるサインの時間までちょっと間があったんで、近所にある武道館を見物に行ったらたまたまやってたのが「鏡開き式・武道始め」。無料ってこともあってのぞいたところ、古くからある伝統的な武道の人たちが一同に集まって功労者表彰とか鏡開きとか稽古始めをするってあって、これは面白そーだと見物したってのが正直なところ。方や玩具や人形に熱中する文化系オタクたち、こなた肉体の鍛錬や技の習得に勤しむ体育会系オタク(熱中する人、って意味が多分にあるけど)たちとゆー、世間的な目は対極にある両者が同じ敷地内でそれぞれにそれぞれの関心に向かって熱中している様を見ながら、彼ら彼女らを客観的主観的に分け隔てているものは何だろーかと考える。

 参議院議長が鏡開きの際に武者のコスプレで登場して大将を務めて喝采を浴びる武道の側の、なるほど伝統と格式が世間的な評価の上でモノを言っているのは分かるけど、だったら「スーパーフェスティバル」が100年なんて伝統を持った暁には、会場を武道館、とは言わないまでも国立劇場なり国立競技場へと移して「玩具道功労表彰式」なんてものを開いてくれるとはちょっと思えないから、やっぱりそこには歴然とした壁があるんだろー。文化庁なんかが表彰しているアニメだけは「アニメ道功労表彰式」なんて開かれるかも、それをもらったアニメが面白いかどーかは別にして。

 それにしても1つフロアで弓道と少林寺拳法と合気道と相撲と長刀と空手道と柔道と剣道がいっせいに稽古している様は壮観。銃剣道なんてものが入っているのは不思議だけど考えてみれば柔道だって明治以降だし合気道だってそれほど古いものではない。強いて上げれば相撲が1000年の歴史を持つくらいで剣道が続くって程度だから、おそらくは明治以降の西洋式軍隊が入って来てから定着した銃剣道だって交じって不思議はない。つまりは伝統武道と言っても決して驚くほどの古さがある訳じゃないってことで、シイナの好きなスポーツチャンバラはまだ入ってなかったけど、100年もすれば立派に古式な武道として武道館で演武なんか見せてくれるかも、あと「修斗」とか。

 戻って「スーフェス」では行列に並んで韮沢さんから本にサインをもらう。何か胸ボーンな女性のイラストも入ってなかなかに貴重な1冊になりました。隣でサインしていた桂正和さんにもサインをもらったけど、インク切れおこしてて最初のひと筆がかすれててちょっと誰のサインか分かりません。イラストとか描いたり最初のうちは色紙にも絵を描いてファンサービスしていた関係で、韮沢さんの行列から抜け出すのには結構な時間がかかって、間とこっちは正真正銘女性コスプレーヤーの超ハイレグなヒップを横目でチラチラと見ながら待っていたけど、名前をサクサクと書いていく桂さんのは行列の減りも早く、メジャーで活躍中の人だけあってさすがにサインも早いなーと感心。田島昭宇さんヒロモト森一さんの行列に並ぶ気力は流石になく、それでも主著者の韮沢さんのサインを頂けたってことで良しとする。

 「トイズワークス」のブースで「ちよバス」の模型を見て出来の良さにこれがこのまま出るなら買うぞと決心。円谷コミュニケーションズから出ていた、某ゲーム担当女性アナリストが怪獣の中では1番好きらしーエレキングの出来も超良かったけど5000円はちょっと厳しく断念する。神保町まで歩いたら新刊を安く売ってる店で潰れた光琳社出版から出ていた荒木経惟さんの「台北」「上海帰りのアラーキー」が定価12000円が2800円だったり4800円が1330円だったりしてお買い得だったので拾う。前に「トムヤンクンの冒険」も拾ってあるからアラーキーのアジアシリーズはこれで大体そろったかな、ジャストシステムから出ていた香港のCD−ROMがあるけれど、これはまあそのうちに。


【1月7日】 「90年代名作SF」再読計画発動中、なので出た直後にハードカバー版で買っていた「ガダラの豚」(中島らも、実業之日本社)を奇跡的に見つけやすかった本棚から抜いて午後の3時頃から読み始めて、3時間くらいでラストまで一気に読み切る、手が思いっきり疲れる。疲れるけれど読んでいる間はそんなことが気にならないくらいにのめり込んでいたのは驚きで、このリーダビリティの高さはなるほど90年代に名を残すに相応しい作品だってことを再確認する。何物かが動き始めるプロローグから、オウムの問題はすでに顕在化していて幸福の科学についてもとやかく言われいただろー時期での新興宗教に関するルポルタージュ的エピソードの挿入にテレビ局的事大主義、広告代理店的商業主義への警鐘なんかお織り交ぜて進む中盤の、読み手を止めさせない展開語り口の妙には恐れ入る。

 そしてアフリカ編。社会学民俗学科学心理学情報工学エトセトラと結託した呪術の姿を科学者に喝破させ呪術者に吐露させつつもその背後にある真から呪術的なものを顕在化させて関心と恐怖心を喚起させるストーリーテリングの冴えといったら。張り巡らされた伏線が次々と本筋に絡んで来ては呪術者の頭脳の凄みを見せつけ、同時にそれを仕組んだ作者の凄みに目を見張らせる。東京に帰ってからの凄惨な出来事には身も縮むけれど、もっともっと怖がらせられるところを、作者自身のキャラクターもあるのか、その分身のようにひょうひょうとしているようでしっかりと活躍する大生部教授とそのファミリーが活劇にしてくれているのが人によっては物足りないかもしれないけれど僕的にはオッケー、ちょっとハッピー過ぎるエンディングも何かと世知辛い世の中だけに、かえって気持にフィットする。

 映像にさもありなんなメッセージを挟んでコーラが売れたとか言ったサブリミナル効果の都市伝説的な事例が参考にされいているのはまあご愛敬、そのあたり割り引いても今なお根深い問題を抱えるテレビに宗教に学会に日本の閉鎖ぶり視野狭窄ぶりを揶揄し風刺している部分の古びてなさに、「ガダラの豚」の普遍性と見ると同時に変わらない現状への苛立ちも募る。「四十八億の妄想」が古典にならない日本じゃ、まあそれも仕方のないことだけどね。

 寝て起きて恵比須の「東京都写真美術館」へ。肉色のドームこそ覆ってなかった恵比須は寒空にも関わらずカップルに家族連れで賑わっていてよっと悔しい。当方の目的はと言えば、例の庵野秀明監督が自我の限りを垂れ流しているとも「エヴァ」のリニューアルをやっているとも評判の「式日」の見物で、とにかく話題性なら存分な監督の最新作で長さも 2時間ちょっととフルサイズな作品を1500円で見られることを、果たして幸せと思えるかどーかが見る前の関心の1つになっていたけれど、見終わって思ったのはまあ妥当な水準だったかな、ってこと。椅子は座り心地が良いし音響もそれなりでスクリーンも大きくハード的には老朽化した映画館の何倍もよかったし。じゃあソフト的にはと言われるとこれは人によって判断が分かれるのは確実だろーけど、自分的には楽しめました、大竹しのぶさんの素な凄みに。

 半開きの口が何とも間の抜けた感じを見せるカントク役の岩井俊二さんの顔のアップにやっぱり半開きの口が惚けた感じを醸し出している少女役の藤谷文子さんの顔のアップが重なる冒頭は見る人を物怖じさせるだけのインパクト十分。赤をとにかく目立たせようとする作為が感じられ過ぎるイントロとか、舞台となっている廃墟っぽいビルとかレーシングカーよーな小道具とかチョークで描かれた線路とか、岩井の内面として重なる松尾スズキさんのベタベタなモノローグとか藤谷の内面らしー林原めぐみさんのプチプチとしたモノローグとかが、”前衛”とか”スタイリッシュ”とか”モダン”とか”ファッショナブル”とか”アーティスティック”とか”文学的”とかいった要素を出そうとしてあまりに型にはまり過ぎてかえって陳腐な感じになってしまっている本編を経てたどり着く、椅子に座って向かいあった藤谷と大竹の「母と子」バトルのテンションの高さにはただただ圧倒される。途中が途中だっただけに、ラストで一気に見ている側のテンションも上がって、予定調和なラストがかえっていとおしくなる。

 ただでさえ過剰過ぎる情報が詰め込まれている画面だけに、気分的には無い方がかえって映像から心象を読みとろうとする意図が働いて画面に集中できただろーと思った、岩井さんの演技にウザったくも重なる松尾さんのともすれば慇懃に響く心象描写のモノローグの、高踏過ぎて逆に陳腐さを漂わせる使い方なんかを見るにつけ、庵野監督にあまりにも「アンノ的」なるものばかりを求めようとす る世評への痛烈な皮肉を交えたこれが1つの解答なのか、それとも映画にこだわる自分を冷静に客観視して描いた半ば自虐的な気持の現れなのかと考える。

 そーいったメタな視線をも取り込んで1つの作品だと認識させてしまう辺りが、ブームを作って以降、常にブームであることを求められる庵野監督たる所以なのかも。何かあんまり誉めてる感じがしなくなって来たけど気にしない。 長く伸びた天蓋の上の通路とか、建設途中の高架の下とか古い列車とか「絵」になる風景を取り入れ見せてくれるあたりは「エヴァ」でもそーだったけどさすが庵野さ ん。その素晴らしいビジョンを認めるにやぶさかではないけれど、物語に乗せて見せられた時の見せようとするリズムがちょっと自分とズレてるのかもしれないと、見ていて感じた違和感の理由について考える。手振れの激しいカメラワークも少しは影響しているのかな。兎にも角にも徹頭徹尾、絵にこだわる庵野さんらしい映画でありました。加古隆さんの音楽は毎度のことながら津々と心に響くな あ。

 「式日」にも声で出演していて、質はともかくどこか鯱張った感じが抜けきらない辺りが味な松尾スズキさんと対極の、迷走と妄想の入り混じった感じと手慣れた演技でキッチリと決めている林原めぐみさんは、声優では世間で通じる度合いが高い方に入る人だろーけれど、あの声と言ってあああれかと万人に言われるかというと、キャラとしても声としても一般化しているとは言い切れないあたりが微妙な立ち位置で、だけに「GQ」の2月号で大塚英志さんが、「プチプチプチ……でもだいじなこと」とゆータイトルで書いているよーに、「強い配慮を求められたりして、何だかそんなことばかりがこのところ続いてちょっとうんざりである」ってな事態が起こる。

 声優さんを頻繁に登場させる雑誌ならまだしも、「本業の方のジュニアノベルズ雑誌」で「配慮」を求められたってあたりがまた微妙で、どーゆー回路が編集をして「配慮」に走らせたのかが気になる。「ドラゴンマガジン」とかだったら「スレイヤーズ」つながりって事もあるのかな、出てくれなくなるとかいったたらやっぱり困るだろーし。けど声優さん雑誌で岡田斗司夫さん山本弘さん田中公平さんがそれと分かる人たちを散々っぱらやり玉に挙げてるって先例もあるのに、3人にもまして業界内発言力のありそーな大塚さんにまで「配慮」が求められる状況ってのは、なかなかに息苦しいものがある。

 文藝春秋の雑誌なんかで石原慎太郎さんに絡んだ「配慮」の問題で喧嘩したのも記憶に新しい大塚さんだけど、世間的な理解の得やすい「石原タブー」ならまだしも、「何で『配慮』しなきゃなんないのかその根拠となると外の世界の人には説明しにくくて、いくら何でもこれがタブーかよ、っていうプチタブー」の多さには辟易している以上に不気味なものを感じているらしく、「東浩紀がずっと言っている、世界がタコ壺みたいに小さな共同体に寸断されているという事態の更に次の局面として、その小さな共同体が1つの世界としてもっと閉じるために今や小さなプチ禁忌を自作自演しているのではなかろうか」と分析している。

 なぜ小さくまとまりたがるのか? ネットがタコ壺化に拍車をかけているのか? 社会を形作る新しいユニットの創生期にあるのか? といった疑問には詳しくは突っ込んでなく、これは引っ込み思案で臆病な割りに自意識が過剰なためか友人関係が希薄で特定の共同体になかなか混ぜてもらえない自分の問題意識とも重なって、ちょっと考えて行きたいところではある。大塚さんみたくプチ禁忌のエアパック風地雷をプチプチと潰して歩くだけの性根はないけれど。


【1月6日】 貧乏性なサラリーマンは時間を無駄にできないのか午前中から起きはするものの別に何かをしなければならないって訳でもなく、戸惑いつつもそれでもやっぱり何かしてなくちゃ落ちつかないらしく電車に乗って秋葉原へ。「ラジオ会館」に入ってエスカレーターに乗って上に向かうと、3階の「K−BOOKS」前に何やらごじゃらっと人だかりが出来ていて、のぞくとポイント溜めた人に何やらオリジナルテレカをプレゼントするイベントが開かれていたみたいで、種類が違うのか何枚もゲットした細い人太い人たちがわさわさとしている姿に、不景気ってどこの世界の話なんだろーかと改めてオタク力(ちから)のバイイング・パワーに驚嘆する。

 隣の「ゲーマーズ」にも新年だってのに平常と変わらない層の客が指の形はしてない店員相手にテレカ下さいグッズ下さいと散財中。かく言う当方も積み上がった「デ・ジ・キャラット人生ゲーム」に新世紀最初の激しい物欲を昂進されたけど、幸いにして手持ちが少なくその場では断念、けどきっと明日には行って「人生ゲーム」と画集の「ショコラ2000」を買っている方にファイナル・アンサー。「スターウォーズ・チェス」と言い「モーニング娘。どんじゃら」と言い買っても誰とプレイするでもなキャラクター・ゲームがゴロゴロとして来た現状に一抹の寂しさを覚えつつ、だったら誰にも電話をかけないテレホンカードを集めて楽しいのかって開き直る自分が今度は惨めになって来る。まあ、それも人生だ。

 「秋葉原ラジオ会館」4階の「ホビーロビー」はチョコエッグ目当てなのか親子連れの姿なんかも見えて、ガレージキットの側がファミリー層に近づいているのと裏腹に、ファミリー層にもリアルで高品質なものを求めるマインドが生まれ育まれいるのかな、ってなことを考える。美少女フィギュアって言われた時に僕たちが共同幻想的に抱く「こんなものを好きな自分」とゆーよーなある種の自虐的な感情を一切持たない、知識もなければ先入観もない人が「ホビーロビー」の棚にチョコエッグのおまけと一緒に飾ってあるフィギュアを見て「綺麗」とでも「可愛い」とでも「格好良い」とでも思う、そんなところから案外と「オタク」とゆー層を外から囲っているよーで案外と内から支えていた部分もあった垣根は崩れていくのかもしれない。

 村上隆さんの3段変形「Ko2ちゃん」セットは完売の模様でとりあえずおめでとう。立ち姿のは脚から生えている羽が垂れ下がっていて、中間形態のは台座と本体をつなぐ針金が折れ曲がっていてちょっと悲惨な状況になっていたけど直す人とかいないんだろーか。「モデルフラフィックス」に書いた「Ko2ちゃん」賞賛の記事がウインドー内に張り出されているのを見て、別に顔写真とか出てる訳じゃないんだけど、こんなものを誉めやがってオタクの敵め、なんて指さされて中身だけ抜いたチョコエッグとか妖怪フィギュアを抜いた後の飴玉をぶつけられる前に退散する。次回入荷に向けて予約しちゃおーかとか思ったものの、6階の「ボークス」で例の「ガンダム大百科」が「ボークス限定セイラ・マス人形付き」で予約を受け付けているのを見てコロリと寝返る。アートだってヌードだってセイラさんには勝てません。

 神田神保町へと回って本屋をうろうろ。「ヴィーナス・シティ」は見えずやっぱり山から掘り出なきゃあかんと覚悟を決める。早売りのアニメ雑誌が並んでいたのにはちょっと吃驚、9日とか8日とかってのは見たことがあるけど6日ってのはなあ、どーりで締め切り早かった訳だ。届くんだけど買ってしまう「電撃アニメーションマガジン」は21世紀突入大プレゼントで「クラブパンターニ」とか「よつばスタジオ」のサイン色紙のプレゼントなんかをやっていたから買って正解だったかも、だってアンケートハガキじゃないと応募できないからね。内容の方は冒頭で「デ・ジ・キャラット」のクリスマススペシャルにPCゲーム「「デ・ジ・キャラットファンタジー」の紹介で表紙も含めて「でじこづくし」。折り込みポスターは「G.A」だからブロッコリーづくしとも言えるかも。伝統の「アニメージュ」が「千と千尋の神隠し」を特集して「ジブリ」派なところを見せているから、こーゆー特徴の出し方も1誌脱落しかかっているとは言え相変わらず混戦模様なアニメ誌の分野では正しい道なのかも。

 メディアワークスが誇る現在最強のコンテンツ「あずまんが大王」が使えるってのも強みの1つかな、ってことでウェブ上で始まるのか始まっているのかまだ見てないから知らない「あずまんがWeb大王」の記事もしっかりと掲載中。よみがぜんざいの方を食ってやがって何か嬉しい。できれば黒タイツの制服の方が嬉しかったけどタートルネックも「それはそれで」。1日1枚の「ひめくりあずまんが」はやっぱり予約しなければ買えないんだろーか。描き下ろしとかもあるみたいだしなあ。それより何より「「あずまんが大王 ちよバス」のトミカバージョンはいったい幾らになるんだろー。トイズワークスから4月発売だそーで、「電撃大王」2月号で先行販売予約受付とか。期して雑誌の発売を待とう。

 巻末には「コールドゲヘナ」アニメ化なった三雲岳斗さんのインタビューが掲載、「SFセミナー」の時よりも大人(おおきなひと)になった感のある三雲さんがなかなか。マンガ版「住めば都のコスモス荘」もますます快調、年上ダイナマイツバディーに小学生にヤンキーに義理の妹に眼鏡っ娘と多彩な顔ぶれ絶妙のパワーバランスを誇るキャラクターがどーして鈴雄なんぞに惹かれるのかねー、と妬み嫉みな感情を抱きつつも「うる星やつら」「天地無用!」に「タツモリ家の食卓」他多数ある類例と同じ人間関係の綱引きや多彩なキャラクターが織りなすエスカレートしていく物語への期待に胸振るわす。アニメは終わってもマンガは続いて15話まで来た「ブギーポップは笑わない」と同様にちゃんと続いて結末も見せて欲しいマンガです。雑誌ちゃんと保ってくれい。


【1月5日】 早起きして京都へ。途中、東京駅で京都と聞いて思い出した葉月里緒奈さまの未公開カット多数収録とかゆー小さい版形の写真集「RIONA[S]」(ぶんか社、1500円)を買う、京都には何かほら、葉月さんが大好きな人がいたよーな記憶があってねえ。中身事態は前に大判で出たのとおそらくはそれほど変わってないとは思うんだけど、何かとプッツンしてるってな情報が蔓延していた当時はどーしても見る目にバイアスがかかって体を見てもキレやすいってゆーか壊れやすいってゆーか、センシティブな雰囲気を感じて目がチクチクしてたんだけど、某パーティーで間近にご尊顔を拝して明るい表情に何だ普通の人だったんだ(当たり前だよ)と気付いて以降、テレビなんかで見てもその人間っぽさをどうにかくみ取れるよーになっていたんで、今回改めて見た全身これスッポンポンの写真にも、仮面もベールもない1人の女性の素のまんまの姿を感じとることができて、リラックスして見ることができた。

 まあ、相変わらず大きからず小さくなかからずな胸とかくびれているとゆーよりは単に細く薄いだけってな腰つきがくっきりと写し出されてはいたけれど、それとて無理している痛々しさとゆーよりは、もともとがそーゆー人なんだってな受け止め方ができて、むしろ清冽さの方が前面に出て来て気持ちも逆に落ちついて来る。ハイレグな人によく見られる、貼り付いた味付け海苔のよーには全然なってないモジャモジャも、見慣れればなかなかなに人間身にあふれて味わい深く、触れて毛先のなめらかさを確かめてみたいなんって思ったけれど触れる機会なんぞ100回生まれ変わってもないだろーから、自分ので我慢しよーとするととっても虚しい気持ちになって身もだえする。1本くれないかなー、くれないだろーなー。

 なんて妄想を巡らせていたら京都に到着。地下鉄で十条まで行ってお豆腐を置いたよーな白い新社屋に入って一仕事すませる。ライターの畠山けんじさんと小学館の久保雅一さんが書いた「ポケモンストーリー」(日経BP社)って本によると滅多なことじゃ登場しないってあって、会えても頓珍漢な質問なんかした日には5分10分で打ち切りになって追い返されるってな話も聞いたことがあるけれど、ビクビクしながらあれやこれやと話をしていたら、どうにかこうにか1時間ちょっと話を繋ぐことができて一安心。全世界を震撼させるよーなとてつもない話こそ当方の力量不足で聞き出すことはできなかたけれど、間もなく発売にある「ゲームボーイアドバンス」と、夏発売の「ゲームキューブ」に対する思いの強さに触れることができて、上から下までが一致団結して同じ気持ちのもとに新しい娯楽の創造に取り組んでいるってことが分かって、これなら資本主義がどうとか市場経済がどうとかいった尾篭な詮索なんかとは無関係に、きっと素晴らしいものを見せてくれるんだろーと得心する。

 ひとつ所に留まらないユーザーを相手にしている商売で、同じことを10年1日のよーに護り続けるんじゃなく、場合場合に応じて修正を加えながらも肝心なところでは譲らない、すなわちソフトあってのビジネスであって面白いものを作るんだとゆー姿勢はハードが進歩しよーと人間が変わろーとも絶対に変えないってあたりのこだわりは、とかく目先の収益にこだわりがちな投資家とか評論家とかマスコミなんかは傾聴すべき、だろー。イチローが自信がなければ大リーグになんか行こうとは思わないのと同様、新型ゲーム機に対応ソフトへの自信もみなぎっていて、今年1年は激しく激を飛ばす声が聞かれそー、その栄誉に年頭から浴せただけでも21世紀まで生きていた甲斐があったってことで。探りつつ脅えつつの1時間、「ポケモンストーリー」に所収の碁を打ってる写真を見せたら笑っていたから、ご機嫌は多分損ねなかったと思う。いや緊張しました、最近だと糸井重里さんに名刺を渡した時以上に。来週取材予定の超有名編集長とどっちが緊張するかなー。

 有名人、とゆーとこちらも身構えてしまうけど、当の有名人も自意識が肥大化し過ぎている関係か、外からの反応に過剰反応してしまうものなのか。筒井康隆さんの新刊「恐怖」(文藝春秋、1048円)に描かれている、文化人が次々と殺害される事件が起こった街で1人の作家が恐怖の怯え狂う様を見るにつけ、その俗物ぶりに呆れつつも、かといって決して唾棄すべきものじゃなく、むしろそんな過剰な自意識にビンビンと来る恐怖を味わってみたいものだと、自意識を膨らませながら虚構の世界に対する嫉妬に胸焦がす。昔だったら地域に在住の文化人たちの自意識過剰ぶり、俗物ぶりを大袈裟にフレームアップしては揶揄する話になっていたんだろーけれど、純文学っぽいフィールドへと自他ともに移行してからの筒井さんの作品らしく、現実から大きく解離したスラップスティックさよりも現実をちょっとだけつまんでブラッシュアップして見せてクスッ、と来るおかしさを感じさせるところがある。ラストのオチの大袈裟でもなければ奇をてらってもなく、それでいてニヤリとさせられる程良さが、筒井さんほどじゃないけど年食った我が身に心地よい。分かりやすく面白い、今の筒井さんならではの会心作。安くて軽くて読んで安心。楽しい時間を過ごせます。

 冬場なんでこもる熱気に風通しの悪さを感じることはなかったけれど、相変わらずの風通しの悪さを感じさせる威容を誇る京都の駅ビルを近鉄なんとかってなビルからのぞみつつ、京都御所を追い払われた悪霊妖怪の類が羅生門に溜まっていたのが安倍晴明の時代だったとしたら、今はさしずめ駅ビルのあたりに溜まって漂っているんだろーかと目をグリグリさせて見たけど霊感の皆無な見には何も見えず、まあ見えたらそれはそれで困るんだけど。近鉄のビルではソフマップでマッキントッシュ用のマウスを購入、昔ながらのADBマウスが東京だと探しても見つけにくい状況にあって、2社4種類のマウスをちゃんと並べてくれているあたりに、温故知新ってゆーか始末のよさを感じる。使ってみるとなかなか快調、動かしたら動かした分だけポインターが動くなんて一体何年ぶりのことやら。これならイラストだって描けそーだけど、2年以上になるカバーガールを今さら変えるのも面倒だし、だいいち代わる新たなカバーガールを思い浮かばないのも現実なんで当面はこのまんまで行きそー。でも君子は豹変するから将来は不明、って誰が君子やねん。


【1月4日】 単純に見るならデータベースを連携させてお互いがゲートウェイになって双方の記事を見られるようにしただけってのが、朝日新聞と日本経済新聞が貴重な1面を使って大宣伝した電子メディアでの共同事業の提携ってニュースなんだけど、これまでは例えば「ジーサーチ」のよーな専業のDB会社とか電通がやってる「エレクトロニックライブラリー」のよーなニュース・スクラップ会社が介在していた領域でも、中間段階を飛ばして直接情報をやりとり出来るよーにする一種の”中抜き現象”が起こっていることを現しているとも言えなくもない。

 そこからは、問屋がなくなり商社が弱体化していくのと同様に、情報の分野でも強いコンテンツを持っている所が優位に立つって状況が見えて来る。加えて強いところが強い所を組んでますます強くなる状況も体現していて、自社モノの宣伝といった域を越えて、ってゆーか自社モノだからこそ扱いを小さくしたものの、潜在的なポテンシャルは全紙がトップクラスに位置付けてもおかしくないくらいのものを持っているよーな気もする。ちょっと買いかぶり過ぎ? いえいえ、これが「ウォール・ストリート・ジャーナル」と「ニューヨーク・タイムズ」の提携だったら、やっぱり誰だって騒ぐでしょ。

 気になることがあると言えば、電子メディアがどちらかと言えば速報に期待がかかるメディアであるの対してペーパーメディアには論評性を期待しているユーザーが多いなかで、電子メディアへの傾倒を強める余りに立ち止まって考えるべき時に考えられない自体が起こらないか、ってな懸念。しかしまあ、そのあたりは人員にも余裕のある朝日に日経のこと、1日に50行も書けば忙しかったという記者に、デスクやキャップの命令一下、数十人が動いて取材に動き回る少年探偵団を駆使して速報の方はカバーして、その上にズラリと居並ぶ編集委員論説委員が論評解説でフォローすれば済む話で、余裕を持って事に当たれる強みがユーザーを呼び儲けへとつながりさらなる余裕を生み出す好循環を、今回の強い者どうしの提携はますます加速することになりそー。

 でもって余裕のまったくない中で、新聞は速報だ、でもって論評も大切だなんて両方をやろーとして虻蜂取らずになった貧乏メディアの行く末は想像するだに悲惨。「ワンソースマルチユースだ」とか言って経営者が社員を鼓舞したところで、肝心の「ワンソース」すら確保できない状況の中で、薄く狭く浅く小さいニュースはやがて飽きられ呆れられ、淘汰されていくことになるんだろー。勝つのは無理でも残るのなら出すのは個人の特徴ってことになるんだろーけれど、一方で旧態依然とした形式を捨てられずにやっぱりどっちつかずになってしまうのがオチ、ってことで築地と大手町に挟まれて未来のなさに嘆息する仕事始めの朝でありました。

 ついでに言うなら朝日新聞、この前まで毎日新聞が日本で販売して来たフランスだかに本拠を置く世界的な新聞「インターナショナル・ヘラルド・トリビューン」の日本での販売権を取得したとかで、今までの朝日イブニングニュースを止めて英字紙は「ヘラルド」に統一して今後発行していくことにするらしー。ってことはおそらくは朝日新聞側から記事の面での協力もあるってことで、あるいは朝日発の記事が「ヘラルド」の紙面に掲載されて世界で読まれることになり、ますますもって世間の注目を集めることになるんだろー。直接ではないにしても、日本語の壁に護られると同時に進撃も出来なかったグローバル化をいささかなりとも果たしたんだと見られないこともなく、内では日経との提携、外ではグローバル・ニューズ・ネットワーク(って昔シマゲジが言ってたなあ)の形成に進み始めた朝日の勝利への道はますます黄金に敷き詰められて行く。ひるがえって見た足元に広がるは真っ暗な落とし穴、どこまで落ちても底は見えない……。

 とは言え俗に走りすぎるってのも考え物で、チラベルトやらオルテガの背中に「朝日新聞」なんて背負わせた昨日の「日韓オールスターズ×世界オールスターズ」の試合を「内容はさておき」なんてサッカーの技術で食べている選手も、そんなプライドの高い選手たちの姿を見に来ている観客も愚弄するよーな言葉で評してて、「新世紀の幕開けにふさわしい祝祭だったと、素直に思ってよいだろう」なんて自画自賛していやがる。日本と韓国がチームを組んだ、それはそれとして評価するのに吝かではないけれど、これが韓国と北朝鮮であっても、中国と台湾であっても、政治的な意味を越えてまず「サッカー」として良くなければ評価すべきじゃない。「ワールドカップに出られたことに意味がある」なんて言っているのと代わらない、どんな時だって全力を尽くすことを旨としていたラモスが聞いたら怒るぞ。

 「ワールドカップ2002」のオフィシャルスポンサーにもなって、これからますますサッカーに熱を入れていくんだろー朝日新聞だけど、報道量が増えることはありがたいとして、スポンサーとして言いたいことも言えなくなってしまう可能性についてはどんな議論を経たのかに今はちょっと興味がある。読売が早速、決勝戦のチケットの配分について疑義を訴えていたけれど、スポンサーなり関係者なりが分捕っていくシステムへの批判とか、スポーツ貴族のサロン的な雰囲気がますます強まる競技団体の告発とか、その他もろもろ「ワールドカップ」とゆービッグイベントに必ずやつきまとう影の部分とかを果たしてしっかりと報じていけるのか、いく気があるのか。自前で主催するイベントならまだしもいろいろとキナ臭い場所に自ら飛び込んで行った結果が紙面にどう現れて来るのかにこれからは注目して行きたい、って「ワールドカップ」以上にあれこれ言われている親指がどーかした会社の広告、載せてるメディアの人間が言うこっちゃないわな。だから貧乏は……。


【1月3日】 で「えびめし」なんだけど、神戸名物「そばめし」のヒットに気を良くしたのか頭に乗ったのか、あけぼのが次に送り出した岡山名物って惹句がついている割には、生まれてこのかた吉備団子以上の岡山名物って知らなくって、当然のことながら「えびめし」なるものが岡山県人の食卓に朝昼晩の3食、味噌汁のお共とかサンドイッチの具とか好み焼きのつなぎとか仏様へのお供えとして食べられているなんて聞いたこともなく、岡山と言えばこの人ありと言われる岩井志麻子さんの小説でぼっけえ美味しいとかって食べられている場面も読んだ記憶がないんだけど、本当に「えびめし」って岡山名物なんでしょうか倉敷の大原美術館でお昼に食べられるんでしょうか私悩んでます。

 しかし何故に「えび」で「めし」なのか。「やきそば」に「冷や飯」を混ぜて出来る「そばめし」の製造プロセスは、お腹いっぱい食べたいってなユーザーの欲望を満たすとゆー意味で実に理に適っているんだけど、ソースなのかケチャップなのか判然としない「特製ソース」とやらでからめられた艶光りのするご飯にえびが混ぜ込んである一種の焼き飯の製造プロセスはちょっと用意に想像がつかない。これに例えばスパゲッティが混ざっていたんだったら、海老入りのイタリアンスパゲッティ(ちょっと強引、でもイタリアな雰囲気は出てるでしょ)を食べさせるお店にごはんを持ち込んで混ぜてもらったんだなーって納得できるんだけど、絡まっている卵は鉄板に強いてある卵焼きが絡まったんだと納得できるし、ってスパゲッティを鉄板で焼いて下に卵焼きを敷く風習が岡山にあるのかは知らないけれど。

 けど別に「えびめし」にスパゲッティは入ってないから、あるいは遠い昔にはるかイタリアから流れ着いた宣教師がパスタの代わりに主食のご飯を使ってイタリアンなスパゲッティを作ろうとした名残が300年の時を越えて今に伝わっているのかもしれない、うんきっとそーだ。どーして一般に広まっていないかは、ほら江戸時代にキリシタン禁止令が出た時に宣教師を慕う人たちが地下に潜って密かに伝えて来たからで、明治維新から戦後の民主化を経て最近それがよーやく一般にも知れ渡って、あけぼのの社員にも伝わったんだろー。なるほど以外に奥深い歴史があるんだなー「えびめし」。次に食べる機会があったら帰国できなかった宣教師のイタリアを想う宣教師の心情を思いながら異国の味を噛みしめよう。でホントはどーなのよ「えびめし」。

 地域の隠れ名物を冷凍食品としてシリーズ化していくあけぼのには、どーせだったら名古屋の「きしめんめし」も冷凍食品化して欲しいんだけど。あんまり知られてないけど名古屋のちょっと言えない場所にある定食屋で新月の晩にだけ出されている賄いメニューらしく、ぶつ斬りにしたきしめんをご飯にまぜて海老の天麩羅をからめて天ツユで炊きあげて刻み葱をまいて食べるのが「きしめんめし」で、ふわふわのご飯の合間にうごめく平たいきしめんの力強さ、噛みしめた時の違和感がなかなかにオツらしいんです。半分だけ食べてから刻み海苔をまぶしてお茶漬けにするのが正式な食べ方ね。問題は名古屋に20年近く住んでいて1度も見たことがないってくらいに幻の賄い飯らしくって、どこに行けば食べられるのかも実は知らないんだけど、今度機会が会ったら自分で作ってみよー、で人に食べさせよー。旨いかな。んな訳ねえよ。

 だったら「甘口小倉抹茶スパゲッティ」を冷凍食品化してくれると有り難い、これも名古屋の某所で売られている食品で、文字どおり抹茶を練り込んだ緑色したスパゲッティを茹でて上に小倉あんと生クリームをかけたってゆー食品で、これをすべて食べた人はその栄誉を永遠に讃えられるとゆー偉大なるメニューとして長く語り継がれている……ってまだ冗談を言いやがってと怒られるから説明すると、「きしめんめし」なんて多分存在しませんが、「甘口小倉抹茶スパ」は現存します、もうそれはしっかりと。冷凍食品にした時の餡やクリームの冷たさと麺のなま暖かさをどう共存させるかが難しそーだけど、餡とクリームは解凍のみで麺だけ暖めるって手法をつかえば冷凍食品化も可能かも。全国メニューにあと一歩な「ヨコイ」のたれスパに代わってどーですあけぼの食品、やってみません「マウンテン」の全メニュー冷凍食品化、話題になること「だけ」は請負です。

 ってな馬鹿げた妄想に惚けた頭を抱えて会社へ。休日出勤。だけど大手町に到着すると会社の前が妙に騒がしく、見ていると学ランきた坊主頭とかホルンかかえた女学生とかが三々五々と集まって来て、みるまに人垣が出来てすっかり「箱根駅伝復路」のゴールインを見よーとする観客で路上はいっぱいに。隣の読売新聞前がゴールになっている駅伝だけに会社からも次々と走って来る選手の姿が見えてちょっと得した気分になる、でも男の短パン姿じゃあ萌えんわな。思うんだけど学生のレベルだったらもしかしたら男子より早い女子ってのがいたって不思議じゃなく、そんな女子が伝統校は無理としても新興の学校の陸上部に入って運良くその学校が箱根駅伝に出られるよーになったとして、果たして走らせてもらえるんだろーか。あるいは過去にそーいった問題って起こったことがあるんだろーか。大学野球でも女性のピッチャーが投げたんだし、駅伝を女子が走っても不思議はないんだけど。暇があったら調べてみよっと。

 ゴールを決められないんだから一緒じゃんカズ。長く使えばノッて来るってラモスは言うけどそんな余裕、親善試合はともかく真剣勝負じゃないと思うんだけど。勝たなきゃ文句を言うくせに、勝つための最善の選択肢をとろうとした途端に起こるラモスの身内意識ってのが、見ていてやっぱり釈然としなかったサッカー「日韓選抜×世界選抜」の試合。同じ年寄りでも守備の要としてデンと構えて実際に要として機能していたマテウスの方がよほど説得力があったなあ。それはともかく試合の途中にインタビューしている選手の顔とかピッチにいる選手の顔とかをアップで抜くのだけは勘弁して欲しいもんだTBS、残り数分って場面でも平気でCMを入れてラストスパートの選手の集中ぶりを見る機会を奪っているのも経済的にはともかく心情的には許せない。海外だったら暴動モノだぜ。予告から言えば詐欺だと言われても仕方のない世界選抜の陣容だったけど、それでも日韓の選抜と余裕で渡り合ってしまう辺りに、世界の層の厚さも見られてそれはそれでオッケー、払い戻しなんてした人はプロシネツキの鮮やか過ぎるゴールが見られず残念だったってことになる。でもやっぱり詐欺だよなー。

 TBSの中継にどーして「朝日新聞」のCMが入るのかも謎っちゃー謎だけど、2002年のワールドカップの公式スポンサーになった朝日新聞のサッカーにかける心意気って奴を見せるには、系列なんて構ってられなってことなんだろーか。あるいは視聴率低迷に苦しむテレビ朝日を見捨てて逆に厳しい状態が続く毎日新聞からTBSを奪い取ろうってハラなのかも。しかし合間のCM、ブンヤの傍若無人さが出ていてパロディとして見るならともかく真剣に見るとサブイボが立つ。体を寄せてすがりつく姿のベタさに幹部っぽい役回りのおやじが「頭を仕え」とフィールドに立つ新聞記者役らしー稲垣吾郎に叫ぶシーンの偽善ぶり。下手に頭を使って旧態依然としたシステムに逆らおうものなら途端に「考えるな、まず動け」とか言うくせに。

 最悪なのがゴールを奪われたキーパーに向かってゴールを決めた稲垣が記者に扮装して「この気持ちを誰に伝えたいですか」と聞く場面。惻隠の情とか被害者への礼節とかいった美徳を一切かなぐりすてて、好奇心にのみ走る取材者のワイドショー的な浅ましさが浮かび上がって、システムの中でそうせざるを得ない我が身と半ば重なって自己嫌悪に陥る。CMのこんなコンテにゴーを出す上がそーなんだから、時も場合も考えずに突っ走っては知る権利を振りかざして被害者の気持ちなんか知ったものかと「今のお気持ちは」と聞いて回る、「てにをは」じゃなかった「TPO」をわきまえない少年探偵団が増えるのも、これじゃあ仕方がないよなあ。


【1月2日】 葉月里緒菜さまご出演な「黒の天使 Vol.1」を真夜中にかけて見る、見えない話に時間が間延びして感じられる真夜中だからなのか冗長に映った展開は、エンターテインメントっぽさからちょっと解離していて気分的に滅入るところもあったけど、おかっぱってゆーかボブってな感じの葉月さまがどアップで煙草吸ってたりシャブ漬けにされたりスカート乱れるのもかまわず嘆き叫んだりする姿さえあれば案外とオッケーなもので、途中の小野みゆきさんとか高島礼子さんとかも捨てがたいけどやっぱりラストの黒いチャイナドレスから脚出して、多分スタント混じりなんだろーけど活発なアクションを見せてくれたシーンに感動、あきらめずに見続けて無駄じゃなかったとささやかな喚起にうち奮える。

 奮え過ぎてその後の「無敵王トライゼノン」の中間まとめな話はパス、もしかしらた最初の回とかに結構な割合で目を楽しませてくれた”見せる”(何をだ?)シーンの総集編なんかもあったんだろーかと後悔なんかもしてるけど、葉月さまの脚を見た後だと所詮は絵に描いたムチムチでしかない訳で、迫力で負けてしまっただろーから見なくて正解だったと納得しておこー。しかし何で午前の4時59分なんて時間からやるのかねえ、普通年末とかの夕方じゃない、こーゆーの。初夢タイムってことでダレる頭に「トライバーニング」の叫びを擦り込ませて一気に21世紀ナンバー1アニメへの階段をかけ上るつもりだったのかなあ。正夢になるのかなあ。

 とは言えあんまりな葉月さまの悩ましさに寝付かれず新刊で頂いていた伊達将範さんの「DADDYFACE」(メディアワークス)シリーズ新刊「DADDYFACE 冬海の人魚」を読み始めて午前8時くらいまでかけて一気に読み切る、8歳だかでカップルになって双子の娘と息子を作ってしまった男女、って設定の理不尽さにさえ納得できれば、後は富豪刑事的な金遣いのすさまじさに不屈のヒーロー不倒のヒロインの圧倒的な強さを堪能しつつ告白できない乙女心のフクザツさにもだえつつ、全編これ盛り上がり所満載のストーリーを思う存分に楽しめる。

 1作目の確か富士樹海に2作目のヨーロッパから今度は三重県の津市あたりが舞台となって、八百比久尼の伝承なんかを絡めたトレジャーハンターたちのバトルが描かれていて、合間に若い男女の「黒の天使」もちょっと入った壮絶な悲恋話も織りまぜられて、さらには人智を越えた古代テクノロジーなんかも登場してと読み所満載。ロリ心をくすぐる描写こそないもののイラストで1枚、良いものを拝ませてくれるからそれだけでも分厚いページを繰る意味があります。作者もノって来ているみたいで次回作もちゃんと書かれるみたいで、今年も伊達さん、爆裂家族の暴走物語で楽しませてくれそー。期待してます。

 いろいろ探しに「BOOK OFF」へ。捜し物は見つからないけどまだまだ捜すことにしてとりあえず平台の上に並んでいたゾッキ本(別名新古書)から角川春樹事務所の山田正紀さん系の「ブラックスワン」「殺戮のチェス・ゲーム」なんかを100円で拾い、「カブキの日」を読まなきゃいけない小林恭にさんの「ゼウスガーデン衰亡史」も100円で拾って得した気分ながらも出版社様には申し訳ない気もしつつ、でもやっぱり安いのは有り難かったりする人間って迷える子羊なんだよなあ、幾つになっても。あとみず谷なおきさんの「バーバリアンズ」の1と2も拾ってラッキー、読み込むほどに畳み掛けるよーな小技の冴えと大括りの物語の深さなんかが滲み出ていて、今さらながらも返す返すも未刊に終わったことが悔やまれてならない。

 ちょっと前に開かれた回顧展で確か完結に向けたコンテなんかがあった記憶があるけれど、それも含めてどっかまとめて愛蔵版とか作ってくれないもんだろーか。誰が読むのか分からないけど政治力なのかオヤジ受けなのかマンガジャパン系な作品が繰り返し復刻されたりネットにアップされたりするのを見てると、世の中ってホントままならないと思う。別の古本屋で「That’s イズミコ」の何故か1巻と2巻も拾う。こっちも出来れば復刻を期待したい作品だなあ、いっそ雑誌の「劇画村塾」まとめて復刻ってのはどーだ。文庫版が出た「消えたマンガ家」で大泉実成さんが内田善美さんの「ひぐらしの森」と「空の色に似ている」の復刻をやらせて下さいとお願いしてて未だ適わないみたいだけど、やっぱり難しいのかなあ。

 しかし正月そうそう代わりばえのしない話にほら話も何なんで、もう少しリアルな元旦の計でも立ててみるか、とりあえず引っ越せたら引っ越そう、もう本を掘る生活は嫌だ、寝るのにもベッドの上に積んだ本をどかさなきゃならない状況は、ろくすっぽ使い込んでもないのにいささかくたびれて来た腰に正直まったく宜しくない。部屋が2つくらいあって本棚がぎっしりと並べられて自由に見たい本へとたどり着けるよーにしてみたい、夢だけど。それとはちょっと背反するかもしれないけれど、いい加減会社勤めも飽きて来たんでそろそろ何とかしよー。年末にもらった封筒で年収を見たら同業他社よりたぶん5割は低い金額で、それでもやりたい場所にいられれば構わないけれど、あと数年もすれば現場から離れてデスク稼業とゆー名の下働き、でもって5年もすれば木鐸とは名ばかりに会社を回って金を吐き出させたり上役の顔色を伺って朝令暮改に勤しむ毎日が待っていて、そこから先は瀧のよーにどうどうと音を立てて時間が流れ落ちている。

 だったらせめて自分の”言葉”で人を楽しませて暮らしていきたい、でないと精神がどんどんと朽ちていく。前段に厳しい仕事もしなきゃいけないけれど、システムの中で流れ作業のよーに頑張った挙げ句が朝令暮改な人々の使いっ走りってのよりは可能性1%でも期待を持っていられる方がマシってもの。この何年か、本の紹介とかいった、面白い仕事が出来そーなポジションにもしも潜り込めるんだったら会社勤めも悪くはないとか思っていたけど、所詮は子会社の下っ端野郎、親会社の高踏で成る文化部なんて所からお呼びがかかる筈もなく、最近はデスクの趣味なのか紹介している本のラインアップの妙に政治的な点も気になっていて、いー加減な性格だと務まりそーもない。なのでまあ、とりあえずは目先に重なる自分の糧となる仕事をこなしつつ、もうちょっと社交性を出してあちらこちらにお願いなんかをしていこー。お願いします。


【1月1日】 目覚めても、脳波とかを感知した目覚ましロボットが「オメザメデスカ?」なんて言ってくれることはないし、壁から暖かい食事は出てなんか来ない。かといって黄色とか緑色したカプセルだけを飲めば健康でいられるって訳ではなく、衣服は相変わらずのデザインで別に銀色とかしてなくて、外に出ればドームに覆われていない都市は寒いし、郵便受けには100年前と変わらない紙の新聞と手紙が放り込まれている、これのどこが21世紀なんだと思わない方が不思議だけど、手のひらサイズに小さい箱でどこにいたって誰とだって会話できるようになったし、円盤から音だけじゃなく鮮明な画像が飛びだすようになったし、こうして小さい個人の戯れ言をどこかに向かって書きつづっていられるようになった、そのことは確実に100年前とは違う訳で、やっぱり人間ってちょっとづつでも進んでいるんだなってことを考えつつ、迎えた21世紀はとりあえず迎えられただけでも良かったって事にしておこー。頑張って22世紀まで続けます。

 出不精に偏屈に低社交性が幸いだか災いだかして年賀状もそれほど届かず謹賀メールでメーラーが爆発するとゆーこともなく、静かに迎えた新世紀はテレビで「モーニング娘。」の活躍ぶりばかりを見る羽目に。「HEY HEY HEY」の特番ではビーチバレー(ビーチボール・バレーの略だよ)に登場したけどトレーニングウエアなのが許せないとテレビに毒づき独り者のわびしさにオヤジの嫌らしさを新世紀的に増幅して放射し、数秒後に我に返って自己嫌悪に陥る。続く番組ではサイパンに行ってナマコを投げ合う加護と辻のやっぱり区別が未だにつかない。見分けられる人ってのはどこで見分けているんだろー、黒目がちなのが加護で白目が見えるのが辻? あれれ逆だったっけ。正月中にはきっと他の番組にも出まくってるだろーから、見られる時に見て何とか区別くらいはつくよーに頑張ろーと元旦ならではの新年の計を立てる。難題だけどなーに「FLIP FLAP」や三倉茉菜・佳菜を区別するのに比べたら簡単……じゃないかもやっぱり。

 正月っぽく大晦日に「タワーレコード」で買ってきたCDを聞く、何故か相曽晴日さん。ちょっと前に谷山浩子さんのページからたどってとてつもなく久しぶりとかゆー新譜が斉藤ネコさんのレーベルからインディペンドだけど出たって話を読んで、通販で申し込んでなかったんでインディーズのCDを置いてある渋谷の「タワレコ」にあるかもと思って入ったけど置いてなくって、代わりにキングから99年に出てたベスト版をやっと見つけたんで買っちゃったんだけど、やっぱりこれがいーんですよとりわけ真夜中に1人ひっそり部屋で聞いてると。冒頭の「12号埠頭〜夜明け前」から最後の「コーヒーハウスにて」までの全16曲を、時に呟くように、時に高らかに、粒立ちの良い透き通る声で独特のメロディラインに乗って唄われると不覚にも涙ぐんでしまうんです。「水彩画」とか「ビルディンググレイ」とかが入ってるカセットは家のどっかにあるんだけどカセット壊れてて再生できない状況なんでCDが欲しいところ、聞き返して改めて感じた良さに、今年はちょっと気合い入れて探そうと誓う、こっちの方が「モー娘。」鑑別よりは真っ当な元旦の計かな。

 月中の締切に向けて神林長平さんの作品を幾つか再読する夕方。当然ながら買ってあるハードカバーの旧版は発掘不可能な状態になってるんで文庫で手に入る分は大晦日の散策中に購入済み。「グッドラック」については想像の上だけどありそーな場所が分かってるんで近く掘り起こそう。問題があるとしたら神林さんじゃないけれどお鉢が回って来そーな柾悟郎さんの「ヴィーナス・シティ」で、これって書店を回ってもハードカバー版はもちろん出ていたよーに記憶している文庫版すら見つからないんだよね、それとももしかして勘違いなのかなあ。家には実は「SFマガジン」に3分掲載された号があって、これはある場所もしっかり分かってるんだけど、掘るのに2時間はかかりそーなのがちょっと問題。古本屋街はまだ寝てるし、週末に改めて探すことにしよー。おやCMでバカボンのパパが「BOOK OFF」は営業中って言ってるぞ、すげえ根性、でも有り難い、明日にでも回ろう。

 神林さんはとりあえず「ライトジーンの遺産」を読んでMJはカッコ良いなあと嘆息し、芽ほどしかなくそれも衰えつつあったエンスー魂を掘り返されては駆動させられる「魂の駆動体」を読んでやっぱりクルマは良いなあと呻吟してはみたけれど、後に控えている「猶予の月」を考えるとここで詰まっている訳にはいかないんで、昔書いた感想文なんかを参考にしつつさくさくと進む。「猶予」と「グッドラック」は明日にでも。しかし残りも中島らもさん「ガダラの豚」に野阿梓さん「バベルの薫り」と重量級揃いなのは、日頃の行いの果たして良さによるものなのか悪さによるものなのか。でもまあ、2冊とも幸いにも初期の本なんでちゃんと本棚の見えやすいところに刺さっているし、いつか読み返したいと思っていたんでこれを良い機会と思って、東京(千葉だけど)に出てきて10余年、積み上げ過ぎた読了本の山の上で90年代を振り返りつつ改めてその偉大さを堪能することにしよー。締切もできるだけ守ろー。


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