縮刷版2001年10月上旬号


【10月10日】 史上最悪のコンピューターウィルス「ニムダ」の大発生は時期こそ米国同時多発テロと重なっていたものの、タイミングは偶然でサイバーテロとは無関係だと思ったけれど、フロリダあたりでちょっと問題になってる炭疸菌による死者&病人の連続発生にはやっぱり、ちょっとしたビクビク感を覚えてしまう、たぶん狂牛病以上に(だって普段牛、あんまり食わないし食えないし)。問題は炭疸病ってのがいったいどんな病気でどんな症状が出てどんな感じになってしまうのかの知識があんまりないことで、字面から妄想するに体が消し炭にでもなってしまうのかな、なんてことも考えたけれど現実的には高熱が出るとかいった症状が現れるよーで、これからの季節、風邪なんかに紛れて広がっていったらちょっと区別つかなさそーで心配の種になりそー。ゴホンといったら炭疸病? 咳声喉に抗生物質?

 バイオテロってことではもうひとつ、天然痘の流行なんかも懸念されていたりするけれど、これについては年寄りなんで天然痘の予防接種受けてたりするんで対策不明な炭疸病よりはちょっと安心、しても良いのかな、よく知らないけれど。ただ自分とかの世代は大丈夫でも10歳当たりの美がつく少女たちの多くはたぶん、種痘とかを受けていたりはしない訳で、世界が滅んでも神様が生き延びさせるはずの美少女たちが、別の神様を信じる人たちのテロ行為によってこの世から消滅してしまうのはアブデル的にも許せない、って誰がアブデルだ。それはまあそれとして、政府はかかる自体に早速、対策本部を立ち上げて国民の宝であり世界の至宝でもある美少女たちを救うべく、10歳プラスマイナス5歳の幅で種痘を行いテロに備えるべきだと断言しよー。ワクチン足りなきゃ女子優先。それでも足りなかったら、うーん、加護亜衣ちゃん辻希美ちゃんから打ってもらうか。安達祐美さんも歳は歳だけど見かけ若いんでオッケーにしておこー、って一体どーゆー趣味なんだ。

 量子論で良いんだろーか、これを使うと過去にだって戻れちゃうってことにどーやらSF辺りの世界ではなっていたりするんだけど、原理はともかく今や比較的スタンダードになったこのガジェットをヤングアダルトの世界で使っているのが、海羽超史郎さんの新作「ラスト・ビジョン」(目ディアワークス、670円)ってことになる、んだと思うけど実のところはよく分からない、説明もないし。ただ「観測」とか「箱」とかいった両論絡みの小説とかによく出てくる言葉が時折出てきてたいりする辺りから想像するに、生きているのか死んでいるのか分からない猫なんかを例えに語られるよーな状況も折り込みつつ、時間を錯綜させた中に因果が転倒しているよーな物語を築き上げているよーに見える。しかしやっぱり難しいなー、物理2(10段階)の人間にはちょっと荷が重すぎるなー。

 時系列だけじゃなくって語り手までも錯綜させて、主人公の1人称で延々と続いているわけじゃなくって、ほかの登場人物が見聞きした事象を1人称で語らせてあったりして、軸の置き所にちょっと迷う時があるし、主人公らしい少年の1人称の中にも、彼が過去に体験したことがフラッシュバックのよーに説明もなく折り込まれてあって、親切に説明されることが多い最近の小説を読み慣れている目には、ちょっと唐突に映りさらには訳が分からなく思えてくるかもしれない。その意味で言うとヤングアダルトがターゲットとする年齢でも割と低めのローティーンの人たちあたりだと、1読では迷い悩んだりする可能性があったりして、だったらむしろもっとハードな要素を織りまぜて、ノベルズっぽい体裁で出せば理解を得やすい層に届いたかもって気がしないでもない。もっとも最近の人はガジェットの原理的な部分は脇において状況的な面白さでもって楽しむ術を心得ていたりするし、年配者だって原理的な部分が完璧に分かるとも言い難かったりするんで、これはこれで構わないのかもしれない。どっちにしたって本当に量子論絡みの話かどーかも分からないんだけど。

 残る疑義という点では、時間のしゃっくりめいたものの面白さはそれとして、こうした主題の小説の場合、その上で錯綜する事象にどう整合性をもたせていくのかってゆーのが、面白さの中心になりがちで、つまりはそーした小説が結構あったりするとゆーことで、物語性を楽しみたい人にとってそーいったパズル的な楽しみ方は正直邪魔になりかねない。だったら「ラスト・ビジョン」からパズル的な楽しみを除外して、いったいどんな物語性が浮かび上がって来るかというと、割と単純なボーイ・ミーツ・ガールだったりして、厚さの割に心からにじむ感動がちょっと少ないよーな気がした。同族間で起こる権力闘争めいた部分のリアリティを伴った描写がそれほどなかったのも、読んで興奮をたっぷりとは得られなかった理由のひとつになるかもしれない。ただ錯綜する時系列と登場するキャラクターをねじ伏せつつ、言葉なんかの使い分けも巧みに描写していく筆の冴えはなかなかで、パズル的な部分の巧妙さも含めてなかなかの凄みを感じたことも事実。あるいはパッケージの枠から外れていく可能性もあるけれど、機会があればもっともっと硬派にハードなガジェットを使いつつ、エンターテインメントとしてもパズラーとしても楽しめる小説を、書いて欲しい気がする。先の楽しみな人。まだ若いし。

 行けなかった学校なんで未練も思い入れもないけれど、やっぱり名古屋という地にあるとゆーだけで親近感は覚えるもの。そんな名古屋大学からノーベル化学賞の受賞者が出たとゆーニュースを聞いて、ちょっぴり嬉しく思ったのも仕方がないことだと笑ってくれい。おまけに受賞者の野依良治さん、住まいが我が平針からは目と鼻の先にある日進市(市って言われてもなあ、僕がいたころはまだ町だったんだよなあ)の梅森とゆー場所にあって、ますます親近感がわいた次第。しばらく前に某「ジオブリーダーズ」の第6巻で爆破にあって甚大な被害を出した平針だけど(作中は平張)、それは運転免許試験場のあるあたりで地下鉄の駅あたりは無関係で、そこから大正橋を越え変電所の横を抜けたところにある梅森も当然ながら無事だったはず。爆破の場所を選んでくれた伊藤明弘さんの配慮が、名古屋に初のノーベル賞をもたらしたってことで、こちらにも感謝の言葉を贈りたい。いっそ漫画に出演させてみては如何、マッドサイエンティストとかって感じで。


【10月9日】 ボソボソとした暗い雰囲気のなかにコワモテなニュアンスも交えて相対する人をタジタジとさせる筑紫哲哉さんでも、相手が相手だと逆にタジタジとされられるものらしー。8日夜に放映された「ニュース23」で筑紫さんの両脇に位置して、米国同時多発テロに関連した米英の報復攻撃に関連したトークで、朝日新聞の田岡俊次編集員と元読売新聞で今は国際政治学者の浅井信雄さんの、途切れず筑紫さんの質問を挟ませず田岡さん浅井さん田岡さん浅井さんとリレーしながら自説を開陳し続ける姿にちょっと感動。嬉々として軍事オタクぶり外交通ぶりを披露するんじゃなく、全体を見通し米英とイスラムの双方の立場に理解を持ちつつ、今なにが起こっててどうしてこうなってこれからどうなるのかを、軍事外交経済文化の面から伝えてくれていて、聞いていてなかなかに勉強になったしそれ以上にセッションとして面白かった。

 もう1人、イスラム関係の専門家の中村哲さんを交えてからさらにセッションは真っ当さを保ちながらもヒートアップしてたみたいで、米英の爆撃機が爆弾を降り注いだその後で例え食料とかの支援物資を投下したところで、「ビンタしてから飴を与えるよーなもの」でいったい誰が喜ぶんだろーってな懐疑に納得させられる。東京でも地方の各都市でもいい、B29が焼夷弾を落として回ったその後で、チョコレートやら毛布やらを投下して回った所で日本人の誰が喜んで食べたりくるまって眠っただろー。「鬼畜米英」の教育が行き届いていたから反発を感じたってこともないではないけれど、我が身にかかわる危険を右手で寄越した相手の左手での施しに、涙を流して飛びつく人がいると思っているのだとしたら、それはあまりに相手を見下してるんじゃなかろーか。「制空権を得て援助物資を投下し易くするための爆撃なんて言ってるけど、トラックで運べばいいじゃない」「3万人分なんて焼け石に水も良いところ」って言葉に、それでも「やらないよりはやった方がマシ」というなら、もっと別のことろでやることを考えた方が嘘がなくって意義も深いと思うんだけど。欺瞞が世界に満ち満ちている。

 2人の連弾が間に筑紫さんを挟んだからこそ成り立ったものなのかは不明だけど、混ぜっ返しすことで本音を引き出そうと画策したり言質を取ることで決定的な役割を果たそうと目論んで時には成功するけどたいていが突出し過ぎてウザったく見える田原総一郎さんに比べれば、無理矢理合いの手を挟むなんてことをせずに語るに任せた筑紫さんのスタンスも、決して悪いものではなんだろー。3人の取り合わせをまた見てみたい。ふだんは「ニュースステーション」が主戦場の田岡さんがどーしてTBSに出てるのか、翌朝のワイドショーでは浅井さんはフジテレビに出ていたなあ、ってことでのジャーナリストなり評論家なり学識経験者の”特需”ぶりはまあそれとして、しばらく続きそーな戦争の中で誰が何を言ったのかだけはちゃんと記憶に止めて起きたい所。たとえ状況に流されての一言でも、あるいはウケをねらったコメントでも、それが来るべき世界の訪れに影響を与え、永遠の暗黒なり、輝ける未来へとつながる道を拓いた可能性は皆無ではないのだから。

 これは勝ったな。って別に出版の意義が売れ行きとかいった単純な基準で価値と負けに分類されるものではないけれど、「ほぼ日刊イトイ新聞」が朝日出版社と協力して11月1日に創刊する「ほぼ日ブックス」の表紙見本ってのをサイトで見て、その実に今風に洗練されていて今時の気分にピタリと合ってたりする様に、本にとって幸いなことのひとつである売れ行を大いに左右する、書店の店頭で大勢の人の目にまずとまるゆー状況をこれは、確実に作り出すだけのパワーがあると確信する。注目を集め話題を作るだろーって意味で、「ほぼ日ブックス」はひとまず”勝利”を得るだろー。

 もちろんウェブ版「ほぼ日」でのコンテンツ展開での、背中のカユい所にピタリと手が添えられ力加減も抜群に掻かれるよーな、実に心地よい時代へのハマりぶりがそのまま活字上でも再現されている関係で、ラインアップの充実ぶりは続々と立ち上がる他の新書シリーズとか叢書とかに比べて一頭抜けた感じがある。けれども中身だけに安住することなくって、中身を実に的確に表現しつつ、ひねるなり拡大するなりして目にも楽しい表紙を仕上げて来たところに、”勝利”をイメージさせる一段高いポイントがある。「胸から伝わるっ」って本に起用されたHIROMIXさんの写真の実に胸から伝わりそうなことよ。「石川くん」の表紙の石川啄木のイジられぶりは、枡野浩一さんが石川啄木の短歌を今風にアレンジした本の内容を言われてなるほどな感じで表現してる。

 「ユニクロ」を展開するファーストリテイリングの柳井正さんと糸井重里さんが対談した「個人的なユニクロ主義」の表紙は去年のCM関係の賞でも注目されたタナカノリユキさんによるCFにも使われていたハンガーにかけられ回るユニクロの「フリース」のビジュアルを活用してて目に及ぼすインパクトは大。どこかで見たビジュアルだな、確か「ユニクロ」のフリースだな、って関心から手に取らせる効果は高そーで、値段だけならチープな商材を品質の上にビジュアル的なイメージも重ねて一気に注目のブランドへと育て上げた「ユニクロ」のマーケティングの方法を、本でも借りてきたってあたりに出版に携わる人たちの聡さを感じる。他に山ほど出ている「ユニクロ」商法を成功譚として紹介するビジネス書よりよっぽど格好良くって売れそー。もちろん中身もそれなりのものになってるんだろーけれど。

 「ほぼ日ブックス」の立ち上げに向けた関係者の話し合いの様子なんかを読んでいると、出版業界が直面している問題への認識と、それをどう突破していくのかとゆービジョンの確かなことはそれとして、ならば具体的にどうするのかとゆー部分で、ラインアップにしてもパッケージングにしてもちゃんとした答えを出して来たところに、話題になる所はやっぱり違うなあと感心するところしきり。流通の部分とか、印税の部分とかでもあれやこれやな試みがあるみたいで、既得権益に安住してたり改革したいと意欲はあっても巨艦ゆえに容易に小回りのきかない老舗とか大手とかを横目に、単なる一時的な話題だけに留まらず、実効性を伴いそれが永続的に続きそうな旋風をどこまで巻き起こしてくれるのかに、ちょっと注目していこー。手伝えることはないけれど、買うことでちょっとだけお手伝い。

 スクウェアがソニー・コンピュータエンタテインメントに149億円もの第三者割当増資を行うってニュースが飛び込んで来て、今さらながらに映画ってのは「傾城」の娯楽なんだとゆーことを痛感する。映画版「ファイナルファンタジー」で開きそーな大穴が財務面を圧迫してゲームに回す資金を枯渇させ、それがクリエーターの意欲減退につながり「FF」シリーズ以外の大ヒットするソフトを生み出せない状況を巻き起こし、結果逆スパイラル的に経営を悪化させていったとゆー事実はやっぱり事実として、認識しなくちゃいけないんだろー。1月の段階ですでに、映画製作からの撤退は言っていた訳だし、かろうじて残っていた希望も公開された「FF」の不入りで呆気なく打ち壊されてしまった以上は、本業のゲーム事業回帰もやむを得ない所。そこで必要となる資金をどこから調達するかを考えた時に、この何年かでもっとも付き合いを深めたSCEIが筆頭に来たのも自然な流れか。よもやコナミに頼むわけにも行かないし。

 出資したからといって「プレイステーション2」なり「PS」なりにスクウェアはタイトルを独占供給しろってな条件は特にないよーだけど、SCEI 大株主になった会社でさまざまな経緯が過去に山とある任天堂が「ゲームボーイアドバンス」向けのタイトル作りを認めるって可能性がどこまであるかは微妙な所で、それなりなマーケットを確保できるタイトルを安価に作れる携帯型ゲーム機市場での立ち居振る舞いの選択肢を、これでスクウェアは1つ潰してしまったことになる。「デジモンテイマーズ」で「ワンダースワンカラー」が子供にちょっと人気とは言っても、「GBA」の優勢をくつがえすのはちょい難しい。そこに向けてスクウェアが人気タイトルをいくら送り出してもどれだけ売れるかは不透明で、ちょっと先が読めない。

 とはいえ家庭用ゲーム機の分野では、意図的かどーかは別にして現実問題スロースタートな「ゲームキューブ」を横目に、「プレイステーション2」は月産180万台のペースで快調にインストール台数を増やして当面の天下は確実。カプコンの「バイオハザード」に抜けられた穴を穴とすら感じさせないくらいにヒット作話題作が目白押しだったりする状況で、今までのよーに「PS2」なり「PS」向けに”特化”したってスクウェア的には決して悪いものではないしSCEI的にも以下同文。マイクロソフト的にはちょい厳しいけれど、それはそれ、スクウェアをさらに寝返らせるだけの魅力がプラットフォームにもゲイツ会長にもなかったってことであきらめるより他にない。縛りはないとはいっても創業に関わり育ててきた会社が、筆頭株主ではいもののどこかの傘下に入る点について忸怩たる思いは経営陣にもあるとは想像するけれど、ヒット作を山と出してまたの脱却を目指せば良いってことで、今はとにかく世のためゲーム業界のために、面白いソフト、歴史に残るソフトを作ってスクウェアの底力って奴を見せてくださいな。


【10月8日】 ショートコーナーで受けたボールをゴール前に放り込むどころか左隅から中央を経てバックスの最終ラインまで戻したサッカー日本代表の、優雅にも程がある攻撃ぶりに真夜中の頭をホットにしつつ新しくスタートした番組の司会に抜擢された中澤裕子さんは脇において、つむった口も笑顔もどっちも可愛い松浦亜弥さんの不思議系美人顔に堪能していたのも束の間、あちらこちらから聞こえて来る不穏な空気にチャンネルを変えていよいおアフガニスタンでの米国英国による空爆が始まったことを認識。そのままチャンネルをあちらこちらにイジりつつ、明け方の4時頃までどこで何が起こって誰が何を言っているのかを見続ける。ブッシュ大統領にしても小泉総理大臣にしても言うべき時に言うべきことを言っているって感じで驚きはしなかったけど、どっかのテレビ局に寄せられていたとゆービデオで「アルカイダ」を率いるウサマ・ビン・ラディン師が、生じゃないけど出演していたのにはちょっと吃驚する。

 世界中からその動勢を注視され、アメリカなんかからは懸賞金までかけられている人が、自分の意見をビデオに録画してどこかにテレビ局へと届けるだけのルートをしっかり確保できてるってことはつまり、逃げ回らなくても済むだけの基盤ってのを持ってるんだってことが伺えて、ここをひっくり返すのはなかなか大変だろーと想像し、事態の先のまだまだ長そーな予感を抱く。謀略小説なんかだととてつもなくスーパーな力を持っててどんな相手だって追いつめるCIAとかの諜報機関であっても、ネットでも瓶に詰めた手紙でもない物理的な接触を伴うビデオレターでもって、世界に向かって何かを言えるだけのチャネルを持っている人の、ルートを逆にたどって行くなんてことはやっぱり出来ないものなんだろー。ともあれ始まったもしかすると世界の枠組みまを変えるかもしれないこの事態が、どーゆー具合に進み後の歴史家によってどー記述されることになるのか。歴史の時間に試験に出るよーな重大事件にまでは至らないことを願おう。年号の暗記はしやすいけどね。

 ちょっとだけ眠ってから有明は「東京ビッグサイト」で開催されたモデルガンとミリタリー関連グッズの「G.A.M.S Market2」を見物、現実の戦争を愛好するんじゃなくむしろ戦争の何たるかをしっかりと認識しつつもスタイルとしてのガンシューティングでありミリタリールックを楽しむ善良な人たち、って認識して良いのかな、そーゆー人たちが集まって和気あいあいとモデルガン漁りミリタリーグッズ漁りに勤しむイベントだってことは分かっていても、タイミングがタイミングだけに例えばメディアが大挙して押し掛けジト目を送るとかしてないんだろーかとゆー妄想もちょっとは抱いていたけれど、あの「コミックマーケット」でさえ事件でも起こらなければ報道しないメディアがマイナーなイベントを察知しているはずもなく、入場もスムーズなら会場もゆったりとしていて、騒ぐ人もなく羽目を外す人もなく皆さんイベントを堪能していた。

ミスター・ビーン、じゃない。  羽目を外してたって程ではないけど出ていたブースのひとつにターバンで頭を包んだ例の髭面、に雰囲気だけ似せた顔がプリントされたTシャツが出ていて、見ていると売り子さんが「これがビーン・ラディンでーす」と言って寄って来て、見返してなるほど「ミスター・ビーン」の顔に髭をつけターバンを乗せたパロディTシャツだってことが判明。世界にはいろんなことを考える人がいるんだなーと感心していたところに売り子さんが「ビン・ラディンもあるよ」と言って来て、「えっ」と驚いて付いていくとこれはこれは。世界が追いかけるウサマ・ビン・ラディン師の顔を中央に1つと周囲に4つもプリントしたTシャツが出ているではないですか。聞くとタイで作られてアメリカとかで売られている奴だそーで、今日もイベント向けに10枚を持ってきたら9枚がとっとと売れてしまって残りはこれ1枚だとか。そー言われて気持ちが動くのが限定品好きの性って奴で、本業の方でも「夕刊フジ」とかで使えるネタに使えるかもって下心も働いて買ってしまう。3000円。うーんちょっと旨い商売かも。日本で真似る訳にはいかないけれど。

 折角なんでいつもビンラディン師の脇に置かれていて、空爆を非難しているビデオにもしっかりと映っていた「カラシニコフ」ってのはどんな銃かと会場を歩いて探して幾つか発見したけれど、東京マルイの「AK47シリーズ」は若干のディスカウントはあっても2万2000円くらいはしていておまけに実物大なんでデカくって、持って歩いているとちょっぴりマズいことになりそーだし、買ったところで使い道もないんでパスする。イベントでは先着の100人くらいを目安に押井守監督のサイン会があるってことで700円を払って整理券をゲット。何にも持ってなかったんで普通に色紙にサインをしてもらったけど、中には昔の大判の方の藤原カムイさん描く漫画「ケルベロス」とか、映画「赤い眼鏡」のチラシとかを持ち込んでサインしてもらってる筋金入りの押井ファンも。同じよーな機会が次もあったら「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」のポスターにサインしてもらいたおー。自宅とか掘れば出てくる、とは思うけど捨てられちゃったかなー。

 午後から「月蝕歌劇団」の公演に行くつもりだったけど流石に遊んでもられないんでサラリーマンらしく会社へ。隣の「夕刊フジ」が留守番役くらいしか置いてない所を部数的にはるかにマイナーな新聞社の編集局のほとんど全局員が出て来てて、明日の紙面をどー作るのかって課題で全社員出席の打ち合わせなんかを(といっても数十人ってところだけど)やっていて吃驚。皆さん真面目だなあ。もっとも全社員が出ていたところで別に全社員が戦争絡みの記事を書くわけじゃなく、何をすべきかを考えるのは偉い人の仕事で、それを現場に振り分けるのはデスクの仕事なんで下っ端は下っ端らしくネットで情報を集めたりして時間を潰す、ををイチローは2冠か。前の湾岸戦争の時は地上戦が始まった時ですら数人が出てきて景気見通しとか原油価格の見通しなんかを書いて終わりにしたのに、お祭り好きな人が指揮系統の上の方にいるといきなりお祭りになってしまうのが不思議といえば不思議で、あんまり不思議だったんでウィンドブレーカーを脱いで下に着込んでおいた「ビン・ラディンTシャツ」を露にして手に東京マルイ謹製「ミニAK47」を持って、「ジハード!」と叫んで局内を駆け回りたくなったけどサラリーマンなんで思うだけに止めておく。

 半日くらいいたけど結局何もせずに(ゲーム担当ですることなんかある筈もない)ただそこにいたってゆー実績だけを残しつつとっとと帰宅。こんなことなら「月蝕」行っておくかあるいは押井さんの講演を聞いておくんだと思ったけれど、フリーではなく身分の安定して夏と冬にはボーナスも出るサラリーマンを選んだ以上は、こーゆー長いものにまかれるのも仕事のうちなんで仕方がない。サラリーマンは気楽な稼業? 気にすれば気になるけれど気にしなければ確かに楽かも。それにしてもなお祭りぶり。おそらくは相当に時間を費やしそーな事態を初日から血圧あげてて果たしてどこまで真っ当な論調を形成してけるのか。世間を煽る空気が一方から生まれて、負けじ遅れじともう一方が煽り返ししていった挙げ句が「一億火の玉」だった昔を思い出しつつ、世の中が今、どこに向かおーとしているのか、その中で何をするのがベターなのかを下っ端なりに考えながら成り行きを観察していこー。やっぱ使う時が来るのか「ミニAK47」を。


【10月7日】 「第0回ティーンズノベル・フェスティバル」ってのが13日に開催されるそーで、イベント・ストーカーとしての矜持もあって覗くつもりでいるんだけど、何しろティーンズノベルと一口に言ってもとてつもなく広いジャンルってゆーかレーベルで、おまけに歴史でも過去10数年に渡って積み上げられて来たものがあるから作家も作品もたっぷりとあって、参加の予定されている作家さんのことどとくほとんどを名前は知っていても読んだことがなく、まあ読んでなくても話を聴いて聴けないことはないんだろーけど読んでおかないよりはマシかと思って、既に絶版になってる本なんかを船橋市の市場にある「ブックオフ」へと掘りに行く。相変わらずの混雑様でこんなに本を読む人がいたんだってことが分かり日本の書籍文化もまだまだ捨てたもんじゃないと……思って果たして良いのやら。

 ちなみに「ティーンズノベルフェスティバル」に参加が予定されている作家さんイラストレーターさんは若木未生さん金蓮花さん宮乃崎桜子さん秋津透さん一条理希さん伊東京一さん丹野忍さん山本京さん中里融二さんほかといった面々という、いずれおとらぬ業界のビッグネーム。とは言え比較的この数年でまとめ読みを始めた身で且つ、読んでるレーベルも割と男の子向けに偏ってる身には、秋津さん中里さん辺りはともかく他はなかなかに荷が重い。よくもこれほどまでに自分的なストライクゾーンを外してくれたもんだと思いつつも、決して広いストライクゾーンじゃないし、むしろ普通のティーンズノベルファンの人にとっては超ボール球だったりするんで大口は叩けない。参加票にあるよーな「『この作品が好きだ』という想いを直にゲストに伝えるチャンス」と言われて作品名すら挙げられない状況では参加しても楽しみが半減してしまうんで、「ブックオフ」に並んでいる中から、趣味に重なりそーな一条さん辺りを見繕って何冊かを買い込む。頑張ってイベントまでに読んでおこー。金蓮花さん若木未生さん宮乃さんは熱烈なファンの人も多そーなんでその人たちに応援は任せます。

 谷山由紀さんの「コンビネーション」が残ってたんで救出、これで何冊目になることやら。いずれ布教に使おう。コミックのコーナーでその名も「いきなりSF」とゆー桐島いつみさんの迷作も発見、もうSFとついていればジャイアンツがフォーティーナイナーズだって応戦してしまってた時代に一応はちゃんと「サイエンスフィクション」としての意味でSFを使っているタイトルってことで、当時も買ってちゃんと読んだ記憶があるけれど、ほとんど15年ぶりくらいに読んでなるほどこれはやっぱりすげー作品だったってことを改めて思い知らされる。どーすごいかはもはや説明不能で、なるほどこーゆー所からSFの浸透と拡散と雲散と霧消が起こっていたんだってことを強く認識させられる。いやまあSFかどーかは無関係に展開の不思議さオチの凄さは凄さとして、ストーリーを支える周囲の人たちの言動の奇矯さ不条理ぶりがもっと徹底されるなりしていれば、例えば川原泉さんとか明智抄さんとかみたくカルトな人気を獲得できた人だったかもしれない、って過去形で書いてしまったけど最近何かやってんだろーか。清原なつのさんも復活したことだし(っても復刊されたくらいだけど)似た名前の人としてブーム再燃なんてこと、ないのかな。

 よくよく社徳がないってゆーか不徳の致す所とゆーか、何をやらかしても悪く取られて騒動になってしまうって会社ってのがあるもので、まあ中には意図的に悪徳をふりまいちゃってる会社もあるから難しいけど、果たしてここん家の場合はどーなんだろー。無料でホームページを持てる「Yahoo! ジオシティーズ」のユーザーが守らなくっちゃならない「Yahoo! JAPAN」のガイドラインの中に、利用者は送信したコンテンツについて「Yahoo! JAPAN」に対し「当該コンテンツを日本の国内外で無償で非独占的に使用する(複製、公開、送信、頒布、譲渡、貸与、翻訳、翻案を含む)権利」をサブライセンス権も含めて許諾したものと見なされるとかで、著作者人格権の行使も出来ないとかってゆー項目が盛り込まれていて、これって「ジオシティーズ」の個人ページのコンテンツが「YAHOO! JAPAN」に良い様に使われちゃうってことなの? って疑問が巻き起こってる。

 「Yahoo! JAPAN」と「ジオシティーズ」は別ものでしょ? って言えなくもなさそーだけど、「ジオシティーズ」のガイドラインによると、ジオシティーズのサービスの利用者には「Yahoo! JAPAN」の利用規約も適用されているそーだからややこしい。同様の混乱は前に米国なんかでも起こっていて、「Hotwired」なんかで紹介されてる話によれば結構な騒ぎになって撤退が相次いだってこともあって方針は撤回されたみたい。合併ってゆー行為が伴って新しい規約が乗っかって来たっぽい米国の場合と今回とで事情が同じかどーかはともかくとして、結果として生じる事態には似たものがあって、同じよーな騒動を引き起こすだろーことは想像に難くない、ってゆーかすでに起きてる、「2ch」にもスレ立ったし

 「ジオシティーズ」の利用者はもともと「Yahoo! JAPAN」の権利許諾云々も含む利用規約を守んなくちゃいけないものだったのか、それともここに来て急に統一規約的にリンクが図られるよーになったのかが分からないから、経過について拙速過ぎるとかだまし討ちとかなし崩しとかいったコメントが果たして適当かは保留だけど、結果として守らなくっちゃいけない規約の中に権利云々が出てきてるってことについては、やっぱり不安を感じる人も多いだろーし、事態を察して移転をしつつ詳細な経過報告と関連リンク集をまとめた人もいる。ちょっと前の「Yahoo! BB」1年縛り”事件”ってのもあったばっかで、ユーザーの権利に関わる規約の取り扱いにはナーバスになってしかるべき会社が、やっぱり同じよーな混乱を起こしてしまうってのはもー、作為不作為は関係なしに企業体質ってことになるんだろー。どこまで事態は広がることやら。ダンマリを決め込んで新たな不徳を積み重ねるか、スパッと万人が納得する答えを出して徳にするか。動向が楽しみ。孫氏の商法如何に?


【10月6日】 おそらくは全セル画枚数の80%には登場しているだろーと推定される大量なパンツのわずか3%でも、霧香とそしてミレイユとちょっとだけアルテナにあったなら、「NOIR」は21世紀の幕開けを飾る偉大にして異彩を放つアニメになったかもしれないと、そんな妄想が頭をよぎって仕方がなかったけれど、それにしてもなパンツパンツパンツパンツパンツパンツパンツにちょっとだけ乳なアニメだった「ナジカ電撃作戦」は、冒頭こそ戦闘シミュレーションのシーンでパンツとゆーよりはハイレグのレオタードっぽい格好での登場で、これなら水着と変わらないじゃんと残念な(何と贅沢な)気持ちになったけど、誰かを助けに潜入した城で全身スーツを脱ぎ捨てた下が主観的には当然だけど客観的には何故そこではいているとゆー不思議な超ミニのスカートで、当然ながら白見せ放題となってわき上がる歓喜に真夜中の淀んだ目に輝きが走り、濁った魂から情念の炎が吹き上がる。

 とは言えナジカからメイドから誰から誰まですべての女性がパンツ見せまくりで登場しては倒されて、尻上げまくった格好で「きゅう」となっていたりする、その憎らしいまでに男心をくすぐる演出はあまりに直裁的過ぎて、電車で向かいに座った女子中学生の奥を車窓から差し込む陽の光の力を借りて拝み見たり、階段をかけあがっていくミニスカートの少女の奥への見えそうで見えない様に妄想をたくましくしたり、テニスにいそしむOLの走る姿に金網へとへばりつきたい衝動を押さえて横目でチラチラ観察したりした時にこそ浮かび上がる、罪悪感と裏腹の到達感にいささか乏しいのも事実で、徹底してあざとさを前面へと打ち出した見せパンシーンばかりでは、瞬間心躍らされてもやがてはそれすらも普通の感情へと退行して、水着と変わらない印象しか持てなくなるんだろー。感性を磨耗させられる可能性を認識しつつもやっぱり続けて見るべきなのか、それとも絶対に見えなかったからこそ想像に懊悩してストーリーなんてこの際関係ないと見続けられた「NOIR」に操を立てるべきなのか。ちょい霧香っぽい少女が登場する来週を見て彼女も果たして見せているのかを確認してから考えよー。

 確認したいけど今年は2001年で21世紀、だよね。でもって日本のアニメは生誕からゆうに30年を越えているよね。世紀が変わり長い年月でノウハウが蓄積され技術革新も進んだ現在において、当然ながらアニメも日進月歩どころか秒進時歩のペースで立派になっているはずだってのが、一応の共通理解になっているんだと思っていたところにとんでもないアニメが登場して来て、いったいこれはどーゆー現象なのか、もしかしたら先祖返りのそれも20年前への回帰なのかと頭を悩ませる。なるほどロデムは出てきたしロプロスも空を飛んだ。ポセイドンが海を行っているかどーかは確認にしよーがないけれど、とりあえずは定番っぽい滑り出しを見せて物語りの上ではなるほど「バビル二世」らしき展開を見せている。原作がどーゆー始まりだったかを実はあんまり覚えてないんだけれど。

 とはいえまるで「超人ロック」と「マサルさん」を足して3で割って足蹴にしたよーな少年の、それも学生服姿で且つ襟のホックをはずしてボタンも1つ2つはずしたままにし、中にカッターシャツではなく多分Tシャツか何かを着込んだ、この21世紀のどこに行ったら見られるだろーってな姿態の少年が登場しては、板のよーなパンをかじり補助袋にしか見えない鞄の上に巨大な杓文字みたいなテニスラケットを乗せて学校へと向かうその描写に、コレハイッタイナニゴトダ、ってな言葉がハテナマークと一緒にいっぱい浮かんで来て、真夜中の「タイムクライシス2」に疲れた頭が衝撃によって覚醒させられた次の瞬間、さらなる衝撃でもって破砕されよーとしてるんじゃないか、ってな感覚にとらわれる。「スキャナーズ」かってーの。

 なるほど美形の生徒会長ってキャラクター配置に異論はないけれど、絶対的に美形に見えない顔で日本人の癖してなぜか金髪のそれも長髪を頭に乗せている生徒会長ではちょっと説得力がないし、ロデムのまるで張り子の虎の顔の部分をパックリと割って喋らせて見せているよーな、不思議な口の動かし方にはロデムとゆー存在への畏怖の念を起こせない。絵ではなかなかに感情をアニメへと入れ込む事が困難になりそーとの予感がしているなかで、果たして疲れ切った金曜日の真夜中を、連続して見ることは可能だろーかどーだろーか。見るだけならタダかもしれないけれど、金銭的にはタダでも美的センスにはなかかなにチャンレジブルな映像で、ともすれば感性に巨大なクレーターを残し未来永劫引きずって行かせるかもしれない。それでもやっぱり見続けるべきか、ロデムの美女への変身シーンに期待を残すべきなのか。贅沢過ぎるパンツの山とは対極の悩みが積み上げられて行きそーな金曜深夜でありました。「サイボーグ009」はちゃんと真っ当な「009」なのかなあ。何か心配になって来たぞ。

 「タイムクライシス2」で遊ぶ夜。コントローラーの操作に歳を感じて「ウェーブレース ブルーストーム」を封印してしまっている身にあるまじき行動だけど、何故か「ガンコン」だけは不思議とちゃんと操作できて、「アーケード」のストーリーモードでステージの1までどーにかクリア。ステージをひとつづつクリアしていくモードでも、海坊主がラスボスで登場して来るステージ2もどーにかクリアするだけのノウハウは仕入れたんで、あとはストーリーモードでステージの1をいかに撃たれず傷つかずに進んで行ってステージの2も最後まで行けるかにかかっていそー。正直本に埋もれて半地下式になっているモニターでは(地下に埋まったテレビの正面にだけ穴が掘ってあるって感じ)、「ガンコン」がちゃんと動作して照準もちゃんと合うのか心配だったけど、撃ってればだいだいの位置も分かってあとは手首をちょちょっと動かせば何とか当たるみたいなんで良かったよかった。軽い「ガンコン」だから出来る技で本物ではエアソフトガンでもちょっと無理だな。

 人型とか丸型をした場所によって点数が違う的とかを狙って撃つゲームは、至近距離を斜めに構えて撃っている身ではひまひとつ気分が出ないものの、かといってワンルームの部屋では遠くで構えて撃って遊ぶ事が不能でちょっと残念。けどまあ、それより何よりストーリーモードのクリアを何とかこの連休中になし遂げるのが先決で、気分をガンマンへと変えて新しい週を迎えて当たるを幸いと気にくわない上司部下をバンバンと撃ち……倒せないよな「ガンコン2」では。まあ現実にそれができるほど神経傷んでもないんでバーチャルはバーチャルとして家でこっそり、ボスきゃらにあいつとあいつの名前をつけて心の中で叫びながらトリガーを引き赤外線のビームを浴びせるとしよー。覚悟しろ○○(誰?)。


【10月5日】 20XX年、長引く世界的な不況にいよいよ財政が逼迫して来た日本政府は購入していた米国債を一気にまとめて償還させ、お金に換えようと考えて米国政府の関係者を日本へと呼びその旨を通告した。とはいえ世界的な不況で米国の財政も決して豊かではなく、「もうしばらく我慢して欲しい」と懇願したが日本政府は頑として首を縦にはふらず、「耳を揃えて返して欲しい」と言い続けた。その余りに強固な姿勢に米国政府は怒り心頭、とはいえ大国のプライドもあって繰り延べにするのも癪にさわって仕方がない。江戸っ子でもないのに江戸っ子よろしく「てやんでえべらんめえ、耳を揃えて返してやるぜ」と啖呵を切って米国へと戻り、お金を用意した足で日本へととって返して財務省へと乗り込み大臣室の机の上にドル紙幣を積み上げて、さらに懐から2つの小さな物体を出して日本政府につきつけた。「今朝切り取った大統領の耳だ。ちゃんと揃えて返してやらあ」。

 うーん、あんまり面白くないのは才能のなさと笑っていただくとして、こんな笑い話にもならないことが、現実の外交のそれも21世紀の日本の進路をゆるがしかねない状況の中で行われていたとしたら一体どーしたら良いんだろー。9月11日に起こった米国での同時多発テロに関連して、犯人とおぼしきオサマ・ビン・ラディンと彼をかくまっていると見られているアフガニスタンのタリバン政権に対して、アメリカが報復ならぬ戦争をしかけよーとしていることはすでに周知の事実だけれど、その米国の恐慌な姿勢に世界でも突出して協力しよーとしているのが日本国。その行動の支えになっているのが、アメリカのアーミテージ国務副長官から柳井俊二駐米大使に向かって発せられた「ショー・ザ・フラッグ」とゆー言葉だとゆーこともすでに広く伝わっている。直訳すれば「旗を見せろ」。つまりは「日の丸」を見せろとゆーことで、その言葉を重く受け止めた日本政府は「日の丸」を最大限に見せられるよーな協力すなわち自衛隊の派遣を行うことを決めてしまった。

 ところが。5日に日本記者クラブで講演したベーカー駐日大使は、この「ショー・ザ・フラッグ」とゆー言葉は決して「日の丸を見せろ」とゆーものではなくって、英語の慣用句に過ぎず日本語で言うなら「旗幟鮮明にしろ」、つまりはアメリカに協力するんだとゆー立場をはっきりしてくれとゆーことだったんじゃないかと説明したとゆー。なるほど研究社の「リーダーズ英和辞典」を引いてみると「show the flag」にはしっかり「旗幟鮮明にする」ってゆー意味が書かれてあって、ほかにも「ちょっとだけ顔を出す」なんて軽い意味もあって、どう頑張って読んでも「軍事的な支援をしろ」なんて意味は浮かんでこない。仮に試験に「ショー・ザ・フラッグの意味を書け」なんて問題が出たとして、「軍事的支援を約束すること」なんて書いたら点数はきっともらえないだろー。「旗を見せろ」でたって得点は怪しい。それは日本語の慣用句の意味を問う問題で「耳を揃えて払え」を「耳を切り取って差し出すこと」と説明しても得点が出来ないのと同じことだろー。

 ここで経緯はともかくとして自衛隊を派遣することの是非は考えない。まあいろいろと意見もあって個人的に拙速に過ぎるとゆー気がしないでもないけれど、それは事態の大きさとそれに対する協力のバランスの中から考えていくべきことだろー。問題は、少なくとも英語に関してはプロフェッショナル中のプロフェッショナルであるべき外務省のそれもほとんどトップクラスに立っているよーな人たちが、慣用句としてのニュアンスを知ってか知らずか「ショー・ザ・フラッグ」をすなわち「自衛隊による後方支援への要請」を解釈して日本政府に伝え政府もそれを鵜呑みにしたのかこれ幸いと利用したのか法律改正まで行って自衛隊の派遣を行おーとしていること。試験バカでボキャブラリが貧困で慣用句まで知らなかったとゆーなら英語のプロとしては稚拙過ぎるし多分そーゆーことはないだろー。とすれば考えられるのは知っていてあえて意訳、それも極めて拡大解釈したってことで、世間を偽り国民を欺いてまで外務省は自衛隊を外へと出したかったのかと思えて来る。

 もしも仮に、今回の一線を確実に越えてしまうよーな事態が既成事実となって積み上げられ、いずれ軍隊の復活へとつながって再びの哀しい事態を引き起こした時、その引き金を「ショー・ザ・フラッグ」のおそらくは意図的な拡大解釈でもって引いた外務省は世界の敵として糾弾されることになるだろー。勝って勝ちまくって世界に覇権を打ち立てれば英雄だけど。その昔、太平洋戦争の開戦時に米国にいた外務省の人が宣戦布告の文書を翻訳するのが遅れてしまったとかで渡すのが遅くなり、結果日本の真珠湾攻撃が不意打ちととられて米国民の激怒を買い、今に至る「リメンバー・パールハーバー」なマインドへとつながっていることがあるけれど、間抜けは間抜けでもあるいは事故とも米国側の陰謀ともとれそーな太平洋戦争の宣戦布告に比べて、今回の行為は事実だとしたら愚劣さを通り越して犯罪的ですらあり、未来において実際に犯罪として断罪される可能性すら持っている。本当に、ほんとーに外務省は「旗を見せろ」と思ったんだろーか。

 時事通信が伝えるところによれば、外務省の幹部は「解釈はその通りだが、自衛隊派遣は『言わないでも分かるだろ』というのがブッシュ米政権のスタンスだ」と言って火消しに必死だとか。つまりは意図的で確信犯的な拡大解釈だったってことを暗に認めている訳で、いよいよもってどーしてこれほどまでに突出したがるのかが知りたくなる。一度外務省の人と「腹を割って話したい」ところだけど、そーゆーと本当に「腹を割って」、つまりは割腹した瀕死の状態で会話をしなくちゃならなさそーで、体力のない僕にはちょっとキツい。英語ができない自分の責任はとりあえず棚上げして、ここは外務省に負けず劣らず英語に関しての秀才が揃っているだろーにも関わらず、今に至るまで「ショー・ザ・フラッグなんて単なる慣用句じゃん、どーして外務省はマジに自衛隊派遣だなんて解釈してるの?」と突っ込んもーとはしなかった(してたかもしれないけれど読んでない)、つまりは「ショー・ザ・フラッグ」をそのまま「旗を見せろ」と解釈していた大新聞のエリート記者さんとか国営放送の頑張るワシントン支局長とかに、外務省との「腹を割った」話し合いなりを持ってもらって、日本が向かうだろー困難に「腹を割って」責任をとって頂けたら幸いだ。

 ぷにぷに可愛い美少女悪魔を筆頭に、天然ネコミミ少女と来て次は緋色の袴もお似合いの美少女巫女。古今のあらゆる「美少女パターン」をひとつひとつ潰して行くよーな展開に、果たして次はどんな美少女の典型例が出てはアブデルを惑乱の淵へと追いやるんだろーかと楽しみにしていた佐藤ケイさん「天国に涙はいらない」の待望の新作が登場、その名も「天国に涙はいらない4 男色一代男」(メディアワークス、530円)に登場したのは、天使でもメイドでもなくサブタイルもそのままの、男色に萌える急角度のビキニパンツをはいたマッチョで毛むくじゃらの髭親父だった……って言ったらどーだろ、やっぱり売上はガクンと減ってしまうんだろーか。でもご安心、「天国に涙はいらない4 男色一代男」にはちゃんと、古今東西を問わず美少女の典型中の典型ともいえるあの美少女が登場します。そう眼鏡っ娘が。

 なあんだ、今さら眼鏡っ娘なんて珍しくもないと呆れる人もいるだろーけど、そこは佐藤ケイさん単なる眼鏡っ娘では筆が廃るし物語の中で主人公の補佐役を務めているとは聞こえが良いけど実は地上にいるありとあらゆる美少女を我がものにしよーと企んでいる織天使・アブデル様にも申し訳ないと、典型中の典型中の大典型ともいえる眼鏡っ娘を登場させてくれている。「今時珍しいセルロイド製黒縁四角フレームというにとどまらず、その娘の眼鏡は半分ズレて下がっていたのだ! 更に加うれば、髪型は長めの二つお下げ、どこぞの女学校にでも通っていそうな、古典的なお嬢様タイプの眼鏡っ娘なのだっ!」と歓喜するアブデルの声を聞けばその素晴らしさも分かるはず。おまけの単なるお嬢様にとどまらず、性格行動においても素晴らしすぎるところを見せてくれるんだけどそれは読んでのお楽しみ。S級悪魔の桂たまちゃんがどーして段ボールにいれられ「誰が拾って下さい、名前はタマといいます」と書かれて捨てられていたのかも明らかになって、涙なしでは読めない(笑い涙だけど)1冊。シリーズ未読の人もさあ、一気に4冊まとめて買って秋の真夜中を爆笑の渦に沈もー。次はそろそろメイドかな、それともやっぱり鬼娘?


【10月4日】 イスラエルのテルアビブ空港から飛び立ったロシアの旅客機が突如、レーダーから消えて黒海だかに墜落。ウクライナ軍のミサイル誤射とかテロとかいろいろ言われているけど、世界の空気が不穏な時になにか起こると、それがたとえ「注意した上ならそれは事故」(「ジオブリーダーズ」7巻7ページ)であったとしても何やら事件なり、陰謀なりと絡められてなおいっそう不穏さを増してしまうから恐ろしい。それこそやっぱりこの世界には「黒い幽霊団」でも背後にいて、イデオロギーも人道も越えた何かをしよーとしてるんじゃないかと思えて来る。復活なった「サイボーグ009」でもその辺り、何か描かれるんだろーか。「ベトナム戦争」の背後で蠢く「黒い幽霊団」なんかを描いて冷戦体制への半ば反旗めいた雰囲気を出していた作品が、この複雑にして深淵な”文明の対立””宗教の対立””民族の対立”の時代にどこまで意味を持ち、どれだけのメッセージを発せられるか興味がある。そこまで突っ込んでいくかなあ。

 別に沈黙して筒井順慶決め込んでいた訳でもないんだろーけどノーベル賞作家の大江健三郎さんが、前にも書いてたり発言している可能性がない訳じゃないけど僕が目にしたうちでは初めて結構大きなスペースで米国での同時多発テロについて「朝日新聞」10月4日付け夕刊紙上で言及、「成果の疑わしい戦争のなかで」ってタイトルで、”目には目を”的発想が果てしない暴力の連鎖を招いた果てに「崩壊する世界貿易センターの向こうに、幾つものキノコ雲が見える光景」が現出するかもしれないと、まあいささか扇情的で分かりやす過ぎる例えではあるものの、おおよそ”報復”に反対する人たちに共通の認識でもって文章をしたためている。大意には賛成、ただ気分として、”あの”と付けられてしかるべき偉いえらい作家の人が自分の意見を言って、きな臭い方向へと向かおうとしている風潮に歯止めをかけようと頑張っている姿が、世論をつき動かすよーな衝撃にならないのは、当たり前の人が当たり前なことを当たり前な場所でしているって感じが強くって、きな臭い方向へと持って生きたがる人には「また言ってやがる」的な受け止め方しかされず、生命全体の問題として枠を越えて波及していかないから、なのかもしれない。

 言説を放つ人を配置可能なさまざまなチャートがあって大江健三郎さんはだいたいこの辺の位置取りかな、なんてことをあらかじめ頭で考えてしまっているんだろー、それがそのまま出てきたところで個人的には嬉しくても世間的には「ひとつの意見」として消費されてしまう。あるいは疚しさ後ろめたさを慰撫する”良心”めいた意見として心の片隅で意識しつつ、それでも大勢として空気に押し流されていってしまう。知識人の言説だからと言って有り難がるのが正しいとゆー訳では決してないんだけれど、知識人が何かを言ってもそれが前後左右上下に散らばる意見のチャートを埋める1ピースにしかならない状況、それは1ピースだと気持ちで受け止めてしまうこちら側の問題でもあり、1ピースとして伝えてしまうメディアの問題でもあるけれど、そんな状況がますます進んで来ている状況に虚しさが募る。意見がなかなか届かず届いたとしても”御意見”として消費されてしまう風潮の中、昨日の「批評空間」のイベントで柄谷行人さんが「実行すべきかが問題」って言ったのも何か分かる。

 もっとも、大江さんが黒柳徹子さんよろしくタリバン支配地域に入り込んで暴力反対を叫べば、それはそれでセンセーショナルではあるものの、やがて間もなく行動合戦として果てしなくエスカレートしていった挙げ句、チャート上の多種多様あるグリッドに1つのピースとしてはめ込まれ、結局は同じことになってしまうんだろーから難しい。行動は行動として尊重しつつも、言論の人たちによる言説それ自体がしっかりと伝わり世間に尊重されるよーな力を持ったものに再びなるよー、送り手側も受けて側も含めて言説の空間を辺見庸さん的に言うなら鍛え直す必要があるのかも。どーやったら良いのが分からないのが問題だけど、基本はやっぱり”教育”か。いっそ言説空間を鍛え直すより先に、人気アイドル人気俳優人気女優人気タレント総動員で「戦争? やめよーぜ」とでも言ってもらった方が効果は大きいんだろーけど、逆に「戦争? やろーぜ」となりかねない懸念もはらんでいるから、センセーショナリズムに頼るのもやっぱり考え物ってことになる。

 ちなみに大江さんの記事には、「私はアメリカの二人の知友の声が聞きたいとねがっていました」って書いてあってエドワード・サイードとノーム・チョムスキーを挙げているけど、聞きたかったら知友なんだから電話でもしたのかを思ったらさにあらず、ネットで2人の意見を探したんだとかで、大江さんがネットをしているのも意外だったけど、何かセンシティブな感じがして面白かった。まあ、個人として聞いたものじゃなく、メディアの上に固定された世界に流通する言葉として意見が載るのを待っていたんだろーけど、2人の知識人の意見を引用しつつ自説を開陳している大江さんの意見がさてはて、2人の知識人に比して世の中に流通するものになるかとゆーとこれがなかなかに悩ましく、少なくとも国内ではやっぱり”御意見承りました”的消費をされてしまいそーな気がする。

 世界へと向けて発せられて誰かさらなる知識人に引用されて逆輸入でもされれば或いは強さ・重さが増すんだろーけど、それはそれで日本人の外国人コンプレックスの裏返しみたいだし、一方で知識人を知識人たらしめず、知識人が知識人たりえない空気が知識の送り手側にも受けて側にも蔓延している事実を認めてしまうことになりそーでちょっとヤな感じ。言説が腰折れ状態で行動もダメとなれば後は数しかないってことで、大江さんにはネットから引用するだけじゃなく、サイードにチョムスキーを呼んで対話するなりさらにもっと大勢の人と連携し連帯して意見を言うなりしてもらいたい。歴代のノーベル文学賞受賞者と平和賞受賞者がアピールすれば、言葉であってもやっぱりそれなりの重さ強さは出るもの、とは思うけど日本だとそれもやっぱり当たり前の人たちがあたり前のことをした程度として消費されてしまうのかなー。

 その大江健三郎さんも批判の相手として登場する柳美里さんのエッセイ集、「世界のひびわれと魂の空白を」(新潮社、1400円)を読む。目当ては前に対談なんかで”和解”したって読んだ福田和也さんと、そもそもどーして”和解”が必要なだけの絶縁状態に陥ったのか、そのきっかけになった福田さんの時評「見張り塔から、ずっと」に対して柳さんが書いた「見張り塔から、見張られて」とゆー一文。”和解”後であるにもかかわらず、あからさまに福田さんの傍目にはポトラッチ的で派閥的で先物買的に見える批評の態度を非難し且つ、そーした俗っぽい行動だけではなく本業の批評においても大きな読み間違いをしているんだと批判した文章を収録したのは、それが批評家全般への指摘になっているからなのか、福田さんとまた何かあったのか、逆になかったからこそ掲載できたのか、あれこれ想像できてちょっと面白い。面白がっているうちはやっぱりまだまだガキなんだろーけれど。

 長文のエッセイであと大きな主題になっていて、大江さんへの批判も含まれているのが、例の「石に泳ぐ魚」に対する出版差し止めをめぐる裁判についての文章。「『石に泳ぐ魚』裁判をめぐって」には裁判へと至ってしまった経緯が主体者でありながらも客観的かつ冷静な感じでしたためられていて、事情のいっさいを知らずに単なる「書かれる側の痛み」とゆー問題に収斂して良いのかどーかを考えさせる。もちろん裁判が起こり地裁の判決が出てしまった現在、最前線で争われている「書かれる側の痛み」についてどう取り組むべきなのか、ってテーマはそれこそ物書き全体を巻き込む大きな問題になっていて、裁判とゆー場が相応しいのか(柳さんは相応しくないと言い、文化が決めるべきと指摘している)否かとゆー問題も含めて考えられなければいけないんだけど、柳さんが裁判へと引きずり込まれてしまった、その際の相手側の”手口”めいたふるまいと、その後の活動にはなるほどいろいろと複雑なものが混じっていそーで、あれこれ考えさせられる。何がどー複雑なのかは「私はこの裁判は人権派にとってはひとつの運動なのだろうと理解しています」(200ページ)とゆー柳さんの所感が端的に、かつストレートに言い表しているんだけど、難しいのはそーした運動に頼らなければ快復されない傷も決してなくはない点で、言説を尽くすことによる和解が可能な範囲との線引きが、これからも様々な場面で問題になって行くんだろー。


【10月3日】 それにしてもと思うくらいに食玩の世界にはあれやこれやな「おまけ」が登場しては、ポスト「チョコエッグ」のマーケットを奪取しよーと争っていて、最近だと大手のメーカーが大手ならではのキャラクター動員力でもって昔懐かしいアニメとか特撮とかのフィギュアをおまけにつけて大人心を誘おうと頑張っているけれど、やっぱり本家「チョコエッグ」を始めとして、その質感そのセレクトの他にはなかなか見られないコダワリぶりでもって造形に海洋堂が関わった「チョコラザウルス」とか「妖怪根付」とか「ミウ」とかが、ダントツっぽい人気を見せていて、後追いの難しさなんかをまざまざと見せつけてくれている。マーケティングで鉛筆なめなめでは達することが不可能な、コレクター魂ってものがやっぱりあって食玩を買う人たちが商品を選ぶ基準になってたりするんだろー。簡単に言えばオタク心ってことだけど。

 そんな海洋堂一本かぶりな食玩フィギュアのマーケットに、殴り込みってゆーと大袈裟だけど仕掛けた人のタイプなんかから想像するとちょっとは殴り込みっぽい雰囲気もあってさてはてどーなるかが楽しみだったりする商品が登場。その名も「チョコベーダー」は洋の東西に伝わる宇宙人との遭遇エピソードをかきあつめ脚色した上でエッセンスを抜き出しフィギュアを作りストーリーを練り上げて提供していくって企画で、同じく宇宙人との遭遇エピソードをさまざまな本から集めてそのまま提供していく人気サイト「宇宙人大図鑑」がジャーナリスティックな立場でノンフィクションに挑んだ立場なら、「チョコベーダー」はフィクションへと代えてエンターテインメント的に仕立て上げたものだと言えるかも。まあ矢追純一さんの「木曜スペシャル」がジャーナリスティックだったとも思えないけど。

 企画自体から漂う胡散臭くもおもしろそーな雰囲気は、かつて「木曜スペシャル」にハマり「少年マガジン」の大伴昌治さんによるグラビアを熟読したのと同じ思いを今の子供たちにも与えそーな感じがあって、加えてリアルタイムで「マガジン」のグラビアに「木曜スペシャル」を楽しんでいた世代にも話題になりそー。その意味ではまさにジャストなタイミングでスタートした企画だと言えそーで、仕掛けた人の目利きぶりにはちょっと感嘆する。問題は企画自体がいくらジャストでも展開される物語だったり人気の主要な部分をになうフィギュアがペケだったりしたらすべてが水泡に帰するってこと。その部分で今回この「チョコベーダー」の企画を1から立ち上げたのが岡部暢哉さん率いるビルドアップだってことが、造形面への期待につながっている。

 もう何年も前から存在くらいは知っていて取材に行ったこともあって、一昨年には初監督した日本でも世界でも初に近い実写でパワードスーツを動かしたとんでもない映画「D」も見て、この浮き沈みの激しい世の中をしっかり渡って来ているなーと思った記憶があるけれど、その後ちょっと噂を聞かなかったら会社がどうかなったって情報も流れて、心配していたら間もなく再び会社が立ち上がって仕事の方でも浜崎あゆみさんの手にメカを仕込んだ携帯電話のCMとか、最近だと恐竜を方に背負った女の子が出てくるザウルスのCMをかを手がけて話題になってたりして、やってるやってるって感じで動勢を見ていたところに今回の「チョコベーダー」。これは注目しない訳にはいかないってことで、ソニービルで開催されたミーティングに行ったけど、案の定とゆーか会見に岡部さんは「映画のロケがある」とかで欠席。それでもビデオで登場してはあれやこれやと喋ってて、企画にかける意欲みたいなものが伝わって来た。

 このビルドアップ、画集「漁夫の角度」とか食玩の妖怪フィギュアで一段とその名声を確固たるものにした竹谷隆之さんの展覧会も企画してたりする会社だけに、「チョコベーダー」の造形で竹谷さんを監修に迎えているのが大きなポイントと言えそー。竹谷組とも言えるらしー若手の造形作家がエイリアンと、そして今回の企画でエイリアン以上に楽しめそーなUFOのフィギュアを作っていて、話のふくらませ方とかエイリアンのアレンジの仕方で「ビックリマンチョコ」っぽいコミカルさを感じないでもないけれど、すくなくとも全体のディティールのとか緻密さ、細かさといった部分では、見れば納得のクオリティに仕上がっていて、チョコレートを食い倒してでも集めたい気になって来る。

 トミーから10月22日に発売のチョコレート「チョコベーダー」は1個150円で、卵形ならぬボール型のチョコに1つづつ、宇宙人かUFOのフィギュアが入ってる。4期くらいに分けて投入されるみたいで集めると合計100個のフィギュアが揃うとか。丸いチョコは口で割れずに食べるのに結構難儀するとか、噛むとカケラがカプセルについて開くときに手にチョコがつくといった苦労がややあるけれど、チョコ自体の味はまずまずでボール買いしても全部をちゃんと食べられそー。「チョコエッグ」は6個くらいで甘さに涙が出てきたからなー、食わなきゃ良いんだけど昭和の子供なんで食べるものはちょい粗末に扱えないんだよね。

 別に森永製菓からはこれも全部で100種類くらいになるシールが封入されたモナカチョコが1個60円で発売されるとかで、フィギュアとはちょい違うけど安さもあってシールはシールでコンプリートに挑んでしまいそー。ソニー系列の権利管理会社と組んで雑誌やウェブやゲームなんかにも展開してくみたいで、メジャーであっても請け負い仕事、自主企画はインディペンデントに展開して来たビルドアップがいよいよ21世紀にデカくなっていく、その先陣を切る大きなプロパティになりそー。うつろい易く飽きっぽい子供の感性がどこまで「チョコベーダー」を受け入れるかはやっぱりちょっと判然としないけれど、大人としては納得の商品なんで発売されたら菓子屋に並んで大人買いに勤しもー。

 いよいよ第3期が動き始めた「批評空間」が、それを記念する2回目のイベントであり且つ柄谷行人さんの新刊「トランスクリティーク カントとマルクス」(批評空間、3200円)が刊行されたことも記念するイベントを紀伊国屋ホールで開催したんでのぞく。ほぼ満席は前回同様で年配者も結構いるけど若い大学生っぽい風貌の人もいっぱい詰めかけていて、知性を求めて止まない人は東京にはまだこれだけいるのです、たぶん的な印象を激しく受ける。もっともそんな、乱暴にいうなら「知性おたく」な人たちにとっては、いささか冷や水を浴びせかけられたよーに感じたかもしれないトークが特に柄谷行人さんによって繰り広げられたのが個人的に興味深かった部分で、世紀が変わって思想も大きく変わり始めている、その現場にあるいは立ち会ったのかもしれないとゆー気が起こってくる。

 言うなれば日蓮の辻説法を聞いたとか十戒を受け取るモーゼを見たとか菩提樹の下で悟った釈迦を見たとか、そんな感じ。って書くと柄谷教ならぬ宗教の誕生に居合わせたのか、なんて言われそーだけど、面とむかって否定できるかとゆーとそーとも言い切れないのが悩ましいところで、あるいは10年後、30年後100年後に何らかの答えが出ていたりするのかもしれない。別に柄谷さんが教義めいたものを喋って集まっている人を折伏にかかったって訳じゃなくって、イベント自体は黒崎政男さんがカントについての記述の是非、西部忠さんがマルクスについての記述の是非を話した後で浅田彰さんのまとめと柄谷さんの発言があって、誰かを説得しよーといった雰囲気は微塵もない。

 にも関わらず「宗教の誕生」めいたものを感じてしまったのは、カントで言うなら経験論と合理論、マルクスだったら労働と経済? 違ってるかもしれないけれど縦に情的なモノサシを立ててレベルを計る軸があり、横に理的なモノサシでもってレベルを計る軸があって、それぞれの軸の垂直方向かもしくは水平方向かでもってしか議論されえず、なかなか生まれづらかった両軸を綜合するよーな理論を、今回アカデミズムの世界にはまり切っているとは言えない柄谷さんが柄谷さんならではの方法でもって「トランスクリティーク」の中に描き出してみせたらしーから。どちらかといえば情よりは理でもって物事に挑み理詰めで解釈していくアカデミズムとはちょっと違ったアプローチで、西部さんはどこか釈然としてなさそーな意見を言っていたけれど、一方でアカデミズムのタコツボ化が問題となっていて、その打開策としてナナメに移動し打ち破っていくことの必要性が指摘されている中での意見だけに、大袈裟に言うなら救世主的な方法論として、受容されていく可能性も皆無じゃない。

 突っ込む西部さんに対して柄谷さんより先に浅田さんが一所懸命説明しよーとしていた姿がちょっと興味深かったけど、その説明で言うなら黒ではなく白か、といった二者択一ではなく黒であるのみならず白でもある、といった感じの綜合的、中間的な答えがあるらしー。もちろん極端であっても総合的であっても、思考方法の問題に留まっているならそれはそれで宗教とは違う哲学の範疇なんだろーけれど、過激にも柄谷さん、「20世紀の思想家は全部だめ」と言い切り名前忘れたけれどマルクスの解釈に挑んだ学者を「ちゃちな仮想敵を作ってやっただけで、そんなものについて書きたくない」と歯牙にもかけず、「ディコンストラクションは89年頃までは何かやってきたけれど、それ以降に語っているのは犯罪的ですらある」とまで指摘した上で「実行すべきかが問題」と言ってのける辺りに、思想性をこえた運動性、さらには宗教性なんかを感じてしまって驚いた。

 まあ、すでにして現実に「NAM」なんて運動を立ち上げていたりして、その宗教っぽさを指弾されてもいたりするんで改めて発言によって裏付けられたと見る人もいそーだけど、ただし教祖として諭し導くとゆーよーな態度ではなく、感情的な部分もぞんぶんにあるけどそれのみならず理知的な部分もたっぷりあって、どっちつかずに揺れるんでもなく都合に応じて良いところ取りをするんでもなく、どちらも大事だと認識した上で縦軸横軸の綜合から最適なベクトルを探っていこーとする自覚性がある分だけ、運動とまでは言っても宗教とまでは行かなさそーな気がする。思考と喋りで柄谷さんの実践を支え実行する上での悩みを代弁しよーとする浅田さんが横にいる限り、大丈夫だとは思うけどでも信者ってのは相手の思いとは無縁に拝むものだからなー。ともあれ思考の移動の果てにたどり着いた実践の世界で柄谷さんが何をしていくのかに注目したい。


【10月2日】 ヒロインの規格外れ度で言うなら「暴れん坊プリンセス プリンセス・ルージュの華麗なデビュー!」(著・堀江ひろみ、監修・枡田省治、角川スニーカー文庫、540円)も決して人後には落ちないけれど(京成線の各駅にルージュがデカデカと描かれた看板が立っててちょっと萌え)、林トモアキさんの「ばいおれんすまじかる 九重第二の魔法少女」(角川スニーカー文庫、540円)に登場するヒロインも規格の外れっぷりで言うならルージュに優らずとも劣らない所があって、とりわけ規格の外れっぷりを部門別に図るゲージがあって中に卑怯度なんてものがあったとしたら、そこに限っては「心に正義」だなんてヌルいことを抜かしてるルージュなんかちょちょいのちょいな存在になってしまうくらいの度外れぶりを見せてくれる。

 家がヤクザってのはまあ、「セーラー服と機関銃」の昔からあって特段に珍しいものでもないし、意志に反してフリフリヒラヒラな魔法少女に選ばれ変身させられてしまう設定だって、これが男性のそれも中年おっさんだったらいざしらず(「ヤングキングアワーズ」にあったよな、そんな漫画)、れっきとした美少女が選ばれるんだからビジュアル的にはそれほど違和感なはい。けれどもそれでも手にしたバトンで魔法を出すより先に殴りかかって行ったあたりで「あれれ」と思ったのも事実で、加えて実家から持ち出した拳銃を手に敵と闘う変身美少女って構図などにもカルチャーショックを受けてしまった。

 当然ながらそれだけに留まっている訳でも全然なく、世界を滅ぼしに来た魔女の一味と闘う場面で見せる数々の、実に変身美少女に相応しくない卑怯技を目の当たりした今となっては、なるほどその勝利へのこだわりぶりに賛意は示せても、すべての人から理解されるのは難しいかもって思えてしまう。個人的には大好きだけど、大好きって言って見方のフリしないと卑怯技でもってヤられてしまうのも事実。ある意味ルージュなんかよりもよほど敵にしたくないヒロインと言えるかも。

 卑怯技を繰り出すタイミングまでへの盛り上げがあまりなく、ドラマのそれほどない中で唐突に事件が起こりバトルが始まり敵が引っ込みすべてが解決していってしまう感じがあって、もーちょい語り口を練り挙げた方が読んで主人公の卑怯度に一喜一憂できたかもって気がしないでもないし、一応は強大な敵として設定された、出自にいろいろあってその怨念をパワーに転化して頑張って来た魔女のエンベローペに関するドラマもそれほど読めなくって感情移入がしづらかったのも事実。ゲマ……じゃない毛玉なパパロンがどちらかといえば道化っぽいキャラを割り当てられてて、話をギャグっぽく盛り上げてくれるんだけど、そのギャグと真剣な部分との混ざり具合がどこか居心地悪くって、感動の隙間でちょっぴり肩すかしを食らったよーな印象を持った。あるなら続刊では頑張るヒロインが邪悪で卑怯な技をあっけらかんと繰り出しては、敵をバタバタなぎ倒していく痛快さを、もっともっと感じさせてくれたら嬉しいかも。

 続けざまに角川スニーカー文庫よりこれって結構久々なのかな、「電脳天使」が結構バカ受けしてたにも関わらずその後にあんまり印象の亡かった彩院忍さんが電脳とは無縁に気孔と剣劇でもって全編を彩った不思議な物語「リバースド・ヘヴン 狼牙めざめる」(角川スニーカー文庫、533円)を発表してたんで買って読む。説明口調がなく最初は何をやってる人たちが何を争っているんだろーって頭をひねったけれど、どーやら人間には気孔を使える能力があって、うまくすれば地表から数千メートルの所で地球を取りまいている「逆転層」とかゆー場所を一種の”地面”と扱って、気孔めいたものを使いその逆転層へと”落ちて”いく重力を自らで作り出せるよーになっていて、そんな力を持った人たちが、傍目には空中に浮かんで頭を地表に向けたリバースの状況で、覇権をかけて荒そうってストーリーってことが見えて来る。こーゆー理解で良いのかな。

 「逆転層」なる舞台をただ作っただけじゃなく、そーした舞台に立てる「気導」なるものを保持したままでいられる強い力を持った人たちが、世界に分散してはチームを組んでは微妙なパワーバランスの上でバトルを繰り広げている様が描かれていて、なかなかな奥深さ、幅広さを感じさせられる。さらにはそーした力を人間が持つに至った理由を、人類とゆー枠組みを越えた所に持たせてさらなる大きな広がりを感じさせるよーな仕掛けがあって、今はまだ力の持ち主たちによる小競り合いの域を出ない物語が、そーした深淵にして遠大な設定を取り入れてどー展開されていくのかがとりあえず楽しみ。持っている力を失った人間の悲しみと悪意めいたものの描写は、神林長平さんの名作「七胴落とし」に出てくる未成年だけが持つ精神感応能力なんかとも重なってSFファン的神林マニア的に良い感じ。

 化粧が得意で甘党の、昔「ソフトバレエ」ってユニットの後ろで踊っていた人にタイプ的にちょい似てるけど力だけならボスクラスってなキャラクターを筆頭に、圧倒的な強さを持つ男とか剣を持たせれば世界有数な少女とか、世界を裏で操ろーとする存在とか人物面でも特徴があって楽しめそーな1冊。目立たないのは主人公ばかりだけど、やっぱり主人公なんでとてつもない力を秘めていそーで、とりあえずは出そろった敵味方の構図の中でどんな目覚めを演じ、どんな活躍を見せてくれるのかに今はとりあえず着目している。

 能力者の空中戦って「サイキックフォース」だったっっけ、タイトーあたりから出てたゲームを思い出すけどこっちは頭と脚の位置が逆さまってゆー点が特異だし特徴的。絵的にどんな感じになるのか見てみたい気がするけれど、描くときっと「キャラ逆さじゃん、落丁だな」って思われるのがオチのよーな気もして難しい。だったらいっそ漫画化かそれともアニメ化か。それでもやっぱり「逆さじゃん」と逆立ちして見たり読んだりするのかも。

 新宿歌舞伎町の「ロフトプラスワン」で斎藤環さんプレゼンツな引きこもり系のイベントを見物する、っても今回はゲストが同じ精神科医の香山リカさんと、そして「2ch」な人にはお馴染みのひろゆきさんが登壇しては、ひろゆき的なあっけらかんとした生き方を話して聞かせたり精神科医をやってる上で難しいことを香山さんとか斎藤さんが話すといった、「ひきこもり」が直接どーって内容のトークではなく、そーゆーのを期待して行った人にはちょっと難しかったかも、いきなり「2ch」とか言われたって訳わかんなかったかもしれないし。

 それにしても精神科医の畳み掛けるよーな質問ですら「興味ないんっすよー」「転送量を減らすプログラムを作ってもらったりと、閉鎖騒動の時には何かあったみたいですけど、時ビール飲んで寝たんであんまり知らないんすよ」と言い抜けてしまうひろゆきの”柳に風”的スタンスは相変わらずで、ある意味現代のこの世知辛い世の中、価値観をごり押しされた挙げ句に風潮に飲み込まれて行きそーな状況を、闘い乗り越えていくためのヒントがありそーな気がしてならなかった。単なるいー加減ぶりかもしれないから観察は要するけれど。

 しかし本当に「2ch」が大好きっぽかった香山リカさん。「プロレス板」をしょっちゅう観察していたりするのは噂なんかに聞いたことがあったよーに記憶してるけれど、悪口をいっぱい書かれた時の複雑な心境とかを吐露するあたりはやっぱり、精神を扱うお医者さんでも自分自身の気持ちを冷静の極地にコントロールすることは難しいんだろーな、ってことが分かって面白かった。おやじばかりがいる環境での仕事に貯まった嫌気を振り払うためにネットに耽溺するって構図、人間だったら案外と普通だけどよりによって精神科医の人から生まれて来るとはちょっと思わなかった。まあそんな感じで自分のこととして受け止められる心理が香山さんを業界のヒロインめいた存在にしてるんだろー、卑怯なことはしないけど。

 あと自分が書かれて感じた「やな気持ち」を他人にも味わってもらいたいのか、斎藤環さんについて書かれているスレッドをしきりに教えたがっていた姿にもちょっと感激。別に単なる「ヤな奴」ってんじゃなく、自分がやられるんだったら他人もってな人間ならでは結構普通な心理を垣間見せてくれた辺りに、眼鏡をかけてなくっても歳結構行ってても、ファンになりたいって気持ちを覚えてしまった。何をどれだけ書かれよーとも「ネットのことなんて気にしてらんねー」と言い切るひろゆきの域にさてはて香山さんはたどり付けるでしょーか。まあ今日はいつものかぶりつきの席じゃなく、列で言うなら最後列からながめてたんで香山さんの見え方も良いパターンだったのかもしれない。合間には「iモード」でスレッドを見てたりするとゆー香山さんは、立派に立派が幾つも重なる「2ちゃんねらー」ってことなのか。人は見かけに……よらないこともないかな、やっぱ。


【10月1日】 御免よ僕が悪かったよ見誤ってたよ軽んじていたよ。世界最高記録で且つ女性で初の2時間20分台突破とゆー華々しくも素晴らしい記録を出した高橋尚子選手が当然ながら1面としてあるいは終面をイチローじゃなく長嶋監督でやって来るんじゃないかと、まあそんな程度くらいのことはあるんだろーと内心思っていたけど、そこは天下のジャイアンツ機関紙「スポーツ報知」、やっぱりとゆーか案の定とゆーか当然ながらとゆーか、長嶋の別い最終試合でもないたかだか本拠地「東京ドーム」での最後の試合を堂々の1面で展開していて、怒るとゆーより驚き呆れるとゆーよりもはや、哲学なんだと納得するしかない状況でむしろ感動すら覚えてしまった。

 数ある新聞のせめて「報知」ぐらいが長嶋監督を頂点に据えた独自の価値基準でもって記事を作ったって別に世の中間違った方向へなんか向かいやしないよ。頑張って長嶋監督を持ち上げ長嶋監督に引っ張られた挙げ句に巨人もろとも時空の彼方へとエクソダスして行って下さないな。他のスポーツ誌だって面はともかく扱いの大きさでは50歩100歩だったりする訳で、そこにはもはやスポーツ本来の価値基準を組み上げようなんて意志のカケラも見えやしない。だったら良いさ、スポーツはスポーツでスポーツなりのグローバルにスタンダードな価値基準を組み上げて、スポーツ本来の面白さでもって世間から注目されるよーに頑張るから。新聞を通さなくたってCATVがある、CSがあるBSがあるネットがある。そしてなによりリアルなスタジアムでの観戦がある。ダイレクトな情報に接する機会が増えて目の肥えた観戦者に果たして旧態依然な価値観が通用するか否か。答えは案外早く出るかもね。

 ああやりてー、すぐやりてー、コントローラーを握ってその世界へと入りてー。「プレイステーション2」対応のゲームとして角川書店より間もなく発売となる「暴れん坊プリンセス」をいち早くノベライズにした「暴れん坊プリンセス プリンセス・ルージュの華麗なデビュー!」(著・堀江ひろみ、監修・枡田省治、角川スニーカー文庫、540円)を読み終えるか終えないうちに浮かんだそんな感情に、今は発売日とゆー10月25日が待ち遠しくって仕方がない。もう1本、面白そうだと期待していたソフトが時期が時期だけにってことで発売延期へと追い込まれていたりするから、今月は宮本茂御大が手がけた「ピクミン」と、そしてこの「暴れん坊プリンセス」が心の大きな拠り所になっていた所。そこに浮かんだ「これは行ける」ってな確信が、秋の憂鬱な気分を一気に払拭してくれた。

 もともと凄腕クリエーターたちが手がけたタイトルってことで結構な注目を集めてて、「会社四季報」なんかにも「期待のソフトあり」なんて感じで書かれていたりするけれど、まだ見ないゲームの果たしてどれほどまでに世界観が奥深いものか、幅広いものかを理解する上で、ノベライズは結構な役に立つ。中には本編よりも面白すぎるノベライズがあったりもするから一概には言えないけれど、少なくとも小説版「暴れん坊プリンセス」の場合、世界設定の不思議さ人物設定の奇妙さが醸し出す物語の奥深さ幅広さが存分に感じられて、忙しいってより面倒くさくって封すら切らずに置いてある「ルイージマンション」すら吹っ飛ばして、すぐさまプレイしたい衝動が浮かんでいる。「ルイージ」クリアしないとやらせない、ってんなら徹夜の連ちゃんしてでも「ルイージ」、クリアしてみせよーぞ。でも「ウェーブレス ブルーストーム」の全クリは勘弁、苦手なんだよなー、レースって、歳だし。

 想像だけどノベライズは多分ゲームのさわりにすら多分出てこない、主人公たちの過去の経緯なんかまでも詳しく書いた内容で、王女として生まれやりたいほーだいだったプリンセス・ルージュが謎の一味によって呪われてしまった母親の女王が飼い慣らしていた竜の力を譲り受け、胎内に取り入れたまでは良いもののその強さに3年半を寝たきりで過ごすとゆー展開にまず吃驚。眠り姫でも白雪姫でもない待つより攻める方が大好きってな感じの王女さまを主人公に据えながら、単純な力の継承に終わらせず、こーゆー展開にしてしまう辺りの妙なこだわりが何か楽しい。ゲームのチラシの設定画だと明らかに美女な格好のジャスミンなるキャラクターの実は……な設定も以下同文。ノベライズを読み終えた後から引っぱり出して読んだチラシによれば声が藤田淑子さんってことになっていて、なるほどこれは藤田さんでピッタリかもと思ってしまった。ひとやすみひとやすみ。

 チラシに描かれている性格悪そーな猫ミミのココってのが追放されてしまったミュウ族で、次巻に登場ってことでちょっと楽しみ。本編を読んでいる時は実は思いもしてなかったけどプリンセス・ルージュの声って三石琴乃さんだったんだなー、ってことはルージュの口癖「シャラくさーい」ってのもあの声で言ってくれるんだなー、ってどの声か実はあんまりよく分かってないんだけど。「ビックカメラー」ではないけど今さら「ムーンなんとかなんとかー」でもないし。ご学友だったシオンの関智一さんは良いけれど、同じ学友で剣士の道を歩んだアッシュの声が小杉十郎太さんてのはちょっと渋過ぎな気も。けどノベライズの巻末に収録されているなかなかなにハードなアッシュ修業の日々の物語を読むと、小杉さんの声が似合うくらいの人間じゃないと生きていけなさそーな感じもするからなー。ともあれまずはゲームの登場をとりあえず待ち、続くだろーノベライズの刊行も待って声のマッチングの是非については考えよー。

 角川春樹事務所の創立5周年と「小松左京賞」の2回目の授賞式を見物に東急キャピタルへ。早めについてロビーで腰掛けてたら後ろで挨拶を交わす声がして、見るとそこには現在は顧問へと退いている角川春樹さんの姿が。実に何とゆーか大病を患い尽くしたよーな風貌になってしまっていて、去年の同時期に復活の気勢をあげながらも結局は病に倒れてしまった経営者と姿が重なってしまった。もっとも去年の同じ「小松左京賞」授賞式で、森村誠一さんが言った「来年はいないかもしれない」とゆー言葉が1年、先送りになって実現する可能性があるよーで、つまりはそれだけの状況に耐えられるってことで見かけ以上に芯は強く残っているのかもしれない。言動とか見ていてもヨロける風とか全然なかったし。

 衆議院議長に元参謀の瀬島龍三さんのスピーチが延々と続いて、こちらはこちらで老齢化に伴う感性の変化は避けられないものなんだとゆー感慨に胸がチクリと傷んだけれど、直後で登壇した御大・小松左京さんのスピーチが去年に比べて完結に、かつまとまりのあるものに仕上がっていたのを聞くにつけ、この人に限っては生きている限りは大丈夫、時たま”老人力”は出るもののいざとゆー時にはしっかりと集中してくれそーで、誰もが待ち望む「虚無回廊」の続編についてもどーにかこーにか仕上げてくれるだろーと期待も膨らむ。と思い続けて何年経ったか、ってことはこの際考えないよーにしよー。

 初めて見る受賞者の町井登志夫さんは電脳とかをテーマにする人っぽくない静かで真面目そうな人で、「電撃ゲーム大賞」の時も思ったよーに無頼の徒よりは真面目に取り組む人が今や大成するのかも、ってことを考える。会場では町田康さんを見かけて、その町田さんが神林長平さんと話をしている姿が何とも愉快そーだったのにちょっと吃驚。それまでも笑顔こそのぞかせながもどこか超然としている風のあった町田さんが、体をゆすって笑ってるんだからよほど楽しいか嬉しい会話が交わされたに違いない。考えても接点のなさそーな2人に一体、どんな共通点があったのか。とってもSFっぽい気がするね。


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