縮刷版2000年7月上旬号


【7月10日】 村山由佳さんとジョルジュ・デ・キリコと二卵性双生児の弟の誕生日だったんで七面鳥でお祝いしようかと思ったけど時期はずれなんで鰻も良いかなあと財布を探ったらとても足りず、だいいち先週末からの風邪で若干の腸炎に食事は消化の良い物をと医者から言明されている身、なんで現時点における最高級のご馳走であるところの「キャンベルスープ クラムチャウダー」でささやかなお祝いをする、村山さんとキリコと双子の弟よおめでとう。しかしスープといっても1缶まるまる食べればだいたい3−4人前になったりする訳で、それだけだと寂しいからってチキンの揚げ物なんかを放り込んでしまえば消化もへったくれもありゃしない。かくして痛めつけられた内蔵は残り5年に迫った不惑へと向けて着実に健康上の後退を繰り広げるのであった。

 テレビ欄がいっしょなんで昨日の朝日新聞を読み返していて秋元康さんがインターネット上に開講するエンターテインメントスクール「ドラゴンゲート」の広告を発見。「作詞家、脚本家、漫画家、小説家、感性家、起業家、各人生を3万円で新発売」とゆーヒネってんだかヒネってないんだか分からないコピーでもって授業料が3万円でこんなコースがありまっせ、ってなことを唄っているのは良いとして、3列2段に配置された「○○家」の文字列の下段中央に燦然と輝く「感性家」とゆー文字に、「感性家っていった何?」ってな疑問符が7つばかり虹色に点滅して首を捻る。

 発表会の時に「感性を育てるコース」とゆーのが設けられることは聞いていて、秋元さんやら林真理子さんやらが講師に確か入っていたのは記憶しているけれど、いくら広告の見栄(みば)えのためとは言え「感性家」なんてネーミングをしてちゃー感性を疑われまっせ。あるはそれが最新の感性なの? うーん分からないやっぱり不惑まで片手な身の上では。3万円払って教えてもらおうかな、取り入り摺りまくってのし上がるために必要な「感性」って奴を。

 しかし3万円払っておそらくは何千人から何万人にも及ぼうかとゆー生徒の1人として向こうが垂れ流すご高説を賜るくらいなら、ネットを回ってプロの役に立つノウハウを学んだ方がよほどか為になりそーな。その具体例にして代表例が「裏モノ日記」の7月9日付にある「書評」をめぐっての唐沢俊一さんの言葉。先週から流れる東浩紀さんの読売新聞誌上での書評に関する指摘をさらに敷衍させて、今週日曜日に掲載された書評をケーススタディ的に用いて「新聞の書評とは何ぞや」ってことを言ってくれている。

 曰く「単なる新刊案内から踏み込んで、読者レベルよりやや高い専門的知識を持っている評者の眼から、その本の持つ価値、意義、面白さを指摘し宣伝させて、要するに読者に身銭を切ってその本を買いたい、という気持ちを喚起させ」るとゆー新聞書評の役割についての指摘は、場を見て求められている物は何かを判断するとゆー、何であれ仕事をする上で不可欠な約束事でもある。ライターという仕事に限って言えば「文章には書き方があり、そして、それは何も特別なことではなく、自分に書評なりエッセイなりを依頼してくるクライアントの 目的を思えば、誰でもやり方は理解でき」るのだと言う。経験と実績に裏打ちされたプロの言葉を聞けてタダとゆー、これぞインターネットの醍醐味でもあるんだけど、誰かに語って聞かせるとゆーより自分のための備忘録であり自己満足の方向へと走りがちなのもネットの特質。中にあって場を踏まえ、読者を意識するあたりはなるほどこれがプロですね。

 お盆前なのか締め切りが詰まっていた1週間を何とかかんとか凌ぎきる、中央区新川向けの玩具のレビューから目白のネットマガジンに神保町のアニメ雑誌を経て突如舞い込んだ神田多町の専門誌の仕事を2日がかりでエッチラオッチラと仕上げてメールして、銀座の週刊誌にアンケートを置くってえっとまだ締め切り残ってたっけ? あっと浜松町のが明日締め切りで残ってたんだよ今からさっさと本読まなきゃ。半ばアルバイト的にやっていてもこれだけの慌ただしさが続くんだったら、それだけを本業にして食べているプロのライターの人ってのはこの時期いったいどんな修羅場になっていて、それがいつまで続くことになるのか興味あるけど知るのは怖い。とは言えしつこいようだけど双子の弟の誕生日を迎えていろいろと期するところもあったりなかったりするんで(どっちやねん)、この忙しさを常態化させてもクオリティを維持するどころか更なる進歩を計れるよーな、そーゆー自分に私はなりたい。3万円払って漫画家か小説家か作詞家か脚本家にでもなりますか。


【7月9日】 自宅療養中。ちょろりと出かけて新聞なんぞを仕入れてグランパスエイトの問題発覚後の初試合に絡んだトピックなんぞを探ると、おおむねサポーターも理解を見せて頑張っていきましょーってな空気になっているとか。一部にはブーイングが寄せられ小宮好雄副社長に向けてペットボトルも投げ込まれたってあるから憤懣やるかたないサポーターもいるってことなんだろうけれど、前の田中監督の一件から後、さんざんっぱら説得して来てもなお変わらなかったから仕方がないだろうと言われてしまうと、その間の活躍ぶりからマイナスポイントを差し引いた時に残るのが何もなかったとしたら、こうした帰結も当然だったってことになるんだろー。代表に選ばれていても大活躍で新聞の見出しになるなってことがなかったしなー、3人とも。

 ともあれいないものとして考えた場合、突貫小僧の岡山はよくやってるしピクシーを中盤に回してトップに小倉を戻せば前は良さげ、宮原が復活して来ているし。補強はやっぱりセンターバックってことになるけど、トーレスに代われるだけの人材を補強できる可能性は低いし全日本の代表クラスはさすがにもらえないだろうし困ったこまった。切り離して大岩だけ残すって訳にはいかないんだろーか、ツルむとやんちゃでも1人だと途端におとなしくなる人ってたくさんいる訳だし。井原とっておけばなあ、安かったのになあ、出てないんだからくれないかなあ。

 就職難とは言ってもキャリアが適当にあれば人材の流動性はまだまだあるみたいで、朝日新聞の求人欄にはマスコミの採用がちらほら、もはや年齢的にカスりもしないからこっちは眺めるだけだけど、これからの人は結構先が選べてうらやましい。あの角川春樹事務所は「月刊ポップティーン」の編集部員を募集とか。一時期たしか飛鳥新社あたりに移っていたよーな記憶のある「ポップティーン」は角川春樹事務所に来てもなかなかに好調らしく、去年の創立3周年記念パーティーでは担当の人は社長から表彰を受けていた記憶がある。読んだことないからガングロが不思議ちゃんかピンクハウスか眼鏡っ娘かどこいらあたりが対象の雑誌かは知らないけれど、あの社長の下で働いてみるとゆーのも1つの貴重な経験だと考えれば、男でも面白い仕事かも、いつ何がどーなるか分からないんで大変ではあるけれど。

 「ファミ通」を出してるアスキー転じてエンターブレインの「秘書」ってのはつまり浜村社長か誰かの鞄持ちってことなのかな。読売広告社のクリエイティブとマーケティングで求めている人材が「IT及び金融関連を中心とした業務」ってあたりに、政府も頭にのって中身もろくにはやし立てるITと、IT絡みでバブル気味に沸き立つ金融が、これからしばらくは世の中を支えて行きそーな傾向が見えて気が滅入る。現場で客をハメるのが営業なら、イメージで客をオトすのは広告で、さんざん煽ってマージンを削り取った挙げ句にバブルが弾けたところで、「自己責任」をタテに良心のひとかけらすら渡しはしないんだから偉いというかしっかりしているというか。良心があったらそもそも仲間に入れない? そりゃごもっとも。

 千葉県の記事下の入っている広告の、「幕張プリンスホテル」のサマーイベントに「いっこく堂&上口龍生ブッフェショー」ってのがあって心揺れる。8月16日はお盆の最中におとな1人12000円、こども6000円の料金で食事といっしょに「いっこく堂」が見られるのってなかなかに楽しそうじゃないですか、劇場よりも近いだろうしチケット取りやすいだろうし。夏のイベントと言えば7月30日から8月6日まで高輪プリンスホテルで開かれる引田天功の20周年記念イベント「天功伝説」なんかにもちょっぴり心揺れる部分が。ハイレグ網タイツ姿でステージをかけ回ってくれる、かの国の偉大なる首領様が愛してやまないプリンセス・テンコーをナマで見ておける機会がこれから何度もあるとは限らないからね、歳も歳だし立場もアレだし。人民っぽい服装を調達して小太りになって頭は小池さんパーマにして眼鏡かけた10人くらいが連れ立って行ったら嫌がられるかなあ、お忍びで来ているホンモノに。

 ゼラズニィの「光の王」なんかとペラペラと。宗教のとりわけエイジアンな奴とハイテクなSFが絡んだ話って、読むと何故か牧歌的退廃的情熱的なさまざまな諸相が入り交じった不思議な光景が広がる。プリミティブなものへの憧憬って奴? なのかな。しかしこれをどうやって最近のヤングアダルトと結びつけたら良いのか思案中、締め切りに間に合うのか。本当だったら分かりやすさで画期的なルビ使いって面も含めてギブスンあたりと比べたって良いんだけど、月並みで面白くないんでパス、実はギブスン読んでない(挫折の嵐)ってことはお首にも出さない。「イカロスの誕生日」に「スラン」のカップリングが回って来る可能性もあるかなあ、と思って神田神保町の古本屋で「世界SF全集」の「スラン」「ビーグル号」がカップリングになったハードカバーを買っておいたんだけど、使わないんで部屋に沈めよう、ってゆーかすでに本の山に沈みかけているんだけど。古本屋には文庫版もあったけど、余所では全然見つからなかったみたいで、訃報に接したばかりの偉大な先人の代表的傑作が探さないと読めない事態ってのは、やっぱり何かが違うんじゃないのかなー。


【7月8日】 グランパスの「3馬鹿大将」とまで言われてしまっている大岩、望月、平野の日代表&元代表のどうしていきなりの解雇騒動になったのかは知らないし、チームを仕切る監督もフロントもいらないっていっている以上は多分どうしようもないくらいにマズいことをやっていたんだと理解するより他にないけれど、こういう場合にサポーターとかから上がる「だからスポーツを知らないサラリーマンのフロントは」という批判に答えるように記事化された、渦中にあるフロントを代表する小宮好雄副社長が実はバドミントンで日本チャンピオンだったという経歴を読んで吃驚する。

 いや別にグランパスの副社長がバドミントンをやっていたから驚いたって訳じゃなく、小宮さんがかつてトヨタ自動車の広報部にいた時に仕事で世話になった記憶があったからで、その時は普通の会社員っぽいイメージしか抱かなかったし、後に池袋にあるトヨタっぽくないって評判になった今のトヨタの軽くて明るいイメージの基礎にもなってる「アムラックス」を立ち上げて、東京モータショーを仕切る自動車工業振興会の専務理事もやったやり手の人ってイメージしかなくって、こうい場面で掘り起こされて来た経歴に、人間見た目じゃないってことを改めて痛感する。って訳でグランパスに行った当時のインタビュー記事がここ。ジュビロの中山選手を引き合いに「プロとしてのプライドが高いんだと思うんです。それがお客さんに映るんです」という言葉にあてはめて大岩はともかく平野、望月のグランパスでの活躍してない現実を見ると、なるほど気に入られなかった理由も浮かぶなあ。

 圧倒的な力を持った存在との平常心を持ったままでの共存って可能なんだろうかってな疑問を突きつけてくれている、中村恵里加さんのシリーズの最新刊「ダブルブリッド3」(電撃文庫530円)が登場して、いよいよもって謎めいた妖(あやかし)のボスでも出てくるのかと思ったら若干のインターミッションっぽいエピソードだったんで少し拍子抜け。とは言え中国で開発された人型戦闘兵器の見かけの可愛さとは正反対な恐ろしさが、その素材も含めて立ち会われるに従って、妖の置かれた立場の複雑さが浮かび上がって次回以降への興味を煽る。

 どういう訳か出ていったかつての片倉優樹の仲間たちが先生に虎ちゃんといった具合に戻って来ているのを見ると、最終戦争に向けての梁山泊への豪傑結集みたいなニュアンスがあって、初期の優樹から感じられた1人でも人間の中に入って頑張る様がストーリーに与えていたやりきれなさ、やるせなさが消えて来ていて、本当は妖(あやかし)良い奴じゃん、みたいな空気が出てきて印象が変わってしまっているのが気になるけれど、そういった変化を「あの人」も含めて起こしかねな いくらいに優樹が特殊な存在だってことを見せる意味で、こうなって当然の展開なのかもしれない。ほんとど野営の空木(うつろぎ)のちょっとイラスト美形すぎない?

 台風の接近で気圧が下がったせいなのか、それとも重大な疾患があるからなのかが分からないまま昨日の朝から続いている右下腹のチクチクした痛みが消えないんで、徒歩で10分くらいの所にある「ふなばし総合病院」へと台風の来ているのか通り過ぎたのか分からないけど雨風のそれなりにある中を向かう。クラブ詰めから本社詰めに移って会社の10階にある診療所を平日、タダで使えるようになったんでもっぱらそっちにばかり行っていたから民間の病院の利用はだいたい5年ぶり。日銀詰めのプレッシャーで毛髪と同様に胃袋も痛めていた時代はそれこそ月1のペースで行っていた病院だったけど、外観もシステムも変わらず割と若めの看護婦さんたちがいつも元気そうに仕事しているのも変わってないのは、このなかなかに厳しい病院経営の中でそれなりに教育とか理念とか客層とかがしっかりしているからなんだろうか。

 入り口のカルテ前にいる女性事務職の大量な投入とかを見ると大丈夫なんだろうかとも思ったけど、自動でカルテを探して先生の所へと搬送する機械を入れるよりは安上がりなのかも、どっちにしたって壮観です。さて病気の方はというと、痛みは盲腸を切った傷跡のちょっと下あたりで、癒着とも尿管結石とも想像できる微妙な位置だからちょっと心配、向こうもそう思ったのか尿検査とレントゲンで確認したけど糞便にガスはあっても結石や閉塞の類はなかったようで、つまりは風邪で胃腸の調子がダウンしているところに糞便が流れずたまって狭い盲腸付近で炎症でもおこしてキリキリしていただけみたい。流れれば多分とれるだろうからと整腸剤やら風邪薬やらを処方してもらい、出て会計をすませてさて5年前のようにとなりの薬局で薬をもらおうかと思ってみたら薬局が消えている。

 ああこれが「医薬分離」って奴かと認識して、慣れた人の後をついて外に出て曲がって歩くとあったあった、3件となりにいかにも「医薬分離」の下命を受けて病院の中にあった薬局を外に出したような感じのある薬局が。まあ内部での医者と製薬会社の癒着めいたことを防止する意味でもこーゆー施策が必要なのは分かるけど、使っている身には不便だし、やっている方だって表向きは経営は前々関係ありません的な顔をよそおっていても、実のところは近しい関係にあるパチンコ屋の景品交換所的な立場に、たぶん釈然としないものを感じているんじゃなかろうか。中で働く薬剤師の人も若い女性が多いってのがなかなか、また行こう。問題は案外と最近図太くなって昔みたいにしょっちょうは病気にならなくなったことくらいなんだけど。

 最終回だ「聖戦士ダンバイン」はキーンが死んでマーベルが爆散してミュージィを利用していたはずのショットが最期の瞬間にミュージィに手をさしのべる優しさを見せてドレイクははニーに撃たれてニーは袋叩きにあってと「皆殺しの富野」のまさに本領発揮な展開。とは言えすべてを浄化して魂が行く先であるところのバイストンウェルへと戻す意味合いがあるってことで、全てが死んでしまう展開も「イデオン」よりはまだ分かりやすい。しかし何回みてもバレバレなのに黒騎士と自分を言い続けているバーンの滑稽なまでの意地の通しようには嘲笑を通り越して賞賛を贈ろう。1週おいてい再放送枠は予定どおりに「重戦機エルガイム」がスタート、初期の軍服姿で長髪だったレッシィ萌えな人間にとって上半期は見逃せない。ギャブレット・ギャブレイのバーンから一転してのお笑いキャラぶりでも楽しみ大。土曜日夕方は家籠もりが続きそう、って今と変わらないや。


【7月7日】 先月号から話題続きな坪内祐三さんの「文學界」誌上での書評に関する文章が、8月号では匿名にはないっていたけど明らかに「ビーケーワン」と分かるオンライン書店からの仕事の依頼があって、その人間の見えなさ媒体のつかみ所の無さに違和感を抱いたってな話になっていて、原稿料はともかく1カ月で原稿用紙3枚の書評を5本出すことの「どれぐらいの労力と集中力が必要なのかオマエにはわかるのかと思った」話にプロとしての「書評」に対する姿勢の真面目さを見る、そこまで考えて書かないからなあ、印象エッセイな感想文の場合は。

 福田和也さんに対するヤスケンさんの文章から、書評をやる人が気分としてはなかなか捨てきれない「先物買い」のスタンスを否定しているところも興味深い。けど「先物買い」という行為を、後の大成なり大化けへと影響させられるだけの力のあるバイヤーなんてそんなにいる訳じゃなく、半ば自分の目配りの良かった部分を自己満足したいだけ、だったりするから目くじらをたてて「先物買い」を否定せんでもいいじゃんと思うけど、影響力を持ちうる中の1人だったりする坪内さんならではの、これは矜持なんだろう。ラストに引かれる「人は、書評という文学行為を、けっして甘く見てはいけない」に「書評って何?」とか考えつつ、今日も明日も明後日もポトラッチ的言説を積み重ねて行くのであった。

 すっかり忘れていた、訳ではないけれどどうせコンビニで145万本も売れちゃってるんだから秋葉原に並ぶ人もそれほどはいないだろうし、いてもそれは一種の「お祭り」「年中行事」でしかなくってゲームの人気ぶりを表す現象とはいささかの乖離があるものだろうから、朝の6時くらいに起き出して「ファイナルファンタジー9」の売り出し状況を秋葉原まで見に行くなんてことは止めにする。決して起きたのが朝の8時で今から行ったって間に合わないと2度寝を決め込んで次に目をさましたのが10時ちょっと前だったからじゃないぞ。

 しかし派手にやったもんだ「サンケイスポーツ」。角川書店といっしょになって新しいスポーツ雑誌を立ち上げるってな記事なのか広告なのか分からない文章が、1面をまるまる使って掲載されて、社内的にはサンスポの人間が角川に行って「ゼッケン」の復刊を目論んでるってな話は伝わってはいたけれど、こうも派手にやってくるとはちょっとは思わなかった、まあその辺が賑やかしこそが生命線なスポーツ新聞の宿命だし、内輪のことを大々的に自分のメディアで盛り上げるのは「夢工場」時代からのメディアミックス体質の現れでもあるから当然っちゃー当然か。自社のイベントのパーティー会場で社長が入っている写真を撮って必ず掲載するってな感じの盛り上げは、さすがに矜持があってかやらなかったみたいだけど。

 その発表会ホテルニューオータニで開かれたんでのぞく。正面に角川歴彦・角川書店社長が座る位置に陣取って様子を観察、やっぱり来て居やがるなってな顔をされる、帽子を被ってチノパンにシャンブレーのシャツってな格好の、岡田斗司夫さん曰く「都市迷彩」な服装ばかりで人に存在を覚えられることは滅多にない人間だけど、帽子をとればその輝く額と垂れ下がった尻尾と胡乱な髭は、マジメな背広の人が多い新聞社の人とか代理店の人の中にあってやっぱり目立つんだろーなー。いっそアロハにサングラスで胡乱さを増すか、ウクレレ持って歩けばもう誰にだって覚えてもらえることは必至だろうから。

 しかし会見では角川社長はもちろん産経新聞の清原社長も、去年だかに産経が気合いを入れて創刊したものの金も人材も足りず3カ月くらいの期間で散った「ゼッケン」の失敗についてはお首にも出さないところが大人というか。「ゼッケン」が創刊されてしばらく様子を見て思ったのは、雑誌自体のコンセプトは決して悪くはなかったし、タイミングもズレてはなかったということ。けれども自社のカメラマンが写す写真には限界があるんで綺麗な写真をガンガンと載せて来る「ナンバー」に見た目でちょっとかなわなかったし、海外のスポーツイベントの写真を乗せようと思っても自社からカメラマンは出せないから通信社とか競技団体から買わなきゃならず、それには莫大な金が必要になる。

 かくして費用ばかりかさむ割には悲しいかな駅売りでは目立たぬ場所へと追いやられ、専売店の販売網は新聞業界でも弱者に入るサンケイグループでは販売力がちょっと足りず、貯まる赤字に会えなく討ち死にとなった時、その責任は問わないとゆーコメントが出ていてどういうことなんだろうと思った記憶がある。トップの肝いりで作られたんで失敗と認めれば責任が回って来るくるのを嫌ったのか、それとも信賞必罰では新しい発想が生まれてはこない、向こう傷は問わないとゆー殊勝な体制に変わったのか。あれやこれや考えたけれど、とりあえず角川書店が「スポーツ」というコンテンツに目を付けて、「ゼッケン」の経験があるサンスポとの連携を求めて来たことで、先見の明があったことが証明されて失点があったとしたら帳消しになったどころか、新聞社と出版社の画期的なコラボレーションという出来事をフレームアップさせることで、プラスポイントすら稼げてしまったかもしれない。禍転じて福となすとは、こんなことを言うのかも。

 そんれしても印刷では読売新聞と組み、出版では角川書店と組んで産経新聞のよく言えば革命的だけど悪く言えば自主性独立性の低減ともとられかねない活動の数々が、果たして将来においてどんな意味を持ってくるのかは、メディア研究的に見ても面白いところ。いわゆるメディア産業、情報産業として見た場合、適材適所な考え方だと行って別に悪くはないけど、言論機関として見た場合、いろいろなところとコラボレーションすることは逆にそういったところへの言及といった行為を縛る可能性すらある。それとて矜持の持ち方ひとつと言えば言えるんだけど、親会社が出版社と組んで作った映画作品の宣伝を頼まれてもないのにやってやった挙げ句に組んだ相手を取り上げた記事にミスがあったからと言ってクレームも来てないのに慌てて謝りの電話を入れるという、良く言えば腰が低いんだけど穿った見方をすれば卑屈な態度を獲る子会社、ってなケースがないとも限らないんで困ったもの。今回の一件、サンケイいとって吉と出るか凶と出るか。それんしても念願のスポーツ雑誌をノウハウ人脈込みで手に入れられて、角川書店はやっぱり旨いなあ。

 神保町へと回ってゼラズニイとかプリーストとか古橋とかベアとかを購入。某誌の某な原稿の参考にする本だけど、ゼラズニイはのぞいてほかはちゃんと新刊で買って家にあるはずなのに、山の上なのか下なのかに行ってしまって出て来ない。整理の大切さをしみじみと感じる、やっぱ引っ越すか、本のために。さらりと秋葉原へと回って様子見、なぜか「プレイステーション2」があちらこちらの店に大量入荷になっていて、「PSOne」も売り出されていてやっぱりソニー・コンピュータエンタテインメント「FF9」との合わせ買いを目論んでいやがったなと感じる。

 とは言え店頭には「FF9」が品切れどころかズラリと並んで簡単に買える状況、の割には見ていてどんどんと売れていってる様子もなく、コンビニで予約された145万本のうちのどれくらいが、仕入れられなかったゲームショップの注文だったかは分からないけれど、予約して取りに行かない客の歩留まりとかも含めてあれやこれやと想像を巡らすと、もしかして「FF9」ってとてもじゃないけれど300万本も売れないんじゃないかってな可能性が頭に浮かび上がって来る。それとも「ドラゴンクエスト7」が出るまでの50日をかけてジックリと売る作戦か。1週間で消えるゲームの多い中で、そーゆー売り方が出来ればそれで面白いんだけど。それより「FF9」のリアルに近い顔の作りにナイスバディな女の子の等身の小ささに、安達祐実の水着グラビアに漂う違和感が浮かんだけど、あれって平気に受け入れられてるのかなあ、いやあたしゃ好きなんですが。


【7月6日】 久々に三田のNECへ。途中にあった「バーガーキング」に実は初めて入って評判の「ワッパー」とやらを頼んだらホントに大きくておまけに175円だかに割り引きになっていたのにも関わらず、店内は広い割に閑散として朝の大学側の店っぽい雰囲気があんまりない。まあ田町から慶応大学へと抜ける路地をちょっと外れた場所にあるみたいなんで、通いの途中に寄る人がいないだけなのかもしれないし、お金持ちな人の多そうなガッコなんでハンバーガーも挟むパテはオール神戸or松坂じゃないとダメってことなのかもしれないけれど、ボリュームありそうで実はそんなに満足できなかった「ビッグマック」よりも食べ応えがあったんで、これからは並んでいたら「マクドナルド」じゃなくって「ドトール」でもなくって「バーガーキング」を狙うことにしよー、問題は数がないってことだな、あと体力の問題で割引がいつまで続くかって言う。その点マックは偉大だわ。

 「ファストフード」の範疇に入れたら当人、ってゆーか当店は怒るだろうけれど、濃い珈琲の店なのにどーして牛乳入りラテのそれも冷たいのを飲むのか不思議でしょうがない人の結構見られてストレート珈琲好きとしては内心忸怩たる思いがある「スターバックス・コーヒー」も、最近のあまりの蔓延りぶりの影響なのか「思想」が行き渡ってない店もあるよーで、飲んだら「ドトール」よりも口にザラつくよーな珈琲が出てきたり、内装が急こしらえなのか合板が浮かんでたり薄っぺらい雰囲気があったりする店も結構出てきて、ブランディングにしてもオペレーティングにしても、どこかに無理が出てきているよーな気がしてるんだけどどーだろう、現実にまだまだあの緑の看板の神通力ってあるんだろーか。自分的には余所にはない気分を味わいたいんだよ、って気持ちはもはや絶対に浮かばないんだよね。

 日本の「スターバックス」って確か経営しているのが「サザビー」って外国のトレンディなインテリアとかファッション雑貨が持つ、それっぽさを活かした商品をリーズナブルに提供している店って印象があるから、アメリカではそれなりな店でも日本だとまず「形」から入ってしまっているんだろーか、あるいはアメリカでもその程度の店なんだろーか。オフィスビルのショールームとか街角の金融機関が入っていたビルの1階に無理矢理に買い取って珈琲店に仕立て上げたっぽいロケーションの店の多いのもちょっと興醒めするところ、日本橋の店なんて出来た時にちょっと笑ったもん、淡路町は見かけはなかなかでももともとは証券会社だったはずだよね。どっちにしたって多すぎるのはあんまり気分じゃないんで、ここら辺でもう1押しなり引きなりのアクションが欲しいところではあります、余計なお節介だけど、でも「ドトール」「プロント」の気抜けぶりは疲れた大人はやっぱくつろげるんっす。

 話が回った、えっとNECでは何かと話題の「BIGLOBE」が映画「デジモンアドベンチャー02」のプロモーションサイトを今回も立ち上げるってな話を紹介してやってくれってな他愛のないものだったけど、ついでだったんで「どーしてPC−VANやめちゃうんすかー」と聞いて担当者の顔を曇らせて楽しむ。もちろんやめるとは言わなくってウェブベースへの移行であって資源も如何するから別に大きくは変わりませんよ、ってな言葉しか出ないんだけど、かたや「ニフティ」が未だにパソコン通信ベースの「ニフティ」を維持してることと比べられると、同じように「SIG」を形成してコミュニティによってお客さんを集めていた時代の名残を知る人にとっては、パソコン通信ベースが消えてしまうのにはやっぱり抵抗感があるんだろー。全てが継承されるかってのも知らないけれどネックになっているのかな、「時代の流れっすからねー、経営やってんだから仕方ないってのもありますし」とフォロー入れながらも、「一悶着は避けられないですけどねー」と言って相手の顔色を見て楽しんでしまう、やっぱりあたしゃ底意地が悪い。

 つらつらと「週刊文春」、をを書いているぞナンシー関さんが松野明美のことを。松野ってあのマラソンの? バルセロナの代表だかになれるかどーかの瀬戸際で記者会見なんか開いちゃったニコニコドーの? と聞かれればとりあえずは「ピンポン」と正解の札は上げるけれど、しかしここで言う松野をスポーツ選手の松野と並べてしまうことには若干の、いやいやとてつもない抵抗感がある、だって「大変なことになっている」んだもん、ナンシー関さんの言葉をそのまま借りると。日本テレビのものまね番組に出た松野さんがやったこと、それはキョンキョンの「なんてったってアイドル」をフリフリヒラヒラの衣装で唄うってことなんだけど、適当に上手な歌はともかくもチュチュを思わせるようなフリヒラのスカートから足がニョキっとのぞき、顔には満面の笑顔を浮かべて激しいアクションで「アイドルはやめられなーい」と唄うその姿を、悪口雑言の魔術師とも言えるナンシー関さんが「大変」と表現したのも良く分かる。

 ほかに言葉がないんじゃない、そのものズバリ「大変」なんだよ、ホントにもう。お約束に歌のラストはかけっこポーズで前に張られたマラソンのゴールにあるテープをグリコなポーズで切るってもんで、その演出はスポーツ選手イジリと理解の範疇にあったけれど(みっともないことはみっともないけど)、しかしやっぱり笑みとアクションと歌と衣装は「大変」としか言いようがなかった。バレーボールの川合がとんねるずにイジられようとも定岡がナブられようとも池谷がワイドショーのイビられようともガッツ石松が選挙に出ようと感じられない「大変」さを、さてはて次はどこで見せてくれるのか。またものまねか、それともワイドショーかドラマか、躁状態が高じた挙げ句にやっちゃったことによる社会面か。とにかくあの瞬間から、そしてナンシーさんのコラムを読んだ今はなお、松野明美からは目が離せない。ああ大変だ大変だ。

 しつこく「ロフトプラスワン」。岡田斗司夫さんのセバスチャン・ナイトは6時過ぎに到着すると階段に座っている人がいて「詰めないの」と聞いたら整理券を配ったとの答え。聞いてないぞそんなのと思いつつも、整理券はきっと配り終わってしまったんだろー、だったら見ていても立ち見だから辛いから帰ろーと上に上がった所で岡田さんとエレベーター前でバッタリ、これは僥倖とお願いして一緒に中に入って店員さんに聞いたら「整理券は30枚くらいですね」との答えにちょっとズルり、だって前の「おたアミ」じゃあ大変な混雑だったじゃない、整理券出すほどだからお客さんも凄いと思って当然。なのにこの程度の入りで済んだのは、実験なのか告知を「噂の眞相」と「創」に常打ちの広告以外は岡田さんが連載している「TVブロス」でちょろりと告知しただけだったから、らしい。とは言えそこは知名度抜群でテーマも面白そうだったためか匂いをかぎつけて来たその筋の人が三々五々と集まって、会場からしばらく経つと入り口付近にまで椅子がならぶなかなかの混雑具合を見せていた。

 いつもだと3人が並んだりゲストが来たりで1人でやることがあまりなく、ちょっと緊張していたらしい岡田さんも、入りの良さと進行役に呼んだ堤さんって「マンガ夜話」に出ているらしー女性との掛け合いの間の良さもあって始まったら一気呵成に濃いネタづくしのじゅうたん爆撃。セバスチャンが着ている「綾波」Tシャツの真相とか、「ブロス」でもネタになったライオンの頭をした男が出てくる時代劇の存在証明(「怪傑ライオン丸」「風雲ライオン丸」の紹介)とか、ついでに「ライオン丸」を作ったピープロのライオンに続く「タイガーセブン」に「豹マン」に「電人ザボーガー」の紹介とかをやりつつ場を持たる。かつて見ていた人間にとってはバカバカしくも懐かしい思い出の甘酸っぱさが胸をよぎるんだけど、集まっている人の中にもそれなりにいる若い人には果たしてどう写ったのかがちょっと知りたいところ。僕らが「ゲラゲラ」笑うのと、若い人が「ゲラゲラ」笑うのってやっぱりちょっと、匂いが違ってときどき「そんなに笑うんじゃなーいっ」って言いたくなってしまうんだよなー、おじさんになっちまったなあ。

 皆が期待の「神無月マキナ」問題については割と最初の方に話したんで聞けなかった人もいるかもしれないけれど、当の神無月マキナさんに対する明確な否定なり言及ってのはあんまりなくって、経過報告を主にして新しい号で突っ込みかえされている話をしつつ、森総理による「神の国」発言の否定コメントとの共通性を指摘した程度に止める。問題はどやら神無月さんの担当編集の人にもあったらしく、聞くと「ブロス」で最初に岡田さんを担当した人と同じらしく、当時から対人恐怖症気味なところがあって岡田さんに電話をして岡田さんがそれを取ると狼狽えて「留守電に入れます」と言って切り、柳瀬さんが出ると「ファックスを入れます」と言って切る、不思議なところがあったとか。で、神無月さんの原稿に対して「どーして編集はチェックしないんだ」的ツッコミもあったけど、その編集の人は「ちゃんとチェックした」そーで、にも関わらずのツッコミに「編集部として反論させて下さい」と言ったら他の編集部員から「それはあなたの問題」とか言われたらしい。結局のところその編集の人の反論が載ったかは知らないけれど、これで手打ちかと思ったら岡田さん案外と次の矢を放つみたいなんで、その後の展開がちょっと楽しみ。爪噛んでんじゃないぞ。

 黎明期からいきなり苦境だったガイナックスが稼ぐために乗った「魔法のバス」の話とか、「サーキットの狼」の続きに当たる「モデナの剣」をアニメ化した挙げ句に池沢さとし先生からクレームがついて、バンダイのちょっと前までは「ピピン」の事業部で大変な事態になっていて、今は家庭用ゲームソフトの部門で偉い人になってしまった鵜之沢さんと一緒に謝りに行こうと誘ったら鵜之沢さんには逃げられてしまって、1人で行って「いやあ池沢先生の絵は毛ほどんの違いがあっても似ません、アニメーターの誰も描けません」と言い抜けたら「そうだろう」と言われた話とか、聞いてためになる話が立て板に水と出てくる状況に1人だって全然心配ないし、ちょっぴりダウナーだったって言うけどこれがダウナーならハイん時ってどーなんだろーとか思ったりしながら、途切れなく続く話に聞き入る。そんな人が多かったのか途中からほとんど店への注文が入らなくなってしまったのはちょっと痛かったかも。宮台真治さんの時といいトークライブで話がうますぎる人ってのは客は嬉しいけど店は嬉しくないのかも、ゲストもサービスし過ぎればし過ぎるほどギャラが減ってしまうことになるし。

 最期付近はマイ・フェイバリットなアニメ監督の話。とりあえず取り出した写真の最初が富野監督で、その身ぶり手振り話ぶりの艶っぽさにあらぬ疑惑が浮上する、平手打ちした話とか体のあちらこちらを触る話とか。とすればつまりはアレってことになるのかもしれないけれど、去年だかに「ファミ通」の部隊が開いた「ファミ通エンタメ大賞」の授賞式に審査員で着た富野さんは立派に女性連れだったから、奥さんとすればつまりはノンケってことになるけどどーなんだろー。監督紹介ではほかに押井監督さんにイコちゃんの川崎監督に庵野監督なんかを言動も含めて紹介、「エヴァ」のATフィールドを説明する時に「ウルトラマンのバリアBだっ」と言うと多分赤井孝美さんが出てきて説明してから振って庵野さんが実際にアクションして見せる話は、アニメの人より3倍濃いらしー特撮の根は人っぽいエピソードでした。

 特撮3倍のさらに3倍、つまりは9倍な玩具の人に関するエピソードが始まった所で退散、玩具と言えばダンディで優しげな北原照久さんに関するコレクター魂の凄みを現すエピソードもたっぷりと説明があったけど怖くてちょっと書けません。前に本人とすれ違った時に会話した時もダンディで優しげだったけど、その裏にあんな手段を選ばない「情熱」が潜んでいたとは、コレクターの道よ恐るべし。「合コン」話は当方に一切の「合コン」の経験がなく行ったら「さわやか合コンクラブ」の面々と同じ事態に陥りそうだたんで、どうこなすかってなエピソードは確かに勉強にはなったけど、自分を思うとあんまり笑ってられなかった。けど流石に「トランスフォーマー」の星5つとかを持っていって「作れ」と女性に差し出して20分かかったら「僕は1分半」と自慢はしないと思うぞ、「Jバスター」を取り出して自慢はしても(したのか?)


【7月5日】 七転八倒っぽかった組閣も落ちついて建設大臣では貧乏籤だと言ってのけた扇千景さんの勇ましいんだけどだったらどーして辞退しないんだ的ツッコミから日本の大臣ってポストのまるで名誉職化した実状が浮かび上がったして、それに対していささかの自問もせず、ってゆーかハナっから「大臣とはそーゆーもんだ」と決めてかかってるっぽい傾向があるのか新聞各紙は上っ面だけ並んだ大臣の顔ぶれだけを指して軽量だとか短期だとかホザく。大臣がそーゆーものだったら別に大々的に取りあげる必要なんかないものを、そこはやっぱり事大主義ってゆーか前例主義ってゆーかトップから流して益体もない「頑張ります」的豊富を並べてチョン。単なるお祭り騒ぎの年中行事をこなした程度の認識なんだから、これで世の中動いたらそれっちの方が不思議だね。

 サントリーの常務って人が登用されたからって「民間人を起用」とことさらに取りあげるのも不思議。だって元々は通産省の役人じゃん、「元官僚を起用」って言った方がよほど当たってるよーな気がするけれど、そう書くと何やら非難がましいニュアンスが出てしまうのが「官僚天下りは許すまじ」的スタンスで社論が統一されているのか空気がそーなっているのか、知らないけれどもとにかく出てくる記事はおおむねそうなっている新聞業界の不思議さで、とにかく話題を見つけてそこに群がろうってな意図が透けてみえる。

 もちろんサントリー常務としてリサイクル問題にあたり、別には中央教育審議会の委員として活躍している人を相応しくないと言う気は毛頭ないんだけど、仮に同じくらい民間へと転じて頑張っている人がいても、例えば警察庁OBだったら「民間から起用」と書くかどうかとゆー問題で、恐らくは「警察OB」とかって叩いて埃を出そうと躍起になるに違いない。そーゆー立ち居振る舞いが予想できてしまうところに、メディアの抱える問題の根深さもあるんだけど、自覚してるかどうかは疑問、やっぱり空気に流されやすいからね、メディアも議員も市民も何もかも、日本ってで国は。

 メディアのこうと決めたら意地でもってな「空調」は最近だとゲームとかインターネットの害悪をことさらにフレームアップする傾向でも明かだったりするけれど、今日の朝日新聞夕刊の社会面にあった、子供に絵を描かせてその内容から傾向を分析しているグループがまとめた調査を元にした記事なんか、明らかに「ゲームは人間を虚構の世界へと陥れる」的な批判めいたニュアンスが感じられて幻滅する。個人的には人間の思考精神行動にゲームがまったく影響を与えていないとは思っていないし、影響を与えられないようなゲームって面白いのってな考え方もあって悪い所もあるけれど良い影響も与えるのが「作品」なんだとゆー認識でいるから、罪は罪として受け入れるだけの気持ちはある。けど子供が書いた絵にゲームのキャラクターとかが出ているからって、それがどーして現実と非現実を分けて考えられない子供が増えているってなニュアンスになるのかが分からない。

 例えば絵の中にテレビのタレントを描いた場合、それは現実と非現実を混同していることにはならないのか。逆にゲームのキャラターを描いたからといってゲームという「現実」を自分の社会という「現実」を構成する要素として認識しているとは言えないのか。何も妄想の果てに頭に浮かんだキャラクターを描いている訳じゃない、ボタンを押してテレビの中に登場する、そこに実在しているキャラクターを描いているんじゃないのか。子供がテレビの中は中であってテレビの外は外であると、明確に分けて認識しているとは言えないのか。「小説」の世界を本当と信じている子供は間違っているのか。「サンタクロース」を描いてもそれは現実と非現実をごっちゃにしているとは言えないのか。「赤ちゃんはコウノトリが運んでくるんだとテレビアニメで言ってたよ」と言われて「違うよ赤ちゃんは……」と正せる親なんていないだろ?

 もちろん児童心理学の専門家でも児童教育のエキスパートでもない身では、向こうの言い分が間違っているとは判断できないけれど、そいった問いかけもなしに「混同」の度合いが増えていてこれはヤバいとゆー結論を導いた後にデータを付属させているよーな気がして仕方がない。これもまあ、メディアのいつもの手なんで受け止める側で取捨選択すれば良いだけのことなんだけど、未だにメディアを正しさの権化と信じている人の案外と多い状況に、ちょっとばかりヤバさを感じて愚痴ってみた次第。専門家の反論なんかが出てくるのかを注目したい。

 東野圭吾さんの「予知夢」(文藝春秋)が課題図書、大学で物理学を教える先生が探偵っぽい役回りで「この世には不思議なことなどなにもないのです」とばかりに予知夢やらポルターガイストやらが絡んでいそーな不思議な事件を解決していくストーリー。16歳の娘を襲ったストーカー男の言い分が「17年前から結婚するんだってことが決まっていた」とかで、いったいどーしてそんなことが起こったのかを現実に即して理詰めで探って解き明かす。理にかないすぎている嫌いはあるけど、そーゆー設定なんだから仕方がないってゆーか、落ちてなんぼのカタルシスなんで良しとしよー。ともあれ理詰めで語っても割り切れないのが男女の仲で、こればっかりは理にかなってはいてもやっぱり複雑な後味が残る。ラストの余韻はあって正解なのかそれとも蛇足か。男女の仲も含めてやっぱり「世の中には不思議なことばかりあるのです」ってことなのかも。


【7月4日】 そもそもが池内紀さんや柴田元幸さんや高山宏さんや中条省平さんや山口昌男さんといったアカデミックな面々の名前がズラリと並ぶ「ビーケーワン」の「ブックナビゲーター」リストにいっしょに名前が載る、なんて大それたことを考えるのがそもそもなボタンの掛け違えであって、出版社のパーティーに堂々と正体されて会場の一角に陣取り昨今のブンガク的な状況について談論風発の様を見せる「書評マフィア」でもない人間が、リストに名前の載る可能性をそもそも口にすること事態が国体への大いなる挑戦であるのだと、散々な思考の果てにそんな結論へと至ってなるほど安心と、決して被虐ではなく心底思ったのも束の間、実はリスト作りをした人のミスだったということが伝わり、今度は逆にこれほどまでの歌舞伎で言ったら大名跡と、地回りの旅芸人のその他大勢の斬られ役にすら届かない人間を、「ブックナビゲーション」という同じ機能の上で使ってしまおうとする「bk1」の乱暴と言えば乱暴、英断と言えば英断に強く思う。「何考えてんだぁ」。

 おお安達祐実。「週刊プレイボーイ」の水着グラビアではきっと榎本加奈子と並んで読者に緊張を強いる安達祐実の登場に早速買って中身を観賞。表紙のアオリの「すっかりオンナ!」ってもともとが女性なんだからすっかりもちゃっきりもないし、「ふくらむ肢体」ってどちらかと言えば安達祐実の場合、子役時代から抜けきらない膨らみ気味な体型が問題な訳でわざわざ書かくことでもない。どちらも嘘は言っていないという点で、想像を惹起させて反論を受け付けない名コピーではある。写真は表紙を入れて9点で、椅子に座った1点が写す角度もあってそれっぽいお年頃に見えないこともないけれど、その横の窓縁に足を乗せたポーズのくびれとは無縁な胴回りとか、股の付け根とパンツの縁との間に見える肉の余裕とかが、去年の写真集からあんまりそれほど全体に変化の乏しいことを証明していて、それはそれでなかなかに興味深い。

 もらったグラフィク加工ソフトでネット上にある安達祐実の画像の股から下を縦に伸ばして再び張り付けてみたりとか、首から上を同様に縦方向に伸ばして細面にすると、なるほどそれなりにそれなりなお年頃に見えないこともないことを発見したけれど、豊満な榎本加奈子が想像できないのと同様に、スリムビューティーなモデル体型の安達祐実もまた、想像と理解の範囲を超えてしまうものだから、「週刊プレボーイ」は例えばかれーなるせーちょーを安達祐実がもくろむことがあったなら、それを阻止することが、売れ筋なグラビアガールの確保・維持につながるのだとゆーことを自覚した方が良い。にしてもなあ、どーしてここまで使うかなあ。

 タカラが春の「東京おもちゃショー」に展示して、他の「AIBO」もどきなほ乳類ロボットのオン・パレードの中にあって「歩く」「撃つ」とゆー単純明快なコンセプトが大うけしたバンダイの「歩くザク」と並んでマニアな人の話題をさらった水中ロボットが9月にいよいよ発売になるとかで、インターネットでの予約がスタートしたらしい。聞くとこのロボット、機械なんで熱帯魚のよーな藻類を除去したり水草を生やしたり水温を調節したりポンプで空気を送ったりなんて面倒くさいメンテナンスは不必要だと思われているらしけど、それは大間違い。ポンプで水中の酸素の濃度を調節し、ヒーターで水温を一定に保っておかないと浮くものも浮かず、藻類が移動の邪魔をするからそれを除去しなくてはならず、ハロゲンライトをちゃんと上から浴びせて太陽電池を動かしておかないと沈んだまんま浮かび上がってこないとゆー、場合によっては熱帯魚よりも面倒な手間を必要としているらしー。

 唯一死なないとゆー特徴はあるけれど、逆に子供が増えないとゆー悩みもあってその点は一長一短。熱帯魚を飼いたい世話してあげたいと思いつつも生の魚は苦手とかゆー人が、擬似的ながらも密度の濃い「魚飼育シミュレーション」を楽しめる玩具とゆーことで売れていくことになるのかな、単純に完全防護な魚ロボットが出来なかったんで、そーゆー「世話の楽しさ」を前面に打ち立ててごまかすことにしたのかな。ともあれクラゲと魚の2体に水槽キャビネットライトポンプヒーターに藻類発生抑制剤なんかがセットで10万円、クラゲか魚が1体に飼育セットがついて5万円とか。手軽で簡単世話入らずでもしょせんは映像な「魚八景」に飽きた人なんか、ちょっと手間かけてみるのも楽しいかも。海老ロボットか平目ロボットだったら世話が楽になるのかなー、沈んでるか張り付いているだけだし。

 ええええっ「ブラックロッド」をサイバーパンクで解釈する? うーん記憶の衰えで「ブラックロッド」シリーズすら記憶から薄れつつある昨今に、結局読み通せなかったギブスンの「ニューロマンサー」に始まるサイバーパンクが果たして理解できるかどーかが疑問だけど、「ガンボウズ」なんて奇天烈なネーミングのセンスはなるほどサイバーパンク的、かもしれないから良いのかな。あるいは「女王天使」のベアと並べてみる方がいいのかもしれない。ブギーのスタージョンにイカロスのスランに猫地のアフサンってな分かりやすいところは取られてしまったけど、難題を押しつけられて悩むのも修行のうちなんで週末にちょっと考えてみよう。ああその前に「電撃」だ、いやその前にやっぱり続いているらしい「TINAMIX」だ。本業は? 知ったことかい。


【7月3日】 母体が日本経済新聞とか日経BPだから富士山渓なメディアは相手にしないってことではなくって、単純にマイナーで世間的な認知度がゼロに等しいってことで記者会見の案内状は送ってもらえなかっただけなのかもしれないけれど、近所で開催されているってんで11日にオープンするオンライン書店「ビーケーワン」の発表会をのぞく。と言っても長居は出来ずに会見場を見てリリースをかっぱらうのが木亭の1つでそれは達成、もう1つは編集長の保森さんの顔を見ることで、折良く歩いていた編集長に景気なんかを伺ってから1カ月遅れとなった初台にある某ECサイトの二の舞にならないことをお祈りしつつ、お呼びでないとばかりに会場を後にする。

 しかし大盤振る舞いな「bk1」、何と向こう3カ月については代引きの手数料130円と7000円未満の購入にかかる250円の配送料を無料にするんだとか。大手の書店からデジタル系ベンチャーから取次から外資から、わんさと企業が参入しているオンライン書店の世界だけに、これだけのことをしなくちゃやっぱ目立たないってことだろー。バナー広告をあちらこちらに巻くのも大切だけど、「配送料無料」ってゆーニュースがあちらこちらのオンラインニュースなり掲示板なりWebサイトに掲載されてそこからリンクを貼ってもらった方が、口コミュニケーションとしての効果はバナーに勝るくらいに絶大なものだろーから。とは言え便利さなり中身なりを集まったお客さんに提示できないと、無料期間が終わったとたんに特売後のスーパーよろしくお客さんも寄りつかなくなるから注意が肝要、さてはてどこまで掴んでいられるか。

 って意味ではズラリと並んだ「ブックナビゲーター」って人たちの存在がそれなりに重要になるのかも。書評を書く人たちってことで、その舌先三寸がお客を集めて話さずにおくカギになる。しかし集めたもんだねーパパッと見ただけでも井家上隆行さん池上冬樹さん石堂藍さん石堂淑郎さん池内紀さん稲葉真由美さん上野昴志さん大森望さん……とア行だけ見ても見知った名前がズラリと並んで壮観。有名人でも「日曜研究家」の串間努さんやビル・Gことコモエスタ坂本さん「戦闘美少女の精神分析」の斎藤環さんネットのカリスマ田口ランディさん元マイクロソフトの成毛真さんアニメの氷川竜介さんetc、ああ書ききれない。ヤスケンさん山口昌夫さんもいるぞ。総勢209人のリストはそれだけで1つの文化人地図になってるなあ。

 SF関係では風野春樹さん海法紀光さん「月下工房#書評系」のサイトウマサトクさん「S−Fマガジン」編集長の塩澤快浩さん冬樹蛉さんに巽孝之さんの名前も見える。他の有名人の人たちも含めて出てくるレビューが「批評」なのか単なる店頭POPなのかは、書く人の気の持ちようによって様々だろうけれど、オンラインではあっても「本屋」に飾る文章である以上、それが実際にどれくらい本の売上につながる「言葉」なのかってことに興味がわく。

 新聞や雑誌の「書評」やネットの感想文が本の売上にどれだけ貢献しているのか、ってのは常々話題に上ることだけど、今までは想像でしか推し量れなかったものが、書評とオンライン書店がダイレクトに結びついた「bk1」の場合だと、割と分析しやすいよーな気がする。あなたの言葉は読者にちゃんと届いているか。なに他人事じゃない? おまえさんも書いてるんだろうって? さてはて添えられていた「bk1ブックナビゲーターリスト」(7月現在)に掲載された209人のリストに名前が入ってなかったところを見ると、書き送ったのは「bk1」のもう1つの特徴である「読者書評」だったのかも、1本につきポイントがもらえるって奴。まあ富士山渓なんで親日経ではマズかろうってな判断でも働いたのかも、の割には「アサヒグラフ」編集部員なんて人もいるからなー、朝日ならブランドになるってことなのかなあ(ちょっとしつこい)。

 夜は「ロフトプラスワン」で宮台真司ナイト、の割には45分の遅刻でホストの藤井誠二さんが文部官僚なのにこーゆー場所に出ていいのってな寺脇健さんと喋りながら場つなぎ、主に少年法の改正に絡んだ問題で、昔も今も凶悪犯罪を犯す子供はいたのにどーして今になって話題になり過ぎるんだろーってな当たりから改正するにしても事実関係だけはちゃんとつかんでおきたいねってな話をズラズラ。そうこうしているうちに茶髪の宮台さん登場で、満員になった会場はその言葉を聞き漏らすまいと水を打ったよーに静まり返っていつもの「ロフトプラスワン」の喧噪さはなく、注文する声すら上がらずに(ギャラが……)、淡々と喋る宮台さんの「言葉」に聞き入る。皆さん真面目だなあ。

 昔も今も犯罪を犯す子供はいる、という点での認識は同じでも、宮台さんの場合はもう少し社会環境の変遷なんかを考慮しての、自分と他人との関係を育めないまま来てしまった人間の増加への指摘があって、よく知らないけれどラカンが言う人間は本来は底抜けな存在なんだけど、他人を意識したり社会でのポジションを意識するようになってどうにか社会に踏みとどまっておられりるようになるもので、それが成り立たない人間が増えているからこそ、社会的な通念でかつては理解できた少年犯罪が理解できないものになってしまって、大人もマスコミも恐慌にかられて取りあげるんだってなことになるらしい。だからどうすれば、といった辺りへの突っ込みは途中で帰ったんで分からないけど、だから厳罰化するなり「脱社会」的な人間を隔離するなり、あるいは自分も半分は底抜けなんだからリスクを承知で受け入れるなり、単に理解不能と切断してしまう状況からとにかく抜け出して、共感でも反感でもない認識そして理解の段階へと進まなくっちゃいけないんだろう。でもなあ、やっぱり既成概念が邪魔をするからなあ。

 しきりに宮台さんが強調していたのは、「脱社会」的な人間は人格障害ではあっても「病気」ではないってことで、医者が病理的に判断して処方箋を渡して直る類のものではないってことで、それなのに「病気」の枠組みに押し込めて考えざるを得ない、医者の問題というよりは制度なり通念なりをどう変えていくのかってな当たりにも話が及ぶ。そんな話に出てきた町沢静夫さんんて精神科医の話から、同じ脈に入っているらしい「戦闘美少女の精神分析」の斎藤環さんの話になって、本来はラカン派の人なのにどうも最近は脱社会的な人を「病理」の枠組みに入れてないかってな方向へとテーマが横滑り。そう言えば日曜日付の読売新聞で東浩紀さんが「戦闘美少女の精神分析」を取りあげて、オタク的なものを「病理」と見るのに異論があるってなことを書いていて、斎藤さんに対するあちらこちらでの意見表明に共時性を見る。打ち合わせでもしてたのかなあ。

 その東さんの文章に唐沢俊一さんが裏モノ日記で激しいツッコミを入れていたのはまた別のフェイズの話。東さんの読みようによっては丁寧過ぎる流れの組み立てぶり言葉の使い方は、1000万部を発行して老若男女のあらゆる層が読む新聞とゆー場を選んでの戦略なのかは本人じゃないから知らないけれど、端くれとはいえライター稼業な人間として唐沢さんの言葉にも感じるところあり。勉強して精進して209人のリストに早く入れて貰えるよーになろー(かなりしつこい)。


【7月2日】 やっぱりエエわー。バックダンサーの「HYPER GO号」を従えた郷ひろみの「なかったことにして」を「ミュージックフェア」で生鑑賞して録画で3度見返して、激しいダンスに揺れる姉ちゃんのバストが服からポロリとこぼれ落ちないのは残念だけどそんな下心は「なかったことにして」、テンポが良くメロディアスな曲と簡単そうで難しそうなダンスのコラボレーションに、去年の「モーニング娘。」の「ラブ・マシーン」に感じた目眩にも似た感慨を覚える。

 残り半年をこれ1曲で持たせるのはきついかもしれないけれど、次にも同じメンバーの似た曲をぶつけてヒットさせればメドレーでの出場も決して不可能ではない、ってゆーか確実であるとと断言したい。NHKは今すぐにでも出演交渉に入りなさい、あれだけのダンサーを年末に揃えるのが必要にして絶対条件だから。無理な場合のダンスが「パパイヤ鈴木&おやじダンサーズ」バージョンってのを想像したけどそれはそれでそれなりにそれかも。見たいけど年末にはあんまり見たくないなー。歌う森本レオのバックで踊る「ショムニダンサーズ」ってのもなかなか。夏の特番でやらんかなー。

 ロトさんこと氷川竜介さんの「世紀末アニメ熱論」(キネマ旬報社、1500円)がエヴァよりガメラよりガンダムが大きい表紙も目立つけど、それ以上に目立つのが帯に赤く抜かれた「熱い!」の文字。ネットや同人誌で誰もがアニメ批評を発表できるようになる中で、シニカルに斜めに裏から刺すようにアニメを語る、ってゆーか批判する人も大勢出て来ているけれど、厳しいことを言ってはいても氷川さんの言葉が決して一方的な罵倒にはならないのは、そこに込められた「熱さ」故、なんだろー。

 例えばこんな言葉。「設定や年表にこだわるファンには、ぜひもっと大きな視点を持ってこういうことにも思いをはせて欲しい。きっと人間は、大きな時間の流れのようなものを認識できて、そこにこめられた人の意思のつながりのようなものがわかって、自分自身の暮らしや精神の安定に役立てることの可能な、比類なき能力を持った生物なのだから」(51ページ)。あるいは「オタクは自己卑下が激しく露悪的な傾向があります。私自身がそうです。でも受けた感銘が『本気のものづくり』からのものであれば、ちょっと気持ちを切り換えて前向きにまた自分の『ものづくり』として本気で世の中に打ち返せば良い。あるときからそう思うようになりました」(97ページ)という言葉。触れると火傷しそーな作家と作品への熱い気持ちがそこにある。

 直接的な言葉もある。”一億総山岡士郎化”に対して「それでは一週間後に本物の味を」ちゃんと持ってこれる真・山岡士郎としての批評の在り方を方っているっぽい「月刊アニメージュ」2000年2月号所収の「90年代的アニメファン気質」の結語はそのままズバリ「否定文で構成された言葉は、人や作品を傷つけるダークサイドのものだ。その魔力にとらわれず、肯定文でアニメを語っていこう。その先にある輝かしいものを前向きにみつめていきたい」(139ページ)というもの。もちろん、アニメを見ているファンどうしで流通させる言葉が否定文だけで構成されるはもやむを得な気がするけれど、ネットなり同人誌なりを経由して、否定文の言葉がクリエーター本人に届くようになった時代には、やっぱり紡ぐ言葉に込める「想い」が必要になって来るんだろー。

 氷川さんがアニメへの想いをこれほどまでに「熱」を持って語れるのは、アニメ作りに「熱」を持っている人と生に接触して言葉だけじゃなく身振りや口から飛ぶ唾に踏みならす足音、汗の匂いといった部分までをも感じ取れるってことがあるよーな気がするのは、生のアニメの作り手たち、クリエーターたちと触れる機会のない当方のやっかみで、もちろんそういったクリエーターたちの「想い」が作品の出来に結びついていない時には、氷川さんだって批判はするんだろう。それでもクリエーターの「想い」を知っているのと知っていないのとでは、批判であっても言葉に込める「想い」が違って当然だろー。

 とはいえ視聴者がクリエーターの「想い」に近づく機会なんかない訳で、その意味でも批評の人やらアニメ雑誌の人にはクリエーターの「想い」が伝わるような記事なり文章をもっといっぱい書いてもらいたいし、クリエーターの人も「想い」を隠さずに話して欲しい。ただし「想い」が空回りした挙げ句に色が抜けてたり鳴門が無限だったりするのだけはナシ。やっぱ作品があっての物種だから。

 前述の「90年代アニメファン的気質」を結ぶ「次の10年を楽しく生き抜くため」(139ページ)という言葉に紡がれた、決意とも呼びかけともとれる氷川さんの言葉にさてはて、どれだけの人が呼応するのかは分からないけど、なれ合いではなくかとって敵視でもない良好な関係の中で正のスパイラルがアニメを良い方向へと向かわしてくれたら「こんなにうれしいことはない」byアムロ・レイ。って訳でそんな「ロト的アニメの見方」を紹介するべく8月売りの「電撃アニメーションマガジン」で取り上げることに決める。「世紀末なんとか」の方はライバル誌の連載だからパス、御免なさーい。


【7月1日】 「山尾悠子作品集成」(国書刊行会、8800円)の刊行とタイミングを合わせるかのよーな「幻想文学58 女性ファンタジスト2000」の発行に、来月10日の「電撃アニメーションマガジン」書評コーナー向けを女性のファンタジックな作品でまとめよーかと思っていただけに、機先を制された感じがしてギリギリと歯ぎしり。書店で並んでいる本を買って帰って読んでまとめるのがスタイルなんで、出版社から早く情報を仕入れて作品の刊行と併行して編集作業を進められる専門誌にはかなわないけど、そこはジャンルミックスが心情の我がレビュー、ファンタジックな作家を網羅しての詳細な作品解説はそれだけれ立派なアーカイブ、季刊ってゆーペースの遅さもあるんで「幻想文学58」も一緒に紹介されて頂きます、便乗って奴ですな。

 あとジャンルミックスってことで岡野玲子さんの「コーリング1−3」(パトリシア・K・マリキップ原作、マガジンハウス、各1238円)も入れられるのが強みかな、前の潮版は橋本一子さんの音楽CDが付属していたのにも関わらず、ビンボだったこともあって買えなかったまんま通り過ぎてしまったんで、今回が恥ずかしながら初読。引きこもり系の魔術オタクなねーちゃんが現実を関わりと持って目覚めその過酷さ醜さに暴走しそーになるけれど良い所も見つけて踏みとどまって何とか現実と折り合いを付け快復していく話、ってまとめればそんな感じだけど、相変わらずに繊細な絵柄と詩的なダイアローグ、テーマのありきたり故の普遍性が持つ重さが読んで結構ズッシリ来る。

 現代語とか英語が交じって分かりやすいもののちょっぴり楽屋話的な雰囲気が漂うこともある夢枕獏さん原作を下敷きにした漫画版「陰陽師」へとつながるよーな、ギャグっぽい絵柄とかシチュエーションが垣間見えるのが岡野さんっぽいなー、ときどきお茶目にあ幻獣とか竜に尻をあぶられ逃げまどう人間とか若返ったつもりで悦に入る魔女のメルガの滑稽さとか。もっとも抜けた感じが逆にシリアスな場面での凄みを醸し出す「陰陽師」とは違って、「コーリング」の息抜き部分はほとんどなく、ファンタジックな世界に言葉も舞台も徹頭徹尾留まっているから、気分を減殺されれることなく読んでいる間はどっぷりと作品世界にハマっていられる。獏版「陰陽師」との底流での共通項と現出されたものの差異の楽しさが「コーリング」にもあるのか調べてみたいところ、原作って今も出ているのかなー、翻訳じゃないと読めないんだけど。

 他人を憎む気持ちが負の気を増幅させて人間を取り込んでしまうってな設定は、右頬左頬のキリスト教的博愛精神に依るものなのかそれとも過去より営々と積み上げられて来た英知なのかは知らないけれど、「スター・ウォーズ」のフォースの暗黒面と言い、「コーリング」の妖女サイベルがはまりかけた陥穽といい、度々話題になるってことはそれだけ憎悪が生み出す負のスパイラルが招く脅威に人間が度々苦しめられて来たってことなんだろー。来週がいよいよ最終回になる千葉テレビで放映中の「聖戦士ダンバイン」でもやっぱり憎しみのオーラが生み出す呪縛から地上をどう守のかってなテーマが明示されて、目の前で仲間をバタバタとやられていく中にあってどーして他人を憎めずにおけるのか、ってな切実な問題が語られていろいろと考えさせられる。ハイパー化しそーな黒騎士=バーン・バニングスからオーラの力を奪って衣装を吹き飛ばして息を引き取ったエレ・ハンムの肢体に目を奪われたりもしたけれど。

 しかし薄幸なリムル・ルフト。見せ場もなく実の母親から手ひどい仕打ちをうけて眉間に1発であっけなく退場はただただ悲惨、「返り討ちにあったんだ」とゆーショウ・ザマの言葉に「じゃあ帰って来るの」と聞くチャム・ファウの言葉がただただ哀しく虚ろに響く。来週に見せるだろーキーン・キッスのニー・ギブンに気持ちを寄せながらも退場していく様の方がまだ、想いを表現できたってだけでも救いがある、無論マーベル・フローズンの方が100倍も1000倍も幸せではなくとも充実してはいたけれど。ともかくも次週の最終回「チャム・ファウ」で1年続いた「ダンバイン」の放映も終了、前の「ザブングル」その前の「ボトムズ」あたりから続くサンライズ・アニメの再放送枠が今後も続くのか否か、流れでやっぱり「重戦機エルガイム」に突入して頂きたいなー、ファンネリア・アム萌えじゃない、クワサン・オリビー萌えでもないガウ・ハ・レッシィ萌えとしては。

 「カエルブンゲイ」第5号届く、いつもありがとーございますテライユキより美しいアライユキコ様、目つきがブキミな「ブンゲくん」がいーです。産休前で降りることになった朝日新聞の漫画評で、あれだけ漫画を読んでいる人なのに「99%の漫画が分からない」とかゆー気になる言葉を書いていた枡野浩一さんの人気コーナー「お名前売りマス」は、ラス前の大盤振舞なのか500円からとゆーお買い得。売り出されているのは「枡落宙(ますおとし・ちゅう)」とゆー枡野さんから1字をもらったファンには嬉しい要素があって、「枡落=ねずみ取り」とゆー勉強になる言葉に「宙=チュウ」を組み合わせた、ネズミの王国・浦安あたりじゃ人気沸騰で蹴りが入りそーな名前。すでに売れて実用に供せられている「尾崎枕」に並ぶビッグネームになるでしょー、買うならお早めに。


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