縮刷版2000年3月下旬号


【3月31日】 うぃっすエクセルっす「エクセルサーガ」は足りないのを忘れてビデオを回してしまって残りの10分が見られずどんな終わり方をしたんだろーかと気にはなったけど、どう終わろーとも所詮はいわゆるテレビ版って奴で「アワーズ」連載の漫画版の謎めいたエクセル&イルパラッツォ様との関係なんかにどーケリとかまし……じゃないつけてくれるかの方にもはや興味は写っているから、何もビデオで補完することもないだろーないよね。奇跡の変作「セラフィムコール」のマジなのか天然なのか計算づくなのか分からなかった実験ぶりに比べると、ナベシンの実験も半ば過ぎにちょっとだけ盛り上がってはいたものの、畳み掛けるよーなカンドーを有り難うだった「はれときどきぶた」に比べるのも残念なあざとさがやっぱり見えてしまったから、やっぱり「大失敗」ってことになるのかな、記憶にだけは止めておこー2カ月くらいは。まっぺん「はれぶた」やんないかなー、DVDで出してくれてもいーぞ白川隆三しゃちょー。

 「ブルージェンダー」もそのまま都合で見逃していたけどこっちの方がマジぶでは好きだった、でも途中の絵のコケ具合がなー、DVDで補正されてるんだったら良いけど最初と半ばと最後とで、顔がちょくちょく変わるってのは某「ガンドレス」にも匹敵する謎ぶりで、目に結構こたえたからなー。去年の10月スタートなり今年の1月スタートのアニメ・レースではやっぱ「リヴァイアス」がトップクラスってことになるのかな、エンディングのお目出たぶりもとかく悩んで難しくしてしまう作品が増えてしまった中にあって泣きはしなかったけど爽快かつ明解で、みーんな悩んで大きくなって行く人間の成長の様が伺えて腑に落ちた。「ブギーポップ」も全12話を見通してバラバラになった時系列のたて糸、横糸のよーに錯綜した人間関係をあちらこちらから描き、最後の方に中心にあった蝶々少女の過去を作り出す能力へと迫っていく脚本の仕掛けがやっと分かって納得できた。テレビでやるにはやっぱ面倒だけどムックとかで入り組んだ関係を説明してくれたらビデオの売上なんかも伸びるかも。チュンソフトの「街」っぽく1人ひとりのキャラクターに物語をつけて関係性を描きつつラストへと畳み掛けるサウンドノベル的なゲームにしたら面白いと思うけど、やらないかなーどっか。

 といわれても。何しろ僕には詩心とゆーものがとことん欠けていて、現代詩の良し悪しってのがまるで判断できなかったりして、該当作を比べて自分なりに判断することが出来ないから、荒川洋治さんの眼力の確かさあるいは曇りぶりを踏まえた言及をしたくても、出来なかったりするんだよね。だから状況から判断するしかないんだけど、ドライに判断するならお手盛りに見えそーなことはやらない方が美しい、とゆーのが常識的な考えだろー。自分の会社から出している本で主催している賞に自分を授賞させてしまった某経営者がいたとかいなかったとかゆー記憶があるから、これなんか何をどう言い繕おうともお手盛りの指摘は避けられない。軽重の差はあっても状況は同じと言われればそれまでなんだし。

 ところが難しいのは余人の知れない価値判断が入り込む文芸の世界だって点で、過去に身びいきはよくない的発言をしたことを自覚し、自分が経営に関わっている版元から出た本に賞を取らせることが、自分にとってどれだけマイナスになるかをちゃんと理解した上で、お手盛りと言われる可能性を甘受してなお、当該作を賞に相応しい作品として選んだのだとしたら、よほど素晴らしい作品だってことになる。そんな作品の価値を主観的に判断できないのは前述どおりで、結局は荒川さんのパーソナリティーを見るしかお手盛りか否かは判断のしよーがない。かの経営者ならやりかえないというパーソナリティーに依った評価で考えた時に、荒川さんがそこまでするならよほどの作品なんだと納得するにしても、彼にはそんな気さらさらないよと疑うにしても、個人のパーソナリティーが分かっていれば様々な忖度ができたかもしれない。逆に詩の業界に詳しい人にどっちなんだと聞きたい気分。

 ところで中原中也賞ってのはそれを獲得することが詩壇における地歩の確立に大きく役立つ賞なんだろーか。某ハードボイルドな作家の名前を関した新橋の出版社がやってる賞を、その出版社から出ている本が獲得してしまったことを訝っても「まあそんなものだ」と思う人が多いよーに、賞ってのは権威とは箔を付けるためとゆーより、一種主催者のプロモート材料として働いている部分もあって、読者も受賞者もそれを納得づくだったりする構造もあって、例えば中原中也賞が歴代そーいったプロモーション材料、あるいは功労賞的な使われ方としているんだったら、お手盛りとゆー指摘は批判ではなく当たり前のことをになってしまう。賞にもいろいろとある訳で、中原中也賞が詩の絶対的な価値を讃える賞なのか、それとも功労賞ベスト詩集賞的な贈賞のされかたをされているんだったら、怒るのもバカバカしいって気になる。すべてを統一の基準で考えればこーしたケーススタディは必要ないんだけど、人間っていろんな場所でいろんな人と関わり合って生きているから、卑怯だけど立場をTPOによって使い分けなきゃいけなかったりするんだよね。人間ってフクザツだなあ。

 さて「東京ゲームショウ2000春」。隣りから焼きそばの香りが漂う中でテープカットが行われて開幕したショウは、第一ホールにある物販コーナーに向かう業者日なのにどー見たってグッズマニアな学生にしか見えない人の波をながめつつ、最初だったから比較的空いてた「でじこ屋」(すげーネーミング)へと出向いて「でじこの尻尾とスリッパ」のセットを買う。前に「猫みみと手袋のセット」を買っていたからこれで上下がそろったことになる、おめでとう、あとはメイド服の入手だけで僕も立派な「でじこ」になれます。「ぷちこ」の耳&手セットもあったけど流石に2つは買えん。電撃屋で販売してた「緒方画集」も「ブギーポップ 衣装セット」も重たいからパス。コスパだと「セラフィムコール」の村雨姉妹Tシャツがなかなかに背筋をそそってくれたけど着る場所もないからパス、でも背中に「CCさくら」の刺繍が入ったブルゾンはすっげー欲しかったりする、うーん誰が着るんだこんなの。

 業者日とはいえこんなにすいすい入れていーのかしらん的な空き方で、明日朝っての入りがちょっと気になる。けどそれ以上に心配なのが「全ホールを使う」とゆーイベントの規模へのこだわりを押し通した挙げ句なのか、幕張プリンスホテル側から見て1番手前にあるホールにはネットのサイトとキッズコーナーとメインステージしかなくキッズコーナーの稼働していない初日の実に寂しい様子に、かつては3つの部屋がすべてぎっしり人波で埋まった時代を振り返りつつ、日本を代表する文化だ世界に通用するコンテンツだと讃え持ち上げられるゲーム業界も、内実は失業率なみに厳しいってことなのかもしれない。そんな中にあってコナミだけは元気なよーで、「メジャー事業部」って他社のソフトを自社の流通網で売る事業のプロモーションなのか、ブース内に他社製のソフトをずらり並べていたのが印象的。事業にかける意欲の高さを伺わせる。デベロッパーとパブリッシャーの二極分化ってやっぱり時流なのかなー。しかし前に「東芝EMI」で発売されたっぽかった「ずっといっしょ」が全然知らない会社から発売となっていたり、同じく「プリティサミー」のソフトもそっから出てコナミの販売になってたりしてて不思議。EMIに「ずっといっしょ」の取材に行った時に話を聞いた人ってどーなっちゃったんだろ。


【3月30日】 まだら狼だったけ? はぐれ狼? うーんプロレスあんまり見なくなって随分と経つから覚えてないけど一応は地元愛知県出身ってこともあったし年寄りの癖して金髪に髪そめてタイガー・ジェット・シンと暴れまくってくれたから名前だけは覚えているプロレスラー、でもって交通事故で下半身が動かなくなってしまった今もリハビリの意欲に燃えて復帰できる日を夢見ているあの人が、まさか「ガンダム」まで作っていたとは知らなかったよ「回収」(岡田斗司夫、田中公平、山本弘著、音楽専科社、1500円)152ページ。「上田馬之助君なんか『ガンダムできてうれしい!』て」「言うてた、言うてた。でも途中で死にそうになったけどね」。うーんアニメ界って奥が深いなー、アニメ監督って体力勝負なんだなー。あと「007は2度死ぬ」でジェームズ・ボンドが乗っていたトヨタ製のスポーツカーも「回収」によると「ヨタハチ」132ページだそーです、そーだったのか。

 をを「たてロール」。でも似合ってるのが不思議だけどあの人だったら仕方ないよね椎名林檎は何やってもオッケー、これが吉田美和だったらジョーダンとしか思えないもんなー、実際思えなかったし。その新作「勝訴ストリップ」を31日発売だけどレコード屋にはどーせ1日早く出回るんだからと会社のそばの「大手町ビル」にあるレコードショップに午前中から3回通って何とかちょっぴりとだけと積み上げてあった初回限定版をゲット、ボール紙のカバーいにうっすらろ背後霊みたく椎名林檎の顔が見えておそぎゃー(怖い、恐ろしいの意味、きんさん語)と思ったら、中をあけて取り出した付録のライナーのジャケットの方がカラーで正面から花を背負ったたてロールで思わず「お蝶夫人」と呼んでしまいましたわ。

 ピンク1色で中身の見えないプラケースをパカリとあけるとCDにも変格ピースサイン(ってーか良く分からないポーズ)のこっちはカジュアルな林檎ちゃんがばっちり、これがプリントしてないとタイトルの印字も何もないから表か裏かも分からなくなるところだった。2回目以降だとどんなジャケット体裁になるんだろー、ゲームの初回版ってのはそれが売れればオッケーなところがあって、未だに初回版が店頭に並んでいるタイトルの実は多いことを考えると最初から折り込み済みのサービスだったりするけれど、何回もプレスしそーな林檎だけに初回の特典がプレミアとなって生き残る可能性は高いのかも、あるいはヒッキーと同じですでに去年の人となりにけり、でもって初回ハケて終わりってとこになるのかな、まあ今現在のチャートの位置を見ればそれはないとは思うけど、「ロッキング・オン・ジャパン」「SWITCH」のビジュアルの違いっぷりが消費速度を自分で高めているよーな感じがしてちょっと気になる。しかし林檎なんで次はさらに「たてロール」をも越える賑やかなファッションで登場しては、消費の上をいく大バーゲンを見せてくれるでしょー、キブレちゃんコスプレとかしませんかー(しねーよ)。

 「鉄拳TT」のやり過ぎでヘンに使いすぎた左手の親指の間接がゴキゴキと痛む中を会社行って仕事してから「日本ゲーム大賞」の発表会へ。2階へと押し込まれてトロフィーを手渡す場面をそばで撮影できないとゆー、ビジュアルなプレスの人にとっては何とも悩ましい状況におかれながらも別にビジュアルなプレスじゃないからのんびりと観劇、ありゃこりゃとたくさんのゲームがありゃこりゃといろんな部門賞を授賞していく様を見る。案外と多かったのは「シェンムー」「スペースチャンネル5」「シーマン」「ソウルキャリバー」「バーチャロン」といった「ドリームキャスト」対応ソフトがちょこちょこと部門賞なり「シーマン」の場合はニューウェーブ賞&優秀賞に入っていることで、ハードが発売から1年を経る間によーやくそれなりなソフトがそろったってことを示すと同時に、新ハードに対応できるソフトってのは登場までにやっぱりそれくらいかかるってことが何となく分かった。

 それはそのまま「プレイステーション2」にも当てはまるってことで、授賞式後のパーティーで話したナムコの人も「本当に力が出せるのはクリスマス以降」って言っていたことを考えると、緒戦でのミソもPS2にとっては怪我の功名、勝って締めた兜の緒とゆーか、ここで気分を引き締めた上で、ハードを引っ張るソフトの登場までにバカ騒ぎが収まって注目がちょっとそれた今の時間を充てることになるんだろー。もっともハードの性能にソフトが追いつく追いつかないって議論とは別に、栄えある大賞を授賞したのが「どこでもいっしょ」でこれも獲得した優秀賞に「シーマン」「ダンスダンスレボリューション」「ポケットモンスター金・銀」が入っていたことを考えると、グラフィックだ処理速度だってゆー議論以上に「ゲーム性」がゲームなんだから当たり前なんだけど、やっぱり大切だってことも見えて来る。

 なるほど「PS2」向けに1番売れたタイトルが「マトリックス」のDVDビデオだったかもしれないし、「DC」もネットワーク端末としての使われ方が主流になっていくのかもしれないけれど、セガ・エンタープライゼスの入交昭一郎は乾杯の挨拶で「DVDもできる、ネットも出来るゲーム機の上では他のエンターテインメントが敵になる。けれども新しいソフトはiモードでも何でも何らかのゲーム性を持っている。ゲーム業界は今が分岐点にあるが、私は明るい未来を描いている」と言ったよーにゲーム会社の持ってるノウハウ、スキルってのはどっかにきっと「使える」はず。まーそれがいわゆるコアなゲームユーザーの高みを目指す求道心に耐えうるかどーかは難しいところだけど、そーゆーソフトが世に残る一方で、軽薄短小だけれども楽しく奥深いソフトが生まれてくる、今がちょーど萌芽期であり転換期にあるのかもしれない。あたしゃ乳揺れてりゃオッケー、なのでさあやるぞ「デッド・オア・アライブ2」を。

 日本レコード協会の新年会に必ず遅れて登場するソニー・ミュージックエンタテインメントの丸山茂雄さんを真似したかどーかは知らないけれど宴もたけなわになってから登場した我らがクッキィ、久夛良木健ソニー・コンピュータエンタテインメント社長が「日本ゲーム大賞」を授賞したボンバーエクスプレスの南治一徳さんやトロと並んだんで近寄って写真を何枚かパチリ、「やあスクープだ」と上月景正コナミ社長に笑われてしまったけど載るのが来週の月曜以降なんでちょっと虚しい、あと久夛良木さんとマイクロソフトの古川亮会長との「次世代ゲーム機バトラー」の写真とか。最後までいたついでにいよいよ回収の始まったユーティリティディスクの問題で久夛良木さんに幾つか質問する。

 「海外からやいのやいのと言われたんですか」。「ほおっておくのは気持ちが悪いからね」。本来はやっぱりないにこしたことがないってゆースタンスがどっかに伺える答えかも。「リージョンフリーは確信犯ですか」。「神にちかってもそんなことないよ」。ハリウッドのゴリ押しへのひとつの意思表示ってゆーよりは、やっぱり事故だったってことなんでしょー。あと「ファームウェアにしたからこんなことになったんでしょ」と言ったら「ファームウェアだからハードじゃなくってソフトの回収だけで済んだんだ」とも。なるほどそーゆー見方も出来るなーと納得させられてしまった私はとても気が弱い。会場ではワセミスのイベントでも見かけた人が「でじこ」なブロッコリーの人として来ていてバッタリ、社長の人とも話してたらすっげー商品の話を聞く。うえーん欲しいにょ山あり谷ありだにょ。山の上には「『目からビーム』で焼かれる、1回休み」はあるのかな。


【3月29日】 うひゃー、と驚いてしまったよ。ペニスの生えた美少女集団「ヴィヴィアン・ガールズ」がセーラームーンよろしく悪と戦う奇妙な絵物語を描き続けた無名の画家、ヘンリー・ダーガーの画集「ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で」(ジョン・マグレガー著、小出由紀子訳、作品社、6500円))を全世界に向けてプロモーションする、これほどまでに立派で細かく素晴らしいホームページができていたとは。93年の出会い97年の資生堂・ザ・ギンザ展の見逃しを経て企画会議の通過から編集・刊行へと至る涙と汗のメイキングも読めて、これで買わなきゃ男が廃るってもんだ、なあ。さって5月の15日に無事、発売へと至りますやらどーなることやら、出版不況は作品社にだけは及ばないでねよろしくね。

 「月の裏側」(恩田陸、幻冬舎、1800円)を読み終える、九州の水路が取り囲む街を舞台に自分たち以外がどーやら「人間もどき」に刷り変わっていってしまうんじゃないかってな物語は、途中「BH85」(森青花、新潮社、1300円)を思わせる群体となった生物となれずにいる生物との対立めいた物語へと流れていくけど、そーした「盗まれて」いく恐怖よりも先に立つのが「マイノリティ」として過ごさなくてはならない恐怖だってあたりに、人間ってのは集団が好きとゆーか集団でなければ生きて行けない生き物らしーってな主張が浮かび上がり、人間は原始お魚だった的前提から至る水への回帰志向も加わって、恐怖を越えて帯にも黒々と書かれている「最後に待つ感動」へとたどり着く。

 それでも最後の最後にサラリと流れるのは、人間存在の大いなる変化を予言するかの如きハードにして重厚な言葉だったりするから、柔らかさ優しさのに泣いてなんかいる場合なんかじゃないのかも、海辺に川辺に湖畔に住んでいる貴方、夜は長靴を履いて眠りましょう。なぜ今なのか、なぜ「やのなか」なのか……といった懐疑を差し挟む余地もあるけれど、それを言ってしまえば「なぜ日本にばかり怪獣が」ってな回答不能の質問になってしまうから、箱庭的な異界を作り上げてそこでの出来事を語ることで、人間全般に問いかけようとしているんだと理解すれば納得できる。何故彼らだけってのはつまり主人公っぽい音楽プロデューサーの身内だったからってことなのかな、目撃者として意識者として動いてもらい進んでもらうための尖兵ってことになるのかな。

 思えば98年5月の「SFセミナー」で登壇した恩田さんがこれから書きたい小説として上げた11本のうちの1本がこれで、ほかに「ロミオとロミオは永遠に」が「SFマガジン」で連載中。単行本も結構出てたちまちのうちに売れっ子になってしまったのは、重いテーマを軽くさっくりと良い意味で書き飛ばせる「プロ」としてのパワーが元来そなわっていたからなんだろー。「日本ファンタジー・ノベル大賞」は授賞するより応募作からデビューしていった方が残るのかな、小野不由美さん高野史緒さんたちも確かそーだったよーに。森さんは授賞しちゃって大変ロードをまっしぐら? 「DASACON3」じゃやっぱり山之口洋さんと並んで「しんちょーってどーですか」責めにあいそーだなー。

 「ファイヤーエンムブレム」とか「クロスボーン探偵団」とかって漫画をエニックスから出している箱田真紀さんって人の初のオリジナルらしー「ワールドエンド・フェアリーテイル」(エニックス、552円)の第1巻を買って読む。曰くありげな少年が曰くありげな学校に転校して来たらそこには美少女がいて何か得体の知れない存在と戦ってて少年は運命的に巻き込まれていく……ってな言ってしまえば「ありきたり」なドラマなんだけどやっぱり面白いと思ってしまうのは人間どこかに日常に満足しておらず、自分の平凡さに耐えられず使命を帯びて戦っている自分を想像して存在意義に納得したがる節があるからなんだろー。加えて箱田さんの描く少女の可愛さ絵の巧みさが読んでいる目を飽きさせない。

 「セラフィムコール」の村雨姉妹っぽい髪型の、性格はおしとやかでどっちかって言うと暗めっぽけど、実は戦士な有以ちゃんにはビジュアル1発でヤられました、表紙の目を瞑って横になって体を折り畳んで眠る姿の何と可憐なことよ、男はいいからこっちをもっと大きくしてくれい。有以ちゃんと慕う下級生の一途さにもカンドー、結構真面目なキャラが多いなかでドタバタと一身に背負っていろいろ楽しませてくれそー。物語はと言えば、やっぱり曰く因縁あった主人公の小鹿少年と有以たちとの関係が、エンディングになって明かとなって次巻へと場を繋ぐ。顔を見せないフェイに正体未だ不明な双子姉妹のさらに姉、一見何ら関わって来そうにないけど案外と怪しい有栖川圭と謎キャラも豊富で、彼ら彼女らが絡んで物語は「ありきたり」なんてものじゃない、きっと奥深く面白い展開になるものと期待して次を待とう。

 もしかしたら買っていたかもしれないけれど健忘の気が出て長いから覚えていない「ムーン」って漫画を描いてる松本花さんの新刊「森の魔女たち」(新書館、520円)を買う、星なんか飛ばないシンプルな、けれども大きな目をして口が横にびよんと長くて唇も割と厚めに描いてある、安野モヨ子さんとはちょっと違うけど雰囲気に近いものがある顔立ちのキャラクターを描く人みたいで、箱田真紀さんの王道級な少女を見た目には最初違和感があったけど、女性と思って見ると可愛くなってしまうのは単に節操が無いからなのかそれとも記号としての女性がちゃんと押さえられているからなのか。3人娘の末っ娘みたいな「梅」って子の無口で傍若無人っぽくってストレートな性格に押されたってのが大きいかも、登場する兄ちゃんもヤられたみたいだし。

 しかししかしの大逆転が巻末で起こって懸想の浮ついた気持ちもいっぺんに醒めそーになるんだけどそれは読んでのお楽しみ。「森の魔女」である以上は「森」にしかすめず、従って人間との交流を極端に避けて暮らして来た少女たちが今の森なんてなくなりかけている現代に、どーやって人間たちと折り合いをつけていくのかってな展開のなかで、人はやっぱり1人じゃ生きていけないんだってな「月の裏側」とも通じるテーマが浮かび上がって来るんだろー、梅の快復を描いた物語も結局は誰かに思われてこその自分という存在ってな展開になってるし。おっとりな眼鏡っ娘おさげ頭な桜に例の梅の間にはさまれて、短期で勝ち気で行動的とゆー3人の中では1番主人公っぽい桃が案外と目立ってないのが気に掛かるけど、狂言回しじゃなくってちゃんと役割をもってテーマに絡んでくるんだろー、期待しよ。

 「鉄拳タッグトーナメント」を一足早くサンプルで入手したんでプレイ、絵は確かに綺麗でオープニングのムービーとかは「リッジレーサー5」なんかよりもはるかに凄いけど、実際の戦闘場面での自由度が別にひろがっている訳でもなく、「ソウルキャリバー」ほどのカンドーがない。周囲で拳をふりあげて応援している奴等がいっぱい出ているのは見た目には確かに賑やかでも、こいつらに戦いを挑んで場外乱闘でも出来る訳でもないから書き割りの人間であっても個人的には構わない。うーんその意味で誰とでもバトルな「シェンムー」ってのはすっげーゲームなんだなー。どっかの学校の校庭で戦う場面で学生の集団が拳を振り上げ応援しているんだけど戦ってるこっちを見てなかったり動きがくねくねしてたりしてて何かヘン、遠くにはパンダも歩いているし。こーゆーヘンさを見せるって意味でのポリゴンの無駄遣いは大好きです、乳揺れへの無駄遣いの方がもっと好きなのは言うまでもないけど。


【3月28日】 昨晩に比べれば全然たいした夢じゃないけど、実家の夢を立て続けに見てそれがどちらも立て替える前の家だというのは、20年近く住んで脳裏に徹底的に染み着いてしまっているからなんだろうか、もしもこのまま順調に歳をとって順調に独り身で順調に魔窟の中で老い朽ちていくことがあったとして、やっぱり夢には同じくかつて住んだ家が、間取りも質感も窓から見える景色も昔と変わらずそのままに出てくるとしたら、人間の記憶とゆーのはこれでなかなかに複雑で、その記憶をしまっておく脳とゆー物も、やっぱりとてつもなく奥深い物なのかもしれない。それとも老化の始まりで家に関する記憶野が徐々に削り融けていく際の火花みたいなものなのか、どーりで機能から鼻水が出て耳垢が溜まると思ったよ、大きな垢はさしずめ神道を讃えられ美丈夫とほめそやされた10代の記憶か(大嘘)。

 「インドメン」喰う、これで3個目。別に癖になってる訳じゃなく、カップ焼きそばにカレーをかけて食べる料理は例えば「UFO」でソースに飽きた時なんか、レトルトのカレーを暖めて湯切りしたブヤブヤとしたカップの麺にドバドバとカレーをかけて食べてたこともあったから別に珍しくもないんだけど、わざわざ「インドメン」と名乗るからには「ベレナス」における生も死も渾然一体となった刹那感、あるいはボンベイのうじゃうじゃと人が群集うエネルギー、それともモヘンジョ・ダーロかハラッパってな歴史の悠久さをどこかに見つけられるんじゃないか、なんてことは別に全然思わずやっぱり単純にハマってるだけです、日本人やっぱカレーが大好きなんですね。

 とは言えそのまま食べるのもタカシロマンの思惑に乗っているよーでイヤなんで、レトルトのカレーといっしょに鳥の唐揚げやらハンバーグやらシューマイやら、コーンやらジャガイモやらを勝手にトッピングしては食べてみるけど究極的にはやっぱり麺が、あの湯切りしたってどこまでも水っ気の残る麺がカレーにからまって一層どらりょんとした常態で口にムリムリと押し込まれて来る感触は、馴れてる自分はともかく慣れない若人老人女性にはきっとトンデモないよーに思えるだろー、どーですか皆さん。

 個人的にはレトルトに入っている角切りのジャガイモが生来のジャガイモ好きなんでちょっと嬉しく、勝手トッピングでもフライドポテトっぽくカットしてある冷凍ジャガイモを湯と一緒に放り込んで煮立てた奴が旨かったんで、もしもこれからも食べる時があったらジャガイモは欠かさずに放り込もう。しかしどーして焼きそばだからってソースが付くのか、あれをかけるのとかけないのとでは味がどー違うのか、分からない事はまだまだ多い。このあたりとか読んで奥深さを噛みしめよう、でも噛むとやっぱりブヤブヤしててふっしぎーっ。

 「アニメスタイル」(美術出版社、1500円)を読む、アニメに特化した「GAZO」って言い方が正しいのかどーかは分からないけど徹底的にアニメを一切お茶らけず揶揄もせず批判もしないのは何だかちょっとって気もするけれどヒネらず真正面から取りあげてくれいて読んでいて気持にすーっと入る。もちろん社会学的哲学的美術的文学的に語るのもアリだし意味もあるけどそればっかりだとちょっと頭がパンクしちゃうんですよ、容量足りないんで。「ウテナ」に「エヴァ」に「デ・ジ・キャラット」がキング系で「人狼」と「ビバップ」がバンダイビジュアル系でだいたいがその2つってのは単純に今が旬のアニメ製作元だからなのかそれとも編集な人の趣味なのか。

 「ブギー」も「リヴァイアス」も「ターンエー」も入らず、それなのにしっかりと「でじこ」が入っている訳がちょっぴり知りたいけれど「でじこ」が入っている事に異論など全くなくってむしろ当然だと思ったりする野郎なんで考えませんつつきません。あと「VIRUS」で中沢一登さんが担当した色使いも構図も衝撃的に美しかったアイキャッチがドカドカと掲載されているのも。テレビだとチラリとしか写らないしトレーディングカードいはあったっけ? 一応コンプリートはしてるんだけど本津波の下で腐ってるらしくて最近1年くらい見てないんです。未だに見てないんだけど「課長王子」のレイラさんもやっぱスタイリッシュだなー、「ブギー」は結局中沢さんは関わらずそれなりにまとまった終わり方をしたから安心はしたけど、中沢ブギーだったらどうだったか? なんてこともCMのコマを見てちょっぴり思ってみたり。「ブルージェンダー」が入っていたりビームエンタテインメントが取りあげられていたりして細かい記事にも目配りが利いていて面白い。綴じ込みの原画ってのは絵描きの人に何か役に立つの? これで値段が高くなるってのはちょい勘弁、でも「でじこ」だったらソッコー許したかも。

 恩田陸さんの「月の裏側」(幻冬舎、1800円)を購入して途中まで読む、九州の海辺の街を舞台に運河のそばにある家から老人が次々と姿をくらましては何日か経って戻って来たけどどっかヘン。そうこうしているうちに帯によれば「人間もどき」なるものがばっこし始めるとかゆー展開で、帯にある「プログレッシブ・ホラー」の意味が全然分からなかったりする英語2な人間だったりするけれど、雰囲気はとりあえずはホラーとゆーよりはミステリーに近く、そこから段々と異世界が広がって歪んだビジョンにハメてくれるのかとうー期待に今はある。SFとミステリーとホラーとファンタジーの実は個人的には境界はないんだけど、それぞれのジャンルが好きな人にはやぱり見分けも付くし、薄いとはいえ一応はSFな読書的出自の自分には「全部SF」といてしまいたい衝動もあるから難しい。

 とりわけミステリー的SF、SF的ミステリーなんてものが出始めて来るとどっちがどっちなのかも判断が難しい。「オルファトグラム」に「M.G.H」に「フレームシフト」に「リサイクルビン」とそんな話がずらり集まったんで、ゴールデンウィーク前で締め切りの早い次の「電撃アニマガ」はそこいらあたりを網羅した「ボーダー小説のタクラミとタノシミ」なんて当たりでまとめるか。ホーガンの新作なんてのはミスレリー的な要素が入ってるんだろーか。若作りな中年お姫さまの活躍するところの稲妻のなんとかかんとかは、多分違うだろーから後回し。山口泉さんの「永遠の春」(河出書房新社、2000円)とか鹿島田真希さんの「レギオンの花嫁」(河出書房新社、1200円)とかもファンタジックな香りが漂うんだけどとっかかりがモロにブンガクなんで手が出ねえ、ゴールデンウィークに鍛えよう。


【3月27日】 こんな夢を見た。小渕総理との面会というか昼食会があるんで、新松戸か豊橋っぽい衛星都市では最大規模の本屋を下から上まで巡回していたのを適当に切り上げて電車に乗る、だいだい1時間くらいを見込んでいたんだけど、乗り継いだ先の地下鉄が官邸のそばには通ってなくって歩くと結構大変かも、とか思っていたらいつのまにか自宅に小渕総理がやって来て、お互いの家族といっしょにお昼ご飯を食べる会にスリ変わっていて、僕は実家で総理が来るのを待っている。

 取材に来るかもしれないプレスの人たちを上げていいのかいけないのか、場所なんかを考えていたら秘書だか官邸クラブの幹事らしい人がいたんで相談すると去年は入れてなかったとのこと、いち早く登場していた8年くらい前に日銀のクラブで見かけた、確か西牟田とか言ったフジテレビの女性記者っぽい人とテレビカメラを追い出して、立て替えのために取り壊してもう存在していない実家の応接室で気が付くともう既にご飯を食べている。小渕首相は左手側にいて、右手側には息子らしい少年が漫画を読みながらご飯を食べいて行儀が悪い。

 どんな漫画が好きなのかを聞くと「まわる世界」とか何とか言う漫画を挙げて来たんで、知ったかぶりをして「ああ、あれね」とか言って中身を説明させると、リレーショナルデータベースの会社でオラクルに次いで有名なインフォミックスの評伝漫画だとか。秘書が引き出しの奥から江川達也の「東京大学物語」の2巻だかを薦め始めたんで、首相のご子息にはふさわしくないかもとあせったけど、当の息子が読んでいるのが「パタリロ」の絵柄的には初期の耽美な巻だったので大丈夫かもと口は出さない。

 表で記念撮影があるというんで玄関にあったローファーをつっかけようとするが、右足のカカトが収まらず焦る。どうしても入らず、仕方がないから踏んづけたままで小渕総理が手にポラロイドを持った写真撮影の場に小渕の家族と並ぶ。かしこまっているといきなりカメラを手に総理が「ハハ、ハハハハハッ」と笑い出し、ああこれは僕たちもつられて笑ったら撮ろうというコンタンだと気づいたけれど、だったらつき合って上げようかという下心に、笑いっぷりの良さにつられた部分もあって頬が緩んだ瞬間をパチリ。気配りの人だった。

 玄関から部屋に戻って総理の息子に何とかして山形浩生の「新教教養主義宣言」を読ませたいと思ったけど、付箋がいっぱい張り付けてある読みかけの本を手渡すのも恥ずかしいので、サイドボードの上に置いて、何度か持ち上げ下ろす動作をして向こうが気づいてくれるのを待っている。という夢が意味するところは何だろう、気弱な癖に自意識過剰で権威にスリ寄りたくって仕方がない知ったか振り野郎、ってあたりが正解か、いやまったく夢には性格が出まくるなあ。

 こんなものを見ると余計夢見が悪くなるかもしれないけれど楽しそうだったんで○。「実写版カードキャプターさくらオープニング」ってことらしーけど重過ぎるんで環境プアーな人は他人の家か会社でコッソリ落として開いて見ましょう、僕もやりたくなって来た(やらんでいい)。夢に出そうと言えば発売なった兄貴「Number」な雑誌らしー「Title」の創刊号の冒頭「ピープル」に登場でメジャー化一歩手前っぽい鳥肌実さんのすげー顔。「演説芸」が持ち味の人らしく右翼的な言説を右翼的ってゆーか電波入った格好で原宿あたりの街頭を舞台にぶち上げて、密かに絶大な人気を獲得しているらしー。

 チャップリンが「独裁者」の中で見せるヒトラーっぽい紛争での演説の場面のキャッチーさ、本家ヒトラーの聴衆から果ては世界を熱狂させたパフォーマンスぶり、キング牧師の野太い声にケネディの聞き取れない英語での演説、そして鳥肌実さんに雰囲気も近い三島由紀夫の市ヶ谷駐屯地でのバルコニーからの演説等々、歴史に文化に残る演説は数々あってそれぞれに何か人の興味をかきたてる。演劇的な要素が普通のテレビでの討論に比べて多分にあるからなんだろーけど、だったらそれを演劇めいてやれば面白いかもと思っていたら先にやっていた人がいたとは残念だけと半分嬉しい。

 ちょっと前に「九段会館」なんて場所もピッタリ過ぎる会場で演説会を開いたらしく、行きたかったけど行けなかったら何なに25日には「日本青年館大ホール」に登場とか。西村雅彦ではイマイチ来なかったゾクゾク感を嶋田久作以来久々に感じさせてくれるルックスから、繰り出される言葉に飲み込まれに行きたいもの。世界のあらゆる有名な「バルコニー」を使って三島由紀夫然とした扮装出で立ちで演説をパフォーマンスして回る、なんてことをすればあるいは受けるかも、なんて思ったけれど、「天安門」の上にゃー立たせてもらえそーもないし「クレムリン宮殿」でも同様で、市ヶ谷のバルコニーも確か消滅してしまったはずだから難しいかも。それでも「ルクソール宮殿」の階段に、「タージ・マハール」の正面に、「アンコール・ワット」の望楼に、ゲティスバーグに、ビッグベンにピサの斜塔にサグラダ・ファミリアに国連に、立って「演説」する鳥肌実の姿が是非とも見てみたいもの、どっかのテレビ局、やりません?

 「Title」はどの記事もそつなくまとまっていてそれぞれがそれなりに読ませるけれど、この企画この連載があるから次も買う、とゆーところまではまだ気持ちが至らない。男版「UNO!」って言ったら失礼かもしれないけれど、どっか似通った所があるよーなないよーな、これが文春っぽさってことなのかなー。ジャーナルなのかトピックなのか視点も腰も定まらない世間の話を拾って見せられても、興味が合わなければそれって全然面白いとは思えないのも仕方がないことで、たまたま創刊号はウシャオスキー兄弟と押井守さんの対談があったから買ったけど次はさてはてどーなることか、何「美女&美少女」? 買いだな。「鳥頭紀行」でもやって来ればピシッと締まる気がするけれど、過去ある廃刊の歴史に「鳥頭」って随分と立ち会っているから良薬は実は毒薬ってもんで難しい。西原理恵子さんの強引パワーに期待しよー。巻末の食通が集まって会話する「食楽放談」には綾辻行人さんがご登場でなるほど「ボディブレード」の効果もあるのかスリムさに磨きがかかって来た感じ。西原さんの毒舌もこれで跳ね返せる? さーてさて。


【3月26日】 起きられたんで本八幡にある場末感たっぷりな映画館へ「トイ・ストーリー2」を見に行く、前に「ホーホケキョ となりの山田くん」を見たのと同じ縦長の劇場でも1番小さな部屋だったけど、「山田くん」では初日の1回目で数人だった観客が「トイ・ストーリー2」では公開から1週間が経過して隣りか上では「ドラえもん」を上映しているにも関わらず、親子連れの極めて作品に真っ当な観客で席が半分以上埋まる盛況で、テレビでのレギュラー放映に漫画での刷り込みによる啓蒙普及がない作品も、良ければちゃんと子供は見たがるんだってことを認識する。まあ第1作があっての認知度でもあるからちょっとは割り引いて考えなくっちゃいけないけれど、作品本位のパワーを先行させてそれからキャラクターを捌ける「ディズニー」はやっぱり凄いです。

 お話しはグッドグッド。冒頭のザークにバズ・ライトイヤーが迫る場面での踏み抜いた丸いプレートがまんま重力制御の範囲にはいって持ち上がり、それがまんま次の攻撃に使われる展開の真っ当さ、かつそれが後の本編にもちゃんと(ちょっぴりアレンジを代えて)生かされて来る展開の理に適いぶりがあざとさを通り越してストンと胸に落ちて関心したし、ほかにも小道具キャラクターを無駄なく使って飽きさせずダレさせずに最後までテンション高いまんま突っ走れる、そのシナリオの見事さにフル3DCGだ、フィルムのいらないDLPだってな環境面ツール面からの議論を差し置いて、お話しがあっての映画だアニメだってことを改めて思い知らされる。その意味で冒頭にサービスとして流れた「ダイノソー」ってCGの恐竜がワンサと出てくる映画が、予告っぽい映像では単にリアルっぽい恐竜がスッゲーとした思えなかった段階からどこまで「見ていられる」映画になるのか、シナリオワークへの期待も含めて動向を注目してたい。

 しかし3DCGの腕前の進み具合もやっぱり凄く、前作だとどーしても質感の面で無理だったのか人間があんまり描かれなかったけれど、新作では顔も含めて人間がバンバンと出てくる(何せウッディを盗んだ人間からみんなで逃げる話だし)にも関わらず、玩具を主人公にしたデフォルメの利いた「アニメ」で人間もちゃんとそれっぽく、けれども玩具とは質感を代えてナマナマしくちゃんと描いてあるから見ていて気持ちがズレて来ない。見る人が見ればきっと凄い凄いの連発だっただろーけど、素人が関心したって点では盗まれた先でウッディが見たズラリ並べられたプレートの質感や、モノクロ映像としてテレビ画面の中で再生されたウッディを主役にした人形アニメの、本当の人形アニメを撮影してそれを取り込んでいるかの如き立体感には目を見張った、あれホントにCGなの?

 玩具は遊んでもらってナンボってな物語を見せられると、博物館に飾られている分はまあ歴史の証人としての”人身御供”なんだと玩具にはあきらめてもらうとして、個人の家の中にブリスターパックから出されずに並べられたアクション・フィギュアなんかがさてはて、玩具として幸せかどーかについて頭を悩まされ、ああいかんこれでは玩具が可哀想だとゆー心情がむくむくと起こってちょっと前に秋葉原の「ホビー・ロビー」で山積みになっていた「トライガン」の「ヴァッシュ・ザ・スタンピード」のアクションフィギュア、あれを家に帰ったらブリスターパックを裏側の台紙からメリメリをはがして中身を取り出し、いろんなポーズを付けていっぱい遊んでやるんだと堅く心に誓ってみる。

 が、実際に手にとって目にすると、ピタリ決まったパック内のポーズ姿にまんま飾って起きたいってな気分が7分、それから「出したら売れねえ」ってな邪(よこしま)な気持ちが3分ばかり沸き起こって、そのまんま飾られることを前提にしているのか妙に分厚い後ろの台紙を剥がせずにいるああ何で自分は根性なしなんだ。まあいいきっと「ブリスター」って幻のアクションフィギュアを求めてさまよう男を描いた映画を見れば(すまんまだ試写行く暇がない)、そのあまりの熱中ぶりに似非ブリスターファンの気分はそげて、あそこまでやらんでもとゆー気持ちになってヴァッシュだろーとケンシロウだろーと出して平気で戦わせて遊べるよーになるんだろー、なに限定1000個フィギュア付き前売り券発売だぁ、何時だ金曜だ並ぼう仕事は? 知らん!

 表情も豊かにはねまわるカウガールのカワイサに打ちのめされて、本八幡から歩いてニッケルコルトンの「トイざラス」へと行って可愛い人形はあるかなー、と思って探したけれど単品がなくウッディとのセットでのトーキングドール7999円の値段は大人なんで全然平気だったりしたけれど、肝心の顔が全然イマイチ可愛さが足りなくって買うのを断念、別の人形もやっぱりダメで人形はやっぱり顔が命と、アメリカンなトイのアバウトさに比べての日本の人形の巧みさを見直す。コレクション系のバービーはそれでもヘップバーンとかの似ぶりは凄いから、金額とのやっぱり見合いなんだろー。映画のエンディングでいっつも笑顔なはずのバービー人形がダレてた時の顔もなかなかだったけど、これをまんま表現できたら「フォトジェニックジェニー」じゃなくってバービー、買ってみても良いかなー。

 ドイツな小説ってゆーとゲーテは読んでないマンも読んでないケストナー「エミールと探偵たち」が大好きです「わが闘争」? バイブルです(嘘)ってな程度の体たらくだったりするけど、去年一昨日あたりから「バンデッツ」とか「カスケーダー」とか妙なドイツの映画を何本か見て「ラン・ローラ・ラン」は見てないけれどほかにも面白そうな映画があって何かドイツの文化が盛り上がってるっぽい雰囲気があったんで、ちょっと気になってたら登場したのが「Gブンガク」、とは銘打ってなくって正確には「ドイツ現代文学セレクション」ってシリーズが三修社から登場、既刊4冊をそそられて纏めて買ってしまってお金が飛んで行く様を眺める、パタパタパタタ。

 「第2次世界大戦からドイツ第三帝国の崩壊に至る時代、人間の声に憑かれた音響擬しカルナオと利発な少女ヘルガが奏でる『遁走曲』」とゆーアオリが実に読み心を誘う「夜に甦る声」(マルセル・バイアー、長澤崇雄訳、1800円)が気になるけれど、薄いんでまずは「ひとりぼっちの欲望」(マルギット・ハーン、松永美穂訳、1600円)をペラペラ、子供を欲しがらない夫への反発心から猫に復讐をさせる妻の話とか見知らぬ男にエナメルのコートを送り続けられる間に現実と幻想との境目に落ち込んでしまった女性の話とかバイオリニストを夢みながらも街娼として身を売る女性の話とか、欲望に飢えて妄想を膨らませて挙げ句に自滅していく、人間の本性のすさまじさが描かれた短編ばかりが治められて、ドイツんだオランダ日本アメリカのどこでも人間って哀しい生き物だねって事が分かって胸を衝かれる。他も皆面白そう、全8巻にはネット物青春物サスペンスをジャンルも広く揃えれば垣間からでもドイツ文学の「今」が見えそう、要注目。


【3月25日】 テルミンなる楽器は今でもあっちゃこっちゃで売ってたりするとゆーメールを頂き情報ありがとうございますと御礼、でネットに検索をかけて関連しそーなページを見ると、テルミンが実際にどんな形していてどんな使い方をするのか、どんな種類があるかってことが分かる。アンテナが2本と「サーチエンジン・システムクラッシュ」(宮沢章夫、文藝春秋、1143円)に書いてあっても、それが具体的にはどんな形が思い浮かばなかったけど、上に真っ直ぐ突き出た棒があって、横にU字っぽい自転車の荷台のよーなアンテナが突き出ていて、真っ直ぐの方で音程を取り横に突き出た方で音量を操作するらしいってことが明かとなって納得する、ああこれか。

 その足で「ブギーポップは笑わない」のアニメの最終回を見たら、まさしくそーゆー形をしていたけれど、値段を調べると結構な額してそーで(10万円とか)、高校生の藤花がどーやって買ったんだろーかと悩む。が、まあ「正義の見方」なんで金には不自由してなかったと理解しておこー。棒が1本だけの簡易版「ポケットテルミン」ってな楽器もあるみたいで、こっちは1万数千円で買えるらしーんで、暇と時間があったらいつか挑戦してみよー。でも夜中に勝手に鳴り出すと、そばにマンティコアとか出てるみたいでちょっと怖いかも。目をあけると半透明のジミー・ペイジが空手チョップよろしくテルミン操ってたらもっと怖いけど。

 「あんた何サマ?」、と新聞記者が時々(しょっちゅう)見せる居丈高な態度に同じ身の上ながら眉を顰めたりすることが、記者会見での質問の仕方とかを間近に見ながら思うことも結構あるけど、ってゆーか生来の気の弱さ&弱小メディアに所属する者故の、突っ込んだところでどーせ無視されるのがオチって考えてしまう腰の引けっぷりが、強大メディアで颯爽とキシャしてる人たちへの嫉妬心となって現れているだけなんだけど、しかしやっぱり常識良識を越えた部分にある新聞の使命みたいなものを勘案しても、「あんた何サマ?」としか思えないこともないでもない、ああまだちょっと腰が引けてるなあ。

 例の本庄の保険金殺人疑惑な人の逮捕に絡んで、別件云々についてはいつもの事だとしても、男が連日のように開いた有料の記者会見について、「朝日新聞」が自己総括事情説明的な記事を載せているけど、これが何ともまあ他人事のような書き方で、読んでいて無性に腹がたってしょうがない、例えば「連夜通ったある新聞記者は『彼らの逃走の資金源になるかも、と思うと悔しかった』と語る」とゆー部分。そのすぐ下で社会部長が「好ましいことではない。しかし、真実を解明するために疑惑の当事者と接触して十分な言い訳を聞くことは取材する側の責務」と言っているんだから、本当はやりたくなかったんだ的なニュアンスを持たせたコメントを、それも自社とは言わず「ある新聞社」なんて載せるのは、何か言い訳がましく見苦しい。

 取材した際の謝礼について「新聞やテレビの報道記者は、識者談話などを除けば、取材先に謝礼を支払わないのが慣例だ」と言い切ってしまっている部分も、当方なるほど新聞屋として取材した際にお金を払ったことはないし、貧乏なんで識者談話にだって謝礼が出せずに心苦しい気持ちを持ってはいるけれど、それが慣例だと自認してるつもりは毛頭なく、むしろ相手の好意と謙虚に(謙虚だよ)受け止めている方だから、ちょっと違和感があった。

 むしろ後の方にある、雑誌の「金を払うことには抵抗がない」という認識、雑誌の編集長が「雑誌は面白くなければ買ってもらえない」とのスタンス、民放のワイドショーの「テレビは映像が勝負」という割り切りの方が本来の”瓦版屋”的態度に近いよーな気がして、そーゆーコメントに相対化させて新聞の「悔しい」「慣例」なるスタンスを先に繰り広げてみせるあたりに、権威ぶって公正を気取る雰囲気が立ち上る。

 もちろん新聞が権威を司り高踏であり続けるならそれはそれで異論はない、武士は喰わねど高楊枝、を気取って売れなかろうと滅びようと天下国家を論じ続けてくれるならそれは嬉しいことだけど、高踏を気取りつつも理屈をつけて謝礼会見にいそいそと通い、それを「悔しい」などと嘆いてみせる二枚舌的な態度がどうにもいけすかない。「だったらお前さんの取材はこれから有料ね」と言われると弱い立場だったりする身だけに、「よっしゃよっしゃ」とばかりに金満家が提灯を押しつけてくるのには流石に矜持を持って反抗するけれど、日常の取材業務については「貧乏だけど売れてないけど一応は名前、通ってますんで出ると良いことありますよ」ってな感じで、皆様には是非のご協力をお願い奉りまする。

 華やかな場所が嫌いである、というのは自分がいまだかつて華やかな場所に出て、おめでとうよかったね、などと讃えられた経験がないのだから、嫉妬にめらめらと燃える気分を味わい、あとにどうして自分ではないのだ、と自己憐憫に沈みそれから激怒さらに自己嫌悪と気持ちを上げ下げする、なんて格好悪いからしたくないと、あらかじめ逃げているわけで、要するにお前は褒められたいんだろう、めでたがられたいんだろう、と言われてしまえば事実であるから、ぐうの音もでない。恥ずかしい。

 いずれはそんな時と場所を与えて欲しい、と思ってもここにこんなに連日連夜、まる4年も1日で平均すると原稿用紙に5枚分の文章を書き散らし、まもなく100万などという東京ドームが20回も満杯になろうかという人間が来ているのだが、人様の下半身を満足させるような淫靡さをかけらも持ち合わせていない中年男、そのオタク話に金を出そうなどと考える奴がいるはずもなく、別の10万を超えた本についてのごたくを並べたページも、やっぱり1文にもなっていない訳で、華やかな生活への道のりはまだまだ遠いのである。

 が、しかし、いずれはそうなる筈だという確信も贅沢だがほのかに抱いていて、その時にどういった態度を取るべきなのかを観察しておく必要が生じたものだから、平尾などという同じ歳なのに結構な年月を経ての入社となった同僚の、晴れがましくも眩しい結婚式にいそいそと出かけたのであるが、晴れがましい場所ではやっぱりびくびくとしてしまい、新郎新婦が入場した時に流れた音楽がなぜか「となりのトトロ」という、化け物が主人公の動画のメインテーマだったことにも気づかずに、出てくる飯をかっくらい、それも一切合切と平らげたのはいいのだが、一見寿司に見えながらも、ひっくり返すとシャリが立方体、まるで羊羹のように四角く角があったのには驚いた。

 晴れがましい席で角と立てて良いのかという、自制心がその場で働き「これが寿司か」と卓を転覆させるような無様は演じずに済み、事なきを得たのであるが、やっぱり見かけはきらびやかでも、影にはいろいろな大変なことがある、と分かって自分は家路へと急ぎ、引き出物を勝手に取り寄せろというもカタログから「カラーウクレレMAUI」を選び、いつか来るだろう自分の晴れがましい席で1曲、といわず2曲3曲でもだみ声で「てんとう虫のサンバ」を唄ってやるぞと誓ったのであった。うくく。

 って感じで町田康さんの最新エッセイ「耳そぎ饅頭」(マガジンハウス、1500円)を真似よーと思ってやってみたけど、相変わらず自由に滑っているようで町田さんの句読点とか言葉の選び方とか説明の転がり方の独自性は真似がとっても及ばず、また含まれている自虐と罵倒と諧謔と韜晦の複雑さを写し取るのも困難で、真似したつもりが単純に莫迦面さげたみっともない文章になってしまって、皆様におかれましてはご不快を抱かれただろーとお詫び申し上げます。とは言え書いてあることは実は本当だったりするから(結婚式に出たとかってこと)、新郎に心当たりのある人は会ったら言ってあげましょー「奥さんってウンジャマラミーに似てるんだって?」って。


【3月24日】 保険金殺人の疑惑が持たれている人間を、公正証書原本不実記載でパクるのを「別件逮捕」と言わないのはなんか奇妙な感じがしないでもなく、この事件とか車庫飛ばしやら宿帳での偽名使用なんかを理由にしたオウムのガサ入れを「遂に本丸」「真相究明に第一歩」とかって感じで報道していて、世間に顔を向けていられるんだろーか自己嫌悪に気分は落ち込まないんだろーかと、連日連夜を苦労してネタ取りに回っている社会部の人たちに同情の気持ちが沸いて来る。まあそんな気持ちがあるよーな人は、すぐさま胃に穴が開いて入院するかストレスに髪が抜けるかして、一線から退場させられてしまうんだろーけど。

 疑惑が解明されるのは良いことだけど、逃げも隠れもしないで堂々と200回も会見を、それも1回1人6000円も徴収して開いて平気な人間を、別件でしかパクれない警察への苦言を呈さずに嬉々として、6000円の金を払って記者会見に通った数を誇るかのよーに報道する先に来るのはどんな世の中だろー、面白さが優先してすべきこと、やらなくてはならないことが見捨てられ、なかったことにされてしまう世の中か。ネタが転がっている場所に行く、それがたとえ有料であっても行くのは瓦版屋としては当然の行為だろーから別に異論はないけれど、それが世の中にある様々な事柄のどれだけ上位に来るのかってことは、これからの報道の中でちゃんとケリつけて頂きたい。毎回1人が200回、計120万円が10人だったら1200万円かぁ、いや世の中にはいろんなショーバイがありますな。

 馳星周さんの新刊「虚の王」(光文社、933円)を買ってそのまま一気読み、2時間ちょっとで読めてしまったのは段取りの進み具合が巧みで、どんどんとページをめくらされてしまう力量の冴えと、ごちゃごちゃとした修辞を使わず、ストレートにガンガンと書き進める筆の滑りのなせる技、でしょう。関係ないけど書評家の坂東齢人さんが変じて馳星周さんになったが如く、「スリー・アゲーツ」の五倏瑛さんも登場して来たのかってことに突然思い至る、なるほど道理で最近あっちの名前が見えなかった訳だ。何で今まで気づかなかったのかと、連想力の低下に歳を感じる。いや本当にそーなのかは未だに確信は持てないんですが、だってどちらにも会ったことなんてないんだし。

 さて「虚の王」。これまでは新宿に群れるチャイニーズ・マフィアの抗争を皮切りに、台湾のヤクザとか日本のヤクザちった大人のプロのアウトローたちを描いて来た馳さんが、渋谷に群れる10代の、何でそーいったワルい事を平然と出来るのか分からない少年たちの心情に迫ろーとした物語は、一応は主人公っぽい男が、そーいった世代からちょっとだけ上の人間であるにも関わらず、すでに下の心が分からなくなってしまっていて、行動も思考もから回りしてとまどう様が興味深い。ワルでも真面目でも当たり前な思考の奴らがバタバタと淘汰されて、最後に浮かび上がって来るブラックホールのような虚無が、今後ますます拡大していくのかと想像すると未来が、渋谷の街がそら恐ろしく思えて仕方がない。

 自分の痛みにも相手の痛みにも躊躇をせず、ただ己の思考にのみ従う少年の行動原理を描いた内容は、読んでなるほど「そーゆーものなのかもね」とゆー気にさせられるけど、物語を描く上でピタリとハマってはいても、本当はもっと別の思念が少年たちに普遍なのかもしれないといった懐疑も同時に浮かぶ。洞察と取材によって迫ったかのように見える子供たちの心の虚無がそのまま真実なのか、しょせんは僕と同じ歳のおっさんのご都合主義ちょっと入り的設定なのか。大人が読んでなるほどと手を打ちカッコ良いなーと思えたとしてもそれはそれ、やっぱり当の世代が読んで何と思うかを聞いてみたい。そーゆー世代のそーゆー人たちが本を恒常的に読むかどーかは知らないけれど。

 青色7とは無関係(当たり前だ)なオリジナル・ビデオ・アニメ「青の6号」の完結編「MINASOKO」が発売されたんで勇んで買い勇んで見る。潜水艦とクジラみたいなムスカの水中でのバトルシーンはスピード感があってカッコ良く、発射された魚雷が見せるあぶくの感じや透明な水の質感、海底を動き回る潜水艦の重量感も過不足なくちょっと感動する、ニッポンのデジタルアニメも侮れないぞ。物語は……「話せば分かる」ってことなんでしょーか。突き放すよーなラストよりはこーゆー終わり方の方が気持ち良いのは分かるし自分的にも嬉しいけれど、同じ人間だって民族が、宗教が、言葉が、身分が、地位が違っただけで理解できないことがあるのに、果たして彼らがちゃんと共存していけるのか、現実に暴走する奴だっていたじゃないかと思うのも当然で、安易過ぎやしないかとゆー気持ちがどこまでも付きまとう。やっぱり僕はゾーンダイクみたいには達観できないや。

 紀野真弓ちゃんは描き込みが足りないせいもあるのかプニクニかんがちょっと落ちているよーな印象、あとミューティオのカワイサも下がっている感じがしないでもない。陰影がちょっと少ないのかな、前のと比べてみてみよー。獣人の娘ももっと万葉集とか読ませて欲しかった、でも今回はソナー担当の女の子がいっぱい出てるからそっち系な人は喜びに打ち震えることだろー、だって僕今震えてるもん。本編が大サービスな正味40分もあって、けれども某「フォトン」みたく長くなった割には辻褄合わせにすらなってなかったなんてことはなく、密度と緊張感にあふれた時間を過ごさせてくれるから心配は無用。加えて18分間のスタッフインタビューも入っていて、草薙琢仁さん村田蓮爾さんも映像で登場してて(村田さんはちょっと技ありな登場の仕方してるけど)絵のファンの人はどんな顔してどんな場所で仕事しているのかをチョロ見るだけでもお役立ち、でしょー。村田さん絵描く時に煙草吸うんだなー。


【3月23日】 「あずまんが大王1」(あずまきよひこ、メディアワークス、680円)に並べて序ノ口譲二さんて人の「淫魔の乱舞」(松文館、900円)をレジ前に平積みにする秋葉原デパート内書店の経営的に正しい行いにカンドーしつつも早速1冊所望してしまうオレ、しかし最近の人気を後押しするってゆーか引っ張るってゆーかよりかかるかの如く3月10日に4刷をかけてしまう版元もこれでなかなかワルじゃのー。「あずまんが大王」と言えば「ワンフェス」に出しているディーラでこないだ「リアカーマルチ」を見損ねて残念だった「H.B.Company」が「ちよちゃん」「榊さん」を夏に向けて出すみたいで僥倖、ちよちゃんのお下げはやっぱり取り外し式になるのかなあ、左右の動きもちゃんと連動するよーに、とか。

 妄想はさておき秋葉原では早売りのDVDを何枚か。昨晩の放映でいちおうの完結を見たテレビ版「ブギーポップは笑わない」の第1巻を探して最初迷って良く見たらトールサイズじゃなくCDケースでの販売で劣勢な中でちょっと珍しいとか思う。あのサイズの中に分厚い多層式で角度によってポーズが変わるイラストが見られるカードを封入してしまうのってちょっと英断だよなー、絵もたいしたことないし。そーいった初回限定の特典が入っていたりするのはともかく不明なのは「マルチアングル」って項目がチェックしてあることで、アダルトとかライブだったらいざしらず、単純なアニメでマルチアングルっていったい何だろーと悩む。

 あとで見るとビデオ版とオンエア版を切り替えられるってことらしく、我が家のDVDプレーヤーだとマルチアングルの箇所を教えてくれる表示が出っ放しになるところを見ると、結構な差異がオンエア版とビデオ版にはあるってことなんだろー、でもどこいらへんが違ってるんだろ、相変わらず画面暗いし隅も黒いまんま。それでも操作すると微妙に明るさが変わるよーな気がするのは、本放映の時に相当に明るさを落としてたってことなのかな、血とかのシーンは赤いまんまだからそーゆー規制はなかったのかな。

 さて完結したテレビ版「ブギーポップ」は秋葉原のどっかで見たことのある風景がアニメになって登場して懐かしさもひとしお。ガード下のごちゃつきぶりとか、見たまんまの風景が出てきて思わず自分みたいのがいないか探してしまいましたとさ、チョンマゲ系の兄ちゃんとか頭の象のパソコン売りとか(いないよ)。けどいくら「オタクの街」となった秋葉原でもあのマントにあの帽子姿じゃーやっぱり目立つってことなのか、部屋に入ってから着替えて口笛を吹き吹き登場ってあたりに、自動的な割には結構ナイーブじゃんと見直す。それでも宮下藤花の受験を大失敗へと追い込んだあたりの傍若無人さは、やっぱり死神らしー振る舞いだ。

 藤花が買ってブギーが供えた「テルミン」って電子楽器に聞き覚えがあって、最近の健忘ぶりにしばらく頭をぐりゃんぐりゃんと振り回してそーだった宮沢章夫さんの「サーチエンジン・システムクッシュ」(文藝春秋、1143円)に出てたんだってことに気づく。それによれば「テルミン」って楽器は、1920年にロシアのレオン・テルミンって人が発明したガキらしく、突き出た棒の回りに手を近づけたりするといろんな電子音がギューンギュンピョーンピョンと鳴り出すらしー。珍しい楽器って書いてあるけど、でも藤花、「メディアワークス」へと曲がる道の角だかにある楽器屋で買ってたぞ、売ってるの?

 そー言えば、しばらく前にNHKの「ポップジャム」か何かに出演した小山田圭吾さんの「コーネリアス」がステージで使ってたよーな記憶もあるなー、ガイコツスーツ来た兄ちんだかが中央で呪術っぽく手を動かしてヘンな電子音を鳴らしてたっけ。原理は不明で人間の何か磁気だか電磁場だかを捉えて鳴らすのかなー、そんでもって電磁気か何かになって残っているマンティコアを引っぱり出そうとしていたとか。最初から小道具として考えていたんだとしたら凄いけど、タイミングもばっちりな同時発生ぶりってゆーのは何だろー、やっぱりシクロニシティー? それとも何か別のきっかけがあったのかなあ、誰かのライブで使われてたとか、どっちかがどっちかを引いたとか。

 DVDは「デ・ジ・キャラット」の1巻も購入、早速見たけどオンエア版にはなかったよーなBGMが付いてるよーな気がするけどどーだったっけ、静まり返った中での唐突で容赦ないセリフが心にズキズキ来た記憶があってちょっと違うよーに感じたんだよね、あとセリフのタイミングとかも、まあ気のせいだろーけど。短い本編なのに収録の8話の全部にオープニングがちゃんと収録されているのはちょっと贅沢、でもあのイントロと無駄に動く絵があっての本編だったりしたから気持ちを入れ込むのには不可欠なんだよね、だから正解。

 おまけに「トレーディングカード」が封入されているのは流石にユーザーの気持ちを考えてるってゆーか、それとも余った奴をバラまいたとか、できれば「鉄足ジョニー」のカードが欲しかったにょ、いかん伝染り始めてる、治療。映像特典の声優さん3人の対談はビジュアルを見て声優であることの必然性が直感として浮かんで来たけどそれがどーゆー意味かは言及しない、「目からビーム」で焼かれかねないし。ぷちこは地声も可愛いんだねえ、あとでじこの真田アサミはあれで結構上手いんだねえ、「ほかほかご飯」の入った下巻、期待してますあと特番? 待ち遠しいなあ(もうにょとはつけない、恥ずかしいにゅ)。

 カプコンが京セラとかDDIポケットとかと一緒に発表会を開くからってんで会見場へ。隣りで「時代小説大賞」のパーティーをやっててそっちに潜り込みたかったけど、無関係だし知り合いは皆無だし本読みとしては下っ端も良いところだから諦めて本業、それにしても「着メロ」をダウンロードする端末にPHSを取り付けてワイヤレスでデータの送受信を出来るよーにする「だけ」の会見に、どーしてプレスが100人とかの単位で集まりテレビカメラも在京キー局のほとんどが入るのかねえ、去年だったらちょっと考えられなかった事態だよ、これ。

 思うんだけど「ゲーム」に「ネット」と聞いてバリューも考えずに大騒ぎするのは株式市場だけじゃなくマスコミも一緒、でもって過熱気味の報道が市場を煽ってその市場の反応にマスコミがまた大騒ぎするってゆー情報のインフレスパイラル状態が続いているよーな気がしてて、中に居てスパイラルを煽る役を買いながらもちょっと気持ちが醒めて来てる。どーなってしまうのかねえ、加熱する中で騒動がバリューを嵩上げした分が、冷めて後も下がらず実態となってくれればそれは楽しいことなんだけど、マスコミって移り気だからなあ、でもって死屍累々の「ネット破綻者」たちを嗤うんだ、他人事のよーに。

 なんてことを含めた最近のマスコミのゲームとか玩具の報道に関する過熱ぶりを、他人事のよーに揶揄する文章を原稿用紙で10数枚くらい書いて明け方にメールしたけど、一応はとっくに締め切りが過ぎていたはずの原稿であるにも関わらず、そーした意見が寄せられた訳じゃなくどこに送ったら良いのかも実ん所は不明だったりした訳で、さてはてベテランの原稿落とし屋さんにおかれましては「督促がない」「担当が不明」な原稿については、どーゆー処置をとっておられるのか伺いたいところ、です例えば「言って来るまで放置しておく」のか「どうせ言ってくるだろうと一応は仕上げるけれど自分から言い出すことはしない」のか。何か砂に水撒いてる気分になって来たねー、ちょっとだけ。


【3月22日】 作家と編集の確執ってゆーかバトルの話はそれこそ枚挙に暇がないけれど、媒体を編集がギッチリ握ってたちょい前だったらそうした話が世の中に出ることは少なかったのに、インターネットなんて便利なものが出来て作家が自分でホームページを立ち上げるよーになった今、こーしたどろんどろんな話が読者とか他社の編集者とかね眼にじかに触れられるよーになったのは、作家としては喜ばしいだろーし該当する編集の人にとっては内心ビクビク物、だろーね。

 面識はないし熱心な読者でもないけれど佐藤亜紀さんって人は、意見は好きでも決して気持ちが先走るなんてことはなく、冷徹に沈着に批判でも批評でもしていくタイプに見えていたから、ここに書かれている話も一方的な恨みってゆーよりは、よくよく腹に据えかねての暴露ととらえた方がいいのかな、もちろん新潮社にも知り合いはいないし内実も分からないからどっちが良いか悪いかの判断は棚上げして、少なくとも佐藤さんの書いた「メッテルニヒの仕事」がどっかからでも良いから出てくれればとだけ言っておこー。それにしてもエロだヅカだってのはホントにホント? 

 平野啓一郎さんに関連する問題も比較できるほど「日蝕」と「鏡の影」を読み込んでいないから態度保留として、気に掛かったのは「日本ファンタジー・ノベル大賞受賞」の出身者は”文学”の世界ではアウトカーストに属していて、土俵には決して上がらせてもらえないから気を付けて、ってな感じのことを言っている部分で、そんなことないじゃん酒見賢一さんは「童貞」とか「語り手の事情」とか文学寄りな作品を書いていて今も立派に現役だし、受賞者候補者含めて結構な数の人がちゃんとそれなりになんとなくまあまあ……ちょっと気弱になって来たぞ。

 けどとにかくちゃんと活動している訳で、佐藤さん自身も小説やら評論やらを出して現役だったりする訳だから、後進の気をやきもきさせるような事はあんまり言って欲しくないなと思ったけれど、”文学”というジャンルを雑誌で言うなら「小説新潮」と「新潮」の括りで見るならば、「新潮」的な土俵での取り組みは他社ではあんまり見かけた記憶がなく、かといって「小説新潮」って感じでもない、エンターテインメントというよりはブンガク寄りな作風の佐藤さんが、一応は一門同部屋な「新潮」の土俵から閉め出されたらやっぱり困ってしまうことになるんだろー。

 個人的にはノンジャンルに面白ければオッケーな人間なんで、どこに載ろうと何が書いてあろうと作家が居てその作品だったら構わないんだけど、意外と出版業界ってそーゆー”レッテル”を気にするところなのかもしれず、それは売る時のキャッチフレーズの付け方プロモーションの仕方なんかにも現れそうだし受け止める書評子なり読者子の意識だって決してオープンって訳じゃないから、どっちつかず(本当はどっちだって立派にオッケー)な佐藤的世界文学級の作品は、ますます読者の眼から遠ざけられてそんな資質を持った作家もやっぱりマーケットから切り放されていってしまうんだろー、なんか哀しい。それでもやっぱりこうして「モノが言える」状況があるのは昔に比べて幸いかも、読んで気にする編集読者の山と居るだろーことを願いつつ、古本屋を回って絶版になりそーな佐藤さんのハードカバーの単行本を漁りまくろー(持ってるハズなんだけど山奥から相変わらず出てこないぃぃ)。

 インターネット・プロバイダーのCMのインド人じゃないけれど、思わず「マジですか」と叫んでしまったのは「DASACON3」の参加者名簿に山尾悠子さんの名前を見つけたからで、これまた決して良い読者じゃないけど名前は古くから知っていた人だけに、やっぱり古本屋を回って何としてでも著作を手に入れサインをもらわなくっちゃと思ってみたり。でも滅多に眼にしないんだよなー、どの本もさっぱり。参加者の作家度が結構高いのは関西ならではのサービス精神の現れか? 「日本ファンタジー・ノベル大賞」出身のアウトカーストかどーかは知らないけれど期待の新鋭、山之口洋さんに森青花さんにたしかそーだったよね、な北野勇作さんも参加されることだし、果たして佐藤亜紀さん言っていることが常態なのか異例なのかを聞き出してみたいなー、なんて思ったけれどそれぞれに差し障りもあるだろーから止めておこ。

 酔っぱらって何個も適当に打ち込んだら「2つでじゅうぶんですよ」と言われて「のー、ふぉー」と言い切るだけの顔も力もないからあきらめて2つを引っ込めたのは「○○と××くらいちがう」選手権、じゃない大賞か。しかし「山号寺号」で成田山新勝寺からグルタミン酸コブの味、イノシン酸カツオ味、スコットランド産ストーンヘンジ、豆腐屋さんへのへのもへじへと連想を働かせた「たたかう天気予報」の火浦功さんじゃないけれど、酔っぱらって歯止めの利かなくなったあまたからは下らないアイディアもどんどんとこぼれて行き場がなくなってしまうのにはちょっと参る、かといって応募も出来ないし……。

 しょうがないここに書いてお茶を濁すか「仙台エリと宮城まり子」「宮城まり子と山形浩生」「米田淳一と稲川淳二」「バルデラマとバナナラマ」「RマドリッドとAマドリッド」「ロベルト・バッジオとディノ・バッジオ」「ジオブリーダーズとディノブリーダーズ」「新谷かおると佐伯かよの」「筒井康隆と筒井道隆」「青の6号と青色7」「神崎あかりと神岸あかり」「山下達郎と山本達彦」「山上たつひこと山止たつひこ」「吾妻ひでおといしかわじゅん」「サンガリアでがんばりや」「さかいみつやすとさかいーやすいー(しごときっちり)」……あーしょーもな。


【3月21日】 「火星人刑事」(安永航一郎、集英社、505円)の第3巻が出てたんで1も2もなく即購入、思い起こせば「県立地球防衛軍」の連載何回目だかの「しいたけヨーグルト」の回を、偶然にも買ってしまった「増刊少年サンデー」で見かけて以来のデフォルト漫画家で、もうかれこれ20年近くになるんだけど、まさかこんなに長く活躍するとは思いもよらなかったなー、テンションも当時のほとんどまんまで。同時にこれだけ長い割には今ひとつ超メジャーになり切れないあたりに、特殊な設定独特な展開故の間口の狭さ深さがあるんだろー、熱血とゆー切り口のある島本和彦さんとはそこいらあたりがちょっと違うのかな。

 今回は幼稚園に潜入して捜査する話があるんだけど、山ほどの幼稚園児が出て来る展開にいつもながらの展開を重ね合わせて、さぞやたくさんの可愛いパンツを見せてくれるのかと思ったら、実際に見せているのは1コマ2コマをのぞけば一見幼稚園児でも実は「火星人刑事7号」22歳だったり、1号のえっと40幾つだったり、幼稚園児の服は着てても体系は高校生なみで年齢はさらに倍な主人公の5号だったりするから、見事に16歳以下の児童を劣情をもよおさせるような淫らな格好では出していない。うーんまさかちゃんとそこまで考えていたのか、そこまで考えないと描けないのか、児童ポルノ法の恐ろしさをちょっぴり考えてしまう。とかいって15歳の織田川の娘がすっぽんぽんだったり火星人だったりの格好で暴れ回っているから、単なる考え過ぎだなんだけど。

 「日経産業新聞」が例の「プレイステーション2」リージョンフリー問題について記事にしていて、これでだいたいの新聞メディアが取りあげたってことになる、でも流石に技にまで踏み込んだ報道をしていないのは武士の情けか単に知らなかっただけなのか。僕はそういった事態が起こることが問題であって別に方法までを教えてあげなくっても目的は果たせると考えたから書かなかったんだけど、「日経産業」が確か相当複雑な操作が必要とか書いている部分には、そうまでして影響はたいしたことないと見せたかったんだろーかと悩む。ソニー・コンピュータエンタテインメントがそう言ってたんだとしたら、決して操作は複雑じゃないし、日経よく読むな人だったらネットを探して軽々と該当する操作方法を割って試せると思うから、かえって慌てふためいているっぽさを感じさせて逆効果のよーな気もするけれど。ソニー株は今日も下落、これで本格的にガイアツが始まったらさてはてどうなることやら。それともこれで材料で尽くしとなってウヤムヤで終わっちゃうのかな。

 どーせ今年もどこに行くでも誰と過ごすでも予定の一切入っていないゴールデンウィークだから、寂しくポツねんと勉強でもするかと「SFセミナー2000」への参加を申し込む。場所が変わって500人も入る会場にさてはて昼間にどれくらいの人間を集められるんだろーかとお節介にも心配しているけれど、とりあえず確定している企画だけでもその凄さが炸裂しそーで、今世紀中にこれを見られるだけでも人間やってよかった感がありそーだからきっと群衆に会場は埋め尽くされることだろー。題して「角川春樹インタビュー(仮称)」。まさか今のこの時期に、お天道様の下を歩いているとは想像できなかっただけに、「SFセミナー」の長い歴史と伝統の中でも、貴重にして空前、珍奇にして絶後の企画になるんじゃなかろーか、桜田門からの参加なんかもあったりして。

 しかし角川さん、しばらく前の「週刊プレイボーイ」のインタビューで、それまで神社を作って拝んでいた生活を止めたと言っていて、何故だと聞かれてだって自分が神様なんだから他の神様を拝む必要なんてないじゃん、ってなナイスな答えをしていただけに、たとえSFが中心の話であってもどんな横滑り地滑り土砂崩れ津波に火砕流を引き起こしてくれるのか、今から楽しみでならない。隣りで直撃を受ける大森望さんにはあとでちゃんと祭ってあげますから力いっぱいぶつかって下さいと応援の辞を贈っておこー。あと「アレクサンダー戦記」もイマイチ盛り上がりに欠ける中で主題歌に起用した小柳ゆきさんが「あなたのキスを数えましょう」で大ブレイクしていることもあるから、そのあたりの慧眼ぶりを聞いてもらえるとファンとして有り難い。「慧眼? いやいや神眼だ」と答えられて終わっちゃうかもしれないけど。「その割には当たりませんねえ『アレクサンダー戦記』」「神罰!」。

 「SFセミナー」の前に「DASACON3」もあるから4月5月はSFづくし。とは言え大阪開催となる「DASACON」は関西名物な作家さんたちが結構ぞろぞろ来そうな感じで東京とは違った雰囲気が楽しめるから参加するのも吝かではなかったかも、「東京ゲームショウ」? んなもん1日でじゅーぶんだ。しかし夜からのスタートに折角の関西行きの1日を無駄にするのもしのびないんで、「電撃アニメーションマガジン」向けに安倍晴明関連の本のまとめを書いた御礼あるいは厄除けに京都の晴明神社でも寄ってご挨拶でもしてこよーか。平べったい京都の街なら買ったばかりの「スケートスクーター」をかついでいけばバスもタクシーもいらずスーイスーイを移動できるから楽チン楽チン。前に取材に京都まで行った時、暇だったからと京都駅から平安神宮まで歩き、翌日は三条河原町から京都御所を越えて府庁だか中西印刷だかまで歩いたことを考えれば、地下鉄で最寄りの駅まで言って一条戻り橋までケリンコするのって、全然楽でしょ京都の人ぉ?


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