“Nice to see you”とジェフは言う。

 関係が途絶し、外側と隔絶した日々で希望を失い、絶望に沈みがちな心に必要なのは、ほんの少しでもいいから、繋がっているんだと感じられることなのかもしれない。繋がりから耳に届く言葉とか、振り向けられる行為によって人は、泥沼から抜け出し、立ち上がって歩み出すことができるようになる。

 受けた絶望の大きさとか、感じた悲しみの凄まじさから、どうしても起きられず、立ち上がれなくなってしまう人もいる。だからといって切り離し、囲ってしまえばもう戻れない。繋がっていさえすれば、いつかそこから外に出て、広がっていける。野崎雅人が書いた「“Nice to see you”とジェフは言う。」(日本経済新聞出版社、1600円)という物語が、そう感じさせてくれる。

 袋詰めされた男が孤島に置き去りににされる。彼の父親がかつて任務で洋上を飛んでいた時に、事故で墜落して流れ着き、しばらくの間過ごした島。その時にいっしょに漂流生活を送った元同僚が、男を島へと連れてきた。何のために? そう思わせて場面は大阪へと移る。

 ネット上で高品質の映像を見せられるようにする技術を開発して、ばく大な利益を上げたタカシという名の青年。ところが、その技術が著作権侵害のツールになっているとハリウッドの映画会社などから訴えられ、訴訟に走り回った挙げ句にタカシは財産も住む場所も失って、今は大阪のネットカフェを泊まり歩きながら、手持ちの金が尽きたら死のうと考えていた。

 それでも何かにすがりたかったのか、しばらく前から評判になっていた、ジェフという男が孤島から「nice to see you!」と語りかけ、世界各国から寄せられるメールに答えるビデオブログに投稿。それが紹介され、世界中から寄せられた彼の振る舞いをたしなめる言葉を聞いて、タカシは死ぬのを思いとどまる。

 タカシはメンテナンス会社に居場所をみつけ、汚れた墓を綺麗に磨く仕事をしながら、生きていくだけの気力を取り戻す。そんなタカシがビデオブログを通じて心に止めたのが、死ぬなんて安易に言ったタカシを激しく叱った大阪の看護師の言葉。ハルミという名のその看護師は、難病の少女の看護に関わっていて、治療も受けられず回復もしない少女のどうしようもない病状に深く悩みんでいた。

 ハルミは孤島から発進し続けるジェフの話を少女に聞かせ、生きる支えにしようとしていた。けれども、結果としてそれを果たせず落ち込んでいたハルミは、墓を磨く仕事をしていたタカシに舞い込んだ、無人島から消えてしまい、ビデオブログの更新も途絶えてしまったジェフの行方を追う旅に関わることで、世間との繋がりを取り戻していく。

 タカシとハルミとは別の場所で、孤独を覚えながら世界との繋がりをハッキングという行為に求め、足掻いていたのがMDという名の美少女。外国に赴任したソ連人の父親を持ち何不自由なく暮らしていたけれど、ソ連崩壊後のロシアに父親が家族を捨てて戻ってしまい、MDは置いて行かれた寂しさを埋め合わせるように、ハッキングの腕前を磨き、今では世界でも屈指の存在となっていた。

 そしてMDは、ネット上から消えてしまったジェフの行方を探すために、世界から集められた名うてのハッカーたちの1人として、ジェフの居場所の手がかりがあるらしい日本へとやって来て、タカシやハルミと出会う。

 日本の緊縛写真を残していなくなった父親への屈折した感情を、補い埋めようとしてハッカーの道に進み、荒んでしまった心が、ジェフの所へと向かう旅の中で次第にほぐされ、温められていく姿に、繋がりを求める心の鋭さを感じ、それが得られる喜びを感じる。

 ジェフが島に置き去りにされるプロローグから始まって、少しづつ物語が重なり、人々が連なって事件が浮かび上がってくる展開と、数少ない手がかりから、ハッカーたちが天才的な頭脳と腕前でジェフの居所を探り当てるステップは、最新のテクノロジーを駆使した一種の探偵ストーリーとして楽しめる。

 一方で、身にいろいろ抱えた人たちが、手がかりを求め手探りで歩み差しのばされる手をつかんで光の下へと向かうという、人間の再生を描く物語でもあるこの作品。自殺を迷っていたタカシもそうだし、世話をしていた少女への後悔に落ち込んでいたハルミもそう。MDも同様に、過去を埋め、鬱積していた懊悩を振り切って自分の足で立ち上がる。

 孤島に置かれたジェフが至る、笑顔を失い沈黙の中に沈んでいく日々からも、差しのばされる手のない世界の虚ろさを感じさせ、会社のためとか報酬のためではなく、人間として早く助けてあげたいと思わせる。

 読み終えて誰もが思うだろう。会えて良かったと。誰もが感じるだろう。繋がっていて嬉しかったと。「Nice to see you」。ジェフがビデオブログで語りかけた放った言葉が、見知らぬ大勢をつなげて明日を開いた。その先にたとえ厳しい現実が戻ってきても、くぐり抜けた心はもう崩れず、そして折れない。

 今とても辛くて、とても迷っている人がいたら「“Nice to see you”とジェフは言う。」を読めばいい。ジェフのビデオブログはないけれど、代わりにこの物語から、ジェフの言葉が聞こえてくるはずだ。会えて良かった。そんな言葉が。

 デビュー作の「フロンティア、ナウ」(日本経済新聞出版社、1300円)から「天王寺クイーン」(日本経済新聞出版社、1500円)と、経済や政治や社会にまつわる闇を探り、描いてきた野崎雅人だけあって、この作品でも世界に満ちた矛盾が示され暴かれる。もっとも、展開の広がりとユーモアと、そして前向きなメッセージが伝わってくる点は目新しい。

 キャラクターの強力さは過去最高。とりわけMDというゴスロリの美少女が素晴らしい。まず美しい。そしてドS。ザッハトルテが食べたいからと、相棒にモナコからウイーンへと買いに行かせるし、目的のためなら手段を選ばないところもあって、命を救う仕事をしていた看護師のハルミと衝突する。

 一方で食べ物には目がなく、関西国際空港に着いて頼んだ日本食の持つ繊細さに大喜びしてみせる。そこでプティングらしき食べ物に入っていた苦い物に驚き、慌ててレストランを逃げ出してしまう可愛らしさ。何を食べたかは日本人なら分かりそう。なるほどそうかもと納得しよう。

 ハッキングする時は服装とかを気にせず、下着姿になったりすることもあってビジュアル的にも目に嬉しいMD。スカート姿のまま逆立ちしては旋回して、立てられている看板を板をぶち割る格闘術にも長けている。ヒロインの1人として使い捨てるには勿体ないほどのこの存在感。いつかスピンオフ作品として、MDが世界を相手に大活躍する物語を書いて欲しいと、切に願う。


積ん読パラダイスへ戻る