柚木春臣の推理 瞑る花嫁

 「読んでから見るか、見てから読むか」と、テレビから流れてる映画の宣伝文句に責め立てられた世代の人間にとって、地方の旧家や名家で起こる、遺産相続をめぐる家族たちのもめ事に巻きこまれた都会からの来訪者たちが、持ち前の推理力で鮮やかに解決してみせるという物語から浮かぶビジョンは、湖畔に突き刺さって足だけ見せた逆さまの死体だったりするけれど、五代ゆうが書く「柚木春臣の推理 瞑る花嫁」(双葉社、1400円)で繰り出されるビジョンに、そうした猟奇的なシーンはなく、山間を響いて渡る手鞠歌も逆さ吊りにされた死体もやっぱりない。

 ただし、那須湖畔や岡山の寒村や瀬戸内海の島で起こった事件に劣らない、名家旧家ならではのドロドロとした因業はある。むしろ溢れかえっている。甲府市街から車3時間から道を間違えれば4時間ほどの場所にある、その地域に君臨する名家、河原崎家の当主で死んだ憲明という老人が集めていた、チェンバロなどアンティークの楽器が揃えられた部屋の地下。そこで、憲明の息子で新しい当主となった利憲が首に何かで締められたような痕を残して死んでいた。窒息死だった。

 普通だったら、憲明が残した財産の分け前を増やそうと、家族の誰かが画策したものだと疑われるはずだったけれど、そこに都会からやってきて、前日に河原崎家の面々と会っていた3人組がいたから警察も訝った。それがユキとタカシと徹の3人。ユキとタカシは古くからの知り合いらしく、ミュージシャンとしてメンバーの足りないバンドに助っ人として入って、タカシは主にドラムを叩いたりギターを弾き、ユキはキーボードやピアノを受け持って、それなりの腕前を見せていた。

 徹はといえば、何か事情から両親のもとを離れ学校にも通わないまま、ライブハウスを経営する叔父の世話になっていた。そこで起こった事件で、ミュージシャンとしてヘルプに来ていたユキやタカシと知り合い親しくなって、事件が一段落した後もつき合いは続いていた。今回は、タカシの知人が都合で行けなくなった、憲明が遺した楽器を処分して欲しいという依頼を代わりに引き受けたタカシとユキについて河原崎家に行き、そこで処分を主張する利憲の娘・美由紀と、阻もうとする息子の利成との諍いを目の当たりにしていた。なおかつ楽器が置かれていた音楽室の床が抜け、落ちた利成を引っ張り上げた時に、いっしょに見つかった男女2体の人骨の標本を、嫌がる家人に代わって憲明の書斎に運び入れていた。

 人見知りの激しい田舎に現れると同時に、陰惨な殺人事件が起こった都会の人間たち。これは怪しいと、地元の警察が思ったものの当然だけれど、ユキやタカシには前に起こった事件で知り合ったらしい、警視庁の警部によるお墨付きが出ていて、すぐに犯人の候補から除かれた。とはいえ3人は、とりわけユキは事件に興味を示してすぐに東京へは戻らず、田舎に留まって事件の成り行きを見ようとする。なぜそこまで。

 2015年に起こったその事件の挟み込まれた幾つかの過去。1998年に開かれたある結婚式で、まだ少年だったユキが、巧いけれども心のない、その場しのぎのような演奏をして新郎の祖父という老人に聞きとがめられ、挑発されて老人が奏でるチェンバロを相手に、ピアノでバッハの「ゴールドベルク変奏曲」を弾き合ったこと。高校生だった2003年に、女子高生の携帯を没収して回る大学の助手が川で事故死した直後、彼が行っていた行為をめぐって現れた金持ちの男女や、おとなしそうな女子高生たちが何を思い、何をしていたかを暴いたこと。2つの関係なさそうな事件が、2015年に田舎で起こった殺人事件に繋がっていき、そこにひとつの心理を浮かび上がらせる。

 天才の孤独。あるいは獣性。常に冷静で、鋭い観察と知識によって犯人を追いつめていくタイプのように見えるユキも、かつては老人の挑発に乗ってピアノ勝負を挑み、その途中に起こった事件で賢しらに真相を暴いてみせては、老人の嘲笑を買っていた。なおかつ20年近く後にたどり着いた本当の真相は、ユキがより大きな天才の手のひらで踊らされていただけだと告げた。その老人もまた、事業で成功しながらも家族に愛を示さず、得た息子にもその子たちにも関心を向けないまま、仕事のとき以外はひとりでひたすらに謎めいた物品を集めて飾り、籠もって音楽に勤しむだけだった。

 老いて枯れた訳ではない。まだ若かった頃に関心を抱いた女性の影を、老人はひたすらに追い求めていた。果てに得た珠玉に老人は、すべてを注ごうとして結果として醜悪な分裂を引き起こすした。もっともそれすらも、計算を違えたのではなく、人間の理性に抑えられない獣性をどこまでも追求し、生きた結果として予想していたことなのかもしれない。その生き様に、人間としての怒りや憤りや悲しみといった感情を持たず、興味の赴くまま機械のように謎をといていく金色の瞳の持ち主は、いったい何を思ったか。くだらない人間だと蔑んだか、それとも。

 2つの過去の無関係な事件にいずれも関わり、そして本編となる事件で2つの事件がそこに重なった中心にユキがいる偶然は偶然過ぎるのか、それともほかに理由があるのか。物語の展開上の都合としてではない、何か運命めいたものがあって、それがユキを動かし徹を巻きこんでいるのだとするなばら、そうした事件すらもより大きな要素として、いずれピースのようにはめ込まれ、全体像を成す瞬間が来るのかもしれない。ユキとは何者か。そして彼が全力を発揮して見える世界のビジョンは。見せられだろうそれらへの興味がわく。

 双葉社のウエブ上で連載されている、徹がユキとタカシと出会った事件を描きつつ、才能への憧憬と失望を見せようとしている青春ミステリー「<A>の旋律」と登場人物を同じにしながら、違ったカラーを持った情念と探求に溢れた物語。いずれはそうした青春にも、情念にも留まらない凄絶な世界の有り様を見せ、そこに向き合う孤高の怪物の生き様を見せていってくれると願いたい。


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