眠れない夜には星を数えて

 眠れないんだよといって外に出ても、今住んでいる都会では、数え始めれば数分で終わってしまうくらいの数の星しか、空にはまたたいていない。仕方なしにつっかけのままで夜道を歩き、近所のコンビニにかけ込んで読み残しの雑誌を片づけ、夏ならコーラのペットボトル、冬ならおでんの1つ2つを買い込んで、家に帰ってごくごくと飲む、あるいはむしゃむしゃと食べる。

 時計の短針が1目盛り進み2目盛り進み、それでもパッチリと開いた目はますます冴えて、布団に入って明かりを消しても、やがて慣れた夜目に写る天井の、染みの数を1つ、2つと数えてしまう。これではいけない、そう思って布団を頭からかぶり、今日あった出来事、明日あるかもしれない出来事、やがて訪れる運命なんかについて、あれやこれやと考え始める。心がどよんとして来たり、逆にうきうきとして来たり。思いっきりの肥大や思いっきりの飛躍によって、最初の思いつきとまるで違うことを、次の瞬間に考えていることもあるが、そんな肥大と飛躍を繰り返しているうちに、いつしか妄想が夢想へとなって、そのまま夢の世界へと引きずり込まれていく。

 「うまく眠るためには、『リラックスしましょう』とは言いますが、誰も『集中しましょう』とは言いません」−「眠れない夜には星を数えて」(大和書房、1300円)というエッセイで、漫画家の吉野朔実さんは、眠れない夜の過ごし方をこう提案しています。「リラックスして眠ろうとすればするほど追い詰められて目が冴えてくる、これはいかんと焦って枕を変えたりはずしたりしてもるも空しく、ますます眠りは遠くなっていく」「それでは、いっそ、集中してみたらどうでしょう?」

 「眠れない夜には星を数えて」には、吉野さんが眠れない夜に布団の中で天井を見つめながら考えたりする、「ちょとtだけ罪のない面白いこと」の数々が詰まっています。そのすべてが誰もに当てはまる方法ではありませんが、もしかしたら今晩、眠れなかった時にそのなかの1つを、試してみてもいいかなと思っています。それはとても素敵な経験になりそうです。

 どれが良さそうなのかと、ページをめくって考えています。「深層心理テスト」はどうでしょうか。「あなたは、ひとりで砂漠を旅しています。連れはサル、牛、馬、ライオンの四匹です。旅を続ける為に、一匹づつ捨てて行かなければならなくなりました。あなた、どの順番で捨てていきますか?」

 僕は「馬」を最後に残しました。だって乗って走れる「足」になる動物です。ずっと手元に置いておきたいって思っても、決しておかしくないじゃないですか。吉野さんも同感だったようですが、深層心理では「馬」の象徴しているものは「足」とはちょっと違っていて、今の自分の自堕落な生活とはちょっと当てはまらないもので、ちょっと意外に思いました。それとも自堕落だからこそ、逆に憧れの対象となっているものを、手元に残したかったのかもしれません。

 なんだか人生について深く考え始めてしまいました。次は「**とえいば」をやってみましょう。「ジョー」といえば「矢吹」か「島村」か「若草物語」云々。「安田」といえば「成美」か「火災」か「記念」といった具合に、「**」から連想するものを次々と頭の中で並べていくのです。「安田」で「講堂」が出る人は、ちょっとお年を召された方ですね。

 本当はこの遊び、みんなで集まってやると、相当に盛り上がるのだそうです。「はじめは一般的な答えに終始していますが、そのうちウケやオチ、インパクトに走り始めます」(31ページ)。修羅場の仕事場で締め切りを前に徹夜の続いた頭で、吉野さんとアシスタントさんたちがウケやオチやインパクトに走ったすさまじい答えを競い合っている様を思い浮かべると、なんだかとても楽しくなってきます。

 「聞き捨てならない」ことがらについても考えてみましょう。「西瓜に塩はアイスクリームに垂らす醤油みたいなもので、明らかに刺身のワサビとは・・・」「ち、ちょっと待って下さい!」−「西瓜に塩」と「刺身にワサビ」は意味が違うという例えに持ち出された「アイスクリームに醤油」が、一方には「聞き捨てならない」ことだったようで、「西瓜に塩」と「刺身にワサビ」との違いに、どちらも同意しているにも関わらず、激しい言い合いが始まってしまいました。

 これはあくまでも例のようですが、このように前振りに失敗して、本来意図していた議論が出来なかった経験を、あれこれと思い出しているうちに、巨大な西瓜味のアイスクリームに、醤油と塩をかけて食べている夢の世界へと、連れていかれていることでしょう。

 エッセイの幾つかには、眠るための方法を示していると同時に、吉野さんのこだわりのようなものがにじみ出している作品が幾つかあります。「カレー味 の」で吉野さんは、カレーうどんを食べたことがないと書いています。吉野さんにとって「”カレー味”といえばそれは”カレーのにおいのするカレーでは無いまずいもの”」だそうで、それは「フランス風」とか「和風」とかにもあてはまります。

 また「こども用歯磨粉のいちご味、バナナ味」や「蟹かまぼこ」、「ゆず風味」「焼き肉風味」「タコ焼き風味」etc・・・。これに類するものをあれこれ考えていけば、やっぱり夢の世界へと向かうことができるのでしょうが、その前に吉野さん、どうやら紛い物とか妥協とかがあまり好きではない性格だということが、エッセイで取り上げた題材から伝わってきます。

 「するあまり」で吉野さんは、食べたくなかった饅頭を食べさせられたにも関わらず、相手に配慮するあまり、その場では何も言えなかったのですが、後ではっきり、「饅頭はタルトじゃない。卵タルトと卵は全然ちがう」と書いてします。妥協しっぱなしだと、心に澱が溜まってイライラが募って、眠るどころじゃなくなっちゃいますからね。

 エッセイにはそれぞれに、少年と犬を描いたイラストが付いています。少年は「僕だけが知っている」の夏目礼智クンに似ています。犬は「少年は荒野をめざす」のたびを間抜けにした感じでしょうか。赤いパジャマを着て眠る少年と、赤い靴下を履いて丸まった犬のイラストが表紙に使われています。

 眠れない夜に、気持ちよさそうに眠る犬と少年のイラストを開けて、眠るための方策をあれこれと考えてみませんか。安上がりだけど、とても贅沢な気持ちになれますから。


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