ニート

 滝本竜彦の「NHKにようこそ」(角川書店)が刊行された時、賞賛に紛れて出てきた反論に「岬ちゃんみたいな女の子なんていない」というものがあった。引きこもってゲームに興じている気持ち悪い男子に、あんな可愛い女の子の知り合いが出来るなんてありえないという現実を、改めて強調した上で「NHKにようこそ」は男の願望にまみれたファンタジーであり、希望は抱かず夢として読もうといった声が出た。

 けれども本当にそうなのか。引きこもりのオタク野郎に可愛い彼女なんで出来ないのか。そんな益体もない男を気に掛ける女性なんて未来永劫現れないのか。そうあって欲しいと願う気持ちも混じった叫びに近い疑問の声に、意外なところから擁護の声があがった。芥川賞候補であり直木賞候補にもなり川端康成文学賞は受賞した華麗な文学的経歴を持った糸川秋子が発表した短編「ニート」が、引きこもり気味の青年に対する女性の側からの意識を描き出していて、受ける男性の側にこういう女性もいるのかもしれないといった希望を抱かせる。

 週に3食しか食事を摂れず、摂っても具なしのインスタントラーメンに同じく具なしのチャーハンだけという生活をしている男性。それでもネットからは身を遠ざけることができず、電気だけは守り通してネットにアクセスしては外界との接触を保っている。まさに「ニート」中の「ニート」。親の手助けも借りられない独立独歩の「ニート」とも言える存在が、絲山秋子さんの短編集「ニート」(角川書店、1200円)に収録の表題作に登場する。

 物語はそんな男性の知人だった女性作家が、姉御肌を見せて援助しようと申し出る内容。かつて恋人だったということでもなく、ただ見過ごしてはおけないといった感情からの援助を申し出る女性作家の心理状態は、哀れみなのかそれとも恋愛なのかは分からない。推し量るなら優越感と憐憫と情愛が入り交じった、複雑な感情の発露だと言えそうだけれど、問題なのはそういった感情が現実に生まれる可能性があるのか、といった点だ。

 引きこもりのトップランナーが書いた場合は、半ば願望の充足として取られかねない現象だけど、これを書いたのは直木賞なり芥川賞といった権威も候補として認めうる大人の作家。経歴をたどるなら企業で働き各地を巡ったキャリア女性で、社会経験も数多く人付き合いも豊富。そんな分別のある人間が、それでも描く以上はおそらく実際的な感情として、大人の女性の中にニート青年を援助したいという気持ちは発生し得るものなのだろう。

 さらに描くなら、援助だけ受けて急場をしのいだ青年は、その後に再び登場して女性作家の住むマンションへと転がり込み、心と体を重ねつつもやはり離れていってしまう。憐憫が情愛へとシフトした結果と見るならば、哀れみを抱かせそれを情愛へと導くことで、彼女を得たいという男性の願望を叶える道も存在し得ると言えなくもない。希望はますますふくらむ。

 「ニート」やその他の短編は、大人らしい男女の関係が、あからさまな筆致であっけらかんとした表現の中に描かれていて、大人になって様々な人間関係の甘さも苦さも知った人たちの心を掴んで話さない。ちょっとした諍いからルームシェアしている別の女性と会話を拒絶しメモを介してのみ対話するようになる場面など、意地が邪魔してうち解けられない大人の人間関係の困難さを見せてくれる。

 最後に入っている「愛なんていらねー」のあからさまぶりといったら。身も蓋もないというよりは閉じられるべき蓋をはがしてなかみを取り出しぶちまけようとした感じ。年下で訳あって刑務所に入っていて、出所して来たばかりの青年に言い寄られ、半ば押し掛けられる形で同居を始めて日々、浣腸され嬲られる壮年の女性学者。けれどもそれをどこか快楽として受け止める彼女の姿が、読む人に衣服をはがせば人間なんて、等しく快楽に走り溺れる存在なんだっということを教える。

 20代の人が書いてもあり得る話ではあるけれど、その場合は何事にも奔放な若者たちのあっけらかんとした姿が描かれているだけになりがちで、同世代的な感慨しか呼ばない。「NHKにようこそ」を読んでも果たして30代、40代は感動するのかというと、いささか疑問だ。

 その点、「ニート」の絲山秋子は1966年生まれで2005年現在数えの不惑。それなりに分別を得る年齢に達した人が、身の回りをベースに描いていいるということで、良い大人であっても一皮むけば同じ人間、感情やら情熱やらに動かされているに過ぎないんだってことを物語る。知性だとか常識だとかいったものに縛られ汲々としてる中年に、己が欲望を開放しようという前向きの気持ちを与えてくれる。

 結婚を目前にした婚約者を死に別れた女性が、自分を立て直して実家へと戻らず一人生きていく道を選ぶ短編、大阪に住む女性と知り合い結婚の約束をしてそして彼女の元へと東京から向かう男性が、実家のある名古屋で心を家族へとそらし自分を見つめ直そうとする短編など、大人の生き様を描き考えさせてくれる。

 若さばかりが強調される昨今の文芸界にあって、バブルの喧騒を経てリストラの恐怖に怯えつつ日々を生きている壮年の世代の女性たちにとって、期待と希望を与えてくれる作家なのだろう。故にこれほどまでに支持を集めて人気を獲得しているのだろう。「NHKにようこそ」に胸ときめかせつつ疑念に惑う若者にもまた、可能性を示唆する物語として読んで損のない1冊だ。


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