電脳なをさん

 どちらがどちらだったのか、ちょっと思い出せませんが、吾妻ひでおさんといしかわじゅんさんの2人を、「ビッグマイナー」「リトルメジャー」と呼んで、何かと比較していた時期がありました。吾妻さん自身が「日本SF大会」の会場風景をルポするマンガの中で、いしかわさんとの「因縁」めいた対決を描いていたほどです。

 その後吾妻さんは、「自分の妄想世界に完結し、時代と刺ししがえてブラックホールのように果敢に自閉して」(夏目房之介)しまいました。90年代に入ってようやく、ぽつりぽつりと作品を発表するようになりましたが、決して多作ではありません。一方いしかわさんの方は、新しいジャンル新しいジャンルへとその仕事の幅を広げ、今では押しも押されぬ「巨匠」の域にまで達しています。趣味も幅広く、スキーやパソコンなどに熱心に取り組み、とりわけパソコンでは、「だってサルなんだもん」のようなエッセイも著しています。

 とり・みきさんと唐沢なをきさん。現在最も優れたギャグ漫画の書き手といえるこの2人を見ていると、吾妻ひでおさんといしかわじゅんさんが両雄として並び立っていた、あの時代の雰囲気が思い出されてなりません。独立した漫画家に対して失礼なことですが、両人を吾妻さんといしかわさんになぞらえるとしたら、文春漫画賞を授賞し、著作も多く、なにより少年チャンピオン出身というとり・みきさんを吾妻さんの後裔、少年誌よりもマイナー誌での活躍が多く、4コマ漫画もストーリー漫画もお手の物、何より同じアスペクトから本を出した唐沢なをきさんを、いしかわさんの後裔と見立てることができるでしょう。

 とり・みきさんも唐沢なをきさんも、かつて流行った漫画なり風俗を自分の漫画に取り入れてパロディとして仕立て上げる手法に秀でている点で、非常に共通した方法論を持っています。唐沢なをきさんの最新刊に当たる「電脳なをさん」(アスペクト、1600円)を読んでいて、田村信さんの「できんボーイ」を模した作品が収められていたのを見て(48、49ページ)を見て、かつてとり・みきさんが描いた、水木しげるさん、大友克洋さん、江口寿史さん、鴨川つばめさんらを1コマごとに模していった短篇の中に、同じ「できんボーイ」が登場していたのを思い出し、なるほど2人ともそういう世代なのかと、妙な感慨を覚えました。

 「電脳なきさん」には他にも、「アンパンマン」や「サミット学園」や「ゲームセンターあらし」や「タイガーマスク」や「やる気まんまん」(おお!)などを模した作品が収められています。「サミット学園」や「アンパンマン」を模した作品のように、元ネタにカンペキに近く似せた絵と展開を持たせることによって、元ネタの通俗性を撃つ作品もあれば、「ゲームセンターあらし」のように、元ネタのエッセンスを抽出してそこを誇張させ、ギャグにしてしまう作品もあります。

 とりわけ「サミット学園」を模した「アップル学園」は、起承転結の当たり前すぎる展開や、政治性、社会性のあるオチを取って付ける手法などが見事に模倣されていて、原作への痛烈な皮肉となっています。原作のつまらなさがここでは、誇張されたつまらなさとなって、逆に面白さを与えています。

 もちろん既成作品のパロディではない、オリジナルの絵柄による漫画でも、唐沢なをきさんの凄みは存分に堪能できます。フォトショップのプラグインを次々と繰り出して画面にエフェクトをかけ、それを忍者どうしの術くらべの漫画にしてしまう着想の斬新さ。マックユーザーなら誰でも怒りとともに経験する「システムエラー」の爆弾出現を、場面を切り替えるための小道具にしてしまうといった、マックファンのみならずすべてコンピューター・ユーザーのツボを抑えた演出の数々。1コマ1コマに仕掛けられた唐沢なをきさんのたくらみを、読み返すたびに発見して、こみ上げる笑いに背中をひきつらせています。

 とり・みきさんと唐沢なをきさんを、吾妻ひでおさんといしかわじゅんさんになぞられたといっても、とり・みきさんは吾妻ひでお化を懸念した夏目房之介さんの心配をよそに、脇目もふらずに快調に作品を書き続けていますし、唐沢さんもまた独自の方法論をより高く、より強固なものへと発展させつつあります。なにより2人とも、SFテイスト、をたくテイストに溢れたギャグ漫画を描ける漫画家として、頂点を極めつつあるといっても過言ではありません。ますますもって今後の活動が楽しみです。


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