夏へのトンネル、さよならの出口

 今という時間が嫌だからといって逃げ出したところで、明日という時間になって何が変わるというのだろう。それが1年後でも5年後でも10年後でも同じだ。今という時間を嫌にしている自分がそのまま未来に飛んだところで、嫌な自分が変わる訳ではない。

 難病の治療法が未来には確立されているかもしれないからと、コールドスリープに入るような場合なら未来に逃げ出す意味はある。今はただのガラクタでも、1000年先に骨董となって莫大な価値を生み出す可能性もあるかもしれない。そうではない、健康な身ひとつで未来に逃げ出して何になる? 今という積み重ねの果てでした未来は価値をもたない。おそらくは。

 八目迷による第13回小学館ライトノベル大賞のガガガ賞&審査員特別賞を獲得した「夏へのトンネル、さよならの出口」(ガガガ文庫、611円)が諭すのも、そんな未来への逃走と現在の延長との対比だ。どちらに理があり価値がある? その答えは、実はそれほど単純ではない。

 木の上にいるカブトムシやクワガタムシを捕まえようとして登った妹が木から落ち、命を失ってしまった。ショックで母親は失踪し、妹にとっては実父だけれど、母親の不倫相手との間に生まれた自分にとっては血は繋がっていない父親と、塔野カオルは今も同じ家に暮らし続けている。

 怒りっぽくなって、カオルが作った食事も投げつける粗暴さも見せるようになった父親との関係があり、そして妹を目の前で失ったことに責任も感じて日々を生きている、そんなカオルが山で見つけたトンネルに入って鳥居をくぐり、灯籠の光を見てしばらく。外に出たら奇妙なことが起こっていた。

 そんなシチュエーションを持った「夏へのトンネル、さよならの出口」。トンネルの奥までたどり着き、出ようと思ったところで妹のなくしたサンダルを見つけて少しだけ足を止めたことが、奇妙なことを引き起こしたのかもしれない。そのことを受け入れさえすれば、もっと強い願いがかなうかも知れないとカオルは思うようになる。

 その付近には、トンネルに入って出て来た人間が、激しく歳をとっていたという浦島太郎の伝説にも似たウラシマトンネルの噂が流れていた。カオルが入ったのはそのウラシマトンネルなのか? それにしては結果が少し違う。それでも願いがかなうならと、入るか入るまいかを逡巡していたカオルの前に、花城あんずという少女が転校してくる。

 コミュニケーションを苦手としているのかあまり騒がず、クールに振る舞っていることで川島という同級生のギャルに目を付けられイジられる。それに対して拳で殴り返すくらいのクールさ。川島の彼氏という上級生もあんずに転がされたところをボールペンで刺されて戦意をそがれ、退学してしまう。

 そんな花城あんずと会話するようになったカオルは、2人でウラシマトンネルの探索を始める。無くしたものを取り戻せるというそのトンネルに入って、奇妙な出来事が起こる理屈を調べようとする。

 なぜそこまでするのか。無くしたものを本当に取り戻したいのか。カオルの場合は妹だけれど花城あんずの場合は何なのか。取り戻せたとしてもそれにはある“犠牲”が伴うけれど、それでもやっぱり望むのか。そんな問いかけが投げかけられ、高校生の日常が描かれる中、迷いがちな思春期の少年少女にいろいろな選択肢を見せ、不思議を望む心が浮かぶ。

 花城あんずはウラシマトンネルで拾い集めた過去から、自分が本当にやりたいことを思いだし、それに取り組むようになる。けれどもカオルは別にやりたいことはなく、家庭の事情もあって決断してしまう。そして……。結果、何が変わったのかを少し考えてみたくなる。

 それは個人的な出来事であって、そこから世界が激変するような大げさなことは起こらない。浦島トンネルがどうして存在するのかも分からない。カオルと花城だけが使えたのかも不明のまま。小さくて、狭い事件。でもそこに少年少女が覚える普遍の悩みがあったりする。だからこそ、今と未来のどちらを選ぶのかをより切実に、己のこととして考えさせてくれるのかもしれない。

 今をどう生きる。明日をどう生きていく。逃げるか。進むか。そんな物語。読めばきっと思うだろう、今をやりたいことのために生きる大切さを。


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