「ななめの音楽1」「ななめの音楽2」

 その名前を知ったのは、「前略・ミルクハウス」だっただろうか。下宿を舞台にしたコミカルさにあふれた恋愛ストーリーは、少女漫画の世界のメインストリームとなって、女子だけでなく男子も引きつけ人気となって、テレビドラマ化もされた。登場人物には女装をした男子もいたりして、昨今の風潮を思い切り先取りしていて、そういったものがまだ少なかった当時の、密やかな関心も引きつけた。

 それからしばらくして登場した、「観用少女」を読んだとき、前とは違った世界へと向かっていることを予感させた。SFマガジンに掲載されたジェイムズ・ティプトリー・Jrの短編「たったひとつの冴えたやりかた」に挿し絵を描き、ティプトリーの短編を集めた文庫本の表紙も描いてSFへの傾注を伺わせていたが、「観用少女」では美少女の姿をした愛玩人形の物語をつづり、人ならぬ存在への関心を誘うSFとして話題を得た。

 長く、そして広く活動を続ける漫画家の川原由美子が昨今、描いているものはラブコメとは違い、ストレートなSFとも少しはずれながら、どこか未来的な上に過去的な雰囲気も感じさせる不思議な物語。その「ななめの音楽1」(朝日新聞出版、840円)という漫画は、雰囲気に静謐さが加わり、展開に幻想性が加わって、今までとは違った川原由美子の世界を楽しませてくれる。また同時に、今までのSFコミックとも違ったビジョンを見せてくれる。

 伊咲こゆるという少女が通っている学校で、彼女が慕っている光子という先輩。機械いじりが得意で、どこか大人びて冷静そうな雰囲気を持った彼女の行き先を学校の中で探していたこゆるは、どこからかやってきた飛行船が、光子先輩を連れてどこかへ飛んでいこうとしえいる場面に行きあたる。

 乗り合わせていた、秘書らしい大人びた女性にこゆるが聞くと、飛行船はドイツへと向かうという。こゆるは是非にとお願いして、光子先輩に着いていくことに決め、とりあえずその場ではいったん引きつつ、間をおいて飛行機でドイツへと旅立ち、そこで光子先輩と合流する。

 そのドイツでこゆるが見たものは、レシプロもジェットも含めて新旧が混じり合った飛行機たち。光子先輩はそのうちの1機を駆ってレースに臨み、一族が事業として行っている航空機の受注の権利を獲得する指名を与えられていた。そんな環境の中に割って入っていった形となったこゆるは、光子先輩が駆る双発の航空機にいっしょに乗ってレースに出場しては、行く先々でいろいろな人と出会い、自らの見聞を広めていく。

 最初にドイツに到着した時に聞いた天使の声や、見た天使の夢が、現実と幻想との境目を薄くして、リアルでシリアスなはずの世界観に不思議な空気を漂わせる。灯台に暮らす少女が、幻想の中でこゆるをさらって監禁したりもして、どこまでがリアルでどこまでが繋がった夢の中なのかを、ちょっぴり曖昧にさせる。

 けれども、それを個々が見た夢なり、思いこみなりととらえるならば、割にシリアスな世界の中で、物語は進んでいてそして、光子先輩とこゆりは着々とゴールに向かって飛んでいるだけだと言えるかもしれない。リアルな現実にシームレスに重なる空想と幻想のストーリーが、多感な少女たちの心に宿り、瞼に浮かぶ世界を感じさせてくれる。

 第1巻ではまだ、“ななめの音楽”という意味深なタイトルが、何を本当に意味するのかは開かされない。続く「ななめの音楽2」(朝日新聞出版、840円)でこの“ななめの音楽”のどこか残酷で冷徹な意味が示され、その使われ方によってこゆるは戸惑いを覚える。

 信じていた存在に見えた、絶対に信じたくない一面。けれども、それすらも含めて人を愛し、受け入れる心の覚悟とというものが、こゆるの迷いから浮かんでくる。一方で、光子先輩の自分の思いにまっすぐで、それゆえに見えない周囲からこぼれおちていってしまったこゆるへの自省の念が、たったひとりでは生きづらく、そして、誰かといられることは素晴らしいことなのだと教えてくれる。

 1ページに横長4段による4コマという、かつてない挑戦的なレイアウトで繰り広げられる漫画の画面構成は、ともすれば読みづらくもあるが、枠を気にしなければ何段にも連ねて表現できる特徴もあって、「ななめの音楽」ではそれが時折、広い空間を描いたり、続く場面を描いたりして、漫画表現の新しい形を見せてくれる。横へと飛ぶ飛行機の描写にも、横長のコマがあるいは有効なのかもしれない。

 萩尾望都の幻想性、鳥図明児の耽美さ、森博嗣の「スカイ・クロラ」に重なる淡々とした空への憧憬が合わさり、松田未来のような航空機へのフェティッシュな思いも積み上がったかつてない航空漫画。もちろんそこには、川原由美子ならではの切々と流れる少女たちの感情の機微もこめられ、寄り添い支え合って生きていきたいと思わされる。挙げられたファクトのどれかに引っかかった人も、何か目新しい作品を目にしたい人も、読んでみて間違いはない。絶対に。


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