波よ聞いてくれ 1

 希望を抱いて外に出た少女たちが直面する、苛烈な運命を描いた「ブラッドハーレーの馬車」とか、少女の仇討ちに不死の男が伴って全国を行脚し、激しい戦いを繰り広げる代表作「無限の住人」といった、ハードでシリアスな雰囲気の作品を描いて人気と見られがちな沙村広明。一方で、「ハルシオン・ランチ」のように、何でも食らう宇宙人の少女を核にして起こるドタバタを描いたギャグ系の作品もあって、それがシリアスな作品と同じ絵柄で綴られるため、ギャップも含めて笑わずにはいられない。

 どちらの系列が沙村広明にとって本流なのかは判断が分かれそうなところだけれど、ここに登場した「波よ聞いてくれ1」(講談社、590円)を読む限りでは、「ハルシオン/ランチ」から引き続いて、ギャグにこそ自身の資質を見い出し、打ち出していこうとしているとも思えてくる。

 詐欺まがいの言動を繰り出してきた彼氏に50万円もの金を持ち逃げされた、スープカレーの店の店員で25歳のミナレという女性が、飲み屋で酔っ払って居あわせた中年男を相手に散々っぱらくだを巻き、愚痴を言い、それを忘れて目覚めて出勤したカレー屋で、流れてきたFMラジオの放送に驚いた。どうやら自分のことらしい。おまけに自分の声らしい。

 実はくだを巻いていた相手がラジオ番組のチーフディレクターで、ミナレを相手に呑んでいた時に録音した男への罵倒を、そのまま放送したらしかった。聴いたミナレは遅刻続きでカレー屋を首になりかけているのも構わず、職場を飛び出してラジオ局へと駆けつけ、そこで録音を止めようとしたら、チーフディレクターから放送を止めるなら自分が引き継いで喋れと言われた。

 その時は勢いもあって、自分の声の録音を引き継ぐように生放送で言い訳をしつつ、男への啖呵もしっかり切って場を取り繕う。完全に素人の乱入でしかなかったものの、その時の話しっぷりがチーフディレクターにピンと来たのか、もとより飲み屋でのしゃべりを録音していた時に声に何かを感じていたのか。チーフディレクターはミナレにラジオに出てみないかと誘う。

 その場では自分には荷が重いとミナレは引き下がったものの、チーフディレクターはカレー屋にまで来て誘いをかける。カレー屋の店の雰囲気に合わない接客ぶりで店長から疎んじられ、首になるのが確実なミナレは、ラジオ番組を引き受ける気を起こす。

 もっとも、すぐに番組が始められるでもなく、お金も稼げないままアパートを引き払って番組のADの部屋に転がり込みつつ、カレー屋の同僚だった男の引き留めも浴びつつどうにか生きていこうとしていたら、カレー屋の店長が事故に遭って入院し、しばらくカレー屋も手伝ったりしていたミナレに、深夜早朝の誰も聞いていなさそうな時間帯の番組を始めるかどうかといった企画が持ち込まれる。

 ある意味で、ズブの素人が意外な才能を認められ、駆け上がっていくシンデレラストーリーだけれど、始まりが飲み屋で元彼への罵倒で、カレー屋では仕事ぶりは認められても、性格が開けっぴろげでズレまくっていたりするミナレが主人公なだけに、一本道を駆け上がっていくような爽快さはなく、かといって挫折を繰り返しながら這い上がっていく悲惨さもない。

 酔っ払って階段で倒れて、同じアパートの住人から助けられていたのを勘違いして、自分が頑張って部屋までたどり着いて、着替えて寝ていただけだと思い込んだりする自己中心派。そうしたシチュエーションを織り交ぜ、キャラクターへの笑いを感じさせながら、それでもじわじわと外堀を埋められ、内側からも溢れる何かがあって少しずつでも進んでいく楽しさと確かさが、展開から滲んできて引き付けられる。

 ミナレがラジオというものについて真剣に考え始める展開もあって、改めてラジオというロートルな、そしてこの場合はローカルでもあるメディアが保つ、それでも大きな意味といったものを感じさせられる。

 泊めてもらっている女性のADが飼っている亀の世話を安請け合いしたら、とんでもなく几帳面に世話する方法をメモに残され戸惑ったりする描写のぶち込み方も愉快。そんなフックを手がかりに進んでいった先で、謎めく女性が現れたり、ラジオが本決まりになりかけたりしてまずは第1巻。続く展開でミナレはどんな活躍を見せるのか、それともやっぱり粗忽ぶりを炸裂させて、笑われながらもそれでしっかり自分を表現していくのか。そこが気になる。

 居場所のなさに悩み、個性の薄さに迷う人とか読めば、きっと自分をもっと炸裂させていこうと思えるかもしれない物語。ただし、ラジオで自分の恥ずかしい部分をさらけ出す有機は、なかなか生まれないだろうけれど。そこで開き直れるミナレだからこそ、きっとすごいことをやってくれそうな気がしている。どうだろう。


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