ナイチンゲールは夜に歌う

 小説を書くんだと、なんど決心したことだろう。ある時は、小説を書くんだったら、やっぱり丸善の原稿用紙しかないと思って、例の格式張った原稿用紙を何冊も買い込んだ。挙げ句、最初の1枚、2枚に文章を書き連ね、3枚目からはマンガを落書きして、4枚目以降は真っ白という原稿用紙が、何冊も机の引き出しにしまい込まれることになった。

 別の時には、小説は万年筆で書かれなくてはならないと言って、父親からシェーファーの万年筆をくすね、専用のブルー・ブラックのインキを買って来た。まずは試し書きと、万年筆を下に向けたとたん、調整不足のせいなのか、インクがポタリ、ポタリと原稿用紙を汚してしまい、一気にやる気をなくしてしまった。

 ワープロを買ったのも、自分の醜い字は小説に相応しくないという理由からだった。思考の過程を保存しながら磨き上げ、結果を綺麗な文字で印字できるワープロがあれば、湯水のごとくわき出るアイディアを、次から次へと小説の形に結実できるはずだと信じていた。

 結果として今に至るまで、自分は1枚の小説も書けずにいる。原稿用紙にこだわるのも、万年筆に執着するのも、ワープロがなければとごねるのも、結局のところは小説を書けない責任を、他に転嫁しているだけに過ぎない。アイディアがわき出るというのも、所詮はその場しのぎのいいわけ。結実しないアイディアなど、いくら溢れようと最初から存在していないことと同じなのだ。

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 「自分とシェイクスピアのちがいは」−ジョン・クロウリーの短篇「ノヴェルティ」に登場する作家の主人公は、小説を書かない(書けない)理由をこう言い表した。「才能ではなく、度胸だ。頭に浮かんだ最大最強の着想にひるむことなく、ぽんと(ぽんと!)机の前に座ってそれを書き上げる能力だ」「そのアイディアを一語ずつ、一場面ずつ、一ページずつ、かっちりと表現していく過程を想像するだけで怖じ気づき、気力が萎えてしまう」

 1度や2度なら、そんなアイディアと一戦交えて、小説をものに出来るかもしれない。「ノヴェルティ」の主人公も、そうしてプロの作家になった。しかし今は、ひらめきをすくいとり、育て上げ、格闘して結実させるだけの執着がない。「新奇なもの(ノヴェルティ)と堅実なもの(セキュアリティ)のはざまで感じる相反する引力」というアイディアを思いつき、膨らませているのは酒場の中だけのこと。「毎日一ページ、毎週七ページ。毎月三十または三十一ページ」。そんな皮算用をしながら懐に入れた手が触れた万年筆の感触は、決して暖かいものではない。

 彼は「ノヴェルティとセキュアリティの対立」を題材にした小説を書けただろうか。作中、主人公の作家が35章の終わりのシーンまで思い浮かべることに成功した『ノヴェルティ』という小説は、たぶん書かれなかったと思う。酒が抜け、気が萎えるに従って、巨大なアイディアと格闘する疲労感に苛まれて、「指を一本上げて小銭を前に押しや」ったような気がする。

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 だが、『ノヴェルティ』という小説を思い浮かべた作家を、「ノヴェルティ」という短篇の中に創造したジョン・クロウリー自身は、小説内小説『ノヴェルティ』の基礎となった「ノヴェルティとセキュアリティの対立」をすくいとり、この「ノヴェルティ」を含めて4つの短篇に結実させた。それがこの短編集「ナイチンゲールは夜に歌う」(原題「NOVELTY」、早川書房、浅倉久志訳、2000円)だ。

 日本版で表題作となった「ナイチンゲールは夜に歌う」は、混沌より生まれでた一組の男女が、造物主のディム・カインドの願いも虚しく自律し、時の流れに身を置く。「だいじょうぶ」、そう女は言い、男も「だいじょうぶだよ」と言って、混沌に安寧するよりも不安定な未来に希望を託す。「時の偉業」は安定した時空のみを選び取っていく組織が、本来あるべき不安定な未来の存在と対立する。「青衣」の主人公は、くぐったアーチをふと気にとめたことがきっかけとなり、あらかじめ決められた未来を、すべて予測できるようになった社会から、次第にはじき出されていく。

 新奇(ノベルティ)であるべきか、それとも堅実(セキュアリティ)であるべきか。「ナイチンゲールは夜に歌う」「時の偉業」「青衣」の3つの物語を読んでも、作者はなかなか答えをくれない。読み手の気分が昂揚していれば、未来は自分で切り開くと言って、新奇なものへの憧れを表明するが、逆に沈み込んでいれば、安定と安寧にくるまれたまま、決められた路線を歩むことを選び取る。

 作家は作品を書けなかったと思った「ノヴェルティ」のラストの印象も、たぶん読み手の気分におおいに左右されたのだろう。新奇なものと格闘することを拒み、堅実という名前の怠惰にくるまれて悪戯に時を浪費している今の自分。作家になれるのならいずれなれるだろうし、なれなくてもそれはあらかじめ決められていたことと、少しの努力もせずに傍観者然としている卑怯な自分がそこにいる。

 ジョン・クロウリーがあなたに与えたのは勇気だろうか、それとも安心だろうか、あるいは絶望だろうか。心を写す鏡。心理を指示するリトマス試験紙。「ナイチンゲールは夜に歌う」で、あなたの今を見つめ直してみてはいかがだろう。


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