名古屋式。

 つまらない。

 「CD」が「クリスチャン・ディオール」ではなく中日ドラゴンズの略称で、「名古屋駅」を「めーえき」、「名古屋大学」を「めーだい」と呼び、味噌煮込みうどんにご飯が付き、トーストにあんが挟んであり、スパゲッティにもあんがかかっていることくらい知っている。そんなことを書いて今さら何をおおげさに騒ぎ立てるのかが分からない。

 「喫茶マウンテン」のスパゲッティが甘口で抹茶が練り込まれていて、小倉あんとクリームがかけられていて、おまけに暖かいのは当然のこと。「寿がきや」のラーメンには先割れスプーンが付いてくるのもだって当たり前。イタリアンスパゲッティがステーキ皿の上で焼かれたケチャップスパで下に卵焼きが入っているのも周知の事実。「スターバックス」より「コメダ珈琲店」だって? そんな決まり切ったことを言わないでくれ、頼むから。

 カレーは「CoCo壱番屋」でコンビニは「CoCoストア」でスーパーは「ユニー」でショッピングセンターは「アピタ」。さらに言えば「ユーストア」というのもあるがいれにしたって一般常識、いや生まれながらに人が遺伝子レベルで知っておくべき知識ばかり。中国人は語尾に「アル」を付けて喋るということくらい、誰でも知ってる話を書いて、「名古屋式。」(マガジンハウス、905円)なんて本にして、この雷門獅篭という落語家はいったい何が言いたかったのだろうか。

 それともこの国には、豚カツにかけられるものが味噌で、檄辛のラーメンが台湾ラーメンと呼ばれ、山ちゃんは世界のブランドで、鰻は刻まれご飯に混ぜられ最初はそのままで次は薬味を入れ最後にお茶漬けにして食べる、なんてことのない場所があるのだろうか。道路の幅は100メートルもなく、このうちの中央分離帯が50メートルもなく、都心部に地下街が発達しておらず、パチンコ屋がゴージャスじゃないなんて場所が、本当に存在しているのだろうか。

 きっとあるのだろう。それはきっとてつもない田舎なのだろう。書いた雷門獅篭という落語家は、そんな人跡未踏の僻地から野を越え山越え谷踏み越えて、世界の大都会・名古屋へとはるばるやって来たに違いない。そんな人物だから、名古屋で見るもの、食べるものがすべて新しく見え、不思議に思えて仕方がなかったのだろう。その驚きをそのまま本に書いてしまったのがこの「名古屋式。」なのだろう。

 例えるなら、南海の孤島より文明国へとやって来て、その驚きを話した酋長ツイアビの言葉をまとめた「パパラギ」のような本なのだ。読む方はそんな酋長の驚きぶりを通して、名古屋の都会ぶり発達ぶりを改めて知って悦に入るんだ。そんな本なのだ、この「名古屋式」という奴は。

 違うって。

 名古屋の「喫茶マウンテン」の他に甘口抹茶小倉スパが食べられる場所などない。カレーが「CoCo壱番屋」だけでスーパーといえば「ユニー」でラーメンに先割れスプーンが出てくる場所も他にない。豚カツと食べようとして迷うのはソースか味噌かではなくヒレかロース。「めーだい」は名古屋大学で机は「つる」ももではなく「動かす」もので喫茶店の珈琲にアーモンドもピーナッツも亀田の「小粒っ子」も前田の「セサミハイチ」も付きはしない。名古屋以外の世界のどこでも。

 そんな不思議の国・名古屋に花の都・東京を訳あって放逐された立川志加吾め雷門獅篭が流れ着き、「大須演芸場」という満席でも2人か3人しか入らない演芸場に寝泊まりしながら落語家として修行する傍ら、見聞きした名古屋のすべてを軽快な文章と、そして単行本まで出している程の腕前を持った漫画で描いたのがこの「名古屋式。」すべてが新鮮で、驚きに溢れていてそして面白い、はずだ、名古屋以外の地域に暮らす人たちにとっては。

 味噌カツの「矢場とん」が銀座に店を構え、「コメ兵」が有楽町に進出し、あんかけスパも「CoCo壱番屋」の会社が関東地域でチェーン店を始めるようになったからといって、名古屋の不思議はゼロにはならない。むしろ新しい不思議が続々と生まれているようで、現役名古屋人(=ナゴヤン)の雷門獅篭はそんな不思議の幾つか、例えば名古屋の女子高生のスカートが短くなっていることや、からくり人形のご当地として真夜中の午前3時に「キテレツ大百科」が放映されていることを紹介している。

 名古屋はまさに今が旬。「愛・地球博」が開催され「中部国際空港」が開業し、景気は右肩上がりで日本中から最も栄えた地域だと熱い注目を集めている。そんな名古屋に例え最初は本意ではなかったとしても流れ着き、盛り上がる様を間近に見聞して、本にまとめて出版できた雷門獅篭の引きの強さはとてつもなく強いもの、なのかもしれない。上納金を納めず立川談志を破門されて、逆に良かったのではないか。芸にも身が入っている様子だし。

 それでも敢えて言う。名古屋人は名古屋のことを言われても、それを表だって嬉しがるようなことはしない。名古屋のことが書かれている本を読んで、それを面白がることを潔しとはしない。シャイなのだ。面白いもの、楽しいものを敢えて「つまらん」と言って棄てることを美学と感じるのが名古屋人なのだ。そんな心で重ねて言おう。

 「名古屋式。」はつまらんて。


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