夢魔の通り道

 「カズノコ天井」でも「ミミズ千匹」でもいい。とにかくそんな言葉で呼ばれる「名器」を持った女性がいたと思って欲しい。そしてその女性に、ある日空から不思議な光線が降り注いだことにして欲しい。

 どんな光線かって、それは当たった物を「つるつる」にしてしまう光線。えっ、想像したのは毛が全部抜けて「つるつる」になってしまうってこと? まあそれはそれでエロティックな想像を掻き立てるけど、こっちの「つるつる」は当たった物の表面の摩擦係数を、ゼロにしてしまう光線だ。たとえば光線が降り注いだ道路は、アイゼンでも付けない限り皮底だろうとゴム底だろうと、足がつるりと滑って歩けないって寸法。ガードレールに捕まると、今度は手がつるりと滑ってしまう。

 で、くだんの女性だけど、素っ裸の時に光線を浴びてしまったものだから、体の表面がつるつるになってしまい、パンツも履けなければジーンズだってずり落ちてしまう。ぎゅっと抱きしめれば腕の中からすぽんと抜けて、飛んで行ってしまう始末。それでも方法の体で組みしいて、いざ挿入といった段になって驚いた。「カズノコ」なんかいやしない。「ミミズ」だって逃げちゃった。「ぐにょぐにょ」「もにゃもにゃ」していたからこその快感だったのに、「つるつる」になっちゃって、張り出した男のカリだって引っかかりやしない。ああなんという悲劇。まさに「ホラー」だねえ。

 とまあ、村田基のホラー短編集「夢魔の通り魔」(角川ホラー文庫、640円)に収録された「つるつる」って短編を読みながら、爆裂妄想を浮かべてしまったんだけど、幸いというか残念というか、「つるつる」光線は当たった物の表面だけを「つるつる」にしてしまう効果しかなく、あたった物が壊されたり組み替えられたら、その瞬間に「つるつる」の効果もなくなってしまう。土は掘り返せば良いし、固いアスファルトだって、短編の中ではみんなによってたかってほじくり返されてしまった。

 それから光線の当たった女性、といっても短編では別に「カズノコ天井」でも「ミミズ千匹」でも無いけれど、当たったのが体の表面だけだったため、あっちの方は別に奥まで「つるつる」になってしまったってことはなかったみたい。良かったねえ。もっとも、そんなところまで「つるつる」になったうんだったら、目玉は眼窩からつるっと飛び出してしまうし、食べた物もどんなにイガイガしてたって、蕎麦かラーメンかって具合につるっと胃袋まで行ってしまう。

 「夢魔の通り道」には全部で十三本の短編が収録されているんだけど、一番ハチャハチャなのがこの「つるつる」。ホラーっていうよりはスラップスティックって言った方が当てはまる面白さで、それでいて身近な暮らしの中に突如起こる怪事件、って意味で立派にホラーとして機能している。いやむしろ、血が吹き出し首が飛び、内蔵がぶちまけられて骨がひしゃげるスプラターな作品よりも、ごくごくありふれた日常生活を突如襲う不可思議な現象という点で、身近に、皮膚的に理解できるコワさを秘めているんじゃないかって思う。

 そういう意味では、例えば巻末に収められた書き下ろしの「醒めない悪夢」なんて相当に怖い。学校の授業中に突然手術が始まって、主人公は生徒たちといっしょに、別の生徒が脳ミソを移植される様子を眺めている。ネズミの脳を移植することになっているにも関わらず、何故かみんな、それがカエルの脳であることを知っている。そんな場面が一転して、ベットに寝ていることに気が付いた主人公や、やがてプールの配水管に閉じこめられ、母親が生き腐れになり、体にネジ虫を埋め込まれ、家族を殺して警察官に踏み込まれる。

 なんか夢のようだって、まさしくこれは夢なんだけど、円環のように再現なく繰り返される悪夢の果てに見えた現実らしきものが、はるかに勝る悪夢だったというそのエンディングに、それを知った主人公の精神が、果たしてどのような行く末を辿ったのかを想像し、背筋が凍る思いがした。たとえ現実が現実だと解らなかったのだとしても、今後は永遠に繰り返される悪夢を想起し、日常生活の中で、必ず醒める悪夢に汗でびっしょりの朝を迎えた経験を照らし合わせて、やはり心からの戦慄を覚える。

 「最後の教育者」。子供を教育することが悪ということになった近未来で年輩の元教師が辿る運命は、世代の変化についていけずにただ歳をとっていくだけの年配者には、いかなスプラッタよりも恐怖を味わわせることだろう。「生と死の間で」。ある日突然寿命が解ってしまうようになった人類が直面した倦怠と安寧の日々は、見えない未来に不安と希望を持って一所懸命に生きている人間たちに、心の拠り所を見失わせることだろう。「忘れ物」。封印された記憶が甦った果てに老人がとった行動は、常に何かを忘れなければ平静を保つことの出来ない人間にとって、もし仮にすべてを思い出した時、果たしてそれまでの自分でいられるだろうか、老人と同じ行動を取りやしまいかと、底冷えする不安を与えずにはおかない。

 二十歳の体に十歳の精神年齢しか持たない女性の家庭教師になる「柱時計のある家」は、ともしれば読み手に官能的な喜びをもたらしてくれる話だけど、崩れそうになりながらもぎりぎりの所で自制心を保たなくてはならないその苦しみは、はやりある種の恐怖を感じさせる。植物と交わることでしか官能を得られない女性を無理矢理犯した挙げ句に動物的な交わりに辟易してしまう男を描いた「植物画」もまた、不能という事態への遺伝子レベルの恐怖を男たちに与えてくれる。首が飛ぶよりも男にとって、ペニスが飛ぶ方がよほど恐ろしいのと理由は同じだ。

 しかしまあ、スプラッタな描写にビジュアルからも活字からも慣れきったホラーファンが読むには、「夢魔の通り道」に収められた短編は迫力という点が不足していることは間違いないから、そういった物を期待している人は読まない方が無難かも。むしろ日常生活にだれ切って、ハッとさせてくれる話を探し求めている人たちが読めば、たたみかけてくるこわおもしろい話のオンパレードに、「ぞくっ」とする気持ち(ちょっと「ぴくっ」も入るけど)を味わえるんじゃないかな。

 SF好きならもう言うことはなし。SF界に高くそびえるホラー短編の金字塔、小松左京の「くだんの母」に勝るとも劣らないめくるめく「センス・オブ・ワンダー(ホラー編)」な世界にしばしどっぷりと浸って、日常生活のスキマで舌なめずりをして待ち受ける、こことは違った別の世界にちんちんを突っ込んでみてはいかがでしょうか。ザラザラしていて摩擦はたっぷり。でも興奮はしないけどね。


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